アメ リカ合衆国における ]パブリ ック丶・ フォーラム論の展開

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アメリカ合衆国における
パブリック、・フォーラム論の展開
長 岡
目
徹
次
はじめに
1パブリック・フォーラム論の萌芽
−30∼40年代の展開
2 非伝統的フォーラムと両立性原理
−ウオーレン・コート期の展開
3 パブリック・フォーラムの類型化
−
バーガー・コート期の展開
4 類型論の検討
−まとめにかえて
は じ め に
′ マス・コミが発達し,情報の集中・独占化の進む現代社会において,いわゆる大
衆的表現の自由の重要性を否定することはできない。この大衆的表現は,集会,集
団示威運動であれ,ビラまき,、ビラ貼り,戸別訪問であれ,常に−・定の場所と結び
ついて行われるところに特徴がある。そして,それ故に,道路や公園,公会堂とい
った公共め場所・施設を,どの程度自由に表現活動のために利用することができる
かが,重要な寮法問題となっている。この間題については,公安条例,公職選挙法
138条による戸別訪問の禁止を中心に,戦後−・貫して論じ続けられており,既に移し
い数の判例,論稿の蓄積がある。こうした蓄積を前にして必要なこ七は,表現の自
由を行使するための場所を保障する患法論として何が確立してきて,何が定着して
こなかったか,そして未解決の問題は何かを明らかにすることであろうと思われる。
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長 岡
徹
本稿の目的は,公共の場所での表現の自由に関するアメリカ合衆国の判例法理の
展開を概観し,分析することにある。これによって,上蓮の意法論を検討する際の
視角ないし枠組を見い出そうとすることに,筆者の意図がある。
本稿で検討するラメリカのパブリック・フォーラム論とは,表魂活動を行うこと
を目的として公共の場所にアクセスする権利が憲法上保障されるとする議論であ
る。もちろん,アメリカとわが国とでは,問題のあり方も異れば,法理の発展状況
も異る。それにもかかわらず,ここでアメリカの判例法理を検討するのは,次の様
な意味を認めるからである。
パブリック・フォーラム論をめぐる争いは,基本的には,ある場所・施設に対す
る政府の財産権ないし管理権の主張と,表現の自由を現実的・効果的に保障する必
要性の主張とを,いかに調整するかにかかわるものである。初期の判例で定式化さ
れた「伝統性の基準」は,必要性の主張を認めたうえで,財産権の論理に従って問
題を処理しようとしたもので,以後,この基準の必要性の主張を認めた積極面と,
財産権の論理を用いた消極面のどちらを重視するかの対抗が,今日まで続いている
ものと解される。基本的対立状況はわが国の場合と大差ないものと考えられ,パブ
リック・フォーラム論の検討はわれわれにとっても有益な視座を与えてくれるもの
と思われる。
また,近年バーガー・コートの下で,パブリック・フォーラムの類型化が行われ
てきている。公共の場所・施設を表現の自由の保障とのかかわりで類型化しようと
する試みは,わが国の法制を再検討する場合の有力な手掛となろう。その意味で,
このような類型の意義と限界について検討しておく必要があるものと思われる。
1パブリック・チオーラム論の萌芽
−30∼40年代の展開1)
(1)公共の場所での表現活動に窓法上の保護が与えられるべきだとの主張に,連
邦最高裁が初めて直面したのは,1897年のDavisvMassachusetts2)においてであ
った。この判決は,公有地での演説を市長の許可にかからしめる市条例を合意と判
示したものであるが,内容的には,ホームズ判事の手になる州最高裁判決3)を確認す
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る形になっている。ホームズ判事の示した論理の核心は,次の点にある。
ハイウェーや公立の公園での演説を立法府が絶対的ないし条件付きで禁止して
も,それが人の諸権利を侵害したことにならないのは,私人たる家屋の所有者が
自分の家慶の内での演説を禁止しても右諸権利の侵害にならないことと同じであ
る4)。
すなわち,ホームズ判事の考え方によれば,州は公有地に対する権原を主張するだ
けで,そこでの表現活動を全面的に禁止することができるのであり,更に,「より大
きな権限はより小さな権限を含む5)」のであるから,禁止よりも緩やかな形でそれを
制約することも当然許される,と言うのである。
Davis判決の論理は,ルーズヴュルト大統領の任命した判事が連邦最高裁に加わ
り,いわゆる自由派が多数を占めるようになるまで,判例を支配した。新しい裁判
所がDavis判決とは違った法理をうち出し,公共の場所での表現活動に審法上の保
護を与えることを示したのが,1939年のHaguev‖CIO6)である。道路その他の公共
の場所での無許可の集会を禁止する市条例を違憲と判示したこの判決の中で,ロバ
ーツ判事の相対多数意見は次の様に説示する。
道路や公園は,その植原がどこに存するものであれ,人の記憶にない程の苦か
ら,公衆の利用に供すべく信託されてきたのであり,また,いつの世からともな
く,集会や市民の間での思想の伝達,公の問題の討論という目的のために用いら
れてきた。道路その他の公共の場のかかる使用は,太古より,市民の特権,免除,
権利,自由の一部であった。国家的問題についての見解を伝達するために道路や
公園を使用する合衆国市民の特権は,全体の利益において規制されうる。そ・れは
絶対的ではなく,相対的なものであり,−・般公衆の休息や便宜に従って,また,
安寧秩序に−・致して行使されなければならない。しかし,それは規制を装って剥 ヽ
零されたり,否定されたりしてはならないのである7)。
パブリック・フォーラム論の展開にとって先駆的な役割りを果した1965年の
Kalven教授の論稿8)の中で“Roberts,Rule ofOder”と呼ばれ,以後何度となく
引用されることとなったこの有名なフレーズは,道路や公園に関してDavis判決の
妥当性を実質的に否定したところに最大の意義を有するものである9)。それととも
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徹
に,道路や公園は伝統的に表現の自由のために用いられてきたからこそ,そこでの
表現活動に恵法上の保護が及ぶとしている点も見逃せない。ロバ・−ツ判事の意見に
決定的な影響を与えたとされる1?)のは,アメリカ法曹協会人権委員会がamicus
curiaeとして提出したブリーフ11)であるが,このブリーアは,ビラの配布や集会の
自由の現実的保障にとって道路や公園の利用が必要不可欠であるからこそ,そこで
の表現活動は保護されなければならないという論理を基調と′している。しかし,ロ
バーツ判事は,この論理を直裁に認めたわけではない。彼の示した論理は,道路や
公園は市の財産ではあるが,そこでの修正+条の権利行使が「人の記憶にない程の
書から」認められてきたために,そこに「一層の修正−・条上の地役権12)」が設定され,
市の財産権の行使が制約されるとするものであって,パブリック・フォーラムの問
題は財産権の観点から決定されなければならないというDavis判決の論理を暗黙
のうちに受け入れていると言える。従って,ロバーツ判事の意見は,公有地を二分
することを前提とするのであって,−・方で,道路や公園等,伝統的に表現の自由の
ために用いられてきたと考えられる場所については,そこでの表現活動を修正一凛
の保護の対象とするのに対し,他方で,そのような伝統性の要件を具備しない場所
については,依然としてDavis判決の法理の妥当性を認めることになるのであ
るユ3〉。
(2)Hague判決につづく30∼40年代の諸判決は,主として,エホバの証人による
街頭での活動をめぐって展開し,パブリック・フォーラムに関する次のような4つ
の命題を確立した14)。
①州は単に権原を主張するだけでは,道路・公園の表現目的のための利用を全面
的に禁止しえない15)。
②道路・公園における表現の自由とそれを規制する利益とを比較衡畳する場合に
は,表現の自由の方に重心を傾けなければならず,美観の保持や静穏の維持は,襲
ノ/ 現の自由を規制する十分な根拠とはならない16)。−
③他に表現の場所が存在するという理由だけで,適切な場所での表現の自由の行
使を制約できない17)。
④道路や公園においても,他の利用との関係から表現の時・′場所・態療を規制す
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ることは許される18)。
これらの諸判決は,リーフレットの配希や戸別訪問,パレードが財力のない人々
にとって必要不可欠な表現方法であること19),そして,道路や公園が亘のような表現
活動にとって自然で適切な場所であること20)を根拠にするものであり,甲ague判決
におけるロバーツ・ルールに具体的な内容を与えるものであった。
2 非伝統的フォーラムと両立性原理
−ウォーレン・コート期の展開
(1)60年代に入ると,人種差別撤廃運動の高まりを背景に,道路・公園等の“伝
統的フォーラム”以外でのデモ行進やピケッティングの事例が,判例に登場してく
るようになる。
まず,1963年のEdwards v.South Carolina21〉および1965年のCox v∴
Louisiana22)が興味深い論点を提示している。Edwards事件では,黒人学生達が州
議事堂敷地内で差別反対の示威運動を行っていたところ,待機中の警察が彼らに解
散を命じた。しかし,学生達はそれに従わずに,演説をし,歌を唱い,手足を踏み
鳴らしたために,逮捕され,州裁判所によってコモン・ロー上の治安素乱罪に当る
として有罪を富せられた事件である。連邦最高裁ほ,治安素乱罪が,表現の自由の
行使を処罰する法規としては,漠然不明確であるが故に修正−・条に違反するとして,
有罪判決を破棄した。判決は,州議事堂敷地内が伝統的に表現目的のために用いら
れてきたかどうかは論じておらず,判決の決め手はあくまで治安素乱罪の漠然不明
確性にある。ただし,判決は,被告人が「憲法上の権利を最も素朴かつ古典的な形
態で行使した23)」と述べており,詩風か対象としての議会の周辺が表現の自由を行使
する場として保障号れるべきであることを暗黙の前提としているようである24)。
これに対してCox事件では,人種差別と仲間の逮捕に抗議する黒人学生達が,仲
間の拘留さ叫ている裁判所の近辺で,当初警察の指示に従って示威運動を行ってい
た。しかし,歌を唱い,リーダーのCoxが演説を始めると,警察は解散命令を下し
た。学生達は解散しなかったが,催涙ガスを投げられて,ようやく逃げ去った。翌
日,Coxが逮捕され,制定法上の治安妨害罪,交通妨害罪,および,裁判に介入・
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妨害し,影響を与える意図を持って裁判所近辺でピケ・パレード等を行うことを禁
ずる州法違反の罪に問われた,という事例である。連邦最高裁は,それらいずれに
ついても無罪の判決を下した。特に,治安妨害罪については,Edwards判決に従っ
て漠然不明確故に違憲と判示しており25),その限りではEdwards,Cox両判決に矛
盾や対立はない。しかしながら,裁判所近辺での示威運動を禁止する州法違反につ
いては,一旦警察によって許可が与えられたのだから,後にその場所での示威運動
を裁判所近辺で行われたことを理由として処罰するのはデュー・プロセスに反する,
従って無罪,と判示しているのであって,州法自体は合患と説示している26)。すなわ
ち,司法制度を圧力から保護することは州の正当な利益であり,正義の執行があら
ゆる段階で外部からのコントロールや影響力から自由であるようにするために必要
かつ適切な保護措置を州は設けうるから,同法は合憲だと言う。
同じ様な表現活動であっても,議事堂敷地内であれば脊法上保護されうる
(Edwards判決)のに,たとえ公道上であっても裁判所近辺であれば全面的に禁止さ
れうる(Cox判決)ことが示されたと解することができよう27)。表現の自由に対す
る制約を評価する場合,表現の場所の性質,機能が極めて重要な問題となることが
理解される。
(2)この間題を,連邦最高裁が初めて正面から取扱ったのは,1966年のBTOWnV
Louisiana28)であった。公立図書館が人種差別的に運営されているのに抗議してそ
のフロント・ルームに座り込んだ黒人が,Cox判決で問題となったと同じ治安妨害
罪に問われた事例である。5名の判事が有罪判決破棄という結論で−・致したものの,
意見が分裂しており,法廷意見と呼べるものは存在しない。最高裁の判断を代表し
ているフォータス判事の意見は,ウォーレン長官,ダグラス判事の賛同を得たに留
まる29)。フォータス判事の意見は,本件行為が治安妨害の構成要件に該当しないと判
示した後に,傍論的に次の様な患法論を展開している。すなわち,修正−・条の権利
は「そこに居る権利を十分に持っている場所に黙って非難の意を込めて居つづける
ことによって,公共施設での達意の人種差別に抗議する権利」を含んでおり,また,
本件座り込みは他者に対するいかなる妨害も引き起さず,図書館の活動を妨げるこ
ともなかったのであるから,たとえ本件行為が州法の構成要件に該当するものであ
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ったとしても,当該州法を本件に適用することは憲法上許されない,と説くき0〉。これ
に対し,ブラック半惇の反対意見には,クラーク,ムーラン,スチュアート各判事
が賛同している。ブラック判事は,もしあるグループが自分達の運動のために図書
館を乗っ取ることができるならば,他のグループも同じ様にする権利を主張するよ
うになり,州は図書館を図書館として維持することができなくなる。そして必然的
に次には学校が麻痔してしまうことになる,とフォータスの意見を論難する。そし
て,修正一条は,」自己の望む場所に望む時に赴く権利を与えるものでは決してない
し,他人の財産を,たとえそれが政府の所有にかかるものであっても,思想表明の
舞台として用いる権利を保障するものではない,と強く主張するものである印。
このような見解の対立は,同年のAdderleyv。Florida32)で一層鮮明になった。黒
人学生達が仲間の捕えられている刑務所の構内に立入り,同刑務所内で行われてい
る白黒隔離も含めて人種差別政策一般に抗議し,示威運動を行った。郡保安官が彼
らに退去を要求した後,それに応じなかった者を逮捕,州裁判所によって不法侵入
罪に当るとされた事例である。連邦最高裁はこの有罪判決を是認した。ブラック判
事の手になる法廷意見は,まず本件を次の二点でEdwards判決と区別する。第1
に,Edwards事件では伝統的に国民に開かれている州議事堂敷地が問題になったの
に対し,本件では刑務所は公安目的のために建てられたものであって,国民に開か
れたものではないこと,第2に,Edwards事件ではコモン・ロー上の治安素乱罪が
漠然不明確とされたのに対し,本件で問題となっている不法侵入罪法は漠然不明確
と攻撃できないことである。かくて,Edwards判決の適用を否定したうえで,ブラ
ック判事は,「連邦憲法には,刑務所の敷地から退去するようにとの保安官の命令に
ノ′
従わなかった者に対して,フロリダ州がその一腰的な不法侵入罪法を公平に執行す
l
ることを妨げるものは何もない。州は,私人たる財産所有者と同様に,州の財産を
その適法な使用目的のために州の管理下に留保しておく権限を有している」と説示
し,「抗議の意思や見解を公にしようとする者は,いつでも,どこででも,どのよう
にでも,自己の気に入る形でそうする憲法上の権利を持つとの考え方」は断固拒否
するのである33)。
これに対して,ダグラス判事が執筆し,ウォーレン長官,フォータス,プレナン
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両判事の賛同する反対意見は,BTOWn判決におけるフォータス判事の意見を更に発
展させている。ダグラス判事は,執行府や議会の建物と同様に刑務所も,統治構造
の一つとして抗議の対象となりうることを指摘し,苦情の救済を求めて請願する権
利を実効的に保障するためには,刑務所での集会や請願も,それが平隠である限り
非難されるべきではないと主張する。そして,パブリック・フォーラムの問題に対
する彼のアプローチの仕方を,次の様に述べている。「明確に他の目的に委ねられて
〆 いて,苦情の表明のために利用することが変則的なことであるまうな公共の場所が
あるかもしれない。苦情の救済を求める集会や請願が,公有財産の他の目的と一激
しないような場合があるかもしれない。 ……その他の場合には,苦情の救済を求め
て請願する権利を,当該公有財産の通常の用途に含まれている他の利益と調整する
必要があろう。……しかし,このことは,苦情を持つ人々に対して公共の場所がす
べて閉されるということとは全く別のことである34)。」
さて,ここでまず,ブラック判事のアプローチがDavis判決と文言上類似してい
ることを問題にしておきたい。ただし,これをDavis判決の復活と見ることは正し
くない。ブラック判事は古くは,Hague判決でロバーツ判事の意見に唯−・人賛同し
た判事であり,また,Davis判決の先例的価値を完全に失わせたJamison v
Texas35)で法廷意見を執筆している。Jamison判決は,道路や公園での表現活動の
全面禁止は,その場所に対する州の権原を主張するだけでは正当化しえないことを
判示した判決である。ブラック判事は次の様に説示していた。「州が公衆に対して公
開してきた道路上に正当に居る者は,他の場所でと同様に,そこで秩序だった形で
自己の意見を表明する意法上の権利を有している36)」と。更に,近くでは,Cox判
決における一部同意一部反対意見37)の中でも,人々が修正−・条の権利の行使を目的
としてそこに居る権利を持っているような場所では,政府はそれらの自由を制約で
きないと説いている。従って,Brown,AdderIley両判決におけるブラック判事の意
見も,「表現を目的としてそこに居る権利」を持たない場所であるとの理解を前提に
したものと考えられる。ブラック判事のアプローチによれば,「表現を目的としてそ
こに居る権利」のある場所とは伝統性の要件の満される場所に限られるのか,それ
ともそれ以外の場所にも及ざのか,その場合の判断基準は何かが問題として残され
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パブリック・フォーラム論の展開
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ることになる。しかし,結局彼は,表現の自由の問題を場所に対する権利の問題に
従属させることによって,場所に対する伝統的権利を問題にしていたHague判決
の枠組を維持しているのである38)。
フォータス,ダグラス両判事のアプローチは,こうしたHague判決の枠組を突破
して,表現の場所的保障を拡大してゆく有力な論拠を提供したものと評されよう39)。
その源動力となったものは,表現の自由を真に実効的に保障するために必要である
という認識であろう。それとともに,法理としては,Brown,Adderley両事件とも
に,第1に,黒人学生達の抗議の態様が,その場所の本来の機能を阻害することな
く平穏に行われたものであること,第2に,当該場所が,−・般に自由に出入するこ
とのできる状態にあったこと,第3に,Br・OWn事件での図書館,Adder・1ey事件での
刑務所ともに,人種差別が現に行われている場所であり,かつAdderley事件の場合
には,仲間の学生が逮捕拘禁されている場所であって,人種差別に抗議する学生達
にとって,自分達の表現の内容・目的と表現の場所とが切り離すことのできない密
接な関係にあったことが重視されている点に留意しておきたい。
(3)1967年にクラーク判事が退官し,代ってマーシャル判事が連邦最高裁に加っ
たことによって,フオ・一夕ス,ダグラス両判事のアプローチが連邦最高裁の多数を
占めるようになるムそ・のことを示すのが,1968年のAmalgamatedFoodEmployees,
Local590v.LoganVal1eyPlaza,Inc.40)である。事案は,公有地ではなく,私有
地たるショッピング・センターでの労働組合によるピケッティングにかかわるもの
である。マーシャル判事の執筆した法廷意見は,「道路や歩道,公園等の公共の場所
は,修正−・条の権利の行使と歴史的に密接に関連してきたのであって,右権利を行
\
使する目的でのそれらへのアクセスは,憲法上,広範ないし絶対的に禁止すること
ヽ はできない」と,Hague判決以来の判例法理を総括して,本件ショッピング・セン
ターは通常のダウン・タウンの商業地域と機能上同等であるから,右法理が妥当す
るとし,その財産が実際に利用に供されている用途と−・般的に−・致する態様ないし
目的で修正−・条の権利を行使しようとする者を,その場所から全面的に排除するこ
とは憲法上許されないと判示した41〉。伝統的なパブリック・フォーラムと同等の機能
を果しているという理由で,表現の場所としての伝統を持たない場所にも,表現日
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的でのアクセスが認められ,かつ,そ・こでの表現行為は,公衆による通常の利用に
不当に干渉する場合にのみ規制されると言うのである42)。
次に注目されるのは,Tinkerv.DesMoinesIndependentCommunitySchooI
District43)である。2名の高校生および1名の中学生がベトナム戦争に抗議して,黒
い腕章を着用して登校しようとしたところ,事前にこれを知った学校長が腕章の着
用を禁止する規則を急速制定したために,同規則違反として,腕章着用期間中停学
とされた事例である。フォータス判事による法廷意見は、,「修正一席の権利は,学校
という環境の特殊な性格にかんがみるならば,教師や生徒にとって有効なものであ
る。生徒や教師が学校の門ぎくぐる時に,窓法上の言論ないし表現の自由の権利を
脱ぎ捨てると主張することはできない44)」と説いて,特定の見解を表明するための腕
章着用を禁止することは,その腕章の着用によって学校の通常の機能が実質的かつ
相当な程度に妨害されるか,他の生徒の権利が侵害されることが証明されない限り
許されないと判示する45〉。この判決は,最広義には,ある場所の通常の機能と両立す
る表現活動は憲法上保護されると判示したものと考えられなくもないが,他方,他
の腕章やシンボルの着用が許されているにもかかわらず,ベトナム反戦の腕章の着
用を禁止することは,表現の内容に基づく差別であって許されないと判示したもの,
と最狭義に解する解し方もあって,パブリック・フォーラム論としての意義を一・義
的に確定しがたいところがある46)。判決は,教育施設としての学校では生徒が自由に
自己の意見を表明できることが重要である点を強調しており47),少なくとも,生徒や
教師にとって学校は,その通常の機能を実質的に妨害しない限り,表現活動のため
のフォーラムとなることが示されたと理解してよかろう48)。
(4)フォークス,ダグラス両判事のアプローチが疑問の余地なく採用されたと評
されるのは,既にバーガー・コート期の判決ではあるが,1972年のGrayned v
RockfoT・d49)である。中学校内での人種差別に抗議して,約200名の生徒やその家族
らが学校周辺の歩道をプラカードを掲げて行進したことが,学校周辺の公道でのピ
ケッティングを禁止した条例,および,学校に近接する場所で授業を妨害するよう
な騒音を故意にたてた者を処罰する条例に違反したとして起訴された事例である。
連邦最高裁は,前者のピ乞
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わるピケッティングを除外している点で,平等条項に反しており達意と判示し50),後
者の願音禁止条例については合憲と判示した。マーシャル判事の手になる法廷意見
は,政府は表現活動をそのメッセージの内容を理由として制約する権限は持たない
が,合理的な時・場所・態様の規制は重要な政府利益を促進するために必要であり,
許容されると述べた後,次の様に説いている。
ある場所の性質,「その通常の活動のパターンが,合理的な時・場所・態様の規
制あり方を指示する。」…・…い決定的な問題は,表現の態様が,ある特定の時の,特
定の場所での通常の活動と基本的に両立しうるかどうかである。先例は,規制の
合理性を審査する場合には,コミュニケーションが含まれているという事実を重
く評価しなければならないこと,規制が州の正当な利益を促進するために厳格に
つくられていなければならないことを明らかにしている51)。
この判決を文字通り解せば,これは,公共の場所の厳格な二分論から脱却する論
理を,7名の多数意見が説いているものである。つまり,効果的に表現を行うため
に公有地ヘアクセスする権利は,もはや,コモン・ロー上の財産権や伝統性に左右
されることはなく,ある特定の時,特定の場所での特定の表現活動が,その場所の
通常の用途と基本的に両立するか否かという一つのアプローチの下で論じられるこ
ととなったのである。道路や公園も,その他の公有地も,同じ傘の下に置かれるわ
けである52)。ただ,道路や公園等の伝統的フォーラムについては,表現目的での利用
は,その「通常の用途」と考えるのがHague判決以来の一層した考え方であっだと
言えるであろう53)から,そうした伝統性の認められる場所では両立することが基本
で,利用の競合の観点から他の利用との調整を図ることになろうが,そのような伝
統性の認められない場所については,まさに,当該表現滴動が,その時,その場所
の通常の用途と基本的に両立するかどうかを問うことになる,という遅いが残るの
ではないかと考えられる54)。
もっとも,次の点を指摘しておく必要があろう。第1に,本件は公道に関する事
例であったことである。この法廷意見は7名の判事の意見ではあるが,伝統的に表
現の場所とされてきた公道に関する事例であったことを忘れるわけにはいかないで
あろう。このような伝統性を欠く場所の事例であったならば,マーシャル判事が7
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名を代表しえたかどうかは,この後のバーガー・コートでの展開を考えると疑問で
ある55)。
第2に,本判決は,問題となった条例を文面上合憲と判示した判決である。条例
が過度に広汎かどうかが争点とされていたのであって,被告人の当該行為が修正−
条によって保護されていたかどうかの問題は提起されていないと言う56)。マーシャ
ル判事の基本的両立性の審査も,被告人の当該表現活動が学校の滴動と両立しえた
かどうかを問題にしたものではなく,条例の規制する表現活動−・般が学校の活動と
両立しうるかどうかを問題にしていたと言える。そ・こで,この基本的両立性を検討
する場合,㌧ どの程度個別具体的な状況を勘案することができるのかが問題として残
されているように思われる。ある特定の表現活動が憲法上保葬されるかどうかを判
断するにあたって,法の規制対象とされている行為−・般の基本的両立性を抽象的に
審査するだけで,果して十分と言えるであろうか。
第3に,上のこととも関連して,とりわけ法の適用上の合審性を審査する場合,
個別具体的な状況を勘案するとしても,基本的両立性の審査だけで事案を処理しう
るかどうかである。先に見たウオーレン・コート期の諸判決では,表現活動がその
場所の通常の用途を不当に妨害しなかったことだけでなく,その表現滴動にとって
その場所が有する意味,その場所と同程度の効果を期待しうる他の表現場所の存否,
その場所が人々の自由な酒動に委ねられている程度等を検討することによって,表
現の自由の保護領域を拡大してきたのであった。換言すれば,当該場所での当該表
現を保障することが,表現の自由を真に効果的に保障するために必要であることを
強調することによって,伝統性の基準を乗り越えてきた。もし,基本的両立性の原
理が,そうした必要性の論理を捨象するものでなるならば,それは,フォータス,
ダグラス両判事の論理と同程度の説得力を持つものとなりえないのではなかろう
か。
1972年という年は,ハーラン,ブラック両判事が退官し,パウエル,レーンキス
ト両判事が新たに連邦最高裁に加入し,いわゆる「ニクソンの四人組」が登場して,
バーガー・コートが確立した年である。この年に下されたGrayned判決は,公道に
関する事例であったためか,ウォーレン′・コート後期のフォータス,ダグラス両判
題
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パブリック・フォーラム論の展開
事のアプローチに沿った意見が多数を占めることができた。非伝統的フォーラムに
対するバーガー・コートの対応は,次の判決を待たねばなら
3 パブリック・フォーラムの類型化
−バーガー
・コート期の展開
(1)1974年のLehmanvCityofShakerIHeights57〉と,1975年のSoutheastern
Pr・OmOtion,Ltd、Ⅴ,Conr・ad58)ほ,それまでの事例では提示されなかった問題,すな
わち,もし政府が表現を行うための施設を設けたならば,どのような窟法上の制約
が課せられるかという問題を提起した。問題の新しさとともに,両判決の結論の際
立った対立のゆえに注目されるところで,バーガー・コ、−トでの判事間の意見の対
立点を探ることができる。
Lehman事件は,州下院議員候補者が市バス内の広告スペースに自己の政治広告
を出そうとしたところ,政治広告は認めないとの政策に従って拒否されたというも
のである。連邦最高裁は,5対4で,修正−・条違反という主張を退けた。この判決
には法廷意見と呼べるものは存在せず,ブラックマン判事の執筆する相対多数意見
は,バーガー長官,ホワイト,レーンキスト両判事の賛同を得たにとどまる59)。相対
多数意見は,市は公共運輸事業の運営という営利活動を行っているのであって,車
内広告もそうした営利事業の一環であることを強調して,本件ではパブリック・フ
ォーラムは見出されず,車内広告を商業広告に限っても修正一・条に違反しないと判
示した。これに対して,プレナン判事が執筆した反対意見には,スチュアート,マ
ーシャル,パウエル各判事が賛同し,相対多数意見と同じ4名の意見となっている。
プレナン判事は,ある特定ぬ有財産がパブリック・フォーラムとなるかどうかを
決定するには,対立する利益を衡畳し,その場所の主たる用途と,自由な表現のた
めのアクセスを認めた場合にその用途が妨曹される程度とを評価しなければならな
い,しかし,本件では,市は車内広告の設備を自ら設けたことによって,自発的に
コミュニケーションのためのフォーラムを設定したのであるから,市バスの寺内が
修正−・条の権利行使のためのフォーラムとして利用できるようにしなければならな
いかどうかを決定する必要はない,と言う。そして,−・旦パブリック・フォーラム
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長 岡
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徹
が設けられたならば,そこでは言論の主題や内容のみに基づく差別は禁止されると
主張する。
他方,Southeastern事件は,市が管理する劇場で,ロック・ミュージカル“ヘア
ー”の上演が拒否された事例である。連邦最高裁は,6対3で,上演拒否は事前抑
制に当り,憲法上要求される手続的保障を欠いているが故に,違憲と判示した。法
廷意見は,Lehman判決と同じくブラックマン判事の手になるが,今回は,Lehman
判決で反対意見を構成した4名の判事が,これに加わって。いる聖)。法廷意見は,まず,
本件劇場は,表現活動のために作られ,表現活動の用に供されているパブリック・
フォーラムであると説く。そして,本件劇場はミュージカルの上準と対立するよう
な用途に用いられているものではなく,むしろミュージカルの上演にとって有用で
あることには争いがないこと,また,本件拒否が施設の規模や性質,他の利用者か
らの利用申請と関連した時・場所・態様の規制に基づくものでもないこと,“ヘアー”
を上演しても周辺住民の権利を侵害することはないうえ,「捕われの聴衆」も存在し
ないことを指摘して,本件拒否が表現の自由に対する事前抑制になると判示してい
る。反対意見にまわったホワイト判事,バーガー長官,レーンキスト判事61)は,‘‘ヘ
アー”は家族揃っての鑑賞を予定したものではなく,わいせつか否かにかかわらず,
子供の鑑賞を禁止することの許されるミュージカルであると認め,本件市営劇場が
大人も子供も家族揃って楽しめる催しものを上演することを目的としたものである
が故に,それにそぐわないものの上演を拒否しても,違諒にならないと説く。
さて,Lehman,Southeastern両判決は,結論的に見て,ある場所がパブリック・
フォーラムであるかどうかを,これまでにない程に決定的な問題としている。パブ
リック・フォーラムとされたなら,表現の内容に基づく差別は許されないのに対し
て,パブリック・フォーラムでないとされたなら,表現の内容ないし主題に基づく
差別も,窓意にわたらない限り,許容されることになる。しかしながら,両判決は,
これ程の相違をもたらすパブリック・フォー
ラムか否かの判断基準を十分に明らか
にしているとは言い難い。「捕われの聴衆」が存在するかどうかが,両判決で結論の
相違した一つの要素なのであろうが,従来の「捕われの聴衆」の法理62)がLehman
事件にあてはまるかどうかはかなり疑問である63)うえに,このことだけで両判決の
題
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
結論の相違を説明するのは,ダグラス判事1人の意見を過大に評価しすぎるものと
思われる。そもそも,この二つの判決を統一・的に理解しようとすることが困難であ
るのは,両判決での判事間の意見の対立のあり様を見れば分ることである。ブラッ
クマン判事とダグラス判事を除く7名の判事は,Lehman判決とSoutheastern判
決とで,問題に対する基本的態度を変えているわけではない。Lehman判決で反対
意見,Southeastern判決で多数意見を構成したプレナン,スチュアート,マーシャ
ル,パウエル各判事は,−・旦コミュニケーションのためのフォーラムが設定された
ならば,それはパブリック・フォーラムと考えられ,すべての表現に平等忙アクセ
スを認めなければならず,表現の内容に基づく差別は許されないというアプローチ
で−・質している。他方,Lehman判決で多数意見,Southeastern判決で反対意見を
構成したバーガー長官,ホワイト,レーンキスト両判事は,Lehman判決では,車
内の広告スペースが営業政策の−・貫として広告収入を得る目的で設置されたもので
あること,換言すれば,表現の場所を提供する目的で設置されたものではないこと
を強調し,Southeastern判決では,劇場が表現の場所を提供する目的で設置された
ものであることは否定しようがないものの,設置目的が家族揃って楽しめる催しの
ための場所を提供することにあったことを強調している。すなわち,敢て言えば,
非伝統的フォーラムに関するバーガー・コートの判事間の基本的対立点は,政府に
よる場所の用途指定を重視するのか,それとも,その場所が表現の自由の行使にと
って持ちうる意味を重視するのかにあると考えられる64)。
(2)そのような対立を内に含みながら,バーガー・コー小でのパブリック・フォ
ーラム論は展開してゆくのであるo Lehmaり,Southeastern両判決以後の特徴は,
ある場所での表現酒動が保護されるか否かにとって,その場所がパブリック,フォ
ーラムであるか否かが決定的な重要性を持つものとされるに至ったこと,および,
パブリック・フォーラムであるか否かを決定する場合,伝統性の要件を備えない場
所については,政府がそこを表現の場とすることを目的としていたかどうかを判断
基準として重視する見解が多数を占めるようになったことであり与 それらを鍵とし
て,公有地の類型化が行われてきていることにあると言える。
まず,パブリック・フォーラムでないとされた事例から見てゆくことにする。
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Greerv‖Spock65)は,軍事基地FortDix内での示威運動,政治的演説その他の活
動等を禁止し,また㌻新聞,雑誌を含む文書の配布を基地司令官の事前の許可にか
からしめる基地規則を合憲と判示した。問題の基地内には,民間人が自由に通行で
きる道路が通っており,労働党に所属する大統領選挙候補者らが,その道路上での
選挙用文書の配布,討論集会開催の許可を求めたところ,基地司令官により拒否さ
れたため,基地規則の修正−・条違反を理由に,同規則の執行の禁止を求めて出訴し
たものである。スチエ.アート判事による法廷意見は,まず,Adderley判決を引用し
ながら,公衆が政府の所有・管理する瘍所に自由に出入りすることの許されている
場合には,いつでも当該場所が修正一・条の目的にとってのパブリック・フォーラム
になるといった寮法原理は存在していないことを確認する。そして,FortDix基地
は兵士を訓練するための施設で,パブリック・フォーラムを提供するための施設で
はなく,軍地基地が伝統的に私人による自由な公開集会や思想のコミュニケーショ
ンの場であったという考え方は歴史的にも寮法的にも誤りであるとして,For・tDix
基地内で政治演説をする権利は存在しないから規則は合慈であると判示した66)。
また,U.S.PostalServicevCquncilofGr・eenburg67)は,郵便料金を支払って
いないものを郵便受けに配布することを禁止する連邦法を合憲と判示した。市民団
体が地域住民の家庭の郵便受けにメッセージを配布していたところ,その行為が上
記連邦法に違反するとの警告を受けたため,宣言的判決ならびに差止めを求めて出
訴した事例である。レーンキスト判事の手になる法廷意見は,以下の如く説示する。
ある財産が政府によって所有され,ないし規制されているからというだけで,その
財産へのアクセスが修正−・条によって保障されるわけではない。郵便受けは,全国
的な郵便配達システムの重要な鵬部分なのであって,それをパブリック・フォーラ
ムとすることには歴史的にも憲法上も根拠がない。従って,単に便利だからと言う
だけで,郵便料金を支払わずに郵便受けを利用してメッセージを配布する宕法上の
権利があるとの主張は認められない。そして,パブリック・フォーラムではないの
だから,厳格な審査を行う必要はない。もちろん,規制が言論の内容に基づくもの
である場合には,単に公務員がその話し手の見解を非とするという理由だけでコミ
﹂−﹂﹂﹂。﹂﹂﹂欄闇彊
ュニケーションを禁止することのないように,より慎重に審査されなければならな
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
いが,本件では,内容に基づく規制でないことに争いはない。当該連邦法は,郵便
サービスの効率を向上させるために制定されたものであり,また,戸別に文書を配
布すること自体を禁止したものでもないから,合憲である,と。
Gr・eer判決およびPostalService判決では,政府がある財産を設置ないし規制す
る目的が,パブリック・フォーラムである否かの判断基準とされているのであって,
Gr・ayned判決の両立性の基準は問題とされていないことが分る。更に,パブリック・
フォーラムでないとされた場合には,規制が言論の内容に基づくものであっても,
窓意的な差別があるかどうかの程度での審査に服するだけであって,言論の主題に
基づく区別は許されることを示唆しているものと思われる。
(3)これに対して,パブリック・フォー
ラムであるとされる場合には,Grayned判
決に代表される従来の判例が作りあげてきた内容中立的な合理的時・場所・態様の
規制の法理が適用され,更にそれを発展させている。
HeffronvInternationalSocietyforKrishnaConciousness68)は,州の祭りの会
場内での文書・物品の配布・販売,ならびに募金の勧誘等を指定されたブース以外
の場所で行うことを禁止する規則を合意と判示した。公園での問題であり,伝統的
フォーラムの事例である。ホワイト判事の法廷意見は,従来の判例を総括しながら,
ある規制が有効な時・場所・態様の規制であるかどうかを判断する3つの枠組を示
した。第1に,規則が言論の内容ないし主題に基づくものでなしラことである。この
点は更に,規則が万人に公平に適用されているかどうか,慈恵的な適用の可能性を
持つような裁量権が規制当局に付与されることによって,より見えにくい形での差
別が行われていないかどうかが,規制の実際の適用のされ方を基に検討されている。
第2に,規制は「重要な政府利益」を運成するためのものでなければならない。こ
の場合,当該フォTラムの物理的特性や機能,群集の密集状況,表現行為者の数や
群集の流れに及ぼす影蛮を根拠に判断されている。第3に,表現を行うための代替
的フォーラムの存在が十分に明らかで酎ナればならない。ここでは,当該フォーラ
ムに居る聴衆に対する効果的な表現活動が全面的に排除されているかどうかが,重
要な要素となっている。
次に,Widmarv。Vincent69)は,公認学生団体はその活動のために大学の施設を
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利用できるとしているにもかかわらず,宗教上の礼拝や討論を目的とする公認学生
団体の集会には施設利用を認めないとする州立大学規則を,違憲と判示したo Tin・
ker判決およびSoutheastern判決に従えば,集会に適した大学の施設は少くとも学
? 生にとってはパブリック・フォーラムの特徴を備えたものである70)。パウエル判事の
手になる法廷意見は,たとえ州が先ずフォーラムを作り出すことを要求されていな
かったとしても,公衆一般に開かれたフォーラムを作り也した場合には,そのフォ
ーラムからある特定の者を排除することは,原則として,患法上許されない,とす
る。そして,表現の内容に基づくフォーラムからの排除を正当化するためには,当
該規制がやむにやまれざる州の利益を促進するために必要であること,および,規
制手段が右目的を達成するために厳格に作られたものであることの証明が必要であ
ると判示している。
(4)バーガー・コートにおけるこのような判例の流れに沿ってパブリック・フォ
ーラムの類型論を提示したのが,1983年のPerTyEducationAssn”VPerryLocal
Educators,Assn71)におけるホワイト判事の法廷意見である。彼は,公有財産ヘア
クセスする権利の存在,および,そのような権利に対する制約の審査基準は,問題
になっている財産の特質に従って変化するとして,次の3つのカテゴリーを提示す
る。
第1に,伝統的パブリック・フォ
ーラム72)である。長い伝統や政府の認可によっ
て集会や討論に委ねられてきた場所であって,例として,道路・公園が挙げられて
いる。ここでは,政府は表現活動を全面禁止することは許されず,表現活動のため
のアクセスが保障される。そして,表現の自由に対する制約基準としては,Heffr■On
判決とWidmar判決が定式化した「内容中立的な合理的時・場所・態様の規制」の
法理が妥当する。
第2に,指定的パブリック・フォーラムである。州が表現活動のための場所とし
て公衆の利用に供してきた場所で,例として,公立学校の集会施設,公立公会堂,
公営劇場が挙げられる。ここでは,たとえ州がまず最跡こそのフォーラムを作り出
すことを要求されていなかったとしても,公衆に−・般的に開かれたフォーラムから
ある者を排除するミとは憲法上禁止される。その施設の開かれた性質をいつまでも
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
保っておくことを州は要求されはしないが,そうしている限りは,伝統的パブリッ
ク・フォーラムで適用されるのと同じ基準に拘束されるとする。ただし,判決の脚
注73)で次の様に述べている点に注意する必要がある。すなわち,この場合には,あ
るグループによる使用(例,大学施設の利用を学生に限る74))や,ある主題について
の討論(例,教育委員会の公聴会75))といった限定的目的のためにパブリック・フォ
ーラムが作られることがあるとする。表現者が誰れであるかや表現の内容を限定す
ることは,伝統的パブリック・フォーラムにおいては許されないのは当然である。
このような限定を州が付しうることを当然視している点で,伝統的パブリック・フ
ォーラムと指定的パブリック・フォーラムには異った制約基準が適用されることを
示唆している76)。
第3に,非パブリック・フォーラムである。伝統や指定によってコミニ・ニケーシ
ョンのための開かれたフオ⊥ラムとされてはこなかった公有財産である。ここでは,
単に話し手の見解に反対だとし;う理由だけで表現を抑圧しようとするものでない限
り,表現に対する合理的規制が許されるとして,Adderley判決の次の文言を引用す
る。「州は,私人たる財産所有者と同様に,州の財産をその適法な使用目的のために
州の管理下に留保しておく権限を有している7‘7)。」この場合,表現の主題や,話し手
が誰れであるかに基づく差別も,窓意にわたらない限り,認められるものと解され
る。
ホワイ、ト判事の示したこの類型の機能および有効性について評価を下すには,ま
だ,今後の判例の展開に待つどこ.ろが多いであろう。しかし,この類型は,Lehman
判決以後の々†−ガー・コートでの諸判決を体系化してみせたものと言える。先に見
た様に,バーガー・コートにおけ、る諸判決は,判事間の基本的対立を内包しており,
プレナン,マーシャル,パウエル各判事は両立性の原理を主張しつづけている。そ
こで,過去の判例,および両立性原痙に照らしながら,パブリック・フォーラムの
類型論について検討しておく必要があろう。
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4 類型論の検討−まとめにかえて
(1)パブリック・フォーラム論のそもそものねらいは卜表現目的でのアクセスの
保障(guar・anteedaccessないしminimumaccess)を声魂の自由論として確立しよ
うとすることにあったと思われる78)。この点から考えるならば,バーガー・コート期
の諸判決は,そうした主張を領域的にではあれ確立してきたことに積極的意義が認
められよう。従来の判例は,判決意見の中で表現目的でのアクセス毒保障の主張を
支持することはあっても,判決の実際の根拠は過度の広汎性79)ないし痍然性80)故に
無効,構成要件非該当81)等であり,表現目的でのアクセスの保障はそうした判示事
項の陰で曇らされてきていた。すなわち,そこで認められたのはせいぜい平等なア
クセスの保障(equalaccess)なのであって,裏を返せば,表現目的でのアクセスの
全面禁止も,平等に適用される限り許される,と解する余地を残していた82)。バーガ
ー・コートは「パブリック・フォーラム」という用語を意識的に用い始めることに
よって8さ),表現目的セのアクセスの保障の主張に修正一凍上の根拠を与えてきてい
ると言える84)。このことを最も明瞭に示したのはUnitedStatesv.Gr・aCe85)である
が,この判決については最近既にわが国でも判例批評が公刊されているので86〉,ここ
では名を挙げるに留めておく。
ホワイト判事の提示したパブリック・フォーラムの類型も,上に述べたバーガー・
コート期の諸判決の積極的側面を備えている点では評価されなければならない。す
なわち,伝統的パブリック・フォーラムにおいては,表現目的のためのアクセスが
保障されることを明らかにしている点である。
ホワイト判事の言う指定的パブリック・フォーラムについては微妙な問題が残っ
ている。そこでは伝統的パブリック・フォーラムに適用されるのと同じ基準が妥当
するとされてはいるものの,指定的パブリック・フォーラムのパブリック・フォー
ラムとしての性質を維持するかどうかは,その場所ないし施設が表現の自由の行使
に適しているかどうか,もしくは,そこで表現の自由を行使してもその場所ないし
施設の基本的機能を妨害しないか否かによって判断されるのではなく,ひとえに政
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
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府の判断に委ねられるとされているからである。だとするb ここでは表現目的の
ためのアクセスが保障されるのではなく,平等なアクセスが保障されるにすぎない
ことになる。更に加えて,先にも摘示しておいたように,指定的パブリック・フォ
ーラムであっても,経れがそのフォーラムを利用することができるのか,何の問題
についてそこで意見を表明しうるのかについて,政府は限定を付すことができる場
合があるとしている。フォーラムの目的の限定をどの程度にまで具体的に付すこと
が許されるのかが重大な問題になってくることは,Southeastern判決を振り返るま
でもないことであろう。では,目的限定を評価する基準は一体何であろうか。
指定的パブリック・フォーラムの性格を上述の様に把えてくるならば,それと非
パブリック・フォーラムの区別が実際上可能かどうか,可能だとしていかなる意味
があるのかを,問題にせざるを得ない。PerryEducation判決が指定的パブリック・
フォーラムの例として認めるのは,Widmar・判決である。Widmar・判決は,特定の
学生団体に対してだけ大学の施設利用を禁止することは,「やむにやまれざる利益テ
スト」を満たさない限り,修正−・条違反となると判示したものであったが,同時に,
大学は教育という使命と一致する合理的規制をその施設利用に対し課すことができ
るとし,例として,施設利用を学生に限り,学外者には認めないとすることが許さ
れると示唆している87)。非パブリック・フォーラムの例は,PerTyEducation判決
自身である。PerryEducation判決は,学校区がその学校間に独自に設けている郵
便システムとその一滴たる各教師用郵便受けの利用を,排他的交渉代表たる労働組
合には認めるが,そうでない労働組合には認めないとする政策を合態と判示してい
る。「非パブリック・フオ」ラムの概念の中には,暗黙の前提として,表現の主題や
話し手が誰れであるかに基づいて,アクセスを区別する権利が含まれる」から,そ
の区別は合理性のテストによって判断すれば足りると言うのである88)。この二つの
判決から,指定的パブリック・フォーラムと非パブリック・フォーラムの質的差異
を,強いて定式化するとすれば,前者では表現の観点(viewpoint)はもちろん表現
の主題(subラect・matter.)による区別89)も禁止され,その意味で規制は内容中耳的合
理的頒制でなければならないが,後者では表現の主題はもちろん表現の観点による
区別も,当該フォーラムの目的に照して合理的であれば,認められると言うことに
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
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長 岡
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なろうか90)。だとしたら,問題はあまりにも重大だと言わねばならず,PerryEduca・
tion判決もこれを認める趣旨ではあるまい。では,結局,非パブリック・フォーラ
ムの場合の方が規制当局により広い裁量の余地が認められる抽,という程度の問題
に帰着することになるのであろうか。
(2)範疇化のアプローチは,−・定範疇に属する表現には高い保護を与えるが,そ
の範疇からはずれた表現には低い基準の保護しか与えない結果になる場合があると
雪
いう危険性を内包している。バ、−ガー・コート期の諸判決は,パブリック・フォー
ラムの概念を確立しそ・こでの表現活動に高い保護を与えてきたが,逆に,パブリッ
ク・フォー ラムでないとされた場合には,殆ど保護を与えてきていない。そ・のよう
なアプローチに対しては,それはa11・Or−nOthingのアプローチであって,必ずしも表
現保護的ではないとの批判が強い92)。その点から,論者の中にはパブリック・フォー
ラムの概念自体の放棄を主張する者もいる93)。ホウィト判事の類型論も,バーガー・
コート期の諸判決を体系化したものであってみれば,そうした批判を免れ難い結論
を導き出すことになると思われる。パブリック・フォーラムの概念自体は維持すべ
きだとすれば,問題はバーガー・コー
トのアプローチが何故all・Or・nOthingの結果を
招来するものとなってしまったかにある。
一つの回答として,伝統的パブリック・フォーラムに対する表現目的でのアクセ
スの保障を確立することによって,その他の場所での表現活動を厳格に規制しても,
公有地での思想の自由な交換ができなくなるわけではなくなったことが挙げられ
る。たとえある場所での表現活動を禁止したとしても,道路や歩道,公園は全国至
る所に存在し,問題の場所の近辺にも存在するであろうから,話し手にとっても聴
き手にとってもコミュニケーションのための十分な代替チャンネルは常に存在して
いる−こうした配慮が,バーガー・コート期の諸判決の背後にあるのではないか
と言うわけである94)。しかし,他に表現の場所が存在するという理由だけで,適切な
場所での表現の自由の行使を制約できないことは,既に,1939年のSchneider判決95)
によって確立された原則である。従って,上記の様な考慮があるとしても,それは
正当化しえないものと言わざるを得ない。更に,たとえ考慮しうることがらである
としても,道路や公園が常にある場所にとっての十分な代替的表現の場となるかは,
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
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極めて疑わしい。その場所で表現すること自体の意味や効果が失われてしまうから
であり,また,同じ規模,構成の聴衆がその場所以外の場所で得られるとは限らな
いからである96)。
より根本的な回答は,ホワイト判事の類型化の方法論それ自体ば求められる。バ
ーガー・コー トで行われてきた類型化は,基本的に,「表現の自由を行使する目的で
そこに居る権利」があるかどうかを問題にするブラック判事のアプローチを基礎に
していると考えられる。そのような権利が存在するとされた所では,当然,表現の
自由の行使が認められるが,そのような権利が存在しないとなれば,これも当然の
こととして,表現の自由を行使する権利の主張は認められないことになる。加えて
バーガー・ コートは,右権利の存否の判断の基準として,伝統と政府による場所の
用途指定という形式的基準を用いているために,個々の事案の特殊性を判断に反映
させることが一層困難となり,all・Or・・nOthingのアプローチだとの批判に拍車を掛
けることとなっている。言わば,公物管理権の側からの類型化であると言えるとこ
ろに,バーガ・−・コートでの,従ってまたホワイト判事の類型論の問題性が秘めら
れている。
(3)これに対して,言わば,表現の自由の側から公物管理権にアプローチしよう
としたと言えるのが,「そこに居る権利を持つ者の表現の自由」を問題にするフォー
タス,ダグラス両判事のアプローチであり,その後の基本的両立性の原理の主張で
あった。両立性鹿掛こついては,先に指摘しておいたような問題が残されており,
特に個々の事件でどの程度まで具体的に両立性を検討するのかについては,この原
理の主張者であるプレナン,マ・−シャル,パウエル各判事問の見解の相違も見られ
ヽ
るところである97)。しかし,これらのアプローチは,事案の個性を十分に検討して,
表現の自由を現実的効果的に保障する必要性とその場所の通常の機能を維持する必
要性とを調整しようとする「柔軟なアプローチ98)」であって,バーガー・コー
ト期の
硬直化した諸判決に対する強力なアンチ・テーゼになっていることは疑いない。た
だ,柔軟なアプローチでありつづけようとするために「パブリック・フォーラム法
理の重要性を軽視している99〉」と批判されるところがあり,また,結局はケース・バ
イ・ケースの利益衡量に帰着してしまいかねない。こうした批判を避けるためには,
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長 岡
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ここでもやはりある種の類型化は必要だと思われる。
Tribe教授が提示するパブリック・フォーラムの三類型が興味をひく100)。第1に
本来的パブリック・フォーラムである。伝統的に表現活動のために用いられてきた
道路,公園,ならびにコミュニケーションを主たる目的として作られた施設(例,
公立劇場)がこれに含まれる。ここでは,重大な政府利益が存在し,かつその利益
を達成するために必要だと証明された厳格な規制手段を除いて,表現活動に対する
規制は許されないとする。第2に準パブリック・フォニラムである。公立学校や図
書館のように意思伝達を主たる目的として作られたものではないが,表現に密接に
関連した目的のために作られた公的施設が含まれる。ここでは,当該施設の中心的
目的に必要な静穏保持権限を政府は有するが,右目的と両立しうる平穏な表現活動
を排除できないとする。第3に非パブリック・フォーラムである。公立病院や刑務
所,軍事施設のように,表現に関連した機能を全く果さない公的施設をいう。ここ
では,政府は平穏な言論,集会でさえ排除しうる。但し,基本的コミュニケーショ
ンのための代替チャンネルが残されていなければならず,代替チャンネルが存在し
ない場合には施設の機能と両立する平穏な言論,集会は認されるとする。
Tribe教授の類型論につき詳しく検討する余裕はないが,次の点だけを指摘して
おきたい。第1に,この類型は,基本的両立性原理を念頭に置いて,表現の自由の
側から公物管理権に接近しようとする意図のものと考えられ,ホワイト判事の類型
とは,方法論的出発点において異ったものであると思われる。従って,「柔軟なアプ
ローチ」の余地を常に残したものとなっており,硬直したaユトor・・nOthingのアプロー
チに陥る危険性は,より少なくなっている。第2に,非パブリック・フォーラムで
代替チャンネルの存在が考慮されているが,これは,その場所で表現することの意
義,効果,換言すれば,表現内容と場所との関連性の考慮を含んだものであると考
えたい。すなわち,その場所での表現活動と同じ効果,効率を持ちうる代替チャン
\
ネルの存在を検討する趣旨であって,単に当該メッセージを他の手段でも伝達しう
るというだけでは十分ではないとする趣旨と考えられるべきである。第3に,準パ
ブリック・フォーラムと非パブリック・フォーラムとの区別は,必ずしも明瞭では
ない。例えば,図書館が「表現と密接な関連を持った施設」だとしても,人権差別
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
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に抗議して図書館に座りこむことと,同じ目的で病院や刑務所の門に座り込むこと
とを,果して区別して論じうるかどうか疑問である。
(4)パブリック・フォーラムの類型論は,わが国における公共用物と公用物の区
別を連想させる。しかし,公物の概念は表現の自由との調整という観点から作られ
たものでは全くない。政府による用途指定を重視する立場は,道路・公園・公会堂
等,国民がそこで表現活動を行うことを本来的に予定していると主張できる場所に
ついては,表現保護的ではあっても,その他の場所については表現の自由の保障に
役立たない。何よりも,その場所の基本的機能を妨害することのない表現活動が,
何故制約を受けなければならないのかを問わねばなるまい。更に,表現活動をその
場所で行うこと自体に意味がある場合のあることを想起しなければならない。
もっとも,わが国においては,道路・公園・公会堂等の本来的パブリック・フォ
ーラムにおいても,治安維持的な色彩の強い規制がしばしば行われる。公共の場所・
施設は,有力なメディアを有しない国民−・般にとって,表現の自由を現実のものと
するために必要不可欠なものであること,および,そこでは場所の物理的特性や利
用競合の調整の観点からする内容中立的規制しか許されないことを,強調してもし
すぎることはないであろう。
注
1)この時期の連邦最高裁判決はパブリック・フォーラムという概念を用いていない。パ
ブリック・フォーラムという概念を一腰的なものにしたbは,Kalven教授の業績であ
る。Kalven,77u?Cbnc砂tqfihefWlicFbrum:Cbx vLouisiana,1965Sup CT
REV1また,連邦最高裁がパブリック・フォーラムという用語を用い始めるのは,バ
ーガー ・コートに入ってからのことである。See,eg,LloydCorpVTanner,407u
S551,573(1972)(Marshall,J,dissenting);LehmanvCityofShakerHeights,418
U“S298(1974)
2)167US。43(1897)
3)CommonwealthvDavis,162Mass510,39NE113(1895)
4)ノ諾at511
5)Davisv”Massachusetts,167USA3,48(1897)
6)307US、496(1939)
7)〟at515−16
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78
長 岡
徹
8)Kalven,S多4)ranOtel
9)Hague判決自体はDavis判決を覆してはおらず,事案を区別するに留まっている。
Davis判決の先例としての価値を完全に失わせたのは,,今misonv・Texas,318US413
(1943)であるが,Jamison判決では,Hague判決がDavis判決を覆したとされている。
10)See,eg;Kalven,S84)Ya nOtel,at14;Note,771e Public PbYiEm”Mini
Aα・gSS,一鞄鋸JAc℃βSS,α乃d娩β爪矧h射硯微動彫励28ST−ANLREVl17,119(1975)
11)BrieffortheCommitteeontheBi1lofRightsoftheABAasAmicusCuriae,
HaguevCIO,307US496(1939),pOrtionsofwhicharereprintedJat307USat67
一82(1939)
12)Kalven,S84)昭nOtel,at13
13)SeeStone,FbYaAmeY慈ana劾eechinhiblicPhlCeS,1974SupCrREV・233,238
−39
14)5β¢壱dat239−241
15)Jamis9iivTexas,318U”S413(1943)
16)SchneidervNewJersey,308US147(1939);MartinvStruthers,319US141
(1943);SaiavNewYork,334US558(1948)
17)Schneider・VNewJersey,308US147(1939)
18)Coxv.NewHampshire,312US596(1941)
19)See,eg,MartinvStruthers,319US141,146(1943)
20)See,eg,SchneidervNewJeISey,308US147,163(1939)
21)372US229(1963)
22)379US536(1965)(CoxI);379USh559(1965)(CoxH)
23)372US,at235
24)SeeStone,St4)YanOte13,at246n54;Note,At玩iiaryA妙OaChto Chlims qf
n7StAmendmeniAccesS tO EWlircly OwnedPnperty,35STAN LREV121,123
(1982)
25)払方J,379US536
26)肋〝,379US559
27)SeeKalven,St4)YanOtel,at4−10
28)383US131(1966)
29)プレナン判事とホワイト判事がそれぞれ結果同意意見を書いている。プレナン判事
は,Cox判決においてルイジアナ州の治安妨害罪は過度の広汎性故に無効とされたの
だから,本件でもそれに従うべきと主張する。M at143(Brennan,J,COnCurTingin
thejudgment).ホワイト判事は,被告人は図書館を通常認められているように利用し
ていただけだったという意見である。1d at150(White,J,COnCurTingintheresult)
30)〟at141−42
31)〟at165−66
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
79
32)385US39(1966)
33)上衣at47−48
34)〟at54
35)318US413(1943)
36)〟at416
37)379US536,559(1965)(Black,J,COnCurringinC飢IanddissentinginCbxIT)
38)SeeStone,S多¢YanOte13,at248
39)Skeid at246−49;Note,S14)YanOtelO,at129−31
40)391US308(1968)
41)ブラック,ハーラン,ホワイト各判事がそれぞれ反対意見を執筆している。ブラック
判事の意見は,修正五.条が私的財産権を保障しているのであるから,他人の土地でピケ
ツティングをする権利は存在しないと主張する。Idat330(Black,J,dissenting),ま
た,ホワイト判事は,次の様に述べている。「たとえ〔本件ショッピング・センター〕
が『公的』財産の何らかの特徴を備えているとしても,それにもかかわらず,公的財産
にはある用途に利用することができても他の用途には利用しえないものもあることは
事実である。公的財産の中には,ピケ隊による使用や他の表現酒動を予定してもいなけ
れば,また,それらの用に供されたのでもないものが存在するのである。……\要点は,
し本件ショッピング・センター〕が公的財産であるか私的財産であるかにかかわらず,
それが買物のための場所であって,ピケッティングのための場所ではないということ
である。」1dat338(White,J,dissenting).後に検討するように,バーガー・コ1−ト
の諸判例ではある場所ないし施設の設けられた目的が,その場所ないし施設がパブリ
ック・フォーラムであるか否かを決定する重要な鍵とされて取′くのであるが,ホワイト
判事は既にこの意見の中で,そのことを述べているのである。ウオーレン・コート期に
おける対立図式はフォータス,ナダグラス両判事対ブラック判事であり,バーガー・コー
ト期におけるそれはマーシャル,プレナン両判事対レーンキスト,ホワイト両判事であ
ると言えようが,対立の基本的あり方は仙質していて,毎場人物とその発言の仕方が変
化したものと声えよう。
42)LoganValley判決は,LloydCorp vTanner,407U.S551(1972)で,i)表現の
内容がショッピング・センタ・一に直接関連した事例であったこと,ii)十分に効果的な
代替的表現の場所が存在しない事例であったこと,と言うこ点で重大な制約を受けた
後,HudgensvNLRB,424US“507(1976)で覆された。私有地での表現活動について
は,紙谷雅子「私有地における表現の自由−PruneYardShoppingCenterv.Robins,
447USり74(19錮)」ジュリ818号84頁(1984),長岡徹「ショッピングセンターに潔ける
ビラまき行為を認める州法と連邦憲法−PruneYard Shopping Center v.Robins,
447US74(1980)」判タ451号19頁(1981)参照。
43)393US503(1969)
44)〟at506
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80
長 岡
徹
45)ブラック,ハーラン両判事が,ここでもそれぞれ反対意見を番いている。ブラック判
事の意見は,生徒および教師は,言論の自由の行使の舞台として思い通りに学校を利用
する権利は決して持たないこと,生徒の学校での過し方を決定する権限は裁判所には
ないことを主張する。1dat515(Black,T,dissenting)
46)See,eg,Stone,St4)YanOte13,at249−50;Garrisoil,77u?PublicSchoolasEWlic
FbYum,54TEXLREV90,111−16(1975)
47)77nker,393US”at511−13
48)See,e8,Wright,771eCbnstitutionon theC加頑触,22VAND LREV.1027,1037
−38(1969);Horning,77wE7YSiAmendmentR#t to afWlic EbnLm,1969DUKE
L”J931,944;Nahmod,BeyondTinker:771e㈲SchoolasanEducationalEbbli’c
Fbrum,5HARV,CR−C.LLREV278,278−80(1970) ヽヽ
49)408US104(1972)
50)この点については先例が存在する。PoliceDepartmentofChicagovMos】ey,408
US92(1972)
51)408U.Satl16−17
52)See,e.gh,Stone,St4)YanOte13,at251−52
53)SeeG.GuNTHER,CoNSTITUT10NAL LAW−CASES&MATERIAI.,Sl197−98(10th
edh1980);Kalven,S84)YanOtel,at15
54)滋β辟乃βタα砂KaTSt,劫∂J査■(β乃ねゆγゴs♂α乃♂fゐβ助∂ゐc凡和明JA Cの循別の扉(川
So〝肋gαSね用減0如乃S,エ寝〃 C錮肌戒370HIOLJ247,248−49(1976)
55)既に,この同じ年にLloydCorp vTanner,407US551が下されてuる。前掲注
42)参照。Lloyd事件は私有のショッピング・センターでの反戦ビラまきの例であるが,
非伝統的パブリック・フォーラムに対する姿勢の後退を印象付ける判決である。
56)408US atlO6n1なお,ダグラス判事の反対意見は,この間題が本件でも提起さ
れているとして,被告人自身が騒音を発した証拠は存在しないから有罪判決を破棄す
べしと主張する。1dat121(Douglas,J,dissentinginpart)
57)418US298(1974)
58)420US546(1975)
59)ダグラス判事が同意意見を書いて,多数意見を構成する。彼は,公共交通機関の車輌
を,‘捕われの聴衆に対し思想を宣伝するためのフォーラムとすることはできないと主
張する。418US.at305(Douglas,J”,COnCurring)
60)多数意見を構成した残りの1名は,ダグラス判事である。彼は,事前抑制を正当化す
る手続的保障を欠くからではなく,まさに表現の内容を審査しているから遼東だと主
張する。420US at563(Douglas,J,,COnCurr・ing)
61)420US.at564(White,J,dissenting,Burger,CJ,joins);420US at570
(Rehnquist,J,dissenting)
62)「捕われの聴衆」の法理については,さしあたり,FHAIMAN,SpEECH AND LAW
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
81
IN AFREESocIATY139−48(1981)参照。
63)SeeStone,Sb4)YanOte13,at270−72;Note,Sゆ招nOtelO,at144−46;LTRIBE,
AMERICANCONSTITUTIONAI.rLAW§12−21,at692−93(1978)
64)Doren&Gor.a,ダ柁eSf・eeCh,PY坤er奴andtheBu7gerCourt:Ohll匂hLeS,New
B2hmces,1982SupCTREV195は,バーガー・コートの下で言論の自由と財産権の
調整が新しい段階に入ってきており,言論の自由は財産権と一・致する場合には保障さ
れるが,矛盾する場合にはわずかな保護しか受けなくなっているとして,判決例を批判
的に分析している。パブリック・フォーラムに関する諸判決でも,そうした傾向が顕著
であると指摘する(idat230−31)。See also Cass,E7YSt Amendment Accessio
GovemmentEbcilities,65VA LREV1287,1295−98(1979)
65)424U“S−828(1976)
66)パウエル,プレナン,マーシャル判事が,本件でも基本的両立性の原理を主張してい
る。ただし,パウエ)L/判事は,軍事基地という民間人の社会(civiliansociety)とは別
の特殊な社会での問題を扱っているのだから,修正一・条の権利の行使が軍事基地の基
本的活動を妨害するかどうかだけではなく,軍事基地との機能的・象徴的両立性も検討
しなければならないとする。そして,法廷意見とともに,軍隊の政治的中立性を現実に
確保するだけでなく,政治的に中立との外観を維持することも公衆の正当な利益であ
ると主張して,法廷意見の結論に同意している。1dat842(Powell,J,COnCurTing)
また,マーシャル判事の賛同するプレナン判事の反対意見は,「ある場所が『パブリッ
ク・フォーラム』であるとの決定が,修正冊・条上のものと論証しうる活動のあらゆる形
態にとって絶対的な前提要件であるとされてきたわけではない」と説き,ある場所での
ある表現活動が許容されるかどうかを決定するには,基本的両立性の原理に立った「柔
軟なアプローチ」が必要だと主張する。「さもなくば,ある場所がパブリック・フォー
ラムでないとの硬直した性格づけによって,その場所でのある種の表現活動が,その場
所でその言論がなされなければ行われるはずの活動と基本的に両立しうるにもかかわ
らず,抑圧ざれるかもしれないという危険がある。」Idat 858−60(Brennan,JL
dissenting)
67)453US“114(1981)
68)452U.S640(19飢)
69)454US263(1981)
70)〟 at267n5
71)103S Ct 948(1983)
72)PerIryEducation判決自体は,本文で言う伝統的パブリック・フォーラムを単にパブ
リック・フォーラムと呼び,指定的パブリック・フォーラムを指定的フォーラムと呼ん
でいる。ここではGoldberger教授の命名に従い,本文の様に名付けておく。Goldber・
geT,A斤gc∂乃蕗滋関頭0乃扉Cαひ」晦如月b噸Sゐよ柁Jα乃♪β椚0紹Sf和わ作ββ斤βq〝ゴ柁d
toEbythdcostsqfUsingAmerica†shblicFbrums?,62TEX.LREV.403(1983)
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82
長 岡
徹
73)103SCt948,955n7
74)Egh,Widma‡V Vincent,454U.S263(1981)
75)Eg,CityofMadisonJointSchooIDistrictv WisconsinPublicEmployment
RelationsComm’n,429US”167(1976)
76)SeeGoldberger,Sb4)YanOte72,at421n98
77)PerTyEducationAssnv.PefiiTLocalEducators,Assn,103SCt948,955(1983);
AdderleyvFlorida,385US39,48(1966)
78)See,eg,Kalven,St4)YanOtel;Note,St4)YanOtelO;GGUNrHER,Sb4)YUnOte53,
atl196−20
一
79)See,eg,Hague vh CIO,307U.S496(1939);Saia vNev York,334US558
(1948)
80)See,eg”,Edwardsv SouthCarolina,372US229(1963);Coxv Louisiana,379
US536(1965)
81)See,eg,Brownv.Louisiana,383US131(1966)
82)SeeNote,St4)mnOtelO,at12ト22
83)前掲注1)参照。
84)Tr・ibe教授は,パブリック・フォーラムに対する権利を確立した判例として,South−
easternpromotions,Ltdv”Conrad,420US546(1975)を挙げる。LTRIBE,St4)Ya
note63,§12−21,at689n4しかし,Southeastern判決の根拠は,表現の内容に基づ
く差別が,事前抑制を正当化するに必要な手続なしに,行われたことにある。従って,
表現目的でのアクセスの保障を確立したものと言い切ることはできまい。5如ACox,
FREEDOMOFExPRESSION58n205(1981)
85)103SCt.1702(1983)
86)紙谷雅子「パブリック・フォーラムーUnited States vGrace,103S.Ct.1702
(1983)」ジュリ821号87貢(1984),阪本昌成「修正−・条とパブリック・フォーラムー
UnitedStatesvGrace,103SCt1702(1983)」判タ535号26貴(1984)。
87)WidmarvVincent,454U.S263,267n5(1981)
88)PerryEducationAssnv,PerryLocalEducators’Assn,103SCt948,957(1983)
89)表現の内容に基づく区別(contentdistinction)を表現の観点に基づく区別(view・
pointdistinction)と表現の主題に基づく区別(subiect−matterdistinction)に分けて
論じることの問題性については,さしあたり,Stone,Restrictions qf$peechBe
扉去ねCo邦ね乃f刀ねf初別物γC払ゼの■5〝勿ec才一肋肋γ点βSfわcfわ刀も46UCHI・L
REV.81(1978)および,Redish,771e Conient Distincti’onin」鞘YSt Amendment
Analysis,34STAN.L,REV”113(1981)を参照。
90)PerTyEducation判決における反対意見は,本件は表現の観点に基づく区別が行われ
ている事例と把えている。PerryEducationAssnvPerryLocalEducators’Assn,
103S.Ct.948,961(Brennan,J,dissenting,Marshau,).,Powe11,J,Stevens
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アメリカ合衆国における
パブリック・フォーラム論の展開
83
これに対して法廷意見は,表現の観点に基づく区別か,主題に基づく区別かを明示して
いないが,表現の内容に基づく区別であることは認めている。そして,本件学校間郵便
システムは非パブリック・フォー ラムで,本来誰れもそれにアクセスする憲法上の権利
を持たないのだから,排他的交渉代表たる労働組合にだけアクセスを認めても,労使関
係の安定等の点から合理性が認められ合窓だと言うのであるい財at958−60
91)SeeGoldberger,SZ¢YanOte72,at423nlO6
92)See,egリNote,Si4)yanOtelO,at136;Karst,SL4mlnOte54,at249−50;Cass,S24)ra
note64,at1301−02
93)See,eg,Note,St4)7unOte24
94)SeeGoldberger,SゆYanOte72,at428−30
95)SchneidervNewJersey,308US147(1939)
96)SeeNote,St4)YUnOte24,at134−35
97)Greerv Spock,424US828(1976)におけるパウエル判事とプレナン,マーシャル
両判事との見解の相違については,前掲注66う参照。また,PostalService判決では,
プレナン,マーシャル両判事が本件でのパブリック・フーラムの存在を是認する点では
−・致しつつも,規制を正当化するに足る政府利益がどの程度厳格に証明されるべきか
の点で,意見を異にしている。本文の論点を直接支持するものではないが,併せて参照
されたい。CompaYeUSPostalServicevCouncilofGreenbur・gh,453US114,134
(1981)(Brennan,,,COnCurringinthe judgment)wiihidat142(Marshall,J”,
dissenting)
98)Gr・eerVSpock,424US828,860(1976)(Brennan,J,dissenting)
99)PeIryEducationAssnv PerryLocalEducators,Assn,103SCt948,957n9
(1983)
100)LTRIBE,Sb4mlnOte63,§12−21,at689−92