P28~29 - 福智町

↓厳かな行道。まだ5分咲きでしたが周囲には藤の甘い香りが漂っていました。
5 月 18 日に金田中(262人)と方城中(193人)の体育会
が行われ、初夏を感じさせる暑さの中、各校ともダンスや
組体操、リレーなど約 20 種目に汗を流しました。心を一つ
に練習を積み重ねてきた生徒たちは、
当日その成果を精いっ
ぱい発揮し、感動の涙を見せる場面も。中学校生活の最高
の思い出として、それぞれの心に深く刻まれたようでした。
定禅寺の藤供養藤祭り
迎 接の藤の長寿と満開を祈願
こうじょう
↑金田中体育会の最後を飾った3年生の全員リレー。拍手と歓声に包まれました。
皆川正信さん写真展
秀 作並んだフォトライフの集大成
境内にある県指定天然記念物「迎接の藤」の満開を間近
にした4月 29 日に、定禅寺(弁城)で「藤祭り」が開かれ
ました。約百人が藤棚を囲むように見守る中、祭壇までの
行道の後、読経や献笛、お神酒による供養などが行われ、
藤の長寿と満開が祈願されました。迎接の藤は5月3日か
ら満開となり、大型連休中に多くの花見客を魅了しました。
↓敷地内の第二会場にも、先代の存在感あふれる多様な秀作が並びました。
皆川正信さん(赤池)の写真展が5月17日から9日間、赤
池支所で開かれました。50 年前からカメラを手にした皆川
さんは、コンテストの入賞も多数。写真展では昭和 59 年の
大水害時の赤池町部や上野峡のカワセミの一瞬をとらえた
貴重な作品が並びました。
「懐かしい、感動した」などの感
想が寄せられ、
40点の秀作が訪れる人の目を楽しませました。
→渡元から帰国し、当時官寺最高位の南禅寺住職も務めた高僧・無隠元晦禅師の秀逸な座像。地元では黒仏様と呼ばれています。
金田中(第 62 回)
・方城中(第 64 回)体育会
心 に刻まれた思い出の1ページ
興国寺開山堂を移転新築
元 晦禅師坐像が新堂に鎮座
げん かい ぜん じ
南木菅原神社神幸祭
地 域を挙げて豊作を願う
豊前吉右衛門窯の窯開き
福智町川の夢プラン協議会設立
親 しみ感じる川づくりを目指して
豊前吉右衛門窯(弁城)の窯開きが4月26日から開かれ、
先代の故・永末吉右衛門(晴美)氏の貴重な作品およそ 70
点が公開されました。細い文様の溝に顔料を施して彩色し
ほりそめつけ
は
た「刻染付」という独自の技法で名を馳せたその作風は、繊
細で優美。陶器の肌は年月を重ねた風合いも加わり、訪れ
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↓役場本庁で開かれた初会合には、国交省遠賀川河川事務所や町職員も参加。
南木菅原神社の神幸祭が5月2日・3日に催され、きらび
おたびしょ
やかな稚児と厳かな雰囲気の獅子が、神社と御旅所で舞を
奉納しました。農繁期に向けて豊作を願うこの舞は、明治
20 年代に当時の青年たちが筑前(飯塚市庄内町)の綱分で習
い覚えたのが始まりと伝えられています。戦争中も絶えるこ
となく南木の伝統行事として今日まで受け継がれています。
先 代吉右衛門氏の高雅な作品公開
↑作品への質問に答える皆川さん、今の目標は英彦山でのヤマセミの撮影です。
ざ
興国寺(上野)の新たな開山堂に元晦禅師坐
ぞう
像を移設する着座式が4月 24 日に行われまし
む いん げん
た。像は県指定文化財で興国寺開山・無 隠 元
かい
晦の木造彫刻。旧開山堂は湿度が高く、像が
傷む恐れがあるため移転新築され、竣工後、
内部の湿度安定までに約2年をかけてこの日
を迎えました。関係者が見守るなか、九州歴
史博物館、県教委、町教委の職員が像を慎重
に設置。法要を行った横山哲志住職は「今年
えん き
は元晦禅師 650 遠忌の年、10 月の法要に間に
合ってうれしい」と節目の新設を喜びました。
たファンは、味わい深い作品をじっくりと鑑賞していました。
親しみの持てる川づくりを目的とした「福智町川の夢プ
ラン協議会」
(大久保琢磨会長)
が4月 22 日に設立しました。
当初の会員はボランティアグループや教員など 12 人。国土
交通省遠賀川河川事務所の事業に反映するための実行計画
(夢プラン)を策定し、同事務所に提案します。今後、毎月
↑神社での舞もクライマックスをむかえ、稚児たちが一斉に躍動しました。
第4火曜日に町内の川づくりについて協議される予定です。
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