バレーボール部同窓会懇親会のお知らせ - 大阪府立住吉高等学校同窓会

2010 年 7 月吉日
大阪府立住吉高等学校
バレーボール部同窓会
会員の皆様
バレーボール部同窓会懇親会のお知らせ
バレーボール部同窓会
会長 18 期・西岡昇
暑中お見舞い申し上げます
集中豪雨などいろいろな異常気象を伴っておりました“梅雨”も何とか終わりを告げ,いよい
よ夏本番の季節となりましたが,バレーボール部同窓会会員の皆様方には益々ご健勝で各界にお
いてご活躍のことと存じ上げます。
我々のバレーボール部同窓会は 1972 年 3 月の発足以来,多くの皆様にご参加いただき着実に
発展してまいりました。住高クラブ同窓会の中でも資金力を有する同窓会としてユニークな存在
となっております。別紙会計報告にありますように,毎年現役諸君にわずかですが援助を行なっ
ております。また,同窓会創立 80 周年記念募金にもバレーボール部同窓会として参加いたしま
した。これまでの皆様方のご協力に感謝いたしますとともに,今回も年会費の振込用紙を同封さ
せて頂きましたので,今後ともご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
さて,バレーボール部同窓会も益々の活性化を図っておりますが,なかなか思うようには進ん
ではおりません。別紙報告にもありますように,先日,旧顧問の尾崎先生(現西成高校),屋敷
先生(現四條畷高校),喜多先生(現清水谷高校)の慰労会と称しまして,現在顧問をして頂い
ております三名の先生方および最近の卒業生三名にもお集まり頂き,今後のバレー部同窓会運営
に関して意見交換を行ないました。今年度は同窓会館竣工を記念して,若い元気な同窓生諸君を
中心に「バレーボールを楽しむ会」をやって頂き,そのあと,新同窓会館において懇親会を計画
いたしました。日時は 11 月 14 日(日)9 時からを予定しております。詳細は後日ご連絡いたしま
すので,ご予定をお願いいたします。身体を動かすことに躊躇される方は後半の懇親会にご参加
ください。尾崎先生,屋敷先生,喜多先生は必ず出席されますし,旧顧問の先生方にもご案内い
たしますので多くご参加いただけることと思っております。各期の皆様もぜひお誘い合わせの上
ご参加頂き,昔話に花を咲かせて頂きたくご案内申し上げます。
また,現役の活躍状況,夏休みの練習計画も同封いたしましたのでご一読ください。
もしもご予定が空いておりましたら,是非,現役諸君の練習にご参加頂き,ご指導ください。最
新情報は住高同窓会ホームページ(http://www.sumiko-obog.net)に掲載されておりますので,
時々ご訪問ください。
末筆ながら会員の皆様の益々のご活躍を祈念するとともに,「バレーボールを楽しむ会」でお
会い出来ることを願っております。
喜多先生送別会
平成 22 年 5 月 1 日に定年退職された
喜多先生の送別会をしました。喜多
先生が監督をされた 54 期から 62 期
の方々をお呼びし、みなさんお忙し
い中にも関わらず 30 人近い方々に
来ていただきました。喜多先生のお
話から始まり、それぞれの近況報告
などをしました。学生や社会人、結
婚されている方もいて、これからも
横のつながりだけでなく縦のつながりも大切にしていきたいと思いました。同窓会のように本当
に楽しい会になりました。 (高 61 期 西澤万悠子)
喜多先生、屋敷先生、尾崎先生 慰労・感謝会
平成 22 年7月 11 日、長年住高バレーボール部をご指導
いただき、今年退職されました喜多啓二先生、昨年転出
されました屋敷剛延先生、一昨年転出されました尾崎善
昭先生へ、同窓会より感謝を込め、慰労・感謝会を行い
ました。現顧問の男子バレー部の土井先生、今井先生、
女子バレー部の宮先生、そして、ご指導いただいた OBOG
代表として、また、卒業後も後輩の指導もお手伝いいた
だきました、56期鎌田さん、56期片山さん、57期
中野さんもお招きし、同窓会役員と交流を深め、今後の住 左から、屋敷先生、尾崎先生、喜多先生、宮先生
中住高バレーボール部同窓会へのご協力をお願いいたしました。後日、喜多先生より「私はバレ
ーボールを通じてたくさんの「縁」を授かりました。今回また新たな「縁」が一つ生まれたよう
で喜んでいます。」とお言葉をいただきました。(高 37 期 岡本カヨ)
「排球部の想い出」 中 21 期 里井伸作
(「8.15傘寿の追憶
戦時下の中学生
大阪府立旧制住吉中学二十一期生
傘寿記念文集」より抜粋)
昭和二十一年九月二十三日〔秋季皇霊祭〕(註)に、戦後第一回国民体育大会の大阪府中等学校
体育大会で、住中排球部〔バレーボール九人制〕は優勝した。晴天下の中百舌鳥競技場〔屋外コ
ート〕で、予選はすべて順調に勝ち進み決勝戦は、北野中学と対戦し熱戦の末 2 対0で勝利し
優勝をなし遂げた。そのときの高揚感や満足感は、今でも鮮明によみがえる。また自然発生的に
できた住中仲間の応援団の協力も忘れられない。次の西日本大会では、初戦を別府中学に2対0
で勝利したものの、二回戦では広島一中〔現在の国泰寺高校〕に0対2で完敗した。残念ながら
実力の差を嫌と言うほど思い知らされた。それは何と言っても、食糧事情の違いからくる基礎体
力、及び身体能力の差が起因していた。相手方の中衛レフトのエースのスパイク〔当時はキルと
言っていた〕は強烈であった。そのジャンプ力はすばらしく、空中〔トップ〕での滞空時間が長
くこちらのブロック〔当時はストップと言っていた〕が下り始めたころ、今まで大阪では、経験
したことのない天井から落ちてくるような破壊力のあるボールがブロック越しにコートを叩き
つけられた。「どーや!捕れるものなら捕ってみろ!」とにらみつけられた相手の形相は、いま
だに脳裏に焼きついている。実力の差は、体力の差だけでなく練習量と根性の差もあったことも
強く深く反省させられた。それでも大阪大会で優勝できたことは、陶山(キャプテン)の頭脳的
なトスワーク、藤田(富)の驚異的なレシーブ力、藤田(学)のジャンプ力、さらにこれらを支
えた全員の強い絆で結ばれたチームワーク、何れが欠けても達成できなかったと思う。そのとき
のメンバーも六十有余年以上の歳月が流れ、陶山、灰谷、及び須田の三名が鬼籍に入り寂しくな
った。数年前から竹島の設営で、赤池、里井、竹島、藤田(富)、藤田(学)、及び森井の同期の
六名の残党が毎年優勝月を選んで、酒を酌み交わし当時の思い出を語り合い、旧交を温めている。
今では想像できないあの食糧難時代に死に物狂いで一生懸命に練習をし、スポーツの持つ魔力の
すごさを味わえたことと、今でも気の許しあえる連帯感や結束力のある仲間が出来たことに感謝
している。これらのことは、戦争が終わったからこそ味わえた経験である。
追記
1)
第一回国民体育大会は、終戦の翌年のため交通事情、食糧事情、及び宿泊施設等の関係で、東日
本と西日本の大会に別れ、それぞれの優勝者と上位者が関東地区で戦い全国優勝者を決めていた。
そのときの西日本代表は、広島二中(現在の観音高校)と鳥取農業で、広島二中が全国優勝してい
る。昭和二十三年〔第三回〕から四十六都道府県参加による本格的な国民体育大会が行われるよう
になった。
2)
写真の説明 優勝旗を示しながらポジションどおりに並んでいる。しかし、藤田(学)は、当日
陸上競技部の対校試合があり残念ながら入っていない。二十一期生以外では、次代を担った市井、
木津、勝屋、及び多田が写っている。
3)
当時のバレーボールは、アジアでは九人制、ヨーロッパでは六人制であった。昭和十五年ごろに
行われた大東亜体育大会は、アジア圏内の国々が明治神宮や橿原神宮で九人制の試合を野外の特設
コートで行っていた。試合の開催場所の選定や九人制を固持したことは、強い政治的圧力を感じざ
るをえなかった。スポーツを政治に利用されるのは、スポーツマンにとって誠に迷惑なことである。
政治に利用しようとしたことが影響したのか詳細は不明だが、テロ対策のため最近は、オリンピッ
ク会場(北京・鳥の巣)の近くに地対空ミサイルを設置することを報じている。
(平成二十年七月二
十八日付け日本経済新聞夕刊)
。非常に嘆かわしいことだ。
解説
秋季皇霊祭:天皇が毎年秋分の日に、皇霊殿で歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祀る祭祀。旧制の祭日の
一つで、今は「秋分の日」といい、国民の祝日。
戦後第一回国民体育大会・
大阪府男子中等学校排球大会 優勝
後列左から、多田準二、灰谷雄吾、陶山幸彦、里井伸作、
中列左から、木津一夫、須田博之、藤田富雄、勝屋一郎、
前列左から、市居幸雄、森井勇、赤池正和、竹島康夫
(敬称略)
優勝旗を手に並ぶ、戦後第一回国民体育大会の大阪府中
等学校体育大会で優勝した住吉中学排球部メンバー(住中
練習コートにて)多田、市居、木津の三名は、ユニホームも
無く、靴も履いていません。これが現実だったのです。勿
論、レギュラーメンバーも練習のときは、素足でした。練習ボ
ールも革が破れて、継ぎ剥ぎだらけでした。