1月 - 中津川市

羽根つき
発 行 所
坂 下 町 公 民 館
岐 阜 県 恵 那 郡 坂 下 町
新聞編集者 編 集 委 員 会
印 刷 所
岐 阜 県 恵 那 市 大 井 町
東濃出版印刷株式会社
定価 特別号十円 普通五円
ち の 顔 も喜 色 に溢れ て 周 囲 には
かで あ りま す 。 羽根 つく 子 供た
羽子板が主の目覚めを待っており 麓鳥
羽根つきや水美しき宿場町
梟平
門松につららと羽子も凍てにけり 巨木
年 頭 の ご 挨 拶
か つ 相 当の 黒 字が 出 る見 透 しが
費 は 要 り ま し た けれ ども 、 な お
ありません 、勢い不足の 分は山
償 金 約 三 百 万 円 の 引 き 当て しか
林を 伐 るか 、 増 税や 寄 附 に よ る
機会 が 少な い ので 、 新 年 早 々か
つ き ま し た か ら 、こ の 点 ど う か
ら 堅苦 しい 事 を 言 って 恐 縮 で す
が 、 紙 上 を 通 じて 町 政 の ご 報 告
財 政を くず して は な り ま せ ん の
て 漸く に して 軌 道に 乗 っ た 健 全
ありま せん 、 が、そ うか と 言 っ
か 、或 は 借 金 に頼 る しか 方 法は
討 して み ま す に 、 今 尚 山 林 収 入
で 、さ て ど う した も の か と 思 案
しか し仔 細 に予算 の 内 容を 検
ご安心下さい。
に依 存 する 度 合 が多 過ぎ る 嫌 い
つ いて の 私 見 を 申 上 げて 、 皆 さ
や ら 、 当面 す る二 、 三 の 問 題 に
んのご 意見 を 承りた いと 存 じま
が あ り ま す し 差 し 当 りや ら ねば
で 、今 後の 財 政運営 も 決 して 楽
な ら ぬ 事 業 が 待 って 居 り ま す の
の最中であります。
◇
す。
町 の 町 政 に つ いて は 皆 さ ん が
ではありません。
と中津川市︵ 瀬戸︶を結 ぶ 道路
を 永久 橋 に 架 替え る 工 事 、 坂下
危険 状態 に ある外 洞の 堀 懸橋
と思いますが 、思えば最 近の十
常 に深 い 関 心 を 持 っ て み え る 事
◇
担 金 が 相 当 な 額 に な る見 込 み な
す が 、 補 助 は あ って も 、 地 元 負
工 事 な ど も 、 早 くや り た い ので
年間は 町財 政 にとって 、実 に苦
顧 みら れ なか った 事 業 に 加 えて 、
ので、全く頭痛の種です。
し い 時 代で あ り ま し た 。 戦 時 中
時 代 に 立ち 遅 れ ま い と し て 、 次
坂下 高校 に 、家庭 科専 修 の 、
◇
女子高 校を 併 設する 事は 、 定時
います。
◇
して 格 段 の ご 協 力 を 得 た い と 思
こ うした事情 をご 諒 察下 さ いま
事 だ け は 明ら かで あ り ま す か ら 、
が 、 成 否を 決 す る 分 岐 点 に な る
には生徒数の確保如 何と言 う事
続けて 居り ま す。 しか し 最 終的
県 当局 や 県 議 会 へ 陳 情 、 請 願を
更 に 近 隣町 村 のご 後 援 を 得て 、
を始め、町 内諸団体 と提携 し、
で 、以 前か ら 学 校 当局や 育 友会
た 当 時 か ら の 懸 案で あ り ま す の
制 の 坂 下 高 校 が 県 立 に 移 管 され
念 頭 に おき な が ら も 事 実 は そ の
を つ け ま し た ので 、 健 全 財 政を
か ら 次 へ と い ろ いろ な 事 業 に 手
特に老朽 した小学 校の 講堂建
了 後に 入る 予 定の 、 関電 関 係補
の処財 源と して は 、 関電 工 事終
けれ ば 、と 考 えて 居 り ま す が今
新 年度 には 何 とか して 建 築 し な
般の関 心も すこ ぶ る深 いので 、
校 当局 や 父 兄 の 要 望 が強 く 、 一
な って 参 り ま し た 。 最 近 特 に 学
で 、 つ い今 日 まで 、 の び の び に
町 財 政 が 火 の 車で あ り ま し た の
事 業 の 対 象 に な ら な いこ と と 、
小学校 の 講 堂 なるが 故に 、 補助
築 は 永 年の 懸 案で あ り ま す が 、
逆に、 長期の 起債は だん だ ん多
く なる し、 年 に よ って は 一 般経
出 した り し て 、 大変 ご 心 配 を か
常 予算 の 上 に も 、多 額 の 赤 字を
けて 参 り ま し た 。 し か し 皆 さ ん
不十 分 なが ら も 次第 に事 業 にし
の深 いご 理解 と 、ご 協力 に より 、
め く く り が つ いて 来 た 事 を 喜 ん
期の借 入金も 、償還計画に 基い
で 居り ます 。 お蔭様で 今 で は 長
て 償 還 して 居 り ま す し 、 本 年 度
生 き と し た 気 分 が 漂 って 、 お の
ず と ﹃ 今 年 も ど うか 良 い 年で あ
の 経 常 予 算 に つ き ま して も 、 関
どこ と な く 平 和 な 、 しか も 生き
ラジオ が伝 える除 夜の 鐘の音
ります 様に ﹄と祈りたい気 が湧
吉 村 新 六
に 昭 和 三 十 二 年の 新 春を 迎 え ま
ポンプの購 入を始め多額 な 臨時
坂下病院の 病棟建築や 、自 動車
電 の 補 償 金 が 入 り ま した の で 、
平素 は眼 前 の用務 に追 わ れ 勝
いてきます。
ちで 、親 しく 皆さん と語 り合う
した。 はる か 遠く連 なる 群 峰は
日に映えて松の緑も一きわ鮮や
白 衣を まと い 、 近 く の 山 々 は 朝
―
1
―
年
新
賀
謹
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(1)
くこ と が 多 い ので 、 老 婆 心 まで
税にして も 、又国や 県か ら の各
が 生れ た 現 在 今 後 は 、 地 方 交 付
にとり 替え るこ と に 決 定 ◇ 土木
予算を 審議 、 町有自 動車 は 早急
工 事 は 、島 井 田 頭首 工 ︵ 町 用 水
失 敗 し た と い う 様 な 例を 他 で 聞
種 の 財 政 援 助 に して も 、 合 併 市
目下 政府が 、農村振興の 対策
に申 し 上 げ た わ けで す 。 又 それ
と して 実 施 中 の 所 謂 ﹃ 新 農 村 建
設 の 総 合 計 画 ﹄ に つ いて 、 本 町
合併本年に持越し
年末に知事勧告
暮の二 十七 日 には吉 村、高 原両
坂下 町と 川上村の合併 は 昨年
町 村 長の 第 四 次会 談 が 約 束 され 、
取 水口 ︶ 災 害 復旧 工 事 は 工 費 二
線吉村義一氏下のカーブ歩拡め、
最 終 的 結 論 が 打ち 出 され る も の
百万円で 本 年 度中に 着工 、田 立
政治 的 にも 、 経 済 的 にも 、 悔を
ヵ所設 置工 事 は工費 十六 万 五千
竹 薮側 の 石 積 工 事及 び 待 避 所二
町 村が 優先 す る事は 明ら か で あ
将来に残す 事を懸念 し、合 併実
り ま す ので 、 こ の ま まで 行 けば 、
の消えた街 ﹄ にならぬ為の 対策
現 に 努 力 して 居 る 次 第で す か ら 、
う な 岐 阜県 知 事 の 勧 告 書 を 横 山
と され て い た が 、同 日 後 記 の よ
よりも 重大 なこ とは 工 事 終 了 後
こ の度 川上 村 を 含めて 一 地 区 と
と して 研 究 は して み え る 様 で す
を 建て る 事 で す 、 商 工 会 を 中 心
円で 満 州土 建 が請 負 い着 工 、下
坂下の 街が 一時的にもせ よ﹃灯
し た 予 備 計 画 地 域 と して の 指 定
何卒ご 諒承 を 賜りた いと 思 いま
の運 動を 続けて 居り ました 処、
を 受 け る 事 が 出 来ま した 。 目 下
が 、こ れ こ そ 衆 智 を あ つ め て 今
も 仲 間 入り した い と 考 え 、 指 定
﹃坂下 、川上 地域農 山村振 興協
県地方課長が 持参し恵那県 事務
外 道 路 は 年 度 内 着工 、島 平 道 路
の 吉 村 大三 氏 前 の 付 替え 工 事 は
す。
◇
す。
渉 は 新 春 に 持 ち 越 さ れ た も ので
所で 両 町 村 に 交 付 し た た め 、 交
か ら 真 剣 に 取 組む 必 要 が あ り ま
終 り に 皆 さ ん の ご 多 幸を 祈 っ
て年頭のご挨拶と致します。
森悦 太郎氏 前 の外川 護岸 工 事は
日の町議会全員協議会 に吉村
既報 の よ う に去る 十二 月 二十
ある。
佐々木工務 店 が施工 中、 相 沢地
その 他土 木 災害関 係で は 下外
住家の 移転 を 早急 に 行い 年 度内
いで 居 り ま す が 、 国 や 県 か ら の
隣村 川上 村 との合 併問題 は本
︵坂下町長︶
田立線改修など協議
着工する等協議報告があった。
議会 ﹄の結 成や計画の 立案を急
を 果 す 程度 の も ので 、 相 当 自 己
年の 重 大課 題 で あり ま す 。 従 っ
◇
負 担を せ な け れ ば な り ま せ ん か
合 併 条 件 等 に つ いて 、 い ろ いろ
て 合 併 そ の も の に つ いて 、 或 は 、
補助金 は﹃ 呼 び 出し 水﹄ の 役割
い 様 に 、 真 に 全 農 家 がこ ぞ って 、
ら 、 決 して 甘 い 考 え は 持 た れ な
或 は 中 津 川 市 へ 、等 の 声 も 相 当
専ら従 事す る 職員に 関す る 条 例
員団体 ︵教 職 員組合 ︶の 義 務 に
十 日 午 後 一 時 役 場 で 開 会 、﹁ 職
坂下 町議 会 臨時会 は十 二 月二
まで に 各 自 治 会 を 通 じて 一 般 の
五万 五千円で あるので 、 一 月末
十 五万 円 、 坂 下 町 へ の 割 当 額 は
額 六 億 七 千 万 円で 県 割 当 千 五百
◇靖国 神社 奉 賛会の 奉賛 金 は総
工事も東組が施行中と報告。
が行われた。
員 か ら も 相 当 突 っ 込 ん だ発言
す る 案 の も ようで あ り 、各議
ず 、実 質 的に毎 年予算で 操作
提 供 す る こ と の み に こ だわ ら
本 線 に 変 り は な い が 、 財 産を
を 求めた試案は 当初からの基
を 提 示 して 長時 間 に 亘 り 審議
町 長は合 併に関 す る試 案三つ
耳 に致 しま す が 、 私 と して は そ
設定の 件﹂を 上程、四ヵ月 間の
その 他 別 項 の 町 村 合 併 問 題 、
協力を求めることになった。
内川上 川の 木 曽川合 流点 の 護岸
関電 工 事 はこれ まで に は 、相
の合併を す るこ とが 先決 問 題で
れ にして も 、先ず以て 川 上 村と
時限条例として原案を可決。
◇⋮町議会臨時会
当 紆 余 曲 折 が あり ま した け れ ど
あ ると 思 い ま す。 既 に 、 去 年十
﹁坂下 町職 員の給与 に関 す る条
い ず れ に し て も 議 会 側 と して
とご 意 見も あ る事と 思 い ま す。
も 、只 今で は 工 事も 順調 に 進 ん
二 月 二 十 六 日 付を 以 て ﹃ 知 事 勧
も 形 の 上で は と も か く 、 実 質 的
新 農 村 建 設 の 意 気 に 立上 って 下
で 居 る 様で す し 、 そ れ に 呼 応 し
告 ﹄も 受 け ま した の で 、 既 定 方
新 農 村 建 設計画︵ 次号 掲載︶
な後退は容れ られ ないと す る意
たとえば 長野県側への呼び かけ、
て 商 工 業 者 も それ ぞ れ 腕 を 揮 っ
例の 一 部改 正 条 例設 定の 件 ﹂ は
中 学 校 ピ アノ の 購 入 経 過 に つ
◇
て 見 え る 事 は 誠 に 結 構で あ り ま
針 通り 大局 的 な見 地 に 立 って 川
いて 報 告 があり 、 坂 小 育 友会
さい。
すが、 問題 はこれか ら だ思 いま
に 基き 町 職 員 に 増 額 支 給 す る も
国 家 公 務 員 の 期 末 手 当増 額 支 給
向も強 く川上 村の出方が 注目さ
居ります。
れている。
上 村 と の 合 併 の 話 合 い を 進 めて
か ら 講 堂 の 建 築 を 実 現 して も
恵那郡坂下町
勧告書
勧告書の全文は次の通り。
ので 原 案 可 決 、 午 後 二 時 半 閉会
す。 い よい よ 工 事も 後半 期 に入
勿 論合 併 が 実 現 致 しま して も 、
りましたので 、商取 引に 油断を
せ ぬ 様 に 、 さ り とて 萎 縮 せ ぬ 様
も報告された。
ら い た い 旨 陳情 が あ っ たこ と
◇
した。
引続き 全 員 協議会 に移 り ◇総
期待す る事 は 、出来 ないか も知
額九十万円 の 本年度 第三 回追加
今 にわ か に 多 く の 経 済 的 効 果を
法 に 代 って 新 市 町 村 建 設 促 進 法
れ ませ ん。 し か し町 村合 併 促 進
な事は 業者 なら百も 承知で しょ
う け れ ど も 、 行き が か り 上 つ い
上 手 に 商 売 を して 下 さ い 。 こ ん
う っか り して い る 中 に 、 結 局 は
―
2
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(2)
に恵 ま れて い る。 一 昨 年 、 昨 年
か る か ど う か は 別 に して 、 豊 年
さて 、結 論 を 言 え ば 、 今 年は
ともなく、うまくゆくだろう。
上 の 年で あ る 、強 いて 難 し い点
矢淵、樺ノ木、
に続いて 、二 度あるこ と は三度
るこ と 、 感 冒 に か か れ ば 長 引 く
を 言 え ば 、 結 婚 は 自 重して 決 め
本郷三、西方寺、
島平二
しか し 、ま だ ま だ 、 米 の 統 制 は
上 げ た た め 参 列 者 は 男 子 だ けで
七 十 七 人。 当 日 は 町 長 、 教 育 委
中之垣 戸 、寺 尾洞、
こ と 、 酒を 呑 み過 ぎ ると い け な
大門、松源地、赤田、
九〇%以上
全 く 外 さ れ な い だ ろ う 。 依 って 、
災の用心である。﹂
いこ と 、 地 震 、 雷 、 水 害 な ど 天
相沢、握、宮前町
しは貯 金も 増 え る 年 だ。 商 工 業
安 江 貞 六
明けましておめでとう。
またひとつ〃
翁も年を
は 行わ れ る が 、個 人 個 人 の 対 税
△
〃門松や
▽
で は、大いに 研究せんとい かん。
年以上 と 明 る い見 通 しだ 。 減 税
︵フクロ︶
農 家 と して は 、 去 年 よ り 、 又 少
方面は 、坂 下 発電所 工 事の 関係
昭和三十二年の新
苗木藩昔噺
なお同月 十 日現在の町 税滞納
年度 分 一八 万 九千 五 百十 円 、繰
に よ る 経 済 政 策 が 、 年 内 に はこ
も あり 、イ シ バ シ 、 イケ ダ の 線
春、私は、ある隠れ
の 地 方 へ も 浸 透 して 、こ れ も 平
年度の 同期 と 比較して 二 三 万三
七円集 り 、 去 月二十 五日 の 民生
た る 占 易者 の元 を 訪
千円減っている。
越 分二 四万 一 千 九 九 〇円 ︶で 昨
額は四三万 一千五百円︵ 内訳本
ある、平 年作以上は収 穫し 得る。
今 年か ら 年 令 を 満二 十 才 に 引き
員 長の 挨 拶や 来賓 の 祝 辞 が あ り 、
新市 町村 建 設促進 第二 十 八条
市町村 建設 促 進審議 会の 意 見を
記念撮影や 、祝酒の 乾杯を 行い
第一項の規 定 により 、岐阜県新
別紙の よう に貴町に係る町 村合
﹁ ド ン グ リ 座 ﹂ の 演 劇を 鑑 賞 す
き き 内 閣 総 理 大 臣 に 協議 して 、
併 に 関 す る 計 画を 定 めた の で 、
る。
同 法同 条同 項 の 規 定 に よ り 勧告
年末一握運動
二万三千円集る
一握 り 運 動
はみ
こ れ に 基き 町 村合 併を 行 う よ う 、
する。
岐阜県知事 武藤嘉門
昭和三十一年十二月二十六日
昨年暮の
委員会で 配 分を決め町内の 保護
ん なの 協力 で 二 万 三 千 六 百 五十
恵那郡坂下町
世 帯 な ど 六 十 一世 帯 に 配 分 した 。
町村合併に関する計画
別紙
恵那郡川上村
愚 生 明治 九 年の 生 れで は あ る
人 生 僅か 五 十 年 そ の 中 半 分は
なるかを聞き たいだろう。 町政
経済 問題 の 次に、町政は どう
だ って 、 誰 か 他 の 人 に ば か り ま
れて 、今年の町の運
そ の 人は 、丸 顔で
勢を、みて貰った。
が 唯 永 生き ば か り し て い て 何 一
内訳は 各自 治 会 一万 七 九 三 円 、
婦人会 一万 四 七二円 、中学 校 生
か せ っ き り で は 駄 目 だ。 町 の 景
い襟に はネ ク タイ無 し、チ ョッ
の 眼 鏡 を か け 、 ワ イ シャ ツ の 白
るね。 つまり 物が下から伸び る、
今 年は 一般 に 、その 認 識 が 高 ま
気 に 大 い に 影 響 が あ るわ け だ が 、
ならず 甚 だ恥しき 次
つ坂下発展の為にも
だろ う ︶ に祖 父 母か
未 だ く す ぶ って い た
頃 は 文 明開 化の 煙 が
私の幼い頃︵ その
第であります。
キのポケッ ト からは 時計 に 銀鎖
寝て暮す。
徒会千 五百 十 二円及 び 米 八 升八
頭髪 長く、ロイド縁
合であった。
宮ノ洞など完納
納税組合を表彰
事が実 現して 行くと いう 、 極め
町 の 人 々 の 意 見 が 、 結 集 して 物
て 民主 的 に 出 来た 年で あ る 。 ま
一 向 に 占 易 者 ら し く な い 。﹁ ワ
シの は 科学 的 予言 だ か ら 、 必ず
が ノ ゾ いて い る と い う 格 好 で 、
日午後 一時か ら役場で 開 催 され
納 税 組合 長 会 議 は 十 二 月 十 四
次の 各 部落 に 対 し納 税報 奨 金と
ら 聞 いた り した 事を
一 寸 想 い 出 して み る
郷土坂下は明治 維
ことにした。
は苗木領遠山氏の 領
新 の 廃 藩 置 県 前 まで
―
3
―
今日小栗さんら
高齢者を表彰
町で は小 学 校 の 元 旦拝 賀 式 の
席上 、 次の 三 老 人に 記 念 品 と 賞
才︱赤田繁市方
才︱旭町寛一方
才︱握八四郎方
状を贈り長寿をお祝いした。
小栗志よう
鈴村吉五郎
早川ちやふ
な お小 栗 さんは 九 十 才 に表彰
を受け今年は二回目の受賞。
の 方 面 な ど は 実 質 的 に 充 実 して
こ とに結構で 厚生、 文化 、教育
べ き だ よ 、 が 、 大 抵 は そ ん なこ
こ わ れ るか ら 、 その 点 に 注 意 す
張 って 、 圧 制 的 に 出 る と 、 事 が
を 受 け 入れ て 行 く 当 事者 が 我を
いく。 た だ 、 その町 の 人 々 の声
当 る 。﹂ と 広 言 し て い た が 、 ど
ければ分らない。
うか な? それ は一年経 って みな
本郷一、本郷二、
宮ノ洞、小之沢、
▽
が 、今 年は 、 農 家 に と って 、 儲
町の景 気 が 良 いか 悪 いか だろ う
﹁ ま ず 、 一番気 に な る の は 、
△
感謝状の贈呈が行われた。
完納組合
上外、中外、下外、
以上︶新田、
時鐘、高部、東町
準完納組合︵九五
筆
髄
春
新
今年の成人式
男子七十七名
今 年 も 成 人 式 が十 五日 午 前 九
時から 役場 階上で 挙 行され る。
%
90 90 95
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(3)
ので 供 され て いた 。 石 高 わ ず か
のご 食 膳 は す べて こ の 土 地 の も
下 に在 り 優 良 米の 産 地 にて 領主
じられ 、一大酒宴が開かれ た。
にて せ ぎ 止 め て 川 干 し に 打 ち 興
の 殿様 の 末 孫 を 招き 、丸 田 屋側
く に は ど う し た ら よ い か 。 即ち
て 最も 有効 適 切 に 一 生の 幕 を 引
暮 に 、 一喜 一 憂 の 十 一を 伴 と し
さて 、 そ の 七 十 年 の 泡 の 明 け
ち ょ ろ ち ょ ろ と流れ る 沢 のほ
の 山 菜 を 、 漁 って 見 よ う と 思 う 。
う よ う に な る 、 早 春 のこ の 地 方
も、時には枯 淡な山菜料 理を慕
と く に 、コ ッ テ リ と した 物 よ り
思わ れ ま す 。 合 郷の 大 岩 の 上 の
か 別 な 料 理 法 が見 出 せ る よ う に
覚 え て 居 る が 、こ れ は も っ と 何
炉裏 端で や いて 、食 べた よ うに
頃朴葉 に地 味 噌と共 に包 んで 囲
長坂平 に 、 春 先 必ず 出た も ので
無念無想である。
とり可 愛ら し くも頬冠 り し た 、
一 度 訪 ねて み た い と 思 っ て い ま
した が 、今で も 有 るか 絶 え た か 、
全村民は酒やら重箱を持つやら
蕗 の と う が も う 出て い る は ず で
で 鎌 倉 前の 川 原は時 なら ぬ 人並
ぼんやり と 自分の 仕事 にぼん
す、苦味を 抜 くには 、四 回 位湯
一万二 十一石 日本中で 一 番小さ
至れば 、それ で よい。 そこ には
や り し た 速 力 で 、 歩 いて 終 着 に
す。 古 枯れ の 野に、 取り 残 され
い城の 殿様で も幕府へは 努 めね
私 達 小 学 生 は 横 吹 ︵ 握 ︶ まで
を 更 え て ゆで 、味 淋 醤 油で 煮 込
の 小 さ な 果 実 や 落 葉 の 下 に 隠れ
た 、コ ナ シ 、 ス ナ シ 、 ユ ウ ゾ メ
でゴッタ返した。
ド エ ラ イ偉 い 人 が 来 ら れ る と い
焦慮も なけれ ば羨望 もな い。こ
み、生のま ま 細切り にして 香味
ば なら ず江 戸 へ は苗 木よ り は始
江 戸 在勤 の 殿様の 主 食 は 坂 下
う の で ぞろ ぞ ろ と 羽 織 袴 で 出 迎
料 と し て も 結 構で す 。 寒 中 の 沢
終連絡があった。
米 にて 山 坂 の 多 いこ の 地 方 三 斗
れ安楽国である。
例えば百 姓 に一生懸命 死 力を
いない。
え に 行 った 事 を 今で も 忘 れ て は
甘酸味 少年の 頃の思 い出と なり
た 栗の実等 時 期外れ の 木の 実の 、
今 は 耕 地 整 理で 沼 田 も 少 な く
料亭あたりで は前菜の異色とし
て 都 人 士 に も 好 評ら しく 、 薄 い
な り ま した が 、 沼 田 の ド ジ ョウ
蟹 は す で に 定 評 あ り 中津 の 一流
衣で カ ラ ッ と 揚 げ る か 淡 口 の 自
尽 して も 天 変 地 変 の 前 に は 秋 の
人 間 ど もで あ る 。 古 今 東 西 ど ん
家醤油と味 淋で炒り 付けま す、
は、一とかた まりの集団で 越冬
ます。
予測する事は不可能である。
な偉 人 と い え ども 明 日を 的 確 に
木 の 葉 の 如 く あわ れ に も 無 力 な
入を 一 俵と し なけれ ば 扱 い にく
人 生 全て プ ラ ス マ イナ ス ゼ ロ
古 井 孝 吉
安 楽 国
く 、又 三 斗 で も 一俵 、四 斗で も
一俵 、こ の 見 栄も 手 伝 って 今で
も 三 斗 を 一 俵 の 風 習 が残 って い
る 。 駄 馬で 苗 木 よ り 蛭 川 を 通 り
今 の 丸 山ダ ム の 黒 瀬 より 小 舟 に
て 木曽 川を 下 り四日 市か ら 船 積
蟹取り の名 人は電気会社 の 市岡
当て た ら 、 こ れ こ そ 栄 養 満 点 、
して 居 る は ず で す 。 運 よ く 堀 り
て んで に 枝 葉の 問 題 に の み偉
箱の半 分はこ れで した。 木 の芽
さ んで 、 一 重 携 帯 に は 何 時 も 重
で あ る 。 例 え ば 坂 下 の 世 界で 申
そ う に 自 分 で 喜 んで い る 。 無 能
みで 江 戸 品 川 に 陸 上 げ さ れ て 運
な群衆であるに過ぎん。
秋のアジメに劣らない味です。
仮定して その 椅子を 得た 時 は得
は 山 椒 、 タ ラ 、コ ン セ ツ 等 それ
せ ば 町 長 は 一 番 偉 い 人で あ る と
そこ で 皆 さ ん 、 く よ く よ ば た
運送の最短距離でもあった。
意の十で あ る。 時流 れ 辞 す る余
ば れ た 。こ の コ ース が 一 番 物 資
又苗 木町 は今その 面影 も ない
ぞれの風味が有り、私はこぎ
新春随想
︵ 五加 ︶を 好む 、 野 生は あ ま り
さ ん の 宅で よ ば れ た 、浸 し 物 は
なぬ子 三 人 皆 孝 行、 死んで も命
ち ︶、 使 っ て 減 ら ぬ 金 千 両 、 死
﹁ 女 房 十 八 私 しや 二 十 ︵ は た
梶 田 敏 郎
今で も 忘れ ら れ ない 食味 の 一つ
のあるように。﹂
んで 有 る よ う で 、 数 年 前 に 宮 内
見 受 け ま せ ん が 、た ま に 植 え 込
糸魚川太郎一
早春の山菜
国に生きましょう。
子群衆で あ る 。胸を 張って 安楽
宇宙 は広 大 無辺で ある。 天の
ば た し な さ ん な 、 ど なた も 人の
川の恒 星の 光 が地球の人 間 ども
儀 なき 時 は 失 意 の + で あ る 。 差
教 育 は 勿 論 商 工 熱 も なか な か 盛
の眼に 入る まで には 三千 年もか
引もとのもくあみ○である。
ん。 学 校 の 無 い 時 代 故 、 坂 下で
が 北 恵 那 一 の 大 都会 ? に て 文 化
も 指 折 り の ﹁ 旦那 衆 ﹂ が 寺 小 屋
か って 居 る も の も あ る と 聞 く 。
の 中 心 は先 ず 苗 木か ら ⋮ ⋮ と。
へ習い に行き なかなか平 民は教
されて 、ご 好 意を し みじ み 味わ
およ そ虫 の いい人 生へ の 注文
で す。 あの 時 は 大丼 に山 盛 り 出
人 間 の 舌 と 言 うや つ は ぜ いた
った が 、あれ がも っ と小 さ な器
比 較 し た ら ど う だろ う。 人 間 の
くで 太 平 洋 戦 争 前 後 のこ と を 思
な りこ う し た 希 いを ひ そ か に 抱
で す。 しか し 人間は 、 大 な り小
こ の 宇 宙の 生 命と人 間の 生 命と
それ は 、 あ の 大 海 原 に消 え た り
しくい た だ け た と思 う。 シ ュウ
は尚更というところでしょう。
く も の で す 。 殊 に 新 春 に お いて
にチ ョ ッ ピ リ 出され たら 尚 珍ら
ので 、 五十 年 も 前 小 学 校 に 通 う
デ は ア ス パ ラ ガス に 似て よ い も
な 事で す が 、 慣 れ て は 今 日 こ の
い。 吾 々の 様 な 年配 とも なれ ば 、
頃 何を 食 って も それ 程 に 感 じ な
い 出 し た ら 、 も った い な い よ う
七 十 年 に な っ た とて や は り 泡 に
人生五十年が 、男六十九 年、女
とか 、 お盆 等 には坂 下 よ り 買 い
☆
変わりはない。
表れ た り す る 、 一ツ の泡で あ る。
育 どこ ろ で は な か っ た 。 正 月 だ
☆
物にぞろぞろと行ったものだ。
☆
中河 原 は砂 原 、 そ して そ の 西 側
私の 子供 の 頃はま だ西 方 寺の
を 川が 流れ て いた。 その 頃 苗 木
―
4
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(4)
末日坂下停 車場上野区間 バスの
開 通の 運び に 至 り ま した 事 は喜
しか り しが よ うや く 去 る 十 一月
十 四 軒 の 人 々 が 此 挙 に 協 力 して
熊が出る、道が悪いというのみ
び に堪 えま せ ん。上 野と 言 えば
郷の 半 分位 の 面 積に 当る それ 故
六 ヶ し い 問 題 の 住 民 の 立 ち のき
が 水 不 足 に 非 すこ の 一 部 分 で 本
原先 生 の 為 に 建て ら れ た 碑 前 に
二 軒 は こ の 部 落の者 に甘 言 を 以
来る所で な いと思い 立った 。園
が 胎 動 して 来 る も の と 思 い ま す 。
誠心誠意身を忘れて 済生の為に
ぬ か ず いて 、 生 前 の 先 生 を 偲び
間に交 通瀕 繁で 危 いから 年 寄の
楽 し い 世 の 中を 創 る と い う 夢
が世に 知られ て 居り ま した が今
は芽生えた く ましい 斗魂 の 伏線
現実の厳 しさ の前に そう 簡単に
の喜び は、楽 しい世 界と 決 定づ
て 協力 を せ な が ら 仕 事 が す めば
厳 しい 現実 にこ そ真 の 人 生 の 夢
は 浮 ん で こ な い の が だれ し も の
尽され し事 績 を 思 い 満 腔 の 感 慨
に よ り 生活 改 善 、 衛 生思 想 の 向
日で は 青 年 団 、 婦 人 会 等 の 自 覚
さて お互 い に今 年 の 夢 は 、 そ
共 通 点 で し ょ う 。﹁ 夢 を 抱 く 者
けられ た も の の 中か ら は 生 じて
しき や 。 県 下 の 名 町 長 と 評 せ ら
棄て て か え り み ず 何 ぞ 無 情 の 甚
して 希 い い は と 考 え る の で す が 、
は 幸 な り ﹂ と 云 う よ う に 、 それ
暫くして 拝 辞 し、帰 路は 道を 木
胸 に 迫 り 涙 に 咽 ぶ ば か りで した 。
曽川の 釣橋 に 向か い しは 交 通の
れ し人 の措 置 とは思 えぬ 。 古語
上等着 々と 進 歩の途をた どりつ
一九 五七 年こ そた くま し い夢
来ないようです。
の軌跡が描かれ る年と思います。
つあり ます。 特に今や 完成せん
夢を 抱くも の には課税す ると、
相応の夢は抱きたいものです。
い く ら 課 税 の 好き な 政 府 も 、 そ
とする 一大 人 造湖椛 湖の観 光施
ボ ー ト に魚 釣 り 、 秋 は 紅 葉 に 松
設の 完 備に よ り春は 椛木 、 夏は
ありと 雖も 見 る可ら ず奸 臣の 其
君を 覆 う者 又 然り﹂ と 云 う 事が
﹁ 一指 以て 目 を 掩 え ば 泰 華 前 に
ある。 幸 い にこれを 思 い 、 又水
野溜池の拡 張事務所 に立寄 り具
に事情 を 聞 いて 帰る。 年の 改る
茸狩、冬はスキーにスケートと
危険を 慮ば りて なり 。 帰り に上
と共工 事の 進 捗し完 成近 し にあ
便 の 悪 しき 所 は 火 災 の 際 に 類 焼
る 日 も 近き 日 に 実 現 す る 事 に 思
四 期 の 遊 覧 地 と して お 目 見 え す
ようです。
幸 福 の 青 い 鳥 は 決 して 広 い 森
ら ん と す は 国 家 が 巨 億 の 資 金を
も 明ら かで あ る。こ の 部 落 は 水
を 免 れ ざ る は 各 地 の 例 に よ って
又 描 か ね ば ば ら な い 年で も あ る
の 中で は み つ か る も の で な く 、
投じて 建設 し 積極的 に地 方 に均
います。 お 互 いは美 しい小 市民
我が家の軒先 におったと い う、
テンせ しめむ との主 旨な るを以
んな無粋なこ とは申 すま い と思
あれ もこ れ も 考 え れ ば 際 限 の
度考えて み るこ とを 私 はこ の新
メ ー テ ルリ ン ク の 青 い鳥 を も 一
的な夢をどんどん抱くべきで し
な い も の 、 そ の 中で 現 実 化 し そ
ょう。
うな夢をピッ クアッ プす るのも
地元上 野は 最 大限の 利用 してこ
る明治 二十 五 年には 馬二 匹 建物
中に一 軒は 二 回に及 び 全 焼 、去
上 野婦 人会及び 育友会 の協
をお願いする次第であります。
いますから 各 位の一層のご 協力
の機を 逸せず 工事の 進 捗に便せ
同作業
利 に 乏 し く 最 近 三 回 の 火 災 にて
して た く ま し い 夢 も や は り それ
は隠居が一軒残り家財一つも不
て し 、 上 野 学 校 にて 吉 村 町 長 が
と同じで は な いか と 考え るこ と
しむ る 様 勧 告 せ ら れ し よ り 、 上
春 に し み じ み と 想 い 、美 し い そ
る う ち が 楽 し く て 終 って し ま う
ど ホ ン ト は ピ ッ ク ア ッ プ して い
です。
又 楽 し い も の と 思 い ま す 。 けれ
と げ ん めつ の 悲 哀を 感 じ た り 、
育 友会 は 九 日 小 雪降 る寒 さ を 物
上 野 婦人会 は 去 る十二 月 六日 、
ともせず上 野学校林並に区 有山
水の なか り し 為 め見て 居 る だけ。
林の下 刈り を 請負い 婦人会 は二
残ざ る惨状 後の三度 目の 火事も
出した 水は 作 物だけで 無 く 人生
万 何千 円 、 育 友会 は 一万 六 千 円
し 来り しも 、 特 に 本 郷の 字 神ノ
生活 に 必要 な もので 、一 掬 同情
野区 にて もこ れ に順 応して 努力
木西田 及 大 沼 の三 字 は古 来 水利
を 以て 再 考 を 乞 い 併 せて 社 会 の
泰華前にあり
の便に 乏しく 少し干天と なれば
の 請 負 を 何 れ も 会 費 に 寄 附 し会
の 果て 、 獏 に み ん な 食わ れ て し
たち まち 干魃 するより私 共 の子
批判に訴う。
ピ ッ ク アッ プ す ら 出 来ず あ げ く
来昭 和三 十 二 年は 幾多 の 希望
供の時から 他 地方の 人は 何 んじ
つせ み の な ら わ しと いう と こ ろ
て 入れ て 置 く か カス ガ イ が 打 っ
ぶ か ら 底 へ 石 を ナ ワ カラ ゲ に し
地 方 文 化 の 向 上 は 先 ず 交 通の
見地からも之れを改善の 必要に
学校の便所 が 不完全で衛 生上の
に 落ち 着 く 場 合 が 多 い よ う で す 。
えて 町 村合 併 の 大 問 題 が あ り 、
て 有 り そ れ に つ か ま って 身 を 温
完 備か らで あ り ま し て 上 野 区 と
かかる共同 作業によりその収益
水 電 工 事で 町 方 面 の 賑 か さ は 、
して バ ス の 開 通を 期 待 す る 事 久
古 田 孫 六
を 載 せ て 新 な る 年で す 。 昨 年 は
まう夢が大部 分だと いうの がう
私たち の 国 も国連 加盟 の 夢が
体が軽すぎて 風呂へ 這入ると浮
ゃ 日焼 ざ る め が ヒエ コ ガ シ めが
の向上 発展を 期し、今 後も 時々
う な 年 で あ っ た の で 、こ こ に 加
坂下始 まって 忙 しい 目の ま うよ
上野バス開通
春であるようです。
実 現 しこ の 新 春 は 殊 に 夢 多 い 新
着 ざ れ 共 凍 ゆ るこ と な く 、 火
誰も驚 き ま し た。 金 儲け はこ の
め る な ど と 呼 ば りて 侮 辱 呼 ば り
方で あ り ま す 。 特 に 育 友 会 は 小
計 画を 樹 立 す る と い う 張 り 切 り
により見学 旅 行その 他の 事 業の
にも焼 かれ ず 、水に も 溺れ ず ︱
を 常 と した が 、 それ で 上 野 全 部
田 口 梅 三
︱こ れ は 常 に 夢を 抱 く も の の み
弥栄橋 の 大 仕 掛けを 見て 少 時の
時と大繁昌 、 一度見 度と 対 岸の
﹁節 は風 霜 に耐え ﹂のご とく
が持つたくましさです。
―
5
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(5)
ると同 時に下 刈、植樹等を 通じ
会 並 に 一般 区 民 が 森 林施 設 を 知
居 り ま す 。 上 野 区 と して も 婦 人
力 に よ り 之 れ が 実 現 を 期 待 して
より 資 金の 収 得を 計 り 当局 の 協
永 い は ず の 人 生を 短 く 感 じ ら れ
一 面 無 為 無 策 に して い た ず ら に
さ ま ざ ま の 体 験で あ る 。 し か し
先 ず 想 う 事 は 人 生 の 永き に 渡 る
至 った が 五十 七 年の 春を 迎 えた 。
を 考 え て い た ら 、施 策は 堂 々巡
も の は 一町 村 一 部 落 のこ と の み
る。 か よう な 時 代の 政治 と い う
にから み、C 又はAとも 関 連す
問 題 が 益 々 複 雑 して き 、 A は B
ない大きな気 持がまず必要 だと
併を 促 進 して 将 来 に く い を 残 さ
万難を は い して 先ず 四 ヶ町 村合
して こ の 際 少 事 にこ だ わ ら ず 、
が開け ると 考 える、こ の 前 程と
たのである。
自 己の 仏性 を 常 に喚 び 出 して い
家瑞厳 老和 尚で も 、 斯様 に 毎日
いた と 云う ので ある 。禅 宗 の 大
︵ ハ イ 、 ハ イ ︶ と 自 問 自 答 して
り に 終 るの で は 無 い か と 思 う。
朝 早 く 東 天 に向 い 、瑞 厳 和尚
て いる 次第で ある。 体 験 と 申 し
思う。
て 今 後 の運 営 に万全 を 期 す る 覚
﹁ し っ か り 眼 を 覚 ま して 、 自 己
が や っ た 様 に 、 大 声 で 、﹁ 主 人
る。
公、主人公﹂と﹁ハイ、ハイ﹂
誇 った り 財 政 の 有 福 を 力 と す る
新 年 に あ た りこ の 夢 の 実 現 が
程度で は益 々 生活が 苦し く なっ
十 年以 内 な ら ん 事を の ぞ ん で い
研究したい松茸人工増殖
国力の 伸張振 は青年時代の 夢と
て 来る 。 私 は か よう な見 地 から
も多少の山 林 資源の あるこ とを
上 野 松山 と いえば すぐ 松 茸を
一転 して の 国 際場 裡 か ら の 我国
共 に 大き い希 望 を い だか せ た が 、
中 部 日 本地 帯 を 開 発 し 都 会 と 直
今 日 や か ま し い 町 村 合 併 に して
連想 します。 昔は相 当管 理を し
結する中央自 動車道の実現 に大
未だ一度も 扉を開いて 、自 己の
せば 吾 々の 世 代は日 本の 一 番華
て 居り ま した が、戦 時食 糧 問題
食糧 事 情 の 最 悪 状 態 。 人 心 の 悪
の 凋 落 は 悲 惨 と い う 他 は 無 い。
﹃ 一 年の 計 は 、元 旦 に あ り ﹄
が今年は元旦早々、大声で、
真面目を、お迎えした事はない
や か な 時 代 に 生れ あ わ せ 、 そ の
解決の た め 一 般開 放 され 、 無 統
い な る 期 待 を 持 つ も ので あ る。
より大変珍 しい行事を 、実 行す
のこ と わ ざ に 従 い 、 今 年 は 元 旦
悟であります。
制 我 先 き と い う 状 態 にて 小 指 大
化、戦 後混 乱 は今で は 一 つ の悪
す る と 思 う 。 田 中 プ ラ ン と いわ
こ の計 画は 近 い将来 に必ず 実現
松 田 幸 雄
だ け は 、 忘 れ ず に 供 えて 来 た が 、
来る 年も 、 来る年も、 お 神酒
満著されるなよ﹂﹁ハイ、ハイ﹂。
の 生 命 を し っ か り 握 って 他 か ら
にて も 見 当 り 次 第 と い う 有 様 に
しか っ た 様 々 の 生活 体 験 は 今 尚
夢 と な って 居 る が 眼 を 閉 じ て 苦
無門の門松
る 有 様 にて 年 々 減 産 の 状 況 と 聞
て 折角 の も の も 全 く 発 育 出 来ざ
神戸間 四八 〇 kmを 六時 間で 走
は な い か と 思 わ れ る だろ う と 云
ら ﹁ ク リ ク リ パ ー﹂ に な っ たで
ま し に なら れ た ので 、 盃 を 頂 戴
眼 を パ チ ク リ さ せ な が ら 、 おで
﹁主 人公 、主 人公﹂と呼ば れて 、
行 す る と い わ れ る。 こ の ス ピ ー
致 し 、 今 年 の 計 画を 授 け ら れ た
る 考で あ る 。 恐 ら く 他 人 が 見 た
対 す る 愛 着 心 は深 ま る も の だ。
活 が 異 状 な れ ば 異状 な 程 郷 土 に
うのは 、昨 年 暮ふと 手に 取 った
れ る 、こ の 計 画 に つ いて は 東 京 、
か 統制 す る と 同 時 に 人工 を 加 え
ド を も って 産 業 道 の 完 成 に よ り
次第です。
慄然た る想 い がする。しか し生
充 分発 育を 計 ると同 時 に 増 殖を
坂 下 に 生を 受 け 坂 下 に育 っ た 者
の は 、 禅 宗 第 一の書 た る 無 門 関
き ま す から 、今 後は 之れ を 何と
計りたいと思います。
の 解 釈 書で あ る が 、 その 無 門 関
事を考 える 時 坂下もこ の 周辺の
と 云 って 応 へ 、又 ﹃ 惺 々 著 ︵ は
生 ま れ な が ら に さ して 記 憶 力
早 川 み え
つれづれに思う
給え
共鳴の士 あらば、大いにやり
夢々うたがうなかれ、
た ら す 、 A 級 規 格で 二 十 二 米 の
の 、 第 十 二 則 に あ る 厳 喚 主 人の
こ の 地 方の 産 業 の 一 大革 命 を も
幅 員 道 路で あ る 。 こ の 道 路 の 周
項で 、 次 の 様 な 事 が 書 い て あ っ
人も想 いを 同 じくさ れ るで あろ
うが、私も 年 来少しで も 住 みよ
辺の地 価の 安 い環境 の良 い田舎
た。
には 郷 土の 発 展を 願 う気 持 は 何
客の訪れ る 日 には名 物の 松 茸 狩
い﹁ 郷 土﹂ を 現 出して 次 代 に申
へ 大工 場及 び 住宅 が ド ン ド ンと
今や 完成せ んとす る椛 湖を 背
を して 上 野 の 名 所 の 一 つ に 加 え
し 送 る 責 任 を 感 じて 居 る 一 人で
移 動 建 設 せ ら れ る 。 そこ で こ の
人 公 ﹂ と 呼 び 、﹁ ハ イ 、 ハ イ ﹂
﹃ 内 ﹄ に 向 っ て 、﹁ 主 人 公 、 主
景 と して 観 光 施 設 の 完備 、 観 光
る日も 遠く は あるま いと 思 いま
あ る 。 今 の 坂 下 は 町 当局 始 め 各
める事 が出 来る様に なると いう
地 方 の 二 男 三 男の 生 活 の 道を 求
るとは いえ 、 私の現 在最も 気 に
瑞厳 和尚は 、毎日自 分自 身の 、
す。
方 面の 熱 心 な 指導 と 町 民 の 協力
淸
で 着々 見 る 可き 成果を あ げて い
沢
郷土の繁栄
田
という 物が忘 却の彼 方へ駆 け足
の よく な い 私 は 近頃 こ の 記 憶力
ぱり年のせいか?五十回の門松
で 逃 げて ゆ く 様に感 じ る 。 や っ
斯うい いつ け る。 それか ら ﹃眼
か ら 満 著 さ れ る な よ ﹄﹃ 喏 々
を 覚 し て い て 、こ れ か ら 先 、 人
っ き り 眼 を 覚 し て を れ よ ︶﹄ と
した 大 都市 の 建設に 協力 す る事
に加わ り恵 那 市 、 中 津を 中 心と
において 郷土が永久 に栄え る道
三 ヶ 村 も 一 早 くこ の 構 想 の 一 環
責任が 分家 に 対し益 々 重さ を加
証で あ る。 戦 後の 世 相 は 本 家 の
え る よ う に な って 来 た 。 各 種 諸
かかる 事は 次 男以下 の生活 の保
げ ま す 。 私 も 坂 下 に 生れ 坂 下 に
新 年 の ご 祝 詞 を 謹 んで 申 し上
育ち 他 郷に 出 た 事 が 無 く 今 日 に
―
6
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(6)
かる女の先 生姿が、二、三 おめ
目で 新 年の 挨 拶 に 行 わ れ る とわ
て 来ら れ る 役 所 行き の 人 達 、 一
のボタンもかけらない程に走っ
あ俺は二十 年 早く生れ 過 ぎた!
我々 に は あ の 素 直さ が な い 。 あ
で 踊るこ と が 出 来るで あろ う。
になって 、 若 いもの と同 じ 感情
な って も や は り 若 い 世 代 と 一 緒
る。 彼 等 が や がて 白 髪 の 老 人に
元旦の駅
で と う ご さ い ま すと 頭も 低 く 出
彼 等 は 人 間 の 尊 厳 が 侵 さ れ るこ
化 を 、 し み じ み 味 わ って い る 。
て 行 か れ る 。﹁ 挨 拶 は あ と だ ﹂
との悲 哀さを 未だ知ら な い世代
先 日 大 井で の 生活 改 善 講 習 会 の
百八の音 の消えんとする頃よ
と 言 っ て 飛 び 乗 って 行 っ た 同 僚
つもりで い る。 昔なら 、も う人
り東天 紅の 声 と共に三十 二 年の
もある。子供の頃には元 旦 に泣
を く ぐ った と は いえ 気 分 は 若 い
新 春 は 希 望 を 持 って 明 け て 来 た 。
で あ る 。 そ して 人間 が如 何 に尊
CBC 、BCG等、放送局の名
用 語 も 普 通会 話 に な り 、 B H C 、
沢山あ る。 それで いて ロ ー マ字
はこ ん な希 望で 伸びて いる の だ。
時に私 はハツ !とした。 若 い人
とはっきり した言葉で 云わ れた
ゆか な いも の は 改 めて ほ し い
合 して ゆ け る け ど 自 分 に 納 得 の
も 最 良 の 年で あ り ま す 様 に と 神
が出来ました。善男善女は新年
人達の 出掛 け られ るのを 見 る事
所で す が 、 それで も 例 年 の 様な
す。元 旦は 私 達の 職 場 は 淋 しい
様 の ご 協 力 に よ って 親 し く して
が始められ る。新年も町 民の皆
美 しく 色ど ら れ 元 気 な姿で 活 動
紅 に 染 め る 頃 に は 晴 着 に よ って
して 年 中 無 休 の 職 場 も 東 の 空 を
な い も ので あ ろ う。 敗 戦 に 依 っ
を 持 っ て し て は とて も 我 慢 出 来
会 は 彼 等 の 内 に育て られ た 性 格
行くとき 彼 等 の 行く 手に あ る社
彼 等 が や が て 学 校 を 巣 立 って
早 川 晴 二
家にはどこ で も家 風と い う物
こ の めで た い 、又 神聖 な 元 旦に
い も の で あ る か と い うこ と を 絶
折 り 嫁 の あ る 人 、こ れ か ら 貰 う
が あ る が 嫁 を 貰 って そ の 事 で 嫁
く 子 は 一 年 中 泣 く と 言わ れ て 一
えず教えられて育っている。
生の終局 だ ったのに 、だ が 目ま
し い用 語を 作 り 、流 行を 作 り 、
と 折 り 合 い よ く ゆけ るか 、 又 如
私は皆 様の 知 らない 一とき を お
旦早々 にして これ 程 に忙 し いそ
日は謹 んだ頃を思い 出す が 、元
して懇談した時、或る人が、
突拍子 も な い 旋風を 巻き 起 こ し
に 対 して 或 る
知ら せ しま して 笑 い の 内 に 幸 福
人 、こ れ か ら な る 人 と 席 を 別 に
て 通り 魔の 様 に過ぎて ゆ く 。 新
何にして ゆ く か
を つか まれ る 事を お 祈 り 致 しま
は 次か ら 次 と 新 し い 思 想 や 、 珍
聞を みて も 一 寸雑誌を開 いて も
その 家風も 正しいもの なら和
4Hから出席された娘さんが
ぐ る し く 変 わ って ゆ く 時 代 の 波
ないと 何だか 判断 出 来な い 事が
片 か な 文 字 が 増 えて 注 訳 付 き で
な ど 間 違 え て 喋 って 失 敗 す る 事
か薬の 名か 一 寸考え ないと 、私
勢 様へ 元 旦 に お参 り に な る 人 が
その 中 に 此 々 二 、三 十 年 来 お伊
拶と致します。
の 所見 と共 に 紙 面を も って ご 挨
等に主従関係を強要 し、封 建的
れ 去ろ う と して い る 。 資 産 が 彼
て 輸 入 され た 民主 主 義 は 既 に崩
そ して 話 し 合 って 不 合 理 な 事 は
認 めて や ら な け れ ば な ら な い 、
一 人 お り ま す 。 今 朝 もこ の 寒 さ
頂き 楽 し い 旅 の 出 来 ま す 様 元 旦
代として は 物 分りの 良い 方 だっ
にも負 けず 五 時二十 五分 の 列 車
し狭めて行く
仏へ祈 願に 出 掛けられ ま す が、
た 伯母 ︵今 は 亡い︶ が或 る 講演
改善して ゆけたら、嫁、姑と二
で 出掛 けら れ た。 そ の他 に 二 、
職 員 室 の 窓 か ら 校 庭を み る と
我々のとき
に違いない。
姑 と な る 私 達 はこ の 人 達 の 心を
をききに行ったら、 生存競走
る摩擦もなく なるか と考 えた。
十 年の 年 代 の ズレ に よ って 生じ
三 人寒 いの で 赤 い 顔 をこ す り な
が フ ォ ーク ダ ンスを 楽 し ん で い
昼食後の一刻を数人の男女 生徒
がある。私 が子供の頃、その時
と話された
がら里 へか え られ る 様姿 の 方が
裂き 、こ の 国 に置か れて い る地
る。 それ が 附 近の 友 達を 吸 収 し
た。我々はこ
大な力があっ
もこの様な巨
位 は 彼 等 の 生 活 と 自 由を 更 に お
分には信州路から奥羽方面へ行
く、若さか ら 出る生き 生き とし
て 次第 に 大き な集 団 に な って 行
松 井 良 輔
因 習 は 彼 等 の 人 間 的 要 求 を 引き
が競走 は分るけど生存と い う漢
の激しい世の 中だ
子 は 親 に孝 行 す る 、 親 も 子 に孝
乗 って 行 か れ る 。 下 り 六 時 十 六
題
字 の 言 葉 が 分 ら な か っ た と 云わ
生 の 味 の あ る 言 葉 を 思 い 出 して 、
行 し な けれ ば い け な いと 、 岸 先
む つか し い 時 代 に な った も の だ
お 神 酒 が 沢 山 あ った か 寒 さ も 何
かれ る工 事 の 若い人 達、元 旦の
無
事 は 忘 れ て し ま った が 、 子 供 心
れ た 事 を 何 十 年た っ た 今 、 他 の
にも そ ん な 事 の 分ら な い な んて
と 思 い 五十 路 の 峠 に か か り し今
れらの力に
自 分の 越 し 方 を 振 り 返 り つ つ 時
易々と呑まれ
伯母さ んは 古 い頭だ なと 思 った
た 雰 囲 気 、 解 放 され た 人 間 だ け
た。否、呑ま
事が強 く 印 象 に残 っ た の を 覚え
処と元気一パイオツスオツス。
は全く 不自 然 さがな い、幼 い時
が 持 つ 楽 し そ う な 表 情 、 そこ に
される様に教
代に生き る 事を最善 と念じて い
七 時 十 五 分で も 元 旦 早 々 の お
育されていた
て いる。丁 度今自分が伯 母の年
出掛け は 中々 大変で す。 農 家や
育 に依 る蓄 積 が花を 咲か せ て い
から男 女共 学 を 含めた新 し い教
る。
お 店で は お 休 みで し ょ う が 、 や
字 の 言 葉 の 理 解 に 困 っ た と 云わ
は り 勤 め は つ ら い と 、オ ー バ ー
頃 に な って み る と 三 十 何 年 前 漢
私と全く同 一のもので 時 代の変
れる伯母と 、外語の 理解 に 困る
―
7
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(7)
対 して 如 何 様 な 反 応 を 示 す で あ
れ て い る も の は 、こ の 様 な 力 に
しか し彼 等 の体 内 に今 培 かわ
である。
べく片 棒を 担 がされ 且 担 い だの
の だ 、 そ して それ を 更 に 押 進む
と して 絶 対 的 理 想 境 で あ っ て も
長居は 出来ま い。如 何に観 光地
クリエ ーシ ョン施設 がなければ
で あ って も 宿 泊とか その 他 のレ
ば 誰も 行け な い し、 景 色 が 立派
く の に 時 間 と 経 費 が 莫 大 に なれ
ー シ ョ ンを 与 え な け れ ば な ら な
楽を 含 めた 広 い 意味 のレ ク リ エ
あ って 来 訪 し た 人 々 に 教 化 と 慰
客 の 別 等 総 合 的 企 画 性 が 必 要で
る。 斯 様に 行 楽 種目 の 可 否 、 訪
寺の宣 伝と は 自ら 異 なる訳で あ
れ 出 す 。 云 わ して お け ば と て つ
れ ると 、ぽ つ ぽつアコ ガレ が生
山が白 くな って 農繁 期か ら のが
ないアコガレ があるから だ。野
こ とで あ る 。 若 人 に は と て つ も
はとって も 老 人にな るな と 云う
催すなれば 、もう少し本当に農
骨折って 費 用 を 使って 展 示 会を
様に思われて なりません。 折角
米 、麦 と 並 べ て 見 る に す ぎ な い
出 来て 来 た 大 根 、 白 菜 、 か ぶ 、
画的に 作り 出 された 物が 無 く唯
作 物品 評会 は 農 作 物 が 少 し も 計
たいと思います。
業 に 進 歩 的 な 展 示会 を や って み
例え ば 家 畜 の品 評会 が 有 ると
も な い 言 葉 が 出 る。 鉄 筋 コ ンク
う しの サ イ ロ 、 車庫 に は ジ ー プ 、
すると 一ヶ月も二ヶ月も前から
リ ート の赤 い 屋根 、 トン ガ リ ぼ
劣 を 良 く 吟 味 して 観 光 を 事 業 化
室 、電 蓄 あ り 、テレ ビ あ り 、仕
屋 内 に 入れ ば ソ フ ァ の あ る 応 接
い。 私 の 過 去 数 年の 経 験 か ら 考
る為に は対 象 となる 訪客 の 階層
近頃の観光は、観光地
す る 必 要 を 痛 感 す る も ので あ る。
えて 椛 の 湖 の 持 つ 特 殊 性 と か 優
を 把 握 して 季 節 的 考 察 を し な く
誰も 知 ら な い 処で は 行く 由 も な
されるのであろうか。
て はな ら な い 。 夏に キャ ン プを
な く 観 光 事 業 ︵
︵
い。 先 ず 宣 伝 で あ る 。宣 伝 を す
観光地というもの
年 層 と なろ う し 、 冬 ス ケ ー ト を
す る と すれ ば そ の 大 部 分 は 青 少
行く⋮ ⋮、歴史は果た して 展開
は先ず魅力的な風景
ろ う か 、 年 々 彼 等 の 層 は 増 して
があるこ とが 必要で
e
c
o
l
P
g
n
i
e
e
S
ーター に局 限 され る。 椛の 湖の
す る と すれ ば そ の 大 部 分 は ス ケ
信するものである。
のみその発展 が期待 出来ると確
︶ と す るこ と に よ って
メ に 近 づ い て 来 る。 が し か し 本
辺 まで 来 る と 、 ぼ つ ぼ つ ア キ ラ
タ ーで 百 姓 を す る 。 ⋮ ⋮ こ こ ら
服 装で 口 笛 を 吹き な が ら ト ラ ク
事 は 勿 論 機 械 化 、 パ リ ッ と した
し か し 、 今 まで の 展 示 会 で は
も品評会の収穫ともいえよう。
一 、 二 ヶ 月 の 間 の 手 入れ で さ え
て 等 位 を 目 指 して キ ソ フ 、 そ の
手 入れ した り 飼 料 を 張 っ た り し
t
h
g
i
S
ある。次に独特な風
場合熱海や別府、高野山や永平
︶のみで
土産、習慣といった
俗とか。文化とか、
t
s
i
r
u
o
T
y
r
t
s
u
d
n
J
来 る 。 こ ん な アコ ガ レ も 若 人 の
年 後 に は 完 成 す る と い う 処 まで
に して も そ の 通 り 田 の 悪 い 稲 の
な大根 が取れ るとも 思えず 、米
にも ならぬ 。 又 来年も そ の 立派
大根、白菜を 見て も 来年の 参考
字は当用漢 字 にも無 く活 字 にも
出来の 悪い所 の米が 手入れ 不足
気 に な って 語 り 計 画 を 立 て て 何
勿 論 な いの で 今 後の 宣 伝 そ の 他
独占の もの な り。こ れで 人 生の
に作られて 良 い等級を 付け られ 、
追 記 すれ ば ﹁ 椛の 湖﹂ の 椛の
に 非常 な 不 便 を 感 ず る の で あろ
一番愉快な楽 しい時で は な いだ
多 収 穫 を 目 指 し 多 肥 にて 栽 培 さ
ろ うか て ? 人 間︵ 百 姓 ︶ 誰 しも
こ ん な アコ ガ レ を 持 つ 時 が あ る
う。
アコガレとアキラメ
を 付け られ る 。こ れ で は 何 の 目
れ技術を加えた米が劣等の成績
的で 農 作 物 を 展 示 し 等 級 を 附 す
が 年を 重 ね る に 従 って ア キ ラ メ
で 考え なく な る。 即ち 老 人 に な
かと考えられる。
又 アキ ラ メ て もこ ん な 事 を 本気
るので ある。これ が普 通の 人生
可 知 夏 生
人 生 は ア コ ガレ と ア キ ラ メの
である。
員さんや先 覚者等と 手入れ 方法
も 何 時で も 見 え る 様 に して 普 及
反 歩で も 或 い は 、 一 株 、 一 本で
出 品 田 畑 と 立 札 して 一 畝 で も 一
ば春蒔付よりこれは品評会用、
それ で 私 は 展 示会 を 催 す なれ
連 続で あ る 。 若 い 中 は ア キ ラ メ
今 ま で 各 地 で 行わ れ て い る 農
山 内 康 廣
農民祭を催したい
は アコ ガレ に 反 比 例 す る 。 お 正
月 が 来 る 度 に 年を と る。 年 を と
る に し た が って アコ ガレ は ア キ
ラメに反比 例する様 にな る。人
間 何 時 まで も 若 い と い う 事 は 非
常 に 六 ヶ し い 事で あ る 。 即 ち 年
―
8
―
様な有形、無形の観
べきです。之を享受
光資源を持っている
する為に交通の便が
良く、快適な宿泊も
節 的 な 考 察 も 必 要 と なろ う し又
の 階層 を 良 く 把握 す る と 共 に季
らないと思 う。当事者は利用者
足を供 与す るもので なけれ ば な
与 す る と 共 に 来 訪者 に多 大 の 満
こ の地 方 文 化経済繁 栄の 為 に寄
周知して 多 く の観光 客を 誘致 し
観光事業と は 之等の 特点を 宣伝
施 設 が あ って 、ほ し いも ん だ。
出来、各種のレクリ エー ション
藤 原 孝 寛
例えば如 何 に良い景観で も行
稠
宮 川
八等身美人になりたいわ
「椛の湖」の発展に想う
立地条件も考えねばなるまい。
夢
初
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(8)
成績を 得た 。 或 いは 失敗 を した
な 作り 方を してこ ん な に 立 派 な
肥料 、こ ん な 品 種、 土地で こ ん
を 秋の 農 民 祭 、展 示 会 にこ ん な
等 の 指 導 を 受 けて 自 分 の 力 一 杯
減す。
の カッ ポレ を 踊り 命 と 金 を ス リ
呑 ま さ れ 酔 う た 振 り して 下 手 糞
夜 も 呑 みた く も 無 い 酒を 無 理 に
の団体 にと 一 つ身体で 五夜も六
一 回 と 云 う も の の あ の 会 社 にこ
辺 画を 付 け る 意味 に お いて 確 か
は短単 調に なり易い。 生活 に一
返 り 、 明 け て 未 来を 夢 み る 正 月
活 と 斗 い除 夜 の 鐘 に 過 去 を 振 り
な って い る の で あ る 。 一 年 を 生
う。 云 いか え れば 生 活 が 単 調に
嗚。
つつ行 進す る 両三名 の勇 士 あり
執筆 中表 通りを軍 歌を 高 唱し
います。
私 の 感 想 を 、 の べて みた い と 思
方法について
を か け ぬ よ う な よ い 場 所で や
イ 発 起 人や 、 特 に 女 の 人 に 苦 労
る。
一月に なる と 、あちこち で 、一
円 加 算 す る。こ の 金 は 、 通信
亀 山 信 夫
こ年も同級会をやろう
そ の 作 物 の 一 部 始 終 を 発 表 して
重を 下 げて 歩 いて い る 人 を 見 か
費などにあてる。
の 一 頁 もひ も と か ず 、讃 美 歌 の
こ の 世 に 生を享 けて 以 来聖書
す現在の正月も十年先に な った
一人の 子供を 相手に 終日 笑 い暮
て し ま うこ と が あ り ま す 。 両 方
級会で すか ﹂ と思わ ず口 か ら 出
て い る 女 の 人 も あ り ま す 。﹁ 同
次 回の 計 画、名 簿 作 成 、同
ニ食飲会に う つる前 に話 し合う
ハ会費は、男女の差をつける。
して 、 遅 刻者 は 、 十 分 毎に十
左 義 長 に 血 眼で 走 り 回 っ た 頃
けます。若い人もあれば 、赤子
ロ定刻に来た者は、会費 だけに
の 正 月 は 何 時 思 い 出 して も 懐 か
を 背負 った り 、 手を 引 い た り し
にいいものである。
新年宴会又 しかり、木枯風 吹く
し い 同 級 会 に 徹 夜で 過 し た 頃 の
酔 未 だ 醒 め ず に 明 くれ ば 元 旦 、
示 して 見 て 戴 く 事 が 各 農 家 の 方
家 庭 に て 青 い 顔を して 歳 末 の 支
正 月 も 又 懐 か し い も ので あ る 。
一目で 骨 折 り や 苦労 が 分 る 様展
の 楽 し みで も 有 り 、 こ れ が 進 歩
なって見るがよい。
払や 餅 代に 苦 労する 細 君 の 身 に
って 一 ヶ 年 の 思 い 出 や 苦 労 を 語
ら ま た 懐か し い も の と な るで あ
欠席者の様子。
級 生 の 様 子 、体 験 談 、 転 出者
又 そ の 日 一 日 位 農 家 の 方 が集
的な農民祭で意義が有ります。
り 合 い お祭 り 気 分 に 成 り た い と
一 節 も 唱わ ぬ 輩 の ク リ ス マ ス イ
は 多 い が 、 下 旬 頃 まで 続き ま す 。
と も 、 にこ に こ 顔で す 。 松 の 内
にとって 、こ の晴着 の一 重下げ
一回、十年に 一回ならとも かく、
新春の歌
そくならぬようにする。
ヘ女の 人も 多 いから 、終 了 はお
く 、 フ ィ ル ム に お さ めて お く 。
ホ会合 の様 子を 、出 来る だ け多
とよいこと。
考える者であります。
寝 正月 の 人 、 酒 正月 の 人 、 いず
ろ う。 ス ポー ツ に 正月を 送 る 人 、
て の 姿 が 、 異 様に見 え る な ら 、
だから 、も し 他町 村 出身 の 人達
な事であろう。
を よ り 有 意 義 に 過 す 事こ そ 大 切
れ も 千 差万 別 ながら 現 在 の 生活
ブ に 至 って は 只 々 呆 れ る ば か り 、
新春放談
すべきだと思う。
門 松問 題 よ り こ の 方 を 先 決 処 分
恭 夫
門松問題よりも
原
願わ ず も 好まざ る も 昭 和三十
毎 年 、 盛 大 に や って い る 組 も あ
も っと も だ と 思 いま す。 数 年に
年賀 状 に 遠 い 友を 偲 び 、 近 い 友
気 忙 し い 年 末の 疲 れ を 休 め、
と は 炬 燵 に よ って 酌 み 交 す 酒 の
小 林 育 造
何 回 か 送 り 迎え た 正 月 も 何時
一 年 も 逝き 又 新 た な る 年 迎 え る
新聞の三 面記事は 例年ながら
明 け ま して お めで と う ご ざ い ま
年々歳々同じ事を繰り返す。
す 。﹁ 迎 春 ﹂ と い う 言 葉 に は 何
古 田 房 江
のかきいれどきでもあります。
す 。﹁ お 正 月 は 良 い も の ぢ ゃ ﹂
ともい えぬ 暖か味 が 感 じ ら れ ま
る と 聞 いて は 、 な お さ ら で す 。
昼 間 は 一 九 才 組か と 思 う と 、
と唄った童心の持つ歓喜とは比
味 は 正 月 な ら で はの 味で あ り 多
悪 税、 悪 病 、 生活 苦 等 々 の 悩 み
夜 に な って 、 厄 年 組 と い う よ う
すべき もあ り ません が、 大 人の
も 同 じ も の で は な か った 。 今 年
苦しみから逃れ る事 が出 来たな
に、昼 夜二 回上演と いう よ うな
世 界で も 新 春 へ の 喜 び は 誰 も 同
実 力 行 使と か 遵 法闘 争 と か で 、
も同じで は な い。 しか し その変
ら 一年 中が 正 月 にな り 、 盆 と 正
公 会 堂 も あ る よ うで す 。 さ て 、
そのた めに 、公会 堂 は大 はや り
の為とか今 年はラジオまで 巾松
って い る 。 と 云 う の は 周 囲 の 違
化も 段 々 に 変 化の 度 が 少 な く な
月 が 一 緒 に や って 来 な い 事 に は
今 度 は 中を の ぞ いて み ま す と 、
じで あ り ま し ょ う。 新 春 な れ ば
で 、 公 会 堂 側 と して は 臨 時 収 入
廃 止 論 が 盛 ん で 印刷 した 門 松の
正月の 有難 味 が 分ら なく な るか
こ そ、 一枚 の 賀状 に見 る 旧 友の
しい正月も 戦 争、暴力、汚 職、
絵を配るそーな。
いと云うよりも自分の心持の問
も 知れ な い が 、 早 く そ ん な 正 月
その方 法は 多 種多 様で 、こ の紙
くの 紳 士 達 の 望む 処 で あ る 。 楽
山で 生れ 林 で 育 っ た 私 に は 松
云 う も の に 対 して 、 云 い か え れ
題で あ ろ う か ? それ だ け 正 月 と
面で は 、 と て も だ め で す の で 、
年前の 二十 年前の正 月、 いずれ
の小枝がそん なに大切なものか
人であろうか?
が 来 な いも の か と 願 うの は 私 一
の 正月 、去 年 の 正月 、そ して 十
想像が出来ぬ。
性 が 少 な く な って い る 為 で あ ろ
ば 生活 と 云 う もの に 対 して 感 激
ある。 やれ 山 林緑化 、国 土 保全
それ より も 、連 日 連 夜 続 く社
家 庭 欄 は 門 松 論で 仲 々 賑 や かで
用族、公用 族の忘 年会それ も年
―
9
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(9)
さも忘れて しまう程の嬉 しさを
筆 蹟を 手 に して 、 ど ん な 煩 わ し
感 じ 、 又 父 母 の 許を 離れ 過 す 子
結婚式は直会殿で
僅か一万円の費用
九百円
百 円 、 披 露 宴 に も 利 用 すれ ば
の 出 し 入れ 、保 存 手 入れ 、会
委 嘱 す る 。 管 理 人 は 貸 与 物品
木が施 工 中の 導 水路 が貫 通 、田
すでに暮には鹿島建設と飛島土
て ゆく 。 建 設 の 騒音 が消 え 、元
立駅下 のえ ん 提も次々とコ ンク
割ぽ う用 諸 道具、鏡台 、置炬
の 静か な 町 に か え るのも 間 近 い。
場の後始末などを行う。
燵、蒲団など遂次整備する。
◇ 神前 結 婚 の 場 合 神 職へ の 謝 礼
以 上 が 計 画の 大 要で あ り ま す
リ ート の固 ま り が 積 み上 げ られ
席しない
が 、こ う し た お ぜ ん 立て で 挙 式
◇什器備品の第二次整備計画
結 婚 式 な ど の 簡 素 化運 動 は 婦
1折詰などの支出し店を指定
◇料理その他
物 な ど 心 配 は い ら ず 祝 宴に陪
人会や 町の 公 民館が 中心 と なっ
は 一 件 に 付 五百 円 で お 肴、引
え るこ と も 、 ど ん な に か 大 き い
て 改善 計 画 を たて い よ い よ 本格
した 場 合 、 お 客 様十 人と して 、
◇⋮改善の実践計画決る
喜びで あり ま しょ う。 歳 末のあ
八千代、白木屋、寿し彦、
最高で も 一万 二千七 百円 、 最低
し、新 しい 年 への希 望を 語 り合
わ た だ しさ に 過 去を 顧 る 時 も な
的 に 全 町 運 動 へ も って ゆこ う と
初音、松月、桔梗屋
供の顔も揃 えて 過ぎ し年を 反 省
か った 私 は 新 春 に は 、 何 と か し
して お り 、 直 会 殿 に は 約 八 万 円
その 他結 納 も 一万 円 以 内 、調
ことになるわけです。
で ゆ け ば 一 万 円 そこ そこ で す む
もの結 婚式 用 の漆器 、陶器 類な
梅二〇〇円
2 折詰 ︵ 一 人 前 ︶ 松 四〇 〇 円 、
な ら ぬ と 心 に 決 めて い ま す 。 こ
て 落ち 付 い た 私 の 時 を 持 た ねば
竹三〇〇円
3折詰以外の 料理は二百円 以内。
どを 備 え つ け ま した 。 し か し進
度品も 最も 必 要なも の だ け 、後
ん で 実 行 し よ う と い うこ と は む
4 料 理 手伝 人 に 山 下 林平 、 田 口
年の 行 く手を 見詰 めて 、 伸 び つ
ずかしいら しく、利用者 は案外
祝 や 土 産 品 も 廃 止 す るこ と に 近
の 静 か な 時 を 捉 えて 読 書 し 、 新
つある 若い世 代への 理解 と 協力
宮市、原助次の三氏を指定。
タリ に とら れ る必要 はあ り ませ
な お 公 民 館で 座 蒲 団 四 十 枚を
ということになります。
て おり 、 後 は 当事者 の 自 覚 如 何
隣 五 ヵ 町 村 の 婦 人会 で 申 し 合 せ
少ない ようで す。 何も 昔の シキ
います。
5記念写 真 は 三 枚一 組大 中版 九
を 惜 し まぬ 歩 みを 運 び た い と 思
ん し 、 無 駄 金 は 使 い た く な いも
含む。車代は当事者実費負
6結 髪 料 ︱ 一 件 二 千 円 ︵ 着 付を
受 け ら れ 、感 謝 さ れ て おりま
さ ん は 、 無 料で 仕 立て を 引き
今秋には送電開始
六十 億円 の 巨費を 投じて 建 設
事は、新春とともにますま す順
―
10
―
百円︵割引値段︶
新春雑詠
中 心 に し た も の に も って ゆ く の
ので す 。 結 婚 す る 人 達の 幸 福を
おろがむ年を問いたり我は
△椛の湖に水を湛えて初日出
7祝宴用酒は 一人当り二合 以内。
購 入 し た 際 、 藤 川 屋 の おば あ
◇諸経費の受払要領
担︶
去年の暮に公民館主催で 教育
す。
が本当ではないでしょうか︱。
委 員 、 婦 人会 、 青 年 団 、結 婚
1神職への 謝 礼、酒 代、花 嫁衣
△赤々ととさか並べて区他賭け
この初空に旭おろがむ
改善推 進 委員、 神主 さ ん、料
は
△ 年老 いた 祖 父 も 明 る し い ろ り
代金を支払う。
裳 代 は 本 人から 直 接 関 係者 へ
な く 共 一 週間以 内 に 公 民 館係
急ピッチの建設工事
屋 さ ん ら 関係者 が 集 って 、〃
年令をかぞえつ箸を運びて
理 屋 さ ん 、髪結 い 業 者 や写 真
端
へ支払う。
2 その 他 一 切 の 経 費 は挙 式 後 少
次 の よ う な結 婚 改 善 実 践 計 画
結 婚 改 善推 進 協 議 会 〃 を 開 き 、
を たて 、結婚式 を 迎 え る人達
△幼な子と思う心の今も尚
屠 蘇 に 並 び し吾 子を み つ め
調に進 み今 年の秋に はも う四万
中の 関 西電 力 坂下 水 力 発 電 所工
材 料 費 、 備品の 補 充 、 更 新費
て 管 理者 の手当 、 備品 の保存
3什器 備品 の 貸料は 別途 に 積立
円 、 留 袖 四 百 円 ︵ 直 会 殿利用
帯に送電開始 という急ピッ チ だ。
◇花嫁 衣裳の 貸賃は 振袖 千 四百
◇ 備 品 管 理 人 と して 婦 人 二 名 を
二千キ ロワ ッ トの電 力を 工 場地
◇会場 費は結 婚式だ けの 場 合二
の場合︶
などに充当する。
の協力を呼びかけています。
る
△エチ オ ピ ヤ の 皇帝 に似 た と祖
子 等 が は しゃ ぎ て 炉 端 に 集
父の顔
う
発 電 所 現 場
田 立 の え ん 堤 工 事
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(10)
消防団出初め式
六日中学校で
恒 例 の 消 防 団 出 初 め式 は 一月
六日午前九時から中学校で 挙行
が行われた。
され 、 勤 続 表 彰 、 功 績 表 彰 など
警報機設置有望
町で はか ねて 坂下 駅北 方 の 新
田 踏切 に警 報 機を 設 置 して も ら
い た い と 名 鉄 管 理 局 に 陳 情 して
い た が 、こ の ほ ど ﹁ 事 情 も っ と
も と お もわ れ る ので 検 討 い た し
た い﹂ 旨の 回 答 が あ り 、 見 透 し
は明るいものとされている。
金融公庫十八次
申込十日まで
国民 金融公庫の第十八 次 融資
申 し 込 み期 日 は 一月 十 日 まで に
希望者 は商工会へ申 し出れ ばよ
い。
昭和
年度
特別会計決算書
坂下町簡易水道
歳入の部
イ職員保健費
︵3︶諸費
︵2︶水道施設費
一二、九〇〇
町長
十九日
郡 町 村 長会 に 出 席 の 為 、
中津川市へ
県 議 会 土木常任 委 員一
新農村建設青 年研修会に出
行坂下発電所 視察に来町、
二十日
一二、九〇〇
七二三、七〇七
六一七、八九二
七、〇〇〇
二十一日
京へ
○水道施設費
イ諸手当
県 議会 土木常 任 委員
席の為 、上 野田口 一夫氏東
一、三九〇、四五〇
ロ需用費
六二四、八九二
七九三、五一一
︵1︶使用料及手数料
○使用料
〇
より道路工事請負入札、長
為 町 長恵 那 市 へ
と市町村長懇談会に出席の
〇
午 後二 時
○準備金積立金
建設、県道田 立線の歩拡工
坂道路の腰石 積工 事は蘇水
事は濃州土建に落札
教 育委員、教育 長、
町内学校視察、午後四時よ
二十二日
九、二五〇
一八六、一〇〇
一八六、一〇〇
一八六、一〇〇
〇
イ利子
○元利償還金
︵4︶公債費
イ準備金積立金
九八、八一五
ハ維持修繕費
七九三、五一一
五九六、九三九
四三七、九九八
︵3︶財産費
イ水道使用料
○手数料
イ工事手数料
ロ過年度工事手数料
一五八、九四一
︵2︶分担金及負担金
○負担金
出 席 の 為 、 町 長 、 農 協 組合
午後七時、
五六、六〇〇
九、二五〇
り教育委員会
五六、六〇〇
イ負担金
︵5︶諸支出金
イ負担金
○負担金
〇
長等県事務所へ
五六、六〇〇
火災単独も
︵3︶繰越金
○過年度支出 八〇、七二五
一四三、〇八四
た も の が新 設 され 掛 金は 二 十 七
また 新に 火 災の みを 対 照 にし
○会議費
ニ需用費
ハ諸手当
七九〇
二六、三五四
一八、三二〇
イ過年度支出 八〇、七二五
○前年度繰上充用金
一六七、七六七
〇
一六七、七六七
イ前年度繰上充用金
歳出合計
︵6︶予備費
一、三一〇、六三三
町針短信
︵十二月︶
新 農村建設 協議 会 に
公 営 住宅建 築 に つ い
町 村合 併 の 件 に つき
長、原議長県事務所へ
横 山地 方課 長 来郡の 為 、町
二十七日
ての打合の為町長出県
二十六日
二十四日
東部土地改良区役員会
坂 下 町 農 業 共 済 組合 で は 去 る 十
〇
︵1︶役場費
一二九、三九四
円 、な お現 在 の 契 約 高 は 二 千 万
二五七、七四二
二 月 か ら 共 済 掛 金や 共 済 制 度 が
歳入合計
金 は 一 万 円 に つ いて 四 十 円 で あ
○職員費
七六、八〇〇
一、四四七、〇五〇
︵4︶雑入
多数加入されるようとのこと。
った の が三 十 五円 に 下 げ ら れ 、
イ職員給
今 ま で 火 災 、風 水 害共 済 の 掛
契 約 金 も 一 棟 最高三 十万 円 が 五
ロ旅費
円。
七九〇
〇
イ委員手当
七、九二〇
十万円に改正された。
歳出の部
一 部 次 の よ う に 改 正 さ れ た ので
農業共済改正
定された。
って 鉄 道 共 済 組合 指 定 病 院 に 指
坂下 病院 は 十二月 一日 付をも
共済組合指定
坂下病院鉄道
和合河原の骨材採取場
30
ハ需用費
―
11
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(11)
☆
これは、むしろPT
A 新 聞 にで も 、 ゆ ず り
という、いささか固いダバエ話
った︱︱。
ん のこ と 、 期 日 よ り 二 日 前 で あ
取引先から到来物があった。
こ れ は 大 好 物 、 晩 酌 の サ カナ
小県 昌 人
林
鎌田
寛
糸魚川伍郎
内田
武夫
昭三
松 井 敏数
内木
幹人
畑佐悦次郎
田口
春男
政夫
輝雄
可知
芳六
小幡
万吉
稔
大宮
兼男 小 池
茂雄
原
桂川金太郎
保健委員
本年の自治会新役員次のように決定された
源一
納税組合長 生産組合長
町
楯
本
橋詰 惣 蔵
小幡
鈴一
勇 治 早 川 次郎
数一
嘉市
山下
町 原
宮 前 町
新
☆
町 内 の 、 あ る 商 店 へ 、 岐 阜 の 部 落 名 自治会長
でした。
☆
﹁ お カ ズが なん にも ないで 、
何 か ムコ ウ ズ ケ で も 買 って こ
い﹂
環 境 が 、子 供 の シ ツ
たいような話。
ケ に と って 大 切 な と い
小池
には格好、とご主人が、楽しみ 島 平 一 吉村 藤市 楯
に して い た と こ ろ 、 お か み さ ん
島 平 二
町
が、縁ば なで 、ゴソゴソ新聞紙 松 源 地 水野 道治 松井 良輔 西尾 善一 亀山
東
﹁ 何か ムコ ズ ケ の お カ ズ を 下
に包んでいるので、
百屋さんへ来て、
と いわ れ た 、 あ る 娘 さ ん 、 八
昔 か ら 、 誰 しも 気 を つ
うこ とは 、孟 母 三 遷 の
けている点である。
さい﹂
﹁へ、ムコズケ?﹂
あたた かい小春日和の 庭先に
ムシロを しいて 、女の 児た ち が
勇
有明
良一 加藤 宗平 原
義一 吉村 領平
﹁どうするとこや﹂と聞けば、中ノ垣外 原
田 吉村 光男 松井 新一 糸魚川一平 宮下千代一
﹁いい便宣があるで、筏場 新
曽我
と八百屋さん眼をパチクリ。
岡田
マ マ ゴ ト 遊 び を して い る と こ ろ
審輔
重 勝 早 川 善造
鈴木吉太郎 吉村
原
眸
実
今井
武二
良吉
坂 桂川
敏郎 原
沢 稲熊
田口
林造
行雄
相
松井佐一郎
山下
河江
乙
伝 馬 町
茂樹 佐合又治郎
町 近松
武仁 手塚林之助
︵ い か だば ︶へ あ つら え ると
こや﹂
ということ。
握
可知
部 吉村
幸一
夏生
林
伊藤
弘
山下
公明
楯
理平 吉村重大郎 可知
顕博
忠次
森
静雄
義三
古井
古井正四郎
加藤 文 六
外
古井 銀六
下
一雄
原
吉村
章一
昭二
安江留次郎
大三
勇
正美
氷室
森
小畑 栄 六 小 畑
鮎のつくだに︶とつけてあった。高
に ﹁ い か だ ば え ﹂︵ 岐 阜 名 産 小 西 方 寺 古井 次雄 氷室 房吉 加藤 彦治 古井 省三
成る程、その到来物の箱の表 大 沼 町 西尾 伝六 森
旭
園原
娘 さ ん は 、 帰 って 来 て 、 お 母
さ ん に 、﹁ ど う も 変 だ ﹂ と き い
て みて 、 向 う づ け を 、 婿 に つ け
るおカズで ムコ ズケだと勘 違い
して い た こ と がわ か っ た 。 ︱ ︱
西 方 寺 は ムコ さ ん が 多 い の で 有
名で あ る が 、こ れ はも う 少 し町
に近い部落でのこと⋮⋮。
☆
正伍
へ 、や って 来 た の は 、 二 、 三 人
の男のワンパク連中。
﹁ や い 、 マ マゴ ト な んて 、や
め れ よ 。 泥 棒 ご っこ せ ま い か 。
オレ泥棒やぞ。おんしも、な
女の児たち は、可愛ら し い家
れ。﹂
財 道 具 を か か えて 大 ア ワ テ ⋮ ⋮ 。
とこ ろ で 、 そ の あ と の 男 の 児
豊吉
軍次
亮輔
森
西尾
外 吉村
外
鎌田 秋人 原
吉村
伊三
上
中
鎌田
T部落、前教育委員のHさん
鎌田甲子一
のことばがオモシロイ?
淵
と い え ば 、わ か る 人 に はわ か る 、
田
﹁巡査なしやぞ!﹂
赤
矢
勘六 原
バ ス や 乗 物 に 弱 いこ と で も 有 名
満
工 事 が 始 ま って 、 人 は 大 勢 入
明
で あ る。 その Hさ ん 、 付 知 方 面
静夫
って 来 、 ち ょ いち ょ い 、 ケ ン カ
原
小池
行雄
桂 川 栄一
佐々木国翁
門 吉村
一 夫 小池
鐘
賢一
大
小池
時
伊藤一二三
原
で 、教 委 の会 合 が あ る と 通 知を
山内多巳男
林
正幸
義人
西尾
西尾
美秋
勝
古田
吉村
雄幸
和夫
本 郷 一
古田
雅和
公道 前田白太郎
前田
林
本 郷 二
交告
西尾
公平
日下部数一
守夫
日下部寅一
曽我 好治 前田
静 深 津 郡平
宮一
孝
精一
山内
鎌田
吉村
公平
田口
西尾
本 郷 三
寺 尾 洞
宮 ノ 洞
幸一
もあるようだが、お互 いの 自粛
忠一
八郎
幹太
可知
昭春
中川
山内
樺 ノ 木
か けた と こ ろ 、ヤッ パ リ 、 ヨッ
吉村
小 ノ 沢
こ れ か ら 寒 い冬 が 来て 、 年 末
て 来て 、 頭 は ふ ら ふ ら 、 胸 は わ
次雄
受けて大ヨワリ︱︱。
年始 も 近 く 、 防 犯 、 火 災 予 防 等
るくなり 、つ いにはモドすやら
利夫 吉村
と防犯で 盗難 は、殆ん ど少 ない
には官民 協力 、気を つ けま しょ
会 場 まで 辿 り 着 いて み た ら 、 な
で 、 一 苦 労 ⋮ ⋮ さて 、 や っ と 、
意 を 決 して 、 濃 飛 バ ス で 、 出
う。 そ して 、 時 には 、 子供 の 遊
のはアリガタイ。
び にも気 を つ け る余裕 がほ しい
―
12
―
昭和 32 年 1 月 1 日(1・15 日発行)
聞
新
下
坂
第 113 号
(12)