木
谷
蓬
國 語 藝 術 篇 = 一八
淨 瑠 璃 語 の 特 異 性
吟
巌 確 な意 味 か ら淨 瑠璃 節 と 云 ふと 、 頗 る廣 範 圍 に 亙 つて、 竹 本義 太 夫 の創 め た義 太 夫 節 か ら 、現 存
の長 唄、 常 盤津 、 富 本 、 清 元 、新 内 、 一中 、 河 東 、 古 いと ころ で は半 太 夫 、 文彌 、薩 摩 、語 齋 、
外 記、
土佐 其 の他 を 包含 した 汎 稱 であ る。 し かも義 太 夫節 を除 いた他 の諸 流 は、 多 く 關 東 で發 展 した 關 係 上
か ら、義 太 夫節を も、 淨 瑠 璃節の 一派 とし て見 て ゐ る。 と こ ろ が關 西 で は、
義 太 夫節 が ひと り盛 ん で、
全 く 他流 淨 瑠 璃 を壓 し て其 の覇權 を 把 握 した 爲 め、淨 瑠 璃 と 云 へば、 其 のま 丶義 太 夫節を 指 す こ と に
な つて ゐ る。 そ れ だ け にまた 、 他流 に 比 し て總 て に於 て優 れ て ゐ るこ とも 事 實 で あ つて、殊 更 國 語 の
問 題 に關 し ては、 一層 其 の感 を深 うす る も の があ る。 そ れ でこ 丶に は、義 太 夫淨 瑠 璃 に のみ限 定 した
譯 であ る。
だ いた い義 太 夫 淨瑠 璃 の構 成 は、 院 ﹁本 即 ち 作 品 の言 葉(詞 章 )、 太 夫 の語 り (聲 劇)、 三 味 線 の彈 奏
(普 曲)か ら成 り 、 そ れ に人 形 の動作 (劇舞 踊)が加 は つて組 織 され て ゐ るが、 但 し其 の根 柢 と な るも の
は詞 章 で あ る こと は 云 ふま でも な い。 そ し て其 の淨 瑠 璃 詞 章 の作 者 も 、古 今 に亙 つて多 士 濟 々 の觀 は
あ る が、未 だ曾 て大近 松 に匹敵す る者 は 一入 も無 い。 近 松 以前 に作者 ら し い作 者 もな く 、 近 松 と同時
代 の海 音や 、 後 の出 雲 、 宗輔 、 文耕 堂 、 半 二、 專 助 など 、孰 れも 一流 の作 者 に は違 ひ な い が、 一言 に
し て盡 く せば、 大 近松 の追 隨者 、 模 倣者 に過 ぎ なか つた。 淨瑠 璃 國 の憲 法 は、總 て近 松 の 一と 手 で作
成 された か ら で あ る。 彼 等 が作者 の氏神 と し て敬 慕 し 、 人中 の龍 と尊 崇 し た大 近 松 は 、驚 く 可 き 創 造
力 を 傾 注 し て、 前 人未 到 の大 淨瑠 璃詞 章 を 大 成 した の であ る。
そ の文軆 に し ても、我 が文學 史 上 の新 し い試 み で、韻 文 と散 文 と雅 文と 俗 文 の、 巧 妙 な混 成詞 軆 を
創 成 し た。 此 の融 逋 性 に富 む新 文軆 こそ、 近 松 淨瑠 璃 が、 上 は貴 人 に も迎 へら れ、 下 は庶 人 にも歡 ば
れ た重 要 な原 因 に な つた も のと想 ふ。 近 松 以前 の所 謂 古 淨瑠 璃 は、 識 者 の見 る に値 ひ せ ぬも のと し て
蔑 覗 され て ゐた が、 近 松 の作 品現 れ る に至 つて、始 め て貴 人 も 手 に し た と叙 べて稱 讚 した 穗 積 以貫 の
評 言 は當 つ て ゐ る。 しか も 其 の文章 は、 三 味 線 音樂 に件 う て流 動 する 、 一種 の韻 律 を 具 へた微 妙 な行
文 で あり 、 ま た、 人 形 の動 き、 感 じを も考慮 に入 れ た劇 的舞 踊 的 な、甚 だ 特異 な 文鱧 を 見 せ て ゐ る。
更 に、 其 の詞 藻 の いか にを豊 富 な こと 、其 の千 變 萬 化 の整 う た美 觀 など 。 殊 に其 の用 語 の活 躍 、 展
し た情 趣 や 性格 に
開 の見 事 な こと は、 こ れを 他 の作 家 に較 べて、 同 じ 用語 で あ り な が らべ 斯 うま でも生 語 と死 語 の違 ひ 。
が ハッ キリ と見 え るも のかと 驚 嘆 せざ るを 得 な い。 特 に我 が口語 の持 つ、 生 き ー
目 を つけ て、 こ れ を 縱 横 に 驅 使 し た 活 識 に は 、 殆 ど 賞 讚 の 辭 を 知 ら な い。 初 め 創 耐 義 太 夫 時 代 に は 、
'
彼 の 藝 域 に 副 う て 、 音 樂 的 に 勝 れ た 詞 藁 を 練 り 出 し 、 後 の政 太 夫 と 組 ん で は 、 こ れ亦 、 其 の 藝 格 に 應
じ て 、 劇 的 内 容 味 に秀 で 陀 靈 筆 を 揮 ふ な ど 、 置ハに 活 殺 如 意 、 轉 變 自 在 、 詩 聖 の 名 に 愧 ち な い。 斯 う し た 譯 で 、 先 に 叙 べ る通 り 、 淨 瑠 璃 で は 、 其 の 代 表 的 な 義 太 夫 淨 瑠 璃 を 探 り 、 作 者 で は 叉 、 其
O
の 開 砠 で あ る 大 近 松 の詞 章 を 中 心 と し て 、 本 稿 を 進 め て行 く こ と と し 紀 。
或 る戯 作 者 は 歎 じ て 云 ふ、 萬 卷 の書 を 諳 ん す る よ り も 、 近 松 の淨 瑠 璃 百 册 讀 む に し か す と 。 ま 仁 、
紳 祗 釋 教 戀 無 常 、森 羅 萬 象 世 に あ り と あ ら ゆ る詞 藻 は 、止 つ て 近 松 淨 瑠 璃 の 一本 に 在 り な ど と 讚 歎 し て
ゐ る。 こ れ は 決 し て 誇 張 の言 で は な く 、 事 實 と し て肯 け る 。 苟 も 日 本 の 持 つ國 語 は 、 近 松 淨 瑠 璃 中 に
蒐 集 網 羅 さ れ て ゐ る と 云 つ て よ い。 修 辭 上 の あ ら ゆ る詞 態 も 、 其 の 曲 折 の美 妙 さ が 、.
遐 憾 なぐ 鹽 梅 さ
れ發 現 さ れ て ゐ る の で あ る 。 そ れ で は い つた い、 此 等 の 豊 富 な 語 彙 を 、彼 は 何 處 か ら 吸 收 し て 來 た か コ
そ れ に は 淨 瑠 璃 笛 の産 集 と 云 は れ る . 先 行 謠 ひ 物 語 り 物 宅 し て 瓢 先 づ謠 抽 、 舞 曲 聾 説 教 瓢 罕 曲 が 舉
げ ら れ る が 、 此 等 の影 響 は 、 近 松 初 期 時 代 の 作 品 に 殊 に顯 著 に 見 受 け ら れ る。 中 に も 謠 曲 は最 も 頻 繁
丶
,
に利 用 さ れ て 居 り 、 其 の 引 用 曲 目 だ け で も 、 松 風 、 熊 野 、 安 宅 外 、 七 八 十 種 に 上 つ て ゐ る。 笋 曲 、 幸
若 舞 の 舞 の 本 か ら も 幾 多 の出 據 を 數 へる こ と が 出 來 るコ 中 に も 義 經 物 (烏 帽 子 折 、 高 館 、 堀 川 夜 討 な
ど ) が多 數 に あ る 。 詭 教 か ら も 探 つ て ゐ る が 、 こ れ は 寧 ろ 淨 瑠 璃 節 の節 調 の方 に 影 響 率 が 高 いや う で
あ る 。 牛 曲 の ﹃牛 家 物 語 ﹄は 、 ﹁太 雫 記 ﹂や 鶚
、
源 牛 盛 衰 記 ﹄、 ﹃曾 我 物 語 ﹄、 隠
伊 勢 物 語 ﹂、 ﹁源 氏 物 語 ﹄な ど と
其 に盛 ん に 用 ひ ら れ、 近 松 が 青 年 時 代 の 愛 讀 書 、 驚
、
徒 然 草 ﹄は 一等 夥 多 し く 採 用 さ れ て ゐ る 。
漢 學 の 方 面 で は 、 ﹃論 語 ﹄が 常 用 さ れ て 居 り 、﹃詩 經 ﹂や 醤
,
和 漢 朗 詠 集 ﹄、﹃三 體 詩 ﹄な ど の詩 句 が 隨 所 に 見
え る。 歴 史 書 の類 で は 、筒
、
日 本 書 紀 ﹄、 ﹃古 事 記 ﹄其 の 他 。 和 歌 集 で は 、断 然 ﹃古 今 集 ﹄が 筆 頭 で あ ら う 。 佛
典 に 至 つ て は 馬天 台 、法 華 、置ハ
言 、淨 土 の 諸 宗 派 に 及 び 、あ ら ゆ る 故 事 、辭 句 を 引 用 し 、 經 典 で は 法 華 經 を
第 一に 、大 凡 百 餘 種 に 亙 つ て取 材 し て ゐ る 。そ れ ば か り か 、當 時 國 禁 の 切 支 丹 宗 を も 包 擁 し て 、其 の教 旨
の 文 字 さ へも 清 化 し て 使 う て ゐ る 。此 の 他 、古 諺 、格 言 、狂 晉詞 な ど も 巧 み に利 用 し 、功 果 を 上 げ て ゐ る 。
斯 う し た 無 數 の 語 彙 か ら 、 一句 一語 に つき 、 一々 に適 當 な 調 理 を 試 み 、一々 に 異つ た 味 を 持 た せ て 、
民 衆 の食 膳 に 上 し た の で あ る 。 世 を 舉 げ て此 の 山 海 の 珍 味 に 、 舌 鼓 打 つた の も 當 然 の こ と で あ る。
﹃國 性爺 合戰 ﹄ は、 近 松 時 代 曲 の第 一位 に屬 す る傑 作 で あ るが、 中 にも 三段 目 獅 子 ヶ城 の 口、 褸 門 の
段 は 、最 も詩 趣 に優 れπ 名 交 で、 日 本國 語 の美 く し さ の結 晶 と 云 つてよ い。 故 岡本 綺 堂 氏 も筆 を 投 げ
で 、 :: か う奪 ると、 南 北 も默 阿 彌 も あ つた も ので は な い、 一同 首 を つら ね て近 松 の後 塵 を 拜 さね ば
な らな い こと に相 成 るの で あ る。況 んや 我 々後 輩 に於 てを や で、 殘 念な がら致 方 が な い: : と歎 息 し
て ゐ る。 此 の樓門 の場 面 は、鄭 芝龍 老 一官 が、 日 本 で出 來 お後 妻 と、息 子 の和唐 内 を 連 れ て故 郷 の支
那 に渡 り、 先 妻 に生ま せた 娘錦 祚 女を 訪 ね て來 る條 であ る。其 の娘 は今 、 有 名 な 大將 五常 軍 甘 輝 の妻
女 と な つて ゐ る の であ.
る。
﹁聞 き し に優 る要害 は、 ま だ冴 え返 へる春 の夜 の、 霜 に閃 く軒 の瓦 、 鯱鉾 天 に鰭 振 り て、 石 壘 高 く築
と
き上 げ れり 、 濠 の水 藍 に似 て繩 を 引 く が如 く 、 末 は黄 河 に流 れ入 り 樓 門 堅 く鎖 ざ せり﹂ 水 に繞 ら さ れ
た異 國 の城 廓 が、 冴 え返 へる春 月 の下 に、 高 く 靜 か に聾 え立 つて ゐ る風景 が、 先 づ眼 前 にま ざく
、
展 開 さ れ て く る 。 錦 祚 女 は 城 門 の 上 か ら 、 老 衰 し た 父 の姿 を 、 鏡 面 と 月 光 と に 映 し 見 て 、 懐 舊 の涙 に ,
く れ なが ら、 縷 々と 其 の衷 情 を訴 へると こ ろ が、 文字 通 り錦 5
2繍 腸 の 至 文 で あ る。
梗 り を 聞 かん 知 邊 も なく 、束 の果 と 聞 く か ら に、 明く れ ば 朝 日 を父 ぞ と拜 み、 暮 るれ ば 世界 の圖 を開 き、
﹁・: ・扨 は誠 の父 上 か、 な う な つかし や 戀 し や 母 は 冥途 の苔 の下 、 日 本 と や らに 父 上 あ り と ば か り に て、
年 の夜 晝 は我 身 さ へ辛 かり し 、 よ う生 き て居 て 下 さ つて、 父 を拜 む 有 難 やと 、 聲 も惜 ま ぬ嬉 し泣 き 、 一官
世 の野 面 思 ひ絶 え、 若 し や冥 途 で逢 ふこ と も と、 死 な ぬ先 か ら來 世 を待 ち、 歎 き暮 ら し泣 き 明 かし ﹂ 二十
これ は唐 土 こ れ は 日本 、 父 は 爰 に ま し ま す よ と、 繪 圖 で は近 い や うな れ ど、 三 千餘 里 の あ なた と や、 此 の
は咽 せ返 り 、 樓 門 に縋 り つき 、 見 上 ぐ れ ば 見 下 ろ し て、 心餘 り て言 葉 な く 、 猫 き ぬ 涙ぞ 哀 れ な る ・: ・
L
此 の 文 辭 は 、 悉 く 生 き て 居 る 。 文 字 が 一字 一字 、 物 を 云 う て ゐ る の で は な いか と 云 ふ戚 じ が す る。
文 章 の裏 に 遣 懶 な い入 情 の聲 が 聞 こ え て 來 る 思 ひ が す る 。 雅 、 俗 、 韻 、 散 の 文 章 が 、 あ ざ や か に 料 理
鹽 梅 さ れ て 、 そ こ に 釀 し 出 さ れ る品 位 と 潤 ひ が 、 詩 と な り 繪 と な つ て 、 吾 人 の 戚 覺 に 美 し い眩 量 を 覺
え し め る の で あ る 。 國 語 の 徒 ら な 羅 列 で は 、 斷 じ て な い。
此 の世 の名 殘 、夜 も名 殘 、 死 に に 行 く身 を譬 ふれ ば 、 仇 し が原 の道 の 霜、 一足つ つに 淌 え て行 く 、夢 の夢
始 め て の 世 話 曲 (義 太 夫 箚 の) と 云 は れ る ﹃曾 根 崎 心 中 ﹄ の 道 行 も 、千 古 の名 文 と し て 有 名 で あ る 。
こ そあ はれ な れ、 あ れ 數 ふれ ば 曉 の、 七 ρの時 が 六 つ鳴 り て、 殘 る 一つが 今 生 の鐘 の響 き の聞 き を さ め。
こ \ぎ で讀 ん だ 大 儒 荻 生 徂 來 は 、 近 松 の 妙 こ 丶に 在 り 、 他 は 推 し て知 る 可 し と 、 戚 歎 久 し う し た と
云 ふ逸 話 が ←
43る。 今 、 ち よ つ と 念 頭 に 淨 か ん で く る 名 文 を 、 斷 片 的 に 並 べ立 て て 見 る と 、 ﹃冥 途 飛 脚 ﹂
の茶│
屋︽
場のに︾、 公 金 の 封 を 破 つた 忠 兵 衞 を 悲 し む 梅 川 が ﹁な さ け な や 忠 兵 衞 樣 、 な せ 其 のや う に の ぼ ら
と 、 涙 は井 出 の山吹 に露 置 き添 ふ る│如︽
くe
な︾
り﹂ の情 怨描 寫 の美 く し
ん す 、 そ も や 廓 へ、來 る 人 の 、 忙 と へ 持 丸 長 者 で も 、 金 に 詰 ま る は あ る 習 ひ L の 歎 き か ら 、 小 判 の 上 に
や
泣 き倒 れ る、﹁小 判 の上 に ハラー
曹
.
﹂や、駝
。
傾 城 反魂香 ﹄の亡靈 熊 野 詣 ﹁三熊 野 かげ ろ ふ姿 扇の凄 慘 な詩 趣篇 。臨
、
津 國 女 夫池﹄ の干疊 敷景 事
場 の大夢 幻 劇 の豪 華 文。 ﹃干 彖 女 護 島﹄ 鬼 界 が島 の海 女千 鳥 や 、庸
、
夕 霧何 波 鳴 波﹂ 吉田 蟻 、 夕 霧 太 夫 の
口諡 き の哀憐 。 ﹃心中 天網 島﹄ 川 庄 の治 兵 衞 の出 端 、 同 大 和 屋街 路 、 深 夜 の情 景 。﹃博多 小 女郎 浪 机 ﹄
下 の關 海 上。 ﹃女 殺 油 地獄﹄お 吉殺 し の至 文 な ど 、 其 の他 一々舉 げ る も煩 は し い。
更﹁
に、 時 代 曲 の道 行 や景 事 の 文藻 に至 つ ては 、作 者 の最 も凝 り に凝 つ忙 努力 の結 晶 で あ つて、 著 る
しく 音樂 美 、舞 踊美 に富 ん だ、 麗 文秀 藻 の集 大 成 で あ り、最 も 文學 的 の價 値 あ るも のであ る。 か く て
凡 そ日本語 に見 る至美 至 味 のあ り だ け は、 擧 げ て彼 の藥籠 中 に充 た されv
て ゐ る と 云 ふも 過 言 では あ る
ま い。
近松 はま た、 大 阪 の方 言 を基 準 とし て 、 各 地 の方言 を如 才 なく 採 り 入 れ、 民衆 藝 術 と し て の功 果 を
狙 つて ゐ る。 尤も 大 阪 の方言 と云 ふも、 實 は各 國 方 言 の混 合 で あ る場 合 が多 いの で、 稀 に は琉 球語 外
國 語 さ へ混 つ てゐ る。 それ は商業 都 市 と し て の本 質 上 、商 取 引 の密 接 な關係 か ら 、自 然 と各 地 の言 語
が融 け合 う て交流 し 、大 阪 語 か地 方 語 か 明 か に⋮
辨 別 で き な いも の さ へ生 れ て ゐる 。 そ れ に藏 屋 敷組 織
の影 響 か ら、 各國 各 藩 の武 士 と の接 觸 、 交 際 も頻 繁 度 を 増 す に從 ひ、自 ら武 士 の言 葉 が町 入 の言 葉 と
し て混 入 し、 町家 の言 葉 が武 家 の言 葉 に移 入 す るな ど の現 象 を 呈 した 。 そ れ が爲 め、 大 阪 方 言 も實 際
では、 各 地 方 言 の大 阪 化 し 忙 も のや 、 武 家 と 庶民 の混 淆 言 葉 で あ つた りす る も のも 尠 く はな か つセ。
近 松 は常 に此等 方言 を盛 んに 作 中 に利 用 し た か ら、 長 州 語 とか藝 州語 と か、 或 は薩 摩 、 長 崎 、會 津 、
四國 、紀 州 の方言 など の混 入 と な つた こと は當 然 で あ る が、 或 る人 は、 近 松 歔 曲 中 に描 か れ仁 と い ふ
中國 の方言 、 五百 餘 種 を指 摘 し て、 近 松 の中 國 出 生 論を 主張 し 紀 り、 叉 或 る人 は、 多 く 九 州語 を 用 ひ
て ゐ る點 を 上げ て、 九 州生 れ であ ると力 論 し て ゐ る のも 面 白 い。
一
そ れば かり でな く、武 家 の言葉 を 流 用 し 陀近 松 は、京 都 に永 住 、 三 槐 九卿 に仕 へ紀關係 か ら、 公 卿 の
言 葉 を も探 ケ 入 れ、 更 に農 民 、工 人 、 馬 方 、 博 徒 の言 葉 にま で及 ん で ゐる。 そし て此等 方 言 を適 材 適
所 に配 置 し、 汎 く詣 國 各層 の淨瑠 璃 愛 好 者 を し て、 親 し みを 持 だ せ るに役 立 た せた も のら し い。 落 語
子 、高 座 で 曰く 、淨瑠 璃 作 者 は、 淨 瑠 璃 を 山間 僻 地 にま で流 行 させ る爲 め、﹁堪 忍 し て陀 も 、 こら へて
た も﹂ と同 意義 の 二 つの言 葉 を 並 べて、 ど ち らか 一つ判 れ ばよ いと 云 ふ、 悧 口 な遣 り方 を 用 ひ て ゐ る
と、 方 言 利 用 の祕訣 を穿 つて ゐ る。
ま れ多岐 多 色 の歌謠 の類 を 活 用 し て、詞 の華 を 嘆 か せ て み る こと も、 淨 瑠 璃 文學 の 一大 特徴 と な つ
て ゐ る。 竝 に 其 の 種 目 だ け を 數 へて 見 て も 、 流 行 唄 、 小 唄 、 祭 文 、 音 頭 、 踊 歌 、 芝 居 唄 、 萬 才 、 相 S
山 、 歌 念 佛 の類 か ら 、 厄 拂 ひ 、 熊 野 比 丘 尼 の歌 、 田 植 歌 、 木 遣 歌 、 住 吉 踊 歌 、 地 藏 舞 歌 、三 味 線 唄 、勸
進 唄 、 鹿 島 く と ふ れ 、 等 々。 古 く は 催 馬 樂 、 朗 詠 、 隆 達 、 琴 唄 に 至 る ま で 、其 の 殆 ど を 網 羅 し て ゐ る 。
其 の 俗 謠 の 一部 の 如 き は 、 換 骨 奪 胎 の 妙 筆 に よ つ て 、 後 に は 全 く 本 文 と 渾 和 さ れ 、 其 の差 別 さ へ判 じ
難 く な り 、 俚 諺 の 如 き も 、 同 じ く 近 松 化 さ れ て 、 彼 の 創 作 と 誤 ま ら れ る ま で に 轉 化 さ れ て ゐ る。 他 に
近 松 の 造 語 ら し い も の も 相 當 に 見 受 け ら れ る 。 か の唐 人 語 の 如 き は 、 其 の 一例 で あ る 。
掛 け言葉 と か、 も ち り言 葉 と か、 線語 の發 展 も 見 る可 きも の があ り 、 六方 詞 、 洒落 詞 、 道 化詞 に も
獨 創 の輕 妙 さ を 見 せ 、 文 字 の 迹 か 讀 み 、 數 字 の 重 ね 讀 み な ど 、 國 語 の遊 歔 化 も 試 み 、 橋 づ く し 、 花 づ
くし 、 青 物 づく し の物盡 し、名 寄 せ物 に も國 語 の綾 と し ての美 辭 麗 藻 を 織 り込 ん で ゐ る。
斯 う し た 詞 藻 の複 雜 な多 面 多 趣 が 、 近 松 淨 瑠 璃 の 中 に 、 何 の 混 亂 も 葛 藤 も 見 せ す 、 渾 然 と 抱 擁 さ れ
て ゐ る こ と は . 奇 蹟 で なく て 何 で あ ら う 。
併 し 、 私 が こ 丶に 述 べよ う と期 す る も の は 、 實 の と こ ろ 、 斯 う し た 在 來 迸 説 の裏 打 ば か り で は な い
の で あ る 。 ・
'
我 が 日 本 國 は 瓢 一に 言 靈 幸 國 (こ と だ ま の さ き は ふ く に) と も . 言 靈 助 國 (こ と だ ま の 把 す く る く
に) と も 云 は れ て ゐ る が 、 要 す る に 我 國 の 言 語 に は 、 言 靈 (こ と だ ま ) と て 、 千 變 萬 化 の 種 々 相 を 現
は し、靈 妙 不思 議 な活 力 を 祕藏 す るも のと さ れ て ゐ る。古 代人 は、 實 際 、 言 葉 に靈 あ り と し、 し か も
其 の 靈 は 、 活 斗.
﹂て 移 動 す る も の だ ・
・
し堅 く 信 じ て疑 は な か つ た 。 そ の 言 葉 の 靈 能 こ そ 、 我 が 淨 瑠 璃 に 於
て、 今 爾 ほ 現 實 に 見 る こ と が 出 来 る の で あ る 。 本 來 固 著 し 把 文 字 に 、 刑 が 用 え て自 在 に 飛 翔 し 、 死 ん
だ 言 葉 に魂 が 宿 つ て 、 生 ぎ ! 丶 と 靈 動 す る、 斯 の淨 瑠 璃 言 葉 の 飛 躍 性 が 、 部 ち 言 靈 の再 現 で あ る 。
淨 瑠 璃 ほ ど 、 國 語 を 集 大 成 し の 自 由 に驅 使 し 、 其 の能 力 を 發 揮 さ せ た も の も 尠 か ら う 。 而 か も 其 の
國 語 能 力 を 更 に よ り 以 上 に、 靈 の 力 あ る も の と し 、 言 葉 に 魂 を 吹 き 込 み 、 一語 一語 を 生 か す 爲 め に 、
古 來 の 名 匠 作 家 π ち が 、 いか に 苦 惱 し 難 行 を 積 ん だ こ と か 。 言 ひ 換 へ る と 、 彼 等 は 終 始 常 住 、 言 葉 の
蓮 用 、 活 用 、 更 に 其 の 飛 躍 を 目 指 し て 、 血 み ど ろ の研 究 を 績 け て 來 π の だ と も 云 へる の で あ る 。
近 松 は ﹃難 波 土 産 ﹄ の 藝 術 觀 の う ち に
總 じ て淨 瑠璃 は 人形 に かく るを 第 一と す れ ば、 外 の草 紙 と違 ひ て、 文 句 皆 働 き を肝 要 とす る活 物 な り、 殊
に歌 舞 伎 の生身 の人 の藝 と芝 犀 の軒 を 並 べ て爲 す わざ な るに、│
正︽
根σ
な︾
き 木偶 に様 々の情 を持 た せ て、 見 物
の感 を 取 らん と す るこ とな れ ば、 大 かた に て は妙 作 と い ふに 到 り 難 し
淨瑠 璃 の言 葉 は、 他 の草紙 類 、歌 舞 伎 ど は異 り、 活 物 であ る可 き こと を 九 諡 し てゐ る。 彼 は此 の意
圖 の下 に 筆 を 執 り 、 し か も 立 振 に 成 功 し て ゐ る 。 近 松 の 作 品 を 正 し く 有 功 に 表 現 し た 竹 本 義 太 夫 は 、
其 の著 ﹃鸚⋮
鵡 ケ 杣 ﹂ に序 し て
に讀 み 、 ろ の字 はう にき は ま れ ど も、 善 悪 の階 級 は千 重萬 段、 心言 葉 の及 ぶと こ ろ にあ らず
-いろ はに ほ へと は、 尊 圓親 王 の御 筆 も、 七才 の太 郎 松 が書 け うも、 點 盡 に變 る こと な く、 いの字 は い の字
淨 瑠 璃 道 の 、 修 行 練 達 の 六 つ か し さ を 説 く と 同 時 に 、 其 の 言 葉 の 活 物 で あ つ て 運 用 の途 の 無 邊 な こ
と を 暗 示 し て ゐ る 。 淨 瑠 璃 の 言 葉 は 、 口 か ら 耳 へ訴 へる 國 語 、 聞 か せ る 國 語 で あ つ て 、 眼 に 見 る 國 語
讀 ま せ る國 語 で は な い。 そ こ に 特 色 が あ る と 同 時 に 、 苦 惱 の 深 甚 な も の が あ る 。 作 者 も 演 技 者 も 、 一
つ に な つ て、 其 の功 果 的 な 表 現 法 、 即 ち 發 聲 發 晋 の 方 面 に 、 鏡 意 研 鑽 の 手 を 伸 ば し た の は 、 自 然 の 數
で あ つた 。
淨 瑠 璃 の 言 葉 は 、 音 つ か ひ 、 言 ひ ま は し 、 は こ び な ど の 如 何 に 因 つ て 、 生 き も し 死 に も す る。﹁聲 は
に多 い。 私 の見 弛 も の には、 始 祗竹 本義 太 夫 の ﹃貞 享
男 女 老 若 賓 主 を 別 ち 得 べく 、 音 は自 然 と 喜 怒 哀 樂 を 表 は し 得 る﹂ と も 云 は れ て ゐ る 。 古 名 匠 お ち が 、
其 の音聲 や 語法 に つ いて の研究 ⋮
發表 は な かー
泗 年 口傳 書﹄、﹃竹 本 秘傳 丸﹄、 ﹃鸚 鵡 ケ杣﹄、 ﹃音 曲 修 行 傳﹄、 ﹃音 曲 口傳 書 ﹄、 ﹃浮 瑠 璃 秘 曲 抄﹄、﹃音 曲 道
智 論 ﹂、 ﹃音 曲 極 秘 卷 ﹄、 ﹃淨 瑠 璃 獨 稽 古 ﹂、 其 の 他 の類 書 で あ る。 -
此 等 の書 中 に は 、 淨 瑠 璃 各 段 の語 り 方 心 得 か ら 、 語 り 出 し 、 時 代 物 、 世 話 物 、 修 羅 、 物 語 、 う れ ひ
等 の言 葉 の 要 訣 を 示 し 、 其 の 他 、 詰 合 、 掛 合 、 艶 事 、 景 事 、 道 行 。 ま 元 は 、 位 あ る 入 、 大 將 、 遊 女 、
娘 、 子 供 、 老 人 、 女 房 、 手 負 、 醉 漢 な ど の 種 別 に鷹 じ て、 千 變 萬 化 の 、 言 葉 の 括 用 を 説 い て ゐ る 。 隨
つて 、│
言︽
葉のの︾緩 急 と か 、 高 低 と か 、 強 弱 、 輕 重 の運 用 。 五 鷺 開 口 の 變 化 に よ つ て 、 言 葉 の 生 動 、 多 色
多 彩 で あ る こ と を 教 へて ゐ る。 .
云 ふ ま で も な く 淨 瑠 璃 は 、 喜 怒 哀 樂 あ ら ゆ る 戚 情 を 、唯 々 三 寸 の 舌 頭 に由 つ て 活 現 す る藝 術 で あ り 、
且 ? 菅 曲 的 で あ る 可 き 本 質 上 、 そ の 所 期 逾 行 の爲 め に は 、 時 に 交 法 を 破 り 、 テ ニ ハに 拘 泥 せ す 、 詰 文
字 (有 るを な る と 詰 め る 類 )、假 名 割 (母 を は わ 、 女 を お う な )、塵 字 な ど の 音 便 も 必 要 と な つ て く る。
本 來 が音 曲 な れ ば語 ると ころ の長 短 は節 に あ れ ば、 作 者 は キ ッ チ リ字 詰 めて は 口に か エら ぬ な り、 故 に 我
文 句 に 、 テ ニ ハ多き は趣 致 な く 卑 し と 云 へり 、卻 ち 五 七 の字 配 り を合 はす│
故︽
詞霞
面︾
卑 し、 大 かた は調 へるが 、
近 松 も 云 つて ゐ る。
は テ ニ ハ少 し。
迸 松 が 、 いか に 言 葉 を 活 か す 爲 め に 、 ま π 耳 に訴 へる 藝 術 と し て の 、細 心 な 省 慮 を 知 る べ き・
で あ る。
ノ
古 來 の名 匠 が 、 こ の言 葉 の 活 用 、 言 葉 に 息 吹 く こ と に よ つ て 、 世 界 無 比 の淨 瑠 璃 藝 術 を 築 き 上 げ た
業 績 は、 日 本 藝 術 史 上 特 筆 す べ き も の だ と│
信︽
すドる
ド。
︾名 匠 の技 術 に よ つ て 生 命 づ け ら れ π 言 葉 は 、 國 語
は 生 々 躍 動 、 淨 璃 瑠 本 の 字 面 か ら 脱 け 出 し て 、 思 ふ が ま \に 戚情 の 世 界 を 物 語 つ て く れ る の で あ る。
以 下 數 々 列 擧 す る も の は 、 こ の靈 妙 な 言 葉 の 藝 術 の、 實 證 的 實 話 集 で あ る。
元 來 、 口 舌 で語 ら ね ば な ら ぬ 淨 瑠 璃 に 、 吃 り の男 を 登 場 さ せ た の は 、 近 松 の ﹃傾 城 反 魂 香 ﹂ の 吃 叉
雫 で あ る 。 こ の皮 肉 な難 役 を 引 受 け 忙 竹 本 義 太 夫 は 、 吃 の 霄 聲 を 、 い か に 工 夫 し て舞 毫 化 さ せ 仁 か 。
其 の傳 承 は 判 ら ぬ が 、 近 世 の亘 匠 三 世 竹 本 長 門 太 夫 の 、 ﹃吃 り 語 り や う の 傳 ﹂な る も のを 家 藏 す る が 、
吃 の晋 便 に就 て の 慘 憺 た る研 究 記 録 で あ る 。
ア イ ウ エオ ・: ・ロを開 き出 ろ息 な り 。
カ キ ク ケ コ: :此 の假 名 は喉 へか ふり、 引 く 息 よ り 出 るなの 。
ハヒ フ ヘホ : :右 に 同 じ、 但 し鼻 へか ムる。
マミ ムメ モ ・: ・
上 下 の唇 の先 より 出 す 。
タ チ ッ テ ト : :上 腮 に つけ て舌 を 離 す 。
サ シ スセ ソ ・: ・口を開 き齒 △
を噛 み 合 は す 。
ナ ニ ヌ、
矛ノ ・: ・
舌 先 に て吃 るな り 。
ラ リ ル レ ロ:: 舌 を捲 く 心 持 、 吃 る事 な し。
ヨ ユ ヤ ・: ・吃 ること な し。
此 の發 聲 法 に よ り 練 習 し て語 る と 、文 辭 は 明 瞭 、 し か も 吃 の言 葉 ら し く 戚 ぜ ら れ る と 云 ふ の で あ る 。
蟻
近 松 は叉 ﹃信 州 川 中 島 合 戰 ﹄ に 、 吃 の 女 を 描 い て ゐ る 。 言 葉 語 り の第 一入 者 で 、 入 情 至 上 主 義 の政 太
夫 が語 つた 。 更 に 發 音 に多 大 の 工 夫 を 凝 ら し 元 こ と と 想 像 す る 。
明 治 時 代 の E│
星︽
豊●
擇︾團 卆 が 、 姫 路 の 劇 場 で ﹃攝 州 合 邦 辻 ﹄ 合 邦 住 家 に 、 門 入 春 子 太 夫 (後 の大 隅 太
﹂ と絶 叫 す る。 こ の涙 に咽 び な
夫 ) の 三 味 線 を 彈 い把 時 の こ と 。 合 邦 の 誤 解 か ら 娘 の 玉 手 御 前 を 斬 つ 紀 が 、 後 に 正 道 な 本 6
4が 知 れ 、縛
疑 ひ は晴 れ忙 か と娘 に聞 か れ、萬 戚 極ま つた父 は ﹁オ イ ヤ ィノ丶 ー
が ら の 一語 の う ち に は 、 娘 へ の 謝 罪 と 、
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憐 愍 の情 と 、 悔 恨 の 心 な ど 、 複 雜 な 心 理 が 表 現 さ れ ね ば な ら
ぬ が 、 春 子 太 夫 の 言 葉 に 其 の 氣 持 が 出 て 來 な い。 團 李 は 試 錬 め 爲 め と 、 い つ ま で も 同 じ 所 を 繰 返 へす
の み で 次 を 彈 か な い。 春 子 は 幾 十 回 と ﹁オ イ ヤ ィ ノ 丶 ﹂ と 繰 返 へす う ち に、 放 5
3状 態 と な り 見 臺 へ顏
を 伏 せ て し ま う た 。 や が て樂 屋 で騷 ぎ 出 す 物 音 に 、 我 に還 つ た 春 子 は 、 や に は に ﹁オ イ ヤ イ﹂ と 眞 に
逼 る 一聲 、 團 干 は 一よ しL と ば か り 、 次 へ移 つ 紀 と い ふ。 オ イ ヤ イ と い ふ無 心 の 四 文 字 、 こ れ に 魂 を
欧 き 込 む 爲 め の 、 死 物 狂 ひ の 苦 行 で あ る。・
偽
、
假 名 手 本 忠 臣 藏 ﹄ 鹽 谷 判 官 切 腹 場 は 、 珍 し い沈 痛 の場 面 で 、 特 に 判 官 が 切 腹 し て の 言 葉 に は 、 多 く
の名 人 の 口 傳 が殘 つ て ゐ る 。 由 良 之 助 に 後 事 を 託 す る 最 期 の言 葉 は 、 斷 末 魔 の 一聲 で 、 痛 憤 の 極 、 呼
吸 も 亂 れ て ゐ る、 と 云 つ た 心 持 が 活 現 さ れね ば な ら ぬ 。 本 文 は ﹁由 良 之 助 、 此 の 九 寸 五分 は 汝 へか た
み、 我 が 鬱 憤 を 晴 ら さ せ よ ﹂ と 、 喉 院 刎 ね 切 つ て 倒 れ る 。 名 入 長 門 太 夫 は ﹁此 の 九 寸 五 分 は 汝 へか た
み﹂ を ﹁コ ヲ、 フ ス ン、 ゴ バ 、 ラ ンリ 、 へ、 カサ ・
、
こ と 語 り 、 ゴ バを 早 め に 輕 く 息 を 吐 く や う に 發 書
し 、 カサ ミを 、 カ 、 サ 、 ミ、 と 押 し 氣 味 に 斷 績 し て語 つ た 。 此 の表 現 か ら享 け 紀 耳 への 域 じ は 、 判 宮
六 つか し いが、 淨 瑠 璃 には そ れが甚 だ多 .
の舌 、 唇 が硬 直 し 、 い か に も 臨 終 の 人 ら し く 悲 痛 の 極 で あ つ た と 傳 へて ゐ る 。
O
腹 を 切 り、 又 は負傷 など した 人 の、 言 葉 の用法 は な かー
く 現 は れ てく る。中 に、 異 色 あ るも の と し て は、 俗 に ﹃薄 腹 ﹂ と い ふ 嘩
新 薄 雪 物語 ﹄ の、幸 崎 伊賀 守
と園 部 兵衞 の隱 し切腹 で あ らう。 此 の 二武 士 は各自 の子 女 の問 題 に關 し て、 双 方期 せ す し て秘 密 に切
腹 し紀 が、 そ れを 押 匿し て相 對 し、 互 に置ハ
意 を 探 り 合 ふ内 、 そ れ と判 つて果 は哄 笑 す ると い ふ筋 で、
痛 手 を包 ん で の大笑 ひ は、 日舌藝 術 と し て皮 肉 を 極 めた も の で あ る。 こ の言 葉 の練 達 法、
に は、 赤 貝 を
臍 の邊 に當 て 丶語 ると いふ秘傳 が あ る。 言 葉 す る毎 に赤 目ハ
が臍 に觸 り、自 然 と 手負 ひ ら し い音 聲 が出
るか ら で あ る。
﹃伊 賀 越 道 中 双 六 ﹄ 沼 津 の 驛 の段 、 荷 持 の 老 爺 手 作 が 、 稽 叢 の下 に し や が ん で、 煙 草 一服 、 憇 ん で ゐ
ま で參 り ま せ う か い、 申 し 旦 那 樣 ど う ぞ 持 た し イ
し下 さ り ま せ、 今 朝 か ら 一文 も 錢 の顏 を 見 ま せ ぬ 、 ど
/
る と 、 其 の 前 を 族 商 入 の 重 兵 衞 が 通 つ て 行 く 。そ れ と 見 忙 罕 作 は 駕 籠 を 勸 め る 。 門
,
旦 那 、 申 し 、 お泊 り
う ぞ お 慈 悲 にL と 、 此 く だ り を 語 る太 夫 の 心 構 へと し て は 、 罕 作 は 話 し か け な が ら、 先 づ 煙 管 を は た
いて、 ド ソ驢
コイ シ ヨと 老 の 腰 を 上 げ 、 ボ ツ ボ ッ 立 つ て 重 兵 衞 の 傍 に 來 て│懇︽
願 す
︾る。 斯 う し た 動 作 や 情
景 が此 の言 葉 の中 に現 れね ばな ら ぬの で あ る。 こ れ に つき 交樂 座人 形 遣 ひ の棟梁 吉 田榮 三 が、 明治 末
年 頃 五 世 竹 本 彌 太 夫 の 語 つ 忙 卒 作 に就 て の 懷 舊 談 が あ る。
﹁私 は其 の時 重 兵 衞 の役 で した が 、 手 作 が ﹃旦 那様 ど うぞ 持 た し て下 さ り ま せ、 今 朝 から 一丈 も 錢 の顏 を
見 ま せ ぬ : :﹄ と懇 願 す る、 此 の彌 太 夫 師 の言 葉 を 聞 いて ゐ ると 、 貧 乏 老爺 の憐 れ な情 愛 が 籠⋮つて ゐ て、
入 形 を使 ひ なが ら、 何 と た く氣 の毒 に な の 、 思 は ず雇 う て やれ 、 と い ふ氣 持 に な つた の は奇 妙 で した 。實
際 そ こに 本 物 の平 作 が 、 ヨチ /丶 歩い て來 た やう で 、 全く 人形 が 生身 の やう に 思 は れ ま した ﹂
と 言 葉 の 生 み出 す 不 思 議 な 靈 力 に 驚 い て ゐ る 。
﹃菅 原 傳 授 手 習 鑑 ﹂ 道 明 寺 の 段 の 菅 丞 相 と い ふ役 は 、 大 物 中 の隨 一
.で 、 あ ら ゆ る 淨 瑠 璃 人 物 中 に も 、
最 高 品 位 の權 化 と し て扱 は れ 、 人 形 部 屋 で も 昔 か ら 特 別 に 優 遏 す る慣、
例 に な つ て居 る。 入 間 に し て憩
で あ る と 云 ふや う な 觀 念 の下 に 、 太 夫 も 人 形 遣 ひ も 無 上 の 敬 意 を 拂 う て 來 た 。 隨 つ て 其 の 紳 格 表 現 に
は 、 太 夫 の 言 葉 に 並 ≧ な ら ぬ 研 究 が傾 控 さ れ て ゐ る。 菅 丞 相 が木 像 身 代 り の 靈 驗 を 物 語 る條 に ﹁
、・: ・
亘 勢 の 金 岡 が 書 いた る 馬 は 、 夜 な ノ 丶 出 で て 萩 の 戸 の 萩 を 喰 ひ﹂ と あ る。 名 匠 六 世 染 太 夫 は 、 こ の
﹁出 で て﹂ を 幅
、ん で て﹂ と 菅 で 語 う 、 ﹁萩 の 戸 の 萩 を 喰 ひ﹂を 、 ﹁く う ー ひ﹂と 引 い て語 つ 紀 の で 、 菅 公
の 品 格 が 一段 と 高 く 聞 か れ、 好 評 を 博 し 元 さ う で あ る 。 こ れ な ど は 、 言 葉 を 殺 し て、 更 に よ り 能 く 言
葉 を 活 か し 允 も の で あ る。
斯 う し.
た 、 言 葉 に就 て の 名 人 苦 心 談 は 、 數 へ切 れ ぬほ ど 豐 富 に あ る が 、 そ れ ま で は と 省 い て 遣 く 。
凡 そ 淨 瑠 璃 人 は 、 口 舌 を 唯 一の 武 器 と し て 、 國 語 の 性 能 を 極 度 に ま で 發 揮 し 、 而 か も そ れ を 生 々 躍
動 さ せ る 爲 め に 、 三 百 年 の 悪 戰 苦 鬪 を 續 け て 來 た と も 云 へる 。 所 一詮 淨 瑠 璃 國 語 の 特 質 は 、 徒 ら な 文 字
の羅 列 で は な く 、 其 文 字 の 裏 に 秘 め ら れ た 生 動 力 、 所 訓 言 靈 の 飛 躍 性 に あ る の で あ ら う 。
簫