(紙上参加) 藤原 馨 これからの社会に求められる男性の家事 - 上智大学

2005 年 1 月 28 日(金)
12:25∼
場所
上智大学1−105 教室
開会
12:30∼12:50
野口
真治
現代における子どもの遊びに関する考察
12:50∼13:10
希代
涼子
やる気を失う日本の子どもたち
13:10∼13:30
大島
直子
アダルトチルドレンに関する一考察
∼機能不全家族とアダルトチルドレン∼
13:30∼13:50
清水
綾子
フリーターに見る現代の若者像
13:50∼14:00
休憩
14:00∼14:20
大林
仁美
働く女性の状況変化
14:20∼14:40
湯上
慶子
大学院を通じて成長する社会人
14:40∼15:00
斉藤
未央
発展途上国と先進国の教育政策
15:00∼15:20
吉田
真大
少年法改正について
15:20∼15:30
休憩
15:30∼15:50
田村
裕美
国家の名のもとの歴史教育
15:50∼16:10
小倉
美紀
歌詞分析から読み解く青年心理と文化
16:10∼16:30
野村
心之介
兄弟構成と恋愛・結婚の関係
16:30∼16:40
休憩
16:40∼17:00
内田
奈緒
子どもが育つ場としての家庭の変容
∼進む女性の社会進出∼
∼現代社会と家庭・家族∼
17:00∼17:20
黒島
晶子
アメリカ・イギリス映画にみる若者たち
17:20∼17:40
宮下
博樹
大学初年次における学生の適応過程と価値観の変化
17:40∼17:50
休憩
17:50∼18:10
宮﨑
多希代
生きづらい青年期からの自立
―吉本ばなな『キッチン』
から読み解く居場所と媒介者の役割―
18:10∼18:30
高
鳳勤
戦後日本の大学におけるカリキュラム改革の変遷
―「一般教育」のあり方を中心に―
(紙上参加) 藤原 馨
これからの社会に求められる男性の家事育児参加と女性の
社会進出に関する考察? 性役割の変更の必要性と男女平
等社会構築のための施策について?
18:30∼19:00
板倉
伸介
英語による民主主義の可能性
―国民の英語能力と民主
主義の達成度の関連性についての実証的分析―
19:30∼
懇親会
(サルサカバナ
四谷 1-7-27
第 43 東京ビル 3F
TEL03-3225-1774)
『現代における子供の遊びに関する考察』
4年
1.
野口真治
研究の動機
私は大学に入学後、子供に関する様々な問題を学ぶ中で、次第に「子供の遊び」という
テーマに関心を持つようになった。子供にとって遊びは人間関係や生活技術を学ぶ貴重な
機会であるが、その希少性に対する認知の程度はまだまだ浅く、教育現場でも対策が難し
いテーマである。近年、社会状況や文化状況などの変化により、子供の遊びも変容しつつ
あり、有意義な遊びの機会をどのように確保するかは、重要な課題であるといえる。そこ
で、私は品川区の小学校で子供の遊びを支援する臨時職員として働いた経験などをもとに、
これからの子供の遊びについて、本論文で述べることにした。
2.子供の遊びの現状
遊びとは「自由で、自発的で、自己目的的で、喜び、楽しさ、緊張感を伴う全人的な自己表現活動」を指す。
有意義な「遊び」の経験は、子供の成長において欠かせないプロセスであるといえる。しかし、近年、この子
供の遊びに変化が生じている。まず、子供の生活の中から遊びの機会が失われつつある。子供の生活から遊び
が減少している原因としては、自由に使える遊び場が特に都市部には少ないこと、学習塾やけいこごとに通う
子供の増加など、様々な原因が考えられる。また、テレビゲームなど室内でいつでも行える遊びが増加し、戸
外で全く遊ばない子供が増加するなど、遊びのバランスの悪さも懸念されている。発達段階の子供にとって、
遊びは最も重要な教育活動であり、この時期に有意義な遊びを経験しないことは、子供の将来に大きな障害を
残す可能性がある。
3.子供の遊びの問題点に対する取り組み方
問題を解決、すなわち遊びを復活させるために大人が子供に遊びを強制する必要はない。
遊びは自由で自発的な活動であり、大人の役割はあくまでも子供が自由に活動できる機会
を提供することである。したがって、これからの子供の遊びに対する対策を考えていく上
では、どのように子供に遊びの機会を与えていくか、ということが一つのポイントとなる。
遊びの機会の具体的な提供者としては、家庭、学校、地域などを挙げることができる。
その中でも最も重要なのが、学校である。学校は子供たちがに共に過ごす、最も身近な場
であり、子供に遊びの機会を提供するには、最も優れた場であるといえる。家庭や地域な
どでの遊びがうまくいくかも、学校においていかに有意義な遊びの機会を提供できるかに
かかっているといっても過言ではない。
4.遊びの支援策∼すまいるスクール事業∼
発達段階の子供にとって、遊びは欠くことのできない重要な教育活動である。しかし、
近年、様々な原因によって子供たちの生活から遊びの機会が失われつつあり、子供の将来
への影響が懸念される。こうした現状を踏まえ、現在では各地で子供の遊びを支援する事
業が行われつつある。本論文では、その一つである品川区の「すまいるスクール事業」を
取り上げ、それを起点に子供の遊びの将来について考察を行った。
*すまいるスクール
すまいるスクールとは、「子供たちが地域で遊ぶ姿が見られなくなった」「友達となかな
か遊ぶ時間がない」「家で一人でテレビゲームばかりしている」「塾通いの子が増えて遊
ぶ相手が見つからない」といった区民の声に答え、品川区が平成13年度から取り組ん
でいる放課後支援教育事業である。子供にとって学校こそが最も身近な場であり、遊び
のための居場所になりうるという考え方に基づき、すまいるスクールは区内の各小学校
を地盤に編成されてきた。現在では「子供の居場所作り」をコンセプトに、学校施設を
活用し、放課後や土曜日、休み期間中など、子供たちが一緒にのびのびと過ごせる居場
所を目指して、様々な取り組みが行われている。
各章の構成
序章
子供の遊びへの関心
「子供の遊び」というテーマに関心を持った経緯について、及び本論文の論旨と構成につ
いて記述を行った。
第1章
遊びの教育的効果について
まず、遊びの本質について論じ、その後遊びの教育的な効果について記述を行った。各種
の遊びに関するデータを用いて、遊びの教育的な効果について説明し、遊びの必要性につ
いて述べた。
第2章
子供の遊びの変容とその問題点
現代における子供の遊びの変容とその問題点について記述を行った。まず、遊戯の集団の
変化という視点から遊びの変容を考え、その後、遊びの変容によってもたらされる問題点
を詳述した。
終章
すまいるスクール事業紹介及び今後の遊びについて
まず、品川区で行われている子供の遊びを支援する事業「すまいるスクール」について説
明を行った。そしてその後、すまいるスクールを起点とした今後の遊びの支援策について
記述を行った。
参考文献
「遊びの思想」
下山田祐彦・結城敏也
「子供をとりまく生活環境」
「現代子供大百科」
川島書店
中央法規
春木豊・菅野純
1988 年
1991 年
開隆堂
2003 年
「現代教育概論」
佐藤晴雄
「現代っ子の遊びと生活」
学陽書房
「子供の社会力」
須藤敏明
1999 年
門脇厚司
青木書店
岩波新書
1999 年
「子供支援の教育社会学」南本長穂・伴恒信
北大路書房
「最新教育キーワード137」
時事通信社
「個を生かす集団指導実践大系」
片岡徳雄
「最新教育データブック第 9 版」
時事通信社
「子供の発達と文化」
小林剛
「子供の発達と現代社会」
「遊び文化の探求 」
1991 年
2003 年
教育出版センター
椋の木社
住田正樹
1986 年
2002 年
1985 年
高島秀樹編
藤本浩之輔 久山社
北樹出版
2002 年
2001 年
「子どもの育ちを考える 」遊び・自然・文化 藤本浩之輔
「遊びの治癒力」 H.ツリガー 堀要訳
黎明書房
「遊びと空間」 河合隼雄
1999 年
翰林書房
2002 年
久山社 2001 年
2000 年
「子どもの世界へ メルヘンと遊びの文化誌」石塚正英
社会評論社
「子どもの育ちと遊び : いきいきと輝くとき 」川村晴子
1999 年
朱鷺書房
『やる気を失う日本の子どもたち』
1997 年
希代
論文構成
【序章】問題の所存
【第一章】日本における現代の子どもたち
第一節
現実的な子どもたち
第二節
大きな一歩を踏み出せない
第三節
無気力な子どもたちはどこから…
●豊かな社会の中で
●学校生活
●家庭に依存する子どもたち
●大人たちの先入観
●充ち足りた生活での成長
【第二章】日本の子どもたちとアメリカの子どもたち
第一節
学校の中での子どもたち
第二節
教師と生徒、親と子どもたち
涼子
第三節
学校教育の水準
第四節
制約された存在とされるアメリカの子どもたち
【第三章】子どもたちの将来展望
第一節
将来成功するためには…
第二節
日本の将来はどう映っているのだろうか?
【終章】考察と今後の課題
論文概要
【序章】問題の所存
去年の5月に教育実習のため母校に戻り実習をした時に、今の中学・高校生の姿を見て、
自分が中学・高校生だった頃と比べて少し変わったような印象を受けた。特に中学生につ
いては、思っていた以上に驚かされることがいくつもあった。自分が中学生の頃はこんな
にも幼稚だったろうか?こんなにも集中力のない生徒だったのだろうか?と思い返してし
まう程であった。自分が中学・高校生だった頃と今の生徒の授業に対する姿勢や態度はそ
こまで大きく違うことはないと思う。しかし、確実に学力が低下しており、集中力のない
子ややる気のない子が増えている印象を受けた。また、先生方の話しを聞いても、やはり
自分が学生の頃の生徒と今の生徒では確実に学力の違いや勉強に対するやる気の違いを感
じると共に、積極性に欠けており、自分で物事を考えたり、自分で問題を解決しようとす
る子どもたちが減っていることがわかった。実際に教育内容が減少したことにより、学力
低下が問題になったり、無気力な子どもが増えているということは耳にしていた。しかし、
それを実際に自分が教育実習に行ったことによって肌で感じ、世間で言われていることと
自分が感じた現在の子どもの現状が重なったことにより、今回小・中・高校生を中心にな
ぜ子どもたちが子どもらしさを失い始めているのか、なぜ積極性に欠け、やる気がなくな
っているのかを調べたいと思い、このテーマを取り上げた。
日本の子どもたちが無気力化してしまい、子どもらしさを失い始めた最も大きなきっか
けは日本の社会が豊かになったことだとされている。しかし、アメリカの子どもたちはや
る気に富んでいる。豊かな社会の到来が子どもたちからやる気を奪うのは確かだとしても、
すべての社会の子どもたちが無気力化するわけではない。豊かな社会に暮らしているのは
同じなはずなのに、なぜ日本の子どもたちはやる気を失ってしまっているのだろうか。こ
こで私は、無気力化していると言われる日本の子どもたちについて調べると同時に、現代
の日本の子どもたちが無気力化してきていると言われている原因をアメリカの子どもたち
と比較しながら見ていきたいと思う。
【第一章】日本における現代の子どもたち
●日本の子どもたちはなぜか望みが小さい
“勉強が苦手=将来への可能性が薄い”と考えている。
←自分に自信がないため
●無気力な子どもたちの増加
・豊かな社会の到来
・忙しい学校生活
このような環境で子どもたちが成長
・温かい家庭
・満ち足りた環境
この結果
自発性や自主性に乏しく、自分から何かをしようという意欲がない
無気力な子どもたちが誕生
【第二章】日本の子どもたちとアメリカの子どもたち
●学校の中での子どもたち
日本
アメリカ
通学日数
年間 240 日
年間 180 日
学校に通う意義
友達との友情をはぐくむため
一般的・基礎的知識を見につけるため
生活
ほぼ日本人
多くの人種
●教師と生徒、親と子
*日本*
・教壇に立って一方的に授業する
・生徒一人ひとりに熱心に指導する(学業面のみ)
・生徒の理解という面が欠けている(あまり生徒の心理状態にも関わろうとはしない)
・教師も親も教育熱心であり、特に受験においては親と子どもが共に頑張って一緒になっ
て乗り越えるものだという考えがある。
・親はなんでも子どもの世話をするし、子どもが悪いことをすれば親までも責任を負う
*アメリカ*
・生徒と話しながら授業する
・生徒一人ひとりに対する指導の熱心さは低い(勉強に関しては生徒のやる気に任せる)
・生徒と教師の個人的関係はとても重要とされており、思春期の心理学としつけとが一体
になった教育が必要だと考えられている。
⇒アメリカの教師は教える能力のみならず、生徒の心理的な理解能力も同じように評価さ
れる。
・生徒自身も親も教育に熱心ではなく、なにより教育が大切という認識が欠けている
・親は子どもに何かを要求するのではなく、自由にしておく、その結果は本人が責任を負
うという考え方
このように日本とアメリカの教師や親の姿は大きく違う
アメリカ:もともと子どもは一人で生きていかねばならないという考えがある。つまり、
アメリカはいわゆる“一人で強く生きていかなければ”という文化が存在する
のである。
●学校教育の水準
・ 素質がもともとあると考えるアメリカ人と、勉強すればできるようになると考える日本
人とでは、「才能」と「努力」の評価の違いがある
・ 学校の勉強ができなくても、頭がよければ成功の道を切り開いていくことができるとア
メリカ人は考えている
・ 「頭がいいこと」「勉強ができること」はアメリカでは評価が高い。しかし、日本では
マイナスに評価される。
↓なぜ?
日本では、学歴社会がもたらした弊害としてこのような結果に
なってしまったのではないかと考えられる。
●制約された存在とされるアメリカの子どもたち
日本:子どもをかわいがる文化がある
アメリカ:伝統的に子どもを制約された存在として扱う文化がある
このため
日本:親は子どもをかわいがるため、子どもはさらに自発性や自主性が乏しくなり、子ど
もたちは親や家庭に依存するようになってしまった。
アメリカ:親と子どもの間の関係はしっかり保たれているために豊かな社会になっても豊
かさがストレートに子どもたちに届かない。
【第三章】子どもたちの将来展望
・ 経済的成功こそがサクセスだという考え方がアメリカの伝統文化であり、それはサクセ
スするとお金が入ってくるという考えを持っているからだ。
・ 日本では学問の道で成功するかどうかが、その人個人の価値を評価する規準だと考えら
れていた。つまり、日本では昔の学歴社会があったことにより、今でも学力があること
が成功の道への近道だとされている。
【終章】考察と今後の課題
日本の子どもたちは恵まれた生活を送っているため、子どもたちの理想郷とされている。
しかし、このような理想郷で生活している日本の子どもたちも豊かな社会の到来により、
無気力な自発性に乏しい子どもになってしまったのである。
豊かな社会になったことにより、日本の子どもたちは何かをしようとする意欲がなくな
ってしまった。しかし、子どもがやる気をなくしても温かい家庭があり、家族は子どもを
かわいいがるために子どもが無気力になっても何も言わない。現代の子どもは、このよう
に無気力になる条件が整っているために安心してさらに無気力化していく。また、大人の
価値観によってどんどん子どもが大人の社会の仲間入りをしてしまい、子どもはどんどん
孤立型となっていく。その結果として、日本の子どもたちは子どもらしさを失い、積極性
に欠け、やる気がなくなってしまったと言えるだろう。今後の日本社会は、子どもが自主
性、積極性を持ち、個性を伸ばすためにどうするべきかを考えなくてはいけないだろう。
参考文献は省略させて頂きました。
フリーターに見る現代の若者像
A0110245 清水
綾子
増加するフリーターが将来、社会的な問題となると言われる「フリーター問題」
。
フリーターという存在が問題視され、そういった若者が批判される世の中。一般的な若
者のイメージとはそういったものからついてくる部分も少なからずある。実際に私達の
最近の若者のイメージはどんなものだろうか。そしてフリーターのイメージはどんなも
のだろうか。フリーター問題が数多く聞かれ、若者の将来像が懸念されているにも関わ
らず、イメージに捕らわれ、多くを知りもしないまま、自分にはなんら関わりのないよ
うな気持ちでいた自分。本当に問題なのはフリーターである若者達だけなのだろうか。
日本の将来を危うくする問題児はフリーター達だけなのだろうかといった疑問から、フ
リーターの実態を考察し、その中から現代の若者の特徴、問題等を考察した。現代の若
者の一つの働く形として、フリーターを取り上げ、若者の職業に対する考え方、今後の
職業指導等、その解決策を検討した。
序章
フリーター問題とは
フリーターと正社員の簡単な収入と支出のデーターが下記である。
【平均年収】正社員:387 万円、フリーター:106 万円
【生涯賃金】正社員:2 億 1500 万円、フリーター:5200 万円
【住民税】正社員:64,600 円、フリーター:11,800 円
【所得税】正社員:134,700 円、フリーター:12,400 円
【消費税】正社員:135,000 円、フリーター:49,000 円
【消費額】正社員:282.9 万円、フリーター:103.9 万円
【年金受取額】正社員:(月額)146,000 円、フリーター:(月額)66,000 円
【経済的損失】税収:1.2 兆円減少、消費額:8.8 兆円減少、貯蓄:3.5 兆円減少
以上を見るだけでも分かるように、フリーターと正社員の決定的な違いは収入と支出
にある。収入が少ないことは個人の勝手では済まされず、のちに日本全体の賃金水準の
低下させることにつながる。収入が少ないということは上記のデーターにもあるように
国に支払われる支出も、経済に対する支出も低下し、年金や経済に与える影響も少なく
ない。また、個人の収入が低くなると人々の人生設計にも影響がでてくることになる。
収入の問題から、晩婚化、未婚化への影響が出始め、少子化問題がさらに深刻化するこ
とも考えられる。このように、フリーター問題とは経済的な問題だけではなく、日本の
将来を危うくする問題を孕んでいるものなのである。
1章
1.
フリーターの実態
誰がフリーターになるのか
定義
フリーター定義:2003 年度版『労働経済白書』ではフリーターの定義を「年齢 15 歳
∼34 歳、卒業者、女性については未婚者に限定し、さらに(1)現在就業している者に
ついては勤め先における呼称が「アルバイト」又は「パート」である雇用者で、
(2)現
在無業の者については家事も通学もしておらず「パート・アルバイト」の仕事を希望す
る者」とし、その総数は 209 万人であると言われている。
数量的調査
男女比:男性4割、女性6割
年齢:20∼24 歳が最も多い。近年は 25∼29 歳のフリーターが上昇傾向にある。
学歴:低学歴者がほとんど。近年では大学や大学院を卒業した後の高学歴者のフリー
ターも増加傾向にある。
タイプ
?? モラトリアム型 47%
?? 夢追求型 14%
?? やむを得ず型
型
離学モラトリアム型、離職モラトリアム型
芸能志向型、職人・フリーランス志向型
39% 正規雇用志向型、期間限定型、プライベート・トラブ
2.
学生とフリーターの社会的立場を比較
学生
フリーター
社会的立場
学生
社会人
生活社会
学生社会、大学、学校
一般社会、世間
主な役割
学習、研究
アルバイト
経済資金
親の保護、仕送り、お小遣い
自ら稼ぐ、親へ援助
またはアルバイト代
日々の生活
大学の授業、サークル、遊び、
アルバイトが中心
アルバイト
休日
土日祝日、大学のない日、
不定期
夏、春休み各2ヶ月、冬休み
約週1∼2
雇用形態
アルバイト
アルバイト
その他
学割がある
特になし
数量的なフリーターデーターを取ってみても一番多いのは 20 代前半の人々である。
20 代前半というと学生と比較して見ても、まったく同じ年代の若者たちであるという
ことができるだろう。その若者たちの社会的立場は上の表を見ただけでもこんなにも差
が存在する結果となっている。
2章
若者をフリーターへと導く要因
こうも社会的立場の違いが明らかになると、本人の意思とは別のところでも若者をフ
リーターへと導く要因があるのではないかと思い、若者に影響する周辺の要因をまとめ
てみた。
1.
経済的理由
?? 大学進学にかかる費用
私立 128 万 国立 58 万7千円
+ 受験費用、住居費、生活費
年間平均 自宅通学者 146 万円、自宅外通学者で 312 万円
日本の大学進学をさせている親の9割以上が無理をしている。
?? 大学進学収益率
約6%、大学へ行くことの価値も低下しつつあるのではないか
2.
選択社会、選択人生、
普通の人生よりも、自分の個性を生かした選択、人生設計が良いとされる。
選択をすること、やりたいことを決める事に対するプレッシャーが存在する。
やりたいことがあってもなくても問題とされる。
3.
間違った自己実現
サラリーマンの敬遠。父親世代の代償。好きなことを仕事にし、自分の天職を見つけ
ることが自己実現へとつながる。回りと同じではなく、自分だけの個性的なものを見
つけることの中に自己実現はあるのではないだろうかという思い。
4.
長引くモラトリアム期
大人になる必要がない。両親、子供とも、いつまでも一緒に生活していたい。
パラサイトを肯定。フリーター生存可能な生活環境。
3章
若者世代の問題として
1. 誰にでも起こり得ること
フリーターが悪いわけじゃない。企業の採用体制。
2. 教育は何が出来るのか
選択と実行を根本に据えた応用型教育
絶対評価でほめる教育
終章
一人の若者として
フリーターをすることに対するメリットは多くなく、その働き方を否定する人々も大
勢いる。しかし、それがひとつの働く方法や生き方であるとしたら、私達に関係がない
こととは言い切れず、若者全員に対して迫っている問題であるということができるので
はないかと感じた。現代の若者が感じているストレスやプレッシャーというものはこう
いった形で出てきているという一つの現れに過ぎないのではないかと思った。今後、フ
リーターへの対策だけではなく、若者達の価値形成、就業意識に直接働きかけてゆく活
動が必要となってくるだろう。それは新しく子供たちに教育を施すだけではなく、すで
に成人を迎えた私達にもされるべきものであるのだと実感した。自分も一人の若者であ
るということを再認識し、将来を見据える良い機会になった論文となった。
主要参考文献??
経済企画庁国民生活局国民生活調査課
選職社会の実現
??
図で見る国民生活白書』 2000 大蔵省印刷局
労働省職業安定局『現代若者の職業意識
職業意識の変化に対応するために』1991
雇用問題研究会
??
中里至正, 松井洋『日本の若者の弱点』 1999
毎日新聞社
??
矢島正見, 耳塚寛明『変わる若者と職業世界
トランジッションの社会学 』2001
文社
??
宮本みち子『若者が「社会的弱者」に転落する』 2002
??
河野員博『現代若者の就業行動―その理論と実践―』 2004
??
佐藤博樹『変わる働き方とキャリアデザイン』 2004 勁草書房
??
諏訪春雄『GYROS
#8
職場の若者』 2004
洋泉社
勉誠出版
学文社
学
??
長山靖生『若者はなぜ「決められない」か』2003
??
日本労働研究機構研究所『大都市の若者の就業行動と意識
ちくま新書
広がるフリーター経験と
共感』2001 日本労働研究機構
??
日本労働研究機構研究所『フリーターの意識と実態
97 人へのヒアリング結果より』
2000 日本労働研究機構
??
小杉礼子『フリーターとは誰なのか』 日本労働機構
??
小杉礼子『自由の代償/フリーター』
??
総務省統計局
??
内閣府「平成 15 年度版国生活白書」
日本労働機構
「日本の統計」http://www.stat.go.jp/data/nihon/
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h15/honbun/index.html
??
厚生労働省「若者の未来のキャリアを育むために∼若年者キャリア支援政策の展開∼」
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/09/h0919-5f.html#top
??
次世代情報都市みらい「学歴による収益率」
http://www.mirai-city.org/ithink/yobikoritsu.html
??
心理コラムのサン「自己満足と自己実現の違いは何か?」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/7219/columns/2ba_jiko/jikomanzoku_ji
kojitugen.html
働く女性の状況変化 ∼進む女性の社会進出∼
大林
仁美
【序章】問題意識
1986 年に男女雇用機会均等法が制定されて、まもなく 20 年が経とうとしている。同
法が社会に浸透し、働く現場における女性の立場は、日々向上し続けていると言える。
しかし、現在でもなお、女性であるがゆえに当面する理不尽な問題も少しは残っている。
そこで、本論文では、まず同法の施行前と施行後で、働く女性の意識や環境がどのよう
に変化してきたかを比較する。また、特に同法の施行後に着目し、近年顕著になってき
ている女性の労働力の非正社員化について調べる。次に、学歴別就職比率を調べること
により、最終学歴と就職についての関わりを調べる。以上を踏まえた上で、最後に社会
へ女性が進出することの意義や、社会がすべきことをまとめていく。
また、自分自身が今春より人材派遣会社に勤めるため、女性の労働状況の変化や意識
を学び、今後に役立てたいと思い、このテーマを選んだ。
【第一章】
男女雇用機会均等法について
<第一節> 男女雇用機会均等法の誕生から改正男女雇用機会均等法の誕生まで
・1986 年に男女雇用機会均等法施行
・1999 年に国際的な流れの中で、改正男女雇用機会均等法施行
・改正前は事業主に対して、募集、採用、教育、解雇等において、男女に差をつけ
てはいけないという努力義務だったが、改正後にはそれが禁止事項に変わった。
<第二節> 男女平等の国際的な流れ
ドイツに経営組織法(1952 年)
、アメリカに公民権法第7編(1964 年)、イギリス
に性差別禁止法(1975 年)が制定されるなど、欧米では早くから男女平等につい
て取り組みがされていた。
<第三節> 改正男女雇用機会均等法の抱える問題点
・雇用管理区分があれば、男女差別があるかどうかを検討する対象にならない
・関節差別
・職務評価制度
・差別是正の行政機関がない
【第二章】 女性労働の光 ∼男女雇用機会均等法施行前後の意識調査比較∼
男女雇用機会均等法施行の時期を規準に以下の 4 つの世代に分けている。
① 均等法前 20 年世代(昭和 41 年に 18∼22 歳)
② 均等法前 10 年世代(昭和 51 年に 18∼22 歳)
③ 均等法世代(昭和 61 年に 18∼22 歳)
④ 均等法後 10 年世代(平成 8 年に 18∼22 歳)
<第一節> 雇用の女性化
全女性労働者に占める女性雇用者の比率は 1960 年 40.8% → 2001 年 82.5%
つまり、自営業主の比率が減少してきている。
<第二節> 女性の就業意欲の変化
年齢階級別の女性の有業率について、昭和 62 年、平成 4 年、平成 14 年で見ると、有
業率の低い 25∼29 歳層、30∼34 歳層において上昇が目立つ。
特に若い年代層において男性の就業意欲が低下する中、女性の就業意欲は高まってい
る。
<第三節> 平均勤続年数の推移
女性の平均勤続年数は、年々長くなってきている。
昭和 41 年 4.0 年 → 昭和 51 年 5.3 年 →
→平成 8 年 8.2 年 →
平成 15 年 9.0 年
<第四節> 職場における男女均等度合いの変化
・企業の女性雇用管理に対する考え方の変化
・職域の拡大
・教育訓練の状況
昭和 61 年 7.0 年
・結婚・出産等による退職、解雇の状況
以上のようなものを一例として、女性の置かれる状況は改善されている。
<第五節> 女性の側の意識変化
・社内における平等感
昭和 54 年と平成 14 年の調査で「職場で女性は差別されている」と回答した女性の
割合は、平成 14 年の方が低下している。
特に 20 歳台は昭和 54 年 19.4% →
平成 14 年 11.1%
・強まる新入社員の昇進願望
均等法施行 10 年前世代、施行世代共に役職に就きたい人は 8%台。
施行 10 年後世代は 15.9%、施行 17 年後(昨年の新入社員)は 21.2%まで伸びてい
る。
<第六節> 男女間賃金格差問題(厚生労働省、2001 年賃金構造基本調査より)
1986 年、男性 100.0 に対して女性 59.7 → 2001 年、男性 100.0 に対して女性 65.3
全体として、男女間賃金格差は縮小する傾向にある。また、学歴と勤続年数を揃えた
標準労働者で見ると、特に大卒は男性 100.0 として、女性 85∼90 程度で差が縮小す
る。
<第七節> 結婚、出産と仕事との関わり
・結婚・出産による離職
1992 年(施行世代が 25∼29 歳)と 2002 年(施行 10 年後世代が 25∼29 歳)を比較
する。
→25∼29 歳層の時点で結婚か出産で離職した人の比率
1992 年 結婚離職組 20.2%
出産・育児離職組 16.2%
2002 年 結婚離職組 14.5%
出産・育児離職組 9.3%
また、
「妊娠または出産による退職者の割合」は昭和 41 年 52.8% →
平成 9 年
19.0%
・M字型カーブに見る結婚、出産等に関わる女性の就業状況
M字型カーブは解消されるのか??
・出産による影響
晩婚化に伴う第一子出産平均年齢の上昇
産後の再就職は理想現実共に多いが、入職時の 7 割の人はパート
子どもができても仕事を続けた方がよい、と考える人は若い世代ほど高い。
育児休暇取得率の上昇(平成 14 年 64.0% →
平成 15 年 73.1%)
【第三章】 女性労働の影
<第一節> 進む女性の非正社員化
女性の就業意欲は高まる一方だが、正社員として就職する人の割合は低下している。
・正社員として就職する比率
均等法施行世代(1986 年)
男 93.9%
均等法施行 10 年後世代(1996 年) 男 95.3%
最近(2002 年)
男 82.5%
女 94.4%
女 9 割届かず
女 78.7%
・学歴別、新卒パートとして就職する人の比率
高卒女子 38.6%
高卒男子 28.3%(2002 年)
<第二節> 非正社員のメリット・デメリット
・働く側のメリット・・・仕事の範囲や責任が明確、仕事内容が選べる、曜日・日時が
選べる
・働く側のデメリット・・・身分・収入が不安定、将来の見通しが立たない、賃金が低
い
・企業側のメリット・・・人件費の節約
・企業側のデメリット・・・非正社員は正社員より責任感が低い、愛社精神が薄れる
<第三節> 非正社員の低賃金化を導く税制
・103 万円の壁・・・配偶者控除と配偶者特別控除
・130 万円の壁・・・国民年金の保険料
<第四節> 新規学卒者の高い離職率
新規学卒者のうち、中卒の約 7 割、高卒の約 5 割、大卒の約 3 割が就職後 3 年以内に
離職している。
【第四章】 学歴別就職比率
<第一節> 学歴別就職比率
平成 16 年度 大卒女子就職率 59.7%、高卒女子就職率 14.7%(高卒女子大学進
学率 47.1%)
<第二節> 時代と共に変化した新規学卒者の就職活動時における募集、採用条件
均等法前 10 年世代・・・4年制大卒の場合、男子のみ採用の企業 57.2%。男女とも
採用の企業 42.6%。
均等法施行世代・・・高卒で 12.8%、大卒で 27.0%の企業が募集、採用について女
性に不利な条件を見直した。
均等法後 20 年世代・・・大卒事務・営業系 69.7%、大卒技術系 56.3%、高卒事務・
営業系 50.4%、高卒技能系 44.5%の企業が男女とも募集し
たとしている。
【第五章】
女性が社会進出することの意義
<第一節> 女性が社会進出することの意義
・やりがいを求めて
・経済的自立を求めて
・少子高齢化の担い手と経済の活性化
<第二節> 女性が社会進出するために社会がすべきこと
・学校教育がすべきこと
・職場内のポジティブ・アクション
・職場における仕事と子育てのための両立支援
・子育て期における男女の仕事のバランス対策
・地域における保育サービスの充実
【終章】 終わりに
本論文では、男女雇用機会均等法をきっかけに、日本における働く女性の意識や環境
がどのように変化してきたかを中心に述べてきた。そして、その結果は概して良い方向
に向かっていると言えるのではないか。私自身、今春より社会人として社会に出て働く。
よって、女性にとって働きやすい環境ができれば、私たちのようにこれから社会に出て
行く女性にとっては大変心強いことである。
女性の社会進出が著しいが、働くことを幸せとする人もいれば、家庭に入ることを幸
せとする人もいる。いろいろな考え方の女性を誰しもが受け入れることのできる社会に
日本がなってほしいと強く望んでいる。
【主な参考資料】
・平成 15 年度
厚生労働省
女性労働白書
・平成 13 年度
厚生労働省
女性労働白書
・平成 14 年度
厚生労働省
雇用動向調査
・男女間賃金格差に関する研究会報告書
・平成 15 年度
厚生労働省
若年者キャリア支援研究会報告書
・平成 16 年度
文部科学省
学校基本調査速報について
・関西女の労働問題研究会
竹中恵美子ゼミ編集委員会編『竹中恵美子が語る「労働と
ジェンダー」
』ドメス出版、2004 年。
大学院を通じて成長する社会人
湯上慶子
はじめに
私は最近、働く女性のための雑誌を読んだ。その中では自分の「市場価値」を高めた
い女性に必要な情報が掲載され、また時の人、働く女性が憧れる人が言葉を寄せている。
「市場価値を高めたい」というと転職や昇格などを狙っている人だけのように聞こえる
が、それ以外にも人間として、女性として自分の人生をより有意義に過ごしたい、レベ
ルアップしたいという人もたくさんいるように感じた。その中で今、大学院で学ぶ社会
人が増加している(図1)、または入学を迷っているということを知った。正規の学び
の期間を終えて、社会に出てもなお学ぼうとする気持ちはどこから生まれるのだろう。
そういう気持ちとともに、社会人大学院の現状や問題点について考察したいと考えた。
(図1)
文部科学省「学校基本調査」
第一章
社会人大学院の現状
1.日本の大学院の特徴
日本の大学院の特徴は小規模で、分野的に工学系が大半を占め、研究者養成が主な機能
2.社会人大学院普及までの道のりと現在の状況
日本の大学院の構造の問題提起と、今後の生涯学習社会に対応して、新たな大学院像を打
ち出す必要性があげられたキッカケは1986年の臨教審の第二次答申であった。修士課程を
従来の研究者養成機関のみならず、
「高度専門職の要請と研修の場として整備・拡充を図る」
という政策が打ち出された。その後、大学審答申で以下のような制度やシステムが導入・
整備された。
① 社会人特別選抜入試
・ 筆記試験のかわりに面接などによる口答試験を実施
・ 語学試験免除など
・ ほとんどが独学で合格(予備校通学者は2%)
② 入学資格、修業年限の弾力化
従来は博士課程に入学するためには修士課程を修了していることが条件。しかし、新制度
のもとでは修士を修了していなくても学部卒業後に企業などで2年以上の研究歴があり、修
士の学位を有するものと同様の学力があると認定されれば博士課程への入学資格が得られ
る。
③ さまざまな学び場の選択肢
昼夜開講制大学院、夜間大学院、科目等履修制度、専門職大学院、通信制大学院など社会
人の目的、ライフスタイルに合った学び場が選択できる。
第二章
学生について
1.学生のタイプ
4つのタイプ
キャリアアップ志向の男女/派遣タイプの男女/転職志望の女性/転職志望の男性
2.学生の入学動機
1-大学院への入学目的(複数回答)
目的
回答数
%
学歴・学位を取得するため
1361
57.8
仕事の能力を高めたいので
1235
52.4
深い教養を身につけるため
909
38.6
転職や独立のため
446
18.9
資格取得のため
381
17.9
社会活動に活かすため
357
15.2
日常生活に刺激を得るため
308
13.1
業務戦略として必要なので
282
12.0
人脈を作るため
240
10.2
職場の競争に勝ち残るため
138
5.9
その他
177
7.5
合計
6255
265.7
出典:「職業人再教育志向型大学院の構造分析とその展望に関する研究」
日本企業、社会を取り巻く環境が急速に変化している中、産業や社会構造のあり方は急速
に変化している。そうした環境変化は企業の中の各人に求められる職業能力や職業能力開
発のあり方に影響を与えているという。企業内教育や研修を外部の専門サービスに委託し
たり、高度な専門知識を身につけさせるために大学院に派遣するケースも増加している。
第三章
大学院修了後の学生について
1.修了生における収入の変化
外資系で大学院修了後3年の時点ですでに75%が収入増を経験していて、終了後6年を過
ぎるとほぼ全員が収入増を経験するようである。それに対し、日本では修了後3年の時点で
もまだ収入アップ経験者が半分にも達しておらず、日本では大学院修了という事はすぐに
反映されにくいということがわかる。
また、転職経験は、収入の増加額に対しても影響を及ぼしているようである。以下のデ
ータは入学直前の年収が1000万円未満であった者を取り出し、時間の経過とともにどの程
度収入が増加したかについてみたものである。
継続就労型の場合、入学後 6∼8 年が経過した者のうち年収が減少した者が 2%、
変化なしが 29%、
200 万以内の増加が 51%、
400 万円以内の増加が 13% 、
400 万超の増加が 5%となっている。
これに対して転職型では、入学後入学後 6∼8 年経過時点で年収が減少した者が 10%、
変化なしが 8%、
200 万円以内の増加が 46%、
400 万円以内の増加が 22% 、
400 万円超の増加が 14%となっている。
200万円までの増加の割合が勤続就労型のほうが高いのに対し、高額な増加を果たした人
の割合は転職型の人のほうが高い。つまり、転職経験を通じて収入が減少する場合と大幅
に増加する場合にと大きく分かれる傾向にあることが見て取れる。
2.身につく能力
経営学・商学系の場合、大学院で身につけた能力で、かつ職場でも必要とされているもの
として高く評価しているのは、
「課題を理解し設定する力」
、
「情報を収集し、分析する力」、
「幅広い視野をもつこと」「人的ネットワークの形成」、「プレゼンテーション能力」。反対
に職場での必要性が高いのに大学院ではイマイチ対応しきれていないのは「対人折衝・交
渉力」、「指導・助言・育成する力」、「リーダーシップ」、「顧客志向」など。
第四章
カリキュラム面以外の問題点と今後の課題
・時間に関する不満
・ 学費についての悩み
おわりに
社会人大学院に在籍する人や修了者の体験談を読む中で、(社会人大学に限らずだが)資
格を独学で学ぶ人、目標に向かって一生懸命な人など、社会人という立場で限られた時間
の中、必死に自分を成長させようという人たちが多く見受けられた。「学ぶのに遅すぎるこ
とはない」という言葉の意味がまさにそこに存在していた。
しかし、その中で時間やお金に対する悩みや迷いが多く、2007 年の大学の「全入時代」
に向けて、各大学院が差別化を図るとすればカリキュラムに加えていかに時間や経済面で
より社会人に学びやすい環境を整えるかという事が課題であろう。
【主な参考文献】
・ 山内祐平・中原淳『社会人大学院へ行こう』NHK出版、2003
・ 日経ウーマン 12 月号
p124∼147
『社会人大学のすべて』
・ 本田由紀 『社会人大学院修了者の職業キャリアと大学院教育のリバレンス』
知泉書館、2003
・山田礼子
『社会人大学院への案内』PHP研究所、1997
・社会人の大学・大学院
http://allabout.co.jp/study/adultedu/
・大学院へいこう! http://www.between.ne.jp/grad/
など
発展途上国と先進国の教育政策
A0112041
斉藤
未央
1.問題提起
今日貧困、飢餓、疾病、非識字率の低減など、まだ他にも様々なグローバルな地球規模
の問題が挙げられる。その問題の中でも今回この論文では、途上国の貧困を減らし、人々
がより豊かな生活を構築することの可能な力をもつ「教育」について概論し、発展途上国
と先進国の教育政策をはじめとする経済、学校教育、識字率などをもとに私たち先進国が
どのような支援を行えばよりよい量・質の教育支援となるか考察する。これらの比較、考
察により支援における理想的なパートナーシップi のあり方を見出していこうと思う。
2.論文構成
第一章 国際教育協力・教育開発のたどってきた歴史
・「南北問題」の登場(1960 年代以降)
・バンドン 10 原則(1955・アジアアフリカ会議)
反帝国主義、反植民地主義、平和共存、非同盟
・1990 年代の新たな潮流
※資料参照
世界の流れ①「万人のための教育世界会議」EFA(1990.3.)
②「DAC 新開発戦略」が OECD の DAC により採択(1996.5.)
③「世界教育フォーラム」EFA を受けた今後の枠組み「ダカール行動枠組
み」が採択(2000.4.)
④「国連ミレニアムサミット」にて「ミレニアム開発目標」(教育分野の
国際開発目標)が提唱(2000.9.)
日本の流れ①「政府開発援助大綱」閣議決定
②
JICA が「開発と教育・分野別研究会」(1992∼1994)「教育援助拡充
のためのタスクフォース」(1994∼1995)を設置、分析、報告
③
DAC 新開発戦略は日本のイニシアティブ、研究会設置(1996)
④「成長のための基礎教育イニシアティブ(BEGIN)」が外務省より発表
●政策レベル・戦略レベルにおいての変化●
1.重点分野の変化(高等教育・職業教育→基礎教育)
2.バランスの取れた教育協力への志向(学校建設等のハードな支援→ソフト)
3.政策期間や教育目標を明確化・成果重視の戦略
第二章
日本の教育援助と参加型開発
政府開発援助(ODA)
二国間贈与(グラント)
技術協力①
二国間貸付(ローン)
国際機関への出資・拠出
無償資金協力②
・政府開発援助(ODA)
・国際協力機構(JICA)
①研修員受け入れ、個別専門家派遣、単独機材供与、プロジェクト方式技術協力、開
発調査、青年海外協力隊
②一般プロジェクト無償、債務救済無償、経済構造改善努力支援無償、草の根無償、
水産無償援助、緊急無償援助、文化無償援助、食糧援助、食糧増産援助
・NGO
第三章 発展途上国と先進国の教育
それぞれの国の概要を整理する(※資料参照)
●ベトナム社会主義共和国
●インドネシア共和国
●中華人民共和国
●日本国
●アメリカ合衆国
以上の国を以下の点において比較考察する
・識字率
・経済水準(国民総生産)
・学校教育
・初等教育
・新たな課題
参考文献
江原裕美『内発的発展と教育――人間主体の社会変革とNGOの地平』新評論、2000 年。
浜野隆『国際協力論入門――地域と世界の共生』角川書店、2002 年。
伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か――液状化する世界を読み解く』平凡社、
2002 年。
ジョン・フリードマン『市民・政府。NGO――「力の剥奪」からエンパワーメントへ』
新評論、2002 年。
黒田則博「国際開発援助について「北」は何を論議してきたのか――最近の国際開発援助
に関する考え方の動向――」
『国際教育協力論集』第4巻第 2 号、125−134 頁、広島大学教
育開発国際協力センター、2001 年。
西川潤『世界経済診断』岩波書店、2000 年。
ロバート・チェンバース(野田直人・白鳥清志訳)『参加型開発と国際協力――変わるのは
わたしたち』明石書店、2000 年。
世界銀行『グローバリゼーションと経済開発――世界銀行による政策研究レポート――』
シュプリンガー・フェアラーク東京株式会社、2004 年
高橋一生(編)『グローバリゼーションと貧困』国際開発高等教育機構(FASID)、1998 年。
田原恭蔵・林勲・矢野裕俊『かわる世界の学校』法律文化社、1997 年。
豊田俊雄『発展途上国の教育と学校』 明石書店、1998 年。
暉峻淑子『豊かさの条件』岩波書店、2003 年。
内海成治『国際教育協力論』思想社、2001 年。
外務省『政府開発援助(ODA)国別データブック』
参考 URL
eFASID
HP
外務省
HP
JICA
http://www.mofa.go.jp/
HP
文部科学省
UNDP
http://www.efasid.org/J/weblink/education/educationtop.htm
HP
http://www.jica.go.jp/
HP
http://www.mext.go.jp/
http://www.UNDP.org/
戦後少年法における改正の意義
A0112058
1
研究の目的
吉田真大
2001 年4月に少年法が改正された。その際の改正における問題点として
大きく取り上げられたのが、少年に対する厳罰化に対する批判であった。
確かに、この厳罰化に関しては改正の原因が少年犯罪の凶悪化といったイ
メージによる部分が大きく、実際に統計的には少年犯罪は凶悪化している
わけではないことが明らかにされていることや、厳罰化が犯罪抑止効果を
十分に果たすのかなど疑問が多い。このような批判を聞くと、少年法改正
は少年犯罪対策において意味が無いかのような印象を受ける。しかし、そ
れは少年法改正反対論者の声であり、少年法や少年法改正の背景を知った
上でのものではない。少年法改正の効果を考えるには少年法自体について
知るとともに、その背景や思想を知った上で考察しなければならない。そ
のうえで、今回の少年法改正がどのような目的で行われたものであるか、
戦後 50 年以上に渡って改正されなかった少年法が改正されたことにどのよ
うな意義があるのか考えたい。
2
論文の構成
はじめに
一章 我が国における少年法の性格
1 戦前における少年法
2 現行少年法の成立
二章 少年に対する保護手続き
1 対象となる少年
2 非行発見から家庭裁判所送致までのプロセス
3 家庭裁判所における少年の扱い
4 家庭裁判所が行う処分決定
5 家庭裁判所の処分決定後の手続き
6 処分執行の内容
三章 日本における少年犯罪の現状
1 成人犯罪と少年犯罪の動向
2 少年非行の動向、特徴
3 非行の型と社会的背景
四章 少年法改正
1 少年法改正の概要
2 少年法改正の経過
3 付帯決議の存在
4 改正少年法の運用状況
五章 世界における少年司法、少年司法の動向
1 非行少年の処遇に関する国際条約、国連規則
2 世界諸国の少年法制
結び
参考文献
3
成果
まず、この論文を作成する過程で学んだ最も重要なことは少年法は少年
に「罰を与える」ための法律ではなく、
「保護する」ための法律であるとい
うことである。この少年法の基本的な性格から考えれば少年法適用年齢が
引き下げされたことによって少年法が「厳罰化」されたというのは、そも
そも少年法は少年を罰することを目的としているのではなく、保護育成を
することが目的であり少年を早期から更生させる機会が拡大されたわけで
ある。厳罰化に対する批判は少年法の目的ではなく少年犯罪の凶悪化に対
する統計的根拠に基づく少年犯罪の実態を明らかにしていたに過ぎず、少
年法の本質から少年法を論じているわけではないのではないかという印象
を受けた。
次に、一章・二章を通じて日本における少年法の性格や仕組みについて
述べたが、日本の少年法の特徴は保護主義が非常に徹底したものであると
いうことがわかった。家庭裁判所における審判におけるプロセスにおいて
も、その終局決定においても少年に対して厳しく接するとい姿勢ではなく、
少年に自省を促すための更生させるための姿勢が強い。また、少年を拘禁
することを極力回避し起訴に関しても在宅起訴が中心であるし、処遇も少
年院等の施設に収容することよりも保護観察等の社会内処遇が多くできる
だけ、少年の自由を奪うことなく社会から分離するのではなく社会的資源
によって更生を目指している。このように、少年法は少年に対して罰を与
える応報的な刑法的な法律ではなく、むしろ少年を保護するための福祉的
な要素が強い法律である。これは国親思想に基づくものであるが、これに
対して欠損家庭とそうでない家庭での少年犯罪の傾向が少年法制定当時と
は事情が異なるという点から批判的な意見もあるが、やはり欠損家庭の少
年と一般家庭の少年では犯罪傾向に開きがあることは事実であり、少年法
が少年を保護していくという姿勢はこれからも守られていくべきである。
そして、四章の少年法改正に関してでは今回の改正が少年法適用年齢
がその中心的な内容であるかのような印象を持っていたが、むしろ事実
認定適正化と少年犯罪による被害者に対する配慮に関する改正が重要な
のではないかと考えるようになった。まず、事実認定適正化に関しては
検察官への原則逆送と審判における裁定合議制の導入が重要である。こ
れらの改正は、少年審判に検察官が介入することにより少年法の精神が
損なわれるとの批判を受けたが、山形マット事件や調布事件など事実認
定が困難な事件では家庭裁判所の能力を超えていることや、逆に適正な
事実認定を可能にすることで少年を冤罪から守るという機能がる。さら
に、原則逆送が行われるのは故意に人を殺した事件であり、少年事件全
てに適用されるわけではなく、これを根拠に少年法の精神を語るのは適
切ではない。また、裁定合議制も少年審判が従来は一人の裁判官によっ
て行われており、重大事件では裁判官の負担が大きすぎるなどといった
現場からの要請に基づくのであり、少年審判の質を維持するためには必
要な改正である。被害者に対する配慮であるが、改正後の運用状況を見
るとかなりの実績があり、このようなニーズが強かったことがわかる。
少年に対するプライバシーの問題に関しては資料の開示が非常に限られ
ており問題性は極めて低いと思われる。このように、少年法改正は現実
問題に則した改正であるし、蓄積された問題点を解決するためには必要
な改正であったと思われる。
最後に、世界における少年法制について考えたが各国によって当然制
度が違うわけであるが、どの国においても少年法が日本に比べて少年犯
罪の傾向に即して改正が行われており非常に柔軟性を持っていることが
わかった。このようなことを考えれば、日本でも少年法や関連法は大幅
な改正によるのではなく、その時代に即した改正を行うことが重要であ
り、柔軟な運用が必要ではないかと感じた。
最後に、全体を通じて今回の少年法改正の意義を考えると、わが国の
少年法を長く改正されることがなかったため、問題を蓄積しておりそれ
を改正ではなく通達や判例で乗り切って来たが、それを 2000 年前後の少
年によるセンセーショナルな事件が続発し、それが大々的に報じられ国
民にも少年法改正が必要ではないかという流れが強くなり、このような
流れを利用して改正に踏み切ったという感じがある。適用年齢の引き下
げや被害者に対する配慮は全く新たに導入されたものであるが、事実認
定の適正化に関しては近年の少年犯罪問題に関わらず以前から必要の声
があったものであるし、今回の改正では判例や通達で可能にしていた措
置を追認した面も少なくない。このようなことを考えれば少年法改正は、
いつされてもおかしくなかったことであり、今回の改正は世論が内容に
関わらずとにかく改正を望んでいた面もあり、それを機に従来の問題点
を一気に解決したように思える。また、今回の改正には付帯決議がある
ように、この改正で終わったわけではなく一層の改善を予定した改正で
ある。今回の改正は戦後硬直的だった少年法が改正という最初の一歩を
踏み出したという非常に大きな意味を持ち、将来的に大きな意義のある
改正だったといえる。
4
主要参考文献
澤登俊雄『少年法』東京、中央公論新社、1999 年。
澤登俊雄『少年法入門[第二版補訂]』東京、有斐閣ブックス、2003 年。
甲斐行夫他著『Q&A 改正少年法』東京、有斐閣、2001。
葛野尋之編『「改正」少年法を検証する』、東京、日本評論社、2004 年。
団藤重光他著『ちょっと待って少年法「改正」』東京、日本評論社、1999 年。
石井小夜子他著『新版少年法・少年犯罪をどう見たらいいのか』東京、明石書
店、2001 年。
重松一義『少年法の思想と発展』東京 、 信山社出版 , 2002 年。
警察庁編『平成 13 年度版警察白書』東京、財務省印刷局、2001 年。
国家の名のもとの歴史教育―戦史を中心とした日・中・韓中学校歴史教育比較―
田村祐美
Ⅰ.
問題意識と研究課題
この論文では、進化する国際社会の中での、日本、中国、韓国の歴史教育についての考察を深
めた。今後、国際社会に羽ばたく子供を教育していくのに、私たちが選ぶ教材、またその内容、
教え方は、彼らが自国、他国、国際社会を理解していく上での土台となるので、非常に重要であ
る。子供のころに無意識のうちに聞かされたものは、こころのどこかで、潜在意識として残り、
その後の思考の基礎ともなりうる。
そうした意味で、自国と他国の文化、歴史を直接学ぶ「歴史」という科目は非常に重要である。
歴史教科書に書かれたことは、学習しているうちに、無意識に各国のイメージを作り出すであろ
う。また、自分の国に愛着を持ってほしいという教育のテーマのもと、自国の歴史や文化は愛国
心教育の一面を担うことにもなる。
このように、歴史教育の中では、愛国心も育てながら、国際社会への理解を教えるという両側
面があるのではないであろうか。
このような問題意識から、現在の歴史教科書で行われている歴史教育を愛国心教育と国際理解
の観点から考察し、今後の3カ国の歴史教育の行方を検討したいと思う。
Ⅱ.
論文概要
第一章から、第三章までは、具体的な歴史教科書の内容ではないが、現在、日本・中国・韓国
ではどのような教育制度によって教育が行われているのか、また、教育・教科書を作る立場の考
え方も比較を行い、歴史教科書比較の前提、参考となるように研究を行った。
第三章
教育目標の比較
教育目標とは、日本の「学習指導要領」
、中国の「教学大綱」
、韓国の「教育課程」のことであ
る。日本、中国、韓国の3カ国の教育目標の共通点としては、
「祖国を熱愛すること」
「わが国の
歴史に対する愛情を深め」「私たちの歴史を愛する」という愛国心を育てることを教育の目的と
しているところである。
異なる点としては、
「教学大綱」で「歴史的責任を持たせる」
、韓国の歴史教科書巻頭で「私た
ちの歴史をつくっていく責任を分かち合っている」と歴史に対して各人が責任をもってこれから
も行動していくように書かれているのに対し、
「学習指導要領」では歴史的責任に関する記載は
ない。
また、
「学習指導要領」では、
「わが国と諸外国の歴史や文化が相互に深く関わっていることを
考えさせ・・・国際協調の精神を養う」としている。
「教学大綱」では、
「国際主義教育」と記載
されている。一方、韓国では、国史と世界史が別々に教えられているが、教育目標には、「グロ
ーバル化、情報化社会をリードできる韓国人の育成」と国際社会の中の韓国人を育てることを強
調している。
第四章
教科書の叙述スタイル
ここでは、戦史の叙述スタイルに注目した。日本が事項の「客観的」内容の記述にたいして「禁
欲的」であるのに対し、中国、韓国ともにナショナルな観点からの評価を明確にしている。
また、
戦争に直接関わる記述において、日本が細部の具体性を捨象しているのに対して、中国、
韓国はより具体的に記述している。この相違は、侵略国と被侵略国という過去の歴史的位置の相
違、今日の歴史教育におけるナショナリズムの強弱の差といった背景から説明することができる
であろう。また、戦争がなぜ起きたのか、どう具体的に戦われたのかという過程、そして戦争の
もたらした結果などが具体的に記述されてはじめて未来に生かせる歴史の教訓を学び、自国の歴
史を愛し、責任を持つことができるであろう。このような点からも、第3章で比較した教育目標
の相違が、叙述スタイルの相違に結びついていると考えられる。
第五章
日本、中国、韓国の教科書に見る「戦争」
ここでは、教科書の項目の中から、「日清戦争」、「下関条約」、「中国侵略」、「三国干渉」、
「韓国の植民地化」、「日中戦争」の 6 つを取り上げて、内容比較を行った。ここでは、そのい
くつかを取り上げる。
1.日清戦争
まず、「日清戦争」の戦争の内容についてである。日本の「新しい社会 歴史」教科書 1では、
「戦いは優勢な軍事力を持つ日本 2が勝利をおさめ」という記述だけでおわっているのに対し、
中国の教科書では、2ページ半にわたり、どのような戦争であったのかについて細かく記述され
1
本論文では、田邉裕ほか著『新しい社会 歴史』、東京書籍、2003 年、を省略してこのように記載してい
る。
2
以降、この論文の下線は、論文の作者自身が付けたものである。
ている。一方、韓国の教科書では、日清戦争の内容や勝敗に関して、詳しくは触れられていない
が3、中国と韓国で戦争の記述し関して違いがあるとすれば、中国の教科書では中国には優秀な
将軍がいたものの、日本の「野蛮な虐殺」に屈し敗戦した、としているのに対し、韓国では、
「優
秀な武器を持った日本軍」に敗退したとしている点である。
3カ国の記述の上での違いはやはり「日本の評価を避け、表面的事実を羅列する客観主義的態
度」と中国・韓国の「ナショナルな視点重視の態度」 4というスタンスの違いによるものである
と考えられる。
また、日本と中国の教科書の記述は、甲午農民戦争という韓国の内政改革問題が日清戦争の原
因であるにも関らず、その韓国の問題が欧米のアジア進出という国際環境の下で、日本・中国に
とってどのような意味を持つのか、なぜ韓国の改革に固執するのかなど、19 世紀末のアジア全
体の状況や内部の相互依存・対立関係への関心が低いという点では共通していると言えるであろ
う。
2.韓国の植民地化
つぎに、「韓国の植民地化」から、朝鮮の独立運動の内容比較である。独立運動の内容は日本
も韓国の教科書もほぼ同じ内容である。しかし、その背景は少し異なって描かれている。
日本の「新しい社会
歴史」教科書では、「総督府は武力でこれを鎮圧する一方、これまでの
武断的な支配政策をゆるめる姿勢を示した」と書かれている。この独立運動を機に日本は少し支
配を緩やかにしたという記述である。また、同教科書では、本文ではないものの、この独立運動
を支持した日本人がいるということを半ページに渡り記述している。このような記述は、韓国の
教科書にはない。
さらに、韓国の教科書には「柳寛順の殉国、華城郡堤岩里住民に対する無差別虐殺など各地で
弾圧による死傷者が 2 万名となり、監獄に入れられた人だけでも5万名にもなった。
」と書かれ
ている。このことに関して、日本の教科書では、死傷者の人数こそ書かれていないが、殉国した
柳寛順は、
「16 歳の朝鮮の少女柳寛順は、三・一独立運動への参加をよびかけたために、日本軍
に捕らえられ、厳しい拷問を受けて命を奪われました。
」という文章とともに、記念碑の写真と
ともに本文ではないが、大きく記載されている。
3.南京大虐殺
南京大虐殺は、日本の「新しい社会
歴史」教科書では「女性や子どもを含む中国人を大量に
殺害しました(南京事件)。」という本文に、注釈で「この事件は、南京大虐殺として国際的に非
難されましたが、国民には知らされませんでした。」という記述が加えられ説明されている。ま
た、
「新しい歴史教科書」では、
「12 月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも
多数の死傷者がでた。南京事件)。」とだけの説明である。
これに対して、中国の教科書では、
「日本軍の赴くところ、焼・殺・淫・奪が行われた。日本
3
ここで使用した韓国の歴史教科書が「国史」であるため、外国の戦争についてはほとんど記述がない。
「」内の表現は、中村哲『東アジアの歴史教科書はどう書かれているか』日本評論社、2004 年より引用
したものである。
4
軍は南京占領後、南京人民に対し、血なまぐさい大虐殺を行い、驚くべき大罪を犯した。南京で
平和に暮らしていた市民は、ある者は射撃の的にされ、ある者は銃剣の対象となり、またある者
は生き埋めにされた。戦後の極東軍事裁判によれば、日本軍は南京占領後6週間以内に、武器を
持たない中国の国民 30 万人以上を虐殺した、
とのことである。」と書かれている。
以上が本文で、
さらに説明として、17 行に渡り南京大虐殺の内容が書かれている。
この南京大虐殺の部分も中国政府からの修正要求八項目の一つである。中国政府側のコメント
は、
『この世で悲惨極まる「南京大虐殺」を表面だけで事終わりとし、日本軍による南京城占領
の後、何ら抵抗する力を持たない中国一般人と武器を放棄した捕虜に対して計画的に6週間にわ
たり大規模な虐殺を行った歴史的事実を覆い隠している。』などである。
この点に関して、日本の歴史教科書は客観主義的で、中国の教科書はナショナリズムを意識し
た記述多いという風には片付けられないところである。
第六章
歴史認識の現状
ここでは、実際の中学生、高校生のアンケートから日本の学生の歴史認識の調査結果 5を考察
した。以前に比べ、アジア諸国に対する戦争責任や謝罪、補償をすべきだという意識が高まって
いることがわかった。しかし、依然として、
「創氏改名」
「従軍慰安婦」などの認識は薄いままで
あった。
結章
−総括−
日本の教科書は、全体的に客観的態度で、教科書に歴史的評価はほとんど記述していない。
このような記述の方法は、読んでいて面白くないという大きな欠点がある。また、授業で教科書
を取り扱ったとしても、学習者の歴史というものに対する印象はとても薄いものになる。そのた
め、歴史に対する認識や責任を感じにくいと思われる。
中国ではナショナリズムを重んじる文化があることにより、教科書もその影響を受けている。
こうしたナショナリズム思想は、国際社会の中で自分の国に責任と誇りを持って生きていくため
に必要不可欠なことである。しかし、エスノセントリズム(自民族中心主義)にはならないよう
にしなければならない。歴史教育でも、そのバランスをうまく保っていけるようになるとより良
い教育になると考えられる。
韓国の教科書も中国の教科書のように、歴史的事実に国家の評価を加えた記述になっている。
そのためその民族主義的傾向は顕著である。日本と中国との関係など、多角的に考察し、適度な
評価を加えていると言える。
歴史教育には愛国心教育の一面もある。そうした愛国心教育は、今後の国際化社会の中でも
重要なことである。どこの国にもそれぞれの文化、歴史があり、それぞれに良いところがあり、
後世にずっと残していくべきものもある。そうした文化・歴史を、誇りをもって守っていくため
にも、教育の中で愛国心を育てていくべきである。
しかし、私たちには、共により良い国際社会を作っていくという使命もある。そのためには、
5
出典は、歴史教育者協議会編『歴史教育・社会学教育年報 2003 年版』
、三省堂、2003 年、193∼195 ペー
ジ。
各国が協力できるように教育していくのもこれおからの大きな課題である。そのためには、愛国
心教育を行き過ぎてナショナリズムになることなく、同時に国際社会や国際協力の視点も子供た
ちに教えていくべきだろう。
〈主要参考文献〉
段瑞聡「中国における歴史教育と日中関係―中学校・高校の歴史教科書を手がかりに」
『杏林社
会科学研究』(2000 年 3 月号)
。
石渡延男監訳『入門
韓国の歴史
国定韓国中学校国史教科書』、明石書店、1998 年。
国際教育情報センター編『[対訳]世界の教科書にみる日本
中国編』
、
国際教育情報センター、1993 年。
中村哲『東アジアの歴史教科書をどう書かれているか
日・中・韓・台の歴史教科書比較から』、日本評論社、2004 年。
西尾幹二ほか著『新しい歴史教科書』
、扶桑社、2001 年。
歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報 2003 年度版
教育の危機と社会教育の課題』
、三省堂、2003 年。
齊藤里美編『韓国の教科書を読む』
、明石書店、2003 年。
田邉裕ほか著『新しい社会
歴史』
、東京書籍、2003 年。
『歌詞分析から読み解く青年心理と文化』
−95 年から 2000 年の「歌姫」たち―
小倉
美紀
<本論文における主旨>
本論文における最大の主旨は、
「時代を代表した歌と青年心理(文化)との関連性」と
「歌詞分析にみる時代ごとに異なる若者観」を導き出すことにある。
<第一章>
創られた元祖歌姫「安室奈美恵」という時代95∼現在−
メジャー系オピニオンリ
ーダー
95∼98 年を人気絶頂期として、小室哲哉プロデュースによって数々のヒットを連発し、
「歌姫」
の地位を確立。
「茶髪ロングヘアー」
「ミニスカート」
「厚底ブーツ」を定着させ、彼女のファッ
ションスタイルが、女子高生を始めとして多大な影響を与え、96 年にはそれはアムラー現象と
まで呼ばれ「アムラー」は流行語大賞として選ばれる。ファーストシングル『Body feels Exit』
によりダンスミュージックと彼女の持つハスキーボイス、キレの良いダンス、
でブレイク。
『Chase
the Chance』(1995 年 12 月発売)
で初めてオリコン 1 位を獲得し「踊る歌姫」としての地位を
確立した。96 年にはダンスミュージックに、ブラック・ミュージックの要素を加えることで、
彼女の新たな魅力を引き出し、
『Don ’t Wanna Cry』(1996 年 3 月発売)でソロ最年少での日本レコ
ード大賞を受賞。翌年、8 月には 10 代の歌手としては初の「シングル/アルバム総売り上げ 2000
万枚突破」を達成。1997 年シングル、ウエディングソング『CAN
YOU
CELEBRATE?』において、
自己ベスト最高の 230 万枚のセールスを打ち出し、96 年、97 年と二年連続でのレコード大賞受
賞となった。その年、彼女は歌の歌詞通りに trf のメンバーと結婚し、出産による 1 年間の休業
後の 98 年、NHK紅白歌合戦により復帰を果たした。
<歌詞に垣間見る「青年心理(文化)」「若者観」>
①
「曖昧さ」…人間関係でも、夢への挑戦でも、実現させてはみたいものの正面からぶ
つかり挑戦したい気持ちの先行ではなく、失敗を恐れる気持ちが先行するばかりに、妥協
する傾向。“コレ「が」いい。”ではなく“コレ「で」いい。”というような妥協を前提とし
た感覚。人間関係においても、「広く・浅く・ナアナアに」という現代の若者観が垣間見れ
る。
②「安室奈美恵スタイル」…『CAN YOU CELEBLETE?』の歌詞通り、今でいういわゆる「で
きちゃった結婚」というスタイルを定着させた先駆者。
<第二章>トラウマを背負った歌姫「浜崎あゆみ」という時代 98年∼現在
− メジャー系オ
ピニオンリーダー
安室奈美恵の産休、SPEED が一区切り、Every Little Thing のセールス伸び悩み、というタイ
ミングを見計らったかのように、1998 年 4 月 8 日に新人女性アーティストを大手レコード会社
であるエイベックスはデビューさせる。
「浜崎あゆみ」である。彼女は後に、安室奈美恵の築い
た記録を塗り替えるまでの「カリスマ」歌姫に成長する。2003 年度『第 45 回日本レコード大賞』
において、半世紀近いレコード大賞の歴史上、誰も実現させることができなかった三連覇という
史上初の快挙。売り上げ低迷が続く音楽界で年間 118 億円を稼ぎ、デビューからの全シングル売
り上げ枚数は、1750 万枚を突破し、この記録は歴代女性歌手の No.1に立つ。また、歌手だけで
はなく、人間・浜崎あゆみとして幅広い世代の若者から愛され、とくに親や社会、学校に反抗し、
渋谷などで友人と群れてたまりこむ女子高生からは大きな支持を得た。
<歌詞に垣間見る「青年心理(文化)」「若者観」>
①トラウマを公にする勲章化… 『A song for xx』から「トラウマを持つ」ということの勲
章化、トラウマをさらけ出すことで共感しあう仲間意識、がこの歌詞から垣間見ることが
できる。音楽で言えば、Coccoや椎名林檎、エミネム(アメリカ)などがそうであり、
著書で言えば、乙武洋匡の『五体不満足』や、大平光代の『だから、あなたも生き抜いて』、
飯島愛の『プラトニックセックス』など。
②安室時代よりも進行した傍観者的な、『曖昧さ』…「先導する気もないけれど、先導され
たくもない」といった現代の若者がもつ曖昧さをダイレクトに観ることができる。
(『AUDIENCE』歌詞一部抜粋)
③「自由の贅沢化」… 「好きなモノだけを
ものさえも 見つけられずに
選んでくのが 無責任だって訳じゃない 好きな
責任なんて取りようもない」
(
『SURREAL』より一部抜粋)
「好きな
ものを選択する権利(自由)
」は「大人たち」に当然のものとして受け入れてもらえることが、
彼らの中に断固たる概念として定着している。それ故に、現代の若者たちは広がりすぎた自由の
中で、戸惑い、孤独を感じ、
「社会」に対して無気力感を感じる傾向が強いのではないだろうか。
「自由になる権利」をひたすら追いかけた時代から、あふれかえる自由の中からその中でも、
「自
分にしかできないこと」あるいは「自分に一番適していること」を要求する時代へと変わったの
ではないだろうか。
<第三章> 本場仕込みの和製R&B歌姫「宇多田ヒカル」という才能
99 年∼現在
―メジ
ャー系個人的要素―
生まれはニューヨーク、インターナショナルスクールに通いながら日本とアメリカを行き来しな
がら育った生粋のバイリンガル。飛び級をするほど、学業においても優秀であり、コロンビア大
学へ入学。両親も音楽関係の仕事をし、幼い頃から作詞・作曲をしていた。母はかつて『圭子の
夢は夜開く』でヒットした歌手、藤圭子。そのようなバックグラウンドを持つ当時 16 歳の少女
が作り出した歌は 1998 年にデビュー曲『Automatic』を東芝 EMI から発売。これが 206.3 万枚の
セールスを打ち出す。アルバム『First Love』においては 800 万枚を越え、なお記録更新中。
<歌詞に垣間見る「青年心理(文化)」「若者観」>
① AC(アダルト・チルドレン)化…両親が離婚を繰り返す中、大人にならざるを得なかった
状況が詞から垣間見ることができる。トラウマを全面に出す浜崎とは対照的であり、
「強
がり」や「我慢」を詰め込んだ詞が多い。
<第四章> 歌姫は小中学生「モーニング娘。
」という時代 98年∼現在 − メジャー系オピ
ニオンリーダー
某オーディション番組から選ばれ結成された「モーニング娘。」。この「モーニング娘。
」という
のは、80 年代でいうところの「おニャン子クラブ」と似ている要素を持っており、またユニッ
ト内での出入りが激しい。その分オーディションを頻繁に行ない新たな人材と才能を探そうとし
ている。ホームページ上でオーディション情報が随時更新されており募集が行なわれている。こ
のメンバーの入れ替えの激しさは、出入りの新陳代謝を活発にすることで、常に話題性を保つプ
ロデューサー側の狙いであると推測する。また、現役中学、高校生がメンバーであり、芸能界を
若年化の方向へ導いた。
① 不況真っ只中での開き直り…第1章からの変遷を追って行くと安室は「辛いけど、諦め
ないで頑張っていこう。」と歌い、浜崎はトラウマと未来には期待できるのかわからずに
(1999 年『A song for xx』より )うずくまり、暗いムードの中、ニューヨークから宇多
田ヒカルという1人の天才が爆発的なヒットと、本場仕込みの英語とリズム感、歌のクォリ
ティーの高さに多くの人が驚かされ、しかし不況は絶頂期。そんな中、モーニング娘。は『LOVE
マシーン』において「開き直り」を全面に出し164.7万枚のヒット曲を生み出す。歌詞
にも不況を中心とした暗いムードに対し開き直ることで、楽しもうとする心理が上手く表現
されている。
② 自らの持つ「夢」や「才能」に対し積極的な姿勢を見せる小・中・高校生…近年のモー
ニング娘。におけるオーディションだけに関わらず、積極的に 10 代を対象とした歌手やア
イドルを募集するオーディション番組の増加など、をきっかけとして、
「夢」や自らの持つ
「才能」に対し積極的な姿勢と自信を行動に見せる小・中・高校生の姿が、モーニング娘。
をきっかけに、さらに顕著になったように考察する。
<第五章>
音楽界のマイナー系メジャー「歌姫」∼Coccoと椎名林檎∼ ‐マイナー
系個人的要素‐
・COCCO
教育社会学のゼミの中で『生きづらさの社会学』として「南条あや」を扱ったことがあった。彼
女はリストカット症候群、鬱病であり、日々の様子や考えていることを、明るくインターネット
上で日記を公開し、同じ悩みを持つ人々から人気をはくした。しかし、高校卒業後、Cocco を毎
日のように歌いに通ったカラオケボックスで、急性薬物多量服毒により若い貴重な命を失った。
彼女、Cocco の歌や DVD を好み、カラオケボックスで何度も歌っている。Cocco の歌詞は独特で
彼女自身「私は音楽の排泄者であって表現者ではない。」と語っている。
「生きる」という当たり
前な行動の中で彼女が感じる、人間の儚さや冷酷さ、残酷さを感じ、それを詞という形で吐き出
す。それが彼女のスタイルであるらしい。
<歌詞に垣間見る「青年心理(文化)」「若者観」>
① 生きづらさを感じる人の増加とその低年齢化… 近年では「心の風邪」と言われている、
鬱病患者が増加しており、また患者の年齢層もサラリーマン世代だけではなく、抗うつ
剤を飲みながら登校する高校生の姿もあるという。
・椎名林檎
時期は上記にあげた Cocco とも重なるが、同じく代表的な音楽界のマイナー系メジャー「歌姫」
が、椎名林檎である。しかし、アルバムセールスを見るとメジャー級のセールスを残している。
98 年にシングル「幸福論」でデビューし、99 年のファーストアルバム「無罪モラトリアム」で
は、ロングセラーを記録し、
「日本ゴールドディスク大賞
ROCK ALBUM OF THE YEAR」を受賞。
セカンドアルバム「勝訴ストリップ」においても 200 万枚の売り上げを記録。結果「日本レコー
ド大賞ベストアルバム大賞ベストアルバム賞」と「日本ゴールドディスク大賞 ROCK ALBUM OF THE
YEAR」を受賞。歌詞の特徴としては、内容も超現実主義的で、物事の本質をまっすぐに、自虐的
なまでに歌う姿がファンを魅了する最大の魅力であると個人的に考察する。
<歌詞に垣間見る「青年心理(文化)」「若者観」>
① SERREAL 化現象…「嘘の真実を押し通して絶えてゆくのが良い…」(『本能』)とい
う部分に、
「社会の不条理」「大人」に浜崎や、尾崎のように反発するのではなく、
自身の人生でありながら、傍観者的な、妙に冷静な印象を受ける。
きょうだい構成と恋愛・結婚の関係
野村心之介
A0112036
−はじめに−
「おねえちゃんは面倒見がいい」、「一人っ子は奔放」、「末っ子は甘えん坊」などな
ど、きょうだい構成が人格形成に影響を与えていると考えられる台詞を耳にする機会は
多い。性格とは後天的に決まるもので、個が成長してゆく過程で置かれる環境から影響
を受け変化してゆくというのなら、生まれて恐らく最初に組み込まれるであろう家族と
いう社会の中でのポジションが、個の性格形成に多大な影響を与えるということも当然
であると考えられる。
そこで私は、恋愛と結婚という切り口からアンケートを取ることで、同じきょうだい
構成を持つ人間の中から一貫した行動様式や嗜好性を探し、きょうだい構成が個の人格
形成に影響を与えるのか、与えるのならば、それはどのように現れるのかを調べること
にした。
−アンケート詳細−
対象:18歳から28歳までの男女200人。
実施期間:2005年1月4日から2005年1月18日までの2週間
実施場所:上智大学、専修大学、早稲田大学、その他
−アンケート集計結果とその図を見る上での注意事項−
アンケートを回収した後、対象の人物が持っているきょうだい構成から、その人物の
置かれているポジションを<上、中、下、一>の4パターンに分けて集計し、統計を出
している。また、図も<上、中、下、一>を使って書かれている。
上:きょうだいのなかで一番上のポジションにいる人物を指す。この場合男か女かは問
わない。長男、長女という言い方は兄弟の中で一番上でなくても当てはまる場合が
あるのでここでは使わない。
例:きょうだい構成が上から <男、女、女> の場合、長女はポジション的には
真ん中になる。
中:きょうだいのなかで上と下に共に一人以上いる人物を指す。男女は問わない。
例:きょうだい構成が上から <女、女、男、女> の場合、次女も長男もポジシ
ョン的には中になる。
下:きょうだいのなかで一番下のポジションにいる人物を指す。いわゆる末っ子。男女
は問わない。
一:一人っ子の意味。これも男女は問わない。
−仮説−
きょうだい構成によって恋愛行動と結婚は変ってくるという考えの基、アンケートを
取る前に4パターンそれぞれに仮説を立てた。
上:下にきょうだいがいるため落ちついており、我慢することには慣れている。可愛が
ることも得意。そのためケンカはせず、甘えさせることはあっても甘えることはあ
まりないのではないか。恋愛にも慎重だと思われる。相性が良いのは可愛がりやす
い下と一。
中:上と下の板ばさみにあい、それらの行動様式を見ているため、どのポジションの人
間ともそれなりに上手くやることができる。トランプで言うところのジョーカー的
存在。ただ逆に、ここと特別相性が良いというのもないのでは。恋愛に関しても、
上と下の例を見ながら慎重に。
下:末っ子故に甘えたがり。そのため相性が良いのは上で、下同士ではお互い甘えたい
ので相性はイマイチ。一人っ子の奔放さについて行く余裕も無いと思われる。上に
一人以上いて、そのきょういだいの恋人から、恋人という存在をリアルに知ってい
ることが多いと考えられるため、恋愛には積極的そう。
一:一人っ子ゆえに奔放。そして甘える傾向にあると思われる。この性格を好きなのは
上だろう。一人っ子同士が付き合ったら口論が絶えなそうなので相性は悪い。末っ
子とも性格がややかぶるのであまり相性は良くないと思われる。上にも下にも例が
ないため、恋愛は気軽に始めるのではないだろうか。
それではアンケートの集計結果から作られた表と図を見ながら、恋愛観、恋愛行動、
そして結婚までを検証、考察してゆきたいと思う。
−おわりに−
これで野村心之介のゼミ論発表を終わります。いかがだったでしょうか。もし、恋愛
が上手くいかない、いつも相手とくい違う、といった悩みをお持ちでしたら、自分と相
手のきょうだい構成について少し考えてみてはどうでしょう。参考にならなかった場合
のクレームは、お手数ではありますが教育学科:武内清教授までお願いいたします。
今回の発表が今後のあなたの幸せな恋愛、そして結婚のために少しでも役に立つこと
があれば幸いです。
『子どもが育つ場としての家族の変容∼現代社会と家庭・家族∼』
A0112053
内田奈緒
1、はじめに
現代の子どもたちは物質的にとても豊かで、恵まれた環境の中にいる。しかし、こう
した中で、子どもたちがますます幸せになっているかというと、疑問を抱かずにはいら
れない。ここ数年の日本では、子どもによる事件が増加し、いずれも深刻な社会問題と
なっている。マスコミやインターネット上では親や子どもを取り巻く問題行動や事件が
引っ切り無しに報道されている。こうした子どもを取り巻く問題は何を意味するのか。
原因として、生活スタイルの変容とそれに伴う家庭教育力の低下、さらに地域環境の変
化、教師の力量不足などが指摘されているが、なかなか単純化できないというのが実情
である。今日特に、私たちは、
「家族となり、家族として生きること、
」そして「家族そ
のもの」に無関心になっていないだろうか。というよりも、家族は、日本社会の変化の
中で基礎単位・基礎集団としての意味を失われつつあるのかもしれないとさえ思う。現
在の社会の大きな変容は、そこで生まれ育った私たち一人一人の判断や行動によっても
たらされる。その意味で、家族の変容を社会の変化の中に位置づけて捉え、家族が子ど
もの成長の場として社会の大きな変化にどのように関わるかを問うことが大切である。
家庭において、家族とともに過ごす期間は、人生の半ばを超える。また、家庭は社会
を構成する基本単位でもあり、そこは、子どもにとっては最初に出会う社会でもある。
そこで、今回、私は家族社会学の視点から家庭の変容と子どもとの関係について考察し
ていきたいと思う。
2、論文概要
第一章
社会の変容に伴う社会の変容
・日本社会における家族の変容
日本の伝統的社会…相互扶助の性格をもつもの。衣食住の細部にまで共同体の生活習
慣や風習が染み込んでいた。
↓
産業化に伴い、家の生活基盤は共同体を離れ始める。
都市化が進むと決定的に。
・家族の社会環境の機能的システム化
衣食住のあらゆる面でのサービスが商業化され、家族は次第に地域の社会関係や親
族関係との直接的なつながりから徐々に離脱していき、間接的な、相互性を必要とし
ない環境、すなわちシステム整備された地域社会、日本社会の空間の中で、個々の家
族と個人が生活する独立の単位として認識されるようになっていった。
第二章
子どもたちの社会環境のシステム化とシステム補正
・子どもたちの社会環境のシステム化とシステム補正
子どもの生活空間の最大の変化…学校を中心とする生活への移行
子どもと家庭・家族のつながりが産業化・学校化に応じ
て部分化し、家庭・家族から離脱。
日本社会にとっての基本的な問題→子どもが育つ環境としての人間関係・社会関係の
崩れ。
「学校システムの整備」
子どもの栄養管理、しつけ、勉学、放課後のあそびといった生活管理に欠かせない
ものとなり、さらに将来設計を左右する存在へ。
しかし、中には不適応を起こす子どももいる。それを補うための政策として学校改革、
教育改革が行われる。→システム補正
・子どもの育つ場としての家族の機能的集団化
・家族の機能化の子どもにとっての意味
・子どもの家族観の今
第三章
現代社会と子育て
・現代家族の親子関係
・教育産業への依存
・子どもの発達段階と子育ての問題
・現代の親子関係の実態∼データにもとづいて∼
3、おわりに
今日、家庭内での悲しい出来事を知らせる報道が相次ぎ、「家庭崩壊の危機」が危惧
され、家庭というものに対して悲観的な考えが強まっているように思われる。このよう
な「危機感」に共感できる部分は多く、一つ一つの出来事も人ごとだと無視することは
できない、家庭・家族を持つ私たちにとって身近な問題である。しかし、この問題をあ
まりに過剰に取り上げ、家庭が変わったと決めつめてはならないようにも思えた。
子どもにとって家庭は「帰る場」であり、
「居場所」である。子どもは両親・兄弟姉
妹との家庭での人間関係の中で成長するものだ。子どもの心が成長につれて様変わりす
る。子どもを取り巻く社会の状況が大きく変化する。これらはあって当然のことである。
そのような変化・変容の中で、家庭は親子共々、ふれあいを通じて互いに成長する場で
あることが必要である。そして、家庭がそれをできる唯一の場であり、使命だと思う。
個人は他者との共同性を通して個人として存在しうるという認識が薄弱な日本社会に
おいては、個人化は、私主義化、私化へと転化してしまっている。機能の外部化により
家族・家庭を空洞化させるのではなく、家庭・家族を様々な場面の応じた共同の活動で
満たすこと、複合的な機能を果たすものとして再構成することが求められるだろう。日
本社会における家族をとりまくシステムの整備をどう方向付けるのか、そのシステムの
中でそれをどう生かすのか、すでに身についた生活スタイルを改めるのは難しいとして
も、何らかの対応が迫られているのではないだろうか。
主な参考文献
●布施晶子・清水民子・橋本宏子編
『現代家族の危機と再生
2 現代家族と子育て』
青木書店、1986 年。
●成山文夫・石川道夫編 『家族・育み・ケアリング−家族論へのアプローチ』
北樹出版、2000 年。
●金
柄徹(研究代表者)編『アジア研究所・アジア研究シリーズ No.46 現代社会における家族
の変容:東アジアを中心に(Ⅰ)』 亜細亜大学アジア研究所、2003 年。
●門脇厚司・久富善之編『現在の子どもがわかる本』学事出版社、2000 年。
●渡辺秀樹編『変容する家族と子ども;家族は子どもにとっての資源か』
教育出版、1999 年。
●向後正ほか著『共働き』共立出版、1982 年。
●『モノグラフ・中学生の世界』
「お父さんはあなたのことをどのくらい知っているか」Vol.44、1992 年。
「親とうまくいっているか」
「つらいとき家に帰ると・・・」Vol.61、1998 年。
「親との会話」Vol.77、2004 年。
表1
お父さんはあなたのことをどのくらい知っているか
成績
19
得意な教科
18.1
進みたい高校
19
将来つきたい仕事
好きなタレントやスポーツ選手
あなたの夢
42.5
35.6
親しい友だちの名前
0
とてもよく知っている
29.5
31.5
20.3
16.9
32.1
35.8
29.9
40.2
28.7
41.5
30.8
20
23.1
40
だいたい知っている
20.2
26
20.2
12.9
15.3
26.1
25.5
12.5
9.6
23.2
60
あまり知らない
14
80
100
ぜんぜん知らない
表2 親との会話
よく話を
している
ときどき
話をしている
あまり話を
ほとんど話を
していない
していない
父親
26.7
41.5
21.5
10.3
母親
54.9
32.1
9.8
3.1
表3−① 親とうまくいっているか×性
(%)
とてもうまく
わりとうまく
あまりうまく
全然うまく
いっている
いっている
いっていない
いっていない
男子
23.6
60.3
13.1
3.0
女子
31.2
52.3
12.1
4.4
全体
27.2
56.6
12.6
3.6
表3−② つらいとき、家に帰ると×性
ほっとする(元気になる)
(%)
男子
女子
全体
64.9
63.7
64.3
家でも孤独だ
24.8
22.4
23.6
10.3
13.9
12.1
(大して元気にならない)
イライラして家にいたくない
アメリカ・イギリス映画の中の若者たち
A0112023
黒島晶子
構成
はじめに
第1章
親の期待に対して
1. 期待される若者――「いまを生きる」「ブレックファスト・クラブ」
2. 期待されない若者――「エデンの東」「スタンド・バイ・ミー」
第2章
反抗すること
1. 時代が生んだ反抗――「理由なき反抗」
2. 逆らえない若者――「いまを生きる」「グローリー・デイズ」(「リトル・ダンサー」)
第3章
友人との関係
1. 強い友情――「スタンド・バイ・ミー」「グット・ウィル・ハンティング
旅立ち」
2. 揺らぎやすい友情――「青春の輝き」(「さらば青春の光」
「トレインスポッティング」)
第4章
自分自身に対して
1. 町を出るということ――「アメリカン・グラフィティ」「スタンド・バイ・ミー」
「8 mile」「ギルバート・グレイプ」
2. 出世するということ――「青春の輝き」「グット・ウィル・ハンティング
旅立ち」
(「アナザー・カントリー」「トレインスポッティング」)
おわりに
参考文献
はじめに
若者が描かれている映画作品を見ていると、例えそれが他の国で昔に作られたものであ
っても、理解や共感できる部分が意外に多くあることに気づく。国や時代を越えて通じる
何かが、若者たちにはあるのではないか。そのように考え、このテーマを設定した。主に
アメリカ映画を取りあげ、その中で若者たちがどう描かれているのかを読みとっていく。
昔と今とを比較するため軸を、1970 年頃をとする。ベトナム戦争が本格化、アメリカ敗北、
ウォーターゲート事件、ニクソン大統領辞任などにより、それまでの絶好調ともいえるア
メリカ、世界のリーダーとして自身を持って“パックス・アメリカーナ”を繰り広げてき
たアメリカが大きく変化を迎えた時期と言えるのではないかと考えたからである。その軸
を境として、それ以前、以後の映画作品 15 本を取り上げ、その違いや共通点などを探して
いきたい。
第一章
親の期待に対して
・期待される若者「いまを生きる」「ブレックファスト・クラブ」
→親が子に対して過剰なほどに期待を寄せ、その重みに耐えきれず苦しむ若者たち
・期待されない若者「エデンの東」「スタンド・バイ・ミー」
→諦めながらも、親に認めてほしい、期待してほしいという思いはやはりある
親に愛されたい、存在をしっかりと見つめて欲しいという思いは、普遍的なもの
第二章
反抗すること
・時代が生んだ反抗「理由なき反抗」
→アメリカ社会の流れと共に生まれた反抗するティーンエイジャー
・逆らえない若者「いまを生きる」「グローリー・デイズ」(「リトル・ダンサー」)
→親の言うことは絶対、対決を避けてすれ違う
親に面と向かって抵抗したり、自分の思いを理解してもらったりすることが苦手な若者
第三章
友人との関係
・強い友情「スタンド・バイ・ミー」「グット・ウィル・ハンティング
旅立ち」
→友人に才能を認め、しっかりと活かすように説教
・揺らぎやすい友情「青春の輝き」(「さらば青春の光」「トレインスポッティング」)
→仲間意識が強いようでも、脆く弱いつながりであったりもする
強い友情と揺らぎやすい友情は相反するものではない。そしてどちらも普遍的なもの
第四章
自分自身について
・町を出るということ「アメリカン・グラフィティ」「スタンド・バイ・ミー」「8 mile」
「ギルバート・グレイプ」→町を出る=夢を叶える
・出世するということ「青春の輝き」「グット・ウィル・ハンティング
旅立ち」
(「アナザー・カントリー」「トレインスポッティング」)
→昔はレールに従って出世の道、今では自分なりの価値観で判断も
おわりに
変化が見られる部分もあるが、ほとんどの項目において、若者たちの姿には時代や国を越えて共通す
るものがあるということがわかる。急激な経済成長やベトナム戦争の敗北、ヒッピーが現れたり麻薬や
暴力が広がるなど、社会が大きく揺れ動いていても、若者たちの心の基礎部分の変化は少ないのでは。
親の愛を求めたり、迷ったり悩んだり、思うように行動できずに苦しんだり、夢を追い求めたりと、ど
んな時代でも若者たちの心情、行動には普遍的なものがあるのではないだろうか。
参考文献
高澤瑛一『映画にみるアメリカの青春』TBS ブリタニカ、1981
谷口陸男『アメリカの若者たち
その文学的映像』岩波書店、1961
渡辺真『90 年代の青春- 映像に描かれた青年像』増進会出版社、1997
『ぴあシネマクラブ洋画編 1998-1999』ぴあ株式会社、1998
allcinema ONLINE (http://www.allcinema.net/prog/index2.php)
The Internet Movie Database (http://www.imdb.com)
〈ビデオ、DVD〉
「アナザー・カントリー」「アメリカン・グラフィティ」「いまを生きる」「8 mile」
「エデンの東」「ギルバート・グレイプ」「グッド・ウィル・ハンティング
旅立ち」
「グローリー・デイズ」「さらば青春の光」「スタンド・バイ・ミー」「青春の輝き」
「トレインスポッティング」「ブレックファスト・クラブ」「リトル・ダンサー」
「理由なき反抗」
〈資料〉
【いまを生きる】
父
「ノーラン校長とも話したが
お前は教科外の活動が多すぎる
学校年鑑の編集か
ら手を引け」
ニ- ル「副編集長なのに」
父
「やむを得ん」
ニ- ル「ムリだよ
父
急に辞めろなんて」
「外に出るんだ
(二人で廊下に出る)
立してからならいいが
人前で口答えするな
医学部を出て独
それまでは親の言うことに従え」
ニ- ル「すみません」
父
「母さんも期待してる」
【グッド・ウィル・ハンティング
旅立ち】
チャッキー「おれは一生ここで働いたって平気だぜ
に連れていく
たら
ウィル
近所同士で家族を持ち
親友だからハッキリ言おう
おれはお前をぶっ殺してやる
「何の話だ?」
チャッキー「お前はおれたちと違う」
ガキを野球
20 年たってお前がここに住んで
脅しじゃない
本気だ」
ウィル
「またそれか?
チャッキー「待てよ
おれは自分の好きに生きる」
お前は自分を許せてもおれは許せない
場で働いててもいい
おれは 50 になって工事現
だがお前は宝くじの当たり券を持っていて
金化する勇気がないんだ
をムダにするなんて
それを現
お前以外の皆はその券を欲しいと思ってる
それ
おれは許せない」
【ギルバート・グレイプ】
ベッキー 「自分の望みをパッと口にして 望みは何? 早く」
ギルバート「新しい物 家族に新しい家が欲しい それからおふくろにエアロビさせた
い
エレン(妹)を大人に アーニー(弟)に新しい脳 それと・・・」
ベッキー 「自分には?
何がいい?」
ギルバート「いい人になりたい」
【トレインスポッティング】
「人生に何を望む?
低コレステロール
ェア
出世
保険
家族
大型テレビ
CD プレイヤー
健康
固定金利の住宅ローン マイ・ホーム 友達 レジャー・ウ
ローンで買う高級なスーツとベスト
クイズ番組
洗濯機 車
単なる暇つぶしの日曜大工 くだらない
ジャンク・フード 腐った体をさらすだけのみじめな老後
出来損ないの
ガキにもうとまれる それが“豊かな人生” だが俺はご免だ 豊かな人生なんか興味
ない」
大学初年時における学生の適応過程と価値観の変化
宮下
・はじめに
・第1章大学入学時の目的意識
1
この大学に進学した理由(クロス集計)大学別・男女別の分析
2
入学した大学の志望順位と入学理由の相互関係(クロス集計)の分析
3
同質性の高さとその背景の考察
・第2章適応過程(パネル調査方式)
1
学習形態における適応過程
2
大学生活・キャンパスライフにおける適応過程
博樹
3
日常生活習慣における変化と適応
・第3章価値観の変化・変動(パネル調査方式)
1
自分の学部・学科に対して
2
能力観
3
価値観
・おわりに
本論文は、平成 15 年度に行われた「高等学校から大学への移行と適応過程に関する調査」
のデータ(濱名篤『ユニバーサル高等教育における導入教育と学習支援に関する研究』)に
基づいて、データの処理・分析を進めたものである。
この調査は高校から大学への移行と適応の過程を把握する目的で企画された。実施時期
は平成 15 年、入学したばかりの 4 月、大学に慣れてきた 6 月、初めて成績表(前期の)を
受け取った 10 月の 3 時点を選んでいる。調査は 3 つの大都市近郊の私立文系大学の大学 1
年生を対象に行われた。
この調査の最大の特徴は、3 回の調査が、成員を固定した集団(母集団)に対して実施し
ているところにある。調査では毎回学籍番号を記入させることにより、3 時点のデータをつ
なぎ合わせたパネル調査方式の分析が可能になっている。
第 1 章では入学時の 4 月に注目し、大学生生活以前の学生の目的意識の明確さや入学大
学の志望順位と目的意識の因果関係をクロス集計として見ることによって明らかにした。
第 2 章からは入学時、6 月、10 月のそれぞれのデータをもとに各質問項目に対して時点
における変化に注目して継続的な分析をする。第 2 章では学生の適応過程に注目し、これ
を①学習形態、②大学生活、③日常生活の 3 つの視点別に分類し分析をした。
第3章では学生の価値観の変化・変動に注目し、①学科学部、②能力観、③価値観の 3
つの視点別に分類して分析を進めた。
今回はその中でもわかりやすく、変化が顕著にでた「授業に遅刻した」と「授業をサボ
った」といった学生の授業参加における適応過程の項目を取り上げてので見ていきたい。
k:授業に遅刻した
59.6
4月
時点
6月
29.4
22.6
10月
26.6
27.1
0%
20%
21.8
12.7 4.0
35.3
11.9
33.3
40%
60%
あてはまらない
あまりあてはまらない
あてはまる
よくあてはまる
9.9
80%
100%
パーセンテージ
授業に遅刻した学生の割合は 4 月の時点では「あてはまらない」と答えたものが 59.6%
だったのが 6 月になると 29.6%にまで落ちている。10 月になると 26.6%とそこまでの減少
ではないもののやはり遅刻しないと自信を持って答えられる学生の割合は減ってしまって
いる。なんといっても 4 月から 6 月にかけて倍近いものが遅刻するようになってしまうと
いったのを見ると、大学入学から2ヶ月という短期間でこのような適応を半数以上の学生
がしてしまうということであり、大学初年時にこの状態にならないように、何らかの形で
大学側の規則の強化も必要なのではないかと感じてしまう。
l:授業をサボった
70.9
4月
時点
14.7 8.53.1
6月
31.1
28.5
10月
29.9
29.7
0%
20%
40%
30.5
60%
パーセンテージ
9.0
29.4
7.3
80%
100%
あてはまらない
あまりあてはまらない
あてはまる
よくあてはまる
項目 l「授業をサボった」だが、これも遅刻と同じように 4 月から 6 月にかけて大幅な数
値の変化が見られる。高等学校や義務教育段階では授業をサボるようなことは当然だが許
されてなく、このような習慣が以前から身についていたとはまったく考えられない。授業
や学校には毎日必ず来るといった約 12 年間を通して行ってきたことが、大学に入学して 4
月から 6 月までのたったの 2 ヶ月のうちにできなくなってしまうことを考えると、やはり
それだけ大学の出席に対する規則の欠陥があると考えられる。12 年間突き通してきた習慣
が大学の最初の 2 ヶ月でここまでの変化を及ぼすのは非常に興味深い項目であり、大きな
問題点としても目に留まった項目であった。
分析結果全体を通してわかった傾向として、大半の学生が適応といった点に関して考え
ると 6 月ではまだ慣れ始め程度で大きな区切りは 10 月にくるものが多いこと。また、多く
の項目において 6 月に数値が変化するものの 10 月にはまた初期化される傾向が強いことか
ら、学生は 6 月など半期の後半になり試験や課題など初めて成績といった大学から評価さ
れる機会が近づくにつれて半強制的に大学に対する適応が急速化し、評価が済んだ後の 10
月には、夏休みといった長期的な休暇の影響もあり、その適応力が元に戻されるというこ
とだ。
論文全体と通して得られた考えとしては、それは学生にとっての「大学」と言ったもの
が誇っていた価値が以前ほど高くなくなってきているといったものだった。
大学や社会に対する学生の期待度は入学時に最大となり、時間の経過とともに期待度が
次第に低下していく傾向が見られる分析項目も決して少なくなかったことから、以前に比
べ大学に進学する価値が薄れてきてしまっていると考えられる。
どの時代の若者も、その社会の激しい競争の中で成功、あるいは単に生き延びていくた
めに最も何が必要なのか、と言った問いの答えを探してさまよってきた。この当然のよう
な問いだが、実際に問われると答えになりそうな答えは現代社会の中ではそう簡単には浮
かんでこない。これには実際に正しいとされている唯一の正解がないと言った現代社会の
特徴を反映している。
以前は高等教育への進学、また知力や学力を武器にした学歴が社会での成功の鍵として、
絶対的な答えとして示されていた。しかし、それらの答えも時代の波に押し流され、学生
の間でもこれからの社会派学歴よりも実力が重要視されている、あるいはこれからはその
ようになっていくはずだと考えるものが非常に多いことが本論文の分析では明らかになっ
ている。
勤勉にひたすら努力をし、大学に進学し、よい学歴を得、よい社会的地位を獲得すると
言ったレールはもはや剥がされ、自分たちの親世代の問題であったレールにうまく乗れる
か否か、ではなく今の大学生はレールを自分で作れるかどうか、つまりは学生個人の実力
が問われる時代になってきた。
この時代の過渡期に適応しようともがいた結果いわゆる「近頃の若者(学生)」が誕生し
たと考えられる。単位取得において必要でなければ出席はしないといったような講義に対
する姿勢、関心のない講義やつまらない講義は聞かず携帯電話に相手をしてもらうなど、
近頃の常識がないとされる学生問題が生じるようになった。
一見学生の態度や常識に問題があるかのように見えるが、これらはれっきとした学生の
社会や時代に対する適応が生み出した社会の産物であり、問題として捉えるのならば、文
字通りの社会問題なのだ。
本論での調査結果には、予想通りの結果を示すものや、予想とは大きく異なり、これは
大きな問題だと思われるようなものもあったが、視点を変えて考えてみると、これは果た
して本当に深刻な問題なのだろうかと悩まされた。
確かに、いわゆる「常識」とはかけ離れた学生の新社会的価値や大学生活における新し
い適応形態には驚かされるものも多く、特に講義に対する姿勢に関しては、実際に度が過
ぎていると感じるものも中にはある。だが、この新しい適応形態と価値観の変化・変動の
波と言ったものは考えてみればいつの時代の過渡期にも存在していたはずだ。そのたびに
既存の社会的価値は新社会的価値にその地位を奪われないよう必死に波を抑えようとした
が、どれも結果として新社会的価値に飲み込まれていった。これがたまたま現代の学生が
乗っている波は大学そのものの意味合い自体を変えてしまいかねないものであるのだが、
なぜ今までも同じように時代の過渡期を通過してきた日本の社会はこれに異常なまでの拒
絶反応を示すのだろうか。若者が乗ってしまった波の勢いが強すぎたのかも知れない。
・新社会の産物としての学生の新能力
新社会的価値の承認はそう容易なものではない。近年の若者の新価値は認められるどこ
ろか基本的に問題視されてきた。ここで視点を変えて、モラトリアムや大学レジャーラン
ドを満喫し、自由に生きている「今の大学生」やいわゆる「現代っ子」と言った者は現代
社会の産物そのものであり、現代の申し子のような存在である。そしてそれがゆえに彼ら
は現代社会にもっとも適応を遂げた日本人であることが言えるだろう。「具体的に∼が分か
らない」ではなく「何が分からないのかが分からない」と言った新社会的価値に適応した
結果、以前のように「レール」や「答え」を探すのではなく逆に答えを探さないようにす
る若者が誕生した。これはやる気がない、生きる気力がない若者と旧社会的観念では定義
され問題視されるのに対し、新社会的価値に染まった若者の間では割り切り主義として認
識され認められる。
これは現代社会で問題となっている価値の二分化の顕著な例を考えたものだが、言うま
旧社会的価値
新社会的価値
でもなくこれは対立構造のごく一部に注目したものであって、旧社会的価値と新社会的価
努力主義ガンバリズム
割り切り主義ワリキリズム
値はいたるところで衝突している。本論でも見たように、ガンバリズムは依然として根強
真面目な人間、努力家
器用な人間、要領の良い人
い部分を見せるが、その反面自分にとって必要なものとそうでないものをうまく割り切る
社会に添った価値の追求
個人的な実力の追及
生活形式の学生も多く存在し、これが講義に対する姿勢では強く結果に反映されていた。
このような新社会的価値の波の善悪は別として、新社会的価値の社会になったことによ
って台頭してきた若者の新しい能力も存在する。例えば情報化社会への適応結果として、
簡単に物事を信用しない学生やこれを通り越して大学では誰ともつるまず、単体としてど
のグループにも属さないで行動する学生、絶対的な答えがない(レールが用意されていな
い)社会への適応結果として社会的な価値ではなく、自分個人の興味関心に基づいた生き
方や将来への展望、そして資格の追求など、新社会の申し子にふさわしい適応形態を示し
ている。
確かにものは言いようであり、簡単に物事を信用しないことが度を超えるとひねくれた
人間不信な若者となり、社会的な価値ではなく、自分個人の興味関心に基づいた生き方を
追及するがあまり、卒業後に社会でうまくやっていけない学生が誕生することもあるだろ
う。現段階ではこのような新社会的価値の波の短所を旧社会の権威が協調性がない学生や
コミュニケーション能力がかけた学生と言ったように必死に強調しているのだが、新社会、
つまりは時代の波に飲みこられるのもそう遠くない未来なのかも知れない。
次々に誕生する新価値の良し悪しは一概には言い切れない部分が多すぎて自分でも理解
しかねる程だが、本調査結果を見、現代の申し子と言われる自分の世代を見渡してひとつ
言えることは、大学生の新しいもの(それが文化であれ社会であれ)に対する適応力は、
目には見えないが、徐々にだが確実に高まってきているような気がした。現代の申し子も
またすぐに次世代の申し子と異なった価値観の衝突に苦悩する時代の過渡期にぶつかるに
違いない。
本調査と全く同じ質問項目を 10 年後に同じ大学で調査したとしたら、おそらく本論とは
全く異なった調査結果と回答パターンが出てくることだろう。
生きづらい青年期からの自立
―吉本ばなな『キッチン』から読み解く居場所と媒介者の役割―
宮﨑
多希代
(1)問題提起
この論文は、生きづらい現代において大人になるためには自分を受け入れ、目標を見つ
けるきっかけを与えてくれるまたは夢を応援してくれる他者が必要だということを主張す
ることを目的とする。
現代の若者は豊かな時代に生まれ育ち、過保護にされている。何もかもが便利そしてハ
イスピードで、たくさんのモノに囲まれているわれわれは、自分で考える力や手に入れる
まで待つといった辛抱強さや苦難を乗り越える野心といったものに欠け、達成感や満足感
を得られる機会が少ないと感じる。時代が豊かになったのは喜ばしいことであるが、どう
生きていったらいいかという問題が難しさを増している。
さらに人間関係が希薄化しているため、大人になる過程で必要である重要な他者との出
会いが少ない。交友範囲が家と学校に限られている結果、異年齢層とのかかわり方がわか
らない。それは、生き方のモデルの欠如という深刻な問題につながっている。
子どもと大人の間という、発達過程の途上で微妙な時期に生きている若者は、自己意識
の不確かさ、自己の不安定化、見捨てられることへの恐怖と不安に駆り立てられる。そこ
で彼らは、自己の全体を包む込み、自己の安定化を図ってくれるような、安定的な、揺る
ぎのない、他者との関係性を求めている。そして、そうした安定的な揺るぎのない関係性
と一体的に結びついた確かな空間こそが、居場所なのである。現代は人間関係の希薄化に
より、若者が安堵できる居場所、生きる力を与えてくれる媒介者が少なくなっている。
『キッチン』という完結したひとつの物語から主人公の自立を読み解き、青年期の苦悩
と現代社会がもつ問題性を研究した。小説という身近なものを研究対象とすることで、青
年期における心理の様々な動きを理解しやすくなることが、本論文の目指すところである。
(2)論文構成
第1章 青年期の誕生
1.ヨーロッパにおける青年期の発見
2.日本における青年期の拡大
第2章
青年期とはどんな時期か
1.ハヴィガーストの発達課題
2.『キッチン』にみる青年期の課題
第3章
若者の居場所
1.居場所の条件
2.居場所になるまでの過程
第4章
―『キッチン』のみかげの例―
媒介者の役割
1.ジラールの三角形の欲望
2.媒介者の存在する意義
3.媒介者がいないことの例
第5章
―南条あやのウェブ日記―
吉本ばななの世界
1.現代人と吉本ばなな作品
2.吉本ばななの生き方
3.「字で読む少女マンガ」という魅力
4.新しい青春小説としての確立
第6章
若者の輝かしい未来に向けて
1.大学ができること
2.大学生にとっての重要な他者
3.サークル活動の光と影
(3)得られた研究成果
第1章では、青年期の誕生について中世ヨーロッパ時代までさかのぼった。青年期の誕
生に重要な役割をもったのは、産業革命である。それ以前の社会では、子どもは現代の小
学生になるくらいの年齢になると働かなければならず、若者期は大人になるために準備を
する時期であった。青年期は近代化し、豊かになったことにより、試行期間として生まれ
たことがわかった。日本に関しては、現代社会の状況をふまえ、若者の生きづらさを考察
した。日本では、1970 年代半ば以降、高校や大学への進学率が高い水準に達し、多くの青
年が労働の義務を猶予されると同時に、高い教育が受けられるようになった。しかも学校
は、1960 年代の高度経済成長以降、能力主義的な競争のなかに置かれてきた。ここでは青
年期の試行錯誤は許されない。それゆえ、自分が何をしたらよいかわからず、毎日が何と
なく過ぎていってしまっているのである。
第2章では、ハヴィガーストが主張した青年期の発達段階を整理した。特に本論文にお
いて大きなテーマである自立に関連する、「親やほかの大人たちから情緒面で自立する」と
いう課題に焦点を当て、自分と向き合う苦悩を『キッチン』から読み解いた。『キッチン』
で主人公の桜井みかげは、幼い頃両親と死別し、祖父母に育てられるが、中学に上がる頃
祖父にも死なれ、祖母と二人暮らしだった。その祖母も死んで、天涯孤独の身の上になる。
「雨に覆われた夜景が闇ににじんでゆく大きなガラス、に映る自分と目が合う。世の中に、
この私に近い血の者はいないし、どこへ行ってなにをするのも可能だなんてとても豪快だ
った。こんなに世界がぐんと広くて、闇はこんなにも暗くて、その果てしない面白さと淋
しさに私は最近初めてこの手でこの目で触れたのだ。今まで、片目をつぶって世の中を見
てたんだわ、と私は、思う」など、自分の存在価値とは何かを模索する、青年期の特徴が
明らかになった。
第3章では、若者にとって、ある場所が居場所となるにはどのような要素が必要となる
のか考察した。白井利明は居場所のあり方についての現実と理想を測定し、居場所の条件
を3つ導き出した。ありのままの自分が出せる(安心)、一緒に成長できる(対話)、未来
を開ける(共同)、である。また『キッチン』では、居場所を通じて起こる主人公の心の変
化を読み取った。みかげは、祖母の行きつけの花屋でアルバイトをしていた雄一の家に一
時的に置いてもらうことになる。雄一は「母」えり子と二人暮らし。その「母」は本当は
父である。父は母を深く愛しており、母が死んだときもう人を愛することはないと思い、
女になった。みかげにとっては、深く孤独な心が通じることがもっとも大切であり、かぎ
りなくやさしく見守ってくれるえり子や雄一が重要な他者なのである。彼らの存在によっ
てみかげの心は天涯孤独な気持ちから安心感へと変わっていく。やがてみかげは、田辺家
という居場所から精神的に自立し、大人へと向かっていく。
第4章では、ジラールの媒介の理論から、青年期に出会う重要な他者について述べた。
これは、青年の社会化の特定の側面を扱う理論として位置づけられている。ジラールは、
媒介者なしに起こる欲求から媒介者を通じて起こる欲望を区別する。要するに、欲求は主
体―客体の二項図式に、欲望は主体―媒介者―客体の三項図式にかかわっており、この三
項図式をジラールは、<三角形の>欲望を名づけている。『キッチン』において主人公は、
人との出会いによって、現実を受け止め、力強く生きることを学んだ。料理好きのみかげ
が料理研究家のアシスタントになって、田辺家を出るという出来事がある。自分を受け止
めてくれる他者がいたからこそ、みかげは好きなことを生かす道にチャレンジでき、自立
に向かったといえる。また、媒介者がいない若者の切ない自己承認欲求についてもふれた。
これには、青春期に自ら死を選択した南条あやのウェブ日記を例として用いた。
第5章では、吉本ばななの生い立ちや人生の姿勢を探り、読者に伝えたいことは何なの
か考えた。彼女の小説を作り上げているものや支持される理由から、吉本ばななの独特の
世界に迫った。彼女の小説は、死とつきあう主人公たちを登場させることで、読者にこの
世の価値観とは異なる感受性や感性の重さを徹底的に知らせることになる。そして、彼女
がもっている「成長」という時間を「成長した少女」という語り手によって読者に伝えて
いるという点で、魅力的であることが明らかになった。
第6章では、若者が夢や自己を確立するために、大学は何をするべきか検討した。そこ
で、大学生にとっての重要な他者とは誰なのか探った。その結果、母親・友人・恋人がほ
とんどで、大学生の交友関係が狭いことが明らかになった。また、学生生活において大き
なウェイトを占めるサークル活動について研究した。サークル活動は、社会的訓練と呼べ
る学びの場を提供している。しかし、サークル活動への没入は、目標を喪失した学生たち
に、身近で明白な、かつ多くの場合楽しくもある“代替目標”を与えるにすぎないことを
見落としてはならない。大学には、学生が真に自信と誇りをもって生きていくことができ
るような、生涯の目標ないし方向を見出すという困難な仕事が残されている。
(4)参考文献一覧
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戦後日本の大学におけるカリキュラム改革の変遷
−−「一般教育」のあり方を中心にーー
高
鳳勤
序章
大学の改革は社会の変化とかかわっている。とりわけ大学の教育内容は社会の要請を考
えなければならない。さらに、国家の基本組織として存在している大学は国の教育政策に
従わなければならない。この二重の要因以外に大学が自身の発展方向を求めるべきである。
したがって、多元の要因が存在していることを考える上に、本稿は戦後日本の大学のカリ
キュラムの改革に注目して、主に国家政策の角度から社会変化と大学の教育内容の改革の
かかわりを取り上げた。
序章では、なぜこのテーマを選んだかといくつかの国の大学のカリキュラムの特徴を述
べていた。そして、戦後日本の大学の改革の特色を見つけて、大学カリキュラムにおける
「一般教育」のあり方について、調べてみた。なぜこのテーマを選んだかというと、そも
そも大学の目的は何かから考え始めたのである。言い換えれば、現代社会の現状を見て、
大学教育と社会のつながりはどうなるべきかということである。先進国の日本は社会発展
と大学教育の改革とをどう行ったのかを知りたかったのである。したがって、産業経済の
発展、科学技術の進歩、社会構造の変動、民主化の進展などの要素の影響で、国家は大学
に対する管理機能をいかに発揮するのかという視点から、本稿を完成した。大学の教育内
容を改革するたびに、「一般教育」の位置づけは議論になっていたのである。
第一章
新制大学におけるカリキュラムの改革
第二次世界戦後、日本の大学はアメリカの影響を受けて、民主主義国家における教育理
念をうたい始めた。新制大学の成立は大学改革の第一歩である。新制大学の特徴としては
「一般教育」の導入である。「一般教育」の意義とは「新制大学は専門の知識技能を教える
専門教育と同時に、人間完成を目的とする人間教育を実施して、文化人であると同時に職
業人を養成するところである。人間教育は人間である限り誰にも必要なもので、人間一般
に共通問題であるところから、一般教育と名づけられた」ということである。一般教育を
行う基礎としては三科目(人文科学、社会科学、自然科学)である。これは大学設置基準
(1946 年)の内容に含まれている。ところが、この時期の改革は政治的な意図が主に働い
たので、大学教育内容に対して、国家の統制が絶対であった。
続いて本章は 1956 年の大学設置基準省令化、中教審 38 答申、中教審 46 答申、および臨
時教育審議会の答申を基づいて、大学カリキュラムに関する改革を調べていた。これらの
改革は新制大学時期の改革と少し違って、社会要請を考慮するようになった。1956 年の大
学基準省令化は産業界の諸意見・要望に対応して、「一般教育科目を減らし、専門課程の強
化を図る」と修正した。38 答申は日本の経済の発展の影響を受けて、学士教育における一
般教育の改善方法を提出し、教養科目と基礎科目を明確すべきと提言した。46 答申は主に
学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について、行われていた。そして特に「今
後の社会における人間形成の根本問題」ということを指摘した。さらに、人間形成の需要
に関与して、高等教育の改革に関する基本構想をも指摘し、高等教育内容の役割を認識し
て、教育課程の改善方向について、論じていた。臨教審は日本の高等教育の進学率の上昇
を踏まえて、高等教育の高度化・個性化を求めて、大学教育におけるカリキュラムの構成
に高度なレベルを要求した。
時期によって、大学教育の目的が一定の方向に向いていく。その方向性を支配するのは
国家の教育理念である。ただし経済の遂げ、社会の変化に対応して、その理念が変わる。
これこそは大学教育の内容の改革を推進するのであろう。
第二章
大学設置基準の大綱化による大学カリキュラムの改革
臨時教育審議会の答申を踏まえて、大学発展の多様化を求めるため、1991 年 2 月、大学
設置基準は大幅に改正された。大学設置基準の大綱化の重要な核心は「大学の自主・自立
の確立」という原則である。そして、一般教育科目と専門教育科目の区分が廃止されたた
め、各大学がカリキュラムの編成を見直さなければならない。この改革を通して、教育内
容についての考え方への発想の転換が行われた。つまり、授業科目の区分を示すことをや
めて、個々の大学がそれぞれの教育目的に応じて、体系的に授業科目をくみ上げて教育課
程を編成することを求めるようになった。
大学教育はそれぞれの大学自分なりの目的を求めるようになったこそ、社会性と時代性
をもっと適切に反映することができるのであろう。すなわち、国家の大学教育に対する管
理方式が社会の変化に対応して、変わっていく必然もあれば、カリキュラムの構成の改革
は社会的な必然性もあるのである。
第三章
中央教育審議会の答申にみる大学カリキュラムの改革
−−「新しい時代における教養教育のあり方について」(2002 年)−−
2002 年 2 月に行われた中教審の「新しい時代における教養教育のあり方について」とい
う答申は 21 世紀において、日本の国家教育は一般教育に対する指導方針を指摘した。新し
い時代に求められる教養教育に関して、五つのポイントを取り上げた。そして、大学の教
養教育の実施について、課題分析とカリキュラムづくりとをそれぞれと提案した。
国家は常に時代の変化、社会の変化を踏まえて、大学教育の内容改革を行う。大学のカ
リキュラム構成の変化は国家の教育理念を表示するとともに、社会の時代性を表すわけで
ある。ただし、三者の関係はそう簡単に順調にならない。その中の合理性をどう調和すれ
ばいいのか。これは高等教育改革のひとつの重大な課題になるのであろう。
第四章
日本の大学教育改革における「一般教育」の問題についての議論
−−改めての比較−−
本章では、戦後各時期のカリキュラムに関する改革の内容を比較して、観察した。なぜ
日本の大学教育の改革の中に一般教育は問題とされるのか。いくつかの歴史的、政治的な
原因があるのである。たとえば、①
新制大学の改革は政治的な外圧力により行われたた
め、制度の確立が急激で、大学内部の土台が基本的にない;②制度上に方針が確立されて
いたにもかかわらず、その理念や内容や方法などは十分に当時の大学で理解されなかっ
た;③一般教育を担当する教員の配置の問題もある。このような大学教育の全体にかかわ
る基本的な問題が存在しているので、各時期の改革はそれらを解決するため「一般教育」
の問題を取り上げたのであろう。
大学の目的は社会の構造変化にしたがって、変わることではなく、なおさら幅が広く、
境界が高く、意義が深遠になるということである。その過程に国家統制、管理機能がだん
だん緩和になって、社会的、人間的な取り組みが主要になるのであろう。大学自身は社会
的、人間的な要請をこたえられるカリキュラムの構成を設置することができるのであろう。
終わりに
最後に高等教育の段階論(トロウ理論)と教養教育の関連を述べてみた。大学の発展段
階と教育の目的と教養教育のあり方について、調べていた。そして、中国の教養教育の一
言と現在の大学カリキュラムの問題について、簡単に取り上げた。
ところが、教養教育は教育実施のプロセスにどういう位置づけされたら適切であるか
というと、大学までの教育を通して、一般教養教育をしっかり実施して、人間としての基
本的な世界観、人生観、道徳観、認識観などは養成されなければならない。そして、大学
の段階の教養教育はもっと広い範囲で、もっと深い視点で、もっと普遍的な内容を行われ
るべきであると筆者が思っている。つまり、基礎教育の一般教育を厳しく要請するととも
に、大学のカリキュラムの構成においては、一般教育に対する要求がレベルアップしなけ
ればならない。
戦後日本の大学改革の軌跡を国家政策の角度から見てきた。日本の大学の教育内容の特
徴を知る上に、日本の大学のカリキュラムの構成原理とその変遷をある程度理解すること
ができた。とともに、高等教育の段階発展における大学教育の目的および教養教育の位置
づけを比較的に理解することができた。これは中国の高等教育の今後の発展にさまざまな
示唆を与えてくるのであろう。
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(紙上参加)
『これからの社会に求められる男性の家事育児参加と女性の社会進出に関する
考察―性役割の変更の必要性と男女平等社会構築のための施策について―』
藤原 馨
1.論文構成
序章
第1章
問題意識
性役割の変更が必要な理由
第1節
なぜ男性の性役割の変更が必要なのか
第2節
女性の社会進出と少子化について
第3節
経済的要因から見た男女の性役割変更の必要性
第2章
男性へ無償労働に向かわせる要因
第1節
男性の家事育児参加の一般的現状
第2節
どのような男性が家事育児をするのか―家事育児参加を規定する要素―
第3章
教育について
第1節
ジェンダー・フリー教育が性役割の変更に与える影響
第2節
教育の限界について
第4章
男女平等社会構築のための政策について
第1節
日本と諸外国の育児政策の比較考察
第2節
日本と諸外国の労働政策の比較考察
終章
結論
第1 節
総括
第2 節
今後の課題
2.内容
この論文では今後の社会に求められる男女の性役割像について考察を深めた。
今後の日本社会においては男性・女性とも性役割の変更を迫られる。つまり、従来の
「男は仕事、女は家庭」という伝統的性分業役割を脱却し、男女とも仕事と家事育児の
両立が求められる。このような問題意識から今後の男女の性役割の理想像を社会的背景
と結びつけながら論じ、性役割変更のための施策を、教育と労働環境や育児環境を中心
とする社会環境の整備を中心とした社会政策の観点から論じた。
・第 1 章 性役割の変更が必要な理由
第 1 章では男女の性役割の変更、つまり男性の家事育児参加と女性の社会進出が求め
られることの理由を、現在及び将来の日本が置かれうる社会的背景を参照しながら考察
した。性役割変更が必要な理由は①公的社会保障制度の財源や税収の確保のために労働
人口を増やすことが必要であり、有償労働の世界にあまり参入していなかった女性を労
働力として活用する必要があること②公的社会保障制度の財源と税収の確保のために、
将来の労働人口を増やすために少子化の解消が必要であるが、少子化の解消と女性の社
会進出を同時に進めるには男性の家事育児への協力が必要であること③経済の停滞、雇
用の不安定化が進展するなかで生活水準を維持するために、夫だけでなく妻も働くが必
要であること④妻が働きに出た場合、従来は女性によって大部分担われていた家事育児
への男性の協力が必要であることの 4 つに集約することができる。これらの理由から、
ここでは少子化と経済停滞という 2 つの日本がおかれている社会状況を枠組みとして
分析を試みた。
その上で、少子化解消のために男女の結婚を促進するためにも、子どもの数を増やす
ため、最近増加している「できちゃった結婚」を結婚の一形態として認めていくために
も、社会・男性による家事・育児サポートが必要なことを提唱した。
経済停滞に関しては、安定した賃金上昇がストップし、これまで日本で企業慣行とな
っていた年功賃金・終身雇用の崩壊が今後進むので、生活水準の維持のためにも、セー
フティーネットとしても妻の稼ぎに頼ることの必要性が高まってくることを指摘した。
また、社会にとっては人材配置の「不公正」を脱却し、
「効率」と「平等」いずれを目
指す場合も女性の社会進出と男性の家事育児参加が進められるべきことを論じた。
・第 2 章 男性へ無償労働に向かわせる要因
第 2 章では日本の男性が無償労働にどの程度協力しているのかについての実態把握
と男性を家事育児参加に向かわせる要因の解明を、既存のデータを参照しつつ試みた。
さらに、男性を家事育児に向かわせるべきでないとする、生得的性役割言説が現代社会
にふさわしくないことについても論じた。
男性は無償労働に協力する必要があるが、日本の男性は他の先進諸国の男性と比べる
と家事育児参加の度合いが著しく低い。女性の社会進出を促進させるために今後は男性
の無償労働が必要になるので、何らかの方法で男性を家事育児へと向けさせなければな
らない。
しかし、男性の家事育児参加を進めるべきであるという考え方に対する反論として、
家事育児は女性の職分であり男性は家事育児を代行すべきではないとする言説がある。
「愛による再生産役割」
「3 歳児神話」などの生物学・心理学的根拠に基づく言説がそ
れに相当する。性役割は文化的かつ後天的に習得されたものであるという側面を持つ以
上、生物学・心理学的原則のみで性役割について論じるには限界があることと、科学的
な育児法も社会のイデオロギーとパラレルであることから、これらの言説を普遍的な原
則とすることはできないこと、またこれらの言説は性役割分業の固定化をもたらす機能
を持つので、性役割の流動化を進めていくのに適合的なイデオロギーではないことを根
拠に、これらの言説が正当性を持つことに対しての懐疑を論じた。
日本の男性は総じて無償労働参加の度合いが低いが、その中でも比較的無償労働を行
なっている男性とそうではない男性がいる。この差が生じる要因、つまり家事育児参加
度を規定する主な要因として、①時間的余裕②ジェンダー・イデオロギー③夫婦間の資
源(収入・学歴など)の格差などがある。
・第 2 章までで得た知見
男性を家事に向かわせる要因から、男性を家事育児に向かわせる施策としては教育と
社会環境の整備を挙げることができる。従来学校教育をはじめとする教育は、さまざま
な形で伝達される隠れたカリキュラムにより男女の性役割意識を構築してきた歴史が
ある。したがって新たな男女平等的なイデオロギーが散りばめられたものに教育を作り
変えれば新たに求められる性役割も構築できるという仮説が立つ。また有償労働の領域
における男性の長時間の拘束や男女の待遇の格差が男女の分離をもたらしているとい
う実態がある以上、このような状況を女性が進出しやすい環境につくり変えることも必
要となってくる。
また、人の意識と社会環境はそれぞれ別個に機能するものではなく、相乗効果を発揮
したり互いに機能を打ち消しあったりするものである。したがって、人の意識を形成す
る教育と社会環境の両面からジェンダー領域の諸問題を考えていくことが必要になる。
・第 3 章 教育について
第 3 章では前章までの知見を踏まえて、男性の家事育児参加と女性の社会進出という
文脈から見た場合に、教育の持つ諸限界を前提とした上で教育が行うべきこと、またこ
の種の教育の発展のために教育研究が行うべきことについて論じた。
男女平等社会建設のための教育としてジェンダー・フリー教育を挙げることができる。
ジェンダー・フリー教育は職業選択におけるジェンダー・バイアスの除去や育児観の変
容をもたらしうるものである。しかし、行われている教育実践からは子どもたちの認識
の変化が読み取れる一方で、知識の変化、認識が行動に結びついているかどうか、学校
教育の段階で培われた認識が将来役立つかどうかなどについては不明確であり、これら
のことを明確にしていくことが教育研究に求められる。
学校教育は性役割の変更をもたらす可能性を内包する一方で、すべての人間を意図通
りには変容できないという限界、教育する側が伝達しようとしていることを教育される
側に 100%伝達することは、教育しようとすることが単純なスキル伝達以外の場合はで
きないという限界がある。このような限界のもとで学校教育がジェンダー・フリー社会
を担う人材育成という文脈からみた場合に行うべきことは①学力水準の確保による社
会進出意欲の確保(主として女子に必要)②家事育児能力の育成(主として男子に必要)
③教師による性別カテゴリーを用いた統制を避けるための少人数教育の徹底の3つで
ある。
③の「性別カテゴリーを用いた統制」とは、児童生徒を統制する際に男女という概念
を絡める統制の方法である。この統制方法は「性は区別されるものである」というメッ
セージを児童生徒に伝達するものであり、ジェンダー・フリー教育の目標とは逆行する
ものである。しかし、この統制の方法は教師にとっては多くの児童生徒で構成されるク
ラスでの活動をスムーズに行うための手段であり、性区分を用いた統制を行わなければ
教室の秩序が崩壊する恐れがある。このようなジレンマを解消するためには、1 クラス
の児童生徒の人数を減らすことが必要となってくる。
・第 4 章 男女平等社会構築のための政策について
第 4 章では第 2 章までの知見を踏まえたうえで、男女の性役割の変更を促す施策につ
いて論じた。取り上げたのは主として女性の社会進出と男性の家事育児参加を進めるキ
ーとなる育児環境・労働環境の整備についてであり、これらの施策について日本と外国
の施策を比較考察した。
日本は諸外国と比較すると育児環境の整備が遅れており、育児休暇と育児施設の充実
が急務である。また育児環境の整備の遅れは「育児は女性の領分である」という伝統的
性役割観がいまだに根強いからこそ起こっている現象であるため、社会政策と教育がお
互いにもたらす影響を念頭考慮しつつ政策について考えていくことが必要である。性分
業意識とは関係なく強制的に男性を育児に向かわせる「パパ・クォーター制度」のよう
な制度も、性役割意識の強い企業文化を飛び越えて男女平等を推し進める上で一定の効
果があるであろう。しかし、この種のラディカルな政策が効果を挙げるためには、男性
に無償労働を行なう能力が備わっていることが条件であるので、教育の重要性を無視し
てはならない。
労働環境の整備においてはワーク・シェアリング、男女差別解消のための法的体制の
整備が必要である。男女の格差解消を早いスピードで進展させるためには、スウェーデ
ンで行われているオンブズマン制度のような、権限を持つ組織による法的介入が必要と
なる可能性もある。
3.今後の課題について
今後の課題は①教育の研究においてあまり明らかになっていないことを明らかにす
ること②スウェーデンをはじめとする諸外国の教育政策・社会政策についてより徹底し
た文献レビューを行なうこと③女性の社会進出についてジェンダー・トラックの観点か
ら考察を深めること④男性の性役割変容の全体像を把握するために、男性の性役割の変
更をもたらすものとしてのインフォーマルな教育について考察を深めることの4点で
ある。
①については、ジェンダー・フリー教育において先行研究が明らかにしていない知識、
行動レベルの変化、つまり、ジェンダー・フリー教育の取り組みによって男子児童生徒
の家事育児に関する知識がどう変化したのか、また、無償労働に対する意識の変化が、
実際に無償労働参加に結びついているのかを自ら解明することが今後の課題である。ま
た、追跡調査についても研究ができる環境が整えばやってみたい。
②については、諸外国の政策について不明ことが多い。特に、洋書に当たっていない
ので、今後は洋書を中心に文献レビューを徹底し、政策の利点と問題点をより明確にす
ることが必要である。
③については、女性の進路選択は、学力による選抜過程(学力トラック)だけでなく、
学校組織を構成する女子教育観や生徒・学生の内面化する性役割観の差異に基づいて、
生徒・学生の進路を分化させる効果(ジェンダー・トラック)によって影響を受けると
いう側面があり、女性の社会進出を考察するのに不可欠な要素であるため、学力という
側面だけでは女性の進路形成の像を捉えきれない。ゆえに、学力面だけでなくジェンダ
ー・トラックからも考察を深めることが必要である。
④については、この論文では学校教育のみを扱い、異性との出会いや周囲の人間の影
響などの学校の外にある男性を家事育児へと導く要素について検討することができな
かった。学校の外での社会化は偶発的なものであるが、男性の性役割が変容するメカニ
ズムの全体像を把握するためには欠かせない視点であるし、学校外の社会化のメカニズ
ムを分析することによって、学校教育をよりよいものにするために役立つヒントを抽出
できる可能性もある。教育は学校だけで完結するものではない以上、フォーマルな教育
だけでなく、広義の教育、すなわち教育的な要素を持つあらゆるもの、
例えばメディア、
人との出会い、などの男性の性役割を変容させうるあらゆるものを分析対象とすること
が必要となってくる。
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苅谷剛彦『階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差社会へ』、有信堂高文社、2001。
神田道子・木村敬子・野口真代『新・現代女性の意識と生活』
、NHK ブックス、1992。
神原文子「女性にみる結婚の意味を問う」
『家族社会学研究』、第 15 巻第 2 号、日本家族社会学
会、2004、
p. 14-23。
川口和子「労働から見た少子化」
『日本の科学者』、第39巻第4号、日本科学者会議、2004、p.
4-9。
木村邦博「労働市場の構造と有配偶女性の意識」盛山和夫編『日本の階層システム4 ジェンダ
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家族』、東京大学出版会、2000、p. 177-193。
木村涼子『学校文化とジェンダー』
、勁草書房、1999。
木村涼子「男女平等の磁場」
『解放教育』
、第 34 巻第 12 号、明治図書、2004、p. 104-108。
木村涼子「教室におけるジェンダー形成」
『教育社会学研究』、第 61 集、教育社会学会、1997、
p. 39-54。
木村涼子「なぜ、
男女平等教育が必要か―大阪の子どもたちのジェンダー意識から」
『 解放教育』
、
第 409
号、明治図書、2002、p. 11-22。
英語による民主主義の可能性
―国民の英語能力と民主主義の達成度の関連性についての実証的分析―
教育学専攻 博士前期課程 板倉 伸介
■ 研究の目的と方法
・ 問題の所在
本研究は、教育制度のなかでも英語教育・英語能力に着目して、民主主義 6 との関連性を
分析するものである。
英語能力と民主主義を結びつけようと考えたのには、3つの理由がある。
第1に、教育と民主主義に深い関係があること7 、
第2に、イギリス・アメリカの言語である英語が世界のほとんどの国家で学習されてお
り、それが社会に文化的・政治的影響を及ぼしていること8 、
そして第3に、20 世紀からの歴史において、世界の民主化の動きを牽引してきたのがア
メリカだったということである9 。
以上の点を前提にして、「国民の英語能力が高いと、民主主義の達成度も高い」いう社会
レベルの仮説をたて、これを量的分析でマクロレベルから検証する。
続いて、日本の大学生を対象とした独自のアンケート調査を行い、英語能力と政治的参
加度をつなぐ第3の変数として、批判的思考力を取り上げて、ミクロレベルから「英語能
力が高い者ほど、批判的思考力があり、政治的参加度も高い」という個人レベルの仮説を
検証する。
そして最終的には、「英語による民主主義」という考えを示し、その可能性を探りたい。
■ 論文の全体構成
序章
1.問題の所在
2.先行研究
3.研究方法
6
国民に普通選挙権がある状態で、自由な環境で結成された政党が自由に選挙で選ばれるシステム。
Smith, Tony, “America’s Mission”, Princeton University Press, 1994. p.13.
「公的異議申し立て」(自由)と「包括性」(参加)が保障されている「ポリアーキー」という状態 Dahl, Robert,
“Polyarchy”, Yale University Press, 1971. pp1-10.
7
アーモンド&ヴァーバ(石川一雄[ほか]訳)『現代市民の政治文化』 勁草書房 , 1974 年。374 ページ。
8
Pennycook, Alastair, “The Cultural Politics of English as an International Language”, Longman Publishing, 1994.
pp.7-13.
なお、アメリカの合衆国憲法は公用語を持たないが、多くの州憲法では公用語として認められている。
9
Kagan, Robert, ‘The Centrality of the United States’, Plattner and Smolar (eds), “Globalization, Power, and
Democracy” , Johns Hopkins University Press, 2000. p. 100.
4.論文の全体構成
第1章
教育と民主主義
1.政治文化
2.政治参加
3.結論
第2章
世界システムにおける英語と民主主義
1.国際言語としての英語
2.言語帝国主義
3.アメリカ的価値観としての民主主義
4.アメリカ外交史における民主主義
5.結論
第3章
英語による民主主義の実証的分析
1.多国間比較による実証の方法
2.国民の英語能力と民主主義
3.非識字率・初等教育進学率・高等教育進学率と民主主義
4.地理的条件・文化的背景と民主主義
5.分析から得られた知見
第4章
英語能力と批判的思考力
1.批判的思考力
2.アンケート調査の概要
3.アンケート調査の結果
4.調査から得られた知見
終章
英語による民主主義の可能性
1.得られた知見
2.英語による民主主義の未来
3.今後の課題
■ 得られた知見と今後の課題
第1章で、教育制度一般と民主主義の関連性について考察した上で、第2章において、
Wallerstein の提唱した概念、
「世界システム」10 のなかに英語も民主主義も存在していると
いう前提に議論を進めた。Wallerstein はアメリカを「中心」とする経済的状況について主
に言及しているが、この理論は政治的状況・文化的状況にも応用することができる。つま
り、この「世界システム」という社会のなかで英語と民主主義はどのようなアクターとし
て働いているのか、どのように拡大していったか、それを明らかにした。
国際言語として英語の拡大、そして民主主義の拡大、2つの現象において中心的な役割
を果たしてきたのはアメリカである。言語帝国主義11 の文脈から考えると、英語を学ぶこと
は英語圏の文化を学ぶこと、そして英語圏の中心にいるアメリカの文化を学ぶことだと考
えられる。
また、歴史的にアメリカは外交において民主主義を推進してきた12 。さらに、一見すると
普遍的価値観に見える民主主義も、実はアメリカ的価値観にすぎないことがアジア諸国と
の比較からわかった13 。つまり、英語を学ぶことは民主主義的価値観を学ぶことではないだ
ろうか。
Phillipson は、英語は世界を「中心」と「周辺」に分けていると主張している 14 。さらに、
英語も民主主義も「世界システム」のなかで流通している媒体である。それならば、民主
主義の達成度が低く、それによって「周辺」に位置させられている非民主主義国家は「周
辺民主主義国」と呼ぶことができるだろう。そして、以上のことから、世界システムのな
かで英語と民主主義が相関関係にあるのではないか、英語によって民主主義が拡大してい
るのではないかという予測をした。
第3章では、「国民の英語能力が高いと、民主主義の定着度も高い」という仮説を多国間
比較によって統計学的に実証することを試みた。
英語能力の指標として用いたのは、各国における TOEFL(Test of English as a foreign
language)の受験者平均スコア15 、民主主義の指標として用いたのは、「フリーダムハウス」
の発表した Freedom in the World 2003: Tables & Charts の Combined Average Rating で
ある16 。
比較において、【図1】を作成した。その結果、高い相関関係(相関係数=0.7106、N=52)
10
世界システムとは、世界経済が単一の分業によって覆われる広大な領域で、その内部に複数の文化体を
包含するものである。そのシステムには「中心」と「周辺」という構成要素があり、たがいに補完しあっ
て壮大な分業体制をなしており、中心が周辺を支配する植民地状況が生じる。
Wallerstein, Immanuel, “The Modern World-System”, Academic Press, 1974.
11
英語と他言語との間の構造的・文化的不平等の確立と連続的再構成による英語支配の維持。
Philipson, Robert, Liguistic Imperialism, Oxford, University Press, 1992. p.47.
12
Smith, Tony, “America’s Mission”, Princeton University Press, 1994.
黒柳米司「「人権外交」対「エイジアン・ウェイ」」『国際問題』422 号、1995 年。37-39 ページ。
14
Phillipson, Robert, “Linguistic Imperialism”, Oxford University Press, 1992. p.17.
15
TOEFL Test and Score Date Summary(2001-2002)
http://ftp.ets.org/pub/toefl/10496.pdf より。
13
16
Freedom in the World 2003: Tables & Charts
http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2003/averages.pdf および
http://www.freedomhouse.org/research/freeworld/2002/combined.pdf より。
が見られた。
図 1 :国民の英語能力と民主主義の達成度
民主度
7.5
7
6.5
6
5.5
5
4.5
4
3.5
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
160
180
200
220
240
260
英語能力
ヨーロッパ
(Albania, Austria, Bulgaria, Croatia, Denmark, Estonia, Finland, France, Germany,Greece,
Iceland, Italy, Latvia, Lithuania, Luxembourg, Macedonia, Norway, Romania, Sweden, Switzerland)
ラテンアメリカ (Chile, Colombia, Costa Rica, Ecuador, Peru, Venezuela)
中東
アジア
(Bahrain, Jordan, Kuwait, Lebanon, Oman, Qatar, Saudi Arabia, UAE)
(Hong Kong, Japan, Korea[North], Korea[South], Macau, Malaysia, Philippines, Singapore,
Taiwan, Thailand)
その他
(Armenia, Botswana, Israel, Kenya, Mauritius, Nepal, Puerto Rico, Turkey)
また、地理的条件・文化的背景という変数を統制し、グループ別に英語能力と民主度の
関連性を分析も行った。グループとしては、「ヨーロッパ」「OECD 加盟国」「中東」「ラテン
アメリカ」「中国語圏」の5つを用いた。これら各グループ内においても、英語能力と民主
度の相関関係が確認できれば、仮説を証明するための強力な証拠となると考えたためであ
る。その結果、「ヨーロッパ」(相関係数= 0.7079)、「OECD 加盟国」(相関係数= 0.5730 )
「ラテンアメリカ」(相関係数= 0.8484)で2つの変数の関連性が有意となった。地理的条
件・文化的背景を統制してもなお、52 か国中 34 か国(65%)で引き続き、国民の英語能力と
民主主義の関連性が確認されたこととなる。
この分析の欠点としては、アメリカをはじめとする ENL(English as a Native Language:
母語としての英語)の国家が分析対象から除外されていることである。そこで、本章におけ
る多国間比較で証明されたのは、「英語が第二言語もしくは外国語として話されている国家
では、国民の英語能力が高いと、民主主義の達成度が高い」という仮説といえよう。
第4章では、日本の大学生を対象としたアンケート調査を行い、「批判的思考力」 17 とい
う媒介変数を取り上げた。英語能力(独立変数)
・批判的思考力(媒介変数)
・政治参加(従
属変数)を数値化し、PEARSON の相関係数による統計分析を行った(【図2】)。
図 2 :各変数間の相関係数 (PEARSON)
相関係数 (N=200)
英語能力
×
批判的思考力
0.1803
英語能力
×
政治参加
0.0224
×
0.2994
批判的思考力
政治参加
検定
**
**
検定:カイ二乗検定 ** 5%水準で有意
このアンケート調査から得られた知見は、英語能力・批判的思考力・政治参加という3
つの変数において、「英語能力⇒批判的思考力」そして、「批判的思考力⇒政治参加」とい
う関連性はあるということであり、「英語能力⇒政治参加」という直接的な関連性を確認す
ることはできなかった。
最終的に得られた知見としては、2つの分析(多国間比較・アンケート調査)から判断
すると、英語能力と民主主義に直接的な関係はないとうことである。ただ、批判的思考力
という媒介変数を通して、英語能力と政治参加に間接的な関係があるということがわかっ
た。
本研究で実証できた仮説は「英語が第二言語もしくは外国語として話されている国家で
は、国民の英語能力が高いと、間接効果として民主主義の達成度が高くなる」というもの
になる。しかしながら、「英語による民主主義」の可能性は一定の程度は認められるであろ
う。
今後の課題としては、(1)「社会にとっての批判的思考力とは何か?」、(2)「なぜ理論
に適合しない国家(逸脱)が存在するのか?」という問題を研究したい。
■ 基本文献リスト
アーモンド&ヴァーバ(石川一雄[ほか]訳)『現代市民の政治文化』勁草書房、1974 年。
ディクソン R.M.W.(大角翠訳)『言語の興亡』岩波書店、2001。
ミルブレイス L.W.(内山秀夫訳)『政治参加の心理と行動』早稲田大学出版部、1976 年。
三浦信孝・糟谷啓介編『言語帝国主義とは何か』藤原書店、2000 年。
大津留智恵子編著『アメリカが語る民主主義』ミネルヴァ書房、2000 年。
17
「問題解決と意志決定において評価(evaluation)をする際に用いられる思考力」
Halpern, Diane, “Thought and Knowledge”, Lawrence Erlbaum Associates, 1989. p.5.
「社会の力関係や社会の不平等を検証する民主的学習プロセス」
Benesch, Sarah, “Critical Thinking: A Learning Process for Democracy ” TESOL Quarterly, 27, pp.545-547.
Dahl, Robert, “Polyarchy”, Yale University Press, 1971.
Freire, Paulo, “Pedagogy of the Oppressed”, Seabury Press, 1970.
Halpern, Diane, “Thought and Knowledge”, Lawrence Erlbaum Associates, 1989.
Huntington, Samuel P, “The Third Wave”, University Oklahoma Press, 1993.
Nye, Joseph, “The Paradox of American Power”, Oxford University Press, 2002.
Nye, Joseph, “Soft Power”, Public Affairs, 2004.
Paul, Richard W, “Critical Thinking”, Sonoma State University, 1990.
Pennycook, Alastair, “The Cultural Politics of English as an International Language”,
Longman Publishing, 1994.
Pennycook, Alastair, “English and the Discourses of Colonialism”, Routledge, 1998.
Philipson, Robert, Liguistic Imperialism, Oxford, University Press, 1992.
Smith, Tony, “America’s Mission”, Princeton University Press, 1994.
。