教員住宅改修問題など 町議会全員協議会 対町補償遂に妥結 千百五十万円と 大成、酒井の四請負業者から うち 五十万円は鹿島 、飛島、 の 病 院 施 設費 に 対 す る 寄 付 金 が含まれている。 の電線二百 米 が盗難 にあ ったの 上 野区で 負 担 す る、 握 薮 下 地 内 員住宅の修 理は、五万円を 町と があった。 上 野小学 校々 長 、教 れ 次の 各事 項 について 協 議 報 告 二 日 午 前 十 時 か ら 役 場で 開 催 さ た。交渉妥結 にいた る間 には決 た る補 償 交 渉 に 終止 符が う たれ 昨 年 六 月 以 来 ち ょ う ど 一 年 にわ 間に本協定が 締結され るに及び 、 守田東 海支社 長と吉 村町 長との 六 月 二 十 日 坂 下 町 役 場 に 於 いて 電所の 対町 公 共補償 問題 は 去る も み にも んだ関 西 電 力 坂下発 七 月 八 日 に施 行 さ れ た 参 議 院 む︶街路灯の設置などである。 ら東町へ通ずる道路工事を含 の 新 設 ︵ 未 着 工 の 営 林署 土 場 か り大沼町通りの舗装 、駅裏 道路 物 的 補 償 に つ いて は 既 報 の と お い も の と みて よ い ︵ 注、 合 併 話 が ま とまれば ま ず 問題 はな 負担す る、小学校々舎増 築 委員 で 町と 握 部 落で 資材費 八 千 円を 裂 寸前 の 事 態 も 度 々 で あ っ た が 票結果は次の通りであった。 議 員 通 常 選 挙 の 当町 に お け る開 道路の舗装・新設など 坂 下 、 川 上 両村 の 合 併 案 は県 法 に よ り県 境を 越 え る合 併 は 一方いたず ら に問題 を 引き 延ば 坂 下 町 議 会 全 員 協 議 会 は七月 の合併 審議 会 で 協議 され 、 いま 最 終 的 には 関係 市 町 村の 総 理 に育友 会か ら 原正夫 氏を 一 名増 すこ と が 結 果 に 於 い て 決 し て 最 発 行 所 坂 下 町 公 民 館 岐 阜 県 恵 那 郡 坂 下 町 新聞編集者 編 集 委 員 会 印 刷 所 岐 阜 県 恵 那 市 大 井 町 東濃出版印刷株式会社 定価 特別号十円 普通五円 まで も そ の 線 に そ っ た 動 き は み 大 臣 宛 の申 請 に 基き 総 理 大臣 員選出。 複雑化した合併問題 られ た が 、 山 口 、田 立を 含 む 四 が 処 分 決 定 を 下 すこ とに な っ 坂 下 発 電 所 建設 に 伴 う 諸問題 うか予想は困難となってきた。 る と し 合 併 町 村 に 対 して は 今 後 八千 人 の町 村 が適 正 な規 模で あ と に か く 合 併 法で い う 人口 、 停 車場 線 の新設 工 事 、田 立線 呂 間 の 歩 拡 め工 事 、 福 岡坂下 横 吹 道 路の県道編 入 、飯田下 土 木 委 員 長一行 の 来 町 に際し 至 った 経 過報告 、県 議 会棚橋 その 他別 項の公共 補償 妥結に 員らが 大阪 本 社を 訪れて 交 渉を 吉村町 長、 原対策委 員長 、 森委 解決の 道が な いとして 五月 二日 は 大阪 本社 と の 直 接 交 渉 以 外 に ま って き た 。 そ の た め 対 策 委で 善で は な い と の 世 論 も 次 第 に 高 小出良吉︵社︶一、三四〇票 古池信三︵自︶一、四〇二票 投票率 投票者総数 有権者総数 一二、〇四八名 一二、九〇九名 革新票ややリード 処 理の た め 合 併 問題 は 一 時 お預 地方交 付税の 交付、教育 、衛生 の 改 修 な どを 陳 情 した こ と 、 川 上 村 の 動 き 注 目 さ れ る ヶ町 村 合 併 問 題 がか ら ま って 、 て いる︶ 参議院議員選挙 月 三 十 日ま で に 実 現 され る か ど 合併促進法の適用される本年九 けの形で あ ったとして も 、 審議 道路の 建設 な どすべて の 面 につ 各施 設の拡充 整 備から 土地 改良、 川市へ の合 併 が論議 され る など 部で 経 済 文 化 の 交 流 緊 密 な 中 津 らず 、 更 に 坂 下 町 に 於 いて も 一 押され て い ず れ も 態 度 決 定 に至 両村は 蘇南 五 ヶ村合 併の 動き に く、と いって 一方の 山口 、田 立 八 月 に 入れ ば 合 併 協 議 会 を 結 成 提 示 を 行 って い る も の と み ら れ 、 脳部と会い合 併に対する試 案の 既 に 吉 村 村 長 は 非公 式 に 同 村 首 きは注目されることになろう。 るわ け で 、こ の 場 合 川上 村 の 動 村も 何らか の 態度決 定を 迫 られ れば 、 当町 に 限らず いず れ の町 いて 優 先 的 に と り 扱 わ れ る と す る旨などの報告があった。 二 、三 年延期され る 恐れ があ め 決 定 に 至らず 、 最 悪 の 場 合 鉄 道 の 両 者 が 出 願 して い るた いて は 現 在濃飛 バス と 北恵那 と 、 上 野 行き の バ ス 問 題 に つ 林 伐 採 、 販売の 中 間 報 告 など 会 計 検 査の結 果報 告 、 町有山 会 計 検 査 院及び 岐 阜 財 務 部の の 損 失 に対 す る補 償 費で あ り 、 費 等 を は じ めそ の 他 有 形無形 う 遊 泳 不 能 に対 す る 代 替施 設 る 諸 経 費 、 木 曽 川 の 減 水に伴 施 設 費 、 役場 事 務 の 増 加 によ 増 築 費 、 道路の 整 備 費 、消防 百 五十 万 円は、学 校 、 病院の 結 果 を み る と 、 金 銭補 償 の千 ものである。 五月八 日仮 協 定を結 ぶ に 至 った 行 った 結 果 、 事 態 は 好転 、 遂 に 加藤 栗山 良夫︵社︶ 中村 北 赤木 無効投票 有効投票 二、九六四票 島田貞夫︵共︶ 八四票 ▲地方区候補者得票数 七七・九七% 義が少 ないと する意向が 案外強 会のい う坂下 川上合 併案で は意 県 境 を 越 え る合 併 は三 濃 村の し 本格 的 な 交 渉 に 乗 り 出 す こ と 二二二票 場 合 に み られ た よ う に 非常 な が予想されている。 村 シズエ︵社︶ 二四八 一二九 一九八、八三 正雄︵社︶ 暢︵社︶ 正雄︵緑︶ 三〇九票 ︵得票順二十位まで︶ ▲全国区候補者得票数 困 難 性 を 伴 うこ と が 予 想 さ れ 問題は複雑化している。 るが、この点は関係町村間で ― 1 ― 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (1) 一一三、六五 瀬米吉︵自︶ 一〇二 坂高に全日制女子 七七 九一 九三 設 を 是 非 実 現 して ほ し い と 去 る 坂下高 校 に 全 日制 女 子高 校 の併 白波 荒 木 正 三郎︵社︶ 七二 十四日 と十 七 日の二 回にわ たり 高校併設を陳情 大竹 平八郎︵無︶ 下条 裕彦︵無︶ 六九 七〇 康麿︵自︶ 天坊 栄︵自︶ 力三︵無︶ 塩見 高木 江藤 小酒井 向井 藤原 秀逸︵自︶ 俊二︵自︶ 正夫︵緑︶ 智︵無︶ 義男︵社︶ 長年︵社︶ 道子︵社︶ 四〇 四一 四二 四五 四五 五六 六三 六六 委員会等へ陳情した。 立野総 務部 長をはじ め、県 教育 の各氏 と共 に 出岐、武藤知事、 古谷芳 六、小 池鈴一、西 尾 銀三 吉村町 長が 水 野校 長及び P TA 町で は 教 委 法 の 改 正 を 機 会 に 、 柴田 平野 松村 三六︵自︶ 小学校も入札 ○ ⋮ ⋮ お 盆 の 十 五 日 は ア ユ の 解 禁 日 に 当 り 好き な 連 中 が 腕 に ヨリ を か け 待ち に 待 った 日 だ け に 千 人 近 い ホ イ ト が ど っ と 木 曽 川 筋 に 押 し か け 、 五 時 過 ぎ に は どこ も サオ を 入れ る 余 地 が な い と い っ た 繁 昌 釣れなくなって夕方までサッパリ。翌日も駄目だった。 ぶ り 。 とこ ろ が 、 肝 心 の ア ユ は 出 足 は 至 極 上 々で あ った が 不 思 議 と どこ も が 十 時 頃 に な り ピ タリ と ○ ⋮ ⋮こ う な る と 、 セ チ 辛 く な る の は 人 の 常 、 自 分の 腕 の 良 し 悪 し は 棚 に 上 げて お いて ﹁ 何 者 か が 、 木 曽 川 の ア ユを ノ ンで し ま っ た の だ ろ う 、 建 設 工 事 の ハ ッ パ の 影 響 大 。 解 禁 早々 のこの不調を何としてくれる﹂等々。なんともやかましい次第。 アユ不漁でみなブリブリ ○⋮⋮ほとんど決まりかけていた上野へのバス乗入れもどうやら雲行きが怪しく な って き た 。 地 元 で は バス が 通 れ ば 都合 が よ い の は 当た り 前 の こ と 、 上 野 溜 地 一 帯 の 観 光 地 へ の 発 展 と い うオ マ ケ が つ いて い る だ け に バ ス 会 社 の 熱 の 入 れ 方 も 大 し た も の。 こ と は 、 濃 飛 と 北 恵 那 の 縄 張 り 競 い に 過 ぎ な い が 、 陸 運 局 も どち ら と も 決 定 し か ね 、 そ の ト バッ チ リ が 〃 退 年 着 工 以 来 一億 一千 二 百 野溜池建設工事は二十五 坂下町樺ノ 木地内の上 ︵収入役︶ 職 亀山鶴一 補 佐 亀山忠夫︵新任︶ ︵S︶ 地 元 へ き た だ け の 話 。 だ か ら ﹁ い っ そ のこ と 町で ロ マ ン ス カ ー の 一 台 も 買 入れ て 、 実 用 と 観 光 の 二 坂下町収 入役 は亀山鶴 一氏 が 収入役に宮内氏 町吏員異動 り二六〇番までで五十七台。 股商売で大いにもうけたらどうだ﹂なんて、突飛な名案?までがとび出してくる。 り変電施設の 拡充を 計画、現在 の 坂 下 神社 横 の 変 電 所を 廃 止 し て 、新た に新 田 地 内︵ 松井 淳 一、 糸魚川元一両氏所有地︶で 約五 び 、 近 日 中 に 着工 して 今 秋 には 任期 満 了の た め 五月 三 十 一 日附 百坪の 敷地を 買収す る契 約を結 完 成 す るこ と に な っ た 。 新 設 さ には本格的貯水に入りま 万円の巨費を投じ、今秋 すが最 大貯 水 量は〃 保古ノ 湖〃 の 一倍 半に な り 人造 湖と して は 県下一を誇るものであります。 つ いて は 、 周 辺 の 自 然 林 を 生 か し四季を 通じて の大観光 地 帯と し 、 岐 阜県 の 新 名 所 た ら し めた ― 2 ― 第三病棟今月完成 泉山 ︵少数は按分票︶ 坂 下 病 院 第三病 棟 建 築 工 事は 工 費 百 二 十 万 円で 坂 下 建 設 が施 行 して い る が 七 月 中 に 完 成 の 予 定。同 病棟 は 木造平 家 建 四 十八 坪、病室数は五室。 日 入札 の 結 果 坂 下 建 設 が 落 札 、 された。 で 退職 後任 に 宮 内 五 明氏 が 選任 宮内五明 進 ︵庶務主任︶ ︵税務補佐︶ 税務主任 安江俊一 ︵税務主任︶ 庶務主任 熊崎 収入役 倍程度の施設となる模様。 台増設 れ る変 電所 は 、現 在 の変 電 所 の 電話 坂 下 局 の 増設電 話 は 六 月 一日 を 期 して 開 通 、去 る 七 月 五 日 直 来 殿で 開 通 祝 賀 式 を 行 っ た 。 新 しい電 話は二 〇一番︵役場 ︶よ 湖名募集 開拓物故者招魂碑 八月十二日除幕式 元 満 州 七 星開拓 団 の 物 故者 二 は関係遺 族多 年の念願がか ない、 第三校 舎 の 西 側 に接 続して 、二 また 小学 校 の 増築 工 事 は 十四 いよい よ八 月 十二日 招魂 碑 の除 階建二教室が つくられ る。 工費 百 五十 六柱 を 祭 る招 魂 碑 の 建 立 幕式と 慰霊 祭 が挙 行 され るこ と は約百五十万円。 設 に 伴 う電 力 供 給量 の 増 加 に よ 中 部 電 力で は坂 下 発 電 所の建 変電所を新設 中電が新田に になった。 町 議会の 建立 委 員会 ︵ 委 員 長吉 村 薫氏 ︶で い ま その 準 備を 進 めて い る が 建 立 さ れ る 招魂碑 は予算 十万円で 規 模は高 さ 八 尺 、 幅 四 尺の 岡 崎 産 の 石 が 使用 さ れ る 。 建 立作 業 は 遺 族の 奉仕によって行われる。 57 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (2) におおよその見当は ついた とい 穫 が あ った か 無 か っ た か 、 すで す る と い う 、 大き な 構 想 を 当局 ば 、こ こ に 一 つ の 理 想 郷 が 実 現 また片々ととりあげてみたい。 こ の 位 に して 、 次の 機会 に は 、 あるが 、紙 面 の制 約上今 回 は、 中学 校 は 、 屋 体 場 は 建て た が 、 近時事情片々 者 に 練 って 、 具 体 的 に 打 出 して いので 〃 新 湖 名〃を 募り ま す。 うもの だ。 し か し、 相 当 す った × ほしいと望むものである。 新名所 にふ さわ しい 、清新 にし て 雄 大 な 名 称 を 多 数 お寄 せ 下 さ もんだのあ った関電の対町補償 ま だ 特 別 教 室 が ほ し い。 そ れ は 、 工 事は 、プ ラ ス の 面 も な いわ け 増 に よ って 狭 隘 を か こ っ て い た 学 校で も 講 堂 がほ し い。 生 徒 数 とりあ げられ ねば ならな い 。小 市誕 生 す。 さて 、市 庁舎 は 何処 四 ヶ 町 村 合 併成り 、 サ カ タヤ ︵山町伴左︶ も 話合 いが つき 、そ の 補 償 金の 参 院 選 挙 も 終 った 。 衆 参 両院 使途 も 、大 体 決 ま っ た よ う なも 高 校 の 全 日 制 設 置 に も 関 連 して ◇ とも革 新勢力 が議席の三 分の一 な財 政で な い 町として は 発 電所 の で あ る 。 い ず れ に して も 、 楽 題 も 、 ま ず ま ず 今 の 所で は 、 心 で は な い 。 心 配 して い た 風 紀 問 へもっていくべきか。 × い。 は 、 憲 法改 正 の 発 議 を 、ひ と ま 以上を 占め る結 果と なったこ と 新観光地 内 恵那郡坂下町上野樺ノ木地 た だ 、 次 に は 、 多 数で あ る 保 が き ま り 、 夏 休 み の うち に は 落 小学校 によ うや く二 教 室 の 増築 て いた と いわ れ る三 木老 が 死 去 カーももう珍 しくなくなったが、 音もパワー シャベルも、ダ ンプ 注 意で 守 ら れ て い る 。 ハ ッ パ の ならぬ 現状 で は 、 講 堂 の 必 要 性 終業式 を 二 度 に分けて や ら ねば 成す る そうで あるが 、卒 業 式 と 日 と 金 の 浪 費 も 少 な くて す ん だ た 。 始 め か ら ポ ン と 出れ ば 、 月 電 源 補 償 も お 蔭 さ まで 決 ま っ ず延ばさざるを得なくした。 守 勢 力 は 、こ ん ど は ど う して も よ うで あ り 、 治 安 は 、 お 互 い の 構 え 次 第で 、 大 し た 影 響 も な い ︵新しい湖、及び周辺一帯︶ ︵一枚一名称ずつ、何枚応 小 選 挙 区 制 を 通 すこ と と 考 え ら 応募用紙 ハガキ使用 れ る 。 最 も 熱 心 にこ れ を 主 張 し して も 、 そ の コ ー ス に は 変 わ り ○ 湖〃 の 文字を 名 称 中 に入 募され て も よ い。 但 し〃 れること︶ は あ る ま い 。 す る と 、 ど う して は確か にあ る。教育 は設 備のみ 一編︵賞金三千円︶ 応募者には全部粗品進呈 ま だ あ と 一 年 有 余 は 続く 事 業で 寺 子 屋 時 代 と 違 って 現 代 の 教 育 ででき るも ので はな いが 、 昔の 採用 も革 新 勢力 は 、 出場 を 阻 ま れて って 、 よ り よ い 環 境 を つ く る 心 あ って み れ ば 、 互 い の 協 力 に よ は 、 論 語 一 冊 と ソ ロ バン と 筆 硯 て 下 さ い ︱ 鉄 道局 長 殿。 宿 屋 代 夜 中 に 着 く 汽 車を 是 非 つ く っ ろうに⋮⋮ 〆切七月三十一日 しいと は予想で あって 要 はもし く るこ と に な る ら し い 。 な る ら 掛けは必要であると思われる。 も 、 そ う は 続か な い ︱乗 り 越 し ○ 坂下町商工会 小 選 挙 区 制 と な った 場 合 で も 有 ﹁湖名﹂募集係 宛先 八月 五日頃 各 日刊 紙に 常連。 鑑 札 一 枚 も って 木 曽 川 に 行 っ 発表 ゆか な い。 苦 しい 中 にも 、 次代 さ え あ れ ば よ い と い うわ け に は の 担 当 者で あ る 子 供 たち に 、世 たこ と はい い が 、十 匁の ア ユが × 自治 庁尻 押 しの町 村合 併 も 、 界の 動き に 押 し流され な い よう × 最 後の 追 込 み と な っ た 。 経 済 の な知識 と技 能 を与え るた め には 権 者 国 民 の 思 い 一 つ で 、 ど うで 面 や 人 心 の 面 で 、む ず か し い 問 も な る わ け だ が 、憲 法改 正 を 議 題 にの せ る か 否か は 、保 守 、革 題で は ある が 、隣村 川上 村 、隣 ◇ 新の勢 力 が 、 三 分の 一と い う線 発表の予定。 町 と 商 工 会で は 観 光 地 へ の 一 を 越 す か 越 さ な い か に か か って して 、 こ れ か ら の 投 票 に 心 掛 け い るこ と を 、 は っき り と 再 認 識 て い る 。 合 併 すれ ば 各 町 村 に と 進 が 、 再び 日 程 に の ぼろ う と し 県の山口村、田立村との合 併促 い。 施 設 の 充 実 を 欠 くこ と は で き な ⋮⋮。 た だ 一 匹 ア ア 、こ れ が 千 円 と は ○ 員会を 結 成 し 、同 湖 への バス の 段 階 と して 上 野 溜 地 観 光 開 発 委 乗 り 入れ 魚 釣 り の 設 備 、 ボ ー ト 、 るべき で あ るこ と 、こ れ は 重要 の運動を展開すべきと思う。 一 般 に 認 識 し て も ら って 実 現 へ 置 は 、 も っ と その 利 点 の 内 容を 線で も 切 っ た ら ど う だ 、 も う か ン 。﹁ ド ロ 公 の ヤ ツ い っ そ 高 圧 薮下 の電 線 一晩 の うち に ド ロ ○ 売店、 休憩所の設置をはじ め白 って 、 ど れ だ け の プ ラ ス に な る か 、 合 理 的 な 検 討 を して み な く また 、高 校 全日制 家 庭 科 の 設 樺 、 つ つじ 、 桜の 植 込み 、 林 間 である。 て はな るま い。自分の所 だ けが × 坂下 発電 所 工事も 、い よ いよ × 学 校 の 開 設 な ど に つ いて も 研 究 を重ねている。 近時 事情 の 項目は 、ま だ ま だ ﹁太陽の季節﹂ブームには、 るぜ。﹂ よ くて 、 他 は つ ま ら な い 目 を み × るので は 成 立 た な い 。 合 併 すれ × 入 側 と して 、 予 期 し た よ う な 収 最盛期 に入 ったようで あ る。受 ― 3 ― 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (3) い。 も う 終 止 符 を うち た 者 と して あこ がれ た り して いる がら出 演 して いる作者を 、 人気 昭和三十一年度 国会で の S議員の 質問 演舌な 歳入の部 特別会計予算 坂下町簡易水道 ど前者の代表 といえよう。 一方、 だけだ。 あまりに興行 的に踊 ﹁ 太陽 の 季 節 ﹂ は ら さ れ す ぎ て 、こ の ︵ 使用料 イ水道使用料 ︵ 三、一〇〇 六、一〇〇 一、〇〇〇 二三、〇〇〇 イ委員手当 二、〇〇〇 ロ需用費 ロ旅費 ○会議費 ハ需用費 ︶水道施設費 紛糾の酪農問題に終止符 雪印が七月操業開始 昭和乳業の事業 閉鎖 後長期間 にわ た り 紛 糾 した 酪 農 問 題 は 、 ○水道施設費 業 の 製 乳 事 業 へ の 進 出を 目 標 に 一元 化 が達 成 され 、 更 に 雪 印乳 集 約酪 農地 帯 へ の指 定を 経 て 、 一、〇〇〇、〇〇〇 交渉を 進 めて いたが 、結 局 東濃 を 開 く 段 階 に 至 った 。 従 って 今 十二日 中津 川で 事業 開設 披 露式 七月一日か ら 操業を 開始 、去る 印 が 直 接 操 業 す るこ と に 決 定 し 、 業 が 四 百 五 十 万 円 を 負 担 して 雪 酪協連 が三 百 万を 出 資、 雪 印乳 過日恵 那 酪 農 への生 乳取 引 先の 九六〇、〇〇〇 一〇〇、〇〇〇 一、〇〇〇、〇〇〇 九六〇、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 一〇〇、〇〇〇 三六〇、〇〇〇 三六〇、〇〇〇 後東 濃 酪 協 連 は集 乳 事業 の 円 滑 一〇、〇〇〇 一〇、〇〇〇 六〇、〇〇〇 立 し集 乳所 な ど を 設 け る 計 画を り各町 村毎に酪農実 行組合を設 業を推 進す るこ と に なり 、 差当 を はか り 、 区 域 内の 酪農 振 興 事 三六〇、〇〇〇 イ負担金 ○負担金 五〇、〇〇〇 果樹の 樹 勢 回 復用 肥 料 代 補 助 金 今 春 の 凍 霜害 に 対 して は茶 、 ついて協議した。 交付、 本年産 米予約売渡 などに 場で 開 かれ 凍 霜害対 策補 助 金の 生 産 組 合 長会 議 は 十 一 日 に 役 米の予約八月十日 凍霜害に補助金 たてている。 五〇、〇〇〇 イ一般会計操出金 ○操出金 ︶諸支出金 イ利子 ○元利償還金 ︶公債費 ハ維持修繕費 イ諸手当 ︵ ロ需用費 五〇〇、〇〇〇 一〇、〇〇〇 ︶分担金及負担金 一〇〇、〇〇〇 ︵ 一〇、〇〇〇 一、四七〇、〇〇〇 ︶使用料及手数料 逗 子の 石 原 宅 へはフ ァン レ ター △ 否定 する 人々に、はっき りと ▽ が山積しているという。 小 説 の も って い る 、 いくらかの文学性は 対 立 して ゆ け る 道徳 が あ る わ け どこ か に 忘 れ ら れ 、 社 会 的 な 問 題 と して 提 供 されて しま っ た 。 で も な い。 古 い 道徳 は歯 が 立た ○手数料五 な 興 味 の 対 象 と な っ て し ま って 社 会 的 問 題 と して も 、 ご く 卑 俗 質 は な ん ら 分 って は い な い の が イ工事手数料 △ 殆 ど だ 。 た だ 、 作者 本人 は 、普 ▽ 通に妻を 迎え 、チャ ッ カリ した ロ過年度工事手数料 ぬ ので あ る 。 讃 仰 す る 人 々 も 本 ︵ いる。 勿 論 、 作 者 は 、 意 図 的 に 、社 計算の下に乱れのない生活を し、 九九、〇〇〇 の に はち が い なか った 。 そ れ は 、 九九、〇〇〇 会 性 を 、こ の 作 品 の 中 に 盛 っ た 今 度 の 選挙 に も 、社 会 党 指 示を イ負担金 ○負担金 九九、〇〇〇 ﹁ おと なの モ ラ ル︵ 道徳 ︶ へ の はっきりと声明している程、 一〇〇、〇〇〇 ﹁おとな﹂そのものである。 ︶雑収入 イ前年度繰越金 一〇〇、〇〇〇 ○前年度繰越金 ︶繰越金 反 逆﹂ と い う 考 え に 基づ く 。 し ︵ か し 、 それ で は 、 何 か 新 し い 道 ﹁ 太 陽 の 季 節 ﹂ が 、 文 学 作品 在 理 由 が あ る か 、こ の 点 だ け を と して 、 ど ん な 価 値 が あ っ て 存 徳 が う まれ て い るか と い え ば 、 そこ に は 、 何 も の も な く 、 む し 残 して 出 版 社 、 映 画 会 社 、 レ コ ろ 何も のも な い世 代 の実 態 を 、 誇 示 し て さ え い る よ う だ 。﹁ や ︵ 一、〇〇〇 ード会 社な ど の宣伝 には冷 静に 二一〇、九〇〇 対処 し 、つ い に﹁いろ りば た﹂ 二一〇、九〇〇 歳出合計 一、六七〇、〇〇〇 ︶予備費 一、〇〇〇 二一〇、九〇〇 ︵ イ雑入 ○雑入 イ予備費 ○予備費 一、六七〇、〇〇〇 一、〇〇〇 に まで 登 場 し たこ の ブ ー ム に は 歳入合計 したい。 歳出の部 三九、一〇〇 ︵フクロウ︶ こ の へ んで 終 止 符 と い う こ と に い う 時 代 の 姿 を と ら えて な げ 出 △ り た い こ と を や る だ け だ 。﹂ と している。 ▽ これを読んで 、うけとる側の 多 く の 人々 は 、 あ る い は た だビ 一〇、〇〇〇 三三、〇〇〇 ︶役場費 思 っ た り 、 あ る い は 、こ れ が 芥 イ旅費 ○職員費 ︵ に弟を 主 演 さ せ 、自 分も 端 役な 川 賞を 貰 い 映 画 に な り 、 お ま け ッ ク リ した り 、 困 っ たこ と だ と 5 ― 4 ― 2 3 4 1 2 3 4 1 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (4) は考えられない。 ︵昼間の緊要時に三時間以 発。 青組︱杉村 賎母 仁朗 コ顔の園児は次のとおり。 達志 り十八 日恵 那 土木出 張所で 選奨 ら 優 良 の 表 彰 を 受 け るこ と と な 上 の 時 間が あり 、 ま た 終 車が 更 に 追 加 補 償 を 行 うこ と 等 ︵ 二 ︶ 最 近 知 事 の 許 可を 受 け ず い︶ 現 在 は 午 後 八時 二 十 三 分で 早 小学生が交通整理 緑組︱小島 森 正雄 弥三郎 賎母 下外浅吉 節子 さなえ 郡八 松 源地 利 一 高部 恭平 赤 組︱ 吉村 貞男 静江 場 所 は 、ヘ イ キ サの 前 、 大 三 サ 吉村 恭政 乙坂 黄 昏 に 点 滅 す る ネ オ ン 。 水晶 ◇原 恭 夫◇ 農林を訪ねて︵上︶ 万澤混 の前、乙坂下 の三箇 所の 三 叉路 で 呼子 笛や 、 手の上 げ方 な ど 、 こ の 動き は な か な か あざ や かで 、 交 通 安 全 の 手 際を 身 に つ け て い る。 坂中講堂で の 街 甲 府を 後 に見 延 の 電 車 は 星 幽 に写 る 光 ボ ウ は 下 部 温 泉 の 灯 に乗 ってひ た 走りに 走る 車窓 に 〃中日子供会〃 友男 に地主から一方的に小作地 曾我 と して 四 万 一 千 円 と 蚕 桑 被 害 に 時鐘 三十 一年産 米の予 約売渡 の目 の取上げを通告する事例が 坂下 小学 校で は、去る六日中 加 々 務 正 則 島平二壱治 十二万九千円 の交付が内定 した。 黄組︱ 西脇 知恵子 標 数 量 は 七百四 十 九 石で 期限 坂下発下り五時頃の長野行 交通整理を行っている。 から 、 朝の 登 校 時 に 、 当 番で 、 ▼列車運転区間延長について 一 、 十 二 時 十 分 下 り 中津 川上 り ︵ 機 動 車 ︶を 坂 下 迄延 長。 二 、 中 津川 発 六 時 三 十 八 分名 古屋行を坂下発に変更。 三 、 坂 下発 上 り 八 時 五十 八 分 列 車 が 中 津 川で 二 十 四 分 停 式が行われた。 は八月十日迄。 見受けられ る がかかる行為 長野県庁舎への日帰りが至 の 増 発 。︵ 現 在 一 番 は 六 時 で 三 十 一 年度自作 農 維 持 創設資 車 す る が 、こ れ を 早 く発 車。 町 厚 生 係で は八 月 十 七 日坂中 か見延 の 町 か 車は南 へ 南 へ と揺 一つ無 い漆 黒 の闇を 軽いリ ズム 講 堂で 〃 中 日 子 供 会 〃 を 催 す 。 れて 行 く 、今 迄元気 に喋 って い ︵ 坂 下 止 り ︶を 木 曽 福島 ま その日 の 催 し は 軽 演 劇 、 手 品 、 四 、 下 り午 後十 時 十 八 分 列 車 吉村誠 大門 ま た 農 協 と 農 委で は 町 内の農 るもので あるからその悪意 は農地法第二 十条に違反す 金の第 一次認 定が行われ 、坂下 難︶ 産 物︵ 青 果 も の ︶の 販 売 斡 旋 市 なものについて は速に告発 場 七 月 十 三 日 か ら 大 沼 町 西 尾伝 六 方で 開 設 、 受 付 は 毎 日 午 前 中 するから県当局へ連絡 する たい。 然に防止する よう務められ とともに、かかる行為を未 で 各 農 家 の 利 用 方を 望 んで い る。 農委、地主運動の 農地局通達を検討 日の会 議の 席上 、農 地問 題 に関 町は六件、五十六万円が認 定さ 自作農資金決まる す る 農 林 省 農 地 局 長 か ら の 次の れた。 坂 下 町 農 業 委員 会 で は 去 る十 様な通達を 議題にの せ、今 後通 歌 な ど と 夜 は 映 画。 入場 は 無 料 で延長。 津川止りを坂下まで延長。 五 、 下 り 午 後十 一 時 十 六 分中 坂 下 、 川 上 、山 口 、 田 立の 四 期準急 列車を 定期に変更停 車。 午前二時十四分の上下不定 準急停車など 列車増発陳情 達の趣 旨の 徹 底を は か るこ とに なった。 最 近 全 国 的に農 地 改革 による 開放農地に対 する国 家補 償 要求 ヶ町 村 と坂 下 町商工 会で は 今 秋 以 上 で ある が 、 現 在 は坂 下発 良い歯の子にごほうび 時計と 旅行 地 図とを 眺 め な がら ま だま だと い った 表 情 。 残 り 少 ないバット と共に掴 み出したマ 保育園で は 、 良い歯 の子 、 九名 日村の 朝日 農 園塩 沢氏の サ ービ ッ チ は 午 前 中 に 視 察 した 塩 尻 朝 を 表彰 、歯 医 者 の お じ さ ん の 童 六月四 日の ム シ歯 予防デ ー に、 した。 リ ー ダ ー格 の 宮 内 さ ん は た 一行 も 一 人 二 人と 舟を 漕 ぎだ い る 。 こ れ に つ いて は 衆 院 農 林 に予定の列 車時刻の 大改 正を機 保育園の で一般も歓迎。 水産 委で 現 行 農地 法を厳 正 に励 会に坂下駅の列車増発、運転区 物 資の 交流 が激 し いた め 是非 電 所 建 設工 事の 途 上で 人 員、 ▼準急列車について 行し、自作農の維持育成に万全 間延 長 につ いて 次の よう な 陳情 の運 動や旧 地 主制の 復活 に 通ず の 措置 を 講 ず る よ う 決 議 さ れ て めている。 書を名 鉄局 に 提出す る準 備を 進 る 農 地 法 改 正 の 要 求 が 台 頭 して おり、 特に 次の点 に ついて 趣旨 実現してほしいと陳情する。 の徹底をはかるべきである。 農 夫で 本 家 の 苗 圃を 手伝 い な が ら 忍苦 三 十 年 今 は戦 後の 植 林ブ ス も の 、こ の 人 は 若 い 頃 一 介 の 賞品 のハ ブ ラ シを 、ご ほ うび ー ム の 順 風 に 乗 って ヒ バ リ 鳴 く 話や紙芝居が行われた。 坂下町河川道路愛護会と道路 に貰 って み ん なの 拍 手に ニコ ニ 道路愛護会表彰 坂 下 発 上 り 十二 時 三 十 分 頃 と 工夫吉村正夫氏は岐 阜県 知 事か ▲列車増発について 判所の判決通り適正なもの 午 後十 時半頃の 名 古 屋行の増 ︵一︶政府の買収対価は最高裁 で あ り 、 買 収 農 地 に 対 して ― 5 ― 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (5) 一望十 里の 桔 梗 ヶ原 の 沃 野 に三 十町歩の杉 、松、カラ松の苗圃 や がて 甲 斐と駿 河 の 国 境十島 になったか。 晩 春 、 雨 の夜の プ ラ ッ ト ホー た も の で も そ れ が 誤 った 理 論や 来ない 、ど ん なに苦 心して 考え 科学者 は自 然 と 妥協 する 事 は出 から数日後こ んな手紙がき た。 と な し く な った よ う な気 が す る て 私は 少し 、 ほ んの 少し だ が お 気 が し た 。 そ れ か ら しば ら く し にチ ラ と 碧 空 がの ぞ いた よ うな の 手 紙 を 読 み 、 それ で も 私 の 心 ような 判ら な いよう なま までこ ま した 事 と 存 じ ま す が又 、 芸 術 で皆様はしみじみ御経験下さい 大き なこ と を 、先 刻 の 泥 か ぶら と に よ って 受 け る 感 銘 の 非 常 に 我 々 が 良 い 映 画 や 演 劇 を み るこ でこんなことを度々するか。 何故 婦人会 は少しも儲け なし ることになりました。 ム歌や 詩どこ ろか哀を止 め る一 考 察 だ った 時 は 科学 的 な 実 験や の 大 都市集 中 と申 します が 絵 画 、 村の 婦 人会 と 手を つ な ぎ 公 演す 同 思 案 投首 の 時 、親 切 な 駅 員 さ 計算で 悉く 覆 されて しま う 。 し の だ が ? そ う して そ れ ま で は 見 音楽、演劇等々も我々は真実の 大 略こ ん な 意 味 だ っ た が 判 っ た く関東 関西迄 顧客を 有し 一 昨年 ば ず 岐 阜 、 愛 知、三 重さて は 遠 ん の 配 慮 に よ り 万 沢 の 森 林 組合 向き も しなか った聖 書を 時 折は 為で は な い と 思 った か ら 云 々 ﹂ 総 桧 造 り の 客 間 六 室 一棟 を 新 築 へ 電 話 して 川 向 こ う の 道 ま で 組 か し自 然 は 憎 めない 、も し 自 然 開 く よ う に な った が ⋮ ⋮ 。 それ な言 い の がれ に憤慨 した が それ し自 家 用 の ト ラ ッ ク 迄 所 有 し常 合の車の手配やら渡舟場 まで 案 この水の中に と妥協がゆるされたら例えば り と 言 っ た 。 私 は 内 心こ の 卑 怯 人夫三十余名を 使役する豪気さ。 内 し 寝 て い た 船 頭さ んを 起こ し の小さな田舎駅に着く。 ﹁ 苗 は 自 分 で 手塩 に か け た も の て くれ るや ら 素 通り の 旅 人 に対 を 経 営 し甲 斐 、信 濃 は言 う に及 して く れ ま す 養 子 苗 で は ネ ﹂ と は 愛情 が あ り 苗 も ま た 恩 返 しを という水素原子 た が 、 何か 霧 の よう なも の の 中 か ら は 昔の よ う な 焦 燥感 は 消 え 生活を 余儀 な くされ て い ま す。 も の か ら 遠 く おき ざ り に さ れ た が その 人の 考 え 方や 好み に よ っ 含まれている O + H 2 H O + H = O 2 H す るこ の 親 切 只 々 感 涙 に 咽 ぶ 。 名に負 う日 本三急流の随 一 、雨 語 る塩 沢老 。 自 分の 山へ 植 林 し かれこ れ 思 い 合わ せ 再び 新 制 作 百 年の 計樹 立 す るも の が 遠 隔 の から空を見て いるよ うな 心にな と暗闇の富士 川を粛々と小船に て 幾 つ にで も な り う る と し た ら 、 地 か ら 金 を 出 して 買 う 人 や ま た 座の公 演を 計 画いた しま し た。 という原 し 難 い 畏 怖 も 感 ず る ので す 。 結 で き な い。 それ 故 に 、強 く 動か こ の よ うに 絶 対に自 然と は 妥協 は 不 安で 生き ら れ な いで し ょ う 。 チ ャ メ チ ャ に な って し ま い 人 間 うぜ。あばよ。 なんね えか ら な、明 日また 会 お いら ぼ つぼ つ 部 屋 に 帰ら ん きゃ よ、さ あ力 一 杯吹いた 吹 い た お 故 そ ん な に し ょ げち ま っ た ん だ な み が 美 し い 。 おや 、 風 小 僧 何 今 日 も 晴 れ た 冬 空 に赤 石 の 山 家 庭の 方も 特 に主 婦 達を 気 持 良 られ 御観 劇下 さいま す様。 又御 と 、 一 般 の 方 々 も 御 都合 を つ け り ま す 。 会 員 の 皆 様 は 勿 論 のこ を 残 し て く れ るこ と を 信 じ て お 我 々 の 心の 中 に 何 か 大き な も の きっと又あの泥かぶらの様に 子は直 接間 接 に影響をうけて メ 地殻を形成している 婚 し子 の親 と なり 過 酷 な 社 会で ︵ 浜 松 市 三 方 原町保 養 園 栄 光 舘 ︵筆者は町議会農林委員︶ て渡る。一同声なし。 空と 山は 神秘な世 界、こ の二 生き て ゆ く の に は 、 弱 虫 の わ た 出身の 瓦屋の 古井光 平君 が 遅蒔 り 分 譲 して 頂 い た し 青 年 緑 化 隊 き なが ら も 播 種か ら 青 苗 の 実 際 前 田 光 子 徒然なるままに ㊦ つには崇高 な 何かが ある。こ ん しは絶 対的 な 永遠の 頼り が 必要 君が依 頼 して 種子 は 朝 日 農 場 よ 手入の 方法を 塩沢さ んか ら 習っ をこ の 目で 見 た よ う に 又 詳 細 に な 大 自 然 の 中 に 生き て い る 自 分 で 、 そ の 時 ふ と した 事で 聖 書 を す。 午 後二 時 よ り 二 回上 演い た しま 下 劇場 に於 いて 七 月 二 十 七 日 、 尚 今 度 の 新 制 作 座 公 演 は 、坂 ︵婦人会長・長村絹︶ 願い申し上げます。 く 御 出 し下 さ い ま す 様伏 して 御 て 苗 圃 を 経 営 す るこ と を 引 き 受 不 安 と 動揺 に 落ち つ か ぬ 日 も あ を 幸 せ に思 う が また 何や ら 心の にて︶ 給苗 、 か つて 古井伊 三郎 翁 の 提 読み始 めた が クリス チャ ンで も ﹁ 泥 か ぶ ら ﹂を 見 せ て くれ た った 、 社 会 を 見 た 時 のや り き れ いて く れ る 慈 父 の よ う な 人 を 求 新 制 作 座 を 招 き ﹁ あゝ バ ラ の 花 唱により町有 林三百町歩に自給 めたので す 。 自然の 全能 と 神と は 何処 に咲 く ﹂ と い うの を 婦 人 なければ教会 へ行った事も ない。 を 置 換 して 自 己 満 足 、 自 慰 的 な 会 と 青 年団 が 川上 、 田 立 、 山口 だ か い つ も 慈 愛 の 眼 で 見 つ めて 質的には十 年ぶりか な︶が聖書 考 え 方 を し て い るわ た し の さ さ なさ、こ う した ある 日二 年ぶり は な ぞ と 想 に 耽れ ば 車窓 が 急 に の口か ら 出た その言 葉の 矛 盾を を 読 め と言 った 。 唯 物論 者 の 彼 や か な 心の 平 安を 記 す 事 も その に見 舞 い に 来て くれ た 知 人 ︵ 実 明るく なって 南部の 町に 突 入し 尋 ね る と 暫 く 黙 って い た が ﹁ 眼 と も 劣 ら ぬ 自 給 苗 を 作 ら な くて た乗客の幾人かが降 りた と 思っ が あ る か ら 読 む ん だ よ﹂ と ぽ つ 苗で 一 気 に 植 え た 時 よ り も 勝 る が ど っ と 入 って き た と う と う 雨 〃 あ あ 薔 薇 の 花は 何処に咲く〃を公 演にのぞんで けて く れ た し 坂 下で も 立 派 な 自 反 省し なくて は ︱。 幸 い に 宮 内 こ れ を 斡旋 す る県 町 村の 係 員も った。 2 た ら 雨 具を 持 った 人 や 濡 れ た 人 ― 6 ― 92 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (6) 速度計・人は右。 事 件 発 生 も 必 ず こ れ に 従 って 対 面 通 行 を 実 行 し 、 悲 惨 な 交 通 事 故 を 起こ さないよう気をつけましょう。 なお自動車の運転をされる 哀 三月 四月 久米森蔵 治班がますます立派に成長する 方々は 特にこ の学校 交通 安 全自 ま す 。 今 まで 一 部 の 原 動 機 付 ☆速度 計 が な いと 、 違反 に なり 自 転 車 や 軽自 動 車 は 速 度 計を 村瀬正夫 百瀬正子 古谷あき 吉村房吉 原兼三郎 します。 ◇⋮⋮◇ よ う 御 協力 あ ら んこ と を 切 望 致 ありましたが、本年の十月一 備 え 付 け な くて も よ い も の が 日 か ら は す べて の 軽 自 動 車及 知らせましょう。 ☆事件 が発 生 したら すぐ 警 察へ び 原 動 機 付自転 車 は 速 度計を 関係か ら盗 難 その他 の犯 罪 事件 ち か ご ろ 坂 下 町で は い ろ ん な で き な いこ と に な り ま した か がうんと増えてきました。 備 付 な け れ ば 運 転 す るこ とが ら それ まで に必ず 備 付 けられ こ れ ら 犯 罪 事件 が 発 生 した と き 最も 大切 なこ とは 犯罪 の 現場 五月 ︵ も しこ のこ とで 御 不 審 の点 に 手を 触れ た り 、 踏 み荒 ら した 悼 才 十一日 才 二日 才 四日 才 七日 乙坂2 西方寺 伝馬町 寺尾洞 宮前町 宮前町 才 二 十 七 日 乙坂2 才 二十八日 才 二十五日 外 町 七月 才 三十日 佐々木きう 才 十日 図書館だより 新刊図書 ︵三月︶ ▲昭和史 矢 時 淵 高橋勇著 日教組恵那支部婦人部殿 ▲涙の小夜曲 ▲いのちへの願い︵三冊︶ 丸岡秀子著 産業民主研究所殿 ▲明星︵3︶ ︵4︶ 曾我いその殿 鐘 曾我一兵殿 ▲民主々義の勝利︵二冊︶ 産業民主研究所編 遠山茂樹 ▲オール読物︵3︶ 今井清一 原庄一殿 ▲平凡︵3︶ ︵4 ︶ 著 藤原 彰 ▲逆立ちの世の中 花森安治著 共 笠信太郎著 ▲新聞の読み方に関する十二章 末川博編 ▲学生六法全書 豊田四郎著 ▲機械の中の青春 佐多稲子著 夏は花火の季節︱こ ▲経済学の独習 れはせんだっての坂下 西脇正治著 ブリーン著 ▲あなたはタバコハーバート・ ▲こども随筆 がやめられる 花火大会のときのこと ち に 次 の が 、 シュ ー ッ と あ が る に 花 と 咲き 、 前 の が 消 え な い う ン と 連 発 打 上 げで 十 数 発 が 一 時 その うち 、ポーンポーンポー ある。 の 瞬 間 の 美 し さ は 、 ま た 格 別で ッ と 散 り 、 フ ッ と消 える 。 花 火 ポー ン、 と 一つあ がって 、パ 夜空を仰いで待ってい いうので、部落の衆も、 と い う もの を あ げ る と ⋮⋮はじめて仕掛花火 吉川英治著 た。 ▲太閤記︵6︶ ︵四月︶ ▲小林秀雄全集︵6︶ ︵7︶ 無常ということ 私の人生観 ▲現代世界文学全集 魅せられたる魂︵3︶ ▲人間の歴史︵5︶ ロマン・ローラン 新 田 松原晃著 ︶吉川英治著 安田徳太郎著 ▲新平家物語︵ ▲笛吹き天女 寄贈図書 大 門 西尾有嬉子殿 大沼町 59 83 80 野 才 二十七日 上 ― 7 ― るようお知らせ致します。 が あ り ま した ら 、 御 遠慮 な 松井きゑ 頂くということであります。 り し な いで 早 く 警 察 へ 知 ら せて ◇⋮⋮◇ こ うす れ ば 犯 罪の 現 場 に 残 され 安江茂三郎 く警察へお尋ね下さい︶ ☆ 人 は 右 、 車 は 左を 実 行 し ま し 才 十三日 才 十四日 才 二十四日 東 才 二十八日 上 六月 た 指 紋 や 足 跡 そ の 他 に よ って 容 易 に 犯 人を 検 挙 す る こ と も で き ょう。 こ の へ ん の よう に 歩 車 道の区 大口菊次郎 才 十日 ま す が その 大 事 な 犯 罪現 場 を な 原慶太郎 西尾利三郎 原ちう 加藤つげの 柘植正男 別のな い道 路で は人 は右 、 車は り 、 あ る い は 日 時 が た って か ら 左の 対 面 通 行 を し な けれ ば なら ぬこ と に定 め られて いま す が 、 の 届 出で は 、わ か る 犯 人 も わ か ぶ った り 踏 み 荒ら して し ま った それ が あ ま り 実 行 さ れ て お り ま せん。 ら 現 場 を そ の ま ま に して お いて ど ん な こ と で も 事 件 が 発 生 した ら なく な って しま い ま す か ら 、 全自治 班が結 成され 、高 学 年の 当 町 で は 最 近小 学 校 に 交 通 安 児童が 毎朝登 校時に 道路の 主要 ︵坂下町警部補派出所︶ 下さい。 すぐ警 察へ 連絡する よう 御 協力 箇 所 に 立 っ て 、 主 と して 子 供 に 対 す る 交 通 指 導 を す るこ と に な りましたか ら 、子供 は勿 論 大人 19 61 42 70 72 55 6 86 70 64 54 53 77 87 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (7) ﹁ や 、 キ レ イや な あ 、 さ す が 見事さ に仕掛花火はスゴイのう﹂とカ る。 ン シ ン して い た の は 和 さ ん で あ やがて 、 次々と各商店寄贈の 玉 が す んで ゆ く 、 す る と 、 部 落 から西 北 に 当たる。 駅の横 手の あた り の空 が 、ボオ ーッ と 明る ﹁さて は 、 火事? ﹂花 火の粉 くなってきた。 アワ テ テ 和 さ ん は 、 サ イ レ ン が何かにモエうつったのか? も半鐘も、ま だ鳴ら ないうち に、 さ す が に鍛 え た 早業 で 消 防 の ハ ッ ピ を 着て ⋮ ⋮ とび 出 して みた が 、 な ん の こ と も な いら し い。 前の 連発 式を 仕掛花火と 勘違 平和な花火大会の夜であった。 い し た 和 さ ん 、こ ん ど は 、 本 当 テッキ リ 火 事 と、気 がハ ヤ か っ の 仕 掛 が 空 に 反 映 す る の を みて 、 た一巻︱。 ― 8 ― 昭和 31 年 7 月 24 日(1・15 日発行) 聞 新 下 坂 第 108 号 (8)
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