英米文学研究室についての評価と提言 - 名古屋大学 文学研究科 文学部

英米文学研究室についての評価と提言
玉井 暲 大阪大学大学院教授
教官構成
英米文学研究室の教官構成は、現在、教授1、助教授
評価を受けている。滝川睦助教授は、シェイクスピア、
1、外国人教師1の計3名である。これに対し、同研究
ルネサンス文学および現代批評理論を専門としており、
室に所属する学生数を見てみると、平成13年度におい
この分野における若手・中堅研究者の俊秀として活躍し
ては、学部学生が、2年生4名、3年生7名、4年生4
ている。論文「演劇の検閲・夢の検閲―A Midsummer
名の計15名、大学院生が、博士前期課程2名、後期課
Night's Dream―」
(1999)
、
「詩神が孕む―Othello
程1名、研究生1名の計4名である。この学生数のみを
における男性同士の絆―」
(2000)などは、同助教
考慮すれば、現在の教官構成は一見十分なように思われ
授の最近の優れた研究業績である。外国人教師トマス・
るが、16・17世紀から現代に至る英文学、およびイ
エドワード・グランディ(Thomas Edward Grundy) 博
ギリスとアメリカの両国にわたる文学、さらには21世
士は、19世紀英米文学が専門であり、論文“Arthur
紀を迎えて注目を浴び始めた新たな英語圏文学など、多
Hugh Clough ’ s Poetics of Uncertainty and the
様な拡がりを見せる「英米文学」の広範な領域を視野に
Victorians’Appetite of Order” によりアメリカのオレ
入れた研究・教育を行おうとするならば、現スタッフ数
ゴン大学より Ph.D を取得している。
“The Jaundiced
は必ずしも十分とは言えないであろう。
‘I’ of Tennyson’s ‘Locksley Hall’
”(2001)などは、
平成13年度には3名の非常勤講師が招かれ、教育内
容に多様性を与える配慮がなされ、また、従来より TA
同外国人教師が日本において発表した最近の優れた研
究論文である。
の積極的な導入により研究・教育活動を補助する体制を
英米文学研究室のスタッフが優れた英文学研究を行
取り入れ、大学院の室長を中心に学生たちの自主的な研
っていることは、文部省の科学研究費を数多く取得して
究会・発表会を奨励するなど、英米文学研究室における
いる実績からも確認することができる。最近取得した科
研究と教育を総合的に活性化する体制がとられている
学研究費にもとづく研究には、神尾美津雄教授の「現代
のは高く評価できる。ただし、研究室のよりいっそうの
批評の知の体系」
(平成1年度)、
「イギリス18−19
充実を図るためには、専任スタッフの増員や非常勤講師
世紀における人間像」(平成7−9年度)があり、また
の補充が強く望まれよう。
滝川睦助教授には、
「身振り学的視座からの英国ルネサ
英米文学研究室の現スタッフは、こうした条件のもと
ンス期演劇研究」
(平成8−9年度)
、
「観客論的視座か
で、大きな情熱をもって学生の指導・教育にあたるとと
らの近世初期英国のインタルード研究」
(平成10−1
もに、みずから優れた研究業績をあげている。神尾美津
1年度)
、「近代初期英国における中傷文学の研究」
(平
雄教授は18世紀英文学とロマン主義文学および現代
成12年度)がある。このように現在のスタッフは、英
批評理論を専門としており、これらの分野における第一
米文学のそれぞれの研究分野においてきわめて優れた
線の研究者としてわが国の英文学研究をリードしてい
研究業績をあげており、その成果は全国的に高く評価さ
る。
『闇、飛翔、そして精神の奈落―イギリス古典主義
れている。
からロマン主義へ―』
(1989)、
『他者の登場―イギ
リスゴシック小説の周辺―』
(1994)
、
『アルパイン・
フラヌール―イギリス自然意識の原像―』(2001)
などの同教授の代表的な著作は、英文学界において高い
研究教育設備
現在、英米文学研究室では、各教官が研究室を持ち、
その他に学生たちが共同で利用する研究室がある。この
合同研究室は、主に大学院生が使う部屋と学部学生のた
教育活動
めの部屋とに別れているが、相互に連結しており、有効
(1)学部教育
に利用できるように配慮されている。これらの部屋には、
英米文学研究室では、授業は大きく講義と演習に分か
英米文学に関する基本的な作品や研究書、学生たちの自
れ、2,3,4年生を対象に、詩、小説、演劇、批評な
習や授業の準備に必要な辞書・参考書の類が整えられ、
どそれぞれのジャンルにわたる英米文学作品について、
またコンピューターやコピー機が設置されているから、
具体的に綿密なテクスト分析を実行しつつ、作品を取り
学生たちは恵まれた研究教育環境にあるといえる。とは
巻く歴史的・社会的・文化的環境にも考察を加えるなど、
いうものの、今後、学生たちの多様化してゆく関心やテ
幅広いテクスト講読指導を行なっている。演習では、学
ーマに対応するための参考図書や研究雑誌をそろえた
生と担当教官のあいだで言語表現や解釈をめぐって活
りするには十分なスペースがあるとはいえない。また、
発な意見の交換が行われるように配慮され、講義では、
E メールの使用、電子テクストや CD-ROM 化、文献の
概論・総論の陥りやすい無味乾燥を避けるために、英米
コンピューター検索、本大学の中央図書館や他大学の図
文学研究の現在に関わる諸問題の個々が鋭く検討され
書館等とのネットワークなど、英米文学研究においてコ
る。さらに、卒業生を対象に「Expository Writing」や
ンピューターの導入が加速的に進んでいる状況を考え
「Writing Practice」の演習が設けられており、この演
ると、今後増設されるコンピューターを置くためのスペ
習においてテーマの発見、論述の仕方、論文の書き方な
ースはたちまち不足してくるものと想像される。こうし
どの指導が行われ、これを基にして卒業論文(英語で、
た将来の新たな研究教育状況を予想して、スペースの確
本文40枚以上)が仕上がるように配慮されている。ま
保と情報処理機器の充実のための予算措置が早急に求
た、外国人教師によって英語のライティングやスピーキ
められよう。
ングの丁寧な指導が行なわれるなど、英米文学を学ぶ上
でのオールラウンドな力が鍛えられるように指導方針
研究教育予算
英米文学研究室の予算については、平成12年度の大
が貫かれていて、総じて、バランスの取れた教育が行わ
れていると評価できる。
学院重点化により予算増が見られたので、研究室運営が
学部学生は、2年生になる前に、専門分野を小さく絞
多少以前より楽になったといえよう。しかし、最近の英
って英米文学専攻を決めねばならない点にいくらかの
米文学研究においては、コンピューター等の情報処理機
不安を感じたので、学生たちに尋ねてみたところ、専攻
器や高額の映像機器の導入など、実験講座における研究
決定には多少迷うこともあったが、現在は満足している
とさほど変わらない性格の研究が展開しており、多額の
との回答を得た。これは、専門課程に進んだ後のカリキ
経費を必要とする新しい状況が出来している。平成12
ュラムの充実や研究室の雰囲気作りが成功している証
年度に予算増があったにもかかわらず、図書購入費がそ
しと判断した。平成13年度の卒業論文を検討してみる
れに比してそれほど増えていないのは、こうした新しい
と、そのテーマは、ルネサンス時代から現代、イギリス
研究状況を反映するものと想像される。また、新たに発
文学からアメリカ文学、詩から小説にわたるなど多種多
刊される多様な学術研究雑誌や従来の外国定期刊行物
様であって、ここには学生たちの自由な文学的関心を尊
を購読する予算も年々増加する一方である。こうした学
重する研究室の雰囲気が感じられる。学生たちの今後の
術界の新状況に対応するために、同研究室の予算面の充
志望を調査したところ、大学院進学、留学、就職など、
実・拡大に向けて、同文学研究科における関係の各方面
多様である。実際、過去5年間の卒業生の進路先を見て
の理解を強く期待するものである。なお、同英米文学研
みると多岐にわたっていて、英語教員や大学院進学など
究室のスタッフが、こうした状況を鑑みて、科学研究費
教育・研究職をめざす者が比較的多いが、公務員や民間
の取得に向けて積極的に対応し応募申請している努力
企業に就職するものも増えてきており、卒業生は各人の
は高く評価されねばならない。
希望に沿ったそれぞれの分野で著しい活躍をしている。
の大学や研究教育機関にコンスタントに就職が決まっ
(2)大学院教育
英米文学研究室の大学院生は、現在、前期・後期を合
ており、昨今の厳しい就職状況にあってよく健闘してい
るといえる。
わせて計4名(研究生を含む)である。もう少し院生の
学会活動
数が増えるほうが院生相互間の学問的刺激が増大する
こともあってより理想的であろうが、現院生たちはこの
英米文学研究室のスタッフおよび院生は、ともに学会
贅沢な条件のもとで指導教官から丁寧な研究指導を受
活動が積極的である。神尾美津雄教授は、現在、日本英
けている。同研究室において、院生は作品の緻密な読み
文学会理事を務め、日本の英米文学・英語学会を運営す
が求められている。この基本方針に従い、最新の批評理
る指導的な立場にある。さらに、日本学術審議会専門委
論ならびにその歴史的変遷を理解したうえで、広範かつ
員、日本英文学会評議員、日本英文学会機関誌『英文学
適切な文献の検証に基づく分析批評を展開することが
研究』編集委員、イギリスロマン派学会理事、日本ジョ
勧められる。こうして院生たちは英米文学の作品をテク
ンソン協会大会準備委員などの重責を果たし、英文学を
ストとコンテクストの両面から探るための研究姿勢を
中心に広く日本の学術界を支える重要な研究者の一人
鍛えられ、修士論文、学会発表論文、博士論文の作成に
である。また、
「名古屋大学英文学会大会」を毎年定期
向けて精力的に研究を行っている。
的に開催し、同窓生の研究活動を助力・促進することに
院生たちの研究にとって重要なものに、スタッフの行
も大きな情熱を注いでいる。滝川睦助教授は、日本英文
う演習・講義のほかに、研究室全体で行われるセミナー
学会、日本シェイクスピア協会、日本スペンサー協会な
「Seminar on English Poetry and Criticism(SEPC)」
どを舞台に活動し、また、日本英文学会中部支部理事や
がある。これは同研究室の長い伝統に基づくもので、開
名古屋大学英文学会 Ivy Award 選考委員などを務め、
催回数は120回に達しようとしている。院生たちはこ
若々しい感覚でもって学会運営に携わっている。同スタ
のセミナーでみずからの研究成果を発表し、厳しい批判
ッフはまた、日本英文学会を中心とする国内での学会発
に晒されて、レベルの高い研究を仕上げてゆく。この成
表のみならず、海外においても活発に研究発表を行って
果はきわめて実りあるもので、出来上がった論文は各種
いる。たとえば神尾教授は、イギリスで開催された
の学会で発表される。たとえば1996−2000年に
“Wordsworth Conference”において2度にわたり招聘
同研究室の院生が行った学会発表を見てみると、日本英
講演を行っている。こうしたスタッフの積極的な学会活
文学会全国大会2件、日本英文学会中部支部大会13件、
動は大学院生や修了生に良き刺激を与える結果につな
日本イェイツ協会全国大会2件、日本ヴァージニア・ウ
がっており、院生たちも上述したように各種の学会に参
ルフ協会全国大会2件、The Annual Virginia Woolf
加し活発に研究発表を行っている。また、全国的な各種
Conference(海外)2件などがあって、その活躍にはめ
の学会誌への論文投稿も積極的であって、名古屋大学英
ざましいものがある。なお、英米文学専攻の院生から課
文学会機関紙 Ivy には、毎年、院生や修了生の優れた論
程博士はまだ出ていないものの、学位取得候補者が次々
文が掲載されている。こうして、同英米文学研究室にお
と控えており、その第一号が誕生する日も近いものと期
ける学会活動の活発さは全国的によく知られることと
待される。また同研究室が、名古屋大学英文学会と連携
なっている。
して、同窓生のなかで、当該年度にもっとも優れた研究
成果をあげた者を顕彰する Ivy Award(蔦賞)は、特に
国際学術交流
院生や若手研究者にとって大きな励みとなっている。こ
英米文学研究室では、一般に学術交流を積極的に取り
の受賞者のなかから優秀な英米文学研究者が育ってお
入れており、過去5年間の記録を見てみると、毎年、国
り、同研究室の滝川睦助教授もその一人(平成6年受賞)
内の一流の研究者を招いて講演会を開催している。これ
である。大学院生の修了後の進路については、日本各地
にあわせて海外の研究者による講演会も機会があるご
とに開かれ、平成11年には、John Beer(イギリス、ケ
ンブリッジ大学名誉教授)、Jillian Beer (イギリス、ケ
ンブリッジ大学教授)の講演が行われた。学生・院生た
ちは、英米に留学経験のある日本人スタッフとアメリカ
出身の外国人教師から感化を受け、外国留学にも強い関
心をもち、こうした内外の優れた研究者との交流を通じ
て国際的最先端の研究に意欲的に反応する姿勢をもっ
ている。
まとめ
英米文学研究室への提言については、改めて述べる必
要もないのだが、たとえば専任教官の増員、所属院生の
増加、課程博士の積極的な授与、学生用コンピューター
の増設、合同研究室のスペースの拡大、研究室予算の増
大等が実現すれば、よりいっそう充実した研究室が出来
上がることが期待できよう。とはいえ、現在ここに、神
尾美津雄教授を中心にして確固たる文学研究・教育の指
導方針に基づいて構築した重厚な学究的体勢は、まこと
に見事というほかない。この、英米文学の作品・作家・
コンテクストの分析を通して、究極的には西欧の知のあ
り方を探ろうとする研究姿勢には、安田章一郎教授、川
崎寿彦教授によって培われた英文学研究の伝統を継承
し発展させた名大英文学の特徴ある姿を見ることがで
きよう。ここに、名古屋大学英米文学研究室が日本にお
いて英米文学研究を推進する重要な拠点研究室である
ことを確認することができる。