福岡大空襲 か ら 現代 ま で の 70年 の 軌跡

1910年
1897年
1889年
187 7年
1877(明治10)
年∼1945
(昭和20)
年
焦土と化した天神∼博多港方面(撮影者不明 福岡市博物館所蔵)
戦前の中洲の風景(福岡県立図書館所蔵)
福岡大空襲により明治から営々と築きあげた近代福岡は呉服町
から大手門まで見渡す限りの廃墟となった。終戦後、進駐軍のブ
ルドーザーで瓦礫の山を切り開いた復興道路が昭和通りである。
1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争により前線基地となった福
岡は終戦後も空襲警報が鳴り止まない中、猛然と復興に取り組
み続けた。戦後復興の節目となった東京オリンピックと相前後する
1963(昭和38)年旧博多駅の完成が福岡復興の節目となった。
明治維新後、
福岡は再び大陸への窓口として近代化が進み大きく
発展していった。1910(明治43)年には武士の町福岡と商人の町
博多を結ぶ福博電気軌道が開通、
現在の明治通りが形成され福
博の人々の交流点としてまずは中洲が発展した。1924(大正13)年
には現在の西鉄大牟田線の福岡∼久留米間が開通。1936
(昭
和11)
年に九州初のターミナルデパートとして岩田屋百貨店が開
業し、
福岡の中枢を担う天神の骨格は戦前には既に完成していた。
天神の焼け跡を行くどんたく隊(撮影者不明 福岡市博物館所蔵)
九州沖縄八縣聯合共進会(福岡県立図書館所蔵)
アジアのリーディング都市として注目を集める福岡は、
古からアジアの玄関を担ってきた。
その発展の背景を読み解く時、
明治維新後に 年をかけ
て築いた近代都市福岡は福岡大空襲で灰燼に帰したが、
その瓦礫の中から現在の福岡を創り上げた事業家たちの奮闘とそれをともに支えた官
学のリーダーたちの歩みが見えてくる。
これら先人と先駆企業の軌跡を新世代のビジネスリーダーや次世代の学生たちに伝えていきたい。
明治∼福岡大空襲までの70年
西南戦争で有栖川宮が福岡に本営設置
市政施行で福岡市が誕生
九州鉄道︵初代︶が初代博多駅を開業
博多電灯が東中洲に発電所建設・完成
九州沖縄八県連合共進会開催で天神誕生
福博電気軌道が路面電車を運行
福岡市天神に岩田屋百貨店が開店
1945(昭和20)
∼1965(昭和40)年
真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入
福岡大空襲で壊滅的打撃、終戦
どんたく隊が8年ぶりに復活
朝鮮戦争が勃発
福岡市総合計画でY字構想
博多駅が現在地に移転・開業
東京オリンピックが開催
福岡大空襲∼ゼロからの復興期
70
昭和40年頃の博多駅(福岡市観光課撮影 福岡市博物館所蔵)
岩田屋百貨店開店予告の絵はがき(岩田屋百貨店発行 福岡市博物館所蔵)
グランドゼロ!! 廃墟から福岡の先駆企業の躍動が始まった
福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も続々創業
博多港に引揚者が溢れ、板付空港から朝鮮半島への
米軍爆撃機が飛び立つ動乱期の福岡において、
ジュ
エリー業界の老舗㈱いのうえは現在の事業展開の
きっかけとなるアメリカ兵との出会いがあり、現ロイヤル
ホールディングス㈱は福岡空港での機内食搭載から
始まり、現在のレストランチェーン事業へと発展して
いった。㈱ふくやは1949(昭和24)年に辛子明太子
の開発に成功。幾度となく戦火の廃墟からの復活した
福岡では、昭和20年代も瓦礫の中から新しい企業が
次々と立ち上がっていった。
明治以降、
近代都市として発展する福岡の成長と共に、
福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も次々と産声を上
げた。
1905(明治38)年には㈱石村萬盛堂が創業し、
銘
菓鶴乃子の販売を開始。
1906(明治39)年には二○加
煎餅の㈱東雲堂が、
1929(昭和4)年には後に博多通り
もんで全国に名を馳せる(株)明月堂が創業する。
今や世
界進出を果たしたヤクルトも、
1935(昭和10)年に福岡で製
造・販売を開始した。
明治から戦前の福岡で、
未来を夢見て
新たな菓子作りに挑戦した創業者たちの思いは、
今や全
国で愛される福岡の銘菓を生み続ける原動力となった。
新世代のビジネスリーダーに伝える、
福岡大空襲から現代までの 年の軌跡
1964年 1963年 1961年 1950年 1946年 1945年 1941年 1936年
(昭和39年)(昭和38年)(昭和36年)(昭和25年)(昭和21年)(昭和20年)(昭和16年)(昭和11年) (明治43年) (明治30年) (明治22年) (明治10年)
70
Story of Fukuoka
Pioneer companies
福岡の
先駆企業の物語
1877∼2015
エピソード
BIZ FUKUOKA
26
2014年
2013年
2011年 2005年 1997年 1996年 1995年
1993年
1989年
(平成26年)
(平成25年)
(平成23年)(平成17年) (平成9年) (平成8年) (平成7年)
(平成5年)
(平成元年)
1981年 1980年 1975年 1972年 1970年 1968年
GNPで資本主義国世界第2位
日本万国博覧会が開催
沖縄が日本に返還される
新幹線が博多駅に乗り入れ
1982(昭和57)
年∼1997
(平成9)
年
都市高速道路香椎∼東浜が開業
アジアへ ウォーターフロント開発期
地下鉄室見∼天神が開業
百道浜で埋め立てが始まる
福岡ダイエーホークスが始動
アジア太平洋博覧会が開催
シーサイドももち地区に
福岡ドーム開業
阪神・淡路大震災が発生
1998
(平成10)年∼2015(平成27)年
キャナルシティ博多が開業
この頃にIT企業が一斉に創業
福岡県西方沖地震が発生
東日本大震災が発生
福岡市の人口が150万人突破
2020年の東京五輪開催が決定
福岡市が国家戦略特区に選ばれる
アジアのリーダー都市への胎動期
1982年
(昭和57年) (昭和56年)(昭和55年)(昭和50年)(昭和47年)(昭和45年)(昭和43年)
政令指定都市・福岡の開発期
1965
(昭和40)
年∼1981
(昭和56)年
九州新幹線・鹿児島ルートが全線開業
823万人もの来場者を集めたアジア太平洋博覧会
(アジア太平洋博覧会協会撮影)
山陽新幹線岡山−博多間が開業(画像提供:PIXTA)
2005(平成17)年に地下鉄七隈線が開業。2011(平成23)年に
は福岡外環状道路も全線開通した。福岡の基盤整備が最終段
階となる九州新幹線の開業前日の3月11日に東日本大震災が発
生、首都機能のバックアップ都市候補となりうる日本海唯一の都
市として福岡は、国家機能や大手企業の副拠点の要地として取り
ざたされるようになった。
その後2014(平成26)年に福岡市は国家
戦略特区であるグローバル創業・雇用創出特区に指定された。
九州の中枢都市としての都市基盤が次々と完成していく中、福岡
は本来の姿であるアジア太平洋の交流拠点としての機能につい
ても地政学に導かれたかのように1989(平成元)年のアジア太平
洋博覧会を開催した。
これをきっかけにウォーターフロント開発を進
め開幕と同時に福岡タワーも完成する。1993(平成5)年には福
岡ドームも竣工し海外のスーパースターが続々と来福。
その翌々年
にはユニバーシアード福岡大会も開催された。
1972(昭和47)年、福岡市は政令指定都市に指定され、
その3年
後の人口は100万人を突破した。1975(昭和50)年には山陽新
幹線が博多駅まで到達し全線開業、銘菓や辛子明太子など、福
岡の名産物が全国から注目を集めた。
その間政令指定都市として
のインフラの整備も猛スピードで進み天神地下街が完成、1980
年代初頭には福岡市地下鉄と福岡都市高速道路の区間開業に
まで至った。
商業機能も兼ね備えた新博多駅ビル
キャナルシティ博多空撮(画像提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)
昭和50年代の天神の風景(福岡市観光課撮影 福岡市博物館所蔵)
グローバル創業都市・福岡のビジョンを語る髙島市長(画像提供:福岡市)
シーサイドももち地区空撮(画像提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)
福岡都市高速道路、地下鉄の開通で都市機能がさらに充実(画像提供:福岡市)
グローバル創業特区、
アジアと日本のリーダー都市へ
名実ともに九州の中枢都市に。情報化社会への胎動
九州の中枢都市へ。
モノづくりに加えて流通の時代へ
1985(昭和60)年の通信自由化・情報化時代の幕開
けに先駆ける1981(昭和56)年に福岡市博多区で孫
正義氏のソフトバンクグループのルーツ企業が産声を
上げる。その後世界を一変させたウインドウズ95の発
売の翌々年のIT企業の一斉創業に駆け付けるかのよ
うに㈱ライブドアの堀江貴文氏は1991(平成3)年に
福岡から東京へ向かった。
その後のインターネットマー
ケティングの時代の到来を巧みにとらえて、通販王国
九州の牽引役となった㈱エバーライフや㈱アサヒ緑健
などの健康関連企業がその頭角を現した。
1966(昭和41)年、福岡市は第二次基本計画で商
業・情報・サービス機能を強化し、九州の中枢都市を目
指す方向性を示した。現在の福岡の産業構造を生か
した企業の創業が相次ぎ、1974(昭和49)年には㈱
やまやコミュニケーションズ(創業時・山本物産)が創業
した。1975(昭和50)年には㈱やずやが創業、
その後
急成長を遂げ、1978(昭和53)年には医療経営をトー
タルサポートする総合メディカル㈱が創業。
また同年に
は㈱ミスターマックスがディスカウント業界に進出し、
モ
ノづくり主体の時代から流通の時代となっていった。
福岡PARCO、
JR博多シティ、
博多阪急などの商業施設
の充実が更に増しアジアからの集客力を高める中、
1998
(平成10)年には家庭用ゲームソフ
ト会社㈱レベルファイブ
が設立。
㈱ガンバリオンなどとともに福岡発のアミューズメン
トが業界に旋風を巻き起こした。
ゲーム業界以外にもネッ
ト
セキュリティーや次世代システムなどの開発を手掛けるIT企
業も相次いで登場。
また、
医療システム開発や集客支援な
どに取り組むベンチャー企業も登場するなど活況を呈してい
る。
行政による創業支援も強化されており、
スター
トアップ企
業が今後福岡の新たな原動力になると期待されている。
27
BIZ FUKUOKA
昭和20年代 GHQ統治下の復興が続く福岡。
それはあるアメリカ兵の願いから始まった。
今も輝く老舗ジュエラーの物語。
Story of Fukuoka
Pioneer companies
福岡の
先駆企業の物語
1945∼戦後復興期エピソード
文政 年︵1828年︶に創
業。福 岡 の 地 に 根 づ き、厚 い
信頼を得る。
そんな恵二を魅了したのがダイ
製造販売を行っていたが、精緻な
創業当時はかんざし、キセルの
たる歴史の轍を刻み始めた。
久留米市︶にて創業、187年にわ
︵1828︶年に久留米︵現福岡県
で は な か っ た。し か し ア メ リ カ 兵
も稀少で、簡単に入手できるもの
本では金や銀などの貴金属はとて
だ が 材 料 が 無 い。戦 後 間 も な い 日
か ら 思 い が け な い 依 頼 を 受 け る。
ある時、恵二は一人のアメリカ兵
﹁結婚指輪を創ってくれないか﹂
が基地内で暮らしていた。
その情熱は六代目・健一へと引
エリー﹂
の礎を創っていった。
れる﹁いのうえのダイヤモンドジュ
熱い思いが、
世界的にも高く評価さ
人に届けていきたい﹂そんな恵二の
ンドを使ったジュエリーを 多 くの
二の胸を打った。
そして
﹁遠い異国
たい﹂アメリカ兵の深い愛情が恵
いる顧客もいると言う。
に渡って、同じ販売員が担当して
かりつけの宝石店﹂として三世代
絆は今なお強く結ばれ、﹁地域のか
︵※敬称略︶
28
BIZ FUKUOKA
当時、
福岡の板村基地
︵現福岡空
細工を施したい質の高いかんざ
は諦めず、自分のベルトのバック
き継がれ、現在﹁いのうえ﹂
は世界
明で神秘的な輝きを放つダイヤモ
し・キセルは、当時より久留米の
ルや愛用していた金のライターま
クラスの品質を誇る宝飾品の専門
ヤモンド。
﹁どの宝石よりも硬く透
人々に大変喜ばれていたと言う。
で差し出し
﹁ぜひ作ってほしい﹂
と
店 と し て 発 展 を 続 け て い る。一 方
港︶にはアメリカの航空部隊が駐
その後、
三代目・悦次郎が久留米
頼み込んで来たのである。
で地元・福岡で築いてきた信頼の
留しており、数多くのアメリカ兵
より出博、大正元
︵1912︶
年に本
﹁人 を 愛 す る 思 い は 日 本 人 も ア
の地で結ばれる二人が幸せになれ
福岡で生まれ育ち、人々の暮らし
﹁宝石・時計いのうえ﹂は文政
拠 地 を 福 岡 市の下 川 端 町 に 移 す。
メ リ カ 人 も 同 じ。そ の 思 い に 応 え
﹁いのうえ﹂の商品は多くの人々に
るように﹂
という願いを込めて、
精
や人生に輝きあふれるドラマを育
信 頼の 歴 史 を 受 け 継 ぎ な が
ら、地域とともに歩み続ける。
華 や か な 博 多 の 民 俗 文 化 の 中 で、
愛され、現在の基盤を築いていった
緻な細工と美しい造形を施した結
のである。
婚指輪を創り上げたのである。
す る宝 石・時 計の専 門 店 としてこ
んできた
﹁いのうえ﹂
は、福岡を代表
作依頼が舞い込み、ジュエリーの
れからも愛され続けていくだろう。
恵二が創った指輪はたちまちア
あるアメリカ兵との出会いが、
宝飾品の専門店としての本格
的な歩みへのきっかけに。
福岡大空襲により、呉服町から大
制作・加工技術にさらに磨きをか
昭和 ︵1945︶年6月 日の
手門にかけ、明治以降営々と築き
けていったのである。
して恵二の元には次々と指輪の制
メ リ カ 兵 の 間 で 評 判 と な っ た。そ
11
上げた福博の都心部は壊滅状態と
な っ た。そ の 空 襲 に
より福博の人々は全
て を 失 っ た が、逆 境
の中助け合いながら
の復興が進められて
いた。
﹁いのうえ﹂の五代
目・恵 二 が 宝 石 や 指
輪 な どの 装 飾 品 を 本
格 的 に 手 が け る きっ
さにそ う した昭 和
かけが訪れたのは、ま
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。
戦後復興期の中で訪れた「いのうえ」の物語をたどった。
11
20
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