ワールドモトクロス参戦記 松村徹郎(スズキ株式会社 レースグループ) モトクロス界の 4 ストローク化に伴い,スズキは 2005 年モ RM-Z450 はスズキ初の 4 ストローク 450cc モトクロスマシ デルとして RM-Z450 を発売した.その開発と販促活動のため, ンとして,レースに勝つというコンセプトのもとに開発を 2004 年から RM-Z450 でワールドモトクロス MX1 クラスに 行ったフラッグシップモデルである.エンジンは水冷単気 参戦し始めた.ワールドモトクロスは,日本,南アフリカ, 筒 4 ストロークローク,DOHC4バルブで,さらに SAVS ヨーロッパで全 16 戦,各戦 2 ヒートずつ行なわれ,世界チャ (Suzuki Advanced Vent System) を採用しポンピングロ ンピオンを決定する. スを減らすことで,全回転域で有効なトルクと出力を実現 スズキはこのワールドモトクロスに 1964 年から 2 サイク させている(図2).さらに,クランク室をドライサンプ, ルエンジンで 250cc クラスに参戦し,1970 年からは 500cc ク トランスミッション室をウェットサンプとしたセミドライ ラスにも参戦,更に 1975 年に発足した 125cc クラスにも参戦 サンプ方式の採用により,クランク軸位置を通常より低い してきた.(500cc クラスで 4 回,250cc クラスで 9 回,125cc 位置へレイアウトとすることができた.また,4 速ミッショ クラスで 13 回チャンピオン獲得) ンとすることでエンジンをスリム,軽量化することができ 2003 年から 250cc クラスは MX1 クラスと名称を変更した. このクラスは 2 ストローク車は 126cc~250cc,4 ストローク た.この結果,モトクロスでは重要な,軽快なハンドリン グを実現している. 車は 251cc~450cc とレギュレーションで定められている.当 初は,軽量で瞬発力のある 2 ストロークマシンが有利であっ た.その後,4 ストローク車の開発が進むと,重量的には不利 なものの,絶対パワーがあること,エンジンコントロール性 が良いことがメリットとなり,少しずつ 4 ストローク車がレ ースを席巻し始めた.2001 年,2002 年にスズキが 2 ストロ ークの RM250 でタイトルを獲得したが,2003 年はライダー の怪我により,3 連覇を達成できなかった(2003 年は 4 スト ローク車に乗るステファン・エバーツ選手がチャンピオン獲 得). スズキは 4 ストローク車が熟成してきたことと,ヨーロッ パの比較的高速コーナーが多い状況では 4 ストローク有利と 判断し,2004 年から RM-Z450 のプロトタイプ(図1)によ る参戦を決定した. 図2 RM-Z450 エンジン また,アルミフレーム(図3)の採用,エンジンカバー類 のマグネシウム化,バルブ,エキゾーストパイプ,フットレ ストへのチタン材の採用により,4 ストローク化による重量増 に対応している. 図1 スメッツ選手レース車 図3 RM-Z450 アルミフレーム スズキはワールドモトクロスの運営を,ベルギーを拠点と は常にスメッツ選手は上位を確保,初戦から 3 戦までの 6 ヒ するチーム GRP(Geboers Racing Promotion)に委託しており, ート中2 勝するという幸先のよいスタートを切った. しかし, 2004,2005 年は 4 ストロークを知り尽くしたベテランのジョ スメッツ選手は第 13 戦で不運にも右足骨折というアクシデ エルスメッツ(図4),若手ケビン・ストライボスの 2 名で ントに見舞われ,ランキング 6 位に終わった. ストライボス選手は前半戦怪我で欠場し,第 8 戦で復活, 参戦した. 後半戦に1勝し彼本来の実力を垣間見せたものの,年間ラン キング 16 位と満足できる結果ではなかった.しかしながらヨ ーロッパの過酷な条件におけるレースから得られる貴重なノ ウハウを市販車にフィードバックすることができた. 図4 ジョエル・スメッツ選手 スズキとしては,初の 4 ストロークエンジン,アルミフレ ームのモトクロスマシンということで,GSX-R 等の開発経験 者をモトクロスグループに終結させ,集中的に開発を推進し た.開始当初はトラブルも多く,対応に忙殺されることにな った.トラブル対策を施した部品は MX1 レースや全日本レー 図5 ジャンプするスメッツ選手 スに投入し,機能確認後,市販車へとフィードバックされた. ロードモデルでは豊富な経験があるもののモトクロス用の 優れた市販モトクロッサーを開発するには,一流のライダ アルミフレームは,従来の鉄フレームと異なり,改良しても ーが最高峰のレースで戦うことにより得られた結果を速やか 予測した方向の特性にならかったりして苦労した. にフィードバックし,改善を続けていくことが非常に重要で 2004 年シーズン開幕前のテストに関しては,従来はヨーロ ある.特に市販車からの改造範囲が細かく制限されているア ッパで行っていたが,まったくの新機種であるため,ライダ メリカのモトクロスと異なり,ワールドモトクロス,全日本 ーを日本へ招聘し,スズキスタッフの万全のバックアップが モトクロスでは改造範囲が広いため,市販車の先行テストの 可能な環境でテストを行った.ライダーはヨーロッパと勝手 場ということができる. が違う狭い日本のコースでひたすらテスト,走り込みを続け た. また,チームでのエンジン整備に関しては,レース場で容 易にメンテナンスができる 2 ストロークエンジンと異なり,4 2006 年は RM-Z450 ワールドモトクロス参戦 3 年目となる ので,ワールドチャンピオン獲得を目指して開発を続けてい きたい. ストロークエンジンはメンテナンスに手間がかかる.そこで, レース現場ではエンジンのメンテナンスは行わず,チームの 拠点であるベルギーに戻ってきた際,エンジンメンテナンス を実施するというシステムを採用した. モトクロスのエンジンはロードモデルのエンジンと異なり, ベンチ上での出力特性がそのまま実走のライダーフィーリン グにつながらないという難しさがある.また,闇雲にパワー があればよいというものではなく,滑りやすい路面において, ライダーのスロットル操作に対しリニアに路面に駆動力を伝 え,確実に加速する特性の作りこみが必要である.シーズン 開幕後も,日本でエンジン諸元を変更するパーツを多数作っ てベルギーに送り,スズキのスタッフが立ち会って現地での テストが継続された. レース結果としては,2004 年は不振であったが,2005 年 図6 ナミュール(ベルギー)のレースにて
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