シドニー 【 海外派遣研修事業 】 。当事業は、 「まちづくり総合計画」に基づき、 「笑顔かがやく躍動の舞台」づくりを目指して平成2年度に創設された「知内町ふるさと創生事業補助金」 知内中・知内高海外派遣研修レポート 異なる環境で得たもの 異文化を見聞・体験することにより、国際社会への理解を深め、進んで地域や 学校の国際理解教育に貢献する人材を育てる﹁海外派遣研修事業﹂ 。 平成7年度からスタートし、これまで200名以上の生徒たちを海外へ送り出 しています。 今年1月、知内中、知内高からそれぞれ6名の生徒が、期待や不安を抱えなが ら真夏のオーストラリアへ出発。視察やホームステイなどを通して何を感じたで ࢿڨȪɝșȴ ࢲ ²¶ ࢳ ³ ఌհ しょうか。 この補助金を活用して平成7年度から実施。当初は知内高校生を参加対象としていたが、平成9年度からは知内中学校生まで範囲を広げ、現在に至る。 5 生徒たちの滞在記を紹介します。 00㎞ およそ60 ー︶までは ア︵シドニ ーストラリ 知内からオ オーストラリア Japan → Australia かく接していきたいです。 そしてオーストラリアの地で学んだ英 語やコミュニケーション能力を、これか ◆日 平成 年1月5日 日 ( ∼ ) 日 火 ( 程 ◆参加人員 7名︵生徒6名・引率1名︶ ◆研修先 ) オーストラリア︵シドニー・ブリスベン・ゴールドコースト︶ ることの楽しさを感じ、友達になること ができました。 学ばせていただきました。 僕はこの海外派遣で人に気持ちを伝え ることの大切さをホストファミリーから の日、家族みんなと握手やハグをしまし ストマザーとホスト していましたが、ホ ということを目標と さんのことを経験できるものとなりまし 忘れられない、たく 遣は何一つとっても にとってこの海外派 ションを取ることの大切さなど、たくさ す る 知 識 や 生 活 の こ と、 コ ミ ュ ニ ケ ー 説が残っていました。とても興味を持ち が父親に岩に変えられてしまうという伝 ターズ。スリーシスターズには、三姉妹 きな岩が三つならんでいるスリーシス ました。そして、ブルーマウンテン。大 トイレまで、不思議で﹁Oh ﹂と声が出 シドニー観光では、オペラハウスに行 きました。不思議な形のオペラハウス。 本当に本当に本当に良かったです。 も、心が通じ合えば、国境の壁を感じる できるようになりました。言語が違って ホストファミリーとうまく接することが 間が経つにつれてその回数も減ったので No で答えることが多かったけれど、時 いうことを学びました。初めはYes 、 ミュニケーションをとることができると 通じなくても、身振り手振りを使えばコ ションをとることができました。言葉が 落としなどを使い、楽しくコミュニケー 日本から持っていった、けん玉やだるま できて、他の国の人でも友達になれるん とで、コミュニケーションをとることが した。勇気をもって笑顔で話しかけるこ 語学学校での授業を終えることができま うとみんなで協力し、なんとか5日間の で調べたりしながら、少しでも理解しよ 語などは自分たちが持ってきた電子辞書 きませんでした。それでも分からない単 しまい私たちはあまり発言することがで よりも高い英語力の韓国人に圧倒されて たくさんいました。そこでは、遥かに私 語学学校では、私たちのほかに同年代 のブラジルや韓国などから来ていた人が という目標を立てて さんの知識を得る。 ﹂ 人 と 交 流 し、 た く ǽ 今回の海外派遣に お い て、 ﹁いろんな んのことを学ぶことができました。 ました。 ことなく接することができるということ だ!ということが分かりました。 2年 組 松井 悠南 → ステイに行った当初は、覚えてきた英語 オーストラリアと日本の違いについて はやはり﹁言語﹂だと思います。ホーム いきました。 ﹃初めて日本を離れて﹄ 積極的に過ごしていきたいです。 何事も経験をしなければ始まらない。 そのことを胸に日頃の授業を、生活を、 今回、この海外派遣学習で、僕が一番 学んだことは、人々の優しさです。ホス に気付いたのです。自分はそのことに気 私は、当初英語を学ぶためや自分の英 トファミリーや語学学校の先生を見習 付いてから他の国の人と話すことや接す オペラハウスの前で記念撮影。 6 知内中・知内高海外派遣研修レポート 知内中学校 ﹃Oh ﹄ 1年A組 佐藤 光 らの生活や授業などに生かしていきたい です。 ﹃Start﹄ ﹃Exp er ience ﹄ 2年 組 花田 璃奈 ǽ ﹁ Exp e r ie ǽ nce ︵経験︶ ﹂ 。私 た。ホストブラザーのホウセイは、自分 ファザーは部屋の中にいることが多かっ た。 語力に挑戦することを目標に海外派遣に からハグをしてきてくれて、泣きそうで たので、これでは目標を達成できないと 参加したけれど、その他にも世の中に関 した。出発する時にホウセイが﹁ステイ 思ったので、自分から部屋を訪ねました。 1年A組 南 智哉 自分は﹁コミュニ ǽ ケーションを取る﹂ 14 い、友達、家族、皆に対して優しく、温 A Shiriuchi Public Relations 2014-3 26 て嬉しくて泣きそうでした。いい家族で オッ﹂いや﹁ O h﹂ 。ホ ー ム ス テ イ 最 後 ホストファミリー はとても優しくて、心の中で思わず﹁オ でした。 う暑くて暑くて大変 ンズだった僕は、も ǽ 初めて行ったオーストラリアは、とて も暑くて長袖にジー !! フォーエバー!!﹂と言っていて嬉しく A Japan → Australia 中には﹁家族﹂の存在がありました。ホ このような体験をしてきた私でした が、大変な時や楽しい時、やはり、頭の はできないということがわかりました。 なければ話をしたり、学んだりすること そしてコミュニケーションの大切さで す。コミュニケーションをしっかりとら い。 ﹂と言ってくれました。とてもうれ 紀 は 優 し い し、 一 緒 に い て す ご く 楽 し きました。そして韓国人のユナは私に ﹁友 割ってしまって謝ったり、一緒にピザを ﹃海外派遣で学んだこと﹄ ます。 日々の授業を大切に受けて、韓国のユ ナに追いつけるように頑張りたいと思い 学びたいと思いました。 私は英語を上手に話すことはまだでき ません。なので私は、もっと深く英語を 作って食べたりとたくさんの思い出がで 校にも通いました。わたしたちのクラス ストファミリーに伝えられていた﹁感謝 しかったです。最終日にはお別れがとて ことがわかりました。 には韓国の生徒がたくさんいました。や そして、私は今回の海外派遣を通じて 学んだコミュニケーションの大切さや家 も悲しいくらい仲良くなることができて が上手く伝わらず、とてもショックを受 はりそこでも言葉の壁というものがあり の気持ち﹂が、家族にははっきりと伝え 族の大切さを今後の学校生活、日常生活、 の生徒と母国について情報交換したり、 け ま し た。 ホ ー ム ス テ イ の 間 は 語 学 学 ましたが、英語を使うことによって韓国 られていなかったことがわかりました。 すごくよかったです。 だからこれからは、家族にはっきりと 感謝の気持ちを伝えていきたいです。 ﹃海外派遣研修での経験﹄ たいと心から強く思いました。 これからの人生に生かし、頑張っていき メールアドレスを交換することができま した。そこから思ったことは、英語の力 世界のさまざまな人たちとの交流が可能 です。英語を使って話すことによって、 だということがわかりました。次に、日 語学学校で学ぶ。 本とオーストラリアの共通点は、人を思 2年A組 村上 友紀 ホームステイで学 ǽ んだことは自分を主 の人とでも英語 お世話になったガイドさんなど、関係の皆様に心から感 2年 組 松崎 弥奈実 今回の海外派遣の ǽ 面接を受けたきっか を通じて友達に した場面もありましたが、全員が楽しく有意義な研修を終え、 う気持ち、 ﹁思いやり﹂です。 ホームステイでは、家族の大切さにつ いて学ぶことができました。学校から家 なれたのは私に や疲労で多少体調を崩した生徒や小さなハプニングもあり、心配 張することです。外 に帰宅すると、 ﹁ 家に家族がいるという とってとてもい 天候の中で、概ね予定通りの日程をこなすことができました。気温の変化 国人は必ず文の最初 ことが当たり前﹂だと思っていましたが、 い経験になりま いていましたが、今年は 25 ∼ 30 度くらいの気温で比較的過ごしやすい けは、将来、海外留 ∼です。 ﹂とは言いません。なのでこれ 親元を離れて海外で生活してみると、全 した。語学学校 昨年のオーストラリア研修は、猛暑で気温 40 度近くの日もあったと聞 学を希望していたか からは、 ﹁わたしは∼だと思います。 ﹂と く違いました。 ﹁ 家 族 が い る ﹂と い う こ で一緒の韓国人 ださいました知内町ならびに知内町教育委員会、現地で に﹁ I︵ 私 は ︶ ﹂を ローンパインでコアラを抱っこした り、 シ ー ワ ー ル ド で イ ル カ や ア シ カ の とは、とてもすばらしいことだというこ のユナとホーム ような素晴らしい機会を本校の生徒と私までに与えてく らです。 ショーを見ました。ブルーマウンテンは、 主張できるようになりたいです。 と。そして、いつも支えてくれたり、相 ステイ先で、遊 無事に知内町へ戻ることができたのが何よりでした。この を持っていきました。毎日違ったお弁当 弁 当 あ り が と う。 と て も 美 味 し か っ た ただの山だと思っていましたが、スリー つけます。でも、日本人はあまり﹁私は よ。 ﹂と伝えると、そこから段々と、仲 シスターズという3つの岩があり、3人 を出してくれているホストマザーへ、 ﹁お 良くなることができました。そして、ど の姉妹が岩に変えられたという伝説があ 語学学校での1番の思い出は、韓国人 のみんなと友達 こに行っても、ちょっとした思いやりの になれたことで 談相手になってくれたりしたこと、改め 謝申し上げます。 りました。 て、家族に対する感謝の気持ちを実感す んでコップを す。全く違う国 ることができました。 ࢿڨȪɝșȴ ࢲ ²¶ ࢳ ³ ఌհ 7 知内中 引率 海野厚二校長 「素晴らしい機会に感謝」 B 気持ちで、いろいろな人と仲良くできる 異なる環境では、食事もはじめは緊張。 私たちは、語学学校に通っている間、 ホストファミリーが作ってくれるお弁当 Japan → Australia 設定した理由は将来 栄養士になりたいか ◆日 平成 年1月4日 土 ( ∼ ) 日 火 ( 程 ◆参加人員 7名︵生徒6名・引率1名︶ ◆研修先 オーストラリア︵シドニー︶ ) 次に街並みですが、横断歩道もほとん どなく信号無視をする人がたくさんいま どたくさんありまし 景色や気候の違いな 生活の仕方、食べ ǽ 物や文化、街並み・ また、ビーチはどこに行ってもきれいで にレンガでできている建物が多いです。 た。オーストラリアは地震が少ないため る人もいて私もつられそうになりまし した。信号は青になるのは遅いのに赤に というショッピングモールではたくさん た が、 そ の 中 で も らです。 の食べ物があり、どれも興味を引くもの 野菜はほとんどありませんでした。そし ホームステイ先の家族はスペイン系 で、サラダやスープには根菜が多く葉物 分で入らなければならなくて水がとても 大切に使われていました。 だとあいまいな返事をすることもあるけ ど、英語だと通用しないことがわかりま → た レ ン ガ は、 家 を は じ め と す る 多 く の て、日本で食べるお米とは違う細長くて 8 知内中・知内高海外派遣研修レポート ﹃オーストラリアの建造物﹄ 2年A組 安齋 天彩 り、破ると相当の罰 ばかりでした。お店を見回して気づいた した。砂はごみ一つなく、歩いていて気 変わるのが早く、でもゆっくり渡ってい 金を払わなくてはな 特に印象に残っているのは、生活の仕方 持ち良かったです。海は管理されていて ﹃日本とオーストラリアを比較して ﹄ 2年A組 田中 優花 りません。また、新規入居などの時に新 のが、カラフルな食べ物が多いこと。ス です。友達のホームステイでは、靴を履 学校の近くにある ウェストフィールド 築ではなく、中古のままで景観美観を保 イーツも、ジュースも、料理に使われる 英語だけの会話は正直つらかったで す。それでもYes かNo をはっきり伝 すごいなと思いました。 いるコーナーでは、日本にはないような かい厳しい規則があ つというルールもあり、美に関して厳し ソースもとにかく味が濃く、着色料が多 そ し て、 オ ー ス ト ラ リ ア の 建 造 物 を 特 長 付 け る の が レ ン ガ 造 り の 家 で す。 かったと思いました。シャワーは ∼ 身 近 な 場 所 に 使 わ れ て お り、 見 て い て 粘り気のない﹁タイ米﹂をほぼ毎晩食べ えることが大事だと思いました。日本語 色とりどりの食紅が置かれていました。 く使われていました。調味料が売られて い国だと思いました。 ǽ オーストラリアは 景観美観に関して細 14 道 中、 赤 茶 け た 色 の 家 を 沢 山 見 か け ま ちょっとだけレトロでおしゃれな気分 フェアウェルパーティー(お別れ会)では日本 の文化や学校生活を紙芝居風に紹介。 した。ここオーストラリアの気候に合っ を感じました。 ました。日本の米と比べて水気が少なく、 肉も日本のような薄いものは無く、赤 味で油の少ないごろごろした肉を多くた ぱさぱさした食感で最初は驚きました。 ﹁なんだあれは?﹂の声ばかりだったら べました。 ﹁ 野菜を食べて健康より、固 世界遺産に登録され、今でこそ世界に 知れ渡った﹁オペラハウス﹂ですが、完 しく、新しいものや今までと違うものが という考え方にも驚かされました。ホス い肉をよく噛んで食べたほうが健康だ ﹂ 成当時は称賛よりも批判のほうが強く、 受け入れられにくいのは世界共通なのか を再確認しました。 あることを改めて実感し、食文化の違い が健康にいい!﹂と言われ、肉が主食で トマザーに聞いたところ、 ﹁ もちろん肉 なあと思いました。 ﹃食文化と食意識﹄ 2年A組 内海 有咲 。私がこのテーマを ǽ ﹁食文化と食意識﹂ 語学学校で講師の説明に耳を傾ける知内高生。 10 Shiriuchi Public Relations 2014-3 26 いたままだったそうです。私のホーム ステイ先はそうではありませんでし たが、 靴を履いたままの生活をしてみた 15 知内高等学校 Japan → Australia びっくりしました。 ます。初めてそれを目撃した時は本当に たです。行く前からずっと不安でしたが、 を見て判断できるようになって嬉しかっ ホストファミリーもロシア出身で、他に はり多国籍国家だということです。私の も中国、インドネシアと様々でした。自 した。いつもあいまいな返事をすること 人間追い込まれると何とかなるんだと改 然に囲まれ、全体的に南国のゆったりと いことも実感しました。 憧れていた海外も決して遠い世界ではな した雰囲気はもちろん、家族と過ごす時 めて実感しました。挑戦も大事ですね。 間を大切にしているところが好きです。 が、いい経験になりました。 全てが新鮮で、世界は広いんだなと実 感しました。 自信が持てました。 ﹁ 文化には優劣はな 境でした。語学学校の授業スタイルはと オーストラリアには、たくさん日本と の違いがあり戸惑うことも多かったです が多い私にとって、これから人とコミュ ニケーションをとる時には生かしていき また授業風景も日本の学校とは違い、 長机がずらりと丸くなるように並んでい たり、椅子だけしか並んでいないクラス もあり、教室も普通より小さめで、みん たいです。 ﹃風景の違和感﹄ ても良いと私は思いました。 なとコミュニケーションがとりやすい環 2年B組 帰山 杏里 オーストラリアに ǽ 行く前に私が思って ﹃文化を共有する﹄ 今回の研修では皆が日本の文化に興味 を持ってくれた分、日本人である自分に ﹃生活の違い﹄ いたイメージは、街 並みは日本とは全く い﹂という意識がすべてを変えると思い ます。 違い、高いビルやレ ンガでできた建造物ばかりというイメー 2年B組 西山 まり 海外に来て驚くこ ǽ とは、日本がよく知 日本語を教えることを目標としてい ましたが、 ﹁ うっす ﹂ ﹁ 乾杯 ﹂ ﹁ さような こ このような機会を町に与えて頂いた事に心から感謝し 2年B組 工藤 この美 オーストラリアと ǽ 日本とではやはり大 ら﹂と基本的な言葉を数個知っている人 られない「素晴らしい一面」も知ることができました。 ジでした。しかし実際に行ってみたら意 一番苦戦したのはバスでした。乗ると きは何とかなりましたが、降りる時が最 はたくさんいました。それでも、日本語 に になったと思います。また、派遣生徒達の、学校では見 られているというこ 初はすごく不安でした。日本と違ってア の文法はいま考えてみると複雑で、単語 研修が 研修が外国の文化や生活に触れ、視野を広げられる良い機会 とです。日本出身と います。それは、 ナウンスがないので外を見て判断しなけ で し か 教 え ら れ ま せ ん で し た。 漢 字 を 東京と言う人もいました。 駐 車 場 で す。 北 ればならず、友達と一緒にずっと外を見 2000字近く覚えることにママは驚い としき としきりでした。それでも今回参加した生徒たちには、今回の きく生活の違いがあ 家の中では靴を脱ぐ習慣のある日本と は違い、常に靴を履きながら生活をしま 海道では車は駐 ていた気がします。乗り過ごさないか毎 ていました。ブラザーは﹁日本語は一つ と英語を と英語を話せたら、もっと色々な事が出来たのに…」と感じるこ り、最初は戸惑うこ す。お風呂に入る時と寝るとき以外ずっ 車場に停めるけ 日ドキドキでした。一回も失敗しなかっ 一つが短いよね。 ﹂と言っていました。 大 く前の不安は大きかったです。滞在中そして帰国後も「自分がきちん 外と木などが多く自然豊かで、まるで知 と履いているので、慣れないせいかとて とても好んでいました。ママは、日本の 私のホストファミリーに関しては、パ パの特技が空手で、侍が登場する映画を れ ど も、 オ ー ス たのが奇跡のようです。ホームステイが 長丁場、英語もろくに話せない状態での海外への生徒引率。正直、行 伝えるとポケモンや な感じがします。 く、急いで渡らなければ車にひかれそう も疲れました。海外では家の中でも靴を トラリアでは駐 終わるころにはすっかり慣れてしまい、 真冬の知内から真夏のオーストラリア、シドニーへ。しかも 11 日間の とばかりでした。 オーストラリア 履いて生活することは以前から知ってい セーラームーン、香川真司と即座に言っ ではとにかく急 女の子は頭に簪を挿して優雅にご飯を食 内町みたいなところだと思いました。 シドニーの信号は、ボタンを押しても すぐに点灯して赤になるのも日本より早 いで信号を渡っ て、覚悟はしていましたが結局最後まで べているとイメージしているようです。 車場がないので て ています。ありがとうございました。 てくれました。北海道の知名度は低く、 ていました。 慣れることが出来ませんでした。 車を普通に道路 そして、オーストラリアの面白さはや いっぱいおしゃべりしてても周りの風景 に停めてしまい ࢿڨȪɝșȴ ࢲ ²¶ ࢳ ³ ఌհ 9 知内高 引率教諭 鈴木 司先生 「視野を広げられる良い機会」 道路状況は北 海道とは全く違 ミセスマッコリーズチェアに座ってポーズ。
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