一 燈 一 燈 一 燈 一 燈

一燈
の新年を仮設住宅で、自立
と申し上げ、復興に向け、
さんには心からご苦労様
務に従事する町職員の皆
の仮設住宅で、借家で、そ
健康に留意されて町民の
年
して自宅でそれぞれが新
ため、新しいふるさと南三
201 2年、平成
しい年を迎えられたこと
とを祈るのみであります。
陸町建設に奮闘されんこ
2011年、平成23年
最悪の被災地から最高
と存じます。
日は 忘れること が
できない歴史的な一日と
させることが多くの犠牲
の住みたくなる町に復興
3月
なり、以来時間が止まった
者に報いる道であり、同時
さるボランティアの皆さ
に国内外からご支援くだ
ヶ
ままの状 態が続き、
月をまもなく迎えようと
しています。
んをはじめ支援者の皆様
先日、中越地震の被災地
南三陸町の人的被害は
数えます。今だ300名を
より、自分たちの経験を東
に対する何よりの恩返し
超える仲間が行方が知れ
日本大震災の復興に役立
死者486名、行方不明者
ず、この寒空に肉親が今ど
ててほしいとリーダーた
になるものと思います。
こにと眠れぬ夜を過ごし
ちが来訪されこう話して
312名、合計798名を
ていることを思いますと
いた。
被災直後は「地震のため
悪夢がいつまで続くのか
とやり場のない気持ちで
は皆地震のせいにしてい
にこうなった」と、悪いの
ようやく国の第3次補
たが、7年が過ぎた今では
いっぱいであります。
正が成立し、復興に向けた
国内外の多くの方々に
「地震でこう良くなった」
査や地域座談会を精力的
支えられ、新しい交流が始
方針が定まり、町では集団
に実施しています。多くの
まり、村の新しい価値が見
に変わってきたという。
主要職員を失い、自らも被
出され、町内外の方の協働
移転事業のアンケート調
災し、家庭や仲間の死を悲
によって住みやすい里づ
だという。
阪神・淡路や中越、奥尻
にアメリカに渡り、ロスア
地域と地域が広がり、まち
た方々には大変申し訳な
決定された。抽選から漏れ
140名の申し込みがあ
まり、次に隣組に話し合い
の輪が広がり、地域となり、 り、やむを得ず抽選により
夜は懇親会が催された。
明がなされた。
つと翌日見学予定地の説
藤敬子さんからもあいさ
身のインストラクター佐
いさつを行い、地元山形出
り、堀田理事長と筆者があ
らしく最後まで安心して
的に行われた。誰もが自分
実践例を学んだ。
あり、「地域包括ケア」の
ている小山剛氏の講演が
て新潟県長岡市で実践し
包括ケア」のあり方につい
午後からはホテルで茶
のではないかと感じたバ
ぞれが一歩を踏み出した
ように思います。あり
がと うございま した。
頑張ります。
● 最近は、私は今後どう
生きていこうか、ほそ
ぼそと老後を好き勝
手に誰にも迷惑はか
けないと思いつつ
悶々としていたとこ
ろでした。今回参加し
て、いっぱい元気をい
ただき、なんか少し道
が 開 けた 気が しま す 。
● 今後 の希望が持 てた 。
心強く思いました。
● 会場で協議したすば
らしい町づくりのよ
うな事を一日も早く
実現するよう願って
おります。
● 「地域包括ケアの町」
は理想の町です。少し
でも近づけるよう、み
んなで頑張りましょ
う。
先日、港の千葉建雄氏よ
りロスアンゼルス在住の
いとこが募金活動してい
ると情報を寄せていただ
いた。
元歌津村村長の故千葉
も いち
茂一氏の五男、故千葉裕祐
年代はじ め
んに心から感謝したい。
家族をはじめ、仲間の皆さ
っている千葉茂一氏のご
募金活動を行なって下さ
父の故郷の復興を願って
ある。遠く海の向こうから、
も取り上げられたそうで
アメリカの地元テレビで
という。この活動の様子は
福島県、茨木県に贈られた
宮城県をはじめ、岩手県、
NPO的組織)に寄付し、
系人グループで組織する
が集まり、JET(地元日
(日本円で約200万円)
動を展開。2万4千ドル
と母国のためにと支援活
鍋700食を提供したり
行ったり、チャリティカキ
箱を設置して募金活動を
ら千葉レストランに募金
津波で失った。震災直後か
家や親戚の方々の多くを
今回の震災では港の実
になった思い出がある。
裕祐さんには大変お世話
ンゼルスを訪問したとき、
大学の海外研修でロスア
以前、私もふるさと創生
ているそうである。
氏が中心となって経営し
開 店 し た 現 在 は 長 男 茂一
しげかず
で真剣に話し合った。目の
づくりに繋がっていきま
く、お詫びを申し上げます。
翌日は 「ふれあい工房」
地域で暮らせる「地域包括
話会。「復興のまちづくり
スツアーであった。
● 暗い 心が少しで すが 、
ンゼルス郊外に寿し店を
す。
このバスツアーは「安心
「かたくりの会」「高畠ワ
ケアの町」とはどのような
初日は午前8時頃、大型
を考える」をテーマに各集
なお、参加者の意見は住
明かりが見えてきた
輝きが違って見えた。
表した。どれも皆素晴らし
3日目は9時から討議
造資料館東光の酒蔵を見
い内容であった。
の経験に学び、彼等の経験
学し、上ノ山温泉古窯に到
結果をグループごとに発
月3日
まで 「さわやか福祉財団」
孫子の代に悔いが残ら
して暮らし続けられる町」
イナリー」を見学。佐藤敬
町なのか、参加者たちは気
先生として、最悪から最高
を目指したまちづくりに
ない決断をそれぞれの家
を目指して「地域コミュニ
子さんが経営するディサ
づいたのではないかと感
分 からは 「地 域
着。4時から開会行事があ
庭で、地域で、まち全体で
ティの再構築」「安心を実
ービスや給食の宅配サー
じた。
9時
主催のふれあいバスツア
話し合いの輪を広げて行
感できる保健医療・福祉の
ビス、ふれあいの居場所を
初日とは違い、見違える
ーが実施された。
ってほしいと思います。そ
まちづくり」の実現のため
見学。身近な施設を活用し
ような熱気に満ちた参加
名の募 集人員に対 し
の過程が民主主義そのも
住民が自分たちのまちづ
て運営している姿にほっ
で話し合うことからはじ
のであり、まちづくりその
くりについて一緒に考え、
者たち。復興に向け、それ
苦しくも、辛くとも、誰
つのではなく、まず自分か
バス2台に分乗し、平成の
落ごとに分かれてグルー
に企画したものです。
ら言い出す勇気を持つこ
森を出発。目的地山形県米
かがやってくれるのを待
とだと思います。
月7 日堀田理事 長
労様でした。
参加者の皆様、大変ご苦
とともに直接手渡した。
長に
民からの提言として副町
を見学。昼食後、酒
プ討議を午後9時過ぎま
講演終了後、質疑が積極
ものであります。
とする。
30
参画していくことを目的
我が家のことは我が家
邁進したいと思います。
を参考にして、彼等を良き
月1日から
12
70
沢市上杉神社、上杉博物館
新しい年のスタートに
当り、新しい地域づくりの
ために歌津地区に住む一
人ひとりが 「さあ言おう」
の掛け声で、皆で手を取り
合って一歩を踏み出すこ
とを念じ、皆様のご健勝を
祈りつつ年頭のごあいさ
つといたします。
12
第 11 号
1月1日(日)
しむ暇もなく、通常業務に
氏は、昭 和
40
12
討議が行われた
すばらしい歌津
をつ く る協 議会
くりに努力してきた結果
☟真剣にグループ
24
10
加え、何倍もの震災対応業
☚車内の様子
会 報
11
ふれあい工房を見学する参加者
平成
年
23
月8日から
したいと改めて感じさせ
に向う。宝塚応援団のメン
三日目は奈良から神戸
界遺産に登録されており、
バーと阪神淡路大震災記
人のご縁ほど不思議
駈道のふたつの「道」は世
多くの参拝者が往きかっ
念 「人 と 防 災 未 来 セ ン タ
なものはない。先日奈良か
られた4日間であった。
たと言われている。千メー
ー」にて合流し館内を視察
伊里前仮設商店街
付近に建設中の大きな建
「一燈」の読者がご縁のは
れています。水産のまち南
急ピッチで工事が進めら
二月中旬完成を目指して
を送ると、コピー用紙千枚
もに手紙が届いた。
「一燈」
て下さい」と支援物資とと
見ました。「一燈」を送っ
御礼の電話をした。会話
三陸町にとって、復興の鍵
魚貝類が水揚げされ、水産
の中でご主人が奈良大学
が送られて来た。
加工場が稼動し、はじめて
個の大 般
議さを感じる旅であった。
思うと同時に、ご縁の不思
会った。世の中狭いものと
仙沼高校卒業生の二人に
生の中に仙台市出身と、気
ていただいた。何とその学
被災地からの報告をさせ
た。奈良大学で学生たちに
けてくれるご縁に恵まれ
願をと電話一本で引き受
全く見ず知らずの私の
送った。
が愛用した参考書などを
若経をはじめ、文隆和尚様
速ダンボ ール
の有難い電話であった。早
着払いで送って下さいと
させていただきますので、
先生から翌日、大学で修復
ったことを伝えた。すると
古文書が津波の被害にあ
菩提寺の本堂が流失し、
のことだった。
保存を専門としていると
れており、文化財の修復や
の文化財学科の教授をさ
・災害の 杉材利用で 復興の
集まり語れる テーブルつくる
山内 亮 先生
・「一燈」は 絶対守れと 火の用心
韮の浜から 拍子木ひびく
海に活気が戻ります。
は水産加工場の復興です。
ある日、奈良の西山洋子
あの建物は及新商店本
社、社屋と水産加工場です。 さんという方から「新聞で
じまりである。
45
物は何かと尋ねられます。
ら兵庫への有難うの旅も
トル級の山並を一望でき
ープンしました。元歌津公
民館駐車場に7店舗が開
店。
①総合衣料のマルエー
②B・Jヤマウチ(パーマ)
③㈲マルタケ大衆ストア
④ナカノ電気
⑤アスリートやまうち
⑥ カットクラブチバ (理容)
⑦㈱マルアラ (海産物)
営業時間は毎日午前9
時から午後7時まで。
暗かった伊里前の街に
明るい輝きが見え、何かほ
号 線管の 浜信 号
二日目はボランティア
13
っとし、そして安心しまし
た。
国道
する。規模といい、大型ス
12
「伊里前福幸商店街」がオ
日仮設商店街
る風景は「天空の郷」と言
交流会が行なわれ、当日は
な対応に、どこかほっとし
た家庭のぬくもりを感じ
宝塚市応援団及びボランテ
ィアの方々に現地の報告を
する小野寺会長 (右写真)
月
団体共同支援ネットワー
地震破壊のすさまじさと
クリーンに写し出される
歴史も古く、遡ること1
われる。
川村を訪問した。奈良市内
クの武田氏の案内で十津
一つは会報「一燈」がご
名程が 熱
心に聴講していただいた。
ィアの皆 さん
応援団はじめ、ボランテ
報告をした。
受け、3時より現地からの
地元宝塚FMの取材を
えてくれた。
は絆Tシャツを着用し迎
ターを訪問。メンバーたち
ら宝塚ボランティアセン
迫力に圧倒された。午後か
いわれる。
井庄五郎も十津川郷士と
続けた「居合いの達人」中
剣り、ひとつ頼りに疾走し
われたという。幕末の世を
主自立」の十津川気質が培
来、幕府直轄地として「自
になったとされている。以
げた功により、郷は免租地
て天武天皇のため兵を挙
200年、壬申の乱におい
% を占め、古 来
県と接する日本一広い村。
十津川村は南に和歌山
が見える。
るところに崩壊した山膚
た道を縫うように走る。到
った谷沿いの曲りくねっ
ートル級の山々の切り立
から車で約3時間半、千メ
タ」のメンバーに現地から
の報告をすること。奈良大
学文化財学科の教授に西
光寺の古文書約1500
点を修復依頼していたた
め表敬訪問すること。
山林が
より林業を生業とする村
十津川村に義援金を届
けること。そして宝塚歌津
である。
十津川村更谷村長に面会。
災害復興住宅に体験宿泊
夜は応援団の皆さんと
へ通じる最短距離となる
歌津地区民1247世帯
月9日午後1時過ぎ、
熊野参詣道小辺路、大峯奥
をさせていただいた。鹿児
からの義 援金
津中学校からの義援金を
手渡した。
更谷村長は、「私たちの
奈良の皆さんも宝塚の
る一夜であった。
陸町からの義援金は大変
皆さんも、被災者に寄り添
って力になりたいと真剣
に応えられるように前進
に考えている人たちばか
お話されました。
有難く勇気が出ました」と
村より被害が大きい南三
島県出身のご夫妻の親切
万円と 歌
聖地高野山と熊野三山
応援団のメンバーに現地
からの報告をすることで
あった。
第一日目、奈良大学を訪
問し、西光寺の古文書の修
復状況を見せていただき、
御礼と併せて学生たちに
被災地からの報告の機会
をいただいた。
夜は奈良大学教授の奥
40
更に、地元材活用の仮設
☟2011 年 12 月 10 日(土)
様が主催する 「オタオタ」
87
りであった。なんとか期待
読売新聞奈良県内版に掲載記事
住宅を視察し、十津川村を
後にした。
☝地元材 100%活用の仮設住宅
名に現地 か
「熊野古道小辺路」☛
☝崩壊現場
のメンバ ー
らの報告をした。
12
98
良 市 歌 津 応 援 団 「オ タ オ
縁で交流がはじまった奈
で奈良と宝塚を訪問した。
日まで次 の4つの目 的
12
17
49
11
奈良歌津応援団「オタオタ」との交流