ネット de ひでさん塾09年6月発行⑤ - 静内病院

ネット de ひでさん塾
<第 5 回:2009 年 6 月 24 日発行>
平成21年6月19日から21日まで東京で開催された第60回日本東洋医学会学術総会に出席し
てきました。今回は全般的に妙に教育的セッションが多かったのと、この4年間における学
会の各委員会の総括を行うセッションが多数設けられていたのが特徴で、学会というよりは
セミナーあるいは報告会ばかりで、学問的には余り盛り上がらない結果になりました。私は
EBM特別委員会に所属していたこともあり、国際シンポジウム「東アジア伝統医学のエビデ
ンス」、教育講演「学術教育委員会の取り組み、漢方卒後教育の現状と展望」を聴講し、フ
ォーラム「漢方のエビデンスを『伝える』」では、ベストケースタスクフォースの一員とし
て最後に発表させていただきました。
学会活動の今後を考える意味で重要な示唆のひとつを平井愛山先生(千葉県立東金病院院
長)が述べられていました。『今後は、漢方専門医としての「東洋医学会専門医」と、漢方
を日常診療に活用する事ができる「漢方非専門医」を育成し、機能分担と連携を図る必要が
ある。(中略)その第一歩として、全人的医療の視点で東洋医学と共通点の多い総合医・家
庭医を目指す若手医師へ漢方医療の技術移転を図ることが現実的な取り組みとして考えら
れる。』学会活動の目的のひとつとして漢方診療のすそ野を広げて漢方を今の何倍にも普及
させることが挙げられると思いますが、その結果として必然的に圧倒的多数の「漢方非専門
医」が生まれてきます。これらの「漢方非専門医」に対する教育は、当然「漢方専門医」養
成のための教育とは根本的に違って当然だと思いますが、どうもそうではないようです。医
学生に対する教育も「漢方非専門医」に対する教育も、基本的には「漢方専門医」受験のた
めの研修プログラムを踏襲したものになっています。ここに決定的な間違いがあります。
「漢
方専門医」を目指している医師は当然のことながら漢方を自らの専門領域とすることが目的
ですから、現在のような教育カリキュラムは必要でしょう。しかし、多数の医学生や多数の
「漢方非専門医」は、漢方を専門とするつもりはさらさらないのですから、それまで培った
西洋医学の知識のみで、医学生ならどのように漢方を理解できるのか、
「漢方非専門医」な
らどのように漢方を日常診療で活用できるのかが目的となるのではないでしょうか。そうで
あるとすれば、必然的に教育方法は違ってしかるべきでしょう。私が現在講演会やセミナー
で行っているように、東洋医学独特の術語は極力使わないようにして、東洋医学思想を教え
るのではなく、漢方医学は西洋医学とどのようにリンクしているのか、科学的視点で漢方医
学や漢方薬をみたらどのような世界がみえてくるのか、西洋医学の知識のみで漢方を活用す
るにはどのような方法をとったらいいのか、などの点を教育の主眼にするべきです。東洋医
学は西洋医学とは考え方が違うのだから、まず東洋医学的思考法を理解しなければ漢方診療
はできません、などと教育することにより漢方が普及するのだと本気で考えている人がいる
としたら、そしてこのような考え方が学会中枢部のコンセンサスであるとしたら、ここ数年
で漢方医学は衰退への道を転げ落ちることになるでしょう。われわれEBM特別委員会ベス
トケースタスクフォースは、葛根湯プロジェクトを立ち上げる過程で、漢方を科学的に臨床
疫学的にレベルの高いものにするには何が必要なのかを訴えてきましたが、一般会員には
EBMの概念を始めとしてやや難解であったかもしれません。しかし、確率論的な意思決定
プロセスであるEBMを漢方医学に導入することは、決定論的な意思決定が当たり前だと思
っていた漢方医学に全く新しい切り口を示すことになりました。
もう一度教育に戻りますと、医学生には陰陽虚実などの東洋医学的思想は教えてはいけな
いと思います。あくまでも西洋医学の言葉だけで東洋医学を説明しなければ医学生に興味を
持たせることはできないでしょう。
「漢方非専門医」の中でも総合医・家庭医は漢方という
ツールなくしては全人的医療を貫徹するのは不可能です。でも例えば「北海道プライマリケ
アネットワーク」は、ほとんど漢方に興味がなく、研修医のプログラムや指導医の研修に漢
方は入っていません。しかし、手持ちの処方に漢方薬がなくて、どうやって総合的に診療で
きるというのでしょうか。色々な診療科を渡り歩いて「異常ないですよ」と言われ続けたあ
げくに総合診療科の門を叩いた患者さんには漢方医学的なアプローチでしか対処できない
と思うのですが。
ひでさんの診察室
第3回で最後に『では、次回はあの六味丸のおばあさんが主役です。あのふらつきは1ヶ
月くらいで治るのでしょうか。おばあさんの運命やいに!!!』と書かれていたCさんの
その後です。
ひでさん「Cさん(68歳、女性)5番からお入り下さい。その後めまいとふらつきはどう
なりましたか。鍼にも通っているのですよね。」
患 者C「先生、それが2週間くらいで全くめまいもふらつきもなくなって、最近では毎日
のようにパークゴルフに通っています。今までの病院通いはいったい何だったのでしょう
か。鍼治療も週に2回続けていますが、効いていると思います。」
ひでさん「それはよかったですね。どうもCさんの症状は脳外科や耳鼻科からきているの
ではなく、単に足腰の力が衰えたことが原因だったと思いますよ。今飲んでもらっている
漢方薬は歳をとって弱ってきた下半身を丈夫にする効果がありますので、若返りの薬だと
思って下さい。」
患 者C「あんら、こんなお婆さんが若返ったら気持ち悪いんでないかい。へへへへへ。」
処方
ツムラ六味丸 7.5g
毎食後
28日分
解説
漢方独特の言葉のひとつに「腎」という概念があります。西洋医学の腎臓の機能も含ま
れてはいますが、基本的には人間が生まれながらに持っている生命力の総称ともいうべき
概念です。大雑把に言いますと40歳を過ぎたころからこの生命力は下降線をたどりますの
で、「腎」が衰えてくる病態を「腎虚」と表現します。この生命力の衰えを補う方剤を「補
腎剤」といいます。代表的な補腎剤が八味地黄丸と六味丸です。このふたつの方剤を使い
分けるにあたって、腎虚を腎陽虚と腎陰虚に分けて考えます。腎陽虚は主に「気」と「血」
が衰える病態で冷えを伴うのを特徴としますが、腎陰虚は「水」の不足が特徴です。前者
の治療には八味地黄丸を使いますが、後者は六味丸で治療します。従って六味丸が適用さ
れる病態では、口渇や皮膚の乾燥という水分不足の症候があり、これに加えて手足のほて
りもみられますが、冷えは基本的にはありません。Cさんの症状は六味丸症候にぴったり
でしたので劇的に効果があったと考えられます。八味地黄丸と六味丸の使い分けにはやや
曖昧なところがあるようで、八味地黄丸が六味丸の適応の人に使われていることがあり、
その結果八味地黄丸は余り効かないとの印象を与えているように思えます。六味丸症候の
階層構造を示しますが、この方剤は附子を含まないので虚弱児を丈夫にするのにも使えま
す。小児には副作用の関係で附子を含む方剤が使えませんので。八味地黄丸も六味丸も地
黄を含みますので、余り胃腸が丈夫でない人に投与すると胃腸症状の出ることがあります。
ひでさん「Dさん(79歳、男性)5番からお入り下さい。奥様もご一緒にどうぞ。」
Dさんの妻「先生、去年の夏頃から夫の物忘れがひどくなって、最近では少し前のことす
らすっかり忘れるようになって困っています。去年の12月頃からは胸の苦しさもしきりに
訴えるようになりましたので、循環器にかかったのですが何ともないといわれました。あ
んまり強く言うと怒鳴り返して来て手がつけられなくなることもあります。」
ひでさん「どうも物事を覚え込む力=記銘力といいますが、これがかなり落ちているよう
ですね。アルツハイマー型認知症の疑いがありますので、まず簡単なテストをしてみまし
ょう。長谷川式簡易知能評価スケールといいます。看護師さん、言語療法士にテストをお
願いして下さい。(結果が出ました)なるほど9点ですか。かなり知能が落ちていますね。
この結果を踏まえて町内の精神科の病院に紹介状を書きます。」
Dさんの妻「分かりました。でも診断が認知症でもこちらの病院で診て頂きたいのですが。」
ひでさん「診断をきちんとつけることが大事ですので精神科に受診はしておきますが、ご家
族のご意向として治療は当院で行うと書いておきますね。それと、やや精神的に落ち着かな
いようですし、胸が苦しいという訴え(ある意味で心身症的症状かも)もしばしばあるよう
ですので、抑肝散という漢方薬を先行して処方しましょう。」
Dさんの妻「宜しくお願い致します。」
処方
ツムラ抑肝散 7.5g
ヒステリー
痛み
毎食後
夜泣き
疳の虫
姿勢筋の
酸素不足
28日分
認知症の
問題行動
不眠症
神経症
姿勢筋の血行障害 抑圧された怒り
89
精神科での診断の結果、抑肝散の効果とその後の経過については次号で報告します。
最後に恒例の当院での漢方研修体験記を紹介します(原文のまま)。今回は、整形外科医
の佐藤和彦先生です。佐藤先生が陪席されていた期間は整形外科的疾患の診断について多く
の貴重な助言を頂きました。
このたび、週に2日
4日という変則的な形となりましたが、5月12日から6月12
日まで5週間にわたり漢方の研修をさせていただきました。
その中心は、総合診療科の外来ですが、西洋医学の知識で、漢方薬を使用するという、
井齋先生独特の手法を拝見いたしました。もちろん全てが漢方薬による治療ではなく、西
洋薬で治るものには、無理に漢方を処方することはありません。漢方治療というと、脈診、
腹診と難しい診断が必要なものと思っていましたが、井齋先生はほとんど、そのような漢
方的診察はせず、問診と西洋医学的な診察のみで、方剤を選択するという方法でしたので、
漢方初心者の私には、理解しやすいものでした。慣れてくると横で一緒に患者さんの話を
聞いているだけで、よく使われる薬は予想できるようになりました。ただ方剤の数は多く、
同一の方剤でもまったく別の症状に対して使う例があることなど奥が深く、いくら時間が
あっても足りません。
また漢方薬は、長期に内服して徐々に効果の出てくる類の薬が多いものかと思っていま
したが、即効性のある薬が多々あるということも、今回学びました。風邪の治療では、病
期にあわせて、次々と方剤を変える必要があること。ウイルス感染では、NSAIDは治癒を
遅らせるので同時には使用しないほうが良いこと。多彩な症状のある症例の漢方薬の選択
には色々な切り口があり、どの症状に注目するかによって、同じ患者でも違う方向から攻
めることもできること。器質的な問題の無い、いわゆる心身症的な症状は漢方薬が得意と
していること。など、書くときりのない程たくさんの事を教えていただきました。
総合診療科ですから、内科はもちろん、皮膚科、整形外科、精神科に近い症例、外傷と、
実に色々な患者さんが訪れいつも新鮮でした。次々訪れる患者さんを、いとも簡単に対処
されていく姿には、感動いたしました。先生が患者さんを迎えるときはそのつど、自ら診
察室の戸を開け、足の不自由な患者さんには椅子を支えて介助されます。メンタルな症状
で訴えの多い患者さんのときは、どんなに時間をかけても、じっくり話を聞き、患者さん
を納得させます。外傷の治療では、消毒薬は一切使用せず、洗浄と、閉鎖療法で見事に治
されます。認知症の患者さんの場合には、本人にはもちろん、付き添いのご家族の方に、
必ず「大変ですね。」とねぎらいの言葉をかけておられました。(現在の日本の医療福祉
制度では、介護の方の苦労は、まったく評価されておりません)漢方治療の勉強に来たつ
もりが、患者さんに対する接し方の基本的な事を、いまさらながら教えていただいた気が
致します。
そんな中、もっとも印象に残った患者さんは、ネットdeひでさん塾に登場していたAさ
んに、対面できたことです。関節リュウマチで抑肝散の処方を受けている方ですが、「関
節痛はまだあるが、辛くは無い。」とにこやかに話されていました。
木曜日の午後は障害者病棟と療養病棟の総回診ですが、ここでも、各種漢方薬の効果を
確認できましたし、また急な発熱が、漢方薬によって、見事に解熱しているのも温度板に
記録されています。(“発熱時カロナールの指示は不要である”と)
また午後の空いた時間には、工藤鍼灸師の元で、鍼治療も勉強させていただきました。
脈診の仕方、それによって鍼をする腧を選ぶというまさに東洋医学そのものですが、短時
間ではなかなか体得できるものではありません。それでも、鍼が注射針に比べかなり細く、
組織障害性が少ないことや、ツボとトリガーポイントが近似していることなど、色々教え
ていただきました。私の以前からあった坐骨神経痛にも鍼治療をしていただき、かなり症
状が楽になり、感謝しています。マイナスイオンとお灸の香りの充満する治療室にいるだ
けでも、癒されました。
こうして静内での研修は進みましたが、なにぶん井齋先生について歩くだけという、お
客さん状態でしたので、外来、病棟のスタッフの方々には、随分ご迷惑をお掛けしたこと
と思います。それでも、このように、井齋先生の診療を、直に学べるチャンスはまたと無
いと思い、少々図々しく、振舞ってしまったかも知れません。以前の研修体験記にもあり
ましたが、井齋先生は本当に歩くのが速く、階段などは、駆け足でないと置いていかれま
す。速く動くと、脳も活性化して良いということなので、見習いたいと思いました。
さらに驚いたことは、井齋先生の疲れを知らないような、エネルギッシュさです。
朝は6時40分または7時10分からの病棟回診、その後の会議、医局会と続き、9時か
らは、午前診。終わるのが遅いと、昼食も無しに、午後の回診、または訪問診療。さらに
夜診。さらには時に飲み会。そんな毎日の後に週末はほぼ毎週金曜の午後から全国各地へ
講演会に出かけられます。まさにスーパーマンのようでした。好きなことをしているから、
なんともないと話されていましたが、付いて勉強しているだけで、疲れている自分に比べ、
羨ましい限りでした。
短期間の研修でしたが、ほぼ毎週井齋先生や医局の先生、研修に来られている先生との
飲み会もあり、そのつど静内の美味しい海の幸山の幸を味わえましたし、色々な先生と知
り合うことができ、とても有意義なものとなりました。
今回の研修は、井齋先生のセミナーに、一度参加しただけの縁でしたが、メールで問い
合わせてみると、快く受け入れて下さり、実現しました。以前勤務していた病院を4月末
で退職し次の勤務までの期間を利用してのものでしたが、井齋先生の都合と合致し幸運で
した。すばらしい経験ができたと感謝しております。
研修までの準備で色々教えてくださった山内事務長をはじめ、研修中には医局の各先生、
外来、病棟、薬局、事務等の各職員の方々にも本当にお世話になりました。この場をお借
りして、厚くお礼申し上げます。このご恩は、漢方薬のすばらしさを一人でも多くの患者
さんに知ってもらうことでお返ししたいと思っております。ありがとうございました。
札幌市 佐藤 和彦