地域の資源や技術を活かし、特色ある製品づくりを 行っている企業群を 「地域産業」 として紹介します。 常滑焼 ◇ ◇ ◇ ◎ 平安時代に粘土を焼き締めた碗や鉢、壺、甕から始まった常滑焼は、大型の焼き物を特徴として発展。後に技術の変革、人々の生活様式の変化に伴い、茶器、酒器、 土管、衛生陶器、 タイル、 インテリアなど幅広い製品へと変化していった。 「陶業」 「陶芸」の両輪で歩み続ける常滑焼 風土と人物が支えた常滑焼1,000年の歴史 1 日本六古窯の一つとして、 隆盛を極めた常滑 多く穴窯での焼成に適した良好な斜面が多かった こと、焼成温度を上昇させる松や広葉樹林が多く 名鉄常滑駅から東へ数分ほど歩くと、緩やかな 自生していたことが挙げられる。 日本六古窯のなか 坂道の路面や塀に、常滑焼のレンガや土管がびっし には似た特徴を持つ産地があるものの、唯一、常滑 りと埋め込まれた景色が見られる 『やきもの散歩道』 は海沿いに立地している。そのため海運が発達し が現れる。様々な常滑焼にまつわる施設を巡れる ており、全国各地へと大型の焼き物を運搬するのに この道は、多くの観光客が訪れる常滑市の代表的 適していた。 な観光コースだ。 この独特な散歩道を作り上げてい ※中世から現在まで生産が続いている代表的な六つの窯(常滑焼、 瀬戸焼、越前焼、信楽焼、丹波焼、備前焼) の総称 る常滑焼のルーツは、今から約1,000年前の平安時 代まで り、 日本六古窯 ※のなかでも、常滑焼は最も 古い歴史を持つとされている。 大 14 愛知県 常滑市 や壺、鉢などの出土品から、その存在が確 2 インフラ整備を支える 土管が常滑焼の中心に かだといえるのは平安時代末期。その時すでに常 江 戸 時 代 後 期には現 在の常 滑 焼の代 表 的な 滑焼の特徴を持った陶器が、全国各地で使用され 製品である朱泥の急須や茶器の生産が始まる。 ていたという。その時代に全国で抜きん出ていたの そして明治時代の初めから半ばにかけて「陶業」の には数多くの理由がある。一つは、常滑を中心とし まち常滑をさらに発展させる土管の生産が始まっ た知多半島の土。焼成すると高い硬度となる粘土 た。1902( 明治35)年、常滑で陶器製造販売を手掛 質の土が多く採取できる地であった。加えて丘陵が けていた伊奈初之烝氏が工場で土管生産を開始 中経連 2015.1 中経連 2015.1 15 暗渠排水模式図 水閘〔すいこう〕 水田 機関車 支線暗渠 (そだ) 道 粘土巻の土管 流れ 水田 水閘 水田 中央を管径の1/3盛り上げる 竣工後は沈んで直線になる 吐口 水路 その幅 広さも大きな特 徴だ。主 鉄道土管敷設図 特厚土管 内径300mm 長さ660mm 幹線暗渠 (並土管) そだ 粘土巻き ◎ ての「陶芸」 と、中小企業や小規 模事業者が担ってきた「陶業」 を両 立させながら昭 和 3 0∼4 0 年代にかけて土管生産で隆盛 を極めていく。 しかし、1968( 昭 そだ 和43)年の大気汚染防止法の ハシゴ胴木 ◇ に個人が担ってきた工芸品とし 日本のインフラをつくった土管。都市と農地の近代化に大きな役割を果たした。 制定により、従来の石炭窯では 焼くことができなくなり、その後の し、息子長三郎氏が1924(大正13)年に大倉和親氏 鉄筋コンクリートや塩化ビニールへの素材転換に (日本陶器合名会社 (現・㈱ノリタケカンパニーリミテド)、 よって昭和50年代には土管の生産量は激減した。 東洋陶器㈱(現・TOTO㈱)や日本碍子㈱の初代社 その土管に代わって生産が盛んになったのがタイ 長) の支援を受けて伊奈製陶㈱(現・㈱LIXIL) を創 ルだ。 もともとタイルを中心とする建築陶器は明治時 業した。同社では、常滑で伝統的な土管を改良した 代に生産が始まっていたのだが、1955( 昭和30)年 大型の土管を開発し、 『 伊奈式土管機 』 として特許 あたりからの高度経済成長期に合わせて建築陶器 を取得していたが、 その大型陶器づくりのノウハウを の需要が急伸。1991( 平成3)年までほぼ右肩上が 無償で公開。 これにより常滑焼は、土管がその中心 りの成長を続けた。 的な製品になっていった。 陶製の土管は、 「 都市の衛生」 「鉄道の普及」など に貢献し、 日本の近代化を縁の下(土の下)で支え たと言えるが、 とくに常 (㈱LIXILグループ) ㈱から社名変更したのが1985(昭和60)年。当時の社 薬の代わりに用い、強 長であり、現在㈱LIXIL名誉顧問である伊奈輝三氏 (元中経連常任理事)は、 「 企業は 経済機関 であるとと 度に優れていたため もに 文化機関 でなくてはならない」 と、企業の社会貢 全国一のシェアを誇っ 常滑のまちに300本以 INAXライブミュー ジアム 常滑焼の繁栄に貢献してきた旧㈱INAXが、伊奈製陶 滑 焼の土 管は塩を釉 た。昭 和 3 0 年 代には 貴重な展示とものづくり体験が人気 献が今ほど叫ばれていなかった1986(昭和61)年に、 昭和の中頃、常滑駅周辺にはやきもの 工場が建ち並んでいた。◆ 創業の地である常滑に『窯のある広場・資料館』を開設 した。現 在は、同資 料 館 以 外にいくつもの施 設があり、 『INAXライブミュージアム』として土と焼き物の魅力 上もの煙突が林立し、 や、ものづくりの心を体験・体感を通して伝えている。 数 百 社の土 管メーカ ーが存在するほど、常 滑 焼の一 大 製 品 へと 成長していった。 海 運の発 達で土 管は全 国へと運ばれ ていった。◆ 3 土管からタイルの時代へ 常滑焼が多様化していく 常滑焼の特徴として挙げられるのは、大型陶器づ くりだけではない。茶 器や食 器、厨 房用品、花 器、 置物に加え、㈱LIXILが生産する衛生陶器など、 14 中経連 2015.1 ■住所/〒479 8586 愛知県常滑市奥栄町1 130 ◎ ■開館時間/10:00∼17:00(入館は16:30まで) ■休館日/第3水曜日 (祝日の場合は翌日)、年末年始 ■共通入館料/一般600円、高・大学生400円、小・中学生200円 (70歳以上:500円、障がい者:無料 ほか各種割引あり) ■TEL/0569 34 8282 中経連 2015.1 15 独自の技術を磨いて進 化 する「 陶 業 」 4 販路拡大の支援を受け 海外向け製品を開発 生活がなりたたず副業のように急須を作っている 現在、常滑焼の代表的な製品は、㈱LIXILが 事業者もいる」 と常滑焼の現状を語る。 しかし同時 生産する衛生陶器を除けば、朱泥の急須を代表す に、 「中国では富裕層の間で日本製茶器の人気が る茶器関連製品である。 これらに携わる中小企業 上がっている。市場の変化に合わせてつねに新し や小規模事業者の成長を支援しているのが、 とこ い製品を生み出していける事業者は、 これからも求 なめ焼協同組合だ。 「常滑焼の事業者を支援する められていくだろう」と梅原氏。自身が中国に赴い ために、 まず始めたのはブランドの確立」と語るの て急須づくりの実演を行うなど、常滑焼の未来のた は、同組合の事務局長である竹内伸夫氏。 『 常滑 めに尽力する姿を見た後継者たちは、その背中を 焼 』の地域団体商標として、原料は他の産地で採 追い、次の時代の常滑焼を模索し始めている。 取されたものでも 常滑を始めとして知多半島内で 5 土管が進化して生まれた 日本で唯一の多孔陶管 「成形∼焼成」 した陶器はすべて常滑焼 であると し、 アジアやアメリカ、 EUなどにおいても商標登録を 実施している。国内においては、常滑焼の卸事業 海外への積極的な展開を図ろうとしている動き 者と一体となり、首都圏の百貨店にPR。実際に常滑 は他にもある。多孔陶管という独自分野で圧倒的 焼の企画展や、常設販売が始まった実績もある。 な強みを持つ杉江製陶㈱だ。多孔陶管とは一つの 海外においては、 クールジャパンの追い風を受けて 陶管の中に何個もの穴を通し、その穴を利用する ヨーロッパ市場をターゲットエリアとして、販売チャネ 製品である。例えば電気ケーブルや通信ケーブル ルを構築中である。 また同組合では、常滑焼の特徴 などを穴に通し、 トンネルや空港、発電所など多くの 的な技術であるヨリコ造り (ひもづくり手法のひとつ) ケーブルを使用する必要のある場所で用いられて を活かした、浴槽とういう大型製品の製造・販売を いる。同 社の取 締 役 社 長 服 部 秀 夫 氏によれば、 「全国で多孔陶管を生産しているのは当社だけ。 始めた。 こうした同組合の海外市場の開拓に呼応するよ インフラ工事やIT環境の整備が進むことで、売上 うに、海外向け製品を次々と生み出している技能者 を伸ばしてきた」 という。課題であった陶管をつなぐ がいる。その一人が、常滑焼の伝統工芸士である 接続部分の技術革新によって、長距離の配線にも 梅原昭二氏(陶号:昭龍)。 「日本では急須で入れ 高い安全性を持って対応できる製品づくりに成功 たお茶を飲むことが少なくなり、 しかも中国から安価 し、他社が真似できないことがその理由だ。 ケーブル な製品が入ってきたため中規模のメーカーが次々 を通す管材や方法は他にもあるが、陶管は火災・ 梅原氏が焼き方を考案した 『昭龍天目』 と呼ばれる急須。非常に軽量で中国でも 人気。作家活動とは違い、 1日に同じ品 質の製品を100個つくる技能が必要と 梅原氏は語る。 16 と倒 産していった。今は家 内 工 業 がほとんどで、 中経連 2015.1 常滑焼の陶管は変形も腐食 もせず、100年以上もそのま ま機 能 する。中部国際空港 航空灯火布設設置工事にも 多孔陶管が使用された。○ 1974(昭和49)年まで使われた 国の重要有形民俗文化財。□ 中経連 2015.1 17 地震などの防災性に優れている。 また、石油加工製 全体が常滑焼と地酒という資源を活用したPRを 品が30年程度で劣化するのに対して、100年以上 進めている。 にわたり性能を保ち続けられるため、初期コストより このように事業者が組合を支え、 また組合が事 も運用コストの面で有利な点も高く評価されている。 業者を支えながら、地元や日本、 さらには世界にと、 「今後は日本の港湾、 さらにアジアを中心とした海 常滑焼の新しい動きは加速している。熱い思いと 外の空港などへの導入を目指している」 と服部氏。 確かな技術を持つ技能者たちが組合と行政の後 常滑発の製品が、世界を支える日も近いだろう。 押しを受けているからこそ、常滑焼は世界へと目を 6 向け、世界からも評価を受け始めているのだろう。 資源と資源を掛け合わせ 新たな魅力を確立していく 日本六古窯のなかで最も古い歴史を持つとされる 陶 業と陶 芸 が 両 立して発 展してきた常 滑 焼に 常滑焼の道を歩み始めている。 は、 『 長三賞常滑陶業展「くらしのやきもの展」』 と 『長三賞常滑陶芸展』 という二つの公募展がある。 新たな陶業・陶芸を世に送り出す活動として、今は 常 滑 焼の産 地が、歴 史を重んじながらも、新しい 取材協力・資料提供/㈱LIXIL、杉江製陶㈱、梅原昭二氏、 とこなめ焼 協同組合、常滑市 写真提供/◎ ㈱ L I X I L 、○ 杉 江 製 陶 ㈱ 、◇ とこなめ焼 協 同 組 合 、 □ 常滑市、◆とこなめ陶の森資料館 日本全国から注目される存在だ。他にも常滑市が運 営する 『とこなめ陶の森』の陶芸研究所では後継者 育成の研修カリキュラムが用意され、 これまで150名 以 上の研 究 生が巣 立っている。 さらに常 滑 市は、 とこなめ焼協同組合、常滑陶磁器卸商業協同組合、 常滑商工会議所とともに、常滑焼海外戦略事業委 員会を立ち上げ、海外進出を志す企業を支援する 補助制度を創設し、 この制度を利用して、実際に世 界に販路を開いている事例もある。 この取り組みを 昭和の面影が残る 「やきもの散歩道」 土管坂や陶磁器会館など常滑焼を楽しめる場所をはじめ、 常滑焼の食器で飲食できる古民家を改造したお店など、 五感で楽しめるスポットが充実しています。 ① 名鉄常滑駅 改札を出て直進すると常 滑市観光案内所がある。 ② 陶磁器会館 やきもの散 歩 道の出発 点 。 館内で常滑焼を展示・販売。 支えているのは、常滑市名誉市民であり、初代常滑 市 長であるとともに、伊 奈 製 陶 ㈱の創 業 者である ③ 煙突のある風景 伊奈長三郎氏が寄附した自社株式による配当だ。 当時のままの煙突。昭和30年 代はまち中にあった。□ また、常滑市は、2008(平 ④ 廻船問屋 瀧田家 成20)年に常滑市観光振 江戸時代から廻船業を営んで きた瀧田家を復元・保存。□ 興 計 画を策 定 。計 画 期 間 は2009( 平成21)年度から 2013( 平成25)年度まで。 ⑤ 土管坂 さらに、既存の観光資源の 常滑で生産された土管や 焼酎瓶が積まれた坂。□ 再 発 掘 、P Rのため、2013 (平成25)年には『 常滑焼 の 器に注 いだ地 酒による 乾杯を推進する条例 』 (通 常滑焼の器に注いだ地酒による 乾杯の普及を促すポスターも常 滑市が制作。□ 称:乾杯条例) を制定した。 『 昇龍道日本銘酒街道』 に参加している盛田㈱や澤田酒造㈱では常滑焼 のぐい飲みで地酒の試飲が楽しめるなど、常滑市 16 中経連 2015.1 ⑥ 登窯広場 東屋、水琴窟、陶壁などがあり展 示工房館では陶芸体験も開催。 ⑦ 登窯(陶栄窯) 1974(昭和49)年まで使われた 国の重要有形民俗文化財。□ 中経連 2015.1 17
© Copyright 2024 ExpyDoc