第11号 2011年3月16日発行 (PDF - 中部徳洲会病院

Smile! Smile!
Cyutoku Residency Program
創刊第 11 号
March.16.2011
vol.1
2年次研修医 長田 博臣
3年目 中部徳洲会病院 小児科
~6期生卒業特集~
院 長 伊 波 潔
年をとると月日の経つのは早い
もので、もうすぐ君たち6期生も卒
業となります。その分、私の人生も
短くなったという訳ですが…。
まあ、とにかくおめでとう。みん
なよく頑張った。君たちが入ってき
た時はどうなるかと思った。仲間割
れはするし、1 人は爆走するし…。
でも、2年間でみんなそれなりの医
者になった。
君たちは中部徳洲会病院では多
くのことを学んだはず。その大部分
は自分たちで経験から学んだこと
で、教えられたことはわずかだと思
う。しかし、人から教えられたもの
はすぐ忘れるが、自分が経験して学
んだものは一生忘れないもの。私が
理想とする教育は、一人で生きてい
く生き方を教えること。そして、医
者は怖い思いをしないと成長しな
いもの。誰かに包まれていたら、成
長しない。君たちは十分怖い思いを
して成長したはず。しかし、先輩た
ちはもっと怖い思いをして、君たち
を見守っていてくれたことを忘れ
てはいけない。
そして、最後に、君たちが中部徳
洲会病院で学んだ、私が一番学んで
ほしかった一番大切なことは、医者
としての姿勢。比嘉先生を始め、多
くの先輩方の患者さんに対する姿
勢、優しさは君たちのこれからの医
師人生で、道しるべとなり、一番の
宝物だ。
残って中徳で頑張る人、外の世界
に飛び立つ人、それぞれの道を自信
を持って、歩んでほしい。また、君
たち9人と一緒に働ける日を夢見
て、君たちに負けぬよう、年寄りは
走り続けます。
おめでとう。よく頑張った。
振り返ってみ
る と、 あ っ と
いう間に過ぎて
い っ た 2 年 間。
研修医になりた
ての 2 年前、沖
縄で一番忙しい
といわれるこの
中徳で、最初に
自分に課した目
2年次研修医 手登根 勇人 標は「忙しくて
も常に笑顔でい
3年目 中部徳洲会病院 外科
ること」でした。
しかし実際に働き始めてみると、夜中に
お久しぶり
酔っ払って救急車でくる患者さん、何日
です。寒さも
も前からの腰痛、関節痛で歩けるのに救
急車で来る患者さん達に、忙しさの中で
だいぶ和らい
気持ちの余裕を失い、つい強い口調で接
できた中 , み
してしまうことなど度々ありました。で
なさんはどの
もそんな忙しい中で、なんとか「常に笑
ようにおすご
顔」の気持ちを持ちながら 2 年間やっ
しでしょう
てこれたのは皆さんの支えがあったから
こそです。月に 14、15 回の当直で疲れ
か?
きっているときに「頑張れよ」と声をか
中部徳洲会病
けてくれるスタッフの先生方、「いつも
院に勤めるよ
元気だね」と声をかけてくれる看護師さ
うになって、
ん、コメディカルの方達、その一言で何
はや2年が経とうとしています。初期研
度も「笑顔で頑張ろう」と自分に言い聞
かせながら気持ちをリセットしてきまし
修が終わるにあたってこの2年間を少し
た。そしてその気持ちを持ち続けること
振り返ってみようかと思いますが、やは
ができた一番の理由が研修医になりたて
り「感謝」という言葉が一番に浮かんで
の頃に患者さんから投書で頂いた「いつ
きます。ところで「感謝」という言葉を
も話を聞いてくれてありがとう」という
Yahoo で検索してみると「幸せのホー
感謝の言葉でした。研修医になりたてで
ムページ」という謎のサイトが一番目に
医療技術や知識はもちろん、一般の業務
ですらままならない中で、患者さんには
ヒットしました。その中で「自分の持っ
しっかり接しようと心に決め接していた
ている幸せに気づく方法に感謝すること
2 年間の何
があります」と記載されていました。ちょ 中で頂いたこの言葉が、この
よりの支えでした。これから先忙しくて
うど良い機会なので自分の幸せに気づい
余裕がなくなっても、この言葉を胸に患
てみようかと思います。
者さんと笑顔で向き合っていこうと思い
ます。
私は今からちょうど2年前に医師国家
2 年間本当に多くの患者さん、先輩医
試験を終え、中徳で初期研修をすること
師、看護師、コメディカルの方々に支え
が決まっていました。多忙な生活を送る
られながら過ごしてきました。この 2 年
だろうとある程度覚悟をして望みまし
間で経験したことは今後の医師人生の中
た。しかし、現実はそううまくはいかず
でかけがえのない宝になると思います。
2 年間お世話になった患者さん、スタッ
失敗の繰り返しでした。でも当直の回数
フの先生方、看護師、コメディカルの方々
は減らないし、休んだらみんなに迷惑が
に感謝。
かかるし、と緊張のしっぱなしでした。
そして 4 月からは小児科医としてまた 1
もちろんこんな僕でも一時期に気持ちが
からのスタートとなります。これからも
沈む時期もありました。そんな中でした。 より一層皆さんのお世話になると思いま
患者さんやその家族から感謝されたこと
すがよろしくお願いします。
がありやはり医師と職業はやりがいのあ
2年次研修医 平岡 知子
る仕事だと思い頑張ろうと思いました。
3年目 中部徳洲会病院 救急総合診療部
患者さんのおかげで僕はどうにかやって
いけたと思い感謝しています。また、仕
つ い に、 こ
事をやるにあたって上級医の先生、看護
の時がきてし
師さんや技師さん、医事課などのスタッ
まいました。
フのサポートは絶大なるものでした。多
小心者で鈍臭
大なご迷惑をかけましたがみなさんの支
くて眠たがり
えがあっての今の僕があると思っていま
のワタクシ
す。さらに現在の僕があるのは同期の仲
が、こんな恐
間のおかげだと思っています。みんなそ
ろしい、体育
れぞれ個性的でしたが優秀で学ぶべきと
会系で体力勝
ころも多かったです。僕がここまで成長
負で、当直回
できたのはみんなのおかげです。
数も患者さん
今、この文章を書いている間に様々な
の数も突然の無茶振りな仕事 ( 笑 ) も多
感謝なできことが走馬灯のように思い出
い病院で、2年間辞めずに続けること
され幸せな気分になれました。4月から
ができようとは・・・何とも不思議な
は残留して外科スタッフとして仕事に望
感覚です。
みます。初心を忘れずに日々精進してい
優秀な同期や先輩・上級医の先生を見
きたいと思います。
るにつけ、自分の能力の低さが辛くて、
最後に、僕をここまで育ててきてくれ 「自分は医師の器ではない、何で医師免
許なんか取ってしまったのか」と最初
た両親に感謝しています。
は泣いてばかりいた時期もありました。
(次ページへ)
Smile! Smile!
Cyutoku Residency Program
たいした診察も治療もしていないの
に、患者さんに「ありがとう、がんば
って」と声を掛けられて、嬉しいけど
申し訳なくて泣きそうになったことも
ありました。本当に1年目は落ち込ん
でばかりで、自分でもびっくりするく
らい泣いていました ( 苦笑 ) そんなワ
タクシが、なぜ2年間辞めずにすんだ
のか。今振り返ってみると、やはり周
囲の明るさと優しさのお陰だったのだ
と思います。要領が悪く、自分でもか
なり出来が悪いと分かっていたので、
外来でも病棟でも看護師さんやその他
のスタッフに嫌がられているのではな
いかとビクビクしていました。でも、
そんな意地悪な人や怖い人はどこにも
いなくて。どこかで冷たく扱われたり
嫌味を言われたりしていたら、私はき
っと仕事を続けることは出来なかった
と思います。2年目になって「平岡先
生は仕事遅いけど、一生懸命やってる
姿勢が見えたから、そんなに怒らなか
ったのよ」と外来の看護師さんに教え
てもらったとき、自分は本当に周囲に
支えられていたのだと改めて思い、目
頭が熱くなりました。職種の垣根が低
く、みんな雑談や冗談を言いながら、
間違ったときはちゃんと指導され、研
修医と馬鹿にされず「医師免許のある
人」としての役割と決断を求められる
環境は、本当にありがたいと思います。
中徳での研修は症例数をこなすのもさ
ることながら、医師としてあるべき姿、
求められる姿、患者さんに対する責任
感を学ぶという側面も大いにあると、
2年間を通じて感じました。同期やそ
の他の病院スタッフ、私を支えてくれ
た中徳の全ての方々に感謝でいっぱい
です。
2年間本当にありがとうございまし
た。これからもまたよろしくお願いし
ます。 (平岡 知子)
2年次研修医 佐々木 優花
3年目 中部徳洲会病院 小児科
2 年 間 本 当
にありがとう
ございまし
た!! 振 り 返
る と、 多 く の
人に支えられ
助けられて過
ごした 2 年間
だったなーと
感謝の気持ち
でいっぱいで
す。まだまだお医者さんごっこ状態のよ
うな私に診察させてくださった数々の患
者さん、ありがとうございました。気管
挿管や CV 挿入、ルンバール等‥覚束な
い手元に恐怖を感じたに違いないのに、
何も言わず耐えて下さった患者さん方、
ありがとうございました。何も分からな
い状態を一から、時に叱り時に褒めて育
てて下さった諸先輩方、本当に本当にあ
りがとうございました。一緒に数知れな
い恐怖の当直をこなし、辛い時には支え
てくれた同期&後輩のみんな本当にあり
がとう。月 10 回以上の当直にも耐えら
れる丈夫な体に産んでくれたお父さんお
母さんありがとう。4 月からは小児科医
として中徳で研修するので、またいろい
ろなところでご迷惑をおかけすると思い
ますが、どうか宜しくお願い致します。
創刊第 11 号
March.16.2011
vol.2
2年次研修医 早川 真人
「そうなんですかぁ~?」と半信半疑な
私。まあ先輩の言うことだからきいてお
3年目 滋賀医科大学 心臓血管外科
こう。この先も輝ける未来は待っている
早いもので
かもしれない。でもこれほど昨日より今
とうとうこの
日、今日より明日と成長し続ける日々は
時期がやって
もうないだろう。
き ま し た。 前
6年生の 12 月に出産。卒試・国試を
回 の「Smile
通り、首がすわったばかりの娘を院内保
smile」でも少
育園に預けて研修をスタートした。学生
し振り返りを
の頃よくみていた研修医ドラマ Gray’s
させていただ
Anatomy の中で新人研修医達に浴びせ
き ま し た が、
られた言葉「あんた達は何にも知らずに
今回はその総
現場に来た。早く生まれすぎた赤ん坊と
集編というこ
一緒。」医学生の頃から臨床の実践経験
と で、 こ れ ま
でに感じてきた思いを全てぶつけて見た を積むアメリカでさえ研修医はこう言わ
いと思います。思えば 2009 年 4 月に入 れるのだ。私が初めて当直をした頃など、
職した頃は不安だらけの毎日でした。医 早産児どころの騒ぎではない。重傷患者
療を実践しようにもその方法すらおぼつ を前にしてもやるべきことが全く思い浮
かず、周りに迷惑をかけてばかりいたの かばないし、除細動器が怖くて触れない。
を思い出します。毎日が知らないこと、
あの頃の医者としての自分を考える
慣れないことの連続で、正直何度も辞め と、首がすわっている分だけ娘にも負け
たくなるときがありました。でも同時に、 ていた。現在2歳になった娘は自由に走
ここで 2 年間の研修を全うすれば絶対に り回り、「ここにあったさー!」と誰に
満足できるものになるという自信もどこ 習ったのか沖縄風のしゃべり方をするよ
かにありました。そして今、その瞬間を うになっている。私は毎日何十人もの外
迎えてみてそれが事実であるということ 来患者を診て、次々と来る救急車に対応
を確信しました。
怒られるのを覚悟で言えば、ここで し、1年生のコンサルトを受ける。まだ
の研修はまさに「はちゃめちゃ」でし まだ半人前ではあるが、医者としての成
た。近年、世間で言われる「よい研修病 長を考えると、人間の2歳児くらいには
院」とはスタッフも多くて、当直明けは なったのではないかと思う。
ここまで育ててくれた中徳に感謝の気
原則休暇が取れて、指導医からの教育体
制もしっかりしているなど、どれをとっ 持ちでいっぱいだ。2年生になり院外の
ても研修医の QOL が高い病院です。し ローテートが多くなり、離島にも行った。
かし中徳ではお世辞にもこれらが揃って たまに中徳にいると、すれ違うスタッフ
いるわけではありません。でもそれが故 がみんな「先生久しぶり!どこにいって
に自分で考える機会のとても多い研修で たの?」と声をかけてくれる。中徳は私
した。自分で考えて行動するということ にとって居心地がよく、働きやすい病院
はそれに責任を持つということになりま なので離れるのは本当につらい。いつか
す。早い段階から責任をもって医療を行 一人前になって恩返しをするために、輝
うことはとても重要なことだと思いま ける未来のために(?)今、巣立ちの時だ。
す。世間の「よい研修病院」では教科書
的な知識や手技などを系統立てて教わる
でしょう。しかし実際の現場では教科書
のようにうまくいかないことがとても多
くあります。そんなときにある程度柔軟
に対応できる能力を身につけることが出
来たのは中徳での研修のおかげだと思っ
「初期研修終了
ています。
来年度からは滋賀医科大学の心臓血管 おめでとうございます。
」
外科教室でお世話になる予定です。4 月 入職時の初々しく、期待と不安の入
からの生活も決して楽ではありません。
むしろこの 2 年間よりもハードな生活が り混じった表情を思い出します。入
待っていることでしょう。しかし「はち 職オリエンテーションの懇親会の余
ゃめちゃ」な中徳の研修を乗り切ること 興はビックリしながらも楽しませて
ができたのですから、その自信を胸にど
んな壁も乗り越えていきたいと思ってい いただきました。研修が始まり指導
医の後ろに就いて一生懸命メモを
ます。
最後に、この 2 年間は周囲の皆様に育 取って学び、看護師の質問や要求に
てていただいた 2 年間でした。ご迷惑を
お掛けしたことをお詫びするとともに、 対応出来ず困りはて、患者さんとの
心から感謝しています。本当にありがと 辛い別れや悔しさも経験し。当直の
うございました。
時は病棟や救急外来によばれ多くの
看 護 部 よ り
2年次研修医 直海 玲
3年目 県立中部病院 産婦人科
「一生研修医
で い た い!」 そ
んな駄々をこね
てもどうしよう
もない。2年間
の初期研修は間
もなく終了しよ
う と し て い る。
中徳で研修した
日々があまりに
もキラキラと輝
い て い て、 こ の
先の医者人生でこれ以上楽しくて、充実し
て、やりがいにあふれた時間は二度と来な
いだろうという気持ちになる。「これから
が楽しいんだよ。もっといろんなことがで
きるようになって、もっとやりがいがある
よ。
」と先輩達は口を揃える。 (右上段へ)
患者さんを抱え頭が混乱することも
あったでしょう。当直明けで疲れ果
ててカルテの前でコックリ居眠りな
んてこともその経験の中、2年目は
頼もしく成長、その半面一寸天狗に
もなったりする研修医もいました
が、夜勤看護師の頼りの綱になって
いたのも確かです。初期研修を終え、
それぞれの目標に向かって旅立つわ
けですが、どこへ行ってもやってい
けるくらいに成長しているのではな
いでしょうか。できれば、
当院に残っ
て一緒に働けたらいいと思います。
これからも今までのように前向きに
学んでますます立派な医師になるこ
とを祈っています。
Smile! Smile!
Cyutoku Residency Program
2年次研修医 上門 あきの
3年目 琉球大学 第二外科
創刊第 11 号
March.16.2011
2年次研修医 江角 悠太
3年目 三重大学 家庭医療学講座
vol.3
2年次研修医 山中 理菜
3年目 琉球大学 整形外科
2 年 間、 本 当
いま宮古島
早いもの
にありがとうご
で筆をとって
で中徳にや
ざいました。
います。春の
ってきて (
この言葉は、す
香りがとても
住むように
べての中部徳洲
ここちよく温
な っ て? )
会病院の職員の
かい空気に包
2 年が経と
皆様にささげた
まれていま
うとしてい
い言葉です。
す。とても温
ま す。 中 徳
当院に入職する
かい。
のスタッフ
ことを決めたの
この 2 年間、
の皆さんと
は、医師になる
本当に、あり
仲良く仕事
ことを志し、琉大医学部入学を目指してい
がとうございました。中部徳洲会病院で働
をさせてもらえて 2 年間本当に楽し
た頃のことです。来院した際に事務の方々
いて、本当に温かい気持ちをいただきまし
い日々でした。もうそろそろこの住
をはじめ、看護師さんやその他のコメディ
た。社会人として大きな2年をいただきま
み慣れた空間から卒業しなければな
カルの方々が患者やその家族に対する優し
した。この病院に流れ着いて 2 年が経と
らないかと思うと淋しい限りです。
い多くの心づかいにとても感銘を受けたか
うとしています。「できるだけ忙しい病院
らです。それは、その時対応した方々にと
本当にたくさんの思い出が中徳には
で働こう、修行だ。そこでつぶれるような
っては、至極当たり前の事だったかもしれ
ら最初からたいしたことは出来ない。」と
あります。ありすぎて思い出せない
ません。しかし、それは私がこの病院に入
いう気持ちで、周囲からはかなり反対され
くらいです。その全てが自分を成長
職する最大のきっかけとなりました。「も
ましたが中部徳州会病院で研修をすると決
させてくれるいい栄養であったと思
し、医者になって最初の経験を積むなら、 めてから 2 年。
「周囲がそこまで批判する
っています。この 2 年間、自分のペ
この病院のように多くの職員が患者さんの
徳州会とはなんぞや、みんな噂だけでもの
ースでゆっくりとではありましたが、
ことを考えた病院で働きたい」と思ったか
をいって、実際、自分の目で確かめたい、」
人としても医療人としても少しは成
らです。晴れて医師になっても、所詮学生
という好奇心と懐疑心で沖縄の地に足を踏
長できたかなと思っています。
あがり。患者さんの前に医師としてベッド
み入れました。「江角がふつうに振る舞う
たくさん成長する場面はありました
サイドに立つには、患者さんのためにどれ
と周りには誤解をされることが多いから、
が、何よりも自分が成長できたと感
だけ考えられるか、ということが最も重要
周囲の空気を伺ってから行動に出た方がい
じたのは石垣島での離島研修でした。
であり、中部徳洲会病院で研修を積めば、 い、はじめはしたたかに」という友や後輩
離島ではペーペーの研修医であろう
先輩医師の方々からだけではなく、病院に
の助言を元に、ひっそりとおとなしくして
と一人の医者であり、中徳では味わ
勤める多くのスタッフから学べるのではな
いよう、と心にきめ臨んだ初日の歓迎会。
ったことのないような重圧を日々感
いか、と思ったからです。
一生懸命に場を盛り上げ、盛り上げ一心不
じて診療をしていました。自分の心
最初の勤務日は正直、希望もありました
乱に飲酒されていた先輩を、隣から苦情が
にある怠慢ひとつで患者さんの命は
が、不安も同じくらいありました。という
来たことを理由に追い出そうという雰囲
簡単に危機に陥るということを実感
のも、当院は沖縄でも有数の研修が厳しい
気になり、「頑張って盛り上げていたこと
病院。その名は琉大でも「あの病院で研修
させられました。どれだけ一人淋し
を賞賛するならまだしも、手のひらを返し
するのは、尋常な体力ではやっていけない」 たように、追い出そうとするとは何事だ、
いアパートで悔し涙を流したことか。
という評判があったくらいです。実際、勤
笑って謝って、皆で店を出るのが仲間に対
そんなとき中徳の先生がどれだけ素
めて最初の 1 年は、多くの患者の診察と病
する思いやりだと」気づいたらいっちゃっ
晴らしいのか、どれだけ努力をされ
棟業務などで体がいくつあっても足りない
た、同期はドン引き、
、あ、やっちゃった、
ているのか思い知らされました。「痛
のではないか、と思いました。しかし、そ
から 2 年。猫もかぶることができない自
い目にあって分からせる。」遠く離れ
の度に多くの病院スタッフに支えられなが
分、「もっと大人にならなきゃね」と同期
ていましたが、まさしく中徳の教育
ら、何とかここまでたどり着くことができ
からにゃンにゃン声でしたためられ撃沈。
方法にどっぷりと染まった思い出深
ました。最初に PHS で病棟からの電話う
ドン引きされ続きの 1 年間がすぎ、2 年
い離島研修でした。そしてこんな私
けたときには、本当に忘れられません。自
目 の 5 月、 救 急 研 修 で 患 者 さ ん に お わ
を支えてくれた石垣島徳洲会のスタ
分が医師として、病棟の看護師さんに認め
れ、救急車は鳴りやまず、たまっていく
ッフの皆さんには感謝しっぱなしで
られた気がしたからです。多分、特にその
患者さんのカルテに看護師さんは爆発寸
す。どこにいっても徳洲会は徳洲会。
看護師さんにとっては何気ない行為だった
前、 酔 っ ぱ ら っ て 階 段 で 転 倒 し、 顔 を
みんな根っこは同じ。
と思いますが…。私にとっては医師として
きった患者さんの出血が止まらず圧迫
日々仕事に勤しんできましたが、生
本格的に踏み出した出来事でした。
し な が ら た た ず ん で い る と、 ふ ら っ と
涯の趣味と呼べるものに出会わせて
この 2 年間では辛いこともかなりあり、 通 り す が っ た に ゃ ン に ゃ ン 同 期、 焦 っ
もらったのも中徳でした。いい仲間
「自分には医師をやっていく資格はない」 て い る 自 分 の 顔 を 一 瞥 し、 助 け て く れ
に出会えて、色んな大会に参加した
と思い、辞表まで用意した経験もありまし
る と 思 い き や、 あ れ、 い っ ち ゃ っ た。
た。私の中徳での生活はかなり厳しかった
り合宿もどきもやったり。きっと中
とそこへ別の大阪人同期、なにも言わず
ことも事実です。しかし、その分「医者と
に外来へ、患者さんを呼んでいる、診て
徳でなければこんなに仕事もプライ
しての生き方」を考えさせられた非常に充
くれている。うーん。そこへ一本の電話。
ベートも充実したものにはならなか
実した 2 年間になりました。それも、一 「あの頚部骨折のおばあちゃん、入院いれ
ったと思います。
重に病院スタッフの方々のおかげだと思い
て後は私がみとくよ」と。うーん、うー
私は来年度から中徳を離れて別の職
ます。本当に感謝しています。今後は、学
ん。そして極めつけ、上からおりてきた
場で新たに仕事を始めるわけですが、
生時代からの希望であった外科に進みま
に ゃ ン に ゃ ン 同 期、「 形 成 の 手 術 手 伝 っ
いつになってもどんだけばあちゃん
す。この道に進むことは本当に悩みました
てもう終わったから大石先生おりてくる
になっても、「中徳で研修医をやった
が、中徳での外科の先生方の姿を見て、や
よ 」 と。 猫 ち ゃ ん が 天 使 に な っ た 瞬 間。
んだぞ」と胸を張って言えると思いま
はり自分の夢を追うことにしました。何か
同期の温かさに感動したあの日から 1 年。
す。またいつか中徳で働ける機会に恵
あったら、先生方、その時には嫌がらずに
いまでは当直で救急車がくれば、カルテを
まれたらいいなぁと思いつつ、沖縄の
よろしくお願いします ( 笑 )。特に池村先
医事課から持ってくるのも同期、バイタ
医療に貢献していこうと思います。2
生、私にこの道を選ばせる決定打になった
ルとって、点滴ルートいれているのも同
年間本当にありがとうございました。
のは、先生なので重々よろしくお願いしま
期、検体を検査室に持って行けばそこにも
す(笑)
同期。レントゲンのポータブルを頼めば
中徳を去っても、ここで学んだ多くの事は、 現れるのも同期。そんなときはなんだか
私が医師として生きていく上で、根幹にな
嬉しくなってしまいます。入職した当初
次号は5月発行予定
っていくものだと思います。医師としてキ
は毎週のように飲んで騒いでいた同期が
ャリアを積んでいくなかで最初の 2 年間を
一緒に働いているのを肌で感じています。
~ 特集 ~
ここで過ごせて本当に幸せでした。私をこ
ここまで末永く、根気強く、そして温か こまで支え、育ててくれた多くのスタッフ
く見守って頂いて育てて頂いて、中部徳
の方々に心から感謝の気持ちでいっぱいで
州会病院のスタッフの皆様、本当にあり
新研修医8期生7名に入職前の
す。ありがとうございました!!!
がとうございました。このご恩は必ず返
意気込みを書いていただきます
しに参ります。そのときはまた、ご享受
お願いします。ありがとうございました。