No.303

 政治を超える力
3月に東京サントリーホールで開いた白建宇︵クンウー・パイ
ク︶
ピアノリサイタルは、音楽の持つ力を改めて分からせてくれ
たように思います。
本 来なら 、日 韓 両 国が互いに過 去の歴 史を 背 負いながらも 、
未来に向けて困難を乗り越え、共に歩んできた 周年を喜び
合う1年になるはずでした。
しかし、皆さま 、ご存 知のように日 韓 両 国 間には、
いまや感
情的ともみえる憎悪に満ちた空気が漂っています。
とかく﹁政治﹂
に頼って、無理やりに歩ませた感が否めない戦
後の日韓関係の歪なのかもしれません。
国際情勢に押されて、
いがみ合いながらも、関係正常化をす
る 直 前の1964年 、母・田内 千 鶴 子が一時 帰 国した時に、岸
信介・元首相から千鶴子に送られた
﹁玄界灘の波を鎮めるのは
あなたです﹂
という言葉が浮かびました。
難しい時代に、
ただただ孤児への愛情だけで接してきた母に、
何か政治にはない力を岸元首相は感じられたのだと思います。
政治を超える力。
白建宇さんのリサイタルは、
それを示してくれました。会場
には、多くの在京外交官や、
日本外務省の職員、韓国大使館員
の姿が見られました。
余り、
お知らせしてはいませんが、常陸宮華子妃殿下もおい
でになり、
リサイタル終了後には、白建宇さんに直接、
お声をお
かけくださいました。
白 建 宇 さんは 、何 も 語っていませんが、その音 楽は 多 くの
方々の心を揺さぶったと確信しています。
母もその名演奏に聞き入ってくれたと思います。
日韓両国の
人々の心が通じ合えるよう願っています。
2015年5・6月
社会福祉法人 こころの家族
理事長 尹 基︵たうちもとい︶
50
No.303
日韓福祉交流通信 こころの家族 2015年5月1日発行(第303号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
この国に住む外国人が日本はいい国だといえる社会づくりを目指します
醍醐太極拳笑顔の会の皆様がボランティアで来訪、利用者様も座ったままでできる太極拳を一緒にしました。
(故郷の家・京都で)
●(仮称)「故郷の家・東京」着工記念式典を開催…2頁 ●白建宇ピアノリサイタルを開催…3頁 ●オモニフォーラムから…4頁 ●ちいさな芽…5頁 ●インタビュー・稲本曉子さん…6∼7頁 ●「生きる」…8頁 ●福祉車両が寄贈されました…9頁 ●おんどる…10 頁 ●料理・パズル…12 頁 も と に﹁醜 い 戦 争 を 知 る 世
代 と し て、戦 争 を し て は な
らないということを次の世
代 に 引 き 継 ぎ、日 本 が 北 東
アジアの皆様に犠牲と困難
を 押 し 付 け た 償 い を、少 し
でも果たすことができれば﹂
と述べました。
ま た﹁在 日 韓 国 老 人 ホ ー
ム を 作 る 会﹂会 長 の 阿 部 志
郎 氏 は こ れ ま で の﹁こ こ ろ
の 家 族﹂の 歩 み に ふ れ つ つ
﹁愛し、愛され、愛する共同
体を作りたい﹂
﹁私たち日本
が犯した罪の贖罪のために、
許しを請う印として故郷の
家 を 建 て る の で す﹂と 力 強
く述べました。
※
1 9 8 5 年 の﹁在 日 韓 国
老 人 ホ ー ム を 作 る 会﹂発 足
か ら 年、1 9 8 9 年 に 初
め て の﹁キ ム チ と 梅 干 し の
あ る 老 人 ホ ー ム﹂と し て 堺
市に故郷の家が開設されて
か ら 年。首 都 圏 初 の﹁故
郷 の 家﹂と し て 江 東 区 塩 浜
に建設が始まった︵仮称︶
﹁故
郷 の 家・東 京﹂は 2 3 4 4
平方メートルの敷地に延床
面積6734平方メートル、
鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 造 り・地
上5階建て。
▽特別養護老人
▽
ホーム 人︵ユニット型︶
▽
ショートステイ 人︵同︶
ケ ア ハ ウ ス 人▽都 市 型 軽
費老人ホーム8人の総計1
48人の大型特別養護老人
ホーム。2016年秋にオー
プンする予定です。
30
26
98
︵仮称﹁
︶ 故郷の家・東京﹂着工記念式典を開催
記 念 式 お よ び 記 念 講 演 会
は 韓 国 中 央 会 館︵東 京 都 港
区︶で開催されました。
式典はウェスレアン・ホー
リネス教団淀橋教会の峯野
龍弘牧師の開会の祈りで始
ま り、野 中 広 務 元 官 房 長 官
や 鳩 山 由 紀 夫 元 首 相、原 田
憲 治 衆 議 院 議 員、柳 興 洙 駐
日 韓 国 特 命 全 権 大 使、金 守
漢韓日親善協会中央会長ら
日韓の各界を代表する人々
から着工を祝うメッセージ
が 寄 せ ら れ、こ の 日 を 迎 え
られた喜びをともにしまし
た。
※
記 念 講 演 会 に 登 壇 し た 野
中 広 務 氏 は、自 ら の 体 験 を
祝 歌 を 披 露 し た 金 美 玉、
朴桂、金善希の各氏
故郷の家の生活について
語った前田 氏
大韓老人会会長
李沁 ( イ・シム ) 氏
柳興洙(ユ・フンス)
駐日韓国特命全権大使
金守漢(キム・スハン)
韓日親善協会中央会長
韓国 KBS 理事長
李仁浩(イ・イノ)氏
野中広務元官房長官
︵仮称︶故郷の家・東京の建設がいよいよスタートし
ました。昨年の入札は不調に終わったものの、その後
設計変更で大幅にコストダウンをはかるなど万全の体
制で望んだ本年1月の再入札で東京の建設会社が落札。
その後の諸手続きも滞りなく進み、3月 日には着工
記念式が開催されるに至りました。5番目の
﹁故郷の家﹂
誕生に向け、大きな一歩が踏み出されました。
記念式典会場
「作る会」会長
阿部志郎氏
17
30
12
2
白建宇ピアノリサイタル開催
日韓国交正常化
50 周年記念
3 月 日、韓 日・日 韓 国
交正常化 周年記念白建宇
︵ク ン ウ ー・パ イ ク︶ピ ア ノ
リ サ イ タ ル が、韓 国 生 ま れ
の世界的なピアニストの白
建 宇 氏 を 招 聘 し て、サ ン ト
リーホール大ホールで開催
されました。
音 楽 を 通 じ て 日 韓 関 係 の
緊張を少しでも緩和しよう
と、メンデルスゾーンの﹃無
言 歌 集﹄か ら﹃デ ュ エ ッ ト﹄
を 選 択 し た 白 建 宇 氏。日 韓
両国国民が共に手を携えて
未来に進もうというメッ
セージが込められた素晴ら
しい演奏に、サントリーホー
ルを埋めた約1700人の
聴 衆 は 大 き な 拍 手 で、感 動
と感謝の気持ちを伝えまし
た。鳴 り 止 ま な い 拍 手 に 応
え て、白 建 宇 氏 は リ ス ト の
﹁忘れられたワルツ﹂第1番
をアンコールで演奏しまし
た。
映 画﹁愛の黙 示 録﹂の金 洙 容 監
督も駆けつけて、懐かしい人々
との再会を喜ぶ
同 リ サ イ タ ル に は 日 本 皇
室からは常陸宮華子妃殿下
が 参 加 し た ほ か、江 田 五 月
元 参 議 院 議 長、河 村 建 夫 日
韓 議 員 連 盟 幹 事 長、上 野 尚
一 朝 日 新 聞 社 社 主、佐 々 木
幹夫日韓経済協会会長、佐々
田内千鶴子生誕の地・高知県の
知事を務めた橋本大二郎氏と
令夫人
﹁芸術を通じた交流を﹂
木則夫東芝副会長らが列席。
韓国側からも、柳興洙︵ユ・
フンス︶駐日大使、
金守漢︵キ
ム・スハン︶元国会議長、イ・
イ ン ホ︵李 仁 浩︶
KBS理 事
長、金 東 虎︵キ ム・ド ン ホ︶
文化隆盛委員会委員長らが
参加しました。
アンコールを求める観客の
拍手に応える白建宇氏
実 行 委 員 長 を 務 め た 尹 基
理事長は、
﹁芸術には国境が
な く、日 韓 の 間 で 芸 術 を 通
じた交流が深まることを
願 っ て い ま す﹂と、N H K
の取材を受けて語りました。
﹁韓日・日韓国交正常化50
周 年 記 念 白 建 宇︵ク ン ウ ー
・パ イ ク︶ピ ア ノ リ サ イ タ
ル﹂は、
﹁日 韓 国 交 正 常 化
周 年﹂記 念 事 業 と し て 外 務
省 の 認 定 を 受 け、田 内 千 鶴
子生誕100周年記念事業
会の主管で開催されました。
3
17
50
エネルギッシュな演奏で聴衆を感動させた白建宇氏
50
2015.3.17
日韓を結んだ感動の調べ
オモニ
フォーラム から
第7回
黄真伊︹ファン・ジニ︺
1506年?∼1567年 詩人
﹁冬至の長々しい夜﹂
李玉峯︹イ・オクボン︺
?年∼1592?年 詩人
﹁夢魂﹂
近來安否問如何 近頃如何お過ごしでしょうか
月到紗窓妾恨多 窓の薄絹に月明が射しますが私の気持
ちは鬱々とするばかりです
若使夢魂行有跡 若し夢の中を魂が行き来できるならそ
の足跡があって
門前石路半成沙 門前の石の半分は砂になるでしょう
1996 年、全南日報の新春文芸に当
選して登壇した。同年、湖南文学賞を
受賞し、1999 年文化日報の新春文芸
の当選。2001 年、三星文学賞を受賞
した。長編小説で
「鳩の家、
人たち」
「
、少
数の愛」
、
「蝶よ蝶よ」等があり、多数
の評伝と子ども童話集、作品集などが
ある。
現在は文化日報のコラムニストと東
新大學校に出講している。
冬至の長々しい夜を真ん中で二つに折って
春風の蒲団の下にくるくる巻いて
いとしい人がいらっしゃる夜に拡げましょう
許蘭雪軒︹ホ・ナンソルホン︺
1563年∼1569年 詩人・画家
﹁哭子﹂
去年喪愛女 去年喪愛子 いとしい娘を去年失い、いとし
い息子も失った
哀哀広陵土 双墳相対起 悲しみの広陵の地に、二つの墓
が向かい合う
粛粛白楊風 鬼火明松楸 風は粛粛と白楊の木に吹いて、
鬼火が松の木々を照らす
紙銭招汝魂 玄酒存汝丘 紙銭を焚いてその魂を呼び、酒
を供えたならば
應知第兄魂 夜夜相追遊 その魂は呼び合って、夜毎遊び 回るだろう
縱有服中孩 安可糞長成 もし再び子を宿しても、成長を 望むことができようか
朗吟黃 詞 血泣悲呑聲 黃 の詞を吟じ、煮え立つよう な血の涙に喉を詰まらせる
殷美姫〔ウン・ミヒ〕
朝鮮時代女性の恨︹ハン︺
11
女流詩を通して再証明
朝鮮時代の女性たちの生き様
を 世紀の女流詩人たちの詩を
通して再証明した分析が韓国の
女流作家によって発表されまし
た。
これは去る2月 日ソウルの
共生福祉財団で開かれた﹁尹鶴
子︹ユン・ハクチャ=田内千鶴
子︺女史記念オモニ︵お母さん︶
フォーラム﹂で作家・殷美姫︹ウ
ン・ミヒ︺さんが朝鮮時代を代
表する3人の女
流作家の作品か
ら、当 時 の 厳 格
な 儒 教︵女 性 蔑
視︶社 会 に 生 き
る女性たちの日
常生活と彼女た
ち の 恨︹ハ ン=
満たされない心
情︺を 解 き 明 か
したものです。
こ こ で 取 り 上
げられた女流詩
人とその作品を
ご紹介します。
16
4
尹致浩が創始し、田内千鶴子が引き継いだ韓国木浦の共生園。
こころの家族のルーツともいえるこの児童施設の、いまをお伝えします。
宮は天皇が祀られている場
所 で と て も 広 く、中 を 歩 い
ていたら伝統衣装の袴を身
に付けた女性たちも見れて
ラ ッ キ ー だ っ た。韓 国 に 帰
り た く な か っ た が、ま た 次
回を楽しみにしたい。
日本航空韓国地区支店
自立体験館を体験
高 知 県 議 会 の 西 森 潮 三 議
員と高知県日韓親善協会の
山崎啓輔会長が全羅南道知
事との面会のため木浦に来
ら れ ま し た。高 知 県 と 全 羅
南道は友好都市として交流
を 続 け て い ま す。お 忙 し い
中、共 生 園 に も 訪 れ て く だ
さ り、お や つ に 日 本 の 有 名
な長崎カステラとみかんを
い た だ き、あ り が と う ご ざ
いました。
高知県からのご訪問 自 立 体 験 館 体 験 プ ロ グ ラ
ムは児童が地域社会に出る
た め の 準 備 段 階 と し て、い
つもと違う場所で一人で生
活 し な が ら、独 り 立 ち で き
る 自 信 を つ け る た め に、事
前に体験してみるプログラ
ムです。
=
イ・ジョンフン︵ 歳︶
一人暮らしは楽しいだろう
と 漠 然 と 考 え て い た。し か
し今回の自立体験を通して、
大人になって一人で暮らす
ことはいいことばかりでは
な く、自 立 す る 上 で ま だ 足
りない部分が多いというこ
と が 分 か っ た。自 分 の 未 来
の た め に、足 り な い 部 分 を
努力して改善していかなけ
ればいけないと思った。
=
イ・チャンフン︵ 歳︶
買い物や料理など生活の全
般的なことを一人でしなけ
ればならないというのは容
易 で は な か っ た。し か し 今
回の体験は自立する時にと
て も 役 立 つ と 思 え た し、一
人でもできるという自信が
少 し は 湧 い て き て、い い 経
験となった。
18
18
から奨学金の伝達
毎 年 共 生 園 を 訪 問 し て く
ださる日本航空韓国地区支
店 の 姫 路 貴 弘 支 店 長、宇 佐
美祐一釜山事業所長のほか
6名の職員の皆様が今年も
大学生に奨学金を伝達する
ために来訪してくださいま
し た。不 景 気 に も か か わ ら
ず、 年 以 上 に わ た り 共 生
園との交流を続けていただ
き、感謝申し上げます。
40
日本文化体験で
を馳せながら観覧
し、理解を深めた。
その後大阪の繁華
街として有名な道
頓堀と心斎橋に向
か い、道 頓 堀 の 近
くで日本伝統の
ラーメンである金
龍ラーメンと有名
なたこ焼きを食べ、
とてもおいしかっ
た。
翌 日 は 在 日 同 胞
のための特別養護
老 人 ホ ー ム 故 郷 の 家・神 戸
に 向 か っ た。日 本 の 高 速 道
路 は 街 の 上 に あ り、都 市 の
中を突き抜けていくようで
新 鮮 だ っ た。故 郷 の 家・神
戸では懐かしい出会いがあ
り、自 分 が 暮 ら し て い る 木
浦共生園の元園長だった田
内緑さんが職員の皆さんと
温 か く 迎 え て く だ さ っ た。
みんなで練習していった出
し物も喜んでもらえてうれ
し か っ た。紙 を ち ぎ っ た り
切ったりして貼り付けるモ
ザイクという遊びではお年
寄りの皆さんと一緒に一生
懸命作った。
最 後 に 行 っ た 歴 史 と 伝 統
の 都 市・京 都 で は そ の 町 並
み が 印 象 的 だ っ た。平 安 神
5
大阪・神戸・京都へ
文 チャン・ゴン︵高3︶
感想
全 羅 南 道 の 箇 所 の 児 童
福祉施設から代表が一人ず
つ日本での文化体験をする
と い う 機 会 に 恵 ま れ、ワ ク
ワクして日本旅行に出
か け た。普 段 か ら 日 本
に 関 心 が あ り、日 本 の
アニメへの関心が強
かったので期待が大き
かった。
初 日、最 初 の 観 光 地
である大阪城に向かっ
た。大 阪 城 は 遠 く か ら
み て も 高 く て 大 き く、
と て も 興 味 が 湧 い た。
城の中では当時に想い
20
今号は、当法人評議員の稲本暁子さんにご登場いただ
きました。稲本さんはクラリネット奏者で昨年、惜しま
れながら亡くなられたご主人の耕一さん、ピアニストの
長男・響さん、クラリネット奏者の次男・渡さんの音楽ファ
ミリーを支え、稲本音楽事務所の代表を務められていま
す。ご自身も国際ソロプチミスト大阪ー南陵で様々なボ
ランティアや支援活動でもご活躍されています。
││ご 両 親 の 思 い 出 を お 聞 か せ
ください
稲 本 富 山 県 出 身 の 父 は、学 校
の先生にあこがれ師範学校を受験
しようと希望に燃えていたそうで
す が、高 等 科 2 年 生 の と き 祖 父 が
亡 く な っ て し ま い、長 男 の 父 が 一
家を支えなければならず師範学校
を諦めて就職の道を選んだそうで
す。当 時、父 の 従 兄 が 韓 国 で 家 庭
薬 の 販 売 を し て い て、そ の 従 兄 の
勧めで韓国総督府鉄道局釜山機関
区 の 就 職 試 験 を 受 験。経 済 界 大 不
況 の 昭 和 4 年、試 験 に 合 格 し 採 用
が決まり韓国で仕事に就きました。
それから中国でも仕事をするよう
になりました。
││お 父 様 も 音 楽 が お 好 き で し
たか
稲 本 父 は 日 本 の 民 謡 を 嗜 ん で
お り、1 9 7 7 年、稲 本 が 第 1 回
目 の リ サ イ タ ル を 開 く 時、父 の ア
ドバイスで日本民謡を取り入れま
した。第1回は﹁江差追分﹂を演奏。
それから日本人としての音楽を追
求 し たい と、稲 本 は各 地方の 民謡
を演奏する前には必ず民謡が生ま
れた土地に行き、現地で丹念な取
材をしてクラリネットの演奏用に
アレンジをして演奏。そして集大
成となる日本民謡を吹奏するアル
バ ム﹁Me s s a g e f r o m
MIN︱YO﹂を残し、﹁クラリネッ
トで日本人の心を表現する﹂音楽
家 と 音 楽 専 門 誌﹁音 楽 現 代﹂で も
高く評してくださいました。
││お 母 様 の 思 い 出 を お 聞 か せ
ください
稲 本 偶 然 に も 今 日︵取 材 日 4
月 1 日︶は、母 の 命 日 で す。大 正
年生まれの母は、音楽が大好き
で 私 に 早 く か ら ピ ア ノ を 習 わ せ、
レッスンがある日は学校まで迎え
に来るなど熱心に通わせてくれま
した。私をピアニストにさせたかっ
たのです。私は結婚を機にピアノ
は止めてしまいましたが、孫にあ
たる響がピアニストになり、母の
希望を叶えてくれました。
稲本 医師からも手術後はもう、
ク ラ リ ネ ッ ト の 演 奏 は 無 理 だ と、
言われていましたが口に空気をた
め て し ゃ べ れ る よ う に な る﹁食 道
発 声﹂が あ る と 聞 い て、必 死 に リ
ハビリに励んでいました。2年後、
ついにクラリネットを吹くことが
で き る ま で に な っ た の で す。身 体
中の力を振り絞っての演奏でした。
亡 く な る 前 の 年 に 開 催 し た リ ー
ガロイヤルホテルでのディナー
シ ョ ー﹁聖 夜 の 晩 餐 会﹂で、見 事
な 演 奏 で 復 活 を 果 た し ま し た。そ
の 折 に は、頭 に も 転 移 し て い て、
目も半分しか見えてなかったので
すが、本人も周りも気が付かなかっ
たのです。
鰻 丼 の 炊 き 出 し が あ り、そ の 時 に
稲 本 も 演 奏 す る 機 会 を 得 ま し た。
温かい鰻丼が配られているにもか
かわらず、稲本の演奏が始まると、
どなたも鰻丼のふたも開けずに演
奏 に 聞 き 入 り、涙 を 流 す 方 も お ら
れ ま し た。音 楽 で 気 持 ち が 癒 さ れ
る大切さをしみじみと感じました。
﹁命 の 次 は、音 楽﹂を 実 感 し た と、
稲本も感激していました。
││ま さ に、音 楽 の 力 で 被 災 者
の気持ちを救ったのですね
稲 本 癌 が 見 つ か り 治 療 中 だ っ
た稲本はコンサートも開いていま
したが、
全国で﹁
﹁命よりクラリネッ
ト、音 楽 愛・家 族 愛﹂と い う テ ー
マで講演活動も行っていました。
稲 本 の 姿 を 見 て い た 息 子 た ち も
東北大震災の被災地でのボラン
テ ィ ア 演 奏 を し て い ま す。長 男 の
響は、家で眠っていたピアノをオー
バーホールして現地に持って行き、
流された家の跡地でその家の人の
思い出の曲を演奏するボランティ
ア活動をしています。
││国 際 ソ ロ プ チ ミ ス ト 大 阪 ︱
南 陵 で は 2 0 1 1 年 に 会 長 を、
201 3年に 周年記念委員長を
務 め ら れ ま し た が、ソ ロ プ チ ミ ス
トの具体的な活動内容を教えてく
ださい
稲 本 ソ ロ プ チ ミ ス ト は、専 門
職 を 持 つ 女 性、ま た 管 理 職 に あ る
女性たちの国際的なボランティア
組 織 で す。大 阪 ︱ 南 陵 の 立 ち 上 げ
に も 関 わ り、 周 年 記 念 で は﹁田
内千鶴子生誕100周年記念事業
会﹂に も 寄 付 を さ せ て い た だ き ま
した。
││大 阪 ︱ 南 陵 の 独 自 の 活 動 が
あれば教えてください。
稲本 毎年、チャリティーバザー
を 開 き タ イ の エ イ ズ 孤 児 施 設﹁希
望の家﹂に教育資金援助や、
SAC
HICO
︵性暴力救援センター︶に
寄 付 な ど を 行 っ て い ま す。特 に 力
を 入 れ て い る の が﹁性 感 染 症 出 前
授業﹂です。若い医師の協力の下、
中学校で出前授業を行っています。
活動に必要な費用は、毎年開くチャ
リティーバザーやチャリティー事
業などの収益金をあてています。
10
││こ れ か ら の 故 郷 の 家 に 望 む
ことはありますか
稲 本 故 郷 の 家 は、職 員 さ ん も
み な さ ん 明 る く、前 向 き な 活 動 を
次 々 実 現 さ れ て い ま す。故 郷 の 家
に行くといつもハッピーな気持ち
に な り ま す。故 郷 の 家 の 様 な 施 設
が社会全体に広がればいいと願っ
ています。
6
7
ファミリーで
ボランティア活動
(2010 年 4 月)
10
稲本 暁子︵いなもと あきこ︶
稲 本 音 楽 事 務 所 代 表。社 会 福 祉
法 人﹁こ こ ろ の 家 族﹂評 議 員。1
944年 月 河南省彰徳県生ま
れ。2 0 1 1 年、国 際 ソ ロ プ チ ミ
スト大阪︱南陵会長。2013年、
国際ソロプチミスト大阪︱南陵
周年記念委員長。
10
クラリネット奏者の夫とともに
││喉 頭 癌 の た め に﹁喉 を 失 っ
た ク ラ リ ネ ッ ト 奏 者﹂と 言 わ れ た
耕 一 さ ん が ク リ ス マ ス の﹁聖 夜 の
晩 餐 会﹂で 奇 跡 の 復 活 を 果 た し、
命がけで演奏する姿を間近で見て
こ ら れ ま し た が、寄 り 添 わ れ る な
かで葛藤はありましたか
稲 本 年 前 に 喉 頭 癌 を 発 症。
手術すれば治るといわれたのです
が、手 術 を す れ ば ク ラ リ ネ ッ ト が
演 奏 で き な く な る。命 よ り ク ラ リ
ネ ッ ト を 選 び ま し た。私 は 稲 本 の
想 い を 尊 重 し よ う と、本 人 の 希 望
に 同 意 し ま し た。放 射 線 治 療 が う
ま く い き 5 年 後 の 夏、完 治 宣 言 を
受 け ま し た。け れ ど 喜 び も つ か の
間でその秋、再発が分かりました。
││手術に踏み切ったのですか
稲 本 抗 癌 剤 治 療 等 を し て い た
の で す が 3 年 前、手 術 せ ざ る を 得
なくなりました。
││手 術 後、奇 跡 の 復 活 を 果 た
しクラリネット演奏ができるまで
になられました
││当 法 人 尹 基 理 事 長 は﹁福 祉
は 文 化 で あ る﹂と 言 い 続 け て い ま
す が、フ ァ ミ リ ー で 音 楽 活 動 を す
る中で感じることはありますか
稲本 主人の耕一と
息子2人で様々な場所
でボランティア演奏を
させていただきました
が、一番印象的だった
のが、阪神大震災の時
です。震災後、被災地
の学校の校庭でロータ
リークラブ主催による
12
11
稲本氏は故郷の家でも演奏した
テクネルームの、雛飾りの前で
││当 法 人﹁こ こ ろ の 家 族﹂の
評議員になられることになった
きっかけを教えてください。
稲 本 所 属 し て い ま す 国 際 ソ ロ
プ チ ミ ス ト 大 阪 ︱ 南 陵 で、故 郷 の
家に抹茶ボランティアなどで定期
的に伺っている中で評議員のお話
を い た だ き ま し た。私 で お 役 に た
てるならと、お引き受けしました。
││昨 年、惜 し ま れ な が ら 亡 く
なられたクラリネット奏者である
ご 主 人 の 耕 一 さ ん、そ し て ご 長 男
の 響 さ ん、次 男 の 渡 さ ん を ず っ と
支 え て い ら っ し ゃ い ま す が、稲 本
音楽事務所での具体的なお仕事を
お聞かせください。
稲 本 フ ァ ミ リ ー で の コ ン サ ー
ト 活 動 や、ピ ア ニ ス ト で 作 曲 家 で
あり映画やドラマの音楽監督も務
め る 響、ク ラ リ ネ ッ ト 奏 者 の 渡 の
ラ イ ブ な ど の 案 内・D M 発 送 等。
今 は、兄 弟 ラ イヴの 企 画・公 演 を
担当しております。
ま た、稲 本 耕 一 が 生 ま れ 育 っ た
町家を改装した堺テクネルーム︵堺
市 堺 区︶で は、地 域 に 根 差 し た 活
動 を 行 っ て い ま す。毎 年﹁秋 季・
春 季 の 堺 文 化 財 特 別 公 開﹂に あ わ
せ、町家公開と﹁稲本 響・渡 兄弟
ラ イヴ﹂を 開 催。3 月 に は、地 域
にてお雛様の公開﹁堺七まち ひな
飾りめぐり﹂にも参加しています。
││ご 自 身 も 音 楽 は な さ い ま す
か
稲 本 ピ ア ノ と 声 楽、邦 楽 を 学
び ま し た。主 人・稲 本 と の 出 会 い
もクラリネットの発表会でピアノ
伴 奏 を し た こ と か ら で す が、結 婚
し て か ら は、ピ ア ノ を 弾 い て い ま
せん。
10
稲本暁子さん
音楽は人を癒すと信じて
インタビュー
20
─ ⑦
⑪ ─
なってしまったのです。その
時、岩本さんはまだ 歳でし
た。
父親亡き後、母親と9人兄
妹を支えたのは一番上の兄で
した。しっかり者の兄は、商
才にたけ、播磨造船の直系の
下請けの仕事をして大成功。
兄妹それぞれの家を建ててく
れ、自 分 の 家 も 建 て ま し た。
その頃、日本で家を建てた韓
国人は初めてと言われたくら
い で す。そ の 兄 も 家 を
建 て た す ぐ あ と、亡 く
なってしまいました。
父 親 が 亡 く な っ て か
ら は、母 親 は 兄 妹 を 厳
し く 育 て ま し た。外 出
に も 厳 し く、あ る 時、
母が留守だった に兄
15
歳で結婚。韓国・蔚山生
まれのご主人は、若くして日
本に留学、日本の旧制中学を
卒業した優秀な人でした。岩
本さんのご両親の故郷と同郷
だったことから親が決めた結
婚でした。
ご主人は、長田で金属の会
社を起業。人望が厚く、民団
団長も務めていました。困っ
ている人を見るとすぐに助け
に駆けつける優しい人でし
た。同じころ、岩本さんも婦
人会会長に就き、夫妻で地域
で活躍。仲の良い2人は、夫
婦や民団の仲間でよく海外旅
行にも行きました。今のよう
に誰でも海外旅行に行くこと
ができない時代に、ハワイや
オーストラリア、シンガポー
ルに行き楽しい思い出をたく
さん作りました。
自身は婦人会会長に
夫は民団団長、
とこっそり映画を観に行きま
した。夕方、帰宅すると母が
帰っていて、家の玄関も窓も
閉めきり、家に入れてくれず
締め出しをくったこともあり
ました。
夫婦で地域活動に励んできました
15
20
故郷の家・神戸に昨年、入居された岩本文子さん。笑
顔が印象的な岩本さんは、施設のレクリエーションやイ
ベントにも積極的に参加。その場を盛り上げ、職員を助
けてくれています。人望厚いご主人との間に2男1女の
3人の子どもに恵まれ、幸せなご家庭を築いてきました。
昭和5年9月 日、韓国を
祖国に持つ両親の下、神戸で
誕 生 し た 岩 本 さ ん。父 親 は、
日本で仕事をするために来
日。車がまだ一般に普及して
いなかった戦前、馬車で荷物
運搬をする事業を起業。神戸
製鋼など大企業の運搬を任さ
れ、仕事は順調でした。とこ
ろが、働き者の父親は昭和
年、その頃流行っていた腸チ
フスに罹り 歳の若さで亡く
49
に住んでいる妹やいとこが気
岩本文子さん︵ 歳︶
がかりで当座の荷物をリュッ
クに詰めて背負い、子どもを
連れて長田方面に向かいまし
平 成 年、最 愛 の ご 主 人
た。電車は板谷駅までしか運
が 亡 く な り ま す。悲 し み に
行されず、そこから新長田ま
く れ る 岩 本 さ ん は、毎 日 お
で歩くと、これまでと全然違
墓 に 通 い 続 け ま し た。そ れ
う風景に愕然。妹が営んでい
を 見 た 知 人 か ら﹁そ ん な に
た喫茶店はすっかり焼け、何
お墓に行き嘆き悲しんでい
もありませんでした。幸い妹
た ら、ご 主 人 は 行 く と こ ろ
は無事で区役所に避難してお
に 行 け な い﹂と 忠 告 さ れ お
り、再会が果たせ安 。妹さ
墓通いを止めたというエピ
んとは今でも仲良しです。
ソードも。
ご主人が亡くなってからは
3人の子どもには、韓国の
長男家族と住んでいました
食や文化を忘れないように育
が、体調を崩し老健施設へ入
ててきた岩本さん。
居。その後、故郷の家・神戸
﹁いつも家には韓国のお客さ
のショートステイを利用する
んが来ていて、食卓にはキム
などで入居することに。一時
チがあり、住んでいた土地柄
は ㎏まで減った体重も、故
もあり韓国人であることが誇
りでした。幼稚園の時﹃ぼく、 郷 の 家 に 来 て か ら は ㎏ に
戻っています。
韓国人やで!﹄と、胸を張っ
て友達に自慢していたことも ﹁こ こ は 韓 国 の 人 も 多 く、同
あります﹂と次男の聖二さん。 じ故郷の人がいる、という安
心感は何よりも代えがたいも
ショックだった
のです。ボランティアで指導
阪神大震災
してくれる習字や絵画も楽し
みにしているんです﹂と、岩
本さん。お好み焼きが大好き
な岩本さんのために美味しい
お店を探し、連れて行ってく
れる子どもさんや、8人の孫
とひ孫3人にも囲まれ、充実
の日々を過ごしています。
84
これまでの人生で忘れられ
ないのは1995年に起こっ
た阪神大震災。当時、岩本さ
んは明石に在住。明石も揺れ
はすごく家の壁もはがれ落ち
ました。それでも自宅の被害
は少なかったのですが、長田
11
45
50
8
故 郷 の 家・神 戸 で は、将
来 的 に、地 域 の 方 も 対 象 に
し た 介 護 教 室 を 開 き、地 域
に貢献していきたいと考え
ています。
ろでたたく拍手など難易度
もさまざま。もちろん、座っ
た ま ま で O K。こ れ を﹁三
百 六 十 五 歩 の マ ー チ﹂の 歌
に あ わ せ て 行 う と、曲 が 終
わるころにはうっすら汗を
かくほどだそうです。
施 設 で は 職 員 が 実 際 に
行っている映像を見ながら
し て い ま す が、見 知 っ た 顔
が大きく映し出されると利
用 者 さ ん も 思 わ ず 笑 顔 に。
終 始 な ご や か な 雰 囲 気 で、
新しい健康法を楽しんでい
ます。
9
祉車両を当法人尹基理事長、田内総括
施設長、藤井施設長が受け取りました。
贈呈された福祉車両は左記の通りで
す。ご利用者の送迎やヘルパーの移動
な ど で 大 切 に 使 わ せ て い た だ き ま す。
ありがとうございました。
▶日本財団福祉車両助成(助成金額:450,000 円)
車名:ホンダ N-WGN (軽自動車。写真下右)
目的:故郷の家・京都のホームヘルパーの移動
故郷の家で4月1日、福祉車両の贈
呈式が行われました。
式には、一般社団法人大阪福祉防犯
協会会長・高智茂さん、一般社団法人
大阪福祉防犯協会専務理事・森池良朝
さん、こころの家族理事・金基周さん
が参列してくださり、大阪福祉防犯協
会と日本財団から助成をいただいた福
▶日本財団福祉車両助成(助成金額:450,000 円)
車名:ホンダ N-WGN (軽自動車。写真下左)
目的:故郷の家のホームヘルパーの移動
音楽にあわせて
﹁健康拍手﹂好評
故 郷 の 家 で は い ま﹁健 康
拍 手﹂が 大 人 気 で す。韓 国
で は や っ て い る 健 康 法 で、
音楽にあわせて拍手するだ
け の 簡 単 な も の で す が、拍
手 と い っ て も い ろ い ろ。手
のひらをあわせるだけでな
く、指 先 だ け の 拍 手、手 の
甲 の 拍 手、さ ら に は 体 の 後
♥ 福祉車両をありがとうございます ♥
介護技術の向上
に努めています
故 郷 の 家・神 戸 で は、今
年の4月から毎週木曜日の
業務終了後に職員を対象と
した介護教室を自主的に集
まって開催しています。
理 学 療 法 士 の 紙 谷 さ ん が
講 師 を 務 め、テ キ ス ト に は
載っていない介護技術を指
導します =写真左。介護する
人 が、人 間 の 体 の 構 造 を 理
解することで介護する側に
も、介 護 さ れ る 側 に も 負 担
の 少 な い﹁人 に や さ し い 介
護﹂が で き る よ う に 指 導 し
ていきます。
介 護 職 員 の 技 術 向 上 だ け
ではなく、家で介護する
場面等でも役立つ技術を
身につけられるように事
務職員や栄養士も参加し
ています。
▶大阪福祉防犯協会助成(助成金額:900,000 円)
車名:ホンダ N-BOX (車いす仕様軽自動車。写真上)
目的:特養・ショートステイ送迎
堺
神戸
施設スケジュールは各施設のブログをご参照ください。
故郷の家(堺)
故郷の家・大阪
http://kokyosakai.blog40.fc2.com/
http://kokyoosaka.blog79.fc2.com/
故郷の家・神戸 故郷の家・京都 ◀旧正月に餅つきをしました
▼4 月、花見ドライブに出かけました。花びらがち
らちらと舞う中で、おやつとお茶を頂きました。「ロ
マンチックやなぁ。」「ええところや。来て良かっ
た!」と言いながら、利用者様も良い笑顔で一生思
い出に残る、素敵な記念写真も撮りました。
京都
▼株式会社タカメディカル社長の甲斐孝則
様のご助力により高砂部屋の朝興貴さんが
故郷の家・神戸を訪問してくださいました。
本物の力士を
目 の 前 に し、
みなさん大喜
びでした。
▼韓国の全羅南道の全羅南道児童福祉協会から中学・高
校の生徒と先生 25 人程、故郷の家・神戸を訪問してくだ
さいました。歌とダンスを披露してもらった後、ご利用
者と一緒に貼り絵で桜が咲いた庭を作成しました。
堺
▶ボ ラ ン テ ィ ア の﹁み
そ じ﹂さ ん と カ ラ オ ケ
を歌いました
大阪
神戸
http://kokyokobe.blog40.fc2.com/
http://kokyokyoto.blog41.fc2.com/
◀3 月 に お 誕 生 日
を迎えた利用者様
とレストランに
行 っ て き ま し た。
スパゲティやグラ
タ ン、ハ ン バ ー グ
などご自分の好み
の も の を 選 ん で、
美味しそうに召し
上がっておられま
した。また、帰り道には荒山公園に寄って梅の花を
見ました。残念ながらほとんど散ってしまった後で
したが、まだがんぱって咲いている梅を見ながら、
皆笑顔で写真を撮られました。
▶4 月 3 日、
多治速比売神
社に花見に行
き ま し た。満
開の桜を見て
利用者様は
「き れ い ね ∼
満開や∼今年
もこんなに綺
麗な桜を見れ
て嬉しい∼」などとても喜ばれました。また、タン
ポポを摘んで耳の横に挿したり暖かい日差しの中で
用意したコーヒーやジュース、ノンアルコールビー
ルなどを飲みながら、春のひと時を楽しまれました。
10
皆様のお気持ちに感謝いたします
2015 年2月・3月 寄付合計 18,727,817 円
堺
大 阪
法 人
330,487 円
24,096 円
17,697,918 円
2015 年2月・3月の寄付者
日本福音同盟
理事長 中台 孝雄
総主事 品川 謙一
Jeong TaeSeon
カトリックマリア会
カルメル会修道院
ペン株式会社
安井 久寿
伊藤 恭子
伊藤 倫邦
一般財団法人
太平洋放送協会
永山 成大
延原 正海
奥村 三郎
奥田 恭江
横田 愛子
岡本 薫
岡本 民夫
沖藤 典子
河 幹夫
河内 常男 宣子
学校法人 金剛学園
楽しい授業をつくろう会
株式会社 慶商
代表取締役 鄭 貞子
観寺 伊津美
閑珠流韓国茶道 宗主 吉田 珠子
韓 貞愛
丸山 琴子
久田 雄治
宮原 智文
宮崎 冴子
宮崎 静子
株式会社東テスティパル 事業部 部長 宮部 伸行
橋本 安彦
玉木 康平
錦織 葆
近畿産業信用組合
理事長 大本 崇博
金 安信 鄭 汀媛
金 一志
金 慶光
金 日権
金 宝熙
金剛学園PTA
金山 委智夫
金氏高麗人参株式会社
金森 享
故郷の家・堺 職員一同
五井 史子 呉 永錫
公益財団法人 ユニベール財団
匿名御希望者
高 良順
2015 年2月・3月の寄贈者
■故郷の家(堺) あゆみ介護
ダイキチカバーオール
ロックヴィラ 岩村瑛子
大木建設㈱
東京建築支店
㈱ムサシ農園
金剛学園小学校
堺市立殿馬場中学校教諭
由利 元次郎
北浦 晴夫・節子
大森 かづ枝ご家族
金石 チエ子ご家族
久保 清治ご家族
呉本 奉澈ご家族
桑原 淑子ご家族
寺田 勇ご家族
西村 マサエご家族
三木 一子ご家族
安田 俊之ご家族
山口 彦治ご家族
吉山 キクエご家族
■故郷の家・大阪
松尾 ミヨキ 安達 翠 白岩 淳子 養父 多津子 松永食品 根無 静子 ( 敬称略 )
高橋 厚子
高林 弘示
佐々木 照子
佐藤 美津子
佐野 安予
細川 美紀
坂入 髙雄
山口 貞夫
山田 康子
四宮 章夫
児童養護施設 別府平和園
寺尾 和美
社会福祉法人
崇實共生福祉財団
十時 威夫
小村 裕己
小峯 和子
松岡 順之介
松岡 虔一
松下 和弘
松戸教会
松田 けい子 中山 ラヴィ
照屋 則子
新井 倭久子
申 鉉錫
神奈川県ソーシャルワーカ
ー協会 会長 喜多 祐荘
11
小田 ヒターナ
菅野 陽子
小峯 和子
髙沢 隆司
田中 隆
田仲 智子
野中 晴夫
藤井 治子
藤原 まゆみ
三浦 頼彦
和田 操
菅野 道隆
星田 正雄
西浦 喜左男
西島 祐子
赤尾 辰雄
川口 清史
川島 順子
泉亮
浅野 和子
匿名御希望者
全羅南道児童福祉協会
ご一同
倉田 裕司
袖井 孝子
村山 良一
村上 信
多田 佳子
太田 清孝
大西 稔
大津留 厚
大槻 光子
大槻 幸廣
谷本 静子
池上 陽
竹脇 敬一郎 淑子
中川 健一
中村 啓子
忠内 一由
昼間 和守
長尾 みのる
田中 孝一
土岐 準光
島津 稔
島田 隆男
藤原 房子
藤田 裕之
藤島 薫
道城 献一
匿名御希望者
内貴 八郎右衛門
匿名御希望者
日本キリスト教団
亀戸教会
日本キリスト教団
大鰐伝道所
日本基督教会 福島伝道所
日本基督教団室町教会
任 清一
柏木 昭
畑 正樹
畑 有紀
鳩山 由紀夫
樋口 恵子
表 明淑
福井 規公子
大和観光開発株式会社 代表取締役 福田 賢一
福田 武俊
平井 勝江
峯岸 義則
豊橋カトリック教会
朴 榮萬
堀口 雅子
末永 悦子
木間 昭子
ひまわり児童合唱団
野瀬 規子
野中 廣務
野々山 均
油井 真理子
友田 秀子
李 守陳
李 善惠
李 洋雨
李 暎漢
良知 正美
林 弘子
鈴木 仁
和田 有美子
脇田 正一
崔 東基
櫻井 勉
澤村 博三
濱田 利
趙 文子
趙 奉順
香山 春子ご家族
奥山 キヨご家族 松山 君子ご家族 伊山 宝培ご家族 松本 占行ご家族
豊田 久子ご家族 三枝 好子ご家族 在日本大韓民国婦人会
兵庫支部 林貴子
福山 秋子ご家族 炭谷 ちよのご家族 椋木 とみ子ご家族 金光 永文
金子 末子ご家族
金本 景子ご家族 伊東 幸子ご家族 エコロジカルプレゼンツ
大谷 をゆきご家族 金城 道
株式会社 公益社
平川 菊江ご家族
金 鐘分ご家族
西浦 ヨネご家族
金山 昌一
清水 勇次
松本 実江
宮本 年子ご家族
三井 やすえ
( 敬称略 )
松永食品 安達 翠 金田 立男 平賀 梢 みそじ ■故郷の家・神戸
袴田 フクエ
大城 玉華
山口 学ご家族 南 輝男ご家族 金谷 小香ご家族
秋 且善ご家族 中村 美佐子ご家族 久保 ミツ子ご家族 2015 年2月・3月の来訪者・ボランティア
■故郷の家(堺)
カトレア会
泉北キリスト恵み教会
韓国伝統芸術院
南池田中学校
ブラスバンド部
リボン・サウンドプロモーシ
ョン 田中 恵子
大阪朝鮮歌舞団
石井 靖子
小田 和子
41,295円
634,021円
神 戸
京 都
■故郷の家・大阪
歌体操
ハーモニカクラブ
野中 晴夫
ガラクタ
油谷氏
ハイビスカス
■故郷の家・神戸
禹 明子 田母神 節子 ■故郷の家・京都
鄭 昌子
大島 芳江
宮堂 あや子ご家族
良原 道分ご家族
腰島 マキノ
故金本 順子ご家族
崔 末分ご家族
李 英仙
平川 菊江
李 英仙
( 敬称略 )
森田 恵美
岩本 文枝
黄 大樹
銭太鼓
サランの会
真野小学校5年生
神戸北町歌謡舞踏会
(株)タカメディカル甲斐
高砂部屋力士 朝興貴
神戸教会
恩恵教会
KSC民謡クラブ
■故郷の家・京都
・コミュニケーションボラン
ティア
三村 佳正
・三味線演奏会
柴田 美智子
・フラダンス教室
プアレファーフラダンス
・旧正月
梨花韓国舞踊学院
・お茶会 ソロプチミスト大阪-南陵
池田 邦子 他1名
・全体誕生会
京都熱愛会南京玉すだ
れ、一乘寺郷土芸能保
存会
・訪問ボランティア
愛大学校合唱
醍醐太極拳笑顔の会
ヘルシーな
韓国メニュー
ナクチポックン(たこの炒め物)
故郷の家・ 管理栄養士 山岡弥生 材料
唐辛子 1本
ごま油 大さじ1
たこの足 200g
玉ねぎ 1/2個
にんじん 1/6本
にら 30g
そうめん 適宜
にんにくのすりおろし 小さじ1/4
砂糖 小さじ1/2
しょうゆ 小さじ1
コチュジャン 大さじ1
<A>
作り方
タコを唐辛子と炒めたナクチポックン
は、食事として食べるときはごはんと一緒
に、またお酒のおつまみとして食べるとき
は麺類と食べるのが主流だそうです。
ゆでたそうめんと混ぜると少し辛さが緩
クロスワードパズル
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 二重マスの文字を組み合わせてできる言葉を答えてください。
プレゼント
2
1
タテのカギ
正解をお寄せくださった方の中から
3名様に、韓国の合唱団「平和の木合
唱 団 」の C D「 美しい 顔( 아 름 다 운
얼굴)」
をプレゼントします。応募はは
がきにパズルの答と住所・氏名・電話
番号をお書きのうえ 「〒590-0142
堺市南区桧尾3360-12 故郷の家・
クイズ係」
まで。
5月末日締め切り。
本誌をお読みになった感想、
メッセ
ージなどもお書き添えくださるとうれし
いです。
※前回の答は
「オミズトリ」
で
した。
【ヒント=第2日曜日は…】
①中身は梅干し、
それともエビマヨ?
②インドの民族衣装
③はりまや橋でお坊さんが買ったとか
④アシカの仲間。
オホーツク海や北太平
洋に生息します
⑥香川県の別名?
⑧明日の授業のためにやっておこう
⑪2つのものにはさまれた部分、
または
一定の時間
⑬ 人の目 を 気にして,うわべや 外 見 を
実 際よりよく 見せようとすること 。
││を張る
日韓福祉交流通信 こころの家族 2015年5月1日発行(第303号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
和します。ぜひ一度お試しください。
①たこは乱切りにする。玉ねぎは薄切り、
にんじんは拍子木切りに
する。
にらは4㎝長さに切る。唐辛子は斜め薄切りにする。
②フライパンにごま油を熱し、玉ねぎ、
にんじんをしんなりするまで
中火で炒め、
<A>で調味する。
③たこ、
にら、唐辛子を加え、手早く炒め合わせる。
④そうめんは熱湯でゆでて水けをきり、器に盛った③に添え、混ぜ
ながら食べる。
※唐辛子の量はお好みで調節してください。
3
4
5
7
6
8
9
10
12
13
11
14
15
ヨコのカギ
①実現するでしょうか?
⑤秋に紫色の花を咲かせる植物
⑦おいしいけど、
お口のにおいが気にな
りますね
⑨お金を貸し借りにはこれがつきもの
⑩考えをめぐらすこと
⑫──と矢
⑭湖より小さいものを指します
⑮フレー、
フレー!
発行人:田内文枝 編集人:尹 基 編集:松井珍男子、佐東まゆみ
私たちの団体はキリスト教の精神に基づき、国境を越え、民族を越えて共に生きる社会の実現を目指します。統一教会、エホバの証人、モルモン教とは関係ありません