寄稿・随想 盧溝橋 山﨑芳彦

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寄稿・随想
盧 溝 橋
山
﨑
芳
彦
北京郊外の永定河に、盧溝橋という歴史的にみ
山で行くべきところではなく、日本にとって、望
ても重要な橋が架かっている。金時代の1192年に
ましくない遺産として、一度目にしてみたいと
完成。マルコポーロが訪れ、東方見聞録で世界中
思ったからである。訪問時は、まだ日本に対する
探しても匹敵するものがない美しさと紹介、西洋
敵対感情は大きくなかったが、現地の人がどのよ
ではマルコポーロ橋として知られている。この付
うな感情を抱いているか不安もあってなかなか言
近を舞台に、1937年7月、日本と中国との間に紛
い出せなかった。北京郊外の宛平県城の門をく
争が勃発、やがて第二次世界大戦に進展する先が
ぐって、盧溝橋に到着した。橋の長さは266.5メー
けとなった。
トル、幅11メートルで11の美しいアーチを持って
新潟市民病院は黒竜江省、哈爾浜市のハルビン
いる。橋の登り口は広くなっている(写真1)
。
第一医院と交流があり、1995年6月、当時の小田
欄干には数多くの石に彫られた獅子像が並んでい
良彦副院長を団長として同院を訪問、小田弘隆循
る(写真2)
。長い歴史と手入れも十分されてい
環器科部長らによる、
カテーテル治療を成功させ、
ないためか、色は黒みがかり、彫が取れたものも
帰途、北京の故宮博物院、万里長城、天壇などの
あり、マルコポーロが見たときの美しさは残って
著名な観光施設を案内してもらったことがある。
いないかもしれないが、それでも獅子がずらりと
偉大な文化遺産に触れ、感動した記憶も新しい。
並んでいる姿は見事であった。紫禁城から離れた
この最中、予定にはなかったが、案内してくれ
遠いところに、なぜ豪壮で美しい橋が架けられた
た第一医院の医師に、盧溝橋が見られるだろうか
のか謎であった。北京郊外にある頤和園の昆明湖
と話したところ、快く引き受けてくれた。盧溝橋
にも、これを模したと思われる、欄干に獅子像が
については深い知識はなかったが、単なる物見遊
並んだ橋が架かっている。河は、水がほとんどな
写真1 盧溝橋で新潟市民病院の訪問団一行。石畳
が敷かれ、橋の袂部分は広くなっているが、先に行
写真2 欄干にひとつひとつ形の異なる500体以上の
獅子像が並んでおり、遠くに城門がみえる。小田循
くと狭くなる。
環器科部長と。
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く、砂利と雑草だらけの普通の川という風であっ
う。盧溝橋の脇にある戦争博物館も見てみるかと
た。周囲には民家が並んでおり、田舎風の感じで
言われたが、おそらく一方的に日本非難の様子が
あった。それでも橋の袂には、2-3の露店の土
展示され、中国側の考えを押し付けるものだと思
産物屋があった。その時は、観光客と思われる人
われたことと、中国のこの戦争に対する対日感情
は我々以外になく、時折地元の人が自転車などで
に不安があったことから、
お断りしたが、
今になっ
通り過ぎるだけであった。日本人は少ないだろう
てみるとそれでも見ておくべきであったと後悔し
が、それでも中国人は結構訪れるのであろう。
ている。
小生には、盧溝橋事件をはじめ、第二次世界大
一見、長閑な田園風景が見られる場所から、日
戦の記憶は全くないが、この橋を何度か行き来し
本と中国の間の対立が始まり、やがて世界中を巻
て、当時の背景を思いめぐらせてみた。日中の衝
き込んだ戦争に発展してしまった意味で重要な事
突の原因については、双方の考え方に大きな違い
件であった。戦後70年経た今も日中間の対立が続
があるが、当時は一触即発の状態であったことは
いているかと思うと、心の修復は容易でないと思
間違いなく、日本の軍隊が北京に滞在していたこ
わざるを得ない。
と自体が、中国の主権を侵害していたことになろ
(白根大通病院)
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平成27年度がん登録届出状況
11月末現在
区分
4月~ 10月
11月
計
(平成26年度計)
届 出 件 数
14,776
4,014
18,790
27,291
医療機関数
113
39
実医療機関数
113
120
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