歩行感覚呈示装置の歩行リハビリテーションへの応用 - 筑波大学 大学院

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筑波大学大学院博士課程
システム情報工学研究科修士論文
歩行感覚呈示装置の歩行リハビリテーションへの応用
葛西香里
(知能機能システム専攻)
指導教官
岩田洋夫
2003 年 2 月
目次
第 1 章 序論
第 2 章 GaitMaster2 のシステム構成
2.1 駆動部
2.2 センサ部
第 3 章 GaitMaster2 の生体への影響評価
3.1 平面歩行
3.1.1PCI による評価
3.1.2 筋電計測による評価
3.1.3 平面歩行評価結果
3.2 階段昇段運動
3.2.1 階段 PCI による評
3.2.2 筋電計測による評価
3.2.3 階段昇段運動結果
第 4 章 GaitMaster2 を用いた歩行リハビリテーション
4.1GM2 を用いた歩行リハビリ
4.2 症例1
4.2.1 症例 1 実験概要
4.2.2 症例 1 歩行リハビリ結果
4.2.3 症例 1 結論
4.3 症例 2
4.3.1 症例 2 実験概要
4.3.2 症例 2 歩行リハビリ時の推移
4.3.3 症例 2 歩行リハビリ結果
4.3.4 症例 2 結論
4.4 症例 3
4.4.1 症例 3 実験概要
4.4.2 症例 3 歩行リハビリ時の推移
4.4.3 症例 3 歩行リハビリ結果
4.4.4 症例 3 結論
第 5 章 遠隔リハビリテーションシステム
5.1 システム構成
5.2 評価実験
第 6 章 考察
第 7 章 結論及び今後の展望
謝辞
参考文献
---2
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---65
---67
---69
1
第1章
序論
近年、医療分野で歩行動作のリハビリテーション(以下リハビリ)のための機
械装置の開発が盛んである。歩行のリハビリは、通常、事故や病気などで歩行
活動を行う骨・関節や神経・筋になんらかの障害が生じたために歩行が困難に
なった患者に対して行う。一般に歩行のリハビリでは患者が両足で立つことか
ら始め、徐々に足を前に出すなどの動作を習得させる。この間理学療法士は実
際に患者の足を動かしたり、言葉をかけたりする。患者が自らの意識で足を動
かすように、繰り返し歩行動作を教えるこの手法は、再学習による歩行動作獲
得に加え、神経が損傷している場合でも今までに使われていなかった神経が活
性化し、歩行活動を行う神経として代替するようになるという考えに基づいて
行われている。このように歩行リハビリは、理学療法士の身体的な作業の負担
が大きく、かつ患者一人につき一人以上の理学療法士がつく必要があるため現
在理学療法士の数は患者に対して不足しており、全ての患者に対し十分な訓練
が行われているとは言えない現状にある。特に今後高齢化社会に伴い、患者の
増加や遠隔地の患者に対するケアが問題となることが予想される。
これに対してロボットを用いてリハビリを行う手法が提案されている。ロボッ
トによるリハビリは理学療法士を体力的な作業から解放し、患者に対してより
規則的かつ長時間の歩行動作を教示できると考えられる。山海らは歩行動作を
補助するロボットリンクを用いる手法を提案している。[1]また海外ではトレッ
ドミルに脚の動きをサポートするロボットアームを取り付けた NASA と UCLA
のロボティクスステッパー[2]、脚に小型マニピュレータを装着し足首の動作を
獲得させる Rutgers 大の Rutgers Ankle[3]、患者の体をハーネスで固定し、前後上
下に動くアームに患者の足を乗せ訓練を行うベルリン自由大学の gait trainer が
開発されている。[4]ロボットによるリハビリの多くは理学療法士が行う訓練を
機械化し、患者の下腿や足を支持して歩行動作を教授し全自動でリハビリを行
うものが多く、理学療法士が行うように患者の状態に合わせてきめ細かく対応
するのが難しい。そこで本研究では、筆者の研究室で長年研究されてきた、歩
行感覚呈示装置(ロコモーションインタフェース、LI)を理学療法士の介入が
可能な歩行リハビリ装置として応用した。
歩行感覚呈示装置とは、物理的な空間移動をせずに、ユーザの歩行動作を打
ち消すように床面を移動させることで、実際に歩いて空間移動をしているかの
ような運動感覚を与える装置のことである。つまり、一定の領域でバーチャル
な空間を無限に歩行できる装置のことを指す。仮想空間において、自らの足で
歩いて移動を行うことは、ジョイスティックやモーションベースなどの2次的
な移動手段に比べて直感的で空間認知において有効な手段であることが言われ
ており、バーチャルリアリティの研究分野では自らの足で歩いて仮想空間を移
2
動することができる歩行感覚呈示装置の研究が盛んに行われてきた。
歩行感覚呈示装置は、歩行動作時の床面の呈示方式に注目すると主に2種類
に大別できる。ひとつは運動トレーニング器具などに使用されるルームランナ
ーのように歩行者が歩く領域全体を一つの可動面で提供する「連続面型」であ
る。もうひとつは健康器具などに用いられるステッパーマシンのように歩行者
の足の下にだけ別々に小さな床面(フットパッド)を用意し、フットパッドが
足の動きに追従し常に足の真下に床を存在させることで歩行感覚を呈示する
「部分面型」である。
これまでに開発された連続面型の歩行感覚呈示装置の例としては、筑波大学
のトーラストレッドミルがある。これはX方向に回転する多数の小ベルトをY
方向に並べ、これら全体がY方向に回転することによって前後移動だけでなく
左右方向の移動も可能な全方向性をもつロコモーションインタフェースである
[5]。 また、ATR知能通信研究所で開発されたATLASは、1450mm×55mmのトレッ
ドミルの下に3軸の揺動装置を取り付けたもので、坂道や旋回動作を模擬する
ことが可能である。そしてATRのGSSはトレッドミルのベルトの下に直動アクチ
ュエータアレイを配したもので高さ60mmの凹凸面が呈示できる[6]。
部分面型では、筑波大学の GaitMaster が挙げられる。これは片足3本ずつ計6
本の直動アクチュエータによって並進移動する2つの 270mm×300mm の床板
(フットパッド)が、上に乗ったユーザの両足の運動に追従するものである。
3自由度の並進が可能なため、平面だけでなく凹凸面も表現できる。またこれ
ら6本のアクチュエータはターンテーブルに乗っており、方向変換が可能であ
る[7]。立命館大学の Gait simulator は歩行板(フットパッド)に平面内移動が
できるアーム繰り出し機構を取り付け、さらに歩行板を上下させるための油圧
シリンダを備え、方向転換、凹凸面が表現できる。[8]
連続面型の長所は可動範囲面内であれば、足を拘束するものがないので、ど
のような歩行動作も自由にできることであり、短所は装置が巨大になることと
凹凸面の呈示が困難なことである。部分面型はこの逆で、装置は比較的小型で
凹凸面の呈示も容易であるが、床面が足を追従する精度と速度に問題がある。
その他にはターンテーブル上で足踏みをすることにより歩行感覚を得る、東京
工業大学の移動インタフェース[9]や、同じくその場で足踏みを行い歪ゲージや
地磁気センサから動作を検出する東京農工大の WARP[10]、ボールアレイとベ
ルトコンベアを組み合わせターンテーブルを配し無限平面を歩行できる、工学
院大学のボールアレイトレッドミル[11]などがある。
本研究で用いた歩行感覚呈示装置は GaitMaster2(以下 GM2)と名づけられ
たもので GaitMaster(以下 GM1)より広い可動範囲を得るために開発された。
GM1 と同じく部分面型の歩行感覚呈示装置で、左右のフットパッドが前後上下
に移動し方向転換以外の平面での歩行や凹凸面が表現できる。
3
歩行のリハビリは患者に対して理学療法士が文字通り手取り足取り健常な歩
行動作(もしくは歩行動作につながる動作)を繰り返し体験させ学習させるも
のであるので、歩行感覚呈示装置を使って歩行動作を与えることにより訓練が
行えるのではないかと考えられる。特に部分面型である GM2 は左右の足の位置
が任意に決められるので、歩く領域全体が一つの可動面である連続面型では不
可能である左右の足の動き出しのタイミングや歩行軌道などの設定が容易であ
る。
GM2 を用いた歩行リハビリは、GM2 に健常人の歩行軌道を記憶させ、装置
に乗っている患者の意思とは無関係に歩行動作を模擬する(受動歩行)。具体的
には GM2 の左右のフットパッドがあらかじめ決められた健常人の歩行軌道を
辿り自動で歩行動作を模擬する。患者は自動で歩行を行っている GM2 にただ乗
っている状態でフットパッドの床反力により歩行動作を繰り返し体験し、歩行
時の体の動きを学習する。
本論の流れと研究の推移について説明する。まず次章で GM2 のシステムの構
成を述べる。続く第4章では GM2 による歩行リハビリの前段階として行った健
常成人を対象とした GM2 の生体への影響評価実験について結果を記述する。こ
れまで歩行感覚呈示装置の評価方法は人体の動作や重心の移動の計測といった
物理的な手法が多く、人間の内的状態、つまり歩行感覚呈示装置が人間に対し
て与える影響も含めた評価手法の研究はほとんど進んでいない。そこでユーザ
(健常人)の内的状態の定量的な評価手法としてエネルギーの代謝、各筋肉の
活性状態という 2 つの状態に注目して評価する手法を試み、実験よりその有効
性を検証し GM2 の生体への影響を評価した。
第1節では平面での歩行について、実空間での歩行、GM2 での通常の歩行(能
動歩行)、GM2 でのリハビリ用歩行(受動歩行)の3パターンの歩行について
比較、評価を行い、第2節では階段昇段運動について実階段と GM2 による2パ
ターンの階段を加えた3パターンの階段昇段運動について比較、評価を行った。
第5章では、杖などの装具を用いての自立歩行が可能な患者3例に対して4
章で評価を行った受動歩行を歩行リハビリとして一定期間適用し、筋電計測や
歩行速度などの数値データ、ビデオ映像の解析、患者自身のコメントから変化
や効果を検証した。続いて第 6 章では、将来の展望として GM1 と GM2 を高速
ネットワークで接続した遠隔リハビリテーションシステムの開発と基礎実験の
結果について述べる。本システムは理学療法士が患者の体に乗り移ったかのよ
うな感覚で介在し、患者の状態に応じて歩行感覚呈示装置の動作を操作できる。
またネットワーク接続により理学療法士が容易に行けない遠隔地に対する治療
も可能である。
4
第 2 章 GaitMaster2 システム構成
図 1 に GM2 の全体像を示す。GM2 はユーザの左右の足の下にそれぞれフット
パッドと呼ばれる小さな床面を用意しそれらをユーザの足の動きに影のように
追従させることで歩行動作を模擬する。ユーザが歩行動作を行おうとして足を
前に出す(遊脚)とフットパッドに取り付けられた空間位置センサが感知し、
フットパッドを足の真下に移動させる。支持脚(立脚)側のフットパッドは遊
脚側の前進分だけ後退する。この動作を繰り返し、常に足の下に床面を存在さ
せることで無限に歩きつづけられる。フットパッドの大きさは 270×300mm で
あり、フットパッドには踏み外しを防ぐための長さ 100mm 程度のワイヤーで、
ある程度の可動範囲を持ってサンダルが取り付けられており、ユーザはそのサ
ンダルを履いて歩行動作を行う。またシステムにはユーザの安全のためのセー
フティフレームと緊急停止スイッチが設置されている。
2.1 駆動部
図2に GM2 の全体システム構成図、図 3 図4に駆動部の構成と外観を示す。
左右それぞれのフットパッドには前後上下 2 自由度をもつジャッキ機構が配さ
れジャッキには 2 つの足が取り付けられている。2 つの足はチェーンドライブで
AC サーボモータにつながれており、モータによりジャッキの 2 つの足を移動さ
せフットパッドを上下、前後に移動させる。制御は PC(PentiumⅢ、500MHz、
Windows2000)によって行っている。モータ軸に取り付けられたロータリーエン
コーダによりフットパッドの位置を計測し、D/A ボードを介してモータドライ
バに速度指令値を入力し、フットパッドの位置を制御する。フットパッドの可
動範囲は前後方向に 670mm、上下方向に 186mm である。フットパッドの最大瞬
間速度は 1470mm/sec であり、耐荷重は 80kg 重である。
5
図 1.GM2 全景
6
図 2.GM2 システム構成図
図 3.駆動部の基本構成
図 4.GM2 駆動部
7
2.2 センサ部
部分面型の歩行感覚呈示装置でユーザが違和感なく歩行するためには、足の
位置の計測だけでなくフットパッドを動かすタイミングの検出が重要である。
位置センサを用いてそれを検出するには立脚相と遊脚相の遷移時に位置変化が
大きい部位の計測を行う必要がある。本研究ではこのような部位として「かか
と」に注目し位置センサを取り付けた。計測は3本のワイヤーの長さ情報を用い
て三角測量の原理に基づいて行う。具体的には、3本のワイヤーの一端をフット
パッドに取り付けたサンダルのかかと部に固定し、他の端を空間中の3点に固定
する。そのワイヤーの長さを計測し、幾何学計算によりかかとの位置を計測す
る(図5)。
3本のワイヤーの長さからかかとの位置を求める計算は次のようになる。
図5のようにワイヤーの繰り出し点A、B、C点を、対称性を考慮してA、B点を
底辺とした二等辺三角形とすると、各座標はA(-x0,0,-z0)、B(x0,0,-z0)、C(0,0,0)
とおける。これよりそれぞれの点からかかとの位置である計測点P(x,y,z)まで
の距離la, lb, lc を求める式は以下のようになる。
図 5.センサ概念図
8
la 2 = ( x0 + x) 2 + y 2 + ( z 0 + z) 2
lb 2 = ( x0 − x) 2 + y 2 + ( z 0 + z) 2
lc 2 = x 2 + y 2 + z 2
これより
x = (−la 2 + lb2 ) / 4 x0
2
2
z = (la 2 + lb2 − 2lc 2 − 2( x0 + z0 )) / 4 z0
y = lc 2 − x 2 − z 2
となり、計測点Pは一意に決まる。ただし、y>0の空間を計測範囲とする。
空間位置センサの基本構成図と外観を図6図7に示す。計測点はフットパッド
のサンダルのかかと部である。センサは、主に3本のワイヤーとそれぞれに対応
するワイヤー巻取り用プーリーとゼンマイ、及びポテンショメータから構成さ
れる。3本のワイヤーは直径約1mmの釣り糸を使用した。その一端はプーリーに
巻き付いており、それぞれゼンマイによってテンションがかけられている。プ
ーリーの回転角をポテンショメータで測ることによりA~C点からのワイヤーの
繰り出し量、すなわち計測点Pまでの距離が求められる。ワイヤーはそれぞれ摩
擦の少ないテフロン素材の板片に穴を開けたものを経由させることで、プーリ
ーからワイヤーが外れないようにし、またABC点の位置を固定している。このテ
フロンの板片は厚さ5mmで、摩擦の軽減のため両側からすり鉢状の穴が開いてお
り、最も狭い箇所の直径は2mmとした。
フットパット上でのかかとの可動範囲は、前方(y方向)はストッパーによる
制限から100mm前までとして、左右(x方向)をサンダルの大きさを考慮し踏み
外さない範囲に設定すると、-50mm<x<50mm、0mm<y<100mm、0mm<z<100mmとなる。
これから逆算するとワイヤーの繰り出し量は0mm~205mmとなる。使用するポテ
ンショメータ(栄通信工業製、FCP22E 10kΩ、1回転型)の測定範囲が320°で
あるので、プーリーは糸巻き部の直径75mmとし、つばの直径を85mm、厚さを7mm
とした。かかとがぶつからないようにセンサはフットパットより後方35mmの位
置に取り付けた。
またワイヤーにテンションをかけるためのアクチュエータとしてゼンマイを
用いた。ワイヤーにテンションをかけるために必要な張力は実測値で 100gf で
あり、プーリーの糸巻き部の半径が 37.5mm であるので、アクチュエータに必要
なトルクは 3750gf-mm となる。この大きさの定格出力トルクを持つ市販モータ
は大きく、配線も増える。そこで直径 54mm 厚さ 6mm 重さ 30g と小型軽量かつ電
源も不要な自動車のシートベルト用ゼンマイを用いることとした。
9
図 6.空間位置センサの基本構成
図 7.空間位置センサ外観
10
第 3 章 GaitMaster2 の生体への影響評価
歩行リハビリの前段階として健常成人を対象とした GM2 の評価実験を行った。
これまでに人間の内的状態も含めた歩行感覚呈示装置の評価手法の研究はほと
んど進んでいない。本研究ではユーザの内的状態の定量的な評価手法としてエ
ネルギーの代謝、各筋肉の活性状態という 2 つの状態に注目して評価する手法
を試みた。具体的には脈拍の計測による PCI(Physiological Cost Index)の計
測と、各筋肉の表面筋電位計測という 2 つの手法を導入した。PCI の計測によ
りエネルギー消費効率が分かりユーザの体全体にかかる負担が計測できる。ま
た各筋肉の表面筋電位を計測することにより、筋肉がどのように働いているの
かという体への部分的な影響を計測できる。この 2 つの手法を適用し GM2 での
平面歩行と階段昇段運動の評価を行った。
3.1 平面歩行
GM2 での平面歩行運動について評価実験を行った。評価を行った GM2 にお
ける平面能動歩行と平面受動歩行のアルゴリズムについて説明する。
能動歩行とは GM2 上でユーザが自らの意思で歩行動作を行うものである。
GM2 に取り付けられた位置センサより足の位置を検出し、その足の動きにフッ
トパッドが追従する。遊脚側の足が前進した分だけ支持脚を後退させることに
より移動距離を相殺する。一般に人間の足の動作は、軌道も速度も一定ではな
く、ノイズ成分も多い。そこで足の動作検出時に、不感領域を設け、その基準
値を超えると、フットパッドが足の前後方向の位置を目標として PD 制御によ
り動作するプログラムを作成した。具体的にはセンサより、フットパッド固定
座標系でのかかとの座標を計測し、かかとの高さが 10mm 以上のときに遊脚状
態とみなす。遊脚状態かつかかとの座標値が基準値より前(不感領域外)であ
るときに、かかとの相対位置が基準値になるようフットパッドを移動させる。
なお踏み出し足と反対のフットパッドの目標値は踏み出し足の移動量の分後ろ
に下がるものとした。また発振を防ぐため、フットパットの移動目標値は現在
値よりも 3mm 以上前に出ないように上限を設定した。
受動歩行とは歩行リハビリ用に開発した歩行パターンで、ユーザがみずから歩
行動作を行うのではなく、フットパッドがユーザの動きとは無関係にあらかじ
め設定された歩行動作の軌跡を辿ることにより、ユーザに任意の設定された歩
行を呈示するものである。本研究では評価のために実空間での自然な歩行を再
現した。歩行の軌跡のデータは、GM2 での能動歩行の歩行時の足の軌跡を参考
にし、トレッドミル上での歩行動作のデータをもとに作成した。歩幅は 330mm
とし、高さ座標の最大値は 50mm である。これはユーザのつま先がフットパッ
トに必ず接触していると仮定し、能動歩行時のかかとの高さが 100mm であった
11
のでそれより 50mm 下がるとして設定した。
3.1.1PCI による評価
人間のエネルギー消費量は、ある活動(仕事)を一定時間行ったときの酸素消
費量から求めることができる。また単位時間当たりの心拍数は、酸素消費量と
直線相関を示す。このような心拍数を考慮した指標のひとつに、歩行の生理的
コスト指数(Physiological Cost Index:PCI)がある。これは被験者を 3 分間歩か
せて、歩行前の安静時と歩行終了時に心拍数を計測し、
によって算出するものである。PCI は歩行速度に依存し、健常成人では各人が好
む歩行速度で最小となり、0.2~0.4 bts/m である[12]。
PCI = [歩行時心拍数-安静時心拍数]÷歩行速度
(bts/m)
能動歩行、実空間での歩行、受動歩行、の 3 つの歩行動作について PCI を計
測し比較した。被験者は 21~31 歳の健常者成人 9 名(男 8 名、女 1 名:平均 24.1
歳)である。計測時の歩行速度、歩数は各条件ともほぼ一定で 26.3m/minute、
1.32Hz とした。ただし能動歩行では GM2 の性能上 27m/minute 前後の歩行が限
界で、個人により歩ける速度が異なるので、各個人で歩ける限界の速度(25.35
±2.01(m/minute))で歩いてもらった。装置の性能上、通常の健常者の実空間で
の歩行速度 60~80m/minute[13]と比べると遅い速度となっている。
図 8 に各動作の PCI の平均と標準偏差を示す。各歩行パターンの PCI の平均
値は、受動歩行が約 0.15bts/m、実空間が約 0.23bts/m、能動歩行が約 0.55bts/m と
なった。受動歩行と能動歩行の間には危険率 1%での有意差が見られ人体へのエ
ネルギー負担は明らかに能動歩行のほうが高いといえる。受動歩行と実空間と
の間には有意差がなく人体に同程度のエネルギー負担がかかると考えられる。
実空間と能動歩行の間には危険率 5%での有意差がみられ、受動歩行と能動歩行
ほどではないがエネルギー負担は能動歩行が高くなった。
受動歩行では GM2 が自動的に歩行動作を模擬するのでユーザは自発的な動き
をせずにただ GM2 に乗って歩かされている状態になる。しかし実際にはバラン
スをとるために GM2 の動きに合わせて遊脚移行時に若干かかとを自発的に上げ
る傾向が見られた。実空間の歩行に比べて PCI は下がるものの、動かされてい
るだけでも体はエネルギーを消費しており、それを数値化することが可能であ
ることが分かった。
能動歩行では歩行者によって歩行パターンが微妙に異なるため、安定した動
作を実現するためにアルゴリズム上実空間よりも若干かかとを高く上げる必要
があり、動作が大きくなった。また歩行時に支持脚側のフットパットが後退す
るためにバランスをとる動作が必要となる。そのため PCI が実空間と比べて高
12
くなったと考えられる。
図 9 は被験者別の各歩行動作の PCI の比較グラフである。能動歩行はユーザ
の動作がフットパッドの動作に直結するので、ユーザ本来の歩行パターンが大
きく影響し個人差が大きくなっている。一方受動歩行はユーザがほとんど自発
的に動作をしなくてもよいので、歩行パターンはあまり影響なく、実空間と同
程度の個人差しか見られなかった。またグラフによると受動歩行の PCI が実空
間よりも高くなっているユーザが若干みられる。受動歩行の歩行軌跡は能動歩
行を参考にしたため実空間に比べて大きな動きの設定である。このためユーザ
によっては受動歩行の方がエネルギー負担が高くなったのではないかと考えら
れる。
図 8.各歩行動作の PCI の平均
図 9.被験者別の各歩行動作の PCI
(*:p<0.05、**:p<0.01)
13
3.1.2 筋電計測による評価
GM2 での歩行時の筋肉への影響を計測するため、受動歩行、実空間での歩行
(被験者は裸足で計測)、能動歩行のそれぞれについて 5 人の健常な被験者に対
して歩行時の表面筋電位を計測した(成人男性 5 名、22~34 歳:平均年齢 27.4
歳)。計測には NORAXON 社、マイオシステムMR4、EM-103 を用いた。3.1.1
の実験同様、条件によらず歩行速度、周期は、約 26.3m/minute、1.32Hz である。
計測した筋肉は内側広筋、腓腹筋、前脛骨筋である。内側広筋は膝伸展筋で膝
の屈伸時に活動する。腓腹筋はかかとの蹴り上げ時に活動し、前脛骨筋はつま
先を上げる際に活動する。以上の 3 筋の実空間での歩行動作時の筋電は、臨床
運動学[14][15]が教えるところでは、前脛骨筋は歩行周期を通じて活動がみられ、
他の筋は立脚相前半に活動する。具体的には内側広筋は、着床時に衝撃吸収の
ため活動し、腓腹筋は体を押し出す推力を得るとき、すなわちかかとの押し上
げ時に放電する。前脛骨筋は歩行周期
全般にわたってつま先が下がらない
ように軽度の活動を続け、特に着床時
と離床時に尖足にならないように活
動する。
図 11、図 12 は被験者 5 名のうち代
表的な 1 名の 3 種類の歩行時の諸筋の
筋電位の活動量を積分した値を表示
したグラフである。3 つのパターンの
歩行時の筋電図を比較すると、全体的
にみて受動歩行、実空間、能動歩行の
順で筋が活発に活動している。実空間
では筋電活動レベルが低くなってい
る。この原因は歩行動作の計測が有線
計測で計測範囲が 3m 程度と短く歩
行が定常状態に達していなかったこ
とと、通常歩行に比べ歩行速度が遅い
ため、筋活動が穏やかで電位が検出し
づらいことが影響したと考えられる。
しかし、臨床運動学で言われている実
空間での歩行の特徴と合致するので、
比較用データとしては十分といえる。
図 10.下肢の筋肉(内側)
14
受動歩行は実空間に比べて腓腹筋と前脛骨筋の筋活動が穏やかであった。この 2
筋は歩行時に能動的に働く筋のため、ユーザの自発的な動作が少ない受動歩行
では筋活動が少なかったと考えられる。また内側広筋は、実空間に比べ筋活動
が活発であったが、受動歩行では遊脚時の足の高さの設定を 50mm と実空間で
の歩行より高い設定にしたため、着地時の衝撃吸収時に活動する内側広筋が活
発に働いたと考えられる。
一方、能動歩行では内側広筋と前脛骨筋に活発な活動がみられた。能動歩行
時の遊脚判定は 10mm 以上であるが、センサはユーザのかかとではなくサンダ
ルのかかとを計測するので、実空間の歩行と比べてユーザは若干足を高く上げ
て歩行動作を行わなければ
ならない。また受動歩行と
違いフットパットの上下運
動がないので着地時の衝撃
が大きく、内側広筋が活発
に働いたといえる。また前
脛骨筋が活発であったのは、
遊脚時にサンダルが脱げな
いようにつま先を上げ続け
なくてはならなかったため
と考えられる。腓腹筋は実
空間に比べ活動が穏やかで
あったが、これは離床時に
かかとを強く蹴ると、サン
ダルが脱げやすくなること
と強く蹴っても歩行速度に
影響しないことをユーザが
学習したためと考えられる。
図 11.各歩行動作の筋電位
15
内側広筋
前脛骨筋
腓腹筋
図 12.各歩行動作の筋電位(筋別)
16
3.1.3 平面歩行評価結果
PCI による評価では受動歩行、実空間、能動歩行の順で PCI の平均値が上が
っていき、エネルギー消費が大きくなった。筋電計測による評価では全体的に
みて、受動歩行、実空間、能動歩行の順で筋肉が活発に活動しており結果は一
致する。また、受動歩行と実空間の PCI には有意差がなく、実空間と能動歩行
では 5%の有意差がみられた。筋電計測でも受動歩行と実空間の差異は少なく、
実空間と能動歩行では筋電の差異は大きくなっており、結果は一致している。
PCI による評価実験と筋電計測による評価実験を合わせて検証すると評価が一
貫しており、しかも解析上不自然な結果ではなく、有効な評価が行えたといえ
る。
また筋電計測による評価結果から、能動歩行では、サンダルの足への固定方法
やセンサの計測点の固定位置の影響で実空間と異なる筋肉の状態を生じさせて
いることが分かった。さらに歩行動作時の推力となる蹴りが歩行に影響しない
ことも実際の歩行と違う点であることも分かった。受動歩行では、自然な歩行
と比較し足の高さが高いという結果が得られたが、受動歩行を体験した半数の
被験者からも足が上がりすぎているとの指摘を受けた。これらは GM2 を実空間
の歩行へ近づけるための改良点であるが、歩行動作呈示パターンをうまく作る
と特定の筋肉を持続して刺激する使い方も可能であることも示しており、歩行
リハビリへの応用に有効であると考えられる。
17
3.2 階段昇段運動
平面歩行に続いて GM2 における階段昇段運動の評価実験を行った。評価を行
った階段昇段運動のアルゴリズムを説明する。
GM2 における階段運動は、ユーザが階段を昇ろうと足を持ち上げるとセンサ
が感知して現在の床位置から一段階段を昇った床位置までフットパッドを移動
させる。それと同時に反対の軸足側のフットパッドは現在の床位置から一段下
がった床位置までフットパッドを移動させる。この動作を繰り返すことにより、
物理的な前後上下の移動なしに無限に階段を昇り続けられる。(図 13)
実空間
基準点
重心の上昇
重心の上昇
仮想環境
引き戻しによる
上昇の相殺
①
③
基準点
②
図 13.GM2 昇り階段のアルゴリズム
18
足の踏み出しを検知する方法として、平面能動歩行で用いた空間位置センサ
によるセンシングと、フットパッドにかかる荷重を計測して踏み出しを検知す
るフォースプレート方式のセンシングの 2 パターンを用意した。空間位置セン
サは踏み出し足のかかとの高さが 60mm 以上のときに踏み出しとみなす。フォ
ースプレート方式は、フットパッド上の 4 角に直径 9.53mm、厚さ 0.127mm の薄
型の圧力センサ(ニッタ製 FlexiForce)を配置しその上にフットパッドと同じ大
きさの板を乗せたフォースプレートを作成し、そのフォースプレート全体をフ
ットパッドとする。(図 14)軸足のフォースプレートにかかる荷重があらかじ
め計測しておいたユーザの全体重の 65%に達したときに踏み出しとみなす。
図 14.フォースプレート
19
3.2.1 階段 PCI による評価
GM2 での、空間位置センサを用いての昇り階段(PS 階段)、フォースプレー
トを用いての昇り階段(FS 階段)に実空間での階段(実階段)を加えた 3 パタ
ーンの階段昇段運動に GM2 での平面能動歩行を加え、4 パターンの動作につい
て計測し比較した。被験者は 21~32 歳の健常者成人 9 名(男 8 名、女 1 名:平
均 24.5 歳)である。PS 階段、FS 階段とも階段のサイズは実階段に合わせて、
奥行き 300mm、高さ 160mm とした。また実階段は 12 段昇ると 2 歩分ほどの
踊り場があるので PS 階段 FS 階段では 12 段の階段のあとに 2 段の平面歩行を
設定することで対応した。能動歩行も歩幅を 300mm 固定としてそれ以上の歩
幅では歩行できないアルゴリズムとした。また昇るスピードは1Hz(1 秒に 1
段)とした。
この条件で被験者に 2 分間階段を昇らせその前後の脈拍を計測し、3.1.1 と同
様にエネルギー消費の目安となる PCI を階段 PCI として計測した。ここで昇段
速度とは単位時間あたりの前後方向に進んだ距離とした。
階段 PCI = [階段昇段時心拍数-安静時心拍数]÷昇段速度(bts/m)
図 15 に各パターンの動作の階段 PCI の平均と標準偏差を示す。各動作の平均
値は実階段が 1.09bts/m、PS 階段が 0.84bts/m、FS 階段が 0.9bts/m、能動歩行
が 0.33bts/m であった。図を見ると能動歩行に対し 3 パターン全ての階段で危
険率 1%での有意差が見られ明らかにエネルギー負担が高くなっている。GM2
における能動歩行と PS 階段 FS 階段では仮想の段差すなわち仮想の重心上昇分
のエネルギーが検出された。実階段と PS 階段では 5%ではあるが有意差が見ら
れ PS 階段のほうが階段 PCI が低くなった。PS 階段では階段の踏み出しの検出
がかかとの位置のみで行われるので重心を移動させなくてもかかとだけ上げて
つま先はフットパッドにつけたままの状態で昇段運動が行える。そのようにし
てフットパッドに両足をつけたままで重心を十分移動させずに、フットパッド
に体を押し上げられているように階段運動を行っている被験者が若干見られた。
そのために全体の平均が下がり有意差が見られたと思われる。実階段と FS 階段
では有意差は検出されず被験者の身体に同程度の負担がかかった。FS 階段は
PS 階段と違いフットパッドの荷重を計測して重心が移動しなければ階段を昇る
ことが出来ない。PS 階段のマイナス要因を吸収したアルゴリズムとなり実空間
との違いは検出されなかった。
20
図 15.各階段昇段動作と能動歩行の PCI
21
図 16 は被験者ごとの各階段昇段動作と能動歩行の階段 PCI の値のグラフであ
る。3パターンの階段の昇り方は PS 階段と FS 階段の階段 PCI の大小関係より
大きく 3 つのタイプに分かれる。
ア)PS 階段>FS 階段(被験者 C、I、J)
PS 階段でフットパッドから足全体を上げて昇る。ただしかかとの位置の閾値
を意識して通常の階段より大きな動作で昇っているために階段 PCI が高くなっ
ている。FS 階段では大きい動作をする必要がないためと、サンダルにセンサが
取り付けられていないので昇りやすくなり階段 PCI は下がる。
イ)PS 階段<FS 階段(被験者 D、E、G)
PS 階段でつま先をつけたままでかかとだけフットパッドから上げて昇る。足
がフットパッドについたままであるので、重心が十分移動されておらずフット
パッドが足を押し上げるような形で昇段動作を行う。結果として昇段動作をフ
ットパッドがサポートして階段 PCI が下がった。FS 階段では踏み出し足に荷重
をかけて重心を移動させなくてはならないため、足全体を上げて昇るようにな
り階段 PCI は上がる。
ウ)PS 階段≒FS 階段(被験者 A、F、H)
どちらの動作でも歩容が変わらず、階段 PCI も変わらない。
PS 階段は FS 階段、実階段に比べて個人差が大きかった。これはア)~ウ)
のように被験者ごとで歩容に大きく差が出たためである。FS 階段は個人差も実
階段と同程度で有意差も検出されず、エネルギー効率においては実階段とほぼ
同じとみなせる。
22
図 16.被験者別の各階段昇段動作と能動歩行の階段 PCI
23
3.2.2 筋電計測による評価
健常成人男性3名(24~25 歳:平均 24.3 歳)に対し GM2 での、PS 階段 FS
階段と実階段の 3 パターンの階段昇段動作について表面筋電位を計測した。被
験者は 3.2.1 の階段 PCI 計測実験で比較的 GM2 での階段に慣れているパターン
ウ)
(PS 階段での PCI≒FS 階段での PCI)の被験者を選んだ。筋電計測には日
本光電社の筋電計 MEG-6108 を用いた。計測した筋肉は被験者のきき足の大殿
筋、中殿筋、ハムストリングス、外側広筋、腓腹筋、前徑骨筋である。各筋の
位置とはたらきは表 1 の通りである。特に大殿筋と中殿筋は起立姿勢の保持、
歩行、階段運動時に重要なはたらきをする筋肉でとともに骨盤の姿勢コントロ
ールをつかさどる。
名称
位置
はたらき
大殿筋
臀部
中殿筋
臀部上部
大腿の外転、股関節の内旋、外旋
外側広筋
膝の外側
膝の伸展
ハムストリングス
大腿後面
膝の屈曲
腓腹筋
ふくらはぎ部
足の底屈(かかとを上げる)
前徑骨筋
脛部
足の背屈(つま先を上げる)
股関節の伸展、外旋
表 1.各筋肉の位置とはたらき
股関節の屈曲
股関節の伸展
外転
内転
内旋
外旋
図 17.股関節の動き
24
図 18.下肢の筋肉の位置
25
階段の昇段は、主として大腿直筋と外側広筋、下腿三頭筋(腓腹筋など下腿
後面の筋肉)の収縮によって、身体を引き上げ、また押し上げる動作である。
図 19 に階段を昇るときの下肢運動のスティックピクチャーを、図 20 に下肢の
筋電図パターンを示す。右足底が踏み板1に接地するとき股関節と膝関節は屈
曲位、足関節は底屈位になっている。立脚中期に移行するにつれて、股関節と
膝関節は伸展し、足関節はわずかに背屈する。中殿筋は体を引き上げる際に最
大活動を示し、身体を支持脚に引き寄せる働きをする。それと同時に股関節が
伸展し大殿筋が活動を示す。外側広筋などの膝伸筋は足底接地から遊脚中期ま
で活動し膝関節を伸展している。立脚相後半の膝伸筋の活動は姿勢の保持が主
な役割である。足関節は背屈したままで足底屈筋により運動が調節されている。
対側肢が遊脚中期になるころ、前上方への身体の移動は終わり、前方移動だけ
が起こる。立脚中期から足指離地にかけて、股関節と膝関節の伸展および足関
節の底屈がつづく。この時期には重心線が足部前方に移る。遊脚相における下
肢の運動は足を上段の踏み板に運ぶだけでなく、足部が中間の踏み板をクリア
する目的も果たしている。遊脚相の下肢が前上方に移動するのは、股関節の屈
曲と対側支持脚が身体を前上方へ動かす運動によってである。はじめに足指離
地が前徑骨筋の活動によって起こり、続いて膝関節の屈曲によって下腿は上後
方に引き上げられる。腓腹筋は足指離地の前に踏み板を蹴る動作を行う。足指
離地の直前にはハムストリングスが活動して膝関節は屈曲を始める。遊脚中期
以降に膝関節は最大屈曲位になり再びハムストリングが活動を示す。足指離地
の直前に始まった前徑骨筋の活動は、遊脚中期まで続く。遊脚中期から踏み板 3
に足底接地するまで、股関節と膝関節は最大屈曲位から伸展運動へと切り替わ
る。足関節は最大背屈位から底屈運動を開始する。遊脚中期から足底接地まで
は筋活動は少ない。[16]
図 19.階段昇段時のスティックピクチャー
26
図 20.階段昇段時の右側下肢筋の筋電図パターン
右足底接地から始まり、次の右足底接地で終わっている。
(n=8 の平均値)
LTO:左足指離地、LFC:左足底接地、RTO:右足指離地
27
図 21 は被験者 3 名のうち代表的な 1 名の 3 種類の階段昇段動作時の諸筋の筋
電位の活動量を積分した値を表示したグラフである(n=5 の平均値)。前徑骨筋
は GM2 での階段の場合ストッパーのついたサンダルを履いて昇らなければな
らず常につま先が下がらないように緊張している。その他の筋肉は実階段に比
べ PS 階段 FS 階段ともに活動が低くなっている。GM2 の階段では踏み出した
足のフットパッドが降りてくることにより階段を無限に昇りつづけられる。つ
まり連続して昇っていると踏み出した足が接地してすぐにフットパッドが降下
するようになるので能動的に筋肉を動かさなくても下肢の状態が自然と次の段
階の姿勢に移行する。これは階段を昇ろうとするとフットパッドが自動で降り
てくるので、踏み込んで身体を引き上げる感覚を感じられないという GM2 での
階段アルゴリズムの問題点である。
また筋電位の生じるタイミングが実空間に比べてややずれている。これもフ
ットパッドの引き戻し動作が下肢の運動のタイミングを乱している可能性があ
る。
PS 階段と FS 階段を比較すると FS 階段の方が PS 階段より実階段に近い筋
活動になっている(活動が大きくなっている)
、特に腓腹筋の活動が大きくなっ
ており PS 階段に比べて FS 階段の方が蹴り出し動作が出ている。位置で踏み出
しを検出するよりも荷重で検出した方が実階段に近い筋肉の状態を作り出して
いることがわかった。
実階段
PS 階段
図 21.各階段昇段時の下肢の筋電位
FS 階段
28
3.2.3 階段昇段運動評価結果
階段 PCI 計測実験では、能動歩行に対し 3 パターン全ての階段で危険率 1%
での有意差が見られ GM2 による PS 階段、FS 階段での仮想の段差上昇分のエ
ネルギーが検出された。エネルギー消費は実階段、FS 階段、PS 階段の順で下
がっており、筋電位の活動の大きさの順と一致する。また PS 階段、FS 階段で
はフットパッドの引き戻し動作が各筋肉の能動的な活動をサポートして筋活動
が緩やかになっていることが分かった。このことからも GM2 による2種類の階
段の PCI が実階段に比べて下がっているのが裏付けられる。そして階段 PCI、
筋電位の計測から FS 階段の方が PS 階段より実階段に近いことが分かった。PS
階段ではかかとの位置で踏み出しを検出するが、階段の昇り方には個人差があ
り、かつ身体の大きさにも個人差があるのでタイミングがずれやすく、階段を
自然に昇るというよりは GM2 の動きに合わせて昇るような昇り方になってし
まう。これに対し FS 階段は荷重の変化で踏み出しを検出しているので個人差が
出にくい。階段 PCI の結果でも PS 階段は個人差が大きく、FS 階段では実階段
と同程度の個人差しか出なかった。
階段 PCI 計測でも筋電計測でもフットパッドの引き戻し動作の影響が見られ
たが GM2 での階段の場合どこかのタイミングでフットパッドを引き戻さねば
ならずそのタイミングが早いと引き上げる感覚がなくなり、遅らせると昇るリ
ズムが崩れてしまう。フットパッドの引き戻しで足の動きは理論上実階段と同
じものにできるが、実階段では常に各筋肉がはたらいており両足が止まってい
る瞬間はないので引き戻しをする以上全く同じ筋肉の状態(身体の状態)を作
ることは不可能である。しかし階段 PCI 計測の結果でも FS 階段と実階段で有
意差は検出されず、筋電計測でも目立った筋活動のパターンの違いは見られな
かったので十分近い状態を作り出せたといえる。
29
第 4 章 GaitMaster2 を用いた歩行リハビリテーション
4.1GM2 を用いた歩行リハビリ
3.1 で評価を行った平面受動歩行を用いて GM2 による歩行リハビリ実験を行
った。
GM2 を用いた歩行リハビリは、GM2 に健常人の歩行軌道を記憶させ、装置に
乗っている患者の意思とは無関係に歩行動作を模擬する(受動的歩行)。患者は
自動で歩行を行っている GM2 にただ乗っている状態で健常人の歩行動作パター
ンを繰り返し体験し、歩行時の体の動きを学習する。具体的には GM2 の左右の
フットパッドがあらかじめ決められた健常人の歩行軌道を辿る。患者は自動で
歩行を行っている GM2 にただ乗っている状態でフットパッドの床反力により
歩行動作を繰り返し体験し、歩行時の体の動きを学習する。歩行の歩幅、高さ、
歩行周期は任意に設定できる。(図 22)
図 22.GM2 による歩行リハビリのしくみ
30
4.2 症例1
4.2.1 症例1実験概要
脳卒中後片麻痺患者の歩行障害に対して、GM2 を用いた歩行リハビリを行っ
た。症例は、57 歳の女性で、7 年前に脳梗塞を発症。障害名は左片麻痺(左半
身麻痺)で、左足に両側支柱付靴型短下肢装具を装着、T 字杖使用で時間は要す
るが歩行は自立していた。杖、右足、左足の順で1肢ずつ動かす3点歩行で、
非麻痺側先行後ろ型歩行、引きずり歩行である。
(図 23)症例の通常歩行時の歩
行速度は 6.5m/minute、歩行周期は 1.3Hz である。患者はデイサービス、ホーム
ヘルパーを利用していたが、歩行障害に対する積極的なリハビリテーションは
行っていなかった。
図 23.症例 1 歩行の様子
31
本症例に対して一週間に一度の頻度で GM2 による歩行リハビリを行った。歩
行リハビリの方法は、まず室内のまっすぐな廊下を 3 分間歩行して、歩行距離
を測定し、歩行速度や歩幅などを計測する。3 分間歩行前後の脈拍と血圧も測定
する。次に GM2 に乗り、先ほど計測した速度の 2 倍の速度を目安に、患者の様
子を見ながら、歩行リハビリを行う歩行軌道の歩幅、歩行周期等を決定する。5
分以上の休憩をはさんで決定した歩行条件で、GM2 による 15 分間の歩行リハビ
リを行う。また 5 分以上の休憩をはさんで再度 15 分間の歩行リハビリを行う。
最後に 5 分以上の休憩をとって初めの計測と同様、同じ廊下を 3 分間歩行して、
歩行距離を測定し、歩行速度や歩幅などを計測する。3 分間歩行前後の脈拍と血
圧も測定する。(図 24)
このときリハビリに用いた歩行の軌跡は、健常者のトレッドミル上での歩行動
作の軌跡データを元にしたものである。
歩行リハビリは全部で 15 回、すなわち 15 週(約 4 ヶ月間)行った。そのうち
前述した方法で歩行リハビリを行ったのは後半の 5 回で、前半 10 回は装置の改
良や歩行リハビリ方法の模索に費やした。前述のリハビリ方法での、1 回でのリ
ハビリ(15 分×2 回)前と後での変化を「即時変化」
、15 週(15 回)を通して
の変化を「長期変化」と定義する。歩行リハビリ時には理学療法士が付き添い、
GM2 への乗降の介助ならびに歩行リハビリ中のアドバイスを行った。最終的に
用いた歩行リハビリの歩行設定は、歩行速度 20m/minute、歩行周期は 1.1Hz で
あった。
図 24.症例 1 GM2 による歩行リハビリの手順
32
歩行リハビリ用に改良した装置の外観を図 25 に示す。装置には安全のためセ
ーフティフレームを設置し、症例はフレームにつかまって訓練を行う。フレー
ムには、装置への乗降が行いやすいように奥行きの広い階段状の踏み台を取り
付け、また緊急時に症例の体幹を支えるセーフティベルトを取り付けた。フッ
トパッド(320mm×660mm)には、スノーボードで用いられるビンディングを取り
付け、症例の足部がフットパッドに固定されるようにした。
なお GM2 による歩行リハビリの試みに関して、症例と家族に十分に説明を行
い、書面で同意を得て実施した。
図 25.リハビリ時の症例 1
33
4.2.2 症例1歩行リハビリ結果
A)歩幅、歩行速度の変化
後半 5 回の歩行リハビリ前後の、3 分間歩行による歩行速度、歩幅の比較を図
26、図 27 に示す。横軸が時系列で、縦軸が計測値である。どちらも 5 回全て歩
行リハビリ後に計測した値の方が、歩行リハビリ前よりも上回っており、歩行
リハビリの即時的な効果が表れているといえる。
症例からのコメントとして、歩行リハビリの直後は麻痺側下肢が軽くなる気が
し、翌日まで持続効果があるとのことであった。一方 5 回の歩行リハビリを通
しては緩やかに歩行速度、歩幅は改善しているようにも見えるが、著しい変化
は見られなかった。これより長期的効果に乏しいが、短期的、即時的には GM2
での受動歩行の感覚が残存し、歩行速度、歩幅の向上につながると考えられる。
図 26.症例 1 歩行速度の推移
図 27.症例 1 歩幅の推移
34
B)ビデオ解析
次に歩行リハビリのビデオ解析を行った。15 回の歩行の様子を全て撮影した。
実空間での歩行は、当初は非麻痺側下肢に常に重心をかけて、全体的に麻痺側
下肢の関節運動は少なく、棒を引きずっているようであった。ところが、10 回
目から引きずっていた麻痺側の足底がやや床から離れるようになった(ひきず
り軽減)。さらに徐々に踵や足底全体を上げて歩けるようになった。図 28 は 12
週目のリハビリ前後の歩行時(左足遊脚、前進時)の様子である。麻痺側である左
足が床から上げて歩行できるようになり即時効果が観測された。長期効果とし
ては、常に麻痺足が非麻痺足より前の位置に出ることのない、非麻痺側先行後
ろ型の歩行パターンであったが、麻痺側の足も前に出る前型になった。さらに
歩行時重心が常に非麻痺側に位置していたが中央に移動し重心を麻痺側にもか
ける動作が観察された。
GM2での歩行リハビリ時の様子は、開始当初は症例の恐怖心もあり、麻痺側
股・膝関節が全く曲がらず、重心が常に非麻痺側に位置していたが、次第に GM2
の動きに合わせて自発的に麻痺側股・膝関節を曲げられるようになってきた。
歩行リハビリの際、理学療法士は主として麻痺側に重心をかけるようにアドバ
イスを行った。14 回目以降、症例は GM2 の動きに合わせて踵を上げるように試
みたとコメントしている。
歩行リハビリ前
歩行リハビリ後
図 28.症例 1 即時効果
35
C)筋電位計測
症例の歩行時の筋活動を計測するため表面筋電位を計測した。計測には日本光
電社の筋電計 MEG-6108 を用いた。計測した筋肉は、両側中殿筋、ハムストリ
ング、内側広筋、腓腹筋である。
各筋肉の働きについて説明する。中殿筋は臀部の筋肉で股関節の回旋、屈曲時
に働き、歩行時では起立姿勢の保持を行う。ハムストリングは大腿後面の筋肉
で、大腿の伸展や下腿の屈曲を行い、歩行時では主に遊脚相から立脚相への変
換期に遊脚相での下肢の振り子運動を減速して運動の向きを変える。内側広筋
は膝の伸展筋で、主に足を着地したときの衝撃吸収時に働く。腓腹筋は下腿屈
曲、足の底屈時に働き、歩行時は踵を蹴り上げて推力を得るために働く。[16][17]
以上の4筋から、変化が顕著に見られたものを紹介する。図 29 は継続的な歩
行リハビリを行う前(第 3 週目)と後(第 15 週目)に計測した、実空間での歩
行時の内側広筋の筋電位図である。歩行リハビリを行う前は麻痺側下肢の筋活
動がほとんど認められなかったが、歩行リハビリ後は筋活動が認められるよう
になった。内側広筋は衝撃吸収時に働く筋肉であり、踵が上がるようになって
衝撃が大きくなり、活発に働くようになったと考えられる。これは長期的変化
であるが、次に即時変化として一日での歩行リハビリ前と歩行リハビリ後の変
化を比較した。図 30 は歩行リハビリ 15 回目の 15 分×2 回の歩行リハビリ前後
のハムストリングの筋電位図である。麻痺側の筋電活動が歩行リハビリ前に比
べて活発になっている。ハムストリングスは遊脚相での下腿の振り子運動を制
御する筋肉であり、歩行リハビリを行うことで、足を振り上げて歩行できるよ
うになったと推測できる。
36
図 29.内側広筋の長期変化
図 30.ハムストリングスの即時変化
37
4.2.3 症例1結論
歩行速度と歩幅は、計測を行った 5 回を通しての向上は乏しく、持続性は
認められなかった。しかし、5 回全てにおいて、歩行リハビリの前後では向上し
ており、即時効果が見られた。この原因は週 1 回という訓練の間隔が広すぎた
ことが考えられる。症例自身も訓練をした当日と次の日は足が軽くなるがその
後は元に戻ってしまう気がするとコメントしている。しかし、ビデオ解析や筋
電図解析を行うと長期的変化が生じており、週 1 回でも緩やかに効果が出てい
ると言える。ビデオ解析では当初は引きずっていた麻痺側の足底が徐々に上が
るようになったことが観察された。これに対して症例は GM2 上での受動的な歩
行の感覚を思い出しながら踵を上げて歩くようにしたと言っている。筋電位計
測の結果もこのような傾向を反映したものと言える。
また通常歩行時に、以前に比べて重心を麻痺側にかけられるようになったこと
により、重心の左右の移動がスムーズになりバランスをとれるようになってき
たと考えられる。実際に症例の生活においても、着替えを一人でたんすから出
せるようになった、健常者用のトイレを使用できるようになった、と症例から
報告があった。GM2 を用いたリハビリによって、今まで行わなかった動作を行
おうとする発動性が出現し、実際にバランスをとらなければ難しい動作が行え
るようになり、患者の QOL(Quality Of Life)が向上した。
全体を通しての症例の感想は、「初めは怖かったけれど慣れて自発的に足を動
かすようにしてからはけっこう楽しかった。GM2 での訓練時に意識して足を蹴
って歩くと楽に歩け、健康だったときみたいで、当時の感覚を思い出せた気が
する。」というものであった。
なお、今回の 15 週間の介入期間中ならびに現在までに、障害の増悪や歩行リハ
ビリを中止せざるを得ないような医学的所見は認められなかった。
38
4.3 症例 2
4.3.1 症例 2 実験概要
症例1の結果を踏まえて、歩行リハビリの頻度を増やして症例1と同じく脳
卒中後左片麻痺患者である症例2の歩行障害に対して、GM2 を用いた歩行リハ
ビリを行った。症例 2 は、54 歳の女性で、2001 年 5 月 18 日に脳梗塞(右内頸
動脈閉塞)を発症し入院。入院中の 7 月 18 日と 8 月 26 日に心筋梗塞を併発し
た。11 月 6 日に車椅子レベルで自宅退院した。その後、外来通院にてリハビリ
テーションを継続し、次の状態にまで回復、維持されていた。障害名は左片麻
痺(左半身麻痺)、左同名半盲(視野異常)で、左足にプラスチック式短下肢装
具を装着、T 字杖使用で時間は要するが歩行は自立していた。杖、左足、右足の
順で1肢ずつ動かす3点歩行で、麻痺側先行後ろ型からそろえ型歩行、分回し
歩行である。
(図 31)患者は通院リハビリテーションのみを利用しており、週3
回病院にて上肢と下肢両方の理学療法を受けていた。病院での理学療法は GM2
での歩行リハビリ中も継続された。GM2 を用いた歩行リハビリ開始時の歩行は、
いわゆるプラトー(停滞)と考えられた。
この症例2に対して週3回の頻度で一ヶ月間、12 回にわたり GM2 による歩行
リハビリを行った。リハビリの方法は以下のとおりである。始めにまっすぐな
廊下を歩行して計測をしてから休憩をはさんで2回 GM2 による歩行リハビリを
行い、その後再度廊下で同様の計測を行う。計測はまず杖をついての歩行で3
分間歩行し計測を行い、その後、杖なしでの歩行(独歩)も数mは可能であっ
たため、独歩の様子をビデオ撮影した。歩行リハビリの条件設定はリハビリを
しながら調節をすることとした。また歩行リハビリの時間は初め 15 分×2 回を
1セットとしていたが患者の希望や状態を見て、4 回目以降 12 分×2 回を1セ
ットとした。
(図 32)歩行リハビリ時は理学療法士が付き添い患者の補助や訓練
の指導を行った。なお、患者の下肢装具は外して計測を行うこととし、GM2 で
の訓練時も 2 回目以降外して訓練を行った。
39
図 31.症例 2 歩行の様子
図 32.症例 2 GM2 歩行リハビリの手順
40
4.3.2 症例 2 歩行リハビリ時の推移
歩行リハビリの GM2 の歩行条件やその他の条件の移り変わりを下の表 2 に示
した。初めは歩幅 320mm、歩行周期 1.47Hz で歩行速度は 28.3m/min であったが、
負荷が大きすぎるとして歩幅を 320mm にし、15 分の訓練を 12 分に変更した。
その後症例が自分で姿勢の修正をできるように訓練時の症例の姿をカメラで撮
影しモニタに映し、症例自身が確認できるようにした。
(図 33)訓練時、症例は
麻痺側である左半身に重心を移すことが出来ず、重心が右側に傾きがちであっ
たため、それを防ぐために右側から腰の位置を抑える支え棒を9回目以降設置
した。症例の身体的負荷は、歩行リハビリ時は健側の右側に重心をかけている
ため右足が痛くなるがその後は麻痺側の足が筋肉痛になる、しかし翌日までは
ほとんど残らない、という程度であった。
設定条件
1回目
歩幅:320mm
高さ:30mm
歩行周期:1.47Hz
歩行速度:28.3m/min
2回目
歩幅:320→300mm
歩行速度:26.3m/min
・ 自分の映像を見せるために
モニタを設置
・ 下肢装具をつけないで訓練
を行うことに変更
3回目
・15 分×2 回の訓練を 12 分×
2回に変更
5回目
・病院でマッサージ等を受けて
から訓練を行うことに変更
9回目
・腰の位置を抑えるために支え
棒を設置
表 2.症例2の歩行リハビリの変遷
41
図 33.症例 2 GM2 歩行リハビリの様子
42
4.3.3 症例2歩行リハビリ結果
A)数値データの変化
GM2による 12 回の歩行リハビリを行う前に、病院での理学療法士による歩
行リハビリ前後の歩行速度、歩幅、脈拍等を計測し比較した。計測は約3週間
の間隔を置いて2回行った。ただし下肢装具を装着した状態で計測した。表 3、
表 4 に結果を示す。表 3 は即時効果についての表で1回の歩行リハビリの前後
で計測した値をt検定にかけた結果を示したものである。表 4 は長期効果の表
で 12 回での試行をリハビリ初期、中期、後期と分けて検定をかけた結果である。
(*:p<0.05、*:p<0.01)表1で GM2 での歩行リハビリの杖あり歩行時の
歩幅の記録がp<0.01 で有意差が見られ、即時効果が現れているがその他の計測
について有意差は出ていない。
図 34~図 36 は歩行速度、歩幅、歩行周期について全 12 回の値の推移と3期
に分けた値の平均値と標準偏差のグラフである。歩行速度について病院での計
測では即時効果も長期効果も現れていないが GM2 による歩行リハビリでは、杖
あり歩行でリハ前の歩行速度が緩やかに上昇している。独歩計測時では平均を
見ると即時効果も長期効果も緩やかではあるが現れている。なお病院で計測し
た歩行速度の方が水準が高くなっているのは、下肢装具をつけた状態で計測し
たためである。歩行速度は歩幅と歩行周期によるが個別のグラフを見ると杖あ
り歩行では歩幅、歩行周期ともに伸びているが独歩では歩幅の上昇は見られた
が歩行周期はあまり伸びておらず、歩幅の上昇が歩行速度の上昇につながった。
病院(試行 2 回)
GM2(試行 12 回)
杖あり歩行
杖あり歩行
独歩
歩行速度
―
―
―
歩幅
―
**
―
歩行周期
―
―
―
安静時脈拍
―
―
表 3.症例 2 即時効果
病院(試行 2 回)
GM2(試行 12 回)
杖あり歩行
杖あり歩行
独歩
歩行速度
―
―
―
歩幅
―
―
―
歩行周期
―
―
―
安静時脈拍
―
―
表 4.症例 2 長期効果
43
[m/min]
リハビリ前
19
18
17
16
15
14
13
12
8月29日
9月5日
リハビリ後
9月12日
9月19日
病院
19
18
17
16
15
14
13
12
11月29日
リハビリ前
リハビリ後
[m/min]
[m/min]
リハビリ前
12月13日
リハビリ後
19
18
17
16
15
14
13
12
初期
12月27日
中期
後期
GM2(杖あり歩行)
リハビリ後
16
14
14
12
12
[m/min]
[m/min]
リハビリ前
16
10
8
6
11月29日
リハビリ前
リハビリ後
10
8
6
12月13日
12月27日
初期
中期
後期
GM2(独歩)
図 34.症例 2 歩行速度の推移
44
リハビリ前
リハビリ後
340
[mm]
320
300
280
260
240
8月29日
9月5日
9月12日
9月19日
病院
リハビリ前
リハビリ後
340
320
320
300
300
[mm]
[mm]
リハビリ前
340
280
260
240
11月29日
リハビリ後
280
260
12月13日
240
12月27日
初期
中期
後期
GM2(杖あり歩行)
リハビリ後
[mm]
[mm]
リハビリ前
240
220
200
180
160
140
120
100
11月29日
12月13日
240
220
200
180
160
140
120
100
12月27日
リハビリ前
初期
中期
リハビリ後
後期
GM2(独歩)
図 35.症例 2 歩幅の推移
45
リハビリ前
1
リハビリ後
0.95
[Hz]
0.9
0.85
0.8
0.75
0.7
8/29
9/5
9/12
9/19
病院
リハビリ前
リハビリ後
1
1
0.95
0.95
0.9
0.9
[Hz]
[Hz]
リハビリ前
0.85
0.85
0.8
0.8
0.75
0.75
0.7
11月29日
リハビリ後
0.7
12月13日
12月27日
初期
中期
後期
GM2(杖あり)
リハビリ前
リハビリ後
1.1
1.1
1
1
0.9
0.9
0.8
0.8
0.7
0.7
0.6
11月29日
リハビリ後
1.2
[Hz]
[Hz]
1.2
リハビリ前
0.6
12月13日
12月27日
初期
中期
後期
GM2(独歩)
図 36.症例 2 歩行周期の推移
46
B)筋電位計測
症例の歩行時の筋活動を表面筋電位で計測した。計測した筋肉は症例1と同
じく両側中殿筋、ハムストリング、内側広筋、腓腹筋である。以上の 4 筋から
変化の顕著に表れたものを紹介する。
図 37 は歩行リハビリ初期 4 回目とリハビリ後期 12 回目に計測した独歩時の
麻痺側のハムストリングスの筋電位ある。初期に比べて後期の方が筋活動が大
きくなっている。これは杖あり歩行でも同様の結果が得られた。ハムストリン
グスは主に歩行時振り出した足の振り子運動を制御する筋であるので麻痺側の
足を振り上げて、かつ振り上げた足をコントロールして歩けるようになったと
言える。
また図 38 はリハビリ後期 12 回目のリハビリ前後の杖あり歩行時の麻痺側の
内側広筋の筋電位、図 39 はリハビリ初期4回目とリハビリ後期 12 回目の杖あ
り歩行時の麻痺側の内側広筋の筋電位である。図 38 図 39 ともに筋活動が大き
くなっており、即時変化が長期変化として定着していることが分かる。この傾
向は独歩時では 12 回目の歩行リハビリの即時効果として観測されたが長期効果
は特には観測されなかった。内側広筋は歩行運動では遊脚着地時に衝撃吸収の
ためにはたらく。麻痺側の足の振り出しが大きくなって着地時の衝撃が大きく
なったのではないかと考えられる。
図 37.症例2麻痺側ハムストリングスの長期効果(独歩時)
47
図 38.症例2麻痺側内側広筋の即時効果(杖あり歩行時)
図 39.症例2麻痺側内側広筋の長期効果(杖あり歩行時)
48
C)ビデオ解析
12 回の歩行リハビリ全てで撮影したビデオの解析を行った。杖ありの歩行で
は、初め常に重心が健側である右側にあり麻痺側である左足に体重をかけるこ
とが出来ず杖に頼っていたが、歩行リハビリ6回目から徐々に麻痺側に荷重を
かけて歩けるようになってきた。図 40 はリハビリ初期 4 回目の杖あり歩行時の
映像(左)とリハビリ後期 12 回目の杖あり歩行時の映像(右)である。画像は
どちらも右足を振り出して着地するまでに左足に最大に荷重がかかった瞬間の
ものである。初期では左足に体重が完全に乗らず杖に体重を逃がしており、体
幹が右側に斜めに傾いているが、後期の映像ではそれがなくなり左足に体重を
かけられていることが分かる。また麻痺側の膝が着地した後に跳ね返ったよう
に急激に伸びきってしまう「ロッキング現象」が 4 週目以降徐々に減少して最
終的には健常人の歩行の特徴である、歩行時に自然に膝が曲がる二重膝作用
(double-knee-action)が出現した。
また独歩時ははじめ数 m しか歩けずにすぐに壁に手をついていたが最終的に
は 10m以上歩けるようになった。
歩行リハビリ初期(4 回目)
歩行リハビリ後期(12 回目)
図 40.症例 2 歩容の変化(麻痺足への荷重増大)
49
D)生活での変化
12 回のリハビリが終わったところで症例に普段の生活での変化を尋ねてみた。
その結果を以下に箇条書きにする。
・ 独歩で歩けるようになった→以前は病院で何回か試してみたがうまく歩け
ずすぐにやめていた。
・ 起立姿勢で杖などの支持なしに台所仕事ができるようになった→以前は杖
などにつかまりながら作業をしていた。
・ 安静時の脈拍が下がった。
・ 睡眠が良好になった。寝つき、寝起きが良くなった。
・ 歩くことに対して自信がついた。→麻痺側の足に体重をかけられるようにな
った。
・ 自宅で独歩の練習を始めた→以前は全く行っていなかったが GM2 でのリハ
ビリを始めてから自信がついてやる気になった。
身体的な効果と心理的な効果の両方が表れていることが分かる。特に心理的
に自信がついたことが大きく歩行に影響しており、それによりまた身体的な効
果も現れていると考えられる。また起立姿勢のまま作業ができるようになった
りするなど症例 1 と共通した効果も現れている。脈拍が下がったというコメン
トについては数値データが残っておらず、歩行リハビリ中に計測したデータに
ついても有意差は見られなかったが、睡眠が良好になった、などのコメントと
合わせても、GM2 での歩行の有酸素運動としての効果ではないかと考えられる。
GM2 により定期的な運動を体験できたことになる。
50
4.3.4 症例 2 結論
歩行速度、歩幅、歩行周期といった数値データでは、GM2 の歩行リハビリ
で杖あり歩行での歩幅の計測でのみ即時効果があると統計的に観測された。し
かしその他の指標でも統計的な結果は得られなかったものの、グラフを見ると
即時効果、長期効果が緩やかではあるが表れていた。そしてこれらの効果は病
院で行った歩行リハビリでは得られなかった結果である。また GM2 による歩行
リハビリを初めた当初は、GM2 に乗った後は足が軽くなるが次の日にはその感
覚は消えてしまうとのことであったが、最後にはその感覚が長続きし定着しつ
つあるとコメントしており、週 3 回という訓練の間隔が効果のあるものであっ
たと思われる。そして筋電計測やビデオ解析からも初めは即時的なものであっ
た効果が最後には定着して長期効果となって表れている。その効果は、歩行時
に麻痺側に体重をかけられるようになった、麻痺側の足を振り出して歩けるよ
うになったというものであったが、そのような局所的な効果は全体に下肢の機
能が向上したことからくるのではないかと考えられる。数値的なデータが全体
に伸びているのに加えて、独歩での距離が伸びた、立ち仕事ができるようにな
った、という以前は難しかった動作を行えるようになったことからも考察され
る。そして心理的な効果もこれらの身体的な効果を支えている。GM2 での歩行
リハビリを体験して歩行に対して自信がつき歩行フォームが改善することがで
きたともコメントしている。これについて GM2 で健常人の歩行を体験すること
で自らが歩いているように錯覚を起こし症例を歩ける気にさせた、または健常
者だった頃の歩行の感覚を思い出させて自信につながったのではないかと推測
する。そして GM2 による歩行リハビリは症例にとっては負荷のかかる「運動」
であり定期的な有酸素運動である。睡眠が良好になったことからも単純に有酸
素運動としての効果が推測される。定期的な運動を行うことで体力も向上し精
神的な自信とあいまってこのような効果がでたのではないかと推測する。
その他には自宅で自主的に独歩の練習を始めたりするなどの発動性が表れた。
なお、今回の 12 回の介入期間中ならびに現在までに、障害の増悪や歩行リハビ
リを中止せざるを得ないような医学的所見は認められなかった。
51
4.3 症例 3
4.3.1 症例 3 実験概要
症例2と同時期に頸椎症性脊髄症による四肢不全麻痺に脳卒中後右片麻痺を
合併した症例の歩行障害に対して、GM2 を用いた歩行リハビリを行った。症例
3 は、76 歳の男性で、
昭和 45 年に頸椎症性脊髄症による四肢不全麻痺を発症し、
平成 6 年 5 月 6 日に脳梗塞を発症したため、右側に強い四肢不全麻痺に対して
外来通院にてリハビリテーションを継続中である。障害名は四肢不全麻痺(右
側に強い)で、シルバーカーを使用で時間は要するが歩行は自立していた。痙
性歩行が著明であり、軽度分回し歩行である。また、体幹・骨盤の回旋運動も
少ない。患者は通院リハビリテーションのみを利用しており、GM2 を用いた歩
行リハビリ開始時の歩行は、いわゆるプラトー(停滞)と考えられた。週5回
病院にて下肢の理学療法を受けており、GM2 での歩行リハビリ中も継続された。
この症例 3 に対して週3回の頻度で一ヶ月間、12 回にわたり GM2 による歩
行リハビリを行った。リハビリの方法は図 41 のとおりである。始めにまっすぐ
な廊下を歩行して計測をしてから休憩をはさんで2回 GM2 による歩行リハビ
リを行い、その後再度廊下で同様の計測を行う。計測は独歩で行った。歩行リ
ハビリの様子は全回ビデオで撮影した。歩行リハビリの条件設定はリハビリを
しながら調節をすることとした。また歩行リハビリの時間は 15 分×2 回を1セ
ットとした。歩行リハビリ時は理学療法士が付き添い患者の補助や訓練の指導
を行った。
図 41.症例3 歩行リハビリの手順
52
4.4.2 症例 3 歩行リハビリ時の推移
歩行リハビリの GM2 の歩行条件やその他の条件の移り変わりを表 5 に示した。
始めはフットパッドに足を固定していたが2回目以降は外して訓練を受けてい
た。歩行条件の設定は歩幅 320mm、歩行周期 1.47Hz で歩行速度は 28.3m/min で
あったが、6回目以降症例が負荷に慣れてしまった様子だったので歩行の高さ
や歩行周期を上げる時間を作って対応した。また症例は当初セーフティフレー
ムにつかまって訓練を受けていたが6回目以降できるだけフレームにつかまら
ずに訓練を行うようにと理学療法士の指導が入った。始めは怖がってほとんど
離せなかったが、9 回目から徐々に両手を離したままで訓練を受けられるように
なった。
設定条件
1 回目
歩幅:320mm
高さ:35mm
歩行周期:1.47Hz
歩行速度:28.3m/min
2回目
・ 自分の映像を見せるために
モニタを設置
・ 足の固定を外した
6 回目
・ 歩行リハビリの後半 3 分だ
け高さを 35mm→50mm に
上げることに変更
・ できるだけフレームにつか
まらないで訓練を行うよう
に変更
10 回目
・歩行リハビリの中で高さを
50mm に上げる設定を3分、歩
行周期を 1.58Hz に上げる設定
を 3 分入れることに変更
表 5.症例 3 歩行リハビリの設定変遷
53
4.4.3 症例 3 歩行リハビリ結果
A)数値データの変化
GM2による 12 回の歩行リハビリを行う前に、病院での理学療法士による歩
行リハビリ前後の歩行速度、歩幅、脈拍等を計測し比較した。計測は約3ヶ月
の間に 6 回行った。下の表に病院での歩行リハビリと GM2 による歩行リハビリ
結果を示す。表 6 は即時効果についての表で1回の歩行リハビリの前後で計測
した値をt検定にかけた結果を示したものである。病院での測定が6回なのに
対して GM2 での測定は 12 回であるので、12 回全てを検定にかけた結果と、比
較のため前半後半の6回ずつに分けて試行数を合わせて検定をかけたものとあ
る。表 7 は長期効果の結果である。(*:p<0.05、**:p<0.01)表 6 で歩行速
度、歩幅ともに病院でも GM2 でも即時効果が現れているが病院での結果は
p<0.05、GM2 では p<0.01 と GM2 での訓練の方が良い結果となった。歩行周
期は病院では有意差は観測されず GM2 では p<0.01 で即時効果が現れた。図 42
~44 は歩行速度、歩幅、歩行周期で計測値の推移と歩行リハビリ前後の値の平
均値と標準偏差を示したグラフである。病院でのリハビリでもおおむね即時効
果が現れているが有意差が出るほどではなかった。安静時の脈拍数は GM2 の前
半では p<0.05 で下がる傾向が見られたが後半ではその傾向がなくなっている。
症例が GM2 の負荷に慣れてしまい効果が薄れてきたと考えられる。病院でのリ
ハビリも脈拍は下がっており即時効果が現れているが有意差は見られなかった。
長期効果は病院でのリハビリも GM2 でのリハビリも目立った効果は得られ
なかった。
病院(試行 6 回)
GM2(全 12 回)
試行 12 回
試行前半 6 回
試行後半 6 回
歩行速度
*
**
**
**
歩幅
*
**
**
**
歩行周期
―
**
**
**
安静時脈拍
―
*
*
―
表 6.症例 3 歩行リハビリ即時効果
病院(試行 6 回) GM2(試行 12 回)
歩行速度
―
―
歩幅
―
―
歩行周期
―
―
安静時脈拍
―
―
表 7.症例 3 歩行リハビリ長期効果
54
[m/min]
リハビリ前
22
20
18
16
14
12
10
8
6
8/23
9/6
リハビリ後
9/20 10/4 10/18 11/1 11/15
病院
[m/min]
リハビリ前
22
20
18
16
14
12
10
8
6
11/29
12/6
リハビリ後
12/13
12/20
12/27
GM2
図 42.症例3歩行速度の推移
55
[mm]
300
280
260
240
220
200
180
160
140
120
100
8/23
リハビリ前
9/6
リハビリ後
9/20 10/4 10/18 11/1 11/15
病院
300
リハビリ前
リハビリ後
[mm]
250
200
150
100
11/29
12/6
12/13
12/20
12/27
図 43.症例3歩幅の推移
56
[Hz]
リハビリ前
リハビリ後
1.6
1.5
1.4
1.3
1.2
1.1
1
0.9
0.8
8/23 9/6 9/20 10/4 10/18 11/1 11/15
病院
[Hz]
リハビリ前
1.6
1.5
1.4
1.3
1.2
1.1
1
0.9
0.8
11/29
12/6
12/13
リハビリ後
12/20
12/27
GM2
図 44.症例3歩行周期の推移
57
B)筋電図解析
症例の歩行時の筋活動を表面筋電位で計測した。計測した筋肉は症例1、症
例2と同じく両側中殿筋、ハムストリング、内側広筋、腓腹筋である。以上の 4
筋から変化の顕著に表れたものを紹介する。
図 45 はリハビリ初期4回目とリハビリ後期 12 回目の右足のハムストリング
スの筋電位である。リハビリ後期の方が筋活動が大きくなっている。ハムスト
リングスは主に歩行時振り出した足の振り子運動を制御する筋であるので足を
振り上げて、かつ振り上げた足をコントロールして歩けるようになったと言え
る。図 46 は歩行リハビリ後期 12 回目のリハビリ前後とに計測した右足の腓腹
筋の筋電位ある。歩行リハビリ前に比べて歩行リハビリ後の活動が大きくなっ
ており即時効果が表れている。この傾向は歩行リハビリ初期 4 回目の計測でも
若干見られたが、長期効果としては観測されなかった。腓腹筋は歩行時推力を
得るための蹴り出しにおいて重要なはたらきをする。リハビリをすることで蹴
り出し動作が行える、または行おうと働いていると考えられる。
図 45.症例 3 ハムストリングスの長期効果
58
図 46.症例 3 腓腹筋の長期効果
59
C)ビデオ解析
12 回の歩行リハビリを撮影したビデオの解析を行った。GM2 による歩行リハ
ビリを始めた当初は右足を床から上げることが出来ずひきずりながら歩いてい
たが徐々に床から持ち上げて擦ることなく歩行できるようになった。
(ひきずり
軽減)図 47 図 48 は初期 2 回目の歩行時と後期 12 回目の歩行の様子である。初
期は歩行周期全般に渡って右足が床についたままであるが後期ではきちんと上
げて歩けるようになっている。
(図 47)またそれとともに右足の痙性歩行(足を
振り出すときに強制的に足先が内側を向いてしまう、筋緊張が異常に高まった
状態)が減少し足を前に向けて歩けるようになった。
(図 48)またリハビリ後期
12 回 目 の 横 か ら の 映 像 で は 、 即 時 効 果 と し て 右 足 の 二 重 膝 作 用
(double-knee-action)が出現した。
初期(2 回目)
後期(12 回目)
図 47.症例 3 長期効果(歩行時の右足ひきずり軽減)
60
初期(2 回目)
後期(12 回目)
図 48.症例 3 長期効果(左足の内反脛性軽減)
61
D)生活での変化
12 回のリハビリが終わったところで症例に普段の生活での変化を尋ねてみた。
その結果を以下に箇条書きにする。
・ 連続した歩行動作を行うのが楽になった→以前は両足がだるくなった。
・ 睡眠が良好になった。寝つき、寝起きが良くなった。
・ 起立姿勢が保持できるようになった→以前は家の中でもすぐに座ってばか
りいたが立ちながらの動作ができるようになった。
・ 腰の力がついた。
・ 一本杖での外出が可能になった。
全体に下肢の機能が向上ししっかりしてきたのではないかと推測される。また
症例2と同じく睡眠が良好になっており GM2 での訓練の有酸素運動としての
効果が考えられる。下肢の機能向上に関しても GM2 での訓練が運動としての役
割を果たしている可能性がある。また GM2 で手を離して訓練を行っていたこと
でバランスを取れるようになってきたのではないかと考えられる。起立姿勢が
保持できるようになった、腰の力がついたという感想につながる。
心理的な効果では一本杖での外出をするようになったり、外出先で杖のみで
用を足せたりするなど、今までは行わなかった、行えなかった動作をするよう
な発動性が見られた。
62
4.4.4 症例3結果
歩行速度、歩幅、歩行周期といった数値データでは、病院での歩行リハビリ
も GM2 での歩行リハビリもほとんどの指標で即時効果が現れたが統計的に検定
にかけると GM2 での歩行リハビリの方が優位であるとの結果が出た。長期効果
については病院でのリハビリも GM2 でも目立った結果は得られなかった。しか
しビデオ解析からは当初歩行時にひきずっていた右足を上げることができるよ
うになった、内反痙性が減少したなどの効果が上げられる。これらは筋電解析
での右足の蹴り出しが出て来た、右足を振り出してコントロールして歩くよう
になった、などの結果と一致する。
GM2 の歩行リハビリに関して症例は、はじめは普段使っていない右足の筋肉
が動かされて筋肉痛が残ったが最後には筋肉痛さえもなくなったとコメントし
ている。このことから症例が GM2 による負荷に慣れ刺激を感じなくなったので
はないかと考えられる。継続的に一定の刺激を与えなければ歩行リハビリの効
果は薄くなる。症例の向上の状態や慣れ具合に応じて負荷を設定し直していく
必要があり、それが不十分だったと考えられる。数値データで長期効果が得ら
れなかったことからも負荷の不足が推測される。
なお今回の 12 回の介入期間中ならびに現在までに、障害の増悪や歩行リハビ
リを中止せざるを得ないような医学的所見は認められなかった。
63
第5章
遠隔リハビリテーションシステムへの展開
5.1 システム構成
歩行感覚呈示装置 GM1 と GM2 を用いて遠隔リハビリテーションシステムを
構築した(図 49)。システムは 50m 離れた別々の部屋に配置した 2 台のGMを
無線LAN(Icom WaveMaster ,11Mbps)で接続し、一方をマスター、他方をスレ
ーブとする。マスター側のユーザは自由に歩行動作を行うことができる。スレ
ーブ側はこの足の位置データをフットパットの目標位置とすることでマスター
側のユーザの足の動きを体感することができる。通信は TCP/IP で、足またはフ
ットパットの位置のデータ 20 バイトを送受信している。このとき2台のGMの
データ通信速度は約 180Hz で、GM1 の動作速度は 30Hz、GM2 の動作速度は
250Hz である。また映像と音声をビデオトランスミッターを介し送受信を行って
いる。
このシステムでマスターを理学療法士、スレーブを患者とすると、理学療法士
が患者の体に乗り移ったかのような感覚で介在し、患者の状態に応じて LI の動
作を操作でき、自分の足の動きを直接患者の足に伝えることが可能となる。
図 49.遠隔リハビリテーションシステム構成図
64
5.2 評価実験
図 50 はGM2 をマスター、GM1 をスレーブとしたときの GM2 ユーザの右足
の位置と GM1 の右足のフットパットの位置の軌跡である。ここでGM1 はGM2
に比べて可動範囲が狭いのでGM2 の足の変位に 0.5 倍したデータを目標値とし
ており、図 50 では GM1 側の位置の座標値を比較しやすいように 2 倍にして表示
している。図を見ると GM2(マスター)ユーザの足の位置と GM1(スレーブ)の
フットパットの位置が一致しており、マスターの動作がスレーブに反映されて
いることが分かる。
またこのとき時間遅れは 40msec ほどであり、ほぼ遅れはないとみなせる。
図 51 は GM1 をマスター、GM2 をスレーブとしたときの GM1 ユーザの右足の位置
と GM2 の右足のフットパットの位置の軌跡である。このときスレーブ側の方が
可動範囲が広いので、マスターの足の変位を、倍率を変換せずフットパットの
目標値としている。立脚の状態(Z=365mm)でマスターとスレーブの上下位置が
ずれているのは、マスターの位置データが GM1 の磁気センサーの誤差により、
スレーブの GM2 の可動範囲を超えてしまったためである。遊脚(Z=365mm
以上)ではスレーブ側のフットパットの位置がマスターの足の位置と一致して
いることが分かる。
なお GM2 は足の高さに閾値を設けその高さに達しないと歩くことができないア
ルゴリズムであるために GM2 がマスターである場合(図 50)は GM1 がマスター
である場合(図 51)に比べ足の位置が高くなる。
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図 50. GM1(マスター)と GM2(スレーブ)の右足の軌跡
図 51. GM1(スレーブ)と GM2(マスター)の右足の軌跡
66
第6章
考察
本研究では歩行感覚呈示装置を歩行のリハビリ装置として応用して歩行リハ
ビリ実験を 3 例の症例に対して行いその効果を検証した。症例 1 は 15 週間、お
よそ4ヶ月にわたり歩行リハビリを行ったが、間隔が週 1 回と広かったため、
即時効果はみられたものの長期的な変化は緩やかであった。また 15 週間のうち
10 週間は負荷設定などの歩行リハビリの条件設定や方法手順の模索に費やし適
性と思われる条件設定で歩行リハビリを行えたのは後半の 5 週間だけであった。
そして症例 1 の結果を踏まえて症例 2、症例 3 について、頻度を増やして週3回
の訓練とし1ヶ月間 12 回にわたり歩行リハビリを行った。また GM2 での歩行
リハビリを行う前に、数回病院で理学療法士による通常の歩行リハビリ時の計
測を行いその効果を比較した。症例2については病院での歩行リハビリ時には
あらわれなかった、歩行速度、歩幅などの数値データや歩容に関しての長期効
果があらわれた。症例3については病院でも GM2でも歩行速度など数値デー
タの即時効果が認められたが統計処理の結果 GM2 での訓練の方が優位であっ
た。長期効果に関しては数値データでは病院でも GM2 でも認められなかったが
歩容について病院での歩行リハビリ時にはあらわれなかった長期効果が GM2
での訓練では認められた。
各症例とも GM2 での歩行リハビリを始めたときには、すでに障害の原因とな
った病気を発症してから数年が経っており歩行状態はプラトー(停滞)の状態
にあるとみられた。一般に発症後6ヶ月またはそれ以降に改善する例は少なく、
またそのような改善例は初期重度麻痺で若年などの条件があるとの報告もある
[18]が詳しくは解明されていない。各症例の病院での歩行リハビリも現在の歩行
状態の維持が主な目的とされていた。このような状況で1ヶ月から数ヶ月の訓
練で 3 例の症例全てで歩容の改善がみられたことは画期的であるといえる。そ
して各症例に共通して普段の生活での変化として、杖などの支持なしで、また
は軽度の支持での起立姿勢の保持が可能になったことが挙げられる。これは症
例からは力がついた、ふらふらしなくなった、などのコメントが寄せられてい
る。症例は病気を発症してから何年もの間歩行動作を行っておらず、行えず、
健常な歩行動作の体の感覚を忘れてしまっていると思われる。さらに基本的に
GM2 での歩行のような速いスピードで足を動かしたり足を高く上げたりする動
作も日常では体験できない。GM2で歩行動作を実際に体験して足を動かす感覚
を思い起こすとともに自らの力で歩行活動を行っていると錯覚を起こすのでは
ないかと思われる。これは神経の活性や症例の自信につながる。それと同時に
GM2 での訓練で筋肉の強化も期待できる。症例は訓練の後に筋肉痛の症状があ
らわれたとコメントしている。これは筋肉を使ったことの証明である。症例は
普段の生活では筋肉痛になるほどには足は動かせずそこまでの運動も行えない。
67
GM2 の受動歩行でも症例にとっては十分刺激となり筋力も多少ついたのではな
いかと思われる。神経の活性と筋力の増強でこのような効果があらわれた可能
性がある。そしてその効果を心理的効果が支えている。
また GM2 での歩行リハビリの負荷設定に関して症例 3 について設定した負荷
に慣れてしまい刺激を感じなくなったのではないかと推測された。症例の向上
の状態や慣れ具合に応じて負荷を設定し直していく必要があり、それが不十分
だったと考えられるが、症例 3 の体験していた設定以上の負荷を受動歩行で与
えることは装置の性能上難しい。手離しでの訓練や歩行の高さなどで対応して
いたが、GM2 の FS 階段で使用したフォースプレートを使用し症例が重心を一
定以上片足にかけたら、反対側の足が前に出るようにする、といった半能動的
な訓練に切り替える、といった負荷の設定も考えられる。フォースプレートで
はなく位置センサを使用すると足を上げる訓練にもなる。そのような半能動的
な訓練は患者の意思と体の動きが連動してより効果的で的を絞った訓練が行え
る。
68
第7章
結論及び今後の展望
本研究では歩行感覚呈示装置 GaitMaster2(GM2)を歩行のリハビリ装置とし
て応用することを目的として健常人を対象に生体への影響評価を行い最終的に
は3例の症例の歩行障害に対して一定期間歩行リハビリを行った。
まず歩行リハビリの前段階として健常成人を対象として GM2 の生体への評
価実験を行った。これまで歩行感覚呈示装置の評価方法は人体の動作や重心の
移動の計測といった物理的な手法が多く人間の内的状態も含めた評価手法の研
究はほとんど進んでいない。そこでユーザ(健常人)の内的状態の定量的な評
価手法としてエネルギーの代謝、各筋肉の活性状態という 2 つの状態に注目し
て評価する手法を試み GM2 の生体への影響を評価した。評価を行ったのは平面
歩行について、実空間での歩行、GM2 での通常の歩行(能動歩行)、GM2 での
リハビリ用歩行(受動歩行)の3パターンの歩行について比較、評価を行い、
階段昇段運動については実階段と GM2 による位置センサで踏み出しを検出す
る PS 階段、重心移動で踏み出しを検出する FS 階段の3パターンの階段昇段運
動について比較、評価を行った。平面歩行では、能動歩行を実空間での歩行に
近づけるための改善点や受動歩行の特性と歩行リハビリへの利用の可能性を見
出した。階段昇段運動については PS 階段よりも FS 階段の方が実階段に近い状
態を作り出しているという結果となった。また筋電位計測より GM2 による階段
と実階段との相違点も見出した。そして評価を行った GM2 での受動歩行を用い
て杖などの装具を用いての自立歩行が可能な症例3例に対して受動歩行を歩行
リハビリとして一定期間適用し、歩行速度や歩幅などの数値データ、ビデオ映
像の解析、表面筋電位計測や患者自身のコメントから変化や効果を検証し、プ
ラトー(停滞)状態にあった症例の、歩容の改善などの効果が認められた。
そして将来の展望として GM1 と GM2 を高速ネットワークで接続した遠隔リ
ハビリテーションシステムの開発と評価実験を行った。本システムはマスター
とスレーブの役割が決まっていたが、役割を自由に切り替えることで、理学療
法士も患者の動きを体験でき、患者の反応や歩行動作時の問題点などを把握す
ることができるのではないかと考えられる。
今後の展望としては、さらに数人の症例に歩行リハビリを体験してもらいリ
ハビリの方法や効果、評価指標等を検討していく必要がある。特に歩行リハビ
リの負荷設定は症例により障害の状態や歩行状態が違うので過負荷または少負
荷にならないように目安となる指標が必要である。また歩行リハビリそのもの
にも考察で述べた半能動の訓練や、階段動作といった受動歩行の次の段階の訓
練も検討したい。
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謝辞
本研究を進めるにあたり、ご指導くださいました岩田洋夫教授、矢野博明講
師、筑波記念病院の斎藤秀之氏に深く感謝いたします。そして同じく筑波記念
病院の金森毅繁氏、田中直樹氏、また日ごろからご協力いただいた岩田矢野研
究室のみなさまにこの場を借りて感謝いたします。
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参考文献
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