京都御苑歴史ふれあいの道 マップ

京都御苑歴史ふれあいの道
平成 23年 3 月
京都御苑管理事務所
■はじめに
京都御苑内に点在する歴史の舞台のあとをたどる道です。
平安から幕末、明治までの歴史の遺産や、このあたりにあったと想
像される場所に駒札(こまふだ)型の案内板 20 基を立てました。
日本語のほか、中国語(簡体字)、ハングル、英語で説明していま
す。
このうち 18 基には、解説板の手前に小さな凹凸がついた台がつい
ています。そこにA4の紙(自宅からお持ちください)をあてて上か
ら鉛筆などでこすると絵の一部がでてきます。駒札ごとに絵の一部が
でてくる場所は違い、全部を集めると一つの絵が完成します。
絵は四季ごとに替わります。
こま ふだ
■駒 札 の場所
かんいんの みやていあと
閑 院 宮 邸 跡 (光格天皇出身宮家)
か やの みや ていあと
賀 陽 宮 邸 跡 (孝 明天皇信任の親王)
でみず の おがわ
出水 の 小川 (昭和新設の親水広場)
さ い お ん じていあ と
西園寺 邸 跡 (九清華家)
び わ どの あと
枇杷 殿 跡 (一条天皇の里内裏ともなる)
しみずたに け
むく
清水谷 家 の椋 (雄大な大木)
さ る が つじ
猿 が 辻 (魔よけの猿)
あがた い
縣 井 (一條家跡)
はしも と け あ と
橋本 家 跡 (皇女和宮誕生の家)
がくしゅういん あ と
学 習 院 跡 (仁孝・孝明天皇在位中の建設)
さかいまち ご も ん
こ の え てい あと
近衞 邸 跡 (糸桜の名庭)
中 山 邸 跡 (明治天皇の産屋が現存)
土御門 邸 跡 (藤原道長邸跡)
桜 町 (紀貫之邸跡)
蛤 御門 (幕末激戦地)
なかやまていあ と
つ ち み か どていあ と
さくらまち
はまぐり ご も ん
はくらんかい あと
ぎょう か ど うあ と
凝 華 洞 跡 (仙洞御所の一つ)
たかつかさてい あと
博覧会 跡 (明治の常設会場) 鷹 司 邸 跡 (五摂家)
堺 町 御門 (幕末激戦地)
くじょう てい あと
九 條 邸 跡 (優美な茶室が遺る)
■参考
( 出典 )
「 京都 の 歴 史 1 」京 都 市 史 編さ ん 所 、 「 平 安 時代 史 事 典 」角 田 文衞 監 修 、 「 源 氏 物語 の 風 景 」朧 谷 寿 、
「 平安 京 提 要 」 古代 学 協 会 ・古 代 学 研 究 所、 「 明 治維 新 と 京 都」 小 林 丈 広 、 「 幕末 の 天 皇 」藤 田 覚 、
「 京都 史 蹟 第 九 号 」(財)京 都 史蹟 会 、 「 京 都 御所 仙 洞 御 所 」京 都 新聞 社 、 「 百 二 十 五代 の 天 皇 と皇 后 」秋 田 書 店 、
「 京都 御 所 仙 洞 御所 」 京 都 新聞 出 版 セ ン ター 、 「 御 所 物 語」 中 川登 史 宏 、 「維 新 の 京 洛」 田 中 雅 夫 、
「 幕末 ・ 京 大 阪 歴 史 の 旅 」松 浦 玲 、 「宮 家 の 時 代」 鹿 島 茂 、 「 近 代 天 皇制 と 古 都 」高 木 博 志 、
「 新撰 京 都 名 所 圖會 」 竹 村 俊則 、
「 日本 の 美 術」、 「歴 史 の中 の 皇 女 た ち」 服 藤 早 苗、
「 京都 源 氏 物 語 地図 」 社 団 法人 紫 式 部 顕 彰会 、 「 皇族 ・ 華 族 古写 真 帖 」 新 人物 往 来 社 、 「 H 12 京 都 御苑 」、
「 十跡 十 木 」 京 都御 苑 事 務 所、 「 京 都 御苑 ニ ュ ー ス」、 「 閑 院宮 邸 パ ン フ レッ ト 」
「 京都 市 上 京 区 ホー ム ペ ー ジ」、 「 平 安 神 宮 ホー ム ペ ー ジ」、
「 京都 市 歴 史 資 料館 ホ ー ム ペー ジ 」 ほ か
( 協力 )
重 本晋 平 李 偉 金 炳 辰 西田 万 里 子 似田 貝 諭 白雲 神 社 ほ か
( 編集 )
小 沢晴 司 中 西 甚五 郎 大 塚雅 一 足 立 恭子