解題 - 日本証券アナリスト協会

企業情報開示の進展と課題
―ショートターミズム論議を超えて―
解 題
証券アナリストジャーナル編集委員会 第四小委員会委員 北 川 哲 雄
本年2月に金融庁により「日本版スチュワード
いかないテーマである。
シップコード」
(以下「日本版SC」と略称)が制
今回の特集でのサブタイトルは敢えて「ショー
定された。そして8月に今度は経済産業省が「持
トターミズム論議を超えて」としている。市場に
続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投
おいて様々な投資家、投資スタイルがあることは
資家の望ましい関係構築~」プロジェクトの最終
言うまでもなく容認しなければならない。とはい
報告を公表した。プロジェクトリーダーである伊
え長期投資を旨とする投資家の層の厚みが一定規
藤邦雄一橋大学教授の名前をとって「伊藤レポー
模必要である、という問題意識から発している。
ト」とも称される。そして現在再び金融庁によっ
この言に異論を唱える人は少ないであろう。
て「日本版コーポレートガバナンス・コード」
(以
そして伊藤レポートでは真の長期投資家の醸成
下「日本版CG」と略称)の制定が目論まれている。
についてインベストメントチェーン全体にウイン
来年2月制定に向けて議論が活発に行われてい
グを広げて取り上げるべきとも提言している。
る。
アセットオーナーが長期的視点でアセットマネ
これらの3つのプロジェクトの進展は企業と投
ジャー(機関投資家)の評価を行う。機関投資家
資家、特に機関投資家との関係をより改善するも
がそれに促され企業の投資評価を長期で行う。企
のとして期待されている。現在進行形の日本版
業の情報開示もそれに対応したものになる。アナ
CGについての内容はまだ確定していないが、過
リスト(ここではセルサイドアナリストを指す)
去の2つのプロジェクトにおけるキーワーズは私
もベーシックレポートの作成をより熱心に行うよ
見(北川)によれば、
「長期的企業価値の向上」
「長
、
うになる。これが「高質な対話」の前提要件の一
期投資家と企業との協創と高質な対話」
および
「過
つかもしれない。
度なショートターミズムの是正」である。
さてここで述べる長期投資家とは、アクティブ
この中で、現在の資本市場とりわけ株式市場が
運用者であることを前提としているとみるのが自
「ショートターミズムに陥っているか否か」につ
然であろう。パッシブ運用の機関投資家がインハ
いては、定義も含めそれだけで大きな問題であり
ウスで多くのアナリストをそろえて長期業績予想
改めて本誌上で特集を組むべきテーマであろう。
を行うことはない。明らかに語義矛盾がある。た
またそれが是か非かという論議もまた一筋縄では
だし、これら投資家が日本版SCに署名した場合、
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証券アナリストジャーナル 2014.12
主に議決権行使にあたり社内体制を整え責任を持
る例はあるのか。企業側は対話にあたり、どのよ
って対処しなければならないことは言うまでもな
うな情報開示を心がけるべきか。長期投資家のリ
い。しかしそれで充分かと言えば議論の余地はあ
サーチ能力はどのように醸成されるべきか等々、
ろう。依然片肺飛行であることは否めない。
様々の課題が浮かび上がる。本特集はこれらを意
さて、重要なのはアクティブ運用における長期
識して組まれた。
投資家という場合の時間軸である。企業の1~2
年後の将来を見据えて投資判断を行うことを旨と
3つの論文と1つの座談会からなる。三瓶論文
する自称長期投資家もいる。しかしここでは最低
「機関投資家からみた情報開示の現状と問題点」
5年程度の業績予想を行う機関投資家を長期投資
は表題にあるように、長期投資家が企業の価値評
家としてみることにしよう。
価を行うときの視点を提示している。その上で企
こう考えることによって初めて先に上げたキー
業側の情報開示における好事例が示されている。
ワーズは相互に意味をもつことになるからだ。
そして企業情報を受け取る側の投資家自身の現状
「企業」は長期的企業価値を向上させるという
の問題点についても言及している。
使命を持つ。長期投資家の思いも同じである。5
投資家が企業の価値評価を行うときの企業情報
期(あるいはそれ以上の)予想を行う。その過程
の必須条件として「透明性」「比較可能性」「予見
で対象企業を精査し企業価値の算定を行い割安感
可能性」の3点が指摘されている。そして長期投
のあると思われる銘柄が投資候補企業となる。こ
資家は企業から「結果を生み出す仕掛けをどのよ
こに「高質な対話」が生まれる可能性が出てくる
うな観点で戦略的に考え、どういったことに腐心
ことになる。経営者が長期の経営のかじ取りにつ
して実現するかのバックグラウンドストーリーの
いて率直に長期投資家に語る。それらにつき投資
ヒントを得たい」のであるとの指摘は重要である。
家がその方向性、実行可能性について吟味する。
また「企業が出す中期経営計画についても3年
時には緊張感あふれるやりとり(対話)も行われ
間という期間ではリハビリ期間となり、横ばいか
ることになる。この結果、ある投資家が自らの投
右肩下がりの計画を示さなくてはならないことも
資評価手法を基にして割安と思われる企業の株式
ある。3年間待てない投資家は遠ざかるし、株は
を購入に向かうことは十分考えられる。アクティ
売られすぎかもしれない。こういった時の企業に
ブの長期運用を行う場合、このようなプロセスを
とってのコミュニケーション・ターゲットが長期
経ないでポートフォリオを組むことは本来考えら
投資家である」との指摘が続く。確かにこういっ
れない。このプロセスこそがスチュワードシップ
た場合にこそ、長期投資家と企業の対話は活発化
責任の中核部分であろう。
するのかもしれない。そして、企業の経営者が、
さて緊張感あるやり取りを長期投資家と企業が
投資家と共通言語を持たないまま話がかみ合わな
頻繁に行った場合、この方法を得心すれば多くの
い、反論もしない状態が続いてしまうと協創すべ
企業にとって望ましい株主構成を形成することが
き投資家との「静かなる決裂(サイレント・レジ
できるかもしれない。
スタンス)」を招くと、警鐘を促している。
それではその対話とは現実的にどのように行わ
れているかあるいは行われるべきか、お手本とな
©日本証券アナリスト協会 2014
杉浦・浦野論文「企業価値向上を目指す中期経
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営計画の構造と今後のあり方」は企業の中期経営
安井論文「適時開示の推進に係る東証の取組み
計画(以下「中計」と略)について深く掘り下げ
の変遷」は東京証券取引所(以下「東証」と略)
ている。
における適時開示制度の変遷とその意義について
平成25年度生命保険協会の調査によれば上場
述べている。
企業575社の内75.3%、すなわち4分の3が中計
適時開示(タイムリー・ディスクロージャー)
を公表していると言う。両氏の指摘によれば中計
は昭和49(1974年)に東証が上場会社代表宛て
と言えば3カ年の計画を立てる企業が依然多いが
に「会社情報の適時開示に関する要請」を発出し
一方で長期ビジョンと中計を組み合わせるケー
たが、これを適時開示要請の拠り所としてきた。
ス、ローリング式中計(毎年、常に〇年先にむけ
そして適時開示を制度化し、適時開示が必要とな
て策定し直す)の実施など近年バラエティーに富
る情報と開示方法等を規定するとともに、開示が
んできているという指摘がある。さらに目標とす
行われない場合の措置の整備も併せて実施したの
る指標も投資家を意識して多様化する傾向にある
が平成11年(99年)である。
ことが示されている。とはいえ依然として具体的
これらを基盤にして東証は1)財務情報および
な数値目標を掲げるケースが多いと指摘してい
2)非財務情報の適時開示の充実に努めてきた。
る。投資家側もこの動きを評価しているが投資家
1)では決算短信の充実、開示の迅速性、四半期
にとって重要な指標(ROEや配当性向)について
決算短信制度の導入、業績予想開示などが代表的
必ずしも開示が十分でないということに投資家側
な充実例として紹介されている。2)においては
が不満をもっているという指摘もある。一方で、
「コーポレート・ガバナンス」関係の情報開示の
海外企業に目を転じると主要30社に関する最新
充実について特に詳細に述べている。本稿を丹念
の調査によれば日本企業のように時限目標を設定
に読み進むうちに東証自身が情報開示の充実に相
する企業は5社にとどまることが観察されてい
当のリーダーシップをとっていたことが分かるで
る。
あろう。今後も適時開示の充実は着実に進むこと
両氏は、日本企業にとって中計は単に投資家に
が予期されている。
向けられたメッセージに留まるものではなく、ス
そして、
「6.終わりに」の項において「現在は、
テークホルダー全体に向けたメッセージになって
投資家が上場会社に対して必要とする情報を訴え
いる。そのため多大なエネルギーをかけ、経営環
かけると同時に、上場会社もそのニーズを汲み上
境が変化する中できしみを生み出している面があ
げ、自社の開示に織り込むといった、上場会社と
る、としている。むしろ投資家の目線と合わせる
投資家とのコミュニケーションによって、上場会
には海外企業の例を参考にしてもっとフレキシブ
社が記載すべき情報を判断することが求められ
ルにしたほうが良いのではと提言している。
る」と結んでいるのが印象的である。
だからと言って海外企業が大ざっぱあるいは大
らかであるということではなく、経営上のこだわ
最後に安藤・大野・辻本三氏(司会は北川)に
りが独自性の強い経営指標の設定につながってい
よる座談会「IR活動の究極にあるもの―長期企業
る、と指摘している。この姿勢こそが真の長期投
価値の向上と投資家・アナリストとの対話―」に
資家が評価することなのかも知れない。
ついて紹介する。
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証券アナリストジャーナル 2014.12
3氏のうち安藤氏(オムロン)
・大野氏(味の素)
と指摘している。そういった意味で統合報告が充
は企業のIR担当執行役員である。IRベストプラク
実してゆくことは自然の流れかもしれない、との
ティスを実践しているとして評価の高い企業とし
指摘があった。
て両社とも有名である。辻本氏は機関投資家サイ
ドの方である。
以上3つの論文と座談会の概要を解題担当者
両社のIR活動は現在高い評価を受けているがそ
(北川)なりに整理してみよう。三瓶論文によっ
の評価は短期間のうちに築けたものでないことが
て指摘される企業サイドにおける情報開示の理想
読み進むうちに分かる。大野氏によると味の素の
型は座談会ご出席の2社によって具現化されてい
場合、かつて立てた長期計画(6カ年)がなかな
るとみてよいであろう。一方、中期経営計画の在
か計画通り進まずIR活動にとって厳しい時期もあ
り方については杉浦・浦野論文に示されているい
ったが、その苦い経験を踏まえ工夫を重ねながら
くつかの指摘は日本企業が今後策定するに当たり
機関投資家との直接対話を増やし、投資家の同社
大いに参考に資するものとなっている。また安井
(味の素)に対する期待と現実のギャップを埋め
氏論文は「東証」の開示姿勢の進取性を改めて感
る努力を重ねたと述懐されているのが特に印象的
じさせるものであった。自主規制機関とはいえ企
であった。
業情報開示について大いに影響力を保有する東証
一方、安藤氏(オムロン)の発言の中で「短期
の前向きな態度をわれわれはもっと評価しなけれ
的な目標に関してあまり細かく開示してしまうこ
ばならない。そして機関投資家のあるべき姿・将
とにより却って投資家やアナリストの短期志向を
来像については三瓶氏論文と座談会における辻本
助長しないかと心配である」と述べている点は重
氏の発言に大いに啓発されるところがある。
要であろう。ショートターミズムのアンチテーゼ
座談会の中で安藤氏が「伊藤レポートの提言を
として短期開示の粒度を落とす必要性にも言及し
前向きに受け止め、能動的に実践に移す企業と、
ている。一方で機関投資家側への苦言として、議
それに対し横並びを意識し過ぎて静観してしまう
決権行使を行うチームとファンダメンタルズ分析
企業とでは評価が大きくスプリットする可能性が
を行うアナリスト・PMチームが分離されている
あることを十分に覚悟しておく必要がある」と述
ことは不可解であるとの指摘があった。投資判断
べている。これは機関投資家においても同じこと
と議決権行使は本来、機関投資家の中でリンクさ
が言えよう。すなわち―SCコードの精神、伊藤
れて考えられていなければならないからだ。
レポートの提言を真摯に受け止め、高質な対話が
辻本氏は機関投資家のあるべき方向性として議
できる能力を持つか持たないかによって機関投資
決権行使を行う担当者とアナリストは協業してゆ
家間の存在感、インテグリティの質が大きくスプ
くべきであると述べるとともにアナリストはさら
リットする可能性がある―ということである。
にESGについても精査する時代がやってきている
©日本証券アナリスト協会 2014
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