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 母と子のコミュニケーション②
恵の歳月
2 月になれば大 学を 卒 業して半 世 紀 、思えば﹁ 恵みの
感謝。感謝また感謝である。
年 ﹂だった。
母が亡くなり、 歳で320人の孤児の父となり、子どもたちから、
ることだと、私は地域開発に魅力を感じていたからだ。
どの本で知り、当時貧しかった韓国を豊かにするには農村を豊かにす
を作り上げた。
この話を﹁新しい歴史のために﹂﹁ユートピア原始林﹂
な
争で亡くしたものを内で探そうと主張して今日の酪農国家デンマーク
だが、
まったく違った。
デンマークの農村指導者 Ë・Mダルギャスは、戦
社会事業を勉強するのは、共生園の将来を考えてと母は思ったよう
ろうと思っている。
あなたたちにまで苦労をかけたくない﹂
と。
拓したらいいと思う。
この事業はお父さんが帰ってくる日まで私が守
ようなもの。私の考えでは、医科大学に進学してあなた自身の道を開
また、
ほかの問題が起こる。本当に終わりのない事業、未完成の作品の
に出ていけば、また新しい子らが入ってくる。
一つの問題が解決すれば、
﹁この事業は終わりがない。今、
ここにいる子どもたちが成長して社会
いました。
あなたは、私が神学校の社会事業に進みたいと相談した時、
こう言
わった写真の中の母と感謝の対話をする。
しかった。その日 、母と 撮った写 真がある 。大 事な一枚だ。少し 色が変
一度も学校に顔を見せなかった母が、大学の卒業式に姿を見せた。うれ
孤児の中で育った。
いじめや寂しさに母を恨めしく思った。子どもの頃、
孤 児の世話に明け暮れていた母 。私たち4 人 兄 弟は、親がいるのに
50
この 年間、驚くばかりの恵みであった。
日がある。
障 害を持つ人々から 、高 齢 者から 教えられ、暖かい心に支えられて今
26
社会福祉法人 こころの家族
No.307
理事長 尹 基︵たうちもとい︶
2016年1・2月
50
日韓福祉交流通信 こころの家族 2016年1月1日発行(第307号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
この国に住む外国人が日本はいい国だといえる社会づくりを目指します
11月7日、故郷の家ふれあいまつりで韓国舞踊を披露する金剛学園舞踊部の生徒たち
●建設進む「故郷の家・東京」…2頁 ●高知で「田内千鶴子さんを憶える記念式」が開かれました…3頁
●オモニフォーラムから…4頁 ●ちいさな芽…5頁 ●インタビュー・牧里毎治さん…6・7頁
●「生きる」…8頁 ●新シリーズ・職員さん登場…9頁 ●おんどる…10 頁 ●料理・パズル…12 頁
建設進む「故郷の家・東京」
2016 年 10 月に開設される「故郷の家・東京」
。今回は順調に進む
工事の様子などを写真とともにお知らせします。
基礎コンクリートの打設状況
建設工事の進捗状況は…
1階床のスラブコンクリート
地下基礎部分の工事は順調に完了し、12 月上旬には 2 階の
床の部分まで立ち上がっております。現在のところ、特に問
題もなく、7 月完成に向けて進んでおります。
施設の外装が決まりました。
介護職員初任者研修の開講準備中です
現在、故郷の家・東京の開設に向けて、お茶の水の東京事
務所において、介護職員初任者研修の開講準備を行っており
ます。
受講生の募集は、
来年 2 月頃になる予定です。また、
ホームペー
ジ等でもご案内させていただきます。もうしばらくお待ちく
ださい。
故郷の家・東京についてのお問い合わせは開設準備室まで
〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台 2−1
お茶の水クリスチャンセンター北館 411 号
TEL 03-3518-9875 FAX 03-3294-3088
2
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田内千鶴子のひ孫に
あたる呉琇賢さん
45
献花する西森潮三高知県日韓
友好促進議員連盟名誉会長
日本キリスト改革派高知
教会の小澤寿輔牧師
善 協 会 の 総 会 と 講 演 会、懇
談 会 が、三 翠 園 で 開 か れ、
挨拶をする尹基理事長
岡春さんが通っていた日本
キリスト改革派高知教会の
小澤寿輔牧師が、
﹁母から受
け 継 い だ 信 仰 の 実﹂と し て
千鶴子の民族を超えた無私
の 愛 を 讃 え ま し た。式 典 に
は、高 知 田 内 千 鶴 子 愛 の 会
の会員や高知県日韓友好促
進議員連盟の西森潮三名誉
会 長 を は じ め、高 知 県、市
等 か ら も 多 数 参 加 し、記 念
碑に献花しました。
式 典 後、今 年、そ の 場 所
が明らかになった安岡春さ
ん の 墓 前 に 集 い、思 い を 馳
せ ま し た。今 年 は 安 岡 春 さ
んの没後 年でもあります。
夕 方 に は、高 知 県 日 韓 親
﹁田内千鶴子さんを憶える記念式﹂高知で開催
日韓正常化
周年記念
10
式典では田内
千 鶴 子 の 母、安
郷 継 会 長︶の 主 催 で 執 り 行
わ れ ま し た。 月 日 は 韓
国 孤 児 の 母、田 内 千 鶴 子 の
誕 生 日 で 命 日 で も あ り、毎
年式典が行われていますが、
今年は日韓国交正常化 周
年であることか
ら特別なものに
なりました。
この日は田内
千鶴子のひ孫で
高知大学院に留
学している呉琇
賢さんも参加し
ました。
安岡春さんの墓前で
西 森 名 誉 会 長 が﹁こ れ ま で
の 韓 国 交 流 を 振 り 返 っ て﹂
と 題 し て、 年 前 か ら 取 り
組んできた日韓交流の足跡
や 姿 勢 を 語 り、大 き な 拍 手
を受けました。
西 森 名 誉 会 長 は、こ の 間
の 日 韓 友 好 の 功 績 に よ り、
今 年 9 月、全 羅 南 道 よ り 外
国人として初めての名誉道
民の称号を授与されました。
20
田内千鶴子記念碑と、田内千鶴
子生誕100周年を記念して2
012年につくられた胸像
3
月 日、田 内 千 鶴 子 の
生 家 の 近 く、高 知 市 若 松 町
の記念碑前で、
﹁日韓正常化
周 年 記 念 田 内 千 鶴 子 さ
ん を 憶 え る 記 念 式﹂が、高
知 田 内 千 鶴 子 愛 の 会︵吉 岡
31
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10
50
オモニ
フォーラム から
第
回
11
田 牧 師 の 祈 り で 始 ま り、
尹 基 理 事 長 の あ い さ つ、崔
院 長 の 祝 辞 が あ り、こ の 席
で、西 森 名 誉 会 長 に は、李
洛淵 イ
( ナッキョン 全
) 羅南
道知事より名誉道民証が授
与されました。
西 森 名 誉 会 長 は 自 身 が 全
羅南道名誉道民証に推戴さ
れたことに感謝を表し、
﹁私
と 韓 国﹂と い う 題 で 特 別 講
演。
﹁歴史に学ぶと言うこと
は過去の教訓を学び現在を
生きること﹂と説明し﹁我々
は現在に生きながら未来を
創造していかなければなら
ない﹂また、
﹁我々は過去の
人々の思考や行動を忘れて
は な ら な い﹂と 強 調 さ れ ま
した。
﹁送年の夜﹂は楽しい祝賀
公 演 と 晩 餐 の 後、盛 大 に 幕
を閉じました。
西森潮三氏が
特別講演
盛大に﹁共生家族送年の夜﹂を開催
2 0 1 5 年 韓
国﹁共 生 家 族 送
年 の 夜﹂行 事 が
月4日午後6
時、ソ ウ ル 市 内
プレジデントホ
テルで行われま
した。
﹁送 年 の 夜﹂に
は共生家族会 共
(
生園で育った
人々の集まり )
の皆さんをお招
き し、尹 基 ユ
(
ン ギ 理 事 長、
)
田溶載 チ
( ョン
ヨンジェ 基
) 督
教大韓監理会監
督会長 牧
( 師 、)
崔書勉国際韓国
研 究 院 院 長、西
森潮三高知県日
韓友好促進議員
連盟名誉会長を
は じ め、共 生 家
族140名余り
が参席しました。
12
韓国から続々見学者
質問も具体的
故郷の家・京都には一
年を通じて韓国の大学校
や在宅サービス協会の方
たちが見学で訪れます。
韓国も日本に続く高齢
社会になり、老人福祉士
が注目されています。そ
のためいろいろな団体が日本の施設の
サービスやシステムを見に来ます。故郷
の家・京都の見学は韓国の職員が担当す
るので質問が自由にでき、韓国と日本の
違いも説明できるのが人気の理由だと思
います。
最近は訪れる方たちの質問も具体的に
なってきました。入居審査の基準、事故
の対応、法律的な問題など様々な質問に
答えないといけな
いので見学の時に
は見学担当者以外
に ケ ア マ ネ ー
ジャーや相談員が
参加することもあ
ります。
故 郷 の 家 は 韓 国
と日本の福祉を結
ぶ橋のような役割
を し て い ま す。見
学を通してその役
割がちゃんとでき
るように頑張りた
いと思います。
トピックス
─京都から─
4
尹致浩が創始し、田内千鶴子が引き継いだ韓国木浦の児童養護施設「共生園」
こころの家族のルーツともいえるこの児童施設の、いまをお伝えします。
箱庭療法など継続
のための統合的治療サービ
ス の 支 援 シ ス テ ム 構 築﹂事
業 に 参 加 し、地 域 の 疎 外 さ
れた子どもたちの長期的か
つ 複 合 的 な ニ ー ズ に 応 じ、
社 会 的・機 能 的 な 回 復 に 向
け て、継 続 的 な 事 例 管 理 や
家 族 関 係 の 修 復、個 別 心 理
治 療 を 行 っ て い ま す。現 在
共生園では同プロジェクト
の 中 で 箱 庭 療 法︵砂 遊 び 療
法︶や 相 談・治 療 な ど の 事
例管理を続けています。
ダビデスカウト
活動に参加して
感 想 文 イ・エミン 中3
今 回 の ス カ ウ ト 活 動 で は
木浦地域にある儒達山の景
色を楽しみながら登山をし
ま し た。5 ㎞ の ア ッ プ ダ ウ
ンのある岩山を3時間歩い
て 大 変 で し た が、一 人 も 脱
落 せ ず、先 生 た ち と も 一 緒
に 歩 い て と て も 楽 し く、た
まっていた疲れやストレス
が 取 れ た よ う で す。仲 間 た
ち と の 協 調 性 を 大 切 に し、
難しい課題も最後までやり
遂 げ、目 標 を 果 た し た こ と
で達成感が得られました。
西森氏に外国人初
名誉道民の称号
全 羅 南 道 の 李 洛 淵 知 事 は
日韓国交正常化 周年にあ
た り、西 森 潮 三 元 高 知 県 議
員に全羅南道名誉道民牌を
授 与 し ま し た。全 羅 南 道 が
外国人に名誉道民牌を授与
するのは今回が初めてのこ
名誉道民 授与式にて︵下も︶
ソンドク保育園の発表会と運動会
幼稚部の子どもたちが通っているソンドク保育園
で発表会と運動会が開かれました。かわいい妖精
たちのお遊戯会に続き、運動会も開催され、楽し
い時間を過ごしました。
とです。
西 森 元 県 議 は 当 選 8 回 で
議長も2期務められました。
1997年に木浦共生園の
田内千鶴子追悼事業で先頭
に 立 っ て く だ さ り、そ の 時
から全羅南道とのご縁を結
ば れ ま し た。全 羅 南 道 と 高
知県の交流において間に立
たれてきた功績が認められ、
2000年5月には全羅南
道名誉観光広報大使に任命
さ れ、 回 以 上 に わ た り 全
羅 南 道 を 訪 れ、観 光 や 文 化
の分野で双方の交流のため
に献身的に活動されてきま
した。
今 後 は 田 内 千 鶴 子 生 誕
100周年を機に世界孤児
の日の制定を推進している
組織の日本側委員長として
活動される予定です。
50
すくすくプロジェクト
2015年﹁すくすく︵ト
ダムトダム︶プロジェクト・
シ ー ズ ン 2﹂と い う 全 羅 南
道地域の危機児童のための
統合的治療サービス支
援事業が行われていま
す。
﹁トダムトダム﹂とい
うのは幼い子どもが元
気にすくすく育つ様子
を 表 す 言 葉 で す。全 南
社会福祉共同募金会宝
くじ基金による児童青
少年への心理情緒支援・
﹁す く す く プ ロ ジ ェ ク
ト・全 南 地 域 危 機 児 童
5
50
もくれました。
新年号は関西学院大学人間福祉学部教授の牧里毎治︵ま
当 時 は 公 立 高 校 に 進 学 し たら
きさとつねじ︶さんにご登場いただきました。当法人こ
歳まで養護施設にいることができ
こ ろ の 家 族 の 監 事 も 務 め て く だ さ っ て い る 牧 里 教 授 は、
ま し た。そ れ で 高 校 に 進 学。高 校
﹁地域福祉﹂研究の第一人者です。ダンディで、温かなお
卒業後、一時期公務員生活も経て、
人柄は、学生にも大人気。
﹁学生も家族みたいなものです
年 に 大 学 に 入 り ま し た。そ う し
から﹂とチャーミングな笑顔を見せてくれます。インタ
て、勉 強 す る に つ れ、自 分 が ど う
ビューでは、福祉の世界を志す動機となった激動の子ど
いう位置にあってどういう状況に
も時代を初めて明かしてくれました。
あ っ て と、客 観 的 に 理 解 で き る よ
家 庭 崩 壊 し て し ま い ま し て。父 親
う に な っ た。そ れ ま で は、何 で 自
が 事 業 に 失 敗 し て、お 決 ま り の パ
分だけこんなことになったのか
タ ー ン で 一 家 離 散。父 は 精 神 病 院
な ぁ と 考 え た こ と も あ っ た け ど、
に 入 院。私 は 歳 ま で 施 設 で 暮 ら
世の中の仕組みでたまたまそう
し て い ま し た。そ う い う こ と も あ
なっちゃったんだと。世の中には、
り、福 祉 に 関 心 を 持 つ よ う に な り
そういう人がたくさんいるという
ま し た。こ ん な こ と を 話 す の は 今
ことも考えるようになった。
日が初めてです。
││福 祉 の 研 究 の 上 で ご 自 身 の
体験を活かす機会が多いのでは
牧 里 そ う で す ね。今 は、な ぜ
そういうことが起きてしまうのか
を、情 緒 的 に で は な く 客 観 的 に ど
うすればいいかという視線で研究
││ごきょうだいは⋮
す る こ と が 僕 の 役 割 か な、と。そ
牧 里 弟 と 年 の 離 れ た 姉 が い ま
れは生活世界論というんですけれ
し た が、弟 は 幼 児 の と き に 病 気 で
ど、そ の 人 に し か 分 か ら な い 世 界
亡 く な っ て し ま い ま し た。私 が 1
があって、僕たちはそこにアプロー
││こ こ ろ の 家 族 と お つ き あ い
歳 の 時 に 両 親 は 離 婚 し、そ の 後 父
チ す る ん だ け れ ど、当 事 者 は ち ゃ
いただくようになったのはいつご
が
再
婚
し
た
の
で
す
が
、
私
は
幼
か
っ
ん と 語 る 言 葉 が な か っ た り、思 い
ろからですか
たのでそのことを知らずに育ちま
が 伝 わ っ て い な か っ た り、そ の 本
牧 里 2 0 0 3 年 頃 大 阪 府 が 地
した。小学校2年の時に姉から﹁お
人はパニックになっているなどで
域福祉支援計画をたてるにあたり
母さんは私たちの本当のお母さん
分 か ら な い 状 態 に な っ て い る と、
研 究 会 を 作 り ま し た。そ の と き 尹
で は な い の よ﹂と 知 ら さ れ た 時 は
思うんですけどね。
基理事長も委員としていらしたの
ショックでした。
が 出 会 い で す が、実 は 大 阪 府 立 大
││養 護 施 設 に は お 姉 さ ま と 一
に 勤 め て い た こ ろ か ら、故 郷 の 家
緒だったんですか
が学生をボランティアで受け入れ
牧 里 い え、事 業 の 失 敗 で、父
て 下 さ っ て い た こ と も あ り、理 事
は再婚した母とも離婚しその母が
││こ れ ま で ご 自 身 の こ と は 公
長 の お 顔 は 存 じ て い ま し た。そ の
姉
を
連
れ
て
出
て
行
っ
た
の
で
す
。
父
にされてなかったのですね
後、2 0 1 0 年 の﹁日 韓 こ こ ろ の
は 何 回 か 事 業 を 失 敗 し、最 終 的 に
牧 里 な ん か 特 別 に み ら れ る の
交 流 事 業﹂シ ン ポ ジ ウ ム で 私 が パ
失 敗 し た の が、僕 が 小 学 校 4 年 生
が 嫌 だ っ た。で も、本 当 は 普 遍 的
ネ リ ス ト を 務 め た こ と を 機 に、ま
の 時。広 島 市 内 を 点 々 と し て、た
な 課 題 だ と 思 い ま す。誰 に で も エ
ず東京の故郷の家建設実行委員会
ど り 着 い た と こ ろ が、原 爆 ド ー ム
アポケットに落ち込むみたいなこ
の 監 事 に、そ し て 法 人 の 監 事 を 依
の す ぐ そ ば の、い わ ゆ る﹁原 爆 ス
と が あ る。落 ち 込 ん で も 這 い 上 が
頼されてお引き受けしました。
ラム﹂
。在日の人や中国人、僕たち
れ る、手 を 差 し 伸 べ る 仕 組 み が あ
みたいな人たちが掘っ立て小屋に
ることが大事なんじゃないかなと、
住 ん で い た。で も、み ん な 親 切 に
思っています。
し て く れ ま し た。父 が 帰 っ て こ な
尹基理事長にはとても親しみを
く て 僕 1 人 で い た と き は、食 堂 を
感 じ て い る ん で す。最 初 は﹁キ ム
や っ て い た お 隣 の ご 夫 婦 が﹁食 べ
チ と 梅 干﹂の あ る 老 人 ホ ー ム の こ
に お い で﹂と 言 っ て く れ た り、向
と し か 知 ら な か っ た け ど、こ こ ろ
か い の 八 百 屋 さ ん は﹁お 父 さ ん、 の 家 族 の ル ー ツ が、児 童 養 護 施 設
どうしたん? 帰ってこないやん﹂ ︵共生園︶にあることを知って⋮こ
と、リ ン ゴ く れ た り。そ の 後、父
れも初めて話すことですが。
が精神を病んで入院することにな
││大学ではどういった研究を
り、私は養護施設に入りました。
牧 里 初 め て 就 学 前 の 子 ど も の
││養 護 施 設 で の 生 活 で 思 い 出
ための学校をつくったといわれる
すことはありますか
ロ バ ー ト・オ ー エ ン を 知 り、 世
牧 里 私 に つ い て く れ た 保 母 さ
紀 に こ の よ う な 人 も い た ん だ と、
ん は ス ケ ー ル の 大 き い 人 で、自 分
惹 か れ ま し た。私 も ユ ー ト ピ ア を
の給料も子どもたちに使ってしま
作ろうと。
う よ う な 人 で し た。私 は そ れ ま で
大阪市立大大学院では柴田善守、
は、ど ち ら か と い う と メ ソ メ ソ し
岡村重夫という福祉界の巨人と言
て い る 子 ど も だ っ た ん で す が、そ
わ れ る 両 先 生 に 師 事 し ま し た。2
の保母さんに鍛えられました。ビー
人の先生達に共通しているのがコ
ビ ー 泣 い て て も ダ メ よ と。私 の 絵
ミ ュ ニ テ ィ 作 り で し た。そ う い う
や文章をほめて自信をつけさせて
先生方に勇気をもらって研究を続
18
子どもの国を
作りたかった
家庭崩壊で
やむなく施設へ
69
手をさしのべる
仕組みがあれば
19
18
けてきました。
││大 阪 ボ ラ ン テ ィ ア 協 会 の 理
事長もなさっていらっしゃいます
牧 里 大 阪 ボ ラ ン テ ィ ア 協 会 は
1965年に設立された歴史ある
団 体 で、初 代 会 長 は 柴 田 先 生。事
務 局 長 を 務 め、前 理 事 長 だ っ た 岡
本 榮 一 先 生 も 同 志 社 の 先 輩 で、岡
本先生の後をやってくれないかと
頼まれて引き継ぎました。
││ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 に 関 し て
問題点を感じることはありますか
牧 里 協 会 自 体 が 若 い こ ろ は、
高校生や若い人が活動をしていま
し た が 最 近 は、若 い 人 が 減 っ て き
て い ま す。若 い 人 が 関 わ り に く く
なっていて、
﹁ボランティアする余
裕 が な い の か な﹂と、思 い 悩 ん で
いるところです。
││2 0 1 2 年 に 堺 市 社 会 福 祉
協 議 会 が 日 本 地 域 福 祉 学 会﹁地 域
福 祉 優 秀 実 践 賞﹂を 受 章 し た と き
には学会の会長をされていました
牧 里 2 0 0 8 年 か ら 2 期 6 年
間、会 長 を 務 め ま し た。学 会 創 設
の 頃 か ら 関 わ っ て い ま す が、こ の
学会の特徴は研究者だけではなく、
実践家と一緒になってやっている
ことです。来年 周年を迎え現在、
1700人の会員がいます。
││介 護 の 現 場 に い る 人 た ち に
メッセージをいただけますか
牧 里 今 は、介 護 と い う 文 化 の
開 発 途 上 だ と 思 う ん で す よ。か つ
て は﹁人 生 年﹂で、そ の 先 は み
な 知 ら な か っ た。長 生 き す る か ら
認 知 症 の 人 も 増 え て き ま す。認 知
症の人の気持ちはどうなんだろう
といったことなども開発途上だと
思うんですよ。それを最先端でやっ
て い る 人 達 が 介 護 職 員。だ か ら そ
の最先端のことを発信していくこ
とが必要だと思います。
50
30
││話 は 変 わ り ま す が、1 歳 の
ときに別れた実のお母様とはその
後、会われましたか
牧 里 い や ぁ、そ れ が ね。私 が
歳の時に会ったんですよ。突然、
電話がかかってきまして。
││どのような気持ちでしたか
牧 里 不 思 議 な 感 じ で し た よ。
自分でも泣き出すかなあ?と、思っ
たりもしていたけど何となくもう、
他 人 と い う 感 じ だ よ ね。だ け ど、
顔 か た ち が そ っ く り で ね。よ く 似
て て 驚 き ま し た。今 は 老 人 ホ ー ム
に入っていますが、時々訪ねていっ
て も 話 す こ と が な い。母 親 と の つ
きあいかたというものを知らない
し。1 時 間 く ら い 黙 っ た ま ま そ ば
にいたりします︵笑︶
*
牧里 毎治︵まきさと つねじ︶
1 9 4 8 年 広 島 県 生 ま れ。同 志
社大学卒業後大阪市立大学大学院
修士課程修了、大阪府立大学 教授
を経て2001年から関西学院大
学 社会学部 教授、2012年から
同大学人間福祉学部学部長。
﹁ビギ
ナーズ地域福祉﹂
﹁社会起業入門︱
社 会 を 変 え る と い う 仕 事﹂な ど 著
書多数。
6
7
牧里 毎治 さん
││現 在、先 生 は 地 域 福 祉 や コ
ミュニティワーク, 福祉計画の研
究 者 で い ら っ し ゃ い ま す が、福 祉
を学ぼうと思ったきっかけは
牧 里 本 当 は 絵 描 き に な り た く
て、美 術 系 大 学 も 受 験 し た の で す
が、失 敗 し ま し て︵笑︶当 時、同
志社大学が地方試験をやっていて
私が住んでいた広島でも受験でき
る こ と を 知 り、受 け た と こ ろ 合 格
し た の で 進 学 を 決 め ま し た。私 は
夢 を み る 人 間 で ね。ど こ か の 島 を
買 い 取 っ て﹁子 ど も の 国﹂を 作 り
たいなと、妄想を描いていました。
││子どもの国、ですか
牧 里 実 は 私 は 児 童 養 護 施 設 の
出身なんですよ。小学校4年の時、
60
﹁介護﹂は開発途上の文化
インタビュー
民謡に熱中、各地に踊りに行った
故郷の家・大阪デイサービスセンターに週1回通所し
ている川中峯子さんは今年、104歳! 現在、同セン
歳代のつい最近ま
ターのご利用者の中で最高齢ながら認知症状もなく、息
子さんと自宅で過ごされています。
で地域の婦人会の仲間と民謡を踊り﹁北から南まで踊り
に 行 っ て た と き が 一 番 楽 し か っ た﹂と、話 す 川 中 さ ん。
27
10
川中 峯子 さん︵ 104歳 ︶
と は も ち ろ ん、滋 賀 県 や 佐
渡にも踊りに行くほど。
﹁北
の端から南の端まで踊りに
行 っ た わ。あ の 頃 が 一 番 楽
し か っ た ぁ。今 で も 知 っ て
いる民謡が流れると身体が
動く﹂と、
顔が輝く川中さん。
婦 人 会 活 動 も 熱 心 で、デ イ
サービスセンターのご利用
者 で﹁川 中 さ ん に 婦 人 会 で
踊 り を 教 え て も ら っ た﹂と
いう人も。
2004年、 歳の時に足
を骨折。その頃まで踊りを楽
しんでいました。骨折から2
年後、婦人会の人から故郷の
ケアマネさんと一緒に
93
演歌歌手として活躍する川中美幸さんとは親戚だそうで
言えなくて、痛さを我慢して
働きました﹂と、苦労した奉
公時代を懐かしむ川中さん。
歳で奉公先から自宅に戻
り、その後結婚します。ご主
人は、古鉄や瓶を収集し加工・
卸業を営んでいました。5人
の息子と3人の娘に恵まれ、
川中さんは和裁の技術を活か
し、着物を縫ったり、羽子板
の羽作成の内職をしながら子
育て。子ども達には、愛情を
持ちながらも厳しく育てまし
た。ところが、ご主人が病気
で 歳の若さで他界してしま
います。ご主人が亡くなった
あとも川中さんは和裁で生活
を支え、家族を守ってきまし
た。
子育て後に始めた
踊りが楽しくて
子どもたちが成長し巣立っ
たあと、川中さんは民謡の踊
りを習い始めま
す。地 域 の 婦 人
会の仲間と色々
なところへ習い
に 行 き、町 内 の
盆踊りで踊るこ
─ ⑦
⑮ ─
す。胸に集音機があるポータブル式の補聴器を使い、質
越してきました。父は下駄を
作る職人で、母は台湾で生ま
れ、日本に帰ってきた人でし
た。
川中さんは 代後半で大阪
の 築 港 に 奉 公 に で ま す。
﹁奉
公に行っていた冬、
手のしもやけを辛
抱していたら指に
うみがたまってし
ま っ て。手 が 大 き
くはれてきたけど、
そのことを誰にも
19
49
90
問にもしっかり答えてくださいました。
明治 年9月 日、島根県
松江市で弟3人と妹4人を下
に、8人兄妹の長女として生
まれた川中さん。小学校時代
に大阪の杭全︵くまた︶に引っ
44
家を紹介されデイサービスを
利 用 す る よ う に な り ま し た。
2011年には肺炎を患い入
院。2年間に渡る入院となっ
て し ま い ま し た。入 院 中 は、
テレビもない病室で過ごしな
がらも認知症状も発症せず退
院。でも、入院前は歩行器を
利用して近隣を外出できてい
ましたが、退院後は車椅子生
活になってしまいました。そ
れでも﹁家に帰りたい﹂と言
う川中さんの想いを受け止め
た三男の稔さんが自宅で一緒
に過ごしています。
自宅ではヘルパー派遣サー
ビスも利用。1日2回、自宅
に来るヘルパーさんの名前も
しっかり覚えている川中さ
ん。
﹁も う、自 分 で は な に も
できなくなって、迷惑かける
ばかりで申し訳ない﹂を繰り
返 し な が ら も、
﹁こ こ に 来 る
と み ん な に 会 え て う れ し い﹂
と、武 川 智 子 ケ ア マ ネ ー
ジャーやスタッフに笑顔を見
せます。 これまで一番楽し
かったことは﹁大阪城で踊っ
たこと!﹂と、輝いていた頃
を思い出し﹁北海盆唄﹂を歌っ
て く れ ま す。
﹁今 で も 踊 り た
い。着物を縫いたい﹂とも話
す川中さんはステキな笑顔で
した。
8
登場
介護の現場から
介護の最前線として現場で働く
介護職員や相談員。故郷の家各
施設では、日本人や韓国人など
国境を越えた職員が働いていま
す。新シリーズではそれぞれの
福祉の道へ進むきっかけや、故
郷の家ならではの取り組みなど
を語ってもらいます。第1回は、
故郷の家の金東廈さんを紹介し
ます。
せてくれるようになる変化
日本の映画に感動
を目の当たりにした金さん。
話をすることで喜ぶ姿を何
日本が大好き
回 か 見 て﹁福 祉﹂に 惹 か れ
今 年 2 月 か ら シ ョ ー ト ス
は じ め ま す。サ ー ク ル 活 動
テイ相談員となった金東廈
をきっかけに副専攻だった
︵キム・ドンハ︶さん︵ 歳︶ 社 会 福 祉 を メ イ ン に 勉 強 す
は2013年4月に故郷の
ることを決めました。
家 に や っ て き ま し た。済 州
ま た、金 さ ん は 歳 の 時
島 生 ま れ の 金 さ ん は、通 訳
に岩井俊二監督の日本映画
を 夢 見 て 金 剛 大 学 に 入 学。 ﹁ラ ブ レ タ ー﹂を 観 て 感 動。
英語と日本語の通訳の学科
に 進 学 し ま し た が、ボ ラ ン
ティアサークルに入ったこ
とで金さんの進路が変わり
ま す。サ ー ク ル で 精 神 に 病
を持つ人たちの施設に行く
こ と に な り ま し た。施 設 で
話し相手のボランティアを
行 っ た と こ ろ、始 め は 堅 い
表 情 だ っ た 相 手 が、話 を 聞
くだけでしだいに笑顔を見
映画を何回も鑑賞し小説も
読 み、日 本 が 大 好 き に な り
ま す。そ し て 大 学 3 回 生 の
と き、交 換 留 学 で 日 本 の 大
学で学ぶチャンスを得ます。
目白大学︵東京都︶に留学中、
高齢者施設にボランティア
に 行 き、日 本 の 介 護 技 術 の
高 さ に 驚 き ま し た。介 護 制
度 も 整 い、き め 細 や か な 介
護を実施している日本の福
祉 施 設 で 働 き た い と、思 う
ようになりました。
卒業後の2011年5月、
大 学 の 先 生 か ら﹁千 葉 県 の
有料老人ホームあずみ苑で
北朝鮮のおばあさんの話し
相 手 の 仕 事 が あ る が、行 っ
て み な い か﹂と 紹 介 さ れ ま
し た。当 時、介 護 職 員 に は
ビ ザ が 下 り ず、日 本 で 福 祉
の道に入ることは一般的に
は難しかっただけに金さん
は、日 本 で 働 け
ることに大喜
び。す ぐ に 準 備
に取りかかりま
した。
と こ ろ が そ の
年 の 3 月、日 本
では東日本大震
災が起きていま
し た。1 人 っ 子
の金さんの身を
31
18
案じたご両親は日本で働く
こ と に 大 反 対。両 親 に も 恋
人にも反対されながらも日
本の高齢者施設で働く夢を
諦 め た く な い と、日 本 に 渡
りあずみ苑で働き始めまし
た。あ ず み 苑 で は 介 護 職 員
が 手 厚 い 介 護 を し、ご 利 用
者とのコミュニケーション
も 良 く、何 も か も 楽 し く て
仕 方 あ り ま せ ん で し た。上
司や職場の仲間から親切に
さ れ、働 き 始 め て 1 年 半 が
経ちいよいよ本採用になる
と い う と き、ビ ザ の 更 新 が
下りず泣く泣く帰国するこ
とに。
レクや体操の
企画でも活躍
帰 国 し て か ら も 日 本 の 福
祉施設で働く夢を捨てきれ
な か っ た 金 さ ん。パ ソ コ ン
で﹁日 本 社 会 福 祉﹂と 検
索 す る と、な ん と、故 郷 の
家の求人が出てきたのです。
さ っ そ く 書 類 を 送 り、済 州
島 で 面 接 を 受 け、再 び 日 本
の高齢者施設で働くように
なりました。
故 郷 の 家 で は、文 化 生 活
指 導 員 と し て も 活 躍、レ ク
リエーションや体操を企画
してご利用者に指導してい
ます。
金 さ ん た ち 文 化 生 活 指 導
員が毎朝 時に実施するレ
クリエーションはご利用者
も 大 喜 び。こ れ ま で テ レ ビ
の前でじっとしていたご利
用者も﹁今日は、レクリエー
シ ョ ン 何 か し な い の?﹂と
楽 し み に 待 っ て い る ほ ど。
母の日には指導員のアイデ
アでご利用者が制作した作
品 展 も 行 い、ご 家 族 に 披 露
することもできました。
金 さ ん は、社 会 福 祉 士 の
資 格 を 修 得 し よ う と 現 在、
日本福祉大学の通信教育も
受 け 勉 強。日 本 語 の ビ ジ ネ
ス会話の勉強もしている頑
張り屋。さらなる夢は、
﹁日
本の優れた介護技術や制度
を韓国の福祉施設で活かし
ていくこと﹂と。また、
﹁故
郷 の 家 で は、色 々 な 勉 強 が
で き 楽 し い で す。韓 国 の ご
利用者さんが韓国語での会
話を喜んでくれることもう
れ し い﹂と、金 さ ん。日 本
に来ることを心配していた
お 母 さ ん も、そ の 後 日 本 に
遊 び に 来 て﹁日 本 人 は 親 切
で、本 当 に 良 い 所﹂と 何 度
も来日しているそうです。
9
職員さん
故郷の家の相談員
キム・ドンハ
金 東廈さん(31 歳)
10
施設スケジュールは各施設のブログをご参照ください。
大阪
京都
堺
◀ 月 3 日、﹁国 際 ソ ロ プ チ ミ
ス ト 大 阪・南 陵﹂の ボ ラ ン テ ィ
アさんからお抹茶と和菓子を頂
き ま し た。丁 寧 な お も て な し と
共 に、綺 麗 な 陶 器 を 使 用 し、本
格的なお抹茶を点てて頂きまし
た。そ の 上 品 な 味 に 利 用 者 様 も
職員も感動しました。
▶﹁マ ジ ッ ク ハ イ ジ﹂と﹁北 野 た か し &
楽マジクラブ﹂の二つのマジック団体が、
ボランティアで来られています。利用者
様は、自分の目の前で披露されるマジッ
クに驚きながらも、満面の笑みで拍手を
して下さいます。
▲寒い季節になると、やっぱりアツアツの焼き芋
が食べたくなります。毎年炭火で作った焼き芋喫
茶は、ご利用者に大好評! あっという間になく
なりました。
12
◀王 子 動 物 園 へ 遠 足 に 行 っ て き ま し た。ご
利 用 者 は も ち ろ ん、職 員 も 動 物 た ち の 愛 く
るしい表情に癒され、楽しいひと時でした。
神戸
▶保 育 所 の 園 児 と 交 流 会 に 招 か
れ ま し た。子 供 た ち が か わ い く
て笑顔が﹁満開﹂です
◀ 月 1 日、地 域 の お 祭 り﹁東 九 条
マダン﹂に参加、キンパ、トッポギ、
カ ボ チ ャ お 粥、キ ム チ を 作 り 販 売 し
ました。たくさんの方に買って頂き、
大 好 評 で し た。ご 利 用 者 様 も た く さ
んお祭りに参加されました。
11
◀今 や 大 阪 の 観 光 地 に な っ た﹁コ
リ ア タ ウ ン﹂が 徒 歩 5 分 の 所 に あ
るので、お買い物に出かけました。
とっても楽しかったです。
▼10 月 25 日、南区塔ノ森会ソフトボールの皆様より、
車いすをご寄贈頂きました。塔ノ森会ソフトボールの皆
様は、アルミ缶回収を行い、その収益で毎年地元の福祉
施設に車椅子
を寄贈する取
り組みをされ
ています。
http://kokyokobe.blog40.fc2.com/
http://kokyokyoto.blog41.fc2.com/
故郷の家・神戸 故郷の家・京都 http://kokyosakai.blog40.fc2.com/
http://kokyoosaka.blog79.fc2.com/
故郷の家(堺)
故郷の家・大阪
10
皆様のお気持ちに感謝いたします
2015 年 10 月・11 月 寄付合計 2,450,182 円
堺
大 阪
法 人
521,296 円
1,200 円
980,898 円
2015 年 10 月・11 月の寄付者
永山 成大
匿名希望者
鈴木 仁
冨田 牧子
圓藤 泰久
佐野 安予
李 善惠
村山 良一
匿名御希望者
延原 正海
趙 奉順
島田 隆男
安藤 順子
高 良順
久一 睦美
二之湯 智
澤田 良文
十時 威夫
藤島 薫
佐藤 美津子
金森 享
安部 健
匿名御希望者
長田 さかゑ
宮寺 陽子
■故郷の家(堺) atom美
CJジャパン㈱
Honohono
あゆみ介護センター
ダイキチカバーオール
堺看護専門学校
梅田 達夫
栄山 ふみ子
金沢 杳子
金石 栄子
北浦 晴夫・節子
金 基周
沢中 幸
髙橋 絹子
平安 末子
井穴 キミ子ご家族
井手 アキノご家族
伊藤 春喜ご家族
岩村 元鳳ご家族
梅本 幸子ご家族
大森 かづ枝ご家族
河東 文子ご家族
金本 君子ご家族
木村 清子ご家族
久保田 美代子ご家族
呉本 奉澈ご家族
桑原 淑子ご家族
崔 順玉ご家族
阪本 富美子ご家族
島津 八重子ご家族
髙橋 實枝ご家族
辻 サチ子ご家族
中野時子ご家族
松本 寿子ご家族
松山 花子ご家族
光山 英子ご家族
山尾 ヒサ子ご家族
畑 正樹
畑 有紀
山口 貞夫
星田 正雄
金 慶光
ペン株式会社
金氏高麗人参株式会社
寺尾 和美
金山 委智夫
良知 正美
岡本 都美子
谷本 岩夫
神戸食文化委員会
谷澤 耀子
李 美淑
赤尾 辰雄
上条 和久 江美子
平井 勝江
鈴木 恵子
大橋 謙策
野々山 均
菅野 道隆
昼間 和守
小畑 宰
大槻 光子
11
小田 ヒターナ
小峯 和子
田中 隆
渡辺ヒデ
■故郷の家・大阪
歌体操
ハーモニカクラブ
ガラクタ
ハイビスカス
中川保育所
在日コリアボランティア協会
伊藤 恭子
四宮 章夫
和田 有美子
福田 貴代子
末永 悦子
有限会社リーク 梅田 光子
匿名御希望
東九条マダン実行委員会 実
行委員長 陳 太一
E−Travel Japan
祥明大学
張 泰硯
匿名御希望者
油井 真理子
岸 英朗
宮原 智文
浅野 和子
レデンプトリスチン修道院
束草老人福祉館
匿名御希望者
オランダ観光株式会社
カトレア会 岩本 芳江
有限会社あゆみ介護センター
代表 藤直 八重子
故郷の家・堺
清水 光久
匿名御希望者
川島 順子
共生家族会
故郷の家・神戸食文化委員会
大津びわ湖国際祈祷院
KTA
任 滿宰
朴 鍾泰
柳原 忠義
照屋 則子
日本基督教団室町教会
久保田 満子
土肥 正明
澤村 悦子
大津留 厚
有限会社メントル
梅田 巧
Wonkwang University
匿名御希望者
氷室 興安
匿名御希望者
匿名御希望者
■故郷の家・神戸
清水 美代子ご家族 松本 占行ご家族 香山 春子ご家族 北詰 キヨご家族
伊山 宝培ご家族 伊東 幸子ご家族 金谷 小香ご家族 松本 春花ご家族
岩本 文子ご家族 福山 秋子ご家族 中富 フジヱご家族 金子 末子ご家族
南 輝男ご家族 秋 且善ご家族 岩本 浩市ご家族 村瀬 榮子ご家族
高橋 春子ご家族
■故郷の家・京都
王本 公雄ご家族
岩本 基鎬ご家族
吉村 志朗ご家族
宮堂 アヤ子ご家族
金井 馨永ご家族
公益社
江本 春子ご家族
山下 盛吉ご家族
松山 胎淑ご家族
松本 尚子ご家族
大津びわ湖国際祈祷院
福田 春子ご家族
平川 菊江ご家族
平田 小鶴ご家族
李 貞玉ご家族
■故郷の家・京都
アヒョンシルバー福祉館
池田 邦子(お茶会)
イ ジア、福田 智子、金 仁順(カ
フェアリラン)
懐メロ聴くの会(カラオケ教室)
イ ミジン(コミュニケーション
ボランティア)
ハナケアセンター
プアレファ―フラダンス(フラダ
ンス教室)
京都福祉サービス協会南事務
所
祥明大学校
水原靈通保健所
全体誕生日会:琴奏会
全南光陽市長期療養機関協会
全羅南道議会
いきいき筋トレ(体操教室)
大津びわ湖国際祈祷院
朝田 絵莉
横尾 幹江他1名(編み物教室)
龍仁市在宅長期療養機関協会
( 敬称略 )
山本 時子ご家族
吉山 キクエご家族
■故郷の家・大阪
安達 翠
大須賀 マサ子
李 漢根 ヒーリングプラン
利川 すみこ 呂 英華 白岩 淳子
金山 聖姫 松永食品 安達 翠 天理教 野中 晴夫
宮元 愛子 中川サロン
2015 年 10 月・11 月の来訪者・ボランティア
■故郷の家(堺)
Be Max
カトレア会
エイジレスバレエ
マジックハイジ
ロックヴィラ
韓国伝統芸術院
金剛教会
成美高校
泉北キリスト恵み教会
平和の園
石井 靖子
小田 和子
219,586円
727,202円
( 敬称略 )
小林 勝
高 梁根
安井 久寿
李 于錫
都 東煥
成田 清子
岡本 民夫
澤村 博三
宮部 伸行
瘧師 善子
故郷の家・京都職員一同
韓国全南光陽市老人長期療
養機関協会
韓国全南光陽市老人長期療
養機関協会 会長 黄 チャヌ
全羅南道議会国際交流訪問
団 議長 明 炫官
済州市希望院 金 ソンジャ
小村 裕己
李 守陳
大槻 幸廣
中村 啓子
藤田 裕之
池上 陽
福田 武俊
2015 年 10 月・11 月の寄贈者
神 戸
京 都
( 敬称略 )
■故郷の家・神戸
廉 璟珍
洪 珉基
なごみ
沖永良部チャンプルーズ
佐藤 靖
田母神 節子 森田 恵美
岩本 文枝
黄 大樹
サランの会
神戸教会
ヘルシーな
韓国メニュー
カルビタン
今回は寒い季節にぴった
りの温かいスープ、「カルビ
タン」を紹介します。風邪に
負けないように体力をつけたいときに食べる健
康食でもあります。骨から出るだしが一層味を
引き立てます。ぜひお試しください。
材料
・にんにく 1房
・昆布 1枚
・韓国春雨 30g
・卵 1個
クロスワードパズル
作り方
①肉はかぶる程度の水に浸して5時間ほどおき、血抜きをします。
※牛カルビの脂身を取り除いたほうが、
すっきりとした味わいに
なります。
②大根は3cmの輪切り、
玉ネギは半分に切ります。
にんにくはすべ
て皮をむき、
しょうがは皮付きのまま薄切りにします。
白ネギは
1/3本は斜め切り、
その他は5cm幅に切ります。
(白ネギは青い
部分も使います)
お好みで、錦糸卵と春雨を入れてもおいしいです。入れる場合
は、卵は錦糸卵にし、春雨はゆがいて食べやすい大きさに切っ
ておきます。
③斜め切りの白ネギを除いた①を火にかけ、沸騰したら一度湯を
捨て、
肉を流水で丁寧に洗います。
④②と③、昆布を鍋に入れて火にかけ、沸騰後10分後に昆布を
取り除きます。丁寧にアクを取りながら、1時間半ほど中火で煮
込みます。
⑤骨が簡単に取れるほど、肉がやわらかくなったら、肉と大根以
外のものをスープから取り除きます。大根は食べやすい大きさ
に切り、鍋に戻します。
⑥最後に春雨、
白ネギを入れ火が通ったら、塩、
こしょうで味つけ
し、器に盛って錦糸卵を上に飾れば出来上がりです。
※お好みで唐辛子粉をかけてどうぞ。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 二重マスの文字を組み合わせてできる言葉を答えてください。
プレゼント
1
タテのカギ
正解をお寄せくださった方の中から、韓国
製のおしゃれな財布(布製)
を3名にプレゼ
ントします。色違いですが、選択はお任せくだ
さい。
応募ははがきにパズルの答、住所・氏名・
電話番号をお書きのうえ 「〒590-0142 堺
市南区桧尾3360-12 故郷の家・クイズ係」
まで。
1月末日締め切り。
本誌をお読みになった感想、
メッセージな
どもお書き添えくださるとうれしいです。
※前回の答は
「キムチチゲ」
でした。
【ヒント=新しい年の始まりです】
①小惑星の探査が任務です。
②これで髪をときます。
③ベテランでも││的なミスをするこ
とがあります。
⑤日本を代表する観光地。故郷の家も
あります。
⑦漢字の読み方のひとつ。
⑨誕生日のケーキには年の数だけの⋮
⑪小型の舟。
オリンピック競技にも。
⑭笑う││には福が来る。
日韓福祉交流通信 こころの家族 2016年1月1日発行(第307号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
・牛カルビ 1kg
・大根 1/2本
・白ネギ 1本
・玉ネギ 1個
・しょうが 1/2片
故郷の家・神戸 管理栄養士 霜中 美恵子 2
4
3
6
7
8
10
11
13
15
5
9
12
14
16
ヨコのカギ
①エンブレムデザインは──撤回になり
ましたね。
④70歳のこと。
⑥受験勉強や仕事の手を休めて…でも
食べ過ぎないようにね。
⑧もてあそばれること。
⑩「上り」
も
「下り」
もあります。
⑫使い道。
⑬この中に野菜を漬け込みます。
⑮──レール、──マン。
⑯綿、
イワシ、入道といえば?
発行人:田内文枝 編集人:尹 基 編集:松井珍男子、佐東まゆみ
私たちの団体はキリスト教の精神に基づき、国境を越え、民族を越えて共に生きる社会の実現を目指します。統一教会、エホバの証人、モルモン教とは関係ありません