東 北 へ の 祈 り と 再 建 の 願 い を 込 め て - 徳洲会グループ

ささ
して宿泊するという目的
ももっていた。
●佐藤康永・消化器内科
医長︵札幌徳洲会病院︶
私は宮城県大崎市の出
身なので、1年後の3月
日には何らかの形で再
びここに来たいと思って
いました。しかし、思っ
たほど復興は進んでおら
ず、過疎が進むことと産
業の衰退が心配でなりま
せん。町民の方々が安心
して暮らせる町ができる
よう祈っています。
●中畑雅美看護師
︵札幌東徳洲会病院︶
先天的な病気があるの
にインフルエンザにかか
ってしまった女性や、嫁
ぎ先でご主人を津波に飲
まれ、そのご両親や親戚
の面倒を見るうちに自分
東北への祈りと再建の願いを込めて
未希さんのエピソードは
あまりにも痛ましい。そ
の防災庁舎は津波を想定
した構造だったが、想像
を絶する自然の猛威の前
では無力だった。
震災後、被災者は町の
高台にある総合体育館ベ
イサイドアリーナなどに
収容された。同アリーナ
は、体育館フロアを支援
物資倉庫とし、人々は廊
下に段ボールを敷いて過
ごしていた。
あれから1年。そのベ
イサイドアリーナに遺族
や関係者らが集まり、同
じ3月 日に東日本大震
災犠牲者南三陸町追悼式
が行われた。徳田虎雄・
徳洲会理事長も来賓とし
て招かれ、代理として徳
が れき
3月 日を控え
た2月末、医療法
人徳洲会に対し宮
城県から感謝状が
届いた。日付は平成 年
2月、差し出し人名は同
県の村井嘉浩知事。
感謝状に添えられた書
の体調を崩してしまった
方など、多くの患者さん
が今でも気になっていま
す。私が来たからといっ
て、もう一度会えるわけ
ではありませんが、今の
様子が気になって再訪し
ました。早く、産業や経
済が元どおりになってほ
しいと思います。
●尾形昇一・地域医療部
主任︵山形徳洲会病院︶
震災を受けた地域には
親戚や友人が多数いたの
で、連絡が取れない中で
活動するにはそれなりの
プレッシャーがありまし
た。でも、生きていれば
いずれは連絡が取れると
割り切り、活動に集中し
た記憶があります。
活動中に知り合った3
組のご家族と、今も電話
のやりとりなどで関わっ
て い ま す。
〝つながる〟
という形での、ささやか
な支援のつもりです。
簡 は、
﹁このた
びの東日本大震
災に際しまして
は、皆様方から
被 災 者 の 救 命、
救助活動や被災
地の復旧・復興
などに多大な御
協力を賜り誠に
ありがとうござ
いました﹂と始
まり、感謝状贈呈の理由
が述べられている。
生命
9日
日
日
日
日
日
時
時
時
時
時
時
時
時
時
時
時
︵3月9∼
屋田局長、武蔵野徳洲苑・石川事務長来室。
日︶
㈱高知銀行東京支店・垣内宏重支店長代理、西央次長、
元栄養部会長、古勝部長、鶴丸係長来室。
越澤社長、㈱ダイエタリーケア・三宅ゆかり社長、山
長、房氏来室。
㈱久米設計・福田昭一専務執行役員ほか4人、坂上次
佐藤工業㈱・杉晟前社長来室。
長、房氏来室。
㈱山下設計・河根一仁専務執行役員ほか2人、坂上次
ミランガ氏来室。
ト透析研修チーム4人、マタト・リチャバ三等書記官、
トーゴ透析研修チーム4人、ダミトテ・ラレ氏、レソ
伸一郎議員、納沢局長来室。
加藤啓雄喜界町長、川島健勇氏、鹿児島県議会・禧久
務来室。
国家公安委員長・松原仁大臣、池田剛久秘書、能宗専
外科部長、ラ・ヴィータ・服部氏、坂上次長来室。
庄内余目病院・野末院長、山形徳洲会病院・大沼整形
務長、松田次長来室。
植嶋部長、竹中部長、呉屋部長、成田事務長、柿沼事
佐藤専務、桶谷局長、石川局長、成山部長、安藤部長、
済太郎先生・清子さんご家族、屋田局長来室。
井村倫子さん、熊本大学大学院生命科学研究部・尾田
氏、ピエール氏来室。
時半 徳田哲副理事長、鈴木専務、越澤徳美社長、アーサー
安富祖専務、宮古島徳洲会病院・増成副院長来室。
だけは
平等 だ
時
14
度を取るのか﹂と批判
参院予算委でのやりとり
しました。そういえば
自民党の世耕弘成議 昨年4月1日には、台
員が3月 日の参院予 湾から届いた東日本大
算委員会で、﹁
︵前日の︶ 震災救援物資の贈呈式
東日本大震災の追悼式 に日本側を代表して徳
典で、台湾の文化代表 田たけし事務所が40
処副代表に指名献花も 0tの物資目録を受け
させなかった。大震災 取りに行きました。自
のときに最も早く救援 民党は礼を失せず、谷
の手を差し伸べ、一番 垣禎一総裁名で感謝状
たくさんの義援金をい を贈っています。
答弁に立った野田佳
ただいた台湾に、どう
してそういう失礼な態 彦総理大臣は﹁台湾の
皆さまには温かいご支
援をいただいた。その
気持ちを傷つけるよう
なことがあったら、本
当に申し訳ない。深く
反省したい﹂と発言し
ました。
︵M︶
12
11
13 15
14
15
17
11
13
14
16
16 15
17
15
10
11
12
13
14
東日本大震災犠牲者南三陸町追悼式
宮城県南三陸町は震災
直後、
﹁ まったく連絡が
取れない町がある﹂とし
てニュースなどで大きく
報道された町。実際、電
話などの通信手段はもち
ろん周辺と連絡している
唯一の道路も寸断されて
しまっていたため情報が
得られず、救援活動開始
も遅れた。人口およそ1
万7000人のうち、死
者565人、行方不明者
343人。家屋全体の約
6割にあたる3299戸
が全半壊する甚大な被害
を受けた。
地震後、町の防災対策
庁舎から﹁早く逃げてく
ださい﹂と町内放送で呼
びかけ続け、自らの命を
落とした同町職員・遠藤
11
昨年 3月 日の東日本大震災から 1年。徳洲会グループは、地震発生
当日から全国のスタッフを被災地に集めて医療支援活動を行った。5
月初旬に撤退するまでの間に、計 900人以上が現地入りした計算に
なる。ちょうど 1年後の今年 3月 日には宮城県南三陸町で追悼式が
行われ、徳田哲副理事長をはじめグループ職員も参列した。
直 言
田哲副理事長が参列。加
えて、現地で医療支援を のの、その次の展開のよ
行ったNPO法人TMA うなものが見えません。
T︵徳洲会医療救援隊︶ まして、人の気配や生活
の橋爪慶人理事︵東大阪 感もないのです。その点
徳洲会病院院長︶ら9人 に神戸との大きな違いを
も参列した。
感じますが、逆にいえば
約1800人が参列し 東日本大震災は神戸とは
た追悼式では、白い花が まったく比較もできない
飾られた祭壇に全員が黙 ほど大きな災害だったの
とうを捧げ、献花台に花 かもしれません。
私たちは、医療従事者
を手向けた。祭壇の左右
には大型モニターが置か として現地で活動したわ
れ、東京で行われた追悼 けですが、今はもう医師
式の模様を中継。野田総 がどうこうではなく、一
理のスピーチと、天皇陛 人の日本人として復興に
下のお言葉がリアルタイ 思いを寄せるべきだと実
ムで流された。
感しました。そして、で
きれば思いを寄せるだけ
阪神・淡路大震災と
ではなく何らかの行動を
比較にならない規模
起こし、ボランティアで
はなく単なる観光でもい
いので日本人全員が東北
の被災地に行き、少しで
もそこにお金を落とすよ
うなことができればいい
と思います﹂
以下、追悼式参列者の
感想を一部集めた。参列
者たちは、TMATのス
タッフが南三陸町で活動
した際に宿舎を提供して
くれた﹁ホテル観洋﹂を
訪れて関係者にお礼を伝
えるとともに、訪問客と
現在の南三陸町。壊れて動かない車が1カ所にまとめられ
ており、震災後に再建された真新しい電柱だけが目立つ
橋爪理事は、阪神・淡
路大震災と比較して
の感想をこう言う。
﹁神戸の震災も大き
な災害でしたが、1
年後には復興の形が
見えていましたし、
市民の意欲のような
ものも感じました。
ところが、1年ぶり
に南三陸町に来てみ
ると、道路が整備さ
れて瓦礫が1カ所に
まとめられているも
村井知事(中央)を表敬訪問した
TMAT スタッフ(昨年3月13日)
11
N E
国会見学の徳洲会国際奨学財団
の留学生7人と徳田代議士
www.tokushukai.jp
A D L I
24
発行: 一般社団法人徳洲会
〒102-0083 東京都千代田区麹町4−6−8ダイニチ麹町ビル
TEL:03−3263−8131
制作: 徳洲新聞編集室
〒102-0081 東京都千代田区四番町8−14−3F
TEL:03−3512−2766 FAX:03−3512−2768
2025年のあるべき
医療・介護の姿を見据えた改定
H E
11
月曜日
818
月
No.
診療・介護報酬同時
改定は社会保障と税の
一体改革への第一歩
の ち
い
日
3 26
❷下肢血管再生治療の臨床研究を実施
❷障害のある方の作品を展示
❸「いのちの大切さ」を卒業生に伝える
❸患者さんの心に触れる看護を目指して
❸鎌倉市主催の子ども体操教室
❸病院広報の優良施設に
❸全日本体操選手権に徳洲会が出場
❹がん患者さんを
支える新たな挑戦
(茅ヶ崎)
❹病院だより
11
宮城県からグループに感謝状
生命だけは平等だ
新 聞
徳 洲
平成 24 年 3 月 26 日 月曜日│ No.818
1