シャンビリヘル のコピー

シャンビリ・ヘル ∼ ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
シャンビリ・ヘル
ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
渡辺 瑠海
スタジオテレスコープ
シャンビリ・ヘル ∼ ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
はじめに
夜中、心臓がドキドキして目が覚める。漠然とした焦燥感、不安がのしかかってきて眠
れない。どこか悪いのではと病院に行くと、医師は『パニック障害かもしれない』とい
う。処方箋で出されたSSRI、抗不安薬、睡眠薬。睡眠薬ハルシオンと抗不安薬であるコ
ンスタンは、どちらもベンゾジアゼピンという薬物だ。
処方された薬を飲み続けて2年少し経った頃、奇妙な症状が現れ始めた。当時の私に
は、医師の処方を疑うという観念がなかった。処方箋常用量依存。ベンゾジアゼピン離脱
候群。知らないうちに、私はベンゾジアゼピンの依存症に陥っていた。それは、私の人生
において最もおぞましい症状を巻き起こした。薬が切れると出てくる離脱症状。これはベ
ンゾジアゼピンの血中濃度が変化して起こる、いわば禁断症状だった。
最初の頃、私にはこの奇妙な体感の原因が全くわからなかった。それが、ベンゾジアゼ
ピンのせいだとわかった頃には、私の体感は既に引き返せないところに来ていた。
私の症状を明確に説明してくれる理解者は、ほんのわずかな専門書と、MDへザー・ア
シュトンが書いた「ベンゾジアゼピン離脱マニュアル」だった。
考え抜いた末、私は薬の減薬を決めた。そして、減薬と同時にパンドラの箱が開いた。
あらゆる苦痛をまきちらして、その箱は数か月開き続けた。
箱が開いている間、私の頭の中は自分でも理解できない場所をさまよっていた。まるで
異次元だ。あらゆる感覚が狂った世界。現在に戻ろうにも、戻りようがない。今思うと、
あれは禁断症状による地獄そのものだった。
アメリカではベンゾジアゼピンが麻薬と同じ危険薬物として並んでいるというが、その
理由がなぜなのか、よくわかった。
治療するための薬が凶器に変わる。果たしてこんなことがあっていいのだろうか?
処方薬で、こんなにつらい目に遭うなど、いったいだれが教えてくれただろう。
離脱症状の繰り出す幻覚、厳しい体感に打ちのめされ、私はことごとく絶望して、心が
折れまくった。やがて厳しい体感と闘ううちに鬱状態に陥り、そこからもなかなかはい上
がることができなかった。
ベンゾジアゼピン天国の無法地帯日本には、いったいどれほど、この苦痛と闘っている
人がいるのだろう。
勇気をもって薬と手を切ろうとしている人もきっと少なくないはずだ。
しかし、離脱症状を恐れ、そのまま服用し続ける人が大半なのではないか。あるいは、
まさか自分が 処方薬 に苦しめられているとは気がつかず、更に新しい薬を投薬される人
も多いのではないだろうか。知らないうちに薬漬けにされている。
シャンビリ・ヘル ∼ ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
私自身、処方箋の常用量依存などこの世にあるとも思わなかった。考えたこともなかっ
た。
ベンゾジアゼピンの長期服用が脳に及ぼす害がどれほどのものか、まだよくわかってい
ないとはいうが、私を次々と襲ってくるおぞましい脳のバグは、薬がいかに体を痛めつけ
ていたかを思い知らされるものだった。病院でもらっている薬がこれほど脳にダメージを
与えていたとは、今もにわかには信じられない気持ちでいっぱいだ。つくづく、薬に頼っ
た自分を馬鹿だったと思う。しかし、少なくとも著述業に携わる人間として、つらくても
この体験を克明に記録しておく義務感があった。
もう何もかもやめたかった。苦しい、死にたいと何度思っただろう。消えたかった。で
も、死ぬわけにはいかない。私には義務がある。それだけを命綱に、メモを取り続けた。
本当は義務なんかない。それは私自身を唯一、正気に戻す命綱だった。書き留めることさ
えしなければ、私は自分を完全に見失っていたと思う。
闘い続けていた。そして、やがてパンドラの箱はゆっくりと閉じていった。
この箱は一生閉じないのではないかと希望を失いかけていた頃、ゆっくりと閉じていっ
た。そして、私は夢にまで見た 現実 に、再び戻ってくることができた。
リネンの感触を楽しみ、眠り目覚めるという日常の感覚にやっと戻ったときの安 感を
思うとただ涙がにじむ。
離脱の嵐の中にいる誰かが、かつての私のように異次元に迷い込んで助けを求めると
き、私のこの経験が何らかの支えになればと願ってやまない。大切なのは、つらいとき、
世の中すべてが、人生この先すべてが絶望的に思えても、死んでしまいたいと何度思って
も、それは、薬の離脱症状ゆえのことなのだ。毒が抜けていく際に起こる、脳のバグだ。
それを自分にしっかり言い聞かせなくてはならない。
脳のバグを自分の意志だと勘違いしてはいけない。命の火を消してはいけない。すべて
はベンゾジアゼピンの離脱症状だ。それに尽きる。
どんなに厳しい症状も、体から薬が抜ければやがて消える。必ず消えていく。これだけ
は紛れもない事実だ。減薬にゆっくりと時間をかけるなら、離脱症状はもっと緩やかに消
えていくだろう。だから焦ってはいけない。
ベンゾジアゼピンの減薬、断薬に力を貸してくれる医師がいれば、もっとうまくいくは
ずだ。ただし、そういう医師を見つけるのは至難の業かもしれないが。
私は無知だった。医者が言うがままに薬を飲み続けていた。そして依存症に陥った。
パンドラの蓋がやっと閉まった今、同じ失敗は二度と繰り返さないと誓う。もうあんな
につらい思いは2度としたくない。
そして、今苦しい離脱症状と闘っている人を、回復の道に歩き始めようと闘っている人
を、私のかけがえのない同志だと思っている。
シャンビリ・ヘル ∼ ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
つらいとき、あなたに会いたかった。会って話がしたかった。唯一、この離脱症状のつ
らさを知っているあなたと手を取って泣いてしまいたかった。
どうか忘れないでほしい。少なくともあなたは一人ではない。その状態に陥ったのはあ
なたのせいではない。私たちは身をもって何かを学んでいる。ベンゾジアゼピンという毒
を体から抜こうとしている。そして、そのために苦しんでいる。すべては、元の姿に戻り
たいがための闘いだ。
苦しんでいる時間は本当に長く感じる。一生このままなのではと絶望感に打ちのめされ
ることもある。しかし、その苦しみはあなたが思うほど長くは続かない。
パンドラの箱は必ず閉じていく。その後、誰もが笑顔で日常の生活に戻っている。
そして、ベンゾジアゼピン薬剤などに頼らなくても、十分自分の力で生きて行けるよう
になる。自然に眠りにつくようになる。そして、自分の人生をもういちど良いものにしよ
うと、心の底から思える日がやってくる。
どんなにつらい時期があったとしても、すべては回復への道のりだということをどうか
忘れないでいてほしい。 著者
シャンビリ・ヘル ∼ ベンゾジアゼピン離脱症状との闘い
もくじ
投薬まで
薬との相性
奇妙な体感
シャンビリが始まった
消えた転機
すべてがオフになる
増薬か減薬か
眩暈(めまい)と負の記憶
地獄に等しい
音信不通
幻覚と幻視
名言集なんかいらない
無と希死念慮
弱さとの対峙
助言が欲しい
回復の小さなきざし
孤独な持久戦
断薬と新たな不安
自律神経の崩壊
断薬の挫折
理解されない闘病
再び減薬、断薬へ
トンネルを抜けて