奈良教育大学附属農場・演習林 月 次 - 奈良教育大学学術リポジトリ

あ鑑と放電
創刊号(第1号)平成元年12月
奈良教育大学附属農場・演習林
次
後藤 桐:自然と教育
1 2 5 9 1 2 3 4 6 6
澤田 勇:七ツ穴のコウモリ
加藤禎孝:地球教育ワークショップに参加して
北川尚史:タコ
豊田好美・北川尚史:サネカズラ
1 1 1 1 1 1
田中様r−・:シコクビ工の
附属農場だより
奈良教育大学附属演習林案内
入学の自然・雑記
創刊号の編集を終えて
自 然 と 教 育
後 藤 靭
奈良教育大学長に就任して未だ1ケ月も経っ
義。あるがままの姿。その2は本性、本質、
ていないが、それでも既に私の好きなもの、
天性。その3は道である。ここに書いた自然
嬉しいことが本学に沢山あることを知った。
という語の3ツの意味を凝っと見詰めている
その1ツが、吉野大塔村にある附属演習林で
と、これすなわち教育ではないか、という気
ある。170万平方メートルを越える自然林と
がしてくる。大のもっ資質、天性というもの
清酒な大塔寮は、是非泊りがけで訪ねようと
を、そのあるがままの姿を壊すことなく、豊
思っている。
かに発展させる道が教育というものではない
さて、この度発刊の運びとなった自然と教
育創刊号に、、自然と教育′′ という題指定で寄
か。人それぞれがもっている素質が素直に伸
びる手助けをするのが教育であろう。
稿依頼があった。一見素朴、素直な題である
ここで、自然に相対する概念、すなわち文
が、考えれば考えるほど容易ならぬテーマで
化・文明あるいは人t・技術というものが問
もある。
題になる。技術というものは、人間の手を自
まず、、、自然′′ という語がもっている意味
然に加えることによって、自然の活力を増や
を調べよう。中国、日本共に古くからいろん
すもとであって欲しいが、世の現実は御承知
な意味で用いられているが、それを次の3ツ
の通りである。ルソーが声を大きくして、、自
に絞ってみた。その1は、人為の加わらない
然に帰れ〟 といってからもう200年になるが、
平成元年12月
第1号
自 然 と 教 育
この間、われわれは一途に自然を壊してきた
何万トンという専用船で数千人単位の学童を
のである。
次々屋久島に連れて行って、ここで半年間ぐ
しかし、人が自然と己との関わりについて、
らい思いきり遊ばしてやるのである。屋久島
現在ほど真剣に考え、世界的規模で問題にし
は九州で一番高い山々から成っている。二千
はじめたことは史上かつてあるまい。遅きに
メートル近いその頂は亜寒帯、麓は亜熱帯の
過ぎた感もあるが、兎に角慶ばしいことであ
自然に恵まれ、四方八方に流れ落ちる渓の水
る。この運動と研究と対策について世界が歩
はkのように清らかである。
みを1ツにすることに成功したら、人間は愚
最後に、自然との触れ合いが極端に少い現
かではないということを初めて証明できたと
在の都会児童は、どのような性格、人格の人
いえよう。
に育ってゆくのであろうか、ということをも
奈良教育大学が素晴らしい演習林をもって
う一度問いたい。彼らの将来を考えると、私
いることを私は誇りに思う。この演習林を学
は何かそら恐ろしい気すら覚えるのである。
生、教職員共に活用して、ここで自然と人間、
やがて彼らの教育を担うことになる学生諸君
自然と文化・文明という問題を考えて欲しい。
にとって、これは非常に大切で重要なテーマ
特に学生諸君は、自然に恵まれない都会に育
だと患う。諸君と一緒にわが演習林を口が傾
つ幼少年児童の性格や人格や人間形成を問題
むくまでさまよい、それから大塔寮で一杯や
にして欲しい。
りながらこのテーマを中心に議論したいと思っ
若い時私は、もし私に大きい政治力か財力
ている。
平成元年十月二十二日
があったら、屋久島を小学校児童の教育の場
(学長)
にしたい、という夢を画いたことがあった。
七ツ 穴の コ ウ モリ
澤 田 勇
1976年(昭和51年)当時、午前7時から30
ウモリについて知っている方は何でもよいか
分間朝日放送ラジオで、、おはようノヾ−ソナリ
ら朝日放送へ連絡してほしい旨述べて終了し
ティー中村鋭一です〟 という番組があった。
た。
前々から私はこの放送に関心があったので、
放送終了後、何日かたったある日、朝日放
時間のゆるす限り聞いていたが、1976年10月
送からコウモリについての情報を書いた手紙
下旬、突然朝日放送から電話があり、11月5
やら葉書が多数送られてきた。こうした情報
日の放送に電話で出演してはしいとのこと。
はその後約1カ月以上に及んだ。そして中に
その内容はコウモリについてのわかり易い話
は詳細な地図までそえられ、案内人の名前並
が望ましいとの注文がつけられた。それにし
びに電話番号まで記入されたものまであり、
ても私がコウモリを研究していることをどこ
マスコミによる反響の大きいのに驚くと同時
で知ったのかいささか驚いた。当日の午前7
に感謝した。しかし、中にはクイズもどきの
時10分から電話対談が始まり、かれこれ10分
いたずらもあった。その1つに、西の営市の
が経過し、放送終了に近づいたところで、コ
中央通りにある日石のガソリンスタンドに行
ー 2
第1号
平成元年12月
自 然 と 教 育
けばいっでもコウモリがみられるといったも
opterus schreibersll fuliginosus で5月上
の。よく考えてみると口石のマークはコウモ
旬何処からともなく集まり始め、6月中旬か
リである。
ら分娩を開始し、子育ての終る8月上旬から
かかる多数のリスナーによる情報の中で、
少しずっ何処かの洞窟へ移動が始まり、8月
現在も引き続き私の研究の場となっているも
下旬には全く姿がみえなくなってしまう。7
のに島根県八束郡島根町沖泊海岸の七ツ穴
月上旬から中旬にかけての最盛期には親子あ
(図1)と奈良県吉野郡ド北山村の赤倉銅山
わせて3万∼4万頭にふくれあがり、天井、
側壁まで立錐の余地のない程多数のコウモリ
かびっしりとよりそっている様はなんとも壮
/
観そのものである。ライトをあてると光に刺
激されたコウモリが一勢に飛ひたち、狭い洞
窟内は押しよせるコウモリで身動きが出来な
くなり、顔をあげて天井をみようとすると落
卜するコウモリの糞がひっきりなしに顔面を
図1 島根、闘ご誹l泊海汀のLツぺ
おそう。さらにこのような多数のコウモリが
廃坑がある。当時、私の研究の主体が南西諸
永年にわたって仕みついた洞窟であるから、
島と台湾であったため、七ツ穴を訪ねる機会
なんともいえない異様な嗅いがただよう。こ
がなかった。七ツ穴を初めて訪ねたのはこの
れがコウモリ穴である。
放送があってから7年後の1983年7月27円で
コウモリ穴は奥かつまり、風が通らないの
あった。現地について明らかになったことは、
で渦塩が高く、天井・側壁からは絶えず地卜
七ツ穴というのは1つの海蝕渦の呼び名では
水か浸みでてくるので湿度100%で、ユビナ
なく、沖泊海岸に点在する7箇所の海蝕洞の
ガコウモリの分娩桐としては最適の洞窟であ
総称名で、その中の1つ、コウモリ穴という
る。子育てが終了するとこれだけ多数のユビ
海蝕渦にのみ多数のコウモリが住みついてい
ナガコウモリが冬眠のために何処へ移動して
るということである。沖泊海岸は陸が海にせ
ゆくかについては興味のある問題であるが今
まり、海からみると断建絶壁の連続である。
のところよくわかっていない。
その為、陸から入ることは不■1捕巨で舟を利用
私が今日まで調査した中国地方で多くのユ
して海からのみ入ることができる。コウモリ
ビナガコウモリの冬眠コロニーがみられるの
穴は沖泊港から舟で約15分のところに北向き
は秋吉台(山[1県)、鬼の岩屋(広島県)及
に開LHノ、七ツ穴海蝕洞の中では最も西の端
に位置する。問[コは小さく、幅が3∼4メー
トル、高さ6∼7メートル、奥行50∼60メー
トルの海蝕洞で、波か高い時には入日の岩に
舟がぶつかり、入洞は危険である。入口を過
ぎると高い天井(7∼8メートル)がしばら
く続き、奥に進むにつれて除々に天井が低く
なり、狭い陣地かあらわれてその奥は岩の壁
でゆき止まりである。
隊は 中国地方の主要なユビナガコウモリの
冬眠洞
1コウモリ穴 2石見銀山廃坑
3 鬼の岩屋 4 秋吉台
コウモリ穴に生息するのは口本では最もポ
ピュラーなニホンユビナガコウモリ Minト
3 −
平成元年12月
自 然 と 教 育
第1号
び石見銀山廃坑(島根県)の3箇所である
いる)を採会してくれるコウモリがいるから
(図2)。七ツ穴からの直線距離は秋吉台ま
こそ森林は昆虫による被害が少なくてすむと
でが約210キロメートル、鬼の岩屋まで約
も考えられる。ユビナガコウモリの外に日本
100キロメートル、石見銀山廃坑が最も近く
の各地に生息するニホンキクガシラコウモ
て約70キロメートルである。ユビナガコウモ
リ RhinoIophus ferrumequlllum nlPOn、ニ
リは洞窟棲コウモリの中では比較的行動範囲
ホンコキクガシラコウモリ RhlnOlophus
が広いので、これくらいの距離を移動しても
cornutus cornutus 及びモモジロコウモリ
不思議ではない。石見銀山廃坑では10月中旬
MyotlS maCrOdactylusなどの食虫性コウモ
からエビナガコウモリが集まり始め、12月∼
リの昆虫採食量を考えてみると、食虫性コウ
1月にかけて冬眠コロニーがみられ、その数
モリは森林を守ってくれる大切な益獣の1つ
は7,000∼8,000頑に達する。しかし、3月
であることがわかる。にもかかわらず、年毎
に入るとその数が激減し、初夏の分娩期には
にあちこちの森林(特に原生林)が次から次
全く姿をみかけなくなってしまう。そうした
へと伐採されて著しい自然破壊が進んでいく
ことからここのユビナガコウモリの大半は分
現状をみるとき、なんとかこれ以上の自然破
娩のため、コウモリ穴へ移動するものと思わ
壊をくいとめることは出来ないものであろう
れる。
か。
分娩期にコウモリ穴に多くのコウモリが集っ
私は1965年(昭和40年)以来、今日までの
て子育てを行うということはこの穴の周辺部
24年間にわたり北海道から与那国島までの広
の森林が自然破壊を免かれたために苫からの
い地域に散在する主要なコウモリの生息洞の
姿をそのまま残し、その中にコウモリの餌と
調査を行ってきたが、最近になってその%以
なる昆虫類が豊富であることを物語っている。
上の洞窟は森林の破壊に伴って殆んど埋めら
ではどれくらいの量の昆虫類をユビナガコウ
れてしまったことが明らかになった。特にこ
モリが採食するか計算してみよう。ユビナガ
の傾向は南西諸島の島々で著しい。極相林を
コウモリの平均体重は11∼12g、1晩の採食
一度破壊してしまえばその後、たとえ順調に
量は体重の約20%、コウモリ穴に生育するユ
遷移が進行したとしても元通りの極相林に回
ビナガコウモリの数約30、000頭、採食期間を
復するまでには500年はかかるという。この
5月∼8月の4カ月として計算すると、
ような生態系のかく乱はコウモリを初めとし
て日本に古くから住みついている野生の生物
(11∼12g)×0.2=2.2∼2.4g(コウ
モリ1頭あたりの1晩の採食量)
の消滅につながる。自然破壊という行為はす
(2.2∼2.4g)×30,000=6.6∼7.2kg
べて人の手がかかわっている。法的にみて違
(コウモリ穴のコウモリが一晩に採食する
反がなければ宅地造成やスーパー林道の建設
がいとも簡単にゆるされる行政の無関心さに
竜)
なぜか腹が立ってしょうがない。
(6.6∼7.2kg)×30=198∼216kg(1
(名誉教授)
カ月の採食量)
(198∼216kg)×4=792∼814kg
となる。
体重が僅かに11∼12gのユビナガコウモリ
も30,000頭にもなると驚く程の多量の昆虫類
を採食することがわかる。これだけの量の昆
虫類(中には植物に被害を及ぼさないものも
ー 4 一
第1呈
平成元年12月
自 然 と 教 育
地球教育ワークショップに参加して
加 藤 禎 孝
1.はじめに
してもらいたい。
近年、環境教育の内容の充実、発展を望む
地球には、多くの生命のシステムがあるが
声かますます広がってきた。身近にある自然
人間はその一つであると考えるようになって
も、それを学ぶ機会がない限り、その重要性
もらいたい。今の子供達の現状は、色々な刺
に気付くことなく見過されてしまいがちであ
激を受け過ぎている。そして、すでに一定の
る。このような状況を少しでも改善するため
フィルターを通してのみ、自然を見るように
に、今後理科のみならず、他の教科を含めて
なってしまっている。また、自然への接触が
自然環境を総合的に学ぶプログラムの開発が
非常に少なくなっている。我々は子供達が、
課題になっている。
直接自然と接触することを適して、上記の目
こうした折、縁と教育を考える会(大阪府
池田市八⊥寺2−5−1、大阪府立園芸高等
的を達成させたいと考えている。
b 野外教育のねらい
学校内)主催の標記の研修会に参加する機会
(1)カリキュラムを豊かにする。
を得たのでその内容を報告する。
(2)レクリエーションの機能をはたす。
2.時・場所・講師
(3)社会化の経験をっむ。友人を作る。
平成1年7月31円
新しい仕事をする。グループで成長
大阪府池田市五月山緑地都市緑化植物園内
発展する。
縁のセンター
Dr.Steve van Matre(スティpブ・バ
ン・メイク一博十)アメリカ・イリノイ州オー
ロラ大学環境教育学部教授、1974年、地球教
C 本当の学習プログラムとは
(1)良く準備されている。
(2)内容が焦点化され、一つのシリーズ
になっている。
育研究所(TheInstltute For Earth
(3)内容が順序良く組み立てられている。
Education,IEE)を創設。同研究所は地
(4)一歩ずつ理解を深くすることができ
球教育のプログラムを作っている。I EEの
支部は、現在カナダ、イギリス、フランス及
る。
(5)具体的な目的を持っている。
びオーストラリアに在る。
例 スキーが上手になる。環境に対して、
3.研修内容
謙虚に生きて行くことができる等、行動日
午前9時から午後5時まで、講義と実践の
両面にわたって研修が行われた。以下はその
内容である。
① 講義
a I EE研究所についての背景及び目的
(1)子供達にもっと自然のことを好きに
なってもらいたい。
(2)地球が、自分の家であることを理解
標が明確になっている。
d 人間生活の中で一番豊かに感じられる
瞬間は?
言葉ではなく、感覚的(フィーリング)な
ものである。教育の中で、非言語的なもの。
例 “ものを見る′′、“気持が良い′′“美
い\′′ などといった、一人での体験を大切
にする必要がある。
平成元年12月
(2)別のグループ5人が、発表される言
e リーダーシップのガイドライン
(1)We
第1号
自 然 と 教 育
don’t
focus
uponldentlfica−
葉を全て記録する。
(3)次に(2)のグループは少し離れた場所
tion.
生物の名前(分類)にこだわらない。その
へ移動し、記録された全ての言葉を使って
本質よりも、名前だけ教えてしまうことに
作詩する。
(4)詩が出来上り次第、再び元の場所へ
なりかねない。
(2) We
don’t
talk
unless
we
have
SOmething to focus upon.
戻り、グループの代表1人が全員の前でそ
の詩を朗読する。一回臼は自分達の言葉に
みせる(注目させる)べきものが無い時、
気を取られているので、もう一度今度は木
何も話さない。
の方を向いて、この詩を味わうように指示
(3)Earth education does not,Show
& tell but share&do,
する。詩の朗読を聞く。(全員で拍手)
b トゲトゲ・クスクスゲーム
地球教育では、見せたり、話したりするの
全員に自分の回りにあるもので、手首や
ではなく、分け合う、一緒に行動すること
手のひらに触れたとき、トゲトゲした感じ
である。
の物と、くすぐったい物をそれぞれ一つず
(4)Questiollary Strategy
つ拾い、拾った物は他人に見せないように
質問ゲーム、指導者は常に正しい答えを期
指示する。参加者は、相手と1対1となる
待している。また、誤った答えをそのまま
ように、全員リーダーの方を向いて二重の
にしてもいけないので、最初から質問ゲー
円陣を作る(図2)。
ムはしないこと。
② ワークショップ
a 木の詩をつくる。
参加者全員を三つのグループに分ける。
その内の2グループは5人ずつ程度。他の
グループは全員近くで、出来る限り、かた
まって座るように指示する(図1)。
(1)三つのグループの5人は、指示に従っ
て、1本の木の回りの色々な方向の場所へ
移動し、そこから見た木の印象を各人が二
(図2)
つの言葉で表現する。
例 空に向って伸びている。根元が枝わか
(1)内側の人は、両手を後へまわす。
している。
(2)外側の人は自分の拾った物で、相手
の手首や手のひらに触れ、どんな感じがし
たかを尋ねる。
(3)それがトゲトゲしたものか、くすぐっ
たい感じのものかを相手に伝える。
(4)全員終った後、全員反対向きになる
ように指示する。
(5)外側の人が、両手を後にまわし、前
と同じ要領で同じことを行う。
第1号
平成元年12月
自 然 と 教 育
C 自然のコンサート
は生命を支える大切な四つのものが入って
「自然のコンサートが始まっている。少し
いることを説明する。そしてその箱を持っ
遅いかも知れないが、今なら間に合う」と
て、他の人達が待っている場所へ移動する。
告げ、時計を見る(実際に時計をはめてい
(3)リーダーは、途中どんな葉でも良い
なくても構わない)。
(1)少し離れた別の場所へ移動する。参
加者に少し詰めて座るように指示する。
から一つ拾うように指示する。
(4)椅子にかけ、手鏡を見ている人間の
回りをまわり、ほぼ等間隔になった時点で
(2)注意をひくために、両手で、自分の
その場に座る。そして、各人が持っている
耳を数回、軽く押える。そして「ゾウのよ
葉を前に置き、箱を開けるように指示する。
うに大きい耳になった気持で、自然のコン
(5)箱の中には、水と土が入っている。
サートを目をっむって聞こう」と静かに参
他の二つのもの、即ち光と空気は蓋を開け
加者に話す。参加者はHをっむり、神経を
れば箱の中に入ってくることを説明する。
耳に集中させ、数分間じっとしておく。
(6)葉の両側に、十を置く(図3)。
(3)リーダーは参加者に何も質問しない。
d 木(枝)について語る。
参加者を三つのグループに分ける。それ
ぞれのグループは円を作り、その場に座る
二・一一∴!二一、.
(図3)
ように指示する。各グループに1本ずつ異
なる特徴をもつ枝を渡し、次の二つの約束
(7)目の前にあるこの葉は、左側の上の
を全員に説明する。
中から始まって、現在この状態になり、最
(1)「ハイ」というまで、その木(枝)に
後に右側の土になる。この過程を説明する
ついて感じることを話し続け、次の人にそ
ために必要な材料を近くから集めるように
れを渡す。
指示する。
(2)次の人は、前の人と同じことを再び言
(8)材料を集め終った段階で、ボランティ
わないようにすること。そしてそれを全員
ア全員、少し離れた場所に連れて行き、相
イ丁つ。
手に説明する際、次の事を3回繰り返すよ
e 生命のストーリー
うに、小さな声で指示する。「植物は色々
第1幕 植物の生活(植物の一生)
なものとお互いに関係し合っている」。そ
第2幕 リスの生活
して、光が必要であれば、両手を上にあげ、
第3幕 ヒトの生活
生命のつながりを3幕の劇に什上げる。
ヒラヒラさせながらそのまま下におろす仕
草を、空気が必要であれば、両手でかき込
第1幕 植物の生活
むようにすることを申し合わせる。
(1)参加者の内から12人のボランティア
を募る。他の人達は1人のリーダーに引率
(9)ボランティアは再び元の場所に戻り
椅子にかけている人間を背にして座る。
されて、先に出発し、1か所にかたまって
(10)リーダーは第1幕の始まりを宣言。
座る。この中より12人の人達と、手鏡を見
その際、劇の題及びノヾフォーマンスの意味
て椅子に座る係の人を1人選び、それぞれ
について観客に説明する。
待機しておく。
(2)別のリーダーはボランティア一人ひ
とりに紙箱(クツの箱)を渡し、その中に
(11)観客が入場し、ボランティアと1対
1になるように円を作りその場に座る(図
4)。
平成元年12月
自 然 と 教 育
第1号
して、「今度はあなたから、何かいただけ
る物がありますか」と尋ねる。
(5)人間は沢山の箱をかかえ「そんなこ
の知らないよ」と拾て台詞を残してどこか
へ消える。
(6)リーダーから全員へ、「人間は環境
に対して、何をなすべきだろうか」と問い
かける。
(7)参加者からさまざまなこれについて
の意見を出して、この劇は終了する。
(図4)
4.おわりに
(12)ボランティアは観客に説明する。説
明が終れば観客は拍手する。
地球教育ワークショップに参加して、色々
な点で刺激を受けた。その一つは、参加者全
第2幕 リスの生活
員が常に主体的に取り組めるような配慮がな
今、観客だった人が、リスの役になる。
されていること。“Follow me andI show
茶色の紙で作られたしっぽが1人ずっ渡さ
you.”式では一部の人達だけの満足に終り、
れる。植物の生活について説明した人は、
成果を分ち合えることは出来ない。また、非
聞き役になる。
言語的(フィーリング)なものを重要視して
(1)リス役の人に、リスの生活に必要な
ものを集めるよう指示する。
いる事や、ものを良く見させる為の工夫がな
されている点でも大いに参考になった。更に、
(2)必要なものを集め終ったところで、
生命のストーリーでは、行動を通して、人間
先ほどと同様、別の場所へ連れて行き、リ
をとりまく自然環境を理解させ、環境に対し
スの生活は「他の色々なものとお互いに関
て人間がとるべき態度を考えさせるなど、根
係し合っている」ことを説明の際に繰り返
本発な問題を鋭く指摘している。周囲にわき
すように指示する。
(3)リスの生活について、説明する。説
目もふらず、ただ一人ひたすら鏡を見続ける
人間の姿が印象に残った。
講師の van Matre氏は地球教育という
明が終ったら拍手する。
第3幕 人間の生活
ことばを使っておられる。地球教育は、今ま
(1)人間の生活に必要なものをまわりか
での教育の中で必ずしも十分ではなかった三
ら集め、それらのもつ意味を説明する。そ
つの内容を強調している。即ち、① 生物と
して、それらを全て箱の中に入れるように
生物及び、生物と無機環境との間の相互関係
指示する。
を理解する。② 人間がどのように自然環境
(2)リーダーは、光は必要でしたね、箱
と関係して行けば良いかを学ぶ。③ 人間が
の中に入っていますか。空気も箱の中にあ
自然環境に出来る限り影響を少なくする方法
りますかと一つ一つ確かめる。
を考える。
しかし、今回のワークショップは事実上、
(3)「全ての箱を鏡を見て、椅子にかけ
ている人間にプレゼントして下さい」と指
環境教育と考えても良いのではないかと思う。
示する。箱の中には、水、土、光、空気、
我が国では、環境教育という用語が定着して
植物などが入っている。
おり、実績をあげている。この研修会の内容
(4)リーダーから、中央にいる人間に対
を参考にして、身近にある自然をより深く理
8 −
第1号
自 然 と 教 育
平成元年12月
解するための環境教育をどのように展開すべ
熱心にご指導卜さった Steve van Matre
きかを検討して行きたいと考えている。
氏に心からお礼申し上げる。
(育英西中学・高等学校教諭・昭和39年本学
最後に、このワークショップを企画・運営
下さった、縁と教育を考える会の方々、終日
タ コ
卒業)
いそうである。人影に驚いて逃げ回るといっ
たみっともない行動はとらず、じっと周りを
北 川 尚 史
窺っているのだ。カンギを差しのべても、ほ
とんど動じないのである。
弓削島という、瀬戸内海の小さな島が私の
最近、読んだ本(末広恭雄著『魚の博物事
故郷である。わが家は海岸にあり、庭がその
典』)で、タコの“知能指数′′ の高さを′示す
まま海に続いている。干満の差か大きく、潮
面白い話を知った。南の海にウツボという、
が満ちてくれば庭から直接、海へ飛び込んで
ヘビのような姿をした、いかにも、、人相′′ の
泳ぐことができ、潮が引けば広い干潟で野球
悪い搾猛な魚がいる。漁師や海女も恐れると
ができた。子供のときから海に慣れ親しんで
いうウツボにも怖い相手かいる。その天敵こ
おり、「われは海の子」は自分のための歌の
そタコなのである。タコがウツボを襲う方法
ような気がしていた。当時は、学校の勉強を
がふるっている。海底で両者が出会うと、ま
あまりしないでもよい時代で、塾だ、偏差値
ず互いに威嚇しあうが、タコはやがて1本の
だといった現在の世相とはまるで違っており、
足に隙を見せる。ウツボが、しめたとばかり、
海辺の生活を存分に楽しむことができた。
その足に噛みついたところで、タコはウツボ
中学生のときは、学校から帰ると、よく魚
に絡みつき、他の足でその首を締めしげて窒
釣りに出かけた。鈎巣は主にギザミとキスゴ
息死させるという(肺呼吸ではないので、首
であった(郷里ではベラをギザミといい、キ
を締めて窒息させるという表現は変であるが、
スをキスゴと呼ぶ)。夏の大潮の口には、磯
とにかくそのように書いてある)。タコは1
へタコを捕りに行った。カンギという、先に
本の足を犠牲にして、この〆1暴な相手を屠っ
鈎形の金具のついた竿を持ち、水中眼鏡をっ
て餌食にするのである(失った足はやがて再
けて、磯伝いに泳ぎながらタコを探した。磯
生する)。
には実にさまざまな生物がいた。いまにして
ところで、マダコは隠れがの入日に小石を
思えば、水中眼鏡の視野に入るその美しい多
並べるという妙な習性をもっている。岩のそ
様な世界が自分を生物学へいざない、分類学
ばの地面に小石が並んでいれば、その岩の窪
への志向をはぐくんだようである。
みの奥にタコがひそんでいるのである。潜っ
タコ(マダコ)は、昼間は岩陰にひそみ、
て、その入口から奥を覗いてみると、タコも
隠れ場のない見通しのよい所にはめったにい
こちらを睨んでいる。頑を後ろに曳き、足を
ない。海底の岩場でじっとしているタコは保
大きく広げ、傘膜を波打たせている。うろん
護色のため背景に溶け込んでおり見つけるの
な聞入者に対して、自らをできるだけ大きく
は容易でない。岩の隙間から目の部分だけを
強く見せかけて脅しをかけるのである。(タ
覗かせていることもある。よく見ると、その
コのいわゆる頭は正しくは胴部である。また、
日は油断なく動いている。タコは賢い動物で
足は動物学では通常、腕または腕脚という。)
好奇心、が強いのだという。、、知能指数′′ が高
クコと睨み合うとき、大入道にでも対略し
9 一
平成元年12月
自 然 と 教 育
第1号
ているような怯えが走るが、そこで臆しては
初春にかけて、潮間帯の土の中に潜るという
ならない。岩の窪みの奥にいる場合はカンギ
習性をもっている。夜間、潮が満ちていると
を使えず素手で捕まえることもある。穴の奥
きに、やや泥質の土中に、深さ30∼50cm、幅
に手をつっこみ、タコの“えり首′′をっかん
1∼1.5mのU字形のトンネルを掘って、昼
で、揮身の力で引っ張るのである。岩を離れ
間はその中に生息している。潮が引いた後に
たタコは、墨を吐き、のたうって、つかんだ
も、U字のトンネルの両端(または一端)に
腕に絡みついてくる。このときが最もスリリ
緻密な粒子の黒い泥が盛り上がっている。そ
ングであり、中学生の自分は、恐怖と勝利感
れはコニーデ型の火山の形に似ており、裾野
のないまぜになった興奮状態で、「ヤックー」
を長く曳いた円錐状で、中央が少し窪んでい
と凱歌をあげるのであった。そのとき、多数
る。タコがそのすぐ下にいる場合は、窪みの
の吸盤が強い力で吸いつく、ぞくぞくする皮
泥の粒子がかすかに息づいている。ただし、
膚感覚はいまもなお生々しく覚えている。恩
波の荒い日には、潮の引き際に、その形が崩
えば、大ダコを素手でつかまえたときの、髪
れてしまう。
このタコを捕まえるためには、まずその孔
の毛が逆立っような歓喜に満ちた幸福な瞬間
は、その後の人生には絶えてなかった。自分
を見つけなければならないが、それが案外に
のこの経験から判断して、漁帥や猟師のよう
難しい。干潟にはさまざまな動物がテナガダ
に精神的に充足した生活を送り得る職業は他
コに似たfLを掘って生息しており、それらを
にはほとんどないのではあるまいかと思う。
識別するにはかなりの経験が必要である。そ
それにしても、マダコはなぜ小石を並べる
れを鑑別できる者は、私たちの部落でも漁師
のであろうか。隠れている自分の存在を、わ
以外にはほとんどいなかったが、私は中学生
ざわざ日印をつけて明示するのは矛盾した行
時代にすでに、かなりのベテランであった。
為ではないのか。単に隠れがの中の邪魔な石
時化の後の干潟では、タコの、、コニーデ′ は
を入日に取り除いたとは考えにくいのである。
完全に崩れているが、その場合でも、ほとん
たいていの場合、小石は、なんらかの意図を
ど見誤ることはなかった。
もって置かれたように、規則正しく半円形を
近所の年老いた漁師がよくテナガダコを掘っ
なして並んでいるからである。まるで玄関の
ていたので、その漁師につきまとって技術を
前に鉢物を並べているような趣きがあるので
習得し、やがて自分でも掘れるようになった。
ある。なにしろ、タコは頭がよいのであり、
潮が引くと平鍬とバケツを持って浜へ出る。
小石を並べるという行為にはなんらかの狙い
そして、干潟を歩き回ってこのタコの孔を探
があるにちがいない。テリトリーを宣言する
す。孔を見つけると、まず、その周りに半円
ための、仲間に対するデモンストレーション
形の浅い溝をつくる。干潮時にも干潟の表面
なのであろうか。それとも、雌か雄を(また
には案外に多量の水が流れており、その排水
は雄が雌を)呼び込むための“看板′′ なので
のために溝を掘るのである。その後、U字形
あろうか。これまでに、タコの生態に関する
のトンネルの一端から掘り始める。土中には
記事を何度か読んだが、中学生時代からの疑
カニやシャコなどが、よく似たトンネルをつ
問である、マダコのこの習性に触れたものは
くるので、それらと間違えないようにしなけ
なかった。
ればならない。テナガダコの孔は指が3本入
冬には家の下の干潟でアナダコを掘った。
るほどの太さなので、ときどき指をっっこん
アナダコは方言で、標準名はテナガダコとい
で確かめながら掘り進んでいく。掘った穴に
うことは後から知った。このタコは晩秋から
溜まる水をときどきバケツでかえ出す。トン
ー10−
第1号 自 然 と 教 育
平成元年12月
ネルの途中で掘り出すこともあるが、たいて
なかった。『蛸』を読み終えたときに、カイ
いは、もう一方の端まで追い詰めてつかまえ
ヨアの知らない事柄を自分は子供のときから
ることになる。土壇場になるとタコは自らお
よく知っているということに、ちょっとした
どり出てくる。
優越感を覚えた。 (生物学教室)
テナガダコは頑が小さく、鶏卵を少し大き
くした程度であるが、足は長く、40cm以上に
サネカズラ
達する。土中に生息するこのタコはそのfLに
見合ったスマートな体形をしているのである。
豊田好美(図)・北川尚史(文)
獲物の料理は母の仕事であった。まず塩でも
んで表面のヌルヌルをとる。足の先端部には
毒があるという言い伝えがあるので切り落と
マップサ科に属する常緑性の蔓植物。勢い
す。そのまま煮付けてもよいが、母はよくワ
よく伸び出した蔓が、別の蔓に出会って互い
ケギと共にヌタ和えにした。このタコはたい
に絡み合うため、昔から「逢う」という言葉
へん美味であるが、収穫竜が少ないのであろ
と結びつけて歌に詠まれる。小倉百人一首の
う、一般の市場に出ることは稀のようである。
「名にしおはば逢坂山のさねかづら・・・」
はその一例である。
十数年前にロジェ・カイヨアの『蛸』とい
う本を読んだ。この本はわが蔵書に入ってい
関東以西の山野に白生し、本学の附属演習
るが、家が狭いので読んだ本はダンボール箱
林の山麓部にも生えている。多数の実が球状
に詰めて押入れのなかに仕舞い込んでいるた
に集まって、和菓子の「鹿の子餅」のような
め、いざというときに使いものにならない。
形をなす(一つの花に由来する、このような
そのため、記憶を頼りに述べるのであるが、
多数の実の集まりを、植物学では複合巣とい
それは、タコに関する動物学上の知見や、世
う)。複合栗の形が面白く、また艶のある真っ
界各地の伝承や習俗に関する該博な知識を駆
赤な実と濃い緑の糞との取り合わせが美しい
使して、人間がタコという存在をいかに認識
ので鑑賞用に庭に植えられる。高畑界隈でも、
し、受容しているかについて哲学的に考察し
民家の庭の垣根などに、この赤い実を時どき
たものである。タコを生物として理解するか
見かける。
ぎり生物学の範疇を越えないが、それを“概
樹皮に含まれる多量の粘液を、昔は、、聾つ
念′′ として捉えると、カイヨア好みのエスプ
け′′ として用いた。樹皮を水に浸して抽出し
リのきいた哲学が生まれるのである。
た粘液をヘアーリキッドとして利用したので
ある。そのため、サネカズラはビナンカズラ
『蛸』における古今東西の文献の博捜ぶり
(美男葛)やビンツケカズラともいう。
にも感嘆した。それには、タコが陣へ上がっ
奈良市法蓮の不退寺は、庭に四季折々の花
て佃に入りイモを掘って食べるという口本の
伝承も引用されていた。これは『本朝食鑑』
が咲いて美しい。花の少ない冬も庭が淋しく
に載っている俗信であり、現在もさまざまに
ならない配慮が払われているのであろう、ナ
形を変えて巷間に流布している。大阪城の石
ンテン、センリョウ、マンリョウ、サネカズ
垣に、雨に濡れるとタコの模様が浮き出る大
ラなど、赤い実のなる植物がたくさん植えら
きな石(蛸石)があるという、当時の私が知
れている。とくにサネカズラは美男葛の名で
らないことまで書いてあった。しかし、隠れ
よく知られ、この古利の名物になっている。
がに小石を並べるという奇妙な習性や、鍬で
(生物学教室)
掘るという珍しい漁法については書かれてい
11
平成元年12月
自 然 と 教 育
シコクビ工の栽培法
第1号
から栽培されてきた品種)
2)栽培面積:1.5a
3)播種二 4月下旬頃に畦幅80cm、長さ5m
田 中 棟 −
の苗床を作り、表面を平らにして軽くたた
アフリカ原産のシコクビ工はわが国では稀
き播種する。発芽までトンネル状に寒冷紗
をかける。
少作物である。昔は広く栽培されていたよう
であるが、現在は山間僻地にわずかに残って
4)移植:6月下旬頃に苗床から苗取りし、
いるにすぎない。附属農場では、消えゆくこ
菌を水洗する。菌は畝幅80cmに2条植えに
の作物の種子保存維持のために、吉野郡大塔
する。各畝に30cm間隔で3本植えにする。
村篠原の和泉安恭氏から種子を入手して、昭
和62年度以来、栽培している。3年間の栽培
5)施肥:少肥料栽培を行う(多肥料栽培を
行うと茎葉が軟弱となるため虫害を受けや
経験に基づき、以下にこの珍しい作物の栽培
すくなる。また、地L部が繁茂しすぎて倒
法について述べたい。
伏しやすくなる)。
1)品種:在来種(吉野郡大塔村篠原で古く
6)中耕・土寄せ:中耕と土寄せは同時に行
−12
第1号
自 然 と 教 育
う。とくに8月上旬の節問伸長期の作業は
倒伏防止のために欠かせない。
7)除草:雑草とともに虫害も増えるので、
、1そ成元年12月
普通に栽培している品種はアスカミノリで
す。これは日本晴(母)と南海56号(父)を
交配して作曲した品種であり、昭和61年9月
除草は労を惜しまず頻繁に行わなければな
5口付けで奈良県奨励品種に指定されたもの
らない。
です。平成元年度の農場でのこの品種の作付
8)収穫:刈り取り時期はあまり遅くなると
け面積は40aです。
脱粒しやすくなるので、穂の先端部が黄化
したところで刈り取る。
その他に、農林8号、17号、18号、22号、
29号、藤坂5号、トワダ、センダン、タチカ
9)脱穀・調整:刈り取った地上部は一握り
に束ねて竿干しで天日乾燥を行う。穂に触
ラ、トヨサト、ホウヨク、シラヌイの各品種
を見本として少量ずつ栽培しています。
れると護頴が簡単に落ちる程度に乾燥した
赤米は奈良時代の記録にもある古代米で、
段階で、足踏み脱穀機で脱穀する。残った
その栽培はほとんど絶えてしまいました。現
穂は延の上で2∼3日間、天日乾燥した後、
在の、アズキを入れて炊く「赤飯」は、かつ
何度も手槌で打って、穂から残らず脱穀す
ての赤米を食べていた習慣の名残りだと言わ
る。
れています。ごく少数の神社が神事用の米と
10)調理:穎栗を暦日で製粉する。粉は砂糖
して占‘い赤米の占占種を継承してきましたが、
を加えて練り、煎餅または田子にして食べ
最近の古代ブームに乗って、それらの神社の
る。 (附属農場)
赤米が逸出し、各地で作られるようになりま
した。附属農場でも鹿児島県種子島の宝満神
社、長崎県対馬豆酸(つつ)の多久頭神社、
噸施塾
岡山県総社市の国司神社に伝わる赤米を入手
して栽培しています。
唐法師(大唐米)も古い文献によく出てく
る米です。少し赤みを帯びているため、この
米もかつては赤米と呼ばれていました。早稲
の品種で収量が多いため、江戸時代には全国
的に栽培されたようですが、現在ではほとん
ど絶滅しました。番米(においまい・かおり
まい)は文字通り匂いを発する米で、古米に
少しだけ混入して炊くと新米のようによい匂
附属農場で栽培しているシコクビ工の穂
いになります。香米は単独で炊くと、ネズミ
の尿のような匂いがするため、鼠米とも呼ば
れます。これも明治時代までは広く栽培され
(‘lllI◆抑◆‘“ll◆I。’’.◆lHIl.−11”◆刷l◆llllll◆‘.”l
言附属農場だより享
ヽ4ト.IllIJP.−1llll・−.lP・.lト.lllh●ト.lIIh題トl”J1−111I.hdP.11lll・.ト.llII=
ていましたが、現在はほとんど失われました。
附属農場ではこれらの珍しい古い品種も栽培
しています。
附属農場で栽培している稲の品種
附属農場ではたくさんの品種の稲を栽培し
その他に、奈良県桜井市の談山神杜で栽培
されている窯米、中国・西安産の窯米、アメ
ていますが、その中には珍しい古代米や外国
リカのドーンという品種、フィリピンのIR−
産のものも含まれています。
24という品種なども栽培しています。
13 −
平成元年12月
自 然 と 教 育
第1号
奈良教育大学附属演習林案内
所在地・面積
程・理科の一専攻(農業)として位置づけら
〒637−04 奈良県吉野郡大塔村大字清水
れることになった。一学年の学生定員がわず
字赤谷199番地の1
かに3名の理科(農業)も昭和48年に廃止さ
電話(07473)6−0456
面積1,758,937Iが(約176ha)
れ、以来、演習林は林業実習の場としての性
格を失ったが、生物学や地学の野外実習のフィ
建物 (宿泊施設「大塔寮」)218nf(約30
ールドとして、また、各サークルの研修の場
人の宿泊が可能)
として広く利用されている。
沿 革
交 通
昭和22年4月、奈良青年師範学校に林業科
近鉄の大和八木駅前から新宮行き又は川場
が新設され、林業実習の場として、翌年、地
行き特急・急行バス(奈良交通)にて、大和
元の篤志家、竹原幸八郎氏(大塔村大字辻堂
高田市、御所市、五條市を経由、国道168号
5番地)から貸与を受けた(昭和23年4月1
線を南下し、大塔村の「宇井」で下車(この
口に、70年間の地上権設定契約が行われた)。
昭和24年5月31R、学制改革により奈良青年
間、約2時間10分)。そこから川原樋川沿い
師範学校は奈良師範学校と合併して奈良学芸
大学から宿舎までの、市による走行距離
大学となり、旧林業科は職業科の職業第円講
座と改められ、旧演習林は同学附属演習林と
(バイパスなどを利用した巌短距離)は約93
km、所要時間は約2時間半である。
改称された。翌年、3月31日に、同演習林の
地勢・地質
の県道を徒歩にて約50分で宿舎に到着する。
管理のための事務所と林業実習のための宿舎
奈良県の西南端に位置する高峯、伯母子岳
(199rd、附属施設を合わせて205.43Iの が
(標高1,344m)から北東に延びる山陵と、
新設された。
その山麓部を流下する赤谷川との問に介在す
貸与を受けていた演習林は、昭和30年に
る。山麓(宿舎所在地点)の標高は395.5m、
竹原氏より寄贈の申し出があり、6月30R
に提Hはれた寄付採納願が12月7日に受理・
山頂(清水峰の三角点)は1,186.2mであり、
承認されて正式に大学の所有になった(所
有権移転の登記は習31年1月5円に行われ
西に傾斜し、赤谷川に臨む山麓部は急峻であ
るが、中腹から山頂にかけては比較的、緩や
た)。昭和60年に木造の旧宿舎を解体、新た
かな傾斜をなしている。林内には多くの谷が
に鉄筋コンクリートの建物(宿泊施設「大
走るが、特に2本の谷が深い。その奥の方の
塔寮」、199r正、旧施設と同じ面積)が同年
谷は大きく崩壊しており、手前の谷は流量の
3月27日に落成した。平成元年に19rdの収
納庫が建ち、建物の総面積は218Idになっ
変化が少なく、標高600mの所に落差約20m
その比高は約800mである。山腹は概ね北北
の滝が存在する。
地質は秩父古生層の砂岩、珪岩、及び粘板
た。
昭和41年4月1日に奈良学芸大学は奈良教
岩を基岩とし、山麓部の土壌は礫質砂及び礫
育大学と改称され、同時に中学校教員養成課
質粘土で、その深度は浅く腐植質も少ない。
程・職業科が廃止され、旧職業科は中学校課
中腹から山頂にかけては、粘質壌土または礫
14
第1弓・
自 然 と 教 育
平成元年12月
質壌1二に被われて土壌の深度は深く腐植質に
う、タカノツメ、タムシバなどか多い。標高
富み、地味は良好である。
800mの急斜血にトチノキの巨樹(胸高由径
気 候
2.2m、奈良県トで最大)がある。谷筋には
現在、自動気象観測装置によって観測中で
フサザクラとガクウツギが特に多く、トチノ
あるが、そのデータはまだ整理されていない。
キ、サワグルミをはじめ、ホオノキやエンコ
昭和26年から29年にかけて演習林内で測定し
ウカエデなどを混じえた渓畔休が発達する。
中腹から山頂までは落葉広葉樹よりなる温
た古いデータによれば、年平均気温13℃、最
高は8月の29℃、最低は2月の−2℃である。
帯林であり、ブナとクヌギが優占し、大木も
年平均雨量は2、200mm、初霜は10月初句、晩
かなり多い。この地域にもモミとツガが点在
霜は4月上旬である。冬季の積雪は局地的な
し、リョウブ、ヒメシャラ、コパウチワカエ
差があるが比較的少ない。
デ、オオカメノキなども目立っ。林床は広範
人 工 林
囲にわたってミヤコザサで被われ、局地的に
スズタケが繁茂している。
昭和25年から28年、および44年から50年ま
なお、自然林内の動物相も豊富であり、特
で、毎年、スギ・ヒノ手の植林が行われた。
現在、スギは17.9ha、ヒノキは2.1ha、計20
に鳥類と昆虫類が多い。噛乳類ではサル、ツ
ha(演習林全域の約9分の1の面積)の人工
キノワグマ、シカ、カモシカ、イノシシ、タ
林が存在する。宿舎の周囲には植栽されたク
ヌキ、キツネ、リス、ノウサギ、テン、ムサ
ヌギとコナラの小さな林がある。
サビなどが生息している。
自 然 林
宿舎の使用手続
山頂部及び南の境界の稜線沿いによく保存
宿舎を使用するためには、使用開始予定口
された自然林が残っている。その他の地域は、
の7日前までに、使用願を学生課(課外教育
戦時中の昭和19年から20年にかけて伐採が行
係)に提出すること。その他、「奈良教育大
われたため、その後に伐採跡に発達した二次
学附属演習林宿舎(大塔寮)使用規則」に従
林によって被われている。
うこと。
宿舎の周辺の人為的影響の強い地域にアカ
メガシワ、クサギ、ネムノキ、ヌルデ、コナ
ラなどの陽樹がかなり多い。また、赤谷川の
沿岸にはフサザクラ、キブシ、ズイナ、ガク
ウツギなどが旺盛に成育している。宿舎の背
後の尾根沿いにはアカマツ、コナラ、クリ、
サカキ、ヒサカキ、ソヨゴ、アセビなどが目
立っ。標高700mまでが本来、常緑広葉樹か
ら構成される暖帯林が発達する地域であり、
イヌシデ、アカシデ、ヒメヤシャブシなどの
落葉樹に混じって、アラカシ、ウラジロガシ、
ツクバネガシ、ウバメガシの常緑性のカシが
点在する。
中腹部ではモミやツガの針葉樹とともに、
イヌブナ、ヒメシャラ、アカシデ、イヌシデ、
ヤマザクラ、ミズメ、チドリノキ、コシアブ
15一
平成元年12月
第1号
自 然 と 教 育
たび話題になったことがありますが、ここに
大学の自然・雑記
『自然と教育』と銘打って、ようやくその第
1号を出すことができて安堵しています。
ヤナギマツタケ
本誌の題字「自然と教育」は書道科の宮崎
吉備塚(職員会館東側)のクヌギの根元に、
彰夫先生にご揮重いただいたものです。宮崎
今年の9月中旬、ヤナギマックケが出た。美
先生のご厚意により、本誌のタイトルの部分
味なキノコで、最近は栽培が行われ、ときど
のデザインはたいへん格調が高いものになり
き店で売られている。このキノコは構内で見
喜んでいます。
たのは初めてであるが、大学前の高畑町バス
後藤桐学長には就任早々のお忙しいときに
停のそばの街路樹、プラタナス(モミジバス
原稿を寄せていただき、創刊号の巻頭を、そ
ズカケノキ)野太い樹幹に、毎年、夏から秋
にかけて、雨後に出現する。今年は、9月の
れに相応しい文章で飾ってくださいました。
澤m勇先生はご退官後もお元気で、現在もコ
はじめによく雨が降ったが、9月9口に大量
ウモリの調査のため□本の各地に出かけて研
に発生しているのを見つけた。大勢の人々が
究を続けておられます。加藤櫨孝氏は生物科
バスの乗り降りをしている、そのすぐ頑の1二
の古い卒業生で、理科教育や環境教育の分野
の、高さ2.5mはどのところに累々として重
の内外のサークルに参加して活躍しておられ
なって生えていた。学生と一一緒に採りに行き、
ます。
2kgほどを収穫した。さっそく、インスタン
サネカズラの図は私の研究室の豊田好美さ
ん(小理4回生)が一晩、徹夜で描いた力作
ト味噌汁に入れて学生たちと一緒に食べた。
です。原画はB4版のケント紙いっぱいに描
一部は家に持ち帰って/ヾ夕一秒めにした。
かれたものですが、トリミングを行い、小さ
(北川尚史)
く縮小したために元の迫力が失せています。
15ページのカット(ツルウメモドキの小枝)
も豊田さんの作品です。
創刊号の編集を終えて
本誌の印刷費にはまだ予算上の裏づけがな
いため、本号の経費は附属農場の管理費から
本学は奈良市白老寺町に設備のよく整った
附属農場をもっています。また、吉野郡大塔
捻出します。今後、本誌を年に何回発行する
村に、全国の教育大学・学部にも稀な広大な
講じられ、原稿がたくさん集まり、年に数回、
附属演習林をもっています。しかし、この両
発行できればと願っています。
施設は全学的に十分利用されているとはいい
かはまだ決まっていません。予算上の措置が
本号は主として身近な生物学関係の人たち
がたく、本学の学生にはその存在を知らない
に原稿を依頼しました。本誌で扱う対象は附
者さえいます。
属農場や演習林にこだわらず、また生物に限
本学の附属農場・演習林はかつて広報誌や
研究報告書を出したことがありません。従来、
りません。誰もが広く自然に関して自由に発
言できる、楽しい雑誌にしたいと考えていま
宣伝不足であり、この貴重な施設の存在を周
す。今後、本学構成員の多くの皆様のご協力
知させ、活用を促す努力が「分でなかったよ
をいただきたくお願いいたします。
うです。実際、附属図書館、保健管理セン
ター、教育工学センターのように定期刊行物
を出すべきであると、運営委員会の席上で度
−16
(北川尚史)