4 - せたな町

★貝取澗二洞窟における遺跡の発掘調査
(平成2年6月)
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★武田信宏より太田権現の尊号を賜った
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項
★都遺跡の発掘調査(昭和42年1
2月)
もに七れ言慶あ人いに高にこけこ収来請割契鰊よ︵のそウ人三一下んはと遺ら代文く員日る住るか ■
書は人にう応っのてはい納こ入の益、負ま約にり一最のス、年円貞で御言物がの後の一程洞んとら最い
き何、よ書元た定年、収めにれ地に自人たが出毎七初他ベ厚後を政い法わの海人期遺行度窟で縄出初つ
込時男る物年。住中越入る越らにつ分には必漁度一の数ツ谷の知松た度れ内・が︵物六、をい文土のか
まか百とをにその働年を。年れ漁なのと一要す熊九住人に四宝行前。、た容野住約を名北平た前し人ら
れら二越請西の始け料得鰊するにが場っ割とる石年人が運五永地七寛し時か山み千採が海成。期た類こ
て越十年負地裏まるをら漁る。来る所てをなに番︶
﹁とこ上平元と代永か代らでつ五取発道二ま︵石形
い年七小人九付りこ支れでと入るのには請りは所熊なこ屋請年し公十し、推のい百、掘開年た五器跡の
るを人屋が謄けはと払るはき役者で追収負、、へ石っにを負︵て広四、松測狩て年そ調拓よ、千、は地
。始、四役雲と、がっ。高はとを歓鰊益人許そ差よた住置人一拝よ年そ前で猟い前れ査記り貝五土﹁に
め女十所御なこ魅て生い六し出迎業をに可の出りもみいと七領り︵れ領き生た︶らを念六取百器都人
た百九に場るの力小計入百て稼し者上納さ地候先の始たな〇し勲一に地る活こにを実館年澗年等遺が
の七軒提所貴越で屋の漁文男者たがげめれの・々だめ。り四て功六拘以。をとこ調施の間海前の跡住
か人、出越重年あを安料加一とこ入るるれ場・追ろたこ支年いに三わ外北しがこ査し事に岸︶遺﹂み
年と人し年なとっ建定を算人言と漁チこば所・鰊う。の配︶るよ七らは海て判をし、業わ沿に物﹁つ
号あ別て家書言たてを払、一っですャと収請・に。こ時人松。り年ず和道い明ねたそとたいもか小い
もる二い人類うろ、保っ江貫てあるンに穫負﹂参享れ、を前そ宇︶和人がたしぐとのしり山うら歌た
家。百る別が方う落つて差二年ろこスな物人こり保が支配唐の須厚人の蝦こたらこ結て毎側人推遺か
族こ二。書あ法。ちたも番文中うとのるのとの候四和配し津六辺谷が居夷と。にろ果学年に類測跡
数れ十ことるが和着め、所、受。は到。二の追船年人人、の十知新住住地が彼古縄多芸十あがす﹂
。
大成町閉町記念誌 4