開業医の生活時間調査 - 滋賀医科大学

2007 年度 社会医学フィールド実習 報告書
開業医の生活時間調査
2007 年 12 月 20 日
泉谷桜
伊勢由佳子
大瀬琢也
大竹玲子
中川嘉宏
村上義彦
1.目的
開業医の生活実態を調査し、近年社会問題化している医師不足について医学生の立場から論じる。
2.対象と方法
まず、滋賀県下に存する開業医に1日同行することで開業医の個別エピソードを集め、同時に開業医
の実際の生活実態を調査、集計した。
次に、保険協会から得た開業医の生活実態に関する大規模調査のデータを分析した。保険医協会の生
活時間調査対象は以下の通りである。北海道地方から鹿児島など九州地方まで全国において、年齢層は
45 歳を中心とし、人数の分布は医科女性51人、歯科女性20人、医科男性29人、歯科男性10人の
計 110 人である。性別、年齢、子供の有無とその年齢、家事援助者の有無、診療科、曜日ごとの診療時
間、開業年数、診療所の所在(郡部か都会か)、医師体制、平均外来患者数、在宅療養支援診療所をし
ているかどうか、またその患者数等の基本的質問とあわせ、全日診療日、半日診療日、全日休診日を含
む 1 週間の実際の生活時間をアンケート用紙に記入してもらった。
これらを比較することで、医師確保のための「女性医師等の働きやすい職員環境の整備」や「開業医
に時間外診療を促す」などの政府の政策方針が、現実的に妥当なものかを検討した。さらに、医師不足
の根本的解決には何が必要なのかという点についても文献検索、ディスカッションを通じて言及した。
3.結果
開業医生活実態を調査していく上で次のことがわかった。
一日の生活時間を 5 つのパラメーターで分類し、男性開業医と女性開業医、加えて一般勤労者と比較
したところ、下図の結果が得られた。
1日における割合
6.48
時間
医男
2.4
5.76
医女
2.4
9.36
勤男
7.2
2.4
勤女
6.72
2.88
0
11.76
5
0.243.12
3.6
10.8
7.2
10
0.483.12
4.08
15
2.88
20
3.12
睡眠
必需
仕事
家事
余暇
このデータより、医師は一般労働者より長時間働き、睡眠時間は短いことがわかる。さらに開業医に
ついて男女間の差を検証した。
家事時間平均(1週間)
28:48:00
24:00:00
19:12:00
14:24:00
女性医師
男性医師
9:36:00
4:48:00
0:00:00
女性医師
男女別睡眠時間・診療時間
男性医師
趣味・学習の時間(1週間)
女性
12:00:00
60:00:00
10:48:00
9:36:00
48:00:00
8:24:00
36:00:00
女性医師
男性医師
24:00:00
7:12:00
6:00:00
4:48:00
3:36:00
12:00:00
2:24:00
1:12:00
0:00:00
睡眠
診療
0:00:00
学習
これらの検証により以下のことがわかった。
•
医師は一般労働者より長時間働き、睡眠時間は短い。
•
女性医師の診療時間は少ない。
•
女性医師は男性医師より趣味/学習に割く時間が少ない。
•
女性医師の家事負担は大きい。
趣味
男性
次に、開業医を含め、日本の全家庭における男女の家事時間の比較を検証した結果、下図のデータが
得られた。
このデータより、女性の家事負担時間が男性と比較して大幅に大きいことがわかった。そのため、女
性開業医に限って家事負担が多いのではなく、日本女性全体の家事負担が多いことがわかった。
さらに、各国別に家庭内に関する事項について役割分担意識を比較すると下図の結果が得られた。
このデータより、家庭内の役割分担意識が日本は各国に比べて低いということがわかった。
4.考察
結果より女性開業医の家事時間の多さが明らかになった。よって私たちは、家事が減ればもっと仕事
をしたい人もいるのではないか、ある意味「眠れる労働力」とも言えるこの女性開業医を活用すれば医
師不足解決の助けになるのではないかと考えた。
具体的には、家事負担が軽減されることで、働く意思を持った女性開業医の診療時間は増大するので
はないか、それに対する提案をすることで状況は改善するのではないかということであった。ただし、
結果で示したように日本では男女とも性役割分担意識が根強いため、お金や時間の都合だけでは解決で
きない面もあり容易ではないと考えた。そこで、他に提案はできないかなど、私たちは議論を重ねたが、
その中で大きな壁にぶつかった。
私たちの中には分析の過程で女性開業医が決して楽な生活をしていないことを痛感し、生活時間を切
り詰めた状態の女性開業医をこれ以上働かすという方針でいいのかと考える者もでてきた。また家事の
時間はいらないものだと簡単に割り切れるのか、割り切ってもいいのだろうかという意見もあった。
このように、様々な意見が飛び出したため、一度は医師不足を女性開業医の労働力導引により解決する
ために良い策はないかという方針で動き出した私たちであったがそれではこの問題は捉えきれないと
して、もっと広い視野で医師の労働について考えることにした。
そもそもなぜ医師不足が発生し、それを改善できないのであろうか。その理由には2つの側面が考え
られる。
1つ目に、医師自体から医師不足打開に対する主張を国に対し行ってこなかったことが挙げられる。
まず、医師の増員による給料低下に対する懸念があった。これは勤務医のみに限らず、開業医でも、例
えば自診療所をかかりつけ医としてくれている患者が離れていく等の不安があり、勤務医・開業医そろ
って医師不足打開に消極的であった。
次に、医師の患者に対する古い考え方があげられる。現在でこそチーム医療やコメディカルとの強調
といった新しい考え方が広まりつつある。しかし古くからの医師-患者関係はそうではなかった。山崎
豊子作の「白い巨塔」に見られるように、医師が自分の担当した患者を「所有」するかのような医師‐
患者関係を築き、その「所有」する患者に関して他の医師から指示・質疑等を受けることを拒み、でき
る限り他の医師の「介入」を防ごうとしていた。
これは患者や雇用者である病院にとっても好都合といえる体制であった。というのも、この医師‐患
者関係により、自分が患者を「所有」する以上、24時間体制で医師はその患者の病変に対応してきた。
この勤務形態では、勤務のオンとオフの区分が実質上ないに等しく、休日であっても常にオンコール状
態に置かれるがごときであった。
しかしこの結果、多くの病院において勤務医が疲弊した。疲弊した医師たちの中には、自分の時間を
より多く確保できる職場を希望し、移動する者もいた。そしてこの動きをみた若い世代の医師たちは、
ますますその職場を敬遠し、医師の偏在が加速した。
最近になって新聞やニュースで勤務医の疲弊や医師の偏在が大きく取り上げられるなど、漸くこうい
った動きが明るみに出てきだした。疲弊した医師の中から、医師増員を望む声も出てきており、医師側
からも医師不足打開に積極的な動きが出てきている。
一方、もう1つの側面として、国は医師の増員に対して消極的であったことが挙げられる。事実日本
は医療費を 1980 年代以降一貫して抑制し、
「医師数が増えると医療費が増える」として、医学部の定員
を削減してきた。これも影響して、日本の医師不足は深刻となった。OECD の平均から計算すると 14
万人も不足している。
しかし、政府側の方針の大前提として、医師不足の原因を、医師の絶対数が足りないというのではな
く、各診療科間における医師数の偏在や、都会へ医師が集中し地方に勤める医師が少ないという地域の
偏在においている。このような前提の下、患者がたらい回しにあわないように医師を配備することを優
先し、医師を増員しないまま、医師の勤務時間をより延長するよう誘導する政策が主流となっているの
である。国は医師の育成費用も含めた国民医療費を抑える方針をとっているといえる。そしてこのよう
な政策のターゲットのひとつとなっているのが、「眠れる労働力」とみなされている、育児・家事に時
間を取られ「十分に医師労働できていない」女性医師と考えられる。
医師の絶対数を増やさず医師の再分配によって医療現場の労働力を確保しようとする戦略は、一見低
コストで合理的であり、即時的な効果が期待される。しかし、長期的に考えると、医療の質の低下を生
じさせはしないだろうか。例えば、医療ミスの増加や医師が患者一人当たりに割ける時間の短縮などが
考えられる。
このように、人として当然要求される生活時間を削ることを職責として求められ、長時間のリスクの
高い労働を提供しなければならないことは、医療者・患者双方の不利益につながるだろう。医療の安全
面や医師‐患者関係に悪影響を及ぼし医療の質の低下を招くことは想像に難くない。
医療というものは、100%の治療効果を保障できない不確実なものであるにもかかわらず、そのこと
に対する医師‐患者間での温度差が次第に広がってきている。そのような現状の中で、医者の伝えたい
ことが患者に理解されず、訴訟に発展することが少なくない。そのことが今、勤務医の「やりがい」を
失わせる大きな要因となっている。これまで医師は過酷な勤務状況の中で、高い志と患者からの感謝と
いう形の「やりがい」によって精神的に支えられてきた部分が大きかったのではないか。そして近年で
は患者との信頼関係を築けず、最悪の場合訴訟にまで発展することで信頼関係の完全な破綻という結果
で終わってしまうこともある。その結果これまで心の支えとなっていた「やりがい」が次第に薄れてい
く。
「やりがい」を失った医師にさらに過酷な勤務状況が追い討ちをかけ、追い詰められた医師は、仕事に
対してサボタージュする、または開業をすることで信頼関係を保った医療を目指し医師の QOL を上げ
ようとする動きが進む。さらにそのことが勤務医の労働力不足を加速させ、勤務の過酷さに拍車をかけ
ることとなっている。
上記の理由から、日本の医療はいよいよ「崩壊の危機」に瀕している。
現在日本の医療は、医師の過酷な労働の上にある程度の医療水準を保っている。この進みつつある医療
崩壊を放置すると、取り返しのつかないことになることが予想される。
このように、日本の医師がおかれた環境は決して安楽なものではない。仕事の内容・量のみならず、
最近では医療訴訟の増加に見られるように、その結果についても世間から厳しくチェックされるように
なった。最もやっかいなことに、その荒波の中を生きていくのは他ならぬ私たち自身なのである。
昨今、患者側が自らの権利を意識し、治療方針に関する説明やセカンドオピニオンを要求するのはご
く自然なものとなった。いわば、いままでの「由らしむべし、知らしむべからず」という医師‐患者関
係を否定し、自分で考え要求する空気が生まれてきたのである。
翻って、私たち医学生はどうであろうか。私たちは日々の勉学に忙しく、そもそも医師として働く場
面を想像すること自体が少ない。病院には何時に出勤し、何時ごろに帰るのか。家族と過ごす時間はあ
るか。休日の呼び出しとはどんなものか。すべてが未知のものである。それゆえ、自ら考え要求するこ
とも少ない。試験のスケジュールやお互いの成績に関心はあっても、就職後の労働環境について友人と
語り合うことなどはほとんどない。しかしあと 4 年もすれば、私たちは病院という仕事場のまっただな
かにいる。昨日今日の試験の点数よりも、就職先の労働環境によってこそ、私たちの毎日は左右される
ことになる。
ゆえに、医師の労働環境は他人事ではない。必要なのは、知ろうとする姿勢であろう。現在働いてい
らっしゃる先生方がどんな環境におかれているのかなど、学生のころから具体的な情報を入手し、一人
でも多くの同級生と話し合うべきであろう。
5.謝辞
本報告書を終えるにあたり、本実習において、終始一貫して丁寧なご指導をしていただいた滋賀医科
大学予防医学講座准教授
垰田和史先生には、多くの貴重なご助言と暖かいご支援をして頂きました。
記して感謝申し上げます。
本報告書は、「開業医の生活時間調査」を取り纏めたものであり、全国の多くの開業医の先生方に生
活時間のデータを提供して頂きました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。また、開業医の
先生方の 1 日の生活の様子を実際に感じ取る貴重な体験をさせて頂いた、坂本民主診療所の垰田まゆみ
先生、膳所診療所の東昌子先生、玉川医院の玉川正明先生、きづきクリニックの木築野百合先生、大西
クリニックの大西利穂先生、地域包括ケアセンターいぶきの畑野秀樹先生に心より御礼申し上げます。
最後になりましたが、本報告書作成に先立ち、2007 年 12 月 12 日臨床講義室 3 において本実習の一
部として「医師不足と女性開業医」という題目にて発表する機会を頂きました。発表会で貴重なご意見
をくださいました皆様にここで御礼申し上げます。
6.参考文献
------官公庁---------------------厚生労働省 2006 年 2 月 8 日 「医師の需給に関する検討会」報告
厚生労働省 2007 年 8 月 30 日 緊急医師確保対策について
総務省 平成 13 年 社会生活基本調査
内閣府 平成 16 年 男女共同参画に関する世論調査
------企業・民間団体-------------東京新聞 2007 年 12 月 6 日 過酷な勤務浮き彫り 女性医師就労環境実態調査
日本医療労働組合連合会 2007 年 2 月 19 日 「医師の労働実態調査」中間報告
読売新聞 2007 年 11 月 25 日 東京朝刊
診療報酬改定:医師不足対策
以上