同窓会だより - 富山大学

仰岳会会報 第42号
同窓会だより
「昭和39年卒工業化学科」第2回同期会開催
昭和39年卒工業化学科の第2回同期会が平成22年8月22日富山第一ホテルにて開催され、36人中20人が参
加しました。卒業以来初顔合わせの方や懐かしい方々にお会いし、しばし昔日の世界に浸ることができまし
た。翌日は蓮町、五福キャンパス、高岡の工学部跡(現高岡高校)を見学し、懐かしい想いでの跡を辿りま
した。
五福キャンパスでは工学部長広瀬貞樹先生より富山大学の現況について説明していただきました。
平成17年三つの大学が統合し、総合系・医薬系・芸術系領域8学部を擁する日本海沿岸有数の総合大学と
して再出発したことや、工学部志願者が全国で平成10年より約半減し、子供たちの「理科離れ」や「少子化」
の影響で「科学技術立国日本の衰退」にならないよう「理科離れ対策」を国を挙げて取り組まなければなら
ないことなどを説明されました。現在、工学部では地域の子供たちに” ものづくりの面白さ楽しさ” を伝え
るイベントを始めているとのことでした。
その後、大学院理工学研究部生命・情報・システム学域・准教授田代発造先生に、以前の工業化学科(現
環境応用化学科・生命工学科)を中心に工学部校舎内を案内していただき、以前と同様の実験室風景を見て
感動し、高岡時代の工学部から移転されてきた懐かしい門柱の前で記念写真を撮ったりして、全員昔を想い
起こしておりました(写真)。
高岡の工学部跡地は現在高岡高校が新設されすっかり変わっていましたが、グランドはそのまま生かされ
ており、その隅にある小高い丘もほぼ昔のまま残っていました。この丘は地元では「ポンポン山」と呼ばれ
前田利長公に関わる伝説(ネット検索可)が言い伝えられており、近年地元でもこの「ポンポン山」の本格
自作自演オペラが上演されたことが金子良一君より紹介されました。
次回は関西地区で開催することが決まり、次もまた元気に再会しようと全員で誓い合いました。
(八川進記)
高岡から五福キャンパスへ移転された旧工学部の門柱前で記念撮影
−29−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
電気工学科第11回生同級会
私ども昭和38年卒業電気工学科第11回生は、古希を迎える年代になり、これを契機に去る11月11日、雨晴
温泉「磯はなび」で一泊の同級会を開きました。7年前に続き、2回目の同級会で、中には四十数年振りの
再会のため、最初は誰か分からない様子も見られましたが、飲むうち、話すうちに、徐々に往時を思い出し、
肩を叩き合って話に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごしました。
電気第11回生は、38名でしたが、その内、6名の方がご逝去されていることもあり、今回の同級会には19
名が出席しました。都合で欠席された方の理由は体調不良が多く、この年代になると、同級会に出席できる
こと自体が素晴らしいことであり、今後も、元気に楽しく過ごし、次回も元気に再会しようと申し合わせて
散会しました。
なお、インターネット上に同級の能登四郎さんが作成した「富山大学工学部電気11同級会」のホームペー
ジがあります。
http://ntfree.4.pro.tok2.com/denki11/
−30−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
電気工学科第9回卒同期会
十何回目かになる同期会を、平成22年10月19、20日の両日富山県朝日町の小川温泉元湯で開きました。
これまでの10年程は、名古屋、大阪など各地に居住する同期生の持ち回りで、毎年、開いてきました。が、
母校の膝元の富山でやるのが最も参加しやすいと言う声が多くなり、富山で隔年開催する事としたその第1
回目です。
今回は、特別に参加して頂いた中谷先生を含め14名の参加を得て大層盛り上がりました。夜は地元朝日町
在住の幹事の肝いりで、朝獲れのズワイガニを一匹ずつ平らげ、翌日は、欅平までトロッコ電車での黒部峡
谷探勝とシャレましたが、記録破りの猛暑の後とあって、紅葉にはいささか早かったのは残念でした。
平成23年3月には卒後50周年を迎える同期生は、一見、元気そうですが、アタマをはじめ、体のあちこち
の部品の働きがややこしくなってきているのは否めないところです。でもやれるだけやろうと皆意気軒昂で、
次回は県内西部の温泉でやる事として散会しました。
(稲垣 記)
島倉
中野
森
米山
鍋島
杉本
針山
永井
稲垣
谷内
長永
中谷先生
九井
長谷川
−31−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
工業化学科(平成元年卒業)同級会
~前回の再会から4年たちました~
【会報第38号(平成19年5月発行)より】 今後の再会を約束し,次回の幹事講座は1講に!と具体的な話まで出た。
この同級会を機に,メーリングリスト(もどきもの)を私が管理,自営業(十六代目!)を営むKさんが
ホームページを管理することになった。
【その後】
メール配信にて同級生の消息,作道榮一先生の叙勲受賞をお知らせしてきた。
そして,1講のAくん,Tくんのおかげで,ついに,同級会をする運びとなった。
場所は,
「富山にいけるなら,立山の山並みが観たいな!」というSくんの希望により,富山観光ホテル
に決定!
やっぱり,会ったとたん「ヨウ!」で始まった同級会。当日Hくんの飛び入り参加でテンションも上がっ
た。Mくんはご家族と一緒に来富。前回の会では,新婚さん。今回はすっかりいいパパとなっていた。
今回は少しさびしい参加者だったが,夜遅くまで盛り上がった。少し(?)年をとったような気もするが,
中身は皆変わらず。
翌日の日曜日は,みんな(筆者除く)で大学構内や周辺の下宿街ツアーに行った。卒業後20年以上がたち,
みんな容姿は多少変わったけれど,大学も下宿街も大きく変わっておらず,20年は自分たちが思っているほ
ど,長い時間ではなく,まだまだ老け込む年じゃないなあと,変なところで勇気づけられたそうである。
そして,次回の幹事は2講に決定。
今回もKさんが家のホームページに写真を掲載してくれることになった。
Kさん,いつもありがと~
自分たちが在学時代からおられた先生はお三方となった。ほとんどの先生が退官された。
今年度,黒田先生がご退官を迎える。その前に,同級会をかねて工学部案内をできたらいいなあと思って
いる。
【おまけ】
前回の会報で,
最後に,このページをご覧になった先輩,後輩,教養時代の工aクラスの方々,ぜひご連絡下さい。
と記載したところ,化学工学科のTくんから連絡があった。
これには私たちも大喜びしたのであった。
学内委員(自然科学研究支援センター)平田(旧姓:岩城)暁子 工業化学科平成元年卒業
−32−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
こらーれ会
第10回電気工学科卒業生(昭和36年度卒)同期会
我々仲間の就職は、岩戸景気と言われた高度経済成長期の好景気による技術者不足から3年次の頃から求
人活動が活発で、就職先をいろいろと選択できる状況にありました。このような恵まれた環境の中で、八井 浄君は、大学院を経て大学教授の道に進まれたが、他の仲間37名は、おのおの希望する企業に就職、それぞ
れが企業の各分野の中核として多忙な会社生活を送ってきました。
卒業から49年の月日が流れ、今は第二の人生をそれぞれの思いで楽しんでおります。現役時代には仕事に
追われなかなか集まることができず、漸く3回目の会を還暦を迎えた時に富山の自遊館で開催しました。
それからは、第一線を退き時間に余裕ができてきたこと、且、歳を重ねると共に学生時代が懐かしく、誰
となく「毎年集まろうや」と衆議一決、最近は6年連続で開催を続けています。
我々の会は、酒を酌み交わすのが勿論ですが、いろんな所を訪ね、その行き先々の催し物の見学や観光も
行っています。また会では、長年苦労を掛けた奥様方の労をねぎらうため、夫人同伴での参加も歓迎してい
ます。
一昨年は城端の麦屋まつりの見物と五箇山散策と趣向を凝らし、その折、次回は知多半島で “ふぐ” を食
べようと決め、第11回目になる会を昨年10月17~18日に開催しました。参加者は男性19名、女性4名(例年
より若干少なめ)の23名でした。
一日目は、先ず各自が名古屋祭りを見物した後、南知多温泉「魚友幸泉閣」に集結しました。地場の海鮮
料理と解禁になったばかりのふぐ料理、特にひれ酒には全員大満足でした。宴半ばで恒例の近況報告に入り
ましたが、持ち時間1分と決めても、延々とした近況報告者も多く、久し振りに参加した方も、皆の元気な
様子を見て、大きな元気を貰ったようでした。二次会では、健康のことや、学生時代の話に花を咲かせ、尽
きることなく大きな笑い声の中で時間の経つのも忘れ、楽しい一時を過ごしました。
2日目は、観光、皆さんの日頃の行
いが良かったのか好天に恵まれ、マイ
クロバスであちこち見学後、常滑市の
“やきもの散歩道” をボランテアの方
に案内して貰い、古の時代を垣間見さ
せて貰いました。次回の再会を約束し、
名残惜しみながら解散しました。
平成24年の卒業50周年を前に、今年
は10月に立山の麓で紅葉見物をする予
定です。
会の名称は昨年の会で “奥さま同伴
でみんなこらーれ” にしようとの発案
を満場一致で認め、「こらーれ会」と
新しく命名しました。一同ますます会
の発展をと意気込んでいます。
吉報
八井 浄君
平成17年3月に長岡技術科学大学教授を退官後家業を就いておられますが、昨年応用物理学会(会員数
23,000人超)の発展に寄与したとして、功労賞を受賞、功労会員に選ばれました。
おめでとうございます。此にご報告させて頂きます。
(奥野記)
−33−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
1年ぶり、そして44年ぶりの同期会
-機械工学科15回卒生―
2010年10月29日、富山県氷見の九殿浜温泉「ひみのはま」にオジさん達が次々とやってきました。
昨年の43年ぶり第一回に続き第二回目となります。
昨年は19名、
今年は22名です。初参加8名が44年ぶりとなり、二年を掛け都合27名が再会をはたしました。
相変わらず、顔に全く見覚えのないメンバーがおり、原因は、雀荘なり、クラブなりに入り浸り、学校で
はめったに顔を合わさなかった為ではないかとの結論に至りました。
家族、孫の話、健康ネタそして人生の報告と人生観の意見交換など、宴会、カラオケ2次会、さらに部屋
に戻っての3次会と尽きぬ話が続き、寝不足、二日酔いの団体が出来上がった次第です。
昨年に続き、
一人も彼岸には渡っていない事が判明。次会は1年半後の春、愛知でやろうということになり、
それまで元気でと再会を誓いお開きとなりました。
翌日は、氷見カントリーで有志6名がゴルフコンペ。二日酔いと寝不足と馴れないコースに苦しみ散々な
スコアながら、富山湾、立山連峰を眺めてのプレーを満喫しました。
今回代表幹事の大役を引き受けていただいた大田君、幹事の村井、住田の両君、大変ありがとうございま
した。
(文責 高山)
(宴会前全員で)
岩瀬洋一 大田 小宮山 岩瀬裕重 広島 渡辺 布一 常木 住田
本保 村松 布瀬 畑井 堂上 村井
宮本 上野 水上 西村 吉岡 高山 川向
−34−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
作道榮一先生瑞宝中授章叙勲祝賀会
〜先生ご夫婦を囲んで門下生同窓会〜
元化学生物工学科教授作道先生は平成21年の秋の叙勲で瑞宝中章を授章されました。先生の専門は有機物
理科学、
「アルコール類とルイス酸との間の反応に関する研究」で昭和51年に東京教育大学より理学博士の
学位を授与されました。その後、「スルホキシド類の分子内脱離反応」、「新規スルフェン酸・チアザインの
合成と反応」等、有機イオウ化合物の理論有機化学の検知から研究活動されました。先生は学術・研究面ば
かりでは無く、昭和62年から平成3年まで富山大学工学部長を務め、大学の管理運営に精力的にご尽力され
ました。
工学部長在任中は学科改組の難問題を処理され、工学研究科博士後期課程の設置に意欲を示され他大学に
後れを取るわけに行かないと文部省に足繁く運んでその必要性を訴え、地元企業・行政にも働きかけ、また
工学部同窓会(仰岳会)に協力を呼びかけるなど多忙な日々を送られました。在任中に無事博士後期課程の
設置が実現致しました。
このような先生の長年に亘る先生の教育・研究および管理・運営の功績を省みる時、今回の叙勲は遅きに
失する感がありますが、誠に相応しく、我々同窓生にとっても誠に喜ばしいことであります。これを記念し
て平成22年4月29日に、富山第一ホテルにて、ご来賓の先生方(広瀬貞樹工学部長、大井信一元富山大学学
長、山崎高應元富山医科薬科大学学長、宮下和雄元富山高等工業専門学校校長、井上正美・杉本益規・能登
谷久公各元富山大学教授)も招いて作道ご夫婦を囲んで叙勲祝賀会が開催されました。今は無き高岡の工業
化学科時代以来、富山大学五福キャンパスに工学部が移転し、学科改組で化学生物工学科時代へと変遷し、
作道先生が定年退官されるまでに先生から薫陶受けた同窓生・職員が相集いました。
祝賀会は記念写真撮影の後、小野准教授の司会のもとに懇親会に移りました。発起人代表挨拶(吉村敏章
富山大学教授)から始まり、祝辞として広瀬工学部長より工学部の現状についての説明を兼ねて作道先生の
業績等についてのスピーチがあり、山崎先生からは作道先生の教育・研究および管理・運営手腕やエピソー
ド等が披露されました。また同窓生代表として工業化学科第12回卒業生足立龍三氏が挨拶し、学生時代の作
道先生の私的な面のエピソードなどが披露され、花束贈呈、作道先生の挨拶の後、宮下先生のスピーチ・乾
杯音頭にて祝宴に移り、和やかな雰囲気の中で旧交を温め、歓談に花を咲かせました。日本各地から駆けつ
けた日頃多忙な作道先生のゼミの学部・修士・博士卒業または修了された面々が、各企業および行政の現場
における第一線で、研究者、技術者、管理職として、指導的立場で活躍しており、各テーブルで昔の卒業論
文の苦労話や社会人となってからの経緯や近況さらには子供や孫の話題に歓談の花を咲かせる久方ぶりの再
会を果たす機会になったわけです。
同じ研究室の同窓生と言うことでアルコールも入ったこともあって会は賑やかに進み、予定の時間はあっ
という間に経過したように感じられました。最後に島崎の中締めで一次会を終了しましたが、時間のある人
は一階の喫茶室で作道先生を囲んでコーヒー、その他を飲みながら名残惜しみながら話に華が咲いていまし
た。矢張り同じ研究室に籍を置いた同窓生は気負いも、柵(しがらみ)も無く学生時代に戻って本音で語り
合え、素晴らしいと実感いたしました。
作道先生ご夫婦を見送った後、今後のお互いの健康と幸せを祈り、流れ解散で散会となりました。夕闇迫
る町に名残惜しんで消えていく皆に幸いあれと心から願う。
−35−
仰岳会会報 第42号
古希を過ぎる頃から、祝賀会・同窓会等に出席の度、思い出す中国の漢詩があります。
人生無根蔕 瓢如陌上塵
分散随風転 此已非常身
落地成兄弟 何必骨肉親
得歓当作楽 斗酒聚比隣
盛年不重来 一日難再晨
及時当勉励 歳月不待人
−陶淵明「雑詩」
この漢詩の意味は、
「人生には根も蔕(へた)もなく、ひらひらと陌上(みちばた)の塵のようなものだ。ばらば
らになって風のまにまに転がって行く、始めから一定の姿などは無い。人と生まれたからには皆兄弟のようなもの、
血のつながりなどはどうでも良い。歓楽の機会があれば十分に楽しむのが良い、充分な酒を用意して近所の人に集
まってもらおう。若い元気な時と言うのは二度とは来ない。一日がもう一度朝になるということがないよう、努力
しなければならない。時間は待ってくれない。
」という事であり、この漢詩とシラーが時間に対して述べているよう
に、
「時の歩みに三通りある。未来はためらいながら近づき、現在は矢のように飛び去り、過去は永遠に静止してい
る。
」と言う言葉に改めて実感致しております。
脱稿後,東北・関東大震災の報を知り,被災を受けられた同窓生の皆様に心からお見舞い申し上げます。併せて、
皆様方のご無事とご復興をお祈りいたします。
(工業化学科 昭和32年3月卒業 島崎長一郎)
−36−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
第2回 富山大学 仰岳会 あかりの会 開催報告
あかりの会は、電気工学科で電力工学の教鞭を取られていた中谷先生の講義や卒論指導を受けた卒業生が
幅広い産業分野で活躍していることから、相互交流を図っていこうとの趣旨でスタートしました。
昨年に続き第2回目の “仰岳会あかりの会” を開催させていただき交友を深めました。前年参加のメンバ
ーのお声がけもあって参加者が増えて宴会も盛り上がりました。卒業年次の枠を超えた工学部電気工学科卒
業された有志親睦会になってきました。いろいろな産業分野や実業界で活躍された方のスピーチで夜が更け
ていきました。
発足会概要報告
開催日時 2011年3月20日(日)~21日(祝) 16時30分 開会
開催会場 氷見市阿尾温泉 民宿みちしお
昨年の参加メンバーの中谷先生、中嶋、中島、千代に加えて今年の参加メンバーとして、岩井さん、北島
さん、久野さん、早東さん、出崎さん、的場さん、島崎さんが増えました。
東日本大震災の影響で交通事情もあってやむなく不参加となった方々も来年は是非よろしくお願いしま
す。
(佐々和博さん、舟田光志さん)
開催のあらまし前回開催からの経過報告
今回の開催案内についての返信ハガキの紹介
講演Ⅰ LED照明の進展と課題 (16 : 30~17 : 15 千代和夫)
講演Ⅱ 日本の原子力発電の現状 (17 : 15~18 : 00 中谷先生)
卒業年次の順で自己紹介を兼ねた近況報告で盛り上がりました
“あかりの会” の継続開催と関係者への案内、お互いの健康増進を祈願氷見の海鮮に酒宴が盛り上がり、
深夜まで語り尽くしあいました
次回開催について仰岳会会報へ投稿して、来年度開催を呼びかけていくことで全員一致。次回は、連休利
用できる2012年3月17日(土)を予定しています。
連絡先について次回の開催案内希望は、事務連絡係の出崎さんか千代までご一報ください。
千代和夫(パナソニック電工創研) メール:[email protected]、携帯:090−6609−0406
写真後列 出崎 栄一(47) 早東 昇(46) 岩井 正己
(40)
中島賛太郎
(47)
島崎 修一
(53)
的場富士夫
(48)
写真前列 千代 和夫(49) 久野 善正(45) 中谷 秀夫 先生 北島 正毅
(40)
中嶋 芳雄
(47)
(電気工学科49年度卒 千代 和夫 記)
−37−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
風巻先生卒寿の会
2011年4月2日、講座同窓生有志による「風巻先生卒寿の会」が行われました。
本会は昨年10月に行う予定になっておりました。
その前日に先生は、庭木の手入れ中、脚立の上から落下、肋骨3本を折る怪我を負われたとのご連絡があ
り、急遽中止し延期していたものです。
ご年齢からは考えられない回復力で快気されたとのご連絡をいただき、再度計画していたものです。
ところが3月11日、大震災に遭遇する事となってしまいました。
折れそうな心でやれるのか?計画停電の影響は?自粛すべきでは?等々悩んだ挙句、今我々に出来る事は、
元気を出す事との結論に至り、実施する事にいたしました。
午後2時、JR伊豆函南駅集合にしましたが、節電間引きにより、全員集合は40分遅れとなってしまいま
した。
お住まいのある別荘地、南ダイヤランド周辺をご案内いただいた後、先生のご自宅を訪問させていただき、
奥さまともどもご歓談させていただきました。
中睦まじいご夫婦のご様子、そして急峻な地形に広がる段々畑状の、かなり広いお庭の綺麗なお手入れか
ら、とても90歳と87歳お二人だけでお住まいになっているとは信じられない思いで拝見いたしました。
お前たちも、老後はこう過ごすんだと教えられているようで、勇気をいただきました。 記念品として、アレンジメントフラワーを贈呈。プリザーブド処理で10年はもつという事なので、これに
負けずにお過ごしいただく事を祈念させていただきました。
そのあと伊豆畑毛温泉「大仙屋」に移動、温泉につかったあと開宴となりました。
先生の人生、それぞれの人生、講座の思い出など尽きぬ話が続き、先生はいつになくお飲みになり、かな
り酔っぱらわれたご様子で少し心配をしました。
他の講座の片隅で始めた内燃機関講座は、やがて200名を越す卒業生を生みだす事になりました。
エンジニヤとしての根幹、社会人としての根本を厳しく叩き込まれました。
おかげさまで我々は、製品開発やモノ造りの分野で、世界の最先端、ワールドスタンダードとなる仕事を
やり、社会に貢献する事ができました。
焼け野原から再出発した日本の復興に、大いに貢献できたと自負しております。
先生のおかげと心よりの感謝をさせていただきました。
先生、奥さまには本当に喜んでいただき、実行して良かったなあとしみじみ思った次第です。
翌朝、お二人でホテルまで見送りにおいでいただき、元気でまたの再会を誓い合い散会いたしました。
(記事 高山光直 撮影 山本 裕)
(宴会にて)
(風巻先生のご自宅にて奥様もご一緒に)
桝田正美 山本 裕 福田憲二 奥さま 高山光直 風巻恒司先生 渡辺義幸 加藤清敏
(翌朝、奥様ともどもホテルにお見送りに
おいで頂きました。
)
−38−
仰岳会会報 第42号
同窓会だより
「高岡工専 東京会」の近況
(22年度)
この会も歴史を重ね、相変わらず交流を続けておりますが、メンバー全員が80才を超えることになり、
体調にやや不安を覚えたり体力の衰えの顕れる者も、出始めたようですが、大方は元気に後期高齢者生活を
楽しんでいます。
◎ 仰岳会年次総会 参加
7.17(土) 於 鉄鋼会館
出席者;石井 和夫、川上 英明、大野喜久男、広瀬 高英、
栗原 靖一、山本 昭、
高島美智雄、米田 孝、
小杉 富男、長谷川健一、豊木 隆、
土倉 昭夫、村上 英爾
◎ 東京会懇親会
7.28(水) 於 明電舎大崎会館
出席者;石井 和夫、大野喜久男、
長 昭二、広瀬 高英、朴木 春夫、
栗原 靖一、平野 有和、村上 和夫、
高島美智雄、
小杉 富男、長谷川健一、
滝沢 朗、土倉 昭夫、村上 英爾、山口 敬
12.22(水) 於 明電舎大崎会館
出席者;石井 和夫、大野喜久男、朴木 春夫、
栗原 靖一、山本 昭、平野 有和、村上 和夫、
高島美智雄、米田 孝、
小杉 富男、長谷川健一、吉田 英雄、
滝沢 朗、土倉 昭夫、村上 英爾
◎ 月 例 会
毎月 第4水曜日 於 第2鉄鋼ビル地下
午後5時より、約十名が三々五々集まり通飲して談論風発、酒
量がやや減少傾向ではありますが、ますます意気軒昂です。
◎ 観 賞 会
10.7(水) 国立新美術館
「一期会」展 (大野喜久男氏所属 副会長)
会期中、個別に会場を訪れて、大野さんの案内を受けて鑑賞した。
◎探訪散策会
1.27(水) 谷中七福神、
2.22(水) 日本銀行、貨幣博物館、東京証券取引所、
3.31(水) 北の丸公園、千鳥ケ淵桜並木道、靖国神社境内、
10.28(水) 東海道品川宿
−39−