復刊にあたって Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 教員紹介 建築史・意匠研究室の卒業生のみなさま,はじめまし て。2003 年より,本研究室の教授として着任しました ごあいさつ 堀賀貴です。ここに,伝統ある建築史・歴史研究室の ふたたび,はじめまして。2003 年より,建築史・意匠研究室の堀賀貴です。卒業生のみ ニュースレターを復刊できることをとてもうれしく思い なさまには,建築史・意匠研究室ではなく,第 9 講座建築様式史および建築意匠講座であ ます。前任者の山野先生より,ニュースレターの継続の るとお叱りのかたもおられるかもしれません。1998 年の大学院重点化,2004 年の独立法 引き継ぎはいただいておりましたが,私の無精により, 人化以降,大学は劇的に変化を続けており,日々改革という名の変化を求められています。 長くの欠刊となりました。多くの卒業生の方々には,あ また,建築教育の根幹である設計教育にも建築史研究室としていかに関わるべきかを私な らためて研究室の近況をお知らせできることができほっ りに模索し続けています。輝かしい業績と卒業生たちを輩出してきた九州大学歴史・意匠 としております。 研究室の担当教授として,みなさまにははなはだたよりなく思われることと思います。私 復刊にあたっては,メールにより URL をお知らせする形 式とさせていただきました。現在は,一方通行の発信で すが,ゆくゆくは双方向で,在校生と卒業生の交流の場 にできればと願っています。まずは,学生たちの制作し たニュースレターをご一読の上,なにかご意見,思い出 談などありましたら,[email protected] まで メールいただければ幸いです。今後とも,後輩たちをあ たたかく見守っていただければと思います。 堀 賀貴 自身も,前任の先生方には遠く及ばない若輩者ゆえ,今後も努力,研鑽を重ねていくつも りです。 私は,先輩の先生方とは異なり,フィールド調査を得意とする研究者です。研究室での教育は,普段の座学講義とちがっ て,調査の現場のおもしろさを通じて,建築の魅力を伝えていければと思っています。今年は,政情不安のため,エジ プトでの調査は中止しましたが,ポンペイ,オスティアでの現地調査を予定しています。このニュースレターでも,学 生の視点でこの調査の中身をお伝えできればと考えています。 なんとか,年 2 回の刊行を目指して,学生を指導?して参りますので,続刊を楽しみにお待ちください。 堀 賀貴 御無沙汰致しております。日本建築史の木島孝之です。平成5年度以降に在籍された卒業・ 修了生の皆様、先生方には、博士後期課程在籍時を含めて大変お世話になりました。改めて History of Architecture and Urbanization 御礼申し上げます。 既に御感じの方も多いかと思いますが、平成 10 年代中頃から日本建築史に対する関心が全 国的にも急速に減衰して行っております。経済学分野の「経済史」がそうであったように、 恐らく早晩、実質的に消滅に近い状態に至るのかもしれません。このような状況は国策の面 でも如何かと思いますが、今の建築学分野の潮流では致し方ないのかもしれません。九州支 部歴史意匠委員会の先生方からはいつも、「日本建築史がしっかりするように」と叱咤され ておりますが、なにぶん若輩で下僕の輩に過ぎない私の非力では如何ともし難く、現在の為 木島 孝之 体を御詫び申し上げる次第です。 私事ですが、12 月 10 日・11 日に九州大学旧工学部大講義室を会場に、城郭研究の有志で「倭城研究シンポジウム Ⅱ 倭城 ― 本邦・朝鮮国にとって倭城とは」を開催する運びとなりました。12 年前にも同じ会場で倭城研究シンポ ジウムを開催し、三百数十名の国内外の研究者と朝鮮出兵の実像について忌憚のない緊張感を持った討論を行いまし た。今回も前回に増して、朝鮮出兵に対する侵略戦争という現行の歴史認識・価値観に予定調和させる 御用シンポ とは一線を画した、史実を探求する研究討論を目指す所存です。 INTERVIEW ニュースレターでは毎号建築史・意匠研究室出身の先輩方に学生時代や現在のお仕事につい てお話を伺うインタビューを行いたいと考えています。 初回は 1967 年に学部卒業後 ( 当時の光吉研 )、実務に就きご自身の事務所ももちながら 2001 年に当時の福田研で博士過程を修了された永田誼和さんに現堀研究室の学部4年生が お話をうかがってきました。 インタビューは粕屋郡篠栗にある永田さんの事務所で行われました。 話は、永田さんの学生時代のことから始まった。 学生時代は歴史にはあまり興味がなく、近代・現代建築ばかりを追っていた。研究室も光吉研究室、卒業後も東 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter 活動報告 京のデザイン事務所に就職した。転機は、3年ほど勤めた会社を辞め、有り金をすべて持ってシベリア鉄道に乗り、 単身ヨーロッパに3ヶ月間旅をしたことだった。毎日の旅のスケジュールをしっかり組み、ヨーロッパじゅうの 近代建築を見て回わったが何かが違うと感じたという。帰国直後、奈良に行き、田んぼに横になり飛鳥時代に思 いをはせたときから永田さんの興味は歴史、日本建築へと向いていった。 「それまでは、何が歴史だ、木造建築だと思っていたが、そこから歴史へと回帰していった。」 2007 建築学会大会 見学会「唐津の伝統的建造物と唐津 そうして、2000 年社会人ドクターで学位習得する際には、当時の歴史・意匠研究室の福田先生につき、京都の数 焼窯元を訪ねて」 寄屋豪邸、對龍山荘をとりあつかった。 『大応国師と崇福寺∼大応国師七百回忌記念特別展』 における崇福寺出土瓦の展示・解説 , 福岡市美術館 「今までずっと歴史を勉強してきたわけではない自分が書く論文は、デザイナーが見た歴史の論文でなければなら ない。学者と同じ論文を書いても現場で働いてきた自分が論文を書く価値がない。」 設計においても永田さんは歴史的なものをとりいれながら、現代においてどう表現するかが大切だという。歴史 2009 城館史料学会シンポジウム『縄張りからみた戦国 前期の城』 から学んだことを、現代で再表現するという姿勢に生来のデザイナーを強く感じた。 「民間の設計事務所をやるのは本当に面白い。茶室にモスク、警察署も設計した。 第1回 城館史料学会シンポジウム『縄張りからみ 実務は確認申請さえなければ本当におもしろい ( 笑 ) しかし、食べられなければ話にならない。よく建築家として た戦国前期の城』, 事務局 の使命感のようなものをもって、希望に燃えて東京のアトリエ事務所に行っても、給料は安く、時間は無制限。 みな百万の仕事ならそれ以上の仕事をしてしまう。お客のほうがずっといい暮らしをしている。貧乏人が金持ち 2010 建築文化週間「北九州の都市空間を読む」, 見学 のボランティアをしている。家庭を持って、家族を養っていくのがベース。社員を雇うのなら、なおさら。その 会(若松港周辺の近代建築)案内 人もこともしっかり補償しなければならない。」と、アトリエ事務所へ就職しても労働に見合った給料がもらえな 『シニア大学塾テクネ・リベラリス リベラル アーツ講座・日本史』Ⅰ∼Ⅲ い現実を批判する。ご自身も 30 年間事務所をやってこられている永田さんのこの言葉に重みを感じた。 「実際に設計をやるには、広く浅い雑多な知識がある方がいい。いろんな話ができる人がいい。」 永田さんは茶道においてもかなりの腕前らしく、大宰府の九州国立 連続国際シンポジウム「ポンペイとオスティア 博物館の茶室の設計をされている。9 月にイタリアへいく私たちに 古代ローマ都市研究の最前線」 2011 旅のアドバイスもたくさんしていただいた。 九州大学教育・研究の最前線ー第 10 回研究成果 60 歳を過ぎた今でも設計の仕事もされながら、趣味の旅行、映画、 一般公開ー ポンペイとオスティア、日本にお 山登り、音楽、歌舞伎、茶道、最近社交はダンスと本当にお忙しそ ける古代ローマ都市研究の現在 うだ。 「誘われたら全部受ける。仕事も遊びも。やってみてできなかっ たら断ればいい。やらなきゃそこで終わってしまう。」 『倭城研究シンポジウムⅡ 倭城 ― 本邦・朝鮮 国にとって倭城とは』 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 これが生涯現役でやっていく秘訣なのだろう。 インタビュー時の様子。 文:B4 重石真緒 コンペ受賞者 堀研究室のこれまでの 各種コンペ受賞歴をま とめました。先輩方に 負けないように我々も これから努力を怠らず 精進して参りたいと思 います。 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 氏名 共同設計者名 コンペ受賞歴 氏名 繁永 政志 共同設計者名 学生 Design Review 2007 入賞 くまもとアートポリス設計競技2007『モクバンR2』第1回公開審査 優秀賞 牟田 隆一 (末廣研究室) くまもとアートポリス設計競技2007『モクバンR2』第2回公開審査 最終審査 樋口 耕介 (末廣研究室) くまもとアートポリス設計競技2007『モクバンR2』第3回公開審査 入選 岩本 結 (竹下研究室) 福岡演習林屋外トイレ設計コンペ 優秀賞 山室 裕 久田 圭太 福田 哲也 2009年度日本建築学会 技術部門設計競技 「雨を楽しみ都市の水を制御する建築」 優秀賞 MIGUEL FERNANDES (末廣研究室) 2009年度技術コンペ 佳作 2008年度技術コンペ 佳作 2008年度学会コンペ 支部入選 アサヒグローバル学生設計コンペティション 佳作 長郷 まどか Design Review 2009優秀賞, Design Review 2009 JIA九州卒業設計選奨 2010年学会コンペ佳作 Hori 中原 拓海 ソトコト「まちと山の再会」コンペ 稲吉稔賞 岩田 和也 松遥賞 空間造形賞 中道 大樹 第14回TEPCOインターカレッジデザイン選手権「ダメハウス」佳作入選 山本 直 (末廣研究室) 第6回 日経アーキテクチュアコンペ「重ね着する空間」 優秀賞 田中 伸穂(末廣研究室) Laboratory Design Review 2011 JIA九州卒業設計選奨 ※その他の方のコンペ受賞歴に関しては現在確認中です。 学位 氏名 16年度卒 修士 大野 彰文 9世紀から14世紀までの密教伽藍形成過程に関する比較研究 園田 將人 江戸末期から近代にかけての神社拝殿の変化に関する研究-福岡県宗像郡における事例- 松尾 香那 ポンペイにおける城壁や塔の形成過程と都市の発展に関する研究 村上 憲太郎 絵図資料を用いての旧族大名領の知行地集落の構造に関する研究-佐賀鍋島藩大身家臣久保田村田氏の知行地を事例として- 内山 芙美子 村野藤吾設計の渡辺扇記念会館における照明・家具デザインに関する研究 今後は勤務先などを掲載 中村 稔 村野藤吾の和風建築における特異性について-「写し」の手法を通して- することにより九大建築 松田 祥江 1970年代以降の「三世代同居」に関する史的研究 歴史意匠研の交流を深め 学部 久保 亮介 下関市近代建築における外観意匠についての研究 修士 西山 剛 中部エジプト・Zawiet-Sultanにおける古代採石場に関する技術史的研究 学部 志方 宏明 桂離宮解釈と建築作品への反映からみる近・現代建築の思潮-堀口捨己・丹下健三・磯崎新を事例に- 樋口 裕美 「新建築 住宅特集」にみる仕事・生活一体型建築についての時系列変化 1990年から2005年までのハキカエとエントランス設置の有無に着目して 修士 松澤 博幸 ポンペイにおける後79年時の排水システムの機能について ことを心よりお礼申し上 学部 中村 麻子 福岡市を事例としたラブホテルの形態変化に関する考察 げます。 修士 貴田 真由美 吉村順三研究-吉村作品の分析と「重心」に関する考察 繁永 政志 近世大名庭園の造形に見る農本主義の影響 平戸藩松浦家庭園、棲霞園(御花畑)・梅々谷津偕楽園を題材として 学部 宮口 真裕子 香椎参道楠並木の成立に関する研究 修士 池渡 絢子 中村鎭による「中村式鉄筋コンクリート」の考案とその実例例 大磯 祐子 古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元の技術論的考察 福田 哲也 イタリア近代建築 とオスティア遺跡発掘 ( 1938 - 1942 ) - ファシズム 期 ローマの 背景 にみる古代 ローマ 遺跡 - 岩崎 光代 ポンペイ城壁の設計手法に関する実証的研究 高尾 祐介 ジャン・フーケの装飾写本挿絵にみる構図の研究 新崎 朝規 Akoris 遺跡に残る日乾煉瓦建築群にみる、古代ローマ期における都市整備の実態に関する基礎的研究 長郷 まどか エジプト・ Akoris に 見 られる 日乾煉瓦屋根架構法に 成清 耕太郎 オスティアにおけるモサ ゙イクの 制作技法 に 関 する 基礎的研究 17年度卒 18年度卒 19年度卒 20年度卒 21年度卒 修士 学部 22年度卒 修士 論文 堀研究室出身者 卒業年度 歴代の堀研究室出身者を 卒業時の論文タイトルと ともにまとめました。 るきっかけになればと思 います。 名簿作成にあたっては、 繁永様を始め多くの方の ご協力をいただきました 関 する 研究 - オルソ 画像を - 用いたデ ィオスクロイの 家 、七賢人 の 浴場 の 床 モサ ゙イクの 分析 を 通 じて- 23年度 在籍 博士 3年 山室 裕 高嶺太神宮にみる戦国期伊勢神宮勧請の考察 高嶺太神宮御鎮座伝記による高嶺太神宮の神殿形式と造営過程 味岡 収 3次元計測技術を応用した古代ローマ遺跡の都市構造物並びに採石技術に関する調査・研究(仮) 高月 鈴世 確認中 飯開 麻美 確認中 博士 2年 岡寺 良 北部九州戦国期城館の構造に関する研究(仮題) 豊田 宏二 近代邸宅に関する研究 修士 2年 中原 拓海 住居建築に見る古代ローマ都市オスティアの都市構造 長谷川 尚人 ※別途梗概を掲載 久田 圭太 ※別途梗概を掲載 岩田 和也 ロバート・ベンチューリの建築的視点の考察(仮) 大川 正典 日乾煉瓦の住居群跡(仮) 大谷 綾乃 オスティアにおける円形空間に関する考察 中道 大樹 オスティアにおけるモザイクに関する考察 重石 真緒 未定 中村 健一 丹下健三に関する歴史的考察(仮) 藤村 将史 未定 三宅 諒 未定 修士 1年 学部 4年 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 History of Architecture and ※平成16,17年度卒の方に関して は現在掲載許可の確認中です。 Urbanization Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 建築学会九州支部歴史意匠委員会「教師と学生の研究交流会」について 例年大分県玖珠郡の九州地区国立大学九重 共同研修所で行われている「教師と学生の 松田昌平の戦前における活動について 研究交流会」が今年も 6 月 4 日、5 日の二 久田圭太 日間にわたって行われました。九州大学か 1. はじめに らは、堀研究室から 2 名、末廣研究室から 建築家松田昌平は地方の設計事務所の草分け的存在であり、昭和 6 年に福岡市に設計事務所を開設し福岡を中心に設計活動をして 2 名の計 4 名が発表しました。堀研究室か いた。また、大正 9 年に北九州若松で RC 造の杤木ビルを設計した事がわかっている。既往研究では昭和 6 年に設計事務所を開いた事 らは修士 2 年の久田圭太、長谷川尚人が発 を中心に論じており、戦前の特に北九州における活動については不明な点が多い。そこで、本稿では福岡市に設計事務所を開く前の時 表しましたので、発表した両名の修士論文 期を中心に松田昌平の活動を考察する事を目的とする。この時期の考察を行う事は、福岡の近代建築史をより深く知るためのてがかり の内容を梗概にして掲載します。 になると考える。 2. 杤木ビルについて ここでは杤木ビルが当時 RC 造の建物としてはかなり早い段階に建てられたものである事に注目し、内外装のデザインや納まりから 当時主流だった組積造から RC 造への橋渡し的なものをこの作品が表しているのではないかと考える。 3. 明治、大正期の活動 昌平は、明治 44 年に名古屋高等工業学校建築科を卒業後二年程南満州鉄道株式会社建築課で勤務する。当時満鉄は煉瓦造を推進し ていたことから、満鉄での経験は、後の中国での活動に役立つ事となったが、RC 造の設計手法を学んだのは帰国後であると推察する。 昌平は帰国後、大正 8 年に門司市に設計事務所を開設し、大正 11 年に請負工事も施工する松田工務店に改称しており、この時期に、 杤木ビルや旧門司三井倶楽部を設計していた。 4. 昭和初期から戦前の活動 昭和 6 年∼ 20 年までに設計した 121 件の作品の施主をみてみると三菱化成や三井物産等パトロンの存在がうかがえる。特に昭和 2 年に嘱託として勤めていた日本ゴム ( 現ブリジストン ) との繋がりは非常に強く、ブリジストン関係の建物以外でも昌平は石橋から 仕事をもらっていた。有明ホテル、旭屋デパート、久留米大学本館や久留米大学医学部附属病院等がその例である。 5. 今後の展望 今後は、松田建築事務所の図面や遺族のヒアリング等から RC を軸に松田昌平を福岡の近代建築史上に位置づけたいと考えている。 今年は雨天により恒例のソフトボール大会 は中止になってしまいましたが修士論文 テーマ発表会に加えて早稲田大学の深見奈 [要旨]近代における西本願寺の「印度式」建築について 緒子先生の講演「イスラーム建築史の魅力 長谷川 尚人 と課題」といったプログラムもあり、充実 した時間を過ごすことができました。 インド調のデザインを有する近代建築として真っ先に名の挙がるのは、西本願寺の築地別院であろう。そしてそれは、伊東忠太の当 時からして特異な東洋趣味によって創出されたというのが、一般的な見方であるように思われる [ 鈴木博之 , 2003] [ 藤森照信 , 1995] [ 伊藤三千雄、前野 , 1982]。 しかし、奇抜な意匠の寺院を管見の限り挙げると下表のようになる(ただし、大連別院と鎮西別院は実施されておらず、寺院として 奇抜な意匠は図面にしかみられない。このため、竣工の欄には図面が作成されたと云われる年を記している)。下表より、インド調の デザインは伊東忠太の作品特有のものではなく、一連の建築に共通するのは施主・西本願寺であることが判る。このことから、施主 である西本願寺の側に着目し、これらの建築を捉え直す必要があるのは明らかであろう。 なお、語弊のないように述べておくと、西本願寺も多くの寺院で既存の建築を維持しており、新規に建立する場合でも伝統を踏襲し ているのは永い歴史をもつ教団として当然だが、寺院本堂にインド調のデザインを導入するという斬新な行動は、西本願寺に率先さ れるものであったろう。 また、既往の研究によって、伊東忠太のインド調の 作品が西本願寺との関係のなかで生まれた事実が指摘 光 徳 寺 上 海 別 院 神 戸 別 院 布 哇 別 院 を継承していたと云える。 一 九 一 八 伊 東 忠 太 大 林 組 岡 野 重 久 葛 野 壮 一 郎 東忠太の個性を否定するものではないが、それらの意 匠を西本願寺の意図という問題で捉えるという点で、 従来の見方と大きく異なっている。 History of Architecture and Urbanization Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 図 面 伊 東 忠 太 一 九 一 二 一 九 一 一 函 館 別 院 一 九 一 〇 一 九 〇 九 一 九 〇 八 不 明 鵜 飼 長 三 郎 岡 田 福 太 郎 不 実 施 光 尊 寺 名 称 一 九 〇 七 一 八 七 五 竣 工 図 面 不 明 設 計 ) 一 九 二 九 二 楽 荘 ) 一 九 三 一 仙 台 別 院 ( という問題で理解しようとしたのに対し、本研究は伊 一 九 三 二 ( 述べると、従来は一連の建築の意匠を伊東忠太の個性 一 九 三 四 Emory & Webb ここで、本研究の論旨を明確にするため結論の一部を 一 九 一 一 大 泊 別 院 大 連 別 院 ) ) るものとして理解されているという点では、従来の説 不 実 施 真 宗 信 徒 生 命 保 険 会 社 ( れらの意匠が伊東忠太の建築家としての個性に由来す 築 地 別 院 ( されたことは非常に意義深いが [ 倉片俊輔 , 2003]、そ 鎮 西 別 院 鵜 飼 長 三 郎 不 明 伊 東 忠 太 Ausmip program2009 in Portugal Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 久田 圭太 授 業は日本の設計演 寮 は3人部屋で、机とベットと収納が与えられます。個人のス ペースなんて狭くてほとんどないですが、その分共有スペース ではたくさんの人と関わる事ができます。くりパーティ、いわ し祭り、サッカー観戦等ことあるごとに、それぞれが持ち寄っ た食べ物とワインやビールでわいわい騒ぎます。 習の様な感じでした。 ただ都市計画からディ テールまで同一のコン セプトで設計し、特に ディテールに関しては 日本より厳しく指導さ れました。 食 べ物は、もちろん魚介料理がおいしいですが、実は豆といろ んな肉類を煮込んだ料理も結構食べられています。大体学校の ない日は近くのカフェでランチでしたが、最初の頃はメニュー がまったくわからず勘でいろんな料理を食べていました。 スボンの街の中で一番好きな場所は、アルファマ地区と呼ば リ れるところです。イスラムの影響を残したこの地区は、狭くジ グザクした道を行くとたまにちょっとした広場があって、生活 が道に溢れ出していて、歩いていてすごく楽しい地区でした。 このアルファマ地区では 6 月のイワシの収穫に合わせて地区の いたるところでイワシが焼かれ始めます。ビールとかも合わせ て売られていて、それがすごく安い。地区中の道が人で埋め尽 くされるほど賑わったイワシ祭りが数日続きます。 ポ ルトガルの魅力として気候がいい、物価が安い、ご飯がお いしい、人が陽気であるというのが挙げられますが、もう1つ 様々な魅力をもった小さな村がたくさんあるという事がありま す。長期休暇中にレンタカーを借りていろんな村を回りました。 Ausmip program2010 in Belgium AUSMIP体験記 中原 拓海 AUSMIP(ARCHITECTURE AND URBANISM STUDENT MOBILITY INTERNATIONAL PROGRAM)とは、建築と都市の研究と研鑽の ための教育交流プログラムです。日本側からは、東京大学工学系 研究科(建築学専攻)を幹事校として、東京大学新領域創成科学 研究科、九州大学大学院人間環境学府、千葉大学大学院工学研究 1 2 科・園芸学研究科が参加し、EU 側は国立パリ建築大学ラビレッ 4 ト校(フランス)を幹事校として、WENK シントルーカス大学 建築・都市計画学部(ベルギー)、リスボン工科大学建築学部(ポ ルトガル)、ミュンヘン工科大学(ドイツ)が参加しています。先日、 私が今回留学させていただいた ワークによる都市分析(fig.2)、 のは、ベルギー国内にいくつかキャ 後半は個人に分かれて建築的提 ンパスを持つセントルーカス建築 案 (fig.4) を行うという流れで進 大学のブリュッセルキャンパスで みます。またスタジオに伴いス した (fig.5)。私が受講したデザイ タディトリップ (fig.6) や様々な ンスタジオは留学生のために組ま 分野の専門家による講演、討論 れたもので、異なる文化や価値観 会や特殊なソフトウェアの講習 今回のニュースレターは以上 を持つヨーロッパ各国の学生が集 会といった多くの充実したサ です。お読みいただきありが まり設計活動を行います。現在再 ポートプログラムが用意されて とうございました。次号の発 開発が進められるブリュッセル西 いました。 部の運河地区 (fig.3) を敷地とした 様々な面において日本を客観 このスタジオは前半と後半の二部 的にみることができたとても充 構成になっており前半はグループ 実した 10 か月でした。 今年の AUSMIP に参加していた中原拓海さんが留学先のベルギー から帰国してきましたので、一昨年の参加者の久田圭太さんと一 緒に体験記をレポートしてもらいます。 行は 12 月を予定しています。 掲載内容は ・卒業生インタビュー ・イタリア現地調査報告 History of Architecture and Urbanization ・B4の建築探訪 ( 連載予定 ) などを考えています。より充 実した内容を目指しますので ぜひまたご覧ください。 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter 3 Kyushu Univ. Hori Laboratory News Letter vol.1 2011.07 5 九州大学建築学科歴史・意匠 編集:堀研究室学部4年 研究室ニュースレター vol.1 重石真緒 中村健一 2011 年 7 月発刊 藤村将史 三宅諒
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