川 島 芳 子 の 光 と 影

け ん
き
依田信夫 陸自・海自
川島芳子の光と影
ら
げ
す
お お
‌
ろ う お う
ほ
太 平 洋 戦 争 は諜 報 戦 で
思 えば遠 い回 り道 をしたも 身辺 にふれると口 が重 くな つ で も来 い ! 」 う す笑 い
のです。いま、その分 を取 った。多 くは語 りたがらな を浮 かべて芳子 は吼 えた。
こ び
り返 そうとこの身 のつづく い。彼 我 の陸 海 軍 参 謀 を
限 り、日中友好親善 のため 手玉 に取 り、媚 を売 って狙 負 けた。負 けた日本 はいま
に奉仕 しているのです」と われるようになった芳子 の でもスパイ天国 である。情
開口一番 、顕琦 さんは熱 っ 生 きざま──どこか違和 を 報 の垂 れ流 しは一国 をも滅
さ ま
お
ひ い
「芳 子 姉 は、私 の こ と を であり淫婦 であり、反逆者 ていた間諜 、川島芳子 ──
い え
下種 の勘繰 りではなかった が会 ったときは御年 歳 の 『チビ』と呼 んで、まるで父 以外 の何 ものでもない。歴 誰 も手 が出 せなかった。
や ま
年
月 の あ る朝 、 年 の牢獄 くらし、さらに
芳子 が銃殺 の刑 に処 せら
れてざっと 年 、いま妹 の
名 な川島芳子 が来 たという にもどれる。やい死神 、い ではないか。
した」
と、苦笑 を
習慣 を覚 えるために随分 と 腹 を割 って話 せる友 が大勢 「私 は日 本 の学 校 (学 習 だけで学校中 が
大騒 ぎになりま
昭和
院 )を出 たというだけで
た。 敵 国 ・ 日 本 の 言 葉 と た。なぜか相州 ・相模 には 美貌 の持 ち主 だった。
争 の さ中 に日 本 へ留 学 し 山 の見 える厚木 を常宿 とし い。信 じ難 いほどの知性 と 嫌 でたまりません。あの有 通 の邸 の日本娘 、川島芳子 王朝 の危惧 を感 じていたの
ご高齢 だった。老媼 とは申 親 のような振舞 で学校 へ来 史 を切 り刻 んだナゾの女 の
顕琦 さんは滅 びゆく王家 か。
妹 の顕琦 とて、年 の離 れ
の生 き残 りとして、日中戦
来日 すると顕琦 さんは大 せ、お姫様 の血筋 は争 えな るのです。私 はそれが嫌 で 正体 は終 わった。やっと普 たこの姉 の女丈夫 ぶりには
る。
った本当 に悲 しい物語 であ た。間諜疑惑 など、まさに 芳子 の妹 が顕琦 さんで、私
るが、これはお隣 の国 にあ 和 の懸 け橋 になることだっ 島 芳 子 で あ っ た。 つ ま り、 白亜 の殿堂 を駆 けめぐる。 ミ)の眼 に映 える僕 は妖婦 て双方 から軍資金 をせしめ
命 だったのかとびっくりす だ一 つ、日本 と中国 との平 そ男装 の麗人 と呼 ばれた川 様 のフィルムは、遠 い日 の った。やっぱり彼 ら(マスコ 日本 と中国 のはざまにあっ
れ い じ ん
ん が亡 く な っ た。 エ エ ッ、 よ う に北 京 郊 外 に日 本 語 輪 、狂 い咲 きにも似 た末期 を引 っかけ、すらりと形 の 「 フ ン、最 後 ま で誰 も僕 らない日 はなかった。暗殺
そんな高貴 なお方 がまだ存 学校 を設立 する。目的 はた で あ っ た。 そ う、 こ の人 こ よ い脚 線 美 を見 せ た御 姫 (芳子 )の実態 をつかめなか の向 こ う に暗 殺 が あ っ た。
中国清朝 、最後 の王女 と 釈放 された顕琦 さんは、そ まったその顔 は妖 しいまで ぽく語 った。藍色 のワンピ 感 じ て い た の で は な い か。 ぼ す か ら恐 ろ し い。当 時 、
い わ れ た愛 新 覚 羅 顕 琦 さ のうっ憤 を爆発 させるかの に彩 を放 っていた。大花一 ースに純白 のカーディガン 芳子 は獄中 で自嘲 した。
上 海 の街 角 で は銃 声 の鳴
あ い し ん か く
山形地本酒田地域事務所は古くなっ
シンガポール 海 軍フリゲート艦 艇
た募集看板を一新するに伴い、新看板
「イントレピッド」が8月20日から25日
のデザインを募集したところ5点の応募
の間、横須賀港に入港するに伴い、護
があり、私立酒田南高校1年生の中村豊
衛艦「ゆうだち」をホストシップとして
君のデザインを採用し、7月末に設置。 派出すると共に各種交換行事を実施。
顕琦 さんが逝 った。 歳 と
げて、天上 にいます姉 の許
いう長 い長 い戦後 を引 っ下
へ──ああ、昭和 も遠 くな
りつつある。
れ る〟と言 っ て も、流動 す る戦場 の
〝 戦 闘 危 険 地 域 の外 で あ れ ば許 さ
す ね。
も、強力 な テ ロ へ の対処 は困難 で
行使 の で き な い自衛隊 が参加 し て
賛成 し た カ ナ ダ は多国籍軍 へ の参
態 に な る と、撤退 す る技術者集団
務 で す。戦闘地域 と認 め ら れ る状
〝施設部隊=工兵〟の任
築 するのが
排除 し な が ら身 を挺 し て陣地 を構
⋮⋮。
│─﹁自衛隊 に よ る米軍 へ の武
予測 は つ け難 い で す ね。
〝米英 の狙 い は、 イ ラ ク の
大量破壊兵器 が テ ロ リ ス ト へ流出
の護衛 に当 た れ ば安全。私人 の権
公海上 な ら ば、自衛権 の行
使 に問題 が生 じ な い。 し か し、独
す る こ と の防止 だ っ た〟 と称 さ れ
なら
﹁武装警備会社員﹂が民間企業
│─武器 を使用 し、戦場 の敵 を
器 弾・薬 燃・料 な ど の補給支援﹂は、 加 を拒否 し て い ま す。外国 で武力
立国 の領土 領・海 領・空 に は そ の国
能 に な る の で効果的 じ ゃ あ り ま せ
﹁緊急避難﹂の銃撃 が可
利 に基 づ く
ん か。
の主権 が存在 す る。武力行使 に直
許 さ れ る も の じ ゃ な い⋮⋮。
待 で き る も の だ⋮⋮。
集団安保体制 は、有力 な軍
隊 が、多数参加 す る ほ ど効果 を期
結 す る支援活動 は、他国 の領域 で
│─日米安保条約 で は、集団的
自衛権 の行使 に つ い て﹁憲法上 の
││ 〝日本軍隊︵ ア ー ム ド・ フ
義 勇 軍 の給 養・ 装 備 等 す
ま せ ん ね。
﹁日本義勇軍﹂を提供 す る し か あ り
・
そ れ は、国連 が指揮 監督権 を持 つ
交 戦 権 を行 使 で き る方 法 は一 つ。
﹁憲法違反﹂と言 わ れ ず に
る な ら、
ォ ー ス︶
〟の参加 が国際的要望 で あ
規定 に従 う﹂ こ と が明記 さ れ て い
・
〝日本 極
ま す。米軍 の行動目的 は
東 の平和 安・全維持〟で す か ら、﹁中
東地域=西 ア ジ ア﹂ を加 え て﹁ ア
ジ ア大陸全域﹂ ま で拡大 す る の は
無理。日米安保 の武力行使 は﹁東
ア ジ ア﹂に限 ら れ る べ き で し ょ う。
そ れ よ り遠 く は、国連集団安保体
構成員 は、自衛官 か ら希望者 を出
て い る。一国 の元首 を処刑 し て独
向 さ せ る と し て も、自衛官 の身分
制 に協力 す る ほ か あ り ま せ ん よ。
﹁民主政権﹂を樹立
裁政権 を打倒。
を維持 し な い と、人事・給与 厚生
べ て の支援 は、自衛隊 が負担 す る。
イ ラ ク に存在 す る﹁大量破
﹁武力行動 に
壊兵器検証﹂の た め、
し た こ と で、目的 は達 せ ら れ た も
よ る調査﹂ を行 う国連決議案 は否
の の、 テ ロ リ ス ト が﹁ イ ス ラ ム国﹂ 面 で、本人 と そ の家族 の将来 が保
を形 成 し て内 戦 状 態 と な っ て は、 障 さ れ な く な っ て し ま う。適切 な
・
主唱 の多国籍軍 が イ ラ ク へ侵攻 し
決 さ れ て い る。 そ れ な の に、米英
イ ラ ク政府 の要請 が あ っ て も地上
計画 の配慮 が望 ま し い よ。
│─﹁大量破壊兵器﹂はNATO
た⋮⋮。
︵信天翁︶
大東亜戦争戦没者と人間魚雷「回天」の山形県戦没
者
(3柱)
の御霊祭りが「海の日」の7月21日、湯殿山神
社大鳥居近くの錨地蔵尊において憂国碑錨地蔵尊奉
賛会主催で行われ、御家族や海自OB等約50人が参列。
本錨地蔵尊は同会が1997年に建立、平和の礎となった
英霊の勇魂が船の安全を保つ「錨」と同じという趣旨。
部 隊 の派 遣 は で き な く な っ た
空自航空安全管理隊
(立川)
教育研究部長・吉廣1佐
以下15名は8月6日、群馬県上野村の
「御巣鷹の尾根」
で
現地訓練を実施。
日航機事故の概要を事前に学習し、
急
峻な登り道をたどりながら当時の状況に思いをはせ、
墜落現場で慰霊を行った全員は、航空事故の社会的影
響の大きさを実感し、無事故への誓いを新たにした。
に と っ て脅威 で し ょ う が、決議 に
潜水艦
「せとしお」
ま さ ひ と
海 上 自 衛 隊 は 8 月20日 か ら24日 の 間、
沖縄周辺海域において米海軍と対潜特別
訓 練 を 実 施し た。海自は 護 衛 艦1隻、潜
水艦1隻、航空機数機、米海軍は駆逐艦2
隻、補給艦1隻、潜水艦1隻、航空機数機で
訓 練。本 訓 練は昭 和32年 度から実 施して
おり、今回で125回目となる。また潜水艦
「せとしお」
(第2潜水隊群、定係港:横須
賀、艦長・古田将 仁2佐以下約90名)は8
月22日横須賀を出港し、9月中旬から10月
下旬までハワイ方面に滞在し、平成26年度
第1回米国派遣訓練(潜水艦)を実施。本
訓練は米海軍の訓練施設を利用して諸訓
練を実施し戦術技量の向上を図ることが
目的。横須賀への帰国は11月22日の予定。
8月の災害派遣は2日に那覇市で101不
発弾処理隊が不発弾処理を、以降は大雨に
よる活 動。5日に北 海 道 留 萌 郡 で26普 連
が水防活動
(20名)
、6日から8日の間、山口
県内2カ所 で17普 連 が 住 民 避 難 支 援・行
方 不 明 者 捜 索( 延 べ220名・48両 )
、10日
から14日の 間、高 知 県 内2カ 所 で50普 連
が 給 水 支 援( 延 べ130名・80両 )
、17日 に
兵庫県丹波市で8高群が行方不明者捜索
(20名・5両)
、同日京都府福知山市で7普
連が人命救助(40名・15両)
。現在、広島市
で13旅団主 力が 行 方不明者を捜索中。ま
た海自第4航空群が13日から15日の間、南
鳥島沖においてP ─ 3C延べ5機で調査捕鯨
船 か ら 転 落 し た 行 方 不 明 者 捜 索 を 実 施。
陸自西方普通 科連隊 等の約40名は
6月22日から8月6日の間、オアフ島等に
おいて実施された米海軍主催のRIMP
AC2014に参加し、水陸両用作戦能力
及び日米相互運用性の向上を図った。
70
7普連による人命救助
看板をデザインした中村君
95
苦労 をされた。しかも、戦 いたからである。
争 が終 わ っ て新 中 国 建 国
され、 年間 の臭 い飯 を食 獄 でひとりの女囚 が銃殺 の れ、やっと釈放 されました。 し て く れ た。 だ
(厚木、83歳の頃)
(5月26日ご逝去、95歳)
事故現場に向かう急峻な参拝道
各部隊・地方協力本部等 からのご 投
稿をお待ちしています。明るい(明度
の高い)写真、話題性ある写真で、サ
イズの大きいものをお願いします。
南スーダン派遣施設隊は7月19日、
CCC孤 児 院 を 昨 年12月の 情 勢 悪 化 以
降、約半年振りに訪問。今回は女性隊
員が主力の慰問。自己紹介や折り紙
などでコミュニケーションを図った。
ら
か
南
8月3日、千歳基地航空祭が開催され
6万2000人の観客が訪れた。あいにく
の海 霧のためフライト展 示はブ ル ー
インパルスの他はUH ─ 60Jの救難展示
と米 空 軍のF ─16のデモフライトのみ。
記念の楯を授与された北防群ヨサコイ
マリアナ沖海上慰霊祭(8.14)
後 、ラチもない理由 で投獄 北 平 の宣 武 門 外 に あ る監 年 間 の強 制 労 働 を強 い ら 交 えてこうも話
き
け ん
7 15
向こう
横丁
50普連による給水活動
83
年 の空 白 と は一 体 、 がナゼか顕琦 さ
22
ら
3
う こ と に な る。秋 霜 烈 日 、 刑 に処 された。弾丸 は前頭 私 の
あ け
愛新覚羅顕琦さん
あ い し ん か く
23
対潜爆弾投下訓練を行う海自P ─ 3C哨戒機
表彰される中奥事務官(中央左)
スパイ容疑 の晴 れないまま 部 より右頬 を貫 き、朱 に染 何 で あ っ た の で し ょ う? ん は、 こ の姉 の
22
17普連による行方不明者捜索
101不発弾処理隊長による
対策本部での説明
オアフ島カネオヘ・ベイ海兵隊
基地におけるボート訓練
航空自衛隊は8月1日、幹部学校に4
個室からなる航空研究センターを新
設。今後、航空防衛力の知的基盤の中
枢として各種事態に的確に対応し得
る航空防衛力の整備及び研究を実施。
北から
O
B
海自第71航空隊(岩国、厚木)は
7月8日、宮 城 県 金 華 山 沖「 第31日光
丸」乗組員の救急患者を救難飛行艇
US ─ 2で 厚 木 基 地 に 輸 送 し た こ と を
もって「救難出動等1000回」を達成。
三 沢 基 地 准 曹 会 と35空 軍TOPⅢの 協 賛 に よ る
平成26年度日米下士官交流会が6月14日、三沢基地
クラブで陸海空自衛隊員118名、米空軍260名が出
席し盛大に行われた。会の後半で3空団監理部の
中奥事務官が米軍下士官兵に「三沢基地と自衛隊」
についての教育を昨年から45回実施した功績によ
りサプライズ表彰された。また北防群による「よ
さこい」が披露され、日米の隊員が懇親を図った。
豪州ダーウィン周辺海域で豪州海軍主催による
14カ国参加の多国間海上共同訓練(カカドゥ 14)
に、海自護衛艦部隊は8月11日から9月30日まで、海
自 航 空 部 隊 は8月25日 か ら9月16日 ま で の 間 参 加
中。参加護衛艦は「はたかぜ」
(横須賀、艦長・梅崎
時彦1佐以下乗員180名)と第22飛行隊のP ─ 3C×2
機(厚木基地、隊長・山本貴文2佐以下40名)であ
り、対空戦、対潜戦、対水上戦、戦術運動等を訓練。
8月20日、局地的集中豪雨により広島市安佐南・
北両区で土砂災害が発生。6時30分、広島県知事か
ら陸自第13旅団長に人命救助に係る災害派遣要請
があり、第13旅団
(海田市)
を主力に海自呉造修補給
所と共に行方不明者捜索を実施中。その派遣規模
は8月末現在で、人員約800名(延べ約9340名)
、車
両約180両
(延べ約2110両)
、航空機2機
(延べ52機)
、
警備犬2頭であり、24日からは入浴支援も実施中。
725 号
第
隊 友
平 成 26 年(2014 年)9 月 15 日
(3)