早稲田大学大学院 先進理工学研究科 博士論文審査報告書 論 文 題 目 組織血流による熱損失の影響を考慮した 肝臓の熱輸送モデル構築に関する研究 Development of a Heat Transfer Liver Model Taking into Consideration the Heat Loss by Tissue Blood Flow 申 請 者 渡辺 広樹 Hiroki WATANABE 生命理工学専攻 メディカル・ロボティクス研究 2013 年 2月 近年,日本は超高齢社会に突入し,医療の現場では,手術時の患者の肉体 的負担を低減させる低侵襲化に対する要求が高まっている.それに伴い,高 度 な 診 断 装 置・医 療 機 器 を 用 い た 最 先 端 医 療 を 求 め る ケ ー ス が 増 加 し て お り , 高解像度の画像情報を基に精密な治療を実現する手術支援ロボットや,数値 計算技術を基に生体内部の力学現象を解明し最善の治療法を提案する生体力 学シミュレーション技術は,それら最先端医療を支える技術の代表として注 目されている.また,手術支援ロボットを制御する際の指標として,生体力 学シミュレーションの解析結果を用いるモデルベース制御手法も提案されて おり,手術支援ロボットと生体力学シミュレーションの両者の技術を補完す ることで,術中に生体が示す予期せぬ挙動を事前に予測しながら治療を行う 試みがなされている. 本研究は,従来,単一の力学現象を扱ってきたモデルベース制御手法を発 展させ,複数の力学現象を扱う生体力学シミュレーションを用い手術支援ロ ボットを制御するマルチフィジクスモデルベース制御手法を提案するもので ある.具体的には,侵襲性の低さと根治性の高さから近年肝臓癌の局所療法 として注目されているラジオ波焼灼療法をモデルケースとし,ロボットが組 織血流の存在を考慮しながら癌を過不足なく焼灼するため,術中に臓器内部 の組織血流に奪われる損失熱量をリアルタイムにセンシングし,センシング した損失熱量を基に高精度に患部の温度分布を算出する肝臓の熱輸送モデル の構築を目的としている. 本 論 文 は 1 章 か ら 10 章 に て 構 成 さ れ る . 以 下 に 各 章 の 概 要 を 示 す . 第 1 章では,序論として,近年の生体力学シミュレーション技術の発展と 手術支援ロボットの開発動向をまとめ,生体力学シミュレーションと手術支 援ロボットの両者の技術を補完し合うことで安全で確度の高い手術手技を実 現するモデルベース制御手法の概要について述べている.また,従来,モデ ル ベ ー ス 制 御 の 適 用 対 象 が 力 と 変 位 の 関 係 を 扱 う 力 -変 位 場 の み で あ っ た こ とに対し,今後,複雑な手技にも本制御手法を適用させるために電磁場,熱 場,流体場など様々な力学体系を記述する生体のマルチフィジクスモデルの 構築が必要であることを記している. 第 2 章では,本研究にて対象とする肝臓がんに対するラジオ波 焼灼療法の 概要を述べ,本治療法の原理と,臨床上の課題をまとめている.また,問題 点を解決するために他機関にて実施されている先行研究について述べ,本研 究が先行研究に対して優位性を持つ点が「従来の研究では考慮されてこなか った患部の熱伝導場の温度依存性と組織血流依存性を考慮した熱輸送モデル を構築している点」にあることを明示している.また,術中に肝臓内部の温 度依存性および組織血流依存性を考慮して高精度に温度分布を算出するため に 必 要 と な る 技 術 課 題 と し て ,( 1 ) 肝 臓 実 質 間 の 熱 伝 導 量 を セ ン シ ン グ す る た め の 熱 伝 導 量 セ ン シ ン グ 手 法 の 構 築 ,( 2 ) 肝 臓 実 質 と 組 織 血 流 間 の 熱 伝 達 量 を 1 セ ン シ ン グ す る た め の 熱 伝 達 量 セ ン シ ン グ 手 法 の 構 築 ,の 2 点 を 挙 げ て い る . 第 3 章では,2 つの技術課題に関しそれぞれ概要を説明している.具体的 に は ( 1 ) に 関 し ,肝 臓 実 質 の 有 効 熱 伝 導 率 の 温 度 依 存 性 の モ デ ル 化 に 基 づ く 熱 伝 導 量 セ ン シ ン グ 手 法 の 構 築 に つ い て ,( 2 ) に 関 し ,肝 臓 実 質 と 組 織 血 流 を 纏 めた組織全体の見かけの熱伝導率の組織血流依存性のモデル化に基づく熱伝 達量センシング手法の構築について,概要を記している. 第 4 章 で は ,技 術 課 題 ( 1 ) に 関 し ,肝 臓 実 質 の 有 効 熱 伝 導 率 の 温 度 依 存 性 の モデル化を行っている.具体的には,摘出したブタ肝臓を対象に,肝臓の組 織温度を室温からラジオ波焼灼療法中の患部の最高到達温度にあたる約 100℃ ま で 段 階 的 に 変 化 さ せ , 各 温 度 に お け る 実 質 の 有 効 熱 伝 導 率 を 計 測 し ている.実験より,ブタ肝臓の有効熱伝導率は低温領域ではタンパク変性に 伴い線形に増加し,高温領域では,定常熱流計法による計測では一定に,非 定常熱線法による計測では非線形に減少することを確認している. 第 5 章 で は ,技 術 課 題 ( 2 ) に 関 し ,肝 臓 の み か け の 熱 伝 導 率 の 組 織 血 流 量 依 存 性 の モ デ ル 化 を 行 っ て い る . 具 体 的 に は in vitro 環 境 下 に て , 肝 臓 内 の 組 織血流量を調節可能な実験系を構築し,組織血流量を変化させながらみかけ の熱伝導率を計測することで,みかけの熱伝導率の組織血流量依存性変化を モデル化している.実験の結果,みかけの熱伝導率は組織血流量の増加に伴 い 増 加 し ,約 7 . 0 [ m l / m i n / 1 0 0 g ] を 境 に 増 加 率 が 減 少 す る こ と を 確 認 し て い る . 第 6 章 で は ,技 術 課 題 ( 3 ) に 関 し ,第 4 章 ,第 5 章 に て モ デ ル 化 し た 肝 臓 の 熱輸送モデルを基に,有限要素法により術中に患部の温度変化を算出するラ ジオ波焼灼療法用 3 次元温度分布シミュレータを開発している. 第 7 章 で は ,第 4 章 に て 構 築 し た 熱 伝 導 量 セ ン シ ン グ 手 法 の 精 度 評 価 を 行 うため ,第 6 章で 開発し た温 度分 布 シミュ レー タを 用 い,第 4 章で 構築 した 温度依存性を有する有効熱伝導率を持つ熱輸送モデルと,従来研究にて用い られてきた温度依存性を有さず常に一定値の有効熱伝導率を持つ熱輸送モデ ル の 解 析 結 果 を 比 較 し て い る . さ ら に , in vitro 環 境 下 に て , 摘 出 し た ブ タ 肝臓を解析条件と同様の条件下で焼灼し,針周辺の温度分布について解析結 果と熱電対による実測結果を比較している.実験の結果,肝臓の有効熱伝導 率の温度依存性は小さく,術中に熱伝導量センシング手法を用いて熱伝導量 をセンシングしても,解析精度の向上には寄与しないことを確認している. 第 8 章 で は ,第 5 章 に て 構 築 し た 熱 伝 達 量 セ ン シ ン グ 手 法 の 精 度 評 価 を 行 うため ,第 6 章で 開発し た温 度分 布 シミュ レー タを 用 い,第 5 章で 構築 した 組織血流依存性を有する熱伝達率を持つ熱輸送モデルと,従来研究にて用い られてきた組織血流依存性を有さず常に一定値の熱伝達率を持つ熱輸送モデ ル の 解 析 結 果 を 比 較 し て い る . さ ら に , in vitro 環 境 下 に て 肝 臓 内 の 組 織 血 液量を調節した上でラジオ波焼灼を行い,焼灼中に熱電対により実測した針 周辺組織の温度分布と解析温度の比較を通じて,解析精度を検証している. 実 験 の 結 果 , 解 析 温 度 と 実 測 温 度 の 誤 差 は 最 大 誤 差 11 . 0 ℃ 以 内 , 時 間 平 均 誤 2 差 5.0℃ 以 内 に 収 ま る こ と を 確 認 し て い る . 第 9 章 で は , 構 築 し た 熱 輸 送 モ デ ル の 最 終 的 な 精 度 評 価 を 目 的 と し て , in v i v o 環 境 下 で 生 き た ブ タ に 対 す る 焼 灼 実 験 を 実 施 し て い る .電 極 針 近 傍 の 肝 臓組織の温度分布について,解析値と実測値を比較し,熱輸送モデルの精度 を検証した結果,構築した熱輸送モデルを用い組織血流量をセンシングしな がら温度を算出することで,組織血流の増加に伴う温度低下現象を最大誤差 13.0℃ 以 内 の 精 度 で 再 現 可 能 で あ る こ と を 確 認 し て い る . 第 10 章 で は , 本 研 究 の 成 果 を ま と め , 臨 床 応 用 の た め に 残 さ れ た 課 題 , お よ び 本 技 術 を 応 用 し た HIFU( 収 束 超 音 波 療 法 ) の 支 援 の 可 能 性 に つ い て 今後の展望を示している. 以上を要するに,本論文は肝臓を対象として,患部の温度と組織血流の双 方を考慮しながら高精度に患部の温度分布を算出する技術を構築している. 本研究の成果は,これまで明らかでなかった肝臓の熱物性の温度依存性, および組織血流量依存性を解明し,それら特性を有する肝臓の熱輸送モデル を構築した点にある.また,構築したモデルは,単一の力学体系を記述する ものではなく,血液の流れと熱の伝わりを扱う複数の力学体系を記述するも のであり,本研究が示したモデル化手法,方法論は,今後,複数の力学体系 が複雑に絡み合う高度な治療,先進医療に対し手術支援ロボットのモデルベ ース制御を適用する際に一定の知見を与えるものとして期待できる.さらに 構築した熱輸送モデルは,患部の温度,組織血流による熱伝導場の変化を考 慮して患部の加熱状態をリアルタイムに医師に提示するものであり,従来, 低侵襲な治療法として有望視されながら,その根治性が疑問視されてきたラ ジオ波焼灼療法の今後の発展を促す技術として医学的な貢献が期待されるも のである.以上のように,本研究の成果は,複数の力学体系が影響する生体 のマルチフィジクスモデル構築手法に一定の指針を与えるものであり,今後 の医療工学の発展に大いに寄与するものと考え,本論文を博士(工学)の学 位論文として価値あるものと認める. 2013 年 2 月 (主査) 早稲田大学教授 博 士 ( 工 学 )( 早 稲 田 大 学 ) 藤江正克 早稲田大学教授 工学博士(早稲田大学) 山川 早稲田大学教授 工学博士(早稲田大学) 梅津光生 宏 医学博士(東京女子医科大学) 早稲田大学教授 工学博士(早稲田大学) 高西淳夫 早稲田大学教授 博 士 ( 工 学 )( 早 稲 田 大 学 ) 草鹿 仁 早稲田大学客員教授 国立成育医療研究センター 臨床研究センター 副センター長 医学博士(東北大学) 3 千葉敏雄
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