T - 金沢大学

Title
超分子形成物質の添加および外部磁場の印加による光誘起ラジカル
反応の制御
Author(s)
宇田川, 周子
Citation
宇田川周子 博士学位論文, 学位授与年月日:2013年3月, 学位授与大学:
金沢大学(2012年度) / 金沢大学大学院自然科学研究科 生命科学専攻
生理活性物質化学講座 / Doctor thesis of Chikako UTAGAWA
Issue Date
2013-03-26
Type
Thesis or Dissertation
Text version
author
URL
http://hdl.handle.net/2297/34621
Right
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http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/
博士論文
超分子形成物質の添加および
外部磁場の印加による
光誘起ラジカル反応の制御
宇田川 周子
2013 年 3 月
1
博士論文
超分子形成物質の添加および
外部磁場の印加による
光誘起ラジカル反応の制御
金沢大学自然科学研究科
生命科学専攻
生理活性物質化学講座
学籍番号
1023032502
氏名
宇田川 周子
主任指導教員
中垣
良一
2
目次
I. 序論 .............................................................................................................. 4
II.
理論 ........................................................................................................... 7
II-1 ラジカル対機構 ...................................................................................... 7
II-2 超微細相互作用機構(hfc 機構:Hyperfine Coupling Mechanism) .. 9
II-3 Δg 機構................................................................................................. 12
II-4 S-T- Level Crossing............................................................................. 13
II-5 緩和機構 .............................................................................................. 14
II-6 超分子 .................................................................................................. 14
III. 様々な溶媒中における Flutamide の光化学: ....................................... 18
III-1 序 ...................................................................................................... 18
III-2 試薬および方法................................................................................. 19
III-2-1 試薬 ............................................................................................ 19
III-2-2 実験機器 ..................................................................................... 19
III-2-3 光照射条件.................................................................................. 20
III-2-4 Flutamide の光化学に対する磁場効果 ...................................... 20
III-2-5 光生成物の合成および同定......................................................... 20
III-3 結果と考察 ........................................................................................ 22
III-3-1 種々の溶媒中における光反応 ..................................................... 22
III-3-2 様々な溶媒中における光反応性 ................................................. 24
III-3-3 Flutamide の光反応に対する磁場効果 ...................................... 26
III-4 結論 .................................................................................................. 33
IV. 1,3-Diphenylisobenzofuran の SDS ミセル溶液中の光増感酸化反応に対
する磁場効果 .................................................................................................... 34
IV-1
序 ...................................................................................................... 34
IV-2
実験 .................................................................................................. 34
IV-3
結果と考察 ........................................................................................ 35
IV-4
結論 .................................................................................................. 40
V. 終わりに ..................................................................................................... 41
VI. 謝辞 ......................................................................................................... 41
VII. 参考文献.................................................................................................. 42
3
I.
序論
磁場は化学者・物理学者および生物学者にとって非常に興味深い物理的環境で
ある。
磁石の発見は紀元前十数世紀であるといわれており、人類との関わりは数千
年の歴史を持っている。哲学者、戯曲作家など様々な人たちが磁場に興味を示
していた。
近代科学史で 1847 年、英国の Michel Faraday による“On the diamagnetic
conditions of flame and glass”[1]、イタリアの Zantedeschi による“On the
motions presented by flame when under the electro-magnetic influence”[2]が
同時に Philosophical Magazine に発表された。その後、磁場の物理的効果につ
いては種々の研究がおこなわれてきたがその応用は限られていた。磁場の化学
的効果については 1881 年に I. Remsen が銅の析出反応に対する磁場効果をアメ
リカ化学会誌に発表している[3]。時代はさらに新しくなるが、我が国において
も 1964 年に田畑らによるホルムアルデヒドの放射線固相重合の磁場効果に関
する論文[4]、1968 年には藤原らによるポーラログラフィティーに及ぼす静磁場
の影響[5]が発表されている。また、磁場の生物学的影響については 1964、1969
年に出版された“Bioligical Effects of Magnetic Fields, Vol. 1&2”において、磁
場が多数の生物現象に大きな影響を与えることが報告されている[6]。 しかし
ながらそれらの大部分は再現されておらず、当時、磁場効果を説明する適切な
理論もなかった。
磁場により起こる分子のエネルギー変化は、常磁性体である有機ラジカルを 1
T の磁場中においた場合でも電子スピンのゼーマン分裂により変化するエネル
ギーは 0.01 kJmol-1 であり、このエネルギーは一般の化学反応の活性化エネル
ギー(数十から数百 kJmol-1 )はもとより、室温における熱エネルギー(2.5
kJmol-1)と比べてもはるかに小さい。さらに、有機化合物のような反磁性体の
磁場によるエネルギー変化は、常磁性体よりもさらに 3 桁小さく、このような
熱力学的考察から磁場が化学反応に影響する可能性は極めて少ないといわれ、
「化学反応の磁場効果」は疑わしいものとされていた。
しかしながら、1960 年代末にはいり、化学誘発動的核スピン分極(CIDNP、
Chemically induced dynamic nuclear polarization)および、化学誘発動的電子
スピン分極(CIDEP、Chemically induced dynamic electron polarization)が
発見され、そのメカニズムの解明が進むにつれ、電子スピンおよび核スピンと
反応の関わり合いが明らかになった[7]。1976 年に日本の研究グループ[8]および
ドイツの 2 つの研究グループ[9,10]がそれぞれ独立に光化学反応の磁場効果の研
究を発表し、さらにラジカル対機構という全く同一の機構により磁場効果を説
明したことから、サイエンスとしての磁場効果の研究が一気に進んだ。
4
化学反応の反応速度や生成物収量に対する磁場効果は、CIDNP や CIDEP と
共通のメカニズム-ラジカル対機構-で理論づけられることから、これらの研
究分野は、
“スピン化学”と呼ばれるようになった。現在では、広く化学・物理・
生物現象に対する磁場の影響を研究する研究分野は“磁気科学”と呼ばれるま
でに発展してきている。
光化学反応や熱化学反応において、ラジカル対を経由する反応は数多く知ら
れている。植物や細菌の光合成の初期過程には光電子移動反応のようなイオン
ラジカル対が生成することや、その他の生体反応や化学工業における反応にも
ラジカル対を経由する反応が数多く登場することから、ラジカル対は極めて重
要な短寿命反応中間体である。反応速度や反応収量に対する磁場効果はラジカ
ル対機構で説明できる。ラジカル対は二つのラジカルで構成されており、ラジ
カル対として一重項または三重項と呼ばれる違った電子スピン状態をとってい
る。磁場がかからない場合、一重項と三重項の縮重した三つのサブエネルギー
準位が一致するときラジカル対は後述の電子スピン‐核スピン間の超微細相互
作用機構(hfc 機構)により項間交差が起こる。一重項ラジカル対はさらに再結
合することにより「かご内生成物」を生成し、一方、三重項ラジカル対はその
ままでは再結合できず散逸してフリーラジカルとなり、それらフリーラジカル
同士が出会うことにより、
「散逸生成物」を生成する。磁場はラジカル対のスピ
ン状態に影響を及ぼし、項間交差に働く。たとえば、1 T 未満の低い磁場が存在
するとき、三重項の三つのサブエネルギー準位はゼーマン分裂によりエネルギ
ー準位の縮重がとけ、一重項-三重項間の項間交差が抑制される。その結果、
磁場は反応速度や反応生成物収量に大きな影響を及ぼす。
ラジカル対のスピン多重度はその前駆体の多重度に一致する。例えば、前駆
体が励起三重項であった場合、hfc 機構による三重項-一重項間の項間交差は抑
制され、かご内生成物の収量は減少する。かご内生成物の減少は、同時に磁場
印加による散逸生成物の増加に関係する。このように磁場効果をプローブとし
て用いることにより簡単にラジカル対前駆体のスピン多重度を決定することが
できる。また、ラジカル対の寿命は粘度などのミクロ環境の特性に左右される。
低粘度な均一溶媒系ではラジカル対の寿命は短く、磁場効果はみられない。一
方、ラジカル対の寿命は不均一溶媒中で長く、顕著な磁場効果が見られる。磁
場効果を解析することにより分子のミクロ環境の状態を類推することができる。
すなわち、反応速度や反応生成物の収量に対する磁場効果は、反応機構を解明
するにあたり、シンプルかつ有用な道具となる。最近は数テスラ以上の強磁場
影響の研究が多数報告されているが(1 テスラ(T)=10,000 ガウス(G))、磁
場効果をプローブとした反応機構研究の汎用性・有用性を意識し、本研究では、
どこの研究室でも入手可能な永久磁石を磁場の発生源として用い、有機光化学
5
反応機構の解明をおこなった。
Flutamide ( 2-methyl-N-[4-nitro-3-(trifluoromethyl)phenyl]propanamide )
は 前 立 腺 が ん に 用 い ら れ る 非 ス テ ロ イ ド 性 の 抗 が ん 剤 で あ る [11-13] 。
Flutamide は副作用として光過敏性があることが報告されている[14-19]。この
ことから Flutamide の光反応については、様々な溶媒における Flutamide の光
反応およびその生成物が報告されている[20-24]。しかしながら、いずれの報告
も生成物の解析は様々であり、反応機構の詳細について完全に証明できてはい
ない。第 III 章では、光過敏性副作用の作用機序解明のための一助として、超分
子中の Flutamide の光化学反応の磁場効果の研究を行った。Flutamide の光化
学反応の溶媒としては、均一溶媒である pH7.4 のリン酸緩衝液から、より生体
内環境を模すために不均一溶媒系である β‐シクロデキストリン(β-CD)およ
びミセル溶液であるドデシル硫酸ナトリウム(SDS) 溶液およびポリオキシエ
チレン(23)ラウリルエーテル(Brij35) 溶液中での磁場効果、さらに生体内分
子である牛血清アルブミン中(BSA)溶液中における光反応に対する磁場効果
を調べ、反応機構を詳細に検討した。その結果、磁場効果をプローブに用いる
ことにより、その光反応機構について新しい知見を得ることができた。
磁場効果は反応機構の解明に非常に有用な道具となりうる。しかしながら、
磁場は誰でも簡単に利用できることから、逆に未だに再現性の不確かな研究が
報告されていることもあるようである。よって、磁場効果の研究において再現
性の有無を検討することは非常に重要な研究である。光酸化反応は生体系でも
観られる重要な化学反応の一つである。1,3-Diphenylisobenzofuran(DPBF)
の Anthraquinone(AQ)を増感剤に用いた光増感酸化反応の磁場効果について
は谷本らによって既に報告がなされている[25]。磁場効果は DPBF および AQ
の UV 吸 収 に 対 し て の み 検 討 さ れ た だ け で 、 酸 化 生 成 物 で あ る
o-Dibenzoylbenzene(DBB)の収量については未検討であった。また、類似し
た光反応の磁場効果の報告は他にないようである。そこで、第 IV 章では、この
光酸化反応について反応物のみならず生成物を分離しそれらの収量を解析する
ことにより、その磁場効果の再現性を検討し、詳細な反応機構の解明を行った。
さらに AQ 以外の増感剤についてその磁場効果を検討し、光酸化反応の磁場効
果の普遍性を明らかにした。
以上の研究により、磁場効果をプローブに用いて、Flutamide の光反応の反応
初期過程・DPBF の光増感酸化反応機構の解明を行うことができた。併せて、
永久磁石を利用した磁場のプローブとしての有用性について実証することがで
きた。これらの研究により今後光化学反応機構の解明に、磁場効果が一層利用
されるものと期待される。
6
II. 理論
II-1 ラジカル対機構
磁気的に相関関係を持つ二つの電子を持つラジカルの対をラジカル対と呼ぶ。
磁場はラジカル対のスピン状態に作用することにより、ラジカル対を経由する
反応に対し顕著に影響を与える。短寿命反応中間体であるラジカル対を生成す
る反応としては、
(1)結合開裂、
(2)電子移動、および(3)水素原子引抜き反
応がある。
(1)結合開裂反応
R1-R2 → R1・・R2
(2)電子移動反応
R1+R2 → R1+・・R2-
(3)水素引抜き反応
R1+HR2 → R1H・・R2
(1)では、光や熱により分子 R1-R2 の結合のホモリシスが起こり、ラジカ
ル対 R1・・R2 を生成する。
(2)では、光や熱により分子 R1 から分子 R2 への電
子の移動によりラジカルイオン対が生成する。
(3)では、光や熱により分子 R2H
から分子 R1 へ水素原子の移動によりラジカル対が生成する。
ラジカル対の関与する反応機構を Fig. II-1 に示す。ラジカル対は一重項
(Singlet、S)と三重項(Triplet、T)の 2 つの電子スピン状態を持つ。三重項
は T+、T0、および T-の三つのエネルギー準位を持っている。生成したラジカル
対のスピン状態は、スピン保存則により、前駆体のスピン状態に依存する。す
なわち、例えば一重項励起状態分子が前駆体の場合、生成したラジカル対は一
重項ラジカル対であり、前駆体が三重項の場合、生成したラジカル対は三重項
ラジカル対である。一重項ラジカル対からは、項間交差により三重項へ移る過
程、再結合によりかご内生成物(基底一重項状態、cage products)を生成する
過程、および散逸によりフリーラジカルを経て散逸生成物を生成する過程があ
る。三重項ラジカル対からは、項間交差により一重項へ移る過程、散逸により
フリーラジカルを経て散逸生成物を生成する過程がある。なお、スピン禁制則
により、三重項のスピン状態から直接スピン多重度の異なる一重項かご内生成
物へ遷移することはできない。
7
Radical pair model
Triplet precursor
Singlet precursor
Magnetic field effects
3
R1・・R2
Triplet radical pair
Escape
1
Intersystem crossing
R1・・R2
Singlet radical pair
Escape
R1  R2
Escape radicals
(Free radicals)
Cage products
Escape products
Fig. II-1
Radial pair model
ラジカル対の一重項-三重項項間交差はどのようにして起こるか、その際磁
場はどのような影響を与えるのかについて説明する。ラジカル対の一重項-三
重項項間交差の理論は、伊藤公一らの X 線照射固体内にトラップされたラジカ
ル対の固体中のラジカル対の磁気的相互作用の理論[26]をもとに Kaptein によ
り作られた[27]。その理論により、例えば、三重項ラジカル対を前駆体としたと
きの、S と T0 の混合が起こる場合について考える。この場合ラジカル対の時間
t における三重項成分|CT (t)|2 は、次式で与えられる。
|CT (t)|2 = 1 − (Q N⁄ωN )2 sin ωN 2 t
(1)
ここで、
ωN2 =QN2 + (2πJ/h)2
(2)
QN = [Δgβ B/2 + (∑ai Ai Mi − ∑bk Ak Mk )]2π/2h
(3)
である。 J, h, g, , B, Ai, Mi, Aj, Mj はそれぞれ交換相互作用の大きさ、プラン
ク定数、2つのラジカルの g 値の差、ボーア磁子(定数)、外部磁場強度、ラジ
カル1の核スピン i の超微細相互作用定数とその磁気量子数、ラジカル2の核ス
ピン j の超微細相互作用定数とその磁気量子数である。
8
すなわち、ラジカル対は、(1)式より一重項状態と三重項状態の間を周期的に
角周波数 ωN で行き来すること、その角周波数は(2)式に示すように、2つの項に
依存することが分かる。(2)の第一項は、(3)に示すように、さらに2つのラジカ
ルの g 値の差(g)と印加磁場の大きさの積に比例する項と、電子スピン-核スピ
ンの超微細相互作用に依存する項から出来ている。(2)の第二項は、2つの電子
Q
の交換相互作用による項である。また、(1)の振動の振幅は、( N⁄ωN )2 に比例す
る。(2πJ/h)2 >> QN2 のとき、言い換えると2つのラジカルが近づき、交換相互
作用 J が大きいところでは、一重項-三重項間の項間交差がおこらず、2つの
ラジカルが拡散し J ≈ 0 のところで、項間交差が起こることを示している。(3)
式の第一項による磁場効果をg 機構、第二項による磁場効果を hfc 機構という。
II-2 超微細相互作用機構(hfc 機構:Hyperfine Coupling Mechanism)
まず、ラジカル対機構による磁場効果の中の hfc 機構による磁場効果について、
ベクトルモデルを使って説明する。
ラジカル対のスピン状態をベクトルモデルにより表わすと Fig. II-2 (a)のよう
になる。電子スピンには α と β の2つのスピン状態があり、ラジカル対を構成
するラジカル1とラジカル2の電子スピンは、それぞれ磁場中で角周波数 ω1 =
g1β(B1 + B)と ω2 = g2β(B2 + B)でラーモア歳差運動を行っている。B1 と B2 は(3)
式第二項の中のラジカル 1 と 2 のそれぞれの核スピンによる内部磁場(超微細
相互作用(hfc)による磁場)である。図に示すように、ラジカル対の取りうる
スピン状態は 4 つある。T0 では、2 つのスピンが同位相で歳差運動しているが、
S では逆位相で歳差運動している。磁気モーメントをもつ状態が T+、T0、T− の
3 つあり、三重項状態(T)という。一方、磁気モーメントをもたない状態が 1 つ
あり、一重項状態(S)という。
9
Fig. II-2 Vector model of radical pair
(a) spin states of radical pair
(b) S−T0 intersystem crossing of a radical pair
(⇑: Local magnetic field by nuclear spin of a radical-1 )
ほとんどの有機ラジカルは水素原子をもち、内部磁場はゼロにはならない。
ここでは簡単のため、ラジカル対を作っている2つのラジカルの g 値は等しく
(g1 = g2 = g)、ラジカル対1は B1≠ 0、ラジカル2は B2 = 0 の場合を考えてみ
る(Fig. II-2 (b))。この場合、2つのスピンの角速度の差 Δω は、外部磁場がない
とき、Δω = ω1 – ω2 = gβB1 となる。ラジカル1のスピンは、ラジカル対2より速
い速度で歳差運動し、時間とともに2つのラジカルの歳差運動の位相にずれが
生じる。例えば、初めに S であったラジカル対は時間の経過とともに T0 に移り、
さらに時間が経過するとまた S にもどる。このような内部磁場による項間交差
は S と T+、T–の間でも起こる。すなわち、 Fig. II-3(a)に示すように、磁場
がないとき S と3つの三重項(T+、T0、T–)の間で項間交差が起こる。磁場を
印加すると、T+と T–のゼーマン分裂により S と T+ 、T–の間の縮重がとけ、S
-T+、S-T–項間交差が抑制される(Fig. II-3 (b))。
その結果、例えば、励起三重項状態から反応した場合、Fig. II-4 に示すよう
に、磁場の印加によりかご生成物の収量は減少し、逆に散逸生成物の収量が増
加することになる。前駆体のスピン多重度が一重項のときは、 三重項の場合
と逆の関係になる(Table II-1)。
10
T+
ISC
S
T+ , T0 , T-
S
ISC
T0
hfc
hfc
TZeeman
splitting
(b)B = Bex
(a)B = 0
Energy levels of radical pair
S; Singlet radical pair
T; Triplet radical pair
Fig. II-3
Energy levels of radical pair
T+
ISC
S
T+ , T0 , T-
ISC
S
T0
hfc
hfc
T-
B = Bex
B=0
Zeeman
splitting
Energy levels of radical pair
Fig. II-4
Table II-1
Formation and decay processes from triplet radical pair.
Magnetic field effect on yield of products by hfc mechanism
一重項前駆体
三重項前駆体
かご生成物
増加
減少
散逸生成物
減少
増加
11
hfc 機構は、外部磁場が数百 mT までの弱い磁場中で主に作用する機構であ
り、その本質はラジカルの電子スピンと核スピンの双極子-双極子モーメント
の相互作用である。すなわち、ラジカルが核スピンをもつとき、電子スピンに
かかる実効磁場は外部磁場と核スピンによる内部磁場の和となる。そこで磁場
がない時、核スピンに帰因する内部磁場により一重項と3つの三重項の間に項
間交差が起こっているが、磁場の印加により S-T+ と S-T-項間交差が起こらなく
なるということである。
hfc 機構による項間交差の速度定数を kisc(hfc)とすると、kisc(hfc)は以下の式で
あらわされる。局部磁場を示す Bav はラジカル対を構成するラジカルの hfc 相互
作用の平均であらわされる。
kisc(hfc) = 2gβBav / h
g : 電子スピンの g 値
β : ボーア磁子
Bav : 内部磁場
Bav = (𝐵12 + 𝐵22 )/(𝐵1 + 𝐵2 )
B1 と B2 はそれぞれラジカル 1 と 2 の平均内部磁場である。有機ラジカルの場
合、Bav は 0.001-0.01 T であり kisc(hfc)は 108-109 s-1 となる。外部磁場が約
0.1 T 以上の磁場(B>>Bav)では、T+-S および T--S 間交差はほとんど起こらな
い。
II-3 Δg 機構
(3)式第一項による磁場効果である。磁場中でラジカル対を形成しているそ
れぞれのラジカルは、それぞれの角周波数でラーモア歳差運動を行う。今簡単
のために 2 つのラジカルが核スピンをもたない(B1=B2=0)場合を考えてみる。
一般に有機ラジカルの g 値は、その磁気的環境の違いにより自由電子の g 値と
は少しではあるが異なった値をとり、その値はラジカルによって異なる。ラジ
カル1の g 値を g1、ラジカル2の g 値を g2 とすると 2 つのラジカルのラーモア
歳差運動の角周波数の差は、 = (g1 –g2)B=gB となる。すなわち、磁場
がない時項間交差は起こらないが、磁場の印加により項間交差が引き起こされ
ることになる。
この場合の S-T0 項間交差の速度定数 kisc(Δg)は以下の式であらわされる。
kisc(Δg)=ΔgβhB
磁場がかかっていない場合(B=0)kisc(Δg)=0 であるが、B の増大とともに項
間交差速度は増大する。有機ラジカルの場合、Δg=0.001 程度で S―T0 間の項間
交差速度は 1 T の時おおよそ 108 s-1 である。また既に説明したように、数百 mT
以上の磁場中ではゼーマン分裂のため S-T+と S-T- 項間交差は起こらない。この
12
機構は、S-T0 項間交差のみが強磁場により促進されることとなる。
II-4 S-T- Level Crossing
一重項―三重項間のエネルギーギャップ 2 J は、2 J=2 J0exp(-aR)で表わさ
れる(Fig. II-5)。ここで、J0,a, R,はそれぞれ交換相互作用の大きさ、臨界距離、
ラジカル間距離である。ラジカル対が生成した直後は一重項―三重項間のエネ
ルギーギャップは大きいため項間交差は起こらないが、拡散が起こりある距離
になったとき 2J≈0 となり、項間交差が可能となる。
2つのラジカルが鎖によりつながれたメチレン鎖両端ビラジカルなどラジカ
ル間距離に制限がある場合、交換相互作用のため 2J≈0 とならず、T と S のエネ
ルギー準位の間には 2J の差が生じる。言い換えると、ゼロ磁場で 2 つのスピン
状態は非縮重となる。この場合、磁場を加えるとゼーマン分裂(Fig. II-5 中青
破線)により T(または
T+) が S に近づき、T-と S との縮重が起こる(S-T- level
crossing)。そのためゼロ磁場に比べ、磁場の印加により項間交差速度が増大し、
T- (または T+)と S が縮重した特定の磁場のとき最大になる。さらに磁場を増
大すると再び二つのエネルギー準位は離れ縮重がとけ、項間交差速度は再び遅
くなる。メチレン鎖連結ビラジカルなどでまれに観られることのある磁場効果
である。
Triplet RP
Singlet RP
S-T- level crossing
S‐T transition
Magnetic Field Effect
Fig. II-5 Energies of singlet and triplet states of RPs and their pathways in
solution.
2J < 0 is assumed.
13
II-5 緩和機構
これまでの磁場効果は、2つのラジカルの直接的な磁気的相互作用による磁
場効果であったが、それ以外にラジカルのスピン状態の間の緩和に由来する磁
場効果がある。スピン緩和は分子運動により引き起こされるスピン状態間の遷
移である。すなわち、100 mT を超える高磁場においてはラジカル対のスピン格
子緩和(SLR; spin-lattice relaxation )がラジカル対のスピン状態間の遷移に重要
な過程となる。Δg 機構および hfc 機構は時間に依存しない相互作用による項間
交差であるのに対し、緩和過程は時間に依存する異方性を持った磁気的相互作
用によるスピン状態の変換過程(緩和過程)である。緩和過程は分子の回転運
動による相互作用の時間的揺らぎの結果おこる。たとえば電子と核スピンの双
極子相互作用によるスピンの縦緩和速度 kτは以下の式で表され、磁場(H)の印
加により緩和速度が遅くなったり、場合によっては速くなったりする。
kτ = 2W/(1+γ2τ02H2)
γ;電子の磁気回転比
τ0;ラジカルの回転の相関時間
W;定数
緩和時間(1/ kτ)はおおよそ μs のオーダーと見積もられており、ラジカル対の
寿命が長いとき、緩和機構による磁場効果が重要となる。
外部磁場は一重項-三重項間の項間交差や緩和に作用し、ラジカル対の寿命
や散逸ラジカルの収量に大きな影響を与える。ラジカル対を形成しているラジ
カルのスピンの相互関係こそが光化学反応における磁場効果の本質である。ま
た磁場効果発現のためには、ラジカル対は一重項-三重項間の項間交差のため
に十分な少なくとも数ナノ秒以上の寿命を持たなければならない。磁場効果が
励起状態のスピン状態に依存すること、磁場効果の大きさがラジカル対のおか
れた環境(溶媒の粘度など)に依存することから、磁場効果をプローブとして
用い、反応機構を解明したり、ラジカル対のおかれているミクロ環境を調べた
りすることもできる[28,29]。 また、渡り鳥のナビゲーションにラジカル対機構
による磁場効果が使われているという説があり、現在盛んに研究がおこなわれ
ている[30]。
II-6 超分子
大きな磁場効果が起こるためには、項間交差の起こる 2J ≈ 0 の遠隔ラジカル
対の状態にラジカル対を長時間留めておくことが重要である。その方法として
14
は、ミセルにラジカル対を閉じ込める方法、ラジカルをメチレン鎖両末端につ
なぎとめる方法などがある。
本研究では、短寿命反応中間体であるラジカル対の寿命を十分長くするために
様々な超分子反応系を用いた。超分子(supramolecule)とは、複数の分子が共
有結合以外の結合(配位結合、水素結合など)や比較的弱い相互作用により秩
序だった構造を持つ分子集合体や化合物のことである。本研究に用いた超分子
系の一つであるミセルを Fig. II-6 に示す。
R1・・R2
1-4 nm
Fig. II-6
Micelle as supramolecule and radical pair (R1・・R2)
界面活性剤を水に溶かすとある濃度(critical micelle concentration: cmc)以上
で界面活性剤分子の会合体であるミセルが生じる。ミセルのサイズやその性質
は界面活性剤の種類により異なるが、Fig. II-6 のような構造をしているものと
考えられている[31]。本研究に用いたドデシル硫酸ナトリウム(SDS) の場合、
およそ 60 個の SDS 分子が会合し直径 1-4 nm のサイズの分子会合体であるミ
セルを形成する。ミセルは疎水性のメチレン鎖をコアにもち、親水性の硫酸基
を外側にした構造を取っているものと考えられている。
ミセル水溶液は極性溶媒である水の中に疎水性のミセルが分散された微視的
に不均一な溶液である。ミセル水溶液中に有機物を溶かすと疎水性の有機物は
主としてミセル内部に取り込まれる。通常の有機溶媒の粘度が 0.5 cP 程度なの
に比べ、ミセル内部の粘度は 10~20 cP と高い。さらに、ミセル相と水相との
異相界面が疎水性有機分子の水への散逸を防ぐため、大きな溶媒かご効果(ミセ
ル効果)を示す。これにより、光反応に顕著な磁場効果を引き起こすのに最適な
微視的環境を提供することになる。本研究においては、他に非イオン界面活性
剤である
ポリオキシエチレン(23)ラウリルエーテル(Brij35)を用いたミ
15
セルについても検討した。Brij35 で形成されたミセルは会合数約 40 個の分子会
合体となっており、ミセルコアの構造は SDS ミセルと同様であるが、ミセル外
側に親水基であるポリオキシエチレン鎖をもつ。親水基部分の構造の違いによ
り、有機ラジカル対の反応性が変化することが分かった。
また、シクロデキストリンのようなマクロ環分子も超分子として検討した(Fig.
II-7)
。シクロデキストリンは数分子の D-グルコースが α(1→4)グルコシド結合に
よって結合し環状構造を取った環状オリゴ糖の一種である。 一般に、グルコ
ースは 6~8 個結合しており、6 個のものが α-シクロデキストリン(シクロヘキ
サアミロース)、7 個のものが β-シクロデキストリン(シクロヘプタアミロー
ス、βCD)、8 個のものが γ‐シクロデキストリン(シクロオクタアミロース)と
呼ばれる。本研究においては β-CD を用いており、内部の空孔は 0.6-0.8 nm 程
度であると考えられる。シクロデキストリンの OH 基はこの空孔の外にあるた
め、空孔内部は疎水性となっており、有機物を抱合する。
0.6~0.8 nm
Fig. II-7
β-Cyclodextrin
16
生体内分子であり高次構造を持つポリペプチドであるアルブミンは
Fig. II-8 に示すように脂肪酸をその分子内に抱合する。Flutamide と BSA の
(牛血清アルブミン:BSA)と有機ラジカル対との抱合体についても磁場効果か
らその反応機構を調べた。
Serum albmin
Fatty acid
Fig. II-8
Structure of serum albumin
(fatty acids bind to the protein )[32]
17
III. 様々な溶媒中における Flutamide の光化学:
反応生成物に対する磁場効果による反応機序の解明
III-1 序
Flutamide ( 2-Methyl-N-[4-nitro-3-(trifluoromethyl)phenyl]propanamide )
は非ステロイド系の抗がん剤であり、進行した前立腺がんに使用される[11-13]。
Flutamide は光過敏性の副作用を持つことがいくつかの文献で報告されている
[14-19]。この副作用の作用機序解明のために Flutamide の光物理化学的および
光化学的性質を解明することは重要である。いくつかの先行論文では様々な溶
媒中における Flutamide の光化学について報告されている[20-24]。Flutamide
はリン酸緩衝液のような均一溶媒中および、かごを形成する化合物を含む、例
えば、β-CD や小胞体のような不均一溶媒中において、ニトロ-ニトリト転位を
経て O-N 結合が切断されフェノール誘導体を生成し、不均一溶媒中でのみ光還
元生成物を生成すると報告されている[20,22-24]。
磁場効果(MFEs)はラジカル対を含む反応機構解明および反応の微小環境の
解明にシンプルかつ有用な道具となりうる[28]。反応速度および反応生成物に関
する磁場効果は化学誘発動的核スピン分極( CIDNP、Chemically induced
dynamic electron polarization)に基づくラジカル対機構により理論づけられる
[33,34]。また、ビラジカルに関する磁場効果も同様の理論により説明される[33]。
ラジカル対は二つのラジカルで構成されており、一重項(S)および三重項(T)
の二つの違ったスピン状態を持つ。印加磁場がない場合、ラジカル対の一重項
と三重項の三つのエネルギー副準位(T-、T0、T+)は縮重しており、一重項と
三重項の三つのエネルギー副準位間の項間交差が超微細相互作用機構(hfc 機構)
により誘導される。一重項ラジカル対は再結合し、「かご内生成物」を生成し、
一方、三重項ラジカル対はそのままでは基底状態の分子に再結合することがで
きない。ほとんどすべての有機化合物は基底状態において一重項であり、三重
項ラジカル対は基底状態化合物になることができず、ふたつのフリーラジカル
に分かれて散逸生成物を生成する。磁場が存在するときゼーマン分裂によりエ
ネルギー副準位の縮重が溶けることにより項間交差速度は減少する。結果とし
て、反応生成物の収量は印加磁場の影響を受けることになる。
例えば励起一重項または励起三重項などのラジカル対のスピン多重度は各々
その前駆体と同じである。もし前駆体が励起三重項状態である場合、hfc 機構に
より三重項-一重項間の項間交差が抑制されることによってかご内生成物の収
量は減少する。かご内生成物の減少は磁場印加による散逸生成物の増加に付随
して起こる。ゆえに、我々は磁場効果を観察し分析することによってラジカル
対前駆体のスピン多重度を容易に決定することができる。
18
また、磁場効果の分析から我々は溶解している分子が囲まれている微小環境
の特性について類推することができる。ラジカル対の寿命は例えば溶媒の粘度
などのラジカル対が置かれた環境の性質に左右される。ラジカル対の寿命は低
粘度な均一溶媒中では短く、反応速度や反応収量に対する磁場効果はみられな
いか、見られたとしても極わずかである。一方、不均一溶媒中において、ラジ
カル対の寿命は長く、それ故に顕著な磁場効果が観察される。
反応機構を詳細に明らかにするために、様々な超分子を含む溶媒中における
Flutamide の光化学反応を比較した。pH7.4 リン酸緩衝液、ミセル溶液として
ドデシル硫酸ナトリウム(SDS)やポリオキシエチレン(23)ラウリルエーテル
(Brij 35)、β-シクロデキストリン(β-CD)
、そしてウシ血清アルブミン(BSA)
溶液中の光反応について、約 0.1 T の磁場中での磁場効果を調べた。
III-2 試薬および方法
III-2-1
試薬
Flutamide は東京化成(株)から購入したものをそのまま用いた。0.01 M リ
ン酸緩衝液(pH7.4)は特級試薬を用いて調製し、ガラス電極で pH 調整を行い調
製した。10-2 M β-シクロデキストリン(β-CD)、10-1 M ドデシル硫酸ナトリウム
(SDS)、1.6×10-2 M ポリオキシエチレン(23) ラウリルエーテル (Brij 35)、および
1 mg/mL 牛血清アルブミン (BSA)は各々試薬を上記のリン酸緩衝液に溶解して
調製した(1 M = 1 mol/L)。高速液体クロマトグラフィー(High performance liquid
chromatography ;HPLC)の移動相溶媒は HPLC 用を用いた。
III-2-2
実験機器
紫外可視吸収スペクトルは Ocean Optics Inc.の USB4000 および DT-NIMI-2-GS
を用いて測定した。核磁気共鳴(1H-NMR)スペクトルは JEOL ECS-400、ガスク
ロ マ ト グ ラ フ ィ ー ‐ 質 量 分 析 (GC-MS) ス ペ ク ト ル は Hewlett-Packard
HP6890/HP5973 を用いて測定した。高速液体クロマトグラフィー(HPLC)は島津
製作所 LC-20 シリーズを用いて測定した。HPLC を用いての定量分析はカラム
として Hiber LiChrosorb RP-18 を用い、移動相はアセトニトリル:10-2 M リン酸
緩衝液(pH7.2) =5:5 を用いた。分取用 HPLC はカラムとして Wakosil-Ⅱ5C18
HG-Prep を用い、移動相はアセトニトリル:水=5:5 を用いた。保持時間は各々、
Flutamide が 12 分、生成物 1(N- [4-hydroxy-3-(trifluoromethyl) phenyl] isobutylamine)
が 4.8 分、生成物 2(N- [4-nitroso-3-(trifluoromethyl) phenyl] isobutylamine)が 13.5
分であった。これら主な保持時間は Flutamide を溶解した各種溶媒中どれも同じ
であった。
19
III-2-3
光照射条件
Flutamide の光照射は光源としてキセノンランプ( Ushio Optical Modulex
UXL-300SX)、フィルターとしてガラスフィルターUTVAF-50S-34U(Shigma-Koki)
と溶液フィルター7.15mg/mL 二クロム酸カリウム溶液(光路長 2 cm)を用いて
中心波長 313 nm の光を照射した。2.2 mL 石英セル中の光量はトリオキサラト鉄
(Ⅲ)カリウム光量計を用いて測定した結果、約 1×1016 quanta s-1 であった
[35,36]。様々な溶媒中に溶解した 10-4 M Flutamide 溶液は凍結融解法により脱気
したのちに光照射を行った。光照射は溶媒ごとに一定時間間隔で行った。光照
射ののち、反応液は HPLC にて分析した。
313 nm の光照射による Flutamide の光分解および光生成物(開始時から 15 %
反応終了時)の量子収量は式(1)で計算した[20]。
Φ = (d[X] / dt) ν / FI
(1)
d[X] / dt は Flutamide の減衰の初期速度または生成物の生成速度を示し、ν は
光照射試料の体積を示し、F = 1−10−A は励起波長において Flutamide が吸収した
光量の割合を示し、I は光源の光量(mol of photons min-1)を示している。F は
313 nm での吸光度から計算される。
III-2-4
Flutamide の光化学に対する磁場効果
2 個の永久磁石(30 mm × 20 mm × 8 mm、Tokin LM-30)で挟むことにより磁
場を印加した。セルホルダー内部の磁場は 0.1 T となった。
III-2-5
光生成物の合成および同定
光照射の後、光照射後の試料(2 mL×3)をジエチルエーテルで抽出した。抽
出後の液を移動相に溶解して分取用 HPLC を用いて分取し、生成物 1 および生
成物 2 を得た。別に、生成物 1 および生成物 2 を下述の方法で合成した。HPLC
にて分取した生成物 1 および生成物 2 を紫外可視吸収スペクトル、HPLC 保持時
間、および GC-MS のフラグメントパターンを別途合成した標品と比較すること
で生成物 1 および生成物 2 の同定を行った。
生成物 1:N-[4-hydroxy-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutylamide
4-nitro-2-(trifluoromethyl)phenol の合成
4-nitro-2-(trifluoromethyl)aniline (502 mg, 2.43 mmol)の濃硫酸溶液に sodium
nitrate 溶液(190 mg /濃硫酸 1.3 mL)を徐々に添加し、1 時間撹拌した。反応液を氷
冷水に注ぎ 5 分間激しく撹拌した。溶液を徐々に加温し 1 時間で 100 度にした。
室温に戻したのち、アンモニア水を加えて中和し、酢酸エチルで抽出した。抽
出液を無水硫酸ナトリウムで乾燥させたのち蒸発させて橙色の固体である目的
20
とするフェノール化合物(46.5 mg, 収率 9 %)を得た。
1H-NMR
(400 MHz, CDCl3) δ: 8.49 (d, J=2.56 Hz, 1H), 8.34 (dd, J=2.7, 7.92
Hz, 1H), 7.26 (brs, 1H), 7.09 (d, J=9.0 Hz, 1H)
4-amino-2-(trifluoromethyl)phenol の合成
4-nitro-2-(trifluoromethyl)phenol (25 mg, 0.12 mmol) と ammonium chloride (50
mg, 0.94 mg)のメタノール/水 1:1 混合溶液に zinc powder (933 mg, 14.3 mmol)を
加えて 1 時間撹拌した。混合液をろ過し、熱水で洗浄し酢酸エチルで 3 回抽出
した。抽出液を無水硫酸ナトリウムで乾燥させたのち濃縮して橙色の固体であ
る目的のアミン化合物を得た(18.2 mg, 85 %)。
N-[4-hydroxy-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutylamide
アミンである 4-amino-2-(trifluoromethyl)phenol(5.7 mg, 32.2 μmol)と過剰の
isobutyl chloride (27.5 μL, 177 μmol)とピリジン中で室温 19 時間撹拌した。反応混
合液を酢酸エチルで抽出し硫酸銅溶液で洗浄した。濃縮後、粗生成物(9.9 mg)を
カラム(Al2O3, ヘキサン‐酢酸エチル=3:2)にて精製し、白色結晶として目的の
ヒドロキシ体を得た。
HR-MS (EI) m/z: 247.0819 (Calcd for C11H13F3NO2: 247.0820). 1H-NMR
(400 MHz, CD3OD) δ: 7.63 (d, J=2.44 Hz, 1H), 7.44 (dd, J=8.8 Hz, 1H), 6.79 (d,
J=8.76 Hz, 1H), 2.52(m, J=6.8 Hz, 1H), 1.09 (d, J=6.84 Hz, 9H)
生成物 2:N-[4-nitroso-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutylamide
N-[4-amino-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutyramide の合成
Flutamide(100.7 mg,365 μmol)と ammonium chloride (0.15g, 2.80 mmoL)
のメタノール/水 1:1 混合溶液に zinc powder (3.76 g, 57.43 mmol)を加えて 1.5 時
間撹拌した。混合液をろ過し、熱水で洗浄し、酢酸エチルにて 3 回抽出した。
抽出液を無水硫酸ナトリウムで脱水したのち濃縮し、橙黄固体として目的とす
るアミン(79.9 mg, 84 %)を得た。
N-(4-nitroso-3-(trifluoromethyl)phenyl)isobutyramide の合成
N-[4-amino-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutyramide(40.2 mg, 0.163
mmol)の氷冷ジクロロメタン溶液に 2 当量分の m-chloroperoxybenzoic acid
(56.4 mg)の同溶液を撹拌しながら滴下した。1 晩 0℃で撹拌したのち、反応液を
炭酸ナトリウム水溶液で振とう混合し、酸を取り除いた。有機層を無水硫酸ナ
トリウムで脱水し、溶媒を瑠去した。租生成物をカラム(SiO2;酢酸エチル‐ヘ
キサン=4:6)にて精製し、緑黄結晶として目的のニトロソ化合物(21.4 mg, 50 %)
21
を得た。
HR-MS (EI) m/z: 260.07726 (Calcd for C11H11F3N2O2: 260.07726).
1H-NMR
(400 MHz, CDCl3) δ: 8.25 (d, J = 2.04 Hz, 1H), 7.77 (dd, J = 2.18, 8.86 Hz, 1H),
7.62 (brs, 1H), 6.38 (d, J = 8.84 Hz, 1H), 2.61 (m, J = 6.84 Hz, 1H), 1.30 (d, J =
6.88 Hz, 6H)
III-3 結果と考察
III-3-1
種々の溶媒中における光反応
SDS および Brij35 のリン酸緩衝液中での臨界ミセル濃度は各々4.5×10-3 M お
よび 4×10-5 M であり、0.1 M SDS および 1.6×10-2 M Brij35 溶液中ではミセル
を形成している。 SDS および Brij35 溶液中の Flutamide の溶解度から
Flutamide の SDS および Brij35 に対する結合定数は各々約 1.9×104 M-1 およ
び 5.8×104 M-1 と計算された[37]。ミセル中 Flutamide と水中 Flutamide の比
は今回の実験条件下では 30:1 となり、Flutamide の光反応は緩衝液中でなくほ
ぼミセル溶液中で起こっていることが示される。10-2 M β-CD 溶液中の場合は報
告されている結合定数から β-CD に結合している Flutamide と水中 Flutamide
の比は 3:1 となり、光反応は主に β-CD 中の Flutamide で起こっていると考え
られた。生体内環境モデルである BSA 溶液中では Flutamide は一部が BSA に
結合していると推測された。
Fig. III-1 に 10-4 M Flutamide リン酸緩衝溶液(pH7.4)に対し、中心波長 313
nm の光照射を行った場合の紫外可視吸収スペクトルの変化を示す。300 nm 付
近の広い吸収帯はリン酸緩衝溶液中の Flutamide の吸収であると帰属される。
光照射時間に従って 300nm 付近の吸収は減少し、一方、260nm 付近の吸収は
増大していた。
Fig. III-2 は、0.1 M SDS 溶液中における Flutamide の紫外可視吸収スペクト
ル変化を示している。SDS 溶液について光照射により誘導される紫外可視吸収
スペクトルの変化はリン酸緩衝液中で観察されたものとは違った。SDS、Brij35、
β-CD および BSA を含む溶液中で観察されたスペクトルの変化は 350 nm~370
nm 付近に等吸収点が観察され、360nm 付近に吸収極大を持つ物質の生成が示
唆された。
22
Fig. III-1
Spectral changes observed for degassed 10 -4M flutamide solution
in phosphate buffer (pH7.4) upon regular irradiation time intervals of 60
min.
Fig. III-2 Spectral changes observed for degassed 10 -4M flutamide solution
in phosphate buffer (pH7.4) in the presence of 10 -1M SDS upon regular
irradiation time intervals of 30 min.
Flutamide の光照射後の反応液を検出波長 254nm で HPLC 分析したところ、
リン酸緩衝液、SDS、Brij35、β-CD および BSA のすべての溶媒中で保持時間
4.8 分に継時的に増加するピークが観察された。このピークは紫外可視吸収スペ
クトルおよび HPLC チャート、および GC-MS のフラグメントパターンを別途
合 成 し た 標 品 と 比 較 し た 結 果 、 生 成 物
1
(N-[4-hydroxy-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutylamide)であると同定された。リ
23
ン酸緩衝液以外の反応液については、検出波長 360 nm で保持時間 13.5 分に光照
射時間に従って増加するピークが観察された。このピークは紫外可視吸収スペ
クトルおよび HPLC チャート、および GC-MS のフラグメントパターンを別途
合 成 し た 標 品 と 比 較 し た 結 果 、 生 成 物
2
(N-[4-nitroso-3-(trifluoromethyl)phenyl]isobutylamide)であると同定された。
均一溶媒および不均一溶媒の両溶媒中で Flutamide の光照射において、光誘導
されたニトロ-ニトリト転位によりフェノール体である生成物 1 を生成した。
一方、Flutamide は SDS、Brij35、β-CD および BSA 溶液中において光還元され、
生成物 2 を生成した。
III-3-2
様々な溶媒中における光反応性
Flutamide の光分解(Φ-FM)、光転位(Φ1)および光還元(Φ2)の量子収量を
HPLC 分析により求めた(Table III-1)。
Table III-1
様々な溶媒中における Flutamide の光減衰およびその光生成物の生成の量子収
量
Φ-FM
a)
Φ1
Φ2
PB
0.01M βCD / PB
0.1M SDS / PB
-4
1.1 × 10
6.0 × 10-4
5.5 × 10-4
-5
4.0 × 10
2.5 × 10-4
2.0 × 10-4
0
7.6 × 10-5
7.0 × 10-5
0.016M Brij35 / PB
1mg BSA / mL PB
5.1 × 10-3
1.0 × 10-3
5.8 × 10-4
8.8 × 10-5
2.1 × 10-3
8.8 × 10-5
a) PB ; Phosphate buffer solution (pH7.4)
リン酸緩衝液中の Flutamide の光照射では独占的に生成物 1 を生成した。
HPLC では他の生成物は観察されなかった。Flutamide の減衰の量子収量は
Φ-FM =1.1×10-4 であり、生成物 1 および生成物 2 の生成の量子収量は各々
Φ1=4.0×10-5、Φ2=0 であった。0.1 M SDS 溶液中では Flutamide の光減衰の量
子収量は Φ-FM=5.5×10-4 であり、生成物 1 および生成物 2 の生成の量子収量は
各々Φ1=2.0×10-4、Φ2=7.0×10-5 であった。SDS 中での Φ-FM はリン酸緩衝液中
の 5 倍であった。ニトロ‐ニトリト転位は SDS 溶液中でリン酸緩衝液中よりも
加速されていた。加えて SDS 溶液中では光還元も起こっていた。光還元の量子
収量 Φ2 は光転位の量子収量 Φ1 の 3 分の 1 であり、SDS 溶液中では光還元より
も光転位が優先的に起こっていることが分かった。SDS ミセルは光転位に有利
な疎水的な環境を提供していると考えられた。
24
0.016 M Brij35 溶液中の Flutamide の分解量子収量 Φ-FM はリン酸緩衝液中
よりも 50 倍であった。Brij35 溶液においては Φ2 の値が Φ1 の値よりも大きか
った。Brij35 溶液の Φ1 の値は SDS 溶液中の 3 倍であり、Brij35 溶液の Φ2 の
値は SDS 溶液中の 30 倍であったことから、光転位に比べて光還元が圧倒的に
加速されていた。Brij35 分子中のポリオキシエチレン鎖は SDS 分子中のメチレ
ン鎖よりも励起状態 Flutamide のニトロ基に対する良い水素供与体となること
から、本結果は説明される。
β-CD 溶液中での Φ-FM、Φ1、および Φ2 は SDS 溶液中での各々の量子収量と
ほぼ等しく、Flutamide の光反応にとって β-CD 溶液中での微小環境は SDS 溶
液中と似ていることが示唆された。現時点では我々はこの 2 つの溶媒中での類
似点については明快な説明はできない。
BSA 溶液中での Φ-FM はリン酸緩衝液中の 10 倍であった。BSA 溶液中での Φ1
はリン酸緩衝液中の 2 倍であった。BSA 溶液中での Φ2 は SDS、および β-CD
溶液中とほぼ等しかった。この事実は Flutamide が BSA に結合していることを
示唆している。BSA 溶液中の Flutamide の減衰の量子収量(Φ-FM)は生成物の
生成の量子収量(Φ1+Φ2)よりもはるかに大きかった。この不一致は BSA 溶液
中ではまだわからない別の反応が起こっていることが示唆された。
SDS、Brij35、β-CD、および BSA 溶液中での Flutamide の減衰はリン酸緩
衝液中よりも大きかった。β-CD、および BSA 溶液中での Flutamide の光反応
は Flutamide-β-CD または BSA 複合体の反応と考えられる。しかしながら
β-CD、および BSA 溶液中での Flutamide の反応はミセル溶液中の光反応と似
ていたことから、Flutamide 複合体の光化学的動向はミセル中の Flutamide の
類似であると考えられた。マクロ分子である β-CD(分子量 1,135)および BSA
(分子量 66,000)はそれらに結合することで SDS および Brij35 の内部のよう
な疎水的で無極性な環境と同様に、Flutamide に疎水的な環境を与えたと考え
られた。
半経験的な量子力学的計算(ZINDO 法)によると[20]、Flutamide の最低お
よび二番目に低い励起三重項状態は各々
および
遷移である。おそら
く、n, *三重項状態は振動結合によりある割合で
三重項状態に混ざっている
と考えられる。リン酸緩衝液中からミセル系の溶媒に代わると極性が低い電子
状態となり、Flutamide の
状態が安定になることにより、最低
三重項
状態において
特性が増加する。このようにして三重項 Flutamide は SDS
および Brij35 などのミセル溶液中において反応性が増したのだと考えられる。
同様に、β-CD および BSA に結合した Flutamide の反応性もリン酸緩衝液中に
比べて疎水性が増した環境で増加したと考えられる。
上記の結果から、Flutamide の光反応は Scheme 1 のように考えられる。結
25
論として、不均一溶媒中において少なくとも二つの光反応(光転位および光還
元)が競争する。このスキームにおける二つの異なった反応経路は生成物 1 お
よび生成物 2 の光化学的収量に対する磁場効果を分析することによってより詳
細に検討した。
homogeneous
inhomogeneous
Product 1
h
Flutamide
inhomogeneous
homogeneous media : PB
inhomogeneous media : -CD, SDS, Brij35, BSA
Product 2
Scheme 1
Photoproducts of Flutamide
III-3-3
Flutamide の光反応に対する磁場効果
前述の光反応における Flutamide の励起状態を明らかにする為に、生成物収
量に対する磁場効果を調べた。印加磁場(0.1 T)の有無について、Flutamide
に紫外光を照射した。 Fig. III-3 は Brij35 溶液中における Flutamide の紫外可
視吸収スペクトルの変化を(A)印加磁場なしおよび(B)印加磁場 0.1 T につ
いて示している。式(2)により芳香族ニトロ化合物の光還元における減衰また
は生成の相対量子収量を求めた[38,39]。
ln {exp (A)  1} – ln {exp (A0) – 1} = Qt
(2)
ここで、A および A0 は各々t=t または t=0 の吸光度を示している。Flutamide
の減衰の収量は Fig. III-3 に示されている 306 nm における吸光度を用いて式(2)
により求めた。生成物 2 の生成の収量は同様にして Fig. III-3 に示されている
380 nm の吸光度の増加を分析することにより計算した。Fig. III-4 に(A)306
nm および(B)380 nm における吸光度変化を式(2)を用いて計算した結果を
示した。Flutamide の減衰に磁場効果が見られなかったのに対して、生成物 2
に対しては磁場 0.1 T の印加により顕著な磁場効果が見られた。380 nm の吸光
度変化について直線関係からのずれは、生成物 2 を含んだ継続する副反応と関
係していると考えられる[40]。260 nm の吸収には磁場効果は表れない。しかし
ながら、生成物 1、Flutamide、および生成物 2 の吸収がこの波長付近に重なっ
ているため、生成物 1 の収量に対して磁場効果がないと結論付けるのは困難で
あった。
26
Absorbance
1.2
H=0T
initial
2 min
4 min
6 min
0.8
(a)
0.4
0
230
Absorbance
1.2
330
wavelength (nm)
H = 0.1 T
0.8
430
initial
2 min
4 min
6 min
8 min
(b)
0.4
0
230
330
wavelength (nm)
430
Fig. III-3 Magnetic field effects on the UV-spectral changes induced by the
photolysis of the 0.016 M Brij35 solution of 10-4 M flutamide.
(A): in the absence of magnetic field (B): in the presence of magnetic field (0.1
T)
λ = 306nm
0
-0.05
-0.1
-0.15
0T
-0.2
0.1 T
-0.25
0
5
Time (min)
Fig. III-4
λ = 380nm
(B)
10
ln(exp(A) -1) - ln(exp(A0) -1)
ln(exp(A) -1) - ln(exp(A0) -1)
(A)
0.4
0.3
0.2
0T
0.1 T
0.1
0
0
5
10
Time (min)
Plots based on equation (2) for the absorbance changes
(A) at 306 nm and (B) at 380 nm in Fig. III-3.
27
Table III-2 に吸光度から計算した相対量子収量に対する磁場効果を示した。
吸光度は SDS、Brij35、および β-CD に関しては反応物が 10%反応した時点、
BSA に関しては光照射 15 分時点の吸光度を用いた。不均一溶媒中における生
成物 2 の収量は明らかに磁場により減少していた。
Table III-2
Magnetic field effects on relative yield QH / Q0, where QH and Q0 were
calculated on the basis of equation (2) for the absorbance changes in the
absence and presence of magnetic field (0.1 T). Photolysis time is set at 10%
decrease in the peak absorbance for CD, SDS, Brij35 solutions or 15min
for BSA solution.
QH / Q0 of 300-306 nm b)
QH / Q0 of 380-400 nm b)
PBa)
0.1M SDS / PB a)

0.95

0.75
0.016M Brij35 / PB a)
0.01M CD / PB a)
1mg BSA / mL PB a)
0.97
0.94
(0.82)
0.54
0.67
(0.68)
a) PB ; Phosphate buffer solution (pH 7.4)
b) Qt = ln{exp(A)-1} – ln{exp(A0)-1}, where A and A0 refer to the absorbance
at the time t = t and t = 0, respectively.
光照射後の反応液の HPLC 分析により、Flutamide の光反応に対する磁場効
果が正確に明かになった。
Table III-3 に様々な溶媒中における Flutamide の分解、および生成物 1 および
生成物 2 の生成の収量に対する磁場効果を示した。生成物 2 の収量はすべての
溶媒中において外部磁場により抑制された。一方、Flutamide の分解および生
成物 1 の生成の収量は 0.1 T の印加磁場の影響を受けなかった。
28
Table III-3
Magnetic field effects on relative yield, AH / A0, where AH and A0 refer to the
integrated peak intensity of Flutamide and photoproducts (Product 1 or
Product 2) in HPLC chromatograms for sample solutions photolyzed in the
absence and presence of magnetic field (0.1 T), respectively. Photolysis time
is set at 10% decrease in the peak absorbance for CD, SDS, Brij35
solutions, 180min for PB solution, and 15min for BSA solution.
AH / A0 for
Flutamide
AH / A0 for
Product 1
AH / A0 for
Product 2
PBa)
0.1M SDS / PB
1.010.02
1.010.03
1.020.02
1.010.03
No product
0.510.04
0.016M Brij35 /
PB
0.01M CD / PB
1mg BSA / mL PB
1.020.01
0.990.06
0.700.18
0.980.05
1.000.01
0.940.04
1.100.32
0.890.05
0.660.07
PB ; Phosphate buffer solution (pH 7.4)
ミセル溶液においてラジカル対の寿命は項間交差(ISC)の速度定数(磁場依
存性)とラジカルのミセルからの散逸過程(磁場非依存性)の速度定数の合計
の逆数であることから、磁場効果の大きさはラジカル対の寿命に関係している。
Brij35 溶液中での水素引抜き反応の収量は SDS 溶液中よりも大きかったにも
かかわらず、Brij35 において観察された磁場効果の大きさは SDS 溶液中の磁場
効果よりも小さかった。このことから、SDS ミセル溶液中において Flutamide
は炭化水素でできた粘性のあるミセルのコア部分に溶解しているのに対し、
Brij35 ミセル溶液では内部の炭化水素部分ではなく、流動性のある外部のポリ
オキシエチレン鎖に溶解しているということが示唆された。同様に、
Flutamide‐複合体および Flutamide‐BSA 複合体の光反応についても、
Flutamide と β-CD の結合は BSA と Flutamide の結合よりも弱いと考えられた。
β-CD(mol.wt. 1135)によるかご中で生成したラジカルは、ドーナツ型の β-CD
のかごはミセルのかごよりも小さく、溶液への二つの抜け道があるため、容易
にかごから散逸する。BSA の場合、現時点では結合部位に関する詳細な情報は
ないが、Flutamide は巨大な BSA 分子(MW.66000)の内部ポケットに結合し
ていると推察された。
序論で述べたように、光反応過程においてラジカル対が存在する場合、その
生成物は磁場の影響を受ける。Flutamide の減衰に対する磁場効果がないこと
から Flutamide はラジカル対中間体を再生しない。生成物 1 に磁場効果がない
29
ということは、生成物 1 への光転位にはラジカル対機構が関与しないことを示
している。超微細相互作用(hfc 機構)によるラジカル対の三重項-一重項項間
交差は磁場の印加により抑制されるため、三重項ラジカル対が前駆体の場合、
0.1 T の印加磁場によってかご内生成物の収量は減少する。生成物 2 は水素受容
体(芳香族ニトロ基)と水素供与体(かご形成分子、例えば SDS、Brij35、β-CD、
および BSA)からできる一重項ラジカル対の再結合によってできるかご内生成
物である。磁場によって生成物 2 の収量が減少したことから、ラジカル対の最
初のスピン多重度は三重項であり、スピン多重度は光化学反応中維持されるこ
とから、ニトロ基は励起三重項状態から水素引抜反応を起こしていると結論で
きる。
ニトロ基の光還元反応に含まれるラジカル対は光転位であるニトロ-ニトリ
ト転位の直接的な前駆体ではない。言い換えれば、光転位反応は励起状態
Flutamide からラジカル対が生成する前段階で起こる。リン酸緩衝液中におい
て減衰の量子収量が 1.1×10-4 と小さいにもかかわらず、Flutamide は蛍光を発
しないかごく弱い蛍光しか発しない。このことから、励起一重項から三重項へ
の項間交差は励起状態 Flutamide では非常に早く、それ故に、以前より文献で
も述べられていたように、光転位反応は芳香族ニトロ基の三重項状態から起こ
ると考えられた[41,42]。
Scheme 2 にミセル溶液中における Flutamide の光還元反応の機構を示した。
SDS および Brij35 の界面活性剤分子はよい水素供与体となる。芳香族のニトロ
基は励起三重項状態でかご形成分子から水素を引き抜き、三重項ラジカル対を
形成する。三重項ラジカル対は項間交差を経て一重項ラジカル対となり、一重
項ラジカル対は基底一重項状態で光還元最終生成物となる。
安定な一重項生成物はかご形成化合物の一部分である CH 基と芳香族ニトロ基
から芳香族環-N-O-CH 基(Scheme 2 参照)を形成し、その後芳香族ニト
ロソ体である生成物 2 と、酸化されたカルボニル基を持ったかご分子に分解さ
れる。磁場は三重項ラジカル対と一重項ラジカル対の項間交差に影響を与える。
SDS や Brij35 のようなかご形成分子が存在するとき、三重項ラジカル対の寿命
は延び、一重項ラジカル対への遷移の項間交差の確率は、溶媒かごからのラジ
カル対の散逸の確立と競争可能もしくはそれよりも高くなる。一重項ラジカル
対はかご内生成物、いわば芳香族ニトロソ化合物(生成物 2)および溶媒分子か
らできる酸化生成物を生成する直接の前駆体となる。それに対し、かご形成分
子がない場合、水素引抜き反応後三重項ラジカル対は速やかに散逸してしまう。
かご形成分子と同様の β-CD および BSA に結合した Flutamide の光反応につい
ても同様の説明ができる。一方、リン酸緩衝液のような均一溶媒においては、
三重項ラジカル対は速やかに溶媒かごから散逸し、項間交差が起こりにくい。
30
それゆえ、リン酸緩衝液中ではかご内生成物の生成はみられなかった。かご形
成分子は水素供与体としての役割と、ラジカル対の散逸を防ぐ役割の二つの役
割がある。言い換えると、ミセル溶液はラジカル対の散逸過程の速度を下げ、
その結果 hfc 機構による項間交差過程が散逸過程と競争可能になり、かご内生成
物を生成することができたと考えられた。
31
3
CF3
O
HN
O
*
N
O
Triplet, T1
H
H
n
H-abstraction
3
O
CF3
HN
N
O H
O
Escape
products
H
n
Intersystem
crossing
Magnetic field
O
CF3
HN
N
1
O
H
O
H
n
O
CF3
HN
N
O
H
O
n
H
O
Oxidized solvent
cage molecules
+
CF3
HN
NO
Product 2
Cage products
H
H
n
Scheme 2
; Cage forming compound such as b-CD, SDS, Brij35, BSA
Photoreduction mechanism of flutamide.
32
先行論文によると、Flutamide の光化学反応は溶媒かご中の“立体空間的ね
じれ”により引き起こされる構造的な変化によるものだと説明されている
[20,22-24]。Sortino とその共同研究者は不均一溶媒中における Flutamide の平
面性の増加がニトロ-ニトリト転位に必須である窒素-酸素の p 軌道と芳香族
炭素の p 軌道の重なりを減少させると説明している。彼らはニトロ基と芳香族
環のねじれの角度が増加するとニトロ-ニトリト転位に有利であり、光還元に
は不利であると論じている。本研究の結果はニトロ-ニトリト転位は不均一溶
媒中で明らかに加速されていることを示した。溶媒かごによって与えられる疎
水的な環境がニトロ-ニトリト転位に有利であると説明できる。
III-4 結論
Flutamide の光化学反応を以下のようにまとめた。
励起状態の Flutamide のニトロ基は均一溶媒および不均一溶媒の両溶媒中で
ニトロ-ニトリト転位を起こす。光転位は疎水的環境を提供する不均一溶媒
(SDS、Brij35、β-CD、および BSA 溶液)中において、加速する。溶媒かごは
SDS、Brij35、β-CD、および BSA 存在下の光還元において重要な役割を果たす。
光還元は水素供与体の存在下顕著に加速し、生成物 2 の収量を増加させる。磁
場効果の解析から水素引抜き反応は Flutamide の励起三重項状態から起こる。
均一溶媒中では水素引抜き反応は水素供与体がないために起こらない。
本研究から得られた結果は不均一溶媒と生体内環境の類似性を考えあわせて
Flutamide の光反応についてより詳細に解明した。
33
IV. 1,3-Diphenylisobenzofuran の SDS ミセル溶液中の光増感酸化反応に対する
磁場効果
IV-1 序
磁場は様々な化学的、物理的、生物学的現象に影響を与えるシンプルかつ有
用な道具である[43]。それ故に、化学反応および他の現象に対する磁場効果につ
いて多くの研究がなされている。しかしながら、いくつかの実験で得られた結
果は再現性に乏しい。例えば、benzyl および pentafluorobenzyl halides と
n-butyllithium のヘキサン溶液中の熱反応に関する磁場効果[44]は再実験での
再現性はなかった[45]。Ethanolamine 基質に対する adenosylcobalamin 依存性
ethanolamine ammonia 脱離酵素における磁場効果[46,47]についても再現性は
なかった[48]。磁場効果は時に不明瞭なためすでに報告されている結果の再現性
を取ることは非常に重要である。
光酸化反応は、生体系でも観られる重要な光反応の一つである。0.25 T 以下
で 1,3-diphenylisobenzofuran(DPBF)の空気飽和 sodium dodecyl sulfate
(SDS)ミセル溶液中における anthraquinone(AQ)光増感酸化反応に対する磁場
効果についてはすでに谷本らにより報告されている[25]。AQ に対する光照射に
より DPBF は o-dibenzoylbenzene(DBB)に酸化される。AQ および DPBF の
減衰に対する磁場効果が紫外可視吸収スペクトル変化により議論されているが、
それぞれの吸収スペクトルの重なりにより必ずしも正確な結果とは言い切れな
い。また、生成物である DBB については、その吸収範囲が分析に適さないため
磁場効果の有無は分からなかった。
そこで、DPBF の AQ および 4-methylbenzophenone(mBP) 光増感酸化反応
に対する磁場効果を、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)を用いて反応物・
生成物をそれぞれ分離し、反応のはじめから最後まで詳細に解明した。DPBF
の減少収量に対応する DBB の収量に対する磁場効果が確かに起こっているこ
とが解明された。DPBF の酸化反応収量に対する磁場効果は光増感剤の磁場効
果を反映していた。すなわち、酸化反応の開始剤である光増感剤からできたフ
リーラジカルの濃度が磁場印加により増加していたからである。磁場効果はラ
ジカル対機構により説明された。
IV-2 実験
1,3-Diphenylisobenzofuran(DPBF)
、
anthraquinone(AQ)
、
4-methylbenzophenone(mBP) 、 2,2’-azobis(isobutyronitorile)(AIBN) 、
o-dibenzoylbenzene(DBB)、sodium dodecyl sulfate(SDS)、アセトニトリル、
およびメタノールは和光純薬製のものを購入し、そのまま用いた。脱イオンお
34
よび蒸留水を用いた。DPBF、AQ、mBP、AIBN、および SDS の濃度は各々
0.25×10-4、1×10-4、0.5×10-4、1.0×10-2、および 0.4 mol dm-3 であった。
一般的に、AQ および DPBF を含む空気飽和 0.4 mol dm-3 SDS 溶液(2mL)
の光照射は光源にキセノンランプ(UXL-300SX;Ushio Optical Modulex)、
フ ィ ル ターに UTVAF-50S-34U および UTVAF-50S-33U ( Shiguma Koki
Co.Ltd.)および K2CrO4 の溶液フィルター(7.15 mg/100mL; 光路長 2 cm)を
用いて行った。光照射の後、反応液は高速液体クロマトグラフィー(HPLC、
LC-20s series; Shimadzu Corp.)を用いて分析した。カラムは Wakopack
Handy ODS(4.6×150 mm)、移動相はアセトニトリル:水=3:1 混合液を用いた。
mBP および AIBN を用いた光増感反応においてはカラムを Hiber LiChrosorb
RP-18 ODS (4.6×250 mm)、および移動相はメタノール:水=9:1 を用いた。溶
液濃度は標品のピークの積分値を基準に用いて算出した。
磁場は光照射時のセルホルダーを 2 個の永久磁石で挟むことにより印加した。
IV-3 結果と考察
Fig. IV-1 は 0 T における AQ および DPBF の空気飽和 SDS 溶液中における
光照射反応の紫外可視吸収スペクトル変化を示した。320 nm および 410 nm の
吸収は各々AQ および DPBF に帰属される。313 nm の光照射に対して AQ およ
び DPBF は徐々に減衰していた。0.1 T の磁場中において DPBF の減衰は印加
磁場がない場合に比べて明らかに加速しており、一方、AQ の減衰はわずかに遅
くなっていた(Fig. IV-1b)。本結果は以前に報告されたものと同じであった[25]。
Fig. IV-1
Magnetic field effect on the UV spectral change of aerated SDS
micellar solution of DPBF and AQ: (a) 0 T. (b) 0.1 T.
35
紫外可視吸収スペクトルは磁場が光化学反応にどのような影響を与えるかを
確認する為には便利な方法である。しかしながら、Fig. IV-1 における紫外可視
吸収スペクトルから得られる値は、ある波長範囲において幾分かの割合で少な
くとも二つの吸収帯が重なっていることからあまり正確とは言えない。さらに、
Fig. IV-1 で示した紫外可視吸収スペクトルでは光生成物である DBB について
の情報は得られなかった。光生成物である DBB、 反応物である DPBF および
増感剤である AQ に対する磁場効果を詳細に調べるために、光照射後の試料を
HPLC により定量的に分析した。AQ、DBB、および DPBF のピークの保持時
間は各々、3.5、3.8、および 18 分であった。これらの濃度は標準物質のピーク
面積から比較して求められた。
Fig. IV-2 に HPLC 分析から得られた 60 秒間光照射後の DPBF、AQ、および
DBB の物質量に対する磁場依存性について結果を示した。減衰および生成収量
に対する磁場の影響、R(B)は式(1)を用いて計算した。
R(B)=100×{ΔC(B)-ΔC(0)}/ΔC(0)
(1)
ここで、ΔC(B)および ΔC(0)は外部磁場 B (T)存在下または零磁場下における光
照射後の DPBF および AQ の減衰の物質量、または DBB の生成の物質量を示
した。DPBF および AQ の減衰の R(0.2 T)、または DBB の生成の R(0.2 T)の値
は各々56.9±9 %、-18.2±2 %および 65±13 %であった。DPBF の分解の収量
と DBB の生成の収量は印加磁場 0.2 T により増加していたが、AQ の分解の収
量は減少していた。DBB の収量に対する磁場効果は DPBF のものと実験誤差範
囲内でよく一致しており、DPBF の酸化反応が定量的であることが分かった。
mBP による DPBF の光増感酸化反応についても検討した。結果を Fig. IV-3
に示した。DPBF、mBP、および DBB の R(0.2 T)の値は各々79.9±17.2%、-
31.5±7.1%、および 97.9±22.8%であった。DPBF と DBB の R(B)値はお互い
に一致していた。磁場効果は AQ による光増感反応の場合とほぼ平行関係にあ
った。
36
Anthraquinone(AQ)
1,3-Diphenylisobenzofuran(DPBF)
o- Dibenzoylbenzene(DBB)
Fig. IV-2
Magnetic field dependence of photodegradation yield of DPBF and
AQ and formation yield of DBB. ΔC(0) and ΔC(B) denote concentrations of
compounds degraded or formed respectively after 60-s photoirradiation in the
absence and presence of magnetic field B.
p-Methylbenzophenone(mBP)
1,3-Diphenylisobenzofuran(DPBF)
o- Dibenzoylbenzene(DBB)
Fig. IV-3
Magnetic field dependence of photodegradation yield of DPBF and
mBP and formation yield of DBB. ΔC(0) and ΔC(B) denote concentrations of
compounds degraded or formed respectively after 60-s photoirradiation in the
absence and presence of magnetic field B.
37
今回の実験条件下では 0T において AQ の存在下における DPBF の光減衰速
度は AQ がない場合の 3.8 倍速く、現在の光化学反応は主に AQ の励起により開
始されていることを示している。この減衰は脱気した AQ および DPBF の SDS
溶液中では起こらず、AQ および酸素がこの酸化反応に関与していることを示し
ていた。AQ の脱気 SDS ミセル溶液中の光化学反応については以前の論文で報
告されている[49-51]。上記に述べられた結果を AQ の光化学反応の結果と考え
あわせて、我々は DPBF の光増感酸化反応の反応機序を以下のように考えた。
(I)増感剤 AQ の反応:
AQ + hν → 1AQ* → 3AQ*
3
AQ* + HS → 3(AQH∙ ∙S)
3
(2)
(3)
MFE
(AQH∙ ∙S) ⇌ 1(AQH∙ ∙S)
3
(AQH∙ ∙S) → AQH ∙+ ∙S
AQH ∙, ∙S →AQH–AQH, AQH–S, S–S
AQH ∙ + AQH ∙ →AQ + AQH2
(4)
(5)
(6)
(7)
1
(8)
(9)
1
(AQH∙ ∙S) → AQH–S
(AQH∙ ∙S) →AQH ∙ + ∙S
(II) フリーラジカルの反応:
AQH∙ + O2 →AQHO2∙ → AQ + HOO∙
S∙ + O2 → SO2 ∙
AQHO2∙ (and/or HOO∙) + DPBF → → → DBB
SO2 ∙ + DPBF → → → DBB
(10)
(11)
(12)
(13)
光照射により AQ は励起一重項 AQ、1 AQ*を経て励起三重項 AQ、3 AQ*、に
なる(2)。3AQ*はドデシル硫酸イオン(HS)から水素を引き抜き、アントラセミ
キノンラジカル(AQH·)およびドデシル硫酸ラジカル(S·)からなる三重項ラジカ
ル対、3(AQH··S)を生成する(3)。三重項ラジカル対は散逸してフリーラジカルと
なり(5)散逸生成物である AQH-AQH、AQH-S、および S-S を生成する(6)と
ともに、項間交差を経て一重項ラジカル対、1(AQH··S)を生成する(4)。おそらく、
AQH·の不均一反応により AQ が生成する(7)。一重項ラジカル対は再結合し、か
ご内生成物である AQH-S を生成し(8)、一部フリーラジカルに分かれる(9)。フ
リーラジカルは溶媒中に溶けている酸素と反応し、過酸化ラジカルを生成する
(10、11)。過酸化ラジカルは DPBF を DBB へと酸化する。
観察された空気飽和 SDS ミセル溶液中の AQ の光反応に対する磁場効果は主
としてラジカル対機構における超微細相互作用(hfc)により説明できる。ラジカ
ル対(AQH··S)において、一重項(S) と三重項(T)の副準位(T+、T0、T-)間の
38
項間交差は印加磁場のないところで電子スピン-核スピンの超微細相互作用
(hfc)で起こる。磁場を印加すると T→S 間の項間交差は二つの三重項副準位(T+、
T-)のゼーマン分裂によって抑制され、AQ の減衰収量が磁場印加により抑制され
るという事実から明白なように、酸化反応の開始剤であるフリーラジカルの収
量が増加する。それゆえフリーラジカル濃度の増加により DPBF の減衰収量お
よび DBB の生成収量は磁場中において増加する。おそらくスピンの副準位のス
ピン-格子緩和による緩和機構は磁場の印加と関係し、0.2 T 近くの比較的高い
磁場の範囲で作用しているが、磁場の印加により項間交差が加速する Δg 機構は
本実験のような低い磁場では作用していない[43 ,52]。
AQ の光反応に対する磁場効果についても 0.4 mol dm-3 空気飽和 SDS 溶液中で
調べた。DPBF が存在しない場合の AQ の減衰に対する R(0.1T)は約-15%であ
った。この値は DPBF とともに反応させた場合と同じ(約-15%)であり、フリー
ラジカルのすべてではなく一部が酸化反応の開始剤として利用されていること
を示していた。生成物収量について HPLC を用いて定量的に分析した。本実験
では 60 秒の光照射により、AQ および DPBF は各々約 9.5×10-8 mol および約
2.4×10-8 mol 分解しており、一方、DBB は約 2.6×10-8 mol 生成していたことから、
AQ からできたフリーラジカルの一部が酸化反応の開始剤として使われている
ことが示唆された。
Benzophenone の脱気 SDS ミセル溶液中の光化学反応に対する磁場効果は式(2)
-(9)と同様の機構で説明される[53,54]。したがって、mBP による DPBF の光増
感酸化反応に対する磁場効果についても同様の機構で説明できる。mBP による
増感反応の DPBF および DBB の R(0.2T)は AQ による増感反応の値よりもわず
かに大きい。この違いについて一因は光生成したラジカルの反応性の違いであ
ると説明できる。
実際、シアノ置換したイソプロピルラジカルを生成する AIBN はラジカル反
応 を 開 始 す る [55] 。 AIBN の 光 分 解 は 励 起 一 重 項 状 態 で 起 こ り 、 二 つ の
(1-cyano-1-methyl)ethyl ラジカルでできた一重項ラジカル対を生成する。AIBN
による DPBF の光増感酸化反応を調べた。結果として予想通り AIBN の光照射
により、DPBF は DBB に酸化された。DPBF の減衰および DBB の生成収量に対
する磁場効果は各々R(0.2T)=-7.9±1.5 %および-7.7±5.0 %と得られた。どち
らも磁場 0.2 T の印加により減少した。一般にラジカル対の分裂は寿命の長い三
重項ラジカル対で主に起こるため、一重項ラジカル対の場合フリーラジカルの
収量は磁場により減少する。この結果はラジカル対が一重項状態であったとい
うことに一致する。しかしながら磁場効果の値は小さかった。
(1-cyano-1-methyl)
ethyl ラジカルは小さくそして極性が高い。(1-cyano-1-methyl)ethyl ラジカルは
より極性の低い anthrasemiquinone ラジカルや 4-methylbenzophenone ketyl ラジカ
39
ルよりも水中で安定であり、ラジカル対の分裂が速いことが推察される。結果
として、AQ 由来または mBP 由来のラジカル対よりも早くに一重項ラジカル対
がフリーラジカルに分裂するため磁場効果が小さくなった。
本結果は、永久磁石で印加出来るような弱い磁場でも有機光反応の反応機構
解明のためのプローブとして極めて有用なことを示している。
IV-4 結論
DPBF の空気飽和 SDS ミセル溶液中における光増感酸化反応の磁場効果(≤0.2
T)を、HPLC 分析を用いて検討した。その結果、AQ および mBP を光増感剤と
して用いた場合、DPBF の酸化反応は弱い磁場の印加により顕著に増大していた。
一方、AIBN を増感剤として用いた場合、0.2 T の磁場の印加で DPBF および DBB
の収量はわずかに減少していた。これらすべての磁場効果の結果は、光増感剤
からでき、酸化反応の開始剤であるフリーラジカルの濃度が磁場印加により影
響を受けるというラジカル対機構により明快に説明された。
40
V. 終わりに
本研究は、超分子および外部磁場が光誘起ラジカル反応を制御できることを
利用し、光反応の反応機構を詳細に解明したものである。
本研究の手法は光反応を起こすと考えられる他の化合物についても反応機構
の解明に利用できる。現在利用されている医薬品の中でも光過敏性の副作用を
もつものは少なくなく、その光反応について詳細に解明することは有用なもの
であると考える。たとえば、鎮痛剤であるケトプロフェンも光過敏性が問題に
なる医薬品であり、現在ケトプロフェンについてもその光反応について磁場効
果を用いて反応機構の解明を進めている。
生体内においてラジカル対が関与した反応は多く、磁場効果を用いたその反
応機構解明も期待されるものである。さらに、磁場効果は光反応に限らず、熱
反応により生成するラジカル反応に対しても磁場効果が確認されており、熱反
応の反応機構についても磁場効果を用いての解明が期待できる。
また本研究では市販の永久磁石を磁場の発生源として用いた。本研究により
磁場効果はこのような弱い磁場でも十分観測されることが示された。このこと
により、磁場効果は光反応機構研究のプローブとして今後より一層利用される
ことが期待される。
VI. 謝辞
第Ⅲ章の研究の際、生成物 1 および生成物 2 を合成していただいた本研究室
の斉藤氏に感謝いたします。
41
VII. 参考文献
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