SURE: Shizuoka University REpository

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自然法思想と実存思想(一)
南, 利明
静岡大学法経研究. 28(1), p. 1-84
1979-11-15
http://doi.org/10.14945/00003570
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自然法思想と実存思想︵こ
はじめに
一実存思想とは何か︵以上本号︶
ニ再生自然法思想1形而上学あるいは隠された実存思想
三 自然法の﹁存在﹂及び﹁機能﹂の超越論的根拠としての﹁実存−投企﹂
むすびー自然法思想 あるいは永遠のシジフォス
は じ め に
南 利 明
秩序と正義がかつてないほど法それ自体によって引き裂かれた精神の焦土に、ひとり﹁自然法﹂が任命される。むろん
その任務は、﹁法ニヒリズム﹂の回帰の防止ということだ。以来、既に1/3世紀空の歳月の経過をみた。その間、自然
法が法に対して希望を失なった人々の未来であったのは、ほんのつかのまのことであり、やがて彼女のもとには忘の解
任通知が届けられる。その理由は、秩序と平安を乱すというわけだ。あたかもそのことが自らの存在のあかしでもあるか
のように、かつて多くの人々が争うようにして自然法について語ったにもかかわらず、今日では、人はその終焉について
語ることさえ忘れてしまっているかのようである。人が今日口にするのは﹁法規範の分析﹂であり﹁法的推論﹂であり
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
﹁法律学的ヘルメノイティーク﹂﹁法理論﹂⋮⋮といったものである。かつてあれほど声高に語られた自然法は、わずか
にカトリックの法理論の中で命脈を保っているにすぎない。無関心であることによってそれを片づけてしまうこと、それ
が今日流のやり方なのだ。
しかしこうした広くゆきわたった無関心は、第二次大戦後の西ドイツを中心とした自然法思想の再生を、法思想史のも
っとも新らしいページに書き加えられた出来事として、それとの﹁対話﹂を行なわんとする者にとっては、かえって好都
合なことといえるかもしれないUそれというのも、絵画を鑑賞するためには、それに適した﹁距離﹂が必要であるよう
に、ある出来事を正しく見るためには、それへの﹁距離をおいた客観性﹂が必要とされるであろうから。自然法の再生か
らl/3世紀、シエラウスケによる戦後自然法論の﹁たなおろし﹂ からさえ既に一五年近くたった今日、我々はそうした
﹁時間距離﹂を手にしているといってよいであろうUむろんそのことは、自然法思想を、現在の状況から切り離され、我
々に無関係な客体でもあるかのように取りあつかおうということではない。むしろ再生以来三〇年余という時の経過の中
で、無関心という形においてであれ、あるいは忘却という形においてであれ、自然法思想が陥っている﹁疎外﹂からそれ
を救い出し﹁対話の生きた現在に戻そうとすること﹂、それが我々の究極の狙いである。
﹁対話﹂の開始は﹁問う﹂ことによってはじまる。再生した自然法思想と実存思想の関係を明らかにすること、それが
以下の論敦のテーマである。しかしそのさい、我々の主たる関心事は、実存思想の自然法思想に対する直接的な影響関係
を明らかにしようとすることにあるのではないU そうではなくて、以下において問題としたいことは、﹁法ニヒリズム
の克服という課題に向けられた戦後の自然法思想が、その形上而学的な装いにもかかわらず、!論者自身、そのことを
明確に認識していたか否かはともかくとして−、その全体において、通常それとは対照的な立場に立つと思われてきた
実存思想によって支配され貫徹されていたのではなかったか、ということである二現代の自然法思想は存在︵Sein︶へ
と定位づけられている﹂とアルトウール・カウフマンはいう。むろんそうした面は否定しえないものであるにせよ、そ
は﹁存在﹂よりもむしろ﹁実存︵Ek・SisIePZ︶﹂に定位づけられていたのではなかったか、あるいは少なくとも﹁実存﹂
に定位づけることによってより良く理解されうるものではないのか、そのことを我々は竿において明らかにしたいと思
そのためにまず、﹁実存思想﹂とは果たして何か、ということの検討から出発することにしよう。
︵1︶ H・Gadamer、Wahrhei︷uロdMe−hOde●NAuP−害.S.N遥
︵2︶H・Sche−auske、Na−urrechtsdiskussiOロinDeutsch㌻nd.−蓋.S.−¢
︵3︶ H●Gadamer.a.a.PS.当∽
︵4︶ H●Gadamer.a.a.PS.∽∽○
︵5︶A・Kaufmaロn−Ein−eiIung・iロ︰DieOn−0−0gischeBegr邑u完desRechts・︵Hrsg・⋮Ar−hurKaufmanロ︶−琴
S
.
−
一実存思想とは何か
H E訃Ienぢhi−OSOphieOderE舛is−ePZph〓OSOphien
完世紀の中頃、キルケゴールとニーチェに端を発し、二度の世界大戦を経て大きな哲学的潮流となり、やがて完六
︵1︶
〇年代、フッサールルネサンスや構造主義の登場により哲学の表舞台から退いていった﹁実存思想﹂とは果たして何であ
それは人間を﹁環境の所産﹂としてとらえるのでもなければ、﹁絶対的立法者﹂としてとらえるのでもなく、﹁生産され
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 四
生産するもの﹂としてとらえる哲学のことであるのか、それとも唯物論も観念論も克服したと自称する﹁帝国主義段階に
固有な哲学上の﹃第三の道﹄の現代における頂点を、またそのもっとも精巧なかたちを代表する﹂ものにすぎないのか。
あるいは、マルクス主義と対立するものではなく、むしろ﹁われわれの時代ののりこえ不可能な哲学﹂である﹁マルクス
主義の内部に人間を回復させる﹂課題を担ってマルクス主義の﹁余白﹂に発達したものであるのか、それとも独占資本字
義という土壌によって養われ﹁ブルジョアジーのイデオロギー的顎廃から養分をすいと.った﹂ところの﹁現代のすべての
観念論哲学のうちで党派的にはもっとも反動的な哲学のひとつである﹂のか。あるいは、﹁デモクラシーといわず、ファシ
ズムといわず、社会主義といわず、あらゆる社会組織のうちで機械的生産と手に手をとって進む集団主義的な非人格化へ
の傾向に反対する﹂﹁解放の哲学﹂であるのか、それとも﹁ヨーロッパの病弱な精神が分泌するニヒリズム的な毒のエキ
スである﹂のか。あるいは、﹁形而上学に過去の偉大な哲学者たちが与えてきたような輝きを取り戻すための努力﹂ であ
るのか、それとも﹁個人の心意にかかわる事柄を、哲学の問題と呼ぶに値するものにまで昇格﹂させようとする﹁街の娘
っ子のおしゃべりにふさわしいような種類の形而上学﹂に他ならないのか。あるいは﹁神にもとづく人間の現存在の理解
を破壊するもっともラディカルな試みである﹂のか、それとも﹁聖書と聖書の宗教は我々の哲学することの基盤であり不
断の方向づげであり、そしてかけがえのない内実の源泉である﹂とする哲学のことであるのか。
こうした対比をさらに積み重ねてゆくこともできようが、しかしそれによって明らかになることは、実存思想の統一的
像をうることの困難さだけである。﹁この言葉を使う大部分の人は、これに正当な定義を下そうとなると手も足も出なく
なる﹂という事態は、実存思想の流行が終わって既に久しい今日でも変わりはない。それというのも結局は、実存思想は
﹁共通の内容をもった哲学的理論﹂などではなく、そもそもはじめから実質定義が可能であるような﹁このコトバが指し
示す本質性といったものは存在しなかった﹂のだから。あるいは実存の本質に対する優位をとなえる哲学の共通の本質性
嘉めること自体背理といえるかもしれない。事実、現代の実存思想の成立に直接的影響を与えたといわれるキルケゴー
ルとニーチェの間にあって、あるいは今日代表的な実存思想家として挙げられるハイデッガー、ヤスパース、サルトル、
マルセル⋮⋮の間にあっても、人は共通点よりもむしろ相異点を兄い出すことの方がはるかにたやすいことであろう。た
とえば彼らの哲学の究極のテーマについてみても、ハイデッガーにおいては存在者と区別された﹁存在﹂、ヤスパースに
ぉいては﹁包括者﹂あるいは﹁超砦﹂、マルセルにおいては﹁存在の神秘﹂、サルトルにおいては﹁自由﹂といったよう
に互いに異なったものであり、あるいは、彼らが共に哲学することの根本概念としてとらえ、それゆえに又人が彼らを
﹁実存哲学者﹂と一括して呼ぶところの﹁実存﹂概念についても、彼らが下す定義は一見してわかるようにまちまちであ
る。﹁自己自身から外へ出、世界の内に存在していること﹂あるいは﹁存在の明るみの中に立つこと﹂を﹁実存﹂と呼ぶ
ハイデッガー、現存在からの飛躍による﹁超越する働らき﹂の中で﹁自己自身に関係し、且つそうすることのうちで超越
者に関係する﹂と。ろの人間存在を﹁実存﹂と呼ぶヤスパー聖あるいは、デカルト的なコギトが開示する実在とはまっ
たく異なって、むしろ﹁古典的な主観・客観関係がもはや厳格に適用されなくなる﹂そういった﹁客観性の範囲を越え﹂
たところの一つの領域を﹁実存﹂と規定するマルセル﹁未来のなかにみずからを投企すること﹂によって自己自身の存在
を選択し創造する人間存在のあり方を﹁実存﹂と呼ぶサルトル、彼らのこうした実存概念のうちに果たして人はいかなる
共通点を兄い出すであろうか。さらにやっかいなことに、マルクス主義や現象学におけるように、その思想を一人で表現
しぅるような創始者にして代表者といったものが見あたらないばかりか、実存思想の起源についてさえも人々の見解が一
致しているというわけではない。ボへンス千によれば、それは﹁われわれの時代にはじめてできあがったもので、せい
ぜいキルケゴールまでしか遡れない﹂のに対して、ムーニエによれば、実存主義の系譜はソクラテスやストア学派、アウ
グスティヌスにまで遡りうるという。こうした事態嘉にして、たとえばボへンス千は実存哲学の表的特警論ずる
自然法思想と実存思想︵一︶
五
自然法思想と実存思想︵一︶ 六
に先立って﹁実存哲学は何でないか﹂と問い、あるいはハイネマンは﹁存在するのは一個の実存哲学ではなく、相互に深
甚な差異をもったさまざまの哲学である﹂という。結局我々が手にしうるのは﹁幾つもの実存主義﹂だというわけであ
︵
飢
︶
さらに我々を困惑させる奇妙な出来事は、実存思想家と世間から目されている人々がいずれもそうした呼び名を拒否
し、実存の立場をのりこえてゆこうとする現象である。﹁存在﹂を思惟の竺のテーマとし﹃存在と時間﹄の人間学的読
解を終始拒否してきたハイデッガーはいうまでもなく、かつては自らの著書に﹃実存哲学﹄という題名を冠することにや
ぶさかではなかったヤスパースも第二次大戦後、自らの哲学を﹁理性の哲学﹂と規定するに至っている。あるいは、従来
﹁キリスト教的実存主義者﹂とみなされてきたマルセルも又完五−年の﹃存在の神秘﹄の﹁まえがき﹂の中で﹁、芸・
ソクラティスム、あるいはキリスト教的ソクラティスムという名称﹂の採用を宣言している。さらに、かつて﹁実存
とはヒューマニズムである﹂と宣言し、実存主義流行の口火を切ったと考えられてきたサルトルでさえ、完五〇年代に
はマルクス主義への接近を試み、最近のインタビューではミッシェル・コンタの質問に答えて次のようにのべている
﹁この言葉︹実存主義︺そのものは馬鹿げている。それにこの言葉を選んだのはど承知のとおりわたしじゃない。誰かが
わたしにはりつけて、わたしはこれを受け入れただけだ、今日だったならばもう受け入れないだろうがね。﹂
結局、ボルノーがいうように﹁純粋﹂な実存思想といったものはどこにも存在しなかったのであり、ただ人為的にのみ
つくり出された実存思想というものが存在したにすぎなかったということになろう。我々に残されたことはせいぜいハイ
デッガーの哲学、サルトルの哲学⋮⋮について語ることだけだ、ということになるかもしれない。しかしそれにもか
らず、他の現代思想の諸傾向に対して彼らの哲学思想を﹁実存思想﹂としてまとめることが不可能だというわけではな
い。それというのも、彼らの思想は同じ時代の子として、彼らの時代が経験したヨーロッパ文化と人間の﹁危機﹂状況の
中で、共に﹁現実世界の内で生きている具体的で個別的な人間存在の核1!実存﹂への回帰を通じて危機と対決し、それを
克服しようとするものであり、その限りにおいて我々は彼らの相異なる理論を斜めに貫いて走る共通の思想的特徴を指摘
することが可能だからである。それゆえ実存思想の共通の特徴を明らかにしようとするさい、その一つの手がかりは、そ
れが登場した歴史的、社会的、思想史的背景を明らかにすることだということになろう。
︵1︶人間存在を抽象的で透明な認識理性としてではなく、むしろ、この現実世界の内へ投錨されている生ける具体的・個別的存在=実
存としてとらえ、そうした実存を何らかの意味で哲学することの基本的前提としている現代のヲロッパの哲学思潮をいかなる名称
で呼ぶかについては、その思潮を代表すると目される哲学者たちのそれぞれの思想内容の相異ともかかわって、﹁実存哲学﹂﹁実存論
的哲学﹂﹁実存主義﹂﹁実存思想﹂といった具合に、必ずしも壷があるわけではないCたとえばレンツは﹁実存主義、実存哲学、実
存論的哲学は本質的に同じものを意味している、即ちドイツ、フランスの現代哲学の現代的傾向を﹂︵Der mOderne deutsche
uPdfraPZ賢sche E鼓IenIia−ismusS・−N︶とするのに対して、ロッツは、﹁実存哲学﹂という名称をヤスパースに、﹁実存論的
哲学﹂をハイデッガーに、そして﹁実存主義﹂をサルトルにあて、﹁実存主義﹂という流行のコトバがドイツの﹁実存哲学﹂﹁実存論
的哲学﹂に転用しないことが肝要であるという︵∼umWeseロderE已S︷eロZphi−OSOphie・iロ︰SchO−astik●Nド︵︼琶︶.
以下の論述においては、一応原則として、第一次大戦後において成立した哲学思潮を﹁実存哲学﹂、第二次大戦後フランスで展開
されたそれを﹁実存主義﹂、キルケゴールに始まるそうした現代の思潮全体を包括する名称として﹁実存思想﹂という言葉を用いる
︵2︶ M・Mer−eau・POn−y−Sense−nOP・SeロS・−蓋・p・捏苛︹永戸訳﹁意味と璧息味﹂二二二頁︺
︵3︶G・Lukacs−E已S−ePtia−ismeOumar註me=軍p・−料、−∞e−S・︹城塚・生松訳﹁実存主義かマルクス主義か﹂︰11、・芸︺
︵4︶J・P・SarIreICri−quede−araisOロdia−ecIique・→Ome=芦p・岩〓違︹平井訳﹁方法の問題﹂六、二五、九妄︺
︵5︶G・Mende・SIudien賢rdieE已S−enZphi−OSOphie・−望・S・−三栗本、相原訳﹁実存主義研究﹂四七頁︺
︵6︶F・Heinemaロロ、E註IeロZphi−OSOphieLebePdigOder−0−ご茫S・−ヨ︹飯島、岩永訳﹁実存哲学その生けるものと死せ
るもの﹂三一四頁以下︺
自・然法思想と実存思想︵一︶
七
屯Ⅱ表題取壊刃蝋聴取肇(1)
(ト)H.Kuhn,BegegnungmitdemNichts.1950.S・39〔恒賀拓「唱巌JJQ竃朝ニ」EIii頓〕
(co)上b、=r(エローr(量「蝋壮相場」逗∩ニtJ、ミロ=軍人lトヽ史観臣」吏皆′肇霊場回Q叶い定植・拙刃二小O C・L6vi−StrauSS,
Dequelquesrencontres・in:L,Arc・46(1971)p・43〔聾拓「ニ〉吏旨量Q竃朝ニ」瞞慮朴芯蔚u磐石叶「#.っr(・ヽミロ
=軍人lトヽ」10輯〕
(0))C.L6vi−Strauss,Tristestropiques・1955・〔≡乱拓「顆■勅感牲」(Jl)<貞屈〕
(ヨ)W.Weischedel,WesenundGrenzenderExistenzphilosophie・in:Frankfurter Hefte・3(1948)S・730,732;J・P・
sartre,L,existentialismeestunhumanisme・1946・P・94〔塾富拓「蝋穂川瀾刃想定量」刊く舶
(コ)K.Jaspers,Der philosophischeGlaube・1948・S・75
(Sj)J.P.Sartre,Op・Cit・,P・15〔1EI頓〕
(53)A.Wenzl,ZumProblemderExistentialphilosophie・in‥Hochland・Bd・40(1947/48)S・343,353
(ヨ)F.Heinemann,SchicksalundAufgabederPhilosophieinzwanzigstenJahrhundert・in:DiePhilosophieim20
Jahrhundert.(Hrsg.vonF・Heinemann)1963・S・275
(Ee)M.Heidegger,DieGrundproblemderPhanomenologie・1975・S・242
(ヨ)M.Heidegger,UberdenHumanismus・1968(lAufl・1949)S・13豚柊拓「ルート‥冗弓逗〔こい」日日郵
(5)K.Jaspers,Philosophie・ErsterBand・3Aufl・1956(lAufl・1932)S・15〔層礫拓「離幅御如拙侶10舶
(3)G.Marcel,Journalm6taphysique・1927・p・315ets・〔吊普茶「染濫1朴皿吼El<<咽rL]
(3)J.P・Sartre,Op・Cit・,p・22ets・〔1ii酔到円
(焉)J.M・Bochenski・Europ箆ischePhilosophiederGeganwart・2Aufl・1951・S・165・〔基硝「配Qm←ロト相削1<仁舶
(扇)E・Mounier,Introductionauxexistentialismes・1947・p・8ets・〔車上拓「蝋壮用瀾腑iE」朝鮮〕
∪銅氾濫」岬ミ\−Q司トQ恕漕漣騰蜜殉忌七二′「1般Q蝋壮釦朴霊堂番頭起句か司堤糾掛Q製覇Q与逗麗欄」鳩
ハ蟻忌巨二時。仲もK…仰てミ只ミ量睾題的忌噂。>へl卜…㊦河童中耳〉用Q皇酢蛸・良く忌ハ相川P射小OJ量
」畔釦酢蛸擬捌贈P聖′聖i)愛付根Unpミ蛸足悪榊」(0・F・Bollnow・ZurDiskussionuberdieExistenzph−
ilosophie auf dem philosophischen Kongressin Gramisch−Partenkirchen・in:Zeitschrift fur philosophische
′【\ ( ′【\
FOrSChung.N︵−芝∞︶S.∽笠︶。
J●M.厨OChemski、a,a.Ot.S.−澄二八〇頁︺
F・HeiロemannI E已stePNphi−OSOphieLebendig Oder tOtJヒ器亘S.︼謡︹三二貢︺
die Metaphysik・∽ AuP−器の︵−AuP−誤∽︶S●−○可−岩の︵川原訳﹁形而上学入門﹂一七九、二五九頁︶ いders.、qber deロ
Humaロismus.S.−∞︹二七貢︺
K,Jaspers∵<erロuロft und Widerくernunft iロunSerer Neit.−誤0.S.∽O
G・MalCer Le myst㌣e de−示treL澄P p.∽︹松浪、掛下訳﹁存在の神秘﹂七貢︺
J・P・Sartre−SituatiOロS舛・−讐声p●GN︹海老坂、鈴木訳﹁シテュアシオンⅩ﹂一七九貢︺
〇・F・BO〓ロOW−FraロN訝ischer E已steロtia−ismus●−諾∽●S●∽ごders●I E已stenzphi−OSOphie.UAuP−曾芯︵−AuP−芝∽︶
S.トか︹塚越、金子訳﹁実存哲学概説﹂二三頁︺
その他、クーンも同様の指摘をおこなっている、即ち﹁完全な実存主義は存在しない﹂︵a.a.〇.−S.N00︹三五貢︺︶。
出 実存思想の成立と展開
自然法思想と実存思想︵一︶
九
ている、即ち﹁現代の哲学的状況は、生きている間はものの数ともせられなかったし、その後にもなお永い期間哲学史に
とについて、大方の一致がえられるであろう。たとえばヤスパースは一九三五年の﹃理性と実存﹄の中で次のようにのべ
とも生前ほとんど省りみられることのなかった一九世紀の二人の思想家1キルケゴールとニーチェに遡りうるというこ
今日、実存哲学、実存論的哲学、実存主義、あるいは実存思想といろいろな名前で呼ばれている思想の登場は、少なく
( ′ ̄\ ′′ヽ ′′ ̄ヽ
︵25︶ M・HeideggerISeiP uロdNei−・E AuP]﹄等︵−AuPGNO S.−可︹辻村訳﹁有と時﹂ 三三貢︺ いders.IEiPf各ru品 in
である、即ち、。ト票箋誉箋箋訂de−−e已steロCe㌦︵J●Wah−︶㌦HntrOductiOロ豊的簑訂、芸、訂、㌻§芦。︵E.MOuロier︶。
この点に関して我々の興味をひくのは、ヴァールやムーニ工のテクストの表題がいずれも次のように複数形で表現されていること
P・FOu−quiか、L−e已steロtia−isme・−∞註・−笥Ul︵−芸,−澄豊p.いぬ︹矢内原・国鳥訳﹁実存主義﹂四一貢︺
24 23 22
) ) )
29 28 27 26
) ) ) )
自然法思想と実存思想︵一︶ 一〇
おいて重要視せられなかったキルケゴールとニーチェという二人の哲学者が、かれらの意義をたえず増大してきたという
事実によって規定せられる﹂と。そしてヤスパースがいう﹁彼らの意義﹂とは何よりもまず、彼らが近代的人間観、即ち
人間存在を世界を対象として構成する超越論的主体としてとらえる近代の合理主義的人間把握との対決によって、近代の
合理主義的思惟を転回させたことに求められるであろう。むろん﹁キリスト者になる﹂ことを終生の課題としたキルケゴ
ールと、徹底したアンチ・クリストであるニーチェとの間には、一見して明白な相異があることは否定しえないが、そ
にもかかわらず、なおかつ彼らは共にそれまで支配的であった合理主義的な抽象的人間観を超蒐し、従来気づかれること
のなかった人間存在のあり方を発見したことによって、現代の実存思想の先駆けとなったのである。
まずキルケゴールについていうならば、彼の場合、近代の合理主義的人間観に対する批判とその超克は、﹁いかにして
人はキリスト者となるか﹂︵⑲三二貢︶という彼の終生の課題との関連の下で提起されている。彼は、誰もが生後一四日
目という幼い年令で洗礼を受け、何の苦もなく又決断もなく、信仰への飛躍もなしにいともかんたんに名前の上だけでは
キリスト者となり、今さら誰も改めて﹁キリスト者になる﹂という課題を立てようなどと思いつきもしない︵⑧五八、
二衰︶当時のデンマークのキリスト教界の現状に抗して、﹁ひとりの人間がなるところのもののなかでもっとも決定的
なものである﹂と彼がいう﹁真実にキリスト者になること﹂︵⑨三六五頁︶という課題を立てる︵⑲二一、五七頁︶。とこ
ろで、かかる課題に答えることだけではなく、それを立てることさえ不可能にし又忘却してしまっているのが当時支配的
であったヘーゲル的な客観的思弁である、とキルケゴールはいう。客観的思弁は﹁主体的であることなど人間の恥である
といわんばかりに、﹃個﹄としての存在の範境を無視し、﹃類﹄の範噂にしがみつき﹂︵⑧一七七貢︶、その結果具体的な実
存に生きる主体を抜き去り、実存に生きるとは何か、又内面性とは何であるかを忘却してしまっている︵⑧一〇二、二二
九、二五七頁︶。そこでは真理も又客観的な仕方で問われ、真理とはせいぜい思惟が向かうひとつの対象に他ならないも
のとされる︵⑧二八頁︶。人はキリスト教についても客観性の立場を決めこみ﹁神が十字架につけられたその出来事﹂を
﹁客増に考察しようとする﹂︵⑧二九、三七頁︶。しかし、かかる客欝思弁によってはキリスト教の真理には到達し
ぇない︵⑧二九頁︶。それというのも﹁神は﹃主体﹄そのものであり﹂︵㊥二九貢︶、信ずる者の内面性をかけた信仰こそ
がキリスト教的なものの内実をわがものとする道なのだから︵⑦一〇〇、二三三頁、⑧七二、一八二頁︶。キリスト教の立
場からすれば、真理は客観的思弁が問題とするような﹁何﹂にではなく、キリスト者がいかなる仕方で生きるかというと
ころに求められねばならない︵⑧三五頁、⑨三七八頁︶。神についてより多くの知識を獲得することではなく、主体的情熱
をかたむけて実存に生きることこそが、そもそもキリスト教に対して何らかの意見をもつための絶対的条件なのである
︵㊥一七八頁︶。その結果、﹁キリスト者になる﹂という課題をめぐって、純粋な思弁にとどまり思考の主体とその生き方
に対して無関心である﹁客観的思弁﹂から、実存に生きる者として自己自身の思惟に本質的に関与し、実存から目をそら
さずまさにその中に身をおいて生きる﹁主体的思惟﹂への転回が要請されることになるのである︵⑦三九頁、⑧二九三、
二九五頁︶。キルケゴールはこうした転回を﹁強力な魔力祓いの呪文をとなえ、魔法にかかった思弁的思想家を、彼の真の
姿に、つまり個々の実存をかけて生きる人間に変化させる、または呪文をかけかえることである﹂︵⑧三〇八頁︶と表現
している。しかしながら、かかる思惟の転回によって人はただちにキリスト者になるというわけではない。それはただ
観的思弁によってはキリスト教の真理に到達しえない、というだけである。﹁実存は生成である﹂︵⑧二三頁︶。人は、ドン
・ファンによって象徴されるような、この時間的世界の内で没我的に﹁あれもこれも﹂と常に新らしい享楽と変化を求め、
しまいには倦怠におわるだけの﹁剃郡的生活﹂を送る﹁美的実存﹂︵④四六頁以下︶から、﹁倫理的実存﹂即ち、美的実存
がそれから眼をそらし、そのげっか﹁出まかせの生活﹂に逃避するに至るところの絶望を直視し、﹁あれかこれか﹂の決
断にもとづいて、それを選択すべく意思することによって﹁永遠の妥当性における自己自身﹂=﹁自由﹂を真に選ぶに至る
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 一二
﹁倫理的実存﹂︵@九六頁以下︶へ、さらに、内在の宗教である宗教性Aをこえて超越の宗教である宗教性B、つまり﹁神、
すなわち永遠者が、時間のなかにひとりの人間として生成した﹂︵⑨三五六貢︶という逆説を、一切を賭する ﹁信仰の飛
躍﹂をもって身に引き受け、救い主としてのキリストに関わるという飛躍の﹁質的弁証法﹂の中ではじめて ﹁宗教的実
存﹂ へと至るのである、とされる︵⑨二九三貢以下︶。
キルケゴールと並んで現代実存思想の先駆として挙げられるニーチェも又、近代的思惟との対決をおそらくはキルケゴ
ール以上の強さでもって徹底的に試みたといえよう。たとえば﹁自分はあくまで肉体であり、それ以外の何ものでもな
く﹂﹁肉体は一つの偉大な理性である﹂といい、﹁きみのささやかな理性を、兄弟よ、きみは﹃精神﹄と呼ぶが、それも実
は肉体の道具にすぎない﹂︵戸S.∽00︹⑨五七頁︺︶というとき、あるいは又、﹁世界は深い −。かつて昼が考えたより
深い。すべてのものが昼の前で発言を許されるわけではない﹂︵戸云忘︹㊥二六〇頁︺︶というとき、そこには明らかに近
代的な人間把握によってはとらえきれない人間存在の層が、ニーチェ固有の比喩的表現でもって語り出されているといえ
よう。しかしニーチェの否はより大きなスケールで展開されてゆく。即ち、近代人がそこからすべての意味を引き出そう
とする﹁理性の権威﹂などは、かつてヨーロッパを支配してきたキリスト教の神がその力と権威を失ないはじめたその後
に、なお別の権威を彼岸に求めようとする世間の人々の古くからの習慣によって ﹁新たな神=代理の神﹂として呼び出さ
れたものにすぎない、といわれる︵芦S.∽∽三一叫三四頁︺︶。近代人たちも所詮は、感覚的世界と超感性的世界を対立させ、
後者こそが永遠不変の必然的な莫なる世界であるとみなし、前者はそれを不完全にしか反映しない仮象の世界であるとみ
なすプラトニズムの後裔1−−﹁背後世界の錯覚者﹂︵戸S.N笥︹⑨五二頁︺︶に他ならない。背後世界の結党は﹁あらゆる
結党のうちでも最悪の、もっとも退屈な、もっとも危険な鎗覚﹂︵戸S.誤の︹⑲二一頁︺︶ であるとニーチェはいう。それ
というのも超感性的世界なるものは元来ありもしないにもかかわらず、そして実のところそうしたものは人間自身によっ
てありもしない彼岸へと投げ入れられたものであるにもかかわらず︵芦S・笥∞︹竺元頁︺︶、そのことを忘れ、それこ
そ真実なる世界であるとみなし、それにもとづいて現実の生を律し評価し、この現実世界を断罪し不完全な世界としかみ
ないからである。﹁大衆向きのプラトン哲学﹂︵戸S・冨︹⑲=ニ頁︺︶であるキリスト教の神を拒否しながらも、近代精
神の世界も又なおかつ様々な偽神−−理性の権威、歴史の進歩、最大多数の最大幸福等−をまつりあげようとする不可
解であいまいな世界に他ならない。そうした奇妙な延命策にもかかわらず、来たるべき二世紀の内にヨーロッパ二千年の
伝統を支配してきたプラトニズムの崩壊が現実化し、近代の偽神を含めて一切の超感性的世界がその影響力を喪失する時
代・1﹁言リズム﹂が到来する︵芦S・宴−∞00〓⑭=二、完頁︺︶、とニーチェはいう。そこでは﹁至高の諸価値が
その価値を剥奪される。目標が欠けている。﹃何のために?﹄に対する答えが欠けている﹂︵芦S.∽∽ご⑭二二頁︺︶Cニ
ーチェは﹁おれたちは無限の虚無の中を彷径するように、さ迷ってゆくのではないか﹂︵戸S.−Nご⑧一八八貢︺︶と自問
する。﹁無﹂、即ちヨーロッパの文化と生を支え導いてきた超感性的世界の欠如=すべての訪問客のうちでもっとも無気
味な訪問客﹂﹁ニヒリズムが戸口に立っている﹂︵芦S・∞∞=⑭完頁︺︶。神が死んだ世界の中で一切の生をのみつくさ
んとする虚無の深淵の中に自己を喪失せんとする危機を前にして、何よりもまず必要なことは、﹁神の死﹂を直視しっつ
それを引き受け﹁背後世界﹂の錯覚を完全に断ち切ることである。それというのも、﹁神の死﹂に直面しながらもなおか
っ新たな偽神を彼岸に設定することによってニヒリズムを克服しようとする試み1−不完全なニヒリズムーはかえって
その正反対をうみ出すだけだから︵芦S・琵︹聖元頁︺︶。神の死の受動的な引き受けにとどまらず﹁能動的殺害﹂︵戸
S・琵︹⑨三二七頁︺︶が要請されるのもこのゆえに他ならない。そこからして1丁チェは遍人﹂、即ちこれまでの青い
﹁価値の板を破り裂﹂き、不断に自己自身をこえて創造しようとする﹁権力への意志﹂をもって﹁新しい価値を新しい板
の上﹂にしるそうとする︵戸S・N笠︹⑨三八頁︺︶﹁神と虚無の克服者﹂の到来を予告し要請するのである︵戸S.︺会︹⑨
自然法思想と実存思想︵一︶
二二ハ︺︶。
自然法思想と実存思想︵一︶
ヨーロッパの北の辺境で、深刻な例外者意識にさいなまれつつ、キリスト教会、ヘーゲル哲学、それに彼にまつわりつ
く大衆との孤独な戦いの中で、客観的な理性存在には還元されえない主体的で具体的な生ける人間の存在を発見したキル
ケゴール、海を背にした火刑台の前で﹁もはや別様には来たりえない﹂︵芦S・望︹⑭二二頁︺︶ニヒリズムの到来を単
なる予感以上の確実さでとらえ、やがてみずからは﹁ヨーロッパの最初の完全なニヒリスト﹂︵芦S・整︹⑭一四頁︺︶
として狂気の闇の中に沈んでゆくニーチェ、彼らは共に﹁来たるべき世紀の初児にして早生児﹂︵戸S・父訪︹⑧三六
頁︺︶として﹁情熱と内面性に欠け、分別と反省の過剰な﹂︵キルケゴール⑪一九一頁︶彼らの時代には受け入れられるこ
となく忘れてゆかれざるをえなかったのである。しかし、合理主義的思惟によってはとらえきれない生ける具体的な人間
存在の層の発見において、あるいは又現実世界の中での不断の自己超寛による新たな自己の生成の主張において、そして
又一切を水平化し愚鈍化する大衆化現象からの単独者、例外者への自己揚棄において、﹁二〇世紀の初児にして早生児﹂
たる彼らは共にやがて現代実存思想の成立に決定的影響を与えることになるのである。
ところでキルケゴールとニーチェがそれぞれ固有の仕方で孤独な戦いを挑んだ近代の合理主義は、その賄子そのもので
ある自然科学の嶺域における﹁数学の危機﹂﹁物理学の危機﹂といった出来事に典型的に表現されているように、完世
紀後半から二〇世紀にかけて大きな動揺に見まわれることとなる。とりわけ、或る運動している粒子の一定時間における
﹁位置﹂と﹁速度﹂を同時に任意の高い精度で知ることの不可能性から、観測者と観測対象の相互依存性を明らかにした
不確定性原理は、合理主義をその根底において支えてきた認識論的図式、つまり一方で世界から切り離された純粋理性で
ある認識主体としてのrescOgi−aPS、他方でそうした主体によって構成され機械論的に説明されるところの即日的自然
=客体としてのrese芸PSa、そうした近代の知のデカルト的枠組みの絶対的妥当性を決定的に疑わしいものにしたとい
ぇよう。あるいは又、精神科学の領域におけるフロイトによる無意識の発見は、彼自身の志向それ自体は合理主義へと定
位されたものであったとはいえ、近代の透明な人間理性への信頼に冷水を浴びせかけるものであった。他方哲学の領域に
目を転ずるならば、それまで支配的であった新カント派哲学の形式的な認識論的問題設定から、そうした知の枠組みの外
にある具体的な人間的生への視向の転回の方向を決定づけたものとして、完世紀後半以降の﹁生の哲学﹂の登場と流行
が挙げられねばならない。さらに、二〇世紀の初頭﹁事象そのものへ﹂というスローガンのもと、近代の二元論的図式を
括弧に入れ、認識主体によって構築される科学的世界の手前にあるそれ以前の生きられたままの生活世界のロゴスの開示
と記述を新たな哲学の任務であると標梼する現象学の登場が、やがて現代実存思想によって企てられる新たな人間理解、
存在理解に対して方法的基礎を与えることとなったのである。
以上みてきたように、近代の合理主義の知の全体構造が批判と動揺にさらされていたちようどそのとき、合理主義的精
神によって支えられ、完世紀において多くの果実をもたらしたかにみえた﹁進歩の観念﹂も又世紀末には大きな動揺に
見舞われるに至る。人間を苛酷な労働と不合理な自然の支配から解放することによって人々に自由の回復と経済的豊かさ
を可能ならしめるものと信じられてきた近代科学と結びついた技術的な世界支配の発展は、逆に貧豊の差の拡大と人間の
機械への隷属化をもたらし、人間と人間の自由に敵対する脅威となり始めていた。工業化がもたらしたところの人口の都
市集中、画一化された単純な機械的労働、短時間に多数の人々に同一の情報を伝えるマスコミの登場、抽象的な法律によ
って画一的に行なわれる技術的な行政と司法、それらによってもたらされる水平化・大衆化現象は、疎外を単に労働の疎
外にとどめず﹁人格の疎外﹂にまで加速させ深刻化させる危険を内包するものであった。人間は理性人としてよりも、む
しろあらゆるものを水平化する無名の大衆の支配の中で自己白身を喪失する危機に直面していったのである。既にキルケ
ゴールは、後にヤスパースが﹁あたかも昨日書かれたかのようなおもむきであわと呼んだ﹃現代批判﹄の中で、﹁現代﹂
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 一六
を﹁すべての人々であってしかもだれでもないところの、ある巨大なエトゲァスであり、抽象的な荒蕉地、無人界﹂に他
ならない﹁公衆﹂によって支配される﹁水平化﹂の時代であると規定していた晶㌃ITチェは、一八八八年に公刊され
た﹃この人を見よ﹄の中で﹃反時代的考察﹄第二編を回顧しながら次のように語っていた、﹁非人間化されたこの歯車と
メカニズムとに、労働者の﹃非人格性﹄に、﹃分業﹄という誤れる経済に病んでいる生命。文化という目的は失われ・11
手段、つまり近代的な学問経営は野蛮を生む⋮⋮この論文において、一九世紀が誇りとしている﹃歴史的感覚﹄なるもの
が初めて病気として、典型的な衰退の兆候として看破せられている﹂と。
一九世紀が過去において比較しうるもののない経済的物質的な発展と繁栄を成し遂げ、多くの人々がそれを享受してい
たその背後に、不吉な影として忍び寄る大衆化現象と人格の疎外に対して、もはや伝統的なキリスト教の教理も、又それ
にとって代わったはずの﹁理性﹂も共に有効な処方箋を書さえないということは明らかであった。進歩の観念に代わって
デカダンスが人々の口にのぼり、伝統的な支配的価値が権威を失なってゆく中で、ニーチェやキルケゴールが予言したヨ
ーロッパの社会と人間の危機の現実化を誰の目にも明らかにしてみせたのが第一次大戦に他ならなかった。
それがもたらした嵐は、通りすぎるのをただ身をかがめてまちさえすれば、その後に再び平安がやってくることを期待
しうるような一過性の嵐などではなかった。ポール・ヴァレリーは一九二二年二月一五日の講演で次のように語ってい
る、﹁嵐は終ったばかりなのに、われわれは、あたかも嵐がこれから勃発しようとしているかのように落着かないし不安
である。﹂四年にわたる殺教と破壊の後に残されたものは、ヨーロッパの政治的、経済的地盤沈下及びヨーロッパの合理
主義精神と文化の危機に他ならなかった。敗戦直前の一九一八年に表明されたジンメルの危慎、即ち﹁ドイツについての
不安と、失なわれたヨーロッパへの懸念、それらが互いに強めあって一つの重荷となります。そんなことは四年前には想
像もしえないことでしたし、今までならそれをはね返すこともできたでしょう。このヨーロッパの自殺がアメリカの
に世界史の幕を開くことになると考えることは、もっともいとわしいことです。そこにおいて世界史は東から西への移動
を引き続いておこないます。何千年も前にアジアにおいて頂点に達し、やがてヨーロッパへと移動してきたように、世界
史はこれからさらにアメリカへと進んでゆくのかもしれません﹂という危倶に答えるかのように、ハイデッガーはそれか
ら十数年後﹃形而上学入門﹄の中で次のように語っている、﹁このヨーロッパは今日救いがたい盲目のままに、いつもわ
れとわが身を刺し殺そうと身構え、一方にはロシア一方にはアメリカと、両方からはさまれて大きな万力の中に横たわっ
ている。ロシアもアメリカも形而上学的に見ればともに同じである。それは狂奔する技術と平凡人の底のない組織との絶
5︶
望的狂乱である。⋮⋮大地の精神的堕落はひどく進んでしまって、諸民族は堕落を見て、それを堕落だと認めることがで
︵1
きるだけの精神力の最後のかけらをさえも失いかけている。﹂
こうしたヨーロッパの﹁精神の危機﹂︵ヴァレリー︶のもたらす底知れぬ時代の不安と動揺のうちで、ニヒリズムの到
来を文字通り﹁西欧の没落﹂︵シュペンダラー︶という形で受け入れざるをえなかったヨーロッパ人に残された道は、そ
れまでたえず外の世界へと向けられていた自らの視向を自己自身の内面へと向けなおすことであった。ボルノーは第一次
大戦後の実存哲学の成立を回顧しながらこの点について次のようにのべている、﹁確固たる秩序のすべてが崩壊の脅威に
さらされ、以前は揺るぎないとみられていた価値が実は疑わしいと判った時代、したがって相対主義がもはや孤独な思索
の重要事ではなくなって、客観的な生の秩序そのものを打ち壊しはじめた時代になると、必然的に、全般にわたる解体に
ももはや冒されない最後の絶対的支柱を求める欲求が目覚めずにはいなかった。そして人間が客観的にものどとを信ずる
ことに悉く失望し、一切が疑わしくなってしまい、相対化のゆえに生の内容の意味づけがすべて疑われるようになってか
らはただ自己の内面へ立ち戻ることのみが残されていた。それは自己の内面において、すなわち一切の内容的規定に先だ
ってすでに存在している最後の深みにおいて、客観的な世界秩序のなかではもはや見出されなかった支柱を獲得するため
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶一八
であった。人間のこの究極の最も内奥の中核が、キルケゴールから受けつがれた実存という概念でいい表わされたのであ
︵1 6︶
る。﹂
このように生の哲学あるいは現象学によって準備されていった哲学的視向の転回と、第一次大戦によって露呈されたヨ
ーロッパの文化、精神、社会、政治状況全般にわたる危機がもたらした不安を契機として、一九世紀ヨーロッパの異邦人
であったニーチェとキルケゴールの先駆的思惟が再発見、再評価されるに至り、なかでも戦争によってもっとも手ひどい
7︶
打撃を受けたドイツにおいて、﹁今この現実世界の内に生きている具体的・個別的な人間存在﹂から出発するいわゆる
︵1
﹁実存哲学﹂が成立、登場するに至ったのである。
実存哲学の記念碑的著作であり、現代哲学のみならず現代思想全体に対して衝撃的影響を与え、二〇世紀思想の一つの
方向を決定したといわれるハイデッガーの﹃存在と時間﹄前半部が、フッサール編韓の﹃哲学及び現象学的研究年報﹄第
八巻に発表されたのは一九二七年のことであった。この﹃存在と時間﹄は元来﹁存在の意味への問い﹂を﹁新たに立て﹂
︵1
8︶
﹁具体的に仕上げること﹂を意図した﹁基礎的存在論﹂に他ならず、又後にハイデッガー自身﹁実存主義の主題と﹃存在
と時間﹄の命題とはいささかの共通点ももってはいない﹂と明言しているにもかかわらず、﹁存在﹂に至る方法的通路と
して他の存在者とは異なって常に既に﹁存在理解﹂を有している﹁現存在﹂の﹁実存論的分析﹂をそのテーマとした﹃存
在と時間﹄第一部第一・二編は、彼自身の究極の意図とは裏腹に当時の時代思潮の中で﹁実存哲学の書﹂として読まれ、
以後のドイツ、フランスにおける実存思想の成立と展開に決定的影響を与えることになったのである。
﹃存在と時間﹄が刊行されてから二年後の一九二九年にはハイネマンが﹃哲学の新しい道﹄において、近代から現代へ
の哲学の思潮の変化を﹁精神﹂1﹁生﹂1﹁実存﹂という流れでとらえ、当時ドイツにおいて成立しっつあったハイデッ
ガーやヤスパースらに代表される新たな哲学の流れをはじめて明確に﹁実存哲学﹂の名称で呼ぶことになる。さらに現代
実存思想のもっとも早期の著作といわれる﹃世界観の心理学﹄を一九一九年に発表したヤスパースは、一九三一年の﹃現
代の精神的状況﹄と﹃哲学﹄において自らの立場を明確に﹁実存哲学﹂として標傍し、ここにドイツ実存哲学がその形を
ととのえるに至ったのである。
しかし政治、社会状況の急激な変化の中で、一方ではハイデッガーのナチスへの接近とそこからの急速な離反が、他方
ではナチスによるヤスパースの追放が生じ、彼らの思惟の転回ともあいまって、やがて第二次大戦中には﹁実存哲学﹂は
下火となってゆく。たとえばボルノーは一九四九年の﹃実存哲学﹄第三版の﹁まえがき﹂の中で次のようにのべている、
﹁これはニコライ・ハルトマンによって編集されたドイツの体系的哲学に関する論文集のために、一九四二年に書かれた
ものであるが、当時、実存哲学はすでに結末のついたほとんど忘れられてしまったことのように思われており、その成果
︵23︶
をまとめてできる限り保存しておく必要があった﹂と。
ところがかつて第一次大戦が露呈したヨーロッパの危機と精神の不安をより大規模に展開してみせた第二次大戦後、フ
ランスにおける対独レジスタンス運動の中からドイツ実存哲学の影響を受けた﹁実存主義﹂が登場し、彼らの思想は大戦
後の時代精神を集約表現する符牒となってフランスのみならずドイツにおいても哲学、文学、芸術さらには人々の日常生
活にわたるまでの知的流行となっていったのである。
以上のべてきたところからもわかるように、実存思想の成立と展開は、ボルノーが正しく指摘するように単に﹁特殊哲
学的出来事﹂などではなかったということになろう。むしろ、それは近代ヨーロッパの合理主義精神の絶対性の崩壊と、
二つの大戦が暴露した﹁西欧の没落﹂という一九世紀後半から二〇世紀にかけての﹁包括的な精神史的発展の必然的表現﹂
であり、﹁我々の時代の危機の表現﹂に他ならなかったのである。それは﹁ニーチェの時代以降、ヨーロッパのニヒリズム
︵が︶︵2
と呼びならわされるに至った精神的生活全体の重大な脅威﹂を背景としつつ、一方では近代の合理主義的人間観に反対し、
自然法思想と実存思想︵一︶
7︶
自然法思想と実存思想︵一︶二〇
8︶
他方では二つの大戟によって加速された技術的な世界支配がもたらした大衆化現象による精神の疎外から人間を解放しよ
︵2
うとする思想運動であったというべきである。
我々は以下において、実存思想の基本的特徴を、我々のテーマとの関わりの上から、次の三点、即ち﹁人間存在の実存
論的構造﹂﹁人格の疎外からの実存論的解放﹂﹁実存思想の役割﹂に限定して検討することにしたい。
︵l︶K.Jaspers.くerロuロftundE已steロZ.−罠.S.∽︹草薙訳﹁理性と実存﹂﹃世界の大思想﹄出T︼竺一七二頁︺
︵2︶たとえばクニッターマイヤーは、。DiePhi−OSOphiederE已steロZ.言PderRenaissancebiszurGegen宅art︶uL罠の中
で、実存哲学の系譜をたどるにあたって、ニーチェやキルケゴールに先立ってルネサンスまで遡りうるとし、イタリアの人文主義者
やデカルト、パスカル、ヴィコ、さらにはフォイエルバッハやマルクスの名を挙げている。このことは一見我々の本文での解釈に反
するようにみえるが、しかし決してそうではない。それというのも彼は実存哲学を﹁近代哲学の歴史の中で、哲学の課題を近代科学
の自己意識に委ねることのできなかった他の流れ﹂︵<OrW01−︶としてとらえ、先に挙げた人々をそうした﹁反流﹂を代表する思想
家であると考えているがゆえに。彼はいう、即ち﹁近代科学がスコラ学から独立し、その途方もない可能性を自覚しはじめ、また哲
学がそうした科学と結びついて、精神的、物質的な世界制覇をめざす人間の自己意識の傾向を支え、駆り立てたとその同じ時代の中
に、反流も又存在していた﹂︵S●−害と。彼も又結局、実存哲学を近代の知の枠組みをこえるものとしてとらえていた、といえよう。
︵3︶S.Kieerkegaard杉山・小川訳﹁哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき︵申︶﹂﹃キルケゴール著作集﹄第八巻、三二頁
の略記。以下、丸抜き数字は右著作集の巻数を示す。
︵4︶なおこの点に関して、﹁アンチ・クリスト﹂ニーチェは炭時代的考察﹄の中で驚くほど似通った指摘をおこなっているF・Nie・
tzsche−WerkeiロdreiB餅ロdeロ︵Hrsg・言nK・SchーechIa︶Bd・Ⅰ・S・N琵︹小倉訳﹁反時代的考察﹂≡−チェ全集﹄第四巻
一五一頁以下︺参照。
︵5︶F.Nieetzsche、WerkeiロdreiB詳den︵Hrsg・言K・Sch1echIa︶BdLⅠ・S・筈の略記。なお丸抜き数字は、理想社版
﹃ニーチェ全集﹄の巻数を示す。以下同様。
︵6︶﹁権力への意志﹂として知られる遺稿の中に次のような表現が兄い出される、﹁一八世紀の妖怪である理性﹂︵WerkeiPdrei
Bぎdeロ.Bd.ilI.S.∽憲︹原訳﹁権力への意志︵上︶﹂﹃ニーチェ全集﹄第十一巻四二六貢︺︶。
︵7︶ニヒリズムとニーチェの名は切っても切れない形で結びつけられているが、しかしそれではニヒリズムとかニヒリストという言葉
が果たしてニーチェにおいて何を意味しているかといえば、その多様な用法ともあいまって必ずしも明確ではない。
まず、これまでのプラトニズムがその影響力を失ない、キリスト教の神を含めて一切の神がその権威を喪失した状態が﹁ニヒリズ
ム﹂と呼ばれていることは明白である︵WerkeindreiBぎden・Bd・−ⅠⅠ・S・∞∞二原訳﹁権力への意志︵上︶﹂Fニーチェ全集﹄第
十一巻完頁︺︶。こうしたニヒリズムは、これまでの価値の没落と新たな価値の未成の間にはさまれた﹁中間状態﹂に他ならない、
とニーチェはいう︵Ⅰ−Ⅰ・S・票這︹二四頁︺︶。中間状態としてニヒリズムは、一方では、デカダンス、生の憩落の徴候であり、人は神
なき世界の内で卑俗な不道徳と不信仰の中で自己を喪失する危険におちいる。そこでは、ロシアのテロリストにおけるように﹁破壊
の暴力として相対的な力の極大に達する﹂﹁能動的ニヒリズム﹂︵=Ⅰ・S・∽∽∞︹三六頁︺︶となるか、あるいは﹁精神の力が疲れはて、
樵惇しきり﹂もはや攻撃することのない﹁受動的ニヒリズム﹂︵ⅠⅠⅠ・S・∽慧︹三五頁以下︺︶となるかのいずれかである。他方、そ
ぅした自己喪失の危険を前にして、再び新たな神を担造することによってニヒリズムを突破しようとするとき、それは﹁不完全なニ
ヒリズム﹂となる︵=Ⅰ・S・のN二三九頁︺︶。しかし又、ニヒリズムは中間状態として、背後世界の鎗覚に終止符をうって新たな世界
経験への移りゆきを可能にする﹁曙光﹂でもある︵Ⅰ−・S・NO巴︹信太訳﹁悦ばしき知識﹂≡−チェ全集﹄第八巻三一五頁以下︺︶。
そこにおいて﹁彼岸とか﹃神的﹄であり道徳の体現であるような事物それ自体を措定する権利を、私たちはいささかももってはいな
い﹂ということを洞察し、権力への意思をもって新たな価値創造に向かうとき、人は﹁徹底的ニヒリズム﹂に至りつくという︵−ⅠⅠ.
S・∽笥︹﹁権力への意志︵上︶二二頁︺︶。このように﹁ニヒリズム自身をすでにおのれの内部において終末まで生きぬいてしまってお
り、−それをおのれの背後に、おのれの足下に、おのれの外部にもっている﹂徹底的ニヒリスト、それが﹁完全なニヒリスト﹂の
名で呼ばれるのである︵l〓.S.農A二四頁︺︶。
なお右の点に関して是非、川原栄峰三とリズムL第三章﹁ニーチェとニヒリズム﹂を参照されたい。
︵8︶ヤスパースの次の指摘を参照されたい、﹁技術と大衆とは、互いに相手を作り出した。技術的な現存在秩序と大衆とは、切っても切れ
ない関係にある﹂︵K・la竃erS、DiegeisIigeSiIuaIiOロderNeiI・︼笥叉−AuP−琵︶S・澄︹飯島訳﹁現代の精神状況﹂五三頁︺︶。
︵9︶K●lasper∽−a●a●〇.、S.︼N︹二〇貢︺
︵10︶S・Kierkegaard飯島訳﹁現代の批判﹂Fキルケゴール著作集﹄第一巻二三二貢
︵11︶S●Kierkegaard﹁前掲訳書﹂二一七貫以下
自然法思想と実存思想︵一︶
日日 (l)韓匪朝粥什綺細笹津Ⅱn
〔刈帥>師道l溺r淋炒卜サーい』「汀担中>On」労淘〕£lll●S●ⅠⅠ●Pq●qap耶q!a叩Ⅵ!a彗Ja瓜‘a甲SZla!N●d(忘)
日和闇鉢l L潮『耕帰一こて1バり「>‡ヾ□一山」労斗付帯・魁簿〕Ⅵ甲doJna.1‘山列でA●d(㍍)
£柁■S●996t●ZlaSa9円Ianp!A!puI Sでq‘tamu!S●9(忘)
〔刈付和〕J9㌢S●可!SAqd引付桝【墾P u!知れ叩即Ⅵ!耳‘Ja8如p!aH●m(㌫)
〔刈>l〕JOt●S●∂門dosol門dzqalS!Ⅹ苫‘瓜OtⅢ0g●d●0(忘)
。適餅〔1匹)=牌‖〕Stt●S●SltI〇!N uapl叩きqntI如朗唱旬甲闇●H(弓)
〔拘僻目〕l‘S●1!aZ Pun tI!aS‘JaB王はP!aH●川(E;)
〔抽出月9t●S●SnuS叩柑umH uaPJaqn‘Ja3如P!aH●川(忘)
IH〕Al・S)汁㌻バ「髄中野伊香盟由バ「蟹告ぎ舟計かき価零鞘市苦悩或>普請瑚8落.荘一斗ヾ1上ヽ)告辞点せ8『惑番付尉剛(旨)
。(〔司匹)両日
吊丁㌣∩〈6月き保倉単作>L a轍鮒詩日韓細副湘詩薗託落.届潤瀾柁吊唱相打頒捕り.勇や廿ややせ下浣削偲出店博一旦ヾ予上\)(巴)
8辞.拓殖㊦一旦弓!\)8バ「什軸鳩埼勒禍.d料簡帯か計」.JJr剋直中昂此月号8『鳩埼割湘』宗べべ与ト\).驚かかdOか蹄
‘・0・12・12)「射場埼副湖e)brbr」針落.Ae)什(〔鋤盲正目〕J99●Sム10日aPO B!Ptlaqat‘a!qdosol!tIdzalS!Ⅹ3)「か8t甘普請彗
。、か㌻月下眉什(〔佃甘脾‖〕16●S
予66・S・6Z6t・∂門dosoI門dJ叩333瓜anaN‘ummaⅥ!aH●且(畏)
〔拗声〕∠●S‘・0●甘●甘‘瓜0円tOq●d‘0(畏)
首牌叫止㌻什『鰍出割湘』.罵甘府〈芸桝閉幕や謹蛍Ⅱ耳管>上か㌻バ㌻靭帯J車㊦賢帝発荒0番此宗旨11−トヾ上‥Uq重言呵上汁(監)
髄鞘辞今苗営日伊汁J㌻什画罪『冨鰍由利湘』.小\「『さ鰍出副湘』.鮮テ『冨鰍臣副湘』。\Jl小針d什∩ヰ首〈臣市湘希代下付茹
触回討湘』哲6㌢蒔き舟㊦7.掃賠諒辟肴『冨鰍出朝潮』。か㌻バき苑屈什『軸鰍臣副柚』琵一句0)丁古代什一Ul一J cか㌻バき
・alJaHJa1Jn用mJd:tI!・a閂dosol!qdztlalSXX JaP tlZtlJ9Pun uaSa瓜)「か㌻バき髄鞘郭rl㌻J市e)伊汁J㌻什帯浄『冨
。(9ZA●S(紗61)S
・Ⅴ!Jt師・S(S96t)9・S叩SJaATtln ‥tI!・SnⅦS!l叩tlalSIⅩ3I SaP3tInPu岬JaqqJatI!a ulaTqOJd SでG‘瓜OtlTTOg●d●0(崇)
JSSC・S(紗/L予6t)OVPEI・Ptlt21甲OH:tl!●a!qdosol!qdl叩ualS!Ⅹ3JaP uIaTqOJd ulnZ‘TZtIa瓜
︵26︶ 〇.F.加OEロOW、a.a.〇.、S.会N
︵27︶ P・ROubicNek−E註−eロtia−isヨfOraロdagains−・−蓋・p・−O﹁実存主義とは抽象的思惟、理論的哲学、科学的哲学の拒否であ
り、要するに理性の絶対性の拒否である。﹂
︵讐 F・HeiPemaロローE註tePNphi−。S。phieLebendigOder tOtべS●−二二二頁︺﹁実存哲学の出発点は、疎外の事実、疎外の問題
であり、その目標は疎外からの解放である。﹂こers・−Schicksa−uロdAufgabe derPhi−OSOphie im zwanzigsten Jahrhu
dert.iロ︰Die Ph二〇SOphie im NO Jahrhuロdert.S.N讃
⇔ 人間存在の実存論的構造
先にふれたように、近代の合理主義思想においては、人間と世界の関係は認識論的閉域の中で二元論的にとらえられて
いた。即ち、res cOgitaPSとして人間が神に代わって世界の中で何が存在し何が存在しないかを決定するところの超越
論的根拠として、世界をこえ、その外に向かいあって立つところのヒユボケイメノンとなり、他方世界はres e巴ensa
として、認識主体となった人間の表象する働らきにおいて主体に向かって立てられたもの、つまり対−象と化す。そこで
はいかなるものもただ単にそこにあるというだけでは﹁存在者﹂たる資格をもちえないものとされ、認識主体によって表
︵2︶
象可能となるもの、即ち対−象となりうるものだけが真に存在するものとみなされたのである。そこからしてハイデッガ
ーは近代の本質を﹁そもそも世界が像になるということ﹂ の中に求め、﹁世界が像となるということと、人間が存在者の
内でスプエクトウムとなるという出来事とはまったく同一のことがらである﹂という。物理学に代表される近代科学の成
立と、それと結びついた技術的な世界支配の展開は、かかる近代に固有の形而上学を前提とし、又それによってはじめて
可能とされたのであった。
それぞれに理由の詳細は異なるにせよ、実存思想家と呼ばれる人々が一様に拒否したのは、かかる近代の構成主義的な
自然法思想と実存思想︵こ
自然法思想と実存思想︵一︶二四
人間把握、世界把握に対してであった。キルケゴールやニーチェの詩的思索によって先鞭をつけられた近代的人間観の克
服、新たな人間観の開示は、二〇世紀に入って現象学的方法の助けを借りながら、ハイデッガー、サルトル、ボンティら
のいわゆる﹁実存論的分析﹂によって明確化され、精微なものとされてゆくことになる。
彼らは近代哲学によって構想され設定された主体と客体の二元論的把握を括弧に入れた上で、人間が主観となり世界が
客観となる以前の生きられたままの世界︵Lebenswe−t︶に立ち戻り、人間をまず﹁世界−内1存在﹂としてとらえる。そ
のさい注意されるべきは、世界は我々が日常出会うあれこれの存在者と同じような存在者でもなければ、それらの集合体
でもないということである。それは存在者のように私と相並んであるのでもなければ、私の前に向かいあって立っている
のでもない。又むろん近代の観念論においてそうであったように、超越論的主体となった人間によって構成される客観的
なものの連関といったものでもない。そうではなくて、世界は﹁現存在︹人間︺が現存在としてその内に﹃生き﹄ている
ところのもの﹂、つまりはその内に私が存在している﹁地平﹂のことであり、この﹁内にある﹂ということが世界と人間
のかかわりあいを規定しているのである。しかもそのさい、人が世界の内にあるのは抽象的にではなく、自己の具体的身
体を介してというようにしてなのである。メルロ=ボンティは﹁身体とは世界のなかへのわれわれの投錨のことなのであ
る﹂という。我々が常にあれこれの事物に対してただ一つの視点しかとりえず、物それ自体を決して把握しえないのは、
まさしく私が自己の身体を介してしか世界の内にありえないからに他ならない。その意味において﹁我々の身体は絶対的
零度であり、一切の体験を方位づける中心であり、あらゆる﹃そこ﹄のための絶対的﹃ここ﹄である﹂といえよう。
このような身体を介して世界の内にあることは、人間がもつおりもあればもたぬおりもあるといった性質では決してな
い。人は常に既に世界の内へと被投されており、世界は私を構成している一つの構成分として私自身の本質的性格をなし
︵1
6︶︵ご
ている。他方、世界も又人間にとってのみ存在し、そもそも﹁世界は私なしには考えられない。﹂それというのも、世界
はあれこれの存在者でも又その総体でもなく、私がその内にあるところの地平であり、地平はその存在性格からして常に
その内にある私にとっての地平としてしか存在しえず、もしこの私が存在しなくなれば地平も又地平として存在しえなく
なるがゆえに。それゆえ世界はまず私と無関係に存在し、しかる後に私と出会うものではない。世界は私とのかかわりに
︵1
よってはじめて世界となる。つまり世界として開示されるのである。したがって、私が存在していなければ﹁いかなる世
界も﹃現に﹄あるのではない﹂といわれる。奇妙に聞こえるかもしれないが、世界はその内にある当の私によって﹁構
成﹂され、開示されるものなのである。しかしそのことは、先の近代の構成主義的な世界把握のように、我々人間がこと
︵22︶
さらに世界というものを生み出すのだ、というように理解されてはならない。むしろ私が世界の内にあるということと、
世界が開示されてあるということとは実は同じことなのである。それというのも、世界はその本質的なあり方からして、
︵23︶
私が現に存在すると共に常に既に開示されてしまってあるのだから。それゆえ、開示はテーマ的遂行としてとらえられて
︵2
4︶
はならない。そこからしてハイデッガーは、世界の開示が主観性の仕事だと受けとられることを極力さけるために、たと
9︶
えば﹁世界は自己を開示する︵eineWe−:資料£ぎ菩﹂とか﹁世界は世界する︵We−t等屯、、監︶﹂といった表現をおこ
︵2
5︶
なっている。いずれにせよ、テーマ的活動というものは、日常的な企てであれ、学的な思惟であれ、したがって又構成主
︵2
義的な世界把握であれ、そうした世界開示を前提としそれを地盤としてはじめて可能となるにすぎない。そこからわかる
ように、世界が常に既に私の存在と共に私に対して開示されていようが、そのことがテーマ的に私によって認識されてい
るというわけでは決してない。なるほど私は常に既に世界を開示し、その内にあるが、しかしそれは通常盲目的受動的な
︵2
7︶
仕方でそれへと没入しているという様にしてであり、しかもさしあたって大抵は﹁事物へと委ね渡され、それによって麻
痺させられ占億されてしまっている﹂がゆえに、世界は受動的確信性の中に与えられた信念地盤として常に非テーマ的に
︵卸︶
とどまっているのである。
自然法思想と実存思想︵こ
6︶
自然法思想と実存思想︵一︶二六
ところで、このように私は常に既に世界の内にあるのではあるが、ただそれだけにとどまらず、﹁そのつど既に自己自
身に先立ってある﹂というようにして世界の内にある。私は事物のように即日的にそこにあるのではなく、﹁常に既に
﹃それ自身をこえて﹄存在している。﹂つまり、私は世界の内にあることにおいて自己自身の﹁ありうることに向かって
︵讐︵3
開かれている﹂のである。そのけっか今現在の私には常に或る何かが欠けているということになり、この﹁欠けているこ
5︶
と﹂が現にあるものをこえていまだあらざる未来をつくるように私を新たな企てへと駆り立て、又そうすることの可能性
︵3
を私に与えるのである。
それでは何故我々人間存在は単に世界の内にあるというだけではなく、それと同時に自己自身に先立ってあるのかとい
ぇば、それは私の意識、つまり私自身の存在が、自己自身のもとでの閉鎖的な休らいの否定として常に自己からの脱出、
っまり脱臼でしかないからである。このような意識の超越こそが、ハイデッガーによって﹁企投︵EEwurf︶﹂と名づけ
られたところの人間存在に固有の働らきに他ならない。企投は超越として本源的な可能性を自己の前へ投げ、それによっ
て私に対して﹁可能性に向って開かれてあること﹂が開示されてくるのである。かかる私の可能性の開示は、実は世界の
開示と別のものではない。世界の開示とはもともと同時に又﹁或る一つのありうること、そういうありうることへと企投
しっっぁること﹂に他ならなかったのである。そこから既に明らかなように、私が自己自身のありうることに向かって開
かれてあることは、世界の内にあることと同様、私がもつおりもあればもたぬおりもあるといった偶有的な性格といった
ものでは決してない。それは世界の内にあることを構成している一つの要素である。私は世界の内にある限り自己白身を
﹁そのつど既に企投してしまっているのであり、しかも私がある限り企投しっつある。﹂
したがって又、こうした﹁ありうること﹂を開示する企投は、しばしばそう誤まって解されてきたように、決してこと
さらに遂行されるテーマ的企てなどではないということである。むしろ逆に、企投はテーマ的企てを可能ならしめる﹁自
1︶
己自身に先立ってあること﹂を開示する当のものとして、その前提に他ならないのだ。我々が世界の内であれこれの企て
をなしうるのも、あるいはそうせざるをえないのも、我々人間存在がたえざる自己自身からの脱出に他ならず、そのけっ
か、予めそれに先立って常に既に、企てによって実現されるべき私自身の未来が企投によって開示されているからであ
︵ 4 3 ︶ ︵ 4 4 ︶
り、そのことによって ﹁可能性の開け﹂すなわち﹁自由﹂ のうちに私が予め立っているからである。もし我々人間が脱臼
でないとするならば、そして道端の石ころのように ﹁あるところのものである﹂存在者、つまりサルトルが即日と名づけ
た存在者にしかすぎないとするならば、私はいかなる企てもなしえないであろうし、またそもそもそうする必要もなくな
るであろう。そのときには、私にはいかなる実現されねばならない欠如も存在しないであろうがゆえに。しかし、私は不
断に自己超越である限り、私は私の終末に至るまで自己のありうることに関わっているというようにしてしか、私は世界
の内にありえない。私の存在の ﹁根本体制の本質の内には不断の未完結性が含まれている。﹂ そのけっか私は常に新たな
シジフォスの運命を担わ
企てをなしうる可能性をもつと同時に、又未来永却末だあらざる自己との一致に向けて、しかもかかる一致が永久に与え
6し
られることはないというようにして、常に新たな企てを行なわなければならないという運命
︵4
されることになるのである。
ところでさらに又、私が身体を介してその内にあり、又そこにおいて自己自身に先立ってあるところの世界は、実はそ
こにおいてあれこれの事物が私に対して現われ現前するようになるところの根拠として、ハイデッガーによって ﹁存在の
光﹂﹁存在の明るみ﹂あるいは端的に﹁存在﹂ と呼ばれた当のものに他ならない。事物はただそれだけで私に対して現前
するようになるのではなく、﹁存在の開け﹂としての世界があれこれの事物に輝くことを許し、それを現われへととき放
︵49︶ ︵餌︶
ち、そのけっかそれは ﹁存在者﹂として自己自身を示し、私に現前するに至るのである。私が事物と出会いうるのはただ
私がその内にある世界を通してのみであり、それが存在者との交渉を保障し、それへの通路を私に現授するのである。そ
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 二八
れゆえ私が自己自身の生を営むにあたって、あれこれの事物を用いながら何らかの具体的な企てを行なう際、たとえそれ
︵53︶
として気づかれることはないにせよ、そこでは常に存在者をあらしめる存在地平としての﹁世界が共に振動している﹂と
以上のべてきたごとく﹁︵内世界的に出会われるあるもの︶のもとに=あることとして=それ自身に=先立って=世
の内に=既に=あること﹂が、我々人間存在の根本体制であり、とりわけ﹁自己自身に先立ってあること﹂の内に、シュ
ーラーがいうところの﹁世界開放性﹂、即ち﹁おのれの環境世界のなかへと自己を投入して忘我的に生きる﹂動物とは異
なって、﹁環境世界の蛭桁から脱却﹂し、末だあらざる未来へ向けて今ある自己を否定し超越する未知の企てを可能なら
薄 ︶ . し ⋮ . ︰ 、 . ︰ . . ︰ ■ . 、 へ 竺
しめる﹁世界開放性﹂を保障するところの実存論的根拠が含まれているといえよう。
しかしながらそのことは、未知の新たな企てがいかなる制約も受けずに全き自由のうちになされるものであるという
とを意味するものでは決してない。何よりも注意されるべきは、私がその内にある世界が単なるニュートラルな地平な
ではなく、嘉の刻印を帯び分節化された歴史的・社会的地平でしかないということであ熊既述のように、我々人間存
在は世界の内にあり私の企てはその内でなされるのであるが、そうした私の企てが単なる生理Ⅰ物理的活動にすぎないの
ではなく、﹁精神的形象物をうみ出す目的活動的な生﹂として意味産出的活動であるがゆえに、そのけっか企ての地盤と
しての世界は、人々の、しかも幾世代にもわたる無数の人々の諸活動によって耕され、一定の刻印をもった歴史的な共同
世界へと形成されてゆくのである。言語、宗教、政治制度、法制度、経済制度、道徳、習俗、慣習、さらには芸術、世界
観から服装、料理等に至るまで、通常我々が﹁文化﹂の名で呼ぶそれらすべては、当該社会の先行世代のさまざまな経験
と企ての融合、沈澱によってうみ出され、展開されてきた﹁伝統﹂であり、それらは文化的・社会的な網の目として、人
々がその内にある世界の上に投げられ、それぞれの時代、社会に固有の風景を形づくっているのである。
そして他方また、個々の人々はこうした歴史的社会的世界の内に生まれおちるのであり、私はその社会に固有の伝統と
観︵Au韓assuPgeP︶の中で育てられ、一定の文化、世界像を獲得辱そのけっか﹁純粋な我﹂の状態から一定の思惟,
行動様式をもった歴史的社会的人格へと形成されてゆくのである。このように人格へと形成された私にとっては、私がそ
の内で生まれ育った世界は文字通りの意味で。Heimwe−t。であるといえよう。その世界の内で私が出会い、そのもと
にあるところのあれこれの存在者あるいは観念は、私にとって何ら見知らぬものではなく、親しみなれ既に知られたもの
︵65︶︵6
6︶
であり、それらは常に既に﹁⋮⋮として﹂把握される。今現に世界の内にある私は、このようにして歴史的伝統によって
形成されていると同時に、そのことによって私は意識するとしないとにかかわらず、先行世代の﹁相続人﹂として自らの
社会の伝統を受けつぎ、担ってゆくのである。したがって、先行世代に接木され彼らの相続人である我々人格にとって、
社会の過去性全体は過ぎ去った諸事実の継起として私の背後にあるのでは決してない。むしろ過去はその字義に反して現
在的であり、今現在の社会のあり様及び私の人格の構成要素として、その中にそれと知られぬまに溶けこんでいるのであ
る。それゆえ、歴史的文化的世界の内にあって私は完全な自己自身ではありえず、むしろ私とは、今日に至るまでの世代
の連関の内で他者によってつくられた私として常に﹁間主体的な私﹂でしかありえない。そこからして我々は、人間存在
は常に既に他者と共にある存在であるということの実存論的意味を了解しうるであろう。それは、私が現にそこにある世
界の内に私と同種類の他の人々が出現してきていることの集計的結果といったことでは決してない。そうではなくて、今
現に世界の内にある私が、先行世代の相続人として同世代の他者と共に同じ歴史的社会的な思惟・行動様式を自らの内に
担っているということに他ならない。したがって﹁共にあること﹂は﹁他の人々の出現ということにもとづいてその都度
生じてくる或る性状﹂といったものではなく、﹁他人が事実上直前に存在しておらず知覚されていない場合﹂にも私の存
在を規定している実存論的規定性に他ならない。このように私が﹁共同社会化された我﹂であるとするならば、逆に﹁一
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
切の他人が私たちにとって他の私たち自身である﹂ということにもなる。メルロ=ボンティがいうように、世界の内にあ
︵78︶
る私は﹁己れの絶対的固体性の周りに、一般性の辺牽のようなもの﹂、すなわち社会性、歴史性のアトモスフェールをた
ずさえているのだといえよう。
このように我々人間存在が、一定の刻印をもち分節化された歴史的社会的世界の内に、その歴史的伝統に対応する一定
の人格として被投されてあることにおいて、過去性全体は私の﹁ありうること﹂のくOr・Wurfとしてフンギーレン し、
そのけっか﹁ありうること﹂の開示、つまり企投は常に気分づけられた情態的な被投的企投でしかありえないということ
になる。世界を分節化し、私を人格へと形成した歴史的伝統が企投全体を侵触し、私の﹁ありうること﹂を素描し予示し
ていくのである。むろん企投によってただそれだけでもって、私の未来地平が完全に構成され出来上ったものとなってし
まうというわけでは決してない。それはあくまでも素描であり予示にすぎない。したがって私の前には無限のとはいえな
いにせよ、自由な未規定の可能性が開かれているのである。しかしたとえそうだとしても、私の﹁ありうること﹂はもは
や気まぐれが自由に描くことができるTabu−arasaなどではありえない。あれこれの企てに先立って予め私の直接的関
5︶
与なしに受動的に、いわば歴史的伝統という絵の具によって描かれた﹁下絵﹂︵EEwurf︶として構成され開示されてし
︵8
まっているのである。
かくして﹁世界の内にあることとして自己自身に先立ってあること﹂は、カント的意味における空虚なフォルムなどで
はなく、﹁一定の刻印をもった伝統文化世界の内に人格として被投されてあることにおいて、一定の歴史的な予示された
未来に向って開示されてあること﹂として常に具体的である。我々人間存在の企てが、日常的なそれであれ学問的なそれ
であれ、決して無の空間の内で全き自由のうちになされるのではないということはこのゆえに他ならない。歴史的世界の
内に生きる私のもとには、常にあれこれの企てに先立って、一定の﹁土着の意味﹂といったものが開示されてあって、こ
れが自己超越的な未知の企てにさいしても﹁暗い地平﹂として、その背景、基盤となり、さらには、むろん十全的ではな
いにせよ、そうした企てを方向づけ限界づける働らさをしているのである。
ところで環境世界の柾桧を振り払い、未来へ向けて今ある自己の超越を企てようとする場合−我々が後にとりあげる
自然法の存在の基礎づけの企てはその一つの例であるといえよう−、企投を通して我々に先まわりし、新たな企てを方
向づけようとする﹁土着の意味﹂は、たとえ単なる下絵にすぎないにせよ、自由な企てを制約するものとしてやはりやっ
かいな足伽と感じられることになるかもしれない。たしかにそれは未来への自由な飛翔を制限するものだといえよう。し
かしひるがえって考えてみるに、もし歴史というものが無であるとするならば、そのときには人はもはやいかなる企ても
なしえないこととなろう。それというのも﹁過去は世界のこの厚みであり、たえず与えられるこの厚みのおかげで私は私
の方向を定め、私の位置を測定することができる﹂のだから。たとえ歴史的伝統のすべてが否定されのりこえられるべき
ものとしてあらわれてくる場合でもなお、﹁過去は変えられるべきものとして、未来を選択するのに不可欠なものであ
り﹂、したがって﹁いかなる自由な超出も過去から出発してでなければおこなわれえない﹂ のである。歴史的伝統は私の
自由な飛翔を制約するものではあるにせよ、しかしまたそれは未来への飛翔を支える﹁スプリングボード﹂でもあるの
だ。ちょうど翼にとって空気は抵抗であると同時に、その飛翔を支えるものであるように。
私が新たな企てをなそうとする限り、それは当然にこれまでの歴史に新たな意味をつけ加えることになるのであるが、
しかしそれは歴史が我々にその意味素材を提供することなしにというようにしてではないuしたがって、新たな企ては
﹁遠心的であると同時に求心的﹂でもあり、ここには新たなプラクシスと古い伝統とのアマルガムが存在しているのであ
る。受動的に予示された地平の内で、先行世代によって形成された文化・伝統を受けつぎ、そしてそれらを基礎として、
自らに固有の能力と自由にもとづいてさらに新たに形成発展させてゆくというのが人間の文化活動全般にみられる組み立
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
てに他ならない。ランドグレーベがいうように、﹁人はより以前の世代の経験を自らに引き受け消化し、それを地盤とし
て彼の﹃同時代人﹄との共同社会において、新たな経験をなすことによって、彼はこの世界像のさらなる形成に貢献する
のである。﹂それゆえ、新たな企てというものは、たとえそれを否定するためにではあっても、今現にある歴史的伝統を
前提としてそこから出発せざるをえない限り、それは必然的に歴史的な制約というものを身にこうむらざるをえないので
ある。人は新たな企ての中にも﹁単に私の思惟の発生に関するだけでなくその意味までも規定しているはずの︵沈澱した
︵錦︶
歴史︶全体﹂を兄い出しうるであろう。
ところでそれでは、こうした歴史的社会的世界の内に被投されてあることにおいて、我々が常に歴史的伝統をスプリン
グボードとして利用しながら、未来への新たな企てを行ないうるかといえば決してそうとはいえない。むしろさしあたっ
て大抵は、それは新たな自己超越を不可能ならしめる方向で作用することになろう。つまり、歴史的伝統はスプリングボ
ードであるよりも、私から未来を纂奪し私の企てを偽装されたそれへと変えてしまうものなのだ。私が﹁いつも予期して
﹁1
いる明日のことは﹃永久に昨日のこと﹄﹂でしかないというのがさしあたって大抵の状態となる。とりわけ、近代の技術的
な世界支配がもたらした﹁大衆社会状況﹂は、歴史的伝統とのポジティブな結びつきを決定的に破壊し、﹁過去の生産的な
品︶
摂取同化﹂といったことをほとんど不可能ならしめるに至ったといえよう。
実存思想家たちが一様にその克服を課題として引き受けた大衆社会の内にあっては、我々は﹁間主体的な私﹂というよ
︵讐
00し
りも、むしろ無人称の ﹁ひと﹂となった私を発見する。キルケゴールはそれを﹁すべての人であって、しかも誰でもない
へ空
へ讐
と こ ろ の エ ト ヴ ァ ス ﹂ と呼び、ヤスパースは﹁実存なき現存在﹂ と呼んでいるが、いずれにせよ、そうした ﹁ひと﹂とい
︵空 へ讐
うあり方においては私は不断に﹁自己白身から逃走中﹂ であり、自己白身であることを喪失してしまっている。そのけっ
か、さしあたって大抵は私はそれと気づくことなく世間の人々に隷従させられてしまっているのであり、﹁他の人々の随
︵1
07︶
意﹂が私の﹁ありうること﹂を左右している。﹁ひと﹂というあり方の内にあっては、誰もが自己自身の﹁ありうること﹂
品︶
を﹁明らさまに選択するという重荷を暗黙の裡に和すことを成しとげてしまっている。﹂誰一人決断するものもいなけれ
︵聖へ11
ぼ、誰一人責任をとるものもない。所詮は﹁いかなる人も他人であり、誰一人として彼自身ではない﹂のだから。主観的
には自己の自主的な決断を信じていようとも、そのことに変わりはない。私を含めた誰もが﹁ひとが享楽する様に、享楽
し娯楽しており、文学や芸術についても、ひとが見たり判断したりする様に、読んだり見たり判断しており、更にまた、
へmL
ひとが﹃大衆﹄を嫌って引きこもる様に、引きこもっており、ひとが憤慨するものを、﹃憤慨﹄している。﹂他の人々と同
へ誓
じであをということ、即ち﹁平均性﹂がすべての人々の関心を支配している。そこでは、いかなる﹁例外﹂に対しても
へ13/
﹁監視の目﹂が光っており、﹁いかなる優位も音もなく抑圧されてしまう。﹂ニーチェはいう、﹁今日のわれわれは、無名
へ11
の、そして非人格的な奴隷状態のまっただなかに暮らしているにすぎないように思われる﹂と。したがって﹁平均性﹂へ
の人々の関心は、一見そのようにみえるとしても、決して他者とのつながりを意味するものではない。むしろ逆に、それ
はそうしたものの喪失のあらわれに他ならない。自己自身を喪失した者は当然に他者との連帯をも喪失せざるをえない。
それというのも、他者との連帯は、相互に﹁自己自身である私﹂を前提としてのみはじめて成立しうるものであるがゆえ
︵聖
に。他者との連帯によって形成される共同体的な人間関係が崩壊したところで、平均性が猛威をふるうのである。このよ
うに自己自身を失ない、アトム化し、平均性に関心づけられた﹁ひと﹂の集団=大衆は、典型的には独裁者のアジテーシ
ョンやテレビのコマーシャルに代表されるような挑発的な諸観念の格好の餌食となるであろう。機械的な技術文明が我々
にもたらしたところの同じリズムで繰り返される味気のない﹁のんべんだらりとしたその日ぐらし﹂の中で、あれこれの
世間的出来事や、個人的な気晴らし、あるいは刺激的な諸観念に心を奪われ引きまわされつつ、一瞬一瞬を剃郭的に生き
ている﹁ひと﹂としての私は、さしあたって大抵はいわば根なし草のように、私を支えているはずの﹁大地﹂としての歴
自然法思想と実存思想︵一︶
4し
0し
自然法思想と実存思想︵一︶
︵11
6︶
史的伝統を忘れ去ってしまっている。忘却が支配しているところでどうして生産的な摂取同化が可能となろうか。しかし
忘却は決して消滅を意味しない。むしろ﹁ひと﹂となった私は、歴史的伝統を忘却するという形において私自身にも﹁識
別されなくなった﹃過去﹄の遺物を負わされつつ、現代的なるものを追い求める﹂ のである。
結局のところ、﹁ひと﹂というあり方において自己白身を喪失した私の ﹁ありうること﹂ は常に前もって気づかれるこ
︵空
となく、先行世代によって、あるいは同世代の他の人々によって支配され奪いとられてしまっているといえよう。他者が
へ聖 へ脚︶
私の ﹁企投﹂全体に浸透し、それによって開示された﹁下絵﹂をいわばなぞるようにしてしか私の企ては行なわれえない
ものとなる。彼らは私のあれこれの決断に先立って私を﹁或る種の行為をとることを期待されている人間として指定﹂し、
︵2 し
2
逆に私の方は自己の﹁ありうること﹂を彼らからの指図に委ねわたし、そうしたものとして自己自身をそのつど既に理解
︵禦
してしまっているのである。つまり私は常に既に﹁習慣に支配され、さらには私の仲間の間で共通の意見と認められてい
るものに支配されている﹂のだ。他者が企投を通して我々に先まわりしてくる歴史的な共同世界へと自己喪失的に窺落す
ることにおいて、私は自由に規定可能な﹁ありうること﹂を喪失し、﹁そのつど既に︹私自身が構成したのではない︺一定
遠︶
の諸可能性の内へ陥っており﹂、又その限りにおいて﹁一定の諸可能性を素通りさせてしまっている。﹂私はいわば﹁疎外﹂
へ聖
へと、つまり﹁もっとも自己的な仕方でありうることが私に覆蔵されているという疎外へと駆りやられている﹂といえよ
へ誓
う。ニーチェがいうように、﹁私は他人の言葉や他人の意見の道化師﹂にすぎない。私は、新たなプラクシスと歴史的伝統
とのアマルガムがそこにおいて創造される火床といったものではなく、﹁客観的な事柄が演じられる舞台にすぎない﹂もの
︵讐
となる。私のありうることは﹁あらゆる個人的な決意に先立って社会的共存と︵ひと︶のなかで仕上げ﹂られてしまって
︵禦
いる。しかしそのことは、﹁ひと﹂としての私の企てが常に受動的消極的な形で行なわれるということを意味しない。積極
的な、場合によってはファナティックな仕方で自己の生命を賭けてまで私は、他人の意見の道化師を演ずる場合だって考
引抒・S●6961●ⅠⅠIA●PE●甘m叩JaSSnH‘tJaSSnH●苫(㍍)
(l)韓匝副湘什韓細群浣ⅡD
︶ ︶ ︶
︵ ︵ ︵
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〔司匹矧帖「詩昂㊦南軍妄」発斗沖〕卯9●S●(096l●甘nVl)£96t●脚Ⅴ予‘aわ瓜ZlOH‘Ja鱒ap!aH●川
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〔削=〕官.〔拗Ⅰ副口09●S‘●0●ゼ●甘‘Ja3わP!aH●川
〔甑OL吊69●S‘●0●甘●甘‘Ja33aP!aH●川
〔拍動吊〕9●S‘●0●甘●℃‘Ja3わp!aH●川
中郡」発弾霞〕sla99・d・肝6t・1tI甲tl aTla a叩‘rI‘aJuでS●d●f!〔71匹掛目十〕那9●S●1†aZPtlntI!aS‘ユ933ap!aH’川
挙」発談吋・琵斗・這ヰ〕slal押・d・師6t・tIO!1da〇Jad plaP a!BoTOtIauIOtl門d‘1(1tIOd●m●川!〔152利け尋串‖密「滑什
ト憶初帖「溺遥割湘」発汁茹・葡亜〕JJt・S・PtI咽J叩a瓜Z●a!qdosol!qd‘sJadsBf’Hミ〔71匹如き出目譲串小潮「髄甥帽削引再
‘aqaJBptlprI・1!On・S・9961・113瓜‘1!aqJqで瓜‘tl!aS‘qtlu●3!〔空き〕Z∠.〔世〉ト>〕99●S‘●0●t2●で‘JaBBap!aH’川(の)
AS・S●∠96l●甘nV Z●∂!方OlOtIam0Ⅵ叩dJaP33瓜JaG
99t・S‘・0・℃・12‘aqaJgptIt21・1!0円・S‘・0●甘●12‘甲!d●苫!〔甑IE旨〕u’S‘●0●12’12‘JaBBap!aH’川(べ)
閏Z・S・Z96t・IA・pg・馴叩tJaSSnH‘TJaSSnH・訂〔粗目帥「S抽G茹e)許諸寄掴」発匡澹〕SS●S‘a如瓜ZTOH‘laBgap!aH●N(CX>)
Ⅵ墾PnlS‘甲!d・三三99‘∠§‘四・S‘・0・で・甘‘a甲ユ3p耶1・1ミ〔粗目庸出「焼野園茅部酔蹄什藩諦8爛魂とヾ□一山」発玉井・覇者〕
Slt●S●9961●6g6トOS6t a!方OlOt柑ⅦOtI叩dJnZ
〔抑l十日譲歩日華〕押予●d‘●lI〇●do‘AlqOd’川●N
〔拗〉ト>〕99●S●1!aZPqn甲aS‘Ja君主はP!aH●m
〔司匹助川什〕那S●S‘●0●甘●甘‘ユ相知P!aH●m
努市せ8㌦ヾUバ「労.琵困却或>斗対言狩甘ゾ肴琵バき価零植バ「什「什∩か餅冒せ㊦……」ノ琵什nJ・㌻什「か計不吉」計狩
肴碑》⊂山琵鞠蒔母∩単腔中々弁.市J車OqヾUOバJ什不浄.伊BJlT付き舟言苗琵月日か計帯芯8軍産d録音倉J車か卸管
。(〔DH〕ZCt.脾=廿〕那S・S‘・0・甘・ゼ‘Ja方わp!aH●川)和1与加か針目代償」ノ〈倉石dO伊汁JT什軸討討
巨‖ll
ロー○ り
皿酪掛軸酎凋㈹頑健(1)
(ヨ)M.M.Ponty,Op.Cit.,169〔昧1台要目EIll頓〕
(ヨ)L.Landgrebe,a.a.0.,S.48
(誓)M.Heidegger,a.a.0.,S.57〔草中将〕
(3)M.Heidegger,a.a.0.,S.52〔jjl将〕′64〔<滴〕;L.Landgrebe,a.a.0.,S.55f
吊1く
(E;)M・Heidegger,Vom Wesen des Grundes.5Au軋1965.S.36f;M.M.Ponty,Op.Cit.,p.491〔鯨l博僅叫日用将〕′494
〔日日llii〕;H.Hohl,Lebenswelt und Geschichte.1962.S.43ff;E.Husserl,Mskr.C17V S.46(zit.beiG.Brand,
Welt,Ich und Zeit.1955.S.19〔榛EE・与更拓「単騎・皿輔・皆誕」監両国〕)
(ヨ)M.Heidegger,Sein und Zeit.S.57〔卓中将〕
(ヨ)トト争−ミ悪UQ堰昆霊JトJ聖憎Q古打電Q坤∩畏縮二ト二時刃二小′「皐昧空垂足軸足壮漫JトJ二時′中」巨縛や聖経足軸足壮
樺」巧十二時′皐味悪鳩時QP悪妻ニ′ 克」吋宵や足,tO刃Tニト′ 空っ受付額hQQP鳩噂(werden)」(Mskr.BI13/VI S.10(zit.
bei H.Hohl,a.a.0.,S.45))0
(gS)M.Heidegger,a.a.0.,S.365〔EIl滴頓〕
(忘)E.Husserl,Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.1968.S.289,326
(胃)M,Heidegger,Kant und das Problem der Metaphysik.3Aun.1965(1Au8.1951).S.210〔柊車馬「・Rヽエ刃巣檻1
朴Q臣嘩」1冊○闇〕
(貿)M.Heidegger,Sein und Zeit.S.58〔jj<屈〕′132〔11く11〕′203〔川11貞〕′272〔11日EI〕
(扇)M.Heidegger,Uber den Humanismus.S.17〔l相国〕′25〔吊<〕
(賃)M.Heidegger,HoIzwege.S.33f〔「鞘袈農工呂Q空っ桝Sl」刺1将ZS;F−〕
トト争−ミQ車重′題収束ヽ⊥Q韻卸Q下足′蟄酎鯛摘醗濫拙配か川噸慢線引鍋粍座州rニtJ壮樽b時(Husserliana.
Bd.ⅤⅠⅠⅠ.S.78)刃ニ金宝時量′」量」肇Q車重Plの車輪Q「寒:蜃」望野暮題髄舘Q尊巨刃」巨刃∫h豆ふ忌巨二時£忠臣空足二〇
肇望琳qTn Konstruktion Q雲£エコ足Konstitution植野ニhQ0ヶいil逗中震量森羅刃JtJ聖二^il忌hQ尊重′檻聾森羅Q染P哨蘭朋忌
TQQ量瑠冨P嶋崎0吏刃戒聖“…,in der〔Subjektivitat〕die Welt sich konstiiuiert,...‖(Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.328,
469)刃二言日加酢垂足0」吏量ロト屈伸僧息虻望′単昧望増増額霊叫牽起句ロト聾昼的忌時′ QP聖母〉′「中り定収二巨革暗雲皿山
舟班領有牒」QP嶋崎0
ぜ載l凛注目\ト争−ミ毛蟹二時「班肇」刃ニート集塵量感胡繕宮田練漣密ヾ勾逓ぐドニやこ刃二中り刃昆〔ニ巨悪′味読卵摘日周
慮朴Q討胡』拓也1巨★★*漣噛蜜的忌吏二〇
(呂)M.Heidegger,Sein und Zeit.S.61ff〔<1昭Zgト〕′388〔EIlll<〕
(Ss)E・Husserl,Husserliana.Bd.ⅤⅠⅠⅠ.S.121,458;E.Fink,Studien zur Phanomenologie1930−1939.S.11,113
(笥)E.Fink,Sein,Wahrheit,Welt.S.134f,144,148,154
(gS)E.Husserl,Erfahrung und Urteil.3AuA.1964.S.23〔唖綽三馬「腺番刃弄盗」110岡〕
(寓)M.Heidegger,a.a.0.,S.134〔11くEI唱〕;E.Husserl,Hussrliana.Bd.VI.S.114〔1剛く叫〕′148〔110EI〕;ders.,
Husserliana.Bd.VIII.S.459
(扁)M.Heidegger,a.a.0.,S.191f〔川11く昭ZS;rL〕
(詞)M・Heidegger,a.a.0.,S.192〔日日1く将〕;J.P.Sartre,L,etreetle n6ant.p.162〔昧1台定日01国〕′199〔吊刊く〕
(宍)M.Heidegger,a.a.0.,S.191〔日日1く岨〕;J.P.Sartre,Op.Cit.,p.140〔鯨1東EEll剛く叫ZgrL〕
(講)J.P.Sartre,OP.Cit.,p.129et s〔鯨l重臣川llEI国ZS5LL〕
(tq)J.P.Sartre,Op.Cit.,p.516〔鯨日金鞋吊1時〕
(謁)J.P.Sartre,Uneid占e fondamentale dela ph6nomenologie de Husserl:L’intentionalit昌.in:Situations1.1947.
P.33〔皿味拓「ヽ廿、巧卜∴ゝ七∵∨→」11<屈〕;M.M.Ponty,Op.Cit.,p.431〔駐日重臣1廿副11回〕;A de Waelhens,L,id6e
ph占nomenologigue d’intentionalit占.in:Husserl etla pens占e moderne.1959.p.119〔憧璧拓「トト争−ミ刃辞だ巴与頃」
貞註岨〕
(誌)M.Heidegger,a.a.0.,S.145〔1芋」く頓〕
(鶉)中Qu刃望′吏刃豆聖『壮樽刃皆臣』足鵜二巨悪′逓ぐ聖ハム「鳩≦)小崎U刃」(;監鴨逗荘」巨匠ニハぶ忌ト二足「く謝蓮」刃二小宴鵡
簑′ 中Q潜Qニ〉〔量QlトへK⊥定収二巨悪′壮樽〔単騎〕Q琵爬刃Q琵蜂起童二巨匠こふ忌巨二時刃U吋量ふ逓罫ふ名臣噛付ィ、
日中
(Uber−den Humanismus.S.17〔11滴頓〕′25〔吊<〕;Wasist Metaphysik.S.18〔《出馬「梁樫月掛刃想定量」11EI呵〕)○
中Q螢Seitlund Zeit.S.145〔l草1く呵〕胸壁○
皿掛掛軸か凋㈹頑健(1)
自然法思想と実存思想︵こ
三八
こうした﹁自由﹂はむろん事実的行動の自由としてとらえられてはならない。それは事実的な企ての可能性の根拠としての存在論
M・Heideg軍a・a・PS・−会︹丁重ハ貢︺こe→S・−gerdenHumaPismu8−S・弓︹二五貢︺
M・Heidegger・SeiPundNei−・S・︼お︹二二八頁︺
M・Heidegger・a・a・PS・−験=七六貢︺、−琵︹二二七以下︺
M・Heidegger、a・a・PS・︼余二七六貢︺
M・Heidegger−SeiPundNei−・S・崇︹三八二頁︺
\J ) ) ) )
( ( ( /一→\′−\
︵45︶
︵46︶
︹辻村訳﹁根拠律﹂二一八東︺
︵讐M・Heideg軍a・a・PSふ︹ニー貢︺、讐==〇六︺ニers・盲rSa−N喜Gruロd・⋮uP−更−Au芸3.S.−加N
久に獲得しえないのであり、それゆえ﹁対日︹人間︺はその存在において挫折であり﹂︵Op・Ci−・も﹂結︹第一分冊二四妄︺︶、﹁人
間とは三の無益な受難である﹂︵Op・CiI・≒諾︹第三分冊四〇六頁︺︶ということになる。
は、神であろうとすることである﹂︵Op・Ci−・ち苧Is︹第三分冊三〇〇頁以下︺︶。しかし人間は人間である限り、こうした壷を永
ならない。それゆえサルトルは、人間存在の自己自身へ向けての企ては、神であろうとする企てであるという、即ち﹁人間であると
自己自身の存在のなかに欠如分をもたず、それゆえ常に自己の全体と表して存在している存在者が﹁神﹂と呼ばれる存在者に他
1 1 1 一 l , 一 . . ■ l ■ レ ■ ■ ︶ 一 . 一 上 . 一 − .
M・Heideg軍a・a・PS・畢二七四頁︺、革二八二苧︺こ・P・Sar−re毒ciI主芳S︹第妄冊二三七頁以下︺
M・Heideg軍a・a・PS・望︹二七四頁︺こ・P・SarIre毒Ci言−∽冒S︹竺分冊二四二頁︺
ぅに強いるのである。﹂
︵44︶J・P・Sar−re・1ぎeニenぎ・p・華第三分冊三云=この無︹自由︺が人間存在をして、存在する代りに自己を作るよ
いるのである。もっともサルトル自身、しばしば存在論的な規誉離れて、それを事実的に解釈してゆくというあやまりを犯してい
﹁自由﹂はしばしば誤解されたように、事実的な企ての自由を意味しているのではなく、その前提としての存在論的自由を意味して
真︺︶といい、あるいはまた﹁人間は自由であるべく運命づけられている﹂︵亭ciI・畠芸三分冊二九頁︺︶というとき、この
トルが﹁人間が存在することと、人間が自由であることとのあいだには差異がない﹂︵1ぎeニePぎp・三第妄冊二〇
的白田、つまり、嘉の脱自性のゆえに、今現にある自己をこえていまだあらざる未来に開かれてあることの謂に他ならない。サル
4342414039
50 49 48
) ) )
M・Heidegger−Uber den Humanismus.S.∽∽︹五四頁︺
M・HeideggerIくOrt蒜e uロd Aufs師tze.111.∽AuP−浣﹃︵−AuP−試合.S.∽良いE.FiロkI a.a.0.−S.︼∽鼠.−∽買い切の
M・Heidegger∵ロer SatN・くOm Gruロd.SL︼∽二三〇頁︺︰E.Fiロk、a.a.〇.、S.−∽貰いし.Laロdgrebe、a.a.〇.、S.讐
自然法思想と実存思想︵一︶
こと﹂を﹁現存在の存在﹂として﹁関心﹂の名で呼んでいる︵a.a.0..S.−芝f︹二二五頁以下︺︶。
﹁懲落﹂と規定し、﹁︵内世界的に出会われるあるもの︶のもとに=あることとして=それ自身に=先立って=︵世界︶の内に=既に=ある
ハイデッガーは﹁世界の内に既にあること﹂を﹁事実性﹂、﹁自己自身に先立ってあること﹂を﹁実存性﹂、﹁のもとにあること﹂を
︵5
4︶M.HeideggerISeinuロdNeit.S.GN︹二二五頁︺
FOrma−euPdtranszeロdePta−eLOgik.−麗筆S.−讐⋮ders.、Husser−iaロa.Bd.1国.S.芸−ぉ○
︵53︶A●Dimer−EiPfGhrungiロdieOnt0−Ogie,−淫声S●諾いders●、EdmuロdHusser−.NAuP−浣∽.S.∽∽いE.Husserr
事柄へ﹂一二四頁︺⋮ders..HO−zwege.S.缶︹﹁芸術作品のはじまり﹂六七貢︺
︵讐M.Heidegger−gerdeロHumaロismus.S.NO︹三〇貢︺こers.リNurSachedesDeロkeロS.−慧声S.コ︹辻村訳﹁思索の
〇.、S.EOf
︵51︶M,Heidegger−SeiPuPdNeit●S●∽∽︹七五頁︺、−いい二六二︺いE.HusserrHusser−iaロa.Bd.H鍬.S.笥いE.Fink−a.a.
区別して、それを﹁内世界的存在者︵iロロerWeEichSeiendes︶﹂と呼んでいる︵SeiロuロdNeit.S.記︹九四貢︺︶。
なお事物も又﹁存在者﹂としてある限りにおいて世界の内にあるのであるが、ハイデッガーは﹁世界−内・存在﹂としての人間から
S.∽の︹五四頁︺︶。
としてのみ可能となるのである︵M.HeideggerIWasistMetaphysik.S.べ︹五頁以下︺いders.−UberdenHumaPismus.
作用は、ただ世界を前提とし、その内においてあれこれの事物がそれ自身を現われさせ、私に対して現前するようになることを前提
に事物が存在者として表象され、対象として立てられるということを意味するものとしてとらえられてはならない。むしろ逆に表象
ところで、事物の存在者としての私への現前は、いうまでもなく近代の認識論におけるように、主観としての私によってことさら
となる。
来着し、﹁存在の光﹂としての世界によって明らめられ、自己自身を現われさせることによってはじめて私にとって﹁存在するもの﹂
事物は一般にそう考えられているように常に﹁存在者︵Seiendes︶﹂であるわけではない。それはただ、私がその内にある世界に
/ ̄ヽ ( (
屯Ⅱ華建設肇刃蝋聴取堪(1) 荘○
(tg)M・Scheler,Die Stellung des MenscheninKosmos.1930.S.49f〔亜味・三強拓「抽埴足童恵時<誕Q表題」r入り−小一
軸璧蝶」:ヨ′ 屑○何頭ト〕
(講)M.Heidegger,a.a.0.,S.193〔川1<頓〕
(EB)E.Husserl,Husserliana.Bd.VI.S.378〔EIO吊叫〕;ders.,Husserliana.Bd.ⅤⅠⅠⅠ.S.506;ders.,Mskr.KIII6S.9,
BIII3S.67(zit.beiA.Diemer,a.a.0.,S.288);L.Landgrebe,Phanomenologie und Geschichte.1AuA.S.49
(讃)E.Husserl,Husserliana.Bd.VI.S.315
(宗)E.Husserl,a.a.0.,S.549;ders.,Husserliana.Bd.IX.S.409;A.Diemer,a.a.0.,S.289;L.Landgrebe,Der Weg
der Ph盆nomenologie.S.49
(宕)L.Landgrebe,a.a.0.,S.51;E.Fink,Welt und Geschichte.in:Husserletla pens占e moderne.1959.S.146〔Jl湘
拓「トト争pミ刃辞だ朝顔」111く同ZS;F−〕;E.Husserl,Husserliana,Bd.VI.S.378〔EIO日岡〕
(忘)M.Heidegger,a.a.0.,S.20〔吊+]頓〕;L.Landgrebe,a.a.0.,S.55;E.Husserl,Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.113
(墨)「く蜜」逗〔ニト′トトキーミ空電Q叶∩唐黍根漣載り題ロト二時′「く蜜刃JPQ辞蝋塾望′ 上トミ捷糖蜜剋東塔庫」巨二時刃
二小山刃′b憲£挿野≦>皐瞭 Q肇毒Tl恵^il長足琵堕漣芯趣」ドニTQ刃ニlnUぺ丹パ尽時」(Husserliana.Bd.IV.1952.S.141)0
System
der
phanomenologischen
Psychologie.1963.S.296;A.de
Muralt,L’id6e
dela
ph6nomenologie・
(留)E.Husserl,Husserliana.Bd.IV.S.265;A.Diemer,a.a.0.,S.282;H.Hohl,a・a・0・,S・49;H・Driie,Edmund
Husserls
1958.p.327
<悪裔肛紳樽型JtJ「<蜜」(刃金怪的忌付合〉QP鳩か′J吏量目J三朝恕肇<足腰」やこ中巻悪“Vorperson”刃替聖長崎
(A.Diemer,a.a.0.,S.251)0
(苫)A.Diemer,a.a.0.,S.218,244f;ders.,EinfiihrungindieOntologie・S・78;E・Husserl,Husserliana・Bd・ⅩV・S・214,613,627
(tg)A.Diemer,Edmund Husserl.S.245;ders.,Einfilhrungin die Ontologie・S・77#;L・Landgrebe,a・a・0・,S・51;E・
Husserl,Husserliana.Bd.VI.S.349;ders.,Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.405f
(笠)M.Heidegger,a.a.0.,S.149〔l<○昭〕
吏小豆聖′辞だ克朝足せヾP二時帝ヤ逗刃ぐ巨悪皿裔密雲′佃だQくヤ簑中岩舟頭王事車中∩肇つゆ㌣噛付ィ、叶い逗′定量建牽Q
J69‘∠9
帽巨‖〕SZt.脾>芯L〕OZt・S‘・0・℃●甘‘Jaヨ如p!aH●川(記)
(C9・uuV・9SZ・S‘・0・℃・甘‘Jaua!0・Ⅴ!aq・lIZ)6l・S6tI柑●巧S川‘HaSSnH●苫(3)
〔抽>堰‖〕OZt・S‘・0・甘・甘‘Ja33ap!aH●Ⅲ(讃)
柁ZZ・S・AIX・Pg・甘u叩JaSSnH‘ドaSSnH・耳三gSZ・S‘●0●甘●で‘Jaua!q●Ⅴ(讃)
脾○>L∃弼)日韓「いい一ヾ」賀春芝草〕l円・d・096l●Sa呵S‘A叩Od●川’閃(讃)
〔巨川侶〕9tF.〔沖旧1)‖吊妻鞍儲〕slattS・d・t10!1da〇JadでIaP a!OlOtIatHOtl?qd‘A叩Od●閃●川(ヨ)
仲山十日〕OZ・S‘・0・で●甘‘Ja33ap!aH●川(遥)
(l)韓匪村瀬什埼匪鰐諌Ⅱn
鴫妬.琵擁哲B棟世Ⅱ汁rrJ舟伊哲「。\j心かdかき甘小甘什バ「什日伊汁き扇や「溶きJぜ不語.〈茫訂dO伊野J屈担㌻跨ぎ首
Bかき髄串謎バ「什執捏皿驚き舟バ答辞不浄か管「.き価派旨バ「什幕藩8泄諷紗かヰ苛和バさけ中神バJ汁香草e守コOJ這落球
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CZZ・S・AIX・Pg:・甘口里tJaSSnH‘・SJaPt(倖l・ⅦⅥⅤ・J∠∠Z・S‘・0・℃・で‘Jaua!q・Ⅴ!aq・l!Z)19・SCⅠⅠIH‘ユ可Sm‘HaSSnH●苫(笥)
‘JaⅦa!q・Ⅴ!aq・l!Z)At・SI/9柑‘(ASt・uruV・乞9Z・S‘・0・甘・甘‘Jaua!q・Ⅴ!aq●1!Z)C●SI/Sl柑●ユ彗Sm HaSSnH●苫(宗)
(OS●urqⅤ●9Z●S‘●0●甘’甘
㌻什「か㌻バJ抽付帯か鼻㊦「ヾノノノ。一代か〈JO蝉を抄市価頼貫ききき才」市J車J†㌻哲ヽ斗ヾ鴇.バ「什「>蔀苗」8詩蒔苛冷
。(〔掛声十日謹鞍日華〕0帥●d‘●lI〇●do)J車沖
・d・f ts9・S‘・0・12・甘‘TqOH・H!〔出頂押出苛鞍日華〕909・d‘・1!〇・do‘J(1tIOd・川∵〔渕〉日日〕OZ●S‘‘0●甘●で‘1383ap!aH’川(悪)
・ⅩⅠ・PE・12tn2HJaSSnH‘TJaSSnH・苫!〔出目圃L譲歩出潮〕∠∠S,〔71匹抽出>‖葺串L潮〕99t●d●1ut!?tJalla aJlヲ‘rI‘aJIJt!S
〔拗〉ト〉日〕tOt・S‘・0・甘・12‘ptn2JEl・9号師・S●AIX●Pq●12ut2HJaSSnH’’SJaPミSLウ‘予倖●S
HtOt・S‘・0・?・で‘ptleJq・9!〔知日聞出雇時日潮〕∠9t・d‘’lI〇・do‘aJ”甘S・d・f禰予・S・IA●Pq’1m叩ユaSSnH‘TJaSSnH●苫(3)
・・SJaP t〔知日聞出酎軒『瑚飴㊦顎蒔』「騨就き丁旨辻刊」発諒澄〕Z9t・S・C961・UnVZ・Ⅰ●Pg●叩叩JaSSnH‘HaSSnH●苫(コ)
〔宣短冊)ト〉日〕
‘JO9‘LS・S‘・0・t2・12‘TqOH.H!〔>〉日日〕StS.〔出目日日眉鳩車部〕‘S倖●d‘●1!〇°do‘J(1uOd●川●閃けtS●S●IA’Pq●12tn2HJaSSnH
し王
皿酪掛軸か凋㈹頭塵(1)
(茫)M.Heidegger,a.a.0.,S.148〔1草ii頓〕′276〔吊1<〕
(忘)G.Brand,a.a.0.,S.23〔ト和l昭〕;E.Husserl,Husserliana・Bd・ⅩV・S149
訂1
(忘)E.Husserl,Husserliana.Bd.ⅠX.S.70;ders.,Husserliana.Bd.XI.S.211,215;J.P・Sartre,Op・Cit・,p・580〔韓日全室
‖甘く岨〕;G.Brand,a.a.0.,S.127f〔110吊屈Zgr〕
(;3)E.Husserl,Husserliana.Bd.I.S.83〔lU相国〕;ders.,Husserliana.Bd・ⅩⅠ・S・211f;M・M・Ponty,Op・Cit・,p・517(鯨
号慄空目jjl屈〕;G.Brand,a.a.0.,S.128〔110監屈〕
「1肇霊足弱康宝tj′ <淀Q堅S>車輪聖霊量忌吏堰屍型Q習陣漣趣JtJニTQ」(E.Husserl,Husserliana.Bd.IV.S.379)Q
P鳩≦ン′」吏量etJ「車輪Q輩柑」悪戦屍窒JJ塞炭塞Q輩相P鳩時」刃こぶ忌噂(E.Husserl,Erfahrung und Urteil・S・33
〔1屈頓〕)○
(詔)E.Husserl,Husserliana.Bd.IV.S.255.;ders.,Mskr.KIH12S.39(zit.beiA.Dimer,a・a・0・,S・69・Anm・33);
M.Heidegger,a.a.0.,S.144〔ロコ王将〕;G.Brand,a.a.0.,S.10〔11111昭〕
(諾)E.Husserl,Husserliana.Bd.Ⅰ.S.82〔日日jJ昭〕;ders.,Husserliana.Bd.XI.S.211;ders・,Mskr・KIH12・S・39(zit・
bei A.Dimer,a.a.0.,S.69.Anm.33);L.Landgrebe,Phanomenologie und Geschichte・S・25;L・Eley,Die Krise
des Apriori.1962.S.122;M.M.Ponty,Op.Cit.,p.476〔昧11令室11日両国〕
(遥)M.M.Ponty,Op.Cit.,P.513et s〔駐日幕臣IlHく1く屈〕;G.Funke,Gewohnheit・1961・S・538
日と要」(;輩展望′牟憤緑射撃」トノ題的岩崎逓QP鳩か′」吏簑ぐ巨中忌望′ U刃弟〃ふ逗轡虻的忌時逓QP悪感」付足二〇 中震聖
「鳩・il今時根ijQ仲彊足場吋憩祁」(E.Husserl,Husserliana.Bd.ⅠV.S.22)刃」トノ′トト争,ミ量「騨裔宝金郎」(Husserl−
iana.Bd.Ⅰ.S.29,113〔‖1くEI昭〕;Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.98f)刃替ヾ足刃UトロQ「塁n甘工宝玉米酢」(H・Driie,a・a・0・,
S.275)逗毒托巨飢どこ0
(芸)M.M.Ponty,Op.Cit.,P.503〔蘇11台を目刺1屈〕
(誌)トロ柵Q堰皆」望′こ£聖「i<聖霊4肘Q吏兎Q刃巧ユー」(A.Diemer,a.a.0.,S.289)町東急′「∪∈いJ司ユい十望′/Sub−
jektive Habe/1」)LJ′トへ小ヽb曇七m]輩肇定収忠昭皿帝Q度裔Q吏兎Q榊置宝蜜轟P嶋崎」(A.Diemer.a.a.0.,S.214,
258)刃こぶ定時〇
(芸)E.Husserl,Husserliana.Bd.ⅠⅩ.S.256,329;M・M・Ponty,OP・Cit・,p・415〔昧1博雇用巾個〕;L・Landgrebe・a・a・0・,
S.27;ders.,Der Weg der Phanomenologie・S・60,185;E・Fink・Studien zur Ph温nomenologie1930−1939・S・221;A・
Diemer,a.a.0.,S.141f,219,242;G・Funke,a・a・0・,S・535
妻童量量時軸頭鳴・瑚蘭刃,_j卜Qト湖畔潤怪」聖「皆二溺静」(E・Husserl,Husserliana・Bd・IV・S・107)杵東急′」吏量ぐ巨
中忌,itQ壮輯′褒旨中Q率∧ふ朝雲4jL)Q刷牽刃J巨Q那Q轟々皿哺逗iie巨悪瑠軽覇半量かOU刃悪憲二(E・Husserl,a・a・0・,
S.222f,224;ders.,Husserliana・Bd・VI・S・152〔1110将〕)0甘範′7ト十一一トー逗⊥吊ざ望′小rJ吏「桝南富商蜜Tl忠霊′轟ヤ
簑墜ij′朝吏建つ16やl車NPZSiil逗tj〉鞋〉鮮ヤQ濯南忌題額咄感凋阜皿項塁jS規定軸勧漣画聖」ト」ニTQ」刃三馬かQ(A・Diemer・
a.a.0リS.209)○
(芸)J.P.Sartre,Op・Cit・,p・577〔鯨日金臣吊日航ZS;LL];K・Jaspers・Philosophie・Bd・ⅠⅠ・S・125〔1訂副舶
(京)J.P.Sartre,OP.Cit.,p.187〔韓1卓EE日南‖唱〕
(宗)J.P.Sartre,Op.Cit.,p.577et s〔駐日慄EE日宇‖将司十〕
(崇)J.P.Sartre,Op.Cit.,p.187〔鯨1台臣日南日周〕;E・Husserl,Husserliana・Bd・ⅩV・S・180
(S!)M.M.Ponty,Op・Cit・,p・513〔鯨l博を冊く満船;K・Jaspers,a・a・0・,S・126〔1訂副刷
(苫)M.M.Ponty,Op・Cit・,p・501〔練廿縄1憫貞刷;E・Husserl・Husserliana・Bd・VI・S・152〔侶○剛;ders・,Husserli−
ana.Bd.VIII.S.248,412;ders・,Husserliana・Bd・ⅠⅩ・S・210;A・Diemer,a・a・0・,S・214f;H・Drue・a・a・0・,S・275ff;G・
Funke,a.a.0.,S.535
(裟)E.Husserl,Husserliana・Bd・Ⅰ・S・30;ders・,Husserliana・Bd・IV・S・255
荘川
(芸)E.Husserl,Husserliana・Bd・IX・S・410;ders・,Mskr・KIII3S・61(zit・beiA・Diemer・a・a・0・,S・278・Anm・141),
BI15/IS.3(zit.beiA・Diemer,a・a・0・,S・283・Anm・157);G・Funke,a・a・0・,S・535
(S;)L.Landgrebe,Der Weg derPhanomenologie・S・55
(課)M.M.Ponty,Op・Cit・,p・452ets〔鯨1博僅出<川幅〕
(票)M.Heidegger,a.a・0・,S・21〔=<頓〕
(害)M.Heidegger,a・a・0・,S・371lEIll‖砿〕
皿紛掛軸か牒㈹頑塵(1)
唱道
(l)韓画報湘什韓画餅諌Ⅱひ
〔放>L吊tz●S‘●0●甘●甘‘Ja33ap!aH●N
〔抽」正目〕ctt●S‘●0●召●甘‘Ja33ap!aH・m
知日刷‖勝目審F井講瑚旨−U∼すき♯』「望洋8詩曲」労師軒pエロ絹a可Ja!Ⅹ・S
〔拗>軒〕∠C●S●1!aZJaP tIOltnl!S a即lS!ag a!G.SJadst2f・H
’S●ⅠⅠ●Pg二Jlmd一出目勝正潮r肺抄卜サーlt』「派凍吉宗昂河」港沖÷〕czs・S・I・Pg・tlaP明日!aJP U!a彗Ja瓜‘∂甲SZla!N・d
〔抽〉トき「汁匪桝>On」〕tztt
‘●SJaP!〔しけ〕9F・制)ト机 9g●S‘‘0●甘●甘‘sJadsBf.Hミ〔>巨‖〕6Zt.〔租甘脾‖〕9Zt・S‘・0・で・で‘JaβBap!aH・川(≡)
拗○潮 目瀬r耕講瑚精一U∼すき♯』「罫か汁㌻不語」発弾諾PJt2絹∂司Ja!Ⅹ・S!〔抽〉日吊OS・S・II・PEI・a!qdosoT!qd
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︼宗−芝−冨−完−≡
︵ ︵ ︵ ︵ ︵
︵119︶ M.Heidegger.a.a.〇.、S.−誤 ︹二三〇頁︺、∽讐︹四四二︺い H.Dr穿.a.a.〇.−S.∽−○いA.DiemerI a,a●○●−S・監NいL●
Landgrebe.a.a.〇.、S.若し00∽
J.P.Sartre.Critique de−a raisOn dia−ectique.TOme I.p.N∽N︹竹内・矢内原訳﹁弁証法的理性批判﹂Ⅰ二二一貢︺
M.Heidegger.a.a.〇.−S.−告二七一頁︺、NU警︹二七八︺、∽N−f︹三六七︺
K.Jaspers.a.a.〇.、S.会隕︹四五五頁︺
M.Heidegger、a.a.〇.、S.−監二七四貢︺
M.Heidegger、a.a.〇.−S.−詔︹二一二頁︺
F.Nietzsche.Werke iロdrei B耶ロden.Bd.1.S.巴∽︹﹁反時代的考察﹂一〇七貢︺
K.Iaspers、a.a.〇.、S.∽∽∽︹三七七貢︺
M.M.POロty.Op.Cit.︶p.∽−∽︹第二分冊三六五貢︺
自然法思想と実存思想︵一︶
ば、決してそうではないといわざるをえない。一定の刻印を帯び、一定の方向性をもった歴史的社会的世界の内へと自己
ものについてはいささかも否定するものではないにせよ、常に人間がそうした ﹁永遠のファウスト﹂ でありうるかとい
に切望し、おのれをとりまく現実性を超越しようと努めつづける﹂という点に求めているが、しかし彼の主張の趣旨その
のれをかこむ現実性にけっして安息することがなく、おのれの ︵今=ここにおける=様存在︶ の軽抱を突破することをつね
となど不可能なものとなろう。シューラーは﹃宇宙における人間の地位﹄ の中で、動物とは異なった人間の特徴を、﹁お
れてあったとしても、私にとってはもはやそのことにもとづいて今現にある自己を超越して新たな未知の企てを行なうこ
は、たとえ私の存在の根本的なあり様からして、私が﹁自己白身に先立って﹂あり、私の前に﹁ありうること﹂ が開示さ
世界の内にあるものがもはや私自身ではなく、﹁ひと﹂というあり方での非本来的自己であるという事情の下において
画 実存倫理㈱
127126125124123122121120
) ) ) ) ) ) ) )
自然法思想と実存思想︵一︶
喪失的に懲落し、それと知られぬまに前もって他の人々によって ﹁ありうること﹂が奪いとられてしまっている﹁ひと﹂
となっている限り、私自身がどのように感じていようとも、私の企ては根本的に他者によって支配され偽造されてしまっ
ている。そこでは歴史的伝統によって形成された今現にある世界ののりこえとして構成されるべき未来が、逆にそのつど
既にそれにもとづいてつくられてしまっているのだ。実存哲学者とか実存主義者と呼ばれている人たちが一様に拒否した
のは、こうした世界への自己喪失的顧落に対してであった。彼らにとっての関心事は、いかにしてかかる無人称の ﹁ひ
と﹂への頚落から自己乱身を取り戻すかということであった。それではいかなる条件の下でそれが実現されるのであろう
か。
結論を先取りしていうならば、それはただ、企投を通して私の﹁ありうること﹂を先取りし規定するに至る先行世代及
び同世代の他者の支配に反対し、そのものの破棄を宣告することによって、失なわれた自己白身を取り戻すことによって
でしかない。それというのも、先にのべたように、この歴史的共同世界の内にあって私の自由な企てが﹁疎外﹂されるの
も、私が世界へと頚落し、﹁ひと﹂というあり方において、﹁自己自身に先立ってあること﹂が予め先行世代、あるいは同
世代の他者によって先取りされ、私としては自己喪失的にただそれによって指示された可能性の後をついていくだけとい
う状態におちいることによってであったから。それゆえ、私の﹁ありうること﹂を私自身の手に取り戻すためには、何よ
りもまず他者の支配に対して前もって﹁無化的断絶﹂をおこない、そうすることによってそこから自己自身を引き離して
おくことが必要とされるのである。それは、ヤスパースがいうところの ﹁現実からの離脱﹂としての ﹁飛躍﹂というこ
であり、あるいは又、同じことではあるが次のように言い表わすこともできよう、即ち世界への懲落を媒介として、今あ
る世界を形づくっている先行世代及び同世代の他者との間で当の私自身も知らない間にかわされた ﹁契約の解除﹂ とし
︵8︶
て、いわば日常世界の中で遂行される ﹁方法的懐疑﹂ であると。
むろんかかる無化的断絶は、歴史的伝統並びに同世代の他者の抹殺としてとらえられてはならない。そうしたことはそ
もそも人間存在たる私にとっては不可能なことなのだから。そうではなくて、それは私の人格を構成し、その中に積分さ
れ、そのげっか通常私の気づかないうちに私の﹁ありうること﹂を支配してしまう歴史的伝統、及び私の日常的関心を一
定方向に導き支配しようとする同世代の他者からの働らきかけを﹁括弧に入れること﹂であり、私自身の立場からもう一
度あらためて取りあげなおし、又批判しうるように、それらと連帯的であらぬことのために、それらを眼差の﹁対象﹂と
して立てることなのだ。メルロ=ボンティが現象学的還元について語った言葉を借りるならば、それは﹁負わされた条件
つけ﹂を﹁意識された条件づけ﹂に変えようということである。それゆえ、私の﹁ありうること﹂を支配し簑奪しようと
まちかまえている他者が従来どおり存在しっづけることに変わりはない。ただ変わったことといえば、それらがかつてそ
ぅであったように、それと知られぬ形において企投を通して先まわりし、いわば背後から私の﹁ありうること﹂を支配し
てしまうというのではなく、私の前に立てられてあるという仕方で存在しているということ、それゆえそれらはもはや私
の関与なしに私に先まわりする形で私の﹁ありうること﹂を構成するようなことはなくなるであろう、ということだけで
ぁる。そのことは又、歴史的伝統や同世代の他の人々から発せられる諸観念を否定することを意味するものでもないじ無
︵11︶
化的断絶は抹殺でもなければ、否定でもない。それは語でもなければ否でもなく、さしあたりそうした諾と否とを宙吊り
にしてしまうのだ。
こうした語と否との間に宙吊りにされ、私の﹁ありうること﹂を支配しようとする先行世代及び同世代の他者からの働
らきかけを括弧に入れ、それらに対して﹁距離﹂をおいてあること、それがハイデッガーによっていわれたE写sch訂・
SePFei−の意味に他ならない。それはしばしばそう誤まって解されてきたように、決してあれこれの企てを行なうことの
﹁決意﹂のことではない。そうではなくて、文字通り﹁縛られていたむすびから解き放たれてあること﹂として、先の言
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
葉を使っていうならば、﹁当の私自身も知らない間に他者との間でかわされた契約から解除されてあること﹂に他ならな
︵讐︵1
い。ニーチェはそれを﹁距離のパトス﹂と呼び、シューラーは﹁環境世界の和桔からの脱却﹂として﹁世界開放性﹂と呼
んでいる。あるいは人は、﹁日常の行為の連鎖が断ち切れた状態﹂としてカミュがいうところの﹁不条理の意識﹂の中にも
同じ世界内存在の仕方を兄い出しうるであろう。それゆえここではEE一SCEOSSePFeitを﹁決意性﹂でも﹁覚悟性﹂で
もなく﹁解鎖性﹂と訳しておこう。
かかる解鎖性の中で何か新たな認識が獲得されるというのではない。そうではなくて、私の世界内存在の態様が全面的
に変化するのであ璽即ち、かつて私を﹁共同体的我﹂=﹁人格﹂として構成した共同社会の歴史的伝統の働らき、並び
に同世代の他者からの働らきかけが括弧に入れられることによって、﹁ひと﹂というあり方において共に相互にあるものと
してあったところの私は、私の周り世界から﹁孤立化﹂されると共に、そういう仕方で﹁独り自己ノミ﹂として開示され
るのだ。かかる﹁単独者﹂となった私にとっては、私がその内へと被投されてある世界はもはや。Heimwe−tこといった
︵1
9︶︵2
ものではありえない。かつて世界が私に対してもっていた﹁日常的な慣々しい親しさはそれ自身の内で瓦解する。﹂世界は
﹁特権的な方向も意味ももたない世界﹂として﹁非指示性﹂﹁無規定性﹂という性格をもって私にあらわれてくる。さらに
︵22︶
それと対応して、内世界的に出会われるあれこれの事物も又、親和性と既知性を喪失し、﹁として=なしに﹂私に対して開
示されてくる。以前の表情を失なったかかる世界の内にあって、私はいわば﹁異邦人﹂となった自己を発見する。﹁明徹な
︵2
5︶︵2
6︶︵2
視力をもった無関心﹂で歴史的共同世界に対して﹁距離﹂をとって存在しているかかる﹁異邦人﹂をニーチェは、﹃人間
的、あまりに人間的﹄の中で﹁束縛された精神﹂に対して﹁自由精神﹂の名で呼びそれを次のように規定している、即ち
﹁その素性や環境、その身分や職掌からして、または支配的な時代の見解からして、予期されているのとは別様に考える
その人は、自由精神とよばれる。彼は例外であり⋮⋮。自由精神の本質に属しているのは、彼がいっそう正しい見解を持
7︶
0︶
4︶
︵が︶
つことではなく、むしろ成否を問わず、因習的なものからわが身を解放したということである。﹂﹁あらゆる偏見から身を
︵2
9︶︵3
0︶
ときはなし﹂﹁日常的眠りから脱出﹂した私は、もはや﹁自分に与えられていて単にその役割を演じ終えればそれですむよ
︵31︶︵3
うな﹂﹁ひと﹂としてのあり方に額落してはいない。むしろ、﹁気安められ=慣れ親しんだ仕方で世界の=内にある﹂﹁ひと﹂
5︶
としての私に対して、解鎖性が開示する﹁家にあって=安らっている=のではない﹂という﹁異邦性︵Uロheim−ichkeit︶﹂
︵34︶
の中で、かつて猛威をふるった﹁ひとはそれ白身の内で崩壊する。﹂無化的断絶によってつくり出された絶対的孤独の内
︵3
において、﹁ひと﹂というあり方の内への自己喪失から取り戻されて、私は自己自身に直面せしめられ、私のもっとも白
︵3
6︶
己的な﹁ありうること﹂へと呼びかえされるのである。ヤスパースはこうした事情を次のように説明している、﹁共同体的
我が稀薄化するあの状況のただ中において、自己存在が断乎としてそれに抵抗し、その優位を要求するとき、そこに︽わ
︵3
れわれすべて︾としての存在の一切の被制約性に反抗する自己存在の無制約性が成立する。﹂
ところでこのように無化的断絶によって他者の支配を括孤に入れ、歴史的共同世界に対して﹁距離﹂を設定し、﹁独り
自己ノミ﹂として﹁単独者﹂となることは、歴史的な共同世界の外に歴史的伝統と無関係に離れて立つこと、又他者との
︵3
8︶
共存を拒否することを意味するものではない。むしろそれは本来的な仕方で、つまり、世界の内への自己喪失から取り戻
︵3
9︶
され、歴史的伝統との有機的な結びつきを回復し、あれこれの事物と関わり他者と共存するための一つの﹁準備作業﹂に
︵40︶
他ならない。私は﹁ひと﹂の支配から脱却し、失なわれていた自己自身の﹁ありうること﹂を取り戻すために、歴史的共
︵41︶
同世界全体を一旦括弧に入れなければならなかったのであり、その上で再び日常的世界へと戻ってくるのである。しかし
︵42︶
﹁今度は反抗と明視をもってそこに入ってゆくのである。﹂無化的断絶が開示する解鎖性によって、私はいわば新たに生
︵43︶︵劇︶
まれ変わるのであり、﹁本来的自己﹂﹁無制約的自己﹂となって世界へ還帰する。そのとき私は、カミュがいうように﹁こ
︵45︶
れまで自分は自由の鍍覚の上に生きてきたのだということを理解する﹂であろう。
自然法思想と実存思想︵一︶
7︶
2︶
自然法思想と実存思想︵一︶五〇
それゆえ無化的断絶は先にのべたごとく、何ら具体的な態度決定ではないにせよ、しかしそこにおいてはじめて私は、
歴史的伝統をふまえながら、自己白身にもとづいて自己の﹁ありうること﹂を選択し決定する可能性を手に入れるのであ
︵亜︶︵4
る。ハイデッガーはそのことを﹁解鎖性はすべての行動に先んじ、すべての行動を徹頭徹尾貫いている始まりである﹂と
いう言葉で表現している。無化的断絶が開示した解鎖性の中で、私ははじめて、今現にある私の周り世界において私の
﹁ありうること﹂を支配しようとまちかまえている同世代の他者の諸観念から自由となり、同じく又先行世代によって形
成され私の人格を構成している歴史的伝統に対しても私自身の観点から自由に検討し批判してゆくことが可能となるので
︵4 8︶
ある。つまり、私はその内へと被投されてある歴史的社会的世界の内にあって、それに額落してしまうことなく、むしろ
逆にそれを未来への自由な飛翔のためのスプリングボードとして利用しながら、歴史的伝統の更なる形成発展に参加する
ことが可能となるのだ。﹁ひと﹂というあり方におけるように、私の﹁ありうること﹂が前もって歴史的伝統によっての
りこえられ決定されてしまうというのではもはやない。解鎖性の中で宙吊りとなった私にとって、歴史的伝統はあくまで
も新たな企てのための素材にしかすぎないものとなる。そこにおいてはじめて﹁過去の生産的な摂取同化﹂ということが
実現されよう。﹁ひと﹂というあり方への自己喪失から取り戻され、支配的な諸観念や歴史的伝統を検討し批判し、未来
への新たな飛翔のためのスプリングボードとしてそれらを利用してゆくに充分なほど、それらに対して開かれてあるこ
と、そこに歴史的共同世界の内にあって、なおそれをのりこえてゆく新たな企てのための根拠があるのだ。我々はかかる
根拠の内に立っている人間存在、つまり、企投を通して私に先まわりしてくる他者に対する無化的断絶によってその支配
の外に立ち、それによって﹁ひと﹂というあり方での自己喪失的な生の日常的営みから脱却し、歴史的共同世界に対して
距離をとり開かれてある人間存在、それをここでは﹁実存﹂︵Ek・SistePZ︶の名で呼ぶことにしたい。
ところでそれでは、﹁ひと﹂という非本来的な自己のあり方から﹁実存﹂としての本来的自己を私に取り戻させる無化
7︶
的断絶の動機はどこから私にやってくるのであろうか。何よりもまず注意されるべきは、それは一つの意図的な企てなど
ではないということである。それというのも、世界への自己喪失的な頑落のうちにある限り、常に既に私の企ては他者に
よって支配されてしまっており、その限りにおいて当の私にはそうした支配をのりこえることなど思いもよらないことで
あり、さらに又、そもそも私の ﹁ありうること﹂が他者によって支配されているということさえ気づいていないというの
が実状なのだから。それゆえ無化的断絶は、当の私にとっては一つの出来事、つまり私自身の日常的眠りを揺り動かすと
ころの﹁衝撃﹂によってもたらされる出来事としてあらわれてこざるをえないものである。たとえばカミュは﹃シジフォ
スの神話﹄の中で次のように書いている、﹁起床、電車、事務所或は工場での四時間、食事、電車、労働の四時間、食事、
睡眠そして同じリズムで繰返される月火水木金土﹂、人が生涯の大部分を安易にたどってゆくこうした日常的生の中で
﹁或る日﹃何故﹄が身をもたげ﹂﹁突然舞台装置が崩れ去る。﹂そのとき、我々のまわりにある様々なもの、たとえば空の
優美さ、木々のたたずまいといったものは﹁まさに一瞬にして、われわれから付与されていた空しい意味をはらい落し﹂
︵uご ︵讐
﹁一瞬、もはやわれわれは世界を理解しなくなる。﹂﹁世界の厚みとのこの断絶、これが不条理だ﹂とカミュはいう。ここ
には無化的断絶の出来事的性格が象徴的に描かれているといえよう。
無化的断絶がこのように出来事に他ならないとして、それでは一体いかなる事柄が日常的眠りのうちにある我々を揺り
動かし、無化的断絶を私に惹起せしめる契機となるのであろうか。
彼は﹁不安は恐怖と根本的に異なっている﹂と
感ぜられるのに対して、﹁不安は常に、⋮⋮に対する不安ではあるが、
う。恐怖は常に﹁この戎はあの一定のことに関して我々をおぴやかすと
ハイデッガーは、我々が世界の内で経験する ﹁不安﹂という根本的情態性の中にそうした契機を兄い出している。まず
ころの、この戎はあの一定の存在事物に対して﹂
不安が何に対して不安になるかといえば、それは ﹁世界の内にあるこ
五一
しかしこの或はあのことに対する不安ではない。﹂
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
とそのこと﹂ に対してである。かかる世界の内にある私を突然おそう不安が、私に開示する ﹁無気味さ﹂ ︵UPFeim−i・
Chkeit︶ の中で、かつて﹁ひと﹂としての世界の内にあることのあり方を規定していた﹁日常的な慣々しい親しさが瓦
解﹂し、私は﹁独り自己ノミ﹂として ﹁孤立化﹂されることとなる。そのとき私は、かつての﹁ひと﹂に代わって、﹁艮
︵61︶
心﹂によって私自身へ、すなわち私の ﹁もっとも自己的な仕方で自己でありうること﹂ へと呼びおこされる、といわれる。
世界の内にある私に対して解鎖性を開示し、自己自身を取り戻させる無化的断絶の契機は何も﹁不安﹂に限られるもの
ではない。ニーチェはそうした契機として﹁病気﹂を挙げている、即ち﹁長い間、しかも非常にその病苦から苦しめら
れ、それにもかかわらず、その知性が曇っていない病気の人間の状態は、認識にとって無価値ではない。11−およそ深い
孤独や、突然許されることになった、一切の義務や習慣からの解放がともなう知的な恩恵は全く度外視するとしても。重
い病苦の者は彼の状態から、おそろしいひややかさで外部の物を見る。健康な者の眼が物を見るとき、その物が漂ってい
るあの小さな欺瞞的な魔術は、彼にとっては消えてしまう。そればかりか、彼自身が自分の眼前に、うぶ毛も色彩もない
姿で横たわる。彼がこれまで何らかの危険な幻想の中で生きてきたとすれば、苦痛によるこの最高の覚醒は、彼をそこか
︵62︶
らひき出す手段であり、おそらくはただひとつの手段であるであろう。﹂
さらにバーガーとプルバーグが、物象化した﹁世界の呪縛﹂から人々を解放する契機として挙げている次の三つのもの
を﹁不安﹂ や﹁病気﹂ につけ加えることができよう。即ち、④人類の歴史の中に多くの実例が兄い出されるところの ﹁自
明祝されていた世界の崩壊を必然的に伴う ︹自然的あるいは人為的異変による︺ 社会構造の全面的崩壊﹂、⑧ ﹁文化的接
触という状況やその結果として起こる︵文化的衝撃︶﹂、④﹁社会的にマージナルなところにいる個人や集団﹂ の存在自体。
バーガーたちが挙げている ﹁文化的衝撃﹂との関連でいえば、元来出来事としてしか生じえない無化的断絶を私が意図
的に体験する一つの方法は﹁旅﹂ に出ることである。たとえば山口昌男は﹃本の神話学﹄ の中で次のようにのべている、
﹁弾力性を失った神話を強制することに異議を申し立てる精神が平俗な日常生活を相対化するために踏み出す第一歩は
︵65︶
へ旅︶に出かけることである。⋮⋮旅、何処へ?自分が属する日常生活的現実のルールが通用しない世界へ。﹂旅がもた
らす異邦性の体験について我々の興味をひくのは、彼自身のプラハ旅行にもとづいて綴られたカミュの次の文章である、
﹁ぼくは丸裸だ。看板を読むこともできぬ街、親しみがなにももてない奇妙な人間の性格、語りかける友もいなければ、
娯しみとてない。⋮⋮姿を見せるのは、見知らぬ顔ばかりだ。教会、黄金、抹香、そうしたすべてがぼくを一つの日常生
活に投げかえすが、ぼくの不安は、そこであらゆるものに値打ちをつけてしまうのだ。そしてそのとき、習慣の幕、心が
まどろむさまざまな仕種や言葉の心地のよい布が徐々にまくれあがり、やがては不安の蒼ざめた顔をひきはがしてみせる
のだ。人間は自分自身と顔をつき合せている。⋮⋮大きな違和感が人間と事物とのあいだに生れる。﹂ 彼は続けていう、
﹁旅はわれわれのなかで、一種の内面的背景をこわしてしまう。⋮⋮事務所や仕事場で過す時間の背後で仮面をかぶるこ
とはできない。⋮⋮旅はわれわれから、避難場所を取り上げてしまう。家族から、母国語から遠く離れ、あらゆる支えを
奪われ、仮面をはぎ奪られて、われわれはみな、われわれ自身の表面に浮びあがってくる。﹂
右にのべてきたように、ある何らかの事柄が契機となって無化的断絶がいわば出来事的にひきおこされるというにとど
まらず、それを自覚的な方法にまで高めたいくつかの例を、二〇世紀に入ってからの学問的、芸術的飯域の中に兄い出す
ことができる。たとえば、フロイディアンによる神経症の治療法、すなわち患者自身によって抑圧され無意識化された過
去の精神的外傷を彼自身に想起させ﹁意識化﹂させることによって、患者を過去の支配から解放し治療しようとする﹁カ
タルシス法﹂は一種の無化的断絶の方法といってよいであろう︵フロイト﹃精神分析学入門﹄第一八章参照︶。
あるいは哲学の億域でいえば、フッサールが提唱した ﹁現象学的還元の方法﹂、即ち素朴な世界への没入生においては
アノニムなままにとどまっている﹁世界﹂と、そうした世界内での日常的生全体を支えている﹁超越論的自我﹂の働らき
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 五四
を明らかにし、日常的生全体をそっくりそのまま見ることが可能となるような、自己自身の生の﹁無関与の傍観者﹂の立
場を確立するために、あれこれの事物への素朴な日常的関わりと、そうした関わりを支えている世界の一般定立を、﹁も
ともとの関心を共にせずそこから意思的に自己自身をひさはなす﹂という仕方において﹁括弧に入れ﹂ようとする﹁現象
学的還元﹂の方法の中にも、哲学的方法として純化された﹁無化的断絶﹂を我々は見ることができるであろう。それゆえ
逆に、人は純粋に学問的な方法である還元の中に実存的な意味あいと働らきを兄い出すことにもなるのだ。
芸術の領域に目を転ずるならば、我々はまずシェルレアリストが援用した﹁デペイズマン︵depaysmeE︶﹂の方法
想起しえよう。つまり、あれこれの事物を、それが日常用いられているコンテクストとはちがった思いもかけない場所の
中におきっつすことによって、﹁日常的活動の世界を非現実化﹂し、﹁与えられた世界の瓦解を招来﹂せしめ、そのことに
ょって﹁精神と事物とのあいだの原初的関係を露呈している最初の意識﹂を再発見し、さらにはそこに美の誕生を兄い出
そうとする﹁デペイズマン﹂の手法は、文字通り﹁異邦化﹂として﹁無化的断絶﹂をそのうちに含むものであったという
デペイズマンとよく似たものであるが、後の我々の議論に特に関係が深いものとして、最後にシクロフスキーやブレ
トがそれぞれに自己固有の芸術上の手法としたところの﹁異化﹂の方法をとりあげることにしたい。
完一七年に発表された﹃方法としての芸術﹄の中ではじめて﹁異化﹂の方法について論じたシクロフスキーは、まず
知覚の一般法則に関して次のようにいう、即ちそれを解明することによって知られることは、﹁知覚作用が習慣化するにし
たがって自動的なものになってゆく﹂ということである︵水野訳﹃散文の理論﹄二二頁︶、と。たとえば外国語をはじめ
て話した時に味わった感覚を、嘉回目にそれを繰り返してみながら味わう感覚と比較してみれば、﹁われわれの習慣的
な反応というものはすべて無意識的な、反射的なものの領域へと去っていくものである﹂ということがわかるであろう
︵二二頁︶。こうした知覚の自己運動は、我々の日常的な生の円滑さを支えているものであるともいえようが、トルスト
イもいうように﹁もし人々の複雑な全生活が無意識のうちにすごされたとするならば、その生活は存在しなかったのと同
じこととなろう﹂︵一五頁︶。﹁自動化作用は、事物、衣服、家具、妻、そして戟争の恐怖をのみこんでいくのである﹂︵一
五頁︶。知覚が自動化するとき﹁われわれは事物が存在しているということを知るのだが、しかしそれを見ることはできな
い﹂︵一六頁以下︶。﹁それだからこそ生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、右を石らしくするために芸術と名づけ
られるものが存在する﹂︵一五頁︶とシクロフスキーはいう。そして石を石らしくするための方法が、﹁日常的に見なれた
事物を奇異なものとして表現する異化の方法﹂︵一五頁︶だとされる。芸術においては知覚過程そのものが目的であり、そ
の過程をできる限り長びかせる必要があるがゆえに、知覚の自動化作用から人々を脱出せしめ、﹁知覚を困難にし、長びか
せる難渋な形式の方法﹂が求められるというわけである︵一五頁以下︶。結局、﹁異化﹂とは、﹁ひと﹂というあり方での自
己喪失的な日常的生における事物の知覚にみられる惰性的な﹁として﹂の把握を取り払い、あらためて新たに事物を見せ
しめようとする方法だといえよう。
シクロフスキーがいう﹁異化﹂の手法とほぼ同じ考え方を展開させたのが劇作家のブレヒトであった。舞台と観客との
感情同化を土台にして行なわれるアリストテレス的演劇に対して、彼は感情同化とは別のものを土台にした芸術のたのし
みが果たして可能であるのか、又感情同化を否定するとして、アリストテレス的カタルシスの代わりに何をもってきたら
よいのかと問い、次のようにいう、﹁もはや観客は、自分の世界から芸術の世界へ誘い込まれるのではなく、むしろ反対
に、目ざめた感覚をもって自分の現実的な世界に連れていかれねばならない。⋮⋮その原理は、感情同化のかわりに異化
を導き入れることである﹂︵千田訳編﹃今日の世界は演劇によって再現できるか﹄ 〓≡頁︶。それでは異化︵くerfrem・
duPg︶とは何か。彼はそれを次のように規定する、﹁ある出来事ないしは性格を異化するというのは、簡単にいって、ま
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 五六
ずその出来事ないしは性格から当然なもの、既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくり
だすことである﹂︵=≡頁︶。つまり異化とは、﹁慣れっこになっているせいか、私たちには当然のように思える﹂日常の
身近な出来事を﹁私たちの目につくようにし﹂﹁ありふれた︽あたりまえの︾疑う余地のない出来事に対する敏感さを発
達させる技術﹂に他ならない︵一五六頁︶。それによって﹁自己放棄にまで達する感情同化﹂が妨げられ︵一四二頁︶、あ
れこれの出来事に対して﹁有効な批判を行なえる﹂︵二二四頁︶ような﹁距離﹂が、それとの間につくり出されるのであ
る︵一四二頁︶。したがってここでは異化は、ショック効果を通じての単なるアミューズメントの惹起を目的としてい
ものではない。自己喪失的な日常的生への項落における自動化した知覚と行動の環から﹁飛び出す﹂︵二七八貢︶ために、
異化は、それまであれこれの出来事に対する手出しを我々に不可能にさせてきた﹁親しみ深さというスタンプ﹂をそこか
ら取り除こうというわけだ︵二七八頁︶。この点に関してプロッホは、ブレヒトの異化論を前提としながら次のようにい
ぅ、即ち﹁﹃異化効果﹄は、押しのけること、ある過程や性格を習慣的なものから置きかえはずすこと、としてあらわれ
る。そうしたものを自明のこととみさせないようにするため、である。それによって、必要な場合には、目からウロコを
ぉとさせること−−、ただしまさに間接的にのみである。とりわけ肝要なのは、それによってまさに固有の疎外に気づか
せられる、ということである。﹂そこからして又、﹁異化の正念場は、余りにも親しみ慣れてしまったものにハッとおどろ
かすような遠い鏡をさしかけることにある。人間がそれによって当惑させられ、しかも正しく当惑させられるようにする
ためである﹂といわれる。﹁遠い鏡をさしかけること﹂、それは我々を﹁魔術的なもの﹂から解放し︵一五二貢︶、我々にと
って自明なもの、既定の事実を、﹁すべて疑わしいものに見えるようにする﹂ために ﹁異邦人の目﹂ を養わしめようとい
うことなのだ︵二七九貢︶。
以上みてきたように、不安や病気、あるいは異化等のもたらす衝撃によって、私の内に無化的断絶がいわば出来事とし
てひきおこされ、そのけっか﹁ひと﹂という非本来的な自己のあり方から私は﹁実存﹂としての本来的な自己へと取り戻
されることになるのである。しかしそのさい注意されるべきは、かかる﹁実存﹂は一旦獲得されてしまえば、その後はそ
れ自身で自動的に存在しっづけるといったものでは決してない、ということである。﹁この新しい独立は⋮⋮期限附であ
る、それは永遠性の小切手を切ることをしない。﹂それは私の意識の孤独な努力によって支え続けてゆかねばならない緊
張である。もし私がそのために全力を尽さなければ再び﹁ひと﹂というあり方に転落することになろう。この点に関して
カミュは次のようにのべている、﹁世界と私の精神との間のこの闘争、この断絶の基礎をなすものは、この闘争この断絶
を意識する私の意識以外の何であろうか。それ故私がこの闘争を維持し続けてゆくのは、不断の、絶えず新たにされ、絶
えず緊張させられる意識によってである。この意識こそさしあたって今私が失ってほならないものである。﹂ そしてカミ
ュは、﹁実存﹂を活性化し、維持してゆくかかる意識の働らさを﹁反抗﹂と名づけるのである。
かくて我々が﹁ひと﹂というあり方での日常的生を永久に拒否しようとする限り、我々が配慮しなければならない第一
のことがらは、無化的断絶を一過性の外的な出来事に終わらせてしまうのではなく、﹁意識的反抗﹂によって ﹁実存﹂を
活性化し維持し、そのことによって、企投を通して私の ﹁ありうること﹂を予め支配しようとする他者の支配の外に立
ち、それに対して開かれてあることに他ならないU実存思想が、世界の内にある我々に対して立てるかかる要請を、ここ
では﹁実存倫理㈱﹂と名づけることにしたい。かかる﹁実存倫理㈱﹂に忠実であることによってはじめて私は、環境世界
に緊縛され﹁現実存在に対してつねに﹃然り﹄を言う動物﹂に比較して、﹁永遠のファウスト﹂として、日常的世界の内
にあっても他者の支配に頚落することなく、歴史的伝統をスプリングボードとしながら新たな未知の企てをなすことの可
能性を手にすることになるのである。ニーチェは言う、﹁この距離のパトスからしてはじめて我々は、価値を創造し価値
の名を刻印する権利を自らに獲得したのである﹂と。そして、このように自己自身の何であるかを決定しうるほどに、歴
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
M・Sche−er−DieSIe=ungdesMenSChenimKOSmOS・S●琵︹六八頁以下︺
史的共同世界の外に立ち、それに対して開かれてあること、それが﹁実存は本質に先立つ﹂という有名な公式の本当の意
味に他ならない。
︵1︶
J・P・Sartre−Cri−iq∈ede−araisOndia−ec−ique・→OmeI・p・N琵︹二八〇頁以下︺
F・HeinemaロローSchicksa−undAufgabe derPhi−OSOphie iヨZWaロZigs−eニahrhunder−・iロ︰DiePhi−OSOphie
︵2︶
︵3︶
M・Heidegger・SeiロuロdNei︷・S・裟∞︹三〇九頁︺、滅茶︹四三六︺
NOJahrhuロder−・︵Hrsg・⊇−F・Heiロemaロn︶●S●N詔参照
︵4︶
J・P・Sar−re−しぎeeニe n㌻︷・P・2︹等三分冊二〇頁︺、諾e−S︹第一分冊一〇六以下︺こ・Camus−Le mythe de
drei B響
︵5︶
Sisyphe・−琵p・∞ご窪田・矢内原訳﹁シジフォスの神話﹂冒、、、ユ著作整第五巻九四貢︺声Nietzsche.Werkeiロ
M・M・POn−y・Lessciencesde−ゴ○ヨヨeeニaph㌻Om㌻0−Ogie・−軍p・ご滝浦・木田訳﹁眼と精神﹂一七頁︺
A・Camus、L︸hOmヨer㌢0−t二戸p・−⋮−S︹佐藤・白井訳﹁反抗的人間﹂﹃カ、、、ユ著作集﹄第四巻三頁以下︺
J・P・Sar︷re−Op・CiI・︸pL∞のe−S︹第一分冊三五云︺、p・ge−S︹第三分冊八九貢︺、琵二六八︺
K・Jaspers・Diegeis−igeSi−ua−iOロder∼ei−・S∵岩示︹一五九頁︺こers・−Phi−OSOphie・BdLⅠ・S・買︹六二頁︺
NietZSChe・WerkeiロdreiB監en・Bd﹂・SL安芸︹﹁人間的、あまりに人間的Ⅱ﹂四四五頁以下︺参照
ndeロ・Bd・Ⅰ・S・召f︹﹁人間的、あまりに人間的Ⅱ﹂九頁以下︺、Bd・ⅠⅠ・S・N設︹﹁悦ばしき知識﹂三八四貢︺
︵6︶
︵7︶
︵8︶
︵9︶
︵10︶
12
)
なおK・L葺きDereurOp巴scheNihi−ismus︹柴田訳﹁ヨーロッパのニヒリズム﹂八〇頁︺参照。
M・Heidegger・Einf賢ungiロdieMe−aphysik・SL⋮二二頁︺善−Z司ege・S・∽二﹁芸術作品のはじまり﹂九三頁︺
して事物の因襲的な評価の上を飛ぶあの自由な、そして恐れなき浮動﹂︵WerkeiロdreiB監eロ・Bd・Ⅰ・S,会d︹﹁人間的、あま
りに人間的I﹂五六頁︺︶。
lTチェは′かかる﹁宙吊り﹂にされてある状態を彼固有の言いまわしで次のように表現している、﹁人間や習俗や錠の上を、そ
︵11︶
F・NietZSChe−WerkeindreiB監en・Bd﹂・S・蛋︹池尾訳﹁人間的、あまりに人間的I﹂﹃ニーチェ全集﹄第五巻一五頁︺、
S・冨山︹﹁人間的、あまりに人間的I﹂一六貢︺
/′ ̄\
︵1
3︶F・Nietzsche、WerkeiロdreiB餅ndeロ・BdJi・S・ヨ∽︹信太訳﹁遺徳の系譜﹂﹃ニーチェ全集﹄第一〇巻三三九真︺、S.−NOの
︹原訳﹁反キリスト者﹂﹃ニーチェ全集﹄第一三巻一九八頁︺
︵1
4︶M.Sche−er.a.a.〇.IS.畠︹五〇貢︺
︵15︶A.Camus.Lemythedesisyphe.p.NNe︻S︹五五頁以下︺
︵1
6︶M・Heidegger、SeinuロdNeit・S・N3︹三一五頁︺いK■Jaspers、Phi−OSOphie.Bd.i.S.缶︹五五貢︺
︵1
7︶M・Heidegger−a・a・〇・、S.N笥︹三四三頁︺いKJaspers、a.a.〇.−S.畠︹五五頁︺
︵1
8︶M・Heidegger−a・a・〇・−S・−琵︹二二二頁︺いS・Kierkegaard︹浅井他訳﹁あれか、これか﹂第二部︵下︶﹃キルケゴール著作
集﹄第四巻一五九貢︺
キルケゴールは﹁実存するとは単独者であることを意味する﹂︹杉山・小川訳﹁哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき
︵申︶﹂二五三貢以下︺という▲し逆に﹁ひと﹂としての﹁束縛された精神﹂をニーチェは﹁孤独を知らぬ人間、おのれの孤独をもた
ぬ人間﹂と呼ぶことになる︵WerkeiロdreiB詳dePBd・lI・S・宍芯︹信太訳﹁善悪の彼岸﹂﹃ニーチェ全集﹄第一〇巻七六貢︺VU
したがって又、ヤスパースは﹁実存哲学からは、必然的に、⋮⋮異端者とか単独者に対する愛著が、できあがってくる﹂という
︵Phi−OSOphie.Bd.11.S.∽琵︹四四二貢︺︶。
︵1
9︶S●LOtZINumWesenderE已steロZphi−OSOphie二m︰SchO−as︻ik.Nド︵−誤○︶S.−票参照
︵20︶M.Heidegger−a・a・〇・−S・−∞∽︹二二三貢︺いA.Camus.Op.Ci巾.ニ︶.N∞ets︹五六貢︺いE.Fiロk、Phi−OSOphiea−sqberwin・
duロgder.︵Naiユー警。.in︰Le已sL.︵−芝∞︶.S.−○∽
︵21︶M.HeideggerIa・a・〇・−S・−∞の︹二二C貢以下し、UB︹三九CしいE・MOunier−A−bertCamusOu−︼appe−deshumi−i訂・
︹佐藤訳﹁カミュ﹂四二頁以下︺参照
︵22︶F.Nietzsche.WerkeindreiB抑nden・Bd・Ⅰ・S・監N︹﹁人間的、あまりに人間的I﹂一五頁︺、S・−○∞り︹茅野訳﹁曙光﹂≡−
チェ全集﹄第七巻二七貢︺
︵23︶M.Heidegger.a,a●〇・−S・−金︹一八一貢︺
サルトルは﹃唯吐﹄の中で、﹁として=なし﹂に事物が知覚される状態をもっとも極端な形で描き出している、即ち﹁マロニエの根
は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に深くつき刺さっていた。それが根であるということが、私にはもう思い出せな
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵こ
かった。ことばは消え失せ、ことばとともに事物の意味もその使用法も、また事物の上に人間が記した弱い符号もみな消え去った。
⋮⋮存在︵eをeロCe︶はふいにヴェールを剥がれた。⋮存在とは、事物の捏粉そのものであって、この樹の根は存在の中で警
れていた。というか、あるいはむしろ、根も、公園の柵も、ベンチも、貧弱な芝生の葺も、すべてが消え失せた。事物の多様性、
その個性は単なる仮象、単なる漆にすぎなかった。その漆が溶けた。そして怪物染みた軟い無秩序の塊か・・・−怖ろしい淫猥な裸形の
塊だけが残った﹂︵LaロauS㌢二無声PLぎts・︹白井訳﹁嘔吐=四六頁以下︺︶﹁吐き気﹂が開示する事物壷界は﹁解鋭性﹂の世界
であるといえよう。その他、ニ主エも又﹁この人を見よ﹂の中でこうした体験についてかたっている︵WerkeindreiB監en.
BdJl・SL↑忘︹﹁この人を見よ﹂九四貢︺︶U
しかしながら、このように事物を﹁として=なし﹂に把握することは、事物が日常的世界の内においてもっている﹁意味﹂の否定
としてとらえられてはならない。そうではなくて、それはただ﹁事物の因襲的評価﹂︵F・Nie︷NSChe−WerkeiロdreiBEen.
Bd・Ⅰ・S﹂竜三人間的、あまりに人間的I﹂五六貢︺︶を盲目的に受け入れはしない、ということだけである。我々はそうした事情
の下ではじめて、ヤスパースがいうように、日常世界の内で出会うあれこれの事物を﹁浮遊しながら実存的に包越しながら新たに獲
得する﹂︵K・JasperS−Phi−OSOphie・Bd・ⅠⅠ・S・∽∽票︹三八一頁︺︶ことが可能となるのである。
︵24︶A・CaヨuS−Op・Ci−・︶PL∞︹五〇貢︺、謡︹五七︺
ムーニ工は、﹁実存者となるということ、このことは例外者へ向かって歩を進めることである﹂という︵E・MOuロie:ロtrOduc・
tiOロauHe已sten−ia−ismes.p.∽∽︹九三貢︺︶。
A・Camus−Op・Ci−・︶p・−∽二清水訳﹁シーシュボスの神話﹂=六頁︺諒・1aspers・a・a・〇・−S・いさ︹讐八貢︺
歴史的共同世界に対して﹁距離﹂をとるということは同時に又、﹁私自身に対して距離をとる﹂︵K・laspers.a.a.〇.、S.蓋
︹三〇三貢︺︶ということである。
﹁距離﹂についてK二aspers・K−eineSchu−edesphi−OSOphischenDenkens・−買S・箋︹松浪訳﹁哲学の小さな学校﹂
﹃世界の大思想﹄Ⅱ−一二巻四三八頁以下︺を参照。
クーンはいう、即ち﹁現代の実存主義者が私たちに命じるのは、希望をもつことなく、しかし自由のうちに生きること、なるほど
F・NietZSChe・WerkeiロdreiB詳deロ・BdL・S・誉f︹﹁人間的、あまりに人間的I﹂二二貢︺
世界におけるよそ者としてではあるが、しかしみずから進んでよそ者となって生きることである﹂と︵a・a・PS●g︹六五頁︺︶。
(
28
)
\J
F.Niet崇Che.Nietzsche︸s Werke.Nweite Abtei−uロg.Bd.舛iく.︵Nat−manntAusgabe.−苫告S.UB︹﹁人
︵33︶
︵32︶
︵31︶
︵30︶
M.Heidegger−a.a.〇.I S.N記 ︹三一四貢︺
M.Heidegger.a.a.〇.、S.−00∞
M.Heidegger−a.a.〇●−S.−笠
︹二二三貢︺
︹二二四貢︺
K.Jaspers−a.a.〇.、S.N畏︹三〇三頁︺
A.Camus−Op.Cit.︶p.00N et s︹窪田・矢内原訳九四頁︺
︹三一五頁︺、 ∽怠︹三九二
﹁絶対的に独りであった者だけが、実存となることができる﹂とヤスパースはいう︵a.a.〇.−S.NON︹二三七頁︺︶。
K.1aspers.a.a.〇.−S.︺−︹三七頁︺
M.Heidegger、a.a.〇.、S.N諾f︹三四三頁以下︺いK.JaspersI a.a.〇.、S.UO︹三六頁︺
M.Heidegger.a.a.〇.、S.UB︹三九一頁︺
K.Jaspers−a.a.〇.、S.芝︹七三頁︺いA.Camus.ReロCOロtre a完C A−bert Camus.in︰NOu完〓esLitt㌣airesL誤
自然法思想と実存思想︵一︶
あと、﹁夕方、海の背後に沈み行き、なお下界に光をもたらす﹂太陽のように、﹁わたしは深みへ降りて行かなくてはならない﹂として、
ここで我々は、ツァラトゥストラが﹁故郷と故郷の湖とを去って﹂十年間、深山の洞窟で一人﹁彼の精神と彼の孤独とを楽しんだ﹂
Camus−Le mythe de sisyphe.p.記︹八八頁︺
K.Jaspers−a.a.〇.、S.N誤︹三三三頁︺〃ders.−Die geistige Situa︻iOロ der Neit.S.−OUl ︹一五九頁︺、−票 ︹二四九︺いA.
る。
味する﹂というとき、そこでいわれている﹁孤独﹂とは本来的自己を取り戻すための﹁方法的孤独﹂に他ならないというべきであ
iロdrei B師ロdeロ.Bd.11.S.0−の︹﹁ツァラトウストラ﹂八四頁︺ といい、又キルケゴールが﹁実存することは単独者であるこ
それゆえ、ニーチェが﹁のがれよ、わが友よ、きみの孤独のなかへ/⋮⋮孤独が終わるところ、そこに市場がはじまる﹂︵Werke
訳﹁アルベール・カミュ会見記﹂﹃カ、、、ユ全集﹄第五巻二七四貢︺
40 39 38 37
) ) ) )
M.Heidegger、a.a.〇●IS.N3
︵34︶
︵36︶
M.Heidegger.a.a.〇.、S.−冒 ︹二二五頁︺、 N憲︹三四四︺
人間的Ⅱ﹂四五七頁︺
29
︵35︶
′ ̄ヽ
/−{\ ( ( (
自然法思想と実存思想︵一︶六二
民衆の住む下界への﹁没落﹂を自らの使命のはじまりとしたことを想起しうるであろう︵WerkeindreiB師ロden.Bd.iI.S.N∃
︹﹁ツァラトゥストラ﹂完貢以下︺︶。なおWerkeindreiB賢deロ・Bd・ⅠⅠ・S・讐茶︹﹁道徳の系譜﹂四二五五︺参照。
A・CaヨuS−Op●Ci︷.︶p.記︹八八頁︺
K・Jaspers、Phi−OSOphie・Bd・Ⅰ・S・畠︹五五頁︺、BdLⅠ・S・三九︺、NOコ︹二三六︺いS・Kierkegaard︹﹃キルケゴール著作集﹄
第四巻一〇三、二五貢︺
IJaspers.a.a.PS.NO∞︹二三八頁︺︶。
る﹂という︵Werke in drei B詳deロ・Bd・l・S・巴∽︹﹁反時代的考察﹂一〇六頁︺︶。
ニーチェは﹁過ぎ去ったものを生のために使用し、また出来事をもとにして歴史を作成する力によって初めて、人間は人間とな
K・Jaspers−Phi−OSOphie.BdJI.S.−N巴︹一四五頁︺
J・P・SartreI L示tre e二e n㌻ロー.p.∽袈︹第三分冊八九頁︺
M・Heidegger、Eiロf各ru品iロdieMe−aphysik・S・−二三二頁︺いA・CaヨuS−Op・Ci−・−pL∽二清水訳一三六頁︺
M・HeideggerI a・a・〇・I S●UBf︹三九一頁︺、︺∞∽︹四三四︺
A・Camus−Op.Cit.p.∞−︹九三頁︺
る限り実存する﹂︵K・・
ののちには消しがたい二重性が存する。すなわち、私はもはやただ単に世界の内にあるのではなく、しかも私が世界の内にあらわれ
己を世界のそとへと選ぶその同じ瞬間に、私を世界のなかへ選び戻す選択である﹂︵﹃キルケゴール著作集﹄第四巻一五六頁︶。﹁飛躍
︵44︶ キルケゴール、及びヤスパースはこうした本来的自己と世界の関係を次のように言い表わしている、﹁真の具体的な選択は、私が自
504948 474645
) ) ) ) ) )
︵讐M・Heidegger−SeiロundNeiI・S・ヨ︹三三頁︺諒・1aspers−PhニOS邑ie・Bd・Ⅰ・S・畠︹五五貢︺声NietzscheIWerke
dreiBぎdeロ・BdL=・S・藍︹原訳﹁権力への意志︵下︶﹂≡−チェ全集﹄第三巻四三貢︺︶。
ゆる意味での疎隔を教え、いまだかつてなかった間隙を引きさく﹂哲学者のことを﹁新しい哲学者たち﹂と呼んでいる︵Werkein
なおニーチェは後に﹁権力への意志﹂としてまとめられた遺稿の中で、﹁類似化や平等化とはまさしく反対のことを意欲し、あ
こと、外に身をおくことである。実存はつねに分離であり聞隔である。実存と距離はほとんど同義語となるC実存は距離である。﹂
︵Les phi−OSOphies de−す已stence.p.∽−︹六三頁︺︶。
︵巴 ヴァールは実存を次のように規定する、﹁すべての実存は分離である。なぜなら実存するとは、外に五つことであり、外に存する
′′ヽ ′′ ̄ヽ ( /′ヽ ′′ヽ ′一ヽ
in dreiB温nden.Bd.Ⅰ.S.439〔「<匝宝′鳩桝Sl逗<誕豆−」=1圃〕;J.Lotz Existenzphilosophie,Nihilismus und Chri−
stentum.in:Stimmen der Zeit.142.1948.S.334鵜蛋
(EB)A.Camus,Op.Cit.,P.27〔艇EE・累芭壁忘 禎持佃搭世〕
(苫)A.Camus,Op.Cit.,p.28〔壇中層〕
(tg)A.Camus,Op.Cit.,p.29〔滴中将〕
(誤)M.Heidegger,Wasist Metaphysik?S.31〔EI串頓〕
(ES)M.Heidegger,a.a.0.,S.31f〔荘寸叫配討手〕
(讃)M.Heidegger,Sein und Zeit.S.186〔川lO圃〕
(票)M.He.idegger,a.a.0.,S.189〔1日111個〕
(宕)M.Heidegger,a.a.0.,S.188〔l日日頓〕
(忘)M.Heidegger,a.a.0.,S.272f〔11日111WZS針L〕
(墨)F.Nietzsche,Werkein dreiBanden.Bd.Ⅰ.S.1088〔「智東」11耳昭ヨト〕
(S2)P.Berger andPullberg,Reification and the sociological Critique of Consciousness・in:History and Theory・
Vol.ⅠV.1965.p.209〔ヨロ拓「憂慮彗刃軸掩Q是朝外宮尋弄」『辞慮科富餌N』111個で笹〕
(苫)F.Nietzsche,Werkein dreiB益nden.Bd.I.S.742〔「<醒宝′哺桝Sl逗<匝霊FjJllく層〕
(違)ヨロ現駅「柊Q定席朴」瞥足し和1廿 日巨細搭世
(笠)A.Camus,L,enversetl,endroit.1958.p.81ets.,102ets.〔適職拓「楓JJ鞘」『只′′′1朝鮮拍鯨 燕ローPl個′1<〇三封L〕
(5)「靡監小Q埜窟紳」QU刃漣トト争−ミ望′メ「媒朝恩『寒々漣巌定足』塵鮨糎」(Husserliana.Bd.VI.S.160〔日日日航〕)
刃J皆ヾPニTQ量′量る噂「翌々漣麗忌吏」刃二・nU刃望′ Ⅱ重宝足部Q肇とQ音義PJ智恵忌聖(Husserliana・Bd・VIII・S・
87,98,428)′建策中Qg:足場TQ単騎牛堀龍量置量小路査吊叫押掛」圭悠再両やUl伴へ針甘〉(Husserliana.Bd・VIII・S・424,Bd・ⅠⅩ・
S.188)′吏渠稚毒逗轡u=的忌tJニhQⅡ壁富封Q麗々項類〈逗車qt3T′小小針和旺抽僅舶褒い」刃足刃ニ£忌tJ二時(Husserliana・
.\;‖
一/111
Bd.VHI.S.92f)0中り量ハぶ£量TQ吋∩足′1世Q朴臣宝唐や避雷暮望P鳩噂「埜鰯醇」聖′ 鱒圧弓きよ悠石を吏Ek−SistenzJJELj
鳴かや漣ぜぐト二時刃二・豆叶nO
皿掛餅朝か牒㈹重層(1)
自然法思想と実存思想︵一︶
E・Husserr Husser−iana.Bd.<liI.S.冨f
E・HusserrHusser−iaロa・Bd・≦・S・−合︹一九二頁︺、−∽崇︹二二以下︺、当N鴇︹三七八以下︺声RicOeur、Husser−︰Aロ
Aロa−ysisOfHisPhenOmeロ0−OgyL箋・p・軍E・Fiロk・S−udieロZ⊂rPhぎ○ヨ2ロ0−Ogie−琶⊥還●S,−ギH.Kuhロー
〇●I S.−缶二八九百︺
︵70︶F・A−quiかーPhi−OSOphie du surr㌻−isヨ2・−芦p・−○=ご︹巌谷・内田訳﹁シュルレアリスムの哲学﹂二四百以下︺いY.
Dup−essis−Lesurr㌻−isme・uぎー等00︵−ぎー琶︶p・誓e−S︹稲田訳﹁シュールレアリスム﹂三三頁以下︺
︵71︶ニーチェも又﹁反時代的考察﹂の中で、﹁異化﹂という言葉こそ用いてはいないが、ほぼ同じ考え方をのべている︵Werkeiロ
drei B詳den・BdL・S・︺∞N︹﹁反時代的考察﹂三〇六貢︺︶。
E・B−OChIGesamdausgabe・嵩d・P−麗辞S・N詔︹片岡・種村・船戸訳﹁異化﹂二一頁︺
C
a
m
u
s
、
L
e
m
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t
h
e
d
e
Sisyphe・p●∞∽︹九四貢︺
BdLⅠ・S・∽当︹三八二頁︺い〇・FBO〓ロ芸−E已S−eロZphi−OSOphie・S.畠︹九二貢︺
E.B−OCh.a.a.〇.︶S.N∞∽︹二二頁︺
●
K・Jaspers.Phi−OSOphie.
A
F・NietzscheIWerke in drei Bぎdeロ.BdJI.S.ヨ︺︹﹁遺徳の系譜﹂三三九頁︺
A・Camus.Op.Cit.−p.謡 et s︹八九頁以下︺
M・Sche−er、a.a,〇.、S.票f︹六八貢︺
A・CanluS.Op.Cit.u p.記 ︹八八貢︺
A・Camus.Op.Ci︵.︶p.謡 et s︹八九貢以下︺
) ) ) ) ) ) ) ) )
㈲ 実存倫理㈲
8079 78 77 76 75 74 73 72
しぅるほどに﹁ひと﹂というあり方から取り戻され、歴史的社会的世界の外に立ち、それに対して開かれてある我々に対
﹁無化的断絶﹂と﹁意識的反抗﹂によって歴史的伝統をスプリングボードとして利用しながら、新たな未知の企てをな
/【ヽ ( ( ( ( ( /′■、 ( (
して、次に求められることは、かかる﹁実存﹂にもとづいて、本来的な﹁ありうること﹂に今現に具体的な内容を与えてゆ
くことである。それというのも既にのべたように、我々が世界の内にあって実存しているということは、企投を通して私
のありうることに先まわりしてくる他者の支配からの﹁方法的離脱﹂として、いまだその内にはいかなる具体的な態度決
定も含まれているものではなかったがゆえに。実存は、いわばたえまない時の流れが一瞬静止し、歴史的伝統や同世代の
他者の働らきかけが停止した﹁白紙状態﹂として、そこにおいて過去の生産的な摂取同化にもとづく新たな未来の形成が
可能となるところの、あくまでも形式的な根拠にすぎないものなのである。そこからは、我々の企てを規定し導くような
いかなる具体的な価値基準も出てきはしない。そこにおいて問題となっていたことは、実質的な何か︵Was︶ではなく、
我々が世界の内にある如何に︵Wie︶ということであったのだ。それゆえ、世界の内にあることにおいて、自己自身に先
立ってあるという我々人間存在に固有のあり方からして、常に今現に何らかの企てを行なわねばならない我々にとって﹂
実存することは、到達すべき結論などではなく、単なる﹁出発点﹂にすぎないものなのである。実存するということはへ
ただそれだけでは意味をもつ何かではない。実存が実存として意味をもつのは、他者の支配から取り戻された私がそれを
出発点として、﹁実質的な何か﹂を今ここで、新たな﹁投企﹂の敢行を通して実現してゆくことによってでしかない。我々
はここで﹁投企︵prOjet︶﹂という言葉を次のように規定することにする。第一にそれは先に挙げた﹁企投︵Entwurf︶﹂
と混同されてはならない。﹁企投﹂は或る何らかの意図的な企てではなかったのに対して、逆に﹁投企﹂は、﹁企投﹂によ
って開示された﹁ありうること﹂にもとづいて行なわれる具体的な企てのことを指す。しかし我々の企てすべてが常に
﹁投企﹂だというわけではない。世界への自己喪失から﹁実存﹂を取り戻し、それにもとづいて歴史的伝統をスプリング
ボードとしながら、今ある自己をこえいまだあらざる自己を未来へ向かって投げ企てる行為、それがここで﹁投企﹂とい
う名で呼びたい企てである。実存思想象と呼ばれている人々がほとんど一様に要求するのは、かかる﹁投企﹂の敢行であ
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
たとえばサルトルは﹃実存主義はヒューマニズムである﹄の中で次のようにのべている、﹁人間は常に ︹自己自身を
たに︺作るべきものである。⋮⋮人間は絶えず自分自身のそとにあり、人間が人間を存在せしめるのは、自分自身を投企
し、自分を自分のそとに失うことによってである。また一面、人間が存在し得るのは超越的目的を追求することによって
である。人間はこの乗り越えである。﹂しかし、たとえ我々が﹁ひと﹂というあり方から取り戻され、もっとも自己的な
﹁ありうること﹂へと呼び返され、それにもとづいて新たな自己投企を行なわねばならないとしても、我々が実際問題と
して新たな自己投企を現に行なうか否かは保障の限りではない。それというのも、実存にもとづく投企は、それが真に新
たな投企であろうとする限り、当然に、日常的な﹁ひと﹂の世界において今現に支配的なものに対して例外的なものたら
ざるをえず、もしそれが例外的行為として﹁世間にゆきわたった人間の良識とか、社会的な規約とか、刑法とか﹂に違反
する場合には、﹁嘲笑や排斥や処罰などを通じて報復されるであろう﹂が故に。﹁自己の責任と、模範も一般性もない危険
と﹂に直面して、〓旦獲得した実存を再び放棄しないと誰が保障しえようか。実存は、あくまでも新たな投企の可能性の
根拠にしかすぎない。奇妙に聞こえるかもしれないが、再び他者の支配への隷従を、自らの実存にもとづいて選択すると
いうことだって考えられうるのだ。
したがって、﹁ひと﹂というあり方での日常的生を永久に拒否しようとする限り、実存倫理︵A︶は、もう三の実存
倫理によって補われねばならない。即ち、たとえ絶対的少数者となろうとも、無化と反抗によって獲得された実存を前提
として、歴史的伝統をスプリングボードとしながら、今ある自己を超え、いまだあらざる自己を不断に投企してゆかねば
ならないということ、それが実存倫理︵B︶として、実存倫理︵A︶に対応する。
ところで実存倫理︵A︶︵B︶の呼びかけに答えて、我々が世界への頚落から自己を取り戻し、再び﹁反抗と明視をも
って日常的世界へと入ってゆき﹂、その中で新たな自己投企を不断に開始しなければならないとして、次に問題となるの
は、かかる投企を指導する規準、あるいは尺度、超越目標といったものが果たして予め前もって存在しているのか否かと
いうことである。実存思想家と呼ばれている人々の意見が大きくいって二つに分かれてくるのはこの点においてである。
たとえばサルトルは﹁実存主義者に二種類ある﹂という、﹁第一のものはキリスト教信者であって、そのなかにはカトリ
ク教を信じるヤスパースやガブリエル・マルセルを入れることができよう。第二は無神論者実存主義者で、そのなかには
ハイデッガーやまたフランスの実存主義者、そして私自身を入れねばならぬ。﹂彼のこの分類はあまり評判のよいものでは
なかったが、もう少し異なった視点からマリタンは、実存主義の根本的に異なった二つの形態を区別している、﹁一方の
形態においては、人は実存の優位を確認するが、しかし諸本質、諸本性を含み助けるものとして、また知性及び理解可能
性の至高の勝利を表明するものとしてである。⋮⋮他方の形態においては、人は実存の優位を確認するが、しかし諸本
質、諸本性をうちこわし、廃止するものとして、また知性と理解可能性の最終的敗北を表明するものとしてである。﹂彼
らの分類規定が果たして妥当なものであるか否かはともかくとして、いずれにせよ我々が実存にもとづく投企を敢行する
さい、それが目ざすべきある何らかの超越的目標、つまりは伝統的形而上学でいうところの﹁本質﹂といったものの予め
の実在を承認するか否かが分かれ目なのであるUそしていかなる形においてであれ、かかる﹁本質﹂の存在を認めない典
型的な例がニーチェとサルトルである。
﹁ヨーロッパ最初の完全なニヒリスト﹂であると自称したニーチェは、先にのべたように、これまで至高の価値と
この現実世界の上に君臨してきた超感性的世界がその力を喪失するニヒリズムの到来にあたって﹁神々﹂の死を宣告し、
﹁超人﹂の誕生を要請する︵戸S●∽会︹⑨二二ハ頁︺︶。現実世界の彼方に、それを評価し導く永遠不変の真なる世界の存
在を想定する背後世界の錯覚が、ヨーロッパ二千年の伝統を今日に至るまで支配してきたが、しかし﹁彼岸とか、﹃神的﹄
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 六八
であり道徳の体現であるような事物それ自体とかを措定する権利を、私たちはいささかももってはいない﹂ということを
洞察しなければならない︵芦S.∽笥︹⑭二二貢︺︶、とニーチェはいう。﹁無条件に語ることをこころえており、目標や課
題を命令することのできる権威がさがしもとめられる﹂︵芦S.∽∽A︹⑪三四頁︺︶ にせよ、そうしたものはどこにも存在
しない。彼にいわせれば、そうした超感性的な価値といったものは、﹁病弱な大衆﹂︵戸S.N冨︹⑨五六頁︺︶が自己を保
存するために彼岸の世界を想定し、その中におき入れたものに他ならない︵戸S.∽N∽︹㊥九六頁︺︶二神の死﹂を直視す
るだけでなく、能動的に殺害することによって﹁背後世界の鉛覚﹂を完全にふり払い、我々人間は﹁みずからの目標を︹み
ずから︺定め﹂︵戸S・N∞∽︹⑨二九頁︺︶、﹁万物の価値﹂をみずからの手で創造してゆかねばならないのだ︵戸S.∽∽讐⑨
三三頁︺︶。ITチェはいう、﹁何が善であり悪であるか、まだ誰もそのことを知ってはいない、ト創造者をほかにして
は/﹂︵戸S・藍か︹⑨三〇七貢︺︶。一切の価値を自らの手で創造し、しかも﹁最善の者にしてなお、超克されなくてほな
らないところの、何ものかである﹂︵戸S.告︹⑨三二〇頁︺︶として、不断に自己をこえて創造しようとする意思−−
﹁権力への意思﹂をもつもの、それがITチェがいうところの﹁超人﹂に他ならない︵戸S.∽悪斡︹⑨一七九頁以下︺︶。
ここには、我々の存在と生を予め規定する﹁本質﹂の否定と、人間による価値の無限の創造がもっとも明白な形で表明さ
れているといえよう。
二十世紀の実存思想家の中でもっとも鮮明な形で﹁本質﹂の存在を否定したのはサルトルであった。彼はこし−e已S一
teEia−ismeestunFumaPism・。︵−芝空の中で、実存と本質の関係を次のように規定する、即ちペーパーナイフのよ
ぅに﹁一つの概念を︹予め︺頭にえがいた職人によって造られ﹂る物体の場合には、﹁本質は実存に先立つといえる﹂が、
人間の場合、﹁創造者としての神﹂を考えるならばともかく、それを否定する限りは、ペーパーナイフとはちがって﹁実
存が本質に先立つ﹂︵p・−∞ets二五頁以下︺︶。サルトルはこの公式を文字通りの意味で理解する、即ち﹁それは、人間は
まず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということ窒息味する
のである。⋮⋮人間は最初は何者でもない。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったと
ころのものになるのである﹂︵p・N−e−S二九頁︺︶。人間は未来への自己投企によって﹁みずから造るところのもの以外の
何者でもない﹂、これが﹁実存主義の第一原理﹂であるとサルトルはいう︵p.㍑︹一九頁︺︶。もはや先験的な善もなけれ
ば1神が存在しないのだから︵p・崇︹三〇頁︺︶−、或る与えられ固定された人間性といったものも存在しない︵p.∽N
︹四四頁︺︶−実存が本質に先立つのだから。また﹁いかなる一般道徳も何をなすべきかを指示することは出来ない﹂︵p.
烏︹三九頁︺︶。人間は文字通りの意味で自由である、あるいは﹁人間は自由の刑に処せられている﹂︵p.∽二三二頁︺︶。彼
は﹁何の拠りどころもなく何の助けもなく、刻々に人間を造り出すという刑罰に処せられている﹂︵p.∽∞︹三三頁︺︶。価
値とは人間の投企によってつくり出されたものであり︵p●∞冨Is︹七二頁︺︶、﹁彼自身のはかに立法者はいない﹂︵p.器
︹七五頁︺︶。
実存倫理︵A︶︵B︶の呼びかけに答えて行なわれる﹁実存−投企﹂に関して、ニーチェもサルトルも共にそれを規定し、
あるいは導くような一切の超越的な目標の存在をこれ以上明白でありようのないほどに否定し、無からの絶対的な価値創
造を主張する。しかし、彼らはこのようにアプリオリな本質の存在を否定するにせよ、彼らといえども、実存・投企がい
かなる制約もなしに、放縦にしか至りつかないような形で全き自由のうちに行なわれるということを主張するものではな
い。形式的にではあれ自由な投企を制約するもの、それが﹁永遠回帰の思想﹂であり、﹁アンガジュマンの思想﹂ であっ
た。
﹁人間と時間のかなた六千フィート﹂、シルヴァプラーナ湖近くの ﹁巨大などラミッドのようにそそり立つ岩﹂ のそ
で受胎されたといわれる永遠回帰の思想は、﹃悦ばしき知識﹄の中で﹁最大の重し﹂と題されてはじめて定式化されるに至
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶七〇
った。ニーチェの回帰思想をどのように解釈すべきかについては種々の論議がなされているが、少なくともそれは、﹁人生
の言いつくせぬ巨細のことども一切﹂が永遠に理由もなしに回帰してくるという宇宙論的定式であると同時に、瞬間瞬間
をそれが無限に繰り返されることを欲するような仕方で人は生きなければならない、という実践的な倫理的定式としても
とらえられていた、ということである。即ち﹁何事をするにつけてもかならず、﹃お前は、このことを、いま一度、いな
無数度にわたって、欲するか?﹄という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう/﹂とニーチェはい
ぅ。レーゲイットはこの点について次のような解釈を与えている、﹁永遠回帰の時間は、過去がこれから生じ未来がすで
に在ったというような無目標の回転の﹃永遠の現在﹄ではなくて、過去の重荷から︹人間を︺解放し、未来への意志から
生ずる一つの目標の未来的な時間である。すると、﹃永遠﹄は、等しいものの永遠の回帰という意味をもたず、永遠化へ
の意志の意欲された目標となる﹂と。かくて永遠回帰の思想は、自己超克を永久にめざす﹁権力の意思﹂を規制する﹁試
︵1
8︶︵1
9︶
金石﹂だということになろう。超人は、永遠回帰を欲するような仕方で自己を無限に超克してゆかねばならない、という
わけだ。
サルトルもまた、ニーチェとは異なった仕方においてではあるが、自由な投企に一定の制約を設けている。﹁もし果し
て実存が本質に先立つものとすれば、人間はみずからあるところのものに対して責任がある﹂︵L﹀e已steEia−ismeest
uPFumaPisme.p.NA︹二一貢︺︶と彼はいう。この責任は﹁厳密な意味の彼個人についての責任﹂ではなく、﹁全人類に
対して責任をもつ﹂ということを意味しているとされる︵p.監︹二一頁︺︶。なぜなら我々が自己を選択するとき、それは
自己自身を選択するというだけではなく、﹁みずからを選ぶことによって全人類を選択﹂している︵p.崇︹二二頁︺︶のだ
から。たとえばサルトルは次のような例を出す、﹁もし私が労働者であり、コミュニストになるよりもむしろキリスト教
的シンジケートに加盟することを選び、この加盟によって、諦めが結局は人間にふさわしい解決であり、人間の王国は地
上には存在しないことを示そうとすれば、私は単に私一個人をアンガジエするのではない。私は万人のために諦めようと
するのであり、従って私の行動は人類全体をアンガジエしたことになる﹂︵p.袈ets︹二三頁︺︶。私は自己を選ぶことによ
って、たとえ意識しないにせよ人類全体を選んでいるのであり ︵p.N﹃︹二四頁︺、謡︹六二︶、それゆえ人は常に自己投
企にさいして、﹁もしもみんながそうしたならどうなるか﹂ と自問すべきだといわれる︵p.N00et s︹二五貢︺︶。人はここ
に、カント的な定言命令が、それと名ざされることなくそっくりそのまま実存主義者サルトルによって採用されているこ
とを容易に兄い出すことであろう。
ニーチェやサルトルが、実存1投企に対して或る形式的制約を設けるものの、それがめざすべき前もって与えられた一
切の具体的な超越目標の存在を明白に否定するのに対して、キルケゴールは﹁いかにして人はキリスト者となるか﹂とい
うキリスト教徒にとっては誰もが引きうけなければならない課題を﹁実存すること﹂ の究極の課題とする。既にのべたよ
うに、誰もが生後一四日目という幼い年令でいとも簡単に名前の上だけではキリスト者となり、逆にキリスト者であるこ
とをやめることにこそ勇気と力が必要とされるといった当時のデンマークのキリスト教界の現状に抗して、キルケゴール
は、今さらあらためて誰もそのことを課題として立てようなどとは思いつきもしない課題、即ち﹁ひとりの人間がなると
ころのもののなかでもっとも決定的なものである﹂と彼がいう﹁真実にキリスト者になること﹂という課題を立てる。こ
こではニーチェやサルトルにおけるように、実存することは、そこからはじめて何かある具体的な価値や理念が創造され
てゆく源点といったものではなく、﹁キリスト者になる﹂ という、キリスト教徒であれば誰もが引きうけなければならな
い前もって与えられた超越的課題を実現するための方法的通路に他ならないのである。しかし、このように目標が予め与
えられていようとも、それがただ受けとられれ償それでよいというような仕方で、既に実現された形で我々に与えられて
いるのではない限りにおいて、又多くの人々がさしあたって大抵は自己喪失的に﹁ひと﹂ の支配に身を委ね、その課題の
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
実現を忘却している限りにおいて、実存−投企の存在理由が十分にあるというわけだ。たとえばこの点についてサルトル自
身次のようにのべている、即ち、今日フランス実存主義は無神論的立場に立っているが、そして又それが首尾毒した実
存主義の立場ではあるが、かつてキルケゴールにあっては実存主義賃教的信仰と肩を並べて進んだように、無神論的立
場窟対に必要な条件だというわけではない、﹁実存主義は永遠に固定した本性というものを人間に与えることを拒否す
ることによって、人間に関する諸問題を検討しようとする一定の方法安の何ものでもない﹂とU
空からうかがえることは、伝統的形而1学でいうところの﹁本質﹂が、予め前もって人間的﹁実存﹂に先立って存在
しているか否かをめぐっての、いわゆる﹁本質主義哲学﹂とサルトル的な﹁実存主義哲学﹂の対立は、前者が﹁本質﹂の
完全な実現形態の前所与性を主張するものでもない限りにおいては、実存思想の立場からすれば何ら根本的な意味のある
対立であったわけでもなければ、又そもそもそれは実存思想に由来する対立であったのでもなく、それとは無関係な古典
的形而上学内部での争いに他ならなかったということである。現にマリタンは、先に紹介した実存主義の二形態に関し
て、実存の優位喜定するが、しかしそれによって本質の前所与性を廃棄してしまいはしない立場を﹁真正な実存主義﹂
と呼び、トマス・アクイナスをその代表者として挙げてさえいるのである。
このように本質の前所与性を承認する嘉で、しかしその実現のために、我々が先に示した実存−投企の働らきを必要不
可欠なものとみなしている立場の代表的論者のー人として、ここではラベルの考えを紹介しておきたい。
﹁本質は与えられているのでもなければ、創造されるのでもなく、同時にそのどちらでもあるのだと我々はいうことが
できる。それは我々の働らきが活動嘉める以前に決して与えられることはない。しかし、それは我々の悪意にもっぱら
委ねられているのであるという意味においては、もはや創造されるものではない﹂︵1ぎe・−軍p●享ets︶。右に引
用したところに純粋な本質主義も、サルトル的な実存主義も共に否定するラベルの形而上学の特色が端的に表現されてい
る。彼にとって本質は、﹁純粋な本質として神秘的な世界の中にまず与えられており、我々にとってはそれを実存する世
界に移し変えさえすればよい﹂という仕方で与えられているわけではない︵p・冨e−S︶。むしろ、この点については、自
由な存在である人間に限り、﹁本質と実存の間に田蒜が設けてきた古典的関係を覆えす﹂必要があるとラベルはいう︵p・
誤ets︶。即ち、私、の本質は既に形成されたレアリテなどではなく、反対に私がその実現をめざさなければならない﹁月
的﹂であり、そのために実存が私に与えられているのである︵p・貰。ラベルはかかる目的としての本質を今ここで実現
し、実存させる﹁第三項﹂として意識の特性である﹁働らき﹂を導入する︵p・冨e−S︶。しかし働らきによる本質の実現
は、既に明らかなように無からの創造ではない。それは常に超越的存在︵−蓉re︶を前提し、絶対者の無限の働らき
︵−﹀Acte︶を予想する︵p・掌ところの働らさとして﹁分有された働らき﹂だとされる︵p・∽S。﹁分有﹂というこの言
葉は、独立と依存という我々人間存在における本質と実存の関係をうまく表現している︵p・∽会e−S︶。分有は単なる
﹁創造﹂でもなければ、しかし又単なる﹁受容﹂といったものでもない。なるほど神の側からすれば、﹁創造することは
我々を神の本質の分有へと運命づけること﹂︵p・−∞−︶であり、﹁分有はそれが依存している無限の働らさに何ものも付け
加えはしない﹂︵p一−謡︶にせよ、人間の側からすれば分有は、目的としての本質の今ここでの実現として、﹁我々の固有
の存在を真に構成する﹂働らさである︵p﹂宗︶。かくて﹁分有の核心﹂には﹁自由﹂があり︵2・享、それは﹁選択であ
り、ある点までは新たな創造である﹂︵p﹂悪︶といわれる。したがって分有の特性を説明するにさいして﹁モデルとコピ
ーと写プラトンの比喩﹂は適当でないとラベルはいう︵pL雪さらに彼によれば、分有的働らさによる本質の実現
は決して完成されることはありえない、とされる。それというのも、本質と実存は我々人間のもとにあってはたえず分離
しているものであり、我々は決して神のどとき﹁本質の実存﹂︵p・−00といったあり方をもってはいないがゆえに。それ
ゆえ、我々は常に本質実現のために、﹁我々を今現に我々があるところのものと混同することをやめ、月己の存在を自己
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
の上に高め、常に自己をのりこえてゆくこと﹂が要求されるのである︵p・−宗︶。もしかかる不断の自己超越がおこなわれ
なくなるそのときには、我々は単なる事物の状態におちいることになるであろう︵→raiI=es邑eurs.TOme:声
望見てきたように、ラベルがいうところの﹁働らき﹂がいまだ実現されてはいない﹁目的としての本質﹂を、今現に
ぁる自己自身の超越を通して無限に実現してゆくものである限りにおいて、我々はたやすくそれが実存姦企と同じもの
である、ということに気づくであろう。そこからしてラベルの立場は、フールキ工によって、奇妙な表現ではあるが、
﹁本質主義的実存主猷㌘名づけられることにもなるのである。驚、ラベルとサルトルの差は、﹁目的としての本質﹂
の前所与性を承認するか否かであって、そうした差異にもかかわらず、彼らはともに、今現にある自己自身の超越を通し
ての新たな価値の実現−無からの創造であれ、分有という働らきによってであれー妄求する点において一致する
のである。さらにつけ加えていうならば、彼らを分ける差異は、既にのべたどとく、形而上学の領域内での問題であり、
実存思想それ自体においては意味のない差異であったのだということである。
︵1︶一九四二年に刊行されたフジフォスの神話﹄の中で、﹁不条理﹂を﹁出発点﹂だと規定し、この﹁出発点がやがてどんな地点に
導いていくかは、予断できないものである﹂︵1emy−hedesisyphe・p・−=四七貢︺︶としていたカ、、、ユは、完四六年のガ
ン・ピコンとの対話において次のようにのべている、﹁不条理、即ち神の消失が世界の中にあらわならしめた無意味から一切の帰
を引き出すことが問題である。しかし承認された不条理のかなたに道徳的態度の可能性を基礎づけねばならない﹂︵EPtretieP
A・Camus・in︰LeLiI−⋮、ire・芦aOu=冨︶。その他EOmmerぎーーか・p・N二一三貢︺参照。
︵2︶A・Camus、しぎヨmer芝−︰・三一三貢︺童Nie−N註e・WerkeiPd→eiB監eP・Bd・Ⅰ・S・芭︹﹁人間的、あまりに
︵3︶A・CamCS・Op・CiI・章票=二頁︺去Heidegger・SeinuPdNei−・S・琵︹四三三頁︺るF・BO=nO召−Eをen草−OS?
pFie.S.金︹九一貢︺
︵4︶ 0.F.BO〓PO弓.a.a.0..S.∽N︹五九頁︺こ●S−苫−Ekisistentia−isme・︼器の︹尾崎訳﹁実存主義﹂七頁以下︺
なおこの点について、ニーチェが﹃人間的、あまりに人間的﹄第一巻初版のための序文の中でのべているところを参照されたい、
即ち﹁自由精神︵Freigeist︶にとっての最も願わしい状態としては、人間や習俗や錠の上を、そして事物の因襲的な評価の上を飛
ぶあの自由な、そして恐れなき浮動で十分なのである。⋮⋮しかしそれ以上のことを彼に期待する者に対しては、⋮⋮彼の兄弟たる
行為の自由人 ︵freieP Menscheロ der That︶ のところへゆくよう指示する﹂︵NietZSChe−s Werke・Nweite Abth
Bd.巴.︵NaumaPn Ausgabe︶S.00f︹﹁人間的、あまりに人間的Ⅱ﹂四五四頁以下︺︶。
︵5︶ A.Camus.名.Cit●≒︼三二衰︺こers・−Lemythe desisyphe・p・−−︹四七頁︺︰H・KuhローBegegnu品mitdemNichts・
S.害︹二一六頁︺︰0.F●BO〓nCw−FranZ訝ischer E已stentia−ismus・︼器∽・S・∽∽
︵6︶ サルトルは﹃方法の問題﹄の中で﹁投企﹂を﹁遁走であると同時に前に向っての跳躍であり、拒否であると全く同時に実現でもあ
いて︵くOP der Se−bst・
る﹂と規定している︵Critique de−a raisOn dia−ectique・TOme H・p・琵ets︹﹁方法の問題﹂一〇三頁以下︺︶。
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著
作
集
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第
五
巻
二
九
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自然法思想と実存思想︵一︶
) ) )
自然法思想と実存思想︵一︶
F・NieIZSChe−WerkeindreiB監eロ・Bd・ⅠⅠ・S・NO璧︹﹁悦ばしき知識﹂三〇五︺
K・L葺きNieIZSChesPhi−OSOphiederewigeWiederkehrdesG−eicheロ︹柴田訳﹁ニーチェの哲学﹂〓二面︺
K・L買−h、DereurOpaischeNihi−ismus︹柴田訳﹁ヨーロッパのニヒリズム﹂六二尽以下︺簑Simme−、SchOpeロhaue
undNietNSChe︹二九九頁︺
181716
ぉこなわれる﹁投企﹂についても、それ自体の中に何ら具体的内容が含まれているわけのものではなかったということで
ぁり様として、そこにおいて実質的な﹁何か﹂が問題となるようなものではなかったのと同じように、それにもとづいて
右に挙げたいくつかの例から明らかとなったことは、前章の初めに指摘したごとく、﹁実存﹂が世界の内にある一つの
内 実存﹁の﹂哲学 あるいは実存﹁から﹂の哲学
︵24︶P・FOu−quiかートがisIenIia−isヨe・p・仁山︹三九頁︺
︵警 J・Maritain.Op.Cit.Vp.¢
︵⋮讐 J・Maritaiロ.Op.Cit.︸p.−∽
在を継承しています。サルトルは右の命題を逆さにしているのです。しかしある形而1学の命題を逆さにしても、やはり形而上学の
命題にはかなりません﹂︵gerdeロHumaロismus・S.−二二六頁︺︶。
います。そのさいかれは﹃エセンチアはエクシステンチアに先立つ﹄という、プラトン以来の形而1学の意味における本質と現実
︵21︶この点に関してハイデッガーの次の指摘を参警れたい、﹁サルトルは、実存主義の根本命警﹃実存は本質に先立つ﹄と記して
︵讐J・P・Sar−re−AprOpOSde−−eをeロtia−isme∴ロ︰1e−−res︵Geロか五言=,︵−器︶p.∞∽
る無限の繰り返しのなかへ引き入れるのに対して、ニーチェはおなじ個人における無限の前後関係において繰り苦れるところか
ら、この行為を縦の次元へと伸長させる﹂︵︹二九四貢︺︶。
ぅなカント的な道徳命令へと還元可能であるともいえよう。ジンメルはいう、﹁カントが行為を横の次元へ、社会の並列関係におけ
たかも、竃の回帰なるものが存在しているかのように生きるべきである﹂︵SchOpenhaueruロdNietzsche︹三〇〇頁︺︶というよ
︵19︶そこからしてジンメルがいうように、永遠回帰の思想は﹁あたかもわれわれが永遠にこのように生きるかのように、すなわち、あ
( ′’ ̄ヽ /′■■ヽ
ある。だからこそ人は、ニーチェやサルトルの中にも、あるいはキルケゴールやラベルの中にも同じ﹁実存−投企﹂の
想を兄い出しえたわけである。実存思想が我々に立てる﹁実存l投企﹂の要請は、実は﹁人は世界への自己喪失から自己
を取り戻し、それにもとづいて歴史的伝統をスプリングボードとしながら、今ある自己をこえてゆかねばならない﹂とい
う思想の﹁結晶形式﹂以外の何ものでもなかったのだ。それは、何︵Was︶がなされるべきかについては何も語らない。
七だ行為の如何︵Wie︶について指示を与えるだけである。それゆえ実存思想の中に、何か具体的な行動のための価値や
理念を求めようとする人々に対しては、それは失望を与えるだけかもしれない。しかし、かかる結晶形式としての実存思
想のあり様は、それが、二つの大戦によって加速された技術的な世界支配がもたらした水平化現象による精神と人格の疎
外から人々を解放しようとする思想運動であったという事実に見合うものであった、というべきである。それというの
も、世界の技術的支配が進む中、人々が受動的にであれ、ファナティックにであれ、﹁ひと﹂というあり方の内で他者の
支配に自己の﹁ありうること﹂を委ねわたしてゆく時代にあって、そうした疎外に抗し、そこから人々を解放しようとす
る限り、彼らを﹁みちびく規範はこれらの脅威的な可能性を制止しうるような性格のものでなければならなかった﹂から
である。そこではある何か具体的な行動規範を提示することよりも、そして又そのこと以前に、何よりもまず﹁自己覚
醒﹂を惹起し、﹁自己投企﹂の必要性を自覚させることこそが問題であったのだ。したがって﹁一体何へ現存在︹人間︺
がその都度事実的に決意するかは、実存論的分析がその根本からして、決して究明する能わざること﹂であったと同時
に、夷存思想の目的もはじめからそこにあったわけではなかったのである。それゆえ、そのつど事実的に何に向かって投
金を敢行するかは、本来的な﹁ありうること﹂を取り戻した個々人に委ねられた問題だということになる。
しかし、もしヴァイシューデルがいうように、﹁人間はどこからやってきたのか、彼はどこへ行くのか、何をなすべ
か、.彼の現存在の意味はどこにあるのか、といったことを人間に語ることが哲学の不可避の課題﹂であるとするならば、
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶ 七八
実存思想は﹁哲学﹂ ではなかったということになろう。現にヴァールは﹁実存哲学は、一連の哲学的教義と考えられては
ならない﹂という。この点についてクニッターマイヤーも又、次のようにのべている、﹁自然、道徳、歴史、あるいは
教がそうであるのと同じ意味において実存は哲学の対象であるのではない。実存哲学は他の諸部門と並ぶ哲学の一部門で
はない。﹂それでは実存思想は、﹁哲学﹂それ自体に対して一体いかなる意味をもちうるのかという疑問がわいてこよう
が、我々は実存思想の役割を﹁哲学することの方法﹂という点に求めようと思う。そしてかかる方法的性格は、実は実存
思想それ自体に由来するものでもあったといえよう。それというのも、実存思想は常に実存にもとづく新たな投企を要請
するものの、投企が実現してゆくべき新たな草案がそれ自体からは出てこない以上、そして又哲学者たちが、いってみれ
ば単なる心のあり方についての教説に満足できない以上、彼らは必然的にそれをのりこえて進まなければならなくなって
くるであろうがゆえに。実存思想のこうした方法的性格を、ハイネマンは一﹁実存の原理は規制的原理である﹂といういい
方で表現している。彼によれば、実存は、存在論や論理学、倫理学の体系がそれにもとづいて構築されうるような﹁構成
原理﹂といったものではない。本来的存在にもとづく自己生成を我々に呼びかけるところの原理として、実存は﹁その実
現を様々な仕方で兄い出しうる﹂ところの﹁形成原理﹂であると彼はいう。そして多様な仕方でその実現が達成されたそ
のときには、それはもはや実存思想ではなくなっているということになる。現にこのことは、二〇世紀の代表的な実存思
想家たちの思索の軌跡それ自体が明白に証明しているところでもある。
たとえばヤスパースは、一九三一年の﹃哲学﹄ の中で既に自らの哲学を次のように規定していた、﹁可能的実存にもと
づく哲学するはたらさは、実存を究極の目標とするものではない。それは実存を越えてすすみ、そうすることによって実
存を超越者の中に再び消え去らせる﹂︵PFi−OSOphie.Bd.H.S.彗︹三五貢︺︶。彼の哲学の究極の目標は、当初から彼が
﹁超越者﹂と名づけたところの﹁存在﹂ にあったのだ︵S.−舛︹.ほ頁︺︶。﹁実存哲学﹂ という名称とヤスパース哲学を強
く結びつける契捜となった﹃哲学﹄第二巻﹁実存開明﹂は、はじめから﹁一切の対象性の彼岸にあるもの﹂としての﹁超
越者﹂の開顕をめざす単なる方法的通路に他ならなかったのである︵PFi−OSOpFie・Bd・戸S・∽畠︹三八七貢︺︶。ヤスパ
ースはいう、﹁存在そのもの︹超越者︺への問いの情熱は、一切の現存在や客観的存在を超越するはたらきの中で、可能
的実存にもとづいてはじめて生れてくる﹂と︵PFi−OSOpFie・Bd・H・S・−三二五頁︺︶。﹁実存のすべての道は形而上学へ
とみちびく﹂︵S.∽二四二頁︺︶のであり、我々が﹁実存へと接近する場合にはじめて、一つの絶対的に非対象的なもの
︹存在︺に近づく﹂︵S.裟︹三三貢︺︶ことができるのだ。
このように、ヤスパースが自己の哲学の名称として﹁実存哲学﹂を名のっていた時期においてさえ既に、実存的思惟は
﹁形而上学﹂への過渡的段階にすぎなかったのである。﹁実存を一つの絶対者にまで対象化しようとする試みは、哲学す
るはたらきに本来的な危険である﹂と彼はいう︵S●裟︹三四頁︺︶。既にのべたどとくヤスパースはこくernunftu
wider責nunftiPunSererNeit3.の中で、自己の立場を﹁実存の哲学﹂と規定することを拒否したが、その伏線は既
にそこにあったのだといえる。彼はさらに、完五六年の﹃哲学﹄第三版に付された﹁私の﹃哲学﹄のための後語﹂の中
で、ダメを押すように次のようにのべている、即ち﹁私はいかなる瞬間においても、実存開明を哲学の空のテーマとし
ようとは思わなかった。実存開明は不可欠.のモメントではあるが、しかし全体ではない﹂︵NacFwOr−Zu meiner
こPhilOSOpFie−ニー器−︶.iP︰PEOSOpFie.Bd.Ⅰ.S,舛ピーH︶と。
ハイデッガーにおいてもそうした事情に変わりはない。﹃存在と時間﹄という彼の主著の表題からもうかがえるように、
彼の終生変わらぬテーマは﹁存在者﹂から区別され、それをあらしめる根拠としての﹁存在﹂であった。﹃存在と時間﹄
の最初の頁には次のように記されている、﹁存在の意味への問いを具体的に仕上げることが以下の論敦の意図である﹂と
︵SeiPundNeit.S.二一五頁︺︶。しかし、存在の意味への問いを仕上げることは、ただちにそれに対して答えを与える
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶
ことではない。そうではなくて、形而1学喜定することを我々の時代の成しとげた進歩とみなしているにもかかわら
ず、.誰によっても忘れられてしまっている︵S・N︹−七頁︺︶﹁存在の意味への問﹂をことさらに立てることが、そ■こ
張されているのである︵S・三〇貢︺︶。そしてハイデッガーは﹁存在﹂への方法的通路として、我々人間がそれである
ところの﹁現存在妄とりあげる。何故現存在なのかといえば、﹁﹃存在﹄が何を意味しているか、吾々は知ってはい・な
い﹂が、しかし﹁﹃ある﹄ということの或る理解の内で吾々は吾々自身を保持している﹂︵S・三二頁︺︶からだとされ
る。﹃存在と時間﹄が﹁現存在の実存論的分析論﹂にささげられたのはこうした理由による。結局、多くの人々が実存哲
学の書とみなした﹃存在と時間﹄は、彼がいうところの存在論のための序論として、文字通りの意味で﹁蓋的存在論﹂
に他ならなかったのである人S・−讐二九貢竿︺︶。その後ハイデッガーの思惟は、﹁何散存在者があって、撃はない
茎という存在者の存在根拠への問いに収赦してゆくのであるが、その途上において彼は思惟の﹁転回﹂を遂行し﹂
実存から存在へと思惟の重点を移動させるじかつての現存在の実存論的分析による存在の開示という方向に代わって、存
在の真理そのものの性起への聴従が説かれ、存在についての詩作的思索へと沈潜してゆく。そして﹃哲学の終りと思惟の
使命﹄の中で、ハイデッガーは﹁哲学の終焉﹂について語り、﹁存在の思惟﹂はもはや﹁哲学﹂ではないとする。
後㌶離純絹∬鍼棋招絹緑錯招露緑薄絹
である﹂と宣言したにもかかわらず、その後戦後の政治情勢の変化ともからんで、実存−投企の超越目標を﹁マルクス主
義﹂の中に兄い出すに至った。彼は完六〇年の﹃方法の問題﹄の中で次のようにのべている、﹁わたしは実存主義につ
いて語ることを好まない。探究の本性とは、無限定であることだ。それを名づけそれを定義づけることは、円警閉じる
ことである﹂︵Cri音ede−ar巴sOndia−ecIique・10meI・p・=責︺︶と。そういった後で彼は、﹁哲学とはまず
︵興隆期にある︶階級が自己についての意識をもつ或る仕方である﹂ ︵p.−∽︹二二頁︺︶と規定し、﹁マルクス主義をわれ
われの時代ののりこえ不可能な哲学﹂︵p.¢︹六頁︺︶と宣言する。しかし ﹁マルクス主義が歴史とともに生きることをや
め、官僚的な保守主義によって、変化を同一性に還元しようとこころみ﹂ てきた結果、﹁マルクス主義は停滞してしまっ
た﹂︵p.N∽︹二九頁︺︶。だがサルトルにいわせれば ﹁この硬化症は正常な老化現象に相当するものではない﹂ ︵p.N¢︹三
七頁︺︶。それというのも、マルクス主義を ﹁生んだ状況がいまだのりこえられていない﹂ のだから︵p.Nq︹三七頁︺︶。
我々の時代ののりこえ不可能な哲学であるにもかかわらず、早くも﹁硬化症﹂ におちいってしまった現代のマルクス主義
に、それが忘れてしまった ﹁人間とは何であるかについての感覚﹂︵p.∽00︹九一頁︺︶をよみがえらせ、﹁マルクス主義の
内部に人間を回復させること﹂︵p.笠︹九一頁︺︶、それが実存主義の任務だとサルトルはみる。そこからして彼は、実存
主義とマルクス主義の関係を次のように規定する、即ち、実存主義はマルクス主義と決して対立するものではなく、今
日なおのりこえ不可能なマルクス主義という哲学の﹁余白﹂ に発達し︵p.NN︹二五頁︺︶、その内部にある﹁いわば一種の
飛び地﹂ である、︵p.−○︹六頁︺︶と。
結局、クーンがいうように﹁実存主義そのものが絶えず自己自身から逃走中であり、いたるところで私たちは実存主義
が何か他のものになる現場を取り押える﹂こととなる。そしてたしかなことは、﹁理性の哲学﹂であれ ﹁存在の思索﹂ で
あれ、あるいは﹁マルクス主義﹂であれ、それぞれの論者が設定する超越目標は、実存思想そのものとは何らのつながり
ももってはいないということである。ボルノーは﹃実存哲学﹄の中で﹁個々の誰をとってみても、実存哲学はより大きな
全体のなかの一部にすぎず、その全体そのものはもはや実存哲学からは把握しえない﹂とのべている。したがって又、そ
れはいかなる哲学的立場にも接木可能だということにもなる。それぞれの﹁帰結は何か説明しがたい偶然事であり、それ
はあたかも何か向こうみずな企てをした選択者がたまたま上陸する大地のようなものである﹂とクーンはいう。それゆえ
自然法思想と実存思想︵一︶
自然法思想と実存思想︵一︶八二
人は何ら矛盾を感ずることなく、国家社会主義に接近してみせたり、マルクス主義に転向してみせたりすることができる
わけだ。ハイネマンは少々の皮肉をこめてこの間の事情を次のようにのべている、﹁自発的であるにせよ強制によるもの
であるにせよ、多数がマルクス主義だの、ポルシェヴイズムだのファシズムだのといった偽哲学を受け入れたような時代
にさいして、実存哲学者たちは人格の価値を擁護する。とはいえ、実存哲学はマルクス主義とかファシズムの反定立と解
8︶
されうるものではない。⋮⋮個々の実存哲学者がマルクス主義者であったり、あるいはファシストであったりすること
︵1
は、大いにありうることだからである。﹂
結局、﹁純粋な実存哲学﹂や﹁完全な実存主義﹂といったものはどこにも存在しなかったし又、そもそもはじめから存在
しえなかったのであり、ヴァールがいうように﹁実存哲学は最後には実存哲学と異なったもの﹂にならざるをえないので
ある。そのことは、実存思想があれやこれやの哲学と並ぶもう一つの﹁哲学﹂ではなく、﹁哲学することの手段であり、
方法﹂に他ならなかったことからくる当然の帰結であったというべきである。現にヤスパースは既に﹃哲学﹄の中で、
︵22︶
﹁実存が己れ自らの内に閉されていないということが、すべての実存哲学の試金石となる﹂とのべていた。人は好むと好
︵23︶
まざるとにかかわらず、実存思想の立場をこえて進まなければならない。そこに立ち止まることは許されないし、又可能
でもない。しかしそのことは、実存−投企の思想がそれによって無意味なものとなったり、あるいは不必要なものとされ
るということを決して意味するものではない。ボルノーは、実存思想を、﹁門﹂、即ち﹁それを通って生の現実の課題に対
して責任をもつ究極的無制約的哲学への道が通じている﹂﹁門﹂にたとえて次のようにのべている。即ち﹁人はいつまで
もその門のところに立ちどまることはできない、人はそれを通過しなければならない﹂が、しかし﹁人はこれを限りにと
いう形でその門を通り抜けることはできないのであり、むしろ常に繰り返し出発点につれ戻され、常に繰り返しあらため
︵糾︶
てそれを通り抜けなければならないのである﹂と。
(l)韓匪討湘什新田群辣ⅡD
〔知日出汁頂〕S9g●S●1!aZ叩n甲S‘ユ細君ap!aH●川
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9・S●‘・0・甘・で‘JaAamJall叩Ⅹ●H(g)
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︵ ︵ ︵ ︵ ︵
滴〇回〕
甲童基極東刃僻鳩伯東(1) <註
(ヨ)M・Heidegger・OberdenHumanismus・S・18〔冊㈲;ders・,KantunddasProblemderMetaphysik・S.209f〔11
く†い矢一望撒樽増劉Q甘P′傾聴樽Q糖種Qせ蚕潮壮〕帽時ヰ蛸か糾いU望′帰足礪坤′登載刃」巨
川Q増せ逗頼れ卓二QP嶋崎」刃QYト二時(S・436〔紅玉l凧〕)0
(ヨ)M・Heidegger,tJberdenHumanismus・S.17〔1再柏に計り
(ヨ)かJ戒聖WasistMetaphysik?S.49ff‖叫埴闇ト〕
(誓)H・Kuhn,a.a.0.,S.28〔叫湖畔〕
(ヨ)0・F・Bollnow,Existenzphilosophie.S.14〔冊1頓〕
(5)H・Kuhn,a・a・0りS.125〔11く周囲〕
(讐)F・Heinemann,Existenzphilosophie,lebendigodertot?S・176〔冊吊粧卦円
(讐)「轍鮒QK齢轍悪′帖量感割Q掛霊妙削J巨悪韮す恥Uニl〔小U足舶QP悪や二十亜トヽ弓\ト音トミ悪二・∩
(a.a.0.,S.813)0
(害)J・Wahl,Op.Cit.,p.156〔1ii<叫〕
(宗)0・F・Bollnow,a・a.0.,S.14〔1周凧〕
(胃)K・Jaspers,Philosophie.Bd.Ⅰ.S.27〔日周圃〕
(g3)0・F・Bollnow・FranzOsischerExistentialismus・1965・S・35f;ders・,ZurDiskussionuber die Existenzphilosophie
(1948)S.589
aufdemphilosophischenKongressin Garmisch・Partenkirchen・in:Zeitschrift fur philosophische Forschung.2
(式)0・F・Bollnow,Fran紺sischer Existentialism。S.S.36
(賃)0.F.Bollnow,a.a.0.,S.38
(簑)F・Sclmeider,PhilosophiederGegenwart・1953・S・24抒′髄Fg=葺「く†障k−Q根唖」10−糊
(誌)F・Heinemanq,a.a.0.,S.186〔吊‖侶阿〕