事故原因調査偽装事件 - 東京構造設計事務所協会

2003年5月
新潟県万代島に建設した
「朱鷺メッセ」竣工
朱鷺メッセ連絡デッキ落下事故
事故原因調査偽装事件
2014年5月23日
構造設計集団<SDG>
渡辺邦夫
1
2003年8月26日
事故発生後の経過
連絡デッキ自然落下事故発生
2003年8月26日 事故発生
2003年9月 1日 新潟県が「事故原因調査委員会」を設置。
2004年1月19日 委員会が「事故原因調査報告書」を県知事と
県議会に提出。
2004年9月 7日 新潟県が9億円の賠償請求裁判を新潟地方裁
判所に提訴。
原告:新潟県
被告:協同組合、福地事務所、槇事務所、
SDG、第一建設、黒沢建設の六社。
2012年3月26日 新潟地方裁判所が棄却判決。新潟県敗訴。
2012年4月 9日 新潟県が東京高等裁判所に控訴。
控訴人:新潟県
被控訴人:協同組合、槇事務所、第一建設。
2013年12月26日 東京高等裁判所が和解判決。
2
3
この和解内容では新潟県の敗訴は明確
2013年12月26日 東京高裁「和解判決」
「和解」したのは協同組合だけ。他二社は「解決」。
協同組合は設計保険会社の支払い限度額、設計上の問題で事
故が発生したことにしないと保険金を支払うことができない。
法廷は開かれず、控訴人と被控訴人が相互に文書を確認する
だけ。場所は第1民事部和解室。
共同不法行為で控訴していたが、三社で和解内容が全く違う。
和解判決の要旨:
被控訴人の支払総額:8,000万円(賠償請求額の9%)
新潟県負担分:82,000万円(賠償請求額の91%)
■ 協同組合との間では、事故が「設計上の問題によって発生
したものである」ことを相互に確認し、和解金7,500万円を
支払う。
■ 槇事務所との間では、事故について槇事務所に「何ら責任
がない」ことを相互に確認し、解決金100万円を支払う。
■ 第一建設との間では、事故が「施工上の問題ではなく設計
上の問題によって発生したものである」ことを相互に確認
し、解決金400万円を支払う。
実際には、新潟県が請求していた金額は、
損害賠償請求額:9億円
判決確定までの年利5%:4.5億円
事故部材保管倉庫代:0.6億円
弁護士費用:0.4億円
合計・・・・14.5億円
被控訴人の支払総額:8,000万円(合計額の5%)
新潟県負担分:13.7億円(合計額の95%)
4
2014年3月3日 SDGは県知事と県議会議長に
「要望書」を送付。
5
2014年3月31日 県知事から拒否の回答
「要望書」の要旨
・・・貴社に引き渡す義務はない・・・しかるべき時期に処分
する・・・
和解判決とともに本件訴訟が終焉したが、事故原因は確定し
ないまま終わってしまった。
「本件事故の被害者は新潟県民納税者で、彼らに真の事故原
因を正確に説明する義務が新潟県にあります。と同時に、前
代未聞の本件事故はわが国だけでなく“何故、落ちたの
か?“を世界の建築界に技術工学的に正確に説明する義務が
SDGにはあります。」
「新潟県保管の落下および残存の鉄骨部材を用いて、必要な
試験を行う能力がSDGにはあるので、これら部材を新潟県は
破棄することなくSDGに引き渡すことを要望します。」
6
7
事故発生から10年を経過して、事件は終焉!
僕は、この事件は一体何だったのか?
「事故原因調査偽装事件」
を考えた。
この10年間、僕は「何故、落ちたのか?」だけをテーマにし
てきたが、県知事の回答書を見ていて、僕のテーマ設定が間
違えていたことにようやく気が付いた。
偽装の軌跡
この事件の本質は、
官学産民をあげての
「事故原因調査偽装事件」だったのだ!
8
9
2003年8月27日 東京電機大学・今川憲英教授
朝日新聞で発言
2003年8月27日 事故発生の翌日
国土交通省・上之園隆志研究官
事故現場に現れる。
事故発生は、前日の午後8時半ごろ。
東京に連絡があったときはすでに新幹線の終電が出たあと。
翌朝、始発の新幹線で事故現場に行ったが午前中は警察の現
場検証で、午後は新潟県担当者との会合で謀殺されていた。
「設計上のミスが考えられる。そう
でなければ、施工上のミスで接合部
が耐力不足になった・・・」
その混乱の中で上之園研究官が独りで現場視察しているのを
目撃した。何故、彼がここにいるのか?
10
11
2003年8月28日 新潟県庁内に「事故調査班」を設置
森川班長・・・事故処理の最高責任者に知事に指名された。
朱鷺メッセ連絡デッキ落下事故調査班
班 長
副班長
森川
高倉
奥野
小島
成田
野水
森川班長の事故処理基本方針(28日~31日で策定)
雅行(港湾空港局副局長)
信幸(土木部技術管理課工事検査室長)
賢(港湾空港局振興課企画主幹)
松俊(土木部都市局建築住宅課参事)
澄夫(土木部監理課建設業室長)
祥一(土木部都市局営繕課課長補佐)
① 事故原因究明より事故賠償責任追及を優先する。
そのためのマスコミ対策、議会対策を重点的に考える。
② 類似例(前例)のない事故原因を選ぶ。
PC構造関連をターゲットにすれば新潟県内には前例が
ない。
③ いずれ賠償請求訴訟にもちこむが、事故原因が明白に
ならなくとも民法の「共同不法行為」にすれば訴訟が
成立する。最初の段階から県の弁護士と相談しながら
進める。
12
2003年8月31日 東京電機大学・今川憲英教授
再度、朝日新聞で発言
13
2003年9月1日 新潟県庁内に「事故原因調査委員会」
を設置
事故原因調査委員会
委員長
「側面の設計にミスか」
丸山 久一
上之園隆志
清宮
理
長井 正嗣
森谷 俊美
長岡科学技術大学教授
国土交通省建築災害対策研究官
早稲田大学理工学部教授
長岡科学技術大学教授
本州四国連絡橋公団上席調査役
そのほか調査班が別途発注し調査委員会に編入。
構造解析業務 長大
鉄骨溶接検査 日鉄テクノリサーチ
14
15
2003年9月12日 JSCAがタスクフォースを設立
2003年10月16日
JSCA「新潟事故調査タスクフォース」
委員長 青木 繁 前JSCA会長
村田義男 構造レビュー委員長
野村 進 構造レビュー委員・三菱地所設計
藤村 勝 構造レビュー委員・竹中工務店
寺本隆幸 東京理科大学
中田捷夫 中田捷夫研究室
山崎真司 東京都立大学
第一建設工業が定着部の実大
実験を実施
実験結果を県調査班に提出。
ひび割れ耐力
破壊耐力
40 ton
65 ton
調査委員会はこの数字を採
用した。
JSCAは建築の構造設計を専門とする職能者の団体として、再
びこのような事故を起こさないよう、事故の原因を技術的に
解明することが必要不可欠であると考え・・・このタクス
フォースを立ち上げたとしている。
16
2004年1月16日 調査委員会
「事故原因調査結果報告書」
を知事に提出。
17
2004年1月20日 調査結果が大々的に報道
朝日新聞
事故原因は
① PC定着部の設計ミス
② 定着部の配筋不足
③ 第一回ジャッキダウン時の施工不具合
の三点があり、入江側R21定着部のコンクリートが
クリープ破壊したのが崩壊起点である
・・・と結論した。
事故の「主因は設計ミス」
と報道。
18
19
2004年1月26日 新潟県議会公安委員会の開催
2004年2月10日 JSCA事故調査報告書を公表
県議会の長津委員「設計者の責任、施工者の責任について」
丸山委員長「設計者が一番責任が重い」
長津委員「SDGの責任はどうか」
丸山委員長「構造設計者の責任は重いでしょう」
正確な落下原因は特定できない。
第1回ジャッキダウンによって構
造体に生じた損傷が、落下事故に
大きく関わっていることは疑う余
地はない。
青木委員「R26にサポートを建ててほしいと申し出があった」
丸山委員長「たとえジャッキダウンがうまくいっても、定着部
の耐力は足りていないからいずれ壊れることになった
だろう」
構造設計の内容は、通常の建築構
造物が保有している長期荷重に対
する安全性を有しているとはいえ
ない。
塚野委員「崩落の主因は設計が悪かったのか」
丸山委員長「定着部の配筋への配慮が足りなかった」
20
21
2004年9月7日 新潟県は賠償請求事件として
新潟地方裁判所に提訴
2004年2月13日 JSCA 大越俊男会長談話を公表
構造設計者が当協会の会員であ
り理事であることは、誠に遺憾
なことです。
原告:新潟県
被告:新潟県協同設計組合
福地建築設計事務所
槇綜合計画事務所
構造設計集団<SDG>
第一建設工業
黒沢建設
賠償:9億円+その他
訴因:事故原因調査報告書記載の通り
形式:共同不法行為
新潟県の事故調査委員会の報告
書は、事故の主因を確定すると
同時に連絡橋の崩壊メカニズム
の検証を大変丁寧に紹介するも
のでした。
その膨大な調査には敬意を表す
る次第です。
22
23
2009年8月31日
丸山久一「陳述書」
2009年8月31日
上之園隆志「陳述書」
「① 上弦鉄骨材破断が起点の棄却。
② 入江側R21の定着部の破壊が起点の選択」
「第一建設の実験では、最終的な破壊状況が実際の定着部
の破壊状況と類似して、せん断破壊の様相を呈していまし
た。」
「今回の定着部に関しては、曲げ、せん断、支圧、割裂、
付着と複雑な応力状態、さらに無筋状態のコンクリートの
存在、梁軸と直交方向のプレストレス、鉄骨柱からの鉛直
方向圧縮力の有無、などがあり、建築基準法に規定してい
る一般的な設計方法や耐力式では直接、実際の耐力を推定
することが困難と考えられます。
「なお、SDGの実験装置は、束材に見立てて装置に設置し
た鉄骨柱が、定着部の耐力向上に寄与する構造となってい
るので、定着部耐力を知る上で妥当でないものと考えてい
ます。」
そのため設計においては、建築基準法の規定に適合するよ
う定着部の破壊形式を想定しながら、一般的な式だけでな
く高度な検討を行ったり、不確実性のある場合には構造安
全上の余裕を持たせた設計が必要であったと考えられま
す。」
24
2009年11月26日
森川雅行「陳述書」
25
2011年5月31日
佐藤勇樹「陳述書」
(第一建設工業本社土木本部長)
「8月28日には事故調査のため、JR東日本のJRE、JRCおよ
び東京建築研究所から専門家が派遣され当社と共同して事
故現場の調査を実施しました。
これら専門家から定着部の強度を計算にて確実に評価する
ことは難しいから、試験が一番有効だ、とのアドバイスを
受けた。
「事業実施上、①複雑な発注形態、②不適切な工事発注
時期の設定、について発注者として本来あるべき役割に
照らして責任がある・・・」
「関係者の行為とデッキの落下事故との因果関係に基づ
く責任を明らかにしたものでは無い」
そして急遽、実大実験を行い、設計に問題があったことを
確認するために行った。
10月23日に新潟県調査班に試験結果報告書を提出した。
丸山委員長も上之園委員も実験には立ち会っていない。
26
27
2012年7月17日 新潟県は「控訴理由書」
を東京高等裁判所に提出
2012年3月26日 新潟地方裁判所「判決」
判決主文
控訴理由書の要点
原告(新潟県)の本訴請求をいずれも棄却する。
事故原因は、PC定着部の ①設計ミス、
②配筋不良、③ジャッキダウン時の施
工不良、にあり事故起点は不明である
が、控訴人と契約関係にあった被控訴
人は、法にもとずき賠償責任を負うべ
きである。
2012年4月9日 新潟県は東京高等裁判所に「控訴」
控訴人:新潟県
被控訴人:新潟県建築設計協同組合
槇綜合計画事務所
第一建設工業
一審は6社の共同不法行為であったが、この二審では3社の共
同不法行為で控訴。
28
2012年10月18日 SDGは東京高裁に「補助
参加の申出書」を提出
29
2012年12月26日 第5回進行協議
裁判官から僕は個別に呼び出されて、東京高裁は本件を
「和解」にする方針であることを告げられた。僕に同意を
求めてきたので僕は猛反対した。
「事故には原因がありそれに立脚して責任を問うべきであ
り、肝心の事故原因が特定できなくて和解はあり得ない」
「裁判所は事故原因を特定する場所じゃない」
の押し問答。
民事訴訟法第42条に「訴訟の結果について利害関係を有す
る」第三者は裁判長が妥当であると認めたときは、その裁判
に参加できる。その場合、当事者の誰を応援するのかを明ら
かにしなければならない。
そこで、被控訴人・槙事務所を援護するために、補助参加の
申出を行う理由を付して送付。
最後には「判決すれば最高裁が困る」の話もでてきた。
僕「法的に整理するというが、確かに設計責任とか施工責
任という法的な概念はあるけど、同時に「発注者責任」
というものもあります。」
裁判官「民法のどこにあるか渡辺さんが指摘すれば裁判所
は取り上げます。」
30
31
2013年4月19日 新潟県は発注者として
の責任を問われるべきだ
2013年6月25日 第一建設は方針を転換して
SDGの設計ミスを主軸にした。
第一建設は、途中で方針を変えて、SDGの設計ミスを主張
し施工には責任ないこと、その根拠はJSCAが提出したレ
ポートにあるとした。そこで裁判所の理解を助けるために
SDGは以下の書面を提出。
SDGは発注者責任を問う書面を裁判所に提出。
① 僅か9日間の設計契約。
② 設計図書未完成のままの工事発注・・・官製談合疑惑
③ 新潟の厳寒期での工事期間の強要
④ 新潟市からの「確認済書」交付前の着工・・・事前着工
「JSCAのレポートは、誰の依頼で作成したのか、何の目的
で作成したのかまったく不明。さらにJSCAは事故現地を調
査していないし、事故関係者のヒアリングも行っていない。
しかも、事故原因を追究する上で最も重要なコンピュータ
シミュレーション解析も行っていない。専門的には“怪文
書”に類するもので証拠価値はまったくない。」
これらは、民法第418条および民法第722条第2項
に該当し、「発注者責任」があることは明白である。
適正な設計契約、工事契約が行われていれば本件事故は
発生しなかったのである。
32
2013年7月18日 突如、控訴人(新潟県)は
早大の清宮教授の陳述書を提出
33
2013年7月31日 第2回口頭弁論
裁判長が「結審」を宣言
裁判長が「結審」を宣言。
「判決は、2013年10月30日に行います。それまでに控訴人、
被控訴人は和解に至るよう努力して下さい・・・。」
永い沈黙を破り、事故原因調査委員であった早大の清宮教授
の陳述書が突然、登場。
事故調査報告書(甲1号証)には間違いがない、と強弁するが
新たな実証を追加していない。
2013年10月30日になって僕は裁判所に行ったが、判決を2014
年1月29日に延期した旨を告げられた。
・・・裁判所も僕も無視。
「どうして?」
「推奨していた和解が成立してないので延期しました。12月
24日に和解判決が可能かも知れません・・・。」
何故、今頃この陳述書を提出したのか意味不明。
34
35
2013年12月26日 東京高裁「和解判決」
12月26日「和解判決」 法廷は開かれず。控訴人と被控訴人
が相互に文書を確認するだけ。場所は第1民事部和解室。
長い裁判を通してわかった唯一の事実は、
和解判決の要旨:
官学産民の描いた「事故原因調査偽装」
は、それまで技術に関してはまったく素人とい
われてきた裁判官が見抜いた・・・ことである。
■ 協同組合との間では、事故が「設計上の問題によって発生
したものである」ことを相互に確認し、和解金7,500万円を
支払う。
■ 槇事務所との間では、事故について槇事務所に「何ら責任
がない」ことを相互に確認し、解決金100万円を支払う。
■ 第一建設との間では、事故が「施工上の問題ではなく設計
上の問題によって発生したものである」ことを相互に確認
し、解決金400万円を支払う。
36
一審の「判決文」要旨 (2)
一審の「判決文」要旨 (1)
(2) 本件定着部のクリープ破壊が崩壊起点であることは立証
されていない。その証拠は、
(1) 原告は上弦材鉄骨の破壊が崩壊起点ではないとしているが、
その可能性は排斥できない。その理由は、
① 第一建設の実験結果から定着部のひび割れ耐力が、40tfであったと断
① 鉄骨の耐力算定で全断面有効であるとしているがウェブ部分はHTB接
②
③
④
⑤
37
定することに合理性はない。
② 各種算定式も考慮して40tfとしているが具体的な検討がなさ れたかの
形跡を窺うこことができない。
③ 第一回ジャッキダウン時に内部損傷を生じていたことを認めることは
できない。
④ 仮に第一回ジャッキダウン時に内部損傷を生じていたとしても、これ
によりせん断耐力がどの程度低下したのかの具体的な数値が挙げられ
ていない。
⑤ せん断耐力が65tfとしながら何故クリープ破壊に至ったのかを言及し
ていない。
⑥ 本件においては設計ミスなどの三つの欠陥原因が複合して本件定着部
がクリープ破壊したと認めることはできない。
合であり、それを考慮した形跡がない。
調査委員会において溶接欠陥についてどのような議論がなされ、どの
ような理由でどんな結論に至ったが明らかでない。
上弦材の耐力評価で、溶接欠陥を反映させた形跡がない。
R27上弦鉄骨のフランジについて4分割した中の1ピースだけを破断ミ
クロ観察をしておらず、観察調査が十分に尽くされたものとは言い難
い。
崩壊シミュレーションで上弦材断面力の解放にともなって 生じる衝撃
力は無視する、とあるがその妥当性を認めることはできない。
38
39
構造学者とか構造の専門設計家とは存在する意味があ
るのか?
彼らは国や自治体の官僚の主導に従属するだけだ。主
体的に、積極的に専門家としての能力を発揮しないば
かりか、ただひたすら官僚に従属するだけである。
僕がこの長い裁判をやり遂げてきた唯一の方法論
は、
本来であれば、一旦の誤りを率直に認め、一審の棄却
判決のときに県の調査委員会は再調査を行うべきで
あった。学者群ではできないのであれば、実務者の職
能団体であるJSCAが一審の結論を踏まえて本格的な調
査を行うべきであった。
「弁護士のいない裁判」を終始一貫堅持し
たからである。
原因さえ明確になれば、設計および施工に従事した者
の事故責任を明らかにすることができる。
そのときはじめて、事故に学ぶ貴重な教訓をも明らか
にすることができるのだ!
40
そして、さらに「設計責任」とは何か・・・につ
いて考えさせられた。
そういった概念があることは承知しているが、で
は責任はどうやって果たすべきか・・・がわから
ない。
41
しかし、実際には、この裁判を通して僕一人が戦って
きたわけではない。実に多くの方々から、精神的、技
術的、さらには経済的なご支援をいただいた。
金銭の賠償? 通常の安価な構造設計料で賄える
はずがないし、借金をしたところで返済の可能性
はゼロだ。
技術的奉仕? 誰かの奴隷になれということか。
自殺? 責任をとることとほど遠い、単なる逃避。
保険? 一旦、事故が起こった後では不可能。
SDG・OBのみなさまの献身的な協力にも心より感謝し
ている。
沢山の方々のご支援を背景にして、僕は裁判という舞
台で演じていたにすぎない。
以下に感謝の意をこめてご支援ご協力をいただいた
方々を紹介する。ありがとうございました。
この事故のあとに「設計責任」を果たすべきだと
のご意見も沢山いただいた。しかし、その内容に
ついての提言はなにもない。
42
43
敬称略
青木
雅
青山 博之
揚原 茂雄
安島 誠一
阿部 重孝
新谷 眞人
有山 伸之
五十嵐純一
池間 典一
石村 光由
磯部 共伸
伊藤潤一郎
稲田 泰夫
今井 一郎
岩橋 健定
内田 明香
梅沢 良三
梅村 和宏
海老名雅之
大熊 武司
五十音順
青柳めぐみ
秋山
宏
浅野目和博
安達
洋
阿部 雄三
アラン・バーデン
飯島俊比古
五十嵐 巨
石丸 辰治
磯野 由佳
糸井 達哉
伊藤 洋市
井上
博
岩井 昭夫
上西
明
内田 直樹
梅野
岳
江尻 憲泰
大内
彰
大島 睦巳
44
桐野 康則
楠川 邦輔
倉本 真介
桑子 真弓
小磯 克之
小滝
明
小山
実
斎藤 丈延
酒井かおる
櫻井 旬子
佐藤 邦昭
佐藤 政隆
澤田 誠二
篠崎 洋三
柴田 明徳
島村 高平
徐
光
新富 博之
水津 秀夫
鈴木 栄嗣
住
直樹
世戸 孝司
桐原 秀秋
國安 珣子
黒田 桂市
建築画報
腰原 幹雄
小林 祥一
斎藤 公男
佐伯 正尚
坂田 憲彦
佐々木睦郎
佐藤 孝浩
佐藤 芳久
宍戸幸二郎
芝川
豊
渋谷亜紀子
清水 千尋
白崎 敬治
新穂
工
須古 将昭
鈴木 祐一
関
清豪
世良 耕作
46
大杉 文哉
大竹 克浩
大西 秀行
大橋 智樹
岡崎 博之
岡村 金蔵
岡本 憲尚
奥山 辰雄
小田切智明
甲斐 則夫
梶井 昭仁
勝倉
靖
加藤 光一
金田 勝徳
亀尾
保
川口 健一
川口
衛
川端 三朗
神田
順
菊池 克巳
鬼頭 武志
木村 克次
大滝 孝一
大谷
茂
大橋 明子
大山
宏
岡茂 浩二
岡村
仁
小川 隆治
尾崎 隆司
尾畠 建治
郭
彗英
梶井佐知子
勝田 庄ニ
金山美登利
金箱 温春
川岡 千里
川口 達次
川角 久子
川邉 裕一
神田 礼子
北島 正一
金
元圭
木村
衛
副松
高橋
高橋
高山
高山
竹川
武田
多田
田中
棚橋
蔡
陳
津田
鶴田
高田
高橋
高山
高山
竹内
武田
多田
舘上
棚橋
田辺
知久
辻
津田
寺島
冨樫
永井
中澤
中島
中田
中西
中村
中村
冨田
仲川
長沢
中島
永谷
長見
中村
昌之
一正
利恵
正春
芳三
忠芳
正紀
好則
勉
広夫
嬢喜
冠帆
達也
信夫
志強
匡俊
昌夫
泰
徹
芳郎
穏聴
美穂
毅士
邦雄
誠
峯夫
真砂
昭
友也
暢寛
秀光
宏志
昭夫
英一
久
知宏
弘
裕
泰典
崇裕
琢史
三和
昭
豊
45
47
中村由美子
贄田 泰然
西川
薫
西谷
章
新田貴太男
西尾 博人
野田 鉱司
橋本 和重
畑 由美子
馬場 樟造
早部 安弘
原田
玄
平尾 明星
深谷 朝男
福田 典史
藤川 由美
藤田
啓
藤山 淳司
星
睦廣
本間 利雄
馬瀬 芳知
松尾有希子
中本 克二
西
一治
西川 泰弘
西本 信哉
仁藤 嘉徳
丹野 吉雄
橋戸 幹彦
長谷川一美
服部 敦志
林
玲子
原
孝文
東
清仁
平松 昌子
福島 順一
藤井 邦男
藤木 宗弘
藤永 直樹
古川 昭一
細澤
治
真崎 雄一
町田有紀江
松岡 浩一
三枝三七子
水野 和夫
水野 隆介
南
輝弥
宮下 光徳
宮原 貴昭
村上 武夫
森田 仁彦
森田
敏
梁元 克彦
矢野 正敏
山崎 英一
山辺 豊彦
湯本壬喜枝
横山 太郎
吉川 裕亮
若命 善雄
渡辺 勝利
王
健
水谷
水野
三橋
宮崎
宮田
向井
村松
森田
谷尾
矢野
山賀
山崎
湯田
横田
吉岡
李家
渡辺
渡辺
太郎
稔
淳子
和矢
利雄
啓治
晃次
慶子
俊弘
克巳
康弘
真司
博哲
幸久
誠
美鈴
明
勧
48
49
謝謝 謝謝
謝謝!
2014.5.23
50
51