「お産と地域医療を考える会津の会」の今後について・・・ - 福島の未来を

No.5
お産と地域医療を考える会津の会
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ニュースレター
2014 年3月発行
発行人 千葉親子
会津坂下町大沖上野 1170-1
ようやく春の兆しが感じられるようになったこの頃です。
会津の中部地域では比較的雪の少ない穏やかな冬だったように思いますが、南岸低気圧の影響で、
関東甲信地方に大雪が降りました。会津ではどうということもない量の雪かもしれませんが、短時
間で降り積もった雪は交通に大混乱をきたし、孤立する地域も出てきました。
除雪設備がなかった時代には、会津でも雪が降ると村々は孤立状態でした。各家は白菜と大根な
どの野菜類、身欠きにしんなどの乾物や缶詰など、ひと冬分の食料を備蓄しておくのが当たり前で
した。雪に閉ざされた期間、祖先たちは編み組みや織物などの手仕事をしてすごしたわけです。
雪が降ってもあちこち移動しようとすると不便ですが、覚悟を決めて雪の中にこもっていると、
新たな創造力がわいてくるのかもしれません。時代を後戻りすることはできませんが、雪と共存す
るうえで、もう一度取り戻してみてもいい視点かもしれません。
(五十嵐)
「お産と地域医療を考える会津の会」の今後について・・・
会津坂下厚生病院から産科がなくなるという状況に直面し、身近なところでお産がで
きる環境を整えるべきだとの思いから「お産と地域医療を考える会津の会」は設立されま
した。広く会津全域から署名を集めて県と厚生連に届け、厚生病院の産科の再開を訴えて
きました。その甲斐もあってか、2010 年 9 月に、厚生病院に婦人科診療が再開しましたが、
産科の診療再開までには至っていません。
大震災と原発事故から…
しかし、2011 年 3 月 11 日に起きた大地震と原発事故で、福島県は大きく変わってしま
いました。身近なところでのお産ができる環境を、ということから、放射能汚染されてし
まった中で子供を生み育てているお母さんたちや、将来に不安を感じている若い世代をど
う支援していったらいいか、という活動に軸足がうつってきています。汚染の中で生きな
くてはならない今、事故を無かったのかのように風化させるわけには行きませんし、どう
にもならない事と諦めるわけにも行きません。私たち「お産と地域医療を考える会」にでき
ること、しなくてはならないことは何だろうかと、今後も真剣に考え活動していきたいと
思います。
12月5日
松井厚生病院院長との懇談
・時代のながれとして産婦人科は集約化の方向である
(大規模化の流れ→会津中央病院、竹田綜合病院)
・1年間に100人、200人の出産では産科経営は出来ない。
・産科は全県的にも危機的状況である。
(いわき、相馬、県南、南会津)
・高齢化もあり、医師が疲弊している。
→
会津坂下厚生病院に産科再開のめどはない
11月6日
山形高齢社会を良くする会・研修受け入れ
代表 阿部典子さん他11名12名
産後ケア「おひさま」研修受け入れ
山形高齢社会を良くする会(代表 阿部典子さん)から、産後ケアの重要性を学びたいと、
当会に問い合わせがありました。11月6日に、2011年より交流支援をしていた産後ケ
アセンター会津助産師の家「おひさま」にご案内し、交流をしました。
3.11以降被災された方たちが、赤ちゃんと一緒に戻る家は跡形もない、また家があっ
ても放射能で戻れないという状況で、放射能が怖くて赤ちゃんと引きこもっていました。
そんなお母さんたちの力になりたいと産後ケアセンターを立ち上げた二瓶律子助産師さ
ん。「会津助産師の家おひさま」では、助産師さんたちが不安なお母さんたちの相談に乗っ
たり話し相手になったりして産後安心して赤ちゃんの世話を学ぶことができます。
産後ケアは、災害時だけてなく、出産後の赤ちゃんの世話やお乳の手入れなど、母子の日
常に寄り添いながら指導をされています。立ち上げ当初は若松市内にあった「おひさま」で
すが、現在は猪苗代町に移転し、活動を続けています。
研修の後、この様な施設は今日のお産環境を考えると地域に必要と考えるということで、
具体的な運営状況などもお聞きしたいと、今年4月頃にもう一度伺いたいとの連絡をいただ
いています。
子供たちを
安心して産み、育て
ら れる 環境 つく り
に力を注ぎます!