多 岐 亡 羊 II Vol. 8 2004 年度西澤ゼミ・学生論集 同志社大学法学部・政治学科 2005 年 3 月 はしがき 中国の学者・楊子(ようし)が、分かれ道が多くて、逃げた羊 を見つけることができなかったことを深く悲しんだ。「分かれ道 が多いために羊を逃してしまったのと同じように、学問の道もあ まりに多方面にわたっているために、真理を見失ってしまうこと を悲しんだのだ」と、後にその弟子の一人・心都子(しんとし) が説明したそうだ。 現代日本が抱える政治的な問題や日本あるいは外国の有権者の 投票行動・価値観について、多くの立場の研究に触れ、また、興 味を持った具体的な疑問点について、各自が独自な視点で分析を 行ったわけだが、それには1年はあまりにも短かった。おかげで、 政治のメカニズムが理解できたというより、むしろよけいに分か らなくなったというのが正直なところだろう。まさしく、 「多岐亡 羊」である。 さて、今年の西澤ゼミには、聴講生を含めて、3・4 年ゼミには 8 名が、そして、政治学演習には 4 人が集まってくれた。それらの 諸君の努力の結晶がここに収められた論文である。 「 『多岐亡羊』の論文が、毎年、充実していきますね」と、多く の卒業生から感想をいただいている。それは、たいへん嬉しいこ とである。でも、毎年のレベルアップというのは、必ずしも容易 な命題ではない。その「外圧」を感じていたのは私だけなのかも しれないが、第 8 巻目になるこの論集の各論文も、これまでの論 文にけっして劣ることのない力作ばかりである。ほんとうにおめ でとう。 所属する本ゼミの作業に専念するために、ここには投稿しなか った仲間もあるが、その人たちの「参加」も、この「共同研究」 の完成には不可欠であったことをここに記しておきたい。彼らの 貢献が、各論文をよりよいものにしてくれた。 今年のゼミでは、勉強以外にも、多くのことをした。恒例の春 の合宿やクリスマス・パーティの他に、映画「華氏 911」の鑑賞・ 我が家での「映画&ピザ」パーティー・秋の「俳句イング」など。 私がそれらの「発起人」かのように思われているかもしれないが、 じつは、今年のゼミ生は、私をそんな気にさせるのが上手だった というのが真相である。それらのイベントに、卒業生の参加が多 1 かったこと、また、卒業生やゼミ生の「significant other」の参加 があったのも今年の特長である。仲間の広がりを強く感じた。 今年の卒業生のうち、松岡・宮川の両君とはゼミが始まる前か ら一緒に勉強をしてきた。また、私を「避けて」きた大石君は、 今年になってからのお付き合いである。それぞれに、いろんな意 味で「世話」のかかった学生だったが、私のこれまでの経験では、 そんな学生諸君のほうが、私の心にはとりわけ印象的に長く残る ようである。これからの活躍に期待したい。 3 年生の 4 人はというと、ほんとうに勉強の好きなグループだっ た。アカデミック・ライティング(AW)の最初の学年であること から、もう 3 年のお付き合いである。担当者の私が言うのもなん だが、AW のおかげで勉強の仕方の基礎がしっかりしていることを、 今年は感じた。来年にはどんな仕事をしてくれるか、ますます期 待が膨らむ(と、すこしプレッシャーを掛けておこう) 。 政治学演習の諸君のパワーには脱帽であった。報告論文をビデ オ番組としてまとめるのが課題であったが、人数が少なかったの で、秋学期の初めのことは、 「できるかな」と正直なところ少し心 配をしていた。でも、ものすごい結束力で、みごとに課題をこな してくれた。一緒に仕事をしていて楽しかった。 さて、その間、TA として手伝ってくれた伊藤慎弐君と浅田啓太 君と、聴講生だった岡本和明君に感謝したい。毎回の教室の準備 などの「後方支援(ロジスティック) 」の他に、論文の内容など実 質的な点についてまで、そして、また、研究者の「卵」としての よきアドバイザーであった。私の知らないところでも、いろいろ と相談相手になってくれていたようである。 大学で学ぶことの究極の目的は、 「真理とは何か(あるいは人間 とはどういう生き物なのか) 」という問いに対する答えを見いだす ことである。ただ、学生時代の 4 年間でその問いに答えを得るこ とのできる人は少ないだろう。つまり、社会に出ても、この問い に対して自問し続けることになる。大学は、その「最初の一歩」 にすぎない。 「真理を問う」ことのおもしろさを体験した(と、私 は信じているが)在学生諸君は、残る時間を大切にして、今年以 上に勉学に励んでほしい。卒業するみんなについても、このゼミ で身につけた(と、私は信じているが)実証的な分析視角と物事 を批判的に見る態度を、ぜひ実社会で活かしてほしい。真理を見 極める道具として。 西澤由隆 2005 年 1 月 24 日 光塩館にて 2 もくじ はしがき 2 年生製作ビデオシナリオ 1. 投票率の地方・都市格差 ··················· 西澤由隆 1 池田俊介 西辻健一郎 角谷卓哉 田島裕一 4 3 年生論文 2. 誰がターゲットなのか? ················ 清水佐恵子 3. 保革イデオロギーと投票行動 ············· 三浦正裕 22 34 4 年生論文 4. 60 年安保反対運動の変化過程 ············ 5. 投票率をあげる方法 ························· 6. 何が「社会性」を構成するのか ·········· 大石昇平 松岡信道 宮川佳也 49 69 82 ······················································· 92 ······················································· 宮川佳也 107 ゼミメンバー紹介 編集後記 「我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実 業家になるもよし、教育家になるもよし、文学者になるもよし、且つ少々角あるも 可、気骨あるも可、ただかの優柔不断にして安逸を貪り、いやしくも姑息の計を為 すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところで ある。」 森中章光編『新島襄 片鱗集』より 3 1 投票率の地方・都市格差 なぜ農村部の方が都市部よりも投票率が高いのか 池田俊介 西辻健一郎 角谷卓哉 田島裕一 1.導入部 池田:こんにちは。今、投票率の低下が問題となっています。 こちらのグラフ(1)をご覧ください。 4 このグラフは、衆議院議員総選挙の投票率を表しています。ご覧の とおり、平成以降投票率は、以前よりも低い水準で推移しています。 きょうは、コメンテーターとして、西辻健一郎さんにおいでいただ いています。西辻さん、この投票率の推移をどうご覧になりますか。 西辻:はい。有権者の投票にしたがって議員を選ぶ「選挙」という プロセスは、民主政治の根幹といえます。しかも「衆議院議員総選 挙」は、日本という国家の政権を選択する選挙です。 投票率、それも政権選択の行われる衆議院議員総選挙における、投 票率が低迷していることに対しては、ご存知のとおり多くの方面か ら懸念の声が上がっています。 池田:ここで、こちらのグラフ(2)をご覧ください。 これらの曲線は、総選挙における市区・町村別の投票率を示してい ます。お分かりの通り、町村のほうが市区よりも投票率が高い、と いう一般的な傾向が見て取れます。西辻さん、都市規模の小さな地 区ほど投票率が高い、ということですね。 5 西辻:はい。こうした傾向、言いかえますと「農村部の方が、都市 部よりも投票率が高い」という傾向は、日本の選挙においてしばし ば指摘される論点となっています。 そこで今回私たちはこのような都市規模と投票率との負の関係が なぜ生じるのか、すなわち「なぜ都市部よりも農村部のほうが、投 票率が高いのか」、検証を試みました。 池田:そうした検証の意義は、いったいなんですか? 西辻:はい。今回の取り組みは、投票率の低下という問題を考える に当たっての、材料を提供するための検証です。 池田:それはどういうことでしょう。 西辻:少なくとも現段階で、農村部の方が都市部より、投票率が高 いことが分かっているわけですね。 池田:ええ、そうです。 西辻:それならば、農村部における投票率の高さはなぜ生じている のか、その要因をさぐることで、全体的な投票率の低下を抑制する、 あるいは低下を上昇に変える手段を構想する材料が得られるので はないでしょうか。私たちは、そうした観点から今回の検証作業を 思い立ちました。 池田:なるほど、そういうことですか。 西辻:はい。そして、農村部と都市部との間の投票率の違いを考察 するにあたって、私たちが注目した観点は次の2点です。第 1 に情 報格差、第 2 に共同体意識の違いです。 池田:情報格差と、共同体意識の違い、ですか。 西辻:はい。私たちはこれら2つの観点からそれぞれ 1 つずつ、計 6 2つの仮説を立て、検討を行いました。 2.仮説 1 の検証 池田:それでは、情報格差に観点をおいた仮説 1 について報告をお 願いします。 西辻:はい。今回立てた仮説 1 は「農村部の有権者達は、地元議員 の情報を多く得ており、それが政治に対する強い期待を生み、結果 として投票率が高くなる」というものです。 池田:西辻さん、この仮説の論理構成はどうなっているのでしょう か? 西辻:それについては、こちらの図をご覧ください。 図:仮説1の見取り図 農村部 投票率が高い Å C 政治への信頼が大きい B 地元立候補者の情報が 多い この仮説 1 は A・B・C で示した諸関係から成り立っています。順に 説明しますと、「農村部ほど地元立候補者の情報を多く得ている」 という A、「政治家の情報の多さが政治への信頼感の高さにつなが る」という B、そして、「政治への信頼感が投票率の高さにつなが る」という C、以上の三つです。 池田:なるほど。ということは、仮説を検証するためにはこれら3 つの関係を全て検証する必要がある、というわけですね。では、そ の検証方法にいったい何を用いたのでしょうか。 7 西辻:今回は仮説の検証に、世論調査データの統計分析を用いまし た。対象としたデータは、1996 年の世論調査である jeds96(3)と、 2003 年のグロープ調査 2003(4)の以上2つです。どちらも衆院選前 後に調査をしたものです。 池田:わかりました。では、データ分析の結果報告をお願いします。 西辻:はい、ではまず、農村部と地元候補者情報との関係につい ての検証報告を行います。表1をご覧ください。これはjeds96にお ける有権者の回答を表しています。有権者の人々に、彼らの地元選 挙区において公示が一番早かった立候補者の名前を示したうえで、 その人をどれぐらい知っているかをたずねたものです。 表1:公示が一番早かった候補者の認知度(jeds96調査) 認知程度(%) 都市規模 よく ある程度 名前だけ 17.1 33.8 49.1 24.9 34.3 40.8 13大都市 人口10万以下 池田:農村部と都市部で、差が出ていますね。 西辻:そうです。農村部は都市部と比べて、選挙が始まる前から候 補者がどのような人であるかをすでに把握している人が多いとい う結果が出ています。 池田: なるほど、確かにこれは先ほどの仮説のAの部分、つまり農 村部ほど候補者の情報を多く得ている、という論理を補強する有力 なデータであるといえますね。 西辻:はい、その通りです。 8 池田:では、Bの部分の検証に移りましょう。政治家の情報量と政 治への信頼感との関係ですね。 西辻:ええ。それについては表2をご覧ください。このデータも jeds96によるものです。これは、先ほどの質問で「候補者をよく知 っている」と答えた人が、「地元の候補者に投票することと永田町 の政党を信用することのどちらを選ぶか」、という別の質問を出し、 どのように答えたかを表にしたものです。 表2:地元候補投票か政党信用か(jeds96調査) 回答(%) 都市規模 地元候補者 政党 13 大都市 42.4 57.6 人口10万以下 50.0 50.0 池田:これを見ますと、農村部有権者たちは、都市部有権者に比べ て地元候補者への期待が大きい、といえますね。 西辻:そうです。そしてこの傾向は別の質問項目を通じても確認す ることが出来ました。表3をご覧ください。これは、グロープ調査 2003のデータによるものです。「自分の求めていることを最もよく 実現してくれそうなもの」を、表に挙げた三つの中から選択しても らいました。ここでは、地元国会議員を推す人の割合が農村部と都 市部とでかなり離れています。 表 3:自分の要求を一番実現する主体(グロープ 03) 回答(%) 都市規模 地元議員 内閣 政党 13大都市 38.0 10.4 51.5 人口10万以下 53.1 11.5 35.4 9 池田:なるほど、これを見るとデータの裏づけは十分あるようにみ えますが、どうでしょう 西辻:正直なところをいえば、統計的な問題は一部残っています。 しかしいずれにせよ、仮説のBの部分を確認するための非常に有益 な調査結果として、この結果を評価することは可能です。 池田:わかりました。それでは最後にCの部分の分析結果をお願い します。 西辻:はい。仮説のCの部分とは、政治への信頼感と投票率との関 係でした。ここで再び表3に戻りたいのですが…、この表ですね。 この表を見れば分かるのですが、農村部の有権者は永田町の政党を 信用するよりも地元候補への投票を選ぶ割合が高いのです。 池田:はい。ここからもある程度、農村部の高投票率の理由が伺え ますね。 西辻:実はここで私たちは、この問題を検証するために違った観点 からの分析を試みました。 池田:それはどういうことですか? 西辻:つまり、実際に投票した有権者ではなく、投票を棄権した有 権者の世論調査を使っての検証です。 池田:いわば発想の逆転、ということですね。 西辻:そうです。すると、なかなか興味深い結果が出ました。表4 をご覧ください。このデータはグロープ調査2003によるものですが、 これを見ると、農村部では選挙を棄権した理由として、他の用事と 答えた割合が都市部よりも高いのです。 10 表 4:投票棄権理由は他の用事(グロープ 03) 回答(%) 都市規模 あてはまる あてはまらない 13大都市 62.5 37.5 人口10万以下 67.8 32.2 そして、表5を見て欲しいのですが、他方、投票所に行くまでの手 間を棄権理由とした割合は農村部では低くなっているのです。 表5:棄権理由は投票所に行く手間(グロープ03) 回答(%) 都市規模 あてはまる あてはまらない 13大都市 25.0 75.0 人口10万以下 15.3 84.7 池田:西辻さん、この結果から一体何が読み取れるのでしょう? 西辻:そうですね、2つのことがよみとれると思います。1点目は 農村部の人たちは投票に行くことをおっくうがる人の割合は低い ということ。2点目は、仮に棄権するとしても、それは他の用事と いうやむをえない理由によるものである、ということです。 池田:ということは、これらをまとめると、都市部と比べて農村部 には、有権者の政治参加を妨げるような内的な要素が薄い、という ことですね。 西辻:そうです。この点から、農村部の有権者達の中には、地元議 員への信頼と実際の投票行動とが都市部よりもより強く結びつい ている、ということが導き出せるのです。 池田:なるほど、これで仮説のCの部分が検証できたわけですね。 ではここで一度、最初に提示した見取り図を確認してみましょう。 さて西辻さん、これまで仮説1についてABCの各部分の分析報告を行 11 ってきたわけですが、最後に結論をお願いします。 西辻:はい、我々は最終的に、先に提示した仮説1には妥当性が認 められる、という判断にいたりました。 しかしながら、厳密に仮説が証明されているとはいえません。その 理由は2つあります。第1にはサンプルの総数が少ないこと、そし て第2には資料の年代が複数にまたがっていることです。この点に 関しては、さらなるデータの獲得と、それをもとにしたいっそうの 分析が必要だということになります。 3.仮説 2 の検討 池田:それでは引き続いて、共同体意識の違いに観点をおいた仮説 2について、報告をお願いします。 西辻:はい、こちらの図をご覧下さい。 図:仮説2の見取り図 農村部 投票率が高い 共同作業・共同決定への 志向が強い 仮説2は、 農村部の有権者は、都市部と比較して「共同」での作 業および決定への志向が強いため、公式の意思決定である選挙に参 加する確率、すなわち投票率も高い というものです。 池田:なるほど。その仮説2はどのような手段で検証したのでしょ うか。 西辻:それに関しては仮説 1 の場合と同様に、世論調査データの統 計分析を行いました。対象としたデータは、jeds96 の公開データ 12 です。 池田:わかりました。では、データ分析の結果報告をお願いします。 西辻:はい。今回私たちが「共同」での作業および決定への志向を はかる尺度として用いたのは、2 つの質問項目に対する有権者の回 答です。 第 1 には「職場や地域、町内で自分の思い通りに物事を進めるには、 実力があり顔も聞く人に頼った方がよいか、それとも他人に頼らず に何もかも自分でやっていった方がよいか」という質問項目です。 第 2 には、 「社会の調和を保つために従来のしきたりを守るべきか、 それともしきたりにこだわらずに個人の判断に従うべきか」という 質問項目です 池田:ところでこれらの質問への回答は、どのような形式になって いるのでしょうか。 西辻:はい、これら2つの質問項目は、どちらも、共同体での営み に関系する、A・B2 通りの見解を提示して、自分の考えがどちらに 近いか、回答をしてもらう形になっています。 さらに、これら 2 つの質問項目はいずれも「A に近い」「どちらか といえば A に近い」 「B に近い」 「どちらかといえば B に近い」とい う 4 通りの回答を行うかたちになっています。 ただ、今回の私たちの検証では「どちらかといえば近い」との回答 も「近い」との回答に含めて、作業を行いました。 池田:わかりました。では、データの分析結果について説明をお願 いします。 西辻:はい。まずは、1 つ目の質問項目への回答から分析結果を報 告していきます。 こちらの表をご覧下さい。この質問に対する都市規模ごとの回答の 分布は、このようになっています。 13 表1: 物事を進めるにおいて(jeds96 調査) 回答(%) 都市規模 有力者に依存 自力で 13 大都市 60.2 39.8 20 万人以上 53.0 47.0 10 万人以上 58.3 41.7 その他の市 61.7 38.3 64.6 35.4 町村 表 1 をご覧になってお分かりの通り、都市規模の小さい町村部では 「何もかも自分で」という回答の割合は、35.4%と最も小さくなっ ています。 次に、この 1 つ目の質問項目での回答と、1996 年衆院選における 投票参加との関係を見てみましょう。こちらの表 2 から判断する限 り、回答と、投票参加との間に大きな関係を見出すことは、できま せん。 表 2 :質問項目 1 の回答と投票参加(jeds96 調査) 投票参加(%) 回答 した しなかった 有力者に依存 86.3 13.7 自力で 85.2 14.8 池田:そうですね。どうやらこの回答状況を見ますと、仮説の検証 は難しそうですね。 西辻:はい、私たちも、この 1 つ目の質問項目を尺度とした場合に は、仮説は検証されないと判断しました。 池田:では、もう 1 つの質問項目についてはどうだったのでしょう。 西辻:はい、2 つ目の質問項目からの分析結果を報告します。 14 この質問に対する都市規模ごとの回答の分布は、この表 3 のように なっています。こちらを見てお分かりのとおり、個人の判断よりも 共同体のしきたりを重視する回答の割合は、町村部で最大となって います。 表3: しきたり重視か、個人で判断か(jeds96 調査) 回答(%) 都市規模 しきたり重視 個人で判断 13 大都市 38.8 61.2 20 万人以上 30.9 69.1 10 万人以上 36.7 53.3 その他の市 39.3 60.7 47.6 52.4 町村 次に、この 2 つ目の質問項目での回答と投票参加との関係ですが、 それに関しては表4をごらんください。個人の判断を重視する見解 よりも、共同体のしきたりを重視する A の見解に近いとした回答者 のほうが、幾分投票参加の確率は高くなっています。 表 4 :質問項目 2 の回答と投票参加(jeds96 調査) 投票参加(%) 回答 した しなかった しきたり重視 86.3 13.7 個人で判断 85.2 14.8 池田:先ほどの質問項目①の場合と比べて、分析結果が異なってい ますね。ここから何がよみとれるのでしょう。 西辻:そうですね、2点指摘できると思います)。まず第 1 には、 都市規模が小さいところで、個人の判断よりも共同体のしきたりを 重視する傾向がみられました。さらに第 2 には、しきたりを重視す る回答者の投票率が高くなる傾向にありました。 15 この 2 つのことから私たちは、「個人の判断よりもしきたりを重視 する」という要素が、農村部における投票率の高さにある程度寄与 しているものと判断しました。 池田:そうですか。それでは、仮説2の検証について総括をお願い します。 西辻:はい。私たちは、以上のように世論調査データの分析結果に 基づいて、仮説2を検討しました。 先ほど述べましたように、この仮説を検証するために、二つの観点 からのアプローチを試みました。つまり、「共同体の有力者への依 存度」という尺度と「共同体のしきたりの重視」という尺度です。 そして、この後者、つまり共同体のしきたりの重視に関する質問項 目を用いた分析から、仮説の妥当性を示す結果を得ることが出来ま した。 池田:この「しきたりの重視」という意識が、都市規模の小さい地 域において高く、さらに、この意識の高さが投票参加と正の連関関 係を持っていることが確認できた、ということですね。 西辻:はい。そういうことになります。 池田:ということは西辻さん、この第2の分析から仮説2が検証で きたと考えてよいのですね。 西辻:いえ。そう結論付けることは出来ません。今回は、「しきた りの重視」という、たった 1 つの尺度からしか分析を行っていませ んから、これだけでは検証が出来たとはいえません。仮説の検証の ためには、より多くの尺度を採って分析結果を集積してゆくことが 必要です。 いずれにせよ私たちは、今回の作業によって 1 つの議論の出発点を 提供することができたと、確信しています。 16 4.結論 池田:それでは西辻さん、以上、2 つの仮説についての検討結果を 踏まえて、今回の研究の結論をお願いします。 西辻:はい。まずは仮説についての検討結果をもう 1 度振り返って みます。 お伝えしてきたとおり、私たちは「なぜ都市部と農村部の投票率に 差が認められるのか」、すなわち「なぜ農村部は都市部よりも投票 率が高いのか」、調査しました。調査にあたっては「仮説を設けて、 それを検討する」という方式を採りました。 池田:今回、仮説は 2 つあって、どちらの検討においても「世論調 査データの分析」というアプローチがされていましたね。 西辻:はい。今回検討した仮説は、今おっしゃったとおり 2 つあり ました。仮説 1 は、都市部と農村部の間の情報格差に注目したもの で、仮説 2 は、都市部と農村部の間の共同体意識の違いに注目した ものでした。 さらに、これら仮説の検証にあたっては、衆議院議員総選挙前後の 世論調査データの、統計的な分析を行いました。 池田:そしてその結果、2 つの仮説いずれについて、一定の妥当性 が確認されましたね。 西辻:はい。 池田:まず仮説 1 ですが、こちらの仮説は 3 つの部分から成り立っ ていましたね。 西辻:ええ、こちらの図に示されているとおりです。「農村部の有 権者達は、地元議員の情報を多く得ており」 、 「それが政治に対する 強い期待を生み」 、 「そうした強い期待から、投票率が高くなる」と いうものです。 17 池田:他方、仮説 2 についてですが、こちらは共同作業および共同 決定への志向と、投票率との関係を提起したものでしたね。 西辻:その通りです。 「しきたりの重視」という指標を使うことで、 この仮説の妥当性を見出すことができました。 池田:しかし、以上の検討においては若干の問題点もありましたね。 西辻:はい確かに、複数の問題点が指摘できました。 まず仮説 1 については 2 点。第 1 には、用いたデータのサンプル数 が少なかったことと、第 2 には、データの年代が複数にまたがって いたことです。 次に、仮説 2 については、仮説の妥当性が認められたのが「しきた りの重視」という、たった 1 つの尺度においてのみだった、という 点が挙げられます。 池田:それでは、以上のような分析結果から最終的な総括をおねが いします。 西辻:はい。今回我々は、都市規模と投票率との間になぜ一定の関 係が成立するかを検証しようとしました。そしてその理由として、 第 1 に情報格差、第 2 に共同体意識の違いというものを提起し、分 析を行いました。そして結果、一定の妥当性ありとの結論を下しま した。しかしこの分析は、先ほど述べたようにまだ十分なものでは ありませんので、今後もさらなる検討作業が必要です。また、今回 取り上げたもの以外の理由や要素についても、考える必要がありま す。 池田:なるほど、ところで西辻さん、今回こうした調査を行ったき っかけというものは、いったい何だったのでしょう?冒頭でもお聞 きしましたが、もう一度お答えください。 西辻:それは一言で言うと、投票率の低下に対する問題意識です。 18 我々は常に、このことを念頭において調査を行ってきました。 池田:では西辻さん、今回の調査結果から、投票率低下という問題 に対してどのような提言ができるでしょうか。 西辻:はい。まず、都市規模が小さいほど投票率が高い、という事 実が存在しますがしかし、だからといって、例えば都市を農村に変 えてしまえば問題が解決するのかといえば、そんな無茶なことはあ り得ないわけです。 池田:そうですね。仮に、都市部の投票率を農村部並みに高める、 という発想をとるのであれば、今回のような研究で導き出された調 査結果を参考にして、何らかの対策を講じることが現実的ですね。 西辻:まさにその通りです。例えば、今回の仮説1において、候補 者についての情報量という要素が指摘されました。ならば、この結 果を利用して投票率低下に対する何らかの対策を打てばよいので す。 池田:なるほど。 西辻:しかし、これは非常に重要なことなのですが、投票の「量」 的側面のみならず、「質」的側面にも注目することが必要です。例 えば・・・実は、今回、検証することはできませんでしたが、日本 の農村部における投票率の高さの背景には「動員」のメカニズムが 働いている、との解釈があります。 池田:動員、ですか。 西辻:はい。つまり、農村部の方が有力者からの投票の働きかけが 強いために、投票率も高いのではないか、との見方です。 池田:そうした投票のはたらきかけというものが、必ずしも健全な 民主主義のルールに背くとは限りませんよね。 19 西辻:ええ。ところが、農村における動員メカニズムについての見 解では、むしろ強制的な動員が想定されていることが多いようです。 池田:そうですか。とすると、「投票さえ行われればそれでよい、 というわけではない」ということもいえそうですね。 西辻:はい。しかし先ほど申し上げたとおり、私たちは今回こうし た動員のメカニズムについての分析を試みることはできませんで した。私たちはこうした点についても、これから研究を続けてゆき たいと考えています。 池田:わかりました。西辻さん、本日はどうも、ありがとうござい ました。 西辻:ありがとうございました。 池田:ここまで西辻健一郎さんの解説で、「なぜ農村部の方が都市 部よりも投票率が高いのか」というテーマでお送りしてまいりまし た。 この報告が、みなさん 1 人 1 人が投票参加について考えるひとつの きっかけとなれば、幸いに思います。 ここまでご覧いただいたみなさん、どうもありがとうございました。 注 (1) グラフ「衆院総選挙投票率の推移」は、明るい選挙推進協会ホー ムページの「衆議院議員総選挙における総選挙の推移」 (http://www.akaruisenkyo.or.jp/tohyo/t_01.html)に第 42 回総 選挙の数値を追加して加工したものである。 第 42 回総選挙の投票率については、総務省のホームページ「選挙 制度改革」の「第 43 回衆議院議員選挙結果(15.11.9 執行) (PDF)」 〈http://www.soumu.go.jp/senkyo/index.html)を参考にした。 (2)グラフ「市区・町村別 総選挙投票率の推移」は、蒲島郁夫『政治 参加』東京大学出版会、1988 年、138 ページ図 7‐1 を加工したも 20 のである。 (3)jeds96(「衆議院選挙に関する世論調査」)データは、調査者の 1人である同志社大学法学部西澤由隆教授より提供を受けた。 (4)JSS-GLOPE(「開かれた社会に関する意識調査」)データは、調査 者の 1 人である同志社大学法学部西澤由隆教授より提供を受け た。 21 2 誰がターゲットなのか? −ネガティブ・アドの効果− 清水佐恵子 Ⅰ.はじめに アメリカ大統領選挙では莫大な資金が集められ、それらの多く はキャンペーン、特にテレビコマーシャル(以下テレビ CM)の製 作と放送に費やされる。その中でも、最近利用が目立つのは「ネ ガティブ・アド(Negative-Ad)」である。1 ネガティブ・アドと は、自分に対立する候補を批判・中傷する内容の広告のことであ る。これは、どのような視聴者にどのような影響を及ぼしている のだろうか。 本稿の目的は、「選挙におけるテレビ CM の利用がどのような視 聴者にどのような効果を与えるのか」を明らかにすることである。 より具体的には、1) 最近、その利用が多くなっているネガティ ブ・アドについて、それが期待しているとおりの効果が実際にあ るのか。そして、2) 仮にあるとしても、(おしなべてすべての有 権者に対して同じ効果があるとは考えられないので、 )どのような タイプの視聴者に対して、その効果がより強く認められるのかの 2 点について検討したい。まず、前者を検討するために「ネガティ ブ・アドは、視聴者の候補者に対する好意度を降下させる」とい う命題を検証する。そして、後者を検討するために「政治的リー ダーを、その政策や能力ではなく、その「イメージ」で評価する 傾向の強い視聴者に対しては、ネガティブ・アドはより効果的で ある」・「政治関心の程度の高い視聴者より、政治関心の程度の低 い視聴者に対して、ネガティブ・アドはより効果的である」とい 22 う命題を検証する。検証のためのデータは、2004 年大統領選挙で 実際に使われたテレビ CM を用いた実験によって得られたものを使 用する。 次節以下、次の順に議論を進めていく。まず 2 節でアメリカ大 統領選挙におけるメディアの利用と政治広告について説明し、3 節 で命題と仮説を提示する。そして、4 節で仮説検証のための実験の 内容と手順を説明し、5 節で実験結果の分析を行う。そして、6 節 で考察を行う。 Ⅱ.メディア重視の選挙-アメリカ大統領選挙における政治広告冒頭でも述べた通り、アメリカ大統領選挙では支援集会やイン ターネットを通じた寄付で莫大な資金が集められ、それらの多く はテレビ CM の製作・放映に費やされる。2004 年選挙では 2004 年 4 月 1 日から 9 月 30 日までに、ブッシュ・ケリー両候補合わせて 約 2 億 5580 万ドルがテレビ CM に充てられた。2 両候補の選挙資 金の総額が 6 億 9000 万ドルで、統計の期間に差があることを考慮 すると、資金のおよそ半分がテレビ CM の製作・放映に充てられた といえる。3 今日のアメリカ大統領選挙において、テレビ CM が キャンペーンの中で重要な位置を占めているのだ。4 さて、キャンペーン中に有権者が目にする政治広告には様々な スタイルがあり、様々な視点から分類することが可能だが、今回 はポジティブ・アドとネガティブ・アドという分類にしたがって 議論を進めていく。今回、仮説とした「イメージ評価の傾向・政 治関心の程度」と政治広告の関係を考えるのに、それが有用な指 標となるからである。 それぞれの特徴を簡潔に整理するとすれば、次のようになる。 ポジティブ・アドとは、候補者の長所を訴える広告のことで、実 績の強調・自身の資質の強調といった内容について、候補者自身 の語りかけや市民・有名人が候補者を語るというスタイルで構成 されるのが一般的である。ネガティブ・アドは、対立する候補者 を攻撃する内容である。 ネガティブ・アドはテレビ広告時代の初期から放映されていた が、攻撃した側の候補者の支持率をも下げることになるとあまり 利用が増えなかった。しかし、1980 年代になると攻撃した側の候 23 補者の支持率をそれほど下げず、攻撃された側の候補者の支持率 を下げるという効果を政治コンサルタントが発見したことで、ネ ガティブ・アドの利用が発展してきた(飽戸 1994, p.250) 。今年 の選挙をみてみると、ケリー候補はテレビ CM の約 50%が、ブッ シュ候補は約 60%がネガティブ・アドであった。5 ネガティブ・ アドがいかに多く使われているかを示す事実である。 Ⅲ.命題と仮説−ネガティブ・アドの効果− これほどの資金が費やされているテレビ CM、特にネガティブ・ アドはどのような視聴者にどのような影響を与えるのだろうか。 命題の提示の前に、ネガティブ・アドと態度変化に関する研究の 先例として、ギャラモーン(1984)の研究を紹介する。ギャラモー ンの研究結果は以下の 2 点である。1 点目は、①攻撃した候補者を 支持/不支持②教育の程度③年齢④選挙への関与という要因によっ て、ネガティブ・アドの影響を受ける程度が違うということである。 2 点目は、どの候補者に投票するか決めておらず、かつ、教育程度 が高く、かつ、選挙への関与が強い人については、攻撃された候補 に対する好意度を下げるということである。 今回は前節で挙げた命題を検証するために①「ネガティブ・アド は、攻撃された候補者に対する好意度を降下させる」、特に②「政 治的リーダーを「イメージ」で評価する傾向の強い視聴者の好意度 を降下させる」、そして③「政治関心の程度の低い視聴者の好意度 を降下させる」という 3 つの仮説を立てる。 以下、便宜上、ネガティブ・アドを製作した候補者、つまり攻撃 をした候補者のことを「発信者」、攻撃された側の候補者のことを 「対立候補」と呼ぶこととする。 まず命題①では、ネガティブ・アドに期待される効果、つまり、 視聴者の対立候補への好意度を降下させるという効果があるのか を確認する。ネガティブ・アドを見ていない人より、見た人の方が 対立候補に対する好意度が下がるということが分かれば、その効果 は確認できる。 次に命題②について説明する。「イメージ評価をする傾向の強い 24 人」とは、「政策・争点重視の人」と対照に位置する人である。こ の「政策・争点重視の人」たちは、自らの政策・争点立場を認知し、 候補者の政策・争点立場を認知するため情報収集を行い、それらを 判断するという労力と時間をかけている。このような人々は 15∼ 60 秒の CM という少ない情報量で大きな態度変化が起こるとは考え にくい。一方、「イメージ評価に依存する」の場合、十分な情報を 持ち合わせない人でも簡単にイメージを作り上げることができる ので、それほど労力・時間・知識などがかからない。そのような人 は、ネガティブ・アドを見ることによって手に入る少ない情報だけ でも、簡単に判断を変えるということが考えられるのではないだろ か。 ウィーバーらが行った調査の中で、ある回答者が次のように回答 している(ウィーバー 1998, p.32)。 「だれも争点なんか気にしちゃいない。ほんとに問題なのは、 どんなやつが国を動かすのか、そいつは事が起こったとき、う まくやってくれるかってことさ。公約じゃなくて、そこにいる 人間を信じるんだ。誠実さとかさ、行動力とか、資質とか。そ れこそが、みんなにとっての本当の争点なのさ」 この調査はどのようなメディアにどの程度接触し、何を覚えていた かを聞き取り調査したものである。この調査においても、被験者た ちは争点に関する内容より、候補者に対するイメージに関する内容 の方をよく想起したことが指摘されている(ウィーバー 1988, p.32) 。 以上より、ネガティブ・アドの視聴前後の対立候補への態度変化 を見たときに、 「政策評価の傾向」の大きい視聴者より、 「イメージ 評価の傾向」の大きい視聴者の方が変化の程度が大きければ、この 命題は証明される。 また、「政治関心の程度」とネガティブ・キャンペーンの効果の 間にも関係が見られるのではないだろうかと考えたのが、命題③で ある。政治関心の高い人はそれなりに知識を持ち合わせ、それで判 断しようとするだろう。しかし、政治関心の低い人は概して政治に 関する知識を持っておらず、持とうとする気持ちもあまりないと考 えられる。それゆえに、テレビ CM のような、分かりやすい情報か 25 らの影響を大きく受けるのではないかと考える。対立候補への態度 変化をネガティブ・アドの視聴前後で比べたとき、政治関心の程度 の高い人より、低い人の方が変化の程度が大きければ、この命題は 証明される。 以上3つの仮説を図示すると図1のようになる。 図 1.ネガティブ・アドの効果についての仮説モデル図 ネガティブ・アド ① 態度変化 ②イメージ評価の傾向 ③政治関心の程度 Ⅳ.実験の内容と手順 前節で提示した仮説を検証するための実験の内容と手順を説明 する。 実験の内容は、被験者に 2004 年アメリカ大統領選挙で実際に使 われたテレビ CM を視聴してもらい、質問票の好意度の変化から、 視聴前後の態度変化を測定するというものである。 テレビ CM は全てケリー候補の公式サイトからダウンロードした もので、ポジティブな内容のテレビ CM(以下 P-AD)はケリー候補 をプラス評価するもの、ネガティブな内容のテレビ CM(以下 N-AD) はブッシュ候補をマイナス評価するものであった。なお、被験者 に見てもらった CM は英語でしか用意できなかったので、英語のス クリプトとそれを日本語に訳したものを配布した。6 つまり、今 回の実験で被験者に直接刺激を与えたものは2つ、映像による視 覚的情報とスクリプトによる内容である。 質問票の内容だが、事前調査では以下の 4 つの項目について質 問した。それは 1)イメージ重視か政策重視か、2)政治関心の程 度、3)それぞれの候補者の政策立場に対する認知、4)それぞれ の候補者への態度である。事後調査では、以上のうち 3)4)のみ を質問した。 実験の手続きは以下のとおりである。被験者は、同志社大学学 生 310 人であった。講義を担当されている先生方に了解を得て、 26 授業時間の一部に実験を実施した。7 まず、被験者には、 「政治的リーダーシップについての調査」と いう名目で事前質問票に回答してもらった。その後、昼休み直前 のクラスの場合は、そのクラスの終了の時点に事前調査を行い、 昼休み終了後にテレビ CM の視聴と事後調査を実施し、通常の授業 では、授業最初に事前調査を行い、そして 1 時間半ほど時間を置 き、テレビ CM の視聴と事後調査を実施した。テレビ CM を見ても らう前に「アメリカ大統領選挙のテレビ CM を見てもらう」と説明 してから実験に入った。 テレビ CM の内容は、グループ 1(統制群)には P-AD を 2 種類、 グループ 2(実験群)には統制群と同じ P-AD を 2 種類と N-AD を 1 種類の計 3 種類を見てもらった。 その順番は P-AD①→P-AD②→N-AD ①(N-AD①は実験群のみ)であった。テレビ CM を視聴する前に、 30 秒∼1 分 30 秒の時間をとり、P-AD①のスクリプトを読んでもら い、その後 1 番目の CM を見てもらった。刺激がきちんと与えられ るよう、スクリプトはまず日本語を読むように依頼した。スクリ プト→テレビ CM という流れを 2 回(グループ 2 は 3 回)繰り返し た後に、事後質問票に回答してもらった。 グループ 1 には P-AD を 2 種類、グループ 2 にはそれらに加えて N-AD を 1 種類見せているので、もしも両者の態度変化(好意度の 変化)の程度に差があれば、それはこの刺激の差、即ち N-AD の効 果といえる。 Ⅴ.実験結果の分析 ⅰ.変数の作業定義 各変数の作業定義はつぎのとおり。 1.好意度変化(従属変数・200 点尺度) 事前・事後調査の各候補者に対する感情温度を、好意度の指標 として、その変化をみた。感情温度とは、対象への気持ちを温度 にたとえたもので、最も温かい場合を 100 度、最も冷たい場合を 0 度、温かくも冷たくもない中立の場合を 50 度として回答を求めた。 「温度変化」は、 「視聴後の感情温度」−「視聴前の感情温度」で 求めた。よって、温度変化がマイナスであることで「好意度降下」 27 を表している。 2.「ネガティブな内容のテレビ CM 視聴」の有無(独立変数) N-AD を見た被験者には有=1 を、見ていない被験者には無=0 のダ ミー変数を用意した。 3.「イメージ」評価の程度(媒介変数 1・12 点尺度) 事前調査で「政治的なリーダーを評価するときに大切だと思う ものを上位3つ」回答してもらい、順位ごとにポイントをつけた。 (1 位=3 点、2 位=2 点、3 位=1 点、他=0 点)。選択肢は、 「イメー ジ評価」に関するものと「政策評価」に関するものが互いに排他 的になるように用意した。 イメージ的項目(人柄・外見的な魅力・信頼性・力強さ・正直 さ)に順位がつけられた場合はプラスの、政策・争点立場的項目 (経歴・実行力・判断力・政策立場・所属政党)に順位がつけら れた場合はマイナスのポイントとして合計した。例えば、「1 位= 人柄・2 位=経歴・3 位所属政党」の場合、3−2−1=0 となり、 「イ メージ」評価の程度は 0 ということになる。 4. 政治関心の程度(媒介変数 2・10 点尺度) 事前調査で 6 つの選択肢(政治に関すること・スポーツ/芸能の こと・趣味のこと・社会に関すること・授業/勉強に関すること・ 最近身の周りで起こったこと)の中から「あなたが日頃よく話題 にすることを上位3つ」回答してもらい、順位ごとにポイントを つけた。(1 位=3 点、2 位=2 点、3 位=1 点、他=0 点)。「政治」 「社 会」はプラスのポイント、その他の選択肢はマイナスのポイント として合計した。例えば、 「1 位=政治・2 位=社会・3 位スポーツ /芸能」の場合、3+2-1=4 となり、政治関心の程度は 4 ということになる。 5.インターアクションターム インターアクションタームとは、交互効果を表す変数である。 これは、2つの条件がそろったときに、期待される効果がより強 く現れるかを見るときに有効な変数となる。なぜならば、どちら 28 か一方からの影響を受けない場合、変数値は全て「0」となり、両 方から受ける場合のみ「1」となるからである。 「イメージ評価の程度(マイナス=0、プラス=1)」と「N-AD の有無(無し=0、有り=1) 」をかけ合せたもの・ 「政治関心の程度 (マイナス=0、プラス=1)」と「N-AD の有無(無し=0、有り=1) 」 をかけ合わせたものそれぞれをインターアクションタームとして 用いる。今回の仮説では、 「N-AD を視聴し、かつ、イメージ評価の 程度が高い人」にのみ変数値「1」が与えられ、彼らの好意度降 下の程度が、彼ら以外の被験者より大きければ、N-AD と「イメー ジ評価」の2つが関連をもち、かつ、好意度の変化により強い影 響を与えるということが分かる。 ⅱ.仮説の検証 ①N-AD の態度変化に与える影響、②「イメージ」評価の傾向の 程度と N-AD による態度変化の関係、③政治関心程度と N-AD によ る態度変化の関係という順で検証する。 まず、N-AD の有無が態度変化に与える影響を度数分布で表すと、 表1のような結果となった。 表1.態度変化と N-AD の有無の関係 ブッシュに対する態度変化 N-ADの有無 態度変化 なし あり マイナス 10.5 25.0 変化なし 84.2 68.9 プラス 5.4 6.1 % 100 100 N 57 132 ケリーに対する態度変化 N-ADの有無 態度変化 なし あり マイナス 5.3 9.8 変化なし 59.6 49.2 プラス 35.1 41.0 % 100 100 N 67 132 この表から 3 つのことが確認できる。 1.N-AD の有無・候補者の違いに関わらず、 変化なし が最も多い。 2.実験群の方が、統制群に比べて 15%変化した人が多いが、その大 部分(14%)がマイナスの方向に働いている。つまり、N-AD を見 ていない人より見た人の方が、ブッシュに対する好意度が下がっ ている割合が多い。これより、N-AD は攻撃された側に対する好意 度を下げることに強く影響しているということが言える。 29 3.P-AD と N-AD の両方を見て、ケリーに対する感情温度に変化があ った人は 50%で、P-AD しかみていない人のそれ(40%)より、 10%多い。しかし、その 10%の人はプラス・マイナスにほぼ半数 ずつ変化しているので、N-AD が攻撃側に対する好意度上昇・降下 のどちらかに偏っていない。 また、T 検定で統計的危険率を検証したところ、表 2 のようになっ た。 ブッシュに対する温度変化に影響していることは統計的に有意 と言ってよいだろう。対ケリーついては、危険率が高いので統計 的に有意だとはいえない。 表 2.T 検定による統計的危険率の検討 温 度 変 化 の 平 均 値 (度 対 ブッシュ 対ケリー ネ ガ テ ィ ブ ア ド 無 し -1.11 4.68 ネ ガ テ ィ ブ ア ド 有 り -3.42 4.15 t値 1.701 0.338 危 険 率 (% ) 9.1 73.5 次に命題②を確認する目的で回帰分析をおこなった。本稿では 「イメージ評価の傾向が大きい」視聴者がネガティブ・アドの影 響をより強く受けるという仮説を立てたので、①N-AD の有無、② 「イメージ評価の傾向」③「N-AD の有無×イメージ評価の傾向」 のインターアクションタームの 3 つを変数として投入した。 なお、 先の T 検定で有意と考えられる、ブッシュに対する温度変化のみ を従属変数としたため、結果の式は 1 つで、yはブッシュに対す る温度変化の程度を示す。結果は式 1 のようになった(変数名下 は危険率) 。 式 1. イメージ評価の傾向が態度変化に及ぼす影響 8 y=−0.521−2.314×N-AD の有無−0.251×イメージ評価の傾向−0.117×IT (23.5%) (70.4%) (96.0%) インターアクションタームの部分がマイナス、つまり「N-AD を 見て、かつ、イメージ評価の傾向が強い」人の好意度が降下する 30 予想だったが、この結果からはその効果は確認されなかった。 同様に命題③を確認した。変数は、①N-AD の有無、②「政治関 心の程度」③「N-AD の有無×政治関心の程度」のインターアクシ ョンタームの 3 つである。こちらも命題②と同じ理由で、ブッシ ュに対する温度変化のみを従属変数とした。結果の回帰式を式 2 に示す(変数名の下は危険率)。 式 2. 政治関心の程度が態度変化に及ぼす影響 y=−1.063−2.452×N-AD の有無−0.149×政治関心の程度+2.915×IT (10.5%) (92.4%) (55.4%) こちらも、インターアクションタームの部分がマイナス、つま り「N-AD を見て、かつ、政治関心の低い」人の好意度が降下する 予想だったが、この結果からはその効果は確認されなかった Ⅵ.考察 以上の結果から、先に挙げた仮説①は確認され、②と③は確認さ れなかった。つまり、ネガティブ・アドは相手に対する好意度を下 げるが、「イメージ評価の傾向」と「政治関心度」は、その降下の 程度に影響を及ぼす原因であるとは必ずしも言えないというのが、 今回の実験から得られた結論である。 しかしながら、ネガティブ・アド視聴者全員にではなく、一部の 視聴者のみについて好意度降下が見られたのだから、そこには何か しらの原因があると考えられる。今後も引き継がれるべき研究課題 である。 今回の実験で結果に影響を及ぼしたと考えられる問題点を 2 つ 指摘する。 1 つ目は、刺激の与え方である。英語でしか CM が用意できなか ったため、テレビ CM から目からの情報は得られたであろうが、耳 からの情報は得にくくかった。さらに、テレビ CM そのものからで はなくスクリプトから、内容的な刺激を得ることになったというこ とである。 31 2 つ目は、質問表の設計である。過去に行われた同様の実験の質 問票や今回の実験で刺激として与えたテレビ CM を見ながら、適切 な選択肢を用意したつもりではあるが、ここも改良の余地があるだ ろう。例えば、「イメージ評価」か「政策評価」の質問を選択方式 ではなく、自由回答方式(被験者自身が思いつく言葉で回答しても らう)に変えることで、より被験者の重視するものが明確になると 考える。 最後に今後のネガティブ・アドについて考えてみたい。アメリカ では最初に見たとおり、これからも増加傾向にあると考えられる。 日本ではどうだろうか。公職選挙法の関係でアメリカ大統領選のよ うに多額の費用はかけられないものの、ネガティブ・アドは何度か 選挙時に使われている。1996 年 10 月の総選挙から明示的なネガテ ィブ・キャンペーンが行われるようになり(池田 2004, p. 43)、 2004 年 7 月に行われた参議院選挙でも、自民党が民主党に対する ネガティブ・アドを新聞(全国紙)の全面広告として掲載したこと は、今後、日本においてもネガティブ・キャンペーンがより盛んに なる可能性があることを示唆するものだと私は考える。9 謝辞 今回の研究にはデータ収集のための実験が不可欠であった。実験 実施を快諾してくださった東良彰先生(マクロ経済学)、池田太臣 先生(社会学概論)、そして回答に協力してくださった受講生の皆 さんに感謝を申し上げたい。 1 これの反対は「ポジティブ・アド(Positive-Ad)」である。説明 は後述。 2 a TNS Media Intelligence/CMR company 編,2004 年 http://www.tnsmi-cmag.com/ 2004 年 10 月 30 日参照 3 TRKCINC 編,2004 年 http://www.tray.com/cgi-win/pml1_sql_efview.exe?DoFn=C00383 6532004&server=PML2 2004 年 12 月 14 日参照。なお、CM にかか った費用は 2004 年 4 月から 9 月の合計、選挙資金総額は 2004 年 1 月から 11 月である。 4 その具体例として、民主党予備選挙中のネガティブ・キャンペー ンに対する、ブッシュの反撃キャンペーンが挙げられる。日経新聞 2004 年 3 月 6 日 5 CM の総数・種類は以下のウェブサイトに掲載されていたものを 32 集計・分類した。Cable News Network 編,2004 年 http://www.cnn.com/ELECTION/2004/special/president/campaign .ads/ 2004 年 11 月 3 日参照 6 スクリプトの一部・CM の一部を資料として添付しているのでご参 照いただきたい。なお CM は以下のウェブサイトから入手した。 Kerry-Edword2004Inc 編,2004 年,http://www.johnkerry.com/ 2004 年 10 月 7 日参照。また、使用可能なテレビ CM の都合上、 候補者は共和党・G.W ブッシュ候補、民主党・J.ケリー候補の 2 人に限定した。 7 調査対象:同志社大学 2004 年度秋学期開講クラス 「マクロ経 済学-2」受講生 100 人(統制群)・「社会学概論-2」受講生 210 人(実験群) 。なお実験は 2004 年 10 月 28 日に行った。 8 スペースの都合上、回帰式の中ではインターアクションタームを 「IT」と表記する。 9 この自民党の全面広告は、日経新聞の場合、2004 年 7 月 7 日に 掲載された。 《参考引用文献リスト》 Garramone,C.M 1984. Voter response to negative political Ad. Journalism Quaterly 61, 250−259 飽戸弘,1994. 『政治行動の社会心理学』福村出版 飽戸弘,1989. 『メディア政治時代の選挙』筑摩書店 池田謙一編,2001 年. 『政治行動の社会心理学』北大路書房 D.ウィーバー,1988 『マスコミが世論を決める―大統領選挙とメデ ィアの議題設定機能―』勁草書房 33 資料:テレビ CM・スクリプトの内容(一部抜粋) P-AD①Ingenuity より 「仕事を生み出すために、私たちは、 小企業を支援しなければなりません。 そのじゃまをするなんてもってのほか です。 (中略)壮大な計画、より強いア メリカのために・・・」 P-AD②Lifetime より 「(前略)奉仕と力強さに満ち溢れた半 生、大統領にふさわしい、ジョン・ケ リー・・・」 N-AD①Right track より 「(前略)ジョージ・ブッシュには、イ ラクの混迷から抜け出す計画がありま せん。ジョン・ケリーにはあります。」 3 保革イデオロギーと 投票行動 三浦正裕 1.はじめに 1990 年代における社会主義・共産主義の崩壊によって、保革イ デオロギーは消滅した、もしくはこれから消滅するであろうといっ た議論がある。「イデオロギーの終焉論」は 1950 年代から存在し ており、そして今、まさに「保守‐革新」という対立軸が失われよ うとしていると様々な議論で論述されている。日本においても、 1993 年 7 月に非自民8党派の連立政権が発足し、1994 年 6 月 29 日には自社さ連立政権という、それまでイデオロギー的な距離にお いて遠く離れた自民党と社会党の連立という事態が生じた。こうし た時代の流れの中で、保革イデオロギーは失われていったと言われ ている。 しかしながら、その一方で、現在も様々な論文の中で、政党や有 権者が「保守系‐革新系」という対立軸で捉えられているのも事実 である。それらのなかには、例えば加藤・レイヴァーによる政治専 門家調査がある。i この専門家調査を用いて著者らは左‐右イデオ ロギー軸上の各政党の位置付けを表 1−1 のとおり行っている(加 藤・レイヴァー 2003, 132)。このように、政治学の専門家が政 党をいまだに左‐右のイデオロギー軸に当てはめて捉え得るのな らば、一般有権者においても左‐右のイデオロギー対立軸は投票に 34 おける指標として有効ではないかという疑問が生じた。というのは、 そうした保革イデオロギーというのが、長い間、日本における有権 者にとって投票における意思決定の非常に安価な指標であったか らである。 表 1−1.専門家調査による 1996 年及び 2000 年における各政党の保革位置 自民 新進 民主 共産 社民 1996年 15.35 16.15 9.28 2.75 7.25 2000年 15.08 9.53 2.98 5.24 公明 自由 11.91 16.89 *最も左翼的な立場=1;最も右翼的な立場=20 そこで、本稿では、まず 2 節で先述の疑問を晴らすべく、一般有 権者において保革イデオロギーがどれほど有効であるかについて 検証していく。そして 3 節ではもしそれが有効であるならば、なぜ 有権者自己認識レベルで「中道化」が生じているのか、という点に ついて考える。そして、4 節では本稿の内容に振り返り、総括をし たいと思う。 2.保革イデオロギーの有効性 2−1.保革イデオロギー まず保革イデオロギーについて説明をする。政治イデオロギーは 「国家、階級、政党そのほかの社会集団が国際ないし国内政治にた いしていだく表象、願望、確信、展望、幻想などの諸観念の複合体」 とされている(中村・丸山・辻 1954) 。その定義に従って、本稿 では、社会集団が各々の政治的立場をより明確にするために用いら れる集団の信念といったものとして捉える。 こうしたイデオロギーの中で、 「①政党や候補者をこの対立軸に 沿って位置づけることが比較的容易であり、②支持なし層を含めて 35 自分自身の立場も比較的明確である場合が多く、さらに、③さまざ まな争点対立を統合する軸として政策評価の影響を部分的に吸収 し、④感情的な反応も引き起こしやすい」といった点から重要な役 割を果たしてきたものとして保革イデオロギーがある(平野ほか 2001, 182) 。保革とは「保守‐革新」のことであり、現代日本に おいて通常、保守は右翼もしくは反動的とされ、革新は左翼や社会 主義もしくはそれに近い概念として捉えられている(蒲島・竹中 1996, 31)。この保革イデオロギーは有権者にとって情報処理の 負担が小さな意思決定を可能とする投票の指針となりやすかった。 さて、本稿で保革自己認識を作業上扱うために用いる保革自己イ メージについてここで説明をしておく。世論調査では、一般的に、 被調査者に対して「あなたご自身を保守系支持者と思われますか、 革新系支持者と思われますか」といった質問をして、保守―革新の 尺度上に自己位置づけをしてもらう。その結果として出てきた一次 元尺度の保守―革新次元を、三宅は保革自己イメージと名付けてい る(三宅 1985, 203)。本稿で保革イデオロギーを考える際には、 この保革自己イメージを用いる。 2−2.保革イデオロギーと政党支持 それでは、有権者において保革イデオロギーは指標としてどのぐ らいの有効性を保持しているのかという疑問点について実際に検 証する。より具体的には、次の2つの検討をする。1)保革イデオ ロギーと政党支持の関係と、2)保革イデオロギーと実際の投票政 党の関係である。ii なお、本稿では一貫して、明るい選挙推進協会(以下、明推協) の選挙後調査データを用いる。それは、「保革自己イメージ」の変 化を時系列的に見る事が出来るためである。そのうち、ここでは、 1996 年衆議院選挙・1998 年参議院選挙・2000 年衆議 36 院選挙・ 2001 年参議院選挙の四選挙後の調査データを使用した。 保革イデオロギーと政党支持についてクロス集計を行ったもの が表 2−1 になる。表の数字は「革新・やや革新・中間・やや保守・ 保守」といった五つの自己イデオロギー尺度に基づいたグローブご との各政党支持の割合(%)である。例えば 1996 年衆議院選挙の ものを見れば、イデオロギー尺度が「革新」に人のうち 26%が新 進党、6%が自民党、20%が共産党を支持しているということに なる。 表 2−1.イデオロギーと政党支持(%) 1996 年衆議院選挙 1998 年参議院選挙 革新 やや革新 中間 やや保守 保守 革新 やや革新 中間 やや保守 新進 26 17 14 13 7 自由 0 3 0 2 保守 1 自民 6 11 28 56 80 自民 4 8 21 57 71 民主 6 7 4 5 1 公明 5 7 7 2 0 社民 19 14 4 3 1 民主 5 20 11 7 6 共産 20 10 3 1 0 社民 14 11 4 2 2 その他 2 1 2 2 2 共産 40 11 2 1 1 支持なし 22 40 46 21 8 その他 5 1 2 0 0 N(人数) 65 234 702 431 300 支持なし 28 40 53 29 19 N(人数) 81 304 742 417 238 (小数点第 1 位で四捨五入しているので、100%にならない箇所がある。以下同様) 2000 年衆議院選挙 2001 年参議院選挙 革新 やや革新 中間 やや保守 保守 革新 やや革新 中間 やや保守 自由 2 7 3 4 2 自由 3 2 2 5 保守 1 自民 2 9 21 48 86 自民 13 20 28 57 81 2 公明 2 2 6 4 2 公明 5 4 10 5 民主 21 26 17 15 2 民主 21 17 10 6 1 社民 15 9 4 2 1 社民 6 10 3 1 1 共産 32 9 2 1 0 共産 21 6 3 0 0 その他 1 0 0 0 0 その他 0 2 1 1 1 支持なし 24 39 46 26 8 支持なし 31 39 43 26 12 N(人数) 91 294 676 485 326 N(人数) 67 268 717 432 296 まず、1996 年の場合を見てみると、 「革新」系の人は第1に新進 党を支持し、第2に共産党を支持し、第3に社民党を支持している。 また「やや革新」系においては社民党と共産党を合計して 24%の 37 支持を得ている。結局のところ革新政党とされる、共産党と社民党 の「革新」 「やや革新」系における支持は約 4 分の1から約 3 分の 1である。それに対し、 「保守」系では 80%もの割合で自民党が支 持を得ており、「やや保守」系でも過半数で支持を得ている。つま り「保守」系における自民党支持は「革新」系における社民党・共 産党支持に比べて相関が非常に強いと言える。この傾向は 98・00・ 01 年における結果を見ても明らかである。 しかし、表 2−1 をそれぞれ横に見てみると、自民党においては 「革新」から「保守」まで直線的に政党支持が伸びており、明瞭な 相関関係が窺える。また、社民党と共産党のいずれにおいても、 「革 新」から「保守」まで直線的に政党支持が減少している。つまり相 関関係を捉える事ができるのである。つまり拘束力の強弱こそ存在 するものの、 「保守」と自民党支持、 「革新」と社民党または共産党 支持にはそれぞれ相関関係がみられ、よって政党支持においてはい まだ保革イデオロギーが有効な指標であることが分かる。 2−3.保革イデオロギーと投票政党 次に、投票政党が保革イデオロギーによってどの様に異なるかを 見てみよう。この検証に用いるデータも明推協選挙後調査である。 ここでは、保革イデオロギーと投票政党のクロス集計を行った。そ の結果をまとめたものが表 2−2 である。iii 表 2−2.イデオロギーと投票政党(%) 1996 年衆議院選挙(小選挙区) 新進 自民 民主 社民 共産 その他 革新的 34 20 5 9 32 0 N(人数) 56 やや革新的 31 16 16 10 21 7 166 中間 34 37 12 3 6 7 448 やや保守的 23 60 8 2 2 7 336 保守的 13 76 2 0 2 7 249 r = 0.33 38 1996 年衆議院選挙(比例代表区) 新進 自民 民主 社民 共産 その他 革新的 33 9 12 16 30 0 N(人数) 57 やや革新的 31 11 20 13 21 4 175 中間 34 32 17 6 7 5 453 やや保守的 25 55 13 2 2 3 337 保守的 13 75 3 1 3 5 249 r = 0.35 1998 年参議院選挙(選挙区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 0 7 5 10 10 55 15 N(人数) 62 やや革新的 5 10 5 35 9 23 12 224 中間 3 32 10 26 6 11 13 486 やや保守的 4 58 4 23 2 3 7 306 保守的 1 73 2 14 2 4 6 199 r = 0.47 1998 年参議院選挙(比例代表区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 0 5 11 11 13 57 3 N(人数) 62 やや革新的 6 8 11 35 15 23 2 228 中間 4 26 16 33 8 10 3 477 やや保守的 5 53 5 27 4 3 2 319 保守的 1 72 2 17 2 4 2 194 r = 0.46 2000 年衆議院選挙(小選挙区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 1 8 3 31 13 39 6 N(人数) 72 やや革新的 7 12 2 50 7 17 4 218 中間 5 36 6 36 7 6 5 443 やや保守的 3 59 3 22 2 3 8 393 保守的 2 88 1 6 0 0 2 282 r = 0.52 2000 年衆議院選挙(比例代表区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 1 3 4 29 19 39 6 N(人数) 70 やや革新的 13 8 4 46 13 16 1 227 中間 7 27 12 38 8 7 2 445 やや保守的 7 47 7 29 3 4 2 394 保守的 2 83 4 9 1 0 1 280 r = 0.47 39 2001 年参議院選挙(選挙区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 4 27 4 27 8 25 6 N(人数) 49 やや革新的 3 29 7 30 11 12 9 185 中間 5 45 12 21 4 6 7 469 やや保守的 5 67 8 13 2 1 5 328 保守的 1 90 3 3 1 0 1 235 r = 0.41 2001 年参議院選挙(比例区) 自由 自民 公明 民主 社民 共産 その他 革新的 6 21 6 24 6 30 6 N(人数) 33 やや革新的 4 22 6 29 17 14 8 126 中間 7 42 11 21 5 8 6 283 やや保守的 9 60 8 12 2 1 7 227 保守的 1 92 1 1 1 1 3 159 r = 0.45 この表の見方であるが、例えば 2001 年参議院選挙(比例区)の 表を見ると、 「革新的」な人のうち6%が自由党に投票し、21%の 人が自民党に投票していることが分かる。また、「保守的」な人の うち1%が自由党に投票し、92%の人が自民党に投票していると いう事を示している。 そこで、96 年の投票政党と保革イデオロギーとの関係から見て いくと、保革イデオロギーと投票政党には相関関係がかなりの程度 見られる。たとえば、各選挙における自民党への投票を見ると、96 年の小選挙区では「革新的」有権者の 20%から「保守的」有権者 おいては 76%へと伸びているし、同年比例代表区においても「革 新的」有権者の 9%から「保守的」有権者の 75%へと増えている。 いずれの選挙結果からみても、これと同様の相関が示されている。 また社民党や共産党への投票を見ると、自民党の場合とは逆に、有 権者が「保守的」に近づけば近づくほど投票は落ちている。以上よ り、保革イデオロギーと投票政党には相関関係がある。 40 また次に、1996 年においては共産、社民、民主、自民、新進の 5 党で、また 1998 年・2000 年・2001 年においては共産、社民、 民主、公明、自民、自由の 6 党で、投票政党と保革イデオロギーと のピアソン相関係数を計算してみた。その際、それぞれの政党の保 革における政党位置としては前述の専門家調査を使用した(表 1− 1)。すなわち 1996 年では共産党を 2.75、社民を 7.25、 民主を 9.28、 自民を 15.35、新進を 16.15 と数値化した。また 1998 年・2000 年・ 2001 年では共産を 2.98、社民を 5.24、民主を 9.53、公明を 11.91、 自民を 15.08、自由を 16.89 と数値化した。保革イデオロギーにつ いては、 「革新」を1として、以降「やや革新」を2、 「中間」を3、 「やや保守」を4、「保守」を5と数値化した。結果として算出さ れた係数は表 2−2 の右下にある r の値である。 係数を見ていくと、96 年衆議院選挙の小選挙区では 0.33 と相対 的に低くなっており、98 年参議院選挙の選挙区では 0.47 と盛り返 し、00 年衆議院選挙の小選挙区では 0.52 と高い相関を示している。 結果としては蒲島・竹中の研究によるものに比べると確かに相関は 弱くなっている。iv しかしながら、1996 年こそピアソンの相関係 数は 0.33 と低くなっているものの、1998 年以降相関係数が決して 減少傾向にはなってはいないということが分かる。また各相関係数 をみても、それら自体が強い相関が窺えるものである。以上より、 現在においても、保革イデオロギーは投票行動について強い影響を 及ぼしていると言えそうである。 2−4.保革イデオロギーの有効性 以上に見てきた通り、1)保革イデオロギーと政党支持の関係、 2)保革イデオロギーと投票政党との相関といった2つの観点から、 保革イデオロギーは有権者個人の意思決定をするための指針とし て現在も確固たる有効性を保持している事が分かった。 41 しかしながら、現在様々な研究の中で、有権者の保革自己認識が 「中道化」を指し示されている。では、先に述べたとおり保革イデ オロギーが個人の意思決定として有効であるならば、なぜ有権者の 保革自己認識上に「脱イデオロギー」化が生じているのか。次節で は、その疑問について考察を行う。 3.保革自己認識上の「脱イデオロギー」 3−1.保革自己認識レベルでの「中道化」 まず、保革自己認識レベルにおいて中間が増えるという、有権者 の「中道化」は本当に進んでいるのだろうかということについて実 際に確認する。下記の表 3−1 では、明推協調査によって、1972 年の衆議院選挙から 2001 年の参議院選挙にいたるまでの保革自己 認識の位置付けがまとめられている。v この表では、各選挙後の調査において「革新」から「保革」まで の有権者の自己定位をパーセントで表している。よって、この表に よって保革自己認識レベルで「中道化」が生じているかを見てみる。 まず、 「中間」についてみると 72 年では 31%なのに対し、01 年で は 41%になっている。これは時系列的に見て、有権者の保革自己 認識が「中間」に寄るという現象が実際に生じている事を示してい る。また、 「革新」についても 72 年の 28%から 19%へと減少して いる。 「保守」では、72 年が 41%で 01 年が 40%であり、たいし た変化は見られないが、83 年や 86 年の 50%という「保守系」の 高まりと比べると 01 年はやはり減少していると言える。 42 表 3−1.保革自己定位の変遷(%) 革新 中間 保守 N(人数) 72年衆議院 28 31 41 2288 74年参議院 33 32 36 2239 76年衆議院 26 35 40 2210 83年衆議院 19 32 50 2274 86年同日 18 33 50 2215 89年参議院 21 38 41 1980 90年衆議院 22 31 47 2030 92年参議院 18 37 44 1939 93年衆議院 20 34 46 2028 95年参議院 21 41 39 1811 96年衆議院 18 41 41 1835 98年参議院 21 43 36 1896 00年衆議院 21 37 43 1977 01年参議院 19 41 40 1856 (小数点第1位で四捨五入しているので、100%にならない箇所がある。) 以上の事より、保革自己認識レベルで「中道化」が進んでいるこ とが確認された。では、そのような保革自己イメージにおける「脱 イデオロギー」が、何故進んでいるのかについて以下で考察をする。 3−2.「中道化」を生じさせる原因 無党派層の変遷 ここでは保革自己認識レベルでの「脱イデオロギー」について分 析するのだが、無党派層の変遷がそれに関係していないかと考えた。 無党派支持層の増加は、イデオロギーの拘束力の低下によるものと 考えられることがある。しかし私は逆に無党派支持層の台頭によっ て有権者全体としての保革自己認識レベルでの「中道化」が引き起 こされている面もあるのではという仮説を立て、以下それを検証し ていく事にする。そこでは、まず無党派層の保革自己認識について 考察をする。 明推協調査を用いて、1989 年から 2001 年にかけての無党派支 持層における保革自己認識の分布割合をパーセントで表したもの が下記の表 3−2 である。この分析では、政党支持の項目から無党 派支持を独立させている。また、この表では保革自己認識自体の変 遷との比較をし易くするために、各選挙での回答者全員の保革自己 43 認識の分布状態も同時に記している。それがカッコ内の数値である。 それでは実際に表を見てみると、例えば 89 年において「中間」 は無党派において 60%なのに対して全体では 38%というように、 無党派層では「中間」の割合が高い。また「保守」について見ると、 無党派層では 89 年では 6%、90 年では 4%と比較的低いが、全体 では 89 年で 19%、90 年で 22%である。以上のように「革新」か ら「保守」の分布を個別に見たならば、無党派層の保革自己認識と 全体の保革自己認識には違いが大きい。 表 3−2.無党派支持層の保革自己認識(%) 1989年参議院 1990年衆議院 1992年参議院 1993年衆議院 1995年参議院 1996年衆議院 1998年参議院 2000年衆議院 2001年参議院 革新 やや革新 中間 やや保守 保守 N(人数) 2 13 60 19 6 516 (5) (16) (38) (23) (19) 2 21 52 22 4 (5) (17) (31) (25) (22) 2 14 56 23 6 (4) (15) (37) (24) (20) 3 18 51 24 6 (5) (15) (34) (27) (19) 2 18 56 20 4 (4) (17) (41) (25) (14) 3 17 60 17 4 (4) (14) (41) (25) (17) 3 17 56 17 7 (4) (17) (43) (23) (13) 4 19 52 21 4 (5) (16) (37) (26) (17) 4 18 53 19 6 (4) (15) (41) (24) (16) 457 581 562 635 547 703 601 583 (小数点第1位で四捨五入しているので、100%にならない箇所がある。また表のカッコ内の数値は 保革自己認識全体の割合を示している。 ) しかしながら表 3−2 の数値を縦に見ていくと、例えば無党派支 持において、 「中間」では 89 年から 90 年にかけてはマイナス傾向 がみられ、90 年から 92 年はプラス傾向である。それに対して、全 44 体でも 89 年から 90 年にかけてはマイナス傾向で、90 年から 92 年ではプラス傾向である。こうした時間による無党派支持層の保革 自己認識の変遷と全体の保革自己認識の変遷の類似性は「革新」 「や や革新」 「やや保守」においても同様に見られる。viまた、有権者全 体の政党支持における無党派支持層の割合は 72 年の 18%から 01 年には 35.4%へと増加している。vii これは、上記による表 3−1 での、有権者全体の保革自己認識における「中間」の増加とも合致 している。よって、無党派支持層の「中間」の割合の大きさが、保 革自己認識における「中道化」を生じさせている原因のひとつなの ではないかと考えた。 そこで、無党派支持層の保革自己認識の投票行動への有効性を確 認することにしたい。そのために、2001 年の明推協調査データを 用い、無党派支持層の保革自己認識を「革新」を1、「やや革新」 を2、「中間」を3、「やや保守」を4、「保守」を5として数値化 した。また、2節で用いた、専門家調査の結果による 6 政党の位置 づけ(共産を 2.98、社民を 5.24、民主を 9.53、公明を 11.91、自 民を 15.08、自由を 16.89)による投票政党を再び使用した。それ から無党派支持層の保革自己認識と投票政党の間の関係を見るた めにピアソン相関係数を調べた。結果は選挙区では.280 であり、 比例区では.278 であり、それぞれにおいて、無党派支持層の保革 自己認識と投票政党の間には相関が見られる。これにより、無党派 支持層においても保革自己認識は投票行動に影響を持っている事 が分かる。 以上の事より、無党派支持層においても保革自己認識は投票行動 に影響を持っており、さらにその無党派では「中間」の割合が多い という事が示せた。2 節で示したとおり、有権者全体の保革自己認 識の分布と政党支持に相関があるとするならば、保革自己認識の 「中道化」は、イデオロギーの拘束力の低下が契機であるというよ 45 り他に、「中間層」が多い無党派支持層の台頭が原因の一端を担っ ていると言える。 4.総括 以上のように、2 節では有権者における意思決定の指針としての 保革自己認識の有効性を示し、3 節では保革自己認識の「中道化」 を引き起こしている原因について考察を行った。先述のとおり 2 節では保革自己認識が強い影響を及ぼしているという事が分かり、 3 節では無党派支持層の台頭によって保革自己認識の「中道化」が 影響を受けているという一面があることが示せた。よって本稿によ って、保革イデオロギーが現在も有権者にとって有効な投票行動の 指針であるということがある程度示せたのではないかと思う。 しかしながら、本稿では有権者の保革自己認識における「中道化」 の原因として、無党派支持層の変動という一面からしか考えられは いない。実際は様々な影響を受けているはずであり、本稿ではそれ らの他の原因については目を瞑るかたちになっている。しかし、本 稿の最初の目的は有権者における意思決定の指針としての保革自 己認識の有効性を示すことであり、それについてはある程度出来た のではないかと思う。よってそれらの問題点は私の今後の課題とし、 本稿はこれで脱稿とする。 注 i 1992 年のレイヴァーとハント、1998 年の加藤とレイヴァー、また 2003 年の加藤とレイヴァーによる選挙後の専門家調査において、日本 の政治専門家によって各政党が左右イデオロギー軸に位置づけられて いる。 ii これらの分析は、先行研究として蒲島・竹中も行っている(蒲島・ 竹中 1996, 第 8 章)。よって私は、そこで行われている分析(1983 ‐1992)以降のものを取り扱う。 46 iii 1996 年のものについては議席数が多い上位 5 政党、1998 年・2000 年・2001 年においては議席数が多い上位 6 政党について調べた。また、 各選挙につき(小)選挙区と比例代表区の2つずつの計8つの場合につ いてまとめている。 iv 蒲島・竹中による分析で、ピアソン相関係数は、83 年参議院の比 例代表区で 0.54、同年参議院の選挙区において 0.51、また同年衆議院 では 0.58 であり、89 年参議院の比例代表区では 0.59、90 年衆議院で は 0.65、92 年参議院の比例代表区においては 0.59 という値が示されて いる(蒲島・竹中 1996, 315)。ただし、蒲島・竹中の研究において は政党の位置づけが有権者によるものであり、単純な比較はできない。 v 72 年から 86 年までのデータでは、保革自己認識の尺度が「革新」 「どちらでもない」 「保守」の 3 点であるのに対し、89 年から 01 年まで のものは先述の通り 5 点尺度である。そこでデータの整合性を図るため に、89 年以降のものについて「革新」 「やや革新」を「革新」へ、 「保守」 「やや保守」を「保守」へとそれぞれ1つにまとめ、3 点尺度に変換し ている。 vi 「保守」ではほぼ逆の影響を受けている。しかし本稿では無党派 支持層の「中間」の強さの影響を示すのが目的であるため、このことに ついては触れていない。 vii 1972 年と 2001 年の明推協調査データを用いて、表 3−2 の試行 とは別に、有権者全体の政党支持における各党派別の度数分布を調べた。 -------------------------------------------------------------------------------------------------参考文献 蒲島郁夫・竹中佳彦 1996. 『現代日本人のイデオロギー』東京大 学出版会 加藤淳子・マイケルレイヴァー 1998. 「96 年日本における政党 の政策と閣僚ポスト」 『レヴァイアサン』22 号, 10 6‐115. 加藤淳子・マイケルレイヴァー 2003. 「二〇〇〇年総選挙後の日 本における政策と政党間競争」『レヴァイアサン』3 3 号, 130‐142. 平野浩・川人貞史・吉野孝・加藤淳子 2001. 『現代の政党と選挙』 有斐閣アルマ 三宅一郎 1985. 『政党支持の分析』創文社. 三宅一郎 1989. 『投票行動』東京大学出版会. 三宅一郎 1995. 『日本の政治と選挙』東京大学出版会 47 中村哲・丸山真男・辻清明編 48 1954. 『政治學事典』平凡社 4 60 年安保反対運動の 変化過程 ∼運動の変化と議会主義概念の影響∼ 大石 1 昇平 はじめに 日米安全保障条約(以下、日米安保条約)の改定をめぐる、い わゆる 60 年安保運動は戦後政治史の中で、最も白熱した社会運動 であった。 その運動を時間の経過に沿ってみていくと、運動の内容・方針・ 参加者は一貫したものではなかったことがわかる。そこには、い くつかの変化がみられた。 特に指摘されるのが、衆議院での強行採決が行われた 1960 年 5 月 19 日 を 境 と す る 変 化 で あ る 。こ の 変 化 に つ い ては、これまでに多くの研究者が指摘してきた。1 その指 摘とは、安保条約自体への反対運動から、強行採決という 岸信介首相の政治手法に対する反発へと運動の性質が変 化したというものである。そこでは「議会主義」という概 念が尊重され、岸への反発が強まったとされる。 しかし、当時の新聞に目を通すと、新聞報道は岸の「議 会主義」に反する強行採決を批判する一方で、過激な反対 運動に対しても「議会主義」という言葉を用いて批判して い た こ と が わ か る (朝 日 新 聞 、 読 売 新 聞 1960.6.16)。 そこで本稿では、安保反対運動に対する「議会主義」概 念の適用について一連の出来事を院内活動と院外活動に 49 分けて考える。そこから「議会主義」という概念が運動に どのような影響を与え、いかに運動を変化させたのかとい うことについて考察したいと思う。2 そして、戦後政治史 に お い て 最 も 人 心 が 盛 り 上 が っ た 60 年 安 保 反 対 運 動 を 政 治参加における社会運動の一事例として捉え、その考察を 社会運動研究の足がかりとしたい。 以 下 、 ま ず 、 60 年 安 保 反 対 運 動 の 概 略 を 2 で お さ え 、 3 ではその中から運動の展開過程における変化の要素に注 目し、4 でその変化を改めて分析する。 2 2− 1 60 年 安 保 反 対 運 動 概 略 交渉以前 60 年 安 保 運 動 は 1951 年 に 調 印 さ れ 、 1952 年 に 発 効 した日米安保条約の改定に対する反対運動として起こっ た 。 1951 年 に 日 米 間 で 結 ば れ た 旧 安 保 条 約 に つ い て は 、 アメリカの日本防衛義務が明記されていない点・条約期 限が明記されていない点・内乱条項に関する問題等、米 国優位の一種の不平等条約であるという指摘がなされて い た( 五 百 旗 頭 編 1999, p.86)。し か し 、当 時 の 日 米 間 の 国力差、ヴァンデーバーグ決議に関する問題等により、 条約改正が現実的な政治のアリーナに持ち出されること はなかった。また、岸内閣が改定に取り組む以前にも、 鳩山政権下において改定の交渉を試みたが成功しなかっ た。 鳩山の退陣後、石橋湛山が政権を執るものの、病のた め 短 期 間 で 総 辞 職 す る 。そ れ を 受 け 、石 橋 政 権 下 で 外 相・ 首相臨時代理を務めた岸信介が首相に指名される。そし て、岸は第二次内閣の際に日米安保改定に取り組んでい く。 50 2− 2 安保改定交渉と反対運動 1955 年 の 重 光・ダ レ ス 会 談 に お い て 、ア メ リ カ 側 は 安 保改定論議をまともに受け止めなかった。しかし、国際 環境や日本国内の対米感情の変化から、アメリカは安保 改定に乗り出し、岸政権も慎重ながら安保改定に取り組 み始める。 1958 年 6 月 、藤 山 外 相 と マ ッ カ ー サ ー 駐 日 大 使 と の 間 で 予 備 交 渉 が 開 始 さ れ 、 正 式 交 渉 も そ の 年 の 10 月 に 開 始された。 それに対し、左翼系知識人らが改定の反対をアピール し 始 め 、1959 年 3 月 に 文 化 人 や 学 者 ら 80 名 が 声 明 を 発 表し署名運動を開始する。また、このグループは7月に 「安保問題研究会」を発足させる。3 この動きに加え、 元来からの主たる左翼勢力であった、日本労働組合総評 議 会 (以 下 、 総 評 )・ 原 水 爆 禁 止 日 本 協 議 会 ・ 護 憲 連 合 ・ 日中国交回復国民会議・全国軍事基地反対連絡協議会が 率先し、社会党や共産党、またその下位団体の全学連な ど 合 計 134 団 体 が 参 加 し て「 安 保 条 約 改 定 阻 止 国 民 会 議 」 ( 以 下 、 国 民 会 議 ) が 結 成 さ れ る (小 熊 2002, p.503、 大 嶽 2003b, p.7)。 国 民 会 議 は 後 に 統 一 行 動 を 繰 り 広 げ 、 安保運動における主アクターの一つとなる。4 また、統 一行動以外にもブントをはじめとする学生運動が盛り上 が り を み せ る (5)。 5 そ の 象 徴 的 な 事 件 が 1959 年 11 月 27 日 の 国 会 構 内 突 入 事 件 で あ り 、 60 年 1 月 に 岸 の 調 印 のための訪米を阻止するべく羽田空港ロビーを占拠しよ うとした羽田闘争であった。6 こ れ ら の 反 対 運 動 が 繰 り 広 げ ら れ る 中 、1960 年 1 月 に 交渉は妥結され、岸が訪米しアイゼンハワー大統領との 間で調印される。 ま た 、 1958 年 に は 安 保 改 定 反 対 運 動 の 伏 線 と も 考 え ら れる二つの運動が起こっている。それらは教員に対する 勤務評定をめぐる反対運動であり、もう一方が警察官職 務執行法改定をめぐる反対運動である。いずれの運動に 51 ついても、岸内閣は左翼勢力への対策として捉えていた とされる。特に後者については、混乱が予想された安保 改定に向けての警察力の強化と捉えられた。 2− 3 国会審議と反対運動 1960 年 2 月 5 日 、 調 印 さ れ た 日 米 新 安 保 条 約 は 、 新 安保条約批准案として衆議院に提出された。以降、予算 委員会や衆議院安保特別委員会で与野党間の論戦が繰り 広げられることになる。この論戦において野党は「国会 修 正 権 」、条 文 中 の「 極 東 の 範 囲 」、 「黒いジェット機問題」 等を追求材料として与党を追い込んだ。それに対し、政 府側は統一見解を示せないことがあり、安保特別委員会 が 休 会 に 迫 ら れ る こ と や 、国 会 運 営 や 安 保 審 議 を め ぐ り 、 社会党・民社党が衆議院の審議を拒否することもあった (保 阪 1986, p.76, 89)。 そのような論戦の一方で、政府は二つの期限に追われ ていた。一つはアメリカの上院で批准されるまでに、日 本の国会でも可決しておかなければならないという期限。 そ し て 、も う 一 つ が 、6 月 19 日 か ら 5 日 間 予 定 さ れ て い たアイゼンハワー大統領の訪日に合わせた条約の批准と い う 期 限 で あ っ た 。 こ の 二 つ の 期 限 内 ( つ ま り 6 月 19 日まで)の批准のためには、衆参両院での可決、もしく は衆議院での可決と会期切れによる自然承認という二つ の内いずれかによる方法が残された。つまり、どちらに し て も 最 低 限 、衆 議 院 で の 可 決 が 必 要 で あ り 、5 月 19 日 までの通過が必要とされた。 他方、院外では依然として、反対運動が繰り広げられ ていたが、2 月から 3 月の第十二次、第十三次統一行動 は中だるみの時期を迎え、また全学連も運動をせず、一 貫 し た 勢 力 を 保 っ て い た わ け で も な か っ た (大 嶽 2003b, p.16)。し か し 、委 員 会 で の 自 民 党 の 強 引 な 審 議 を マ ス コ ミが報道し、国民世論の関心が高まるにつれ規模は拡大 した。7 そのような折に行われた第十五次統一行動によ 52 る運動の広がりは以降の運動の拡大にも繋がるものであ っ た 。こ の 統 一 行 動 で は 、憲 法 の 請 願 権 を 根 拠 と す る「 請 願 運 動 」が 行 わ れ 、10 万 人 が 請 願 の た め 国 会 へ 向 い 、多 く の 署 名 が 集 め ら れ た (保 阪 1986, p.93)。 再 び 勢 い を 取 り戻した反対運動は以前以上の勢力を持ち始める。そし て、その勢力を爆発的なものにしたのが次にみていく、 い わ ゆ る 「 5.19 強 行 採 決 」 で あ っ た 。 2− 4 5.19 強 行 採 決 先に指摘した期限に追われるゆえ、岸は審議過程にお い て 強 引 な 議 会 (委 員 会 )運 営 を み せ 、 強 行 採 決 に よ っ て 審 議 を 進 め た 。4 月 20 日 に は 参 考 人 招 致 を 決 め る た め の 委 員 会 で の 強 行 採 決 、 そ し て 、 5 月 19 日 に は 衆 議 院 で 50 日 間 の 会 期 延 長 、並 び に 新 安 保 条 約 の 採 決 を 自 民 党 単 独の強行採決で決定した。8 こ こ で 、新 安 保 条 約 が 実 質 的 に 可 決 さ れ た 日 で あ る 、5 月 19 日 に つ い て 触 れ よ う (厳 密 に は 日 付 が 変 わ っ た 20 日 深 夜 で あ る )。 5 月 16 日 に 公 聴 会 が 終 了 し 、与 野 党 間 で は 強 行 採 決 に 対 す る 計 画 、準 備 が 始 ま っ た 。5 月 19 日 、自 民 党 の 強 行 採決の動きを察知した社会党議員と秘書団の一部は座り 込みによって自民党議員の入場を阻止する方向に出た。 これに対し、自民党主流派は安保特別委員会において、 日米新安保条約・新行政協定・それに関連法案の三案の 採択動議、並びに、それらの一括採決を混乱の中で可決 した。それを受けた清瀬一郎議長は本会議開会のため議 長室を出るべく、座り込みを続ける社会党議員たちを警 官隊に排除させ、更に開会を宣言した。そして、会期延 長が自民党単独の採決によって可決され散会した。その 会 期 延 長 に よ り 、 日 付 が 変 わ っ た 20 日 午 前 0 時 6 分 、 会議は開会され新安保条約とその関連法案が一括審議さ れ、同じく可決された。9 この一連の強行採決の動きについては、岸が極めて秘 53 密主義的に国会運営を行ったこともあり、自民党内でも 批判の声が上がった。実際に決議の際にも自民党議員の 中 か ら 28 人 の 欠 席 者 を 出 し て い た (石 川 2004, p.92)。 そして、反発を強めたのは自民党反主流派や野党とい う院内アクターだけではなく、院外アクターである安保 改定反対運動参加者も勿論そうであった。 2− 5 5.19 以 降 ∼ 運 動 の 高 揚 と 衰 退 ∼ 5.19 の 一 連 の 政 治 劇 は 各 種 メ デ ィ ア で 大 き く 取 り 扱 われ、批判された。その批判は、岸のとった強行採決と いう政治手法が「安保への賛否をこえて、大きな反発を 招 い た 」も の で あ っ た と い え る (小 熊 2002, p.509)。そ し て 、5.19 を 境 と し て 、安 保 運 動 の 規 模 は 爆 発 的 に 広 が っ た 。強 行 採 決 以 降 、10 万 人 規 模 の 運 動 が 展 開 さ れ る よ う に な り 、6 月 に 入 る と 20 万 人 規 模 の デ モ が 連 日 行 わ れ る よ う に な っ た (升 味 1985, p.68~71)。 ま た 、 デ モ と 同 時 に大規模なストが繰り広げられた。これら運動の拡大の 理由については、岸のパーソナリティーや戦中の経歴が 指 摘 さ れ る( 小 熊 2002, p.510)。そ れ は 、戦 前 に 東 条 内 閣 の 商 工 大 臣 を 務 め 、元 A 級 戦 犯 で あ っ た と い う 岸 の 前 歴と強引な岸の政治手法が相まって、人々に戦前の政治 体制を呼び起こさせた。少なくとも、マスコミはその認 識の下で報道していた。そして、国民もその認識を受け 止 め 、デ モ や ス ト に つ い て も 概 ね 好 意 的 で あ っ た 。10 そ の 一 方 で 、発 足 当 時 の 40% か ら 徐 々 に 下 落 し て い た 岸 内 閣 の 支 持 率 は 12% ま で 落 ち 込 ん だ 。こ れ は 、当 時 戦 後 最 低 の 支 持 率 で あ っ た (朝 日 新 聞 1957.11.25、 1960.6.3) 。 11 連日、国会を取り巻く激しいデモが行われる中、6月 8 日、岸は審議を拒否した野党を除き、参議院での単独 審 議 を 開 始 し た (保 阪 1986, p.170)。 ま た 6 月 10 日 に は アイゼンハワー米大統領の来日日程調整のためハガティ ー新聞係秘書が来日し、いわゆる「ハガティー事件」が 54 起きた。この事件についてはマスコミも日本の国際評価 の 悪 化 を 懸 念 し 、運 動 に つ い て 批 判 的 な 報 道 が 行 わ れ た 。 しかし、近づく自然承認の日を前に各種反対運動は過 熱していく。そして、右翼の新劇人デモへの突入・警官 隊の教授団への襲撃・全学連の国会構内突入における東 大 学 生 樺 美 智 子 の 死 と 、60 年 安 保 運 動 に お い て 最 も 多 く の 血 が 流 さ れ た 6 月 15 日 と い う 日 を 迎 え る 。 こ の 樺 美 智子という一女学生の死は他の運動参加者や世間に衝撃 を 与 え 、6 月 16 日 、ア イ ゼ ン ハ ワ ー 大 統 領 の 訪 日 中 止 が 決 定 さ れ た 。12 ま た 、先 の ハ ガ テ ィ ー 事 件 の 国 外 に 及 ぼ す 影 響 と 、 こ の 6 月 15 日 の 事 件 を 受 け 、 大 新 聞 社 7 社 は 6 月 17 日 に 「 暴 力 を 排 し 、 議 会 主 義 を 守 れ 」 と い う 共 同 宣 言 を 掲 載 し た 。 13 そ れ で も 自 然 承 認 前 日 の 18 日 の デ モ に は 、 50 万 人 規 模という史上最大のデモが国会や首相官邸周辺で繰り広 げ ら れ た 。し か し 、衆 議 院 で 可 決 さ れ た 新 安 保 条 約 は 19 日午前 0 時に自然承認の時を迎えた。 20 日 に は 参 議 院 に お い て 自 民 党 単 独 で 新 条 約・新 協 定 関 係 の 法 案 を 可 決 。23 日 に は 、全 学 連 が 批 准 書 を 奪 お う とする計画が噂されもしたが、藤山外相とマッカーサー 大 使 の 間 で 批 准 書 は 交 換 さ れ た (升 味 1985, p.76~79)。 そして、その批准書交換が行われている頃、岸は「人心 の一新と政局転換のため」という理由で辞意を表明した (日 高 1960, p.234)。 安 保 改 定 の 成 立 と 岸 の 退 陣 に よ り 、 60 年 安 保 運 動 の 幕 は 下 ろ さ れ た 。そ し て 、そ れ と 共 に 白 熱した運動は退潮し、世論は再び平静を取り戻していっ た 。 14 3 運動の変化過程 本 節 で は 、2 節 で み た 60 年 安 保 反 対 運 動 に つ い て 、運 動の変化過程に注目する。なお、変化を論じる上で、運 動 の 転 換 点 と な っ た と さ れ る 5 月 19 日 を 境 と し 、 そ れ 55 以前とそれ以後の反対運動の変化をみていくこととする。 また、以前において、勤務評定反対運動と警察官職務執 行法改定反対運動を独立して取り上げ、それらの安保反 対運動に対する影響を述べたいと思う。 結 論 を 先 取 し 、そ の 変 化 の 中 身 を 提 示 す る と 、5 月 19 日以前の運動が既成組織による動員中心の運動であった の に 対 し 、5 月 19 日 以 後 は 動 員 に よ ら な い 、自 発 的 な 運 動への参加がみられるようになった。そしてその変化を も た ら し た の は 先 に 指 摘 し た 、5 月 19 日 の 強 行 採 決 で あ っ た 。そ こ に は 強 引 な 岸 の 政 治 手 法 に 対 し て「 議 会 主 義 」 「民主主義」という理念を尊重する姿勢がみられた。 以下、その変化過程について、具体的な議論を述べて いきたい。 3− 1 安保改定と勤評反対運動・警職法改正反対運動 (1)勤 評 反 対 運 動 ・ 警 職 法 反 対 運 動 概 略 2− 2 で 指 摘 し た よ う に 、交 渉 が 始 ま っ た 1958 年 に は 、 教 員 の 勤 務 評 定 問 題( 以 下 、 「 勤 評 」問 題 )と 警 察 官 職 務 執 行 法 改 正 問 題( 以 下 、 「 警 職 法 」問 題 )が 起 こ り 、い ず れについても反対運動が繰り広げられた。 まず、 「 勤 評 」問 題 と「 警 職 法 」問 題 に つ い て 簡 単 に 整 理しておく。 「 勤 評 」 問 題 は 1958 年 、 春 頃 か ら そ の 動 向 が み ら れ るようになった。それは予てから保守勢力(政府)が試 みてきた、教育界における左翼勢力への対抗手段の一環 として勤務評定を実施し、教育統制を図ろうとしたこと に 対 し て 起 こ っ た (法 律 自 体 は 1956 年 に 「 新 教 育 委 員 会 法 」 と し て 成 立 )。「 勤 評 」 の 実 施 に は 、 日 本 的 価 値 の 復 権から左翼勢力の削減に至る様々な思惑が交錯していた。 15 これに対し、日教組側は授業放棄・登校拒否などの手 段によって猛反発した。世論の反応はというと、留保を 付けながらも勤務評定自体にはそれ程の反発を示してい 56 な か っ た 。し か し 、政 府 の 施 行 態 度 に つ い て は 問 題 視 し 、 ま た 、日 教 組 側 の 授 業 放 棄 な ど の 対 応 に つ い て も「 反 対 」 の 意 思 を 表 し て い る (朝 日 新 聞 1958.9.23)。 し か し 、 激 しい反対運動にもかかわらず、京都以外の全都道府県に おいて「勤評」は実施された。 もう一方の「警職法」問題は「勤評」問題が収まらな い 中 、 1958 年 10 月 8 日 、 岸 内 閣 が 「 警 職 法 」 改 正 案 を 国会に提出したことから問題は起こった。この改正案は 治安・公共性維持のために警察官の職務権限を拡大し、 事 件 の 予 防 段 階 で の 解 決 、ま た 、 「 勤 評 」反 対 運 動 の よ う な運動への対応に力を注ぐためのものであるという説明 が与党・政府側からなされた。しかし、この法案は政府 首脳の一部で協議された抜き打ちの提出であったことも あり、社会党は戦前の特高の復活、治安維持法の復活で あ る と し て 、即 日 、 「 国 会 審 議 全 面 拒 否 」を 表 明 し た 。そ して、何より、この後に控える安保改定に向けての準備 段 階 で あ る と い う の が 野 党・諸 団 体 の 共 通 認 識 で あ っ た 。 以後、各種団体が「警職法」反対の意思を表明し、反 対 勢 力 が 広 が っ て い っ た 。 ま た 、「 オ イ コ ラ 警 察 の 復 活 」 「デートもできない警職法」といった私権侵害を訴える スローガンと共に国民全体にも広がっていく。そして同 年 10 月 13 日 に は 「 警 職 法 反 対 国 民 会 議 」 が 結 成 さ れ 、 反対勢力が組織化されていった。 そのような反対運動の動きに対し、岸は強硬な政治手 法を以って法案の可決を図った。しかし、拡大する反対 勢力と自民党内反主流派からの非難により、岸は鈴木茂 三郎社会党委員長との会談の結果、改正案の廃案を決定 した。 (2)安 保 改 定 反 対 運 動 へ の 影 響 で は 次 に 、3− 2 以 降 で み て い く 安 保 改 定 反 対 運 動 の 変 化過程に触れる前段階として、以上みてきた二つの運動 について歴史的な意義を安保問題と関連することについ て論じてみたい。なお、結論を先取りすれば、これら二 57 つの運動が安保運動で爆発する人心の助走段階であった という評価を与えられる。 以下、安保運動と上の二つの運動を考察する上で、二 つ の 運 動 (問 題 )の 共 通 点 と 相 違 点 を 挙 げ 、 後 の 考 察 の 土 台としたい。 ①共通点 まず、一点目として、政府に焦点を当て共通点を見出 だ さ ん と す れ ば 、 岸 (内 閣 )の 反 動 的 ・ 権 威 的 ・ 反 民 主 的 イ メ ー ジ の 強 化 と い う 点 を 指 摘 で き よ う 。そ れ は 、 「勤評」 「警職法」というイシューの質にとどまらず、委員会や 国会審議の運営方法についても当てはまるものである。 二 点 目 と し て 、も う 一 方 の 運 動 の 側 に 焦 点 を 当 て る と 、 その運動の広がりに着目できる。そこに見出せる共通点 は、運動の拡大の仕方である。両運動に共通する運動拡 大パターンはいずれも革新勢力の諸団体、または社会党 が議題設定段階で運動の方向性を示し、次に一般国民へ の運動波及を狙うものであった。 ②相違点 では、一方の相違点をみてみる。 指 摘 さ れ る 相 違 点 と は 、運 動 の 評 価 で あ る 。 「 勤 評 」反 対運動については、ほぼ全国的に「勤評」が実施された ことを考慮すれば「運動の失敗・政府の勝利」と評価で き る だ ろ う 。 16 一 方 、後 者 の「 警 職 法 」問 題 に つ い て は 法案を廃案へ追い込んだ点から「運動の成功・政府の敗 北」という評価を下せよう。 この違いの説明を運動に求めるとすれば、それは争点 となっているイシューの性質と、それに伴う一般国民へ の運動の拡大の程度ではないかと推測される。 イシューの性質という問題については、 「 勤 評 」問 題 が 教育という分野にとどまった争点であり、国民の多くに 共感・共有される問題ではなかったのではないかと思わ れる。また、世論調査からも勤務評定の意義自体につい てはそれ程問題とされていなかったようである。このこ 58 とから、運動の拡大は限定的なものとなり、運動も成功 しなかったのではなかろうか。 では、 「 警 職 法 」は ど う で あ ろ う か 。こ の 運 動 に お い て は、 「 私 権 侵 害 の 危 機 」と い う 一 般 国 民 全 体 に 共 有 さ れ 得 る も の に 運 動 の 争 点 が 換 言 さ れ た た め ( 換 言 し た た め )、 運動も国民規模のものとなり得たと考えられよう。 ③考察 では、以上の点を踏まえながら、後の安保改定反対運 動に対する影響の考察を行いたいと思う。 ま ず 、 先 に 共 通 点 で 指 摘 し た 岸 (内 閣 )の 反 動 的 ・ 権 威 的・反民主的イメージ強化という点については、このイ メージが安保改定反対運動に至るまで維持され続け、そ の 不 信 感 が 運 動 を 激 化 さ せ た と も 指 摘 さ れ る (保 阪 1986 p.35)。 更に、維持されたのはイメージだけではないだろう。 国民規模での社会運動、また、自発的な市民運動という 観点からも、運動の主体意識・組織・有効性において二 つ の 運 動 が 先 例 と な り 、経 路 依 存 性 を 残 し た と 思 わ れ る 。 また、二つの運動の相違点として、運動の争点と波及 の 程 度 に つ い て 言 及 し た が 、5.19 以 前 と 以 後 の 変 化 と 同 様に、国民がその問題を肌感覚で危機と感じるか否かに よって運動の程度も変わりうるということを示唆するも のであろう。 以 上 、 本 項 で は 「 勤 評 」「 警 職 法 」 反 対 運 動 に つ い て 、 安保改定反対運動に及ぼした影響を探りながら論じてき た。二つの運動は岸に対する不信という人心のエネルギ ー強化と、社会運動、とりわけ市民運動としての構造形 成の提示という点において、その影響力があったという 議論を導いた。また、二つの運動の比較から、運動の争 点と運動の規模に関する議論の可能性も示唆した。以上 を 踏 ま え 、 次 項 か ら 5.19 以 前 と 以 後 の 変 化 を み て い く 。 59 3− 2 5.19 以 前 5.19 以 前 の 運 動 を 考 察 す る 上 で ま ず 、初 期 段 階 の 運 動 を支えた団体の構成とその運動方針を指摘する。 先の通り、改定交渉に最初に反対の意志を示した「安 保問題研究会」は旧安保条約締結時に全面講和・非武装 中 立・平 和 主 義 を 主 張 し た 団 体 だ っ た 。ま た 、 「国民会議」 についても、その構成団体からして「安保問題研究会」 と 同 様 の 性 格 を 有 し て い た と 考 え て よ い だ ろ う 。つ ま り 、 この当時の運動理念は講和問題時から引き続き維持され て い た も の で あ っ た と 考 え ら れ る 。ま た 、3− 1 で 指 摘 し た 二 つ の 運 動 の 残 存 組 織 (繋 が り )も 考 慮 さ れ よ う 。 そ し て 実 際 、 そ の 運 動 は 院 内 活 動 (議 会 で の 審 議 )で 数 的 に 劣 る野党の抵抗の延長線上にある院外活動としての活動の 色 合 い が 強 か っ た 。 17 また、運動に参加した人々についても、多くはそれら 団体からの動員によるものであった。実際、初期の国民 会議統一行動は春闘共闘会議など労組活動と日程を合わ せ 、 参 加 者 を 組 合 員 の 動 員 に 頼 っ て い た ( 大 嶽 2003b, p.5)。 そ の 限 ら れ た 参 加 者 と 安 保 問 題 と い う イ シ ュ ー の ため、運動は必ずしも盛り上がっていたとはいえなかっ たようである。 総理府の世論調査によると、安保問題を詳細に理解し て い た の は 国 民 の 1/4 に 過 ぎ ず 、 当 時 の 安 保 改 定 に 関 す る 認 識 は 高 い と は い え な か っ た (日 高 1960, p.33)。 そ れ 故 、当 時 、 「 安 保 は 重 い 」と い う 言 葉 が 運 動 家 の 安 保 運 動 に 対 す る 印 象 で あ っ た (原 1988, p.411)。 ま た 、 60 年 安 保についての新聞の報道量は他の条約問題に比べ、決し て 多 い も の で は な か っ た (原 1988, 429~431)。 そ の よ う な 世 論 、マ ス コ ミ の 低 関 心 を 変 え た の が ブ ン トを中心とした全学連の活動であったと大嶽は指摘する (大 嶽 2003a, p.34、2003b, p.6)。全 学 連 は 国 会 構 内 突 入 事件・羽田闘争など、それまでの反対運動と比べ非常に 過激な運動を展開した。これらの運動はその過激さ故に 60 マ ス コ ミ で 大 き く 取 り 扱 わ れ 、 大 き く 非 難 さ れ た (保 阪 1985, p.66~67)。 ま た 、 非 難 を 浴 び せ た の は マ ス コ ミ だ けではなかった。国民会議や社会党も運動や組織のイメ ージ悪化を懸念して、全学連の国民会議からの除名処分 を も 検 討 し た (朝 日 新 聞 1959.11.29)。 しかし、全学連の過激な活動は安保問題や運動の認識 を国民に与えるという点でも変化をもたらしたといえる。 また、先にも指摘した通り、後の強行採決の伏線ともな る与党側の強引な議会運営も国民に問題意識を与えてい た。 こ れ ら の 事 象 は 5 月 19 日 の 強 行 採 決 後 の 運 動 に つ な がる要素を包含していた。そして、それら要素が第十五 次統一行動に表れたように動員によらない運動参加者を 生んだといえよう。それまでの運動が労組等による動員 中 心 の も の で あ っ た の に 対 し 、5 月 19 日 が 近 づ く に つ れ 徐々に変化の兆しがみられた。しかし、その変化は運動 を 爆 発 的 な も の に す る に は 至 ら な か っ た ( 原 1988, p.411)。 3− 3 5.19 以 後 そ の よ う な 状 況 を 一 変 し た の が 5.19 の 強 行 採 決 で あ ったとされる。岸の強引な政治手法がそれまで運動に参 加していなかった人々の足を国会へ向かわせた。 確 か に 5 月 19 日 前 後 を 比 べ る と デ モ 参 加 者 の 増 加 は 著しいものであり、また幅広い業種で大規模なストが行 わ れ て い る (升 味 1985, p.65~71)。 そ し て 、 各 新 聞 紙 面 においても「遺憾きわまる抜き打ち議決」等、問題の焦 点が安保問題の是非から「民主主義」や「議会政治」へ と 変 わ り 、岸 の 政 治 手 法 に 非 難 を 浴 び せ て い る (読 売 新 聞 1960.5.20)。こ れ ら の こ と か ら 、5 月 19 日 を 境 に 、運 動 に変化が起こったということは妥当である。 これ以降、2 節でみたように運動は更なる盛り上がり をみせていく。その盛り上がりには二面性があったと思 61 わ れ る 。 一 つ の 側 面 は 5 月 19 日 以 前 か ら 続 い て き た 動 員型の運動の盛り上がりである。この中でも特に全学連 の 運 動 が 象 徴 的 な も の で あ っ た と い え る だ ろ う 。そ し て 、 も う 一 方 は 5 月 19 日 以 降 に 多 く 参 加 が み ら れ た と さ れ る 、市 民 運 動 的 な 運 動 の 盛 り 上 が り で あ っ た 。18 こ の 二 種類の運動が前者は質的に過激な盛り上がりをみせ、後 者は穏健ながら量的な盛り上がりをみせたといえる。し かし、加熱しすぎた前者の運動は様々な流血事件をもた らし、結果的に樺美智子の死を以ってアイゼンハワー大 統領の訪日中止、並びに岸退陣という結果をもたらし、 運動は収束へと向かっていく。 以 上 の 点 を ま と め る と 、冒 頭 に お い て 指 摘 し た と お り 、 5.19 強 行 採 決 以 前 は 動 員 型 の 運 動 が 中 心 で あ っ た の に 対し、以後は市民運動型の運動も展開され、運動形態、 参加者ともに多様化していったということが指摘できよ う。 4 変化の考察 ここでは、上でみてきた変化についての考察を試みた い 。そ こ で 、議 論 の 中 心 と す る の が 先 に 挙 げ た 、5.19 強 行採決以後において運動の焦点となった「議会主義」と い う 言 葉 で あ る 。 当 時 の 新 聞 に 目 を や る と 、「 議 会 主 義 」 という言葉が数多くみられる。特に象徴的であるのが、 大新聞社 7 社による「暴力を排し、議会主義を守れ」と いう共同宣言である。 そこで、本節では「議会主義」の理念が当時の運動を 変化させたのではないかという見通しの下で考察を進め る 。そ し て 、 「 議 会 主 義 」と い う 概 念 か ら 運 動 を み て い く 上で、政治活動を院内活動と院外活動という区分を用い て考えたい。 先にも指摘した通り、この区分を用いて考えると、運 動は院内活動において数的に劣る野党が、世論の勃興を 62 期待してデモやストという院外活動の推進を試みたと考 えられる。しかし、デモやストの展開・結果は予想され たものではなかった。参加者は労組など規制団体からの 動 員 に 限 ら れ 、ま た 、 「 安 保 は 重 い 」と い う 言 葉 に 表 れ て いたように、そもそも労組からの動員も限られていた。 その一方で、全学連の過激な運動も野党の期待に反す るものであった。彼らの運動は国民会議の計画から大き くずれ、暴力と流血を伴う積極的な実力行使に訴えた。 そ れ に 対 し 、マ ス コ ミ は 彼 ら の 行 動 を「 赤 い カ ミ ナ リ 族 」 な ど と 評 し 、徹 底 的 に 非 難 し た (大 嶽 2003b, p.15)。そ の 非 難 の 内 容 は「 議 会 政 治 」 「 議 会 主 義 」と い う 言 葉 を 用 い た 議 会 内 で の 政 治 的 決 着 を 主 張 す る も の で あ っ た (朝 日 新 聞 、 読 売 新 聞 1959.11.28、 1960.6.16)。 当 時 、運 動 の 形 態 が 憲 法 の 請 願 権 行 使 の 延 長 と し て「 請 願」という形をとり、運動が穏健な場合は非難を浴びる こともなかった。しかし、運動が過激なものとなり「議 会政治の範疇外」と認識された時、運動は批判された。 こ の 院 外 活 動 に 対 す る 「 議 会 主 義 」 概 念 の 適 用 は 図 1.の ように示すことができよう。 図 1.運 動 の 程 度 と 議 会 主 義 理 念 議会政治の範疇外という評価 穏健 過激 マスコミの支持 暴力 マスコミの批判 世論の無関心 流血 世論の関心 <*横軸は穏健から過激なものへという運動の変化を表す> その一方で、マスコミは「議会政治」の概念を院内政 治にも向けていた。それは言うまでもなく、岸の強行採 決に対する批判としてであった。 岸 の 5 月 19 日 強 行 採 決 に つ い て 、 マ ス コ ミ は 全 学 連 の過激な運動に対する評価と同様に大きく非難した。そ 63 の非難の内容の多くを占めたのも正当な審議による決着 を 主 張 す る 「 多 数 の 暴 力 」「 議 会 主 義 」「 議 会 民 主 主 義 」 「 議 会 制 守 る 良 識 」と い っ た 内 容 の 言 葉 で あ っ た (朝 日 新 聞 、 読 売 新 聞 1960.5.21)。 同 様 に 、「 議 会 主 義 」 概 念 を 院 内 活 動 に 適 用 す る と 図 2.の よ う に 表 せ よ う 。 図 2.国 会 審 議 の 経 過 と 議 会 主 義 理 念 議会政治の範疇外という評価 審議 自然承認 マ ス コ ミ の 支 持 (容 認 ) 世論の無関心 強行採決 5. 19 マスコミの批判 世論の関心 <*横軸は新安保条約案審議の流れ> また最後に、国民世論における「議会主義」の認識に つ い て 触 れ て お こ う 。 朝 日 新 聞 が 1960 年 5 月 に 行 っ た 世論調査によると、 「 あ な た は 、い ま の 国 会 に 、ど ん な こ と を 希 望 し ま す か ( = 自 由 回 答 )」 と い う 質 問 文 に 対 し 、 「 希 望 を 答 え な い 」を 除 く と 、最 も 多 い 12% の 人 々 が「 議 会 政 治 を 守 れ 」(「 も っ と 政 策 に う ち こ め 」も 同 率 で あ っ た )と 回 答 し 、ま た 、11% の 人 々 が「 国 民 の た め の 政 治 を 」 と 答 え て い る (朝 日 新 聞 1976)。 19 こ の 回 答 に つ い て は 相当程度マスコミの報道による問題認識への影響が考え られるが、少なくとも当時の世論の中で「議会主義」の 概念が意識されていたことは示し得るだろう。 このように、 「 議 会 主 義 」と い う 視 点 か ら 安 保 運 動 に 関 わる院内外の政治活動をみてみると、それぞれニュアン スの異なる「議会主義」概念が院内外の活動に影響を与 えていたと考えられる。この二つの「議会主義」の狭間 で、それまで関心を示していなかった一般世論は、強行 採 決 と い う 形 で「 議 会 主 義 」を 破 っ た 岸 内 閣 に 対 し 、 「議 会主義」の範囲内での穏健な運動を試みたという評価が 64 で き る 。そ れ が「 声 な き 声 の 会 」の よ う に「 勤 評 」 「警職 法」から兆しがみられていた新しい市民運動であったの かもしれない。 5 まとめ で は 、 最 後 に ま と め と し て 、 本 稿 の 命 題 で あ る 60 年 安 保 運 動 の 変 化 過 程 を 改 め て 確 認 し た い と 思 う 。そ こ で 、 下 の 図 3.に お い て 、上 に 述 べ て き た 5.19 強 行 採 決 前 後 の変化を対比させる形で挙げた。 図 3. 60 年 安 保 運 動 の 変 化 過 程 (議会政治の危機) 議会政治の範疇外という評価 審議中 自然承認 安保改定阻止 強行採決 イデオロギーが焦点 5.19 岸退陣 議会制民主主義が焦点 世論は無関心 世論の関心 動員中心の運動 自発的参加の運動 根 底 に は 「 勤 評 」「 警 職 法 」 反 対 運 動 か ら の 影 響 (岸 へ の 不 信 ・ 社 会 運 動 の 構造) 以上の考察で示してきたとおり、本稿では60年安保 反対における安保運動の変化過程に注目してきた。そし て 、そ の 変 化 の な か か ら 、5.19 前 後 に お け る 変 化 を も た らし、人々を運動へ向かわせた要因が「議会主義」とい う概念であったという議論を導いた。 先にも指摘したとおり、この議論についてはこれまで の 先 行 研 究 に お い て 多 く の 指 摘 が な さ れ て い る 。し か し 、 それらの指摘は岸の政治手法に対してのみ「議会主義」 概 念 が 影 響 し 、運 動 を 盛 り 上 が ら せ た と い う も の で あ る 。 だ が 、本 稿 で 私 が 指 摘 し て き た の は 、そ の 運 動 自 体 も「 議 65 会主義」概念からの批判を受けていたという点である。 つ ま り 、繰 り 返 し に な る が 、 「 議 会 主 義 」と い う 概 念 が 院 内活動と院外活動の両面において、それぞれ異なった意 味合いで影響し、安保運動の変化に影響を与えていたと 私は考える。 以上、 「 議 会 主 義 」概 念 の 影 響 を 中 心 に 一 連 の 事 象 を 院 内外という枠組みを用いて考察してきた。今後、以上の 考察を他の社会運動にも適用し、新たな議論を導くこと ができるかどうかについては留保する必要性があろう。 しかし、社会運動を考える上で、どのような争点であれ ば運動が盛り上がるのか、また、メディア・世論の評価 が社会運動にどのような影響を与えるのかといった問題 に対する視点を提供しうるものであると思われる。他の 事例を踏まえた、それら議論の一般化は今後の課題とし たい。 脚注 1 例 え ば 、丸 山 眞 男 「 安 保 闘 争 の 教 訓 と 今 後 の 大 衆 闘 争 」 1960 (丸 山 1996, p.325) 2 代 表 的 な 先 行 研 究 と し て は 、 (信 夫 1967)、 (原 彬 久 1988) 、 (日 高 六 郎 1960)な ど 。 3 この会の性格は非武装中立、平和主義を主張するもの で あ っ た (大 嶽 2003b, p.3)。 4 この「国民会議」に共産党は参加しているが正式な参 加 で は な く 、総 評 の 反 対 、社 会 党 の 党 議 に よ り 、オ ブ ザ ー バ ー と し て の 参 加 と な っ て い る ( 大 嶽 2003b, p.4)。 5 ブ ン ト と は 、 全 学 連 に 所 属 す る 一 部 学 生 が 1955 年 の 日本共産党の方針転換に反発し 「反日本共産党、反ス タ ー リ ニ ズ ム 」を 掲 げ て 、島 成 郎 を 中 心 に 結 成 さ れ た グ ル ー プ で あ る 。 結 成 の 経 緯 等 、 詳 し く は (大 嶽 2003a) を参照。 6 当時の全学連の行動に対する評価は必ずしもよいもの で は な か っ た 。ま た 、改 定 反 対 勢 力 も 一 枚 岩 と は い え な か っ た( 小 熊 2002, p.504‐ 506)。そ の 点 に つ い て は 後 述する。 7 特に、それまでの統一行動よりも大々的なものになっ た 第 十 五 次 統 一 行 動 の 前 、 4 月 20 日 に 参 考 人 招 致 の 決 定 を め ぐ り 与 党 が 委 員 会 で 強 行 採 決 を 行 っ て い た (大 嶽 2003, p.16)。 66 こ の 時 の 国 会 の 会 期 は 5 月 26 日 ま で で あ っ た (小 熊 2002, p.507) 9 この強行採決については、自民党主流派の一部議員に し か 知 ら さ れ て い な か っ た と い う 。清 瀬 議 長 で す ら 議 決 の 流 れ を 正 確 に 知 ら さ れ て い な か っ た (小 熊 2002, p.509)。 10 し か し 、当 時 の 新 聞 各 紙 を 比 較 す る と 、全 て が デ モ や ス ト に 好 意 的 と い う わ け で は な く 、暴 力 的 な デ モ に つ い て は 共 通 し て 批 判 的 で あ る (国 立 国 会 図 書 館 編 1995, p.34,35)。 11 引 用 し た 朝 日 新 聞 世 論 調 査 は 各 回 に お い て 「 答 え な い 」、 「 わ か ら な い 」と い っ た 項 目 の 値 が 併 せ て 全 体 の 3 ∼ 5 割 あ り 、妥 当 性 の あ る デ ー タ と は い え な い 。し か し 、 時 系 列 に 見 ら れ る デ ー タ と し て 、そ の 点 を 断 っ た 上 で 引 用する。また、質問文のワーディ ングについても問 題がみられることを指摘しておく。 12 ア イ ゼ ン ハ ワ ー の 来 日 中 止 に つ い て 、財 界 や 、天 皇 の アイゼンハワー大統領で迎えが予定されていたため、 「 宮 中 筋 」 か ら の 影 響 力 も 指 摘 さ れ て い る (升 味 1985, p.74)。 13 ち な み に 、 7 つ の 大 新 聞 社 と は 産 経 ・ 東 京 ・ 東 京 タ イ ム ズ・日 経・毎 日・読 売・朝 日 の 7 社 (国 立 国 会 図 書 館 編 1995, p.202)。 14 こ こ で は 、 後 の 議 論 の 前 提 と す る 上 で 60 年 安 保 に つ いて触れた。本来であれば詳細に述べるべき「与野党 それぞれの内部対立と国会運営」 「反対運動側における 内 部 対 立 」「 運 動 団 体 の 組 織 」 等 に つ い て は 割 愛 。 15 勤 務 評 定 の 実 施 に お け る 政 府 与 党・保 守 勢 力 の 具 体 的 な 狙 い に つ い て は (正 村 1990 p.111~118)を 参 照 。 16 但 し 、一 面 的 に「 運 動 の 失 敗 」と い う 評 価 を 下 せ な い 面もある。それは、各訴訟において日教組側が勝利し ている点、日教組のアイデンティティ強化などという 側 面 で あ る (正 村 1990 p.124)。 17 院 内 活 動 と 院 外 活 動 と し て 安 保 運 動 の 過 程 に つ い て は (岩 永 1985, p.132~144)を 参 照 。 18 丸 山 は こ の 二 種 類 の 運 動 の 盛 り 上 が り を 「 二 重 構 造 」 と 称 し た (丸 山 1960, p.327)。 19 こ の 調 査 に つ い て も 、先 の 世 論 調 査 と 同 じ く「 希 望 を 答 え な い 」38% 、「 そ の 他 の 答 え 」4% と い っ た よ う に 問題がみられるが、上記のことを留意した上で使用す る。 8 67 参照文献・資料 朝 日 新 聞 社 世 論 調 査 室『 朝 日 新 聞 世 論 調 査 30 年 史 下巻 質 問 と 調 査 結 果 (質 問 の イ ン デ ッ ク ス )』 朝 日 新 聞 社 1976。 1999。 五百旗頭真編『戦後日本外交史』有斐閣 石川真澄『戦後政治史 新版』岩波書店 2004。 岩永健吉郎『戦後日本の政党と外交』東京大学出版会 1985。 大嶽秀夫 『日本政治の対立軸 中で』中央公論社 大嶽秀夫 93 年 以 降 の 政 界 再 編 の 1999。 「 日 本 に お け る 新 左 翼 運 動 の 登 場 ―「 新 左 翼 第 154 か ら ポ ス ト モ ダ ン へ 」 序 説 ― 」『 法 学 論 叢 巻 第 3 号 』 京 都 大 学 法 学 会 2003a。 大嶽秀夫 「六〇年安保闘争における同盟と対立―新左 翼の闘争と新左翼の側から見た共産党、総評・社会 党 、知 識 人・市 民 運 動 ― 」 『法学論叢 4・ 5・ 6 号 』 京 都 大 学 法 学 会 小熊英二 第 154 巻 第 2003b。 『<民主>と<愛国>戦後日本のナショナリ 2002。 ズムと公共性』新曜社 国立国会図書館編 『ドキュメント戦後の日本 ―新聞ニ ュースに見る社会史大事典― 信 夫 清 三 郎『 新 装 版 原彬久 安保闘争史―三五日間政局史論―』 1967。 『戦後日本と国際政治 中央公論社 安保改定の政治力学』 1988。 日 高 六 郎 編 『 1960 年 『六〇年安保闘争』講談社 正村公宏 『戦後史』筑摩書房 升味準之輔『現代政治 丸山眞男 1960。 5 月 19 日 』 岩 波 書 店 保阪正康 出版会 日米安保 1995。 条約』大空社 世界書院 第 18 巻 1986。 1990 一九五五年以後 上』東京大学 1985。 『丸山眞男集 68 第八巻』岩波書店 1996。 5 投票率をあげる方法 松岡信道 1.はじめに 2.研究対象と先行研究 3.指標と仮説 4.作業定義と分析・考察 5.主観的指標との連関 6.おわりに 1.はじめに 投票率が低い。かつてのように「直接国税で 15 円以上を納める 25 歳以上の男子」と有権者が限られているわけでもないのに、地 方自治体の選挙では投票率 40%を下回るところが少なくない。 投票率が低いことを肯定的にとらえる意見がある。ある討論番組 で「投票率が低いことは悪いことじゃない、国民の生活が安定して いる証拠だ」という意見を耳にした。たしかに一理あるかもしれな い。池田勇人が国民の関心を政治から経済へシフトして以来、日本 は高度経済成長をとげて、国民の生活水準は高くなり、経済的不満 から生じる政治に対する関心・要求は縮小したと考えられる。 しかし、投票率が低いことによって生じる問題が存在することも 否定できない。投票率が低ければ、投票総数に占める組織票の割合 が高くなり、圧力団体の意向が強く政治に反映されるようになるし、 組織票をもつ現職が有利な選挙になってしまう。そうすれば、政治 が一部の人たちに利用される可能性があるし、新人の当選が難しく なれば現職の緊張感が薄れてくる。政治の固定化が助長されれば政 権交代が起こりにくく、汚職事件が多発したり、官僚主導政治にな りやすくなる。こうして少数者によって行われる政治は、その正統 69 性が失われ、政治不信や政治無関心を呼び、低投票率スパイラルを 生むのである。 したがって、投票率は高くなければならないと考える。しかし、 投票は権利であるという性格から、罰則規定をもうけてまで無理や り投票率をあげることには、合点がいかない。そして、ただ闇雲に 投票率さえ上げればよいというわけではない。投票率が上がれば、 現職の緊張感には繋がるものの、しっかりと考えて候補者を選ぶこ とが望ましいのである。 そうは言っても「政治的関心・投票義務感を高める教育を」と声 高に叫ぶような真似はしたくない。なぜなら、日本の教育現場では 政治教育は宗教教育と同様にタブーとされており、現場の改革に勤 しむことは本来の目的と異なるからだ。また、教育というものは評 価することが困難であり、政治的関心や投票義務感の習熟度の計測 は、主観的なものにならざるをえないのである。 それでは、どうすれば投票率を向上させることができるか。私は 投票に行くことを決定付ける客観的指標を求めて研究したい。客観 的指標に注目することは、投票率をあげる施策を考えるうえで重要 だからである。たとえば、ニュースの視聴が多い人ほど投票に行く のであれば、ニュースを視聴するように呼びかければいいし、組織 に所属している人が投票に行くのであれば、組織に所属するように 呼びかければいい。短絡的ではあるものの、政策立案の一助になる と言えるだろう。この研究が低投票率スパイラルを脱却するための 足がかかりとなれば幸いである。 2.研究対象と先行研究 ◆研究対象 投票の決定要因を主観的指標と客観的指標に区別し、客観的指標 にのみ焦点をあてることは新しい試みである。先行研究において、 「政治的関心や投票義務感」といった個人の主観的指標が投票に大 きな影響力をもつことはすでに自明であり、「政治的関心や投票義 務感」が育まれるという点で初期社会化の研究がなされてきた。し かし、私は今回の研究ではこの主観的指標を除外して分析し、あく まで補足的に議論しようと思う。つまり、投票参加と客観的指標を 主な研究とし、最後に客観的指標と主観的指標の連関について考察 70 したい。こうした研究方法であっても、学術的である以上、実社会 で活かされやすい研究になると考える。 ◆先行研究 客観的指標で投票行動を研究するという点で、棄権についての研 究を参考にしたいと思う。投票しない人の性向をみることは、投票 を決定付ける客観的指標を求める立場からも必要であると考える。 私の理想は先述のとおり高い投票率を実現することであるので、棄 権の研究をすることは、理想を実現するために不可欠であると考え る。 小平修は『棄権の実証的研究』の中で、棄権層または潜在的棄権 層が多い社会的属性について述べている。①地域密着度②政治的有 効性感覚③投票義務感④無風選挙での投票志向⑤悪天候での投票 志向⑥政治家後援会加入⑦衆議院選挙における投票実績⑧市町村 会議選挙における投票実績、以上の項目について「棄権」と答える か、棄権に類する消極的・非参加的態度を表明したものの比較分析 を行っている。そして次にこれらの態度・行動との関係を分析され る社会的属性として①性別②年齢③居住地規模④地域⑤学歴⑥職 業を取り扱い、社会的属性と投票に対する態度・行動との相関関係 について分析している。 小平によれば、棄権層または潜在的棄権層とみなされる人は、女 性で低年齢であり、都市部に居住する学生・主婦・労務職・事務職 に多いとされる。男性と比べて僅差ではあるものの、女性のほうが 投票にはいかない傾向あり、歳をとるほど棄権する人は漸減すると いう年功効果も見られるという。 一方、蒲島郁夫は『政治参加』の中で、社会的属性と政治参加に ついて分析している。性別・年齢について、投票参加に男女差はほ とんどないものの、1969 年以降は女性の投票率が男性の投票率を 上回っており、20 歳代の投票参加度は極めて低いが、年齢を重ね るに従って投票参加度は高まっていくとしている。また、教育・所 得・職業についてはミルブレイスの「高い階級の人間の方が低い階 級の人間より政治に参加する傾向が強い」という一般化を紹介しな がらも、日本では①教育程度が高くなればなるほど投票参加度が低 下する②所得の最も低い階層を除いて、収入が高くなればなるほど 政治参加度は高くなる③社会的地位が高い職業ではなく、農林漁業、 71 商工自営業、管理職の政治参加度が高いという分析結果を示してい る。最後に都市規模について、大都市に居住する市民の政治参加は 農村部のそれよりも低いと述べている。(本文では投票参加と政治 参加という言葉が使い分けられているようで、その区別は不明確で ある。所得・職業・都市規模について投票参加という言葉は用いら れていないが、分析結果の表からみても政治参加とほぼ一致するの で、同義と考えてよいと思う。) 以上の内容をまとめると、投票を決定付けるのに性別はあまり関 係がなく、年齢・教育・所得・職業・居住場所が投票を決定付ける 客観的指標として挙げられる。しかし、年齢が若くても投票に行く 人、学歴があっても投票に行く人はどのような人なのだろうか。こ こで私は、「先導力を発揮した経験・発揮する地位がある」(以降、 先導的地位経験)という客観的指標を提案したい。人が集団的な生 物である限り、リーダーや調整役、ムードメーカーなどそれぞれ集 団の中で役割を果たしているはずである。その集団の中で、集団を 取りまとめるような地位についた経験がある人は、人より社会化さ れているので投票に行くのではないか。初期社会化・後期社会化の 区別なく、社会化の程度を客観的に見るためにも先導的地位経験の 存否を指標にしたい。JEDS2000 の質問票では管理職・生徒会活 動の経験がこれにあたると考えられる。 先導的地位経験の指標で推論を行うと、棄権についての先行研究 とも合点がいく。①女性の棄権が多いのは、女性の社会進出が当た り前になった今日でも女性の管理職は少なく、先導力をもつ機会が 少ないからではないか。②歳をとるほど、棄権が少なくなるのは、 日本の雇用制度が年功序列であり、サラリーマンであれば昇進し、 部下の数が増えて先導力を発揮する経験が積まれるからではない か。③農村部では自治会などの結成率が高く、地域が統合されてい るため、防災やお祭り、青少年育成など一人一人が先導力を発揮す る機会が多いと考えられ、都市部ではこの点で農村に劣っている。 ④職業では学生、主婦、労務職、事務職の棄権が多い。しかし、20 歳をすぎてからの生徒会活動は皆無に等しく、先導力を発揮する機 会は減少していく。また主婦は家庭の管理職であるが、部下がおら ず先導力を発揮できない。労務職・事務職は非管理職であり、先導 力を発揮する機会に恵まれていない。 72 以上のようなことを考えながら、客観的指標を求めていきたい。 3.指標と仮説 ◆指標 私は 5 つの客観的指標を提案し、それらと投票の有無の相関関係、 因果関係について調べる。私が提案する客観的指標は①ニュース視 聴②学歴③所得④先導的地位経験⑤組織所属⑥年齢である。①政治 的関心など主観的指標を除外した今回の研究ではあるが、そういっ た主観的なものを客観的指標に置き換える試みとして、この指標を 提案する。ふだんニュースを視聴していれば、社会情勢に触れてい るので、政治や社会について関心が強いと考えられる。②高度な教 育を受けるほど、社会の出来事を見聞しているのではないかと思わ れ、それだけ投票へ参加すると考えられる。しかし、先行研究では 教育程度と投票参加に負の相関関係がみられているので、確認する。 ③経済的な自立は、日常生活に関わりの小さい政治への関心をそむ ける一因にならないだろうか。たしかに tax payer は、自分たちの 税金の使い道に関心をむけるという考えによれば、先行研究のとお りの結果がでるだろう。しかし、不景気が長く続き、貧富の差が拡 大しつつある今日では、どうやって補助を受けようかと考える人々、 つまり所得の低い tax eater のほうが政治について関心が強いか もしれないので、確認する。④先述のとおり、先導力の発揮は社会 化のひとつであり、投票参加とは強い因果関係をもつと考えられる。 ⑤社会的地位の高い職業ではなく、農林漁業、商工自営業の人が投 票参加する傾向が強い日本の現状を鑑みると、農協や労組、後援会 など組織所属の有無が投票参加を決定付けているのではないか。こ れを確認するために提案する。⑥先行研究から、投票参加には年功 効果が見られるため、確認する。 ◆仮説 私は「先導的地位経験と投票参加に因果関係が認められる」とい う仮説を実証したい。先導的地位経験は政治的社会化と密接な関係 があり、社会化は市民的有力感をもたらすとされ、先導的地位経験 の有無が投票参加に与える影響は強いと考えられるからである。 G・A・アーモンド&S・ヴァーバは『現代市民の政治文化』の中で「非 政治的な参加の機会を持っていた個人は、これらの機会を持ってい 73 なかった人と比較して、もし何らかの参加できる政治状況が生じれ ば、参加する反応を選ぶ傾向が強いであろう」と述べている。そし て、家庭や学校での参加が(初期)社会化であり、中等学校以上の 教育はこれらの参加に取って代わることができるとしている。一方、 職場での参加は家庭や学校で学んだことを強化できても、取って代 わることができない(後期)社会化であるとしている。 この仮説が実証されれば、先導的地位経験が社会化の作業定義と して有効であり、漠然としていた社会化の程度に一定の目安が提示 できるのではないかと思う。そしてこれが客観的指標であることか ら、投票率をあげるための方策を考える一助となるであろう。つま り、人が先導力を発揮することによって社会化され、投票するなら、 教育の現場において生徒会活動を充実させることが求められるだ ろうし、社会の中でも先導力を磨く機会をつくるべきである。 4.作業定義と分析・考察 ◆作業定義 ニュース視聴について JEDS2000 質問票のテレビ・ニュースの視聴日数と新聞の購読 日数を用いて、ニュース視聴の指標を作成した。それぞれ全く見な い人を 0、週に 1 日くらいを 1、週に 2∼3 日くらいを 3、週に 4 ∼5 日くらいを 5、毎日またはほぼ毎日を 7 として、視聴日数と購 読日数の和をとって 0∼14 の量的データとした。 学歴について JEDS2000 質問票の最終学歴を用いて、教育程度を三段階に区 別し、それぞれを独立させて三つの学歴の指標を設けた。戦前と戦 後で教育制度が異なるという問題があるが、年齢相応の学歴同士で、 同程度の教育がなされているものと考える。したがって、小学校・ 中学校・高校と小学校・尋常小学校・高等小学校・旧制中学校・女 学校を 1 とし、専門学校・職業訓練校・短大・高専・旧制高専・旧 制高校を 2 とし、大学・大学院・旧制専門学校・予科・旧制大学を 3 とする。そして学歴 1、学歴 2、学歴 3 の指標をつくり、該当す る学歴で 1、該当しない学歴には 0 とする質的データとした。 所得について JEDS2000 質問票の家計年収を用いて、収入額を九段階に区別 74 した所得の指標を設けた。200 万円未満を 100、200 万円∼400 万 円未満を 300、400 万円∼600 万円未満を 500、600 万円∼800 万 円未満を 700、800 万円∼1000 万円未満を 900、1000 万円∼1200 万円未満を 1100、1200 万円∼1400 万円未満を 1300、1400 万円 以上を 1500 とする量的データとした。 先導的地位経験について JEDS2000 質問票、生徒会活動の参加と仕事上の役職の有無を 用いて、先導的地位経験の指標を作成した。「生徒会活動に参加し た経験がある」もしくは「部長、部次長以上の役職についている」 のいずれかに該当する人を 1、どちらとも関わりのない人を 0 とし た質的データとした。前者は初期社会化を、後者は後期社会化を図 るものと思われるが、ここでは社会化の時期についてまでは考慮し ない。 組織所属について JEDS2000 質問票、組織・団体加入の有無を用いて、組織所属 の指標を作成した。組織に加入することで社会化され、投票参加す る傾向を測るため、組織・団体を二分する。選挙の際に強く動員が 行われるであろう団体とそうでない団体を、主観的判断で区別した。 動員力が強い団体には同業者団体・農協・労働組合・住民運動団体・ 市民運動団体・宗教団体・政治家の後援会を選び、そうでない団体 には自治会・町内会・PTA・生協・消費者団体・ボランティア団体・ 学校の同窓会を選んだ。前者に所属している場合には動員されるこ とによって投票参加する傾向が強い。一方、後者に所属している場 合は、組織に所属することで社会化された結果、投票参加すると考 えられる。前者を組織所属 2、後者を組織所属 1 という独立した指 標にして、それぞれの団体に所属していれば 1、していなければ 0 とし、重複所属は検討しない。 年齢について JEDS2000 質問票、年齢の項目を利用し、量的データとした。 ◆分析 以上、①ニュース視聴②学歴 1、学歴 2、学歴 3③所得④先導的 地位経験⑤組織所属 1、組織所属 2⑥年齢を独立変数とし、投票の 有無を従属変数として回帰分析を行った。結果は下表のとおりであ る。 75 表1 投票参加と客観的指標の相関関係 視聴 学歴1 学歴2 学歴3 所得 先導 所属1 所属2 年齢 相関係数 0.117 0.071 -0.075 -0.011 0.098 0.081 0.087 0.135 0.221 危険率 0.004 0.077 0.063 0.778 0.292 0.048 0.029 0.001 0.000 出所:JEDS2000 表2 投票参加と客観的指標の回帰分析 視聴 学歴1 学歴2 学歴3 所得 先導 所属1 所属2 年齢 標準化係数 -0.026 * -0.043 0.023 0.125 -0.085 0.064 0.113 0.167 危険率 0.785 * 0.700 0.838 0.214 0.376 0.530 0.263 0.119 出所:JEDS2000 *学歴1をレファレンスポイントとするため、分析から除去した 次に、危険率が高い指標から適宜削除し、回帰分析を繰り返して、 下表の結果を得た。 表3 先導的地位経験 (動員力の強い)組織所属2 年齢 標準化係数 0.053 0.104 0.216 危険率 0.185 0.010 0.000 出所:JEDS2000 ◆考察 ニュース視聴と投票参加との間に相関関係を見ることはできる が(表1) 、標準化係数は低くて危険率も相当高いので(表2) 、両 者の間に因果関係ついて言及することはできなかった。これは政治 的関心を客観的に測るものとして提案した指標であったが、実証的 な説明はできなかった。 学歴についてみると、蒲島のいうとおり学歴と投票には負の相関 関係を見ることができた(表1)。これについて、小平は「学歴は 年齢と逆相関の関係にあり、初等教育のほとんどは高齢者に、高等 教育の多くは若年層に占められる。そのうえ、戦後の経済発展、高 76 等教育の普及、女性解放などによって多くの社会的格差が解消また は後退した結果、貧富の差がなくなり中産階級化が進んだ時代的背 景も考慮されなければならない。たとえ高学歴=積極的という傾向 があるとしても、それは主として高学歴=若年層=消極的という年 齢要因によって減殺、さらには凌駕される」と説明している。そし て、標準化係数は低くて危険率も高いので(表2)、両者の間に因 果関係ついて言及することはできなかった。 所得についてみると、正の相関関係がみられ(表1) 、回帰分析 の結果についても相対的に有意な数値を得ることができたので(表 2)、先行研究が正しいことを実証できたと考える。 先導的地位経験についてみると、相関関係に有意な数値が得られ (表1)、因果関係についても有効な結果を得ることができた(表 3)。したがって、私は先導的地位経験が投票を決定する一因であ ることを実証できたと考える。 組織所属についてみると、動員力の強い組織では相関関係(表1)、 因果関係(表3)ともに有効な数値が得ることができたので、客観 的指標として実証された。しかし、動員力の弱い組織では有効な結 果を得ることができず、今回の分析から相関・因果関係を認めるこ とはできない。 年齢についてみると、相関関係(表1) 、因果関係(表3)とも に十分な数値を得ることができ、投票参加の年功効果が実証された。 以上の分析結果を総評すると、 「投票参加を決定付ける客観的指 標として、先導的地位経験、動員力の強い組織所属、年齢が有効で ある」という結論を得ることができる。これらはすべて社会化とい うキーワードで切り口をつくることができる。先導的地位経験があ る人が投票参加するということは、社会化された人は投票参加して いるということができる。組織所属について言えば、動員が投票を 決定づけている一方で、強い動員が行われるような一体感のある組 織に所属していることで、社会化が進んでいるとも言えよう。年齢 を重ねることで多くの人と出会い、生活範囲が広がり、社会化は進 むと言えるのである。 77 5.主観的指標との連関 ◆主観的指標と投票参加 今回の研究で客観的指標を得られたものの、それは主観的指標を 除去して考えた結果であって、主観的指標について考慮しない研究 に正当性はない。そこで、主観的指標がどれだけ投票参加に影響を 与えているかを分析する。今回用意した 6 つの客観的指標に加えて、 政治的関心、投票義務感という 2 つの主観的指標とともに回帰分析 を行った(JEDS2000 質問票から量的データとして利用し、先と 同様に分析を繰り返した) 。 表4 動員力の強い組織所属 政治的関心 投票義務感 標準化係数 0.103 0.064 0.225 危険率 0.010 0.117 0.000 出所:JEDS2000 以上の結果より、客観的指標としては、組織所属が投票参加に影 響力をもっているが、主観的指標が先導的地位経験や年齢を抑えて 影響力をもっていることがわかる。特に投票義務感の影響力が強く、 投票参加を決定付ける要因は主観的指標によるところが大きいと 言える。これは先述のとおり自明の結果であり、主観的指標の投票 参加に対する影響力を確認することができた。 ◆主観的指標と客観的指標 私は客観的指標の重要性を実証するため、主観的指標と客観的指 標の連関について言及する。投票参加を決定付ける主観的指標に対 して、客観的指標の影響力が実証されれば、客観的指標の投票参加 への間接的な影響を説明することができる。客観的指標の間接的影 響力について明らかにしたい。そこで、先に用意した 6 つの客観的 指標を独立変数とし、政治的関心と投票義務感をそれぞれ従属変数 として回帰分析を行った。 78 表5 政治的関心と客観的指標の回帰分析 視聴 学歴1 学歴2 学歴3 先導 所属2 年齢 標準化係数 0.133 * 0.053 0.165 0.115 0.066 0.202 危険率 0.000 * 0.045 0.000 0.000 0.009 0.000 出所:JEDS2000 *学歴1をレファレンスポイントとするため、分析から除去した 表6 投票義務感と客観的指標の回帰分析 先導的地位経験 (動員力の強い)組織所属2 年齢 標準化係数 0.053 0.071 0.319 危険率 0.031 0.004 0.000 出所:JEDS2000 政治的関心についてみると、ニュース視聴、学歴、先導的地位経 験、動員力の強い組織所属、年齢に相当な因果関係を認めることが できた。投票参加に直接的影響力をもつことが認められた先導的地 位経験、年齢は政治関心にも強い影響力を示している。そして動員 力の弱い組織ではなく、動員力の強い組織では政治的関心が育まれ やすいという点に注目すると、必ずしも動員が投票参加を促してい るだけでなく、先述したように動員力の強い組織では、その一体感 から社会化の習熟度も高いと考えられる。またニュース視聴、学歴 からも有意な数値をえることができた。とくにニュース視聴につい て言えば、政治的関心という主観を客観的指標に置き換えることは 妥当ということができると考える。 投票義務感についてみると、先導的地位経験、動員力の強い組織 所属、年齢に相当な因果関係を認めることができた。ここで興味深 いことは、投票義務感という主観的指標に影響をもつ客観的指標が、 投票参加に直接的な影響をもつ客観的指標と一致する点である。つ まり、先導的地位経験、動員力の強い組織所属、年齢は投票参加に 直接的影響をもち、さらに間接的影響をも持っているのである。こ れは投票義務感が投票参加を決定付ける影響力が強いことの裏づ けであると考えられる。 79 以上の結果を総評すると、客観的指標は主観的指標に強い影響力 をもっている。投票参加には主観的指標が強い影響力をもっている ので、客観的指標は間接的影響力をもっているということが実証さ れた。つまり、客観的指標から得られる情報に基づいて投票率向上 のための施策を実施すれば、人間の主観に作用して投票率は高くな るというメカニズムを構築することができる。 6.おわりに 最後に今回の研究の問題点を明らかにしたうえで、投票率向上の ための提言をしておきたい。客観性を重視する中で、主観的な作業 定義を行った点に問題があったと思われる。教育程度は、戦争前後 で教育制度が異なるがゆえに年齢相応で枠組みを構築した。組織所 属についていえば、動員力のある団体を主観で選択しているし、重 複所属を検討していない。しかし、これらの問題が分析結果に大き な影響をもったとは考えにくい。もっとも大きな問題は、データそ のものあったと言える。実際の投票率は 50%前後にも関わらず、デ ータの投票率は 80%に上る。これは、パネル郵送調査によって回収 されたサンプルが少ないこと、また回答者には投票した人が多くデ ータにバイアスがかかっていることなどが考えられる。 今回の研究から明らかなことは①投票参加を決定付ける客観的指 標は社会化という視点で説明することができる②客観的指標は主観 的指標に大きな影響力をもっており、投票参加に対して間接的に影 響力をもっている、ということである。したがって、投票率を向上 させる施策として、社会化教育が求められる。たとえば、学校でい えば生徒会活動、会社などではリーダーシップ研修などが具体的に 挙げられる。組織の一員であることを実感させること、しいては社 会の一員であることを意識させることが、投票参加を促す有効な手 段であるといえるだろう。その足がかりとして、ニュースや新聞記 事に触れること、高等教育を受けさせること、リーダーシップを発 揮させること、所属する組織をもつことが重要である。 以上 80 文献 蒲島郁夫 1988 年『政治参加』東京大学出版会 小平修 1992 年「棄権層・潜在的棄権層の社会的属性」日本選挙 学会『棄権の実証的研究』北樹出版 G・A・アーモンド&S・ヴァーバ 1963 年『現代市民の政治文化』石 川一雄ほか訳 剄草書房 1974 年 三宅一郎 1990 年『政治参加と投票行動』ミネルヴァ書房 81 6 何が「社会性」を構成 するのか ∼政治参加における「動員」の分析をもとに∼ 宮川佳也 1.はじめに 私たちが何か社会的なものに参加するとき、そこにはどのような メカニズムが働いているのだろうか。個人的な活動から地域的な会 合、そして政治的・公的な会合。もっと具体的に言えば、著名人の 講演会や習い事の講習、娯楽的な音楽イベント、そして同窓会にい たるまで、私たちは日常生活において何らかの「参加」の決断、選 別を迫られる機会が多い一方で、それらのメカニズムに目がいくこ とは少ない。何かに「参加」するとは、何を意味するのだろうか。 政治であれ、趣味であれ、「参加」にはひょっとすると何か共通の メカニズムが働いているのではないだろうか。 本稿の目的は、いくつかの社会的参加のメカニズムを解明するこ とによって、諸参加に共通する社会性を構成するもの、つまり何が 社会性を構成するのかを探ることである。本稿で考える「社会性」 とは、何か社会的なものに参加しようとする志向・精神性のことで あり、その範囲は上に述べたように政治から趣味まで広く想定して いる。言い換えれば社交性とも言えるかもしれない。この社会性を 探ることによって広く一般の社会的参加を考えるきっかけとした い。 具体的な方法としては政治参加行動の分析を行う。理由は2つあ る。ひとつは、政治参加に関する学術的な分析・実証の蓄積が多く、 82 有用なデータが利用可能であること。ふたつに、政治参加の概念は 投票から選挙運動、地域活動、ボランティア活動にいたるまで幅広 く、「社会的参加」の概念の基本的な部分をカバーしているからで ある。つまり、政治参加の分析をすることによって一般的な社会的 参加の解明につながる。 その際に本稿では、「動員」の効果に注目したい。動員とは広い 意味で「駆り出された・依頼された参加」であり、今回の分析結果 から得られた大きな特徴である。これが社会的参加において何を意 味するのか。そもそも人が何らかの参加の「決定」をするまでの心 理には、大きく2つの要因が存在するといわれるのだが、その一方 を担っているのが「環境による外部からの刺激」、つまり動員なの である。(L・W・ミルブレイス 1965) (もう一方については次節 で紹介。)動員は、 「環境による刺激」の中で大きな意味を持つもの である。 以下、次のように議論を進めていく。まず次節で参加一般に共通 するメカニズムを考え、3節でその要因となる仮説を提示、4節で 分析、そして5節で分析結果をもとに考察をし、6節でまとめる。 2.「参加」の心理的メカニズム ―「パーソナリティの先有傾向」と「環境の刺激」 人が「参加」というひとつのアクションに至るまでには、どのよ うなメカニズムが働いているのだろうか。次の引用から、根源的な 視点に立ち返ってみたい。 「次にする行為を人間が決定するということは、環境 からの刺激と、特定の時点でその人間が持っている先 有傾向の特殊なパターンとの相関関係である。」(L・ W・ミルブレイス 1965、p.40) この中から「先有傾向」と「刺激」という2つのキーワードが読 み取れる。生理的・心理的欲求、信条、態度の3つに分類されるの が先有傾向で、生まれ育っていく中で徐々に蓄積され、形成される。 遺伝形質から来る根本的な欲求を、 「学習」1 によって刻んでいくこ とから始まり、信条、そして態度へと進む。たとえば、食べておい 83 しかった(まずかった)こと、うれしかった(悲しかった)行動な どが嗜好とともに信条、態度を形づくっていくのである。精神が形 成されていくにつれ出来た先有傾向が、外部の刺激と合わさり、そ の時々の行動を決定する。つまり行動とは、本質的には、先有傾向 と環境による刺激が瞬間瞬間に合わさる結果なのである。 なるほど、 「参加」の決定には、個人の持つパーソナルな資源と、 外部の環境による刺激が大きな意味を持つことがわかる。昔から培 った信条・態度にもとづき参加の損得をはかるときもあれば、友人 からのたっての誘いで損得抜きに参加を決めるときもある。これら 2つの要因が、政治参加を含め、社会的参加一般にとって大事なの である。 3.社会的参加についての仮説 上記に示した特徴に基づいて、「社会的参加」の要因を分析する ための仮説を提示したい。個人の持つリソース(先有傾向)に対応 するものが1つ、環境によるものが3つ、計4つである。 3−1.コスト感覚仮説 政治参加において、個人が持つ政治的リソースが参加のコスト緩 和に大きな影響をもつことは、これまでに実証されてきたところで ある 2。教育程度や年齢(経験の長さ)によって政治に対する関心 が高まっていれば、政治参加に対するコストを下げることができ、 より積極的に政治に参加する可能性が高い。 先に示したように、 「参加」に至るプロセスにおいては、個人が どのような「学習」を経て、どのような先有傾向を持ち合わせてい るかが極めて重要となる。たとえ外部からの「刺激」が同じもので あっても、それを受け止める人(パーソナリティの先有傾向)によ っては、参加のコストを和らげもするし、逆に増幅することも考え られる。つまり人によっては、プラスとマイナス正反対に受け止め られる可能性を持っている。 3−2.動員仮説 続いてこれより以下は、外からの刺激、環境に関する仮説である。 この外的刺激でもっとも強力であろうと予想されるのが、人からの 84 勧誘、動員による刺激である。これは経験的に考えても想像しやす いことだが、人は、行動するにあたり、個人の意思よりも先に決め てしまう(丸投げしてしまう)ことがある。特に仲の良い友人に誘 われたり、あるいは組織の上司に頼まれたりという刺激が入力され ると、理性とは別次元の判断をして行動を決定した経験がある人は 少なくないのではないか。人は社会的な存在であり、常に他人の影 響が交差する中で生きている。他人からの「説得」があれば、刺激 を受けざるを得ない。すべて自分の思い通り、あるいは計画通りに はなかなか進まないものである。 また、政治参加においても、動員は見逃せない指標としてあげら れる。政治家の後援会、政党の地方組織、利益団体、宗教団体など、 戦略上、選挙において欠かせないものであり、実際、動員の影響に よって多くの人が選挙に足を運ぶ。 (蒲島 1988) 特に激戦区など は力のある政治家が多様なルートからてこ入れをし、最後の最後ま で粘り強い集票合戦が繰り広げられることが多い。人が人を呼び、 ますます大きな運動となっていく。 動員は、個人の持つ先有傾向を無力化するほどの力を持ち、強力 な外的刺激となって参加に影響を及ぼすと考えられる。 3−3.交友関係仮説(団体ふくむ) 個人を取り巻く環境という点で興味深いのが、その交友関係の広 さである。単純に、普段から関わる人数が多ければ多いほど、刺激 を受ける回数も種類も多様かつ品雑になることが予想される。付き 合う人の数や所属している団体の数が多いほど、社会性が高まり、 参加の要請も自然と増えてくるのではないか。多くの会合に出てい る人ほど忙しく、そして会合で顔が広がりまた忙しくなるのである。 3−4.インターネット・情報化社会仮説 情報化社会が進みつつある現代において、インターネットでのホ ームページ閲覧や E メール、携帯電話のメールで参加刺激を受け ることも十分考えられる。特にメーリングリストによるリスト参加 者への一括配信や、メールマガジンによる、同じく不特定多数への 一括配信のシステムを利用して、情報の配信・入手が非常に低コス トでできるようになったことは大きな意味を持っていると思われ 85 る。これにより、さまざまな参加の依頼が、職場からも、公からも、 知人からも、果てには全く関わりのなかった商店、企業の送り主か らも、自由に、安く、大量に送られることになった。この「刺激」 が時機を得ていれば、受信者にとっては大きな刺激となるだろう。 さらにこれらの刺激に特徴的なのが情報へのアクセスの簡便さ である。こうしたメールには、中にインターネットのサイトのアド レスが添付してあることが多く、本文中のアドレスを軽く指でワン クリックするだけで、豊富な情報にアクセスすることができる。こ うした環境に多くいる人ほど、社会的なものに参加する機会が増え ているのではないだろうか。 4.分析 以上の4つの仮説を、重回帰分析により検証した。用いたデータ は JEDS2000 3 である。以下、順に分析に用いる作業定義を説明し ていく。 4−1.従属変数:政治参加経験 従属変数は「政治参加経験の有無」である。実証に用いた参加形 態は、「選挙運動を手伝う」、「候補者や政党への投票を知人に依頼 する」 、 「政治家の後援会員となる」、 「政党の党員となる」 、 「政党の 活動を支援する(献金・党の機関紙を購読する)」、「政党や政治家 の政治集会に行く」 、 「デモや集会に参加する」 、 「地域のボランティ ア活動や住民運動に参加する」 、 「自治会活動に積極的に関わる」の 9項目である。それぞれについて一度でも参加経験があれば、「経 験あり=1」とし、無ければ「無し=0」のダミー変数とした。な お、使用する参加形態はデータにあげられている政治参加15種を すべて使用するのではなく、今回の分析の目的に照らして選別して いる。4 4−2.独立変数(1) :個人リソース関連 次に独立変数について、仮説順に説明していく。 まず、個人リソースであるコスト感覚仮説についてだが、これに は「政治的関心」 、 「政治的有効感覚」 、 「一般的な信頼感」 、 「教育程 度」、「年齢」の5つを用いる。政治的関心はあるかないかの2値、 86 政治的有効感覚はあり∼なしまでの4値、教育程度は学校教育を受 けた年数、をそれぞれ使用した。一般的な信頼感については、「ほ とんどの人は信頼できる」 、 「たいていの人は、人から信頼された場 合、同じようにその人を信頼する」という信頼感覚について、そう 思うか思わないかを4点尺度で尋ねている質問を利用した。2つを 足し合わせて8値で用いている。 4−3.独立変数(2) :動員 動員仮説については、従属変数に用いた9項目の参加形態につい て、「これまでに1度でもこの中にあるような活動をするように友 人や知人から頼まれたことがありますか。あるものすべてをあげて ください。」と尋ねる質問項目を用いた。それぞれの形態について 「あり=1」 、 「なし=0」のダミー変数とした。 4−4.独立変数(3) :交友関係、組織・団体加入 交友関係仮説については、4つの変数を使用した。大きく2種類 に分けることができる。 ひとつは交友関係の広さをあらわす変数として、 「今年個人的に やりとりした年賀状の枚数」、と「あなたはここにあげるようなお 知り合いで、日ごろから親しく付き合っている方は何人くらいいま すか」という2つの質問を用いた。前者は枚数を、後者については 「仕事・アルバイトで知り合った人」 、 「学校で知り合った人」、 「親 戚の人」、 「その他の親しい人」という項目についてそれぞれ付き合 う人数の多さに応じて5点尺度で答えられているものを、足し合わ せて「親しい付き合い」という1つの尺度とし、4点∼20点の1 6点尺度とした。 交友関係をあらわすもう一方の種類は、組織・団体加入である。 団体の性格によって圧力団体(フォーマルグループ)5 とインフォ ーマルグループとにわけた。それによって刺激の受け方も異なるか らである。前者は「PTA」、 「同業者の団体」 、 「農協」 、 「労働組合」 、 「生協・消費者団体」、 「ボランティア団体」 、 「住民運動団体」、 「市 民運動団体」、 「宗教団体」 、の9項目をそれぞれ加入、非加入で1 /0なっているのを累積して足し合わせたもの。後者も同じく「職 場の仲間のグループ」、 「習い事や学習のグループ」 、 「趣味や遊び仲 87 間のグループ」の3項目を累積して足し合わせたものを用いた。 4−5.独立変数(4) :インターネット・メール 最後のインターネット・情報化仮説についてだが、携帯電話のメ ール機能やパソコンの電子メール、そしてインターネットによるホ ームページ閲覧をすべて含んだ意味で、「インターネットをお使い ですか」と尋ねた質問を「使っている=1」 、「使っていない=0」 のダミーで用いた。 5.分析結果 5−1.結果考察 分析結果は以下の通りである。信頼できる数値(危険率が5%以 下の水準のもの)は網掛けで記しており、それに続いて注目すべき もの(危険率が8%以下のもの)は数字に「**」という印をして いる。数値は各分析ごとの偏回帰係数を表す。 表1.社会的参加の要因分析 選挙運 投票依 後援会 党員と 政党支 政治集 デモ・ ボラン 自治会 動 頼 員とな な 援活動 会に行 集会 ティア 活 手伝う る る く 政治的関心 .076 .070 .035 .041 .065 .121 .047** .077 .069 有効感覚 -.030 -.011 -.016 -.005 .026 -.030 -.008 .034 .011 一般的信頼感 .009 .031 -.021 -.001 .034 -.007 .012 -.016 -.017 教育程度 -.009 -.049 -.001 -.065 -.001 -.031 .049 .020 -.016 年齢 .108 .115 .117 .000 .069 .143 .066 .084 .094 動員 .569 .419 .515 .530 .461 .474 .570 .475 .449 年賀状 -.028 .024 -.004 .064 -.004 .052 -.001 .052 .047 親しい付き合い .026 .044 .026 -.002 .050 .022 -.006 .037 .059 圧力団体 .069** .126 .082 .105 .048** .079 .078 .121 .094 インフォ−マル .045 .039 .028 .003 -.017 .035 .015 .068 .083 インターネット -.001 -.021 -.049** -.043 -.013 -.013 .002 .015 -.041 A d j .385 .264 .324 .324 .253 .346 .366 .350 .314 1175 1175 1175 1175 1175 1175 1175 1175 1175 (N) R 2 88 動 この分析結果からわかることを順番に見ていきたい。 まず、「パーソナリティの持つ先有傾向」に対応する個人リソー スについてだが、この中では「政治的関心」が各種参加形態に対し て概ね一貫して、参加の要因となっている。また「年齢」について も同様のことが言える。政治的関心が高いという先有傾向を持って いる人や、年齢を重ねることによって社会的な経験が増えている人 は、参加のコスト感覚が軽減されて参加しやすくなったものと考え られる。 次に「外的刺激」に対応するものの中では、「動員」の効果が圧 倒的に大きい。全要因と比べてもその影響力は群を抜いている。ほ かには「年賀状」や「親しい付き合い」にもいくつか効果がみられ、 交友関係の仮説を支持していることがわかる。 また、 「圧力団体的なグループに多く所属している」人たちや「イ ンフォーマルグループに多く所属している」人たちも外的刺激とし て有効な結果が出ている。特に前者の影響が大きい。注目すべきは、 前者が参加形態のタイプを問わず普遍的に効果が現れているのに 対して、後者は限定的であることである。 ここで興味深いのは、組織加入団体の違いによって、効果が現れ る参加形態が異なっている、つまりもっと言えば、参加形態の分類 ができることである。圧力団体的な組織に多く所属している人たち は、なるほど、政治的な参加形態においてひろく参加の効果が見ら れるが、一方、インフォーマルな団体に多く所属している人たちは、 ボランティアや自治会などの地域的な活動、つまりより身近な活動 において特に参加の効果が現れている。社会的参加として今回扱っ た政治参加は、おおざっぱに言って「政治的/地域的(準政治的) 」 という軸で2つにわけることが可能になる。そのラインで分かれて いるのが所属団体の違いなのである。これは参加の形態によって動 員や刺激のルートが異なることを示唆しており非常に興味深いも のである。 5−2.さらなる分析 さて、ここでこれまで見てきた分析結果から得られた特徴をもと に、次のステップへと移りたい。もっとも効果が強く、かつ普遍的 89 だったのは動員の効果である。では逆に、動員に影響されていない 人たちはどうして参加したのであろうか。個人のリソースによるも のなのか、それとも何か別の影響があるのか。この大きな影響力の 影で、その他の変数における効果の微妙な差異が隠されている可能 性もある。それらを改めて確認するためにも、従属変数を「動員さ れていない参加/不参加」としてさらなる分析をしたい。 ただし分析にあたって、従属変数である参加形態をさらに限定す ることにした。従属変数が2値変数であるため、偏りが大きくなり すぎると分析結果が統計的に有意でなくなる可能性があるからで ある。中には「動員なしで参加した人」は全体の10%に満たない ものもあった。よって使用した形態は以下の分析結果表にある6形 態である。 表2.動員に寄らない参加の要因分析 選挙運動 投票依頼 手 伝 う 後援会員 政治集会 ボランテ と な る に 行 く ィ ア 自治会活 動 政治的関心 .235 .158 .088 .081 .106 .108 有効感覚 -.058 -.106** -.051 -.064 -.117 -.030 一般的信頼感 -.019 .067 .033 .042 -.020 .040 教育程度 .006 -.018 -.084 .014 -.084 -.056 年齢 .176 .190 .125** .153** .033 .105 年賀状 -.048 -.013 -.010 -.048 .135 -.064 親しい付き合い -.028 .035 .041 .044 -.109 .126 圧力団体 .039 .236 .101 .107 .244 .070 インフォ−マル -.020 .085 -.074 -.027 .001 .199 インターネット -.031 .041 .007 -.077 -.041 .000 .058 .116 .023 .012 .035 .054 277 290 281 221 167 199 A d j (N) R 2 「動員に寄らない参加」をしている人には、「政治的関心」、「年 齢」、「圧力団体(交友関係)」、「仲間内のインフォ−マルグループ (交友関係)」の影響が見られる。これらはやはり動員を含む参加 においても効果として現れたものであるが、その効果が見られる範 90 囲は、動員を含む参加に比べ限定的である。今回の分析にあたって 検討した変数は、あくまでも社会的参加の要因を分析するために考 慮したもので、動員の効果をはかるものではない。それにも関わら ず、動員に寄らなかった人を対象にすることによってここまで結果 が乏しくなるということは、「参加」という行動の中において「動 員」が、欠かせない要素であった可能性が高い。「参加にとって動 員とは何か」という問いを浮かべたくなるような結果である。 また、前回の分析と比べて効果が現れた変数が似通っていること から、これらの変数が参加の要因として依然として重要であること がわかる。 6.まとめ 本稿の目的は、社会的参加を構成する要素を探ることであった。 政治参加を題材にしつつも、今回の分析結果から以下のような社会 的参加の特徴がうかびあがった。 (1) 「外的刺激」のはっきりとした影響が見られる。 (2) 中でももっとも効果が見られたのは「動員」であり、他に 効果が見られた刺激は「幅広い交友関係」、 「組織・団体加 入」である。 (3) 「個人の先有傾向」については、「政治的関心」、「年齢」 の影響が見られた。その他の傾向については今後の課題で ある。 今回分析をしていて感じたのは、動員の効果の強さと、個人リソ ースの実証の難しさである。社会的参加という視点でその要因分析 に努めたが、政治参加分析のためのデータを転用するにはいささか 無理があった点は否めない。というのも、個人リソースの実証に限 界があったからである。政治的なリソースのみならず、より広範な 個人リソースから考えることが必要である。しかしながら、政治参 加において普遍的に見られた「動員」や「交友関係」 、 「組織加入」 という刺激、つまり人が行動するにおいて、いかに外部からの刺激 が大きく影響しているかということは示せたのではないだろうか。 それは、2つめの分析結果からもよくわかることである。 今回、社会性を構成するものを突き止めたかったが、それは外的 刺激の有効性を実証するにとどまった。もしかすると社会性の構成 91 を個人の内面に求めることに難点があったのかも知れない。という のも、個人は常に社会(つまり環境)に接しているのであり、個人 の行動が「参加」という社会的に目に見えた形で顕在化するには、 何らかの外的刺激あってこそのものであるともいえるからである。 今後さらに「参加」の分析をすすめるとすれば、人が「どのような 外的環境にさらされているのか」を検討し、その上で動員との関連 度を見てみるとおもしろいかもしれない。 参考文献: ・J.W.ミルブレイス 1965、 『政治参加の心理と行動』内山 秀夫訳 早稲田大学出版会 1976 年 ・西澤由隆 2000「政治参加と「世論」 :Who said I wanted to participate?」 ・蒲島郁夫 1988 『政治参加』東京大学出版会 ・三宅一郎・西澤由隆 1997「日本の投票参加モデル」綿 貫譲治・三宅一郎『環境変動と態度変容』木鐸社 所収 注: (1)ここで言う「学習」とは個人が蓄積してきた好き嫌いの感覚 の一連のセットである。 (2)たとえば三宅・西澤 1997、蒲島 1988 など。 (3)このデータは、ゼミ担当である同志社大学西澤由隆教授の指 導の下で利用させていただいた。 (4)選別についてだが、まず「投票」は充分に制度化された(西 澤 2000)ものであるため、制度化されていないものと比べ るわけにはいかず、除外した。 「立候補」についても同じであ る。 「署名」については署名集めの運動者側ならともかく、受 動的な性格のものであるため他の社会的参加からは切り離す 必要があると判断した。「国や地方の議員に手紙や電話をす る」 、「役所に相談する」は社会的な参加というよりも、個人 的な行動であるため除外した。 (5)常に圧力団体として存在するわけではないが、場合によって はその効力を発揮する可能性のあるという意味でこう分類し た。 92 編集後記 僕は発表や報告が本当に苦手でした。同じ4回生の松岡くんから もよく「ダメだし」をされ、文献報告や論評など発表の際にはいつ もドキドキしていたものでした。 「一回の授業中で必ずひとり一回はコメントすること。」これは 先生がしばしば言われていた言葉です。それを受けて僕は、「なに か新しい視点を、なにかヒントや考え方の整理になるものを。」と いう風に頭の中で念じながらいつも発表の言葉を考えていました。 報告者としてコメントをもらう側に立つとよくわかることですが、 このみんなからのコメントはひとりでは思いもよらないアイデア や視点をもらえるので非常にありがたいのです。放つコメントには それなりの「成果」が期待されるし、発表や質問には多少の勇気が 要ります。議論として全体の流れを意識することも重要です。こう いったゼミ特有の時間を通して僕は、本当にいろんなことを学ばせ てもらったように思います。そういった意味でこの論文集は「同じ 釜のめし」ならぬ、同じゼミの空気を共有したメンバーが産んだ作 品集であると僕は思います。 「協同メンバー」のひとりである3回生は本当に優秀で、ゼミに は欠かせない原動力を担ってくれていました。気付けばそのパワー に助けられることが多かったです。ゼミの先輩としてどれほどのこ とができたかわかりませんが、みなさんと一緒に勉強できて楽しか ったです。 最後になりましたが、2回生、3回生、4回生のみなさん、院生 やゼミ OB のみなさん、TA の伊藤さん、浅田さん、みなさんと出 会い、時間を共有できたことを誇りに思います。ありがとうござい ました。 そして西澤先生、学問その他含めて先生の「姿勢」が僕は大好き です。多くを学ばせていただき本当にお世話になりました。4年間 本当にありがとうございました。 同志社大学政治学科4回生 宮川佳也 107 多岐亡羊 Vol.8 2004 年度西澤ゼミ学生論文集 2005 年 3 月 20 日 初版 著 者 2004 年度西澤ゼミ生 発行者 西澤由隆 発行所 同志社大学法学部・政治学科 西澤由隆研究室 〒602-8580 京都市上京区今出川通東入る TEL: 075-251-3597 E-mail: [email protected] HP: hppt://www1.doshisha.ac.jp/~ynishiza/ 製本所 ナカバヤシ株式会社 Copyright © 2005 Nishizawa Seminar Printed in Japan 4
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