創作家の態度 - ReSET.JP

創作家の態度
夏目漱石
演題は﹁創作家の態度﹂と云う
のであります。態度と云うのは心
みかた
の持ち方、物の観方くらいに解釈
よろ
しておいて下されば宜しい。この、
心の持ち方、物の観方で十人、十
色さまざまの世界ができまたさま
1
ざまの世界観が成り立つのは申す
までもない。一例を上げて申すと、
もし諸君が私に向って月の形はど
んなだと聞かれれば、私はすぐに
丸いと答える。諸君も定めし御異
存はなかろうと思う。ところがこ
の間ある西洋人の書いたものを見
たら、我々は普通月を半円形のも
のと解しているとあったのみか、
なぜまんまるなものと思っていぬ
2
かと云う訳までが二三行つけ加え
てあったんで、少し驚いたくらい
であります。我々は教育の結果、
習慣の結果、ある眼識で外界を観、
ある態度で世相を眺め、そうして
しん
それが真の外界で、また真の世相
ひょ
と思っている。ところが何かの拍
うし
子で全然種類の違った人︱︱商人
でも、政事家でもあるいは宗教家
でも何でもよろしい。なるべく縁
3
あ
の遠い関係の薄い先生方に逢って、
その人々の意見を聞いて見ると驚
ろく事があります。それらの人の
ごびゅう
世界観に誤謬があるので驚くと云
うよりも、世の中はこうも観られ
るものかと感心する方の驚ろき方
であります。ちょうど前に述べた
かっこう
我々が月の恰好に対する考えの差
と同じであります。こう云うと人
間がばらばらになって、相互の心
4
きわ
に統一がない、極めて不安な心持
になりますが、その代り、誰がど
う見ても変らない立場におって、
申し合せたように一致した態度に
出る事もたくさんあるから、そう
苦になるほどの混雑も起らないの
であります。︵少なくとも実際上︶
へ
ジェームスと云う人が吾人の意識
せんたく
するところの現象は皆撰択を経た
ものだと云う事を論じているうち
5
あ
に、こんな例を挙げています。︱
︱撰択の議論はとにかく、その例
がここの説明にはもっとも適切だ
と思いますから、ちょっと借用し
て弁じます。今ここに四角がある
とする。するとこの四角を見る立
すじかい
場はいろいろである。横からも、
たて
竪からも、筋違からも、眼の位置
と、角度を少し変えれば千差万別
に見る事ができる。そうしてその
6
たびたびに四角の恰好が違う。け
れども我々が四角に対する考は申
し合せたように一致している。あ
らゆる見方、あらゆる恰好のうち
で、たった一つ。︱︱すなわち吾
人の視線が四角形の面に直角に落
ちる時に映じた形を正当な四角形
だと心得ている。これを私の都合
の好いように言い換えると、吾人
は四角形を観る態度においてこと
7
ごとく一致しているのであります。
で云う
と云う事があります。誰
foreshorten
また別の例を申しますと彫刻など
ing
でも心得ている事でありますが、
人が手でも足でも前の方に出して
いる姿勢を、こちらから眺めると、
実際の手や足よりも短かく見えま
す。けれども本来はあれより長い
ものだと思って見ています。だか
8
われわれ
ら画心のない吾々が手や足を描こ
うとすると本来そのままの足や手
を、方向のいかんにかかわらず、
紙の上にあらわしたくなる。あら
わして見るとどうも釣合がわるい。
悪いけれども腹が承知をしないで
妙な矛盾を感ずる。小供のかいた
画を見るとこの心持ちが思い切っ
て正直に出ています。これもこの
際都合のいいように翻訳して云い
9
ますと、吾々が手や足の長さに対
する態度はちゃんと申し合せたよ
うに一致していると云う事になり
ます。
みよう
してみると世界は観様でいろい
にんにん
ろに見られる。極端に云えば人々
個々別々の世界を持っていると云っ
さしつかえ
ても差支ない。同時にその世界の
ある部分は誰が見ても一様である。
始めから相談して、こう見ようじゃ
10
めいめい
ありませんかと、規約の束縛を冥々
のうちに受けている。そこで人間
の頭が複雑になればなるほど、観
察される事物も複雑になって来る。
複雑になるんではないが、単純な
ものを複雑な頭でいろいろに見る
から、つまりは物自身が複雑に変
おちい
化すると同様の結果に陥るのであ
ります。これを前の言葉に戻して
云うと、世が進むに従って、複雑
11
な世界と複雑な世界観ができて、
そうして一方ではこの複雑なもの
ひろ
が統一される区域も拡がって来る
のであります。
そこで創作家も一種の人間であ
めいめい
りますから各々勝手な世界観を持っ
て、勝手な世界を眺めているに違
ない。しかしながらすでに創作家
と云う名を受けて、官吏とか商人
とか、法律家とかから区別される
12
以上は、この名称は単に鈴木とか、
山田とか云う空名と見る訳には行
かない。内実においてそれ相当の
特性があって他の職業と区別され
ているのかも知れない。だから、
この人々の立場を研究して見たら
ば、多少の御参考になりはすまい
かと思ってこの演題を掲げた訳で
あります。
そこで、この問題を研究するの
13
方法について述べますと、第一に
は歴史的の研究があります。これ
まとま
は創作家の世界観の纏ってあらわ
れた著作そのものを比較して、そ
そうごう
の特性を綜合した上で、これに一
種の名称︵自然派とか浪漫派とか︶
を与えて、それから年代を追って
あと
その発展を迹づけるのであります。
いわゆる文学史であります。この
間中からして、日本で大分自然派
14
の論が盛になりましていろいろの
雑誌にその説明などがたくさん出
て、私なども大分利益を受けまし
フランス
た。我々日本人が仏蘭西の自然派
ドイツ
はこう発達したの、独乙の自然派
は今こんな具合だのという事を承
しごく
知したのは、全くこの歴史研究の
おかげ
御蔭で至極結構な事と思います。
ただこの種の研究について私の
飽き足らないところを云うと、あ
15
るいは下のような弊がありはすま
いかと思われます。
︵一︶ 歴史の研究によって、
こん
自家を律せんとすると、相当の根
きょ
拠を見出す前に、現在すなわち新
という事と、価値という事を同一
かたむき
視する傾が生じやすくはないかと
思われます。すべての心的現象は
過程であるからして、Bという現
・ ・ ・
象は、Aという現象に次いで起る
16
のはもちろんであります。したがっ
てBの価値はBの性質のみによっ
て定まらない、Bの前に起ったA
と云う現象のために支配せられて
いる事ももちろんであります。腹
うま
が減るという現象が心に起ればこ
めし
そ飯が旨いという現象が次いで起
るので、必ずしも料理が上等だか
ら旨かったとばかりは断言できに
くいのであります。そこで吾々は
17
しんり
Aと云う現象を心裡に認めると、
これに次いで起るべきBについて
は、その性質やら、強度やら、い
ろいろな条件について出来得る限
せんたく
りの撰択をする、またせねばなら
ぬ訳であります。ちょうど車を引
いて坂を下りかけたようなもので
前の一歩は後の一歩を支配する。
すうせい
後の一歩は前の一歩の趨勢に応ず
るような調子で出て行かなければ
18
うま
旨く行かない。人間の歴史はこう
云う連鎖で結びつけられているの
だから、けっして切り放して見て
ぎょうさん
もその価値は分りません。仰山に
しょう
言うと一時間の意識はその人の生
がい
涯の意識を包含していると云って
も不条理ではありません。したがっ
て人には現在が一番価値があるよ
うに思われる。一番意味があるご
とく感ぜられる。現在がすべての
19
標準として適当だと信じられる。
あした
だから明日になると何だ馬鹿馬鹿
しい、どうして、あんな気になれ
むか
たかと思う事がよくあります。昔
し恋をした女を十年たって考える
のぼせ
と、なぜまあ、あれほど逆上られ
たものかなあと感心するが、当時
はその逆上がもっともで、理の当
然で、実に自然で、絶対に価値の
ある事としか思われなかったので
20
あります。一国の歴史で申しても、
一国内の文学だけの歴史で申して
いんが
もこれと同様の因果に束縛されて
いるのはもちろんであります。現
フランス
代の仏蘭西人が革命当時の事を考
えたら無茶だと思うかも知れず。
また浪漫派の勝利を奏したエルナ
ニ事件を想像しても、ああ熱中し
ないでもよかろうくらいには感ず
るだろうと思います。がこれが因
21
果であって見れば致し方がない。
ただ気をつけてしかるべき事は、
自分の心的状態がまだそんな廻り
あせ
合せにならないのに、人の因果を
せんき
身に引き受けて、やきもき焦るの
ひと
は、多少他の疝気を頭痛に病むの
かたむ
傾きがあるように思います。とこ
ろが歴史的研究だけを根本義とし
て自己の立脚地を定めようとする
と、わるくするとこの弊に陥り安
22
いようであります。というものは
現に研究している事が自分の歴史
よ
なら善かろうが人の歴史である。
ま
人はそれぞれ勝手な因を蒔いて果
を得て、現在を標準として得意で
ある。それを遠くから研究して、
彼の現在が、こうだから自分の現
在もそうしなければならないとな
ると、少し無理ができます。自己
の傾向がそこへ向いていないのに、
23
向いていると同様の仕事をしなけ
ればならなくなる。云わば御付合
になる。酷評を加えると自分から
ものまね
出た行為動作もしくは立場でなくっ
もこう
て、模傚になる。物真似に帰着す
る。もとより我々は物真似が好き
に出来上っているから、しても構
わない。時と場合によると物真似
をする方がその間の手数と手続と、
はんさ
煩瑣な過程を抜きにして、すぐさ
24
ま結局だけを応用する事ができる
から非常に調法で便利であります。
現に電信、電話、汽車、汽船を始
めとして、およそ我国に行われる
いわゆる文明の利器というものは
しごく
ことごとく物真似から出来上った
つ
ものであります。至極よろしい。
もち
人に餅を搗かして、自分が寝なが
らにしてこれを平げるの観があっ
て、すこぶる痛快であります。が
25
この現象をすぐ応用して、文学な
どにも持って行ける、また持って
行かなければならないと結論して
は、少し寸法が違ってるように思
います。と云うものは理学工学そ
の他の科学もしくはその応用は研
究の年代を重ねるに従って、一定
の方向に向って発達するもので、
どの国民がやり出しても、同程度
の頭で同程度の勉強をする以上は
26
一日早くやれば早くやった方が勝
になるような学問で、しかも一日
後れたものは、必ず、一日早く進
あと
んだものの後を︵一筋道である︶
通過しなければならない性質のも
のであります。歩く道が一筋で、
さきが進んでいる以上は、こっち
の到着点も明らかに分っているん
かぶと
だから、できるだけ早く甲を脱い
で降参する方が得策であります。
27
ひとぎき
真似をすると云うと人聞が悪いが
うま
骨を折らないで、旨い汁を吸うほ
ど結構な事はない。この点におい
しごく
て私は模傚に至極賛成である。し
かし人間の内部の歴史になると、
またその内部の歴史が外面にあら
われた現象になると、そう簡単に
は行きませんようです。風俗でも
習慣でも、情操でも、西洋の歴史
にあらわれたものだけが風俗と習
28
慣と情操であって、外に風俗も習
慣も情操もないとは申されない。
また西洋人が自己の歴史で幾多の
変遷を経て今日に至った最後の到
着点が必ずしも標準にはならない。
︵彼らには標準であろうが︶こと
あ
に文学に在ってはそうは参りませ
ん。多くの人は日本の文学を幼稚
だと云います。情けない事に私も
そう思っています。しかしながら、
29
自国の文学が幼稚だと自白するの
は、今日の西洋文学が標準だと云
う意味とは違います。幼稚なる今
日の日本文学が発達すれば必ず現
ロ シ ア
代の露西亜文学にならねばならぬ
ものだとは断言できないと信じま
す。または必ずユーゴーからバル
ザック、バルザックからゾラと云
フランス
う順序を経て今日の仏蘭西文学と
一様な性質のものに発展しなけれ
30
ばならないと云う理由も認められ
ないのであります。幼稚な文学が
発達するのは必ず一本道で、そう
して落ちつく先は必ず一点である
と云う事を理論的に証明しない以
上は現代の西洋文学の傾向が、幼
稚なる日本文学の傾向とならねば
ならんとは速断であります。また
この傾向が絶体に正しいとも論結
はできにくいと思います。一本道
31
の科学では新すなわち正と云う事
が、ある程度において言われるか
も知れませんが、発展の道が入り
組んでいろいろ分れる以上はまた
分れ得る以上は西洋人の新が必ず
しも日本人に正しいとは申しよう
がない。しかしてその文学が一本
道に発達しないものであると云う
りくつ
事は、理窟はさておいて、現に当
代各国の文学︱︱もっとも進歩し
32
ている文学︱︱を比較して見たら
一番よく分るだろうと思います。
近頃のように交通機関の備った時
代ですら、露西亜文学は依然とし
イギリス
て露西亜風で、仏蘭西文学はやは
ドイツ
り仏蘭西流で、独乙、英吉利もま
たそれぞれに独乙英吉利的な特長
があるだろうと思います。したがっ
て文学は汽車や電車と違って、現
今の西洋の真似をしたって、さほ
33
ど痛快な事はないと思います。そ
れよりも自分の心的状態に相当し
て、自然と無理をしないで胸中に
起って来る現象を表現する方がか
えって、自分のものらしくって生
命があるかも知れません。
もっとも日本だって孤立して生
くにがら
存している国柄ではない。やっぱ
・ ・ くさ
り西洋と御付合をして大分ばた臭
くなりつつある際だから、西洋の
34
現代文学を研究して、その歴史的
の由来を視て、ははあ西洋人は、
今こんな立場で書いてるなくらい
は心得ておかなくっちゃなりませ
ま ね
ん。たとえ夢中に真似をするのが
悪いと云っても、先方の立場その
他を参考にするのはもちろん必要
ぜん
であります。文学は前申したよう
な特色のものではありますが、そ
うち
の特色の中には一本調子に発達す
35
る科学の影響がたくさん流れ込ん
で来ますから、定数として動かす
べからざるこの要素が、いかに科
学の進歩に連れて文学の各局部を
おか
冒しているかを見るのは、科学思
想の発達しない日本人が、いたず
らに自己の傾向ばかりふり廻して
がんば
いては、分らないので、そう頑張っ
ていてはついには正宗の名刀で速
射砲と立合をするような奇観を呈
36
出するかも知れません。
して見ると歴史的研究は前のよ
うな弊もあるが、けっして閑却す
べからざるものでありますから、
私の希望を云うと、歴史を研究す
そう
るならばその研究の結果して、綜
ごうてき
合的に現代精神とはこんなもので、
この精神がないものはほとんど文
学として通用しないものだと云う
事を指摘して事実の上に証明した
37
いのであります。私の現代精神と
云うのは、今月もしくは先月新ら
しくできた作物そのものについて、
この作物は現代精神をあらわして
いる云々というような論じ方では
ありません。過去一二世紀に渡っ
さかのぼ
て、︵もしくはもっと溯っても、
よろしい︶、人の心を動かした有
名な傑作を通覧してその特性︵一
つでなくてもよろしい。また矛盾
38
へいりつ
さしつかえ
併立していても差支ない︶を見出
して行く事であります。そうする
と一年や十年の流行以上に比較的
めいりょう
永久な創作の要素がざっと明暸に
なるだろうと思います。少なくと
も吾々の子もしくは孫時代までは
変らない特性が出てくるだろうと
思います。もし標準が必要とある
ならば、これでこそ多少の標準が
できるとも云い得るでしょう。こ
39
う云う手数をして現代精神を極め
たからと云って、それより以前に
出たものには現代精神がないと云
う訳にはならない。たとえばダン
テの神曲に見えるような考を持っ
ている人は今の世にはたくさんな
ま ね
い。また神曲の真似をした作物を
出そうと云う男もありますまい。
しかしあの神曲のうちから、現代
精神を引き出せばいくらでも出て
40
来るにきまっている。今の人の心
に訴える箇所はすなわち現代精神
であります。デカメロンそのまま
を春陽堂から出版したって読み手
はないにきまっている。しかしあ
の中に現代精神すなわち種々な点
において吾人を動かす自然派のよ
うな所はいくらでもあります。ずっ
さかのぼ
と昔に溯ってホーマーはどうです。
全体から云うとむしろ馬鹿気てい
41
る。誰もイリアッドが書いて見た
いと云う人もあるまいが、そのイ
リアッドがやはり現代の人に読み
得るところ、読んで面白いところ、
ロマ
読んで拍案の概があるところ、浪
ンチック
漫的なところ、が少なくはなかろ
うと思う。こう考えて見ると作物
は時代の新旧ばかりで評をするよ
りも現代精神にリファーして評価
すべき事となります。そうしてこ
42
の現代精神は実を云うと、読者が
めいめい胸の中にもっている。た
ぼうこばくぜん
だ茫乎漠然たるある標準になって
は い
這入っているのだから、私の申出
しはこの茫乎漠然たるものを歴史
的の研究で、もっと明暸に、もっ
と一般に通用するものにしたいと
云う動議にほかならんのでありま
す。諸君の御存じのブランデスと
云う人の書いた十九世紀文学の潮
43
流という書物があります。読んで
ドイツ
見るとなかなか面白い。独乙の浪
イギリス
漫派だとか、英吉利の自然派だと
か表題をつけて、その表題の下に、
いくたりも人間の頭数を並べて論
じてあります。これで面白いので
ありますが、私が読んで妙に思っ
くく
たのは、こう一題目の下に括られ
てしまっては括られた本人が押し
込められたなり出る事ができない
44
ような気がした事です。英吉利の
自然派はけっして独乙の浪漫派と
一致する事は許さぬ。一点も共通
なところがあってはならぬと云わ
ぬばかりの書き方のように感じら
れました。無論ブランデスの評し
た作家はかくのごとく水と油のよ
うに区別のあったものかも知れな
い。しかしながら、こう書かれる
と自然派へ属するものは浪漫派を
45
のぞ
覗いちゃならない。浪漫派へ押し
込めたものは自然派へ足を出しちゃ
駄目だと、あたかも先天的にこん
な区別のあるごとく感ぜられて、
と
後世の筆を執って文壇に立つもの
せつぜん
も截然とどっちかに片づけなけれ
ばならんかのごとき心持がします
からして、ちょっと誤解を生じや
すくなります。さればといってこ
の二派が先天的に哲理上こう違う
46
みじん
から微塵も一致するものでないと
りくつ
いう理窟も書いてなし、また理論
上文芸の流派は是非こう分化する
ものだとも教えてくれない。ただ
著者が諸家の詩歌文章を説明する
くだ
条りを、そうですかそうですかと
聞いているようなものでありまし
たと
た。しかしこれは少し困る。例え
ば学派を分けてあれは早稲田派だ、
これは大学派だとしてすましてい
47
るようなものであります。それほ
ど判然たる区別があるかないか分
らないが、よしあったにしても早
稲田派と大学派は或る点において
お
同じ説を吐いてはならないと圧し
つけるのみか、たとい実際は同じ
説でも、なに違ってるよ。早稲田
だもの、大学だものとただ名前だ
けできめてしまう弊が起りやすい。
そうごう
私の現代精神の綜合と云うのは、
48
この弊を救うためで、一方ではこ
の窮窟な束縛を解くと同時に、名
かの
に叶うたる実を有する主義主張を
並立せしめようとするためであり
ます。
けれども、こういう研究は私に
おっくう
はちょっと臆劫でなかなかできな
かぶ
いから、歴史的に行くと自然現代
か
の西洋作家を実価以上に買い被る
へい
弊が起りやすいだろうと思います。
49
そこで歴史的研究以外の立場から
創作家の態度を御話する事にしま
した。
︵二︶ もう一つ歴史的研究に
対して非難したいのは、ちと哲学
者じみますが、こう云う事であり
ます。すべての歴史は与えられた
事実であります。すでに事実であ
る以上は人間の力でどうする事も
げん
できない。儼として存在している
50
から、この点において争うべから
ざる真であります。しかしながら
ゆいいつ
これが唯一の真であるかと云うの
が問題なのであります。言葉を改
こんせき
めて云うと人類発展の痕迹はみん
な一筋道に伸びて来るものだろう
かとの疑問であります。もしそう
だと云う断定ができれば日本の歴
史すなわち西洋の歴史、西洋の歴
ギリシャ
史すなわち希臘の歴史と云う事に
51
帰着します。けれども多数の人は、
これら各国の歴史を皆事実と首肯
すると共に、ことごとく差違ある
み な
ものと見傚すだろうと考えます。
もっともこの各国の歴史から共通
の径路を抽象して人類の発展の方
・ ・
向は必ず、こういう筋を通るもの
だとは云われましょう。しかしそ
ドイツ
れだからといって日本も、支那も、
イギリス
英吉利も、独乙も、同じ現象を同
52
く
かえ
じ順序に過去で繰り返していると
は参らんのであります。あまり雲
つか
を攫むような議論になりますから、
もう少し小さな領分で例を引いて
御話を致しますが、日本の絵画の
ある派は西洋へ渡って向うの画家
にはなはだ珍重されているし、ま
た日本からはわざわざ留学生を海
けいこ
外に出して西洋の画を稽古してい
ます。そうして御互に敬服しあっ
53
ています。両方で及ばないところ
があるからでしょう。それは、ど
うでも善いが、日本の画を元のま
なげう
や
まで抛っておいて、西洋の画を今
う
の通打ち遣っておいたら、両方の
で
歴史がいつか一度は、どこかで出
あ
逢う事があるでしょうか。日本に
ラファエルとかヴェラスケスのよ
うたまろ
うな人間が出て、西洋に歌麿や北
斎のごとき豪傑があらわれるでしょ
54
うか。ちと無理なようであります。
それよりも適当な解釈は、西洋に
ラファエルやヴェラスケスが出た
ればこそ今日のような歴史が成立
し、また歌麿や北斎が日本に生れ
たから、浮世絵の歴史がああ云う
風になったと逆に論じて行く方が
よくはないかと存じます。したがっ
てラファエルが一人出なかったら、
西洋の絵画史はそれだけ変化を受
55
けるし、歌麿がいなかったら、風
俗画の様子もよほど趣が異なって
いるでしょう。すると同じ絵の歴
史でもラファエルが出ると出ない
とで二通り出来上ります。︵事実
が一通り、想像が一通り︶風俗画
の方もその通り、歌麿のあるなし
で事実の歴史以外にもう一つ想像
史が成立する訳であります。とこ
ろでこのラファエルや歌麿は必ず
56
出て来なければならない人間であ
おぼしめし
かつ
ろうか。神の思召だと云えばそれ
ごへい
までだが、もしそう云う御幣を担
さしつかえ
がずに考えて見ると、三分の二は
ぎょうこう
僥倖で生れたと云っても差支ない。
もしラファエルの母が、ラファエ
ルの父の所へ嫁に行く代りにほか
とつ
の男へ嫁いだら、もうラファエル
は生れっこない。ラファエルが小
くじ
さい時腕でも挫いたら、もう画工
57
にはなれない。父母が坊主にでも
してしまったら、やはりあれだけ
の事業はできない。よしあれだけ
の事業をしても生涯人に知らせな
かったらけっして後世には残らな
い。して見ると西洋の絵画史が今
日の有様になっているのは、まこ
とに危うい、綱渡りと同じような
芸当をして来た結果と云わなけれ
ばならないのでしょう。少しでも
58
かねあい
金合が狂えばすぐほかの歴史になっ
てしまう。議論としてはまだ不充
分かも知れませんが実際的には、
前に云ったような意味から帰納し
て絵画の歴史は無数無限にある、
西洋の絵画史はその一筋である、
日本の風俗画の歴史も単にその一
筋に過ぎないという事が云われる
ように思います。これは単に絵画
だけを例に引いて御話をしたので
59
ありますが、必ずしも絵画には限
りますまい。文学でも同じ事であ
りましょう。同じ事であるとする
と、与えられた西洋の文学史を唯
一の真と認めて、万事これに訴え
て決しようとするのは少し狭くな
り過ぎるかも知れません。歴史だ
から事実には相違ない。しかし与
えられない歴史はいく通りも頭の
中で組み立てる事ができて、条件
60
さえ具足すれば、いつでもこれを
実現する事は可能だとまで主張し
ても差支ないくらいだと私は信じ
ております。
そこで西洋の文学史を唯一の真
と認めてかかるのは誤っていると、
私は申したいのでありますが、た
だそれだけなら別にここに述べ立
てる必要もない。いざとなると西
洋の歴史に支配されるかも知れま
61
せんが、普通頭の中で判断すれば
西洋の文学史と日本の文学史とは
現に二筋であって、両方とも事実
で両方とも真であるのは誰が見て
も分りやすい事でありますから、
その辺はどうでも構いません。ま
た一般に申して西洋の方が進んで
いるから万事手本にするんだと言
う人があっても構いません。私も
しごく
至極御同感であります。ただ歴史
62
の解釈を私のようにした上で、西
洋を手本にしたら間違が少なかろ
うと思うのであります。そうしな
いと弊が出てくる。そうしてその
おちい
弊に陥って悟らずにいる事があり
ます。
たとえば十九世紀の前半に英国
にスコットなる人があらわれて、
たくさん小説をかきました。この
人の作が一時期を画するような新
63
現象であるために世人はこれをロ
み な
マンチシズムの代表者と見傚しま
した。それで差し支ないのですけ
お
れども、一度こういう風に推し立
てられると、スコットは浪漫主義
で浪漫主義はスコットであると云
う風にアイデンチファイされるよ
うになります。アイデンチファイ
あら
されると、スコットの作に見われ
た要素はことごとく浪漫主義を構
64
and
suff
成するに必要でかつ充分︵nec
essary
icient︶なものと認められ
ます。なるほどスコットの作中に
は中世主義もあります、冒険談も
あります。種々な意味に解釈され
る浪漫主義の特色を含んでおりま
すが、困る事には多少の写実的分
子も交っているのです。ところが
き し
写実主義というものは別に旗幟を
65
ひる
むこう
翻がえして浪漫派の向を張ってる
んだから、両々対立の勢のために
せっかくスコットのもっている写
実的分子を引き抜いて写実派の中
へ入れてやる事ができなくなって
しまう。また写実派の中に散見し
得る浪漫的分子を切り放して、浪
漫派の中に入れる事も困難になっ
てしまう。そこでこの名称のため
に誤まられて彼らの作品は精製し
66
た金や銀のように純粋な性質で自
然に存在していると思うようにな
ります。ところが実際は大概まざ
りものなのであります。だから本
来を云うなら、ここに浪漫主義な
ら浪漫主義、自然主義なら自然主
義の定義があって、何人の作物で
も構わないからして、この定義に
かな
叶っただけを持って来てこの主義
ぶ
のうちへ打ち込むのが当然であろ
67
うと思われます。例えば白なら白
と云う属性の概念があって、白墨、
白紙、白旗、雪などという出来上っ
たもののうちから白と云う属性だ
けを引き抜いてこの概念の下に詰
め込むのが至当でありましょう。
しかるにただ色だけが白いからと
云って、色の白いものは形や質や
温度その他のいかんに関せずこと
ごとく白のうちへ入れて、しかも
68
外へ出る事を許さなかったら、統
一のできるのは白という属性だけ
であるにも関せず、人はすべての
点において統一されているかのご
いだ
つかえ
とく誤解を抱くのであります。白
さ
いものは白で区別しても差し支な
いから、これと同時に、形や質の
点においても区別して、一個の具
き
体を二重にも三重にも融通の利く
ように取り扱わなくっては真相に
69
は達せられんはずであります。ま
た一例を云うと、ここに一人の男
がある。この人は学校へ出る。そ
と
の時には教師の仲間へ入れて見な
ご
ければなりません。筆を執る。そ
むれ
の時には著作家の群に伍するもの
と認めるのが至当であります。家
へ帰る。すると夫とも親ともして
種類別をしなければならない。こ
の人は一人であるけれどもこれほ
70
どの種類へ編入される資格がある
のであります。作物もその通りで
あります。これを分解し、これを
そうごう
綜合して、同一物のある部分を各
おんとう
適当な主義に編入するのが穏当で
あります。そんな錯雑した作物が
ないと云うのは過去の歴史だけを
眼中に置いた議論でこれから先に
作物の性質が、どのくらいに複雑
きわ
な性質をかねてくるかを窮めない
71
早計の議論かと思います。よし過
去の作物だけについて検して見て
もその作全体もしくはその人の作
物総体をある一主義のもとに一括
し得て妥当と認めらるるほどの単
調なものばかりはないはずであり
ます。しかるに歴史に束縛される
うま
とこの分類が旨く行かない。なぜ
と云うと文学史で云う何々主義と
云うのは理論から出たのでなくし
72
て、個人の作物から出たのであっ
わしづか
て、その作物の大体を鷲攫みにし
て、そうしてもっとも顕著に見え
め が
る特性だけを目懸けて名を下した
までであります。元祖がすでにそ
うであるからして、継いで起るも
のの分類も、みんなこの格で何主
義のもとに押し込められてしまう。
厳正な類別でなくって、人別になっ
てしまう。厳正な類別をやるには
73
人を離れて、作をほごして、出来
くず
上ったものを取り崩してかからな
ければなりません。因襲の結果歴
史的の研究はこの方法を吾人に教
えないのであります。つまりは幾
通りとなく成立し得べき歴史のう
ちで実際に発展した歴史だけに重
きを置いて、しかもほとんど偶然
まった
に出現した人間の作そのものを全
くず
き成体で取り崩す事のできないも
74
み な
のと見傚した上でその特色の著る
しきものだけに何主義の名をもっ
てする弊であります。だからこの
は い
際理論の方から這入れば成立し得
るあらゆる歴史に通用する議論が
立てられますし、またはユーゴー
とか、バルザックとか云う名前で
ひとかたま
代表している作物を、一塊りの堅
牢体で、塊まりとして取り扱うよ
りほかに手のつけられないものだ
75
と云う観念を脱する便宜もあり、
また従来実際に発展した歴史から
出て来た何々主義より以外には主
義は存在し得べからざるものであ
るとの誤解もなくなるだろうと思
います。
︵三︶ もう一つ歴史的研究に
ついての危険を一言単簡に述べて
おきたいと思います。主義を本位
にして動かすべからざるものと見
76
ぜん
ますと、前申した通り作家︵すな
さくぶつ
わち作物︶を取り崩してかからん
と不都合が生ずるごとく、作家
︵すなわち作物︶を本位として動
かすべからざるものとすると、今
度は主義の方にもって融通をつけ
なければなりますまい。融通をつ
けると云うと、一つの作物のうち
には同時にいろいろな主義を含ん
でいる場合が多い、少なくとも含
77
んでいる場合があり得るのですか
ら、かような作物を批評したり分
解したり説明したりする際には、
きゅうくつ
一主義のもとに窮窟に律し去る習
慣を改めて、歴史的には矛盾する
ごとくに見傚されている主義でも
構わないから、これを併立せしめ
て、いやしくもその作物のある部
分を説明するに足る以上はこれを
はば
列挙して憚からんようにしなけれ
78
ば、やはり前段同様の不都合に陥
る訳であります。しかし歴史的関
who
なものとして取り扱われて
係から作物はそれ自身に
le
whole
おお
な作物を掩う名
おりますし、何主義と云う名はこ
の
称として用いられておりますから、
妙な現象が起って参ります。ここ
に甲の人があってAと云う作物を
出す。するとこの作物にB主義と
79
云う名がつく。︵多くの場合にお
まと
いてはこう一言に纏められないに
もかかわらず︶次に乙なる人が出
て来てA′と云う作物を公けにす
る。すると批評家がAとA′の類
似の点を認めて、やはりB主義に
入れてしまう。あるいは作家自身
が自らB主義と名乗る場合もあり
ましょう。どちらでも同じ事であ
へい
ります。第三に丙と云う男が出て
80
A″を書く。A′とA″と似てい
るところからやはりB主義に纏め
ぜんじ
られる。こう云う風にして、漸次
にAnまで行ったとすると、どん
なものでありましょう。甲と乙と
は別人であります。乙と丙とも別
人であります。別人である以上は
ま ね
いくら真似を仕合ったところで全
然同性質のものができる訳がない。
いわんや各自が本来の傾向に従っ
81
かか
て、個性を発揮して懸った日には、
どこかに異分子が混入して来る訳
になります。しかもこの異分子も
おお
またB主義の名に掩われてしだい
るてん
しだいに流転して行くうちには、
ず
B主義の意味が一歩ごとに摺れて、
摺れるたびに定義が変化して、変
化の極は空名に帰着するか、それ
じょう
でなければいたずらに紛々たる擾
らん
乱を文壇に喚起する道具に過ぎな
82
ばしょう
くなります。芭蕉が死んでから弟
しょうふう
子共が正風の本家はおれだ我だと
はさ
争った話があります。なるほど正
ひるが
風の旗を翻えすのは、天下を挟ん
で事を成すようなもので当時にあっ
て実利上大切であったかも知れま
かちゅう
せんがその争奪の渦中から一歩退
いて眺めたら全く無意味としか思
われません。今私の申す弊は全く
理知的の事で実利問題とは全く没
83
交渉ではありますが、転々承継し
た主義を一徹に主張すると、少な
けいせき
くともその形迹だけは芭蕉以後の
正風争いと同価値に終るようにな
りはせぬかと思われます。もっと
もこんな事は我々の日常よくある
事で、友人と一時間も議論をして
いるといつの間にか出立地を忘れ
て、飛んでもない無関係の問題に
ごう
火花を散らしながら毫も気がつか
84
ない場合は珍しくないようです。
AとA′とは似ている。だから双
方共B主義でもまあよろしい。A′
とA″とも似ている。だから双方
くだ
共まあB主義でよろしい。降って
An−1とAnとを比較するとや
はり似ている。だから双方とも依
さしつかえ
然としてB主義で差支ないような
ものの、最初のAと最終のAnを
対照した時に始めて困る。何だか
85
B主義では足りないような心持が
します。スコットの浪漫趣味とモ
リスの浪漫趣味とは大分違うよう
です。モリスはチョーサーに似て
いると云います。そのチョーサー
は詩人ではあるが写実派と云う方
が適当であります。すると浪漫主
義を中世主義と解釈せぬ以上はス
コットとモリスとを同じ浪漫派に
入れるのが妙になって来ます。今
86
度はモリスとゴーチェを比較する。
はんちゅう
誰が見ても同じ範疇では律せられ
そうもない。それでも双方共浪漫
家で通用しています。ある人の説
フランス
によると仏蘭西の自然派は浪漫派
を極端まで発展させたもので、けっ
して別途の径路をたどるものでは
ないと申します。そうなると自然
派は浪漫派の出店みたようなもの
になってしまいます。イブセンを
87
つら
捕まえて自然派だと云う人があり
ます。どうもイブセンとモーパサ
ンとはいっしょにならないように
思われます。そうかと思うとイブ
センを浪漫派だと申す人がありま
す。しかしイブセンとユーゴーと
はたけ
はとうてい同じ畠のものじゃない
ようであります。要するに二三の
主義をどこまでも押し通して、あ
らゆる作物をどっちかへ片づけよ
88
うとする無理から起ったものじゃ
ないかと考えられます。イブセン
ならイブセンを本位として、説明
するには、在来の何々主義︵しか
もそのうちの一つ︶で足りると思
うのは、また足りなければならな
いと思い定めてかかるのは、やは
り歴史的研究の弊を受けたもので
はなかろうかと愚考致します。そ
れで少々出立地を変えて見たら、
89
あいまい
この窮屈を破ると同時にこの曖昧
をも幾分か避けられるだろうと思
います。
︵四︶ もう一つ申して本題に
入るつもりでありますが、これは
純粋なる歴史的研究とは云えない
かも知れません。今まで述べた三
カ条はみな文学史に連続した発展
す
があるものと認めて、旧を棄てて
みだ
漫りに新を追う弊とか、偶然に出
90
て来た人間の作のために何主義と
云う名を冠して、作そのものを是
非この主義を代表するように取り
くず
扱った結果、妥当を欠くにもかか
whole
み な
と見傚す弊
わらずこれをあくまでも取り崩し
がたき
ぜんい
や、あるいは漸移の勢につれてこ
の主義の意義が変化を受けて混雑
きた
を来す弊を述べたのであります。
ここに申す事は歴史に関係はあり
91
ますが、歴史の発展とはさほど交
渉はないように思われます。すな
わち作物を区別するのに、ある時
もと
代の、ある個人の特性を本として
成り立った某々主義をもってする
わた
代りに、古今東西に渉ってあては
まるように、作家も時代も離れて、
作物の上にのみあらわれた特性を
もってする事であります。すでに
時代を離れ、作家を離れ、作物の
92
上にのみあらわれた特性をもって
すると云う以上は、作物の形式と
よ
題目とに因って分つよりほかに致
し方がありません。まず形式から
して作物を区別すると詩と散文と
になります。これは誰でも知って
いる事で改めて云うほどの必要も
認めません。詩と散文と区別した
からと云って創作家の態度がちょっ
ほうふつ
と髣髴しにくいのです。分けない
93
よりましかも知れないが、分けた
ところで大した利益も出て来ない
ようです。次に問題からして作物
の種類別をすると、まず出来事を
ギリシャ
書いたものを叙事詩︵これは希臘
の作を土台にして付けた名だから、
我々は叙事文と云っても構いませ
ん︶と名づけたり。自己の感情を
えい
咏じたものだから抒情詩︵これも
抒情文としてもよろしい︶と申し
94
たり。性格を描いたり、人生を写
したりするんで、小説とか戯曲と
かの部類に編入したり。あるいは
静物を模写するんで叙景文と号す
るような分類法であります。この
分類になると多少細かになります
から、詩と散文の区別より幾分か
うかが
創作家の態度を窺う事ができて、
ずいぶん重宝ではありますが、こ
れとても与えられた作物を与えら
95
れたなりに取り扱うだけで、その
特性を概括するにとどまってしま
さかのぼ
いやすいから、それより以上に溯っ
て、もう少し奥から、こう云う立
場で、こう変化すると小説ができ
る、こう変化すると抒情詩ができ
こ
るとまでは漕ぎつけていないのが
多い。そこまで漕ぎつけない以上
は、頭から、結果と見られべき作
す
物を棄てて源因と認めべき或物の
96
方から説明して、溯る代りに、流
うろこ
を下ってくる方が善い訳になりま
つの
す。つまり角があるから牛で、鱗
があるから魚だと云う代りに、発
生学から出立して、どんな具合に
牛ができ、どんな具合に魚ができ
きわ
るかを究めた方が、何だか事件が
落着したような心持が致します。
私が創作家の態度と題して、歴
史の発展に論拠を置かず、また通
97
俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の
区別を眼中に置かないで、単に心
理現象から説明に取りかかろうと
思うのはこれがためであります。
それで創作家の態度と云うと、
前申した通り創作家がいかなる立
場から、どんな風に世の中を見る
かと云う事に帰着します。だから
この態度を検するには二つのもの
の存在を仮定しなければなりませ
98
ん。一つは作家自身で、かりにこ
が
れを我と名づけます。一つは作家
の見る世界で、かりにこれを非我
と名づけます。これは常識の許す
ところであるから、別に抗議の出
よう訳がない。またこの際は常識
さかのぼ
以上に溯って研究する必要を認め
ませんから、これから出立するつ
もりでありますが、今申した我と
云うものについて一言弁じて後の
99
伏線を張っておきたいと思います。
もっとも弁ずると申しても哲学者
の云う“Transcenden
の感じだのという
I”だの、心理学者の論
Ego
tal
ずる
むずかしい事ではありません。た
だ我と云うものは常に動いている
もので︵意識の流が︶そうして続
いているものだから、これを区別
すると過去の我と現在の我とにな
100
る訳であります。もっともどこで
過去が始まって、どこから現在に
なるんだと議論をし出すと際限が
ありません。古代の哲学者のよう
に、空を飛んで行く矢へ指をさし
て今どこにいると人に示す事がで
ひっきょう
きないから、必竟矢は動いていな
いんだなどという議論もやれない
でもありません。そう、こだわっ
て来ては際限がありませんが、十
101
年前の自分と十年後の自分を比較
して過去と現在に区別のできない
つかえ
ものはありませんから、こう分け
さ
て差し支ないだろうと思います。
そこで︱︱現在の我が過去の我を
ふり返って見る事ができる。これ
は当然の事で記憶さえあれば誰で
もできる。その時に、我が経験し
た内界の消息を他人の消息のごと
くに観察する事ができる。事がで
102
きると云うのですから、必ずそう
なると云うのでもなければ、また
そう見なくてはならないと云うの
たと
でもありません。例えば私が今日
ここで演説をする。その時の光景
うち
を家へ帰ってから寝ながら考えて
見ると、私が演説をしたんじゃな
い、自分と同じ別人がしたように
思う事もできる︱︱できませんか。
それじゃ、こういうなあどうでしょ
103
う。去年の暮に年が越されない苦
しまぎれに、友人から金を借りた。
借りる当時は痛切に借りたような
気がしたが、今となってみると何
だか自分が借りたような気がしな
い。︱︱いけませんか。それじゃ
私が小供の時に寝小便をした。そ
れを今日考えてみると、その時の
心持は幾分か記憶で思い出せるが、
ひげ
どうも髯をはやした今の自分がやっ
104
たようには受取れない。これはあ
なた方も御同感だろうと思います。
さかのぼ
なお溯りますと︱︱もうたくさん
ですか、しかしついでだから、も
う一つ申しましょう。私はこの年
になるが、いまだかつて生れたよ
うな心持がした事がない。しかし
とら
回顧して見るとたしかに某年某月
うま
の午の刻か、寅の時に、母の胎内
から出産しているに違いない。違
105
いないと申しながら、泣いた覚も
におい
なければ、浮世の臭もかいだ気が
しません。親に聞くとたしかに泣
いたと申します。が私から云わせ
じょうだん
ると、冗談云っちゃいけません。
おおかたそりゃ人違いでしょうと
云いたくなります。そこで我々内
界の経験は、現在を去れば去るほ
ど、あたかも他人の内界の経験で
あるかのごとき態度で観察ができ
106
るように思われます。こう云う意
味から云うと、前に申した我のう
ちにも、非我と同様の趣で取り扱
われ得る部分が出て参ります。す
なわち過去の我は非我と同価値だ
から、非我の方へ分類しても差し
支ないと云う結論になります。
かように我と非我とを区別して
おいて、それから我が非我に対す
る態度を検査してかかります。心
107
理学者の説によりますと、我々の
意識の内容を構成する一刻中の要
ぼうだい
めいり
素は雑然尨大なものでありまして、
つ
そのうちの一点が注意に伴れて明
ょう
暸になり得るのだと申します。こ
れは時を離れて云う事であります。
前に一刻中と云ったのは、まあ形
容の語と思っていただけばよろし
い。例えば私がこの演壇に立って
ちょっと見廻わすと、千余人の顔
108
は い
が一度に眼に這入る。這入ったと
云う感じはありますが、何となく
そろ
同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃っ
ていない人が並んでおいでになる。
すわ
あながち私が度胸が据らないで眼
がちらちらするばかりではない。
ばくぜん
こう、漠然たるのが本来で、心理
学者の保証するところであります。
しかしこの際は不幸にして、別段
ひ
私の注意を惹くものがないから、
109
ただ漠然たるのみで、別に明暸な
るところがありません。もし演壇
いしょう
のすぐ前に美くしい衣装を着けた
美くしい婦人でもおられたら、そ
の周囲六尺ばかりは大いに明暸に
なるかも知れませんが、惜しい事
においでにならんから、完全に私
の心理状態を説明する訳に参りま
せん。そこでこの漠然たる限界の
広い内容を意識界と云って、その
110
うちで比較的明暸な点を焦点と申
ぜん
します。これは前申した通り時間
sim
の場合であ
の経過に重きを置かない
ultaneous
りますが、時間の経過上について
も同様の事が申されます。しかし
これを説明するとくどくなります
から略します。また想像で心に思
み な
い浮べる事物もほぼ同様に見傚さ
れるだろうと考えますから略しま
111
す。それから前に申した例は単に
分りやすいために視覚から受ける
印象のみについて説明したもので
ありますから、実際は非常に区域
の広いものと御承知を願います。
まず我々の心を、幅のある長い
河と見立ると、この幅全体が明ら
かなものではなくって、そのうち
のある点のみが、顕著になって、
そうしてこの顕著になった点が入
112
れ代り立ち代り、長く流を沿うて
下って行く訳であります。そうし
つら
てこの顕著な点を連ねたものが、
我々の内部経験の主脳で、この経
験の一部分が種々な形で作物にあ
らわれるのであるから、この焦点
の取り具合と続き具合で、創作家
の態度もきまる訳になります。一
尺幅を一尺幅だけに取らないで、
そのうちの一点のみに重きを置く
113
とすると勢い取捨と云う事ができ
て参ります。そうしてこの取捨は
我々の注意︵故意もしくは自然の︶
に伴って決せられるのであります
・ ・ あんばい
から、この注意の向き案排もしく
・ ・
は向け具合がすなわち態度である
さしつかえ
と申しても差支なかろうと思いま
す。︵注意そのものの性質や発達
な
はここには述べません︶私が先年
ロンドン
倫敦におった時、この間亡くなら
114
れた浅井先生と市中を歩いた事が
あります。その時浅井先生はどの
町へ出ても、どの建物を見ても、
あれは好い色だ、これは好い色だ、
と、とうとう家へ帰るまで色尽し
でおしまいになりました。さすが
画伯だけあって、違ったものだ、
先生は色で世界が出来上がってる
と考えてるんだなと大に悟りまし
た。するとまた私の下宿に退職の
115
軍人で八十ばかりになる老人がお
りました。毎日同じ時間に同じ所
を散歩をする器械のような男でし
たが、この老人が外へ出るときっ
しゃくし
と杓子を拾って来る。もっとも日
めしじゃくし
本の飯杓子のような大きなもので
おもちゃ
はありません。小供の玩具にする
さじ
ブリッキ製の匙であります。下宿
の婆さんに聞いて見ると往来に落
ちているんだと申します。しかし
116
私が散歩したって、いまだかつて
落ちていた事がありません。しか
るに爺さんだけは不思議に拾って
ていねい
来る。そうして、これを叮嚀に室
の中へ並べます。何でもよほどの
数になっておりました。で私は感
心しました。ほかの事に感心した
訳でもありませんが、この爺さん
の世界観が杓子から出来上ってる
すく
のに尠なからず感心したのであり
117
ます。これはただに一例でありま
くわ
す。詳しく云うと講演の冒頭に述
べたごとく十人十色で、いくらで
も不思議な世界を任意に作ってい
るようであります。中にもカント
とかヘーゲルとかいう哲学者にな
るととうてい普通の人には解し得
こんりゅう
ない世界を建立されたかのごとく
思われます。
こう複雑に発展した世界を、出
118
来上ったものとして、一々御紹介
する事は、とてもできませんから、
分りやすいため、極めて単純な経
験で一般の人に共通なものを取っ
て、経験者の態度がいかに分岐し
て行くかと云う事を御話して、そ
の態度の変化がすなわち創作家の
態度の変化にも応用ができるもの
だと云う意味を説明しようと思い
きわ
ます。極めて単純な所だけ、大体
119
の点のみしか申されませんが、幾
分か根本義の解釈にもなろうかと
存じて、思い立った訳であります。
sensation
まず吾人の経験でもっとも単純
なものは
であります。近頃の心理学では、
この字に一種限定的の意味を附し
て、ある単純なる全部経験の一方
面をあらわす事になっております
べんぎ
が、私は便宜のため全部経験の意
120
義に用います。ただ便宜のために
用いるのですから、実際の衝突の
ない事は私の説明を御聞になれば
御分りになるだろうと思います。
sen
は分解の結果到着
それからある心理学者は
sation
する単純な経験で、現実な吾人の
経験はもっと複雑なところから始
まっているじゃないかと云ってる
ようですが、それも構いません。
121
ただ
sensation
が単
純な経験をあらわせば、私の目的
よろ
には宜しいのであります。もし不
都合なら、そんな字を借用しない
でもよろしい。面倒な事を云わな
いで、例でもって御話をすれば、
がてん
早く合点が行かれますから、すぐ
さま例に取りかかります。
さかどんや
とうざん
まえ
時々酒問屋の前などを御通りに
めくらじま
なると、目暗縞の着物で唐桟の前
122
だれ
こくら
はさ
のみぐち
垂を三角に、小倉の帯へ挟んだ番
こもかぶ
頭さんが、菰被りの飲口をゆるめ
たる
て、樽の中からわずかばかりの酒
ちょく
を、もったいなそうに猪口に受け
しょうばい
て舌の先へ持って行くところを御
うま
覧になる事があるでしょう。商売
がら
さわ
柄だけに旨い事をするなと見てい
しずく
ると、酒の雫が舌へ触るか、触ら
は
ないうちにぷっと吐いてしまいま
す。そうして次の樽からまた同じ
123
ように受けて、同じように舌の先
へ落しては、次へ次へと移って行
く
きます。けれども何遍同じ事を繰
かえ
り返してもけっして飲まない。飲
よ
んだら好さそうなものですが、こ
うち
とごとく吐き出してしまいます。
おとりぜん
そこで今度は同じ番頭が店から家
かみ
へ帰って、神さんと御取膳か何か
で、晩酌をやる。すると今度は飲
みますね。けっして吐き出しませ
124
ん。ことによると飲み足りないで、
と く り
もう一本なんて、赤い手で徳久利
を握って、細君の眼の前へぶらつ
かせる事があるかも知れません。
まずこの二た通りの酒の呑み方
︵もっとも一方は呑み方ではない、
吐いてしまうから吐き方かも知れ
ませんが︶︱︱吐き方なら吐き方
でもよろしい。この呑み方と吐き
方を比較して見ると面白い。研究
125
おおげさ
と申すほどの大袈裟な文字はいか
がわしいが、説明のしようによる
と、なかなかえらく聞えるように
おなぐさ
おたな
な
できますから御慰みになります。
わき
まず第一には、御店で舐めた酒と、
ながひばち
長火鉢の傍でぐびぐびやった酒と
は、この番頭にとって同じ経験で
しょうちゅう
あります。もっとも焼酎とベルモッ
しろざけ
ト、ビールと白酒では同じ経験と
も申されませんが、同種、同類、
126
同価の酒を店で吐いて、家で飲ん
だとすれば、吐くと飲むとの相違
があるだけで、舌の当りは同じ事
だと見るのが順当だから、つまり
この男は同じ味覚の経験を繰り返
だれ
した訳になります。ここまでは誰
が見ても同じ経験であります。そ
れならどこまでも同じだろうかと
云うと、違っています。店で試し
に口へ当てて見るのは、この酒は
127
たち
どんな質で、どう口当りがして、
さっぱり
売ればいくらくらいの相場で、舌
あと
なだ
いた
触りがぴりりとして、後が淡泊し
じざけ
どぶろく
て、頭へぴんと答えて、灘か、伊
み
丹か、地酒か濁酒かが分るため、
かえ
言い換れば酒の資格を鑑別するた
めであります。これが晩酌の方で
見ると趣が違います。そりゃ時と
きょう
場合によると、今日の酒は大分善
いね、一升九十銭くらいするねく
128
らいの事は云いながら、舌をぴちゃ
ぴちゃ鳴らすかも知れませんが、
何も九十銭を研究している訳でも
何でもありゃしないのです。だか
うま
ら九十銭が一円でもただ旨く飲め
さえすりゃ結構なんです。こうい
う点から云うと、両方が変ってい
ます。酒の味を利用して酒の性質
を知ろうというのが番頭の仕事で、
うま
酒の味を旨がって、口舌の満足を
129
得るというのが晩酌の状態であり
ます。双方とも同じ経験に違いな
い。ただその経験の処置が異なっ
ています。言葉を換えて云うと同
様の経験について、眼の付け所が
違う、注意の向け方が違っている。
最後にこの講演に大事な言葉を用
・ ・
いて申しますと、態度が違ってお
ります。︵ここのところが少しヴ
ントなどと違ってるかも知れませ
130
ん。ヴントのような専門の大家に
対して異説を立てるのははなはだ
恐縮ですが、私のは、こう行かな
いと説明になりませんから、こう
しておきます。またこうしても、
さしつかえ
実際上差支ないと信じます︶
もう一歩進んで、この態度が違っ
ていると云う事を説明しますと、
な
番頭の方は酒の味を外へ抛げ出す
態度であります。すなわち自分の
131
味覚をもって、自分以外のもの、
︵最前申した非我︶の一部分を知
ひ ゆ
る料に使うのであります。譬喩で
云うと、酒の味が舌の先から飛び
ひそ
出して、酒の中へ潜んで落ち着く
方角に働くのであります。晩酌の
方はこれが反対の方向に働いてお
ります。非我のうちに酒と云うも
いんねん
のがあって、その酒が、ある因縁
で、外から飛び込んで来て、我を
132
お
冒かした、もしくは我が冒された
つづ
と承知するのであります。詰めて
云うと、一は我から非我へ移る態
度で、一は非我から我へ移る態度
であります。一は非我が主、我が
ひん
賓という態度で、一は我が主、非
我が賓と云う態度とも云えます。
番頭から云うと酒の味自身が酒の
属性になるのだから、これを属性
的の経験とも云えましょう。晩酌
133
から云うと酒の味が自己の幸不幸
おおげさ
︵あまり大袈裟なら快不快︶にな
るんだから感受的とでも云えましょ
affect
と申したら妥当だろうと
う。洋語で云うと
ive
思います。あるいは番頭の、自己
にあらざる酒に重きを置く点から
云えば客観的態度とも名づけられ
ましょうし、晩酌の、自己に受く
る刺激を、密切な自己の一部分と
134
み な
見傚す点から云えば、主観的とも
申されましょう。または番頭の態
度が非我を明らめようとする態度
よ
であるから、主知主義と云って善
かろうと思いますし、晩酌の態度
が、我に感ずる態度であるから、
主感主義と云って善かろうと思い
ます。︵ここに云う両主義は便宜
こしら
のため私が拵えたのだから、かの
心理学の一派を代表する主意説と
135
は切り離して見ていただきたい︶
これでたいてい御分りになった
ろうと思いますが、なお念のため
に、もう少し複雑で時間の経過を
含んでいる例を御話ししておきた
いと考えます。かつて西洋の石版
業の事を書いたものを見た事があ
りますが、その中に彼らの技巧は
驚ろくべきものだとありました。
なぜ驚ろくべきものかと申すと、
136
彼らは原画を一目見るや否や、こ
の色とこの色を、これだけの割合
で、こう混ぜれば、この調子が出
の
ると、すぐに呑み込んでしまう。
それからその通りにやる、はたし
てその通りの調子が出る。まずこ
んな具合なんだそうです。ところ
が画工の方はどうかと云うと、ま
ず腹の中で、ここへこんな調子を
出して、面白味を付けようと思う。
137
それから絵の具を交ぜる︱︱もし
イムプレショニストなら単純な色
を並べて、すぐに画布へ塗り付け
る。そうして思い通りの調子を出
す。今この両人を比較して見ます
と、ある手段に訴えて、目的︵す
み
なわち思い通りの色︶に到着する
さしつかえ
のだから、そこまでは同じ事と見
な
傚して差支ないのです。しかし両
人が工夫の結果同じ色彩に到着し
138
ても、到着した時の態度は大に違
うと云わなければなりません。画
effect
が
工の方はこの色彩を楽しむのであ
ります。いい
うれ
出たと云って嬉しがるのでありま
す。この楽みを除いては、いろい
ろの工夫を積んでこの結果に達す
るまでの知識は無用なのでありま
す。しかしこの知識をある意味に
おいて自得していないと、どうあっ
139
てもこの結果が出せない。出せな
ければ楽しむ訳に参らんからやむ
めいめい
をえずこの過程を冥々のうちにあ
るいは理論的に覚え込むのであり
ます。しかるに、石版屋の方では、
注文を受けて原画と同じような調
子を出せば、それで万事が了する
もうまく
ので、その結果が網膜を刺激しよ
うが、連想を呼び起そうがいっこ
ひっきょう
う構わんので、必竟ずるに彼の興
140
味は色彩そのものに存するのであ
ります。何と何と何がどんな割合
に調合されてこの色彩が出来上っ
たんだなと見分けがつけばよろし
いのであります。したがって彼の
重んずるところは色彩から受ける
たのし
楽みよりも、いかにしてこの色彩
まと
を生じ得るかの知識もっと纏めて
云えばこの色彩の知識にあると云っ
ても無理ではありません。さてこ
141
の両人も出来上った色を経験する
と云えば同じ経験をしたに違いな
い。ただ石版屋の方はこの経験を
我から放出して、非我の属性たる
色と認め、かつ属性として他の色
か
と区別するに引き易えて、画家は
同一経験を、画面より我に向って
きた
反射し来ったる一種の刺激と見傚
おか
し、この色がいかに我を冒すかの
点にのみ留意するのであります。
142
だから石版屋の方を客観的態度で
主知主義とし、画工の方を主観的
なづ
態度で主感主義と名けてよかろう
と思います。
まずこれで客観、主観、主知、
主感の解釈ができましたが、これ
は極めて単純なる経験について云
まった
う事で、その経験は一の全き経験
でありますから、この経験に対す
る注意の向け方、すなわち態度一
143
つで、こう両面に分解はできます
ようなものの、この両極端の態度
を取って、いずれへか片づけなけ
ればならないように人間が出来上っ
ちゅうよう
ていると思うのは中庸を失した議
論であります。分りやすいために
せつぜん
こそ、こう截然たる区別はつけま
したが、こう明暸に離れる場合は、
おのおの
あらゆる場合の両端に各一つずつ
がてん
しかないと合点しても間違ではな
144
よこたわ
かろうと思います。その中間に横っ
ている多数の場合は皆この両面を
兼ねているでしょう。もし兼ねて
いるのが不都合ならば或る比例に
おいて入り交っていると云うが好
いでしょう。
ひと
そうすると私は、何だかいらざ
ろう
る駄弁を弄した、独りよがりの心
理学者のようになります。それで
は少々心細いから、もう少しこの
145
両方面を研究して御話ししたいと
思う。すなわちこの単純な経験に
おいて両面を区別しておく方が適
ごなっとく
当であると御納得の参るように、
ぜんぜん
この両面が漸々右と左へ分れて発
展する結果ついには大変違ったも
よ
のになりうると云う事を説明した
いと思います。
たんかん
説明はなるべく単簡な方が宜ろ
しいから、ここに一つの物でも、
146
人でもあるとする。この物か人は
与えられたものとします。すると、
以上の両態度でこれに対すると、
これを叙述する方法が双方共にど
う発展するかという問題でありま
す。
その前にちょっと御断わりをし
ておきますが、ここではAならA
を与えてあると見て、その与えら
れたAをいかに叙述して行くかと
147
云うのですから、叙述家にAを撰
択する権利がない事になります。
しかしながら前に我々の心を幅の
たと
ある河に喩えた時、この川幅の一
めいりょう
点だけが明暸になるから、明暸に
うち
なった一点だけが意識の焦点になっ
ぼうぼう
て、他は皆茫々の裡に通過してし
まう。そうしてその焦点は注意の
もっとも強い所にできる、そうし
て注意はすなわち態度であると申
148
せんたく
しました。だから心の態度は撰択
とうた
淘汰の権を有しております。ここ
にAを与えられたとするのは、心
の態度にAを撰択する権利がない
と云う意味ではありません。すで
に撰択せられたるAについての話
であります。
本来ならば前に申した両態度が
いかなる風に、いかなる性質の焦
点を作るかを論じなければならん
149
はずであります。しかしそうする
と大変複雑な問題になりますし、
また撰択の態度は、すなわち撰択
されたものを叙述する態度と同じ
事で、双方とも傾向に相違はない
と考えます。前に云った色好きの
浅井先生のような人に、エストミ
ンスター・アベーが眼に着いたと
すると、先生は自分の勝手でこの
寺院を撰択した訳になりますが、
150
さてこれを叙述する段になれば
︵腹の中で叙述しても、口で叙述
しても、または筆で叙述しても︶
撰択した時の態度をもって細かに
局部に向うだけの事であります。
ただ叙述の際にある連想だとか、
ある概念だとかある記号だとかア
ベー以外の材料をもって来て、ア
ベーの色を説明するかも知れませ
んが、説明の道具に使われる材料
151
せんたく
もまた同じ態度で撰択したもので
ありますから、つまりは同じ事だ
ろうと思います。︵もっとも例外
は出て来ます。態度が中途で代る
ささ
事もあり得ます。しかしこれは些
い
細の事として御見逃しを願いたい︶
そこでAを与えられたものと見
て、これを叙述する様子がだんだ
んに分れて遠ざかるところだけを
御話しをしたい。Aそのものは何
152
だか分らないのですが、これを叙
述する方法は主知︵客観︶の態度
に三つ、主感︵主観︶の態度に三
つ、そうして両方を一つずつ結び
つい
つけて対にする事ができるかと思
います。当っている当っていない
はもちろん大切でありますが、比
較すると、よく対がとれていると
ころに私は興味があるのでありま
すし、叙述となるとすでに文学の
153
は い
領分に、いつの間にか這入ってお
りますから、私の思いついたまま
を御参考に供します。
第一段は叙述が、一歩客観主観
の両面へ展開した時の状態で、こ
の左右の扉を対と見るところに興
味があるのであります。この時期
pe
と名づけよう
における客観的叙述を私は
rceptual
かと思います。すなわち前に申し
154
た酒の味よりもやや複雑な感覚的
まと
属性が纏まって一体を構成してい
そうごう
るものを、綜合された一体と認め
て、認めたままを叙述する意味に
たと
用いるつもりであります。例えば
テーブル
ここに洋卓があると、この洋卓は
におい
堅い、黒い、ニスの臭のする、四
角で足のある、云々と一々にその
そうごう
属性を認めて、認めた属性を綜合
して始めて叙述が成立する訳であ
155
ります。ところがかように属性を
結びつけると云う事が、前に申し
た酒の味のときよりも一層客観性
をたしかにする事だろうと思われ
ます。と云うものは視覚、聴覚そ
の他を単に主観的態度で取り扱っ
ていると色はついに色で、音はど
こまでも音で、この色とこの音は
同一体の非我が兼ね有していると
むとんじゃく
云う事実には比較的無頓着でいら
156
れます。したがって色も非我の属
性であり、音も非我の属性である
と云う以上に、この色もこの音も
同一非我の属性であると綜合すれ
ば、前よりは一段とその物の存在
たし
を確かにする意味になるから、客
観的態度に重きを置いた叙述と云
わねばなりません。ただ注意すべ
き事はこの際主観的分子が無くなっ
たと解釈してはならんのでありま
157
す。現に色を視、音を聞く以上は、
な
この経験を綜合して我以外に抛げ
出すと、抛げ出さざるとに論なく、
色も音も依然として、一方では主
観的事実であります。
perc
な叙述の意味は大
これで私のいわゆる
eptual
概御分りになりましたろう。とこ
ろが、属性が複雑になるに従って、
叙述が長たらしくなります。長た
158
らしくなると、叙述をする当人も
迷惑であり、叙述を聴くものは一
まと
度に纏めかねるようになります。
したがってこの叙述を簡単にする
ためには、勢い叙述されべき物に
類似のもので、聞く人の頭の中に、
は い
すでに纏って這入っているものを
持ち出して代理をさせるのが便利
かき
になります。例えば※を見た事の
ない西洋人に※を説明するよりも
159
あかなす
赤茄子のようだと話す方が早解り
がするようなものであります。も
ちろんこの代理になる赤茄子の考
が先方の頭のなかになくては駄目
で、考がある以上は、その考え次
con
な叙述を予想し
第では、第二段に述べる
ceptual
た事になりますが、これはその場
合に至ってなるべく不都合のない
ように説明してみましょう。とか
160
くにこの代理のものを用いると云
う事は、純粋の叙述ではない、方
便であるから、あまり厳密に考え
はたん
ると少しは破綻が出そうでありま
す。しかし実際的にはほとんど、
私の主意を害する事のないのみか、
かえって私の考を明暸に御分らせ
申す結果になりますから、こう致
しておきたい。のみならず、こう
しておくと、片一方の主観的の方
161
と比較するときに大変な好都合に
なるのであります。
な叙述の
そうすると、帰着するところは、
perceptual
テーブル とうづくえ
もっとも簡便な形式は洋卓は唐机
ら
のごとしとか、※は赤茄子のごと
ろ
しとか、驢は騾のごとしとか、す
ぎょう
べて眼に見、耳に聞き、手に触れ、
か
口に味わい、鼻に嗅いで得たる形
そう
相をもって叙述する事になります。
162
な叙述
その一般の形式をAはBのごとし
としておきます。
Perceptual
に対する、主観的方面の叙述は何
であるかと云うと、私はちょっと
名前に窮するから、しばらく在来
ちょくゆ
の修辞学に用いている直喩︵si
mile︶という語を借用致しま
simi
とも思われないようですか
す。しかし全然従来の
le
163
ら、そのつもりで聞いていただき
たい。普通修辞学者の説によると、
似たものを似たもので説明するん
だそうです。これだけならば※を
赤茄子で説明したり、洋卓を唐机
で説明するのと別段の相違もない
ようです。ところが実際の例を見
ると、大分これとは趣を異にして
いるのがあります。あの人の心は
石のようだ。あの男は虎のようだ。
164
などと云うのがあります。そこで
simile
と云う字
は私は第一段の主観的叙述をあら
わすに
s
の下に取り扱われて
を借用しました。これは普通
imile
いる叙述のあるものが、私のいわ
ゆる第一段の主観的叙述と同傾向
を有しているからと云うだけに過
ぎません。さて今申した、あの人
の心は石のようだと云う例をとっ
165
て、調べて見ると、心と石を並べ
ても比較しようがありません。ま
たあの男は虎のようだと云う例に
してもその通り、虎と人間とはと
うていいっしょになりようがない。
けれども別に無理とも思わないで
使っています。してみるとどこか
似たところがあるに違ない。その
似たところを考えて見たらこの両
面の叙述の差が判然するだろうと
166
思います。人の心を石に比較する
のに、比較にならんように思うの
は、我々が石についての経験を、
な
我から非我の世界に抛げ出す態度、
すなわち我以外に一塊の動かすべ
からざる石と名づくるものが存在
み な
していると見傚すからではありま
すまいか。すでに抛げ出されて石
と名づけられたる以上、我の態度
が我から非我に向って働らく以上
167
は、石はどこまでも石で、どうし
ても人の心に比較されよう訳がな
いのであります。我々の石につい
ての経験は堅いとか、冷たいとか、
そっけ
素気ないとかいう属性から構成さ
れているのは無論でありますが、
いやしくもこの属性が石の属性で、
石の意義を明暸ならしむるものと
相場がきまってしまえば、もう融
き
通は利きません。どうしても石を
168
離れる事ができなくなります。石
を離れる事ができないとすると、
まるで性質の違った心を形容する
訳には参りません。堅いのは石が
堅いので、冷たいのもやはり石が
冷たいんだから、その堅さ冷さを
石から奪って、心に与える訳には
参りません。しかしひとたび立場
・
を変えて、その堅さ冷たさを石か
・
ら経験したとすれば、自分が石を
169
認めたんでなくって、石が自分を
おか
冒したとすれば、冷たいのは自分
の冷たさで、堅いのも自分の堅さ
であるから、ひとたび石の経験に
触れるや否や、石を離れて冷たい、
堅いと云う心持ちだけになるから、
いやしくもこれと同じ心持を起す
ものならば、移して何へでも使う
事ができます。それで、あの人の
心は石のようだと云う叙述が意味
170
のあるものとなります。これは全
く性質の違った比較をする場合で、
むしろ極端であります。比較する
ものと比較されるものとの属性が
一点もしくは一以上の諸点におい
て、似ていれば似ているだけ客観
の
的比較に近づく訳ですからして、
perceptual
ぜんぜん
漸々
たと
叙述に縁がついて参ります。例え
ば先刻のあの人は虎のようだとい
171
うような
simile
でも石
の方面へ
と心の比較に比べると、幾分かは
perceptual
向いております。なぜと云うと、
虎は動物であり、人も動物である
という点において、すでに客観的
価値のある比較であります。何も
動物と云う概念がなくても構いま
せん、寝るところが似ている、物
を食うところが似ている、歩くと
172
ころが似ている以上は、客観的価
値があります。いくら皮膚が似て
かっこう
いなくっても、足の恰好が似てい
ひげ
なくっても、髯の数が似ていなくっ
ても、似ているところがあるだけ
それだけ客観的価値のある比較で
あります。しかしながら、もし以
上の点において類似を主張するな
らば、よりよき類似を主張する比
較物はいくらでもあるはずであり
173
ます。例えばあの人は父に似てい
るとかまたは母のごとしとか云う
はる
方が虎のごとしと云うよりも遥か
おんとう
pe
な叙述ができ
に穏当であります。立派な
rceptual
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
るはずであります。しかるにこれ
す
を棄てて客観的価値のもっとも少
・ ・
・
ない虎を持って来たのは、すべて
ねいもう
の不類似のうちに獰猛の一点を撰
・
択してもっとも大切な類似と認め
174
・ ・
たからであります。さてこの撰択
は前に云った通り我々の注意でき
まるので、云い換えると我々の態
度で決せられるのであります。で
はこの際の態度は客観か主観かと
ねいもう
云う問題になります。獰猛を客観
み な
的に虎の属性と見傚せば獰猛はつ
いに虎の獰猛であって、どうして
も虎を離れる事はできません。そ
の代り人間の獰猛もまた客観視す
175
る事ができますからして双方共我
を離れたものとして比較ができま
す。しかし同一経験の方向を逆に
して虎より受くる獰猛、人より受
くる獰猛として、双方から来る心
持だけを比較すると、主観の態度
であります。だからこの場合にお
いては、両方に見る事ができて、
両方共正しいのであります。しか
しながら実際はどうかと云うと、
176
個人の習慣及びその時の模様によっ
て、変化のあるのは無論でありま
すが、多くの場合に、多くの人が、
多く主観の方に重きを置いている
ように思われます。だから私はこ
の種の比較に用いる虎なら虎を、
客観的価値のもっとも少ないもの
であると云う訳で、また客観的価
値のある局部をも主観的態度で注
意する傾向があると云う訳で、こ
177
の方面の叙述と見るのであります。
石の例と虎の例でも分るごとくす
でに主観の程度には厚薄がありま
す。なお進んで月が鎌のようだと
pe
の方へ近づい
云う叙述に至るとまた一歩
rceptual
ております。︵面倒だから解剖は
致しません︶。かようにして漸々
perceptual
の
客観的価値を増すに従って、つい
には
178
の叙述
叙述に達するのであります。
Perceptual
と、simile︵私のいわゆる︶
との対はまずかようなものであり
ます。前者は客観で知を主とし、
後者は主観で感を主とするのが特
性であります。しかし常態を申す
と双方が幾分か交り合っている事
よ
は、例に因って説明した通であり
ます。
179
これから第二段の対に移ります。
かたとびら
な叙述と
第二段の片扉で客観態度の方を
conceptual
名づけたいと思います。それから
片扉の主観態度の方をやはり在来
met
としておきます。意
の修辞学の言葉を借りて
aphor
味はこれから説明します。
recog
あるものを二度見てははああれ
だなと合点するのを
180
nition
と申します。二度
以上たびたび見て、やっぱりあれ
cogni
と申します。もし一つ
だなと承知するのを
tion
ものをたびたび見る代りに同種類
の甲乙をたびたび見た上で、やは
へい
り同種類の丙に逢った時、これは
この種類の代表者もしくはその一
conc
の力であります。
つであると認めるのは
eption
181
ぶち
隣りの斑はこうであった。向うの
白はこうであった。どこそこの犬
はこうであったの経験が重なると、
まとま
すべての犬はこうであったと纏っ
て参ります。それがもう一層固ま
ると、こうであったが変じて、か
くあらねばならぬとまで高じて参
ります。かくあらねばならぬとなっ
た時に、犬なら犬全体に通じての
考ができます。かくあらねばなら
182
ぬ考だから、本人はまだ見ぬ犬に
も、いまだ生れぬ犬にもこれを適
いだ
用致します。さてこの概念を抱い
て往来を歩いていると、たちまち
わんと吠えられる事があります。
当人はさっそくにははあ鳴いたな。
これ犬なりと断じます。私はこの
conce
な叙述と申したいの
これ犬なりの叙述を
ptual
であります。犬は一匹であります。
183
耳が垂れて、尾が巻いて、わんわ
ん云う声を出しているかも知れま
せん。しかし単にそれだけ見たり
聞いたりしただけでは、種属全体
に通用する犬と云う断案は出て来
ません。だからこの際における犬
は、頭の中に前から存在している
は い
犬の一匹もしくは代表者でありま
もと
す。固より頭のなかに這入ってい
る犬は、犬と云う名前で這入って
184
いるか、または抽象的な関係的知
識になって這入っているだけだか
ら、形を具えてはおりません、形
を具えている犬はいつでも代表的
な一匹の犬になってしまうのは無
論でありますが、個々特別の場合
そうごう
を綜合して成立ったものであると
いう点において、すでに密切な主
element
観的意味を失っております。pe
rsonal
185
な
が亡くなっております。犬はかく
あるべきものという事を云い換え
ると、すべての人は犬をかく考う
べきはずだという事になります。
すなわち他人はどうでも自分はこ
うという立場を離れております。
誰にでも通用するもの、結局は客
観的にたしかなものという事にな
ります。それだから犬の概念は頭
の中にあるだけにもかかわらず、
186
その価値は頭以外すなわち非我の
なげだ
世界に抛出されて始めて分るもの
であります。その代り例の主観的
な分子は、perceptual
の叙述に比べると全く欠乏して参
ります。ただ吾人の知識が非我の
世界において広くなったと云う事
は云われます。けれども犬と云え
ば、すぐに一匹の犬を思い出すの
りくつ
が通例であるから、理窟からいう
187
ほど主観的分子は欠けていない場
perceptual
合が多いので、その点においては
第一段の
な叙述とつながっております。
︵この場合においてもこれは犬な
りというのはもっとも単簡なる形
えら
式を撰んだものであります︶。
つい
metaphor
に
今度は対の片扉なる主観の方面
すなわち
移って申します。これは御承知の
188
通り
simile
の変化した
s
と評しております。
もので、修辞学者は大胆なる
imile
あの人の心は石のようだと云う代
りに、あの人の心は石だと断じ、
たぐい
あの人は虎だと云い切る類であり
ます。第一段の比較に対して、こ
こでは心を石と同一視し、人を虎
simile
よりも一層客
と同一視するのであります。だか
ら
189
観的不類似の点を無視した訳にな
さしつ
ります。だからその点において一
み な
層主観的態度の叙述と見傚して差
かえ
の所と同様の議論
支ありますまい。︵その他の点は
simile
でありますから略します︶
第三段になると妙な対ができる
と思います。ここになると双方共
が象徴に帰してしまうのでありま
す。本来を云うと、犬と云うのも
190
記号で、心を石だと云うのも一種
の象徴でありますから、第三段に
なって正式にあらわれるのはすで
はいたい
に前から胚胎しておったものであ
ります。客観の態度から出る象徴
の、もっとも面白い例は数字の記
x2+y2=r2
号であるものを代表する事であり
ます。例えば
とあればこの関係で円を叙述する
事になるそうです。私の知ってい
191
る数学者はこの式さえ見れば円が
眼に浮ぶと云いました。恐ろしい
ものです。しかしこの式の意味を
解しても、円が眼に浮ぶようにな
は一種の振動
x=A
るのはちょっと暇がかかるだろう
2πnt
と思われます。それから
cos
をあらわしたり、λ=597μμ
とあると光波の長さで光の色をあ
らわすのだそうで、まことに不可
192
思議の至のように思われますが、
いずれも長くかかって説明すべき
はぶ
ものを、手数を省くために、かよ
うにつづめたものであります。だ
から比較的に非常に込みいった、
客観的関係が畳み込まれているに
は相違ありません。それがためこ
れらを了解する非我の世界におけ
る知識は大分広く深くなるであり
が
ましょうが、その代り我自身だけ
193
に関する経験すなわち主観の部分
x2+y2=r
は全くないと云っても差し支あり
ません。ただし
なお
2はいかな円でも円でさえあれば
とり
あらわしているのだから、取も直
さず円の概念に当ります。のみな
らずある人はこの式を見ればすぐ
に一個の円が眼に浮ぶと云うので
perceptual
すから、この人にとっては、この
公式は
194
な叙述の代りにもなります。まこ
とに重宝な式であります。しかし
いかな数学好きの友人もこの式を
見て好い心持だとか不愉快だとか
申さない所をもって見ますと、主
観的方面の叙述とはほとんど縁が
ない式のように思われます。これ
ひるがえ
から翻って主観の方の象徴を述べ
ます。これは歴史的に申すと、私
フランス
の知らない仏蘭西の詩人や何かを
195
引用しなければなりませんので、
少々迷惑致します。しかし前もっ
て申し上げた通り、これは文学史
上の御話でないのだから、相成る
べくは手製の例で御勘弁を願いた
いと思います。つまりは、この態
度にかなっていれば、どんな例で
も構わんくらいで御聞き下さい。
すでにあの人の心は石のようだと
云っても、あの人の心は石だと云っ
196
ても、石をもって心を代表すると
いう点から見ますと、やはり主観
方面に属する一種の象徴に違あり
ません。けれども、それが一歩進
んで、心と石を並べないで、石と
云ってすぐ心を思い起させる叙述
に至ったときに、私はこれを始め
て第三段の主観的象徴と申したい
と思います。もちろん形式はこの
かな
叙述に叶っていましてもいっこう
197
主観の分子を含んでおらんのがあ
りますがそれは御注意を致してお
うわさ
きます。例えば茶柱が来客を代表
くさめ
したり、嚏が人の噂を代表したり
するようなものであります。これ
は偶然の約束から成立した象徴で
ありますから、ここに云う種類に
は属しない訳であります。もっと
も器械的の象徴も馬鹿にならんも
ので、習慣の結果茶柱を見て来客
198
の時のような心持になったり、嚏
をして、人の噂を耳にするような
気分が起る人がないとも限りませ
ん。そう云う人にはこんな象徴も
やはり主観的価値のあるものであ
ります。だから本人の気の持ちよ
にんじん
う一つでは、仁参が御三どんの象
ひょうたん
徴になって瓢箪が文学士の象徴に
ききめ
なっても、ことごとく信心がらの
いわし
鰯の頭と同じような利目がありま
199
からすな
す。なお進むと、烏鳴きが凶事の
えいごう
記号になったり、波の音が永劫を
あらわす響と聞えたり、星の輝き
が人間の運命を黙示する光りに見
えたりします。こうなると漸々主
観的価値が増してくるのみならず、
解剖の結果全く得手勝手な象徴で
ないと云う事も証明ができます。
このくらいならばまだ、大した事
はありません。第二段第一段とつ
200
ながっているくらいのものであり
ますが、層々展開して極端に至る
と妙な現象に到着します。ちょっ
とその説明を致します。我々は我々
の気分︵主観の内容︶を非我の世
界から得ます。しかし非我の世界
は器械的法則の平衡を待って始め
て落ちつくものであります。もし
くず
この平衡を失えばすぐに崩れてし
まいます。したがって自分がこう
201
いう気分になりたいと思った時に、
その気分を起してくれる非我の世
そなわ
界の形相が具っておらん事があり
ます。つまり非我の世界を支配す
る器械的法則が我の気分に応じて
働いてはくれません。そこでこの
法則の運行と、自分の気分と合体
した時、すなわち自分がかくなり
たいとかねがね希望していたかの
ごとき気分を生ずるときの非我の
202
形相を、常住の公式に翻訳しよう
すじかい
とするのが我々の欲望であります。
ほととぎす
例えば時鳥平安城を筋違にと云う
俳句があります。平安城は器械的
法則の平衡を保って存在している
のだから、そうむやみに崩れては
しまいません。それすら明治の今
日には見る事ができません。いわ
んや時鳥は早い鳥であります。ま
たその鳥が筋違に通るところも、
203
しじゅう
始終はありません。おやというう
ちに時鳥も筋違も消えてしまいま
す。消えてしまう以上はその時の
気分になりたくってもちょっとな
れないから、平安城を筋違にとい
う瞬間の働きをさも永久の状態の
まと
ごとく、保存に便にするように纏
めておきます。さてかように纏っ
た気分が︵客観的に云うと形相︶
たま
だんだん頭のなかへ溜って参ると
204
仮定します。そうしてそれが入り
乱れるとします。広くなり深くな
ると見ます。すると一種奇妙な気
分になります。この気分を構成す
る一部一部は、非我の世界にこれ
に相応する形相を発見しもしくは
想像する事ができますが、この全
体の気分に応じたものを客観的に
ねんしゅつ
拈出しようとするととうてい駄目
であります。花でも足りない。女
205
でも面白くない。ああでもない、
こうでもない、ともがくようにな
ります。これを形容して、よく西
洋人などの云う口調を借りて申し
しょうけい
longing︶とかに
ますと、無限の憧憬︵infin
ite
なるのでしょう。私は昔し大学に
おった頃この字を見て何の事だか
分りませんでした。それでもあり
がたがってふり廻していました。
206
今でも実は分りません。私は解釈
だけはできますが、本当のところ
longin
と云うものを持っていないの
infinite
g
だから、是非もございません。し
かし私のように説明すればともか
ことば
くも形容の詞なのですから、それ
さしつかえ
で差支ございますまい。とにかく、
そんな形容を使わなければならな
はんもん
い気分が起りまして、煩悶致しま
207
す。煩悶してどうか発表したいと
するが発表できない。できないで
しまえばそれまででありますが、
せめて不完全ながら十の一でもあ
らわそうとすると、是非とも象徴
に訴えなければなりません。十の
ものを十だけあらわさないで︱︱
あらわさないと云っては間違にな
ります。あらわせないのです。で
やむをえず一だけにしてやめてお
208
く叙述であります。無論気分を気
分としてあらわすなら、大に悲し
うれ
いとか、少々嬉しいとか云うだけ
で、始めから表わせる表わせない
の議論をする必要がないのですが、
この深いような、広いような、複
雑なような気分の対象を、客観的
なる非我の世界に見出そうとする
と十の気分を一の形相で代表させ
て、残る九はこの象徴を通じて思
209
い起すようにしなければなりませ
ん。しかしながら元来これは本人
すら無理な事をしているのですか
ら、他人にはよほど通用しにくく
なる訳であります。一を聞いて十
を知ると云う事がありますが、一
を見て十を感ずる人でなければで
きない事です。しかも一を見て十
を感ずる、その感じかたが、云い
あらわした本人と一致しているか
210
どうかに至るとはなはだむずかし
い問題であります。要するに象徴
として使うものは非我の世界中の
ものかも知れませんが、その暗示
・ ・
するところは自己の気分でありま
・ ・
す。要するにおれの気分であって、
非常に厳密に言うと他人の気分で
はない、外物の気分では無論ない。
という傾向のあるところから、こ
の種の象徴を主観的態度の第三段
211
に置いて、数学の公式などの対と
フラン
見立てました。︵シモンズの仏蘭
ス
西の象徴派を論じた文のなかに、
こんな句があります。﹁我々が林
はん
中の木を一本一本に叙述するの煩
おそ
を避けて、自然を怖れて逃がれん
とするがごとくもてなすと、ます
ます自然に近くなります。また普
とら
通の俗人は日常の雑事を捉えて実
在に触れていると考えております
212
はんさ
そうとう
が、これらの煩瑣な事件を掃蕩し
てしまうと、ますます人間に近く
さきだ
なるものであります。世界に先っ
て生じ、世界に後れて残るべき人
間の本体に近づくものであります﹂
この人はまたカーライルの語を引
用しています。﹁真正の象徴は明
らかにまた直接に、無限をあらわ
している。無限は象徴によって有
限と合体する。眼に見えるように
213
なる。あたかも達せらるるかのご
lon
と同じく、いささか形
infinite
とくに見える﹂この二人の言葉は
多少
ging
容の言葉のようにも思われますが、
御参考のために、ここに引いてお
きます︶
あわ
これで主観客観の三対併せて、
六通りの叙述の説明を済ましまし
た。そこでこれだけ説明すればあ
214
らゆる文学書中に出て来るすべて
のものを説明し尽したとはけっし
て申すつもりではありません。し
かしながらこれだけ説明すれば、
吾人の経験の取扱い方の一般は分
るだろうと思います。客観主観の
両態度の意味と、その態度によっ
て、叙述の様子がだんだんに左右
へ離れて行く模様が分るだろうと
思います。それが普通の人の分れ
215
具合でまた創作家の分れ具合であ
ります。だからつまるところは創
作家の態度も常人の態度も同じ事
に帰着してしまいます。何だつま
らない、それがどうしたんだとおっ
しゃる方が、あるかも知れません。
なるほどつまらない。私もつまら
ないと思います。しかしここまで
解剖して見て始めてつまらない事
が分ったので、それまでは私も諸
216
君と同じようにいっこう不得要領
であったのです。しかしつまらな
いながらもこういう事だけは云い
得るようになりました。この六通
りの叙述は極端から極端までずう
とつながっています。どこで、ど
れが終って、どこで、どれが始まっ
たと云う事ができないように続い
ています。それをほかの言葉で翻
訳すると、客観主観いずれの態度
217
にしても、このうちの一と通りに
限らねばならないという理由もな
し、また限ったが便利だという事
もなし、その時その場合で変化し
さしつかえ
ても差支ないのみならず、変化す
きゅう
るのが順当で、変化しなければ窮
くつ
窟であると云う事だけはたしかの
ように思われます。もっとも客観
の極端に至ると科学者だけに通用
する叙述になり、主観の極端にな
218
ると、少数の詩人のみに限られる
叙述になりますから、例外になり
ます。しかし常人はこの両極の間
を自由勝手にうろうろしているも
のであります。そうして創作家も
また常人と同じようにその辺のい
い加減な所を上下しているもので
あります。
そこで、かの西洋の文学史に起っ
た何派もしくは何主義というもの
219
お
は、その傾向から推して、これら
の客観的態度の三叙述、もしくは
主観的態度の三叙述の左右へ排列
されるものだろうかと思います。
まず写実派、自然派、のようなも
のは前者に属し、浪漫派、理想派
などと云うものは後者に属するの
ではなかろうかと思います。私は
これらの諸派を歴史的に研究して、
こんなものだと断定するのではあ
220
りません。私が創作家の態度を極
端まで左右に展開さしてその傾向
を確めていると、西洋にはこうい
う派がある、ああいう派があると
いう話だから、それならばとその
性質を大略聞いて見て、それなら
ば、私の解剖した両翼の方へその
派の名前を結びつけて排列してみ
よう、見ればこう左右に割って置
かれはしないかというまでであり
221
ます。したがって私はこの解剖に
よって、歴史的に起った自然派や
浪漫派の定義を下す意は毛頭あり
ません。すなわちこの左右の両翼
が自然派もしくは浪漫派とアイデ
ンチカルのものという考はまるで
ないのであります。私は心理状態
の解剖から出立する。だからでき
るだけ単純にまたできるだけ根本
的に片づけ得るように解剖して来
222
たのであります。しかるにかの自
なづ
然派もしくは浪漫派と名くるもの
はその中に含まれたる多くの書物
の特性をあらわしておって、大分
複雑であるのみならず、その内容
・
を形づくっている文章がすでに純
・ ・
粋に何々派をあらわしておらんか
ら、とうてい私の展開させた両翼
と全然一致しようがないのであり
ます。けれども大体の傾向を云え
223
ば、こう分布排列しても無理はな
いと思います。
ところで普通の人間は今申す通
り、この両極端の間をうろついて
おります。それのみならず、この
六通りのうちの一叙述をえらんだ
ところで、えらんだのは当人で、
これを聞くものまたは読むものは
その隣りの叙述と受取るかも知れ
まゆ
ません。例えば月が眉のようだと
224
percep
と思って述べていても、
いう叙述を本人は
tual
simile
と受け
聞く人は
るかも知れません。第三者がこれ
を見て、どっちが間違っていると
も評されません。双方共正しいと
しなければなりません。そこでこ
う云う事は云われないでしょうか。
自然派と浪漫派とは本来の傾向か
ら云うとやはり左右に展開してい
225
るようですが或るところになると、
どっちとでも解釈ができるもので、
要は読者の態度いかんによって決
せられるものだと云う事は。一句
や二句の例ではありません。ちと
比例を失するような大きな例にな
るかも知れませんが、ちょっと御
さかん
判断を願うために御話を致します。
ドイツ
独乙で浪漫主義の熾に起った時、
御承知の通り、有名なカロリーネ
226
と云うシュレーゲルの細君があり
おっと ほうゆう
ました。この細君が夫の朋友のシェ
リングと親しい仲になりまして、
とうとう夫と手を切って、シェリ
ングといっしょになります。しか
もその時この女は自分の手紙のう
そうろう
ちに、縁はこれにて切れ申候。始
もと
めより二世かけてとは固より思い
設けず候と書きました。しかもシュ
レーゲルといっしょになったのが
227
すでに二度目なのですから、シェ
リングの所へ行くと三度目の細君
になるのです。それで亭主の方は
どうかと云うと、離婚を申し込ま
きょうき
れた時は侠気を起してさっそく承
知したのみならず、離別後も常に
シェリングと親密な音信をしてい
たそうであります。もう一つこん
な御話があります。東京近傍の在
しゅく
ですが、ある宿に一軒の荒物屋が
228
ありまして、荒物屋の向うに反物
屋がありましたそうで。ところが
かみ
うち
その荒物屋の神さんが、どういう
しさい
仔細か、その家を離別致して、す
ぐ向うの反物屋へ嫁に行ったそう
です。それで、嫁に行った明くる
すわ
日から、店先へ坐って、もとの亭
へだ
主と往来を隔てて向きあっている
んだそうです。私にこの話をして
聞かせたものはあさましいと云わ
229
いなか
ぬばかりな顔をして、田舎のもの
のんき
は呑気なものだと云って笑ってい
ました。この二つの話を取って調
べて見ますとよほど似ております。
しかし前のは浪漫派の中心で起っ
た事で、後のは︱︱何派だかちょっ
と困りますが、まあ自然派の作に
でもありそうに見えます。しかし
事実はどうしても同じなんだから
致し方がない。それじゃ同じもの
230
が、どうして浪漫派になったり、
自然派になったりするんでしょう。
まあ説明するとこんな訳じゃあり
ませんか。浪漫派の人は主観的傾
向に重きを置くもので、愛はその
傾向のもっとも顕著なるものでし
たがってもっとも神聖なものであ
ります。愛と云う分子があればこ
どうせい
そ結婚とか夫婦同棲とかいう形式
の内容に意味がある訳だから、こ
231
の内容がなくなる以上は、どんな
みくだ
形式だって構やしません。三下り
はん
しゃぜん
半を請求する方もその覚悟、やる
りょうけん
方もその了見だから双方共洒然と
わずら
して形式のために煩わされないの
であります。ところが反物屋の方
になると愛に重きを置いた出来事
かも知れないが、始めから愛のな
い結婚で出ても引いても同じ事な
のかも知れない。それはどう解釈
232
するにしても、我々はそう云う動
機を見るのじゃない、普通の約束
的の徳義を破壊した行為だという
点を認めるのであります。徳義を
す
棄てた露骨の人性かもしくは野性
しょさ
がそのまま出た所作だと見るので
あります。カロリーネの方は離縁
したり結婚したりするのを善い事、
美くしい姿と思ってやるのです。
かみ
反物屋の神さんはそんな事を考え
233
ちゃ︱︱まあいないでしょう。だ
から見るものの方でも、そんな人
間もあるかね、はあそうかねと一
つの事実として認めるのでありま
す。だからこの二つの話を叙述す
る時には、ただ叙する時の態度が
違うのであります。ところがさっ
まゆ
き申した通り﹁眉のような月﹂と
云う叙述が、どっちの態度にもな
る訳ですから、この結婚問題の叙
234
述もまたどっちの態度にも受け取
られるかも知れない。いくら反物
屋の神さんを書いても主観的の叙
述だと人が読むかも知れず、カロ
リーネの嫁入事件を写しても客観
的の叙述だと解されないとも限り
ません。して見ると自然派と浪漫
派もある場合には、客観主観の叙
述が合し得るごとくに合し得るも
さしつかえ
のと見ても差支ない、かと思いま
235
す。︵もっともこれは一句や二句
の叙述でありませんから、﹁眉の
ような月﹂のように、きっぱりと
は参りません。ただ両態度の傾向
お
を推して極端まで持って行った御
ごしんしゃく
話ですからその辺は御斟酌を願い
ます︶
これは一つの態度が両様に認め
られ得ると云う例でありますが、
もう一つ前節の最初に申した我々
236
の態度は常に両極の間をぶらつい
て、いるもので、けっして片っ方
づけられるものでないと云う事を
御話をしてそれから、議論の歩を
進めたいと思います。これも分り
たんかん
やすいためになるべく単簡に通俗
な例で説明致します。普通用談の
めっ
際は無論雑談の際でも、我々は滅
た
多に主観的な叙述を用いてはいな
いと思っています。詩的な、浪漫
237
と
えいかい
的な句は筆を執って紙にでも咏懐
の辞を書き下す時に限るように考
えています。ところが実際は大違
しじゅう
で、談笑の際始終この種の叙述を
やっております。腹の虫が承知し
ないなどと云うのもその一つであ
ります。腹のなかに虫はおりませ
ん。よしおったところで、承知し
ない虫はおりません。承知しない
虫がいたって誰が相談なんかする
238
ものですか。あるいは腹が立つと
申します。腹が立つと云ったって、
すわ
元来坐りもしない腹が立ちようが
ないじゃありませんか。あるいは
眼が廻るとも云うようですが、今
日までまだ眼玉の廻転している人
あ
に逢った事がありません。それに
もかかわらず三句とも皆通用して
います。これは皆主観的態度で話
し主観的態度で聞いているのであ
239
ります。この態度で話せばこそ、
聞けばこそ通用するのであります。
おおげさ
大袈裟に云うと御互が浪漫派だか
ら合点ができるのであります。簡
単を尊んで、短かい句だけで説明
しましたが、もっと長くなっても
精神に変りはありません。この態
度で行く方が大分便利な事があり
ます。その代り徹頭徹尾浪漫派で
へきえき
はやはり辟易します。﹁君富士山
240
へ登ったそうじゃないか﹂﹁うん
登った﹂﹁どんなだい﹂﹁どんな
の、こんなのって大変さ﹂﹁どう
して﹂﹁まず足は棒になる、腹は
豆腐になる﹂﹁へえー﹂﹁それか
ら耳の底でダイナマイトが爆発し
て、眼の奥で大火事が始まったか
ずがいこつ
と思うと頭葢骨の中で大地震が揺
り出した﹂こんな人に逢ったらた
まりません。少々気が触れてるん
241
じゃないかしらといささか警戒を
加えたくなります。してみると、
我々の文句長く云えば叙述はやっ
ぱり前に説明した六通りの中間を
左へ出たり右へ出たりして好い加
減に都合の好いところで用を足し
ているに違ない。創作家もやっぱ
しょ
りその通りであります。論より証
うこ
拠自然派でも浪漫派でも構わない
から、一冊の本を取って来て、一
242
句ごとに五六頁順々に調べて見る
と分ります。浪漫的な句はたくさ
ん出て来ます。浪漫的な句が嫌な
人だって、腹を立てちゃいけない、
眼が廻っては怪しからん、是非腹
の虫を殺してしまえとまで主張す
る人はないでしょう。浪漫派の書
物もその通り、けっして、のべつ
浪漫ずくめでは済まないのです。
諸君は、あるいは、そりゃただ句
243
の話じゃないか、一篇一章もその
議論で行けるかいと御尋ねになる
かも知れません。さよう一篇一章
一巻となると私も少し困却致しま
す。しかし降参する必要もないだ
ろうと思います。と云うのは私の
考では一句でも叙述、二句でも叙
述、三句続いても叙述の気なので、
しかもその叙述には前に説明した
ような種類以外の叙述すなわち回
244
想とか批判とかいうものまでも含
められるだけ含めるつもりなので
すから、応用はこれで思ったより
も存外広いのであります。
ここで一歩進めます。客観的態
度の三叙述を通じて考えて見ます
と、いずれも非我の世界における
︵冒頭に説明したごとく我も非我
み な
と見傚す事ができますが︶ある関
係を明かにする用を務めておりま
245
す。知識を与うるのが主になって
おります。だからして一言にして
云うと真を発揮するのが本職であ
ります。本職と云う意味は、同時
に主観的の内職もできると云うつ
もりで用いた言葉であります。も
へいこう
しこの内職がある程度まで併行し
ていなければ、この種の叙述の価
値は大分減じます。大学の教授が
私立大学をやめると収入がよほど
246
x2+y2=r2氏の
違うようなものであります。現に
真専門の
ごときに至っては、ほとんど文学
や
を休めて、理学の方で月給を貰わ
なければ立行かん姿であります。
ただ真を本職とする創作家のため
に都合の好い事は真そのもに付着
している別途の感情を有している
あかなす
事であります。例えば︵前の例で
か き
説明して見ますと︶※は赤茄子の
247
simil
を内職の内職くらいにしてお
ごとしと云うと無論
e
もと
りますが、本職は固より※の性質
ぶどう
を明かにするためです。※を葡萄
なし
や梨と区別するためであります。
今※を赤茄子で説明すると、その
説明がうまくできたかできないか、
よく※をあらわし得たか得ないか、
うまい比較物をもって来たか来な
いか、※と赤茄子が実によく似て
248
いる似ないで、はあなるほどと思
・ ・
う程度が大分違います。このはあ
・ ・ ・ ・
なるほどが何時でもいろいろな程
の方でもこのはあ
・ ・
度で食っ付いて廻るのであります。
simile
・ ・ ・ ・
なるほどは無論必要でありますが、
それは内職で、本業を云うと、石
の冷たさ堅さを自得して、その自
得した気分で人の心を感ずるので
ありますから、石と人の心を比較
249
してどこまで妥当なりや否やはむ
しろ第二義の問題かも知れないの
であります。※と赤茄子の例はもっ
とも簡単なものでありますが、も
・ ・ ・
う少し複雑になると、このはあな
・ ・ ・
るほどだけで一篇の小説ができま
いんがりつ
す。︵因果律を発揮した場合︶。
ばきん
これに反して馬琴のような小説は
主観的分子はいくらでもあります
き
が、この方面の融通が利かないか
250
しずかごぜん
simile
を使っ
ら、つまりは静御前は虎のごとし
などと云う
ているようなもので、ついに読む
事ができなくなるのであります。
・ ・ ・ ・ ・ ・
君の云うはあなるほどはなるほど
分ったが、そりゃやはり主観じゃ
ないかと云われるかも知れない。
そうだと申すよりほかに致し方が
ないが、これは客観的関係を明め
るにつけて出るので、似る、移る、
251
因が果になる等の事実を認めて感
心した時の話であって、すでに明
さん
らめられたる客観的関係を味うの
だん
とは方向が違うのであります。三
かつはんしちさかや
勝半七酒屋の段というものを知ら
ないから、始めて聞いて見てはは
あと感心するのと、もう一遍酒屋
を聞いて来ようかと出かけて、は
はあと感心するのとは、同じ感心
でも、性質が違います。この客観
252
的に非我の関係を明めるにつけて
intelle
sentiment
生ずる付属物を
ctual
と云います。付属物とは下等なも
のという意味ではありません。否
むしろこの方が文学の領域内では
必要なのであります。しかし客観
つい
的態度を主として、真の発揮に追
ばい
陪して起るものでありますし、か
つは創作家の態度を主観︵主感︶、
253
客観︵主知︶と分けた以上は、今
を主
intellectu
sentiment
またこの
al
観の部に編入するといたずらに混
雑を引き起しますからやはり附属
物としておきます。それでも少し
混雑して御分りにくいかも知れま
せん。私の説明の下手なところは
おわび
intellectual
御詫を致します。︵場合に依って
は
254
sentiment
ぎょうさん
と云うのが
あまり仰山でありますが面倒だか
ら、これですべてを兼ねさせます︶
客観すなわち主知の方は以上の
通りであるが、主観すなわち主感
の方はと申すと、真を発揮するに
対して、美、善、壮に対する情操
かんよう
を維持するか涵養するか助長する
のが目的であります。この三者の
くわ
解釈は詳しく述べる事ができませ
255
ん。美と云う事を大きく解すると、
おお
善も壮も掩っても構いません。の
みならず真をさえ包んでもいいで
しょう。それは人の勝手でありま
す。受持の範囲をきめて名をつけ
るだけの事であります。私はごく
単純に耳目を喜ばす美しいもの、
ごめんこうむ
美しい音くらいで御免蒙ります。
もっとも美醜を通じて同範囲のも
のを入れます。善もその通り善悪
256
を通じ含ませるのみならず、直接
に道徳に関係のない希望とか、愛
とかいうものも入れるつもりです。
壮は意志の発現︵発現でなくって
も発現のポテンシャリチーを認め
た時も無論入れます︶に対する情
操を入れます。上は壮烈もしくは
壮大より下は卑劣もしくは繊弱に
至るまで入れます。するとこれは
前の善の範囲に或所まで入り込み
257
ます。すべての感情が多くの場合
うな
において意志を促がすもの、また
は意志に変化する傾向のあるもの
はんちゅう
との学説に従えば、この二範疇は
ある点においていっしょに出合う
しょさ
ものでしょうが、壮とは行為所作
に対するこちらの受け方を本位と
して立てたので、善とは善悪その
他の諸情そのものに対するこちら
の受け方を本位として立てた、範
258
疇のつもりであります。御相談で
は片っ方へ編入してもよろしゅう
ございます。それから人間の所為
を離れていわゆる物質界に意志の
発現もしくはそのポテンシャリチー
energy
の
を認めた場合には、この意志は変
じて物理上の
ようなものになります。少なくと
も人間の意志とは趣を異にして参
ります。かように壮の発現もしく
259
は潜伏が物質界に移るとすると、
美の範疇と接近して参ります。そ
れ故時宜によっては、これも美の
なかへ押し込んでも構いません。
まず不完全ながら善、美、壮、の
解釈はこうと致して、この三者に
対する我の受け方を叙述するのが
この方面の文学の目的であります。
ところが我の受け方は千差万別に
錯雑して参りますが、総括すると
260
快不快の二字に帰着致します、好
悪の二字に落ちて参ります。すな
あ
わち善に逢って善を好み、悪を見
にく
て悪を悪み、美に接して美を愛し、
い
醜に近づいて醜を忌み、壮を仰い
いや
で壮を慕い、弱を目して弱を賤し
もと
むの類であります。固より善、美、
壮の考は人により時により、相違
おか
はあります、また、三が冒し合わ
ないとも限りますまい。現に前に
261
述べたカロリーネの話でも愛に従
うのを善とすれば、あの話を読ん
で充分満足の気分になれましょう
おっと
し、また夫に従うのを善とすれば、
く
かえ
どうも不快な話になります。しか
ひ
しどう浮世が引っ繰り返っても、
三者に対する情操のない世はない
むとんじゃく
はずで、いかに無頓着な人間でも
この点において全然好悪を持って
いない人はありません。もしあれ
262
ば社会が維持できないばかりであ
ります。一歩進んで云えば社会は
改良できない訳であります。器械
的の改良すなわち法律が細かくな
ふや
るとか巡査の数を殖す事はできま
かんじん
すが、肝心の人間の行為を支配す
る根本の大部分を閑却して世の中
が運転する訳がありません。これ
がために、これらの情操を維持し、
助長する事を目的にする文学が成
263
立するのであります。
私は客観主観両方面の文学の目
的とするところを一言述べました。
ここに目的と云うのは叙述家自ら
が、叙述以前にかかる目的を有し
ておらなければならんという意味
ではありません。その結果だけが
かな
こう云う目的に叶っているだけで
さしつかえ
もいっこう差支ないのであります。
我々が結婚するようなもので、何
264
りょうけん
も必ず子を産む了見で嫁を貰うと
は限りません。しかし事実は多く
の場合において、あたかも子を産
む事を目的にして結婚をしたよう
に見えます。さればといって子孫
を作る目的で嫁を貰ってならんと
云う理由もありませんから、結果
が同じならどうでも構わないでしょ
う。私はこの目的を眼中に置かな
かな
いで、おのずからこの目的に叶う
265
art
art
派と云うと何だ
art
派の芸術家と云
ような述作をやる人を
for
art
いたいと思います。俗に
for
か、ことさらに道徳を無視する作
家のみを指すようですが、たとい
こすい
道徳的情操を鼓吹したって、始め
から、この目的を本位として、述
作にとりかからずに、出来上った
結果だけがおのずからこの目的に
266
art
art
の作家かと思い
かなっていたらやはり
for
ます。ユーゴーの攻撃のごときは
もと
固より歴史的にああいう必要もあっ
たのでしょうが、私のように解釈
したらあれほど議論をする必要も
なかろうと思います。同時に最初
から一定の目的をもって出立したっ
て構わない訳かと存じます。普通
この立場を非難する人の説はこう
267
なんだろうと思います。作そのも
のが芸術家の目的であるのに、作
以前にある目的を立てておいて、
その目的のために、作を道具に使
えば無理ができるから、作の価値
へい
に影響を及ぼしてくるところに弊
がある。︱︱はたしてこうならば
しごく
至極ごもっともであります。しか
しあらかじめ胸中にある目的を立
てるのと、作そのものを目的にす
268
るのとはこの場合において、そん
なに判然たる区別はありません。
刀は人を殺す道具であります。す
しょさ
ると人を殺すという所作が目的に
なります。だから二つのものは全
き
く違います。しかし斬るという働
きを考えたらばどうでしょう。方
便でしょうか目的でしょうか。刀
を使うという方から云えば方便で
ありますが、殺す方から見れば、
269
目的にもなりましょう。云い換え
ると、斬ると云う働きが一歩進む
ごとに、殺すと云う目的が一歩ず
おわ
つ達せられるので、斬り了った時
に目的は終局に帰するのだからし
て、斬るのと殺すのはそう差違は
ありません。述作と述作の目的と
は斬ると殺すくらいの差じゃなか
ろうかと思います。述作そのもの
を方便としたって、方便と共に目
270
的も修了せられる訳ではないでしょ
うか。少なくとも、今述べたよう
な目的をもってならば最初からそ
の心得で述作に取りかかっても、
め が
ただ述作だけを目懸けて取りかかっ
fo
派でも、そうでなくっ
art
ても同じ事だと私は思ってるので
art
あります。だから
r
さしつかえ
ても差支ない。要するに述作の目
的は以上のように区別ができると
271
云うのであります。
述作の二態度とその目的とする
ところは今申した通でありますが、
ただ御注意までに一言しておきた
いのは、こんな事であります。こ
う分けるとちょっと、一方に属す
るものは、他方に属してはならん。
き し
どっちか片づけて旗幟を鮮明にし
なければ済まないように見えるか
も知れませんが、そう見えてはか
272
えって迷惑なので、すでに誤解を
防ぐためカロリーネの例や馬琴の
例をひいて、機会のあるたびに二
三度弁じておきましたが、改めて
御断わりを致しておきたいのは、
真を写すものは純粋なる真のみを
写してはいません。またおられん
のであります。またいかに情緒に
訴える人でも全く真を離れての叙
述は︱︱少なくとも長い叙述は︱
273
︱できないのであります。ズーデ
ルマンのマグダと云う脚本をつい
近頃になって読みましたが、これ
もと
きら
はマグダという女が、父の意に悖っ
おむこ
て、押しつけられた御聟さんを嫌っ
しゅっぽん
て、家を出奔した話であります。
るろ
さて家を飛び出してから諸所を流
う
浪する間に、ある男と親しい仲に
なって、子を生んで、それからそ
す
の男に棄てられます。男はマグダ
274
の故郷に帰って、立派な紳士にな
うた
て
りすましていると同時に、マグダ
イタリー
は以太利で有名な唄い手になる。
めぐ
回り回って故郷へ興行に来る。父
母と和解する。ところが流浪中の
ばくろ
す
不品行が曝露して、また騒動が起
むか
ろうとすると、昔し棄てた男が出
て来て正当に婚儀を申し込む。こ
こでめでたく市が栄えれば平凡極
まる趣向でありますが、いざとい
275
まぎわ
むこ
う間際になって、聟になろうとい
う男が昔の事︱︱互の間に子があ
ると云う事︱︱だけは、今の身分
にかかわるから、どうか公けにし
ずにおいてくれと頼む。マグダは
ここまでは納得したようなものの、
そんな関係を内々にして夫婦にな
れるものかと大いに怒って、どう
頼んでも聞き入れない。父は御前
が承知してくれないと、家の恥辱
276
になる。いたずら娘を持ったと云
われては、世間へ顔向けができな
い。妹だって御前の身内だと云わ
れては、誰も貰い手がない。だか
ら、どうか承知して男の云う事を
せま
承知してやれと逼る。マグダはど
うあっても聞かない。父はついに
憤死する。これが結末であります。
み な
この一段があるので、昔から見馴
ちんぷ
れた恋愛談の陳腐なものとは趣を
277
異にするようになりますが、結婚
問題が破裂するところがあればこ
そはあなるほどと云わせる事がで
きるのです。はあなるほどという
のは取も直さず新らしかったと云
いんが
う意味であります。新らしい因果
を見てもっともだ今の世の中には
こんな因果があるだろうと思うか
らです。今の人々の腹の中には行
為にこそ、ここまで出さなくって
278
こそく
た
も、約束的な姑息手段に堪えない
で、マグダと同じような似たもの
が、あるだろう、あり得るはずだ
と認めるだけの眼をもって読んで
行くからであります。この点にお
もと
いてこの劇は固より真を発揮した
ものであります。しかしこの劇は
それだけよりほかに能事のないも
のであろうかと考えてみますると、
大にあるでしょう。第一はこの相
279
わがまま
つぶ
手の男の我儘なところ、過去の非
ぬ
を塗り潰して好い子になろうと云
けいべつ
う精神が出ているから、読者はそ
ぞうお
の点において憎悪とか軽蔑とかの
念を起さなければならないはずで
しょう。しかし世の中は虚偽でも
うわべ
上部さえ形式に合っていれば、人
が許すものだから、互の終りを全
し
くして幸福を得ようとするには、
かく
過去の不品行を蔵すに若くはない
280
という男の苦心を察して見ると多
少は気の毒であります。どこまで
も習慣的制裁を墨守して娘の恥を
そそ
雪ぐためには、ともかくも公けに
結婚させてしまわなければならな
いと思い乱れる父親にも同情があ
いってつ
ります。最後に娘が一徹に、たと
い世間からどう云われても、社会
的地位を失っても、そんな俗習に
お
圧しつけられて、偽わりの結婚を
281
しょうがい
して、可愛い子を生涯日蔭ものに
するのはけっしていやだと、あく
までも約束的習慣に抵抗するとこ
ろは、たといその情操に全然一致
しない人までも、幾分か壮と感ず
るでしょう。この数者があればこ
そ劇も面白くなるのでありますが、
これは、みんな主観の方の情操で
あります。これで見ますと真だけ
の作と思ってたものに存外、他の
282
は い
分子が這入っている事が御分りに
なりましょう。これに反していか
に主観的の作物でも全然真を含ん
でいないものはありません。もし
含んでいなかったらとうてい読み
longin
得ないにきまっています。かの
あ あ
ですらこれを叙述する時には
infinite
g
ああ
単に吁とか嗟乎では云いつくせな
いので、不足ながら客観的形相を
283
ほうふつ
かりてこれを髣髴させようとする
のであります。それについてこん
な話があります。これは小説では
ありません。事実だとして、ある
ものに書いてありましたが、私は
単に自分に都合のいい例として御
イタリー
話を致します。以太利のさるヴァ
イオリニストが旅行をして、しば
とうりゅう
らく、ポートサイドに逗留してお
エジプト
りました時、妙齢の埃及の美人に
284
み そ
見染められまして親しき仲となっ
たそうでございます。ところがこ
いいなずけ
の男は本国に許嫁の娘があるので、
せま
いよいよ結婚の期が逼った頃、ポー
トサイドを出帆して帰国の途に上
りました。ところがその夜になる
ひ
と、船足で波が割れて長く尾を曳
こつぜん
す
いている上に忽然とかの美人があ
からだ
らわれました。身体も服装も透き
通っておりますが、顔だけはたし
285
あざや
かにその女だと分るくらいに鮮か
であります。ただ常よりは非常に
あおしろ
蒼白いのであります。この女が波
ふなばた
の上から船の方へ手を伸して、舷
うた
を見上げながら美くしい声で唄を
きれい
うたいました。それが奇麗に波の
上へ響くので、船の中の人はこと
ものすご
ごとく物凄い心持になりましたが、
やがて夜が明けると共にかの美人
はふっと消えました。やれやれと
286
安心しているとその晩またあらわ
れました。そうして手を伸して、
すべ
首を上げて、波の上を滑って、船
のあとをつけて、いかにも淋しい
声で、夜もすがら唄をうたいます。
それから夜が明けると、またふっ
と消えます。そうして夜になると
また出ます。そのうち船がとうと
うネープルスへ着きましたので、
かの音楽家はそこで上陸致して、
287
自分の郷里へ帰ると、手紙が来て
おります。差出し人はと見ると、
ポートサイドにいる友人で、かね
て自分と彼の女との間を知ってい
るものでありました。すぐに開封
して見ると、あの女は君が船へ乗っ
て出帆するや否や、海の中へざぶ
は い
ざぶ這入って行って、とうとう行
き方知れずになったとありました。
︱︱話はこれでおしまいです。私
288
はこの話を読むと何となく妙な気
分になりました。その気分が妙に
なるところにこの話の価値はある
はたけ
のですから、どの畠のものである
かは分っております。しかし真に
は乏しい。実事物語としてかいて
ありましたが、どうもその方の価
値は乏しい。真とか真でないと云
う事は、たくさんの人の経験が一
致して存在していると認めるか、
289
また天下に一人でもいいからその
存在を認めたものがあって、これ
が真だと云った時に、他のものが
これを認識しなくてはならんもの
であります、また本人は真だと証
明し得るものでなくてはなりませ
ん。出来得るものならば実験でで
も証明し得るものの方がたしかに
は相違ないのであります。ところ
がこの幽霊談になるとなかなか容
290
易には証明できない。できるよう
になるかも知れませんが、今のと
うそ
ころではまず嘘に近い方でありま
す。しかしながら胸中の恋とか、
なつかしさとか云うものは、たと
い人に見せられないまでも、よし
人が想像してくれないまでも、ま
た好い加減に甲、乙、丙、丁のだ
れの胸の中にも存在しているんだ
ろうぐらいに推察しているにもか
291
かわらず、自分だけにとってはこ
れほどたしかなものはありません。
これほど切実な経験はありません。
だからやっぱり真だろうと云われ
ると、ごもっともと云わなければ
なりません。ただ自分に真なもの
すなわち人に真なものになって、
始めて世間に通用する真が成立す
るのだから、この切実な経験を誰
が見ても動かすべからざる真にも
292
り立てようとするには、これを客
観的に安置する必要が起って参り
ます。そこで私はこの演説の冒頭
に自分の過去の経験も非我の経験
み な
と見傚す事ができると云ってあら
かじめ予防線を張っておきました。
刻下の感じこそ、我の所有で、ま
た我一人の所有でありますが、回
顧した感じは他人のものであると
申しました。少なくとも自分に縁
293
故のもっとも近い他人のものとし
て取り扱う事ができると申しまし
た。愛と云うと一字であります。
自分の愛と人の愛と云えば、たと
い分量性質が同じでもついに所有
けんとう
者が違って参ります。愛の見当が
違います。方角が違います。した
がって自己の過去の愛と他人の愛
とは等しく非我の経験と見傚し得
ます。この点において主観的なる
294
愛そのものを一歩離れて眺める事
ができます。ただ困る事は、時に
より場合により増減があって、変
化の度が著るしく眼につくんで、
それがため客観的価値が大分下落
致します。のみならず悲しい事に
は、いくら客観的に見る事ができ
ても、客観的に写す事ができない
性質のものであります。ある坊さ
んに、あなたちょっと魂を手の平
295
へ乗せて見せておくれんかと云わ
れて、弱った人があります。これ
が私なら、魂と云う字を手の平へ
書いて坊さんに見せてやろうと思
います。それと同じ事で客観的に
愛が見られるなら、客観的に愛を
書いて見ろと云われるなら、ただ
愛とかいて見せます。甘いとか、
辛いとか書くのと同じ意味で書い
て見せます。白いとか黒いとかい
296
う意味で書いて見せます。しかし
愛の一字じゃいけないから、もっ
と長く分るように書いて見ろと云
われるなら、それじゃ小説でもか
こうと申します。それが茶かすよ
うで気に入らなければ、そんな無
もら
理を云わないで、誰それの愛を書
めいりょう
けと明暸に所有主を示して貰いた
い、いくら僕が愛の客観的存在を
認めても、ただの愛はかけない、
297
根こぎにして引っこ抜いた愛だけ
か
はかけない、根こぎにして引っこ
はちうえ
抜いた鉢植の松を描けという難題
と同じ事だからと云ってごめんこ
うむります。それじゃ主観の叙述
はほとんどなくなる訳だとまたおっ
しゃるかも知れませぬが、前から
何遍も申す通り無論あるところで
は主観も客観も双方一致している
ので、書き手の心持、読み手の心
298
持で判ずるよりほかに手のつけよ
うのない場合がいくらでもありま
す。だから形式の上ではついに要
領を得なくなります。しかしちょ
うど好い機会だから、今の幽霊の
話を説明かたがたこの疑点をも明
らかにしておきましょう。今申す
ごとくたとい愛の客観的存在を公
認しても、これを叙述する時には、
その愛の所有者と結びつけなけれ
299
ばなりません。五官に訴え得るよ
うに取り扱わなければなりません。
同時に愛を主観的の経験としても
やはり同様の手段に訴えなければ
叙述ができません。しかしそれだ
から同じ事に帰着すると結論する
のは少し誤っております。前の方
は非我の事相のうちに愛を認めて、
びょうしゅつ
これを描出するので、後の方は我
の愛を認めたる上、これを非我の
300
な
世界に抛げ出すのであります。す
なわちその本位とするところは、
我が味うところの愛という情操で、
この無形無臭の情操に相応するよ
うな非我の事相を創設するのであ
ります。非我の事相は自然から与
えられたもので、一厘も動かすべ
からずとして、その一分子たる愛
を叙して来るのと、我の切実に経
験する愛を与えられたるものとし
301
て、もっとも適当にこれを叙述せ
んがために、非我の事相を任意に
こんりゅう
建立するのとの差になります。し
たがって両者はある点において一
致するのはもちろんでありますが、
極端に至ると大に趣を異にするの
であります。先ほど述べた幽霊の
恋物語のようなものはその極端の
例の一つだと思います。ここに、
こんな切な恋がある。これをどう
302
おお
云いあらわしたらば、云い終せる
かとの試問に応じて出来上った答
案と見なければなりません。世の
中へ出て行って、どんな恋がある
もとづ
か探索して来いと云う命令に基い
た、報告書と見ては見当が違いま
す。したがって客観的価値の少な
いものができたのであります。真
と認められないものになりました。
だからこの話を聞くと、マグダの
303
結末ほどには、はあなるほど、こ
うもあろうとか、こうあるかも知
れないねと云う気にはなりません。
しかしながらその代りに、ごもっ
ともだ、こうもありたいね、こう
あれかしだと云う気にはたしかに
なれます。あれかしと云う語は裏
面に事実じゃないと云う意味を含
んでおりますから、つまりは嘘だ
と云う事に下落してしまいます。
304
はげ
この下落が烈しくなるととうてい
読めなくなります。馬鹿馬鹿しく
たと
なります。例えば今の話しでも、
つ
もし船のあとを跟けるものが、幽
霊でなくって、本当の女が、波の
上をあるいて来て、ちょいと、あ
なたとか何とか云って手招ぎでも
きせき
したらそれこそ奇蹟になります。
幽霊ならば、有るとも無いとも証
明ができないだけで済みますが、
305
生きた人間が波の上を歩いては明
かに自然の法則を破っております。
いくら、かくあれかしと思ったっ
じょうだん
て、冗談じゃない、おのろけも好
い加減にした方がよかろうと申し
たくなります。人を馬鹿にするに
もほどがあらあね、まるで小供だ
な
と思っていやがると本を抛げ出す
かも知れません。︵西遊記、アレ
ビヤン・ナイト、もしくはシェー
306
ヴィング・オブ・シャグパットの
ようなものの面白味は別問題とし
て論じなければなりません︶して
おのず
見ると私が前段に申した意味が自
から御明暸になりましたろう。す
なわちいかな主観的な叙述でも、
ある程度まで真を含んでおらんと
せつぜん
読みにくいものである、そう截然
と片っ方づけられるものじゃない
と云う事であります。この幽霊の
307
ごときは極端の極端の例であるか
ら、積極的に真を含んでおらんと
も云えましょうが、むやみに真を
打ち壊しているものでないと云う
事だけは、さきの説明で明らかで
ありましょう。しかも読んで馬鹿
馬鹿しくならんのは全くそのお蔭
である以上は、真の分子がいかに
叙述の上に大切であるかが分るで
ありましょう。
308
客観、主観、両態度の目的と関
と
係はほぼ説きつくしましたから、
これから両者の特性について少し
述べたいと思います。すでに両者
の関係やら目的を述べる際にも自
しらずしらず
然の勢で、不知不識の間にこの問
題に触れているのはもちろんであ
ごしんしゃく
りますから、その辺は御斟酌の上
御聞を願います。
さて客観的態度から出た句もし
309
くは節、もしくは章、大きく云え
ば一篇︱︱そう純粋に行くもので
ないのはたいてい御分りになりま
したろうが、まああると仮定して
︱︱それからかの歴史的に発達し
た自然派写実派︱︱これも厳密に
議論したら純粋のものが、あるか
どうか存じませんが、まああると
して、この二派をこの方面に編入
しておいて論じます。もっとも自
310
然派も写実派も、真本位ではない
と主張されると、それまでで、や
めにするだけであります。または
真本位だけれど御前のいわゆる真
じゃないと云われると、やっぱり
やめにしなければなりません。が
たいていのところで真の解釈は折
合がつきそうに思いますし、かつ
歴史を眼中に置かないで立てた私
の議論と、全く歴史的に起った流
311
派とを、結びつけられれば、結び
つけて考えますと、大分諸君にも
私にも興味があるからこう致した
ので、よしや自然派や写実派がこ
の部門から脱走致しても、私の議
論はやっぱり議論になるだろうと
は思われます。そこでこの部門の
かえ
主要な目的は前に申すごとく真を
く
発揮するに存する事は別に繰り返
す必要もございますまい。すでに
312
こうお
真が目的である以上は好悪の念を
取りのけなければなりません。取
よ
捨と云う事を廃さなくってはなり
ません。と云うと諸君はこうおっ
しゃるかも知れない。真が目的な
ら真を好むのだろう、よし好まな
にく
すう
いまでも、偽を悪む訳だろう。真
す
を取り偽を棄てるのは自然の数じゃ
ないか。なるほどそうであります。
しかし文字の上でこそ真偽はあり
313
ますが、非我の世界、すなわち自
然の事相には真偽はありません。
昨日は雨が降った、今日は天気に
なった。雨が真で、天気が偽だと
なると少し、天気が迷惑するよう
に思われます。これを逆にして、
それじゃ雨の方が偽だと云っても、
雨の方が苦情を云うだろうと思い
ます。だから大千世界の事実は、
すでにその事実たるの点において
314
ことごとく真なのであります。こ
の事実は真だから好きだ、この事
きらい
実は偽だから嫌だと、どうしても
取捨はできない訳であります。真
偽取捨の生ずる場合は、この客観
の事相を写し取った作物そのもの
についてこそ云われべきものであ
くわ
ります。詳しく云えば、傍観者が
この作物を自然そのものと比較す
るとき、もしくは甲の作と乙の作
315
とを自然を標準として対照する時
に始めて真偽ができ、取捨ができ、
好悪が生ずるのであります。だか
ら客観的態度で叙述した詩文には
偽があるかも知れません、またあ
るはずであります。けれども客観
的態度で向う世界には、偽は始め
から存在しておらん、少なくとも
真だけだとしなければ、最初から
真の価値を認めないのと同様の結
316
おちい
果に陥ります。だからいやしくも
真を本位として筆をとる以上は好
はさ
悪の念を挟む余地がない事になり
ます。したがって取捨はないと一
般に帰着致します。たとえば隣り
いや
に醜くい女がいる。見ても厭にな
るとおっしゃる。それはどうでも
御随意でありましょうが、いくら
醜くっても何でも現にいるものは
いるに相違ありません。醜くいか
317
ら戸籍に載せないとなった日には、
区役所の調べはまるで当にならな
い事になります。偽りになります。
気に喰わない生徒だからと云って
はぶ
点数表から省いたら、学校ほど信
用のできない所はなくなるでしょ
う。して見ると、真を写す文字ほ
ど公平なものはない。一視同仁の
きたん
態度で、忌憚なく容赦なく押して
行くべきはずのものであります。
318
ブルンチェルがバルザックを論じ
たうちにこんな句があります。自
うじ
然派作家には、蛆よりも象の方を
大切だと考える権利がない。もち
ろん生物学上の発達から云ったら、
象の方が重要な位地を占めている
かも知れないが、何もこれは自然
派作家が自分の意志で随意に重要
にした訳ではない。︱︱面白い句
であります。︵ブルンチェルのバ
319
ルザック論はもちろん一人の著者
についての議論でありますから系
統的に理論は述べてありませんが、
こういう点に関してはなはだ有益
の参考書でありますから御一読を
願います。この取捨のない意味な
ふえ
ども、実はバルザック論のところ
まと
どころにあるのを私が、纏めて布
ん
衍して行くくらいなものでありま
が
す。この人は同書にまた、我、浪
320
漫派、抒情主義などと云う字を使っ
て説明をしております。しかし二
せつぜん
者を截然区別のあるごとく論じて
いるのが欠点かと思われます。︶
すでに公平無視の立場であります
せんたく
から、問題の撰択がない。撰択が
ないと云うのは、意識界に落つる
ものがことごとく焦点になってし
まうと云う訳ではありません。意
識界のどの部分も比較的自由に焦
321
点になり得ると云う意味でありま
けぎらい
す。毛嫌をしないと云う事であり
ます。あるものだけに注意が向い
がんきょう
て、その他には頑強の抵抗があっ
て、気が向けられないというよう
な状態におらない事を指すのであ
ります。だからもう一つ言葉を換
えて云うと叙述すべき事相に自己
の評価を与えて優劣の差別をつけ
たと
ないと云う事にもなります。例え
322
ば美くしい女と差し向いになる。
︱︱ありがたい。︱︱女が恋の物
うれ
語をする。︱︱嬉しい。︱︱とこ
あくび
ろで急に女が欠伸をする。︱︱と
いや
急に厭になる。厭になったからと
云って、そこだけ抜きにしてしまっ
かな
たら、抜かしただけが事実に叶わ
なくなる。しかし事実を書くから
には、真を写すと云うからには、
いたずらに好悪の念だけで欠伸を
323
棄てべきものではないはずであり
ましょう。真に妨げなきものとし
て略すとこそ云うべきでありましょ
あ
う。また別の例を挙げて見ますと、
けんにょう
ここに一人の医者があります。あ
たしか
る患者の病症を確めるために検尿
をやる、あるいは検便をやる。わ
きから見るとずいぶんきたない話
であります。しかし本人は別に留
意する気色もなく、熱心に検査を
324
する。尿なり便なりの成分を確め
るまでは是非やります。もし、き
いいかげん
たないから好加減にしてやめると
云う医者があったらそれこそ大変
であります。医者の職分を忘れた
ものであります。医者ばかりでは
ありません、学者でもそうであり
ど ぶ
ます。動物学者が御苦労にも泥溝
の中から一滴の水を取って来て、
しきりに顕微鏡で眺めています。
325
たくさん虫が見えるでしょう。し
かしみんな裸体に違ない、のみな
らず時々はいかがわしい状態をす
のぞ
るかもしれない。覗き込んでいる
動物学者がこの有様を見て、いや
これは大変だ風紀に害があるから、
もう研究をやめよう。と云う馬鹿
もないでしょうが、あったらどう
でしょう。非常に道徳心の高い動
物学者には相違ないでしょうが、
326
しかし真理の研究者としてはほと
んど三文の価値もないと申さなけ
ればなりません。文学者もその通
りかと存じます。真を目的とする
ひきょう
以上は、真を回避するのは卑怯で
あります。露骨に書かなければな
きたん
りません。大胆に忌憚なく筆を着
けなくっては、真に対して面目の
ない事になります。︵この点にお
いて善、美、壮に対する情操と時々
327
衝突を起す事は文芸の哲学的基礎
において述べましたし、前段にお
いても一方が強くなると、一方が
弱くなる事実を例証しましたから
御記憶を願います︶けれども真に
向って進む人が必ずしも好悪のな
い人とは申されません。真に向っ
て進む間だけ好悪の念を脱却する
のであります。尿を検査する医師
むとんじゃく
がいつでも尿に無頓着とは受け取
328
れません。無頓着ならば食卓の上
に便器があっても平然として食事
ができるはずであります。虫の交
尾するところを研究する動物学者
だって、虫以外の万事までにその
態度を応用する勇気はないでしょ
う。ただ真を研究する時だけ他を
忘れ得るほどに真に熱中するので
あると解釈しなければなりません。
真を写す文学者もこの医者や動物
329
学者と同じ態度で、平生は依然と
こうでい
して善意に拘泥し、美醜に頓着し、
壮劣に留意する人間である事は争
うべからざるの事実であります。
柳は緑、花は紅、そのほかに何の
奇があると云います。しかし実際
そっけ
はこう素気ない世の中ではありま
つな
せん。柳に舟を繋ぎたくなったり、
かざ
花の下で扇を翳したくなるのが人
情であります。
330
そこでこう云う事が起ります。
きわ
真を描く文学は、真を究めさえす
ればよろしいとなる。その結果他
の情操と衝突しても、まあ好いと
する。︱︱読者の方では好いとし
ないかも知れませんが︱︱しかし
ながら真は取捨なき事相でありま
す。公平の叙述であります。好悪
ぐう
の念を離れたる描写であります。
ほうへん
したがって褒貶の私意を寓しては
331
じかどうちゃく
おち
自家撞着の窮地に陥いります。こ
い
とに作以外の実際において、約束
くみ
的にせよ善に与し悪を忌み、美を
さかさ
愛し、醜を嫌うものが、単に作物
ほこ
しょうれい
の上においてのみ矛を逆まにして
こすい
悪を鼓吹し、醜を奨励する態度を
示すのは、ただに標準を誤まるの
みならず、誤まった標準を逆に使
用している点において二重の自殺
と云われても仕方がありますまい。
332
かわせ
書籍を買う条件で国から為替を取
り寄せて、これを別途に支弁する
からが、すでに間違っているのに、
くず
使い道もあろうに身を持ち崩すた
めに使い果したとあっては、申し
訳が立つ立たないの段ではありま
せん、頭のよくない人だと云われ
ても仕方があるまいと思います。
すう
幸い今日の日本には、こう云う作
みあた
家は見当りませんが、自然派の趨
333
せい
勢一つでは、向後この種の作物が
いつ何時あらわれて来ないとも限
りませんから、御互に用心をした
ら善かろうと存じていささか愚存
をつけ加えました。
真を写す文学の特性はほぼこれ
めいりょう
で明暸になりましたから、進んで
善、美、壮を叙してこれに対する
情操を維持しもしくは助長する文
学の特性に移ります。しかしこれ
334
は前段と相待って分明になるべき
関係的のものでありますから、私
の申し上げべき事の影法師はすで
に諸君の御認めになったはずであ
ります。すなわち客観的態度の公
平なるに対して、この態度の不公
平︱︱不公平と云うとおかしく聞
こうお
えますが、好悪に支配せられる事
であります。意識の幅の一カ所だ
けが焦点にならなくてはならない
335
のが原則で、この焦点は注意でき
まるのでありますから、もし好悪
が注意に関係するとすれば、好悪
のはげしいものには注意が余計集
まる訳になります。したがって好
悪が焦点を支配致します。さてこ
の意識の内容を紙へ写す際には好
お
は好、悪は悪で判然と明暸に意識
いや
された事でありますから、勢い悪
きらい
の方すなわち嫌な事、厭なもの、
336
は避けるようになるか、もしくは
これを叙述するにしても嫌いなよ
うに写します。厭だと云う意味が
分るようにして写します。最後に
は自己の好きなもの、面白いもの
を引き立てるための道具として写
します。したがって叙述が評価的
叙述になります。もっとも評価は
あらわでない含蓄的の場合が多い
こう
かも知れませんが、ともかくも好
337
お
悪の両面を記述して、しかも公平
に記述すると云う事は、あたかも
冷熱の二性を写して、湯と水を同
一視しろと云う注文と同じ事で、
それ自身において矛盾であります。
もし双方を叙する以上は勢い評価
せねばならぬ事となります。のみ
えら
か、たとい好きな方面だけを撰ぶ
にしても、撰ばれたものがことご
とく一様の価値として作者の眼に
338
映らない以上は、やはり表向きで
も、内々でもいいから、評価のあ
らわれるようにしなければなりま
せん。この意味で︵差等をつける
と云う意味︶、この種の文学では
ブルンチェルのいわゆる無取捨と
云う事が不可能になるのでありま
せんたく
す。撰択と云う事が、あながちに
甲はとる、乙は捨てると云う意味
だと思うと誤解が生じやすうござ
339
いますからちょっと弁じておきま
した。こう云う性質の文学である
からして、この種の文学には、真
を写す文学に見出し難い特徴が出
て参ります。すなわち作物を通じ
て著者の趣味を洞察する事ができ
べんぎ
ると云う便宜であります。もし我々
の趣味がいわゆる人格の大部を構
み な
うか
成するものと見傚し得るならば、
おもかげ
作を通して著者自身の面影を窺が
340
さ
つかえ
う事ができると云っても差し支な
いでありましょう。それで著書の
趣味が深厚博大であればあるほど、
深厚博大の趣味があらわれる訳に
なりますから、えらい人がこの種
の文学をかいて、えらい人の人格
に感化を受けたいと云う人が出て
来て、双方がぴたり合えば、深厚
博大の趣味が波動的に伝って行っ
て、一篇の著書も大いなる影響を
341
与える事ができます。しかし個人
に重きを置かない社会にあっては、
うけが
ヒーローを首肯わない世において
けんかく
は、自他の懸隔差等を無視する平
等観の盛んな時代においては、崇
拝畏敬の念を迷信の残り物のごと
くにがら
く取り扱う国柄においては、思う
ほどの功果の出て来ないのはもち
ろんであります。したがって著作
家は立派な趣味を育成したり、高
342
しこう
かんよう
尚な嗜好を涵養したり、通俗以上
の気品を修得する事が不必要になっ
て参ります。つまりは事相に対す
る評価を、世間が著作家に対して
要求しないからであります。御前
方は真相を与えればいい、評価の
方はこちらで引き受けるからと云
う読者ばかりになるからでありま
す。我々の知りたいのは事実であ
ばいかいしゃ
る、著者は事実を与える媒介者と
343
して、重きを置く必要はあろうが、
著者自身の人格や、趣味や、評価
は、かえって迷惑だと云う読者ば
かりになるからであります。迷惑
は聞えておりますが、迷惑と感じ
る人が、各々自己に相当の評価的
標準を具して、その標準で評価し
つつ作に向うか向わないかが疑問
であります。もし向わないとする
めっきゃく
と、︵全然この態度を滅却する事
344
は不可能でありますが、もし真を
本位として著作に向うと、思った
よりも評価的神経は遅鈍になりま
す︶その結果は人間がだんだん不
具になります。自己の趣味は︱︱
趣味のない人は全然ありませんが
︱︱同趣味のものと、接触するた
かんよう
めに、涵養を受けるので、また異
ほうちゃく
趣味のものに逢着するために啓発
されるので、また高い趣味に引き
345
つけられるがために、向上化する
のであります。そうして世の中の
運転は七分以上この趣味の発現に
よ
因るのでありますから、この趣味
たちが
が孤立して立枯れの姿になると、
世の中の進行はとまります。とま
らない部分は器械のように進行す
るのみであります。﹁誰さんは金
が欲しいために、奥さんを離別し
ました﹂﹁そうか、それも一つの
346
事実さね﹂﹁あの男は芸者を受け
出すために泥棒をしたそうです﹂
﹁はあ、それも一つの事実さね﹂
﹁誰さんは、ちっとも約束を守ら
ないで困りますよ﹂﹁なるほどそ
れも一つの事実だね﹂︱︱こう事
やつ
実ずくめで、ひどい奴だとも感心
な男だとも思わなかった日には、
ふところで
懐手をして、世の中を眺めている
だけで、善にも移らないし、悪を
347
も避けないし、壮挙をも企て得な
かしんげ
いし、下劣をも恥じないし、花晨
っせき
月夕の興も尽きはてようし、夫婦
ほうゆう
としても、朋友としても、親子と
しても、通用しない人間になるで
しょう。
ここまで来て、気がついて見る
じゅんこ
と、客観、主観両方面の文学には
こも
妙な差違が籠っております。純乎
として真のみをあとづけようとす
348
あ
る文学に在っては、人間の自由意
思を否定しております。たとえば
いきどお
ここに甲があって、ある憤りの結
果、乙を殺す。罪を恐れて逃げる。
後悔して自殺する。と仮定すると、
憤りが源因で人を殺して、人を殺
したのが源因で、罪を恐れるよう
になって、それがまた源因になっ
て、後悔して、後悔の結果ついに
自殺した事になりますから、かく
349
のごとく層々発展して来る因果の
てんめん
纏綿は皆自然の法則によってでき
たものと見なければなりません。
殺すのも、恐れるのも、悔ゆるの
も、自殺するのも、けっして当人
が勝手にやった訳ではない。殺し
いや
て見ると、厭でも応でも恐れなくっ
ちゃいられなくなり、恐れると、
どんなに避けようとしても悔恨の
念が生じ、悔恨の念は是非共自殺
350
せま
させなければやまないように逼っ
て来る。この階段を踏んで死なな
ければならないような運命をもっ
み な
て生れた男と見傚すよりほかに致
し方がなくなります。さっき用い
た言葉で分るように申しますと、
しょさ
この男の所作は評価を離れたもの
きよほうへん
になります。毀誉褒貶の外に立つ
べき所作であります。柳は緑花は
紅流の死に方であります。したがっ
351
て人殺しをした本人を責める訳に
ほ
も、自殺をした本人を褒める訳に
も参らなくなります。もし責める
なら自然を責めなくってはなりま
せん。褒めるにしても自然を褒め
るより致し方がなくなります。人
間に義務を負わせる代りに、神か
何かに義務を負わせなければなら
なくなります。ところが情操を本
こうお
位とする文学になると、好悪があ
352
り、評価があるんだから、篇中人
物の行為は自由意志で発現された
ものと判じてかからなければなら
ない。右へも行ける。左へも行け
す
る。のに彼は右を棄てて左へ行っ
た。だから、えらいとなります。
感心だとなります。彼自身の意志
の働らきで、やった行為であれば
こそ、その行為者に全部の責任を
負わせる事ができ、できるからそ
353
の責任者たる当人が責められる資
ほ
格もあり、また褒められる資格も
あるのであります。もし自分がやっ
いんが
たんじゃない、因果の法則がしで
くく
かしたのだと、たかを括っていた
らば、行為そのものに善悪その他
の属性を認め得るにしても、行為
をあえてしたる本人には罪も徳も
ない訳になります。こうなって来
ると人間の考が大分違って来なけ
354
ればなりません。自分は自然に生
みつけられて、自然の命ずる通り
をやるんだから、罪を犯しても、
うら
悪を働らいても仕方がない。恨ん
ねた
でくれるな、嫉んで貰うまいと落
ちて来る。だから大きな顔をして、
不都合な事を立ちふるまうように
なるでしょう。それでは御互が迷
くず
惑する。社会が崩れて来る。文学
へい
の目的が直接にこの弊を救うにあ
355
るかどうかは問題外としても情操
かんけつ
文学がこの陥欠を補う効果を有し
得る事はたしかであります。しか
もこの情操の供給を杜絶すれば、
かんようぶつ
は
吾人に大切な涵養物を奪われたる
や
と一般で日に日に痩せ果てるばか
りであります。
両種の文学の特性は以上のごと
くであります。以上のごとくであ
りますから、双方共大切なもので
356
あります。けっして一方ばかりあ
れば他方は文壇から駆逐してもよ
いなどと云われるような根柢の浅
いものではありません。また名前
かと
こそ両種でありますから自然派と
にら
浪漫派と対立させて、畳を堅うし
ほり
濠を深こうして睨み合ってるよう
に考えられますが、その実敵対さ
せる事のできるのは名前だけで、
内容は双方共に往ったり来たり大
357
分入り乱れております。のみなら
ず、あるものは見方読方ではどっ
ちへでも編入のできるものも生ず
くわ
るはずであります。だから詳しい
区別を云うと、純客観態度と純主
観態度の間に無数の変化を生ずる
のみならず、この変化のおのおの
のものと他と結びつけて雑種を作
ればまた無数の第二変化が成立す
る訳でありますから、誰の作は自
358
然派だとか、誰の作は浪漫派だと
か、そう一概に云えたものではな
いでしょう。それよりも誰の作の
ここの所はこんな意味の浪漫的趣
味で、ここの所は、こんな意味の
自然派趣味だと、作物を解剖して
一々指摘するのみならず、その指
摘した場所の趣味までも、単に浪
たんかん
漫、自然の二字をもって単簡に律
し去らないで、どのくらいの異分
359
子が、どのくらいの割合で交った
ものかを説明するようにしたら今
へい
日の弊が救われるかも知れないと
思います。今日の日本の批評は山
県は長州人だ大山は薩州人だとい
かたむ
うような具合に傾いていはしない
かと考えられます。それよりも山
県はこんな人、大山はこんな人と
そうごう
解剖しまた綜合する方が二元帥を
評する適当の方法かと存じます。
360
それでも長州薩州は地図の上で動
かすべからざる面積を持っており
ますから、まだ混雑が少ないよう
ですが、歴史の流を沿うて漂いつ
いた二派は名前は昔の通りですが
しじゅう
内容は始終変っておりますからな
お不都合であります。だから、も
し作物を本位としないで、主義を
本位とするならば主義の意義を確
然と定めて、そうしてその主義の
361
かな
さく
もとに、その主義に叶う局部︵作
ぶつ
物の︶を排列して、この主義の実
例とするが適当だろうと思います。
一つの作物と、一つの主義をアイ
デンチフワイしなければ気がすま
ないような考は是非共改める事に
致したいと思います。これから先
き文学上の作物の性質は異分子の
結合でいよいよ複雑になって参り
ますから、幾多の変態を認めなけ
362
ればならないのは無論の事であり
ます。したがって、二三の主義を
終古一定のものとして、万事をこ
れで律せんとするのみならず、律
せんとする尺度の年々に移り行く
とが
のを咎めないのは、将来出現の作
家には不便宜の極で、かつ批評家
の無責任を表白するものではない
かと存じます。
客観、主観両面の目的、特性、
363
必要、関係等はほぼ述べ終りまし
た。以上は大体の御話であります。
もと
固より普遍的の論で一般に通ずる
説とは信じますが、今日の日本に
おいていずれが比較的必要かと云
うと、少しは特別の問題になりま
すから、この点を一応調べた上、
演説の局を結ぼうかと思います。
情操文学の目的は情操を維持し、
啓発し、また向上化するにあると
364
は私の前に述べた通りであります。
さて与えられたる情操は与えられ
たる事相に附着しております。た
とえば孝と云う情操は親子の関係
に附着しております。ところが親
子の関係は社会上複雑な源因から
して、わが日本では著るしく変っ
て参りました。この関係が変われ
ば、孝と云う情操の評価もしだい
に変らなければならない訳になり
365
ます。しかるに旧来の親子関係に
附着したままの評価を与えて、孝
を叙述していると、在来の孝心を
維持するか、もしくは不孝のもの
を啓発するか、または一層孝心を
深くするための叙述になります。
今日は孝の時代でないから親を粗
末にして好いと誰も云うものはあ
りませんが、昔のように絶対的評
価をつけて叙述するのは、どうで
366
ありましょう。孝と云う字は現に
勅語にもあって大切な情操には相
違ございませんが、昔日のように
ろう
親が絶対的権威を弄する事を社会
の有様が許さない以上は、多少そ
の辺に注意を払った適度の評価を
しなければなりますまい。もしこ
れを在来のままで絶対評価をもっ
て叙述すると時勢後れになります。
せっかくの目的が達せられなくな
367
ります。昔は親のために身を苦海
に沈めるのを孝と云ったかも知れ
ない。今日の我々から見ても孝か
も知れないが、よし娘が拒絶したっ
ことがら
て、事柄が事柄だから不孝とは思
いますまい。それだけ孝の評価が
下落したのであります。これを西
洋人に云わせると、頭からてんで
想像し得られないと云います。西
洋へ行くと孝の評価がまた一段下
368
がるのであります。こういう風に
評価が変って行くのはつまるとこ
ろ、前に云った社会状態の変化に
もとづ
基いた結果にほかならんのであり
ますから、この状態の変化を知り
さえすれば、旧来の評価を墨守す
る必要がなくなります。これを知
はんもん
らねばこそ煩悶が起ったり矛盾が
起ったりして苦しむのであります。
こういう時に誰か眼の明きらかな
369
人が、この状態の変化を知らせる、
︱︱すなわち客観的に叙述すれば、
・ ・ ・ ・ ・ ・
読者ははあなるほどと思うので、
げだつ
大変な解脱になります。︵こんな
単純な場合では解脱にもなります
まいが、まあ例ですからそのつも
りで御聞きを願います︶それで読
む人はありがたがる。書く人は成
はた
功する。ばかりじゃない、傍から
見ても、旧来の評価を無理に維持
370
しようとする情操文学よりも必要
の度が多いでしょう。
次に日本では情操文学も揮真文
学も双方発達しておりませんのは、
うぬぼれ
いくら己惚の強い私も充分に認め
こんにち
ねばなりませんが、昔から今日ま
で出版された文学書の統計を取っ
て見たら、無論情操文学に属する
ものが過半でありましょう。のみ
ならず作物の価値から云ってもこ
371
まさ
の系統に属する方が優っているよ
うであります。それは当然の事で
客観的叙述は観察力から生ずるも
ので、観察力は科学の発達に伴っ
て、間接にその空気に伝染した結
果と見るべきであります。ところ
が残念な事に、日本人には芸術的
精神はありあまるほどあったよう
ですが、科学的精神はこれと反比
例して大いに欠乏しておりました。
372
それだから、文学においても、非
我の事相を無我無心に観察する能
力は全く発達しておらなかったら
しいと思います。くどくなります
から、例も引きませんが、これだ
ごがてん
けで充分御合点は参るだろうと存
じます。これを別方面の言葉で云
うと、子はみんな孝行のもの、妻
は必ず貞節あるものと認めていた
らしいのであります。だから芝居
373
でも小説でも非常な孝行ものや貞
節ものが、あたかも隣り近所に何
人でもいるかのごとき様子であら
われて参るのみならず、見物や読
者もまた実際にいくたりでも存在
しているうちの代表者だと云わぬ
ばかりの顔つきで、これに対して
いたのであります。いたのであり
ますと云うと私が元禄時代から生
きていたように当りますが、どう
374
もそうに違いないと思います。あ
ま じ
んな芝居や書物を見る人は、真面
め
目に熱心に我を忘れて釣り込まれ
ていたに違ないんでしょう。それ
でなければ今日まで伝わる前にと
いんめつ
くに湮滅してしまうはずでありま
す。そうすると、ある御嬢さんは
朝顔になったり、ある細君は御園
わかだんな
になったり、またある若旦那は信
乃や権八の気でいたんでしょう。
375
そりゃ満足でしょう。自己の情操
を満足させるという点から云った
ら満足に違ない。自分ばかりじゃ
ない、自分の子や女房や夫をこん
なものだと考えていたら定めし満
足に違いない。もっともあの時代
に出てくる悪党はまた非常なもの
でとうてい想像ができないような
悪党が出て来ますが、これは善人
を引き立てるためなんだから、こ
376
ちらには誰もなろうと志願するも
のはないから安心です。それじゃ
あいのこ
善と悪の混血児はというとほとん
し ご くたんかん
ど出て来ないんだから、至極単簡
で重宝であります。こう云う訳で
一家町内芝居へ出てくるような善
人で成り立っていたのであります。
それじゃ天下太平なものでありそ
ふうふげんか
うだのに、やっぱり夫婦喧嘩も兄
弟喧嘩もありました。あったに違
377
なかろうと、まあ思うのです。し
かもこの喧嘩が彼らが完全なる善
しょうこ
人であったと云う証拠になるから、
不思議であります。ちとパラドッ
クスになり過ぎますが、およそ喧
嘩のもとは御互を完全の人間と認
めて、さてやってみると案外予期
に反するから起るのであります。
だから喧嘩をするためには理想が
必要であります。次にこの理想と
378
実際とは一致しているものだと認
める事が必要であります。今日も
さわ
喧嘩は毎日ありますが、何も理想
しゃく
的人物でないから癪に障るという
や ぼ
ような野暮は中学生徒のうちにも、
しごく
まあないようで至極便利になりま
した。その代り人間の相場はいさ
さか下落致したようなものの結句
こっちが住み安いかのように存ぜ
られます。ところが旧幕時代には、
379
みんな理想的人物をもって目され、
理想的人物をもって任じていたの
でありますから、大変窮屈でござ
いましたろう。何ぞと云うと、町
人のくせになかと胸打などを喰い
ます。女房のくせに何だむやみに
ふくれてなどとどやされます。子
供のくせに何だ親に向って口答を
してなどとやり込められます。と
かく何々のくせにと、くせが流行
380
・ ・
は
した世の中であります。癖にの流
や
行る世の中ほど理想の一定した世
の中はないのであります。町人は
かくあるべきもの、女房はかくす
べきもの、子供はかく仕えべきも
しゃくしじょうぎ
のと、杓子定規で相場がきまって
おります。もっともこれは双方合
意の上でなければ成立しない訳で
ありますから、町人の方でも、子
供の方でも、女房の方でも、どん
381
な理想的人物をもって予期されて
み
も、立派にその予期を充たすつも
りでいたのであります。したがっ
て自分は天下一の孝行者で、天下
一の貞女で、天下一の町人︱︱は、
ちとおかしいが、何しろ立派なも
のと心得ていたんでしょう。この
うぬぼ
己惚れていれば世話はない。たい
いやおう
ていの事が否応なしに進行します。
万事が腹の底で済んでしまいます。
382
うわべ
それで上部だけはどこまでも理想
ひょうぼう
通りの人物を標榜致します。ちと
てん
偽善になるようですが、悪徳の天
しんらんまん
真瀾漫よりは取り扱いやすいから
結構です。中には腹の底で済んだ
なとさえ気がつかないでいるもの
もたくさんあったそうです。
この有様で御維新まで進んで参
りました。それから科学が泰西か
こんにち
ら飛んで参りました。今日まで約
383
四十年立ったので、大分趣が変っ
て参りました。科学の訓練を経た
眼で、人を見たり、自分を見たり
は や
する事が大分流行って参りました。
しかしこの精神が一般に行き渡っ
ていないため、かつはあまり大切
でないため今日まであまり進歩し
ておりません。なぜ大切でないか
と考えて見ると面白いのでありま
す。自分で自分の腹の中を検査し
384
て見ると、そう自慢になる事ばか
りはありゃしません。自分ながら
あさましい事もたくさん出て来ま
す。しかしいくら浅間しいものが
見当った見当ったと云って触れて
歩いたって、自分の恥になるばか
りで、あまり発明家として尊敬を
払っては貰えません。だからせっ
かく発見しても黙ってる方が得策
であります。骨を折って、探がし
385
ふさ
当てて、自分一人で気持をわるく
にが
して、そうして苦い顔をして塞い
でいるのも、あまり景気のいいも
のでもありませんから、つい遠慮
ぶ さ た
が無沙汰になりがちで、吾身で吾
身が分ったような、分らないよう
な心持でその日その日とぶらつい
ております。こうしていれば、い
つまで己惚れていたって、変事が
起らない限りは大丈夫、己惚れつ
386
づけに己惚れて死ねますから、せっ
か
かく土をかけた所を掘り返して腐っ
しがい
た死骸をふんふん嗅いで見るなん
しょさ
て、むく犬の所作をするには及ば
ん仕儀になります。私もその一人
であります。私の妻もその一人で
あります。折々はあれでも令夫人
かと思う事もありますから、向う
でも、あれがわが郎君かと愛想を
つかす事もあるんでしょう。それ
387
おっと
でも私は立派な夫のつもりですま
していますから、奥方の方でも天
下の賢妻をもって自任しておられ
うぬぼれ
る事と存じます。かようの己惚は
存外多いもので、諸君まで私共の
仲間へ引き入れるのは恐縮であり
ますが、なるべく勢力範囲を拡張
しておく方が勝手でありますから、
さしつ
遠慮のないところを申しますと、
とうとう
滔々たる天下皆然りと申しても差
388
かえ
支ないかも知れません。腹の奥の
方では博士を宛にしていながら、
口の先では熱烈な恋だなどと云う
のがあります。そうかと思うと持
参金が欲しいような気分を打ち消
しゅくとく
して、なにあの令嬢の淑徳を慕う
のさとすましきっています。それ
ま
で偽善でも何でもない、両方共真
じ め
面目だから面白いものです。そこ
で我々のような観察力の鈍いもの
389
は、なるべく修養の功を積んで、
それから、大胆な勇猛心を起して、
せきらら
赤裸々なところを恐れずに書く事
つと
を力める必要が出て参ります。
それでは今日の文学に客観的態
度が必要ならば、客観的態度によっ
て、どんな事を研究したらよかろ
うと云う問題になります。私は私
の気のついた数カ条を御参考のた
めに述べて、結末をつけます。
390
第一は性格の描写についてであ
ります。これは小説とか劇とかに
必要なもので、作家がこの点にお
いて成功すれば、過半の仕事はす
でに結了したものとまで思われて
おります。そこで俗に成功した性
格とはどんなものかと調べて見る
と活動の二字に帰着してしまいま
す。またどう考えてもこの二字以
外には出られないように思います。
391
しかし、活動にもいろいろあるが
いかなる意味の活動か一と口に云
おくだん
えるかと聞かれると、少し臆断過
ぎるようですが、私はこう答えて
さしつかえ
も差支ないと考えます。普通の小
説で、成功したものと称せられて
いる性格の活動は大概矛盾のない
と云う事と同一義に帰着する。こ
れを他の言葉で云いますと、ある
人が根本的にあるものを握ってい
392
しょさ
て、千態万状の所作にことごとく
このあるものを応用する。したがっ
て所作は千態万状であるが、これ
きれい
を奇麗に統一する事ができる。し
かもこれを統一するとこのあるも
のに落ちてしまう。なお言い換え
ると、描写された性格が一字もし
くは二三字の記号につづまってし
まう。勇気のある人、親切な人、
りんしょく
吝嗇な人と云った風に簡単になる、
393
すなわち覚えやすくなる。まあ、
こんなものではなかろうかと思い
ます。つまりは、一篇の小説に一
定の意味があって、この意味を一
句につづめ得るのを愉快に思うよ
うに、同じく一句につづめ得る性
格をかき終せたものが成功したよ
うな趣が大分あります。しかしこ
の意味で成功した性格は、個人性
格の全面を写し出したものではあ
394
りません。︵特別の場合を除いて
は︶個人の全面性格のある顕著な
ちゅうしゅつ
特性を任意に抽出して、抽出した
だけを始めから終まで貫ぬかして、
作家にも読者にも都合のいい性格
を創造したものであります。しか
も自然の法則に従って創造したも
べん
のではなくって、小説の世界に便
ぎ
宜を与うるために、ある程度まで
自然の法則を破って、創造したも
395
のであります。普通の場合におい
て、個人の性格中のある特性が、
しょうがい
その個人の生涯を貫ぬいている事
は事実であります。がこの特性だ
けで人物が出来上っておらん事も
事実であります。のみか、この特
性に矛盾反対するような形相をた
くさん備えているのが一般の事実
ことわざ
であります。だから諺にも近侍の
眼から見れば英雄もまた凡人に過
396
ぎずと申します。極めて簡単で例
にならんほどの例でありますが、
人事には大変冷淡な人が、健康だ
けには恐ろしく神経過敏に見える
ていねい
事があります。家族には無愛想極
ほうゆう
まっても朋友にはこの上なく叮嚀
な男もございます。こう云う点を
くわ
詳しく調べてみたらば、あるいは
矛盾のある方が自然の性格で、な
い方が小説の性格とまで云われは
397
しますまいか。
そこで小説家、戯曲家うちでも
この点に注意し出して、ついに矛
盾の性行をかくようになりました。
そうして読者もこれを首肯するよ
うになりました。柔順であった妻
おっと
君が、ある事情のもとに、急に夫
に反抗して、今までに夢想し得な
かった女丈夫になるというような
例であります。しかしこれは在来
398
の叙述を一歩複雑の方面へ進めた
ものに過ぎません。と云うのは、
明かに矛盾した特性をことさらに
並べて、対照の結果読者の注意を
この二焦点に集注するからであり
ます。だから性格の複雑という事
だけを眼中に置いて見ると、これ
はまだまだ単調のものであります。
だからあくまでも客観的に性格の
全局面を描出しようとすれば、今
399
までの小説や戯曲にあらわれたよ
はる
りも遥かに種々な形相が出て来る
訳であります。そうして形相が異
なるに従って、相互の間に一致が
ないように見えて来るのは、やむ
をえぬ結果であります。したがっ
て描写が客観的に微妙であればあ
まと
るほど、纏まりがつかぬ性格がで
おお
きやすいでしょう。一言にして蔽
う事のできない性格になりやすい、
400
記憶に不便な性格になりやすいで
しょう。要するに大変できのわる
い、下手にかいた性格のように見
えてくるでしょう。従来のかき方
か ぜ
は、ここに風邪を引いた人がある
しょうがい
ぬ
とすると、その人の生涯を通じて、
ひ
風邪を引いた部分だけを抽き抜い
めいり
て書くのですから、分りやすく明
ょう
暸になる代りにははなはだ単調に
して有名なる風邪引き男が創造さ
401
れてしまいます。本来を云うと病
気の時と、丈夫な時と、病気でも
丈夫でもない時と三通りかいて、
始めてその人の健康の全局面が、
あらわれると云わなければなりま
せん。しかし、そうすると、どう
しても散漫に見えます。要領を得
ないように見えて来ます。風邪で
もこの通りですが、性格はこれよ
はる
りも遥かに複雑であります。例え
402
ばAなる性格の第一行為をA1と
すると、A1からして類推のでき
るA2A3A4を順次に描出して
行けば、全局面は無論出て来ない。
たいていは一特質の重複に近くな
ります。もしA1A2A3A4が
因果の法則で連結されておって、
この諸行為の内容に密接な類似を
示すときは、重複が変じて発展と
なります。発展ではあるがA1が
403
基点であって、そのA1は全性格
の一特性であるからして、A1の
み な
発展もまた全性格の発展と見傚す
訳には参りません。私はこの種の
重複でも発展でも文学上価値のな
いものと断言するのではないので
すが、そちらはすでに大分ある事
だから、全性格の描写と云う方に
客観的態度をもって少しく進んで
みたら開拓の余地がたくさんある
404
だろうと思います。その代り在来
の小説を読んだ眼から見れば、散
漫になります、滅裂になりやすい
です、または神秘的に変じましょ
う。しかし吾人が客観的描写に興
ぜんぜん
味を有してくると、漸々この散漫
と滅裂と神秘を妙に思わないよう
な時機が到着しはせまいかと思わ
れます。言葉を換えて云うと形式
の打破をある程度まで意に留めな
405
くなりはせまいかと考えるのです。
しかし一応は御断りを致しておき
ます。吾々の世界はすでに冒頭に
せんたく
おいて述べた通り撰択の世界であ
ります。光線にしても、音響にし
ても、一定の振動数以上もしくは
以下のものは、見る事も聞く事も
できない有様でございます。性格
の全部と云ったところで、全部が
ことごとく観察され得るとは申し
406
ません。無論比較的と云う文字を
そうにゅう
挿入して御考を願うよりほかに致
し方がありません。それから客観
的態度で時間の内容を写して行く
と︵ある一物につき︶この連続が
いんが
因果になるには相違ありませんか
ら、いくら散漫でも滅裂でも神秘
でも因果を離れるとは申されませ
ん。ただその因果が、因果の律に
まとめられるほどに、経験上熟知
407
されていないから、散漫で滅裂で
神秘と見るまでの事であります。
く
だからこの種の因果の経験を繰り
かえ
返して、その中から因果の律を抽
象する事ができると同時に、散漫
は統一に帰し、神秘は明白になり
ます。︵性格の描写に関連して研
究の価あるのはムードの観察であ
ります。ムードの描写は昔の小説
にはほとんどないと思います。し
408
かもこのムードから面白い行為が
出て、たしかに興味のある結果を
生じます。ムードと性格の関係そ
の他は今は述べません。また述べ
られるだけに頭が整っておりませ
ん︶
性格の解剖についでは、心理状
態の解剖であります。最も性格と
関係があるのは無論でありますが、
一言にして云うと今日の人の心的
409
むか
状態は昔しの人の心的状態より大
分複雑になっておりますからして、
はる
同一の行為でも、その動機が遥か
に趣を異にしている訳で、そこを
観察したら、充分開拓の余地があ
たと
ると申す意味でございます。例え
ばここに一人の男があって人殺し
をする。なぜ人殺しをしたかと云
うに人殺しが目的ではない、ほん
の方便で、人殺しをしたあとの心
410
持ちを痛切に味わってみたいとい
うような芸術家が出て来たとする
ならば︱︱まだあんまり出ないよ
うですが︱︱どうでしょう。いく
ら説明したって元禄時代の人物に
は分らないにきまっている。とい
うものはこの男の人殺しに対する
評価は、人殺しから生ずる自己の
しんり
心裏の経験に対する評価より遥か
に相場が安いのであります。平た
411
く云えば人殺しと云う事をさほど
わるく思っていない。のみならず
わざと罪を犯しておいて、犯した
あとの心持を痛切に味わうという
ような込みいった考えはとうてい
むろきゅうそう
大石良雄や室鳩巣などに分るもの
ではありません。もちろん今の人
にでも分らんかも知れませんが、
今の人ならばほぼ想像はつきます
から、それまで複雑なのに違あり
412
ません。また恋と云う一字でもこ
の頃になると恋という一字では不
充分なくらい種類ができはしまい
さおう
かと思われます。すでに沙翁のか
いたものでも分ければ幾通りにも
分けられる恋が書いてありますが、
近代に至るとその区別がますます
微細になりはせぬかと思われます。
ゴンクールの書いたラフォースタ
ンと云う小説のなかにはこんなの
413
があります。有名な女優があって、
いんぎん
この女優がある英国の貴族と慇懃
を通じたままそれぎり幾年か音信
不通の姿でおりましたところ、貴
ばくだい
族の方では急に親が死んで、莫大
の遺産を相続するような都合になっ
たので、今は結婚その他の点につ
くちばし
いても何人も喙を挟む事のできな
い身分でありますから、多年恋着
していた婦人を正式に迎えるのは
414
この時と云うので、狂うばかりに
フランス
喜んで、仏蘭西へ渡りますと、女
もと
の方も固より深い仲の事でありま
したから、泣いて分れたその日の
通り大事に男の事を思いつづけて
いた折で、無論異存のあるはずは
ございません。めでたく結婚致し
ちんぷ
ます。それだけだとこれも陳腐な
のですが、これから先が山であり
ます。さて結婚をしてみると夫の
415
方では金に不足のない身ではある
し、女房を女優にしておくのは何
となく心配ですから、もう廃業し
たら善かろうと云う相談を持ちか
けます。ところが細君の方はもと
しょう
もと役者が性に合っている訳なん
だからかどうか分りませんが、何
や
となく廃めたくなかったのであり
ます。しかし可愛い男の云う事だ
いや
から、厭な心を抑えて亭主の意に
416
うれ
従います。それから二人で非常な
ぜいたく
贅沢をやります。嬉しい中でいっ
しょになって、金を使いたいだけ
使うんだから、幸福でなければな
らないはずですが、そこが妙なも
ので、細君が女優をやめてからと
すぐ
いうものは何となく気色が勝れな
きげん
くなります。いくら夫が機嫌をとっ
もともと
ても浮き立ちません。と云って固々
憎い男ではないんだから粗略にす
にく
417
る訳はない。しんそこ夫の事はい
としく思っているのであります。
ただ心が陽気になれないだけなの
ですが、夫の方では最愛の細君の
いっぴんいっしょう
一顰一笑も千金より重い訳ですか
いしゃ
ら、捨ておかれんと云うので慰藉
イタリー
かたがた以太利へ旅行に出かけま
かか
す。しかるに男は出先で病気に懸
ります。細君は看病に怠りはござ
じょうごう
いませんが、定業はしかたのない
418
ものでとうとう死んでしまいます。
その死ぬ少し前に例の通り細君が
看病のため枕辺へ寄り添いますと、
男はいつになく荒々しい調子で、
の
手をもって細君を突き退けるばか
ひっきょう
りに、押し返して、御前は必竟芸
術家だ。本当の恋はできない女だ
と云うのです。それが結末であり
ます。御前は必竟芸術家だ本当の
恋はできない女だ。これが一種の
419
恋でありましょう。有名なルージ
ンの恋も普通一般の恋ではありま
せん。ルージン一流の恋でありま
す。ズーデルマンの書いたフェリ
シタスの恋などはもっとも特色を
帯びた一種の恋のように思います。
これが日本の昔であってみると、
大概似たもののように見えます。
やえがきひめ
八重垣姫の恋も、御駒才三の恋も、
おそめひさまつ
御染久松の恋も、まあ似たり寄っ
420
たりであります。なぜ似たり寄っ
たりかというと、異種類の恋はな
かったと解釈する事もできますし
また、観察力が鈍かったからだと
断定する事ができますが、まず両
方と見ておきましょう。がまずざっ
と、こんな訳でありますから、か
ように複雑になりつつある吾々の
心のうちをよく観察したら、いろ
いろ面白い描写ができる事だろう
421
と思います。
あまり長くなりますから、あと
はなるべく手短かに指摘して通り
過ぎるくらいに致します。次には、
人生の局部を描写して、これを一
句にまとめ得るような意味を与え
る事であります。落語家のいわゆ
る落ちをつけた小説のようなもの
になります。これは近頃大分流行
ふえん
致しておりますから、別段布衍す
422
る必要もございますまい。ただ御
とど
注意だけに留めておきます。前の
例などもここに応用ができます。
﹁御前は必竟芸術家だ。本当の恋
はできない﹂これが一篇の主意の
落着するところであります。ただ
そうごう
し落ちを取る目的は綜合にあるの
で、前の二カ条は解剖が主であり
ますから、目的の方角は反対にな
ります。だからちょっと区別して
423
おきました。
次には、人生において、容易に
注意を払っておかなかった現象、
めった
したがって滅多にない事という意
味にもなりますが、この方面にも
大分新らしい材料がある事と思わ
れます。この間友人からこんな話
を聞きました。その男の国での事
げいしゃ
でありますが、ある芸妓がある男
と深い関係になっていたのだそう
424
で。その両人がある時船遊びに出
こ
ました。そこいらを漕ぎ廻った末、
いそ
都合のいい磯へ船をもあいまして、
す
男が舟を棄てて岸へ上りました。
ところが岸辺に神社か何かあると
がけ
見えて、磯からすぐに崖になって、
崖のなかから石段が海の方へ細長
くついております。男はその石段
を登ったんだそうです。女は船の
なかから、石段を上って行く男の
425
後姿を見ていたそうです。その後
姿を見ていた時、急に自分の情夫
に愛想をつかしてしまったんだと
友人は話しましたが、その源因は
私にも、友人にも、本人の芸者に
も無論分りません。これと類似の
例をゼームスの宗教的経験と云う
本や、スターバックの宗教心理学
けい
で見た事がありますが、個人の経
れきたん
歴譚として聞いたのはこれが始め
426
てであります。これはあまり突飛
な例かも知れませんが、こんな経
験で文学の形になってあらわれて
おらないものが大分あるだろうか
ら、そういう研究をしたら材料は
ずいぶん出て来はすまいかと思っ
ております。
このほか因果の関係で人の気に
つかなかった事やら、類型を脱し
た個性をかく方面やらいろいろあ
427
るだろうと思いますが、この三四
カ条は理論上これこれに分れると
云うのでなくって、ただ思いつい
なら
た事を列べたまででありますが、
どこで切っても同じ事であります
からこれでやめておきましょう。
わがくに
しかし今日の吾邦に比較的客観態
度の叙述が必要であると云う事は、
illum
向後何年つづく事か明らかには分
りません。西洋では
428
inism
さかん
が盛に行われた、十
きた
八世紀の反動として十九世紀の前
ぼっこう
半に浪漫的趣味の勃興を来しまし
た。それが変化してまた客観的態
度に復して参りました。二十世紀
はどうなるか分りません。この二
潮流が押しつ押されつしているう
ちに、つまりは両方が一種の意味
において一様に発達して参ります。
そうして発達した両方が交り合っ
429
て雑種の雑種というようなものが、
いくらでもその間に起って参りま
す。右へ行ったり左へ寄ったりす
るのは、つまり態度だけの話で、
かえ
この態度から出る叙述はけっして
く
繰り返されるものではありません。
ずさん
どこか変って参ります。杜撰なが
ら自分の考では、世間一般の科学
的精神が、情操の勢力より比較的
強くなって、平衡を失いかけるや
430
否や、文壇では情操文学が隆起し
て参りますし、また情操の勢力が
科学的精神を圧迫するほどに隆起
してくると、客観文学が是非とも
起って参る訳だと考えます。文壇
はこの二つの勢力が互に消長して、
平衡を回復し、回復するかと思う
と平衡を失して永久に発展するも
のでありましょう。であるから同
時同刻にせよ西洋の文学にあらわ
431
れた態度が、必ず日本の態度の模
範になる理由は認められません。
わがくに
前段に申した今日吾邦における客
観文学の必要とは、我邦現在の一
般の教育状態からして案出した愚
考に過ぎんのであります。しかし
ながら、やはり同一の立場から見
て、ほとんど純客観に近い態度の
文学を必要と認めるほど情操の勢
力は社会を威圧しているようには
432
思われませんから、いたずらに客
観にのみ重きを置く文学は不必要
に近いように思われます。維新後
すうせい
今日までの趨勢を見ますと、猛烈
なる情操に始まって四十年間しだ
いしだいに情操の降下を経験して
おりますから、現時はまだ客観に
重きを置く方を至当と存じますが、
向後日清戦役もしくは日露戦争の
ぼっちょう うな
ごとき不規則なる情操の勃張を促
433
がす機会なく日本の歴史が平静に
進行するときは、情操は久しから
こうむ
ずして科学的精神の圧迫を蒙る事
は明らかでありますから、情操文
学は近き未来において必ず起るべ
き運命をもっている事と存じます。
ただし未来の情操文学はいかなる
はか
内容をもって、いかなる評価をな
もと
すやに至っては固より測りがたい
のはもちろんでありますが、それ
434
までに発展した客観描写を利用し
てこれを評価の方面に使うのは争
うべからざる運命と存じます。こ
れを結末の一句としてこの講演を
終ります。
︱︱明治四十一年二月東京青年会
館において述︱︱
435
底本:﹁夏目漱石全集10﹂ちく
ま文庫、筑摩書房
1988︵昭和63︶年7
月26日第1刷発行
底本の親本:﹁筑摩全集類聚版夏
目漱石全集﹂筑摩書房
1971︵昭和46︶年4
月∼1972︵昭和47︶年1月
※底本で、表題に続いて配置され
ていた講演の日時と場所に関する
436
情報は、ファイル末に地付きで置
きました。
入力:柴田卓治
校正:大野 晋
2000年8月24日公開
2004年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネット
の図書館、青空文庫︵http:
//www.aozora.gr.
437
jp/︶で作られました。入力、
校正、制作にあたったのは、ボラ
ンティアの皆さんです。
438