山口県介護福祉士会 介護研究セミナーⅤ オムツ交換におけるボディメカニクス基本 8 原則の活用と腰痛の関係 ―ビデオカメラを用いた介護現場の観察を通して― 伊木康人 済生会山口地域ケアセンター Ⅰ.研究目的 ている患者 10 名 (平均身長 151.4±10.6cm、 体重 39.3 労働中に発生する腰痛は「職業性腰痛」ともいわ ±8.0kg)をオムツ交換の対象とした。撮影数は 210 れ、数ある職業の中でも介護職・看護職は「職業性 パターン中、 「体位変換」については 174 パターン(撮 1) 腰痛」を発生しやすい職業の一つとされている 。腰 影率 83%)注 1)。 「介助者側への水平移動」について 86 痛の予防・軽減にはさまざまな方法があるが、その パターン(撮影率 41%)であった。 中でもボディメカニクスの活用は予防・軽減に有効 2.調査方法 2) であるとして、近年その効果が立証されつつある 。 前回、我々が行ったボディメカニクス基本 8 原則 ①対象者(職員)について、留置法による自記式 質問紙調査。②患者の情報はカルテより情報を収集 についての主観的調査では、介護者は技術の内容を し、調査票に記入した。③撮影はビデオカメラ(1 台) それぞれ「知っている」 、また介護現場で「使用して にて 15 時から始まるオムツ交換を撮影。撮影方法は いる」と答えた人は非常に高い割合であった。一方、 対象者の斜め後方より撮影する。④撮影後、映像を 介護・看護の仕事に就いて腰痛を発生させた人は対 分析し、基本 8 原則チェックリストに記入した。 象者の半数以上に上り、就労後の腰痛者も同時に多 3.調査実施期間 く存在している、という大きな矛盾がみられていた。 先行研究では「ボディメカニクスの理論は頭では容 易に理解できるが、実践することは困難である」3) 2010 年月 12 月 20 日~2011 年 3 月 9 日 4.主な調査内容 職員の基本属性は、身長、年齢、経験年数・資格、 と指摘されており、一見大きく見える矛盾の原因は、 腰痛の有無等の 12 項目。また患者の基本属性は身体 就労後の腰痛者は自分自身の技術・動作を客観的に 状況、ベッド周りの状況など 10 項目を調査した。基 評価することができないため、介護現場で十分活用 本 8 原則の評価は、 「体位変換」の動作について①対 しきれず腰痛を起こすことが、その矛盾を発生させ 象者に近づく。②対象者を小さくまとめる。③支持 た可能性があった。 基底面積を広くする。④足先を動作方向に向ける。 3) しかし、多くの先行研究は実験的な研究が多く 、 ⑤膝を曲げ重心を下げ、骨盤を安定させる。⑥大き 実際の介護現場に目を向けた研究は極端に少ない。 な筋群を使う。⑦テコの原理を応用する、の 7 原則 そのためボディメカニクスの活用の実態はよく知ら (33 項目)を調査し、 「介助者側への水平移動」の動 れていない現状にあった。そこで本研究は、実際の 作は⑧水平に移動する、の 1 原則(5 項目)を調査し ケアをビデオカメラで撮影し、映像から第三者によ た。 る基本 8 原則の客観的な評価を行うことを目的とし 5.調査に際しての倫理的留意 た。腰痛と関係性が高いとされているベッド上での 4) 調査実施に際しては、当該施設の管理責任者の承 オムツ交換 に焦点を当て、オムツ交換における「体 認を得るとともに、文書にて調査対象者及び患者・ 位変換」 ・ 「介助者側への水平移動」の 2 つの動作を 患者の家族へ調査目的の説明を行った。調査対象者 評価し、介護者の主観的評価と実際の技術・動作の は協力の同意、また患者・患者の家族は同意書への 間にギャップは生まれているのか、また腰痛者と非 サインを得た。調査データ、ビデオテープの取り扱 腰痛者との間に活用度の違いはあるのか、ボディメ いに際しては、対象者のプライバシー保護に留意し、 カニクスと腰痛との関係性を調査・研究を試みた。 厳重に管理を行った。 6.分析方法 Ⅱ.研究方法 1.対象 2011 年 1 月時点で、当センターの療養型病床の職 員 21 名を対象。また、同じく療養型病床に入院され 単純集計、及びクロス集計。就労後の腰痛者と非 腰痛者の比較は、対応のないt検定(SPSS)で統計 分析を行った。 山口県介護福祉士会 介護研究セミナーⅤ Ⅲ.結果 1. 対象者の基本属性 表 1、基本属性(n=21) 職 種 年 齢 経 験 年 数 項目 人数 総数比率 介護 12 57% 看護 9 43% 20代 7 39% 30代 5 28% 40代 3 16% 50代以上 3 17% 1年未満 1 5% 1年以上~5年 4 20% 5~9年 3 15% 10~19年 8 40% 20年以上 4 20% 図 3、基本 8 原則を「使用していますか?」の項目に ついて(n=21 人) 4.オムツ交換における基本 8 原則の客観的評価 2.腰痛の状況について (1)「体位変換」について(n=176 パターン) 腰痛者の内、就労後の腰痛者は 8 名(38%) 、介護 「対象者に近づく」の原則について、ベッドの高 職・看護職の仕事に就く以前にすでに腰痛がみられ さを調節している割合は 2%と非常に低く、ベッドの た者は 4 名 (19%) であった。 また非腰痛者は 9 名 (43%) 高さが十分にないことが 68%みられていた(図 4) 。 であった。 支持基底面積については、両下肢が肩幅以上に開い ている割合は 66%であるが、開き方は前後の方向に開 いている割合は 36%と低かった(図 6) 。 「足先が動作 方向を向く」原則は、左右とも介助者の足先は高い 割合で動作方向(前方)に向いているが(図 7) 、 「膝 を曲げ重心を下げ、骨盤を安定させる」 ・「大きな筋 群を使う」 ・「テコの原理を応用する」の原則は、す べての項目についてできている割合は低く、原則に 図 1、介護職・看護職における腰痛の状況について(n 基づいた下肢の動作は少ない傾向にあり、さらに 62% =21 人) は前屈姿勢のまま介助を行っていた(図 8、9) 。 「対象者を小さくまとめる」の原則は、今回オム 3.基本 8 原則の主観的評価について 基本 8 原則の認知度は高く、ほぼすべての原則が 90%の割合で「知っている」という結果であった(図 ツ交換の対象とした患者の上肢・下肢の拘縮が強く、 小さくまとめることができないため、動作の評価は 低い結果となってしまった(図 5) 。 2) 。さらに、技術を「使用している」という項目は、 「大きな筋群を使う」の原則が 38%で「余り使用して いない」という結果であったが、その他の原則につ いては約 90%の高い割合で「使用している」という結 果であった(図 3) 。 図 4、 「対象者に近づく」 図 2、基本 8 原則を「知っていますか?」の項目につ いて(n=21 人) 山口県介護福祉士会 介護研究セミナーⅤ ターン) 「患者の身体が浮き上がっていない」の項目につ いて、64%のパターンは患者の身体の浮き上がりがみ られた。また、体位変換と同様、原則に基づいた下 肢の動作が少ない傾向にあり、前屈姿勢のまま介助 を行っていた(図 10) 。 図 5、 「対象者を小さくまとめる」 図 6、 「支持基底面積を広くする」 図 10、 「水平に移動する」 4. 基本 8 原則の活用度の比較 対応のないt検定の結果、体位変換時における「膝 を曲げ重心を下げ、骨盤を安定させる」 ・「大きな筋 群を使う」の原則、 「前屈姿勢になっていない」の項 目が、就労後の腰痛者と非腰痛者の間に有意差(p <0.05)がみられた(表 2) 。しかし、その他の原則 図 7、 「足先が動作方向を向く」 については、有意差はみられなかった。 表2、就労後の腰痛者と非腰痛者との比較 就労後の腰痛者 (n=68) 非腰痛者 (n=80) t値 膝が曲がっている 0.209 0.361 1.716 重心移動がみられる 0.847 0.167 1.462 前屈姿勢になっていない 0.25 0.493 3.099* *p<.05 数値は平均値 nはパターン数 Ⅳ.考察 「患者の移動や排泄・清潔などの援助は、看護者 図 8、 「膝を曲げ重心を下げ、骨盤を安定させる」 ・ 「大 が、患者の全身あるいは身体の一部を支持しながら、 きな筋群を使う」 長時間前傾姿勢をとるため、看護者への身体的負担 となることが多い」5)と述べられているように、さ まざまな先行研究では介護・看護における職業性腰 痛の原因の一つは長時間の前傾姿勢、または前屈姿 勢であると指摘している。評価の対象としたオムツ 交換は、介助者は患者・利用者のベッドサイドに立 ち、身を大きく乗り出しながらケアを行う事が多く、 長時間前屈姿勢になりやすい。更に「体位変換」 ・ 「介 助者側への水平移動」の動作は、腰痛のリスクのあ 図 9、 「テコの原理を応用する」 る前屈姿勢から患者・利用者の身体を移動・保持す る力が必要であり、介助者の背筋や腰椎にかかる負 (2) 「介助者側への水平移動」について(n=86 パ 担が一段と増加することが予想される。私達が行っ 山口県介護福祉士会 介護研究セミナーⅤ た基本 8 原則の活用度の比較からも、体位変換時に った。しかし、介護者の主観的評価と実際の技術・ おける「前屈姿勢になっていない」の項目が就労後 動作との間には大きなギャップがあるという仮説に の腰痛者と非腰痛者との間に有意差(p<0.05)が ついては、オムツ交換の場面では一定の証明ができ みられた。その他の原則について有意差がみられな たと考える。介護者は自分自身が思っている、また いため、それ以上双方の活用度の違いを見出すこと 思い描いているよりも、介護現場では基本 8 原則を はできなかったが、前屈姿勢が腰痛と関係している 十分に活用できていない状況があり、そのことが現 可能性を示唆していた。 在の腰痛問題に影響を及ぼしている一つの要因であ 故に、 「体位変換」 ・ 「介助者側への水平移動」にお ることが分かった。 ける基本 8 原則のキーポイントは、まずベッドの高 なぜ、介護現場では介護者の主観的評価と実際の さを十分な高さに調節し、身体を大きく乗り出さな 技術・動作との間にギャップが発生するのか、そし いよう適切な位置へと患者・利用者に近づく。移動 て改善する方法はあるのか、原因の解明とその対策 時は、膝をしっかり曲げながら後ろ側へ重心移動を が次なる私達の研究課題となった。 行い、介助者の身体の重心を下に位置することで、 骨盤を安定させて前屈姿勢を予防する。また膝を曲 謝辞 げることは、上肢の筋肉(上腕二頭筋)のみならず、 本研究にあたり、ビデオ撮影等に快く御協力くだ 身体の大きな筋群である背筋や下肢の筋肉(大腿四 さった患者・患者の家族のみなさま。また御協力く 頭筋)をしっかり活用することができる。つまり、 「対 ださった療養型病床の職員のみなさまに大変感謝い 象者に近づく」 ・「膝を曲げ重心を下げ、骨盤を安定 たします。 させる」 ・ 「大きな筋群を使う」の原則が腰痛の予防・ 軽減に大きく求められる動作と考える。 調査の結果、対象者の基本 8 原則の認知度・技術 の主観的評価は非常に高い割合でありながらも、同 注 総パターン数から実際に撮影ができ、さらに映 像から基本 8 原則の評価ができたパターン数の割 合を撮影率とした。 時に対象者の約半数は就労後に腰痛を発生した者で あるという、前回の私達の調査とほぼ同様な結果を 引用・参考文献 得ることができた。一方、基本 8 原則の客観的な評 1) 徳永力雄 価では、介助者はベッドの高さを調節することが極 端に少ないため低い位置にあり、身を大きく乗り出 「職業性腰痛の疫学と作業態様」 『リハビリテーション医学』 vol.35 no.7 p465 -576 (1998) し前屈姿勢をとっていた。体位変換では、基本 8 原 2)伊丹君代他 「ベッドメイキング動作における 則を意識した膝の曲げ・重心移動などの下肢の動作 前傾角度に着目したボディメカニクスチェック がみられず、前屈姿勢のまま上腕の力で患者・利用 システム」 『日本教育工学論文誌』 vol.33 者の向きを変えている傾向にあった。また「介助者 p1-9(2009) 側への水平移動」においても同様に下肢の動きがな 3)高橋由紀他 「看護学生のボディメカ二クス習 い傾向にあり、更に患者・利用者の身体を上腕の力 得に関する研究―シーツ交換時の表面筋電図と で持ち上げて移動を行っていた。 疲労感調査より―」 『県立長崎シーボルト大学 以上の事から、オムツ交換という限定的な結果で 看護栄養学部紀要』 第 4 巻 P23 (2003) はあるが、調査から解釈できた動作は下肢の動作が 4)国芳恵美子他 「介護職員における腰痛問題と ない傾向や前屈姿勢のままでの介助がみられ、腰痛 介護技術」 『山口県介護研究セミナー抄録集』 の予防・軽減には十分発揮できているとはいえず、 (http://www.yamaguchi-kaigo.jp/media/_abo 対象者の主観的評価と第三者の客観的な評価を照ら ut/h20-1.pdf) し合わせると、大きなギャップが発生している基本 8 原則が多くみられていた。 5)青木光子他「ボディメカニクスを活用した水平 移動援助動作に関する研究―生体データを取れ 入れた教材開発に向けて―」 『愛知県立医療 Ⅴ.結論 今回の研究では腰痛者と非腰痛者の基本 8 原則の 比較について、 「前屈姿勢になっていない」以外には 双方の活用度の違いを明確に見出すことは出来なか 技術大学紀要』 第 6 巻 P29-35 (2009)
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