『メタフュシカ』第37号 - 大阪大学文学部・大学院文学研究科 - Osaka

第
号
大阪大学大学院文学研究科哲学講座
年 月
目 次
《論文》
知を共有するとはどういうことか… …………………………………………………入江 幸男 ( 1 )
存在論における日常性の役割… ………………………………………………………中橋 誠 ( 17 )
言説的な実践としての「省察」による自己主体化… ………………………………津崎 良典 ( 29 )
──フーコー『主体の解釈学』講義から出発して──
複合実体と「エコー」 ──〈実体的紐帯〉を巡る一考察…………………………山口 裕人 ( 41 )
意志の哲学から場所の哲学へ… ………………………………………………………田中 潤一 ( 55 )
超越論的なものの世間化… ……………………………………………………………前田 直哉 ( 69 )
ミル「危害原理」の射程… ……………………………………………………………樫本 直樹 ( 81 )
──個人の自律の可能性としての自発性──
《書評》
ダニエル・F・チャンブリス『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』……大北 全俊 ( 95 )
(Daniel F. Chambliss: Beyond Caring: hospital, nurses, and the social organization of ethics,
University of Chicago Press, 1996)
《文献紹介》
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他 ………………………………平野一比古 (103)
(Jakub Čapek: Les apories de la liberté bergsonienne,
in: Annales Bergsoniennes II, P.U.F., 2004)
クリステン・ブラウン『ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──』… ……生島 弘子 (109)
(Kristen Brown: Nietzsche and Embodiment: Discerning Bodies and Non-dualism,
State University of New York Press, 2006)
《翻訳》
ニクラス・ルーマン『「人格」という形式』… ……………………………………… 前田 秀明 (115)
(Niklas Luhmann, Soziologische Aufklärung, Bd. 6:
Die Soziologie und der Mensch, 2 Aufl., Wiesbaden, 2005)
【彙報】………………………………………………………………………………………………… (129)
【編集後記】…………………………………………………………………………………………… (132)
Contents
Theses
What’s Going on, When We Share Knowledge?… ………………………… Yukio Irie ( 1 )
Die Rolle der Alltäglichkeit in der Ontologie……………………… Makoto Nakahashi ( 17 )
Auto-subjectivation du soi et méditation comme exercice discursif…… Yoshinori Tsuzaki ( 29 )
—autour de L’herméneutique du sujet de Michel Foucault—
Composed Substance and ‘Echo’… ……………………………… Hirohito Yamaguchi ( 41 )
—The consideration on the vinculum substantiale—
From Philosophy of Will to Philosophy of “Place”… ………………… Junichi Tanaka ( 55 )
—Concerning Nishida Philosophy of his Middle Age—
Die Mundanisierung des Transzendentalen… ………………………… Naoya Maeda ( 69 )
The Range of Mill’s Harm Principle… ……………………………… Naoki Kashimoto ( 81 )
—Spontaneity as the possibility of individual autonomy—
Book Reviews
Jakub Čapek: Les apories de la liberté bergsonienne………………… Kazuhiko Hirano (103)
Daniel F. Chambliss: Beyond Caring:
hospital, nurses, and the social organization of ethics… …………… Taketoshi Okita ( 95 )
Kristen Brown: Nietzsche and Embodiment:
Discerning Bodies and Non-dualism………………………………… Hiroko Ikushima (109)
Translation
Niklas Luhmann: Soziologische Aufklärung, Bd. 6:
Die Soziologie und der Mensch… ……………………………………… Hideaki Maeda (115)
DEPARTMENT OF PHILOSOPHY, GRADUATE SCHOOL OF LETTERS, OSAKA UNIVERSITY
OSAKA, JAPAN
知を共有するとはどういうことか
知を共有するとはどういうことか
入江幸男
我々が「知を共有する」と語るとき、その表現は曖昧で多義的である。後で詳しく説明するが、
ある場合にはそれは単なる「共通知識」を意味しており、他の場合には「共有知」を意味してい
る。本論の扱う問題は、この「共有知」をどのように理解するかである。多くの論者は、これを
個人の知(あるいは信念、想定、予期など)に還元して説明する。しかし、それは本当に可能な
のだろうか。むしろ、個人の知に還元されないような「我々の知」を想定する必要があるのでは
ないだろうか。この考えは、従来の認識論の常識に反するかもしれないが、本論でその可能性を
追究したい。
1、「共通知識」と「共有知」
(1)「共通知識」の定義
まず「共通知識」を定義しよう。次の二つが成立している場合を、p は a さんと b さんの「共
通知識」であると言うことにする。
(1.1)a は p を知っている。
(1.2)b は p を知っている。
例えば、a も b も、p「ブータンの首都がティンプーである」を知っている場合である。この場合
に、さらに、a がそのことを知っていることを、b が知っていることもあれば、知っていないこ
ともある。どちらであっても(1.1)と(1.2)が成り立っていれば、
「共通知識」であると呼ぶこ
とにしよう。
拙論「相互知識はいかにして可能か」では、相互知識と共有知を区別し、共有知の存在を前提した上で、相互知
識が成立する仕方についての分類整理、問題点の検討を行った。そこで論じた、共通知識と相互知識と共有知の
区別は今も重要だと考えている。しかし、そこでの共有知の説明は曖昧で不十分だった。そこで、本論ではこの
共有知の分析を行いたい。グライス、ストローソン、シファーの相互知識めぐる議論については、拙論「メタコ
ミュニケーションのパラドクス(2)」、『大阪樟蔭女子大学論集』第 31 号、1994 年、143-160 頁、の参照を乞う。
相互知識と共有知の区別については、拙論「相互知識はいかにして可能か」
『アルケー』関西哲学会発行、2004 年、
54-67 頁、の参照を乞う。
--
知を共有するとはどういうことか
ここで更に次のことが成立しているとしよう。
(1.3)a は(1.1)と(1.2)を知っている。
(1.4)b は(1.1)と(1.2)を知っている。
このとき(1.1)と(1.2)が a と b の共通知識である。もちろん、ここにおいて p もまた a と b
の共通知識である。上の(1.1) ~ (1.4)を次のように書くことが出来る。
(2.1)p は a と b の共通知識である。
(2.2)(2.1)は a と b の共通知識である。
場合によってこのような操作をさらに繰り返すことが出来る場合もあるだろうが、しかし、共通
知識であるときには、その繰り返しが常に可能であるとは限らない。
(2)「共有知」の例示とルイスによる定義
さてここで、もう一度最初から考えてみよう。a が b に「ブータンの首都はティンプーですか」
と問い、b が「そうだよ」と答えたとき、a も b も p「ブータンの首都はティンプーである」を
知っているだけではなく、p が a と b の共通知識であることも、a と b にとって自明である。さ
らに、この自明であることも、a と b にとって自明であるだろう。この場合には、必要に応じて
何度でもこのような反復を行うことが出来るだろう。この場合に、p を a と b の「共有知」と呼
ぶことにしたい。
このような共有知についての議論の先駆けの一つは、D. ルイスによるものである。彼が挙げ
ている例は、次のようなものである。
「あなたと私が会い、私達は一緒に話をする。しかし、あなたは我々のビジネスが終わる前
に去らなければならない。そこで、あなたは、あなたが明日同じ場所に戻ってくる、と言う。
このようなケースを想像してみよう。明らかに、私はあなたが戻ってくることを期待するだ
ろう。また、あなたは私が戻ってくることを期待するだろう。あなたが戻ってくることを私
が期待することをあなたが期待することを私は期待するだろう。ひょっとすると、
さらに一、
二階高次の期待があるかもしれない。」
ここでは、「あなたが明日同じ場所に戻ってくると私が期待する」ということが、二人の人物の
共有知になっている。このような共有知を、ルイスは一般的に次のように定義する。
「<……が、集団 P における共有知である>のは、<次のような事態 A が成り立っている>
ときそのときに限る。
(1)P の全ての人が、A が成り立っていると信じる理由をもつ。
(2)A が、P の全ての人に、P の全ての人が A が成り立っていると信じる理由をもつこと
D. Lewis, Convention: A Philosophical Study, Harvard UP. 1969, p.52.
--
知を共有するとはどういうことか
を示している。
(3)A が、P の全ての人に、……を示している。
」
ちなみに 「A はある人 x に……を示している、というのは、<もし x が A が成り立っていると
信じる理由をもつのならば、そのために x は……を信じる理由をもつ>という場合その場合に限
る。」 と定義されている。これで解かるように、ルイスは、共有知を個人の信念に還元して説明
している。
ルイスがここで「共有知」と呼んでいる知について、シファーは「相互知識」という名前を与
えて少し異なる定義をしている。また、そのシファーの定義を批判して、スペルベル & ウィル
ソンは、
「相互に明白な想定」という名前を与えて別の定義をしている。また、トゥオメラは、
「相
互信念」という名前を与えて別の定義をしている。しかし、彼らに共通するのは、彼らが共通の
知識や想定や信念を、個人の知識や想定や信念によって説明するということである。中山康雄の
「集団的志向性」の定義もまた、おそらく集団的志向性を個人的志向性によって説明する立場だ
ろうと思われる。しかし、共有知を個人の知に還元して、個人の知から出発して共有知を構成す
ることは、本当に可能なのだろうか。
これに対して J. R. サールは、集団的志向性を個人的志向性に還元することは不可能であると
主張し、
「集団的志向性は、生物学的に原初的な現象である」と主張する。私は、
集団的志向性は
「生
物学的に原初的な現象」というよりも、むしろ言語的に原初的な現象だと考える。なぜなら、
我々
の知や知覚は、感覚の理論負荷性を考えても解かるように言語の習得に依存しており、この言語
の習得は集団に依存しているからである。しかし、これが個人的志向性に還元できない「原初的
現象」であるという指摘には賛成したい。
以下では、まず共有知を個人の知に還元することの不可能性を指摘し、次に、個人を越えた知、
という奇妙かもしれない考えの可能性について検討したい。
2、我々は共通知識の成立をどのようにして知りうるのか
p が共有知であるときには、それは同時に共通知識でもあるので、共有知が成立するためには、
共通知識が成立しなければならない。では、我々は共通知識の成立をどのようにして知りうるの
だろうか。「共通知識」が成立しているといえるためには、次の問題に答えなくてはならない。
上の例で説明しよう。
(1.1)a は p を知っている。
Ibid., p. 56.
Ibid., pp.52-53.
S. Schiffer, Meaning, Oxford UP, 1972, Sperber & Wilson, Relevance, Blackwell, 1986, R. Tuomela, The Philosophy of
Social Practices. Cambridge UP. 2003. 中山康雄『共同性の現代哲学』勁草書房、2004 年。
J. R. Searle, The Construction of Social Reality, The Free Press. 1995, p. 24.
しかし、サールは、ヘーゲルの世界精神のようなものが存在するとも考えない。むしろ、第三の道をとるのである。
このサールの主張については、本論では扱えないので、他の論者の定義の検討とあわせて、別の機会に考察したい。
--
知を共有するとはどういうことか
(1.2)b は p を知っている。
この二つが成り立つとき、「p は a と b の共通知識である」と言うことにした。では、この二つ
が成り立つことを誰がどのようにして知ることが出来るのだろうか。もし第三者 c がそれを知る
ならば、第三者 c が「p は a と b の共通知識である」と語ることになる。もし a が、
(1)と(2)を知
るのならば、a は「p は a と b の共通知識である」と語ることが出来る。以下では、後者の a が
それを知る場合について考えてみよう(以下で述べる困難は c が知る場合も同様である)
。
このとき、a は、
(1.2)b が p を知っている、ということをどのようにして知り得るのだろうか。
例えば、p が「ブータンの首都はティンプーである」だとしよう。a が b に「ブータンの首都を
知っていますか」と尋ねて、b が「はい、ティンプーです」と答えたならば、a は b が p を知っ
ていることを知ることができる。つまり、この段階で、a は p が a と b の共通知識であることを
知っている。
しかし、厳密に考えるのならば、a は、「ブータンの首都はティンプーである」という命題を b
が a と同じ意味で理解していることを知る必要がある。では、このことを a はどうやって知りう
るのだろうか。この命題を同じ内容で理解していることは、日常生活では、自明なことと見なさ
れているだろう。むしろ、この命題の異なる理解を想像することの方が困難であるかもしれない。
しかし、知はあくまでも個人の知であるという立場に立つならば、a が< b が「ブータンの首
都はティンプーである」と知っていること>を知っているとき、< b が「ブータンの首都はティ
ンプーである」と知っていること>は、a の知であり、この中の「ブータンの首都はティンプー
である」もまた b の知に関する a の知である。b の知そのものを a は知ることが出来ない。
・
・
・
・
この立場では、知の共通性というものは、あくまでも個人が想定するものである。この立場で
は、b の知の内容のみならず、更に b が知をもつことや、b が a と同じようなものとして存在す
ることもまた、a の想定に留まることになるだろう。この立場を「認識論的独我論」と呼ぶこと
にしよう。この立場に立って同時に、存在の上でも私しかいないという「存在論的独我論」を採
るのであれば、立場としては整合的であろう。しかし、もし認識論的独我論の立場で、複数の自
我の存在を認めるとすると、それは主張として整合的なのだろうか。この問題を次に検討しよう。
3、認識論的独我論と存在論的複数自我論は両立不可能である
(1)科学的に考えて、認識論的独我論と存在論的複数自我論は両立可能か ?
現在の科学は、他者との対話においては私の脳が考え発話している、と考える。目や耳などの
感覚器官をとおして、相手の声や動きの刺激をうけとり、それを脳で処理して知覚し、それを脳
で言葉として解釈して、意味を理解し、・・・。このような説明において、知はあくまでも個別
の脳の中に存在するものであり、一つの知を他者と共有するということは、不可能である。
ところで、科学者 S がこのように説明するとき、この説明そのものもまた、彼の脳のなかの
知であることを彼は認めるだろう。しかし同時に、S は上の説明を客観的事実だと考えている。
つまり、S は、p < S が他者 A と対話していることは客観的事実であるが、それについての S の
知は S の脳の中の出来事である。そして、この S の脳の中の出来事は、S が他者 A と対話して
--
知を共有するとはどういうことか
いるのと同様の客観的事実である>と考えている。しかし、この p という知もまた S の脳の中
の出来事である。これは、以下同様に繰り返されるだろう。
「人間のあらゆる意識や知は、脳の中の作用あるいはその随伴現象としてのみ成立している」
と考えるとき、この考え自体もまた、このように考える者の脳の中に成立している。科学者が、
他の人もまた自分と同じように脳の中で考えていると考えるとき、彼はそれをどのように証明で
きるのだろうか。彼が証明を思いついたとしても、その証明は彼の脳の中にある。彼は、脳から
外に出てゆけない。
少し話を戻すと、科学者は、すべての意識や知が脳の作用ないし作用の随伴現象であるという
ことを、どのようにして証明できるのだろうか。彼が、近未来の磁気共鳴装置をもちいて、被験
者の思考(の報告)と脳の作用の対応関係を反復実証可能な形で確定できたとしよう。被験者が、
「人間のあらゆる意識や知は、脳の中の作用あるいはその随伴随現象として成立している」と考
えたときに、脳がどのように作用するか、を科学者は予測することができ、またその予測が検証
されたとしよう。脳学者のテーゼが正しいとすると、彼のこの検証作業もまた、彼の脳の中にあ
るに過ぎないことになる。脳科学においては、おそらくそのような証明で十分だろう。しかし、
哲学としては、テーゼ「人間のあらゆる意識や知は、脳の中の作用あるいはその付随現象として
のみ成立している」のその証明は無効であるように思われる。もちろん、もしテーゼの証明が原
理的に不可能であるとしても、テーゼが真である可能性は残る。その可能性をさらに立ち入って
批判するために、現象学の立場について考えてみよう。
(2)現象学への批判
フッサールが言うように、世界や対象や他者を構成的に総合する超越論的自我が複数存在して
いるのだと仮定してみよう。この立場をかりに、
「超越論的複数自我論」と呼ぶことにしよう。
しかし、他者が超越論的自我であるとしても、それは私にとってそのように構成されるに過ぎ
ない。つまり<超越論的自我が複数存在している>ということもまた、超越論的自我である私に
よる構成である。従って、この後者の超越論的自我こそが、実在する超越論的自我である。他者
達である超越論的複数自我は、私が構成したものにすぎないと言う立場を「超越論的独我論」と
呼ぶことにしよう。フッサールは、彼の立場が「超越論的独我論」であるという批判に反論して、
(彼の用語ではないが)「超越論的複数自我論」の立場をとろうとしている。
しかし、フッサールの立場からするならば、これらの複数の超越論的自我が存在することもま
た、超越論的自我によって構成された事実に過ぎないはずである。そうするとやはり「超越論的
独我論」になってしまうのではないだろうか。もちろん、更にこのような超越論自我が複数存在
すると想定することは可能である。そうすると、同様のことが無限に反復することになる。この
無限の反復は、超越論的複数自我論と超越論的独我論の間を揺れ続けることを意味するだろう。
この二つの立場の間を揺れ続けることは、生き方としてはありうる態度だろう。しかし、それ
フッサール『デカルト的省察』§62。
--
知を共有するとはどういうことか
は理論的な立場としては成立しないだろう。なぜなら、もし私がこの揺れ続けることを一つの立
場として採用するとき、その立場を採用するのは私であり、その立場はまたしても私の想定に過
ぎず、メタレベルで独我論に戻ってしまうからである。ここで私が独我論をとるまいとするなら
ば、私は私の外部に、私と同様に動揺している他者を想定することになるだろう。しかし、また
してもこの想定が、私の想定に過ぎないことを自覚することになる。こうしてまた揺れ続けるこ
とになる。つまり、揺れ続けることは一つの理論的な立場にはなりえないのである。
もし我々が、超越論的独我論を採用せず、また<超越論的複数自我論と超越論的独我論との間
を揺れ続ける立場>も採用しないとすると、フッサール現象学とは別の仕方で複数の自我の存在
を主張しなければならない。以上から、我々は、認識論的独我論と存在論的複数自我論は両立し
得ないと結論できるだろう。
ここで言いたいことを明確にするために、別の言葉で表現してみよう。もし全ての志向性が個
人の心の中にあるのだとすると、我々は、集団的志向性を、個人的志向性に還元して説明しなけ
ればならないだろう。しかし、実はそれだけにとどまらない。もし全ての志向性が個人の心の中
にあるのだとすると、この考え自体もまた、ある個人の心の中にあるのである。そして、その者
は、自分と同じように考えている心が複数あると想定することが出来るが、しかし、その想定も
また彼の心の中の志向性にすぎないのである。つまり、
全ての志向性が個人の志向性だとすると、
つねに独我論に舞い戻ってしまい、志向性を持った諸個人が存在するという想定、つまり個人的
志向性から集団的志向性を構成すること自体が、個人の想定になってしまうのである。以上の議
論が正しければ、<全ての志向性は個人の志向性であるから、個人的志向性から集団的志向性を
構成する>という主張は、自己論駁的なのである。
では、どのようにして我々は複数の自我の存在を想定したり、知ったり、主張したりできるの
だろうか。もしその想定や知や主張が個人によって行われるのだとすると、我々はまた認識論的
な独我論に舞い戻ってしまのだから、これを避けるには、<その想定や知や主張は、個人によっ
て行われるのではなくて、個人を超えたものである>と考えるしかないのではなかろうか。この
可能性を、以下で検討してみよう。
4、対象の共有と記述の共有
(1)我々は同一の花瓶を見ているのではないのか。
ここで、知覚について考えてみよう。我々は、知覚を他者と共有することは出来ないだろう。
しかし、我々は同一の花瓶を見ているのではないのか。仮に、a と b が一つの部屋におり、一つ
の机に向かい合って座っており、その机の上には一つの花瓶があるとしよう。日常生活では、
人々
は通常は、一つの対象の異なる知覚像もっているとは考えず、同一の花瓶そのものを見ていると
考えているだろう。このとき、a と b は、同一の花瓶そのものを見ている。彼らは、花瓶を別の
角度から見ていることは知っている。彼らは通常は、花瓶そのものでなく、花瓶の知覚像だけが
与えられているのだとは考えていない。ただし、反省すれば、a と b は、花瓶そのものを見てい
るのではなくて、花瓶の知覚像だけが与えられているということに同意するだろう。
--
知を共有するとはどういうことか
ところで、a と b が同一の花瓶の異なる知覚像をもっていることを反省したときにも、それは、
同一の花瓶の異なる知覚像なのである。a と b は、そこに一つの花瓶があって共にそれを知覚し
ていると考えている、つまり a と b が同一の花瓶を知覚していると考えている。では、彼らがそ
のように考えることは、どのようにして可能になるのだろうか。
そのような考えがどのように発生するのかを説明するものではないが、発生したそのような考
えを保持し確証することは、a と b が同一の花瓶を知覚していることについて a と b が同意する
ことによって可能になっている。なぜなら、もし a がこの同意を期待していたのに、b が「私が
見ているのは花瓶ではなくて机です」とか「私には机の上に何も見えません」などと言って、同
意が得られなかったならば、a は、b が同一の花瓶を知覚していることを疑い始めるだろう。し
たがって、知覚対象の共有は、言語による世界記述の共有を必要条件として前提している。
(2)言語による世界記述の共有は、どのようにして可能になるのか
では、言語による世界記述の共有は、どのようにして可能になるのだろうか。予想される一つ
の答えは、<一つの花瓶を複数の人が知覚するように、一つの命題を複数の人が理解する>とい
う答えである。例えば、フレーゲは命題の意味としての思想が客観的に存在すると考えていた。
しかし、このように考えても問題は解決しない。例えば、
「5 + 7 = 12」を a と b が理解するとき、
フレーゲならば、a と b は共に客観的に存在する一つの思想を考えていると言うだろう。しかし
その場合、a と b はその客観的な思想をどのようにして理解するのだろうか。何か神秘的な理解
が可能だとして、a や b がその客観的な思想を正しく理解していることは、どのようにして保証
されるのだろうか。また、a は、b もまた自分と同じようにその客観的な思想を正しく理解して
いることをどうやって知ることが出来るのだろうか。
これらは、実際には、その命題について、a と b が議論することによって、命題の意味の理解
が一致していることを確認することによるしかないだろう。しかし、そうだとすると、それを確
実に確認することは不可能である。そのとき、理解の一致は a の個人的な想定に過ぎないことに
なるだろう。
もし我々が言語による世界記述を共有していると確実に言えるのだとすれば、我々は知のあり
様を別様に考えなければならない。a と b がある知を共有するといえるためには、a と b が共に
その一つの知を知るのでなければならない。これは確かにこれまでの認識論の常識に反する主張
である。そして、以下でそのような知の存在証明が十分にできたとは言えないのだが、その候補
となる一つの実例を示したい。
Frege, Kleine Schriften, Hrsg. von Ignacio Angelelli, Georg Olms, Hildesheim, 1967. フレーゲ「思想」(『フレーゲ哲学
論集』藤村龍雄訳、岩波書店、1988 年、所収)
--
知を共有するとはどういうことか
5、「我々」の実践的知識と共有知
(1)「実践的知識」の説明
アンスコムが指摘したように、「何をしているの」と問われたならば、我々は即座に答えるこ
とが出来る。そのような行為の中には、さらに「なぜそうするのか」と問われて、即座に答えら
れる行為がある。この後者の行為は、通常「意図的行為」と呼ばれているものである。アンスコ
ムは、意図的行為を、「意図」という曖昧な概念を用いずに、定義する方法として、上のような
基準を考えたのである。ところで、「何をしているの」と問われて、例えば即座に「私はコーヒ
ーを淹れています」と答えるときのこの答えを、アンスコムは「実践的知識」と呼ぶ。彼女によ
れば、これらの知識は観察によらない知識である。そして、付け加えるならば、推論にもよらな
い知識である。
実践的知識が観察によらないということを、どのようにして証明できるだろうか。観察による
とは、感性的直観に基づく、と言うことであろう。確かに、私が何をしているかを知るために、
私の手足を見ることはない。しかし、私の手足の位置を感じて、判断しているということはない
だろうか。おそらくそのようなことはないだろう。なぜなら、
私の手足の位置を感じたとしても、
それだけでは私がコーヒーを淹れていることは解からないからである。では、内観についてはど
うだろうか。私が、コーヒーを淹れようという意図を持っており、そのことを内観によって知り、
その内観に基づいて、答えるということはないだろうか。この可能性を否定する方法はいくつか
ありうるだろうが、その一つを以下に示そう。
ところで実践的知識を、アンスコムは即座に答えられる知識だと述べている。
「即座に」とい
う表現は、短時間で答えるということだけでなく、推論によらずに答えるということを含意して
いたのではないかと思われる。もし実践的知識が、推論による知識ないし内観に基づく知識であ
るとすると、実践的知識は「私」が指示している話し手についての記述であることになるだろう。
したがって、もし実践的知識が、その話し手の行為についての記述でないのだとすれば、それが
(内観を含む)観察による知識や推論による知識なのではないことになる。
(念のために述べてお
きたいが、ここで検討している推論は、「何をしているのか」と問われて答えるための推論であ
って、「なぜそうするのか」と問われて答えるときの「実践的推論」とは異なる。
)
ところで、実践的知識には真理値がある。たとえば、
「私はコーヒーを淹れています」と答え
たときに、実際にはココアの粉を入れているかもしれない。しかし、このようなときにも、アン
スコムはテオフラストスの言葉を引いて「間違いは行為にあって、判断にはない」 と言う。次
10
の引用にあるように、実践的知識は、行為を記述するのではなくて、それによって行為が可能に
なるものであり、行為の構成的な要素の一部なのである。
「生起している出来事を自分の意志の実現として記述できるのは、自分が今為していること
10
G. E. M. Anscombe, Intention, Oxford, Basil Blackwell, 1957. アンスコム『インテンション』菅豊彦訳、産業図書、
1984 年、157 頁。
--
知を共有するとはどういうことか
を行為者が知っているからである。」
11
「実践的知識なくしては、生じてくるものは──意志の実現という──記述の下に入りえな
いのであり、この記述の特性を我々は今まで考察してきたのである。そして、もし我々が行
為を構成する要素的な部分に、またそこでの挫折にのみ目を向けているかぎり、意志の実現
という記述の特性は、それがなくともその記述は同じであるような出来事の単に付加的な性
質と思われてしまうのである。」
12
アンスコムが実践的知識を「記述」として述べている箇所があるいはあるかもしれないが、少
なくとも上の引用のなかの「記述」は「実践的知識が行為の記述である」という意味で使われて
いるのではない。むしろ、ここでは実践的知識は対象構成的であるという点で、通常の記述や知
識と異なっていることが指摘されている。
行為の構成要素の一部であるという実践的知識のこの特徴は、オースティンのいう「行為遂行
型発話」の特徴に少し似ている。行為遂行型発話では、例えば、
「私がコーヒーを淹れます」と
いう約束の発話によって、約束が成立する。これとよく似て、
「私はコーヒーを淹れている」と
いう実践的知識の発話(多くの場合には内言)によって、私の振る舞いは意図的行為になる。行
為遂行型発話は、話し手についての記述ではないので真 / 偽の区別を持たず、適 / 不適の区別を
持つものである。ただし、行為遂行型発話の中でも、宣言の発話は特殊であり、真 / 偽の区別を
持ちうる。例えば、ある人に「有罪」と宣言することによって、彼は有罪になるのであるが、そ
の宣言が間違っていることもあり得るだろう。この点で、実践的知識の発話は、行為遂行型発話
の中でもとりわけ宣言の発話に似ているように思われる。
(ただし、実践的知識と言語行為との
関係をどのように考えるかという問題は、発語内行為の分類をどのように考えるかという問題と
結びついており、より詳しく検討する必要がある。
)
(2)「我々の実践的知識」について
ところで、「何をしているの」と問われて「私はチェスをしています」と答えることがあるの
と同様に、「君たちは何をしているの」と問われて、
「我々はチェスをしています」と答えるとき
があるだろう。この場合にも、我々は「私はチェスをしています」という実践的知識の場合と同
様に、即座に答えることができる。つまり、
「我々」
を主語とする実践的知識もあるように思われる。
これに対しては次の反論が考えられる。「我々はチェスをしています」という返答を発話して
いるのは、一人の人間である。つまり、ここでは<我々>が答えているのではなくて、一人の人
間が、<我々>が行っていることを記述しているのである。
この反論に対しては次のように答えたい。これが実践的知識であるとするならば、これは<我
々>についての記述ではない。もし「私はチェスをしています」という答は記述でなくて、
「我々
同書、166 頁。
同書、167 頁。
11
12
--
知を共有するとはどういうことか
がチェスをしています」という答えは記述であるとすれば、両者の間には非常に大きな質的な区
別があることになるが、そのような大きな差異があるようには思えないのである。これを証明す
るための手がかりとして、ウィトゲンシュタインによる、
「私」の「客観としての用法」と「主
観としての用法」の区別を想起してほしい。
「「私」という語の用法には、二つの違ったものがあり、
「客観としての用法」
「主観としての
用法」、とでも呼べるものがある。第一の種類の用法の例としては、
「私の腕は折れている」
「私
は 6 インチ伸びた」「私は額にこぶがある」「風が私の髪を吹き散らす」など。第二の種類の
例は、「私はこれこれを見る」「私はこれこれを聞く」
「私は私の腕を上げようとする」
「雨が
来ると私は思う」「私は歯が痛い」など。次のように言うことで、この二つのカテゴリーの
間の相違を示すこともできる。第一のカテゴリーの場合は、
特定の人間の認知が入っており、
したがって誤りの可能性がある、というよりむしろ、誤りの可能性が用意されていると私は
言いたい。[……]それに対して、私が歯が痛いというときには人間の認知は問題にならない。
「痛みを感じているのは、君だってことは確かか」と尋ねることはばかげている。なぜなら、
誤りが不可能なこの場合、誤り、つまり「悪い差し手」とあるいは考えられるかもしれない
差し手は実は、もともとこのゲームの差し手などではないからだ。
」
13
客観としての用法とは、話し手が観察によって自己について客観的に記述する場合であるのに
対して、主観としての用法は、話し手について記述しているのではない。この用法の例の中には、
アンスコムのいう実践的知識に当たるものは含まれていない。 しかし、我々は実践的知識もま
14
た主観としての用法に含まれると言えるだろう。
「痛みを感じているのは、君だってことは確か
か」と尋ねることが馬鹿げているのと同様に、
「コーヒーを淹れているのが君だってことは確かか」
と尋ねることは馬鹿げており、ここでも人間の認知は問題にならないからである。
さて、我々は、ウィトゲンシュタインが「私」の用法を二つに分けたのと同様に、
「我々」の
用法を二つに分けられるだろう。客観としての用法は、例えば、
「我々は、新しいユニフォーム
を着ている」「我々は、強いチームである」がそれである。ここでは、人間達ないし集団の同定
が行われている。これらの発言には、誤りの可能性があるといえる。主観としての用法の例と
しては、「我々はサッカーをしている」「我々は構内放送を聞いている」
「雨が来ると我々は思う」
「我々は、困っている」などを、上げることができるだろう。この場合、例えば「サッカーをし
ているのが君たちだというのは確かか」と尋ねることは馬鹿げているように思われる。つまり、
集団の同定は問題にならないように思われる。なぜなら、集団を指示してそれについて記述して
いるのではなくて、この発話によって「我々」が作られていると考えられるからである。つまり、
13
ウィトゲンシュタイン『青色本』大森庄蔵訳(『ウィトゲンシュタイン全集』第 6 巻、大修館書店、1975 年、所収)
120 頁。
14
菅豊彦が、ウィトゲンシュタインの「私」の主観としての用法の例と、アンスコムの実践的知識のずれについて
指摘している。菅豊彦著『心を世界に繋ぎとめる』勁草書房、1998 年、118-121 頁を参照。
- 10 -
知を共有するとはどういうことか
「我々はサッカーをしている」が主観としての用法だとすると、それは話し手による「我々」に
ついての記述ではないのである。
「我々はチェスをしています」という知が、「我々の実践的知識」であり、話し手による 「我
々」 についての記述ではないとすると、この知は個人の知ではなく、
「我々」の共有知である。
(「我々」の主観としての用法の他の事例も、我々の共有知であると言えそうであるが、その検討
は別の機会にしたい。)
a さんと b さんが、「君たちは何をしているの」と問われて、a さんが「我々はチェスをしてい
ます」と答えるとき、この返答が実践的知識であるとしよう。ここで a と b が「我々はチェスを
しています」という一つの知を分け持っているのだとすると、a は、
「我々」を代表してこの問
いに答えているのだと考えられる。
「我々」は代表されることによって成立するのだと考えられる。
このように考えるとき、実は「私」を主語とする実践的知識でも、発話者が、ある人物「私」を
代表していると考えることが出来る。この人物はあらかじめ存在していて指示されるのではなく
て、代表されるべき「私」は、代表されることによって、成立するのである。つまり、
「私」の
成立の仕方と「我々」の成立の仕方は同じである。
(3)「我々の実践的知識」の背景知
ところで、他の知と同様に、実践的知識もまた、他の多くの知識とともに作る網目(web)の
なかで成立している。我々が実践的知識に注目するときには、網目を作るその他の知識を「実践
的知識の背景知」と呼ぶことが出来るだろう。「私はコーヒーを淹れています」は、
「これはコ
ーヒーの粉である」「ここにお湯がある」「私はコーヒーを淹れることが出来る」
「私は存在する」
などの背景知を伴っている。
これと同様に「我々の実践的知識」もまた、背景知をもつだろう。
「僕達はサッカーをしてい
ます」は、「あれがゴールポストである」「これがサッカーボールである」
「ここは運動場である」
「我々は存在する」などの背景知を伴う。そして「我々の実践的知識」が共有知であるとすれば、
これらの背景知もまた共有知である。
例えば今仮に、
「君たちは何をしているのか」と問われて「僕達は野球をしています」と答え、
「君
は何をしているのか」と問われて、「ぼくはレフトを守っています」と答え、
「彼は何をしている
のか」と問われて、「彼はセンターを守っています」と答えるとしよう。ここで、
「僕達は野球を
しています」は「僕達」の実践的知識であり、「僕はレフトを守っています」は「僕」の実践的
知識である。この二つが、実践的知識であり、観察によらない知識であるとき、
「彼はセンター
を守っています」もまた観察によらない知識であるだろう。それだけでなく、
「僕達が野球をし
ている」が「僕達」の共有知であるのならば、「僕がレフトを守っており、彼がセンターを守っ
ている」もまた、「僕達」の共有知である。つまり、
「僕はレフトを守っています」
「彼はセンタ
ーを守っています」は「僕達」の共有知である。ここに共有知の拡張の可能性がある。
- 11 -
知を共有するとはどういうことか
6、問答の必然性と共有知
私が p を知っているとすると、大抵の場合、私は「私が p を知っている」ことを知っており、
またこのこと自身をも私は知っている。個人の自己意識の場合、このような反復は必要に応じて
何度でも可能である。最初に挙げた「共有知」の事例で示したように、共有知もまたこれと同様
の特徴を持っている。もし p が a と b の共有知であるならば、
「a と b が p を知っている」こと
を a と b は知っており、このこと自身をまた a と b が知っている。そしてこのような反復は、必
要に応じて何度でも可能である。
では、我々はこの共有知の反復をどのようにして説明できるのだろうか。もしこのようなメタ
レベルの知の反復が内観や反省を必要とするのであれば、
「我々」
による内観や反省が必要になる。
そのためには、個人を越えた大きな主体を想定することが必要になるだろう。このことが、個人
の知に還元不可能な共有知を考えることに対する反論の一つであろう。しかし、我々はメタレベ
ルの知の反復を説明するために、内観や反省を行なう大きな主体を想定する必要はない。我々は
それを以下のような問答関係の分析によって説明できるからである。
(1)自己意識と問答の必然性
夜、バス停で降りて、家まで歩く。そのとき、ふと空を見上げると満月が見える。
「あっ、
満月だ。
どおりで、少し明るいな」と思う。このとき、「満月だ」は知として意識されているのではない。
そのときの私の関心は、月に向かっており、月を見ている私に向かっているのではないからであ
る。「満月が出ている」が知として意識されているとしたら、
「私は、
「満月が出ている」と知っ
ている」と思っているということになる。
しかし、このように知を意識していないとき、私が「満月が出ている」ことを知らないのかと
いえば、そうではないだろう。なぜなら、もしそのとき「あなたは、満月が出ていることを知っ
ていますか」と問われたならば、私は即座に「もちろん、知っています」と答えるだろう。私は
このとき何に基づいてこのように答えるのだろうか。おそらく、それは内観や反省に基づくので
はないだろう。このように問われたときに、私の答えは、次の二つの中の一つである。
(1)「はい、私は満月が出ていることを知っています」
(2)「いいえ、私は満月が出ていることを知りません」
私は、満月をみて「満月だ」と内言したのであるから、(2) で答えることは、
「満月が出ている。
しかし、私は満月が出ていることを知らない。」と内言することになる。これは不条理(矛盾に
似たもの)である。ゆえに、この場合に私が (1) を答えることは、必然的である。
より一般的に考えてみよう。A さんが「p」という。そのとき、B さんが、
「あなたは、p を知
っていますか」と問われたとするとき、A さんの答えは、常に、
(3)「はい、私は p を知っています」
となる。なぜなら、もしそうでないなら、
(4)「いいえ、私は p を知りませんでした」
となるが、このように答えることは、
- 12 -
知を共有するとはどういうことか
(5)「p。しかし私は p を知りません」
と発言することになるからである。これはいわゆるムーアのパラドクスに似たものであり、不条
理(矛盾に似たもの)だと思われる。(厳密に言うと、
「ムーアのパラドクス」と呼ばれているの
は、「p。しかし私は p を信じない」という形式の発話であり、上の発話とは少し異なる。
)
この (3) について、さらに「あなたは、あなたが p を知っていることを、知っていますか」と
問われたならば、またしても上の場合と同じような事情によって、
(6)「はい、私は、私が p を知っていることを知っています」
と答えることになるだろう。つまり個人の自己意識の無限の反復の可能性は、このように問答に
おける不条理を避けるための必然性として説明することが出来る。この反復は、内観や反省など
の人間の認識能力にもとづく経験的事実でも、超越論的事実でもなく、問答における論理的関係
から説明できる事柄なのである。
(2)共有知と問答の必然性
これと同様のことが、一人称複数形についても妥当する。例えば、ある夜、私が妻と歩いてい
るとしよう。私が夜空を見上げて「満月だね」といい、妻も空を見上げて「そうね」と言ったと
しよう。このとき二人は、「満月が出ている」ということを知っている。このとき近くにいた第
三者が我々に「あなた方は、満月が出ていることを知っていますか ?」と問うならば、我々は次
の(7)を答えるだろう。
(7)「はい、私たちは、満月が出ていることを知っています」
(8)「いいえ、私たちは、満月が出ていることを知りません」
もし私(或いは妻)が (8) を答えるとすると、
「満月が出ている。しかし、私たちは、満月が
出ていることを知らない。」と答えることであり不条理である。もし私が「満月が出ている。し
かし私はそれを知らない」といえば、それはムーアのパラドクスになるだろう。また、
もし私が
「満
月が出ている。妻はそれに同意した。しかし、妻は満月が出ていることを知らない」と言うとす
れば、それもまた不条理だろう。ゆえに、私は「私も妻も満月が出ていることを知っている」と
必然的に考えることになる。それゆえに、私は、(7) を答えることになる。また妻も同様である。
ゆえに (7) の答えがここでは必然的である。
ここでさらに「あなた方は、あなた方が満月が出ていることを知っていることを知っています
か?」と問われたならば、答えは、次の二つの中の一つである。
(9)「はい、私たちは、私たちがそれを知っていることを知っています。
」
(10)「いいえ、私たちは、私たちがそれを知っていることを知りません」
(10) の返答は不条理である。なぜなら、そのとき次のように答えることになるからである。
(11)「私たちはそれを知っています。しかし、私たちは私たちがそれを知っていることを知
りません。」
これは不条理である。なぜなら、このように答えるためには、私か妻の一方ないし両方が次のよ
うに答えなければならないが、次の返答はムーアのパラドクスと同様に不条理だからである。
- 13 -
知を共有するとはどういうことか
(12)「私たちはそれを知っています。しかし、私は私たちがそれを知っていることを知りま
せん。」
従って、我々は (10) で答えることは出来ず、(9) で返答することが問答の論理的関係から必然
的である。
ここでは、「我々は p を知っている」ということについて、さらに「我々は、我々が p を知っ
ていることを知っている」ということが成立し、かつそれは問いに応じて何度でも反復可能なの
である。つまり、ここでの「我々の知」は自己意識と同じように何度でも反復可能なのである。
7、結び
我々は社会の中で生活しており、信号を待つとか、定時に出社するとか、挨拶するとか、会社
で仕事するとか、電車に乗るとか、社会的な様々な約束事に従って日常業務をこなしてゆく。こ
のような社会生活が、共有知によって成り立っていることは、言うまでもない。
他方で、我々は常に他者との意見の不一致に出会う可能性がある。しかし、我々が不一致に気
づくことは、他の何らかの知の共有を前提してのみ可能である。例えば、チェスのルールについ
て意見の不一致に出会うことは、その他の多くの部分での知の共有を前提するだろう。もしそれ
がなければ、あるルールに関する不一致と言うこと自体が成立し得ないだろう。個々の共有知に
ついては、解消したり偽であると解かることがあるかもしれないが、しかし共有知一般について
言えば、それが底割れすることはない。我々が、言語を共有している限り、我々は共有知を持つ
といえるだろう。
(いりえゆきお 哲学哲学史・教授)
- 14 -
What's Going on, When We Share Knowledge?
What's Going on, When We Share Knowledge?
Yukio Irie
When we use the phrase “to share knowledge,” in our every day life, its meaning
is ambiguous. At first I introduce the distinction between ‘shared knowledge’ and ‘common
knowledge’. We call P ‘shared knowledge’ of A and B, if and only if the following two
conditions are met;
(1) A knows P.
(2) B knows P.
On the contrary, e.g. when A asked B, “Is Thimbu the capital of Bhutan?” and B
answered, “That’s right,” both A and B know not only” Thimbu is the capital of Bhutan,”
(P) but also that P is shared knowledge of A and B. And further this is also known by A
and B. In this case they can repeat knowing like this according to need. We call P like in
this case ‘common knowledge’ of A and B. D. Lewis, S. R. Schiffer, Sperber & Wilson, R.
Tuomela and Y. Nakayama argued for such knowledge, but they all intend to reduce it to
individual knowledge. But J. R. Searle claimed that such a reduction is impossible. I will
also try to criticize such reduction and show that we understand common knowledge as not
individual.
A person who reduces common knowledge to individual knowledge thinks that
knowledge, supposition, belief and expectation are all in individual brains or minds. We
call this standpoint ‘epistemological solipsism’. According to this standpoint we cannot
explain how we share knowledge, and common knowledge can only be supposition of an
individual. Many epistemological solipsists accept the fact that many persons really exist.
But I try to prove that this claim and epistemological solipsism are incompatible.
In the second half I argu the possibility of common knowledge as not individual.
This is ‘practical knowledge’ G. E. M Anscombe defined, i.e. knowledge about an action of
a speaker ‘I’. We can find such practical knowledge about an action of ‘we’ like, “We are
playing tennis,” and this practical knowledge is not of individuals and cannot be reduced to
individual practical knowledge.
Then I point out that the repeatability of self-knowledge which is an important
characteristic of common knowledge results from the logical relation between questions and
answers. We need not hereby suppose a super subject.
「キーワード」
共有知、相互知識、独我論、実践的知識、D. ルイス
- 15 -
存在論における日常性の役割
存在論における日常性の役割
中橋 誠
はじめに
『存在と時間』においてハイデガーは、存在の問いにおいて第一に探究の対象となる現存在を
その日常性において示す必要があると述べている。しかし、ハイデガーの思惟における日常性の
重要性が強調されることは少ない。むしろ否定的に評価されることが多い。例えば、
レンチュは、
「平均的日常性自身はまったく頽落し分別を失った連関としてしか現出しえない」と述べる。な
るほど、『存在と時間』には、日常性が全面的に肯定されるわけではないことを示唆する記述が
散見される。しかし、同時にハイデガーは、頽落、つまり「日常性の存在の根本様式」が「否定
的評価を表現しているのではない」(SZ,175)ことを、さらに 1925 年の講義では、日常性から日
常性以外の存在可能性が「導出」されるわけではなく、日常性が「いつでもどこでも一貫して保
持される」(GA20,209)ことを明言している。ハイデガーの記述に従うなら、日常性は、限定的
な役割しか担っていないにしても、堅持されるべきものとして扱われる必要がある。このとき、
われわれは、ハイデガーの思惟における日常性の評価に関しては、
「存在者への日常的態度は暫
定的なものでも、より価値ある実存のあり方のために断念されるべき意味で不確実なものでもな
い」というゲートマンの主張に同意すべきであろう。ゲートマンの考えでは、日常性を「断念」
されるべきものとする把握は、ハイデガーの思惟を実存主義の一つとする「誤った解釈」へと導
く 。それゆえ、日常性を「分別を失った」ものとして把握する、ハイデガーの思惟を実存主義
と誤解する可能性が高いレンチュのような解釈は斥けられなければならない。だが、日常性の否
Thomas Rentsch, Interexistentialität. Zur Destruktion der existentialen Analytik, in: Heidegger, Technik-Ethik-Politik, hrsg.
v. Reinhard Margreiter, Karl Leidmair, Würzburg, Königshausen und Neumann, 1991, S.147.
Sein und Zeit, 17. Aufl., Tübingen, 1993 からの引用箇所は、SZ の後に頁数をつけることで表わす。
Vittorio Klostermann 社のハイデガー全集(Gesamtausgabe)からの引用箇所は、GA の後に巻数と頁数をつけるこ
とで表現する。
Carl Friedrich Gethmann, Der existenziale Begriff der Wisschenschaft, in: Lebenswelt und Wissenschaft, hrsg. v. Carl
Friedrich Gethmann, Bonn: Bouvier, 1991, S.194f.
周知のように、ハイデガー自身は、おのれ思惟を実存主義(実存哲学)とする把握を誤解として拒絶している(vgl.
GA9,329, GA32,18, GA49,58)。
- 17 -
存在論における日常性の役割
定的評価を拒絶するゲートマンにしても、日常性の積極的役割について論じることはない。では、
日常性は、否定はされないものの、肯定もされないものであり、論じるに値しないものなのか。
そもそも、ハイデガーの考える日常性は何だったのか。ハイデガーによる日常性の第一の把握
は「現存在へと導く接近様式」(SZ,16)である。ハイデガーがこの接近様式を必要としたのは、
、
、
現存在が「存在的、存在論的にまず第一に与えられたもの」
(SZ,15)ではないと考えたからであ
る。つまり、現存在は、まず与えられ、次にその日常性において示されるのではなく、その日常
性において初めて接近可能になるとハイデガーは考えている。それならば、存在の問いにおいて
現存在の分析論が必要とされるという理由ですでに、日常性の重要性は否定され得ないのみなら
ず、積極的に肯定されるべきではないか。本論の意図は、論じられることが少ない、ハイデガー
の思惟における日常性の役割の明瞭化に向けられる。その作業を通じて、日常性が形而上学的側
面を有することが示されるはずである。日常性を形而上学とする把握は、
『存在と時間』の構成
を理解するための手がかりを与えてくれるとわたしは考えている。
1 第 1 の日常性
日常性は現存在への接近様式である。では、現存在への接近はどのようになされるのか。ハイ
デガーの記述を見てみよう。
「消極的にいえば、どんなに『自明』であろうとも、
〈現存在という〉この存在者には、存
在・現実性についての任意の理念が構成的、独断的に押しつけられてはならないのであり、
そのような理念によって前もって定められた『諸範疇』が現存在に存在論的な吟味もなく強
制されてはならない。むしろ、この存在者がおのれ自身に即しておのれ自身からおのれを
示し得るように接近法・解釈法が選択されていなくてはならない。そしてしかも、この接
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
近法・解釈法がこの存在者を示すべきは、この存在者のさしあたってそして大抵(zunächst
、
、
、
und zumeist)のあり方、つまりその平均的日常性においてである。
」
(SZ,16)
この引用に従えば、現存在をその日常性において示すとは、
「任意の理念」の拒絶を意味する。
「任
意の理念」が斥けられたとき、「任意で偶然の構造ではなく、事実的現存在のあらゆる存在様式
において存在を規定するものとして一貫して保持される本質的な諸構造」
(SZ,16f.)が説明され
得るとハイデガーは考えている。では、「任意の理念」の拒絶としてハイデガーが考えていたの
は何か。
「任意の理念」としてハイデガーが挙げている例は、
「哲学的心理学、人間学、倫理学、
『政治
学』、詩作、伝記、歴史記述」(SZ,16)である。「任意の理念」のうちに諸学問が含まれているこ
とが考慮されるなら、
「任意の理念」の拒絶とは、諸学問の拒絶でもあろう。実際、ハイデガーは、
『存在と時間』第十節「人間学・心理学・生物学に対する現存在分析論の画定」において、人間学・
心理学・生物学といった学問を通じては現存在への接近が不可能であると述べている。ここから
は、「任意の理念」の拒絶としての日常性のあり方の解明には、諸学問の拒絶のあり方の確認が
- 18 -
存在論における日常性の役割
その手がかりを与えてくれると判断される。そのため、まずは、ハイデガーによる諸学問そのも
のの把握を確認したい。
ハイデガーは、『存在と時間』の執筆時である 1926 年の講義で、
「存在の学問たる哲学」とそ
の他の諸学問とのあり方について論じている(GA22,286ff.)
。そこでは、
『形而上学』第 4 巻第 1
章への参照指示が見いだされる(GA22,286)。該当箇所を見てみよう。
、
、
、
、
、
「存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもを研究する一つの学がある。
この学は、言わゆる部分的〔特殊的〕諸学のうちのいずれの一つとも同じものではない。と
いうのは、他の諸学のいずれの一つも、存在を存在として一般的に考察しはしないで、ただ
それのある部分を抽出し、これについてこれに付帯する属性を研究しているだけだからであ
る、たとえば数学的諸学がそうである。」(Met. 1003a21ff.)
これを受けて、ハイデガーは、哲学以外の諸学問を、
「そもそも存在に関して述べられうるもの
を全体において眺めること」がなく、「存在者の一領域(Region)を考察」し、
「存在者の普遍的
境域(Universalbereich)から一領域を切り抜き、この存在領域に属するもの、そこで共に与えら
れているもの」を探究するものと、他方、
「存在の学問たる哲学」を、
「他の諸学問とは一線を画し、
どの学問とも一致」せず、「領分(Bezirk)に関しては存在者の境域のどこにも入れることがで
きない」(GA22,287)ものと表現している。ここでハイデガーの把握する諸学問の特徴は、存在
者の一領域にのみ関わり、それゆえ「部分的」で「特殊的」である点に求められる。これと対比
されたとき、「存在の学問たる哲学」の特徴は、そもそも存在者の領域に関わることなく、それ
ゆえ「全体」的で「普遍的」であるという点に求められよう 。
以上でわれわれは、ハイデガーによる、「任意の理念」の例である諸学問の把握を確認した。
しかし、これを通じて同時に、諸学問に限定されない「任意の理念」そのものの把握が確認され
たのではなかろうか。というのは、存在者の一領域にのみ関わるが故に部分的、特殊的であると
いう、ハイデガーの把握する諸学問の特徴は、「任意の理念」の例として挙げられる「哲学的心
理学、人間学、倫理学、『政治学』、詩作、伝記、歴史記述」にのみならず、存在者の把握すべて
に妥当するからである。実際、ハイデガーは、
「存在者のすべては、そのさまざまな領分に応じて、
一定の事象区画を開き示し限定する領野(Feld)となりうる」
(SZ,9)と述べている。ある理念
が任意のものとされる、つまり、選択の対象となるためには、理念が複数あたえられている必要
『形而上学』の翻訳は『形而上学(上)』(出隆訳、岩波文庫、1959 年)を用いた。訳者に感謝申し上げたい。
存在の学問とその他の諸学問とに関する、以上のような把握は、1919 年の講義にすでに見られる。この講義では、
1926 年の講義の記述よりも明瞭に、次のように述べられている。
「あらゆる学問の対象領野は、個別化された切り抜きとしてわれわれに与えられた。あらゆる対象領野は他の対
象領野に対してその境界を有しているのであり、境界のすべてを包括する学問は見いだされなかった。学問の個
別化の根拠をわれわれが見いだすのは、その対象区画(Gegenstandsgebiet)の被限定性においてである。それゆえ、
個別学問から根源学問への遡行のための動機もここに存しているに違いない。根源学問は、個々の対象領域につ
いての学問ではなく、あらゆる個々の対象区画に共通するものについての学問であろう。つまり、特殊的(besonder)
存在の学問ではなく、普遍的(allgemein)存在の学問である。」(GA56/57,26)
- 19 -
存在論における日常性の役割
があり、複数あたえられるのは、それぞれの理念が存在者の一領域にしか関わらない特殊なもの
だからであると言うことができよう。ハイデガーの考える「任意の理念」とは、存在者の一領域
にのみ関わる理念を意味すると考えられる。
さて、「任意の理念」のあり方を確認したわれわれは、本来ここで、その拒絶のあり方を考察
するはずであった。しかし、これは、以上の確認を通じてすでに「存在の学問たる哲学」として
与えられているのではないか。というのは、「存在の学問たる哲学」は、そもそも存在者の領域
に関わることがない故に、「任意の理念」の拒絶として考えられるからである。しかも、
「存在の
、
、
、
、
、
学問たる哲学」は、アリストテレスの「存在を存在として研究」する学問を継承したものである。
これは、日常性が「存在の問いの『設定』に存する課題」
(SZ,15)として必要とされた経緯と一
致する。「任意の理念」の拒絶たる日常性は、存在者の領域に関わることのない、それゆえ、
「部
分的」「特殊的」であることもない、「全体」的で「普遍的」な「存在の学問たる哲学」と重ね合
わせて理解されうる 。日常性のこのような把握は、日常性に関する次の記述とも一致する。
「だが、これは、実存の、考えられ得る具体的な理念から現存在を構成するということでは
ない。現存在は分析の出発点においてはまさに一定の実存の特殊様態(Differenz)において
解釈されるべきではなく、その特殊化されない(indifferent)
《さしあたってそして大抵のあ
り方》において発見されるべきである。現存在の日常性のこの非特殊様態(Indifferenz)は
、
、
、
、
、
無ではなく、この存在者の一つの積極的な現象的性格である。
」
(SZ,43)
以上から、ハイデガーの日常性は、アリストテレスの第一哲学から把握されているとわたしは
、
、
、
、
、
考える。これは、「存在を存在として研究」する学問、つまり存在論の可能化という役割を担う
のが日常性であることを考えれば不思議ではない。これにより、日常性の形而上学的側面の一つ
が示されたとわたしは考える。
2 第 2 の日常性
2-1 解釈されるべき存在理解のあり方としての日常性
以上で確認された日常性は、現存在への接近様式というあり方をしている。しかし、ハイデガ
ーが「日常性」と「平均性」とを同義に用いていることが想起されるなら 、
『存在と時間』には、
日常性を全体的なものとする把握に対しては、「日常性はまさに生誕と死との『間』の存在」であるが故に、
「解釈への取りかかりにおいてすでに、現存在を全体として見て取る可能性に対する断念が潜んではいないか」
(SZ,233)
という記述を根拠とした反論がなされるかもしれない。しかし、この引用における「全体」
「に対する断念」
とは、日常性を可能にする可能性(死)が日常性から排除されていることを意味しているのであり、この「全体」
は、存在者の一領域に囚われることがないという意味での全体性とは異なる。存在者の一領域に囚われないとい
う意味での日常性は、全体としての存在者に関わり、存在者を全体として示すことを意味する。それゆえ、この
ように把握された日常性は、「適所全体性」(Bewandtnisganzheit)に関わる(vgl. SZ,129, 150, KM,235f.)。
次の 2 つの引用を参照されたい。
、
、
、
「現存在のこの日常的非特殊様態をわれわれは平均性と名づける。」(SZ,43)
「現存在の平均性をわれわれは日常性と標示する。」(GA21,230)
- 20 -
存在論における日常性の役割
現存在への接近様式に制限されない日常性への言及も見いだされると判断される。次の記述を参
照されたい。
「簡単に示しておいたように、われわれはいつでもすでに或る存在理解のうちを動いている。
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
……この平均的で曖昧な存在理解は原事実である。
〈原文改行〉この存在理解はいまだ全く
浮動のものであり、単にその語を知っているということに過ぎないかもしれない──そのつ
どすでに自家薬籠中のものとなった存在理解の無規定性は、それ自身、一つの積極的現象で
あり、その解明が必要である。しかし、存在の意味についての探究は、この解明を最初に与
えようとはしないであろう。平均的な存在理解の解釈がその必然的な手引を初めて獲得する
のは、存在の概念を明確化したときである。
」
(SZ,5f.)
日常性についての先の記述とは異なり、ここでは、
「平均的な存在理解」すなわち日常的存在理
解、換言すると、日常性において示される存在理解が解釈の対象となると述べられている。つま
り、日常性は、現存在への接近様式に尽きるものではなく、解釈されるべき存在理解のあり方で
もある。ここに、ハイデガーによる日常性の第 2 の把握が示される。しかし、
『存在と時間』の
刊行部分には、解釈されるべき存在理解のあり方としての日常性に関する詳細な記述は見いださ
れない。この点はどうなっているのか。
この点に関する手がかりは、上の引用における、日常的存在理解の解釈が探究の「最初に」
ではなく、「存在の概念」が「明確化」された後に行なわれるという記述に求められよう。
「存在の概念」が「明確化」されるのは、すなわち、
「存在の意味への問いの解答」が与えられる
のは、「テンポラリテートの問題設定の解明」においてであると予告されている(SZ,19)
。そ
れならば、日常的存在理解が解釈の対象となるのは、
『存在と時間』第 1 部第 3 編における
「テンポラリテートの問題設定の解明」の後、つまり『存在と時間』第 2 部においてであった
と予想される。この予想が正しければ、『存在と時間』におけるハイデガーの探究は、現存在
への接近様式たる日常性から開始され(第 1 部第 1 編第 1 章)
、現存在の存在論的分析論(第 1
部第 2 編まで)、テンポラリテートの問題設定の解明(第 1 部第 3 編)を経て、テンポラリテ
ートの問題設定の解明を手引にして、再び日常性(第 2 部)に立ち返り、日常的存在理解が解
釈の対象となる予定であったと結論づけられよう(vgl. SZ,38,43,436)
。だが、この予想は正しい
のか。この点を確認するためには、第 2 部における日常的存在理解の解釈の具体的解明が必要で
ある。
2-2 ギリシア存在論とその歴史のあり方としての日常性
第 2 部における日常的存在理解の解釈はどのようなものか。この点の解明は、第 2 部が刊行さ
れていない以上、不可能であるように思われるかもしれない。しかし、
『存在と時間』第 5 節・
- 21 -
存在論における日常性の役割
第 6 節がそれぞれ、『存在と時間』第 1 部・第 2 部の概略を示していること 、そして実際に、
10
刊行部分に関しては、第 5 節の概略どおり、現存在の確保を目的とする、現存在への接近様式と
しての日常性について論じられ(第 1 部第 1 編第 1 章)
、それを通じて現存在への接近が果たさ
れた後、「現存在の存在論的分析論」が開始される(第 1 部第 2 編まで) ことを考慮すると、第
11
6 節の記述が第 2 の日常性の具体的解明の手がかりとなると考えられる。
では、第 6 節において日常性はどのように記述されているか。第 6 節には日常性という術語そ
のものは見いだされないが、「日常的」と同義の「平均的」という語、ならびに、
「日常性の存在
の根本様式」と表現される「頽落」(SZ,175)についての記述が見いだされる。該当箇所を見て
みよう。
「もっとも身近で平均的で、それ故そのうちにおいてさしあたって歴史的でもある存在様式
に関して、現存在の基礎的構造を準備的に解釈することで以下のことが判然となる。それは、
現存在がおのれの存在の場であるおのれの世界へと頽落し、反射的にそこからおのれを解釈
する傾向を有するのみならず、それと同時に、多少なりとも明瞭に把握されたおのれの伝統
へと頽落もするということである。」(SZ,21)
この引用に従えば、平均的現存在、つまり日常的現存在の解釈が、現存在の伝統への頽落を判然
とさせる。このとき、ハイデガーが現存在を「存在理解の場」
(SZ,439)として捉えていること
が想起されるなら、伝統への現存在の頽落を判然とさせるのは日常的存在理解の解釈であると考
えられよう。さらに、この引用箇所には次の記述が続く。
「さまざまに継承され、歪められつつも、今日いまだに哲学の概念性を規定しているギリシ
ア存在論とその歴史は、現存在がおのれ自身と存在一般を『世界』から理解していること、
そのようにして生じた存在論が伝統へと頽落し、伝統がこのような存在論を自明性へと、そ
して(ヘーゲルにとってそうであったように)単に新たに加工されるべき素材と失墜せしめ
ていることの証拠となっている。」(SZ,21f.)
10
こ の 点 は、 グ ロ ン デ ン(Jean Grondin, Die Wiederweckung der Seinsfrage auf dem Weg einer phänomenologischhermeneutischen Destruktion (§§1-8), in: Martin Heidegger, Sein und Zeit, hrsg. v. Thomas Rentsch, Akademie Verlag
GmbH, Berlin, 2001, S.4f.)や、ヘルマン(Friedrich­Wilhelm von Herrmann, Hermeneutische Phänomenologie des Daseins,
Eine Erläuterung von „Sein und Zeit“, I, Vittorio Klostermann, Frankfurt am Main, 1987, S.151.)によっても指摘されて
いる。
なお、補足すれば、第 5 節の見出しが「存在一般の意味を解釈するための地平の開き示しとしての現存在の存
在論的分析論」、第 6 節のそれが「存在論の歴史の解体という課題」であるのに対応し、第 1 部の見出しは「時
間性への現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平たる時間の説明」、第 2 部のそれは「テンポラリテート
の問題設定を手引とした、存在論の歴史の現象学的解体の根本的特質」である。
11
『存在と時間』の第 1 部「時間性への現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平たる時間の説明」に関しては、
「時間性への現存在の解釈」のみが「刊行部分」(SZ,440)であると述べられている。『存在と時間』の刊行部分
は第 1 部第 2 編までである。
- 22 -
存在論における日常性の役割
この引用に従えば、「ギリシア存在論とその歴史」が、
「存在論が伝統へと頽落し、伝統がこのよ
うな存在論を自明性へと……失墜せしめていること」を証している。これは、
「ギリシア存在論
とその歴史」のあり方の探究が、伝統への頽落を判然させるということを意味している。この伝
統への頽落を判然とさせるという働きは、日常的現存在(日常的存在理解)の解釈のそれと同一
である。ここからは、ハイデガーが、日常的存在理解の解釈とギリシア存在論とその歴史の探究
とを重ね合わせて理解していると推測される。これは、ギリシア存在論とその歴史が「今日いま
だに哲学の概念性を規定している」と考えるハイデガーにとっては、今日の日常的存在理解の探
究(解釈)が同時に、ギリシア存在論とその歴史の探究でありうることから裏づけられよう 。
12
、
、
この点はさらに、2-1 の冒頭の、「平均的な存在理解の解釈がその必然的な手引を初めて獲得す
るのは、存在の概念を明確化したときである」(強調──引用者)という記述と、第 2 部の見出
、
、
、
、
、
し「テンポラリテートの問題設定を手引とした、
存在論の歴史の現象学的解体の根本的特質」
(強
調──引用者)という記述との一致、すなわち、
「平均的な存在理解の解釈」
(日常的存在理解の
解釈)、「存在論の歴史の現象学的解体」つまり〈ギリシア〉存在論の歴史の探究の遂行が、
「存
在の概念の明確化」、「テンポラリテートの問題設定の解明」を手引としてなされるという点から
もその傍証を得る。以上からは、ハイデガーが日常的存在理解の解釈を、具体的には、ギリシア
存在論とその歴史のあり方の探究として把握していたと結論づけられよう。
2-3 第 2 の日常性の役割
日常的存在理解の解釈、つまり、ギリシア存在論とその歴史のあり方の探究をハイデガーは、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
「存在の問いを手引として遂行される、古代存在論の伝承物の根源的経験への解体(Destruktion)
」
(SZ,22)と表現している。では、存在論の歴史の解体という課題はハイデガーの思惟においてど
のような役割を担うのか。この課題の記述(第 6 節)を締めくくるにあたり、ハイデガーは次の
ように述べている。
「存在論的伝承の解体遂行において初めて、存在の問いはその真の具体的な姿を獲得する。
この遂行において存在の問いは、存在の意味への問いの不可避性を十全に証明し、この問い
の『反復』について語ることが有意味であることを明瞭に示す。
」
(SZ,26)
この引用によると、日常的存在理解を解明する、存在論の歴史の解体という課題は、存在の問い
の不可避性を証明する。だが、存在の問いの必然性への言及は、すでに『存在と時間』第 1 節に
見られる。このとき、第 6 節における存在の問いの必然性の証明は蛇足に思われるかもしれない。
しかし、第 1 節における、存在の問いの必然性の証明に関する記述は、
「われわれがその都度す
12
ギリシア以来のヨーロッパの存在論が今日のそれに至るまで一貫して οὐσία(現前性)の概念に基づくというハ
イデガーの洞察に関しては、拙稿「実存論的構成としての頽落」(大阪大学大学院文学研究科哲学講座刊『メタ
フュシカ』第 35 号、2004 年、所収、49-59 頁)の第 4 節「存在の問いの動機と頽落」を参照していただければ
幸いである。
- 23 -
存在論における日常性の役割
でに或る存在理解のうちに生き、それでいて同時に存在の意味が不明瞭であることが、
『存在』
の意味への問いを反復する根本的必然性を証明している」
(SZ,4)というものに過ぎない。これ
で、「『存在』の意味への問いを反復する根本的必然性を証明している」と言えるのか。というの
は、グロンデンの述べるように、不明瞭な概念は存在以外にも数多く認められるが故に、
「不明瞭」
というだけでは、存在の問いの必然性の証明とはならないと考えられるからである 。上の引用
13
では、存在の問いの必然性の証明は「存在論的伝承の解体遂行」においてなされると、しかも、
そのとき「存在の問いはその真の具体的な姿を獲得する」と述べられている。このとき、
第 6 節、
つまり第 2 部においてハイデガーは、第 1 節におけるそれとは異なった、存在の問いの必然性の
証明を念頭に置いていると考えられる。それは、
「その存在的、存在論的必然性に関して暗示さ
れた存在の意味への問いが、それ自身、歴史性を通じて特徴づけられている」
(SZ,20)という記
述に従うなら、存在の問いの発生の歴史的由来を示すことで、存在の問いの発生の歴史的必然性
を証明しようとする試みであったと考えられる。これは、
「本探究の冒頭では、存在への問いの
不必要性をつねに新たに育成・培養する先入見について詳細に究明することはできない。これら
の先入見はその根を古代存在論自身に有する。他方、古代存在論が──存在論的根本概念の由来
である基盤に関して、諸範疇の証示・完全性の適切さに関して──十分に解釈されうるのは、存
在への問いが予め解明・解答されたとき、それを手引にしてのみである」
(SZ,2f.)という記述に
従うなら、より正確には、存在の問いの発生を妨げてきた歴史的由来を示すことで、存在の問い
の発生の歴史的必然性を証明しようとする試みである。日常的存在理解の解釈は、その歴史的考
察を通じて、存在の問いの必然性の証明を試みるものであったと考えられる。
3 日常性の二重性と形而上学の二重性
以上の考察を通じて、『存在と時間』において扱われる日常性が、存在論を可能にする、現存
在への接近様式と、存在の問いを妨げる歴史的要因を示すことで、存在論の必然性を証明する、
解釈されるべき存在理解のあり方とに区分されること、これらがそれぞれ、
『存在と時間』の第
1 部・第 2 部の構成に関わることが示された。このとき、役割・構成が異なるにも関わらず、両
者が共に日常性として把握されるのは何故か。この点の解明の手がかりとなる記述は 1928 年の
講義録に見いだされる。その記述を見てみよう。
「基礎的存在論は、第 1 に現存在の分析論であり、第 2 に存在のテンポラリテートの分析
、
、
論である。しかし、このテンポラールな分析論は同時に転回(Kehre)であり、この転回に
おいて存在論自身は、不明確にではあるものの、つねにそのうちにある形而上学的存在学
(Ontik)へと明確に立ち返る(zurücklaufen)
。重要なのは、徹底化・普遍化という動性を通
じて存在論を、存在論に潜在する転換へともたらすことである。そこで転回が遂行され、メ
タ存在論(Metontologie)への転換へと至る。
」
(GA26,201)
13
Grondin, a.a.O., S.3.
- 24 -
存在論における日常性の役割
「現存在の分析論」は『存在と時間』第 1 部第 2 編までにおいて、
「存在のテンポラリテートの分
析論」は──予定では──第 1 部第 3 編において扱われる。それゆえ、この両者を含む「基礎的
存在論」は『存在と時間』第 1 部に相当する。『存在と時間』第 1 部が、テンポラリテートの問
、
、
、
、
題設定の解明を手引にして日常性(第 2 部)へ立ち返ることはすでに確認されている。それならば、
この引用で、第 1 部に相当する基礎的存在論が、
「テンポラールな分析論」たる「転回において」
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
「形而上学的存在学へと明確に立ち返る」、「メタ存在論への転換へと至る」
(強調──引用者)と
表現されているとき、存在論の歴史の解体という課題における日常的存在理解の解明が「形而上
学的存在学」、「メタ存在論」に相当するはずである。このとき、現存在への接近様式たる日常性
と同様、存在論の歴史の解体という課題において解明される日常的存在理解も、問いとしての形
而上学から把握されていることが判明する。では、形而上学という共通項にも関わらず、日常性
が二重性を有するのは何に由来するのか。ハイデガーは上の引用に続けて次のように述べている。
「基礎的存在論と、それと統一的なあり方をするメタ存在論とが、形而上学の概念を形成す
る。ここで表現されているのは、すでに序論において πρώτη φιλοσοφία と θεολογία と
いう哲学の二重概念を用いて言及されていた、哲学自身の根本問題の変転に他ならない。
」
(GA26,202)
この引用に従えば、基礎的存在論、それゆえ、現存在への接近様式としての日常性により可能と
なる存在論が第一哲学(πρώτη φιλοσοφία)に、メタ存在論、それゆえ、存在論の歴史の解体
という課題における日常的存在理解の解明が神学(θεολογία)に相当し、両者の統一が「形而
上学の概念を形成する」。さらに、この引用に従い、この引用が見られる講義録の序論を参照す
、
、
ると、第一哲学は『形而上学』1003a21 以下を参考に「存在の学問」
(GA26,12)と、他方、神学
は『形而上学』1026a18 以下を参考に「第一のものについての学問」
(GA26,13)と表現されてい
、
、
る。「存在の学問」たる第一哲学(存在論)は、参照箇所を考慮すれば、現存在への接近様式と
して先に確認された日常性(1)に他ならない。このとき、接近様式としての日常性が『形而上
学』に由来することが改めて示される。また、このとき同時に、存在論の歴史の解体という課題
における日常的存在理解の解釈(メタ存在論)も、
『形而上学』の神学に由来することが示される。
というのは、ハイデガーの考える神学の探究対象とは「端的な存在者」たる「天」
「世界(κόσμος)
」
であり、これは「包括し圧倒するもの、われわれの被投性の基盤、われわれを奪取・急襲するもの、
卓越者」
(GA26,13)と説明されるから、すなわち、
神学の探究対象たる「われわれの被投性の基盤」
とは、現存在の伝統への頽落、つまり、日常的現存在ならびに日常的存在理解と同義であるから
である。この点の傍証としては、「この転回においてはじめて思惟は、
『存在と時間』が経験され
ている、しかも存在被忘却性という根本経験において経験されている次元の場へ到達するのであ
る」(GA9,328)という 1946 年の記述も挙げられよう。というのは、
「転回」後の思惟──メタ
存在論(神学)すなわち存在論の歴史の解体という課題における日常的存在理解の解釈──が扱
- 25 -
存在論における日常性の役割
うのが、「『存在と時間』が経験されている、しかも存在被忘却性という根本経験において経験さ
れている次元の場」、すなわち、存在の問いの妨害要因だからである。これは、第 2 の日常性の
課題と一致している 。以上からは、日常性の二重性は、
「存在の学問」たる存在論と、
「第一の
14
ものについての学問」たる神学という、アリストテレスの形而上学の二重性に由来すると結論づ
けられよう。もっとも、日常性の二重性、形而上学の二重性の統一がどのようなものであるかに
ついて、ハイデガーは述べてはいない。
以上の考察から、『存在と時間』の構成の概要が判然となったとわたしは考える。第 1 部にお
いて、現存在への接近様式たる日常性が基礎的存在論(存在論)を可能にする。
「転回」
「立ち返」
りを経た第 2 部において、日常的存在理解を解釈するメタ存在論(神学)が、存在の問いを妨げ
る歴史的要因を示すことで基礎的存在論の必然性を証明する。
『存在と時間』は、日常性という、
ハイデガーが独自の仕方で継承・解釈したアリストテレスの形而上学の圏域のうちを動いている
と考えられる。
(なかはしまこと 現代思想文化学・助手)
14
「転回」が予定されていた『存在と時間』第 1 部第 3 編「時間と存在」には、
「由来への回帰(Umkehr)」(SZ,440)
という註が付けられている。
- 26 -
Die Rolle der Alltäglichkeit in der Ontologie
Die Rolle der Alltäglichkeit in der Ontologie
Makoto Nakahashi
Die Wichtigkeit der Alltäglichkeit im Denken Heideggers wird oft geringgeschätzt.
Unter Berücksichtigung der Tatsache jedoch, daß sie „die Zugangsart zum Dasein“ ist,
ist die Alltäglichkeit im Denken Heideggers notwendig, weil er die Seinsfrage nur aus
dem Dasein beginnen kann. Daraus läßt sich folgern, daß die Prüfung der Rolle von
Alltäglichkeit im Denken Heideggers uns eine seiner Denkzüge deutlicher zeigen wird.
Durch Alltäglichkeit versucht Heidegger das Dasein „wie es zunächst und zumeist
ist“, d.h. in seiner „Indifferenz“ zu zeigen. Das bedeutet, daß Dasein in seiner Differenz
d.h. in einer bestimmten Aspekt nicht gezeigt werden soll. Diese Rolle der Alltäglichkeit
rührt von der Bestimmung der Aristotelischen Wissenschaft —keine einzelne Wissenschaft,
sondern eine Wissenschaft, welche das Seiende als Seiendes untersucht—her.
Wenn es beachtet wird, daß Alltäglichkeit und Durchschnittlichkeit im Denken
Heideggers gleichbedeutend ist, läßt sich die andere Rolle der Alltäglichkeit in der
Seinsfrage finden. Alltäglichkeit wird auch als das auszulegende Seinserständnis, und daher
als das zu folschende griechische Seinsverständnis und seine Historie gefaßt. Heidegger
behauptet, daß die Forschung dieses Seinsverständnisses uns die Notwendigkeit der
Seinsfrage zeigen werde, und daß dies nur nach der Aufklärung und Beantwortung der
Frage nach dem Sein sei.
Nach dem Programm Heideggers beginnt und endet seine Seinsfrage mit
Alltäglichkeit. Wie ist dieser Zirkel zu verstehen? Der Zirkel in der Alltäglichkeit
erinnert uns an d e m in der Metaphysik. Heidegger sagt, daß Metaphysik als die
Fundamentalontologie (πρώτη φιλοσοφία) beginne und als die Metontologie (θεολογία)
ende. Daraus läßt sich folgern, daß der Zwiespalt der Alltäglichkeit von d e r der Metaphysik
herrührt, und daß die Strukture von „Sein und Zeit“ unter der Interpretation Heideggers von
der Aristotelischen Metaphysik konzipiert ist.
「キーワード」
日常性、形而上学、存在論、神学
- 27 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
--フーコー『主体の解釈学』講義から出発して--
津崎良典
0. はじめに
コレージュ・ド・フランスにおける 1982 年 1 月から 3 月までの講義『主体の解釈学』におい
て、ミシェル・フーコー の思索を先導するのは、いかにして主体は真理に到達するか、という
問いである。主体はみずからの存在そのものを問題視することなく真理に到達しうるのか。ある
いは、主体はそのあるがままの存在において真理に到達しうるのか。これらの問いを検討すべく
フーコーが注目するのは、あらゆる超越的な審級を括弧に入れた、主体の自己に対する内在的な
プラティック
働きかけとしての「反省」の運動である。実際にフーコーはインタヴュー「自由の実践としての
自己への配慮」(1984 年)において、「例えば現象学や実存主義がしがちなように、主体の理論
を予め前提してしまうこと」(DE,IV,718)を避けつつ、
「主体は実体ではない。それはひとつの
形式であり、とりわけこの形式はつねに自己に対して同一になることはない。
[……]人は自己
とのあいだに、それぞれの場合ごとに、異なった形式の関係を働かせたり確立したりする」
(ibid.)
本稿で参照したフーコーの著作は以下の通りである。訳出は既存の邦訳を参照したが、筆者の責任において変更
した場合もある。
─Histoire de la folie, Paris: Plon, 19611 et Gallimard, 19722(田村俶訳『狂気の歴史──古典主義時代における』、新潮社、
1975 年(HF の省略記号に続いて頁数を表わす)).
─'Mon corps, ce papier, ce feu’, in Dits et écrits, t. II, Paris: Gallimard, 1994, pp. 245-268(増田一夫訳「私の身体、この紙、
この炉」
『ミシェル・フーコー思考集成』第 IV 巻所収、筑摩書房、1999 年(DE の省略記号に続いて巻数・頁数
を表わす/以下同様 )).
─‘Réponse à Derrida’, in ibid., pp. 281-295(増田一夫訳「デリダへの回答」同上書所収 ).
─‘A propos de la généalogie de l’éthique: un aperçu du travail en cours’, in Dits et écrits, t. IV, Paris: Gallimard, 1994, pp.
383-411
(浜名優美訳「倫理の系譜学について──進行中の仕事の概要」
『ミシェル・フーコー思考集成』第 IX 巻所収、
筑摩書房、2001 年 ).
プラティック
─‘L’éthique du souci de soi comme pratique de la liberté’, in ibid., pp. 708-729(廣瀬浩司訳「自由の実践としての自己へ
の配慮」
『ミシェル・フーコー思考集成』第 X 巻所収、筑摩書房、2002 年 ).
─‘Une esthétique de l’existence’, in ibid., pp. 730-735(増田一夫訳「生存の美学」同上書所収 ).
─‘Les techniques de soi’, in ibid., pp. 783-813(大西雅一郎訳「自己の技法」同上書所収 ).
─L’herméneutique du sujet, cours au Collège de France, 1981-1982, Paris: Gallimard/Seuil, 2001(廣瀬浩司・原和之訳『主
体の解釈学』筑摩書房、2004 年(HS の省略記号に続いて頁数を表わす )). - 29 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
と述べている 。フーコーの関心は自己そのものよりは自己への関係性へ向けられ、彼にとって
主体性は実体ではなく、実践的と形容しうる反省の形式として理解されている 。要するに、
〈真
理の主体〉として自己をいかに編成し認識するか、このような問いをめぐって展開される〈主体
の系譜学〉において特権的な対象として扱われるのは、
主体の自己に対する徹底的に自己媒介的・
自己目的的・自己規範化的な運動なのである 。それでは、こうした自己反省的な運動はいかな
る実践として具体的に記述されるのか。本稿が取り上げるのは、フーコーがその形式のひとつと
して挙げた「省察的訓練(méditation)」である。この運動が目指す主体の内的変容の可能性を探
るべく、最初に、主体と真理の関係について『主体の解釈学』が提示する幾つかの概念的な規定
を整理したうえで、それらがフーコーの企図する〈主体の系譜学〉において織り成す布置を概観
する。この概念的・系譜的な見取図をもとに、まさしくこの「省察的訓練」をその著作の題名に
冠するデカルトの『省察(Meditationes)』において、主体の自己に対する働きかけとしてこの訓
練がいかなる機能を有しているのか、その点に関するフーコーの読解を検討する。そして最後に、
その立論への幾許かの考察を今後の課題とともに提示する。
1.〈主体の系譜学〉における自己配慮と自己認識
──『主体の解釈学』による「デカルト的契機」をめぐって
フーコーは 1982 年の講義において、主体と真理の関係として二つのモデルを提示する。第一
は、「霊的訓練(spiritualité / exercice spirituel)」(精神生活、信仰生活、精神修行)と呼ばれる。
フーコーの定義によれば(HS,12-13)、それは主体が真理に到達するために必要な変容を自己に
加えることである。そして、この変容を可能にする「訓練(exercice)
」の総体は、とりわけ古典
古代の思想において、自己や他人、世界に対する或る一定の構えとして〈自己への配慮(epimeleia
heautou)〉という「反省性の形式」(HS,444)を有する。主体が自己に配慮するというのは、自
身の視線を他者や世界などの外部から「自己」という内部へ向け変えることで、思考のなかで生
起している事柄を注視することである。具体的には「浄化、修練、放棄、視線の向け変え、生存
の変容」といった、主体が自己に対して行なう幾つかの行動から構成され、そこに由来する一連
の実践は、「省察的訓練」の技術、過去を記憶するための技術、良心の吟味の技術、精神に対し
て現れる様々な表象の検証の技術などを含む。これらはいずれも「真理への途を開くために支払
うべき代価」(HS,17)とされる。
この訓練を概念的に規定するのは、次の三点である(HS,17-18)
。先ず、主体はありのまま
この発言を起点にして、主体はみずからの連続性を保ちながら内的に変容するということがどのような仕方で言
えるのか、
主体の変容の可能性は自己の同一性(identité)と自己性(ipséité)の問題とどのような接点を持つのか、
主体の自己への働きかけは徹底的に内在的な次元に留まり、あらゆる〈他者〉の介入は断たれているのか、とい
った問いを提出することはできよう。しかし、哲学的な意義をそれなりに有したこれらの問いをフーコーにおい
て検討することは本稿の課題ではない。
Cf. Gros, F., ‘Le souci de soi chez Michel Foucault: A Review of The Hermeneutics of the Subject: Lectures at the Collège
de France, 1981-1982’, in Philosophy & Social Criticism, vol. 31, No. 5-6, 2005, p. 698.
廣瀬浩司「生の形式の発明としての自己主体化──ミシェル・フーコー講義録『主体の解釈学』を読む」
(『情況』、
2002 年 10 月号、139 頁)を参照せよ。
- 30 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
では真理に到達する権利も能力も有さない。次にこの前提より、真理に到達するために主体は、
みずからを修正して、或る意味で、そして或る程度、自分自身と別のものに変化しなければなら
ない。ここでフーコーが注目するのは、「アスケーシス(askêsis)
」というギリシア語に由来する
概念である。現代のフランス語で禁欲(ascèse)というと現世や自己の放棄による禁欲が想起さ
れるが、その語源であるアスケーシスとは、「自己による自己の準備(élaboration)
」
、
「自己の自
己に対する労働(travail)」、「みずからの責任のもと、長い修練の辛苦のなかでなされる、自己
による自己の段階的な変容(transformation)」のことである。主体はしたがって、このような「転
換(conversion)」を経験することなく真理に到達することができない。最後に、この訓練の結果
として主体が真理に到達すれば、このことは主体に対して倫理的な効果を引き起こす。真理は認
識行為を完遂するために主体に与えられるだけではない。真理への到達はまた、主体に「天啓
(illumination)」、「至福(béatitude) 」、そして「魂の平穏(tranquillité)
」などを与え、その存在を
倫理的に完成させる。古典古代の思想は、倫理的な転倒をその存在に課すような訓練によって主
体の真理への到達を支えていたのである。
ところで「自己の技法」(1982 年)などによれば、ソクラテスは『弁明』
(29E)のなかで「魂
の配慮(epimeleia tes psykhes)」の重要性を説くが、この配慮について主題的に論ずるプラトン
の『アルキビアデス』において、それはもうひとつの「主体性の装置(dispositif)
」
(HS,305)で
ある〈汝自身を知れ(gnôthi seauton)〉、つまり〈自己の認識〉に取り込まれてしまう(DE,IV,783
sq.)。プラトンは自己配慮の重要性を説きながら、それを同時にいわゆるプラトニズムの自己認
識論へ組み直したとされる(=「プラトン的契機(moment)
」
(HS,50)
)
。フーコーの〈主体の系
譜学〉の図式によれば、近代の哲学的思索の領野において再び、この自己配慮を格下げして自己
認識を格上げする仕方で作用する契機が見出される。つまり「デカルト的契機」
(HS,15)であ
る。ただし、「プラトン的契機」と同じ仕方で、つまり、或る種のプラトニズムへ行き着くよう
な仕方で、自己配慮に対して自己認識が格上げされるのではない。それでは、この格上げは何を
帰結するのか。そもそも自己配慮が自己認識に取って代わられたというとき、両者が指示対象と
する自己は同じなのか。そうではなかろう。前者において自己は、
「生存の美学」
(1984 年)な
どでフーコーが述べているように、「自分自身の生を個人的な芸術作品にするために練り上げる」
(DE,IV,731; cf. 392)べき〈質料(matière)〉として解されているが、後者では、客観的認識の体
系化と組織化のために必要な原理として〈形相(forme)
〉のことが念頭におかれている 。この
区別をもとにフーコーは、デカルトの『省察』(AT,VII,35)について次のように述べる。この著
エグジスタンス
作において近代的な主体は、配慮すべき何かとしての自己よりも、
〈私に固有な 生 存 を不可疑な
ものとして私自身が明証的に認識する〉という自己認識の確実性を根拠に、それと同じように明
晰判明に認識される事柄が真であるための基準を設定するところの自己、つまりコギト──「我
思ウ、故ニ我アリ」──に逢着した(HS,16)。近代的な主体は、それが対象の明証性を検証しう
Cf. Guenancia, P., ‘Foucault / Descartes: la question de la subjectivité’, in Archives de philosophie, n° 65, 2002, pp. 245-246.
デ カ ル ト の 著 作 か ら の 引 用 は、Descartes, R., Œuvres de Descartes, éd. par Ch. Adam et P. Tannery, Paris: J. Vrin,
1964-1974 に拠り、AT の省略記号に続いて巻数・頁数を表わす。
- 31 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
る認識主体でありさえすれば、認識において真理が直ちに与えられるという構造を有しているの
である。そしてその限りにおいて、この主体による認識のみを条件とする真理への到達は、様々
な対象の領域における認識の際限のない行程を見出すことになる。
『主体の解釈学』によれば、コギトの定立を以て標定される「デカルト的契機」において、主
体と真理の関係の第二のモデルが見出される。近代的な主体は、真理へ到達するために古代的な
アスケーシスを経る必要は全くない。すべての真理の基準となるような確実性を定め、客観的認
識の体系化と組織化をはかる、コギトとしての自己認識を対象認識の一般的な形式(forme)と
して参照した「方法」
(HS,16)に訴えるだけでよい。そして『省察』こそが、
古代的な「霊的訓練」
がデカルト的な「方法」に置き換えられる場とされる。実際にフーコーは、主体がかの訓練の必
要性から免れて、「真理に到達することを可能にするのは認識であり、ただ認識だけである、と
いうことになった」(HS,19)、
「他には何も要求されず、自分の主体としての存在が修正されたり
変質せしめられたりする必要もなくなった」(ibid.)
、つまり、主体が「それ自体で真理に到達で
きるようになった」(HS,183)と述べている。真理への到達と、主体およびその存在の変容との
あいだの繋がりが断ち切られ、真理獲得は認識作用の自律的な発展としてみなされる。要するに
「デカルトは、自己の実践によって構成された主体を認識の実践の基礎となる主体に置き換える
ことに成功した」(DE,IV,410)のである。〈主体の系譜学〉の古代において主体は、そのままで
は真理に到達できなかったが、霊的訓練の実践を以て真理に到達することで、倫理的に変容され
た。その反対に近代において主体は、そのままで真理に到達できるようになったが、そのための
訓練が消滅したことで、倫理的に変容されることはなくなった。哲学はそれ以来、内在的に真理
を受け入れる能力を潜在的に与えられたものとして、主体の形象を練り上げることになる。主体
はア・プリオリに真理を受け入れられるのであり、自己配慮の到達点として倫理的主体である必
要はないか、または、そうであることは付随的なことでしかない。このような主体にとって、真
理への到達は倫理的な次元の内的な労働(=アスケーシス)の効果に支えられていない。このこ
とをフーコーは「倫理の系譜学について」(1983 年)において、
「私は不道徳でありながら真理
を知ることができる」(DE,IV,411)と定式化するのである。
ただしフーコーは、真理が無条件で入手されるようになったとは述べない。幾つかの条件が満
たされたうえで、かの「デカルト的契機」を設定することが可能だという。しかし、それらはい
ずれも「霊的訓練」には関わらず、したがって「主体」そのものの構造を対象としない。そのよ
うな条件は二つの領域に属する(HS,19-20)。第一は、認識行為に内在的な条件である。そのう
ちには、真理に到達するために従うべき形式的かつ客観的な規則に関わるものと、認識すべき対
象の構造に関わるものが含まれる。第二は、認識行為に外在的な条件、つまり「具体的な生存に
おける個人」のあり方に関わる条件である。フーコーが挙げるのは、
「教養/陶冶(culture)
」に
関わるもの(例えば、真理に到達するためには、学業を修めて一定の学問的な合意に加わる必要
がある)、「道徳」に関わるもの(例えば、人を欺こうとしてはならない)などである。さらに注
目すべきことに、〈真理を認識するためには、狂っていてはならない〉という条件もそのうちに
含まれる。ところでこれら第二の条件はいずれも、哲学的概念としての「主体」ではなく、歴史
- 32 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
的実在としての「個人」に関わるとされたが、『主体の解釈学』以外のフーコーの著作に照らし
たとき、疑問が生じないわけではない。それらのなかで幾度か参照される『省察』は、まさしく
フーコーによれば、真理の探究を目指すデカルト的な「主体」が「認識主体」として成立し、そ
の認識行為が保証されるために、とりわけ〈狂気〉の排除をその条件に数え入れていたと思われ
るからである。『省察』においてこの条件は、具体的な「個人」
(例えば『省察』を執筆したデカ
ルト本人)ではなく、『省察』を構成する言表(énoncé)の「主体」そのものの構造に関わるの
ではなかったか。そしてこの主体は、懐疑の遂行に際してみずからを〈狂人〉としてではなく「省
察主体」として編成するために、或る種のアスケーシスを実行していなかったか。次節ではこれ
らの問いを検討することにしよう。
2.〈省察主体〉によるアスケーシスとしての省察的訓練
──『主体の解釈学』から『狂気の歴史』第二版へ
フーコーは、『性の歴史』第一巻「知の意志」の出版(1976 年)から第二巻「快楽の活用」/
第三巻「自己への配慮」の出版(1984 年)までに、その研究対象と理論的な枠組みに大幅な変
更を加える。近代を中心にした「性」をめぐる「権力」の分析は、
古代における自己の「主体化」
の分析に移行する。この変更とともに、古典古代の思想における〈自己への配慮〉の問題構成が
フーコーの思考の前景に迫り上がってくる。しかしフーコーは、これをセネカ、マルクス・アウ
レリウス、エピクテトス、プルタルコスらのテクストの分析を通じて主題的に論じる以前に、自
己の反省的な運動による主体化の問題がデカルトという近代の哲学者において問われうることを
既に見抜いていたのではなかったか 。このことは、
『狂気の歴史』第一版(1961 年)をめぐる
デリダの反論 への再反論として 1972 年に発表された「デリダへの回答」や「私の身体、この紙、
この炉」といった一連のテクストにおいて確かめられよう。しかもこれらは、1961 年から数え
て十年以上の歳月が経過し、そのあいだにはデリダの批判があり、また、デカルト研究者ジャン
=マリ・ベサードに宛てた私信(1972 年 11 月 7 日付)のなかで「
[このあいだに]私の見地は
少なからず変化した」とフーコー自身が認めているにもかかわらず、1961 年の主張を修正するど
ころか補強している点で、ここでの検討に値しよう。
一般に「省察的訓練」と訳される語──いうまでもなく自己配慮の主要な形式である──が
有するコノテーションを明らかにすることから始めよう。この語はギリシア語の「メレテー
(meletê)」、そしてそのラテン語訳である「メディターティオ(meditatio)
」に由来して、
「訓練」
のことを意味する。それは、「訓練する」や「熟練する」という意味を持つ「ギュムナゼイン
(gumnazein)」に近い。この実践をフーコーは次の二点を以て特徴付ける(HS,340)
。第一に、そ
れは主体が様々な命題を「思考(pensée)」によって自分のものにするための訓練である。一方
ではそれを真だと信じることが出来るように、他方で必要や機会が生じたらすぐにそれを繰り返
Cf. Adorno, F. P., Le style du philosophe: Foucault et le dire-vrai, Paris: Editions Kimé, 1996, pp. 119 et 121.
Cf. Derrida, J., ‘Cogito et histoire de la folie’, in L’écriture et la différence, Paris: Seuil, 1967, pp. 51-97.
Cf. Beyssade, J.-M., Descartes au fil de l’ordre, Paris: P.U.F., 2001, pp. 41-42.
- 33 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
して言うことが出来るように、あれこれの命題を深く確信し、精神に刻み込まなければならない。
第二に、この実践は「同一化の経験(expérience d’identification)
」である。事柄そのものについ
て思考するのではなく、むしろ思考されている事柄そのものが指し示す状況に主体が思考によっ
て身を置くことが求められる。いずれの場合にも問題なのは、主体が自分の思考やその可能な対
象に働きかけることではない。むしろ、思考が主体そのものに実際に働きかけることである。そ
の代表的な例としてフーコーが挙げるのは、『省察』における懐疑である。デカルトが懐疑の展
開において思考したのは、世界において疑いうるものについてでも、疑いえないものについてで
もない。なぜなら、このような思考は、ごく普通の懐疑的な訓練にすぎないからだ。デカルトの
試みはむしろ以下のように定式化される。
デカルトはすべてを疑う主体の状況に身を置くが、疑いうるもの、その存在を疑いうるもの
について問いたずねることはない。[……]したがってこれは思考やその内容についての訓
練ではない。主体が思考によって或る状況に身を置く訓練である(HS,341)
。
つまり、主体が「疑いえぬもの」などの思考内容に対して働きかけるのではなく、むしろ懐疑と
いう思考作用によって働きかけられることで主体そのものが変容するのである。
以上の点を確認したうえで、「第一省察」において展開されるデカルト的懐疑の過程に占める
〈狂気〉と〈夢〉の位置価の差異に関して、フーコーが『狂気の歴史』本文のなかで提示した議
論を端的にまとめるなら、次のようになろう(HF-Plon, 54-57; HF-Gallimard, 56-59)
。狂気は、
「思
考している私、その私が狂うことはありえない」という不可能性を根拠にして、
「思考し存在し
ないのと同じく気違いじみたことのできない人」の名において、理性から峻別され、そして懐疑
に携わる「省察主体」の編成から追放される。狂気は、懐疑の一段階として機能しえないのであ
る。しかしあくまでも夢にとって、〈私がいるこの場所、私が見るこの紙、私が差しだすこの手〉
アクチュアリテ
が構成する現実態の全体系を懐疑に付すことは可能である。このフーコーの主張から導かれる論
10
点は多岐にわたるが 、ここでは「省察主体の資格」
(DE,II,250 et 253 sq.)の付与と剥奪の問題
に焦点をあてよう。
『狂気の歴史』第二版に補遺として収録された「私の身体、この紙、この炉」などにおいてフ
ーコーが注釈を施しているデカルトの「第一省察」の一節は、感覚的なものへの懐疑の可能性を
10
フーコーの主張に対するデカルト研究からの応答をここで検討する余裕はないが、基本となる資料(仏語)を提
示するなら次の通りである。
─Alquié, F., ‘Le philosophe et le fou’, in Descartes metafisico: interpretazioni del novecento, éd. par J.-R. Armogathe et G.
Belgioioso, Rome: Istituto della Enciclopedia Italiana, 1994, pp. 107-116.
─Beyssade, J.-M., ‘« Mais quoi, ce sont des fous »: sur un passage controversé de la Première Méditation’, in Revue de
métaphysique et de morale, 1973, pp. 273-294 ; repris in op. cit., Paris, 2001, pp. 13-38.
─Beyssade, J.-M., ‘La “querelle de la folie”: une suggestion de F. Alquié’, in op. cit., Rome, 1994, pp. 99-105.
─Beyssade, M., ‘Foucault et Derrida: y a-t-il un argument de la folie ?’, in ibid., pp. 117-120.
─Kambouchner, D., Les Méditations métaphysiques de Descartes: introduction générale et Première Méditation, Paris: P.U.F.,
2005, pp. 381-394.
- 34 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
探究する文脈にある。その第一段階は狂気への訴えかけからなり、第二段階は夢と覚醒の区別を
無効にすることに存する。この前者を記述するテクスト(AT,VII,18-19)を次に引用しよう 。
11
しかしながらおそらく、時折は感覚が或る細やかなものやあまりにも遠くのものに関して、
われわれを欺くことがあるにしても、しかし、他の大多数のものは、同じく感覚から汲まれ
はするものの、それについては疑われることが全くできないであろう。例えば、現に私がこ
こにいること、炉辺に坐っていること、冬着を身につけていること、この紙を手に握ってい
ること、およびこれに類することのごときが、それである。この両手そのものやこの身体全
体が実のところ私のものとしてあるということ、そのことはどうして否定されえようか、私
をもしかして私が、黒い胆汁から脹れ出てくる蒸気で頭脳がひどくぐらつかされ、赤貧の身
でいるそのときに自分は国王であるとか、素裸でいるそのときに緋衣をまとっているとか、
粘土製の頭をもっているとか、全身これ水瓶であるとか、ガラスで造りあげられているとか、
終始言い張っている、誰かしら気のおかしくなった者(insanis)に、擬して考えようという
のでないとするならば。しかしそうした人びとは、
正気を失っている(amentes)のであって、
彼らに劣らず私自身が、彼らのそういう例に私が倣うとしたならば、心神喪失者(demens)
と思われることであろう(viderer)。
ここで注目すべきは、デカルトが「気のおかしくなった者(insanus)
」/「正気を失っている者
(amens)」/「心神喪失者(demens)」の三つの単語を使い分けていることである。フーコーに
よれば(DE,II,253-254)、insanus とは、「自分を自分ではないものと思いこむことであり、妄想
を信じこむことであり、幻想の犠牲になること」である。そして、この語は医学的な術語であり、
狂人を特徴付けるために日常的に用いられていた。しかし、狂気の特徴付けではなく、狂人の模
倣に言及する段階にさしかかったとき、デカルトは demens および amens という、医学的である
以前に法的な術語を用いていると指摘される。これらの術語を以て指示されているのは、
「一定
の宗教的、市民的、法的行為の当事者」となることができない、つまり、
「話したり、約束したり、
契約したり、署名したり、訴訟を起こしたり等々をする際に、全幅の権利を有さない」人びとの
範疇である。
そこでフーコーは次のように問う。感覚的なものを懐疑に付すために狂人をよそおった場合、
主体は省察を行なう資格を失わないのか。その答えは、テクストのうちに「きわめて明確に定式
化されている」(DE,II,289)。つまり、〈彼らは狂人なのであり、もしも彼らの例に倣うなら、私
。懐疑の過程において「言説的な
も彼らに劣らず途方もない者(demens)の烙印を押されよう〉
出来事(événements discursifs)」を構成する〈狂気〉の例に訴えかけ、狂人としてふるまうこと
は、心神喪失者とみなされる者になることであり、このことは省察の遂行に必要な最低限の資格
の喪失を含意する。しかし、先に引用したテクストの直後において、つまり夢と覚醒の区別を無
デカルト『省察』の邦訳は、所雄章『デカルト「省察」訳解』(岩波書店、2004 年)を参照した。
11
- 35 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
効にすることで感覚的なものが懐疑に付される段において、この無効のために主体が「眠れる
人」をよそおったとしても、省察を続行することは可能である。
「省察主体が狂人をよそおい、
狂人としてふるまい、狂人となろうとするものなら、資格を喪失してしまい省察できなくなる」
(DE,II,291)が、「主体を変容させ、目覚めていることを不確かに思う主体に変えつつも、夢の思
考は主体から省察主体の資格を奪うことはない」
(DE,II,250)
。たとえ主体が、
〈夢〉という言説
的な出来事によって「眠れる人」とみなされる者に変容しても、懐疑を押し進めることは可能な
のである。したがってここで問題なのは、懐疑が狂気から夢へ展開する過程において、デカルト
的主体が、〈非-狂人〉という資格認定を根拠にすることで、省察主体として、さらには前節で
言及したように、対象認識の一般的な形式として参照される自己認識の主体として、いかに編成
されていくのか、その変容を見届けることである。
そのためにフーコーによれば、デカルトの「言表」を「体系」と「訓練」に分類し、それにし
たがって『省察』を二重に読解しなければならない。
「体系」とは、形式的な規則によって言説
的な出来事を組織立てるものである。「純粋な論証の場合、これらの言表は、一定の数の形式的
規則にしたがって相互に結びついた出来事の系列として読むことができる。言説の主体はといえ
ば、論証のなかにまったく巻きこまれていない。主体は、論証に対して、固定し、変化せず、い
わば中和されたようなものとしてとどまる」(DE,II,257)
。
『省察』のテクストを構成する言表の
体系的な連鎖は、それとしては純然たる演繹の契機として読解されなければならない。だが、こ
のような「体系」の傍らに、「一連の言表主体の変容」をもたらす「省察的訓練」の次元がある
ことを見逃してはならない。フーコーはそれを次のように説明する。
『省察』で述べられることを通じて、主体は闇から光明へ、不純から純粋へ、情念の制約か
ら超脱へ、不確かさと無秩序な動きから知恵の平静さ等々へと移行する。省察において、主
体はみずからの運動によってたえず変化させられる。彼の言説は、
様々な効果をひきおこし、
彼はそのなかに捉えられる。言説は彼を危険にさらし、数々の試練や誘惑のただなかを通過
させ、彼のうちに様々な状態を生じさせ、当初は彼が持っていなかった地位や資格を与える。
要するに省察は、可動的で、生み出される言説的な出来事の効果そのものによって変容しう
る主体を前提とする(ibid.) 。
12
省察的訓練においてデカルト的主体は、演繹的かつ形式的に結びつけられた言表の実際的な展開
がかたちづくる言説的な出来事によって、変容させられる。例えば「第一省察」は、
「主体をし
て彼の信念から解放するか、あるいは体系的な懐疑へと導き、啓示や決意をひきおこし、様々な
こだわりや直接的な確信から解放し、新しい状態を導く」
(ibid.)
。この変容をデカルト的懐疑に
12
フーコーは「デリダへの回答」において、「省察的なテクストは、話す主体がたえず移動したり、変容したり、
リスク
確信を変更したり、前進してさらなる信念を獲得したり、危険を引き受けたり、試みをしたりすることを想定し
ている。話す主体が固定し不変なままにとどまる演繹的な言説とは違って、動的で自分が検討する仮説に身をさ
らす主体を想定している」(DE,II,285)とも述べている。
- 36 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
おける〈狂気〉と〈夢〉の機能的な差異に照らして換言するなら、一方で狂人の資格喪失に対し
て「理性的な者」として主体を構成し、他方で夢と覚醒の区別の不在において「懐疑する者」と
して主体を構成するという、相反する二つの試練を終えてこそ、省察する主体は懐疑を継続しう
る主体として自己を見出すのである(DE,II,261)
。それならばフーコーに次のような問いを投げ
返さなければならない。そのような言説的な出来事が、確実な認識を探究する主体にとって外部
から到来するのではなく、まさしく主体の自己への関係のうちに生起し、そしてその意味におい
て、言説的な実践としての「省察的訓練」が、主体の自己に対する労働を通じて主体の変容をも
たらす反省の形式をとるのであれば、それはフーコー自身が『主体の解釈学』で「デカルト的契
機」の名のもとに格下げした古代的な「霊的訓練」の実践に相当するのではないか。つまり『省
察』は、それなしには言説的な出来事を産出するテクストそのものが機能しなくなる条件として、
省察的訓練(=アスケーシス)の次元を内包しているのではないか。
3. おわりに──考察と課題
晩年のフーコーが古典古代の思想の分析を通じて示した、主体の自己に対する反省的な運動へ
の関心は、デカルトの『省察』に書き込まれた〈狂気〉をめぐる一節の、若き日のフーコーに
よる読解をひとつの機会として、その萌芽を見出した。この読解こそが、
〈真理の主体〉への変
容を目指すデカルト的主体と言表の関係の解明を通じて、
『省察』のうちに「省察的訓練」の反
省性の次元を見出し、それが遂行的でもあることを明らかにしたのである。しかし、
『主体の解
釈学』において定式化された「デカルト的契機」のテーゼは、1972 年にフーコーが「第一省察」
のうちに読み取り、いまやデカルト研究において『省察』の解釈格子として一定の評価を与えら
れた 反省的・遂行的なアスケーシスの、デカルトその人による近代の哲学的思索からの「排除」
13
(HS,16)を宣言するものではなかったか。結局のところ、このような訓練は、デカルトにとっ
て不可避的な役割を果たすことはなかったのか。そうではない、と主張することが本稿での要諦
である。なぜなら上述してきたように、晩年のフーコーのテーゼを若き日の彼の発言から説き起
こし、省察主体の編成という主題に沿って再構成するなら、古代的な霊的訓練の格下げというそ
の主張にもかかわらず、『省察』がデカルト的主体に或る種の訓練を課していたことは確かだか
らである。しかし、いかなる意味においてそう言えるのか。結論を先取りするなら、
『省察』が
主体に求める訓練は、〈あらゆる古代的なアスケーシスを終らせるためのひとつのアスケーシス〉
として機能しているのではないか 。つまりかのテーゼは、
〈真理の主体〉の成立条件としてコ
14
ギトが措定されるために必要な、デカルト的懐疑という形式を有した省察的訓練が、もはや認識
においてあらゆる懐疑の可能性を免れたコギトの定立とともに不要とされる ことを体現し、そ
15
して、自らの必要性に終止符を打つために実行されなければならないこの訓練の逆説的な性格を
露わにしているのである。それをフーコーに倣って換言するなら、デカルト的主体は、古代的な
Cf. Kambouchner, op. cit., pp. 138-139; 150; 389-390 par exemple.
Cf. McGushin, E. F., ‘Foucault's Cartesian Meditations’, in International Philosophical Quarterly, No. 177, 2005, p. 58.
15
Cf. Potte-Bonneville, M., Michel Foucault, l’inquiétude de l’histoire, Paris: P.U.F., 2004, p. 247.
13
14
- 37 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
〈自己への配慮〉との緊張に満ちた接触と摩擦の関係を通じて、真理獲得の道程(hodos)/方法
(meta-hodos)を〈自己の認識〉に根拠づけるべく、自己をコギトとして見出し、それとして自
己を認識するという到達点へ向けて、懐疑というアスケーシスの過程を経験したからこそ、この
主体は〈真理の主体〉として編成され、真理に直ちに到達する資格を与えられたのである。要す
るに『省察』における言説的な実践は、〈あらゆる古代的なアスケーシス(自己配慮)を終わら
せるための、真理獲得の方法(自己認識)の確立に寄与する懐疑というアスケーシス〉のことな
のではないか。このような考察から出発して、今後の課題を提示することで本稿を終えよう。
もし古代的な霊的訓練から差異化された訓練の次元が『省察』に認められるなら、
このことは、
省察的訓練の概念が〈主体の系譜学〉における主体性の変換期を告げる「デカルト的契機」の前
後にあって、その意味と役割を変えながら多義的に使われうることを意味する。ここでこの多義
性に注目しなければならないのは、半年後に死をひかえたフーコーの次の発言のためである。
霊的生活は、主体が或る種の存在様式に至ること、そしてこの存在様式に至るために主体が
自己に対して行なわなければならない変容に関係している。
[……]デカルトの『省察』を
読むならば、或る存在様式に到達するという、まったく同じ霊的な配慮があるのがすぐにわ
かると思われる。その存在様式において懐疑はもはや許されず、ついに認識を行なうことが
できる。[……]そして、哲学の定義とはまさに、認識する主体に到達すること、あるいは
主体をそのようなものとして性格付けてくれるようなものへと到達することなのだ。こう考
えるならば、哲学は、科学性の基礎付けという理想に、霊的生活の諸活動を重ねていると言
えよう(DE,IV,723)。
なるほど最終的にフーコーは、「デカルトが明証性の規則を立て、コギトを発見したとき」に自
己認識と自己配慮のあいだに「断絶」(HS,28)が決定的・瞬間的に生じ、両者が相互排除の関係
におかれたとは考えていない 。それならば今後の課題は、このテーゼを保持することの哲学史
16
的な「困難」 を指摘することではなく、かの〈重なり〉を自己認識と自己配慮のあいだの相互
17
従属の関係として捉えたうえで、その関係性のうちに、デカルトに固有な省察的訓練が有する反
省性の形式的な特徴を探り当て、フーコーの〈主体の系譜学〉において多少なりとも「アンビバ
レント」 な位置を占めるこのテーゼをいかに再評価するかであろう。
18
この課題に取り組むための道筋のひとつは、次のような問いとして指し示される。
〈自己の認
識〉は、認識一般という立法の下で自己配慮の代わりをつとめ、そのことにより、配慮として規
定される、真理を探究する主体の自己への関係性を完全に排除してしまうのか。それとも、先に
言及した従属的な関係を実質的に規定すべく、主体の存在を倫理的な次元において問題視するよ
16
17
18
Cf. Gros, F., ‘Sujet moral et soi éthique chez Foucault’, in Archives de philosophie, n° 65, 2002, p. 235.
Cf. Zarka, Y. Ch., ‘Foucault et l’idée d’une histoire de la subjectivité: le moment moderne’, in ibid., n° 65, 2002, p. 265.
Cf. McGushin, E. F., ‘Foucault and the Problem of the Subject’, in Philosophy & Social Criticism, vol.31, No. 5-6, 2005,
p. 638.
- 38 -
言説的な実践としての「省察」による自己主体化
うな何らかの経験を、自己認識から期待すべきなのか。だがそもそも自己認識そのものに、この
ような経験の形式や力をいかに付与しうるのか。このような問いに対してデカルト自身は、
『主
体の解釈学』におけるフーコーのデカルト読解の戦略とは別のところで、アスケーシスの到達点
をなすコギトという自己認識のうちに、古代的な自己配慮から差異化された、主体の自己への
倫理的な関係性を認めていたと思われる。『省察』の後に『情念論』などで展開される思索を先
取りしつつ、いまその見通しのみを簡潔に述べるなら、デカルトはそれを〈自己の重視(estime
de soi)〉として提示したのではなかったか19。『情念論』第 147 項によれば、
「内的な情動は、精
神自身のみによって精神のうちにかき立てられる」
(AT,XI,440)
。身体を原因とするのではない、
つまり精神だけを原因としてそのうちに生ずる内的情動は、デカルト的主体がその能動に他なら
ない意志作用を受容している事態を指す。このような内的情動に含まれる「高邁」は、第 154 項
によれば、「自己認識(connaissance d’eux-mêmes)
」および「自己感情」であり、自由な意志作用
を受容することである(AT,XI,446)。いまこの自己認識に注目するなら、それは「われわれ自身
の価値」
(第 151 項)に、あるいは自己の「正当な価値」
(第 161 項)に関わる自己重視に他ならず、
「驚き」の一種である。正当に「人が自分を重視する原因」は「人が自分自身のうちに感じてい
る、自分の自由意志を常に善く用いる意志」であり、
「そこから高邁が生じる」
(第 158 項)ので
ある(AT,XI,449)。デカルト的主体はしたがって、みずからの選択で意志を善く用いるとき、そ
うすることのできる自己に驚嘆し、その価値を「重視」
という仕方で評価する。しかもこの評価は、
意志の善用を基準とする、倫理的な次元における価値判断である。
このような反省性の形式は、
『省
察』の文脈に照らすなら、次のように換言されよう。確実な認識を探究する主体が〈真理の主体〉
として編成される過程において、そのために不可避な懐疑をみずからの選択で遂行するとき、そ
のように意志を使用する主体は、自己を最終的にコギトとして見出すとともに、この意志作用の
主体でもあるということに倫理的な次元における評価を与えるのである。取り組むべきはしたが
って、「デカルト的契機」の設定のもとに強調された自己認識の背後にあってデカルトに読み取
るべき反省のもうひとつの形式から、
〈主体の系譜学〉
を牽引するフーコーの思索に触発されつつ、
いかなる哲学的・倫理的意義を引きだすか、ということであろう。
(つざきよしのり 哲学哲学史・博士後期課程)
19
Cf. Guenancia, op. cit., p. 252.
- 39 -
Auto-subjectivation du soi et méditation comme exercice discursif
Auto-subjectivation du soi et méditation comme exercice discursif
— autour de L’herméneutique du sujet de Michel Foucault —
Yoshinori Tsuzaki
L’herméneutique du sujet (2001) de M. Foucault caractérise le moment moderne
incarné par les Méditations métaphysiques de Descartes dans la généalogie historique de la
subjectivité avec deux opérations sur les rapports entre le sujet et la vérité. Premièrement,
ce moment consiste à disqualifier le premier rapport que Foucault propose de définir comme
spiritualité (exercice spirituel), en s’appuyant sur le thème gréco-romain de l’epimeleia
heautou (souci de soi): l’accès à la vérité exige une transformation du sujet. Deuxièmement
et corrélativement à cette opération, ce qui est philosophiquement (re)qualifié est le second
rapport qui interprète le principe delphique, gnôthi seauton (connais-toi toi-même), de
façon épistémologique sans requérir une telle élaboration du sujet. Pourvu qu’il conduise
bien sa raison et respecte quelques autres conditions externes, il peut être par lui-même
défini comme capable de vérité: celui devant qui la vérité se présente et qu’il reconnaît
comme telle. Cependant, c’est Foucault lui-même qui a mis en avant la dimension ascétique
et réflexive de la méditation qui peut opérer ou provoquer sensiblement la conversion
d’un sujet méditant dans les Méditations de Descartes. Selon la deuxième édition de
l’Histoire de la folie (1972), le style de pensée propre à la méditation procède
simultanément à deux niveaux, en déployant d’un côté les enchaînements exacts d’un
raisonnement destiné à entraîner une conviction formelle, et en prenant de l’autre côté la
forme d’un certain exercice par lequel le sujet méditant en quête de vérité agit sur lui-même,
et induit des modifications se produisant sur un plan non seulement théorique mais aussi
pratique. Si l’effectuation de cette méditation en tant qu’exercice discursif conditionne ainsi
l’accès à la vérité de l’ego, pourrait-on entendre par ce que Foucault a appelé le « moment
cartésien » moins la simple disqualification de l’exercice spirituel de type gréco-romain
que l’alternative d’un exercice de type cartésien qui a pour effet de rendre superflue toute
l’attitude ascétique pour le cogito?
「キーワード」
Foucault, Descartes, sujet, vérité, méditation
フーコー、デカルト、主体、真理、省察
- 40 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
山口裕人
初めに
ライプニッツは、晩年の 10 年間(1706 ~ 1716)にイエズス会のバルトロマイウス・デ・ボス
神父 Bartholomew des Bosses と交わした膨大な書簡集に於いて、諸実体乃至モナドの集合体であ
る物体に実体性を付与し複合実体と成すものとして〈実体的紐帯〉vinculum substantiale なる概念
を提示した(1712 年 2 月 5 日付書簡 ; GII, p.435)が、これに納得しないデ・ボス神父に対して、
1715 年 4 月 29 日付の書簡に於いて、ライプニッツは「エコー」Echo という言葉を用いて説明を
試みる(ibid., p.495)。以後この言葉は〈実体的紐帯〉を語る際に幾度か用いられることになる
のだが、果たしてこの言葉は研究者たち が述べるように使用意図の良く分からない比喩に過ぎ
ないのであろうか? 本稿では、彼らの遣り取りの最後を締め括る 1716 年 5 月 29 日付書簡での
ライプニッツの言葉、「魂も外的なもののエコーである」
(ibid., p.517)を手掛かりに、この言葉
を以て彼が〈実体的紐帯〉について提示しようとした事柄を明らかにすることで、
「エコー」と
いう言葉が単なる比喩に留まるものではないことを示したい。
‘Echo’ を有する実体的紐帯
さて、本往復書簡で「エコー」という言葉が〈実体的紐帯〉と絡む形で初めて登場するのは、
現象を実体化する、即ち諸モナドの寄せ集めを複合実体と成すような実在的結合が在るとするな
ら、物体そのものに変化をもたらすのは何であるのか、というデ・ボス神父の問いに対するライ
プニッツの応答に於いてである。ライプニッツによれば、
例えば、佐々木能章氏はライプニッツがデ・ボス神父に宛てた書簡の中から 20 通を抜粋して翻訳したが(〈ライ
プニッツ著作集〉第 9 巻「後期哲学」に所収)、その際、
「エコー」という言葉に〈註 40〉を当てて、次のように
述べている。
「実体的紐帯がエコーとして表現される最初の場面である。ライプニッツの意図がどのようなもの
であったかは必ずしも明確ではなく、むしろそのため解釈のイメージとして様々に扱われている。」
(同書、182 頁)
また後述の C. フレモンは端的に 「メタファー」 と呼んでいる(Frémont, p.241)。
- 41 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
諸モナドはこの実在化するもの(=「実在的結合」
)に影響するのだが、しかしこのもの自
身は諸モナドの法則を何ら変えることはない。というのも、諸モナドから受け取る変化の一
つ一つを、この実在化するものはいわば quasi エコーとして有しているからである。
(ibid.,
p.495)
この「実在化するもの」即ち「実在的結合」がエコーを有しているのは、本質的 essentialiter
にではなく自然的 naturaliter になのである、と云う。何故なら、神の力を以てすれば、諸モナド
が与えないものを「実在的結合」に帰することも、反対に諸モナドが与えるところのものを「実
在的結合」から取り除くことも出来るからである(ibid.)
。
しかしながら、これだけ見てみると、何故に彼が〈実体的紐帯〉なるものを立てなければなら
なかったのか却って理解に苦しむのではないだろうか。既に彼は、デ・ボス神父との書簡の遣り
取りの初期の段階で、「エンテレケイア entelechia は自分の有機的身体、つまり第二質料 materia
secunda を取り替える」
(ibid., p.324)と書き送っているのである。そして、
ここで云われている〈第
二質料〉とはとりもなおさず諸モナドの集合体である ことを考え合わせるなら、上で見たよう
な「エコー」による説明は、かつてデカルト派の自然学者ブルヒャー・デ・フォルダー Burcher
de Volder に提示して見せた図式、即ち、物体が一性を有するのは、
その物体の〈支配的モナド〉が、
物体を構成する無数の〈従属的モナド〉の諸表象を自己に於いて判明に表象することによってで
ある、という説明と何ら変わりがないようにさえ思われる。
‘Echo’ とモナド、そして紐帯
こうした疑問に答えるためには、まず 1715 年 8 月 19 日付の書簡に注目する必要があるだろう。
この書簡に於いてライプニッツは、「モナドがそれ自身の蓄えから ex penu sua 全てを引き出す」
(ibid., p.503)ことを改めて確認し、このようなモナドが無ければそもそも紐帯について考える
ことなど無意味である、と述べた上で、紐帯が実体的なもの substantiale でなければ複合実体を
作ることは出来ない、と断言し、「エコーを反射する reddens 物体が作用の原理である。つまり
紐帯は複合実体の作用の原理なのである」(ibid.)と述べている。
ここから取り出せる主張は、順々に挙げれば以下の四つであると考えられる。
(1)モナドが存在する、ということが紐帯について考察するための必要条件である。
(2)ライプニッツの云う紐帯は「実体的なもの」substantiale である。
(3)紐帯はエコーを反射する reddens ものである。
(4)紐帯は複合実体の作用の原理である。
ここでは先ず、本書簡でのライプニッツにとって「実体的」とは如何なる意味を持つのかを見出
すために、(2)の主張から見ていくことにする。同じ書簡の続く箇所で、彼は「実体的」である
、
、
ということについて二つの定義の仕方を提示している。一つは様態 modificatio でないものが実
Cf. ibid., p.285
- 42 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
体的なものである、というもの。もう一つは、様態の源泉 fons modificationum が実体的なもので
ある、というもの。そして後者の定義の仕方に導かれる形で、彼は次のように述べている。
実体的紐帯は……基体 subjecto の内に在るのだが、しかしそれは偶有性としてではなく、ス
コラ学者が言うところの実体的形相として、或いは様態の源泉として──この時にはエコー
としての在り方で──在るのである。(ibid., p.504)
ここで、実体的紐帯とエコーとの関係を考える上で、
〈半偶有性〉semiaccidentia(ibid.)と呼ば
れているものが重要な役割を果たすように思われる。これは「色とか匂いとか味とか」
(ibid.)
であり、またこの書簡の付録として収められている表には、
「形象 species、諸実体の様態の集ま
り」(ibid., p.506)とされている。ライプニッツに言わせると、この 〈半偶有性〉は──〈半実
体〉semisubstantia(ibid., p.503.)、即ち単純実体から成る寄せ集めと共に──もしモナドしか存在
せず従って実体的紐帯が無ければ、真ではあるものの単なる現象に留まるのである。換言すれば、
実体的紐帯が存在して始めて、この〈半偶有性〉は「半」という言葉を免れる、即ち複合体 の
、
、
真の偶有性 accidentia となることが出来るのである──要するに〈実体的紐帯〉は「様態の源泉」
、
、
であり、「半偶有性」を真の偶有性たらしめるものなのである。
次に、
(1)と(3)についてまとめて見ていくことにしたい。その理由は、
これら二つの主張から、
「エコー」に関する或る重要な解釈が生じているように思われるからである。
その解釈とは、イヴォン・ブラヴァル Yvon Belaval とクリスティアーヌ・フレモン Christiane
Frémontによる解釈である。彼らによれば、「エコー」という言葉が現れることによって次のよ
うな三項図式が成立する。即ち、(i)発信装置である諸モナド、
(ii)反射する壁である〈実体的
紐帯〉、(iii)反射によって実体化させられたものである「エコー」
。フレモンが続けて述べると
ころによれば、モナドが与えられたとしてもそれだけでは単なる寄せ集めしか出来ない。
「実体
化されたもの」が生じるための十分条件は、
〈実体的紐帯〉の内に探し求められるべきなのである。
支配的モナドと複合実体が不可分であるとされているのはデ・フォルダーと往復書簡を交わして
いた時と変わらないが、デ・ボス神父との往復書簡に於いては、支配的モナドが複合実体を形成
するとは言わなくなっている、という違いがある。この違いは、
〈支配的モナド〉が複合実体を
構成するということが、そもそも論理的かつ形而上学的に不可能であることに由来している、と
フレモンは主張する 。「というのも、支配的モナドは、その他の諸モナドと同じく、宇宙を一定
の仕方で表出するのであって、それはその他の諸モナドよりもより判明に、つまりより完全なも
先の〈半偶有性〉と合わせて両者は〈半有〉semientia と称される(ibid.)。
ここで(また以下に於いても)
「複合体」と言われているものは、諸モナド或いは(この直前で言われているように)
、
、
単純実体から成る寄せ集めのことであって、〈複合実体〉のことではない点をここで申し添えておきたい。
ライプニッツが偶有性を様態と同一視している点については、GII, pp.457-458 を参照。Cf. 石黒、p.146
Belaval, pp.248-249
Frémont, pp.33-38
ibid., p.37
- 43 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
のなのだが……、支配的モナドはより判明に表出するに過ぎず、他の一切の表出の一性とはなら
ないからである」。
さらに言えば、支配的モナドは他の諸モナドに比べてより判明に表象するとはいえ、モナドで
ある点に於いては他の諸モナドと何ら変わりがない。従って、支配的モナドと呼ばれるモナドと
いえども、モナドの寄せ集めの一要素に過ぎない訳であるから、支配的モナドが複合実体を構
成するという事態は、或る集合の構成要素に過ぎないものが当の集合を構成する、という事態に
還元されることになる。ところで、「或る集合の構成要素に過ぎないものが当の集合を構成する」
とは何とも奇妙な事態ではないだろうか──「〈4〉が自然数全体の集合を構成する」或いは「あ
なたの右手の小指があなたの身体全体を構成する」と云うように。
10
かくして、〈実体的紐帯〉という一つの壁がもたらされることによって初めて、諸モナドの共
通の様態が取り出されることになる。ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze の表現を借りれば、
「一緒
になって響かせる〈反響〉をとりだすのである」 。以上が、物体的実体の一性は〈実体的紐帯〉
11
にしか起因しないと云われる所以である。
この点を先に見た論点(2)と合わせて考える時、
この解釈は一見、
どのようにして〈実体的紐帯〉
が「様態の源泉」であるのか、という点を明示しているように思われる。即ち、諸モナドが個々
別々に発する表象を〈実体的紐帯〉が反響することによって、それら諸表象を恰も波の音のよう
に一まとまりのものとし、諸モナドと支配的モナドから成る複合体自身の表象たらしめる、とい
う訳である。
反論
しかしながら他方、実体は自己の内に自発性を有しかつこの世界の全てを含んでおり、実体同
士で影響を及ぼし合うことは無い、という彼自身の著名な主張 がある。また、
「形而上学叙説」
12
第 8 節に於いて、偶有性について、「その概念(=偶有性の概念)が属しているところの主体に
属し得る全ての概念を含んでいるとは云えない」と云い、
アレクサンダー大王に属している「王」
という性質を例に挙げて、この性質は主体から切り離されると或る個体を決定し得ず、同じ主
語が有する他の性質を含んでいない、と主張する一方、同時期に認められたアントワーヌ・ア
ルノー Antoine Arnauld 宛書簡(1686 年 7 月 14 日付)では、或る個体を規定する determiner もの
は、その個体の全ての述語を含んでいなければならず、従って或る個体(例えばアダム)の一切
の述語を含んでいる完足的 compléte な実体こそが当の個体を規定する、と主張されている(ibid.,
p.54)。
これらの主張を鑑みると、諸モナドは互いに独立し合っているのであるから、この期に及んで
ibid.
Cf. ibid.
11
ドゥルーズ、p.192
10
12
例えば Correspondance avec Arnauld; GII pp11-138、特に 1687 年 4 月 30 日付(ibid., pp.90-102)、及び 1687 年 10 月
9 日付(ibid., pp.111-129)を参照
- 44 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
諸モナドの表象のまとめ役であるような〈実体的紐帯〉を持ち出す意味がやはり理解できない、
デ・フォルダーに対して為したように、支配的モナドと従属的諸モナドの表象の判明度の差で説
明すれば充分ではないか、という反論が提起されるように思われる。
また、〈実体的紐帯〉を持ち出すことによって、却って複合体の個体性の在り処が分からなく
なるのではないか、という疑問が提示されることも考えられる。というのも、支配的モナド─従
属的諸モナドの図式のみであれば、複合体の個体性は、従属的諸モナドを判明に表象するが故に
支配的モナドの側に在ると言えたのが、反射する壁である
〈実体的紐帯〉
を持ち出すことで却って、
複合体の個体性の在り処を表象の判明性に求めることが出来なくなると考えられるからである。
〈実体的紐帯〉についての反論や疑念はまた、上記の(4)について、即ち〈実体的紐帯〉は
複合実体の作用の原理であるという主張を考察することからでもさらに提起されるように思わ
れる。何故そう考えられるのかを押さえておくために、ここでロバート・M・アダムス Robert
Merrihew Adams の研究を参照しておきたい。
彼はその著作 Leibniz; Determinist, Theist, Idealist(1994)の中で、’Form and Matter in Leibniz’s
Middle Years’ という章を設けているが、そこで 16 世紀後半スペインのイエズス会士にしてスコ
ラ学者、フランシスコ・スアレス Francisco Suárez による〈実体的形相〉についての主張を引き
合いに出しつつ、ライプニッツの〈実体的形相〉の説について考察を加えている。
ここでアダムスは、ライプニッツの〈実体的形相〉説を、それが「作用」efficient 因的な働き
13
を有しており基体の作用の原理である、というスアレスの主張に連なるものとして論じている。
スアレスは〈実体的形相〉を「存在及び特性の泉」
、即ち基体の作用の原理であると見做し、
〈実
体的形相〉の働きについて、例えば樫の木であれば、成長した樫の木に特徴的な生の形式を発展
させかつ維持することにあると考えているという。ここからアダムスは次の二つの主張を説き起
こしている。第一に、スアレスにとって、〈実体的形相〉は自らが属している実体に作用するも
のであり、故にその「作用」因的な働きは遍在的 immanent なものであるが、こうした遍在的な
因果性は、ライプニッツにとっては、形而上学的にのみ実在的であるようなものであること。第
二に、──ライプニッツにとって〈力〉の概念が殊に重要であることを指摘しつつ──スアレス
の主張からすると、形相が「作用」因的な役割を有しているのは、
〈実体的形相〉を有すること
、
、
、
、
、
が或る一定の力や傾向を有していることである、或いは有していることを含んでいる限りである
と考えられるが、これはライプニッツの考えに相即的なものであること。
14
以上のようなアダムスの主張からすると、
「作用の原理である」とは、
何ものか(例えば樫の木)
を正に当の何ものかたらしめることである、ということになるであろう。このことを押さえた上
で先に挙げた(4)を顧みる時、果たして〈実体的紐帯〉は本当に作用の原理たり得るのであるか、
という疑念が頭を擡げるのではないだろうか。先に見たように、
「エコー」という言葉を持ち出
す場面で、ライプニッツは「諸モナドはこの実在化するものに影響するのだが、しかしこのもの
13
14
アダムスは efficient とイタリックで記している。
Adams, pp.310-311
- 45 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
自身は諸モナドの法則を何ら変えることはない」と述べていた。ということは、実のところ〈実
体的紐帯〉には或るものを正にそのものたらしめるような力などない、従って〈実体的紐帯〉を
作用の原理だとするのはおかしいのではないか、という帰結に陥るように思われるのである。
‘Echo’ と身体、魂──(1)身体なき魂=反秩序的存在
冒頭にも述べたように、ライプニッツは 1716 年 5 月 29 日付書簡に於いて、デ・ボス神父に宛
15
てて「魂もまた外的なもののエコーである」Etiam anima est Echo externorum という言葉を書き
送っている。この言葉を導き手として、前節の後半で取り出された問題に考察を加えていくこと
にしたい。
さて、エコーとは云うまでも無く何ものかの反響であることから、直前に引いた言葉は容易に
『モナドロジー』(1714)中の次の言葉を連想させるのではないだろうか。
……どの単純実体も他の全ての実体を表出する様々な関係を持ち、従って宇宙を映す永遠の
生ける鏡 miroir vivant なのである。(§56; GVI, p.616)
また続く第 77 節には、「魂(滅びることの無い宇宙の鏡)
」
(ibid., p.620) という言葉もある。
16
ところで、同じ『モナドロジー』の第 62 節で、魂は特別に自分に属している身体を表出する
ことで宇宙全体を表出する、と述べられており(ibid., p.617)
、さらに第 70 節では、どの生物の
身体もエンテレケイア(動物では「魂」)を持つと云われている(ibid., p.619)
。こうした主張は、
ライプニッツの考えに於いては目新しいものでは決して無い。魂は自己の身体を表出することで
宇宙をも表出する、という主張は 1686 年の『形而上学叙説』中に既に見出されるものである(GIV,
p.458)し、如何なる身体も魂乃至エンテレケイアを有するという主張もまた、1680 年代半ば──
つまり『形而上学叙説』とほぼ同時期──に著されたと推測されている小論に於いて、以下に引
用する文章によって既に打ち出されているのである。
精神 mens は身体 corpus から分かたれているか、それとも結び付けられているかである。
分かたれている場合、それは神であり、結び付けられている場合、それは我々の魂 anima
nostra である。その他に、「天使的精神」と称されるところの、我々よりさらに完全な精神
も存在する。古代の人々は、これらの[天使的]精神も身体──我々のよりは精緻な──と
結び付けられていると信じていた。もしこれが本当であるならば、我々の魂もまた、仮令そ
れ自体では非物体的であるにしても、死によってのみ自己の粗大な身体から離れ去るものと
して見ることが出来るだろう。
自らに付加された身体を有さぬ被造物など無いのである。
(LC,
15
出典箇所については本稿冒頭の「始めに 」を参照のこと。ここで ’externorum’ と呼ばれているものが何であるの
か──魂が自己に固有のものとして有している身体のことなのか、それとも魂と対峙しているものとしての世界
全体のことなのか──を、ライプニッツが全く規定していない点は留意しておかなければならないだろう。
16
括弧書きの文言はライプニッツ自身によるものである。
- 46 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
pp.284-285; [ ] は本稿筆者による補足)
被造物たるものは、仮令天使であろうとも身体を有する、というこの主張は、その後上記で見た
ように、機会ある毎に、彼が死を迎えるまで唱えていくものなのである。
しかし、先に見たような、実体は自発性を有しかつこの世界の全てを含んでいるという彼自身
の主張 を知る人なら、彼にとっては魂乃至モナドに身体なぞ必要ないのではないか、何故「自
17
らに付加された身体を有さぬ被造物など無い」と云わなければならないのか、と問うことであろ
う。これに対してライプニッツの側から先ず提出されるであろう反論として、神と被造物との区
別に基づくものが予想される。実際彼は、1706 年 3 月 11 日付のデ・ボス神父宛書簡に於いて次
のように主張している。曰く、身体を有さない存在はつまり受動性を一切有さない存在であり、
従って純粋現実態 actus pures であることになるが、しかしそうするとそれは創造主たる神である
ということになるが故に、被造物は身体を有さざるを得ないのである 、と。
18
一見すると、全能なる神と有限な被造者、という既存の教義に乗っかったに過ぎない、甚だ恣
意的な回答に過ぎないように思われよう。しかしライプニッツ自身にとっては、この回答は恣意
的であるどころか、或る確信に満ちたものでさえあったのではないだろうか。──というのも、
例えば 1704 年 6 月 30 日付マシャム夫人 Lady Macham 宛書簡に於いて、彼は次のように述べて
いるのである。
あなたは次のように指摘されている、つまり、……魂が充足しているなら器官など必要ない
ではないか、と。それに答えて申し上げるに、もし(例えば)カエサルの魂が自然の内で単
独でしか存在しないのであれば、事物の創造主はそれに対して器官を与えずに済ませること
が出来たであろう。しかし他ならぬこの創造主が、無数の存在者を、それもその器官の内に
互いを含んでいるような存在者を創造することを望み給うたのである。
我々の身体はそれ故、
現実に存在するに相応しい無数の被造物に充ち満ちた一種の宇宙なのであって、もし我々の
身体が有機化されていなかったならば、我々の小宇宙は持ち得たはずの完全性を全く有して
いなかったであろうし、大宇宙にしても今あるような大いなる豊かさは無かったであろう。
(GIII, p.356)
さらに、この書簡とほぼ同時期に〈学芸著作史〉
(Histoire des ouvrages des Savants)に発表した『形
成的自然と生命の原理についての考察』 (1705 年)では、結末直前に次のように主張する。
19
註 11 を参照
Cf. GII, p.325
19
この論文を執筆したのは、マシャム夫人の父であるラルフ・カドワース Ralph Cudworth を初めとするケンブリッ
17
18
ジ・プラトニスト達の生命論、就中(ここに見た論文の題名にもなっている)〈形成的自然〉なる説に触発され
つつ、それに反論せんと考えたためだと言われている。なお、その詳細については、例えば E. カッシーラー『英
国のプラトン・ルネサンス』(かなり古い文献であるが)などを参照されたい。
- 47 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
……私は自然的に全く分離された魂とか、身体から一切離脱した被造精神とかは存在しない
と考える。……被造物が物質から解放されて自由になったとしたら、それは同時に普遍的
結合からも解放されることになり、いわば一般的秩序からの脱走兵になってしまう。
(GVI,
pp.545-546)
これらの引用文から明らかであるように、彼にとっては、身体を持たぬ魂といったものは秩序に
反する存在なのである。
しかし、そもそも何故身体を持たぬ魂は秩序に反しているのであるのであろうか。
「他ならぬ
この創造主が、無数の存在者を、それもその器官の内に互いを含んでいるような存在者を創造す
ることを望み給うた」からであろうか。けれどもそれでは、先に提示した「全能なる神と有限な
被造者、という既存の教義に乗っかったに過ぎない」主張であるという疑惑が再び頭を擡げ、議
論が水掛け論と化してしまうのではないだろうか。──それを避けるためには、先に見たマシャ
ム夫人宛書簡に現れる〈完全性〉という語に注意を向けるのが良いように思われる。
ライプニッツは『モナドロジー』に於いて、単純実体が無数にあってそれらが唯一の宇宙の様々
な眺望となっていると語った(§57; GVI, p.616)後、それが「出来る限り多くの完全性を得る方
法なのである」と述べる(§58; ibid.)。さらに(年代は遡るが)
『24 の命題』
(1690 年代)に於い
て、次の命題が打ち出されている。
……完全性は実在する。何となれば、〈完全性〉とは実在性の量以外の何ものでもないのだ
から。(C, p.534)
何故〈完全性〉は実在するのか。ライプニッツは、自己の本質乃至実在性の量に応じて実在す
ることを要求しているものを「可能なもの」と呼ぶのであるが 、
「可能なもの」が全て実在す
20
るようになる訳ではない。というのも、それらの中には相互に非整合的なものもあるからであ
る 。従って、「可能なもの」は互いに実在を目指して争うこととなり、最も多数なもの、或い
21
は可能なものたちの最大の系列 series maxima がその争いから帰結するに到るのである。それ故に、
「完全性は実在する」。
けれども、もしこうした〈完全性〉、或いはそもそも「可能なもの」が神によって創造される
ものならば、先に掲げた疑惑は解消されえないであろう。然るに、彼にとって「可能なもの」と
、
、
は神の創造物ではない。創造されるのはあのアダム─つまり
『創世記』
に描かれているアダム──
、
、
であり、あのアダムが神によって現実存在へともたらされたのであって、無数にある可能なアダ
ムは、あくまで「可能なもの」のままに留まるのである 。
22
また、〈完全性〉も「可能なもの」と同様に神の創造物ではない。先に見たように、
〈完全性〉
Cf. GVII, p.304
所謂「共可能性」に関わる箇所であるが、本稿ではその詳細には立ち入らないことにする。
22
GII, pp.54-55
20
21
- 48 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
とは実在を要求する「可能なもの」達の争いから帰結されるものであって、彼にとって神の創造
とは、「可能なもの」達の系列の中で最も完全であるような系列を現実存在へともたらすことな
のである。
かくあってみれば、或るモナドがもし身体を持たないとすると、そのモナドは他のモナドと共
に実在の量を最大化することがなく、従ってそのモナド自身は全く〈完全性〉を有さないことに
なる。換言すれば、或るモナドは他のモナド達と関係し合って初めて〈完全性〉を有することが
出来る、即ち、現実存在へともたらされ得るのである。
ライプニッツの主張が既存の教義に合わせるための恣意的なものではないこと、そしてその主
張が、或るモナドは他のモナド達と関係性を有することが不可欠であると考えられている点に由
23
来すること、──このような解釈は〈第一質料〉materia prima についてのフレモンの解釈 によ
ってさらに補強されるように思われる。ライプニッツによれば、
〈第一質料〉は単純実体の受動
的な側面であって、能動的な側面である〈第一エンテレケイア〉と合わさって初めて完足的な実
体即ちモナドとなるのであり、従ってこの両者は不可分なものなのであるが、フレモンの解釈で
は、〈第一質料〉とはモナド自身の位置、即ち自己と他のモナドたちとの関係を打ち立てる制限
の内的原理なのである 。
24
Echo と身体、魂──(2)秩序
しかしここまで辿ってきても、未だ次のような疑念が提起されるであろう。曰く、確かにモナ
ドが単独にではなく互いにまとまって存在していることを認め、また魂と呼ばれるモナドが自己
に固有の身体を有するという言い方を認めるとしても、だからと言って〈実体的紐帯〉を持ち出
す必要は無いのではないか。個体概念の説、或いは『弁神論』第 3 部での人間の創造についての
説 からすれば、或るモナドは別の一定の諸モナドを自己に固有の身体として特別に表象するよ
25
う予め設えられていると考えられるのではないか、と。
そこで以下では、「エコー」という言葉が用いられている別のテキストを考察することで、上
記の疑念に答えていくこととしたい。そのテキストとは、1687 年 4 月 30 日付アルノー宛書簡で
現れる、各々バラバラに配置され、別個に自分のパートを演奏しているような音楽家達のバンド
23
24
Frémont, p.117
とはいえ、このフレモンの解釈がそもそもライプニッツの云う〈第一質料〉にとって妥当なものであるかどうか
の吟味は必要であるように思われる。というのも、ライプニッツは或るところでは〈第一質料〉を「原初的な受
動力」vis passiva primitiva と規定したり(例えば De ipsa natura(1698)§12; GIV, p.512)、また別のところで、そこ
から抵抗 resistentia と惰性 inertia が生じると考えている(例えば GIII, p.260)ことからも分かるように、自然学
的乃至物理学的な概念としても捉えていることから、上記のようなフレモンの解釈で打ち出されている、他のも
のとの関係の基礎となるものである、という主張が、
〈第一質料〉についてライプニッツ自身が与えている言辞と、
一見すると合致しないようにも思われるためである。ライプニッツの述べる〈受動〉概念の内実を改めて検証す
ると共に、
〈力〉vis 概念について、物理学的規定以外の規定で捉えることが出来るのかどうか、また出来るとす
ればどのような規定が与えられるのか、こういった点を今後検討していく作業が必要となるであろう。この作業
については今後の課題としたい。
25
同部第 397 節でライプニッツは、人間の魂は理性を予め備えられており、それに固有の身体が人間の姿を取るよ
うに決定されることで理性が発現する、という説を展開している。(GVI, p.352)
- 49 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
乃至コーラス、という譬え話(GII, p.95)と、それからもう一つ、
『理性に基づく自然と恩寵の原理』
(1714)第 4 節である。
アルノー宛書簡での譬え話は、実体は各々他の諸実体に影響されずに自発的に作用しており、
それにも拘らず実体相互の作用が一致し合っている、という主張を比喩的に説明するために持ち
出してくるものである。ライプニッツはこの譬え話をもう一歩進めて、こうしたコーラスの一つ
にいる誰かが、自分の属しているコーラスについては歌声を聞くことしか出来ず、別の或るコー
ラスについては歌っている姿を見ることしか出来ない、という仮定を立てている。そうすると、
この仮定の下では問題の人は以下のような習慣 habitudes を持つかも知れない、と彼は考える。
即ち、
想像力の助けもあって、自分が属しているコーラスより寧ろ相手方のことを考えるようにな
り、自分の属するコーラスについては、相手方のエコーである、としか見做さないようにな
るかも知れない……(ibid.)
比喩が用いられている場面から、コーラス全体を一つの実体と見做し、或るコーラスに属してい
る人云々はあくまで仮定に過ぎないと見做す方が通りが良いように考えるかも知れない。しかし
そう考えるのであれば、単独で歌っている人間が個々別々にいて、お互いに聞こえないにも拘ら
ず全体としてコーラスを成している、という比喩を用いる方がより説得的ではないだろうか。こ
こはやはり、別のコーラスのことを考える者と、別のコーラスのエコーであるところのものとは
それぞれ異なって存している、と考える方が良いように思われる。
『モナドロジー』第 63 節で、モナドに属している身体が有機的 organique なものであることを
主張しつつ、ライプニッツは次のように書き記している。
……というのも、全てのモナドは自己の流儀で宇宙の鏡 un miroir de l’univers であるのだし、
また宇宙は完全な秩序の下で規則立てられているのだから、表現しているもの représentant、
換言すれば魂の表象、詰まる所は身体──それに従って魂に於いて宇宙が表現されるところ
のもの──の内にも、秩序がなければならないことになる。
(GVI, p.618)
モナドは自己の視点から宇宙全体を表現する──これが「宇宙の鏡」という言葉の意味であ
る──が、その表現に当たる表象が他ならぬそのモナド固有の身体であるということは、或るモ
ナドがわざわざ別の諸モナドを自己の身体であると表象するように予め誂えられているのではな
い、ということを意味するであろう。
ところで、身体が全宇宙を表現するのは、物質間に存する関係一切によって可能となる。そし
て今し方見たように、ライプニッツにとっては宇宙にも、魂の表象である身体にも等しく秩序が
存している。しかし彼によれば、物質間に諸関係が既に存しているからといって秩序もまたいわ
ば自動的に現れてくるのではない。それどころか、魂が無ければおよそ秩序などは存在し得ない
- 50 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
のである。1706 年に、自己の庇護者であるゾフィー侯妃 Princess Sophie に宛てて書き送った書
簡はそのことを良く物語っている。
……自然は実際、単独で一切の印象を一つにまとめはするのだが、魂が無ければ、物質が受
け取った諸印象の秩序というものは解けぬままであり、従ってそれら諸印象も混乱したまま
なのである。物質の識別可能な各点は、やはり識別可能な他の点とは全く異なる運動を有し
ている。そして運動というものは、先立つ一切の諸印象から構成されているものである。然
るにこの印象はといえば、運動を構成する諸印象同様単純なものであって、そこに構成は見
出されないのである。とはいえ完全な結果は常に原因を表現しなければならないのであるか
ら、物質以外のものがなければならないことになる。そして先立つ諸印象が区別され保存さ
れるところ、そこに魂は存しているのである。……かくなる訳で、あらゆる魂にはそれに対
応する有機的身体が備えられているのである。
(GIII, p.570)
Echo と身体、魂──(3)同一性と記憶、個体性
魂が在ることによって秩序が生じてくるが、またそれと同時に同一性 identité も生じてくる。
ライプニッツは『人間知性新論』第 2 巻第 27 章第 4 節では「有機化乃至形成化 configuration は、
持続してある生命原理──私がモナドと呼ぶところのもの──が無ければ、数的に同じ idem
numero であったり同一の個体であったりし続けるようにするには不十分である」
(GV, p.214)と
述べ、続く第 5 節では、「植物や動物にもし魂が無ければ、それらの同一性は見かけ上のもので
しかない」(GV, p.215)と述べている。
しかし何故そう言えるのか。第 4 節で彼は、魂を有さないものの例としてハンガリーの鉱泉に
浸された蹄鉄の例を挙げつつ、こう説明する。曰く、鉱泉に浸された蹄鉄は、形はそのままであ
るけれども構成しているものの内部配置は感知できない仕方で入れ替わってしまっている。しか
も形状というものは、或る基体から別の基体へと移動しないとはいえ、偶有性ではあることから、
当の蹄鉄の同一性は見かけだけでしかないのである、と。
この説明から、真に同一性が言えるためには、内部の構成要素の変化に拘らずそのものの同一
性を保証するものが別に必要であることが分かる。しかしそれは、上の説明からするとそのもの
の形状には求められない。すると一体何処に求めれば良いのか。
ここで、『理性に基づく自然と恩寵の原理』第 4 節に見られる次の言葉を参照したい。
モナドが良く整えられた器官を有しており、その器官が受け取る諸印象に、従ってそれら
諸印象を表現する表象に輪郭の鮮明さが存する場合には、感覚 sentiment、換言すれば記憶
mémoire を伴う表象、つまりそれの何らかのエコーが、機会があれば再び聞こえてくるよう
長期間に亙って留まっているような表象、にまで至ることができる。このような[表象を有
する]生命体は「動物」と呼ばれ、またその[生命体の]モナドは「魂」と呼ばれる。
(GVI,
p.599;[ ] は本稿筆者による補足)
- 51 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
ここで「記憶」mémoire という言葉が「エコー」に結び付けられて用いられている点に注目したい。
『モナドロジー』第 26 節でライプニッツは、記憶は魂に、理性 raison に良く似た一種の連結作用
consécution を与えると述べ、一度棒で打たれたことのある犬が、以後棒を見ると怯えるという例
を挙げている。ここで理性と区別されているのは、記憶は理性と異なり永遠真理の認識に至るこ
とが無いからである 。しかし同時に、記憶は「習慣」habitude とも区別されるべきものである。
26
『真理の探究』で記憶と習慣とを同一視するマルブランシュに対して、ライプニッツは「記憶に
は別のものが存する。思惟することの容易さを有するだけでは足りない。かつてそれを思惟した
ということを判断しなければならない」 というメモを残している。過去の活動乃至働きを再認
27
するような思惟を以て過去へと舞い戻る点が、記憶を習慣から分かつのである。 ということは、
28
「過去に起こった事が他ならぬ私に起こった事であり、それを経験したのは他ならぬ私自身であ
り、今ここにいる私と当時の私とは同じ私である」と判断せしめ、かつ実際に同一の私たらしめ
ているのは、記憶の働きに因るものではないだろうか。
そしてこれら記憶や感覚が、先に見た秩序と同様に魂無しでは成立し得ない、とライプニッツ
が考えていたことに注意を払うべきであると思われる。初期の論考で、彼は「精神が無ければ、
運動無しに一瞬間以上持続するような傾向力 conatus は存在しない」
と述べて、
次のように続ける。
物質とは瞬間的な精神、即ち記憶を欠いた精神である。何故なら、物質は自分の傾向力とこ
れに反する他の傾向力とを一瞬間以上保持し得ないからである。
この二つ──作用と反作用、
つまり比較と調和──が感覚や意欲や苦痛といったものには必要であって、この二つ無しに
は感覚はあり得ない。それ故、物質は記憶を欠き、自己の能動・受動の感覚を欠き、思惟を
も欠いている。(GIV, p.230)
かくして、次のような推測が成立すると考えられる。──傾向力なりモナドなりをまとめるも
のが在って初めて感覚が生じ、また記憶が生じて同一性を打ち立てることができるようになり、
また表象も秩序立ったものとなることができる。そうしてこれらのことを可能にする「まとめる
もの」こそが、〈実体的紐帯〉に他ならないのであり、この意味で「作用の原理」と見做されて
いたのではないか。そして「エコー」という言葉は、
〈実体的紐帯〉によって生じた感覚や記憶
と重ね合わせて捉えるべきではないか、と。
最後に、未だ残されている身体の個体性の問題を簡単にではあるが片付けておきたい。ライプ
ニッツにとっては魂も身体同様、自己の法則に従って作用している ことをここで想起すれば、
29
ここまで辿ってきたことから身体の個体性について次のように推測できるのではないだろうか。
26
27
28
29
Cf.『モナドロジー』§§29-30; GVI, pp.611-612
Robinet, p.171
ここで扱った記憶と習慣の関係については、Naert、殊に pp.46-47 を大いに参照したことをここに記しておく。
註 10 を参照。
- 52 -
複合実体と「エコー」──〈実体的紐帯〉を巡る一考察
──身体が受け取った諸印象の一切を、魂は自己の則っている法則に従いつつ区別し保存する。
そうすることによって、(イ)或る諸印象が或る魂の下にある身体の受け取ったものである、と
いうことが明示的となると共に、(ロ)それら諸印象を保存することで、或る運動もまたその魂
の下にある身体のものであることが明示的となるのである。つまり、魂は身体が受け取った諸印
象を自己の法則に従って区別し保存することで、身体に個体性を与えているのである、と。
参照テキスト ※翻訳も含む。
【一次文献】
◦ C. I.Gerhardt(ed.), Die philosophischen Schriften von Gottflied Wilhelm Leibniz, Berlin, 1879(G)
◦ L. Couturat(ed.), G. W. Leibniz, Opuscules et inédits, Paris, 1903(rep., Hildesheim : G. Olms, 1988)(C)
◦ A. Robinet(ed.), Malebranche et Leibniz, Relations personnelles, Paris, 1955
◦ The Labyrinth of the Continuum, Writing on the Continuum Problem. Ed and Tran. R.T.W. Arther. New Heaven
and London : Yale University Press, 2001(LC)
◦佐々木能章訳「デ・ボス宛書簡」(〈ライプニッツ著作集〉第 9 巻「後期哲学」に所収)、東京、工作舎、
1989 年
【二次文献】
◦ Robert Merrihew Adams, Leibniz; Determinist, Theist, Idealist, New York, Oxford University Press, 1994
◦ Yvon Belaval, Leibniz, initiation à sa philosophie, Paris, J. Vrin, 1961
◦ Christiane Frémont, L’Être et la relation : Lettres de Leibniz à Des Bosses, Paris, J.Vrin, 1981(2ème éd. : 1999)
◦ Émilienne Naert, Mémoire et conscience de soi selon Leibniz, Paris, J.Vrin, 1961
◦石黒ひで『ライプニッツの哲学──論理と言語を中心に』東京、岩波書店、2003 年(初版:1983 年)
◦リタ・ヴィドマイヤー「ライプニッツの中国学──昨日と今日──」『思想』所収、東京、岩波書店、
2001
◦ジル・ドゥルーズ『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳、東京、河出書房新社、1998 年
(やまぐちひろひと 現代思想文化学・博士後期課程)
- 53 -
Composed Substance and ‘Echo’
Composed Substance and ‘Echo’
―The consideration on the vinculum substantiale―
Hirohito Yamaguchi
Leibniz used the word ‘Echo’ in the letter to R.P. des Bosses at 29.4.1715. This
word is a simple metaphor? He regarded vinculum substantiale to fons modificationum, and
it can take modes common to monad by vinculum.
But do we need vinculum actually, after all? Where is individuality of composed
substances? Can vinculum be the ‘principle of action’?
We need vinculum actually. For (1)if a monad wouldn’t have the proper body, it
wouldn’t have perfection, therefore it wouldn’t be created by God. (2)If vinculum wouldn’t
be there, then the order of impressions and memories wouldn’t be there, consequently
senses, and the identity wouldn’t be there too. It may be inferred from these reasons that:
We have memories when something to unify ‘conatus’ and monads is there. Moreover
it brings about senses, the order of impressions and the identity by memories. It may be
inferred also that something to unify ‘conatus’ and monads is vinculum substantiale, and so
vinculum is considered to be the ‘principle of action’, So we should take ‘echo’ as sense or
memory.
「キーワード」
実体的紐帯、エコー、完全性、秩序、記憶
- 54 -
意志の哲学から場所の哲学へ
意志の哲学から場所の哲学へ
田中潤一
本論では中期西田哲学の鍵概念である「場所」について省察する。その際『自覚における直観
と反省』において到達された「絶対自由意志」の立場が『働くものから見るものへ』において「場所」
の立場へと深化したことの意義を省察することを目的とする。前期西田哲学においては「純粋経
験」が真実在であるとされたのだが、西田は更に純粋経験には知・情・意の三方面が具足してい
ると考え、この中でも「意」が最も根源的であるとした。つまり意志こそ純粋経験という意識現
象の根本であるとされるが、この立場は『自覚における直観と反省』においても継承されている。
西田は直観と反省という相異なる権能を有する二契機の根底に、
「自覚」という構造が存するこ
とを、フィヒテの「事行」を参照しつつ明らかにした。この時期において西田は「自覚」にこそ
実在の真の姿があると思惟したが、西田は自覚の最も内奥には意志が存すると考えている。自覚
とは、自己が自己を不断に形成しゆく動性そのものを言表するが、この動性を支えるのは絶対自
由意志である。
このように前期西田哲学において意志が最も根本的な位置を有するのだが、中期西田哲学にお
いて意志から場所の哲学への大きな転回が果たされた。
『働くものから見るものへ』は、その題
名が示す通り、「働くもの」(意志)の立場から「見るもの」
(場所)の立場への大転換が為され
た書である。この意志の哲学から場所の哲学への転回が中期西田哲学を構成していると我々は見
なし得る。この転回に関して高山岩男は「絶對の有たる人格的意志より絶對の無たる非人格的場
所への転回こそ画期的な意義を有する西田哲学の転回であつて、茲に始めて西田哲学の眞實に獨
創的なる思想の端緒が開かれたと見るべきである」と述べている。さて本論で省察されるのはこ
の転回が如何に為されたか、そして何ゆえ為されたか、
である。
上田閑照は西田の場所論を、
「自覚」
の概念に既に内在していたと考え、自覚から場所への連続性を強調する。
「自覚の立場から場所
の立場への回転ですが、場所ということ自身は自覚が問題になったとき、事態としてすでにそこ
、
、
、
にこめられていたことです。すなわち「自覚に於ける直観と反省」と言われるとき、自覚の事態
高山岩男『西田哲学』岩波書店、1935 年、21 頁。
- 55 -
意志の哲学から場所の哲学へ
のなかにすでに場所という観点が入っています」。つまり場所の立場への移行は『自覚に於ける
直観と反省』以降必然的な成り行きであったと上田は考えるが、確かに西田の思惟には一貫した
連続性がある。しかし意志の立場と場所の立場との間には大きな隔たりが存していることも事実
である。問題は絶対自由意志の立場ではなぜ不十分であったか、そして場所の立場へ何ゆえ移行
せざるを得なかったかである。この点に関して田辺元は意志の哲学と場所の哲学とを明確に異な
るものとして見抜いていた。田辺元は「西田先生の教を仰ぐ」において「働くもの」と「見るも
の」との相違を以下の如くに指摘している。まず前者については、
「働くとは、見るものが自己
を限定して見る能はざるものとなれる段階から、見られた段階へ転移することを意味する。…或
は絶対無にして見るのでなく、有にしてみる段階に於いてのみ、働くといふことは成立すると云
ってもよい」と述べられている 。他方後者については以下の如く語られる。
「見るとは自己を無
にして見ることである。…自己が無になると共に一切が自己となる。斯かる絶對無の自覚に於い
て凡ての外が内となる」。田辺はこのように「働くもの」と「見るもの」の特性を明確に峻別し
ている。言うまでもなく西田自身『働くものから見るものへ』の序において「働くもの」即ち意
志の立場から、「見るもの」即ち場所の立場へと自らの哲学が転回したことを自認していた。
「働
くものの根柢に見るものを求めて表現作用の意識にまで到つた。
」
「フィヒテの如き主意主義から
一種の直観主義に転じたのである」(4 / 5)。
さて田辺は西田の二つの立場を明確に峻別し適切な理解を示していたにもかかわらず、彼の西
田批判は的を射ていない。田辺は「見るもの」の内に「働くもの」を包み込もうとする西田の企
図が失敗していると批判する。なぜなら「見るもの」は宗教的真理を意図する静的な地平であり、
もしこの「見るもの」が「働くもの」を包摂すると考えるならば、そもそも動的活動をその本来
的権能とする哲学=愛知(philosophia)の領分を逸脱してしまうからである。田辺はあくまで哲
学は「働くもの」にとどまるべきと考える。しかしこの田辺の西田批判は、
西田の意図に反する。
西田はどこまでも哲学の問題として、具体的には知識の客観性を確保するため場所の哲学を主張
する。では何ゆえ西田は場所という考えに到ったのか。本論では西田が意志の哲学から場所の哲
学へと至った変遷を見、そして西田が自らの研究課題として有していた事柄にとって、どこまで
も首尾一貫性が貫かれていることを見てゆきたい。更に上田の言うような西田哲学における連続
性に関しては場所の成立によって意志の立場が廃棄されたのではなく、かえって意志をしてその
処を得さしむ根源的地平に辿り着いたという観点から連続性が保たれているということを論証し
たい。
上田閑照『上田閑照集第 3 巻』岩波書店、2003 年、70 頁。
田辺元「西田先生の教を仰ぐ」『田辺元全集第四巻』筑摩書房、1963 年、317 頁。田辺は直接的には『一般者の
自覚的体系』を念頭に西田批判を行うのだが、『一般者の自覚的体系』は『働くものから見るものへ』における
意志から場所への移行を経た上で記された書である。田辺の言う宗教と哲学、見るものと働くものとの区別は、
既に西田自身『働くものから見るものへ』で乗り越えた課題である。それゆえ本論ではあえて場所論の成立の省
察に際して、田辺の西田批判と併せて考量する。
田辺、前掲書、316 頁
西田幾多郎の引用は『西田幾多郎全集』第 3 刷、全 19 巻、岩波書店、1978 - 1980 年より引用し、引用後に(巻
号/頁数)を付記した。
- 56 -
意志の哲学から場所の哲学へ
第1節 意志の哲学から場所の哲学への転回の経緯と所以
歴史的経過から見れば場所の哲学は一挙に成立したのではなく、
極めて漸次的に成立した。
我々
はまず意志から場所への移行が歴史的に如何に為されたかを見つつ、その中で何ゆえこの転回が
為されたかを、主語・述語関係を中心に叙述する。まず本論文で扱う『働くものから見るものへ』
の構成を概観すれば、前篇と後篇に分けられ、前篇には
「直接に與へられるもの」
(大正 12 年 9 月)
、
「直観と意志」(大正 12 年 11 月)、「物理的現象の背後にあるもの」
(大正 13 年 1 月)
、
「内部知覚
について」(大正 13 年 3 月、9 月、10 月)、
「表現作用」
(大正 14 年 3 月)が含まれ、後篇には「働
くもの」(大正 14 年 10 月)、
「場所」(大正 15 年 6 月)
、
「左右田博士に答ふ」
(昭和 2 年 4 月)
、
「知
るもの」(昭和 2 年 8、9 月)が含まれている。本論文では前篇 5 論文において意志的思惟から
場所的思惟へと移行したことを見、後篇の第 6、7 論文で場所的思惟が成立したことを省察した
い。
(1)主語面に思惟された知識の客観性
西田が『働くものから見るものへ』において不断に探求したテーマは、知識の客観性を如何に
確保するかという処にあった。しかしその探求が深まるにつれ、次第に西田の思惟は変化した。
当初西田は意志的方向に徹することによって客観的真理を考究したが、次第にその立場では不十
分と考え、やがて「場所」こそが知識の立場を明らかにすると考えるに至った。何ゆえ意志の立
場では不十分であったのか。当初西田は直接的所与が全ての知識の根源であり、我々の認識とは
その直接的所与の中に含まれたものを見出して行くことであるとした。西田は構成的思惟
(形式)
と質料とを全き別のものと考えず、思惟に対して与えられたもの(直接的所与)の中に、思惟の
内容が既に含まれていると考え、直接的所与の中に含まれる無限の内容を思惟が見出してゆく処
に我々の認識作用を見出した。更に西田は直接に与えられた意識内容は、思惟より高次の立場に
あり、知的内容では汲み尽くすことのできない無限の深みを有するとする。直接的所与は永遠の
世界に連なり、この根源的意識内容は「直観」と呼ばれている。この直観界は主客合一の立場で
あり、意志的世界と同一視されている。つまり当初西田は形而上学的本体を、我々の意識に直接
的に与えられたものと捉えた。これは知的内容では汲み尽くせない不可知的な所与であり、主客
合一の直観界である。西田はこの直接的所与を真実在と捉え、全ての現実世界の事象を意志的直
観界の自己展開と思惟した。
しかし西田はこのように意志の哲学によって知識の客観性を確立したにもかかわらず、意志的
立場を離れてゆく。その理由は奈辺にあるのか。まず意志の哲学では、その動性ゆえに意志の立
場そのものを維持することが困難である。西田はどこまでも主語となって述語とならない基体を
「形相でもなく、質料でもなく、發展的個体でなければならぬ。作用の連続といふ如きものでな
ければならぬ」(4 / 98)と言う。思惟を超越した基体は「働くもの」である。西田は主語とな
って述語とならない個物を、この形而上学的基体と同定し、どこまでも個物に不可知的特性を認
- 57 -
意志の哲学から場所の哲学へ
める 。しかしここで問題となるのが、如何に「働くもの」が認識構造において述語として捉え
られても、どこまでも述語化されぬ主語的個物が残ることになる。そしてこの主語面に思惟され
た個物は、いつまでも捉えられない。働くものは動的であり時々刻々移り行くが、この背後的個
物は思惟によって捉えられない。だがこの背後的に存する形而上学的本体を捉えねば、知が客観
的になったとは言えない。その結果論理構造が二元論的になり真実在がどこまでも捉えらない一
方、我々の述語化された知は仮象的な知でしかない。そこで客観的な知を確保するため、意志的
な立場とは別の立場を求める必要が生じた。「動くものの根柢に動かざるものがあると云ふこと
ができる、動いて而も動かざるものがあると云ふことができる」
(4 / 128)
。西田は働くものの
背後に働くものをしてその処を得さしむ別の地平が存すると考え、その地平は働くものとは異な
る根源的な地平と考えた。この地平が「場所」として論理化される。ここに至って我々は田辺の
西田批判が的を射ていないことを理解しうる。田辺は西田の場所(見るもの)が宗教的体験の次
元であり、哲学的議論の対象足りえぬと批判するが、西田はどこまでも知識の客観性を確保する
ことを目的としている。場所の哲学は田辺の言うような対立と分別を消滅せしめるものではなく、
働くものをしてその処を得さしむ根源的地平として思惟されている。西田は意志的な立場のみで
は真の客観的知識を保つことはできないと考えた。真の客観的知識は意志的自己ではなく、自己
を没した処にこそ成り立つというのが西田の辿り着く結論であるが、それは如何に思惟されたか
を以下叙述する。
(2) 述語面に思惟された永遠性
以上の如く当初西田は「働くもの」を形而上学的基体と見なし、主語面に基体を思惟したが次
第にその限界を悟る。その理由は「働くもの」そのものを成り立たせる別の地平の必要性にあっ
た。西田は端的に次の如く述べる。「単に一瞬間から次の一瞬間に移る生産的作用のみにては、
その結果を統一することはできない、作用が作用を見るには作用を離れた立場がなければならぬ」
(4 / 164)と。そして次に問題となるのが、別の地平の位相である。西田はこの問題の解決のた
めに、形而上学的本体と認識主観、この両者の特性について考量し、認識主観が形而上学的本体
を捉える仕方、つまり「判断する」或いは「物を知る」ということについて思惟する。当初西田
は判断の形において述語化することを主語的基体の自己展開と考えた。さて形而上学的本体に関
しては、「我々の認識を超越したもの」(4 / 103)であるとされ、これは従来の論旨が継承され
て、形而上学的本体は主語にも述語にもならず、判断にもたらされることのない「眞に働くもの」
(4 / 104)であるされる。
しかしやがて西田は「働くもの」とは別の地平を探求し、同時にこの別の地平を奈辺に置くべ
きかを考えるようになる。さて我々が形而上学的本体を判断にもたらすには述語的一般者を立て
高山岩男は「個物は類概念の一般に包摂せらるゝものではなく却つて之を超越して特殊を自己自身の中より限定
するものである」(高山、前掲書、49 頁)と述べる。上田閑照も個物を、判断を超えた特性を有するとし、「個
物の自己限定は、述語となる一般概念…による規定を脱して…、いわば無のなかで遂行され」ると考える。(上田、
前掲書、104 - 105 頁)。
- 58 -
意志の哲学から場所の哲学へ
ねばならない。それは蓋し不可知的な個物はそのままでは決して判断にもたらされないので、主
語として述語的一般者を立てねばならないからであるが、それは自己展開されるべき無限の自ら
の性質を自己自身の内に含む純なる作用である。
「厳密には此花が赤いとも云はれない、唯此花
の色が赤いのである。要するに、赤は赤であると云ふの外はない、色は色自身について述語する
のである」(4 / 134)。西田は論理的主語を述語的一般者・純なる作用と捉え、その一般者が自
己自身について述語すると考える。しかし同時に純なる作用を純なる作用として捉えることので
きる高次の立場がなくてはならない。西田はその別の地平を「知るもの」と捉えた。知るものは
それ自身働くものではないが、しかし働くものに統一を与える。働くものが動的であるのに対し
て、知るものは働くものをして成り立たせる包むものである。
「知るものは働くものよりも大きく、
働くものを内に包むものである。…知るものは實在に對立するものではなく之を包むものである」
(4 / 129)。ここに至って「知るもの」こそが真実在に相当すると我々は考えうる。同時に我々
は西田の思惟に大転換が為されつつあることをも認めうる。
「純粋経験」以来、西田は我々の意
識の直接的所与を真実在と考え、それは働くものであり意志的な次元で思惟された。しかし今や
真実在は働くものではない。しかしこの新しい視点から思惟された真実在を主語面に求め、発出
論的な自己展開の思惟を維持することは困難が伴う。蓋し意志の哲学ではどれだけ述語化しても
述語化し尽くせ得ぬ背後存在が主語として残存し、我々の述語化された知は仮象的な知でしかな
くなるからだ。
ここに至って西田は真実在を主語面にではなく述語面に求めるようになる。歴史的経緯から言
えば第 4 論文の「五」と「六」との間において大きな変化が見られる。
「一」から「五」におい
て形而上学的本体(働くもの)から発出論的に判断の主語を導き出されている。当初、認識の客
観性は認識対象のもつ不可知的な超越的特性によって確保されると西田は考えた。それゆえ形而
上学的基体は「何処までも主語となって述語とならざる質料」
(4 / 114)であり「働くもの」で
あるとされた。しかし「六」において基体が判断となるには作用を作用として自己自身を維持
する高次の立場が新たに求められ、それは「知るもの」とされている。知るものはそれ自身働く
ものではないが、しかし働くものに統一を与える。働くものが動的であるのに対して、知るもの
は働くものをして成り立たせる包むものであり、一切の作用を超越している。
「知るものは働く
ものよりも大きく、働くものを内に包むものである。…知るものは實在に對立するものではなく
之を包むものである」(4 / 129 頁)。我々はここに西田が場所的思惟に入ったことを見て取るこ
とができる。第 5 論文では場所的思惟が前面に出ている 。我々はそれが「表現」として提示さ
れているのを認め得る。西田は表現は三つの契機から成り立つと考えている。即ち、
「表現せら
れる内容(意味)」と「表現そのもの(存在)」と両者を結合する「表現作用」の三者である。彼
は表現概念の導入によって新しい観点を見出している。ここで西田は表現作用は表現される内容
末木剛博は第 1 ~ 4 論文を「「場所」の準備段階」、第 5 論文と後篇すべてを「「場所」の成立段階」と分類する。
だが第 4 論文「六」以降で「知るもの」として場所の思惟が出現しており第 4 論文をそのまま準備段階とするこ
とには疑念が残るが、未だ主語面に考えられている点から考えると末木の述べるように第 5 論文を以て場所の成
立の開始と見なすのが適切であろう。末木剛博『西田幾多郎──その哲学体系Ⅱ』1987 年、春秋社、126 頁。
- 59 -
意志の哲学から場所の哲学へ
(西田はこれを直接的所与と同定する)によって成立するのではなく、逆に客観化された言表に
よって成立すると考える。「表現作用に於ては、所謂實在的と考へられるものが非實在的なるも
の、即ち意味といふ如きものの中に包まれる」(4 / 162)
。つまり非実在的である表現そのもの
の方が直接的所与よりも客観性を有している。「すべて主観的意識に對し客観的と見られるもの
は、我々の意識の作用を内に包み、之を成り立たしめるものでなければならぬ」
(4 / 157)
。我々
は西田の表現観から、判断作用に関する新たな思惟への転回を見出しうる。表現作用を成り立た
せるものが直接的所与でなく言表にあるということは、判断作用を成り立たせる基体が主語面か
ら述語面へと移行することを示唆している。更に西田は表現作用を、客観的実在が自己自身を形
成することに他ならないとも考える。かつて判断とは不可知的な個物(主語面)が自己展開する
ことと思惟されたのとは反対に、今や表現とは非実在的な言表(述語面)が自己自身を現すこと
と思惟されている。ここに我々は西田の思惟が主語面から述語面へと重心を移しつつあるのを認
めることができる。また自己が働く物を表現とすることは、それを自己自身の内に映すこととさ
れている。
「眞に作用を超越して實在を自己の表現となすものは、
作用を自己の中に成立せしめて、
而も自己自身に於て止まるものでなければならぬ、作用に動かされることなく、自己自身の中に
自己の作用を見るものでなければならぬ」(4 / 164 - 165 頁)
。我々は第 7 論文以降「場所」と
して定式化される考えがここで「表現」概念として提示されていることを見ることができる。
第2節 場所論の成立と場所における「働くもの」の所在
(1)「働くもの」の位置づけの変化
既に我々が見たように第 5 論文「表現作用」に場所的思惟の萌芽が存するのだが、
第 6 論文「働
くもの」においてこの考えは継続され、そして第 7 論文「場所」において場所論の大枠が提示さ
れる。さて西田は判断的知識を知識の最も原初的な形と見なし、その思索の中で次第に主語面か
ら述語面へと重心を移していったのだが、なぜこのような移行が生じざるを得なかったのであろ
うか。その理由の大きなものとして挙げられるのが、
「矛盾」或いは「自己否定」の問題である。
「非合理的なるものの合理化」、即ち超越的な個物(主語)を述語化することが西田の知識論であ
ったが、この述語化(第 6 論文の言葉を使えば「類概念的に述語化」
)が為されるために別の地
平が求められねばならない。それはもはや主語面に求められるのではない。西田はこの述語化を
成り立たせる高次の地平を「自ら照らす自己同一の鏡」
(4 / 184)と名づけるが、これは如何な
る地平であろうか。
まず西田は「知識の明証」は直覚と意味との合一にあるとし、直覚は主語面、意味は述語面で
あると考え、更にこの根柢に自己同一という地平が存するとする。
「知識成立の基にかかる両面
の合一とも云ふべき自ら照らす鏡がなければならぬ。かゝる両面の合一といふべきものは、すべ
てを容れて尚余ある包理性的非合理性、包形相的質料なるが故に、単に映す鏡といふべきもので
あろう」(4 / 183)。何ゆえこのような地平が求められるのか。それは単なる述語化では「矛盾」
するものを知ることができないからだ。しかしなぜ矛盾という契機が問題となるのであろうか。
それは個物は単に静的に性質を同じくしたままとどまるものではなく、常に動的に自らの性質を
- 60 -
意志の哲学から場所の哲学へ
変化させてゆくものであるからである。或る個物は様々な性質を有し種々の述語を統一するのだ
が、個物の性質は絶えず変化している。静的な性質を言表するにすぎない判断的知識では、物の
性質が相矛盾するものへと変化してゆくことを明らかにすることはできない。高山岩男は赤い物
が青い物に変ずる時のことを想定し、赤や青という各々の性質を色という類概念的一般者の特殊
として知ることはできたとしても、「我々は類概念的一般者の立場に於ては特殊な赤が青に変ず
ると云ふことはどうしても知ることができないのである。変ずると云ふことが可能となり、又そ
れが知られるためには我々は類概念的一般者の立場を超越しなければならぬ」と述べている。
ここで西田は様々な変化を自らの内に自己自身の述語として含む高次の地平を、
「自己の中に
自己を映す鏡」(4 / 195)と名づける。そしてこの鏡面が自己限定する処に、唯一なる事実的知
識が限定されると考える。ではこの鏡面はどのような構造を有しているのであろうか。この問題
は「場所」として引き継がれるので、今少し詳述したい。この鏡面は相矛盾するものを自らの内
に包む自己同一なるものである。他方主語的思惟では経験内容を主語として述語が付け加えられ
るが、相矛盾するものへと移り行く経験内容を捉えるには、超越的主語面を基体とし、類概念と
して自らを述語化する思惟では不十分である。蓋し主語面は超越的に種々の述語を統一するが、
述語が相矛盾するものへと変化し行くことを自らの属性として付加できないからである。西田は
「純粋経験」以来意識に直接に与えられたものを真実在と見なしてきた。この直接的所与は知的
には汲み尽くせず、ここから様々な述語が導き出されるが、直接的所与はその都度その都度与え
られるものである。意識に与えられる所与は、移り行くものである。西田は主語面の個物をどこ
までも不可知的な形而上学的基体と考え、それにより「知ること」が相対的なものではなく客観
的統一を有しうるとした。しかし物の性質が変化するという事態は、直接的所与を真実在とする
思惟からは説明できない。西田は「カントの認識主観の背後に主語となって述語となることなき
アリストートルの基体の如きものを認め得る」(4 / 109)と考え、アリストテレスの基体の概念
を突き詰めると「質料なき純なる形相」「純なる作用」に至り、これこそが真実在と考えた。し
かし西田は次第に「包形相的質料」つまり「場所」へと真実在の思惟を大きく転回させる。
「純
なる作用」即ち「働くもの」を基体と見なす限り、
「働くもの」は移り行くものであるため、そ
の都度その都度の働くものがイコール「知るもの」であるとすると、知識は変じ行くものとなっ
てしまう。変じ行くものを変じ行くものとして把握するには別の地平が求められるが、それは
もはや主語面(「個物」=「直覚」)には求め得ない。そこで西田は逆に述語面に真実在を求め
る。そもそも我々が判断的知識を有する時、判断の論理的主語は個物そのものではなく、述語的
一般者である。例えば「物が白い」と言表する時、正しくは物が白いのではなく、物の色が白い
のであり、「物の色が白い」という言表が正確である。色という一般者が白という特殊を自己限
定する。西田は述語的一般者こそが判断を成立せしめると考えるようになる。
「主語となるもの
が全然述語的なるものの中に溶かされねばならぬ、超越的なるものが内在的とならねばならぬ」
(4 / 188)。述語面に真実在を捉えることによって、知識の客観性が確保されるようになる。
高山岩男、前掲書、61 頁。
- 61 -
意志の哲学から場所の哲学へ
同時に「働くもの」の位置づけも新たに捉え直される。知識とは、すべてを包み込む鏡面に唯
一なる事実として特殊なるものが限定される処に成り立つ。包形相的質料から見れば無限の可能
性の中から、そして相矛盾しあうものの中から一つの現実を唯一なる事実として自己限定してい
る。(西田自身はライプニッツの可能世界論を類似的な思惟として挙げている)
。即ち自己の中に
自己を映す鏡が、無限の可能性から一つの現実を自己限定する処に唯一なる事実が成立する。西
田はこの唯一なるリアルな事実を「働くもの」と名づける。
(
「かゝる鏡面に移されたる一点一線
も、皆働くものでなければならぬ」(4 / 207))。
「働くもの」は有的な実体ではなく、純なる形
相・作用である。ここに至って超越的主語面を基体として発出論的に述語が付与される処に知識
が成立すると考えられるのとは逆に、包形相的質料が自らの有する無限の可能性から唯一なる事
実を限定する処に知識が成立すると考えられるようになる。この述語的方面において成立する知
識が「働くもの」と考えられている。「働くと云ふには、物がその性質を変ずるものでなければ
ならぬ、否性質が性質自身を変ずると考へられねばならぬ」
(4 / 188 - 189)
。
「働くもの」は不
可知的個物ではなく、鏡面に映された作用とされている。そして西田はこの時、
「物の概念は消
え失せて純なる作用となる」
(4 / 189)としている。この「働くもの」を捉えることによって「知
ること」が達せられるのだが、時々刻々に移り行く「働くもの」を捉える地平として「場所」が
出現するのである。
(2)「対立的無の場所」における「表現」と「知識」との相即
西田はこのように主語・述語関係のもとで思索を展開してきたが、
この彼の考えは第 7 論文「場
所」において体系化されている。本論では主語面から述語面への転回から場所的思惟が生じたこ
とを叙述するのだが、この最も重要な先行研究として高山岩男『西田哲学』を我々は挙げ得る。
高山は特殊と一般との包摂関係から場所概念が生じたこと、そして個物の性状の変化を契機とし
て知識の客観性が判断にではなく、意識の野において保たれるべきと考える。本論では高山から
得た大きな示唆を尊重しつつ独自の立場から考究したい。即ちそれは場所論を意志の哲学からの
転回という視点から洞察することである。本論の主眼は、
「純粋経験」以来西田が意識の直接的
所与を真実在と見なしていたことと併せて、場所の哲学が成立したことを省察する。高山が単に
包摂判断を出発点として場所に至るのに対して、本論ではより大きな視野から、即ち前期の主語
的方面に形而上学的基体を置く思惟から、述語的方面に究極原理を置く中期の思惟への大きな転
回の中で「場所」が現れたと考える。単に個物の性状の変化を把握するのに不十分であるが故に
場所の哲学が現れたと考えるのではなく、前期西田哲学の主語的発想が行き詰ったが故に場所の
哲学が現れた、と前期から中期の大きな展開の中で場所論を捉えるのが本論の趣旨である。また
「働くもの」に関しても、本論では独自の考察を行った。個物が意識に映された時、働くものと
して認識されるというのが中期西田哲学を解明する高山の論旨であるのに対して、本論ではより
根本的な省察、つまり前期西田哲学において直接的所与が「働くもの」ともされていたことを併
せ考量し、「働くもの」観それ自体の位置づけが前期から中期において変化したことの省察を行
った。その上で個物の性状の「矛盾」が場所において乗り越えられるという高山の見解にとどま
- 62 -
意志の哲学から場所の哲学へ
ることなく、本論では矛盾が場所においてその一限定面として包まれていること、つまり場所に
おける「働くもの」の権能について我々は強調したい。蓋し場所の哲学によって「働くもの」は
斥けられるのではなく、その処を得さしめられているからである。以上の述語的思惟によって、
主語面を基体とする思惟のアポリア、つまりどれだけ述語化しても述語化されざる超越的基体が
背後に残存し、我々の知識はいつまでも仮象的にとどまるという二元論的アポリアは克服され
る。
西田が場所論を始める契機の一つとして、当時の認識論に対する彼の不満感を挙げることがで
きる。例えばカント認識論では形式と質料とが結合することによって「知ること」が成り立つと
するが、西田の考えでは形式(意識)と質料(対象)とが全く別のものであり、対象が全く意識
の外にあるものならば、両者が関係づけることもできない。両者が関係づけられるためには、両
者が共に於いてある共通の地平が求められねばならない。かかる地平を西田は「場所」と名づけ
る。上述の如く単なる判断的知識は個物の性質を言表することはできても、個物の変化を言表で
きない。そこで個物を有として捉える立場を超え、個物の性質を「作用」或いは「働くもの」と
して捉える立場が生じる。「物が或性質を有つと考へられる時、之に反する性質はその物に含ま
れることはできない。然るに、働くものはその中に反對を含むものでなければならぬ、変ずるも
のはその反對に変じ行くのである」(4 / 218)。ここで西田は物を有としてではなく、
「働くもの」
或いは「作用」として捉えることの必要性を論じる。このような「働くもの」は時々刻々に移り
行く意識現象であるが、この動的な現象を捉えるために、それ自身は移り行かない根源的地平が
求められる。西田によれば「場所」こそが根源的地平であり、
意識の野と同一視される。この「場
所」に関して、西田はプラトンの『ティマイオス』から借用した概念であると述べている。小坂
国継が指摘するように西田とプラトンの場所観は大きく異なり、プラトンの場所は単にイデアを
受け取るという受容者にすぎないが、西田の場所はすべてを自らの内に包み存立せしめるという
能動的性格を有している 。
10
我々は西田が「働くもの」を捉えるために、「場所」という地平に至ったことに着目したい。
即ち「知ること」は単なる判断的知識の謂ではない。個物を「作用」即ち「働くもの」として捉
え、矛盾するものへと変化し行く個物のリアルな性状を把握して初めて、
「知ること」が成立する。
そしてこの「働くもの」はもはや不動の質料を背後に有する有ではなく、形相(イデア)とも言
うべきものである。西田の言う形相は、プラトンが同じ語で永遠不滅の真実在を意図したのとは
異なり、
「働くもの」「作用」を意味しており、動的に変化することをその特性として有している。
この働くものとは意識現象のことであり、時々刻々に移り行く意識現象を連結せしむる根源的地
平が求められるべきであり、それが場所である。第 6 論文「働くもの」では「自己の中に自己を
上田閑照は主語面と述語面との違いについて次の如く言う。「主語の方向に究めていって「主語となつて述語と
ならないもの」に徹底するとそれで行き止まりのようになるが、逆に述語の方向に究めていって「述語となつ
て主語とならないもの」にまで徹底すると、「無」へと透過して限りなく開かれる趣がある」。上田、前掲書、
165 - 166 頁。
10
小坂国継『西田哲学の研究』ミネルヴァ書房、1991 年、200 - 208 頁参照。
- 63 -
意志の哲学から場所の哲学へ
映す鏡の如きもの」、「すべてを容れて尚余りある包理性的非合理性、包形相的質料」
(4 / 183)
と語られたが、この包形相的質料なる概念は「場所」概念の前兆とも言える。
「對立の背後にも、
之を映す鏡がなければならぬ、對象の存立する場所といふものがなければならぬ。
」
(4 / 214)
。
ここに至って我々は、場所的思惟が知識の客観性を確保することを意図して到達された思惟で
あることを改めて認めうる。本論の冒頭で挙げられた田辺元の西田批判が、西田自身にとっては
不本意なものであったこともここから明らかに判る。
確かに西田は最終的には無の場所を宗教的・
叡知的真実在と同定するが、哲学的議論の一切を拒絶する如き地平として無の場所を想定したの
ではない。無の場所を哲学的議論を越えた宗教的体験の境地と断定する田辺は次の如く言う。
「単
に絶對無の自覚を終局原理とし、その抽象限定に由つて種々の一般者とそれに於てあるものを組
織する立場から、如何にして自己否定の意志をば説くことが出来るであらうか」 。即ち場所的
11
思惟を超歴史的な宗教的体験と見なす田辺から見れば、自己否定を自らの特性として有する「意
志」を場所の中に位置づけることはできないことになる。しかしながら西田の場所的思惟は、場
所的・述語的方面に立つことによって、相矛盾するものを自己限定として自らの内に含むことが
できるのである。逆に働くものの立場だけでは、絶えず移り行くため「知ること」が確保できな
い。それゆえ場所の立場から働くものを自らの内に「映すこと」によって、
「知ること」が確か
なものとなる。即ち場所論の一つの帰結として知識の客観性が保たれたと言えよう。
「働くもの」
が排除されるのではなく、むしろ「働くもの」を「映す」ことによって、場所は働きをしてその
処を得さしめている。「働くもの」は意識の野において「映される」ことによって、
「知ること」
が達せられているのであり、知識と表現とが相即しあっている。我々は場所的思惟において知識
と表現との相即性を認め得る。 述語的一般者が、無限の可能性の中から自己限定することによって「知識」が成り立つ。即ち
超越的述語面が主語面を包摂している。「眞に一般的なるものは、自己自身に同一なるものであ
り、種差を内に包むものでなければならぬ」(4 / 226)
。有が「純粋作用」
・
「働くもの」として
捉えられるのは有の場所においてではなく、
「対立的無の場所(相対的無の場所)
」即ち「意識の野」
においてである。西田曰く、「我々が物事を考へる時、之を映す如き場所といふ如きものがなけ
ればならぬ。…時々刻々に移り行く意識現象に對して、移らざる意識の野といふものがなければ
ならぬ。之によつて意識現象が互に相関係し相連結するのである」
(4 / 210)
。有の場所に於い
て知ることが外的知覚であるとすれば、意識の野に於いて知ることは内的知覚である。変化する
個物を自己自身の内に自己同一なるものとして映す鏡は、
有的実体ではなく無の地平である。
「意
識の本質を主語面を包んで廣がる述語面に求めるならば、此方向に進むことが純な意識に到達す
ることである。その極致に於て、述語面が無となると共に對立的對象は無對立の對象の中に吸収
せられ、すべてがそれ自身に於て働くものとなる、無限に働くもの、純なる作用とも考へられる
のである」(4 / 284)。有の場所においてあるものは単なる対象であるのに対して、意識の野に
於いてあるものは「純なる作用」
「働くもの」として映されたもの、
即ち「表現」である。西田は「働
田辺元、前掲書、319 頁。
11
- 64 -
意志の哲学から場所の哲学へ
くもの」を無の場所(意識の野)に「映すこと」が、
「知ること」に他ならないとする。従来の
認識論での認識主観は対象化された統一点であり、その統一点が認識対象を捉えるとされている
が、場所の哲学では自己を対象的に考えるのではなく、逆に述語的に思惟し「自己が自己に於て
自己を見る」という動的な自覚に「知ること」を求めようとする。単なる対象認識に充足するの
ではなく、それを自己の内的な認識として捉える処に西田場所論の知識論的な意義が存する。そ
してその内的な認識として「知ること」を成り立たせるのは主語面ではなく、述語面に考えられ
た「意識の野」なのである。意識の野は鏡の如きものであり、有の場所の対象をありのままに映
すことができる。
結語にかえて ──今後の展望 絶対的無の場所についての予描──
意志の哲学から場所の哲学への転回が意図するところは、意志を不要なものとして斥けるので
はなく、意志をしてその権能を十全に果たすのを確保する根源的地平、つまり場所へと至ったこ
とを意味している。さて西田は判断的知識が意識の野に映されるのみならず、意識の野に於いて
あるものは真の無の場所に於いてあるとする 。なぜ彼は意識の野より更に高次の場所を思惟す
12
るのか。西田はその理由を、「働くもの」の特性に見て取る。場所の自己限定としての唯一なる
現実は「働くもの」として捉えられるのだが、西田によればこの唯一なる事実が限定される背後
には「自由に方向を定める選択的意志」(4 / 240)が存している。無限の可能性の中から一つの
現実が唯一の事実として限定されるのは、意志が自由に選択できるという権能を有するからであ
る。それゆえ意識の野(「相対的無の場所」)を根柢において支えるのは、実は「意志」である。
「判断といふことよりも、意志といふことが、尚一層深き意味に於て知ることでなければならぬ」
(4 / 238)。「 眞 の 意 識 一 般 は 却 つ て そ の 背 後 に 意 志 の 意 義 を 有 つ て 居 な け れ ば な ら ぬ 」
(4 / 239)。西田はかかる有的な要素の残る相対的無の場所を更に超え出るよう言う。
「眞の無は
かゝる對立的なる無ではなく、有無を包んだものでなければならぬ。あらゆる有を否定した無と
いへども、それが對立的無であるかぎり、尚一種の有でなければならぬ。…眞の無の場所とい
ふのは如何なる意味に於ての有無の對立をも超越して之を内に成立せしめるものでなければなら
ぬ」(4 / 220)。高山岩男も次のように述べる。「
「作用」の概念は既に主語的見方に立つ概念で
あつて意識は對象を「映す」のでなければならぬ。そしてかゝる意識を更に映すものが意志の自
覚である」 。西田の言う相対的無の場所の構造は、
意識の野に於いて物を「映す」ことにあるが、
13
この映すことの根柢には「意志」が存する。
ここに我々は西田の「意志」観それ自体の変化をも認めることができる。つまり当初は意識に
直接的な所与が意志とされていたが、中期においては相対的無の場所を支えるものとして意志が
思惟されている。本論が意図する「意志から場所へ」は、主語面から述語面の移行であったが、
述語面に展開された場所的思惟において意志は相対的無の場所を成り立たせるものとして新たな
12
13
高坂正顕によれば絶対無の場所の詳細な議論は「場所」論文ではなく、『一般者の自覚的体系』の「叡智的世界」
において為されている。高坂正顕『西田幾多郎先生の生涯と思想』、1947 年、弘文堂、177 - 181 頁参照。
高山、前掲書、105 頁。
- 65 -
意志の哲学から場所の哲学へ
位置づけが与えられている。しかも真の無の場所において意志そのものはまた否定されるのであ
る。即ち中期西田哲学の場所の論理において「意志から場所へ」は相対的無の場所から絶対無の
場所への移行という新たな意味合いを有することとなる。しかし本論は主語・述語関係から場所
的思惟が生じたことの省察に重点を置いたため、絶対無の場所についての詳述は別の機会を俟た
なければならない。「働くもの」から「見るもの」へ、即ち意志の哲学から場所の哲学への転回
が意図する処は、意志の哲学を不要なものとして斥けるのではなく、意志の哲学の不十分さを悟
った西田が、意志の立場をしてその権能を十全に果たしているのを確保する根源的地平、つまり
「場所」へと至ったことを意味している。
(たなかじゅんいち 現代思想文化学・博士後期課程)
- 66 -
From Philosophy of Will to Philosophy of “Place”
From Philosophy of Will to Philosophy of “Place”
―Concerning Nishida Philosophy of his Middle Age―
Junichi Tanaka
In this paper, we analyze the process whereby Nishida developed his concept
“place”. Nishida’s early thought is centered on “pure experience”. He considered the reality
of all existence to be “pure experience”. But he later deepened his thought. Through the
analysis of pure experience, it appeared that the ultimate principle is will. But Nishida was
not satisfied with the philosophy of the will. Since he considered the philosophy of will
to be characterized by its dynamics, he thought it impossible to acquire the objectivity of
knowledge. Nishida’s philosophy changed radically. His early philosophy is centered on
direct fact (the direction of subject), but his middle philosophy is centered on the system of
concepts (the direction of predicate). This means that objectivity of knowledge is composed
of not the real existence (things), but unreal existence (concepts).
We acquire knowledge because a thing is reflected in consciousness. Consciousness
is the mirror in which a thing is reflected (expressed) as concept. So consciousness is
considered a “place”. We acquire knowledge as “expression”. Place is the ultimate principle.
But Nishida thought of two kinds of place. One place is the place of relative nothingness.
This is equal to consciousness. But this place is fundamentally sustained by will. The other
place is the place of absolute nothingness. This place is the horizon of religion. In this place,
will is expressed as this place’s attribute. The philosophy of place develops by taking in the
philosophy of will as its part.
「キーワード」
意志、場所、知識、表現
- 67 -
超越論的なものの世間化
超越論的なものの世間化
前田直哉
序
人間は世界に対する主観でありながら、同時に、世界における客観でもある。フッサールは、
この逆説的事態を「人間的主観性のパラドクス」
(Hus. VI, §53)と呼んだ。これに対して彼は差
し当たり、「超越論的主観性」こそが世界の真の構成的根拠であり、世界の内に存在する「人間」
はその構成作用の成果、
「自己客観化態(Selbstobjektivation)
」に他ならないという回答を提示した。
しかし、この回答そのものが更なる問いを喚起する。即ち、
「人間」を超越論的主観による自己
統覚の成果として捉える、こうした「超越論的分析」を今まさに遂行しつつある「現象学者」の
「存在」は、一体どのようになっているのだろうか。
今まさに反省を遂行しつつある「エゴ」の内世界化、即ち「世間化(Mundanisierung)
」の問
題に先鞭をつけたのは、フッサールの委託を受けて『第六デカルト的省察』を執筆した E. フィ
ンクであった。本稿では『第六省察』において展開される「超越論的方法論(transzendentale
Methodenlehre)」の動機と内実を概観し(第 1 節)
、そこで論じられる二つの「世界化」の関連
を考察する(第 2 節)。フィンクの論考を三度にわたって精読したフッサールは、彼の構想に同
意を示しながらも、批判的な注釈や草稿を書き残している(第 3 節)。しかし『第六省察』後半
で提示される「絶対者」の概念は、フッサール現象学に対する根本的な批判を含むものであり(第
4 節)、最後に、フッサールの最晩年の思索も考慮に入れて、両者の「哲学的相違」について検
討する(第 5 節)。
フッサール全集からの引用は、Hus. と略記し、巻数をローマ数字、頁数をアラビア数字で示す。
『第六省察』の邦訳書に従い、”Mundanisierung” は「世間化」、”mundan” は「世間的」と訳す。
Eugen Fink, VI. Cartesianische Meditation. Teil 1. Die Idee einer transzendentalen Methodenlehre, hrsg. von Hans Ebeling,
Jann Holl und Guy van Kerckhoven, Husserliana Dokumente Bd. II/1, Dordrecht/ Boston/ London: Kluwer Academic
Publishers, 1988. 本書からの引用は本文括弧内に頁数のみ記す。編集者「前書き」からの引用は書名を Dok. II/1
と略記し頁数をローマ数字で記す。
1932 年秋に執筆された『第六省察』を、フッサールは完成直後と翌 33 年夏、それから同年冬から 34 年にかけ
て三度にわたって「徹底的にフィンクの構想と対決」した(vgl. Dok. II/1, X)。
- 69 -
超越論的なものの世間化
第 1 節 フィンクの「超越論的方法論」と「先存在」の概念
1931 年、フッサールは五篇から成る『デカルト的省察』を公にした。しかし、そもそも何故、
それに後続する「第六」の省察が新たに執筆されねばならなかったのか。
『第六省察』は、『省察』結論部において示された「現象学の更なる究極的な問題圏」
(Hus. I,
S. 178)を解明すべく執筆された。現象学の「究極的な問題圏」
、それは自然的認識の超越論的批
判として遂行された現象学が、その学問的な営みの全般を再度「自己批判(Selbstkritik)
」
(ebd.)
に晒すという課題を意味していた。この課題に実際に着手したのは、フッサールの最後の助手
を務め、「共同研究者」として日々の思索をともにした E. フィンクであった 。
「現象学」を自ら
の手で築き上げ、退官を迎えたフッサールが、46 歳も年の離れた若きフィンクを「共同研究者」
と呼んだことは、彼の突出した才能を物語っているが、
『第六省察』がそのような才気溢れる哲
学徒によって執筆されたからこそ、それは『省察』の続編という体裁を採りながらも、
「フッサ
ール的思惟への非常に徹底的な(tiefgründig)批判」を含む論考として成立した。
フィンクはまず、フッサールが『省察』において行った超越論的批判と、自らの手で新たに遂
行すべき現象学の「自己批判」を、カントの『純粋理性批判』における周知の区分を援用しつつ
区別する。即ち、『省察』における諸分析は「超越論的原理論(transzendentale Elementarlehre)
」
と呼ばれ、『第六省察』では新たに「超越論的方法論」の理念が提示される(13)。この区分は、
その都度の分析が取り扱う「主題(Thema)」の相違に基づいている。
「原理論」
、即ち従来の現
象学的分析が「主題」とするのは、言うまでもなく、超越論的エゴによる「世界構成」の過程で
ある。しかしこの「構成」はそもそも「誰」に対して開示され、また「誰」によって解明される
のか。フィンクは現象学を営む「主体(Subjekt)
」を表すものとして、フッサールがエポケー遂
行者の認識態度を際立たせる際に用いた「傍観者(Zuschauer)
」の概念を継承する。即ち、世界
構成の解明に従事する「主体」は、「世界構成に無関与(unbeteiligt)の超越論的傍観者」
、ある
」
(13)と呼ばれる。
いは端的に「現象学を営む傍観者(der phänomenologisierende Zuschauer)
、
、
、
、
、
、
「傍観者」は「原理論」において、即ち『第六省察』の開始段階においては、
「まだ把握され
、
、
、
、
、
、
ていないもの(Unbegriffes)」(13)として「主題」の圏外に置かれている。この「主体」を「主
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
題化」することこそ「方法論」の意図するところに他ならない。
「超越論的方法論の主題はまさ
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
にこの傍観者以外の何ものでもなく、従って方法論は、現象学的営為に関する現象学的学問、即
ち現象学の現象学(Phänomenologie der Phänomenologie)である」
(13)。
そして、この「まだ把握されていない」傍観者が、
「原理論」においては必然的に「不可解な残余」
(25)として取り残されざるを得ないという洞察に、
「方法論」が従来のフッサール的思惟の枠組
みを乗り越えてゆく端緒がある。
フライブルクにおけるフィンクとフッサールの交流については以下を参照。Vgl. R. Bruzina, Edmund Husserl and
Eugen Fink: Beginnings and ends in phenomenology, 1928-1938, New Haven & London: Yale University Press, 2004, S.
1-72.
Guy van Kerckhoven, “Eugen Finks Phänomenologie der VI. Cartesianischen Meditation“, Phänomenologische Forschungen
30, S. 92. この引用は、ヴァン・ブレダの書簡から抄録されたものである。
- 70 -
超越論的なものの世間化
そもそも「原理論」は、世界的存在者を、超越論的に構成する自我との相関関係において究
。
明する。そこでは「構成は常に存在者の構成」であり、
「存在者は構成の成果に過ぎない」
(23)
しかし、世界構成そのものを「主題化」する「傍観者」は、この「構成」と「存在」の相関関係
に収まりきらない。仮に、存在者の構成的生成を解明する「傍観者」の営みを「構成的」能作と
解するならば、これによって開示される超越論的な「世界構成」は、それ自体「存在的」という
性格を帯びることになるだろう。世界構成はそれ自体「存在的」ではなく、従って傍観者のなす
哲学的営為は決して「構成的」なものではない。傍観者の「現象学的営為(Phänomenologisieren)
」
が「構成的営為(Konstituieren)」(25)と異なるならば、それはどのような働きとして理解され
ねばならないのか。また、存在者を構成する超越論的過程そのものの「存在」は、一体どうなっ
ているのだろうか。これこそが「傍観者」自身を「主題」とする「方法論」の根本的な問いに他
ならない。
これに対してフィンクは、還元によって開示される「超越論的『存在』
」を、更にその「存在」
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
概念に関して還元するという方法を提示する。これは「存在理念の主題的還元」
(80)と呼ばれ
るが、これによって「超越論的『存在』」は新たに「先存在(Vor-Sein/Vorsein)」として規定され
る 。フィンクは傍観者の「現象学的経験」を次のような働きとして論じている。
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
「現象学的経験は、既に存在するものを、それが何であるか、またいかにあるかとして認識
、
、
、
、
、
、
、
、
するのではなく、『それ自体』では存在的ではないものを認識し、それを認識において(超
越論的)『存在者』へと対象化する。現象学的経験は、構成をなす構造過程(Aufbauprozesse)
、
、
、
、
、
、
を、この過程に固有な『先存在』の状態から引き出して(heraushollen)
、その過程をある意
、
、
、
、
、
、
味では初めて客観化する。言い換えれば、現象学的傍観者の理論的経験は、超越論的主観
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
性の『先存在的』な生の経過を存在化し(ontifizieren)
、従って或る意味において──即ち、
、
世界的にあらかじめ与えられた仕方の生産性とは比べられないような意味において──『生
、
、
産的』なのである」(85f.)。
フィンクはこのように、超越論的構成の過程を「先存在」と呼び、
「現象学的営為」を、この「先
存在的」な生の過程を「存在化」する働き、つまり内世界的「存在者」へと「客観化」する働き
として捉える。こうして還元が開示する「超越論的生」は、構成的能作であれ、それに対する傍
、
、
、
、
観者の哲学的反省であれ、ともに「『世界的実存の意味においては非存在的(nichtseiend)
』
」
(100)
なものとして捉えられる。
所謂「ブリタニカ草稿」をめぐる共同研究の中で、ハイデガーはフッサールに「絶対的エゴ」の「存在様式」は
どのようなものであるかと問うたが、「存在理念の主題的還元」はフッサール現象学に即した上で、この「存在」
問題に一定の解釈を与える試みであると言える。
現象学的営為を「先存在」の「存在化」と捉え、その「生産的」性格を強調するフィンクは、「世界構成」に関
、
、
、
、
、
しても「モナド総体の構成的生成、超越論的宇宙発生(Kosmogonie)、世界創造的(weltschöpferisch)能動性」
(11)
といった表現を用いている。こうした解釈は、フッサールの「構成」概念の曖昧さを指摘した、後年の明確な批
判と直結している。
- 71 -
超越論的なものの世間化
しかし、この「非存在的」なものの「存在化」は、具体的にはどのような生起として解明され
るのだろうか。ここで重要なのはやはり「現象学を営む傍観者」と「超越論に構成する自我」と
の根本的相違である。これは「超越論的存在対比(der transzendentale Seinsgegensatz)
」と呼ばれ
る。本節では超越論的生の内部のこのような根源的差異が「方法論」的思惟を動機づけ、
「先存在」
概念の導入に至る経緯を確認したが、次節では『第六省察』の「世間化」理論の内実を明らかに
して、彼の言う「存在化」の具体的に検討する。
第 2 節 本来的世界化と非本来的世界化
超越論的に構成する自我と、現象学を営む自我は「存在対比」の故に、それぞれ異なる仕方で
内世界的な「人間」へと「世間化」する。その中で、前者の「世間化」は「本来的あるいは第一
次的世界化(eigentliche oder primäre Verweltlichung)
」と呼ばれ、後者のそれは「非本来的あるい
は第二次的世界化(uneigentliche oder sekundäre Verweltlichung)
」
(108)と呼ばれる。この二種類
の世界化の内実と相互の連関が明らかにされねばならない。
まず「本来的あるいは第一次的世界化」は、構成的自我の「自己客観化」を意味するが、それ
は超越論的な世界構成の一つの側面に他ならない。即ち、世界構成は「対象」の構成のみなら
、
ず、構成的主観の「世間的自己統覚(Selbstapperzeption)
」による「人間性」の構成という「原
、
、
、
、
、
、
理的に二重に分節化された方向」(117)において進展する。構成する自我が自らを「内世界的
(innerweltlich)に存在する人間」(ebd.)へと「世界化」する過程は、この自我に固有の構成的能
作に基づく以上、これは「本来的」あるいは「第一次的」な生起と見なされる。
他方、現象学を営む傍観者は、世界構成に対して「無関与」の態度を貫き、世界に向かう「目
的論的傾向」を自己のうちに持たない以上、自己固有の能作に基づいて「世界化」することはあ
り得ない。従ってそれは「非本来的」あるいは「第二次的」に生起する。しかし、傍観者が「非
本来的」な仕方であれ、世界の中に位置づけられるのはいかにしてか。フィンクによればそれは、
傍観者が構成する自我との「超越論的他種性(Andersartigkeit)
」にもかかわらず、
「ある──非
常に分析困難な──仕方で、構成する自我の自己世界化に包括され(umgriffen)
、それにたえず
支えられる(fortgetragen)」(119)ことによってである。つまり傍観者は、エポケーを通して世
、
界の構成的生成から身を引き、無関与の態度を採りながら、しかしその「世界構成に、言わば受
、
、
、
動的に関与」(ebd.)している。この二つの世界化の連関は次のように説明されている。
「構成する自我の、世界内の人間への世界化、即ちその『自己統覚』の構成を、われわれは
、
、
、
既に本来的あるいは第一次的世界化と名付けた。それは超越論的構成的な能動性(Aktivität)
である。つまり、構成する自我は能動的な構成的能作によって世間化される。この構成的能
作は、現象学的に理論化を行う『無関与の』自我を世間化へと引きずり込む(reissen)
。そ
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
してこの自我のもとでは、世間化は固有の能動性に基づくのではないから、非本来的かつ見
、
、
、
、
、
、
かけの上での(scheinbar)世界化にしかならない」
(ebd.)
- 72 -
超越論的なものの世間化
ここから明らかなように、二つの世界化の連関は「能動性」と「受動性」という対立図式の統一
として論じられている。構成する自我は自己の構成的能作によって能動的に世界化し、傍観者は
この「自己客観化」の過程にただ「受動的」な仕方で「引きずり込」まれるに過ぎない。従って「非
本来的世界化」は、構成する自我の「自己客観化」という「この超越論的生起の、受動的随伴性
(das passive Mitgenommenwerden)」(127)に他ならない。
さて、この二つの世界化の連関を通して傍観者が再び内世界的な「人間」に「なる」というこ
とは、現象学的思惟にとって、一体何を意味するだろうか。
それは決して、
還元以前の素朴な
「人間」
存在への逆戻りを意味するものではない。世界に拘束された素朴な「人間」は、傍観者の世界化
を伴わずに経過した「本来的世界化」の帰結である。この点についてフィンクは、
「自己自身を『世
界的なもの』として構成する生は、構成的な最終所産(Endprodukt)において終局する(Terminieren)
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
際、自らの超越論的由来(Herkunft)を忘却し、自己を人間としてのみ認識する」
(128)と述べ
ている 。「人間」が世界の内に居ながら自己の「構成的由来」に関する知を獲得し、さらに一貫
して保持するには、傍観者の「非本来的世界化」が随伴せねばならない。
「非本来的世界化」は「超
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
越論的根源の忘却に至る世界化ではなく、まさに、超越論的根源についての知の世界的客観化」
(ebd.)という意味を持つ。従って、還元を行う傍観者が再び世界の中に位置づけられることは、
決して還元以前の素朴な「人間」存在に再転化することを意味しない。
これと関連して、「現象学的理性の超越論的『基準(Kanon)
』
」
(96)と呼ばれる根本的な真理
基準が提示される。それは、現象学的営為に関する「見かけの上での真理(Scheinwahrheit)
」あ
るいは「現出の真理(Erscheinungswahrheiten)」と、本来的な「超越論的真理(transzendentale
Wahrheiten)」
(121)の区別として与えられる。この基準に照らして言えば、
現象学の「主体」は「人
、
、
、
、 、
間」である、というテーゼは「現出の真理」に過ぎない 。
「人間」は「現象学的営為の現出の主体」
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
つまり「見かけの上での主体」(125f.)である。しかし還元を遂行した者は、この「現出」の背
、
、
、
、
、
、
後に隠された「超越論的真理」を洞察する。つまり、自然的な「人間」という「世界化的『仮装
(Maskierung)』」(148)に惑わされることなく、現象学の主体は超越論的自我である、というこ
とを「透視(durchsichtig)」する。
それでは結局のところ現象学を営む主体、「傍観者」とは何者なのか。現象学的営為の「全面
的(vollseitig)主体」は、この二つの真理の「弁証法的統一」として明らかにされる。即ちそれは、
超越論的態度にとどまる「超越論的自我」でもなければ、
自然的素朴性にとどまる
「人間」
でもなく、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
「世界の中に──非本来的世界化を通して──『現出する』超越論的主観性」
(127)に他ならない。
本節では『第六省察』における二つの「世界化」の内実と相互の連関について検討したが、そ
還元を遂行しない素朴な人間は自己自身に関する超越論的な知を一度たりとも獲得しておらず、「忘却」という
表現には問題があるだろう。フッサールは「超越論的-構成的過程に対して盲目(blind)である」(128Rb.)と
いう表現を用いている。
「
『世界の子(Weltkind)』には現出は透視されず、何ら現出として与えられていない」(127)。フィンクはここ
で明らかにハイデガーを念頭に置いて、「実存的批判」からフッサール現象学を擁護している。現象学が世界内
、 、 、 、
の「人間」の営みであるということの真理性は否定できないとしても、それは決して真理の「最終法廷(letzte
、 、 、 、 、 、 、 、
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
Instanz)
」ではない。「人間に訴える論証(argumemtatio ad hominem)」に過ぎず、
「初めから的はずれである」
(123)。
- 73 -
超越論的なものの世間化
の中で「非本来的世界化」は、現象学の「本来的主体」としての「傍観者」と、
「現出の主体」
としての「人間」を媒介する極めて重要な現象として考察されている。
『第六省察』の議論はこ
こから更に、現象学的意味における「絶対者」に向けて展開される。しかし、既にこれまでの論
述に関して、フッサールは幾つかの批判的な見解を示している。以下ではこの点について検討す
る。
第 3 節 フッサールの批判的見解
フィンクの証言によれば、フッサールは『第六省察』に対して、
「構成する自我と現象学を営
む自我との対比があまりに強調されすぎている」
(183)という評価を下した。従って、彼の批判
は「方法論」全体を動機づける「超越論的存在対比」の思想そのものに向けられている。それな
らばフッサール自身は、現象学を営む「超越論的傍観者」をどのようなものとして考察したのだ
ろうか。また、同じことであるが、傍観者の「現象学的営為」をいかなる能作として捉えたのだ
ろうか。
フィンクは「現象学的営為」が世界を構成する能作ではないという点に傍観者の「他種性」を
見出したが、フッサールは「現象学的営為」を決して非構成的なものであるとは考えていない。
それはまさに「現象学を構成する」能作として問われている(203)
。そして「超越論的なものの
不断の第二次的な自己世界化」もまた「新たな種類の構成に属している」
(150Rb.)と言う。従
って二種類の世界化をフィンクのように、構成的な能動性と、非構成的な受動的随伴性という
対立図式の統一として捉えてはいない。例えば、
「構成する自我は自己の能動的な構成の能作に
よって世間化される」(119)というフィンクの記述に対して、
「これは憂慮すべき表現法である」
と苦言を呈し、重ねて「それ以外にどのような構成があるというのか」
(119Rb.)と問う。つま
りフッサールは「原理論」を継続することによって傍観者の「世間化」を解明し、ひいては『省
察』において自ら提起した現象学の「自己批判」を果たそうと試みる。それでは傍観者の現象学
的営為が「能動的」かつ「構成的」なものと解されるとき、その世間化はどのようなものとして
解明されるのだろうか。
「差し当たり超越論的エゴとして主題化されたものは、すべての世界構成的機能に即してそ
れに属する一切のものを伴い、人間の心(Seele)に転化するが、現象学を営む諸機能はこ
のエゴと不可分に一つになっているので、その諸機能はおのずから(eo ipso)心の中に位置
(Stelle)を持ち、従って、自然的態度の世界の中に位置を持つのである」
(188)
。
このように、傍観者の現象学的営為と、主題的エゴ、即ち世界を構成するエゴは「存在対比」
としてではなく、むしろ「不可分に一つ」になったものとして考察される。
「超越論的傍観者の
能動性」
(187)は、主題化された構成的エゴが内世界的な「心(Seele)
」に転化する際、
これと「不
- 74 -
超越論的なものの世間化
可分」な仕方で「おのずから」世間化されると考えられている 。
10
そしてフッサールの批判が集中し、最も顕著に表れるのは、
非本来的世界化の帰結としての「人
間」が「現出」の概念によって論じられる箇所である。彼は「現出というのは不適切な表現である」
、
、
、
、
、
、
(96Rb.)と明言し、
「見かけの真理(Scheinwahrheit)
」
(147)に対しても、
「これには私は反対だ!」
(147Rb.)と語気強く反論している。フッサールは「非本来的世界化」を「心理学化」や「局在
化(Lokalisierung)」、あるいは「投射(Projizieren)
」などと呼ぶが、そうした「意味付与的な能
作」(213)の成果として世界内に位置付けられた「人間的な心」を「現出」と呼ぶことはない。
彼はむしろ「局在化態(Lokalisation)」という表現を用いる。こうした用語の変更は何を意味す
るのか。フッサールは次のように述べている。「空間時間的な局在化態は仮象(Schein)ではな
く、一つの意味を持っており、つまりすべての世界的局在化態、世界的に存在するものの局在化
態を超越する(transzendieren)という意味を持っている」
(147Rb.)のであると。
「空間時間的な
局在化態」、即ち世界の内に位置づけられた「心」は、
「世界的に存在するものの局在化態」
、端
的に言えば内世界的存在者を「超越する」という意味を持つ 。つまり、
「現象学者になった人間」
11
は「局在化」を通して、自らを「世界における人間」として見出すが、それはかつての「素朴な
人間性(Menschentum)」を乗り越えた、「『新たな』人間」として見出される(214)
。
現象学を営む主体はあくまでも、自らの超越論性を自覚した、より高次の「人間」であると
、
、
、
、
、
、
いうこと、これが「人間」を「世界化的『仮装』
」とさえ呼ぶフィンクの解釈に対する反論であ
る 。しかし『第六省察』の議論は、このような「人間」を可能ならしめる「絶対者」に向けて
12
展開されてゆく。
第 4 節 フィンクの「絶対者」
『第六省察』の「序文案」の中で、フィンクはフッサールとの立場の違いを明確に表明している。
フッサールは「哲学する主体の個的概念を擁護」し、
「超越論的主観と人間の相違をまだ個体化
(Individuation)の次元に置き移していない」(183)のに対して、彼自身は「あらゆる個体化にも
先立って存する、絶対精神の生の深層(Lebenstiefe)
」
(ebd.)に向けて「還元」を完遂するので
あると。つまり、先に見た現象学の「全面的主体」
、即ち「世界の中に──非本来的世界化を通
して──『現出する』超越論的自我」は、一切の「個体化」に先立つ「絶対者」として捉えられ
る。それでは現象学的意味における「絶対者」とはいかなるものであろうか。
10
このような見方は、超越論的自我と心理学的自我の平行関係と相互転化の可能性をめぐる 20 年代の思索に基づ
いており、後に『危機』第 59 節、およびその関連草稿の中で「流入(Einströmen)」の理論として論及されるこ
とになる。Vgl. Hus. XXIX, S. 77-83. 『第六省察』への注釈においても「世界の内に流入する(einströmend)超越
論的なもの」
(143)という表現が見られる。
11
この「超越する」という表現は、フィンクの次の記述とともに理解されねばならない。「還元の遂行は、人間が
12
自己自身を乗り越えること(超越すること)を意味する」(132)。
ブルジーナの解釈によれば、フッサールは「現象学的に具体的な術語」として「局在化」を用いるのに対し
て、フィンクは「存在論的に具体的な術語」として「現出」を用いている。Vgl. R. Bruzina, “The enworlding
(Verweltlichung) of transcendental phenomenological reflexion: A study of Eugen Fink’s '6th Cartesian Meditation' ”, Husserl
Studies 3, 1986, S. 22f.
- 75 -
超越論的なものの世間化
そもそも還元以前の自然的態度において、
「絶対的」
に存在するものは何かと言えば、
それは個々
の存在者を包括する「存在者の総体(Universum)
」
、即ち「世界」であろう。
「世界」は自立的な
、
、
、
、
、
、
、
「普遍的存在連関」(155)として理解されている。還元の遂行によって、
「世界」は構成的主観に
対して「相対的」な意味を持った志向的存在として開示される。しかし、世界現象とその志向的
、
、
、
、
、
構成の全体、即ち「構成の総体」(156)が、直ちに現象学的意味での「絶対者」を意味するわけ
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
ではない。むしろ絶対者とは「超越論的構成と、現象学的営為という超越論的生起との統一」
(157)
に他ならない。つまりフィンクの言う「絶対者」は、
「存在者」のみから成る普遍的統一ではな
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
く、「存在者一般と先存在者(世間的存在と『超越論的』存在)との包括的統一」
(ebd.)
、即ち
「存在の『先存在的』生成(構成)と存在(世界)
」
(161)との統一を意味している。
そしてこれが「個体化」に先立つ次元に求められる以上、ここでは「相互主観性」の解釈が重
要な論点をなしている。絶対者の一契機としての「世界」は、
「第五省察」において主題的に考
察されたように、単独の超越論的主観による構成的形成態ではない。それは「モナド的相互主観
性」による共同化された構成的諸能作の相関者である。従って「構成」というもう一方の契機は、
まずもって「モナド的相互主観性」として理解されねばならない。しかしながら、この「モナド
的相互主観性」という規定は、果たして構成する生の「究極的な深層」
(160)を真に捉えたもの
であろうか。
「第五省察」においてフッサールは、「固有性領界(Eigenheitssphäre)
」
(Hus. I, §44)への還元
を通して、他者を私自身のモナドの「志向的変様(Modifikation)
」として証示し、
「モナド的共同体」
がそれ自体、私自身のモナドにおいて「構成された層」であることを明らかにした。しかし「第
五省察」は他我および相互主観性を、静態的な問題設定のもとで考察したことによって、出発点
に据えられた「私自身のモナド」に関して解釈の余地を残した。フッサール自身『省察』以後、
反省を営む自我と反省された自我との相違を踏まえ、相互主観性の問題を発生的次元に置き移し
て考察する 。
13
現象学の主体を「個体化」以前の段階に求めるフィンクの解釈も、そうした発生的分析の進展
を顧慮したものである。しかし彼は、フッサール現象学とは馴染みの薄い「一者」の理念にその
、
、
、
、
、
解決を求め、モナドの複数化を「絶対者」自身における「自己分節化(Selbstartikulation)
」
(160)
として解釈する。「(モナド的相互主観性における個別的なモナドとして)超越論的エゴが個体化
、
、
されていること(Individuation)は、あらゆる個体化(Individuierung)に先立って存する『単一の』
、
、
、
、
、
、
、
、
超越論的生の自己客観化の一段階ではないか」(164)
。ここにおいて、
「第五省察」における「相
互主観性」の問題系は、『第六省察』が結論部において提示する「絶対的学問」の理念の内に包
摂される。現象学的営為は「絶対者の自己把握」
(170)
、あるいは「絶対者の自己自身における
認識運動」(167)であり、現象学はまさに、このような意味での「絶対的学問」であることが結
論づけられる。
13
、 、 、 、 、 、
1930 年頃、既にフッサールは次のように記している。
「いま超越論的現象学を営む(現実的なエゴ──モナド──
、
、
、
としての)主観性と、端的な超越論的主観性とを区別しなければならない。後者は超越論的相互主観性として証
示される。そしてそれは超越論的現象学を営む主観性を自己の内に包括する」(Hus. XV, 75)。
- 76 -
超越論的なものの世間化
さて、フッサールもまた「相互主観性」の問題系を発生的に究明する中で、最終的には「原自
我」あるいは「先自我」といった概念に到達し、これを、あらゆる複数化に先立つ唯一なる「エ
ゴ」として捉える。このような思索の深まりを考慮するならば、
『第六省察』との「対決」はフ
ッサールにとって、大きな知的収穫をもたらしたことが推察される。だからと言って彼は、自ら
の現象学的思惟を弁証法的な「絶対者」の概念に向けて転回するわけではない。次節では、改め
て両者の根本的な「哲学的相違」について検討したい。
第 5 節 フィンクとフッサールの哲学的相違
繰り返し述べてきたように、『第六省察』は傍観者の「現象学的営為」が「構成的営為」とは
原理的に異なるという洞察を出発点とした。フィンクは後年、
「方法論」に課せられた問いを次
のような「アポリア」として表現する。即ち、「そこから究極的に『存在』が理解されるはずの
地平はそれ自体、存在的であるのか、またそれはいかにしてであるか」
(184)と 。彼は超越論
14
的還元に続き、「存在理念の主題的還元」を遂行し、この「アポリア」の解決を図る。これによ
って、
「そこから究極的に『存在』が理解される」超越論的地平は「先存在」として規定され、
「存在」
概念の適用範囲は内世界的存在者に限定された。世界の構成的生成は「世界的実存の意味におい
ては非存在的」であり、これを主題化する傍観者の現象学的営為は、
この「先存在」的過程を「存
在化」する働きとして捉えられる。そして「世間化」を媒介とした「存在」と「先存在」の弁証
法的統一が論じられ、「個体化」に先立つ「絶対精神」の「生」へと議論が展開された。
それではフッサールの場合はどうだろうか。まずは
「局在化」
がどのようにして生起しているか、
この点から再考したい。現象学を営む私は、世界構成の過程を主題化するが、この探求の中で再
び「自然的世界」の方に態度を採り直したとき、私は世界の内に局在化された「人間的な心」を
見出す。しかし問題は、この「局在化」の経過を現象学者としての私はありのままに把握するこ
とはできないという点にある。私が態度変更を通して目の当たりにするのは「世間化」の帰結と
しての「心」、
「局在化態」であり、
「局在化」の生き生きとした生起は、
あくまでも「匿名的(anonym)
」
に経過する。
しかしここで、現象学を営むエゴが持つ反省の「反復能力」
、
即ち「私は再び反省できる」
(204)
という能力を議論の前提とするならば、その限りにおいて「匿名的」な諸能作と反省された「エゴ」
との不可分性が主張され得る。そこから、現象学の主題としての「私の具体的エゴ」は、
「原理
的に匿名的に機能する現象学を営む作用自我(Aktich)を伴ってのみ主題であり得る」
(205)と
いう解釈が成り立つ。その反面、「開かれた無限の反復(Iteration)の意識」
(204)がいかにして
成り立つかという問題は、当面「度外視」されたままに留まらざるを得ない。フッサールは、こ
の点を自覚した上で、「私の具体的エゴ」の内に、現象学を営むエゴと反省されたエゴとの「反
復的な区別」(204)が見出されることは認めながら、これを「超越論的存在対比」として捉える
14
これは 1945 年、『第六省察』を教授資格論文として提出する際に付けられた「前書き」からの引用である。「ア
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
ポリア」はさらに「存在者の時間化の存在は規定され得るか、またそれはいかにしてか」(184)。この問題こそ
まさに、最晩年のフッサールが探求した問題であった。
- 77 -
超越論的なものの世間化
解釈は誇張として斥けたのである。
さて、フィンクの「絶対者」は「存在の『先存在的』生成(構成)と存在(世界)
」との包括
的統一を意味していたが、これに対してフッサールの「具体的エゴ」の概念は、
「主題的な幅と
匿名的な(この意味において潜伏的な)深さの構造」
(204)を持つと考えられている。
「主題的
な幅」とは即ち、
「直進的現象学(Gerade Phänomenologie)
」
(フィンクの区分に従えば「原理論」
)
において主題化される「相関関係の構成的無限性」を意味している。
「匿名的」に経過する現象
学的営為は「主題的な幅」に対して「深さ」として、
即ち「世界現象とは別種の先所与性」
(ebd.)
として、「具体的エゴ」の内に共に含まれている。しかもこの「匿名性(Anonymität)
」は先述の
通り、「開かれた無限の反復の意識」として、世界の無限性とは異なる意味において「独自の無
限の地平」
(ebd.)を伴う。従って「具体的エゴ」は、
この「二重の観点」において「無限の理念」
であると考えられている。
さらに、フッサールもまた、この「具体的エゴ」を「個体化」に先立つ次元において捉えてい
る。「このエゴは、いかなる有意味な複数化(Vervielfältigung)も許容しない、絶対的意味におけ
る唯一の(einzig)エゴであり、より明確に表現すれば、<こうした複数化を>無意味として排
除するものである」(194) 。「具体的エゴ」はその名称に反して、複数の人間を前提とした個人
15
としての「私」を意味するものではない。従って、フィンクが「現象学の現象学」を遂行するに
当たって提示した、「どのような個体化にも先立つ『単一の』超越論的生」という思想は、フッ
サールの「具体的エゴ」の概念においても見出される。解釈の分かれ目は、現象学的営為を「絶
対者の自己自身における認識運動」と見るか、それとも「反省の反復」を通してのみ接近可能な、
しかし決して完結することのない「無限の理念」の探求として捉えるか、
この点に存するだろう。
結語
フィンクは戦後、フッサールに対する批判的態度をより鮮明にし、反形而上学の立場を採るは
ずの「志向的分析」がそれ自身のうちに「隠された思弁的要素」を種々、含んでいることを指摘
した。フッサールの「構成」概念が「意味形成(Sinnbildung)と創造(Creation)
」の間で「揺れ
動いている」 という批判は、現象学的営為の「生産的」性格を際立たせ、これを「存在化」と
16
して論じた『第六省察』においても既に十分に表れている。また、
「志向的分析」の内に「隠さ
れた思弁的要素」を明確化し、これを放逐するのではなく、むしろ積極的に「思弁的思惟」へと
道を拓こうとする彼の意図も、「原理論」と「方法論」の対立区分から「世間化」現象の解明を
通して「絶対者」に至る議論の中に、かなりの程度、読み取ることができる。
一連の「方法論」的省察は『省察』の問題設定を踏まえながらも、フィンク独自の問題意識に
基づき、
「絶対精神の非存在的(meontisch)哲学」
(183)を「予見」しつつ遂行された。あらゆる「個
15
フィンクが「方法論」において「先存在」の概念を導入したのに対して、フッサールはこの唯一のエゴの「存在」
16
を「超存在(Übersein)」(194)と呼ぶ。
E. Fink, “Die intentionale Analyse und das Problem des spekulativen Denkens“, in Nähe und Distanz: Phänomenologische
Vorträge und Aufsätze, hrsg. von Franz A. Schwarz, Freiburg/ München: Karl Alber, 2004, S. 152.
- 78 -
超越論的なものの世間化
体化」に先立つ究極的な「生」の概念に向けて還元を深化することによって、
彼はフッサールの「志
向的分析」、
「原理論」的思惟の乗り越えを目指した。しかし、
フッサールが「具体的エゴ」を「複
数化」に先立つ「唯一」のエゴとして捉えたことを加味すれば、
「個体化」をめぐるフィンクの
批判は、その後のフッサールの思索に反映されたと見ることができよう。
現象学的営為が最終的に「絶対者の自己把握」として規定されるとき、
「絶対者」は現象学の「主
題」であるとともに「主体」でもある。フッサールの「具体的エゴ」は「主題的な幅」と「匿名
性の深さ」という構造を持っていたが、『第六省察』の精読の際、差し当たりは不問にされた前
提、即ち「私は再び反省できる」という意識の成立を遡及的に究明する中で、彼は「絶対者」に
言及する。即ち、「絶対者とは、絶対的時間化に他ならない」
(Hus. XV, S. 670)。反省の反復可
能性から出発し、それを支える究極的根拠として見出されるこの「絶対者」は、反省によっては
それ以上遡り問うことのできないもの、即ち「背後遡行不可能なもの」を指し示す。従ってそれ
は、フィンクの言う意味での「絶対者」とは全く異なるものである。
思弁的な「絶対者」に関しては、フッサールはほぼ「沈黙」 を守っている。しかし、個々の
17
人間の生を越えた普遍的な「生」を、晩年のフッサールは「世代性(Generativität)
」の観点から
考察し、人間のみならず動物や植物を含む「世代の連鎖(Generationskette)
」に関心を向けている。
「世代発生的連関」は事実上、個々の「生」が他者から生まれ、他者を生みつつ「死」を向かえ
ることによって成立している。そして「世代の連鎖」はそれ自体として見れば、
「個々のモナド
の可死性のもとでのモナド全体の『不可死性』」(Hus. XV, 195)を意味する。しかし、こうした
普遍的な「生」の連関もまた、やはり「具体的エゴ」の内に含まれる。それでは「個人」として
の私が「死」を向かえるとき、「唯一」なる「エゴ」の「存在」はどうなってしまうのか。
「具体
的エゴ」は個人としての「私」の「心」を指すものではないが、
「世間化」理論が明らかにした
ように、この「エゴ」は世界の中に「局在化」され「私」の「心」へと転化する。この人間とし
ての「私」の「死」は、「唯一」の「エゴ」にどのような影響を及ぼすのだろうか。しかし、フ
ッサールが「唯一なるエゴ」を「無限の理念」として捉えるとき、彼は「互いと共に、また互い
に対立し合う研究者たちの開かれた世代の連鎖」
(Hus. VI, 367)の中で、無限に探求されるべき
課題として見なしていることは疑いをいれない。現象学の主題としての「具体的エゴ」と「世代
性」概念の関係、とりわけ「誕生と死」の現象をめぐる考察は今後の課題としたい 。
18
(まえだなおや 種智院大学非常勤講師)
17
Bruzina, op. cit., S. 26.
18
この課題は、本稿では取り扱うことのできなかった『第六省察』のもう一つの論点、即ち超越論的生の「始まり」
と「終わり」を問う「構築的現象学(Konstruktive Phänomenologie)」の理念と密接に関連している。
- 79 -
Die Mundanisierung des Transzendentalen
Die Mundanisierung des Transzendentalen
Naoya Maeda
Die menschliche Subjektivität ist das Subjektsein für die Welt, aber zugleich
Objektsein in der Welt. Die Phänomenologie Husserls versuchte diese Paradoxie
aufzulösen durch die Auslegung, daß das Menschsein in der Welt nicht anderes als die
Selbstobjektivation des transzendentalen Ego sei. Aber „der phänomenologisierende
Zuschauer“, der das eigentliche Subjekt der transzendentalen Reflexion ist, blieb dann als „
unbegriffener Rest“.
In seiner „VI. Cartesianische(n) Meditation”, bezeichnete Eugen Fink diesen
phänomenologisierenden Zuschauer als Thema der transzendentalen Methodenlehre und
beschäftigte sich mit der Frage nach der „Mundanisierung” des Transzendentalen. Er hat
das „Phänomenologisieren“ des Zuschauers als die „Ontifizierung“ des transzendentalen „
vorseinenden” Lebensvorgangs betrachtet. Er behauptet, daß der phänomenologisierende
Zuschauer passiv der „eigentlichen oder primären Verweltlichung” des transzendental
konstituierenden Ich teilhaftig wird. Das heißt, die „uneigentliche oder sekundäre
Verweltlichung” des Zuschauers geschieht durch „das passive Mitgenommenwerden” der
Selbstobjektivierung des konstitutiven Ich. Das vollseitige Subjekt der Phänomenologie
wird folglich als die in der Welt „erscheinende” transzendentale Subjektivität angesehen.
Dagegen hat Husserl das Phänomenologisieren für die die „Phänomenologie
konstituierende Leistung“ gehalten und ferner die uneigentliche Verweltlichung für eine
neuartige Konstitution. Deshalb hat er das Wort „Erscheinung“, das in der VI. Meditation
wiederholt gebraucht wird, durch den Ausdruck „Lokalisation” des transzendentalen Ich
ersetzt. Das heißt, er erfaßt die raumzeitliche Lokalisierung des transzendentalen Ich als die
sinngebende Leistung.
Im Gegensatz zum Husserlschen Denken, das den individuellen Begriff des
phänomenologisierenden Subjekts in Schutz nahm, deutet Fink die Reduktion auf das vor
aller Individuation liegende Leben des Absoluten an, indem er den Begriff des Absoluten
als die umgriffliche Einheit von „vor-seiendem“ Werden des Seins (Konstitution) und dem
Sein (Welt) bestimmt.
Die philosophische Divergenz zwischen Husserl und Fink liegt im Folgenden.
Husserl hältet die offen unendliche Iteration der Reflexion und die Tatsache für wichtig, daß
die phänomenologisierenden Funktionen mit dem thematisch ausgelegten Ich untrennbar
eins sind. Demgegenüber richtet Fink seine Aufmerksamkeit auf den transzendentalen
Seinsgegensatz zwischen dem phänomenologisierenden Zuschauer und dem transzendental
konstituierenden Ich.
「キーワード」
世間化、超越論的方法論、現象学の現象学、傍観者、絶対者
- 80 -
ミル「危害原理」の射程
ミル「危害原理」の射程
--個人の自律の可能性としての自発性--
樫本直樹
われわれは倫理的な諸問題を扱う議論において、頻繁にミルの「危害原理」を目にする。例え
ば、医療問題などにおいて自己決定を支持する論拠として、そして古典的自由主義の最もシンプ
ルな定義として。前者においては、治療行為は患者自身に対する事柄であり、それゆえ治療の決
定に際して、患者本人が自身にとって不利な決定を下したとしても、本人がよく考えた上で、さ
らに他人に危害を及ぼさないならば、患者自身の決定が優先される、といわれる。また後者にお
いては、他人に危害を加えない限り何をしても個人の自由である、といわれる。こうした主張の
前提にあるのが個人の「自律」という考え方である。今日、自律は「自己決定」の言い換えとし
て使用され、そこには「行為の自由」「選択の自由」
「合理的意思決定能力」といった事柄が含ま
れている 。それゆえ、ミルは自律した個人を、そしてそうした個人が行う決定を保護する必要
から危害原理を提出し、不干渉としての自由の重要性を強調したのだ、と理解される。確かにこ
うした解釈は間違っていないと思われる。また、ミル解釈においても「自律」という語を使用し
た議論は多い(例えば、スーザン・メンダス、ジョン・グレイ等)
。
しかし、以前から私は若干の引っかかりを感じている。というのも、われわれは倫理的問題と
して何らかの決定を問題とする際、その導入として、ある意味便利に「危害原理」を使用するの
だが、
「自律」を中心にそれを語ってしまうこと(自律という語を使用することではない)
によって、
ミルの主張にとって重要な何かが削ぎ落とされてしまっているのではないか、と感じるからであ
る。
よって本稿では、ミルが『自由論』で提示した「危害原理」と、ミルがそれによって擁護しよ
うとした自由概念 について考察する。その考察は、
「ミルの自由にはいかなる意味の自由が含意
されているのか」、また「危害原理は誰を保護するのか」という二つの問いとともに行われる。
樫 則章「自律をめぐる諸問題」67 頁 加茂直樹編『社会哲学を学ぶ人のために』所収
「自由」には liberty と freedom の 2 種類があるが、以下の考察ではそれぞれ交換可能なものとして扱う。ミル自
身もそのように使用しているように思われる。例えば、『自由論』冒頭。
- 81 -
ミル「危害原理」の射程
考察を通して、ミルが「危害原理」によって何を守ろうとしたのかを明らかにし、
「危害原理」
を提示した目的についても若干触れる。
1 危害原理と個性の問題
われわれは一定の社会の中で、その社会やその中で暮らすさまざまな他者との関係において生
活をしている。ミルは『自由論』において、人々が社会生活を営むにあたって、まずもって個人
の自由、すなわち市民的/社会的自由(以下では「社会的自由」のみ記述)が認められなければ
ならないと主張した。ただそれは無条件に認められるというわけではなく、一定の制約が伴って
いる。その点についてミルは次のように述べている。
この論文の目的は、用いられる手段が、法的刑罰という形での物理的力であれ、世論とい
う道徳的強制であれ、強制と統制という形での個人に対する社会の取り扱いを絶対的に支
配する資格のある、一つの非常に単純な原理を主張することである。その原理とは、人類
が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は、自己
防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権
力を行使しうる唯一の目的は、他人にたいする危害の防止である。彼自身の幸福は、物質的
なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない。そうするほうが彼の
ためによいだろうとか、彼をもっとしあわせにするだろうとか、他の人々の意見によれば、
そうすることが賢明であり正しくさえあるからといって彼になんらかの行動や抑制を強制す
ることは、正当ではありえない。(中略)人間の行為の中で、社会に従わなければならない
amenable 部分は、他人に関係する部分だけである。自分自身にだけ関係する行為においては、
彼の独立は、当然、絶対的である。彼自身に対しては、彼自身の身体と精神に対しては、個
人は主権者である is sovereign(OL:223-224)
この危害原理によってミルは、生活および行為を、個人にのみかかわる領域(個人的領域)と他
人のかかわる領域(社会的領域)にわけ、「他人に対する危害の防止」という制約が、一方で社
会が個人の領域に介入する正当化根拠となり、他方で個人的領域においては、個人の自由が絶対
的に、そして無条件に保護される必要性があることを主張するのである 。
ではなぜ個人の自由は保護されなければならないのだろうか。ミルによれば、それは自由が人
間の幸福にとって不可欠の要素であるからである 。このミルの自由擁護論を理解するためには、
このように「危害原理」には、社会の側の権力行使の正当化基準という側面と個人の自由を保護するための基準
という側面がある。関口正司は著書『自由と陶冶─ J.S. ミルとマスデモクラシー』
(みすず書房 1989)の中で『自
由論』に対する誤解として「あくまでも、個人的領域における自由の擁護という一つの目的に自覚的に焦点を絞
った書物である」(355)と強調している。なお、筆者もそのように解釈している。またミルを自由の価値を追求
し続けた思想家として捉える関口氏の解釈は非常にすぐれており、いくつかの箇所で参照していることをここで
ことわっておく。
ミルにとって「危害原理」の正当化根拠は功利主義にある。ミルは「危害原理」の説明の少し後で次のように言
- 82 -
ミル「危害原理」の射程
当時の民衆や世論の状態に対するミルの悲観的で否定的な評価をおさえる必要がある。ミルの目
に映った当時のイギリス社会は、政治的には民主主義の進展、経済的には商業文明の発展に伴う、
順応主義の高まりと受動的な性格の蔓延、さらには私的な利害追求にのみ没頭する人々の姿であ
った。そしてミルはそうした人々による世論の専制、つまり社会が個人に対して自らの考えや習
慣を不当におしつけようとする傾向によって、個人が大衆のなかに埋もれてしまい無意義になっ
ていくこと、さらには人間の本性が弱められ消滅させられてしまうのではないか、ということを
絶えず危惧したのである。ミルが社会的自由を「われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追
求する自由」
(OL:226)と言い換えていることからもわかるように、
そしてミルが好んで用いる「進
歩」という語にも裏付けされるように、ミルには人々が人間的な成長を遂げるということが念頭
にあるように思われる。つまり、個人の幸福にとって、そして結果的に社会全体の幸福にとって
(功利主義的にも)、人々が「人間的に成長すること」が重要なのである。しかしながら、先にあ
げた専制状況にあっては、思考、感情、活力が萎縮してしまい、個人がよりよい生き方を思い描
くことさえ不可能になってしまうかもしれないのである。そうした状況は人間の知的・道徳的状
態として決して望ましいものではなく、その再生のためにもまず社会のなかに個人が自由にふる
まえる領域、つまり社会的自由を擁護する必要があったのである。
ミルは「人間的に成長すること」という問題を、
『自由論』第 3 章「幸福の一要素としての個
性について」において、「個性」ないし「陶冶」の問題として扱っている。ミルの社会的自由を
理解するためには、社会的領域とは区別される個人的領域をもつ個人がどのような存在であるの
かという点も考慮されなければならない。それは、個人が単に自由を受け取る(自由の確保)だ
けでなく、その自由のなかで何をするのかが重要となる、と言い換えてもよいかもしれない。ミ
ルは次のように言っている。
人類が不完全であるかぎりは、さまざまな意見があることが有益であるのと同じく、次の
ことが有益である。すなわち、さまざまな生活の実験 experiments of living があること、他
人への危害がないかぎり自由な活動の場が多種多様な性格に対して与えられること、また、
さまざまな生活様式をもし試してみるのが適当と思う人があれば実際にやってみてその価値
を明らかにすること、が有益である。要するに、第一義的に他人に関係しない事柄において
は、個性が自己を主張することが望ましい。その人自身の性格ではなくて他の人々の伝統や
慣習が行為の規則となっているところでは、人間の幸福の主要な構成要素の一つであり、か
つ個人的社会的進歩のまさに第一の構成要素をなすものが、欠けていることになるのである
(OL:260-261)
っている。
「功利とは無関係なものとしての抽象的な正義の観念から、私の議論のために引き出しうる利点を私
は利用しない、とここで断っておくのが適当である。私は、功利はすべての倫理的問題の究極的な判定基準であ
ると考える。しかしそれは、進歩する存在としての人間の恒久的な利害に基礎をおく、もっとも広い意味での功
利でなければならない」(OL:224)つまり、強制が認められないのは「正義に反するから」なのではなく、幸福
の観点から認められないということ。
- 83 -
ミル「危害原理」の射程
ここでもミルは当時の一般の人々の目的に対する無関心対して否定的な言葉を投げかけている。
つまり、現状の生き方に満足している人々は、「個性の自由な発展が幸福のもっとも本質的な要
素の一つ」であり、「個人の自発性 spontaneity がなんらかの本質的な価値をもち、それ自体尊重
に値する」ということが理解できない(OL:261)と言うのである。
では、ミルは個性や個性の発展ということで何を考えているのだろうか。まず、重要であると
思われるのは、「性格をもつ人」についての次の言及である。
欲求と衝動とが自分自身のものである人、自分自身の陶冶 culture によって発展させられ、
修正されたものとしての本性のあらわれが、彼自身の欲求と衝動とになっている人は、性格
をもつといわれる(OL:264)
つまり、単に欲求や衝動に受動的にしたがう存在としてではなく、性格をもつ存在へと自己陶冶
することが求められている。そしてその性格に基づき自発的に選択することを通して、個性は発
展していくのである。
すべての人間存在が、ある一つの、ないしある少数の型に合わせて形成されなければなら
ぬという理由はないのである。人がある程度の常識と経験をもっているならば、彼自身のや
り方で自己の生活を展開していくのが最善である。彼のやり方それ自体が最善だからではな
い、それが彼自身のやり方だからである(OL:270)
こうしたことを可能にするためにも不干渉の領域、つまり個人の自由が擁護されなければならな
い。世論の専制の影響を受け、その人の性格ではなく他の人々の伝統や慣習が行為の規則になっ
ている人々は、ミルによれば、模倣能力しか使用せず、人間の本性によっても望ましくない。仮
に習慣に従うとしても、理性的にしたがう(選択する)ことが望まれるのである。
人間の本性は、雛形にならって組み立てられ、自己に定められた仕事だけを正確にするよ
うに作られている機械ではない。それは一本の樹木であり、それ自身を生命あるものとして
いる内面の趨勢にしたがって、あらゆる側面にわたってみずから成長し発展することを求め
ているものなのである(OL:263)
このように、ミルの個性および個性の発展についての理論の前提にあるのは、自らの幸福もしく
はよりよい生き方について絶えず模索し選択をする、自己陶冶する個人である。そしてまた、そ
れぞれが互いに異なっていること、つまりは個人の多様性に対する信念であるといえる。
さて、これまでの議論をふまえるならば、
「危害原理」
はどのように理解されるだろうか。
つまり、
最初にあげた問いを思い出すならば、危害原理が擁護する社会的自由には「いかなる意味の自由
- 84 -
ミル「危害原理」の射程
が含意されているのか」ということである。われわれがいま見てきたように個性の理論に依拠す
るならば、その自由が依拠するのは選択を可能にするという意味での「選択の自由」である、つ
まり選択の自由という観点から不干渉としての自由を擁護しているのだ、
と結論できそうである。
危害原理の目的として自己決定としての「自律」を置く議論もおそらくこの個性の理論を根拠に
しているのである。しかしながら、後で詳しく論じることになるが、これは危害原理の理解とし
て不十分である。なぜなら、個人がそもそも選択しうる存在であるという確信をミルが何から得
たのかということが明らかでないからである。この問題を考えるにあたっては次にあげる『自由
論』の冒頭の言及が参考になる。
この論文の主題は、哲学的必然論というまちがった名前で呼ばれているものと、非常に不
幸にも対立させられているいわゆる意志の自由ではなくて、市民的ないし社会的自由 Civil,
or Social Liberty である(OL:217)
つまり、ここであげられる二つの自由が互いに関連をもたない、通約不可能であるとミルはどこ
でも言っていない 。次の章ではミルの「意志の自由」について考えたい。
2 意志の自由
ミルは幼少からベンサムと父ジェームズ・ミルによる英才教育を受けて育った。しかし、1826
年にいわゆる「精神の危機」に陥る。「精神の危機」とは、簡単に言ってしまうと、それまでの
自分(自分の性格)が、結局は他人の快苦操作によって築かれていたことの気づき、それゆえ自
分が受動的存在者にすぎないという認識による、人生の意味の喪失の経験といえるだろう。ミル
はこの経験を乗り越えることによって、ベンサム型の功利主義を修正し思想家として独立したわ
けだが、たびたびその感情の浮き沈みがぶり返したことを『自伝』において告白している。
いわゆる哲学的必然性の理論が、悪夢のように私にのしかかってきた。私は自分が先行の
諸環境の望みのない奴隷であることが科学的に証明されているかのように、すなわち自分と
他のすべての人々の性格はわれわれの支配のかなたにあって全くわれわれの力ではどうする
こともできない力によって形成されているかのように感じていた(AB:175)
こうした不安の背景にある人間形成における環境決定論、オーウェン主義に対する批判は、
『論
理学体系』第 6 巻第 2 章「自由と必然」
(SL:836-848)の章で展開されている。ここで議論される「意
志の自由 the freedom of the will」の問題は、先に取り上げた「自由」の問題においても重要な意
味を持ってくると思われる。
同様の指摘として G. W. スミス。G. W. Smith,’SOCIAL LIBERTY AND FREE AGENCY-Some ambiguities in Mill’s
conception of freedom’ p.245. ed. by John Gray and G. W. Smith , J. S. MILL – ON LIBERTY in focus, ROUTLEDGE,1991
泉谷周三郎・大久保正健訳『ミル「自由論」再読』(木鐸社 2000)
- 85 -
ミル「危害原理」の射程
もし環境決定論が主張するように、人間の意志が先行する環境要因や因果法則によって説明が
ついてしまうならば、人間の意志を認める余地がなくなってしまうように思える。しかしながら、
そうした考えに異を唱えるミル自身も人間の行為が因果的に説明できると考えている。つまり、
人間の行為が必然的であるということを認める必然論とこれを認めない自由意志説とを比較し、
自らの立場が必然論にあるという。ただ、一般的に人間の行為を必然的と認めることは「人間の
自尊心を傷つけ、その道徳的本性を堕落させる」
(SL:836)として非難がなされる。しかしミル
によれば、この必然論は、その表現およびその理解のされ方において、一般的に誤解されている
という。また、その誤解は、必然論に対する反対者だけでなく、必然論を支持している大部分の
人々によってもなされているというのである。ミルはこの誤解された必然論を「宿命論」と呼び、
自らの立場としての「真の必然論」(以下「必然論」と表記)と明確に区別する。では、その誤
解とは何であろうか。
「必然論」とは、人間の行為における因果法則の必然性を認めること、つまり「われわれの行
為がわれわれの性格から生じ、そしてわれわれの性格は、われわれの組織、教育、環境から生
じると考える」(SL:840)ことによって、人間の行為が因果的に予測できるとする考え方である。
ここで意味される「必然性 Necessity」とは、ミルによれば、因果関係における単なる「継起の
斉一性 uniformity of sequence」であって、決して「抵抗不可能性 irresistibleness」を意味するので
はない(SL:839)。つまり、因果法則は不可避なものなのではなく、ある原因を阻止するものが
何もないならば、またそれに対抗する原因がない限りにおいて、ある特定の結果が生ずるという
ことにすぎない。それにもかかわらず、誤解された必然論、すなわち「宿命論」は、原因による
結果の支配、つまり環境による決定を過度に強調することにおいて誤りなのである。そして、そ
の「宿命論」の典型が、オーウェン主義の環境決定論である。その考え方は、すべての人間の欲
求や行為は性格によって、また性格はそれに先行する諸環境によって決定されるので、人間は為
すことに対しても、現にあることに関しても責任を持つことはできず、また主体的にかかわる
・
・
・
こともできない、と主張する。さらにオーウェン主義者は「その人の性格はその人によって by
・
・
・
him ではなく、彼のために for him 形成される」(SL:840)と主張する。つまりその人の性格はそ
の人自身が自ら作り上げるのではなく、環境(社会)が彼のためを思って作り上げるというので
ある。もしそうであるならば、ミルの性格形成への期待、そして人間のそれへの主体的なかかわ
りは無意味なものとなってしまう。しかしミルは上記のような考えは間違いであるときっぱりと
言い切る。確かに環境が性格をつくるということは認めざるをえないが、ミルにとって因果関係
における必然性は、単に「継起の斉一性」を意味するものに過ぎなかった。それは、人為の関与
を全く受けつけないというものではないのである。つまり人間は環境に対し介入し、影響を与え
ることができ、そうすることで性格を修正することができるというのである。
彼の性格は、彼の環境(彼特有の身体組織を含めて)によって形成される。しかし特定の
形で性格を形成しようとする彼自身の欲求も、それらの環境のひとつであり、その影響は決
して最小のものではない。確かにわれわれは直接的に意志するだけで、今ある自分と異な
- 86 -
ミル「危害原理」の射程
る自分となるわけではない。しかし、われわれの性格を形成したと考えられる人々も、わ
れわれが今あるようにあるべきだということを直接に意志してわれわれを今のわれわれに
したわけではない。・・・彼らがわれわれをいまあるように作り上げたのは、目的ではなく
必要な手段を意志することによってであった。そして、われわれの習慣があまり強固でな
い場合には、われわれも同様に、必要な手段を意志することによって、自分自身を違ったも
のにすることができる。もし彼らがわれわれを一定の環境の影響のもとに置くことができ
たのならば、われわれは、同じ方法で、自分自身を他の環境の影響のもとに置くことがで
きる。他者がわれわれのために性格を形成することができたのと同じように、われわれも、
・
・
・
・
・
・
・
・
・
もし意志するならば if we will、自分自身の性格を形成することができるのである(SL:840)
しかしながら、この意志もまた、外的な原因が必要なのではないかということが問題となる。ミ
ルはこのことを認めた上で、この性格形成の意志が「われわれの経験、すなわちわれわれがすで
にもっていた性格の苦痛を伴う結果を経験すること、または偶然に呼び起こされた感嘆、または
熱望の強い感情」(SL:841)から生じると答える。つまり内的経験から生じる願望が人間にとっ
て性格を変える力となるというのである。しかし、
「宿命論」はこの内的経験を見落とすだけで
なく、そういう力を持たない、さらには持つだけ無駄だという感情を与えることで、そうした願
望の形成を邪魔することにおいて誤っているというのである。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
そして実際、綿密に考察するならば、もし願望するならば if we wish、われわれは自分自
身の性格を修正できる、というこの感情そのものが、われわれが意識する道徳的自由の感情
である、ということがわかる。習慣や誘惑が自分の主人ではなくて彼がそれらの主人である
と感じている人、つまり、たとえそれらに屈していたとしても、彼は抵抗できたということ
を知っている人、もし彼がそれらを完全に捨てることを望むならば、その目的のために、自
分が感じることができるとわかっている欲求以上に強力な欲求は必要でないことを知ってい
る人、は道徳的に自由であると感じる(SL:841)
ミルはわれわれが自らの性格を望ましいものに変えたいという願望を持ち、それが可能であると
確信できるとき、意志の自発性としての道徳的自由の感情を持つことができると結論づける。わ
れわれは単に自然的な欲求や衝動に対して受動的に従うのではなく、自らの意志に基づいて自発
的に行為するそういう主体として立ちうるのである。つまり、われわれが前章で見たように、自
らの性格から行為する存在へと自己陶冶し、そしてさらに自発的な選択によって個性を発展させ
ることができるということの基礎を得たことになるのである。その基礎にあるのが、ミルが宿命
論に対する反駁を通して守ろうとした「意志の自由」である。確かにミルは「選択の自由」を重
視するが、その選択の可能性は人間が「意志の自由」をもつということに支えられている。つま
り、われわれが「危害原理」を問題とし、それによって保護される社会的自由を問題とする際に
は、それらが「意志の自由」を含意しているということを視野におさめる必要があるように思わ
- 87 -
ミル「危害原理」の射程
れるのである。
3 ミルと自律、そしてその問題
われわれはここまで「危害原理」を「自律」を中心に語ることに対する違和感から出発し、主
にミルのテキストを中心に議論を進めてきた。そして前章においてミルが『自由論』において展
開する「自由」が「意志の自由」を含意することを確認した。では、それを読み込むことによっ
て、どういう違いがでてくるのだろうか。以下ではこの点を問題にする。この点は最初に示した
「危害原理は誰を保護するのか」という問いにもかかわってくるように思われる。
さて、「寛容」という問題に強い関心をもち続けているスーザン・メンダスは、その著書『寛
容と自由主義の限界』第 3 章「ミルと多様性の擁護論」を中心にミルの自由擁護論に注目してい
る。メンダスによれば、『自由論』におけるミルの議論は自由と多様性の擁護に向けられており、
その擁護論が依拠している価値こそが「自律 autonomy」
(自己決定)の概念であるという。彼女
がその理由としてあげているのは、われわれも 1 章の個性の説明で取り上げた引用文中にある、
彼自身のやり方で自己の生活を展開していくのが最善なのは「彼のやり方それ自体が最善だから
ではない、それが彼自身のやり方だから」という部分である。また、彼女は自律の概念の特徴と
して 3 つの特徴をあげている(TL:53)。
1 自律的主体が行為することができる立場にいること。つまり、拷問や処罰といった外的力によ
って強制されていないこと。
2 自律的主体が欲求や衝動に服従していないこと。つまり、理性的で自由な選択者であること。
3 自律的主体が自分で従う法則を自分で定めること。つまり、自律的主体は他人の強制的行為か
ら独立しているだけでなく、他人の意志からも独立していること。
この三つの特徴は別の箇所でも言及されており、そこではそれぞれ自由、理性 rationality、自己
規定と言い換えられてもいる(TL:89)。ここでは 3 の条件については一旦留保する
(後で考察する)
が、不干渉の自由や個性についての主張を考え合わせるならば、ミルの議論に自律的主体の特徴
がほぼ当てはまると言えるだろう。つまりメンダスが言うように、人を強制することは「暗黙の
うちに自律的主体ないし理性的で自由な選択者としてのその人の地位を否定すること」
(TL:54)
につながり、それは逆に言うと、世論の専制などの影響によって「精神がくびきに屈している人」
「他との一致を優先する人」など(OL:265)は非自律的であるということになるのである。それ
ゆえ、ミルの自由と多様性の擁護論は個人の自律に向けられたのである。しかし、メンダスはさ
・
・
・
らに続けて重要な指摘をする。それは「ミルが好意を示しているのはたんに自律(自己決定)で
はな」く、ミルは「個人の向上、社会の進歩、『文明』の発達の源泉としての自律に好意を示し
ている」という(TL:59)のである。そしてこのミルがもつ「道徳の進歩の可能性への信念」そ
してそれを支える人間本性についての楽観的な見解ゆえに、ミルの自由擁護論はその価値を下げ
てしまったというのである。どういうことであろうか。
- 88 -
ミル「危害原理」の射程
確かにミルは至るところで「進歩」や「向上」という語を多用し、
『功利主義論』においては、
高級な快楽と低級な快楽の区別、高貴な感情への言及なども見られる(UT:212-213)
。そしてメ
ンダスによれば、こうした考え方の背景にあるのが「有機体論的な人間本性観 an organic view of
human nature」(TL:50)であるという。われわれが1章で見たように、ミルは人間本性を樹木に
たとえ、そして別の箇所(UT:213)では草木にたとえている。つまり、ミルは適切な養分が与
えられるならば成長し開花する樹木のように人間本性も開花するという樹木と個人のアナロジー
をモチーフに、自由を「人間の向上を生む唯一の確実で永続的な源泉」
(OL:272)と位置づけた
のである。ここでメンダスが問題にしていることは二つある。一つ目はミルが自由と道徳の進歩
とが一致すると考えていること、つまり自律的選択と道徳的に優れた選択とを結びつけている点
である。二つ目はミルが、自律が個人の内的な本性から自然に発展してくるものだと考えた点で
ある。ではこれらの何が問題なのであろうか。一つ目に関しては、先にあげたミルの楽観的な人
間観ゆえに、ミルが、人間が必ずしも(道徳的に)優れた選択をするわけではないということ、
つまり、どちらかと言えば(道徳的に)劣った選択を自律的に行うかもしれないという可能性を
認めていないということにある。そのことは結局のところ、ミルが擁護しようとする多様性を認
めないことになるのではないか、という(TL:64-65)のである。ミルは『自由論』で「危害原理」
を説明した後に条件をつけ、未成熟な人をその適用から外している。つまり、もしも人が劣った
選択をするならば、非自律的とみなされ「危害原理」の保護から外れるのではないかというので
ある。二つ目に関しては、自律の形成や発展において、ミルには社会的な観点が欠如していると
いうことである。メンダスによれば、ミルが考えたように個人の自律は単に社会の干渉と対比さ
れるだけでなく、社会の干渉に依存している面もある。つまり、自律の概念を理解するためには
「人々がいかに非依存的 independent であるかということだけでなく、人々がいかに相互依存的
interdependent であるかということも理解する必要がある」
(TL:67)というのである。
では本当にそうなのであろうか。メンダスの指摘する二つの問題をミルは見落としているので
あろうか。しかし、逆に彼女の指摘の方が一つの重要な点を見逃しているように思われる。それ
は「危害原理」があくまでも「個人の領域における自由」を重視している(社会的領域を無視し
ているわけではないが)という点である。このことを考えるにあたって、われわれはミルが『論
理学体系』のなかで示した「生活の技術 Art of Life」
、つまり行為や行為のあり方を評価する枠組
みとして三つの二次的な価値原理を採用するという考え方を考慮する必要がある。ミルによれば
「生活の技術」は、「道徳性 Morality」「慎慮(政策)Prudence(Policy)
」
「審美 Aesthetics」の三部
門に分けられ、それぞれ「正しさ Right」「便宜 Expedient」
「美または高貴さ Beautiful or Noble」
を示すとされる(SL:949)。つまり、行為や行為のあり方は、ベンサムが示したように、等質的
な快苦に還元した上で量的に評価されるのではなく、その行為が正か不正かという基準、その行
為が行為者自身の幸福の増大に役立つかどうかという基準、行為者自身の性格が高貴かどうかと
いう基準によって評価されるというのである。そして、
「干渉」や「処罰」
、つまり他人とのかか
わりが問題となるのはそれらのうち「道徳性」の部門に限られる。つまり、
「ある誰かを助ける」
ないし「何らかの行為を差し控える」という行為は、その行為がどういう動機からなされようと
- 89 -
ミル「危害原理」の射程
その行為が「善」であるという評価は変わらないが、その行為者の性格が高貴であるかどうか、
あるいはその行為が行為者自身の幸福にとって役に立つかどうかということを評価する
(される)
余地はあると言うのである。いまわれわれが問題としている「危害原理」は、他人に対する危害
を基準として社会的領域と個人的領域を区別するのであるから、個人にのみかかわる領域におけ
る行為評価の基準は「便宜」ないし「美または高貴さ」である。つまり、定義上「正しさ」は問
題とならないと思われる。それゆえ、ある個人が個人的領域において、いわゆる道徳的に劣った
選択を自律的にしうることがあるということになる 。次に、メンダスが言うように個人は全く
非依存的な存在なのであろうか。この点に関してもそうではないだろう。先に示したように「便
宜」や「美ないし高貴さ」という点から他人が個人を評価する余地があり、説得や忠告、そして
彼とのつきあいを避けるなどさまざまな行為を取りうるのである。個人的領域において、ミルは
決して社会から切れた、孤立した存在を考えているのではないのである。
では、なぜメンダスのような誤解が生まれるのであろうか。その原因はミルの自由に「自律」
を読み込むことにあるように思われる。最後にこの点について考えたい。
4 ミル「危害原理」の射程
では「危害原理は誰を保護するのか」。危害原理が適用されるためにはどういう条件が必要と
されるのだろうか。メンダスの危惧を再度確認しておくと、彼女はミルの除外条項に注目し、ミ
ルがしたように自律と道徳的進歩を結びつけるならば、道徳的に劣った選択(メンダスのあげた
例ではプッシュピン遊びや性的満足を選ぶこと)をすることは自分の未成熟と自律の欠如を公言
することになり、危害原理によって保護される資格がないと公言することになってしまう、とい
うものであった。
ここでわれわれもミルの除外条項を確認しておこう。ミルは「危害原理」を説明したすぐ後で
次のように言っている。
たぶん、いうまでもないことだが、この理論は、成熟した諸能力をもつ人間に対してだけ適
用されるものである。われわれは子供たちや、法が定める男女の成人年齢以下の若い人々を
問題にしているのではない。まだ他人の保護を必要とする状態にある者たちは、外からの危
害と同様、彼ら自身の行為からも保護されなければならない。同じ理由から、われわれは、
民族自身がまだ未成年期にあると考えられるおくれた状態にある社会は、考慮外においてよ
いだろう。・・・一つの原理体系としての自由は、人類が自由で平等な討論によって進歩し
この問題は非常に解釈の難しい問題である。『功利主義論』においてミルは高級な快楽を判定する「有資格者」
について言及するが、「両等級の快楽を等しく感知できる能力をもちつづけた人が、承知の上で平然と低級な快
楽を選んだことがこれまであるかどうかは疑わしい」と主張する一方で、他方、有資格者たちの「判断が食い違
うときにはその過半数の判断が、最終的なものと認められねばならない」と言っている(UT:213)。
それゆえ、ミルが望ましいと考える自律した個人が仮に存在した場合、個人の領域の中で、自律的に劣った選択
をするのかについては判断が危うくなる。こうしたいわゆる「快楽の質」の問題については今回詳しく論じる準
備がない。今後の課題としたい。
- 90 -
ミル「危害原理」の射程
うるようになる時代以前の社会状態に対しては、適用されない。
・・・しかし、人類が、自
分の確信や他人の説得に導かれて、彼ら自身の改善に歩みうるようになるやいなや(これは、
われわれがここで考慮する必要のあるすべての国民の場合には、ずっと以前に到達されてい
る段階であるが)強制は、・・・彼ら自身の幸福への手段としては許容されなくなり、ただ
他の人々の安全のためにのみ正当化されるのである(OL:224)
・
・
・
・
・
・
この引用中でわれわれにとって重要なのは「彼ら自身の改善に歩みうるようになるやいなや」
(傍
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
点筆者)という箇所と、その直後の「われわれがここで考慮する必要のあるすべての国民の場合
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
には、ずっと以前に到達されている段階である」
(傍点筆者)という箇所である。つまり、この
引用箇所を読むかぎり、ミルが「危害原理」の適用ということで念頭においているのは、専制傾
向をもった大衆を含む当時のイギリス国民である。ここからさらにミルが、メンダスの言うよう
に、「自律」という観点から区別を設けている形跡はない。われわれはこの点についてどう考え
ればいいのだろうか。
われわれは 2 章で「意志の自由」を取り上げたが、そこでわれわれが取り出したことは、人間
が自らの意志に基づいて自発的に行為する、そういう主体として立ちうるというミルの信念であ
った。ミルがここで注目しているのは個人の「自発性」であるといえる。ではこの「自発性」と
いわゆる「自律」とはいかなる関係にあるのだろうか。われわれがここで注目する必要があるの
は、前章で保留にした自律に関する 3 つめの条件、すなわち、自律的主体が自分で従う法則を自
分で定めること、自律的主体は他人の強制的行為から独立しているだけでなく、他人の意志から
も独立している、という条件である。ここで言われる法則とは、批判的な反省を通して、自らが
承認するに至った法則ないし原理を示しており、何らかの普遍性をもつものと考えられる。しか
しながら、ミルが意志の自由ないし社会的自由で求めていることは、
「習慣や誘惑が自分の主人
ではなくて彼がそれらの主人であること」、つまり個人が自己に対して主権をもつということで
ある。ミルは個性について論じる際、「生活の実験」を重視している。それの意味するところは、
個人の領域においては、他人への危害がないことを条件に自分が価値があると思ったことを実際
やってみること、つまり自発的に行為に移してみることを重視しているということである。そこ
での決定は結局失敗するかもしれず、さまざまな試行錯誤を繰り返すことを認めているのである。
そして、そうしたプロセスを経て発展していく個人をミルは念頭においている。それゆえ、個人
の領域においては、メンダスが危惧するように、道徳的に劣ったと思われる選択をすることの可
能性をミルが排除していると考える必要はないのである。もちろん、
「個性の発展」
「高級な快楽」
「その快楽を判定する有資格者」といったことから考えるならば、
ミルが目的として個人の「自律」
を、そして「自律した個人」を望ましいと考えていることは否定できないであろう。しかし、わ
れわれが今問題にしているのは「危害原理」の適用条件であり、
「危害原理が誰を保護するのか」
ということである。われわれは「自律している」
、それゆえ保護されるのではない。そうではな
く、自律を含めた発展の可能性としての「自発性」までが「危害原理」の射程として含めて考え
られなければならないのである。つまり自律という点からみると、
「自律した個人」ではなく「自
- 91 -
ミル「危害原理」の射程
律しうる個人」をミルは問題としていたのである。
さて、以上の考察を通して、われわれはミルが「危害原理」を主張することによって擁護した
「社会的自由」には「意志の自由」が含意されていること、また「危害原理」の適用条件は個人
の「自律」ではなく「自発性」に向けられていることを確認した。しかしわれわれがここで注意
しなければならないのは、ミルは「自発性」という語を用いる際、われわれが普通イメージする
ような「積極的な」「活発な」という事柄よりもかなり強い意味を付しているということである。
「性格をもつ人」について言及した箇所において、
ミルは「欲求と衝動が自分自身のものである人」
という説明を「自分自身の陶冶によって発展させられ、修正されたものとしての本性のあらわれ
が、彼自身の欲求と衝動とになっている人」と言い換えている。すなわち「意志の自由」によっ
てわれわれが確認した「自らの意志に基づいて自発的に行為する主体」
、
つまりその「自発性」は、
欲求や衝動に従うだけの段階から一定の陶冶をしている段階にあるということがわかる。
そして、
ミルは個性の重要性を主張する際に出会う困難として、
「自発性」がそれ自体尊重されないこと
を憂慮していることなどを考えると、ミルは「自発性」を「個性」とほぼ同義に考えていること
がわかるのである。
もし、個性の権利が主張されなければならないときがあるとすれば、まさに今こそがそ
の時である。今はなお、強制的同化を完成するための多くのものが欠けているのである
(OL:275)
しかしながら、この章の最初で見たミルの除外項目にあるように、ここで考慮する必要のある
人々が、彼ら自身の改善に歩みうる段階にあるということもミルは認めているのである。つまり
ここで「自発性」と「自律」の関係について考えると、そうした人々の「自発性」を問題にする
ということはその「発展の可能性」を問題としており、さらにここに「自律」という観点を組み
込むならば、「自律」はその発展する過程において獲得されるようなものとしてミルが考えてい
たと言える。
ミルは社会の改善への希望を失っていたわけではなかったが、ミルの期待に反し、当時の人々
は世論の専制の影響を受け、「自発性」や「個性」の重要性に気づかず、またそれらを発揮させ
ることを可能にする自由の価値を低く見積もっていたのである 。しかしミルが考える社会の改
善にとっては、彼ら自身がその重要性に気づき、それを認めることがどうしても必要であった。
それゆえ、ミルは自由の価値を主張し、埋もれている「自発性」に光を与えることが必要であっ
たのである。そしてそのためにはまず、「危害原理」によって個々人に自由の領域を与えること
が必要であったのである。
世論の専制による画一化を警告したミルに対して、当時の多くの論者は女性の自由、宗教の自由、教育の自由の
増大を理由に反発を示したようである(TL:49)。また、この点についてより詳しい記述として、山下重一『評注
ミル自伝』7 章、注 29 参照。
- 92 -
ミル「危害原理」の射程
〈注〉
ミルの著作からの引用はすべて The Collected Works of John Stuart Mill, 33vols, ed. by J. M. Robson,
University of Toronto Press, 1963-1991 から行う。本文中での引用などは以下の文献名を示す略記
号とページ数を示す。また訳出の際には以下に示す文献を参照したが、
必要に応じて訳を変えた。
OL:On Liberty : CW18 早坂忠訳「自由論」関嘉彦責任編集『世界の名著 ベンサム/ J. S. ミル』
(中央公論新社 1979)
UT:Utilitarianism : CW10 伊原吉之助訳「功利主義論」
同上
AB:Autobiography : CW1 山下一重訳注『評注 ミル自伝』
(御茶の水書房 2003)
SL:A System of Logic : CW7-8 大関将一訳『論理学体系 6』
(春秋社 1959)
スーザン・メンダスの著作に関しても同様に略記号を使用し、ページ数とあわせて本文中に示す。
TL: Susan Mendus, Toleration and The Limits of Liberalism, MACMILLAN, 1989 谷本光男他訳『寛
容と自由主義の限界』(ナカニシヤ出版 1997)
(かしもとなおき 臨床哲学・博士後期課程)
- 93 -
The Range of Mill’s Harm Principle —Spontaneity as the possibility of individual autonomy—
The Range of Mill’s Harm Principle
—Spontaneity as the possibility of individual autonomy—
Naoki Kashimoto
This article focuses on Mill’s Harm Principle and considers the condition of its
application and its end. In On Liberty, he, by introducing this principle, emphasizes that it is
crucial to defend individual liberty. The end of the principle is generally thought to defend
individual autonomy or self-determination. However, this interpretation confuses the end
of the principle with the condition for applying the principle. I think, therefore, that the
interpretation is not sufficient. Although Mill thinks that individual autonomy is desirable in
and for itself, it is not the condition of the application of the Harm Principle. The condition
Mill bears in mind is spontaneity.
To make this point clear, we examine his considerations of the freedom of the will
in A System of Logic and the interpretation on the principle by Susan Mendus. Through
arguing on the freedom of the will in A System of Logic, Mill confirmed that human beings
is a subject who spontaneously acts on his own will. Spontaneity is here his main concern.
Mendus, in Toleration and the Limits of Liberalism, describes that Mill tends to defend
liberty and diversity in On Liberty and that the defense depends upon the value that he
places on individual autonomy. She is, however, worried that, because he embraces the
belief in the possibility of moral progress and the optimism about human nature supporting
the belief, many people are categorized as the non-autonomous and are excluded from the
sphere of the application of the Harm Principle.
We notice, however, that she misses an important point that Mill, by discussing the
principle, persistently deals with liberty regarding individual sphere. Behavior in the sphere
is, by definition, not concerned with the right or wrong of it. And, if we carefully read Mill’s
exclusion clause of the principle, we realize that the people who impose their own opinions
and inclinations on others are included in the condition for applying the principle.
Through our considerations, we conclude that the condition of application of the
Harm Principle is not individual autonomy but individual spontaneity.
「キーワード」
危害原理、社会的自由、意志の自由、自発性、自律
- 94 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
【書評】
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
- Beyond Caring hospital, nurses, and the social organization of ethics -
ダニエル F. チャンブリス 著
大北全俊
1 どのような立場/視点からこの著作を読むのか
この研究は、論理学でも道徳哲学でもなく、社会科学の研究である。・・・ 私の仕事は、ナ
ースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護
できる程度の一般化をもって記述することである。私はナースたちが経験する倫理的困難を
生み出している要因を、彼女たち自身が捉えるままに描くつもりである。(12)
著者の社会学者ダニエル F. チャンブリスは、『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫
理的矛盾』─ Beyond Caring hospital, nurses, and the social organization of ethics ─を執筆した目的
について、このように述べる。ナース(翻訳にあわせて、以下看護師をナースと表記)たちは病
院の中で実際にはどのような仕方で倫理的な問題 に直面しているのか。ナースたちはどのよう
に「病院」に慣れて行くのか、「安楽死」と呼ばれる出来事にナースはどのような形で遭遇する
のか。著者自身が行った 12 年(1979 年から 1990 年)にわたる調査(インタビューと観察)に
基づく、こまごまとした具体的な記述が続く。
このような現場についての具体的な記述とそれに基づく論を読むとき(もっとも、どのような
著作でも事情は同じなのだが)、読み手がどのような立場 ・ 関心からそれらを読むのかというこ
とが、著作のどこに焦点をあてて論評するかということに大きく関わってくる。実際に病院で看
著者チャンブリスは「倫理 ethics」と「道徳性 morality」という用語をそれほど明確には区別せずに使用しており、
「倫理」 は 「道徳」 を意識的に捉えたものというような区別しかしていないように思われる。
「道徳性はより一般的な言葉で ・・・ 道徳的問題は明確化されないばかりか、意識されないことさえあり、道徳性
は世間における一般的風潮を意味することもある。それに対して倫理という言葉は、道徳的信念に対するより意
識的な考察を意味し ・・・。」(7)
- 95 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
護に携わるナースが読むとき、あるいは看護の経験があり、その上で看護の研究や教育に携わる
人が読むとき、看護をよりよくしていくにはどうすればよいかという関心に基づいてこの著作を
読むかもしれない。また医療社会学の研究者が読むとき、どのように研究を進めて、またどのよ
うな記述の仕方をすれば、より的確に看護や医療の問題を明らかにできるだろうか、という視点
で読むのかもしれない。
私について言えば、看護学校で 「倫理学」 の授業を担当するものとして、どのような授業をす
るべきか、看護学校における倫理学教育のあり方を考えるためにこの著作を読んだ。看護学校で
倫理学の授業を進めていくにあたって、どのような内容に焦点を当てるべきなのか、何が的外れ
で、何がより重要なのか、授業を担当するものとしてどのような準備をするべきか、それがこの
著作を読む私の関心領域である。
2 従来の医療倫理学 ・ 生命倫理学が 「時代遅れ」 であること
実は、この著作は、私のような看護学校の倫理学教育に携わるものにとっては、非常に挑戦的
な著作である。著者チャンブリスは、今までの(この著作が出版された 1996 年までのアメリカの)
看護 ・ 医療に関する倫理学は、「看護のことを念頭においておらず、近年医療倫理学から派生し
た生命倫理学という分野も、ほとんど看護のことを考えていない」
(8)という。従来の医療倫理
学 ・ 生命倫理学は、例えば、重度の致命的な障害を負った新生児の延命治療を続けるべきか否か
といった「倫理的ジレンマ」について思考する「自律的意思決定者」の視点から論じられていた。
しかし、このような視点に立った論は、病院で働くナースからは縁遠い。
まず、倫理学者が提示するような 「倫理的ジレンマ」 の事例は、
「哲学者の論理を厳密に検証
するために作られたもの」であって、「実際に病院で起こっていることとかけ離れている」
(9)
からである。つまり、倫理学者の議論は非現実的な机上の空論だということである。
そして、「倫理的ジレンマ」 に直面するのは、何をなすべきか決定することのできる人々、つま
り「意思決定権を持つ人々」
(9)であるが、ナースをはじめ多くの医療従事者は病院という組織の
一員として従属的に働く労働者であり、医療倫理学などが提示する 「倫理的ジレンマ」 に直面し
ても、その決定権を持たない。ナースにとって問題なのは、
「何をなすべきか」について考える
ことよりも、より「実践的な問題」だ、と著者は言う。ナースにとっては、
すでに「何をなすべきか」
ということはわかっており、ナースが抱えている課題は、もろもろの障害(非協力的な医師であ
ったり、病院経営者であったり、病院という組織のあり方そのものであったり)
によってなすべき
ことができないでいる状況をいかに打破していくかという「政治的な問題」である、とチャンブ
リスは言う。
では、ナースに比べて比較的 「決定権」 を持つと思われる医師には 「倫理的ジレンマ」 につい
て考察する倫理学は有効なのだろうか。チャンブリスは、従来の 「倫理学」 そのものが 「時代遅
れ」 であるという。
責任の分散化が進んだことにより、真のジレンマはいよいよ見られなくなったのである。
- 96 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
その代わりに、倫理的ジレンマは、比較的権力を持った集団間の道徳的意見の相違を露呈す
るものとなった。・・・ 倫理的問題はいまや医師にとってさえ、患者や、家族や、その他の人々
との衝突の現れなのである。自律的な個人のための行動規範といったような従来の倫理学は、
時代遅れになりつつある。ますます分業化が進む米国の医療システムの中で、倫理学は(道
徳性の強い)政治学に、取って代わられようとしている。(128)
終末期の患者に対する積極的な治療をやめるべきか否かといった倫理的ジレンマは、一人の自
律した実践家の心の中の葛藤としてあるのではなく、たとえば「積極的治療を好む」医師と「治
療中止に傾きがちな」ナースとの相互に 「権力を持つ利益集団間の衝突」 として現れる、という
(129)。医師とナースが倫理的問題について議論する場合、お互いが使用する用語は倫理学のも
のではあるだろう。しかしながら、それぞれにとって倫理的問題は、専門職としてそれぞれが内
包している世界観をいかに現実化するかという政治闘争の問題として体験される。
しかも、医師やナース個々人は、自分の価値観と自らが所属する集団の価値観を同一化させ、
その政治闘争を自主的に演じているという。
専門職であるということは、自分とその職業とを同一化すること、すなわち職業集団とし
ての目標が自身の目標になることをも意味する。(131)
「倫理的ジレンマ」 のひとつの命題(例えば 「延命治療を差し控えるべき」 といった命題)
をひとつの専門職集団が担い、そしてその正当性を他の命題(
「延命治療を積極的に行うべき」
といった命題)を担う集団と争う。さらに、その専門職集団の一員は、自分が所属する集団の価
値観を体現する存在として闘争に加わる。チャンブリスはこのように 「倫理的ジレンマ」 は 「政
治的論争」 に形を変えたと指摘する。
さらにチャンブリスは、そのようなジレンマを 「倫理的ジレンマ」 として語ることは、ジレン
マ(チャンブリスによれば政治的闘争)を生み出した病院組織そのものの政治的問題から目をそ
らすことにつながると告発する(126)。「倫理的ジレンマ」 について考察する従来の倫理学は、
的外れなだけではなく、医療が抱える組織的な問題を解決するに当たって阻害要因になりかねな
いというのだ。
このような洞察が現在の日本にもそのまま当てはまるものなのか、ここで実証することはでき
ない。ナースをはじめとする専門職の一人ひとりが、専門職集団の価値観とどこまで同一化して
いるのか、倫理的ジレンマはすっかり政治的論争に姿を変えたのか、チャンブリスの言うことを
鵜呑みにすることはできない。しかし、日々の業務に追われ、あらゆる決まりごとにがんじがら
めにされているという発言を現場で働くナースから耳にしたことがあるのだが、その発言から考
えれば、この著作で描かれているような状況は現在の日本の医療現場にも少なからず当てはまる
と言えるのではないだろうか。そもそも、医療の現場に限らず、組織の一員として仕事をするに
あたって、被用者に(現在の社会においては経営者でさえも)どこまで決定権があるといえるだ
- 97 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
ろうか 。
では、「倫理」 についての考察は看護をはじめとする医療の現場ではまったく的外れなものな
のだろうか。チャンブリスは、ナースにとって、積極的安楽死を認めるべきか否かといったいわ
ゆる 「倫理的ジレンマ」 として提示されているものよりもより考えるべき、あるいは気づくべき
倫理的な問題があるのではないだろうかと示唆する。
3 看護 ・ 医療について考えるべき倫理的な問題とは
まず、もう一度、この著作の概要を整理してみよう。
第 1 章「不幸のルーチン化」と第 2 章「カオスからルーチンを守る」でチャンブリスは、
「毎
日誰かが死んでいる」という病院の異常さが、ナースにとっては日常のものとしていかにルー
チン化していくか、ということについて記述している 。第 3 章「ナースであるということ」と
第 4 章「組織における倫理的問題の発生」では、先ほど述べた自己の価値観と専門職集団として
の価値観との同一化により、「倫理的ジレンマ」 が 「政治的論争」 として現れるさまを記述する。
第 5 章「物として扱われる患者」と第 6 章「組織的行為としての死」では、病院組織のなかで、
そして現代医学のまなざしのもとで患者がいかに 「物」 として非人格化されていくか、
「安楽死」
が特定の医師やナースによる個人の行為としてではなく、いかに 「病院」 という組織の行為とし
て行われているかということについて描かれている。
ルーチン化、役割の変容 (倫理的ジレンマが専門職集団の間の政治的論争になること:筆
者注)
、患者を物としてみることなど、本書でこれまで取り上げてきた話題は、すべて病院
の「組織化」の一面に過ぎない。(206)
病室の外に座っているチャンブリスにナースは「退屈じゃないですか?」という。周囲の病室
には、がんの患者、AIDS 患者などがいる(39)。また、AIDS で死にそうな患者のそばにいるナ
ースが「倫理のことを知りたいのなら」といって 「倫理の大家」 を紹介しようとする(79)
。部
外者の目には倫理的課題が山積みの小児科研究病棟で働くヘッドナースに倫理的問題についてイ
ンタビューしたところ、彼女は「何も思い当たらない」と繰り返す(251)
。彼女は本気でそのよ
うに繰り返す。
インタビューという手法だけでは限界があると気づき、調査の途中からチャンブリスは直接観
察法をとりいれる。実は、この手法の変更を余儀なくさせるような事情にこそ、考えるべきもっ
とも重要な「倫理的な問題」が隠されている。つまり、ナースをはじめとする医療従事者が、こ
チャンブリスは、組織生活の理論を構築する社会学者として、
「病院が他の種類の組織と似通っている点を見つけ」
だすことこそが、この著作の隠れた目的であるという(24)。
チャンブリスは、エヴェレット ・ ヒューズの次のような言葉を引用している。「多くの職業では、労働者や実践
家は ・・・ サービスの受け手にとっては非常事態であることを、ルーチンとして扱う。これこそが両者の間に常に
ある緊張関係の原因である」(28)。
- 98 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
の「ルーチン化」「組織化」を 「忘れてしまうこと」 こそ、倫理的に重要な問題ではないかとい
うことである。
部外者から見れば、病院における日常業務そのものにも道徳的問題が多い。
病院内の官僚制
にも問題があるし、スタッフの「専門職化( professionalization)」にも道徳的問題が含まれて
いるし、患者の肉体を物として見ることなどのほうが、多くのルーチンの中からたまたま浮
かび上がっただけのいわゆる公認の「倫理的ジレンマ」よりはるかに重大な問題である。病
院に「慣れる」過程で、ナースや他の医療関係者たちは、病院と外の世界が全く異なること
を忘れてしまう。そして、このようなルーチン化自体が道徳的問題であるならば、これは数
年間意識のない患者に経管栄養を続けるかどうかという問題よりもずっと重要である。(80)
ナースが自分の身の回りに転がっている 「倫理的な問題」 にまったく気づかなくなるほど(チ
ャンブリスに質問されても「思いつかない」と繰り返すほど)
、自分が病院の一員として 「組織
化」 され、日々の業務が 「ルーチン化」 していることを 「忘れてしまう」 こと、これこそが注意
を向けるべき倫理的な問題ではないか、そのようにチャンブリスは指摘する。
もっとも、「組織化」 「ルーチン化」 「患者の非人格化」 に抵抗しようとする努力、それらを忘
れないようにしようとする努力が、現場では絶えず行われていることをチャンブリスは記述する。
しかし、そのような抵抗もむなしく、医療の 「組織化」 はとまらない。「組織化」 や 「ルーチン
化」 を 「忘れてしまう」 ことが、ナースや医師の個人的な落ち度ではなく、病院という組織で働
く限りいかに避けがたいことか、チャンブリスはたくみに描き出す 。
4 再び、看護学校での倫理学の授業について
はじめにも述べたが、この著作は読むものの立場 ・ 視点によってまったく異なる読解が可能と
なる。ここでは取り上げなかったが、ナースのほとんどが女性であるというジェンダーに関する
問題も重要な論点である。また、患者を 「物」 として扱う医学 ・ 科学のまなざし、
医師やナース(大
多数が裕福な白人)と患者(多くが民族の異なる貧困層)の社会階層の違い、安楽死の行われ方
など、いずれも無視できない論点が多くちりばめられている。
このような著作は、一人だけで読むよりは、立場 ・ 視点の異なるもの同士がともに読むことで
その力を発揮するだろう。とりわけ、現場で看護に従事しているナースが共同で読むならば、こ
病院という非日常的な空間が、ナースにとって日常のものとなっていくこと、そのルーチン化を作り上げる要因
をいくつか挙げた後、チャンブリスは最後に「世界のルーチン化」という要因について指摘する。
「物理的環境、専門用語、技術、患者などを詳しく知れば、直ちに誰でも、病院の世界がノーマルだと思えるよ
うになるわけではない」(51)。ルーチン化が起こるには、「人間の思考の質的な転換、出来事や人間に関する全
く新しい関わり方が必要となる」(51)。そして、このような 「世界のルーチン化」 は自動的になされるものでは
なく、「個人の自由な行動による」 と指摘し、「生活世界(Lebenswelt)は意識下に内在する決断によって構成さ
れた現実である」 という哲学者モーリス ・ ナタンソンの言葉を引用する(53)。
ルーチン化が最終的に個人の 「自由な行動」 「決断」 によるものであるという指摘は、ルーチン化の倫理的 ・ 道
徳的問題性について考察を進める上で、重要な論点となるだろう。
- 99 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
の著作は、日ごろのわだかまりについてお互いに話し合うためのいい触媒の役割を果たすかもし
れない。たとえ、調査当時のアメリカの病院と現在の日本の病院と、状況がかけ離れていたとし
ても、である。そしてそのような読解こそ、著者チャンブリスが望んでいた読み方であるだろう。
自分がどういう場所で働いているのか、「専門職」の一員として働くことはどのような役割を担
うことになるのか、そのことに意識的になること、「忘れていた」 ことに気づくこと、それこそ
が『ケアの向こう側』を著した彼の最終的な目的のように思われるからだ。
ところで、看護学校でどのような倫理学の授業をするべきか、ということについて。ナースを
はじめとする医療従事者が自らの 「ルーチン化」 「組織化」 を 「忘れること」、
そしてそれらが「患
者の非人格化」につながるということ、それこそが倫理的に重要な問題だというチャンブリスの
指摘は、どういった論点に焦点をあてて倫理学の授業を進めていくべきかということを考察する
上で、傾聴に値するものである。「人格を手段としてのみならず目的として扱え」というカント
の定言命法をもちだすまでもなく、チャンブリスの指摘が倫理学においても重要な問題であるこ
とは明らかであるだろう。また、医療現場で見られる「ルーチン化」 「組織化」 「非人格化」 は、
医療だけではなく一般社会にもあてはまるより普遍的な問題である。
チャンブリスは「倫理的ジレンマ」について考察することに手厳しい批判を加えていたが、だ
からといって看護学校の授業で「倫理的ジレンマ」を取り上げることが無意味だ、というわけで
もないだろう。彼の批判は正当なものだと思うが、しかし、たとえ病院での現れ方が 「政治的論
争」 の形を取るとしても、議論を 「倫理的ジレンマ」 という形で整理することがまったく役に立
たない、とは言い切れない。しかも、現職のナースではなく、看護学校の学生に対する教育の場
面では、「倫理的ジレンマ」 について考察することは議論の全体像を(ひょっとすれば将来巻き
込まれるところの政治闘争の全体像を)俯瞰するのに有益ではあるだろう。状況を俯瞰する視座
をえることが、ルーチン化の気づきにつながるかもしれない。
そもそも、どういうテーマを倫理学の授業で取り上げれば、自らのルーチン化の気づきに、
「自
分はどこに立っているのか」「自分は何者か」という気づきにつながるのか、図りがたいものが
ある。およそ現場で行われていることとかけ離れたような物事について考えること、たとえば空
想の産物である「小説」や「物語」、「映画」 などについて語り合うことなどが、自分の身の回り
の現実に気づくきっかけになることもある。チャンブリスの言うように、ルーチン化、組織化に
注意を向けることこそが重要な倫理的問題だとするならば、授業の題材は、
「医療」と関係がな
くてもよいのだ。
そうであるとすれば、看護学校などで倫理学の授業をするうえで、医療現場の実態を知ってい
ることが絶対的に不可欠だとは、この著作から結論付けることはできない。しかし、倫理学の授
業を担当するわれわれにとって、もし仮に医療現場でフィールドワークをする機会を得ることが
できるのであれば、それはこの上なく有益なことにちがいない。この著書のこまごまとした出来
事の記述が、そのことを教えてくれる。
- 100 -
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』
注記:( )のなかの数字は、
『ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的 ・ 倫理的矛盾』─ Beyond Caring hospital, nurses, and
the social organization of ethics ─ダニエル F. チャンブリス著、浅野祐子訳、日本看護協会出版会、
2005 の引用ページをあらわす。
(おおきたたけとし 医学系研究科医の倫理学・教務補佐員)
「キーワード」
看護、倫理教育、医療社会学、医療・生命倫理、ルーチン化
- 101 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
【文献紹介】
̌ apek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
Jakub C
平野一比古
原 論 文 名 は、Jakub Čapek, Les apories de la liberté bergsonienne(in Annales Bergsoniennes II,
P.U.F., 2004.)である。フレデリック・ウォルムスの編集した『ベルクソン年報 I、II』
(2002 年
および 2004 年)を通じて、「自由」 を表題にもつ唯一のものである。この論文では、主張内容の
当否は別にして、短いながらもベルクソン哲学における自由に関して問題となりそうな論点が比
較的適切に抽出されているように思われるので、紹介するものである。ベルクソン哲学の自由に
ついて、特に論じた仏語論文としては、この他に評者が気付いた範囲で比較的新しいものとして
は、Guy Lafrance の「ベルクソンにおける自由と生命」
(1991 年)
、Jean-Louis Chédin の「
『試論』
における可能性と自由」
(1990 年)がある。Jakub Čapek の論文を紹介したあと、そこでの論点
に関係する限りにおいて比較の意味で、これら二つの論文についても触れることにする。
̌ apek「ベルクソン的自由のアポリア」
1 Jakub C
「ベルクソン的自由のアポリア」では、著者は、結論的に言うとベルクソン的な自由の考え方
に対して、ほぼ全面的に否定的な態度を取っている。ベルクソンは、自由を「事実」と考えてい
るのに対し、「自由とは〈事実〉ではなく、〈現象〉である」と著者は結論づけている。この結論
に関しては、メルロ = ポンティが再三援用されている。
さて、そう長いとは言えないこの論文は、前文に当たる部分と、
「ベルクソンの学説の特異性」
、
「対照の効果(effet)としての自由」の三つの部分からなる。
まず前文では、「ベルクソンは、自由の名で哲学的伝統と同じ事柄を理解していたのか」とい
う問いを立てる。この問題に答えるために、分離できない形で自由にしばしば結び付けられてい
原文の斜体での表現は <> で区切って示している。以下同じ。
ここでの対照は、のちに触れるように図と地の対照であるのでこの effet は結果ないしは効果の意を含むと考え
られるものの、訳語としては効果として示すことにする。
Annales Bergsoniennes II, P.U.F., 2004., p.249.
- 103 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
る三つの観念を見ようとする。第一は、自由とは様々な仕方で行動できる能力であるということ、
第二は、自由は行動における意図的な性格と一体をなすということであり、第三は、自由は個人
に属するということである。これらの点とベルクソン的自由を対比することによって、ベルクソ
ン哲学の自由の特異性に気付くことができると言うのであるけれど、著者は、こうした比較は同
時にベルクソンに対する批判の出発点にもなると言う。
(1)ベルクソンの学説の特異性
a 選択の自由
様々な仕方で行動できる能力としての自由とは、よくなされる言い方では、選択の自由(liberté
du choix)である。著者は、ベルクソン哲学の自由は、可能的なものの間で選択するという可能
的なものの観念を退けており、それは、〈選択の自由〉ではないと明確に記している。自由とは、
ベルクソンにとって現実的なものでしかない〈事実〉である。現実的なものと可能的なものの間
の相異にかかわる < 能力 > や < 力 > ではない。
ただ、そう結論するまでにベルクソンにおける関連した表現を著者は、次に示すとおり追って
おり、興味深い。著者によれば、『物質と記憶』では、ベルクソンは日常的な選択において、あ
る形の自由をかすかにみる気になっている。すなわち、記憶は我々に幾つもの行動を可能的なも
のとして提示すると言う。『創造的進化』では、選択する能力を自由と同一視している。ベルク
ソンは可能的なものの間において選択する能力として、自由の観念を認めているように思われる
からである。そのあと再び『物質と記憶』に戻り、自由が可能的なものの間において選ぶ能力で
あるという観念は実際的なものであると言う。さらに、そういった観念は我々から、次に述べる
可能性を奪うと続ける。つまり、純粋な現実性である生成、可能的なものと実在的なものの間の
差異なしで済ます生成について、生成への参加である限りの自由を知る可能性を我々から奪うと
言うのである。かくして、可能的なものの間で選択する能力としての自由の認識は、
《全く相対的》
であり、真ではないのである。このあたりの議論については、ベルクソンが選択の自由を認めて
いるのかどうかが問題になるとき、参考に出来るものがあるだろう。
さらに幾つか、興味深い記述がある。著者が、ベルクソン的な自由について、可能的なものを
自分の前に持たないでどのようにしてためらうことが出来るかと問い、ためらうのは《何の間に
おいて》なのか問うところである。《諸感情》の間においてであると著者は記している。著者は
感情的な動きの中で迷うといったことを考えているようである。また、
ベルクソン哲学の自由は、
前方から引かれるというよりむしろ後ろから押されると書いている。
b 意図的な行為
誰かの行動において意図(intention)を認めるとき、それを自由と名付けることができると著
節の区分は、紹介者が便宜のために区分したものであり、原文にはない。b、c、d についても同じ。
Ibid., p.253.
Ibid., p.252. 原文でも、《》で表わされている。以下同じ。
Ibid., p.252.
- 104 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
者は言う。この場合、
《自由な(libre)》とは、
《意図的(intentionnel)
》あるいは《意志的(volontaire)
》
の同義語である。そして、こう続ける。暫定的に意図を次のように言おう。それは、私に依存し
ている、可能的なものの状態(état de choses)との関係であり、そこにおいて私が私自身、その
ものの状態が現実的(réel)になることの原因であると断言できる、ものの状態との関係である。
意図は可能的なものの表象なしには済まない。もし、可能的なものが現実的なものに先立たない
なら、そのとき意図は対象を持たなくなる。そして、対象のない意図は考えることが出来ない。
著者によれば、これに対して、ベルクソンは自由な行為の構成要素として意図を退ける。自由
な行為とは、意図を超える限りにおいて、つまり自由である限りにおいて、予測することが出来
ないのである。ベルクソンにおいて、意図的な行為は自由な行為とは別のものである。
自由と意図をめぐり、伝統的な考え方とベルクソンの考え方の違いがかなりくっきりと出てい
るようなので、やや詳しく紹介した。著者の叙述によると、ベルクソンの自由は、
「考えられない」
もののようにも考えられる。この点についてはあとで触れる。
c 個人へ帰属する自由
一般的には、自由は個人に属する。しかし、ベルクソンにおいては、逆に自由に属しているの
は私であり、自由は私を超えている。自由なのは私ではなく私を生み出した生命的な生成である。
ベルクソンの自由の著者の、この説明は、当否は別にして興味深い。
a、b で見たように、ベルクソンにおいて自由な行為は可能的なものの間を行き来することか
らは生じないし、意図性(intentionnalité)によって見分けることが出来ない。著者はなぜ、それ
を自由と呼べるのかと問い、自由な行為は非決定的だからだと言う。しかし、ベルクソンにとっ
ては自由な行為は非決定的な生成以上のものだから、この理由では不十分である。そこから、人
格の個性を表わすから自由であるという理由を提案すると言うのである。行為は人格の全体と、
すなわち彼の過去の全体と一致すればするほど自由である。自由は、我々を創造し我々に独自な
形を与える生成に一致すると、著者は続けるのである。だから、著者によれば、自由なのは私で
はなく私を生み出した生命的な生成である。
d 自由の絶対的な性格
ここまで、著者は、通常の自由の観念との比較でベルクソン哲学の自由を明らかにしようとし
てきた。このあとの部分では、著者は以上の考察から引き出せることを述べる。そして、これま
でと違い、直接的に、ベルクソンの自由について述べる。それが、
絶対的な性格ということである。
当否は別にして紹介すると、まず、ベルクソン的自由の概念は主体の責任についての考察にお
いて、いかなる役割も果たせないと言う。そして、自由の問題の道徳的な次元にベルクソン哲学
は直接的ではない仕方で関連していることは認めるものの、著者は、実践的な、活動的な自由に
対するベルクソンの警戒心ともいうべきものは、
どこから来るのかと続ける。その理由の一つは、
ベルクソン哲学は、あらゆるところで絶対的なものを相対的なものから区別しようとする傾向が
ここでは現実的と訳した。実在的と訳す方がよい場合もある。
意図を論じる文脈にあることから、こう訳した。
- 105 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
あるのに対し、行動の理由は、実際的、相対的な領分のものだということである。他の一つは、
ベルクソンにとっては自由の基準が感情であり、
自由は生きられるものであるということである。
しかし、著者によれば、これら二つの理由は一つにまとめられる。すなわち、ベルクソンの直
接的なものへの偏愛である。感情、事実、純粋な現実性、
生命性がそれである。直接的なものとは、
ベルクソンの思想において絶対的なものの特徴である。これが、
「自由の絶対的な性格」 である。
10
(2)比較の効果としての自由
この節では、著者の理解するメルロ = ポンティの現象学の立場からベルクソン的自由の概念
のほぼ全面的といっていい批判がなされる。その論理が浮かび上がるように、以下紹介したい。
著者は次のように始める。我々が知覚するのは与件ではなく、意味である。メルロ = ポンテ
ィは、これに関連して、ゲシュタルト心理学の概念を想起していると言う。
《ひとつの地の上の
ひとつの図がわれわれの手に入れ得る最も単純な感覚的与件である。
》
《それは、知覚の現象の定
義そのものであり、知覚上の“或る物”は常に他のもののただなかにある。いつもひとつの“領
野”
(champ)の一部分となっている。》 このメルロ = ポンティの分析において、
意味を与えるとは、
11
地から際立つことであり、或る物のただなかにあることであり、ある領野、ある形状、ある構造
に属することである。ここから、《直接的なもの》
、
《与件》としてのベルクソン哲学の概念の批
判が続くということは明らかであると言う。まず《与件》についてである。
《意識の直接的な“与
件”への回帰は、望みのない作業となった。というのも、哲学的なまなざしが、それが原理的に
< 見る > ことが出来ない対象 < であろ > うとしたからである。
》次に、
《直接的なもの》につい
てである。《変化してしまうのは、直接的なものの概念そのものである。印象、主観と一体とな
った対象はもはや直接的ではなく、意味、構造、諸部分の自然発生的な配列が直接的なものとな
るのである。》 著者は、《直接的なもの》、《与件》の否定をメルロ = ポンティのこの部分から読
12
み取ろうとしているようである。
そして、メルロ = ポンティが自由について述べたところを引用する。
《自由な行動がそれとし
て見てとられるためには、その行動が、かっての自由ではなかった、ないしあまり自由ではなか
った生活を背景として浮かび上がるのでなければならないだろう。
》 そしてこのあと、著者はメ
13
ルロ = ポンティは自由について考える際も彼の出発点から遠ざからないと言う。ゲシュタルト
心理学的な図と地の対比がここにはあると言うのである。つまり、地と背景という相対的な対比
の中にしか、自由はなく、絶対的な自由などないと言いたいようである。
しかし著者は、ゲシュタルト心理学を踏まえた現象学の意図は、単に意味についての構造化さ
れた、図と背景の対比といった性格を強調することにあるのではなく、図と地の可逆的な性格を
Ibid., p.256.
邦訳メルロ = ポンティ『知覚の現象学』、竹内芳郎他訳、みすず書房、1967 年、30-31 頁。論文紹介の他の部分
10
11
との関係等から、当訳文を参照しながらも引用者の判断で訳語を変更している場合がある。
同上 111-112 頁
13
同上 『知覚の現象学 2』、345 頁
12
- 106 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
示すことにもあると言う。図と背景はときおりそれらの役割を交換できる。そして、同じ行動が
あるときは自由の図として、あるときは自由がそこに際立つ地として現れ得る。既に示唆したよ
うに、結論として、自由が < 意味 > として現れねばならないとしたら、自由とはもはや絶対的
ではあり得ないと言うのである。
さらに、ベルクソン自身が、彼自身の自由の概念を我々に理解させるために、図と地との、現
象と領野との間での可逆的な働きを実際に利用していると主張する。つまり、事実としての自由
は、選択の自由を地としており、自由な行為は、意志的な行為を地としており、生命性が自由と
して現れるためには、個人の自由を地としている。
著者によれば、自由は、それが現れる状況によってしか意味を持たず、自由は、事実の地位を
決して持たない。感情が背景の地に際立つ、その背景なしに、直接的な感情はないということさ
え示しうるだろう。求めなければならないのは、自由の < 感情 > ではない、
自由の < 意味 > である。
自由は < 事実 > ではなく、< 現象 > である。著者は、ベルクソン哲学の自由を < 感情 >、< 事
14
実 > の側にあるものと見ており、それに対して著者の理解した現象学の立場では、自由があり
得るのは、< 意味 > や < 現象 > においてであると断定していると見られる。
2 その他
Čapek は、ベルクソンの「自由の絶対的な性格」を、ゲシュタルト心理学を踏まえた現象学の
視点から、絶対的ではありえないと批判的に論じていた。 これに対して、ベルクソン哲学の自由を「自由の < 表現 >」と捉え、ベルクソンの自由に現
代という時代における重い意味を見るように思われるのが、Chédin の「
『試論』における可能性
と自由」(1990 年)である。ベルクソンの自由には、
「作品が、著者ともっぱら作品だけを表わ
すのと同様に、ある人格がその特殊な軌跡を表わし、それに署名する」
「自由の < 表現 >」 があ
15
ると言うのである。そして「ベルクソンは、個人にとっての新たな状況、ある意味で切迫した、
古典主義者の知らない状況に立ち向かっている。
」 と述べる。それは、
「かって決してそうでな
16
かったのに比べ、より困難な偏在的な社会的な状況の中で、個人が斯くあるものとして存在す
るために最終的に自らの中にエネルギーと潜在的能力を見つけなければならない状況」である。
上に述べた時代的状況について、Chédin は具体的には書いていないけれど、
「個人が斯くあるも
のとして存在する」ことが困難で切迫している状況がベルクソンの置かれた状況だと見ている。
Chédin は、ベルクソンの自由が伝統的な自由と異なる理由をここに見ているように思われる。
Čapek が、ベルクソン的自由は、選択の自由ではないと単に指摘するだけに終わっているのに
対し、Lafrance は、「ベルクソンにおける自由と生命」
「反対のものあるいは可能
(1991 年)で、
17
的なものの間において選択する能力」 としての「自由意志(libre arbitre)
」にベルクソンの自由
14
15
16
17
Ibid., p.259.
Jean-Louis Chédin, Possibilité et liberté dans l’Esaai in Bergson : naissance d’une philosophie, P.U.F., 1990., p.95.
Ibid., p.96.
Guy Lafrance, La liberité et la vie chez Bergson in Revue Internationale de Philosophie. 2/1991-n0177-p.132.
- 107 -
Jakub Čapek「ベルクソン的自由のアポリア」その他
が一致しない理由について二点述べている。一つは、ベルクソンにおいては、
「革新的である連
続性の中で絶えず修正される深い自我と、自由の同一視」 があるのに対し、いわゆる自由意志は、
18
「自由行為の運動の中に断絶を導入する」ことである。選択する能力を考えるとき、そこに連続
性ではない断絶が入り込むと Lafrance は見ているようである。他の一点は、
「予め決定された可
能的なものの間で選択が行なわれる」 ことである。
「予め決定された」というところが恐らく問
19
題なのである。
なお、Čapek が、『物質と記憶』に関して、ベルクソンは日常的な選択においてある形の自由
を見る気になっている、すなわち我々の記憶は我々に幾つもの行動を可能的なものとして提示す
ると言っていた点に関し、Lafrance も自由と脳や記憶との関係について触れている。
「自由は」
、
「ベルクソンが脳と神経系に認める役割が示すように体の機能と緊密な関係にある。
」「ベルクソ
20
ンが、記憶と知覚の現象において働いているのを見るような自由は、空間と時間の中で展開され、
かくして有機的な生を表現する自由である。その生が蓄積される過去を決して忘れることなく、
選択し創造することからなる限りにおいて。」
21
なお、最後に(1)の b で、ベルクソンの自由は意志的ではないと Čapek がほぼ断定しているのは、
これも検討の余地があるように思われる。『試論』に限っても、内的因果を語るところで、努力
感という表現が出てくる。直ちに明確にすることは難しいにしても、これは意志的なものに近く
ないであろうか。
(ひらのかずひこ 現代思想文化学・博士後期課程)
「キーワード」
自由、選択、絶対、図と地、現象
18
19
20
21
Ibid., p.131.
Ibid., p.132.
Ibid., p.134.
Ibid., p.136.
- 108 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
【文献紹介】
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
(Kristen Brown: Nietzsche and Embodiment: Discerning Bodies and Nondualism, State University of New York Press, 2006)
生島弘子
身体化とは何か。ニーチェ思想において身体が重要概念の一つであることは周知の通りである。
例えば、「身体とは大いなる理性である」と、また、身体とは意識されているような自我ではな
くそれを支配している自己と同じものであると、ツァラトゥストラは言う。このような言葉は何
を語っているのか。我々がそれにおいて、またそれによって生きている身体とは、どのように形
成されるのか、どのような意義があるのか。どのような身体であるかとは、どのような自己であ
るかと同じ問いであり、また、どのような人間類型かという問いでもある。
『ニーチェと身体化』
と題した本書でブラウンはニーチェ思想における身体を、また我々の身体を、どのように捉えた
のだろうか。
ニーチェの著作とその思想における身体化の概念について論じるのに、ブラウンは言語の実践
と物語(storytelling)を議論することから始めるのが相応しいと考える。
「ニーチェにとって書く
ことと物語ることという行動は単に文学(literature)を創造するだけでなく、生を、実際、身体
化された生を実演し(enact)創造するものでもあるということは、ニーチェの著作の多くの注
釈者達の気付いていた所である。」(p.1)彼女は言語と身体とを、互いに独立的で無関係なもの
ではなく、相互関係的な構成物であると位置付ける。それは人間の体験を探求する際にニーチェ
が媒体としたものが書かれた言語であると考えるからである。物語は言語によるものであり、ま
た身体的な経験でもある。物語は身体的経験に働きかける。つまりこれは、或る社会の内で共有
されている習慣が、成員の身体を、物理的な側面においても心理的な側面においても、その習慣
に相応したものに形作るというようなことである。また逆に、身体的行動は物語を作り、その物
語を共有されるものにもする。これは、人間が様々な出来事を実行し、その行為を意味付け、解
釈し、更にその解釈が人々の間に浸透するというようなことである。
言語は伝統的には、精神と身体という互いに混じり合い得ない異なる領域の、前者に属す
- 109 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
るものと考えられて来た。しかしブラウンはこのような二つの領域が言語に先立ってあるの
ではなく、むしろ或る種の言語がこの境界画定を強化するものであると言う。本書におけ
るブラウンの意図は、ニーチェ思想における身体について論じながら言語についても論じ
ること、つまり身体を言語的なものとして、言語を身体的なものとして捉えることである。
1 概要
ブラウンがニーチェ思想の特徴として挙げるのは、互いに拡張し合いまた制限し合う三つの概
念、すなわち動的非二元論(dynamic non-dualism)
・関係(relation)
・隠喩(metaphor)である。
「動的非二元論という語で私は、異なる諸次元が、特に観念形成的(ideational)次元と精神身体
的(psychosomatic、心身相関的)次元と社会物理的(socio-physical)次元が、重複し合う或る領
・
・
・
域を意味する。関係という語によっては、関係物(relata)の無い関係の存在を、すなわち具体
的な存在物無しに諸々の関係があることを意味する。隠喩という語によっては、感覚(sensation)
や像や、或るものを別のものとしてまた別のものにおいて示すような語を意味する。
」
(p.6)こ
れらの概念を明らかにすることによって身体と言語がどのように論じられるか、以下に本書の展
開を追う。本書が中心的に扱うのは『道徳の系譜』である。其処で身体について論じる為に、先
ず自己・良心・身体罰という三つの概念が取り上げられる。これら三つはそれぞれ、観念形成的・
精神身体的・社会物理的という三つの重複する次元に対応する構成物(constitution)である。本
書全体の展開を概観する第一章「導入:ニーチェと身体化」以降の本論は、第二章から第六章ま
ではそれぞれ、動的非二元論の観念形成的次元・同じく精神身体的次元・同じく社会物理的次元・
関係・隠喩の説明に当たる。そして第七章と第八章は言語と言語による思考についての補説と位
置付けられるだろう。
第二章「“女性的”身体へニーチェの系譜学を開く:動的非二元論と関係の所説」では、象徴
的な女性的身体(symbolically feminine body)が題材とされる。象徴的な女性的身体の形成、す
なわち女性または女性身体の概念の形成は、自己概念の形成と類比的であるとブラウンは考える。
自己とは自己理解であるとされる。象徴的な女性的身体とは、現に女性的と思われているような
イメージや性格、特定の文化の中で伝統的に形成された女性の価値と女性の有り様のことである
とされる。このような観念形成的構成物は、精神身体的構成物や社会物理的構成物と関係しなが
ら、自らを形成しつつ他のものを形成してもいる。自己概念の場合、それは良心と身体罰との関
係において相互的に形作られる。疚しい良心は債務関係の内面的なものへの転化である。そして
良心とは価値評価と関係的であり、その価値評価は、それに則ってその良心の持ち主が自己自身
を評価するようなものでもあるのである。
ニーチェ思想における身体概念は男性的身体について述べるものであって女性的身体への視点
が欠けているというフェミニストの主張に対して、ブラウンはニーチェの身体概念によって女性
的身体を論じることは可能であると示すべく、第二章以降の論で身体について論じながら、例と
して女性概念を構成する事柄を取り上げる。ニーチェが女性的身体について論じていないとする
主張は、身体を象徴的なものとして扱うからではないか、とブラウンは考える。象徴的な女性的
- 110 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
身体という観念形成的構成物は、それだけで身体の把握に充分なものではない。人間は単に心理
的なものとしてだけ考えても、単に物理的なものとしてだけ考えても不充分である。身体化を論
じるフェミニスト哲学者の一部には象徴としての身体において論じる傾向があったとして、ブラ
ウンはこれを批判する。
第三章「ニーチェの禁欲主義的理想と身体化された意味の産出過程」では、禁欲主義的理想
という構成物がどのように形成されるかが論じられる。そしてこれと類比されるのが PMS(pre
menstrual syndrome、月経前症候群)である。これらは精神身体的次元のものである。価値評価
と精神身体的構成物とは共-構成的(co-constituting)であるとブラウンは言う。身体的経験は意
味付けと相互作用的であり、物理学的身体と象徴的身体とは非二元論的関係にある。このことは
社会的評価が身体に書込まれるとも表現される。身体とは観念形成的・精神身体的・社会物理的
という三つの次元の重複として捉えられるべき構成物であり、その把握の為にブラウンは生物
学(biology)という領域を設定する。「私の言う身体という概念には生物学の含意がある。この
・
・
・
・
“生物学”という語で私は社会物理的なものとしての生についての統計と諸概念とを意味する。
そのような情報は感覚与件の集積に依存する。」(p.48)身体とは、感覚に与えられる心理学的・
生理学的・物理学的(これらはそれぞれ三つの次元に相応するのかも知れない)な諸条件の影響
を被るものであるとされる。
禁欲主義的理想とは或る価値評価である。価値評価とは価値という観念的なものと判断行為と
いう社会的なものとのまさに中間物である。単に考えられているだけのものではなく、実際の行
為として、また行為の際の規範として機能するものである。
PMS とは女性が月経前一週間に示す様々な症候である。PMS として挙げられる様々な症候は、
不安・緊張・集中することが難しい・意気消沈・やたらに食べたがる・苛々する、等々であるが、
しかし PMS は一定の医学的な本質が定義されているものではなく、それゆえ曖昧な概念であり、
更に曖昧なままで価値評価の対象となっている。そしてそれは実際否定的な評価なのである。注
意すべきは、このような症候と否定的評価は女性概念の形成にも影響を及ぼすということである。
PMS に対する社会の価値評価の影響を被って、女性は自己を女性として経験し、理解し、自己
の身体への価値評価を決定する。PMS は社会的な構成物である。このように言うことは、PMS
が虚構されたものだと言うことではなく、PMS は社会が女性に関してより好ましいとする役割
に応じて、社会が女性を位置付けているバイアスによって、すなわちその社会の道徳性(morality)
の影響の下で構成されていると言うことである。
精神身体的構成物の例は、伝統的には互いに全く異なる領域であると思われてきた理念と物質
(ideal / matter)、あるいは心理学と生理学という領域を互いに重なるものであるとする。
・
・
・
・
第四章「意味の産出過程としてのニーチェの禁欲主義的理想」では、社会物理的構成物として
の禁欲主義的理想が取り上げられる。社会物理的なものとは、或る社会の中で習慣的に、或いは
制度的に、とにかくその機能や位置付けについてそれなりの共通理解をもってなされる行為や、
その行為に関わる物のことである。この章では、一般に主体と客体として二項対立的に捉えられ
ている関係について論じられる。両者は互いに独立的にそのものとしてあり得るのではなく、他
- 111 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
方があることによって一方の領域が区切られるというような、非二元論的関係なのである。また
禁欲主義的理想は自らの作用の内に非二元論的構造を備えてもいる。禁欲主義的理想は能動的作
用でもあり、かつ、受動的作用でもある。つまりそれは、或る規範を命じるものとしては能動的
作用であり、或る人によってその人に相応しい具体的内容としてそれが形成されるという点では
受動的なのである。この両面は特に禁欲主義的僧侶において独特な様相を呈するとされる。彼等
には禁欲主義的理想は生そのものなのである。禁欲主義的理想を持つとはその理想に相応しく行
為することであり、まさにその行為することによってその理想を明らかにすることである。禁欲
主義的理想が、意味であり、かつ、意味の産出過程であるとはこういうことである。禁欲主義的
理想という構成物をブラウンが取り上げるのは、意味が生じる過程と構造を明らかにするのに象
徴的なモデルだからである。「禁欲主義的理想は、単純な同定し得る現前の不在に直面した時、
意味が創造し、また創造され、変型し、また変型されることを示して見せる。それゆえ意味は同
時に主体としても客体としても、つまりそれらの曖昧さとして現れる。
」
(p.77)これは、何かあ
るべきものが無かった時、その不在について意味付けがなされるということである。その意味付
けの行為は不在に迫られてでもあるし、その不在を支配することでもある。
禁欲主義的理想と呼ばれ得るものは、それぞれの人間にとってそれぞれに異なる経験として存
在する。概念の不変的同一性の不可能を示す概念として、ニーチェが禁欲主義的理想を選んだの
は重要な選択であるとブラウンは見なす。
第五章「悪の実践と概念についてのニーチェ」で、悪の意識つまり罪悪感は、或る人が属する
社会がその人に要請する規範または生活や行動の指針にその人が達していない時にその人が抱く
無能力感の現れであるとブラウンは言う。
また此処では「均一化されていない(disunified)法的主体」が取り上げられる。ニーチェの記
述からは、これに対して系譜学者が肯定的な評価をしていると窺えるとする。第二論文と第三論
文からブラウンは系譜学者が動的均衡(unstable equilibrium)に肯定的評価をしている姿勢を読
み取る。つまり、疚しい良心の創造性についての記述はそれの肯定的評価と取れ、良き人間の両
義性が肯定的に評価されているのは、それらが矛盾を孕みながら成立する、つまり対立物の競争
的関係の上に構成されているものであるからであるとするのである。このような価値的偏向が動
的非二元論と関係の概念を示しているとブラウンは考える。
悪の実践と悪の概念は関係的なものとして捉えられる。悪と見なされる行いと悪という概念と
の対応関係があるのではなく、「或る人が構成物(悪という概念、月経(前)という概念、或い
は人間の主体性という概念)をどのように価値評価するかは、ニーチェについての私の分析の示
す所では、その人自身とその人の属する集団にとっての、構成物の形成と経験とに構成的に関係
付けられている。悪の実践についての系譜学者に深く浸透した選好は、悪の概念の形成への、ま
た悪の概念の経験への移行を伴う。このことが関係的なものとしての悪の概念を示す。
」
(p.89)
第六章「ニーチェと隠喩と身体」では、隠喩について論じられる。隠喩とは字面通り、或るも
のの他のものへの変型である。そしてその一方と他方との関係は非二元論的である。精神と身体
は二分法的に考えられるのではなく、両者の関係は隠喩という関係に置かれる。
つまり両者は別々
- 112 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
の実在物ではなく、精神は身体の隠喩であり身体は精神の隠喩であるという関係である。ブラウ
ンはニーチェの独自性を、単に身体を精神の優位に置いたことにではなく、身体と精神との関係
を隠喩的関係に置いたことに見る。
隠喩とは言語的なものである。ブラウンは身体を
「テキストを世界へ導入する場として」
(p.118)
更に「隠喩を解釈しながら生成する地場として」
(ibid.)捉える。そのような身体的隠喩は誰か
に解釈されることを必要とする。解釈とは翻訳(translation)であり持越し(carrying-over)であ
り変型(transforming)であり、関係という観点を必要とする。そして「身体を描写する象徴的
隠喩は殆ど常に価値評価や注釈や思考を含む。それゆえ、様態としての隠喩だけが身体を解釈へ
と結び付けるのではなく、隠喩の主題自体がそのように結び付けているのである。
」
(ibid.)身体
とは隠喩であり、つまり解釈されるものであり、かつ、解釈することである。隠喩とその解釈と
いう関係の形態が身体なのである。
第七章「ニーチェ以降のニーチェ:トラウマと言語とメルロ=ポンティの著作」では、身体と
外的環境との関係を、コミュニケーションとして、すなわち問い(interrogate)と応答(respond)
として、つまり言語として見る。自己と他のものとの関係は、自己の意味付け(signify)と同時
になされ、コミュニケーションとして成立するというのである。此処でブラウンはメルロ=ポン
ティを参照し、ニーチェとの思想的類似性を指摘する。ニーチェ思想の特徴として挙げられる非
二元論・関係・隠喩は、メルロ=ポンティ思想にも類比的に見られると考えるのである。
第八章「ニーチェ以前のニーチェ:ニーチェの言説と我々の言説を前リテラシー的受容構造へ
と開くヘラクレイトスの言説」では、ニーチェが高く評価していたヘラクレイトスを取上げ、動
的非二元論の概念が如何にしてヘラクレイトスの言説と関係していると言い得るのかを論じる。
此処ではリテラシーが問題とされるが、この能力は表音文字による言語と思考の形態として注目
される。そして前リテラシー的思考の形態を見せるものとして、古代ギリシャ語の中動相が注目
される。
以上が本書の概要である。
2 フェミニズム
本書ではフェミニズムがしばしば言及され、例えば第二章のタイトルにも挙げられた象徴的な
女性的身体のように、題材の取り方にも、ブラウンのフェミニスト的姿勢が窺える。ニーチェ思
想とフェミニズムとはどのような関係にあるだろうか。
フェミニズムからのアプローチとしては、
例えば、ニーチェの記述に現れる女性の概念の分析、女嫌い的な彼の語り方の分析等があった。
このような関係はフェミニズムの本来的な観点から結ばれていると言えるだろう。従来自明と思
われて来た、語られて来た事柄が、男性の立場から語られて来た事柄だったのではないか、性別
に関係無く人間一般について語られていると思われて来た事柄が男性と女性という差別的でもあ
る二分法構造の上で語られていることだったのではないか、意識されないジェンダー構造の上に
成立っていたのではないか、これがフェミニズムの問い方である。
ブラウンのフェミニズムは彼女のニーチェ研究とどのように関わっているだろうか。ニーチェ
- 113 -
ニーチェと身体化 ──識別する身体と非二元論──
の身体概念によって女性的身体を論じることは、フェミニズムの実践の為にニーチェの論を用い
ることである。これはニーチェ解釈の有用性を示し、そしてニーチェ思想に対するフェミニズム
からの批判に答えるものともなるだろう。ニーチェが女性的身体について論じていないというこ
とは、ニーチェ思想によってはそれを論じることが出来ないということとは限らない。
女性的身体が主題とされ得るなら、同様に男性的身体もその形成を論じることが出来るだろう。
この互いに互いから自らを区別する両者の、境界となっている差異についてはブラウンは余り言
及していない。だがこの性差という構成物もまた、ブラウンが生物学と呼んだ領域で捉えられる
べきものであろう。ブラウンは男性的身体について論じないが、女性概念について論じられたの
と同様に、男性概念もまた、観念形成的・精神身体的・社会物理的構成物として考えられる筈で
ある。其処で性差という構成物の構造が理解されるならば、身体一般と性差との関係もまた新た
に捉えられることが出来るだろう。
3 身体と言語
ニーチェ思想を動的非二元論・関係・隠喩という点から考えることで、身体と言語ひいては思
考について論じることになるというのが本書におけるブラウンの議論である。三つの概念を軸と
した展開から見えて来るのは、ニーチェが取り組み、また我々がニーチェを理解する際に取り組
まねばならない困難の一つは、独立的な個物すなわち不変のもの・固定的なものを信仰せずに考
え語るという困難だということである。
身体化とは、身体が問いと応答の関係として形成されていることである。或る身体は、それ自
体として独立的な何らかの固定したものではない。また、身体が言語的なものであるという、ま
た逆に言語が身体的なものであるという、この位置付けは興味深い。ブラウンの言語についての
論述は、身体と言語とがその形成の点で類比的であるという見方を開く。これは身体についての
論述を言語にも応用することを可能にする。言語においては語と意味の関係は非二元論的であり、
言語はそれ自体が関係であり、解釈の対象であり、かつ解釈であるようなものである。
ブラウンが本書の最初に言及した生の実演の為の物語とは、本書全体で論じられた身体的なも
の或いは言語的なものである。例えば禁欲主義的理想、PMS、これらはそれぞれ物語と言える。
そして物語を創造することは、隠喩を創造することであるだろう。身体について論じることは、
自己自身について語ることであり、自らを解釈することである。そして語られた内容にではなく、
その行為自体においてこそ、自己自身を呈示しているのである。
(いくしまひろこ 現代思想文化学・博士後期課程)
「キーワード」
身体、言語、フェミニズム
- 114 -
「人格」という形式
【翻訳】
「人格」という形式
ニクラス・ルーマン / 前田秀明訳
Ⅰ.
近代文学は、人格という特別な概念を保持するつもりも、あるいは、古代の伝統によって人格
と人間を区別するつもりさえほとんどないようだ。人間は主体であり、主体は個人であり、個
人は人格である(しかし、「である」とはどういうことだろうか)ということは、自明なことと
見なされている。おそらくこの様な概念の融合は、近代世界において個人は自己観察によって
定義され、自己観察は精確には自らの観察の観察として、すなわち、二階の観察〔Beobachtung
zweiter Ordnung〕として理解されなければならないということと関わりがある。(訳注 1)この場合、
古代世界の存在論的、動物的、あるいは、人格に関して言えば法的な諸区別は、実際ほとんど意
味をなしていない。ドイツ観念論およびロマン主義の用語法では、それらの諸区別は「野蛮な」
こととして、つまり動物に関係づけた区別として非難されるに違いない。
その代わりに、別の諸区別が問題となっている。とりわけ今日個人は、彼にとって心地よいも
のであれ煩わしいものであれ、いずれにせよ要求される「社会的アイデンティティ」から区別さ
れ、主我〔I〕は客我〔me〕から区別され、あるいは、それ自身だけでただ断片的にまた状況的
に与えられた自我は、社会的予期を満たす様に規範的に仕上げられた自我から区別されるが、こ
の社会的予期は特に、自我が自己自身と同一であり続けなければならないということに向かって
いる。〔自我についての〕この二重の見方は、心理システムと社会システムの境界づけをする際
これに関しては、ウィリアム・ジェームズ、ゲオルク・ジンメル、ジョージ・ハーバート・ミードの様な著
者が重要である。最近の叙述はほとんどミードにのみ依拠しているが、それらに関しては、Lothar Krappmann,
Soziologische Dimensionen der Identität: Strukturelle Bedingungen für die Teilnahme an Interaktionsprozessen, Stuttgart,
1971 を見よ。また、それ以降はほとんどこれらの著者に関する叙述ばかりで、問題に関する叙述はなく、その
ことが広範囲にわたる理論活動の放棄へとつながっている。
「観察〔Beobachtung〕」は、後出の「言及」と重なる意味をもつ概念である。「観察」においては、あるもの
と他のものとの区別による形式が、情報を獲得するために用いられる。ここで、ある観察者が自らの観察自
身を観察することが「自己観察」と呼ばれ、それは当初の観察が一階の観察であるのに対して、二階の観察
であると見なされる。本文においては、意識がシステム理論的に観察として把握され、近代においては個人
が自己意識すなわち自己観察によって定義されるということが言われている。下記の(訳注 2)、(訳注 5)、
および、
(訳注 6)を参照のこと。
(訳注 1)
- 115 -
「人格」という形式
に問題となる。もし心理システムと社会システムの区別を重視し、しかも、それらがそのつど作
動上閉じていることを重視する理論に向かおうとするならば、より高度な解決能力をもつ理論を
探す様に忠告を受けることになるだろう。
、
、
、
、
、
、
、
、
、
沢山ありうる手始めのうちの一つは形式概念の再定式化であり、形式概念を統一概念から差異
概念へ変換することである。このことはとりわけ、自我と自己、人格的アイデンティティと社会
的アイデンティティ、個人と人格について語られうる仕方に関わる。ジョージ・スペンサー・ブ
ラウンの形式算法から借用することができる提案に倣えば(訳注 、形式とは境界をマークづけす
2)
ることであり、その結果二つの側が生じ、そのうち一方の側だけが更なる操作〔Operationen〕(訳注
3)
のための連結点として使用されることができる。その際、他方の側へ移行することは不可能では
ない。しかし、この移行はある特殊な操作を必要とし、それ故時間を要し、また、同一の側に留
まり続けそちら側の表示〔Bezeichnung〕を圧縮し再認するだけの場合に生じることからは区別
されるということが、論理的に含意される。(訳注
4)
したがって、形式はつねに二つの側をもつ形
式である。形式は形式としてつねに一方の側においてのみ(したがってつねに不完全にのみ)使
用されることができる。しかし、観察者が形式を二つの側をもつ形式として見る場合のみ、観察
者(それはまた形式の使用者でもあり得るが)は形式を見ることができるということも、同様に
正しいことになる。
この様な形式概念から出発して、「人格」という形式はいかに記述することができるだろうか。
ここで問題となる区別は何だろうか。
Ⅱ.
まず初めに、心理システムと人格を明確に区別しなければならない。なぜなら、
(我々の理論の)
George Spencer Brown: Laws of Form, Neudruck, New York, 1979〔邦訳 G. スペンサー=ブラウン『形式の法則』、大
澤真幸・宮台真司訳、朝日出版社、1987 年〕を見よ。
Spencer Brown, a.a.O., S. 1f.〔邦訳 G. スペンサー=ブラウン、前掲書、2 頁〕は、「呼び出しの法則〔the law of
calling〕
」と「横断の法則〔the law of crossing〕」を対応させながら区別している。
当論文の題名にもある「形式〔Form〕」とは、本文にも記されている通り、スペンサー=ブラウンから借用さ
れた概念である。スペンサー=ブラウンはその独創的な形式算法を、まず空間に「区別〔distinction〕」を設
けることから始める。区別を設けるとは、例えば平面において円を描く様に、境界を配置して空間を二つの
側に分けることであり、その結果、一方の側にある点は、境界を横断することなしには他方の側に到達する
ことはできなくなる。そして、その様な区別によって識別された状態に、区別されていることを示すマーク
「 」がつけられる。ここで、何らかの区別によって分割された空間が、その空間の内容全体と併せて、その
区別の「形式〔form〕」と呼ばれる。この様な区別による形式が組み合わされ、計算が行われていくこととなる。
(訳注 3)
Operation には、システムにおいては「作動」の訳を当てたが、ここではスペンサー=ブラウンの形式算法に
おける意味で用いられているので、「操作」と訳しておく。
(訳注 4)
「圧縮する〔kondensieren〕」と「再認する〔konfirmieren〕」は、スペンサー=ブラウンによる形式算法からの
概念である。スペンサー=ブラウンは上記の「区別」を定義した後、
「呼び出しの法則〔the law of calling〕」と「横
断の法則〔the law of crossing〕」という二つの公理を提示する。「呼び出しの法則」とは、「2 度の呼び出しの
もつ値は、1 度の呼び出しのもつ値である」というもので、区別がマークされた状態について、それを表示
する名前〔name〕を 2 度呼ぶことは 1 度呼ぶことと同じであるということである。このことは、記号的には
「
= 」と表され、ここで「
→ 」と単純化することが「圧縮〔condensation〕」、「 →
」と複
雑化することが「再認〔confirmation〕」と呼ばれる。また、「横断の法則」とは、「2 度の横断は、横断の値を
もたない」というもので、区別における境界を 2 度横断することは、横断しないことと同じであるというこ
とである。このことは記号的には「 = 」と表される。
(訳注 2)
- 116 -
「人格」という形式
〔心理システムと人格における〕両方の言及〔Referenzen〕(訳注
5)
にとって、異なる形式概念が問
題となるからである。
心理システム〔の形式の考察〕については、自我 / 非我、あるいは、内 / 外の区別から始める
伝統を何よりもよりどころにすることができる。もちろんそのことは、この様な区別を生み出す
外部の観察者を前提とした。確かにフィヒテはこの問題を自我自身に関して解決しようと試みて
いたが、それについて現実に説得的な議論ができなかった。自我は自己自身への外部の(その「外
部の」ということを、ロマン主義者は「冷静な」
「思慮深い」と言った)観察者になった。その
際すでに、心理システムが自らの形式のもう一方の側、つまり外側、すなわち世界をもつという
ことは明らかであった。その際不明であったのは、システムはいかにして内から外に到達し、一
体いかにして世界から知識を受け取り、世界に対して行為できるのか、ということであった。今
日それは言及の問題と呼ばれるが、それは未解決のままであった。もしかするとこのことは、外
部の観察者に依存していることと関連しているかもしれない。この理論においては、いかにして
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
外部の観察者が他のシステムに関する問題を解決するのかということを知ろうとすれば、ひとは
外部の観察者を観察しなければならない。哲学者は哲学研究者に、哲学は哲学史に、理論は理論
の記述になる。 ─そして、設定される問題は二階の観察の水準、観察者の観察の水準に移される。
このことは、ここで批判されたり取り消されたりするべきではない。しかし、理論自身をこの
ことにより良く合わせることはできる。哲学には、くだけた言い方をしてもよければ、外部の
観察者としての哲学に生じたことが生じただけである。システム理論はこの問題を「再参入〔reentry〕」の図〔Figur〕によって解決する。(訳注 6)システム理論は形式の中への形式の再参入を、し
たがって、区別の中への区別の再参入を表示する。システムの場合は(我々は心理システムに関
わっているのだが)、システムの中への、システムと環境の差異の再参入を表示する。システム
、
、
、
、
、
、
、
、
形式の場合については、形式の中への形式の再参入は、自己言及と他者言及の区別によって表示
、 、
、 、
されることができる。したがって、一般的な「言及」の問題というものはなく、つねに自己言及
と他者言及という二つの側をもつ形式、および、その両側間での繰り返しか横断のみがある。そ
の際作動〔Operationen〕はつねに内部の作動のままである。外に介入することはない。システム
は作動上閉鎖システムとして働く。システムは自己自身のみを変形することができる。つまり、
同様に、Spencer Brown. a.a.O., S. 56f., S. 69ff.〔邦訳 G. スペンサー=ブラウン、前掲書、65 頁以下、79 頁以下〕を見よ。
「言及〔Referenz〕」は「準拠」とも訳され、社会学においては「準拠枠〔frame of reference〕」という用語で一
般的に用いられてきた概念であり、パーソンズは「行為の準拠枠」という用語を使用する。ルーマンはこの「言
及」という概念を、スペンサー=ブラウンの形式概念に基づいて解釈し直した。彼によれば、
「言及」とは「区
別〔Unterscheidung, distinction〕」と「表示〔Bezeichnung, indication〕」からなる作動であり、他のものから区
別した上で、あるものを表示することである。システムの言及においては、システムと環境が区別され、そ
のどちらかが表示される。そこでは、システム自身への自己言及と環境への他者言及が区別されていること
になる。
(訳注 6)
「再参入」は、スペンサー=ブラウンによる形式算法において用いられる概念である。本文にもある通り、あ
る形式の中にその形式自身を更に導入することが、「再参入」と呼ばれる。例えば、平面上の円という形式
においては、その円の内側か外側に更に円が描かれることになる。システムにおいては、形式はシステムと
環境の区別からなるので、システムと環境の区別自身が、システムないしは環境の中に再参入する。ここで、
システム理論においては、形式に基づいて観察が行われるとされるので、形式の中への形式の再参入とは、
形式に基づく観察の観察という二階の観察であることになる。
(訳注 5)
- 117 -
「人格」という形式
システムがそれによって自らの観察を可能にしている区別だけを変えることができる。そして実
際そのことは知られている。すなわち、思考は外界において何も変えず、自己自身を変えるだけ
である。
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
それ故、次の様に言うことができる。すなわち、心理システムの形式は、自己言及と他者言及
、
、
、
、
、
、
の区別である、と。 このことは、たとえ別の定式においてであるとしても、フッサールの現象
学の中心命題であった。すなわち、意識と現象はフッサールにとって一つの同じ実在であり、
「志
向〔Intention〕」とはこの様な統一を表現する概念であり、したがって、意識の形式概念である。
それ故、自己言及と他者言及の区別に関わり、観察されるシステムがいかにその区別と関わる
〔damit umgeht〕のか見ることができる場合にのみ、
心理システムは観察されることができる。
(
「関
わる」とは次の様なことを意味する。すなわち、繰り返しと横断においてどの様な構造が圧縮さ
れるのか、何が確定されるのか、あるいは、繰り返しては使用しないことによって除外されそれ
故忘れられるのか、そしてより根本的には、他者言及と関係している自己言及はシステムの日常
的な作動においてどの様な重要性を得るのかということである。
)この様な差異図式を使用する
観察の仕方は、日常的には「理解〔Verstehen〕」として表されていることにおおよそ対応する。
自己言及 / 他者言及の形式はシステムを個体化する。このことは、自らの作動のみを方向づ
けこの作動をつねにまた自己言及的再生産の様態へと固定する様な内部形式が重要であるとい
、
、
、
、
うことに、すでに基づいている。しかし、このことはまた純粋に形式的には、形式の双安定性
〔Bistabilität〕(訳注 、つまり、その形式は自らの作動の継続のために二つの出発点を提供すると
7)
いうことに基づいている。そして、その出発点は二つよりも多くもなく少なくもない。システム
は作動という一価性には固定されていない。なぜなら、さもないとシステムは環境から区別され
ることができないだろうし、選択的なものとして、すなわち、弁別可能なものとして、観察者に
とってのみ認識できることになるだろうからである。 しかし、システムは基本的な自己再生産
の水準においてはまた、二つより多くの言及を自由に使用することはできない。すなわち、自己
自身と環境への言及である。それ故、システムは、環境の複合性〔Komplexität〕(訳注
9)
を自己自
ここでは、同じ命題が社会システムにも当てはまるということには触れない。もちろんその際、この命題は他の
タイプの作動に、すなわちコミュニケーションに当てはまる。
ここでは、アメリカの日常社会学による通俗的現象学と同様に、フッサール自身による意識の超越論的理論的解
釈にも触れないことは言うまでもない。我々にとっては根源的な思考が問題なのである。これはもはやほとんど
認識できない派生物に変化させられてしまっている。
この点について更に詳細には、Niklas Luhmann, Systeme verstehen Systeme, in: ders. und Karl Eberhard Schorr (Hg.).
Zwischen Intransparenz und Verstehen: Fragen an die Pädagogik, Frankfurt am Main, 1986, S. 72-117.
このことは、自らを維持している有機体の観察に特殊化されている免疫システムや神経システム(訳注 8)を含めて、
全ての生命システムに当てはまる。
「双安定性」とは、ここでは形式が二つの側をもつ形式であることを指していると考えられる。
「免疫システム」や「神経システム」は有機体とカップリングしており、その存続が有機体に依存していると
ともに、免疫システムは有機体の自己と非自己を識別して非自己から自己を守るために、また、神経システ
ムは有機体の状態から作用を受ける際に、それぞれ有機体を観察しているということである。
(訳注 9)
「複合性」は、「複雑性」とも訳される概念である。要素間の関係を考える際、要素の数が増大すると、各要
素がそれ以外の全ての要素と関係することができずに、一部の要素のみが結びついているだけになる。その
際、連関している諸要素の集合が、「複合的」であると呼ばれる。ここで、ある複合的な連関の関係の組み立
てが、より少ない数の関係をもつ第二の複合的な連関によって再構成されるならば、複合性が複合性を「縮減」
するとされる。社会システムや心理システムにおける複合性の縮減は、言及において生じる「意味」によっ
て行われる。
(訳注 7)
(訳注 8)
- 118 -
「人格」という形式
、
、
、
、
、
、
身の中へ適切に模写するという誘惑にさらされていることは決してありえず、その代わりに二つ
の可能な言及方向の間を振動する。それによってシステムは、複合性を極端に縮減することはせ
ず、その代わりに構造的に自らの複合性を構築することへと強制されている。それ故、各々の心
理システムにとって世界は異なって見えるのである。
結局注意すべきことは、たとえ作動が一方の側と他方の側のどちらを表示していようと、すな
わち、システムとその環境のどちらを表示していようと、自己言及と他者言及の区別は、システ
ムの個々の作動において再生産されなければならないということである。どちらの側も他方の側
がなければ不可能である。システムは何をしようとその形式を保持する。言い換えれば、システ
ムは区別を区別として再生産しなければならない。しかし、境界と差異としての区別は、その区
別の一方の側においても他方の側においても表示されることはできないので、システムは自らの
形式を使用することはできるが、表示することはできない。それ故、システムは盲目的に自己を
再生産しなければならない。なぜなら、システムは観察に対してつねにすでに、その形式の一方
の側か他方の側を選択してしまっているに違いないからである。システムの統一はそのシステム
にとっては接近不可能である。したがって、それ故にまた人格化に対する抵抗も存在しないので
ある。
システムが自己自身についてあるいは自己自身から「私」と言う場合、そのシステムはつねに
すでにこの区別の一方の側を表示している。すなわち、
そのシステムはその自己言及を顕在化し、
他者言及を差し当たり言及されていないものとして伴っている。あるシステムが観察し、そこで
自己言及 / 他者言及の区別を使用することができるようになったばかりでは、そのシステムは
それ自身だけではまだ、そのシステム自身が作動上閉じたオートポイエーシス的システム(訳注
10)
としてあるところのものの半分にすぎない。確かに、再参入を再参入の中で繰り返すことは可能
である、つまり、より高度な再帰能力を使用しまた自己言及と他者言及の差異を自らの成果とし
て更に構成することができる様な側として、自己言及を際立たせることは可能である。ただし、
このことは、システムから導かれることは決してないし、つねに一方の側が表示されている様な
区別の設定における盲目性からシステムを解放することもない。
、
この自己言及 / 他者言及の形式が心理システムの意識過程を制御する一方で、それに対して精
、
、
、
神分析は他の区別を、つまり、無意識的制御と意識的制御の区別を設定した。これは、不適切な
仕方で定式化され、それ故勝手気ままな想像を引き起こした。無意識は、端的に否定的なものと
同様に、存在し得ない。 ─ただし、観察図式のコンテクストにおいては、したがって、観察者
の実際の状態としては別である。しかしもしかすると、メディア(=「無意識的」
)としての意
識と形式(=「意識的」)としての意識が区別されるという様に、基本的な考え方を再構築する
「オートポイエーシス的システム」とは、マトゥラーナとヴァレラが提起した考え方によるシステムであり、
要素が要素を生産するという生産過程のネットワークとして組織化されるシステムのことである。そこでは、
①要素が生産過程のネットワークを絶えず再生産するとともに、②逆にその様なネットワークに位置づけら
れることによって要素は存在するという、回帰的な組織化が行われる。ルーマンのシステム理論においては、
それらはシステムの「自己再生産」と「自己言及」によって行われるとされる。また、この様なオートポイ
エーシス的システムは、入力も出力もなく、作動上閉鎖的であるという特徴をもつ。
(訳注 10)
- 119 -
「人格」という形式
ことができるかもしれない。(訳注
11)
メディアとしてならば意識は、可能な意識状態のゆるいカッ
プリングであり、このカップリングは意味の両立性〔Kompatibilität〕(訳注
12)
の境界によってのみ
制限されるであろう。形式としてならば意識は、顕在化された意味要素の厳密なカップリングで
あり、このカップリングは思想として選び出され構造として記憶されるだろう。そしてそれとと
もに療法〔Therapie〕は、以前の生活におけるリビドー抑圧からリビドーの受肉にまで達する補
助仮説を手がかりとして、他の形式構成を提案することとして把握されるべきだろう。ただし、
それらの補助仮説が形式の変更に必要なもっともらしさを獲得することができる限りにおいてで
ある。
たとえこの様に理論的再構成する場合でも、心理システムの形式が問題になるだろう。しか
も、諸形式を形成しまた諸形式を再び解体しているシステムの形式に関わらなければならないだ
ろう。意識されている形式も二つの側をもつ形式である。その形式は、意味諸要素のしっかりと
したカップリングによって、メディアとしての意味から区別される。このメディアを意識は、形
式の選び出しに対する自らの可能性の非常に豊かな連結空間として自由に利用できる。そしてこ
の場合でも、区別されたものの中への区別の再参入の図が根底にあるだろう。なぜなら、メディ
アと形式の区別はそれ自身、自己自身の中に再び現れる形式だからである。
Ⅲ.
心理システムの形式問題をこの様に素描することは、心理システムと人格のあらゆる混同を予
防するために必要であった。人格は自らの作動様態には関わらない同一化である。したがって、
、
、
、
、
、
、
、
、
人格はシステムではない。古い用語法にならえば、人格性〔Personalität〕においては社会的相互
作用の調整〔Regelung〕が問題なのである。「persona とは身分の条件、各人が人々の間や市民生
活の中で担う職務のことである〔Persona est conditio status, munus, quod quisque inter homines et in
Hans Rheinfelder, Das Wort „Persona“ : Geschichte seiner Bedeutungen mit besonderer Berücksichtigung des französischen
und italienischen Mittelalters, Halle, 1928. を 参 照 せ よ。 法 の 伝 統 に つ い て は Helmut Coing, Der Rechtsbegriff der
menschlichen Person und die Theorien der Menschenrechte, in: ders., Zur Geschichte des Privatrechtssystems, Frankfurt am
Main, 1962, S. 56ff. 神学への継受についてはまた Siegmund Schlossmann, Persona und ΠΡΟΣΩΠΟΝ im Recht und im
christlichen Dogma (1906), Nachdruck, Darmstadt, 1968. 更に詳細には、Historischen Wörterbuch der Philosophie, Bd. 7,
Basel, 1989, Sp. 269-338 における Person という見出し語の項目。
「メディア / 形式〔Medium/Form〕」とは、心理学者のフリッツ・ハイダーによる概念である。ここでの「形
式」とは「メディア」という用語と対比的に用いられる概念であり、スペンサー=ブラウンによる「形式」
概念とは含意されていることに若干相違がある。Giancarlo Corsi/Claudio Baraldi/Elena Esposit, GLU: Glossar zu
Niklas Luhmanns Theorie sozialer Systeme, Frankfurt a. M., 1997, S. 58 によれば、ハイダーはこの「メディア / 形式」
という区別を、肉体と直接接触していない対象の知覚を説明するために用いているとされる。そこで挙げら
れている事例は視覚と聴覚であり、光あるいは空気というそれ自身は知覚されない「メディア」のおかげで、
像や音という対象の特性としての「形式」が伝達されることになる。ここで、「メディア」とは要素間の緩や
かなカップリングであり、「形式」はその様なメディアとしての要素間の結合を、固定的なカップリングに圧
縮して、知覚されるようにするものである。
(訳注 12)
「両立性」は「非両立性」に対する語であり、言語学においては語の結合関係における整合性についていうも
ので、語の共起関係を規定する選択制限との関係で問題になるものである。例えば、
「ろばは干し草を食べた」
は容認できる文であるが、「ろばは沈黙を食べた」は意味的に異常であり、意味的な特性に関して両立しない
とされる。(田中春美他編『現代言語学辞典』、成美堂、1988 年、106 頁)したがって、本文で言われている
意識における意味の「両立性」の境界とは、意識の要素である思想が連鎖する際に、それらの思想どうしの
連鎖関係を意味的に制限する境界であると考えられる。
(訳注 11)
- 120 -
「人格」という形式
vita civili gerit〕」─その様に、ある辞典はローマの用語法におけるラテン語の単語の広義の意味
をまとめている。 例えば裁判の審理の様な、特殊な相互作用のコンテクストにおける役割や地
10
位も意味され得たが、しかしいずれにせよ肉体としてまた魂として完全に個人化された全体とし
ての人間が意味されたのではなかった。もし特殊な徴表を度外視しようとすれば、確かに時には
古代後期において既に、人間的個体もまた persona という一般概念で表されることもある。 し
11
かし、もしかすると人間的個体は、古代の「caput〔頭〕
」と同様に、pars-pro-toto〔全体を代表す
る部分〕という言い回しとして理解されるかもしれない。中世に初めて、人間が一般的にその特
殊な社会的コンテクスト領域〔Kontexturen〕(訳注
13)
から自立して個人と表されるべきとされ、人
格概念は一般的に個人に用いられることになる。それから、個人の価値上昇がこの概念を巻き込
むことになる。法学は十七世紀以来〔個人に用いられる〕人格概念を採り入れて適合させ、その
人格概念によって法的地位の身分制に縛られた配置から解放された。同様に、哲学的心理学は少
し遅れて人格概念を使用し、神学によって占められていた心身二元論を克服する。明らかに今日
この概念は、〔古代の〕伝統に対して距離をおく働きがあるために評価されている。個人を社会
の中へ身分的に規定する包摂の特殊なあり様が消えるのに応じて、この人格という概念の〔個人
を社会の中へ身分的に規定するという〕特殊な抽象化の働きに対する必要もなくなる。この抽象
化の働きは、概念的ではなくとも、少なくとも術語的なものである。その際、もしかするとそれ
まで軽視していた〔人間的個体という〕副次的意味も保持しているかもしれない。
〔しかし、古
代においても中世以降においても〕いずれにしてもこの人格という概念は、個々人の具体的本性
の個人的な唯一性を言い当てようとしているのではない。この概念はその意味に関しては集合観
念であり続けている。あるひとが特に人格として表示されるならば、それに対応する〔非人格と
いう〕反対概念を求めること、すなわち、あるひとがそれから本来的に区別されるものを求める
ことは、ますます困難となる。それでは人格は〔区別からなる〕形式をもたず、人格の内側は外
側を持たないのだろうか。
〔上で再定式化した〕形式概念を手引きとして利用すれば、この複雑な伝統を今日の諸条件の
下で再構築することが可能となる。そうすれば、
「人格」を特殊な客体として理解することはで
きず、また客体の種あるいは客体の性質として理解することもできず(たとえその客体が「主体」
の場合でも)、二つの側をもつ形式として観察を導くある特別な種類の区別として理解すること
ができる。そうならば、人格は単に人間や個人とは別の対象なのではなく、人間的個体の様な対
象を観察する際の〔人間や個人とは〕別の形式なのである。このとき最も重要なのは、この形式
の他方の側が何であるかを見出すことであり、どの様な特殊な観点において人格は人間や個人で
ありつつ非人格となり得るのかを見出すことである。
Egidio Forcellini, Lexicon totius latinitatis, curante I. Perin, Neudruck, 1965, Bd.III, S. 677.
このことは、奴隷も人格として表されるという事例で分かる。
10
11
Kontextur は、本文で後述される様に、ゴットハルト・ギュンターによる用語であり、例えば「存在」と「無」
の様に、
「排中律」によって二元的に区別された各領域を意味する。したがって、スペンサー=ブラウンの「形
式」における区別の一方の側に近い意味を持つ。「コンテクスト」とは意味が異なるがこの語を含むので、
「コ
ンテクスト領域」と訳しておく。ただし、本文のこの箇所では、「コンテクスト」とほぼ同様の意味で用いら
れていると考えられる。
(訳注 13)
- 121 -
「人格」という形式
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
〔複雑な伝統の再構築という〕この目的は、「人格」という形式が個人に帰属された行動の諸
、
、
、
、
、
、
可能性〔Verhaltensmöglichkeiten〕の制限として規定されるとき、達成されうる。その際、ラルフ・
12
リントンが取り入れた 属性的 / 業績的地位〔ascribed/achieved status〕の区別を問題とするべき
でないし、しかしまたパーソンズによって「資質 / 遂行〔quality/performance〕
」のパターン変数
としてその区別が更に発展させられたことも問題とするべきでない。確かに制限に対する二つの
根拠、すなわち、出自と業績は個人に帰属させられる。しかし強調点はむしろ行動の諸可能性の
、 、
制限にあり、したがって形式は、この制限によって、あるものがもう一方の側として、つまり人
格に帰属しないものとして、排除されるということにある。また、言語学的記号論において見
られる有徴 / 無徴〔marked/unmarked〕の区別も助けになるかもしれない。 「有徴化」によって、
13
注目すべきであり、更に明らかであったり、時には疑わしかったりするもの、─まさしく人格が、
更なるコミュニケーションのために強調され準備される。その他のものは無徴の側に留まる。な
ぜなら、その他のものは、コミュニケーションの対象になることを期待されていないからである。
それ故、非人格に属しているものは、編み物のほつれやビリヤードで穴をはずすことと同様に、
未規定である。
形式概念の精確さに要求されていることは、〔一つには〕区別のもう一方の側に属しているが、
しかしコミュニケーションの契機や通常の進行においては念頭に置かれていないものと、
〔もう
一つには〕区別それ自身によって排除されているものとを、慎重に区別しなければならないとい
う点に示されている。この区別の基準を、我々は個人への帰属において見る。もう一方の側にお
ける非人格と見なすことができるのは、人格それ自身は表示しないが、人格に帰属させられるか
もしれず、場合によっては人格ににじみ出るかもしれないものだけである。─例えば、評判の良
い隣人の市民生活において長い間隠されている飛び地〔の様な性格〕や、もし目立つようになれ
ば人格に加えざるを得ないてんかん発作の傾向等である。その他のものは全て世界における状態
か出来事であり、人格図式の一方と他方のどちら側にとっても考慮されないものである。それは
区別それ自身によって排除された第三のものである。別の言い方をすれば、一般に人格 / 非人格
の形式図式において観察し、それ以外の仕方では観察しないという誘因〔Anlaß〕もまたつねに
存在しなければならない 。それでは、この誘因があるとすればそれは何だろうか。
14
我々はこの問いでもって社会システムへの橋渡しをする。というのはその答えとは、社会シス
The Study of Man: An Introduction, New York, 1936, S. 115 における。また、同じ著者の、The Cultural Background of
Personality, New York, 1945〔邦訳ラルフ・リントン『文化人類學入門』、清水幾太郎・犬養康彦訳、東京創元社、
1952 年〕も見よ。Ralph Dahrendorf, Homo Sociologicus, 3. Aufl., Köln, 1961, S. 38ff.〔邦訳 R. ダーレンドルフ『ホモ・
ソシオロジクス : 役割と自由』、橋本和幸訳、ミネルヴァ書房、1973 年、83 頁以下〕における、この区別のその
後の使用についての指摘。振り返るならば、この区別は近代社会よりも貴族社会の家系 / 美徳図式により良く当
てはまると言うことができるだろう。
13
John Lyons, Semantics, Bd. 1, Cambridge, 1977, S. 305ff.; Steve Fuller, Social Epistemology, Bloomington Ind., 1988, S.
155ff. を参照せよ。
14
Spencer Brown, a.a.O., S. 1〔邦訳 G. スペンサー=ブラウン、前掲書、1 頁〕は「動機〔motive〕」とさえ言うが、
それによってただ形式の概念さえも形式であり、したがって他方の側をもち、その他方の側とともに形式の概念
は何らかの第三のものを排除しているということを明らかにしているに過ぎない。
12
- 122 -
「人格」という形式
テムの成立を自己触媒する問題としての、社会的状況の二重の偶発性だからである。
15(訳注 14)
二
重の偶発性を伴う状況においては、あらゆる参加者は、他者が自らに対して満足させる様に行為
するということに依存して、他者に対して自らの行動をする。その様な二重の偶発性を伴う状況
においては、〔行動の〕諸可能性の自由な余地を制限するというやむを得ない欲求が生じる。人
格の成立を誘発するのは、二重の偶発性のこの様な不安定で循環的な苦境である。あるいは、も
っと精確に言えば、その様な二重の偶発性が、つねに人格において心理的に進行する関与者〔す
なわち心理システム〕を、社会システムにおいてすなわちコミュニケーションにおいて人格とし
て振る舞わせ、また、関与者の行動がもつ予期せぬ性質を適切に慎重に量るようにさせる。─た
とえ、狭すぎる境界にぶつからない様に初めから広く見積もろうとそうであるし、他の可能性が
役割に属さないものとして拒否されたり無視されたりできる様に分節化しようとそうである。
16
また、以下の様に社会的諸形式を扱おうとである。すなわち、人格自身が〔人格を形成する規律
的な〕社会的諸形式から自らを取り戻し、その人格によって社会的諸形式の良い教育〔という側
面〕のみが有利に示されているということが認識可能になる様にである。
(この社会的諸形式には、
〔そのことを認識していることを気づかせない様な〕ユーモアも含まれる。
)
したがって、社会的状況の二重の偶発性という問題が一般に社会システムの形成に通じること
になるのならば、諸人格はこの問題を解決する必要性の副次的効果として圧縮される。それ故に、
予期の規律があり、行動レパートリーの制限があり、ひとがそうでありまたあり続けていると見
せかけてきた〔人格への〕必要性がある。そしてそれ故にまた、心理システムが自由に利用でき
る〔人格と非人格からなる〕より広い諸可能性の枠内で、
ひとがそちら側へ横断できるであろう
〔非
人格という〕もう一方の側が、共に念頭に置かれている。したがって、形式自身は〔心理システ
ムの〕心理的欲求に役立つのではなく、─もう一方の言及とともに─全ての社会システムの諸問
題を解決するのである。
それとともに、社会歴史的分析もまた開示されることになる。というのは、人格性が二重の
偶発性の問題の解決に援用される範囲、とりわけありうる個人化の範囲は、全体社会システム
〔Gesellschaftssystem〕の複合性によって異なるからである。それどころか多くの目的にとっては
認識でき、場合によっては再認できる他者の肉体があれば十分で、それを知覚することによって
何を予想しなければならないのか見積もることが可能になる。多くの社会は実際、肉体の装飾に
よって何が期待されうるかを伝え、それ以上の人格の形式を必要としていない。巡礼者が問題で
ある場合、彼らは服装や身振りで見分けられ、彼らに何をする義務があるのかが知られる。それ
こ の 点 に つ い て 詳 細 に は Niklas Luhmann, Soziale Systeme: Grundriß einer allgemeinen Theorie, Frankfurt am Main,
1984, S. 148ff.〔邦訳ニクラス・ルーマン『社会システム理論(上)(下)』、佐藤勉監訳、恒星社厚生閣、(上)
1993 年、
(下)1995 年、158 頁以下〕
16
このことは、人格と役割を区別すること、そして、確かに人格はそうではないけれども、役割を個体化すること
を複合的な社会で意味のあることにしている。
15
「二重の偶発性〔doppelte Kontingenz〕」は元来パーソンズによる概念であり、ルーマンが継承したものである。
二重の偶発性を伴う状況においては、自我も他我も自らの行為を相手の行為に依存させているために、行為
の前提が循環的に連鎖してしまい、結局行為が自我と他我のどちらによってもなされないという状況に陥っ
てしまう。ルーマンによれば、この二重の偶発性を伴う状況が誘因となり、行為の可能性の条件を制限する
という欲求が生じ、社会システムの成立に至るとされる。
(訳注 14)
- 123 -
「人格」という形式
から中世盛期に初めて、贖罪の気持ちがある本物の巡礼者が問題なのか、あるいは巡礼路の奉
仕業務だけを無料で利用しようとする旅行者のみが問題なのかということも切迫した問題とな
る。 いくつかの目的のためにはつねに個体化された肉体だけで十分であるが、それ以外の目的
17
のためにはそうではない。また、肉体的な見かけを当てにすることができるかどうか、また、ど
の様な観点で当てにすることができるか、また、人格性を構成するためには態度をどのくらい示
したり確認したりしなければならないかは、状況に応じて様々に異なっているだろう。
人格がコミュニケーションにおいて不安定に存在するあり方は、遅くとも十七、八世紀以来、
道徳の問題にもなる。それ以前は、個人の肉体的なまた心理的なレパートリーの道徳的規律化と
いう意味で、エートスや態度のみが要求されていたとすれば、今ではコミュニケーション・パー
トナーの人格の保護へと道徳的要求は移っている。ますます個人的行動は解放され、それだけま
すます、ひとが他者の自己提示を社会的粉飾として見抜いていることを気づかせないことが重要
になっている。礼節は重大な規制となり、ユーモア(特に自らに適用された)を発展させ安全弁
として認める。したがって、会話の高度な規範とは他人に人格として気に入る機会を与えること
であり、ひとが期待する様に、そのことはこの人格にそれに応じた代償で報いることになるだろ
う。また、肉体的のみならず精神的態度もまさに重要だからこそ、探りを入れる可能性は厳しく
制限されており、実際に予想されうる様に、恋愛に関する事柄においてすらそうなのである。も
っとも、その結果「自然らしさ」を巡って大変な努力が生じるということと、
「本当らしさ」が
目の前に突きつけられなければならないということは、
〔見かけと実際の間に〕不一致が生じて
いるということを表している。 心理システムと人格を主体概念にひっくるめているので、両者
18
を区別しない倫理はその様な繊細さを、無視するか、倫理的には不誠実なこととして軽視しなけ
ればならない。このことについて知りたい者は、ゴフマンを読むべきだろう。
19
Ⅳ.
最後に心理システムに戻り、心理システムが人格という形式を受け入れなければならないなら
ば、そのことは心理システムにとって何を意味しているのかということを問おう。もちろんその
ことは、意識の心理的オートポイエーシスを何も変えない。そのことは次のことを何も変えな
い。すなわち、心理システムは二つの言及方向の間を振動したり、あるいはまた、しばらく自ら
を忘れて外界に留まったり、世界を忘れて自己自身に留まったりすることで、自己言及も他者言
及も自由に使用してこの区別の統一を盲目的に再生産するということである。また、心理システ
この事例は Friederike Hassauer, Extensionen der Schrift: Textualität, Ritual und Raumvollzug im Mittelalter: Das Paradigma
Santiago de Compostela: Fallstudie zu den Bedingungen der Möglichkeit medienhistorischer Rekonstruktion,
Habilitationsschrift Siegen, 1989 における。
18
これについては Dean MacCannell, Staged Authenticity: Arrangements of Social Space in Tourist Settings, American Journal
of Sociology 79 (1973), S. 589-603. 芸術においても、観察されることが描写において反省されることはないけれ
ども、本当らしくする様な製作過程において、自己自身を観察可能にする努力が見出される。Niklas Luhmann/
Frederick D. Bunsen/Dirk Baecker, Unbeobachtbare Welt, über Kunst und Architektur, Bielefeld, 1990, S. 46ff. における、
フレデリック・ブンゼンの写真を見よ。
19
特に、差し当たりは古典的な文献である、Erving Goffman, The Presentation of Self in Everyday Life, 2. Aufl., Garden
City, N.Y., 1959〔邦訳 E. ゴッフマン『行為と演技 : 日常生活における自己呈示』、石黒毅訳、誠信書房、1974 年〕
17
- 124 -
「人格」という形式
ムが自己自身を観察することができるようにするためには、人格性は必要ない。それには、自ら
の肉体を外から見ることと内から(例えば重さや痛みの形式で)感じることができる限り、自ら
の肉体の観察があれば、差し当たり自らにつきまとう代わりとして十分である。たとえ外界に留
まるとしても、意識は自らの肉体への構造的カップリング(訳注
から解放されることはできない。
15)
つまり、肉体が動くならば、意識も伴に動かなければならない。それ故、意識は初めから自らの
肉体と同一化しながら発展し、それ故にまた、ひとはあるひとが他の誰かではないということを
素早くまた不可避的に学ぶことになる。
差し当たり一種の中間考察として、人格と肉体の同一化は、肉体が形式としてのみしたがって
差異としてのみ与えられているという点において、最終的に失敗するということを確認しておこ
う。このことはもっと害のない仕方では、自らの肉体の可視的な外側の境界に当てはまり、この
境界の向こう側では無感覚だが運動の可能性も始まる。このことはまた、人格を肉体の方から規
定するために、特別な努力が企てられる場合にも当てはまる。有能なスポーツマンは勝利 / 敗北
のコードの下にあり 、自らの肉体によってこの差異の一方か他方の側のどちらかにもたらされ
20
ることを、喜びであれ狼狽であれ体験する。その際心理システムとしてこのスポーツマンは、こ
の差異の統一すなわちその形式を受け入れなければならない─さもなければ拒絶してこの領域を
去らなければならない。有徳な苦行者も全く同様な境遇にあったのであり、自らの肉体を苦しめ
ることは苦行者に予期しない快楽を与え、その結果このことを体験した者は功徳から罪への急変
をやむを得ず受け入れなければならなかった─さもなければ同様に領域を変え苦行をやめなけれ
ばならなかった。 自らの肉体に委ねられるそれ以外のそれほど重要でない形式も、この分析を
21
立証している 。すなわち、肉体が人格になるべき時はいつも、肉体は形式を示し、二つの側を
22
示し、ゴットハルト・ギュンターによる意味でコンテクスト領域として現れ、その際そのコンテ
クスト領域の側でより高次の論理的秩序による受容と拒否の決定の対象になる。 二つの側を経
23
験してきた後、心理システムは人格をより強く肉体から引き離すかもしれないし、そうせずに更
に耐えるかもしれない。しかし、なぜ人格であることを固定させる形式において、この様なこと
こ の 解 釈 は Uwe Schimank, Die Entwicklung des Sports zum gesellschaftlichen Teilsystem, in: Renate Mayntz et al.,
Differenzierung und Verselbständigung: Zur Entwicklung gesellschaftlicher Teilsysteme, Frankfurt am Main, 1988, S.
181-232 における。
21
これについては Alois Hahn, Religiöse Dimensionen der Leiblichkeit, in: Volker Kapp (Hg.), Die Sprache der Zeichen und
der Bilder: Rhetorik und nonverbale Kommunikation in der frühen Neuzeit, Marburg, 1990, S. 130-140 を参照せよ。
22
これについては Karl-Heinrich Bette, Körperspuren: Zur Semantik und Paradoxie moderner Körperlichkeit, Berlin, 1989 と、
次の重要なテーゼを見よ。すなわち、肉体の価値の上昇は、自らを肉体と同一化することをまさしく不可能にす
る。またこのことは、スポーツのボディビル、様々な形のダンディズム、下層階級のダンディズム(パンク)等
の様に、社会的に目立つニッチで生じる場合も同様である。
23
Gotthard Günther, Beiträge zur Grundlegung einer operationsfähigen Dialektik, 3 Bde., Hamburg, 1976-1980, 特に、現実
性と多コンテクスト領域性〔Polykontexturalität〕について第 2 巻でまとめられている諸研究を見よ。
20
「構造的カップリング〔strukturelle Kopplung〕」は、マトゥラーナからの概念である。マトゥラーナによれば、
「二つ以上の統一体の行為において、ある統一体の行為が他の統一体の行為の関数である様な領域がある場合、
統一体はその領域でカップリングしている」とされる。ルーマンはシステムと環境の関係を考える上で、「構
造的カップリング」を「作動上のカップリング」に対する概念として捉え、「システムが環境のもつ一定の特
質を継続的に前提し、それに構造的に依拠している」ことであるとする。ただし、システムは環境に対して
作動上閉鎖的であり、両者は作動の上でカップリングしているのではない。
(訳注 15)
- 125 -
「人格」という形式
が生じるのだろうか。
人格という形式は、社会システムの自己組織化を除くと、参加者の行動レパートリーを制限す
ることによって二重の偶発性の問題を解決することに役立つ。しかしそれは、人格という形式が
コミュニケーションにおける虚構としてのみ機能し、心理的には意義を持たないということで
はない。確かに心理システムと社会システムは別々に作動し、つねにそれだけで作動上閉じてい
る。それらの作動には交差はない(もちろん観察者は、意識の働きとコミュニケーションにおい
て生じることを関連づけて、統一的なできごととして同一化することはできるけれども)
。心理
システムと社会システムの〔オートポイエーシス的システムとしての〕異なる回帰〔Rekursionen〕
は両者の分離を強いる。 しかしそれは、〔心理システムと社会システムの間に〕実在的関連が
24
成立せず、因果的な相互作用が可能ではなく、共同して進化することができないということでは
、
、
、
、
、
、
、
、
、
ない。ここでの不可欠な関連は構造的カップリングによって媒介され、それは別々に作動してい
るシステムのオートポイエーシス的な自律性と全く両立する。
(訳注
構造的カップリングは相互浸透〔Interpenetrationen〕
25
(訳注
と興奮〔Irritationen〕
16)
を媒介する。
17)
構造的カップリングはその限りで両者の媒介を成し遂げるが、同時に相互浸透と興奮のそれ以外
の行路を排除する形式として役立つ。「相互浸透」とは、オートポイエーシス的システムが他の
システムのオートポイエーシスの複合的な働きを前提とし、自らのシステムの一部の様に扱うこ
とができることと理解されるべきである。したがって、あらゆるコミュニケーションは、
〔意識
システムに〕介入することはできないけれども、
〔コミュニケーションに〕参加している意識シ
ステムの注意と記憶の能力を当てにしている。「興奮」とは、オートポイエーシス的システムが
自らのスクリーン上で、撹乱、両義性、驚き、逸脱、不整合を、システムが働き続けることがで
きる様な形式において知覚することと理解されるべきである。
(ピアジェがこれらの代わりに同
化と調節について語ったのは有名である。)相互浸透の包括化(一般化)はシステムの興奮性に
よって補われ、さもなければ非常に速く増大する同調からの逸脱〔Aus-dem-Gleichschritt-Kommen〕
これについて更に詳細には Niklas Luhmann, Soziale Systeme, a.a.O., S. 354ff.〔邦訳ニクラス・ルーマン『社会シ
ステム理論(上)(下)』、佐藤勉監訳、恒星社厚生閣、(上)1993 年、(下)1995 年、492 頁以下〕; ders., Die
Autopoiesis des Bewußtseins, in: Alois Hahn/Volker Kapp (Hg.), Selbstthematisierung und Selbstzeugnis: Bekenntnis und
Geständnis, Frankfurt am Main, 1987, S. 25-94; ders., Wie ist das Bewußtsein an Kommunikation beteiligt?, in: Hans Ulrich
Gumbrecht/K. Ludwig Pfeiffer (Hg.), Materialität der Kommunikation, Frankfurt am Main, 1988, S. 884-905; 本書〔Niklas
Luhmann, Soziologische Aufklärung, Bd. 6: Die Soziologie und der Mensch, 2. Aufl., Wiesbaden, 2005〕の S. 55ff. もしく
は 38ff.
25
この点については Humberto R. Maturana, Erkennen: Die Organisation und Verkörperung von Wirklichkeit: Ausgewählte
Arbeiten zur biologischen Epistemologie, Braunschweig, 1982, 特に S. 150ff., S. 251ff.
24
「相互浸透」は、パーソンズによっても用いられていた概念であるが、ルーマンはそれを継承し、システムど
うしの特殊な関係として再解釈した。ルーマンによれば、相互浸透においては、一方のシステムの要素が他
方のシステムによって規定され構造化されるという関係が互いに生じている。意識システムと社会システム
の相互浸透においては、意識システムによる情報処理や行為が社会システムの要素であるコミュニケーショ
ンを構成するために使われるとともに、逆に社会システムにおけるコミュニケーションが心理システムの要
素である思想を構成するためにも使われる。ただし、両システムはそれぞれオートポイエーシス的システム
として作動上閉鎖的であり、一方のシステムの作動が他方のシステムの作動に介入するということではない。
(訳注 17)
ヘーゲルにおいては、感受性、再生産とならんで動物的有機体の概念を構成する三契機の一つとして、
Irritabilität が「興奮性」と訳されることから、
Irritation も「興奮」と訳しておくことにする。ルーマンによれば、
興奮はシステムの知覚形式であり、しかも、環境に相関物をもたない知覚形式である。システム自身は興奮を、
自らの構造のスクリーンの上にだけ記録するとされる。
(訳注 16)
- 126 -
「人格」という形式
から保護される。それ故、全体的効果の中でオートポイエーシス的システムは、つねにすでに環
境に適応して作動する。なぜなら、オートポイエーシス的システムは、相互浸透と興奮性による
この二重の装置を通して、実在的な諸可能性の区域の中で維持されるからである。またこのこと
は、たとえシステムの自己変動のオートポイエーシス的自律性と構造決定性が、相互浸透と興奮
性によって妨害されるということがなくても生じる。それは結局システム自らの作動に基づいて
生じるのである。
この様に回りくどい形でのみ獲得されることができる概念装置を必要とするのは、それで次の
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
様に言うことができるようにするためである。すなわち、人格は心理システムと社会システムの
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
構造的カップリングに役立つ、と。人格によって心理システムは、どの様な制限が社会的交流に
おいて当てにされているかを自らの自己において経験することが可能になる。 人格であるとい
26
う意識は心理システムに、正常な場合は社会的承認を与え、逸脱している場合はシステムにおい
て更に操作可能な興奮の形式を与える。意識が人格としての自己自身に困難を生じさせる場合、
意識はいわば注意を払い、それによって逃げ道を探す機会をもつ。
〔心理システムにおける〕自
己言及 / 他者言及の区別による自己概念は、人格であることによって制限され、
〔人格という〕
他の形式によって変形される。それは、〔変形して〕醜くなったり、
〔自己から〕疎外されたりす
るという意味ではなく、更なる区別が付け加えられたり、他の形式となったり、境界を横断して
反対に移行する─あるいはそうすることを避けるという他の可能性があったりする、という意味
なのである。
人格であることが、差し当たり自由でルソー的な自己を社会的な強制に服させると言うのなら
ば、それは上述の事態を端折り歪曲して描写することになる。たとえ、心理的機会と社会的機会
を取り換えることは、せいぜい有利なことがあるとしても、大抵は不利であるにせよである。こ
こで提案された形式概念はより複合的な洞察を可能にする。
「人格」という形式は更なる区別、
すなわち、制限された行動レパートリーとそれによって排除された行動レパートリーとの区別に
よって、心理システムを変形させる。ひとは〔心理システムとして〕心理的にはこの区別の両側
を見ることができ、人格に忠実に一方の側に留まることも境界を横断することも楽しむことがで
きる。意識が自分からそうできない場合は、他方の側に至るためにドラッグを摂ることもできる。
また、自分以外の人物の振りをしたり、休暇を取ったり、お忍びで旅をしたり、バーで誰も確か
められない様な話をしたりする誘惑を感じることもできるし、 あるいはぞっとしてその様な自
27
己逃避から後ずさりすることもできる。人格であることはその両方を可能にする。なぜなら、人
格であることは形式だからである。
ここで我々は、社会的強制の内面化についてのイメージ等で、良心の理論の隣接分野でとうに開拓されている領
域に、再び辿り着いた。システム理論の複合的で理論的な働きが持ち込まれて変わるのは、とうに知られている
ことを繋ぐことが可能な際のその文脈化と範囲だけである。
27
特に、この可能性については Sherri Cavan, Liquor License: An Ethnography of Bar Behaviour, Chicago, 1966.
26
- 127 -
「人格」という形式
付記
こ こ に 訳 出 し た の は、Niklas Luhmann, Die Form „Person“, in: Niklas Luhmann, Soziologische
Aufklärung, Bd. 6: Die Soziologie und der Mensch, 2. Aufl., Wiesbaden, 2005 という論文である。
初出は、
雑誌 Soziale Welt 42, 1991, S. 166-175 である。
当論文が収められた上記のニクラス・ルーマンの論文集は主として、原著者の専門研究対象で
ある社会システムと、意識ないしは心理システムとの関係を主題的に探求した論文を集めたもの
である。当論文では、特に「人格」という形式に焦点が当てられ、システム理論に基づいた考察
が行われている。
近年、「主体」の問題は何かと話題にされるところである。当論文は短いながらも、この問題
に関わる社会システムと心理システムの関係について、ルーマンの基本的な立場を把握するこ
とができるものになっている。全体を概観するならば、まず第一節ではスペンサー=ブラウンの
「形式」概念が紹介される。次に第二節では心理システムにおける形式が、第三節では人格にお
ける形式がそれぞれ考察され、両形式は異なり、人格はシステムではないとされる。そして最後
の第四節では、心理システムと人格の関係が説明されている。
また、システム理論における多くの主要概念もコンパクトにまとめられ、システム理論の基本
的な考え方も理解することができるものとなっている。ただし、それらの主要概念の理解が前提
とされているために、議論の抽象度がやや高くなっている感がある。そこで訳文に関しては、原
文に忠実な訳を心掛けたものの、文意を明らかにするためにかなりの補足を加えたり、意訳を施
したりした箇所がある。
1. 脚注において、1、2 …は原注を、(訳注 1)(訳注 2)…は訳注を表す。
2.( )は、原文中に見出されるものである。
3.〔 〕は、訳文に添えた原文の語、あるいは、訳者が加えた補足である。
(まえだひであき 哲学哲学史・博士後期課程)
Title: Die Form „Person“, in: Niklas Luhmann, Soziologische Aufklärung, Bd. 6: Die Soziologie und der
Mensch, 2. Aufl., Wiesbaden, 2005
Author: Niklas Luhmann
©2005 VS Verlag für Sozialwissenschaften/GWV Fachverlage GmbH
- 128 -
【彙報】
○ 哲学哲学史・現代思想文化学
現在、学部の哲学・思想文化学専修には、2 年生 8 名、3 年生 7 名、4 年生 9 名が、大学院の
哲学哲学史専門分野には、博士前期課程学生 5 名、後期課程学生 6 名が、大学院の現代思想文化
学専門分野には、博士前期課程学生 5 名、後期課程学生 7 名、研究生 1 名が在籍しています。各
教員は、臨床哲学所属の教員と連携しつつ、教育・研究指導に当たっています。
本年度の講義・演習は、「17 世紀近世哲学における様相の問題 III, IV」
「スピノザ『エチカ』を
読む II」「ベルクソンを読む」「フランス近・現代哲学史概説」
(上野教授)
、
「実践的知識・共有知・
相互知識」
「ドイツ観念論における自己意識論と自由論の展開」
「問答論理学研究 1, 2」
(入江教授)
、
「J・ハーバーマスの思想 I」「カントの平和論をめぐる諸問題」
「カント『純粋理性批判』を読む
V, VI」
「ドイツ哲学基本文献講読」
(舟場助教授)
「現代哲学史概説」
、
「英米哲学基本文献読解」
「家
族関係から見るショーペンハウアー哲学 (4)(5)」
「ニーチェ『道徳の系譜学』研究 (1)(2)」
(須
藤教授)、「教育の現代思想史」「フランス哲学基本文献読解」
(望月教授)という題目で行なわれ
ています。また、その他に、修士論文・博士論文の作成演習が定期的に行なわれ、活発な研究・
討論が行なわれています。
また、非常勤講師としては、加藤雅人先生(関西大学)に「アクィナスにおける存在論と意味
論」、永井均先生(千葉大学)に「私・今・クオリア」という題目で講義をお願いしています。
哲学を音声で伝える試みとして、ウェブ・ラジオ局:ラジオ・メタフュシカを開局していま
す。聴取は http://radio.metaphusika.net/ からです。また、海外に研究果を発表するために、欧文雑
誌 “Philosophia OSAKA” を発行しています。これは、本誌『メタフュシカ』とあわせて、研究室
の HP(http://www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/)の「出版物」の頁から閲覧することができます。
哲学哲学史・現代思想文化学の研究会として、handai metaphysica を開催しています。2006 年
3 月 18 日には、須藤教授・中橋助手・百崎院生の各論文の合評会が行なわれました。同年 8 月 9
日の研究例会では永井均教授(千葉大学)に「意識の神秘は存在するか」という題目で発表をし
ていただきました。特別講演会としては、同年 3 月 25 日に M・クヴァンテ教授(ドイツ・ケル
ン大学)に「ヘーゲルの承認概念の体系的意味」という題目で、同年 11 月 21 日に G・シェーン
リッヒ教授(ドイツ・ドレスデン工科大学)に「規則遵守の制度化?──モデルとしてのカント
の法状態」という題目で講演していただきました。いずれにおいても、活発な質疑応答がなされ
ました。
日独哲学シンポジウム大阪プログラム(2006 年 3 月 28 - 29 日)において入谷秀一修了生が
「非同一的なものの承認──アドルノからホネットへ」という題目で提題者として発表しました。
本シンポジウムには、他に、入江教授、須藤教授がコメンテイターとして、舟場助教授が司会と
して参加しました。
日本哲学会第 65 回大会(2006 年 5 月 20 - 21 日)の共同討議「哲学史を読み直す──スピノザ」
- 129 -
において上野教授が提題者として発表しました。同大会においては、平光哲朗院生が「創造の持
続──ベルクソンの創造論について」という題目で、津崎良典院生が「デカルト『方法序説』第
二部における方法と徳の問題」という題目で研究発表を行ないました。
国 際 フ ィ ヒ テ 協 会 大 会(2006 年 10 月 3 日 - 7 日、Frankesche Stiftung(Halle)
) に お い て、
入 江 教 授 が „Eine Aporie der Fichteschen Wissenschaftslehre ─ Unbegreifbarkeit der intellektuellen
Anschauung ─ “ という題目で研究発表を行ないました。なお、入江教授は、日本フィヒテ協会
の会長選挙(同年 12 月)で再任されました。任期は、2007 年 4 月から 2010 年 3 月までとなります。
関西倫理学会第 59 回大会(2006 年 11 月 4 - 5 日)のシンポジウム「サンクションの可能性
と限界」において舟場助教授が提題者として発表しました。同大会においては、西田充穂院生が
「レヴィナスにおける受動性──『存在の彼方へ』における三つの文脈から──」という題目で、
前田直哉修了生が「超越論的現象学における『世代性』概念の再検討」という題目で研究発表を
行ないました。また、同会の第 1 回優秀論文賞を入谷秀一修了生が受賞しました。
平成 17 年度名古屋大学総長裁量経費プロジェクト・文学研究科プロジェクト「言語表象と脳
機能に基づく環境哲学の拠点形成」のシンポジウム「
『生きられる空間』の生成と変容──シス
テムとその外部──」
(2006 年 2 月 17 日)において中橋助手が「環境と倫理──世界内存在」と
いう題目で発表しました。
2005 年 3 月以来、ドイツ・パッサウ大学、アメリカ・ピッツバーグ大学で在外研究を行なっ
ていた入江教授が同年 12 月に帰国しました。また、昨年に引き続き、冨岡基子院生がフランス・
社会高等研究院(EHESS)に、津崎良典院生がフランス・パリ第一大学に留学しています。他に、
梶岡裕加学部生が 2006 年 4 月からドイツ・ミュンヘン大学に、大場一雅院生が同年 9 月からフ
ランス・パリ第一大学に、和泉悠卒業生が同年 8 月からアメリカ・メリーランド大学に留学して
います。中村修一院生が留学先のドイツ・ミュンヘン大学から帰国しました。
昨年の『スピノザの世界──神あるいは自然』
(講談社現代新書)に引き続き、
『スピノザ──
「無神論者」は宗教を肯定できるか』(NHK 出版)を上野教授が刊行しました。
『ドイツ観念論を
学ぶ人のために』(世界思想社)を入江教授が刊行しました(共著)
。
舟場助教授が、平成 17 年度前期大阪大学共通教育賞を受賞しました。
大石敏広修了生が 2006 年 4 月 1 日から沖縄工業高等専門学校に勤務しています。
長年にわたり、研究室のみならず学会においても指導的な役割を果たされた溝口宏平教授が
2006 年 6 月 22 日に膵臓癌のため他界されました。また、西松豊起修了生が同年 9 月 23 日に病
気のため、博士前期課程の大谷大輔院生が同年 11 月 22 日に事故のため他界されました。謹んで
哀悼の意を表します。
(中橋)
○ 臨床哲学
学部(倫理学)には 2 年生 10 名、3 年生 6 名、4 年生 10 名が在籍している。大学院(臨床哲学)
には前期課程 6 名、後期課程 3 名が在籍している。
- 130 -
非常勤講師として小林傳司(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)
、霜田求(大
阪大学医学系研究科)、寺田俊郎(明治学院大学)
、稲葉一人(科学技術文明研究所)の各先生方
にご講義頂いた。
本年度の講義・演習は、「臨床哲学ネットワーキング (3)(4)」
「臨床哲学研究 (5)(6)」
「臨床哲
学概論」「倫理学概説」(中岡,本間、紀平)、
「哲学のフィールドワーク (1)(2) ─イメージを読む」
「倫理学文献読解演習 (1)」「社会の中の人文学*」
(鷲田)
、
「ひとは何を欲求するか V(生命の臨
床)」
(中岡)、
「哲学的コミュニケーションの探求と実践」
「性・身体・社会(身体の臨床)
」
(本間)
「環
、
境倫理の諸思想(環境の臨床)」、持続可能な開発の倫理 (2)(環境の臨床)
」
「現象学と他者の問
題─フッサール『デカルト的省察』を読む 1、2」
(紀平)
、
「遺伝カウンセリングの倫理問題(生
命の臨床)」(霜田)、
「社会の中の科学技術」(小林)
、
「英語による新しい三基本学芸─対話・弁論・
作文」(寺田)、「科学技術と倫理 III、IV *」(稲葉他)
。
(*は 21 世紀 COE 科目)
機関誌『臨床哲学』の第 6 号を刊行(予定)。
以下の各氏が博士号を取得した。
◦Lyudmila Slavianska "The Impossibility of Reaching a Social and Moral Consensus on Euthanasia
and Physician-Assisted Suicide and the Search for Alternatives"
◦高橋綾「こども学から<こどもの哲学>へ メルロ=ポンティ、デューイとともに」
◦玉地雅浩「転調する身体─中枢神経系の生涯を持った人に対する理学療法を考え直す」
◦森芳周「カント批判哲学におけるカテゴリー論の研究」
◦渡辺美千代「身体とケアの看護現象─ケアの<あいだ>に見えること・見えないこと」
七月に電子情報通信学会コミュニケーション基礎研究会にて本間助教授と高橋綾(OD)が哲
学カフェについて発表。
十一月に対話シンポジウムにて本間、高橋、松川絵里(院生)
、樫本直樹(院生)が共同発表。
十一月に関西倫理学会にて、岸田智(OD)と紀平講師が口頭発表を行った。
出版活動
鷲田清一教授
◦『「待つ」ということ』(角川学芸出版、二〇〇六年九月)
◦『感覚の幽い風景』(紀伊國屋書店、二〇〇六年六月)
◦『てつがくを着て、まちを歩こう─ファッション考現学(文庫)
』
(筑摩書房、
二〇〇六年六月)
紀平知樹講師
◦『西洋哲学入門─ 6 つの主題』(梓出版、二〇〇六年五月)
◦『ポストモダン時代の倫理』(ナカニシヤ出版、二〇〇七年一月)
(紀平)
- 131 -
【編集後記】
『メタフュシカ』第 37 号(通算)をお届けいたします。日本の大学制度というマクロな次元
で考えても、大阪大学文学部の哲学講座という身近な場として見ても、さまざまな変化が感じら
れるようになりました。哲学を大学の中で教育研究するとは、どのようなことなのか。思索を鍛
錬し、表現を彫琢する努力は今まで以上に欠かせないとして、論文を書き、それを発表すること
の意味合いは、しっかり見定めていく必要があると思います。本誌がどのようなメディアとして
存在し、発展すべきなのか、読者の皆さまのご意見をお寄せいただければ幸いです。
(中岡成文)
【編集委員会】
『メタフュシカ』第 37 号編集委員
委員長 中岡成文(臨床哲学・教授)
須藤訓任(現代思想文化学・教授)
舟場保之(哲学哲学史・助教授)
メタフュシカ 第 37 号
2006 年 12 月 20 日 印刷
2006 年 12 月 25 日 発行
編集兼発行者
大阪大学大学院文学研究科哲学講座
〒 560-8532 豊中市待兼山町1-5
印刷所
株式会社 ケーエスアイ
〒 557-0063 大阪市西成区南津守7-15-16
- 132 -