人文学部卒業論文 題 目 新しいモダン・ゾンビ映画分析 - 中部大学

人文学部卒業論文
新しいモダン・ゾンビ映画分析―
題
目
指導教授
提出年月日
ゾンビ映画における 9・11 の影響
小川順子
2012 年
12 月 11 日
学籍番号
HI09090
氏
渡邊貴文
名
新しいモダン・ゾンビ映画分析―ゾンビ映画における 9・11 の影響
HI09090
渡邊貴文
要旨
これまでのゾンビ映画は、ゾンビがゆっくりとした動きで相手を追い詰める
イメージが定番だった。しかし、9・11 テロ事件発生後に作られたゾンビ映画
に登場するゾンビは凶暴化したイメージが定着したのではないかと私は考える。
本研究は、9・11 テロ事件が発生後に、公開されたゾンビ映画を対象として、
ゾンビ映画及びゾンビのイメージ像にどのような影響を受けたのかについて分
析を行うものである。そして、その分析結果を基にして、近年に見られるゾン
ビ映画のゾンビのイメージ像について明らかにしていく事が目的である。
第 1 章では、ゾンビ映画がどのような歴史を辿り、ゾンビ映画という一つの
ジャンルとして確立されたのかという事について文献や作品を利用してまとめ
る。また節に分けて、ゾンビとは元々どのような存在であったのかということ
についてや、ゾンビ映画の先駆けとなった作品について述べている。第 2 章で
は、本研究の要とも言える 9・11 テロ事件についての概要を述べる。また、9・
11 テロ事件がもたらした映画への影響についても述べる。3、4 章では、9・11
テロ事件以降に公開されたゾンビ映画についての分析を行う。研究対象は、9・
11 テロ事件が起きた 2001 年 9 月 11 日以降にアメリカで製作及び合作を含む 12
作品である。これらの対象となった作品を分析し、9・11 テロ事件の影響を受
けていると思われる作品の特徴を検証し、9・11 テロ事件の事象などと照らし
合わせる。そして、現代のゾンビ映画において、9・11 テロ事件の影響をどの
ような所でうけているのかを分析結果から考察する。
結論としては、分析結果を考察してみても、9・11 テロ事件の影響がゾンビ
を凶暴化させたという直接的な結果には繋がらなかった。つまり、ゾンビ映画
にモダン・ゾンビイメージは未だ根強く残っている。ただ、ゾンビ映画の所々
に 9・11 テロ事件を彷彿とさせる映像や表現が見られたのは確認できた。つま
り、モダン・ゾンビというイメージに変わる新しいイメージ像は見られなかっ
たが、ゾンビはエンターテイメントとしてより凶暴に進化しているのである。
キーワード
ジョージ・A・ロメロ
モダン・ゾンビ
9・11 テロ事件
感染
アメリカ国民
目次
序論 ..................................................................................................................................... 1
これまでのモダン・ゾンビ.................................................................................. 2
第1章
第1節
モダン・ゾンビ以前のゾンビ .......................................................................... 3
第2節
元祖モダン・ゾンビ『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』 ...................... 4
第3節
模倣される『ゾンビ』 ......................................................................................... 5
第2章
9・11―アメリカ同時多発テロ ............................................................................... 6
第1節
アメリカが震撼したテロ事件と映画の関係 ....................................................... 7
第2節
9・11 の「悲しみ」と「恐怖」 ........................................................................... 9
第3章
従来のゾンビとは異なるゾンビ ............................................................................ 10
第1節
全力疾走するゾンビ .......................................................................................... 10
第2節
『ランド・オブ・ザ・デッド』にみるゾンビの行動 ........................................11
第4章
9・11 以降のゾンビ映画分析 ................................................................................ 14
結論 ....................................................................................................................................... 20
参考文献 ............................................................................................................................... 22
参考 URL ................................................................................................................................ 23
1
序論
本研究の目的は、ゾンビ映画における 9・11 テロ事件の影響を明らかにし、
新しいモダン・ゾンビ映画について明らかにしていくものである。現代のゾン
ビ映画において、ゾンビは何かのきっかけにおいて感染することでゾンビへと
変貌する。すると、死んでいたはずの人間が蘇り、人を次々に襲っていく。そ
の姿はグロテスクで、人間の肉を貪る姿は、ゾンビ映画における代名詞である。
また、本研究の目的にはきっかけが存在している。そのきっかけとは、近年
のゾンビ映画において述べられている「9・11 テロ以降は全力ダッシュで暴れ
まわるようになった」伊東(2007:44)という指摘である。確かに言われてみ
れば、過去のゾンビ映画の作品と現在に至るまでのゾンビ映画を比べてみると、
ゾンビが凶暴化しているのではないかと考えられるのだ。何故なら、ゾンビが
人間に対して迫りゆくシーンは旧年のゾンビ映画より、近年のゾンビ映画の方
において一層恐怖感が増していると感じる作品が多いと私が考えるからだ。
しかし、それは単に CG 技術や特殊メイクの技術が向上したからというのも
頷ける。何故なら、その残酷な描写やアクションシーンは、映像的にも迫力の
あるシーンとして我々視聴者を魅了しているように感じるからである。しかし、
アメリカで 9・11 テロ事件が起きて以来、映画というものは 9・11 テロ事件の
悲劇を連想させるシーンが含まれているものが見られるそうである。もし 9・
11 テロ事件の影響がゾンビ映画にももたらされているとすれば、それは具体的
にどのようなものであるのかが分からない。
また、指摘があった文献は 9・11 テロ事件以降のゾンビ映画において、モダ
ン・ゾンビ(ゾンビに対する我々のイメージ)の一つとしてゾンビが全力ダッ
シュするようになったとの記述は確認できた。だが、ゾンビ映画が 9・11 テロ
事件の影響を受けたとしたならば、何故ゾンビが走るという事に繋がるのだろ
うか。また、それ以外の影響は受けていないのだろうか。このことについて、
その文献は詳しい記述が見られなかった。
これは私自身の見解ではあるが、現在では、元々存在していたゾンビのイメ
2
ージに代わって、9・11 テロ事件の影響を受け凶暴化したイメージが存在する
のではないかと考えた。そこで、本研究では 9・11 テロ事件以降のゾンビ映画
の変化について、9・11 テロ事件を研究の要とし、新しいモダン・ゾンビ映画
についての分析を行っていく。
また、ゾンビ映画自体に 9・11 テロ事件の影響は及んでいるのか、だとすれ
ばどのような個所に反映されているのか、ということについても追って分析し
ていきたいと思っている。
あくまでも、本研究の最大の目的は、ゾンビ映画にどのような 9・11 テロ事
件の影響が及んでいるのかということである。そして、
「モダン・ゾンビ」とい
う語彙についての説明は後述することとする。
第1章では、ゾンビ映画の歴史についてまとめていくこととする。そして、
モダン・ゾンビと、それを世に広めた映画について論じていく。また、ゾンビ
映画を語る上で欠かすことのできない映画監督ジョージ・A・ロメロのことに
ついても触れていくことにする。第 2 章では本研究の要であるアメリカ同時多
発テロ事件について述べていく。まず、9・11 テロ事件がアメリカ国民にとっ
てどのような事件であったかをまとめる。そして、それがアメリカ映画にどの
ような影響を与えることとなったのかについての分析と、伊東(2007:44)で
述べていた言葉の意味を深く掘り下げていく。また、9・11 テロ事件以降のゾ
ンビ映画に注目し、関係性について紐解いていきたい。そして、第 3、4 章では、
新しくゾンビブームの火付け役となった「バイオハザード」以降のゾンビ映画
についての分析と、従来のイメージと異なる新しいモダン・ゾンビ映画とはど
のようなものなのかということを分析する。
そして、最終的に、ゾンビ映画、そしてゾンビ自身がどのような影響を受け
ているのかを明らかにしていく。
第1章 これまでのモダン・ゾンビ
第1章の記述は、
『ゾンビ映画大辞典』
(伊東美和、2003、洋泉社)、をもとに、
まとめたものである。
3
第1節 モダン・ゾンビ以前のゾンビ
まず、一番初めに触れておかなければならないのは「モダン・ゾンビ」とい
う言葉である。モダン・ゾンビとは、ゾンビ映画において、ジョージ・A・ロ
メロが生み出したゾンビの典型的なイメージ像の事を指している。つまり、我々
がよく知っている最もポピュラーなモダン・ゾンビを映画界に生み出したのは、
映画監督であるジョージ・A・ロメロなのである。しかし、ゾンビ映画の始ま
りは、それよりもさらに昔へさかのぼる。ゾンビ映画が初めて世に出てきたの
は、ベラ・ルゴシが主演を務める『ホワイト・ゾンビ』
(アメリカ、ヴィクター・
ハルぺリン、1932)からであった。この作品に登場したゾンビは我々が知るよ
うなゾンビのグロテスクな描写はなく、ゾンビ使いの手によって蘇らせた奴隷
のようなものであった。何故なら、もともとゾンビは腐っていた訳ではなく、
ただの操り人形に過ぎなかったためである。
これは、ハイチに伝承される死体を利用したゴーレムの生成、すなわちブー
ドゥー・ゾンビと呼ばれるものであった。ブードゥー・ゾンビとはハイチやベ
ナン共和国という国に実際に信仰されているブードゥー教という宗教に伝わる
黒魔術が起源となる。そのブードゥー教に伝承される黒魔術によって蘇った「生
きる死体」のことである。
ブードゥー教は主に西アフリカなどで信仰されている宗教で、ブードゥー教
はハイチから広がっていったとされている。16~19 世紀にアフリカ人が奴隷と
してカリブ海へと連れてこられた国の一つとしてハイチがあった。ハイチに連
れてこられ、奴隷化されてしまったベナン共和国の人々が逃亡し、逃亡した先
で指導者と共にブードゥー教を発展させた。
この「生きる死体」というのは本来腐っているものではなかった。元々、ゾ
ンビというのは生前の犯罪者に罪を償わせるために呪術師が死体を蘇生させた
という言い伝えであったそうである。つまり、ゾンビというのはあくまでも社
会的秩序を乱すものが現れないために黒人に施す儀式の一環であったというこ
とである。
また、20 年代後半、ハイチに 1 年間ブードゥー教の信者と生活を共にしたウ
ィリアム・シーブルックは自らの体験を THE MAGIC ISLAND(1929)とし
4
て出版した。この本が話題となり、怪物ブームに火をつける結果となったが、
それでも当時のゾンビは現在のように映画のメインとしては扱われず、主に脇
役として扱われることが多かった。当時はドラキュラやフランケンシュタイン
といった主役として扱われるようなモンスターが肩を並べており、まだ世間一
般に名前すら有名でなかったゾンビはあまりメジャーなものとして扱われなか
ったのである。
基本的には、ゾンビが登場する映画ではブードゥー・ゾンビ発祥の地である
ハイチが舞台となっているか、ゾンビを操ることのできるブードゥーの力を使
いこなす呪術師が登場していた。いずれにしても、ゾンビは悪の根源となる人
物が操るただの動く死体として扱われていた。よって、ゾンビ自体が映画の主
役として活躍をするのは、ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』
が公開された 68 年以降となるのである。
第2節
元祖モダン・ゾンビ『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』
モダン・ゾンビを最初に提示した作品は『ナイト・オブ・ザ・リビング・デ
ッド』
(アメリカ、ジョージ・A・ロメロ、1968)という映画である。この映画
を製作していた当時、ロメロはリチャード・マシスン原作の SF 小説『地球最
後の男』(1954)に感化されていた。
その『地球最後の男』では、世界中の人類が吸血鬼と化している世界が舞台
となっており、人間として生き残っている人類は主人公ただひとりしかいない
という世界観として描かれている。吸血鬼たちは夜になると、活発化した状態
となり、人類としてたったひとりとなった主人公に襲いかかる。そして、ナイ
ト・オブ・ザ・リビング・デッド』では、作中に出てくる怪物の設定を吸血鬼
からゾンビに置き換えて、戦いの舞台を『地球最後の男』と同じように一軒家
として設定している。また、
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』では、ゾ
ンビが世界中に広がっていき、ゾンビによって世界が支配される寸前まで陥っ
ているという世界観がある。これは、
『地球最後の男』にあった吸血ウイルスに
よって世界中に吸血鬼が蔓延したという設定と同じである。その中で、少数な
がらも人類が生き残るためにゾンビに対して果敢に立ち向かっていくという構
5
想もまた、
『地球最後の男』の吸血鬼による支配された世界観に感化されたもの
であるとされる。
これらのヒントを元に作り出した『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』
だが、実際に公開した当初はあまり高い評価を得ることはできなかった。しか
し、ドライブインシアターやグラインドハウスなどで公開されたことを期に、
若者たちやオカルトファンから絶大な支持を受け、
『ナイト・オブ・ザ・リビン
グ・デッド』は結果的に数多くのオカルトファンを生み出した。
そして、この作品は後に生まれる多くのゾンビ映画の元祖と呼ばれるモダ
ン・ゾンビ映画となるのである。また、
『ゾンビ映画大辞典』ですでに述べられ
ているように、この作品でのゾンビの描かれ方は、露骨なカニバリズムの描写
と、説得力のある現実的な人間関係が B 級ホラー映画を覆したことが大きいと
されている伊東(2003:64)。
話のあらすじは、主人公バーバラとベンが墓参り中に突如としてゾンビに襲
われてしまうというとてもシンプルなものである。そして、映画は一つの家を
舞台として、ゾンビとの息がつまるような攻防戦が繊細に描かれている。その
ゾンビはのそのそとゆっくりとした動きで標的を追いかけ続け、捕まえた人間
を捕食する。そのゾンビ達に対抗するため、途中で仲間になるアフリカ系アメ
リカ人のベン達と共に一軒家に立てこもる。
このように話の内容はとてもシンプルだが、そこに映し出されたゾンビのイ
メージ像(ゆっくりと動き、首元や手に噛みつく姿など)はそれ以降のゾンビ
映画に大きな影響をもたらすことになる。つまり、ロメロが生み出したゾンビ
イメージからゾンビ映画自体が離れられなくなってしまったのである。
第3節
模倣される『ゾンビ』
モダン・ゾンビとしてのイメージ像が主流化し、ゾンビ映画の約束事などの
決まりを提示したのはアメリカとイタリアの合作として製作された『ゾンビ』
(アメリカ、ジョージ・A・ロメロ、1978)である。この作品は各国で公開さ
れ、瞬く間にゾンビという言葉は世間に広まっていった。この作品は、ゾンビ
により崩壊する社会、サバイバルのために徹底的に行う暴力などをゾンビ映画
6
に普及させ、80 年代以降のサブカルチャーに多大な影響を及ぼしたと伊東
(2007:44)は指摘している。
おおまかなあらすじはこのようになっている。テレビ局員のスティーブンス
達は SWAT 隊員のロジャーと共に惨劇の地となった街から脱出するためにヘリ
コプターで飛び立つ。行き着いた先はとあるショッピングセンターで、食料確
保などを行うためにゾンビとの激しい銃撃戦を繰り広げていく。
前作となる『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』ほどの窮地に立たされ
るような絶望感はないが、紛れもなくこの『ゾンビ』に登場するゾンビは『ナ
イト・オブ・ザ・リビング・デッド』と共通の特徴を持ったゾンビである。ま
た、
『ゾンビ映画大辞典』において、この作品ではカニバリズムの特徴をしっか
りと捉えており、人肉を貪るゾンビはまさにスプラッター映画の主役として相
応しい理想的な姿だったと述べられているのである。伊東(2003:15)
『ゾンビ』という作品は世界でも評価が高く、イタリアのゾンビ映画もその
影響を大きく受けていた。イタリアン・ゾンビ映画としての方向性を提示した
作品は『サンゲリア』(イタリア、ルチオ・フルチ、1979)だった。『サンゲリ
ア』は、ロメロが『ゾンビ』で提示したモダン・ゾンビのイメージと、ブード
ゥー・ゾンビを融合した映画である。ブードゥー・ゾンビは、腐っていない状
態の死体が呪術師によって蘇った姿をしたゾンビの事である。
以上の 2 つのロメロ作品は今後のゾンビ映画の基準となり、モダン・ゾンビ
が生まれたのである。後に登場していくゾンビ映画は、モダン・ゾンビとして
定着したイメージからどのようにして逸脱していくかが大きな鍵となっていっ
た。
第2章
9・11―アメリカ同時多発テロ
この章の記述は、『入門・現代ハリウッド映画講義』(藤井仁子編、2008、人
文書院)、
『自由を考える-9.11以降の現代思想』
(東浩紀・大澤真幸、2003、
NHK 出版)、
『仕組まれた 9・11―アメリカは戦争を欲していた』
(田中宇、2002、
PHP 研究所)などをまとめたものである。
7
第1節
アメリカが震撼したテロ事件と映画の関係
アメリカ同時多発テロ事件が起きたのは 2001 年 9 月 11 日のことである。航
空機を利用したテロ事件は前代未聞で、世界中に衝撃が走った。マサチューセ
ッツ州のボストン、バージニア州のダレス、ニュージャージー州のニューアー
クから飛んだ4機の旅客機がウサマ・ビンラディン率いるテロ集団アルカイダ
によってハイジャックされた。そのハイジャックされた内の2機の旅客機がニ
ューヨークの世界貿易センタービルへ相次いで激突したことがきっかけとなり、
大規模なテロ事件へと発展した。それだけでは収まらず、アメリカはイラクに
対して宣戦布告をして、戦争を仕掛けることを発表した。この時、アメリカだ
けでなく、世界中が不安と混乱の胸中にあり、これからどうなっていくのかと
いう恐怖がアメリカ国民の中には常に付きまとっていた。このような不安や恐
怖はメディアに拡散していったのである。
それだけでなく、その恐怖や不安は様々な映画自体にも影響を与えているの
である。特に、戦争やパニック映画などに関しては観客動員等も軒並み減少し
ていくばかりであった。それほどアメリカ国民が受けた傷は甚大で、アメリカ
国民の愛国心を深く傷つけてしまったのである。
従って、9・11 同時多発テロ事件が発生して間もない頃のアメリカ映画に求
められたものは「ハッピーエンド」であった。必ず最後には希望を与えてくれ
るような映画は当時根強い人気を誇っていた。例えば、アメリカン・コミック
スが題材となった映画で、9・11 以降に公開されたもので『スパイダーマン』
(ア
メリカ、サム・ライミ、2002)や『X-MEN2』
(アメリカ、ブライアン・シンガー、
2003)などのヒーロー映画は人気を呼んでいた。しかし一方では『ワールド・
トレード・センター』
(アメリカ、オリヴァー・ストーン、2006)や『ユナイテ
ッド 93』
(アメリカ、ポール・グリーングラス、2006)などの、9・11 テロ事件
当時の事象を象った映画というのも製作されている。
この、9・11 テロ事件についての内容を映画とした作品の特徴は、映画の中
で 9・11 テロ事件を鮮明に映し出すことにある。
『ワールド・トレード・センタ
ー』では当時の事件現場で救助していた本人が出演している。後者の『ユナイ
テッド 93』では、製作するにあたって無名俳優を起用することによってリアリ
8
ティの向上を目指す試みがなされた。また、製作するうえで遺族たちの了承を
得て撮影を行ったとされており、映画の中には、9・11 テロ事件当時に起きた
出来事をアメリカが受け止めようとする動きがあるという事も見受けられる。
また、ゾンビ映画における 9・11 テロ事件がどのような影響を及ぼしている
のか、という事を検証する前に、他のジャンルの映画における影響を説明して
いく必要がある。9・11 テロ事件の影響を受けたことが明らかである作品2つ
ほど挙げ、
『入門・現代ハリウッド映画講義』で述べられた内容を以下でまとめ
ることとする。
まず、本書で一つ目の 9・11 テロ事件の影響を受けている作品として挙げら
れているのが『スパイダーマン』である。この『スパイダーマン』は、製作が
始まってから、公開されるまでの間でテロが起きている。そして、
『スパイダー
マン』の舞台となっているのが、9・11 テロ事件において同時多発テロを受け
たアメリカのニューヨークである。ニューヨークの都市部でスパイダーマンと
敵役であるグリーン・ゴブリンとの戦闘が繰り広げられる。その都市部に存在
しているはずの世界貿易センタービルが消えているのである。
これは、9・11 テロ事件において、世界貿易センタービルが標的にされ、同
時多発攻撃を受けた建造物として、アメリカ国民に映ってしまうからである。
まだ、アメリカはテロが起きて間もない時期であったため、テロを連想させる
映像を見せてしまうとアメリカ国民はその時の記憶を思い起こしてしまうので
ある。
また、
『スパイダーマン』においても、その続編にあたる『スパイダーマン 2』
(アメリカ、2004)においても、劇中に火事のシーンが入っており、消防士が
登場しているのだという。この、
「火事」と「消防士」が何故 9・11 テロ事件を
連想させるものなのかということには、9・11 テロ事件当時の事象が関係して
いる。
9・11 テロ事件が起きた当時、センタービル内に航空機が追突して大炎上し
た。そして、通報を受けたニューヨークの消防団が駆け付け、消火活動を行お
うとした。しかし、センタービルは最上部から倒壊していき、その瓦礫片が下
へと降下してきたのである。すでにビル内部にいた消防士のメンバーは瓦礫に
よって出口を封鎖されてしまい、逃げることができず被災してしまった。よっ
9
て、火事が起きるシーンや消防士が出てくるシーンにおいては、9・11 テロ事
件のことを連想させるものとして知られている。
また、2 つ目の作品は先ほども 9・11 テロ事件当時の事象を象った映画とし
て説明した『ワールド・トレード・センター』である。
第2節
9・11 の「悲しみ」と「恐怖」
アメリカは自由の国というスローガンを掲げているが、その象徴の 1 つであ
るワシントンの国防総省とアメリカ繁栄を象徴とする世界貿易センタービルは
得体の知れない存在によって突如として攻撃され、当時のアメリカは混乱を極
めていた。何故、アメリカ本土が攻撃を受けたのか、また、一体何者が攻撃を
仕掛けたのか、何の情報もないままただただ怯えるしかなかった当時としては、
この事件を引き起こした同時多発攻撃は「見えない恐怖」としてアメリカ国民
には映っていたのではないかと考えられる。
これらの情報を知るためにアメリカ国民はマスメディアを使い情報の収集を
急いでいた。しかしマスメディアの情報というのは一方向的で、アメリカ政府
が正式に発表した情報については正しく報道を行うが、自国にとって都合の悪
い情報等はかき消されてしまっている可能性がある。その意図は田中(2002:
16)に記されている「9・11 の「悲しみ」を「戦意」に変えるための世論操作
が展開していた」という事に尽きる。
それは、アメリカ国民にとっては「事件当時の悲しみ」と「見えない恐怖に
立ち向かっていく姿勢」となって心に焼きついていくのである。これを表して
いる有名な映画は、『ミスト』(アメリカ、フランク・ダラボン、2007)や『ク
ローバー・フィールド』
(アメリカ、マット・リーヴス、2008)などが代表され
ている。しかし、アメリカ国民にとってそれは当時の事件の恐怖を思い出させ
てしまうものであったのかもしれない。そして、それが映画の製作側が意図し
ていなかったとしても、テロを彷彿とさせるものとして映っていたのかもしれ
ない。
10
第3章
従来のゾンビとは異なるゾンビ
第1節
全力疾走するゾンビ
まず、9・11 以前のゾンビで全力疾走をするゾンビはいなかったのかという
ことについて説明をする。実は、『バタリアン』(アメリカ、ダン・オバノン、
1985)で走るゾンビというものは存在している。この作品で登場するゾンビは、
ゾンビの弱点が頭部であるという常識に逆らい、何をしても死なないゾンビを
映し出した。さらにここで登場するゾンビは知能的で話すこともできるため、
もはや何でもアリと言わざるを得ない存在として描かれている。
しかし、この作品に登場するゾンビには何でもできることに意味があるので
ある。それは、この『バタリアン』は、ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビン
グ・デッド』のパロディとして作られたものである。
前述した『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で確立されたモダン・ゾ
ンビからいかにしてイメージを遠ざけることができるかということに焦点を当
てているパロディである。つまり、
『バタリアン』におけるゾンビが走る理由と
9・11 以降にみられる全力疾走するゾンビとでは意味合いがことなっている。
そして、現在でもなおロメロが提示したモダン・ゾンビは根強く残り、その
影響は今でもゾンビ映画におけるほとんどの作品がこれを模倣している。しか
しながら、9・11 以降のゾンビ映画に変化が生じているのは事実である。それ
は、ゾンビ映画を見ている人なら既に確認ができることながら、ゾンビが凶暴
化しているということである。その変貌ぶりは映画を見ていれば一目瞭然であ
る。
伊東(2007:51)では、
『28 日後…』
(イギリス、ダニー・ボイル、2002)
『ザ・
ハウス・オブ・ザ・デッド』
(アメリカ、カナダ、ドイツ、ウーヴェ・ボル、2003)
『ショーン・オブ・ザ・デッド』(イギリス、エドガー・ライト、2004)『ドー
ン・オブ・ザ・デッド』(アメリカ、ザック・スナイダー、2004、)の作品をあ
げ、これらの作品についてこのようなことを述べている。
「これらが下敷きにし
ているのは、ジョージ・A・ロメロが作り出したモダン・ゾンビだが、単にそ
れをなぞるだけでなく、新しいエッセンスを加えようとしているのが特徴的で
ある。」としている。
11
どうやら、近年のゾンビ映画に見られる特徴は、ロメロが提示したモダン・
ゾンビというイメージをどのように覆していくかという考えではないようだ。
むしろ、そのモダン・ゾンビをどのように生かして、新しいゾンビとしての姿
を確立していくことができるかが重要であるようだ。
確かに、ロメロが示したゾンビのイメージは、映画の中でゾンビの強烈なイ
メージとして映っている。そして、そのゾンビのイメージは誰もが知るイメー
ジとして、定着している。つまり、ゾンビ映画の基礎として完成されているの
だから、ロメロが作ったイメージに逆らい、イメージと離れた異型のゾンビ映
画を世に出しても、ゾンビ映画ではないと言われるかもしれない。
だからこそ、むしろ今までの基礎が成り立っている上での、新しい要素をゾ
ンビに入れていき、吸収させているのではないだろうか。
第2節
『ランド・オブ・ザ・デッド』にみるゾンビの行動
ゾンビ映画を見ていき、この映画には 9・11 の影響が及んでいるとすぐに判
断するのは難しい。
しかし、研究のきっかけにもなった伊東(2007:45)には、
「911 以降のアメ
リカ(対テロ戦争とグローバリズムによる貧困の格差の増大)をゾンビに託し
た本家『ランド・オブ・ザ・デッド』が登場」と述べられていたのである。
この映画では、アメリカとイラクとの間で起きた対テロ戦争やアメリカで現
在問題となっている貧富の格差問題がモチーフとされているというのだ。
そこで私は、『ランド・オブ・ザ・デッド』(アメリカ、カナダ、フランス、
ジョージ・A・ロメロ、2005)のどのようなシーンにおいて、9・11 テロ事件を
彷彿とさせるものがあるのかを検証してみることにした。
まずは、このゾンビ映画がどういう作品であるかを説明する。
『ランド・オブ・
ザ・デッド』の舞台はゾンビによって世界が支配されたアメリカである。
映画の冒頭からゾンビが登場し、あらゆる場所に既にゾンビは存在している
ということを示唆させている。
この作品の主人公であるライリーは傭兵で、銃の扱いに非常に長けている。
その他のキャラクターも、銃器を扱うことに長けているキャラクターばかりが
登場している。
12
さらに、この作品では裕福な層と貧困に苦しんでいる層とで別れて暮らして
いる。裕福な層は、ゾンビの近寄らない地域で安全に暮らすことができる。さ
らに、街中でも一際目立つ高層ビルに居住しているため町を支配しているかの
ような構図に見て取れる。スラムで貧しく暮らしている層は、各自で武器を持
ち、自身や家族を守るために戦っている。主人公を含む傭兵は裕福層であるカ
ウフマンによって雇われている。また、カウフマンは町中にフェンスを築き、
安全地帯を作り出した町の支配者である。
そして、何よりここで注目したいのがゾンビの行動についてである。定かで
はないが、テロ戦争というキーワードがこの作品の中で示されているとすれば、
それはゾンビの行動や習性なのではないかと私は考える。
そこで、この作品に登場するゾンビに他のゾンビ作品では見られない特徴的
な行動をするゾンビであるビッグ・ダディについて注目した。ビッグ・ダディ
とは、作中に出てくるゾンビを率いるリーダー的存在として作中で描かれてい
る。ビッグ・ダディはガソリンスタンドの店員の姿をしており、アフリカ系ア
メリカ人である。ゾンビ化した後も、生前の記憶が残っており、ガソリンを注
入するシーンが見られる。このゾンビは、自我に目覚め、人間が行うゾンビに
対する殺戮行為に憤りを感じている。
また、花火に気を取られてしまう隙に人間に殺されてしまう事を学習して警
戒を怠らず、銃の撃ち方を習得し、応戦するシーンが見られる。それに感化さ
れたゾンビたちは次第にビッグ・ダディの真似をし始め、他のゾンビたちも武
器を持ち、人間に襲いかかる。このように、ゾンビは脳死している生き物であ
るはずなのだが、それに逆らったように感情を持ち、武器を使う事もできるの
である。また、このビッグ・ダディ率いるゾンビは水中を進んでいくことを覚
え人が密集している場所へ移動していく。その目標としてビッグ・ダディが進
行していく地点として定めたのが、カウフマンが居住している高層ビルである。
このカウフマンが居住している高層ビルは、街の象徴的な建造物であるかのよ
うにシーンでは映えている。
つまり、このカウフマンの高層ビルは、9・11 テロ事件で標的となった建造
物の一つである世界貿易センタービルをイメージしているのではないかという
ことである。何故なら、世界貿易センタービルはアメリカの自由を象徴として
13
いる建造物として有名だからである。
『ランド・オブ・ザ・デッド』における舞台であるアメリカの町はカウフマ
ンによって支配されている。つまり、カウフマンの住んでいる高層ビルはその
町の象徴的建造物なのではないだろうか。そう考えるとすると、私の考えでは、
ゾンビたちから連想されるのはアメリカに同時多発テロを仕掛けたイラクのテ
ログループであるアルカイダである可能性が高いと考えられる。
そして、物語の終盤、主人公達は装甲車に乗って町に残った人々を助けにい
こうとするが、ほとんどの人がゾンビに襲われている事を見て助けられないと
判断する。すると、装甲車に搭載されていたミサイルで人がゾンビに襲われて
いるにもかかわらず攻撃を行う。裕福層はゾンビとミサイル攻撃によって壊滅
してしまうがスラムの人はほぼ無傷で助けられる。これは、アメリカで問題視
されている貧困化に対する何かの意図的なメッセージではないだろうかと読み
取れる。
また、ゾンビに襲われている市民を救出しに向かい必要があったため、主人
公たちは装甲車に乗りこむ。その時、ヒロインが、装甲車の操縦を担当してい
た女性に操縦法はどうするのかと聞くが、その女性はゲームと同じであると答
える。このセリフこそ、9・11 をイメージさせるものが含まれているのである。
それは、9・11 テロ事件が起きた後の事象と関係しているのではないだろうか。
9・11 テロ事件がイラク戦争へと発展した後、当時アメリカとイラクとの間
でイラク戦争が開戦され、アメリカ兵士がイラクに派遣された。派遣されたア
メリカ兵が戦闘で使用していた兵器は特殊なものである。戦闘機、ヘリやミサ
イルなどにおいては、無人飛行するものや、レーダーなどで相手の位置を観測
し、遠隔操作によって敵陣に攻撃を仕掛けることが出来る。これらを使用する
ことによって、敵陣に移動することなく攻撃を行う事が可能だった。その兵器
を使用していたアメリカ兵士は、あたかもゲームをしている感覚で兵器を操作
していた。つまり、アメリカ兵がゲーム感覚で行う兵器の操作と劇中での彼女
の装甲車に対する扱いは合致しているのである。
14
第4章
9・11 以降のゾンビ映画分析
ここからは、研究対象に絞った 9・11 テロ以降のゾンビ映画を分析し、実際
に 9・11 の影響がゾンビ映画に及んでいるのかという事と、それはどのような
ものかについて述べていく。研究の対象とした作品は 9・11 テロ事件以降に公
開されたゾンビ映画の中からアメリカで製作、または他の国との合作で作られ
たものに絞った。
ゾンビ映画への 9・11 テロ事件の影響を分析するにあたって、アメリカで製
作されたものに絞った理由としては、9・11 テロ事件はアメリカ本土で起きた
事件であり、影響を最も受けていると考えられるのはアメリカが製作に関わっ
ている作品が妥当であるとしたからである。まず、一つ目はアクションホラー
ゲームが実写化をして話題となった『バイオハザード』(ポール・W・S・アン
ダーソン、2002、アメリカ、イギリス、ドイツ)である。
『バイハザード』の大ヒットが再びゾンビブームを引き起こしたのは本当の
ことである。元々、ゲームとしても人気が高かったため、映画には自然と人気
が集まった。そして、この『バイオハザード』ブームに肖り、再びゾンビ映画
は作られるようになった。この『バイオハザード』という映画は、元々カプコ
ンから発売されたシューティングゲームの『バイオハザード』が実写映画化し
たものである。ゲームの舞台はラクーンシティであるが、映画もまた、ゲーム
の設定どおりラクーンシティから悲劇が始まったとされている。
このシリーズでは、どのようなものが人をゾンビ化させているのかが明らか
となっている。人間をゾンビにしているのは T―ウイルスと呼ばれるもので、
ゾンビとなった人間が人間を襲う事で感染するだけでなく、ウイルスが何らか
の理由で体内に入るとゾンビ化してしまうのである。故に、ゾンビとなったの
は人だけでなく、犬やカラスなどの動物にさえも感染が及ぶという非常に感染
力の強いウイルスである。
しかし、ゾンビ自体はロメロの生み出したゾンビのイメージと変わらず、頭
が弱点でゆっくりと行動するタイプである。ただ、この作品の特徴といえるの
は、原作であるゲームでも登場するクリーチャーの存在だろう。ゾンビを含む、
ゲームで登場する敵はすべてクリーチャーとして分類されており、リッカーと
呼ばれる突然変異した変わり者などが登場する。リッカーはゾンビのように人
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が腐り、ゆっくりと相手を襲う姿からは想像もできないまったく別の生き物の
ような姿である。まるで、トカゲのように俊敏に行動し、人間から派生したと
は思えないような容姿をしている。また、舌がとても長く、ゾンビのように相
手を噛むことや、人肉を貪るというよりは、獲物を捕食するカエルのようなイ
メージが例えるのには相応しいだろう。映画『バイオハザード』ではリッカー
が登場しているが、これはいわば原作のゲームにも登場した『バイオハザード』
のブランド・キャラクターのようなものである。つまりこの作品においては、
ゾンビが 9・11 テロ事件の影響を受けて凶暴化したという事実に結び付けるの
には難しいのではと考える。この作品には複数の続編があり、分析に含まれて
いるのは 4 つである。まずは、
『バイオハザード』シリーズから順を追って分析
した結果を述べていくこととする。
『バイオハザード』シリーズを手掛けた監督はⅢ以外全て同じ人物で、ポー
ル・W・S・アンダーソンである。
『バイオハザードⅡアポカリプス』
(ポール・
W・S・アンダーソン、2004、アメリカ、イギリス、カナダ)は続編にあたる。
内容的にも前作からの続きであり、後に公開される『バイオハザードⅢ』
(アメ
リカ、イギリス、オーストラリア、ポール・W・S・アンダーソン、2007)も、
『バイオハザードⅣアフターライフ』
(アメリカ、ドイツ、イギリス、ポール・
W・S・アンダーソン、2010)と物語は続いていく形となっている。『バイオハ
ザードⅡアポカリプス』から、ゾンビによって町から人の気配がなくなってい
き、全体的に荒廃した世界観が現れる。この作品から、主人公のアリスは、T
―ウイルスと同化し超人的な力を手に入れることとなる。サイコキネシスのよ
うな超能力を使う事が出来るようになり、さらには「アリス計画」という作戦
によってアリスの複製までもが登場するなんとも SF に近いような作品になっ
てしまっている。また、従来のゾンビ映画ならば、登場するキャラクターはゾ
ンビに恐怖し、逃げまどいながら戦況を切り開いていくというのが王道である。
キャラクターがこのような超人的な力を持つことはなかなかない設定である。
ましてや、アリスはゲームにすら登場しない架空のキャラクターである。言っ
てしまえば、この作品はホラー映画というよりも、アリスが活躍することで成
立するアクション・エンターテイメント作品というジャンルになってしまって
いるように見えてしまう。
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また、
『バイオハザード』シリーズ以外でゲームが原作となっているゾンビ映
画として、
『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』がある。この作品においては、ゾ
ンビが人を襲う事で感染してゾンビになるという設定がない。それは、原作の
ゲームにおけるゾンビの存在定義が異なっているためである。
『ザ・ハウス・オ
ブ・ザ・デッド』におけるゾンビとは、人がウイルスによって感染し、生成さ
れたゾンビではなく、研究者が人間を利用して作り出した新種の生物なのであ
る。この作品ではその設定は違う形で表れている。
この作品でのゾンビが発生した理由は、黒幕のような人物は永遠に生きなが
らえるためにスペイン人を利用して死者を復活させるための実験を行っていた
というものである。また、ゲームが原作であるせいか、本作品はくどいほどに
ゲームであることを強調するシーンばかりが目立つ。ゾンビをなぎ倒していく
シーンでは、途中でゲームの映像を何度も挿入しているのである。
さらに、登場するキャラクターがゾンビに襲われて死亡するシーンにおいて
も、キャラクターを無意味に回転させて画面上から血を滴らせる表現を使って
いる。これはあたかも、ホラーゲームにおけるゲームオーバーになってしまっ
た時の画面を表そうとしているのだろう。
この作品におけるボスキャラクターのような存在は、ゾンビなのか人間なの
か区別がつかない。何故なら、自我ははっきりとしており、会話も卒なくこな
すことが出来る。それだけでなく、ボスキャラクター本体が人肉を欲しがって
いる描写がなく、あくまで、死体を使って実験を行う事が目的であった。
この作品と続編である『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド 2』
(アメリカ、マイ
ケル・ハースト、2005)も同様に、シーンにおいて分析を行ってみたが、この
作品からは 9・11 による影響を受けているかのような描写は見つけられなかっ
た。続編と物語はつながっていたが、
『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド 2』に至
っては、監督が違うからなのか、前作で見られたようなゲームを意識したよう
なシーンは見られなかった。ただ、この 2 作品とも、登場するゾンビは走る事
が出来れば、機敏に動きまわることもできる。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』はロメロ作品『ゾンビ』のリメイク作品とし
て位置づけられている。故に、この作品には『ゾンビ』でも見られたような特
徴が盛り込まれている。その分かりやすい特徴として挙げられるのが、ショッ
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ピングモールが作品のメイン舞台となっているところである。しかし、この作
品は『ゾンビ』のリメイク作品であるはずだが、ゾンビは全力で走り、人間に
襲いかかっている。つまり、この作品におけるゾンビが人に襲い掛かるシーン
は、従来のロメロが提示したモダン・ゾンビのイメージと異なっているのだ。
あらすじはこうである。アナという看護師が主人公で、その恋人であるルイ
スと平穏に暮らしているところに、近所に住むヴィヴィアンがやってくる。こ
の時はまだ普通の顔をしているため、アナもルイスも気づかない。しかし、ル
イスが駆け寄るとヴィヴィアンは一気に凶暴化してルイスの首筋を食いちぎっ
てしまう。
つまり、どういうことかというと、今までのゾンビは本能の向くまま人間を
貪るゾンビとして描かれていた。しかし、近年のゾンビは人間を欺くような行
動を仕掛けるなど、知恵がついてきているように感じるのである。また、近年
のゾンビ映画でよく見かける設定として「感染してゾンビになる」という設定
が増えてきているのではと考えられるのだ。元々のゾンビとして、定着してい
たブードゥー・ゾンビは黒魔術を利用した蘇生術であった。
しかし、近年に見られるゾンビ映画では、何らかの影響によってゾンビに感
染していくという設定が目立っているように感じる。つまりそれは、感染した
一人の人間から、だんだんと他の人間へ拡散していくというプロセスが王道と
なってきているということではないだろうか。ウイルスなどの細菌は、近年の
戦争においても軍事的利用がされていると聞くほど人類にとっては身近なもの
として存在するようになった。
『バイオハザード』でも、ウイルスを作り出した
のはアンブレラ社である。このように、近年のゾンビ映画に見られる傾向を分
析していくと、ゾンビ映画から読み取れる人類にとっての「見えない敵」とい
うものが徐々に浮き出てくるのかもしれない。
2009 年にルーベン・フライシャーが『ゾンビランド』(アメリカ)を製作し
た。この作品はロメロのゾンビのイメージをうまく利用しているゾンビ映画で
ある。
まず、本作では、主人公のコロンバスが、生き残るためにいくつものルール
を決めているということに注目する。主人公は、人間がもしもゾンビと遭遇し
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てしまった場合などを想定したマニュアルであるかのように本作で描かれてい
る。それはどういう事かというと、ゾンビが存在している世界で心得ておかな
ければいけないことや、接触した際にどのような対処をしておくのかなどが主
人公の視点で説明されている。例えば、ゾンビは、必ず仕留めるときに頭部を
狙って撃つ、ということや、怪しい状況であると判断された場合は出口を確保
するなどである。このルールは作品の中で重要な役目を果たしており、ルール
に従って生きてきたコロンバスだが、ウィチタとの出会いによって、ルールが
変わっていく。例えば、ゾンビと戦闘をするときはヒーローになってはいけな
いというルールがある。これは、自分が進んでゾンビと対峙していると、思わ
ぬところでゾンビに襲われるという暗示が含まれている。このルールを、ウィ
チタと妹のリトルロックを救うために破るなど、ゾンビに視点を置かず、ルー
ルに縛られて生きてきた青年が成長していく姿を中心に描いている。
また、本作品の世界観は他のゾンビ映画でも見られるようなものと同じであ
る。それは、ゾンビによってアメリカ全土が社会として機能を失っているとい
う世界が舞台となっているということである。それ故なのか、この作品の主要
登場人物はたったの 4 人である。ほとんどの町において、生存者はほとんどお
らず、都市はゾンビによって埋め尽くされている。
この作品は他のゾンビ映画のように、ゾンビとどう戦い、どう生き残ってい
くかという事に視点が置かれていないのも特徴である。では、どのようなこと
に重点が置かれているかというと、作中で出会った 4 人がゾンビによって埋め
尽くされた世界の中で友情を深めていくことにある。コロンバスとヒロインの
ウィチタとの恋愛や、旅をしていく中での日常的な出来事が中心となっており、
ゾンビとの戦闘は所々で見られる程度である。
この作品のゾンビはロメロのゆっくりとした動きのゾンビではなく、走るゾ
ンビである。また、光や音に敏感で、はしごなどがある場合は昇ることが出来
るなど、知性もそれなりに備わっているように見える。そして、一番注目すべ
きところは、作品の冒頭である。本作品は最初、コロンバスの語りとカメラ視
点から始まる。ビデオカメラを撮っていた男はその場で殺されてしまうが、後
ろには炎上したアメリカ合衆国議会議事堂が映っており、冒頭で消火活動を行
っている最中、ゾンビに襲われる消防士が映されている。この演出は、
『スパイ
19
ダーマン』でされていた 9・11 テロ事件を彷彿とさせるイメージとほとんど同
じであるという事が分かるはずである。
次に分析を行ったのは『デイ・オブ・ザ・デッド』
(アメリカ、スティーブ・
マイナー、2008)である。この作品は『バイオハザード』と同じ感染によって
発生するゾンビが描かれた作品である。作品の冒頭から、9・11 に関係してい
ると思われるようなシーンが見られる。
そのシーンは、軍が町に入ろうとしている車を制止しているところである。
このシーンにおいては、先述した 9・11 を彷彿とさせる、見えない恐怖が映し
出されていると考えられるのである。このシーンは、ゾンビの発生の元となる、
風邪のような症状を起こす感染症を拡散させることを防ぐために、軍が町を完
全封鎖してしまっているというものだ。軍はアメリカ国民に「演習」とだけ伝
えて、何が向こうで起きているのかという詳細を話そうとしないのである。ア
メリカ国民には、事実が伝えられることもなく、ゾンビの被害を受けることと
なってしまう。
また、ゾンビの凶暴さは私が分析した作品の中でも群を抜いていた。ゾンビ
の動きは早送りをしているかのように俊敏で、ゾンビ化した人間によっては恐
ろしいほどの知恵を付けており、非常に厄介な存在として描かれている。
ジョージ・A・ロメロが 2008 年にアメリカで製作した『ダイアリー・オブ・
ザ・デッド』は全てのシーンにおいて、ビデオカメラ越しからのシーンであり、
まるで実際に起きているかのような演出がなされている。この演出は『クロー
バー・フィールド』のような、フェイクドキュメンタリー 1のような手法である。
そして、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』もまた、アメリカでジョージ・A・
ロメロが製作した 2009 年の映画である。ロメロ製作の、これら2つの作品で共
通して見られるのが、軍人の介入が見られることである。
『サバイバル・オブ・ザ・デッド』では、主人公のサージが元州兵で、
『ダイ
アリー・オブ・ザ・デッド』にも、途中で登場する。また、そのほかにも『バ
イオハザード』シリーズに始まり、
『サバイバル・オブ・ザ・デッド』までを含
まるで、実際に起きた事であるかのように映画を撮る手法である。主にカメラは、
主要キャラクターのビデオカメラ越しなどを通した映像を我々映画視聴者が見ている
というものである。
1
20
む 12 作品のうち、10 作品において軍の介入、または軍人が主要人物などとし
て確認できた。このように、軍をイメージさせる演出が多くみられるのは、軍
の介入する出来事はアメリカ本土が窮地に陥っているという表現の一つとして
使用されているのではないかと私は考える。つまり、アメリカが何者かによっ
て攻撃を受けている姿をテロリズムからゾンビ感染に置き換えて演出している
のではないだろうか。
結論
結果的に言ってしまうと、ゾンビにおいて走るということ自体が直接的に
9・11 テロ事件と関わっているという結果は見いだせなかった。ゾンビ映画自
体に 9・11 の影響が見られたのではないかと思われる点はいくつかあったもの
の、本研究の要であった新しいモダン・ゾンビのイメージは見つけられなかっ
た。したがって、ロメロが生み出したモダン・ゾンビのイメージは現在のゾン
ビ映画においても根強く残っており、そのゾンビ像は現在のゾンビ映画におい
てそのままの姿として映されているわけでなく、様々な所に変化が見られた。
凶暴化したゾンビは、映画によって次第に知性を養い、行動力も飛躍的に上
がっている。このようなゾンビの変化は単純に、ゾンビ映画を見る視聴者を飽
きさせないための演出であるかもしれない。つまり、時代の変化に応じて、モ
ダン・ゾンビというイメージが進化しているということではないだろうか。
今やゾンビ映画は『バイオハザード』が公開されて以来、昔以上に注目を浴
びるジャンルとして世界中の多くの人から支持を受けるようになったのではな
いだろうか。テレビでもネットでも宣伝が行われるように、ゾンビ映画は大々
的にメディアでも扱われるようになった。つまりそれは、メディアというもの
が人々に対してのメッセージ性を強く持っているからである。様々な媒体を介
して、我々に訴えかけることによって、人はそのメッセージを頭に焼き付けて
いくだろう。
しかし、人は時が過ぎていくと、頭の中でどれだけ強く残った記憶や出来事
があってもその記憶は段々と薄れてきてしまうこともある。だがそれは、メデ
ィアとして残っているならば、またその忘れかけた記憶であったとしてもまた
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その記憶を思い返すこととなる。
以上の分析から、9・11 テロ事件以降のゾンビ映画で、ゾンビが凶暴化した
理由について私なりに分析結果を踏まえて述べていこうと思う。
まず、何故ゾンビが凶暴化しなければいけなかったのかということについて
である。ジョージ・A・ロメロが生み出したゾンビのイメージでは、ゾンビは
ゆっくりと動くことが前提にある。しかし、私が分析した作品の中でロメロが
関わっていない作品に登場するゾンビではただ走るだけでなく、人間が抵抗す
る隙もなく人肉を貪っていくものが多かった。簡単にいえば、逃げていたとし
てもたった一人のゾンビに追いつかれてしまえば、もはや助からないというこ
とである。しかもそれはかなりの高確率である。
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』や『ゾンビ』におけるゾンビや、
『バタリアン』におけるような不死身で屈強なゾンビが劇中に登場していたが、
人はゾンビと互角に渡り合う事が可能だった。しかし、
『デイ・オブ・ザ・デッ
ド』におけるゾンビなどはもはや戦う事や逃げる隙も与えられず殺されてしま
うのである。ゾンビは機敏に動きまわり、本来のゾンビでは考えられないほど
の機動力を兼ね備えているゾンビに人はなすすべもない。唯一対抗できるとす
れば、多くの場合が強力な武器を所持しており、装甲車を使って突破するなど
の手段しか残されていないのである。
それらの原因として、人がゾンビとして覚醒するスピードや、その機動力だ
けでなく、感染するといった現象が主流になったというのも大きいのではない
だろうか。感染を設定としているゾンビ映画の多くが、非常に強い感染力を持
ち、
『バイオハザード』においては風邪のように蔓延するようになってしまって
いる。現在におけるゾンビ映画の世界観は、噛まれることによって広がる感染
というテーマ性が強い傾向にあるようである。
ゾンビという怪物は、我々に恐怖を与える象徴としてスクリーンの中で暴れ
まわる。その暴れまわるイメージは、いつの時代においても人がゾンビに対し
て怯える対象として見えなければ映画として成立しない。そのためにも、いつ
までもゆっくりと歩いていては、ゾンビも飽きられてしまうのかもしれない。
また、人は時代が進むにつれ近代的なテクノロジーや近代的な兵器を使うよう
になってきている。ゾンビもまた、人間の高度な文明に対抗すべく、より屈強
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になり、知性を持つことを強いられるようになっているのかもしれない。これ
から先、作り出されるゾンビ映画において、登場する人間が進化していけば、
それに伴い、ゾンビもより凶暴化し、人間社会に牙を向け続けていくことであ
ろう。これからもゾンビという存在はモンスター映画を代表としたシンボルと
して残り続けるだろう。そして、ゾンビは昔と変わらないゆっくりとした動き
で人間を追い詰めていく怪物としてだけでなく、さらなる進化を遂げるかも知
れない。しかし、その姿をゾンビ映画は丁寧に、かつ残酷に描き続けていくの
ではないだろうか。
参考文献
荒木飛呂彦(2011)『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』集英社
石田一(2002)『ホラー・シネマ』河出書房新社
伊東美和(2003)『ゾンビ映画大事典』洋泉社
大塚英志(2003)『サブカルチャー反戦論』角川書店
小澤奈美恵、塩谷幸子、越智道雄(2008)
『9.11 とアメリカ : 映画にみる現
代社会と文化』鳳書房
伊東美和、馬飼野元宏、松崎憲晃、小笠原格(2007)
「ゾンビ映画再入門」
『映
画秘宝』第 12 号 pp.43-51
北島明弘編(1986)『ホラー・ムービー史』芳賀書店
田中宇(2002)『仕組まれた 9・11―アメリカは戦争を欲していた』PHP 研
究所
野原祐吉(2010)
『ゾンビ・サーガ-ジョージ・A・ロメロの黙示録』ABC 出版
東浩紀、大澤真幸(2003)
『自由を考える-9.11以降の現代思想』 NHK 出
版
藤井仁子
著・編(2008)『入門・現代ハリウッド映画講義』人文書院
吉川友貴(2007)
『ゾンビ映画論』中部大学人文学部コミュニケーション学科
卒業論文
鷲巣義明編(1998)
『ホラーの逆襲[ジョン・カーペンター]と絶対恐怖監督
たち』フィルムアート社
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参考 URL
「ウィキペディア(アメリカ同時多発テロ事件)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%9
0%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD
最終更新日 2012 年 9 月 23 日(日)
「ウィキペディア(地球最後の男)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%8
1%AE%E7%94%B7
最終更新日 2012 年 9 月 19 日(水)
(20040)