リアルオプションアプローチによる不確実性下の事業者 意思決定 —習慣

リアルオプションアプローチによる不確実性下の事業者
意思決定
—習慣形成型期待効用と確率的Verhulst-Gompertz方程式
を用いて—
赤壁弘康∗ ・田畑吉雄†
2013年10月6日
日本経営財務研究学会第37回全国大会(兵庫県立大学)
概要
本研究は、新規にホスピタリティ・ビジネスに乗り出そうとする事業者の不確実性
下のビジネス意思決定を、習慣形成型期待効用に基づいたリアルオプションアプロー
チの観点から考察するものである。
キーワード: 確率的Verhulst/Gompertz方程式、習慣形成型期待効用、リアルオプ
ション、DCF基準、参入コストとプロモーション活動コスト
1
はじめに
本稿は、ホスピタリティ・ビジネスに新規参入することを企図している事業者の、ビジ
ネス参入意思決定とプロモーション戦略意思決定を考察対象とする。参入対象となるホス
ピタリティ・ビジネスに参入するには、参入時に一定のコスト(以下、参入コストと呼ぶ)
を支払う必要があるものとする。飲食・宿泊業、観光業、風俗業など、需要がローカルに
限定されるホスピタリティ産業の多くには、このような参入コストの存在が特徴的にみら
れる。たとえば、観光業では、許認可申請が必要な事業者免許の取得や地元の観光協会へ
の登録料等がこうした参入コストにあたる。
こうしたビジネスへの参入を意図している事業者は、先行事業者のビジネス成果の観察にも
とづいて(たとえば、参入を企図している地域でビジネスを展開し株式上場を果たした同業他
社の株価過程の過去データから)、自己の事業規模によって調整されたBlack/Scheles/Merton
型(以下、BSM型と略記)収益過程(Xt )を予想するものとする。しかし、事業者にとって
当該ビジネスは未知の事業分野であるため、収益予想(Xt )に対して絶対の自信を抱くこと
ができず、第2節で展開される再帰的な習慣形成型効用U にもとづいた期待効用よって意思
∗
南山大学経営学部。著者は2011年度科学研究補助金 基盤研究C 23530552「ネットワーク外部性を考慮し
た観光消費の波及効果モデルの構築」ならびに2013年度南山大学パッヘ研究奨励金I-A-2の研究助成を受けて
いる。E-mail:[email protected]
†
大阪大学名誉教授。著者は2011年度科学研究補助金 基盤研究B 23310103「最適停止の理論とそのファイ
ナンス・金融工学への応用に関する総合的研究」の研究助成を受けている。E-mail:[email protected]
1
決定を行うものとする。(1) 再帰的に定義される習慣形成型効用U は、ネットワーク外部効果
として知られている時間進展を示す。多くの先行研究では、外部要因によってネットワー
ク外部効果が生み出されるものとしている。(2) われわれの提示する習慣形成型効用U が示
すネットワーク外部効果は、再帰的定義に由来するもので、外部要因には依存しない。第
2節では、習慣形成型効用を定義し、習慣形成型効用が持ついくつかの有用な特徴を導出
する。
事業者が当該ビジネスに参入してビジネスを展開するには3種類のコストが必要であると
する。


設備投資コスト
I0 (事業参入時)

参入コスト
Ie (事業参入時)

 プロモーション活動コスト au0 (経常コスト)
t
第1のコストは、施設建設等設備投資に関する初期投資コストI0 である。初期投資コストI0
は相対的に額が大きいため、参入後に生み出される収益(Xt )で回収されるとすることが自
然であり、I0 が回収可能であることが当該ビジネスへの参入の基本条件となる。I0 の回収
可能性については伝統的なDCF法(Discount Cashflow Method)を利用することが考えら
れる。しかし、3.1節で明らかにするように、BSM型収益過程に対しては伝統的なDCF法
は経済学的に意味を持たない。本稿では、それに代えて習慣形成型期待効用理論を用いた
意思決定基準を提唱し、3.2節でI0 が満たすべき必要条件を論じる。
I0 が習慣形成型期待効用理論によって拡張されたDCF基準を満たしているものとする。
実際に参入タイミングを決定するのは、第2のコストである参入コストIe > 0である。本
稿では、Ie は参入のタイミングに関わらず一定であると仮定する。参入コストIe さえ支払
えば、事業者はいつでもホスピタリティ・ビジネスに参入できるという無限計画期間問題
(3.2.2節)と、参入するか否かを有限時間内に意思決定しなければならない有限計画期間
問題(3.2.3節)に分けて、リアルオプションの観点から分析する。いずれの場合も、たと
え現時点の効用水準u0 = X0 がIe を上回っていたとしても、直ちにIe を支払ってホスピタリ
ティ・ビジネスに乗り出すことは事業者にとって最適ではなく、意思決定を繰り延べるこ
とが望ましい(繰延べオプションが存在する)ということが明らかにされる。特に、有限
計画期間問題では計画期間の終了時点T まで参入意思決定を行わないことが最適となるた
め、パラメータの値にもよるが、無限計画期間問題よりも参入タイミングが遅れる可能性
はゼロではない。
本稿の分析は事業者の主体的な不確実性下の最適化の観点に立っている。しかし、得られ
た結論をホスピタリティ産業行政の立場から考察することは可能である。ホスピタリティ・
ビジネスは地域的・局所的な性格を有していることが少なくないと考えられる。このため、
限定された地域で無制限な業者の参入と乱立を許せば、業者間の過当競争によって返って
ホスピタリティ・ビジネスのサービスやおもてなしの質を低下させてしまい、ひいては当
該地域のホスピタリティ・ビジネスそのものの荒廃を招くことが懸念される。本研究の分
析が明らかにしたように、事業者免許や地元の観光協会への登録料等、ホスピタリティ・ビ
(1)
習慣形成型期待効用(Habit-Formation Utility)は、典型的には
`
´
U0 = E e−rt U (0, t, Xt )
すなわち、時刻tにおける効用水準U は状態Xt の値と(時刻0からtまでのその)履歴の双方に依存する効用理
論である。
(2)
ネットワーク外部効果に関する先行研究は、観光経済学分野で江口[2003, 2004, 2005, 2009, 2011]、マー
ケティング分野でVidale/Wolfe[1957]あるいはGould[1970]、ファイナンス・経済学分野でMerton[1975]等を
挙げることができる。
2
ジネスに特有の「目に見える」参入コストIe の存在は、(3) 業者にとって参入タイミングを
繰り延べる繰延べオプションを与えるため、そうでなければ発生した業者間の過当競争を
未然に抑制する効果を持つと結論することができる。
ホスピタリティ・ビジネスに新規参入を計画する事業者は、同地域に先発企業が存在する
場合はなおのこと、たとえそうでない場合であっても、参入後なんの努力も払わずに、将
来時点s = t > 0において当初想定された収益Xt(あるいは、その時点での収益予想Xt に対
応した習慣形成型期待効用u0t )を確保できるとは考えづらい。このため、事業者として名
乗りを上げたことをアピールし積極的なプロモーション活動を展開する目的で、当該事業
者は第3のコストであるプロモーション活動コスト(たとえば広告宣伝費、団体割引)au0t
を経常的に支払い続けるものと考えることにする。事業者のプロモーション戦略の変更に
関する意思決定は第4節で取り扱うが、第3節においてもプロモーション活動コストを経常
的に支払う必要があることを前提とする。
ある時点s = τ においてプロモーション活動を打ち切り、これ以後自己に振り向けられた
潜在的需要を刈取る(プロモーション活動コストを支払うことを止める代わりに、潜在的
需要が一定率λ > 0で平均的に減衰するにまかせる)ことが事業者にとって最適であるよう
な場合も考えられる。第3節の参入タイミングの分析がホスピタリティ事業者の短期利益最
大化に対応するものとすれば、第4節のプロモーション戦略切替タイミングの分析は長期利
益最大化に対応するものといえる。初期値u0 (0) = xの範囲とパラメータr, λ, aの大小関
係に応じて、当該事業者の最適プロモーション戦略は3パターンになることが明らかにされ
る。初期設備投資コストが相対的に小さい場合には、刈取り戦略をとってもコストは回収
できるだろう。しかし、I0 が大きい場合には、キャンペーン戦略を刈取り戦略に切り替え
るとコストが回収できなくなることも起こり得る。この場合には、初期投資コストの回収
を急ごうとして大々的にキャンペーン活動を展開するよりも、キャンペーン活動コスト率a
を一定水準以下に抑えながらキャンペーン活動を継続的に実施するほうが賢明であるとい
える。
2
BSMタイプの収益過程から習慣形成型効用の導出、習慣形成型
効用の性質
【BSMタイプの収益過程】
:収益過程(Xt )は、µ, σを正の定数として、Black/Scholes/Merton
型の確率微分方程式
dXt = µXt dt + σXt dBt , X0 = x > 0
(1)
の解過程で定義される連続なトラジェクトリを持つ確率過程とする。ただし、確率過程(Bt )
は(Ω, F, P)上のP-標準ブラウン運動を表し、µ > σ 2 /2と仮定する。
【状態依存型効用の仮定】: 0 ≤ s ≤ tとする。時刻tのときの状態Xt と定数C に対する時刻
tにおける効用(貨幣価値表示)は、確信の程度を表すパラメータα > 0と確信の状態を表
すパラメータβ > 0に依存する確率変数であり、これをU(s, t, Xt ; α, β, C)によって表すこ
(3)
飲食店、風俗営業や酒類販売などの事業者免許や許認可を必要とする事業の多くは広義のホスピタリティ
産業に属しており、
「目に見える」参入コストの存在をもってホスピタリティ・ビジネスの特徴とすることは必
ずしも不当ではなかろう。反対に、参入コストはさまざまなビジネスに存在するものと考えられるが、登録・
許認可を必要とする場合や特許・商標の買収を必要とする場合などを別にすれば、その多くは機会コストなど
「目に見えない」コストであると考えられる。ただし、こうした参入コストが事業者に明確に意識されるので
あれば、以下の分析はホスピタリティ・ビジネスに必ずしも限定されるものではない。
3
とにする。また、確信の状態と確信の程度に応じて、任意のC に対して確率1で
U(0, t, Xt ; α, β, C) ≤ U (s, t, Xt ; α, β, C) ≤ U(t, t, Xt ; α, β, C) = Xt − C
(2)
が成り立つものとする。つまり、時刻tで予測される収益Xt が同じであっても、過去の起点
からの時間間隔t − sが長ければ長いほど、収益水準Xt に対する時刻tにおける効用は低く
なると考える。時刻tにおける期待効用は、割引率をrとして
[∫ ∞
]
−rs
E
e U(t, s, Xs ; α, β, C)ds
t
で定義される。確信の程度αは無名数、確信の状態β は時刻に無関係な貨幣価値表示のパラ
メータであるが、詳細は以下で述べる。(4)
【効用関数の特定化】: 0 ≤ s ≤ tとする。確率変数U(s, t, Xt ; α, β, C)は
U(s, t, Xt ; α, β, C) = U(s, t, Xt ; α, β, 0) − C,
U(s, t, Xt ; α, β, 0) = ust
で表わされるものとし、ust は
ust =
Xt
( ∫ t ( s )α )
uτ
exp µ
dτ
β
s
(3)
によって再帰的に特定化されるものとする。µ > 0, α > 0, β > 0であるから、uss = Xs か
つ確率1でust ≤ Xt , utt = Xt であり、ust はFt 可測であるから、上記習慣形成型効用の仮定を
満足している。
この特定化は、現在の収益Xt に対する事業者の満足が、β との比較という意味での相対
的満足達成度(ust /β )の過去から現在までの累積によって変化するということを想定して
いる。すなわち、時刻sを当該事業参入時点とし、現在時刻tが参入直後(t − s ≈ 0)とす
れば、β 水準にさほど影響されることなく、事業者は現在の収益Xt に対してほぼそのまま
の満足を受けとる。しかし、短時間で相対的満足達成度が十分に大きくなったり、各時刻
の相対的満足達成度がたとえ低くても参入後の時間経過が十分に長くなったりすれば、Xt
の収益水準に対してそれだけの満足を得ない、と考えている。他方、確定的な定数C > 0
に対しては、その額だけの不効用を生み出すものとして、確率変数Xt とは異なる取り扱い
をしている。
補題 1. (1)を考慮するとust の確率的変動は
[
( s )α ]
ut
s
s
dut = µut 1 −
dt + σust dBt ,
β
uss = Xs ,
(t ≥ s)
(4)
によって与えられる。
証明は伊藤の補題を用いた直接計算による。
(4)
確信ないし確信の状態の概念はKeynes[1, Chp.12]によって導入された。本稿でいうそれは、主観的確率
を中心ドグマとするKeynesの概念を完全に引き写したものにはなっていないが、いくつかの特徴は共有して
いる。
4
証明.
)
ust α
µXt
dt
dXt
β
dust =
( ∫ t ( s )α ) −
( ∫ t ( s )α )
uτ
uτ
exp µ
dτ
exp µ
dτ
β
β
s
s
( s )α
ut
µXt
dt
Xt (µdt + σdBt )
β
=
( ∫ t ( s )α ) −
( ∫ t ( s )α )
uτ
uτ
exp µ
dτ
exp µ
dτ
β
β
s
s
[
( s )α ]
ut
s
= µut 1 −
dt + σust dBt .
β
(
(4)式においてβ > ust とするとust は平均的に増加のトレンドを持ち、β < ust とすると平均的
に減少のトレンドを持つ。したがって、確信の状態を表すパラメータβ は不確実な将来収益
に対する長期的な満足水準(貨幣価値表示)を表すものと解釈される。(5) 同様に、確信の
程度を表すパラメータαについては、α > 1のとき確信の程度が相対的に高く、0 < α < 1
のときは確信の程度が相対的に低いと解釈される。α = 1のとき、確信の程度は中立的で
あるということにする。
(4) 式は、赤壁/田畑 [2010, 2010, 2010, 2011] によって集中的に考察された確率的 Verhulst/Gompertzモデルである。確率的Verhulst/Gompertzモデルはネットワーク外部効果
を端的に表現する確率モデルとして広く利用されているが、通常、そのネットワーク外部
効果の源泉は外部要因に求められる。(6) 本稿で提唱する習慣形成型効用が(4)式を満足する
ということは、ネットワーク外部効果が事業者の自律的要因(確信の状態、確信の程度な
らびに経路依存性)によっても生み出され得るということを示している。
以下では、習慣形成型効用(ust )s≤t の性質をまとめておく。
補題 2. 過程(ust )t≥s は(Xt )t≥s の履歴に依存する。すなわち、ust は
ust = (
によって与えられる。
1/α
証明. (3)式の分母をRt
(
dRt = αµ
ust
β
Xt
)
)1/α
∫ t(
Xτ α
1 + αµ
dτ
β
s
(5)
( ∫ ( s )α )
t u
とおくとRt = exp αµ s βτ
dτ だから
)α
(
Rt dt = αµ
Xt
β
)α
1
Rt dt = αµ
Rt
(
Xt
β
)α
dt,
Rs = 1,
(t ≥ s)
を得る。したがって(5)式を得る。
(5)
しかし、後でみるように、確信の程度が中立的(α = 1)である場合、真の長期的な平均満足水準はβ の値
よりもやや低い。
(6)
た と え ば 、まった く 異 なった 問 題 を 取 り 扱って い る 経 済 学 分 野 の Merton[1975] と 生 物 学 分 野 の
Alvarez/Shepp[1998]は、ネットワーク外部要因としてともに人口変動を取り上げている。
5
図 1: (4)式のシミュレーション
したがって、収益過程(Xt )t≥0 のパス毎にu0t ≤ ust ≤ utt = Xt(状態依存型効用の仮定(2)式)
が成り立つことがわかる。
一般に、財務行動の不確実な結果をxとし、効用関数をu(x)とするとき、絶対的リスク回
避度と相対的リスク回避度はそれぞれ
−
u′′ (x)
,
u′ (x)
−
xu′′ (x)
u′ (x)
で定義される。われわれのケースでは Xt = x であるが、われわれが導入した効用 u0t =
U(0, t, Xt ; α, β, 0)の値はXt の値だけでなくその過去の履歴(経路(Xs )ts=0 )にも依存するた
め、残念ながら、通常のリスク回避度の定義ではリスク回避度を計算することができない。
(u0t )の推移確率と推移密度をそれぞれ
P (t, x, y) = P(u0t ≤ y|u00 = x),
p(t, x, y) =
∂
P (t, x, y)
∂y
で定義する。(4)式はµ > σ 2 /2のとき定常分布(定常密度関数ψ(y))
ψ(y) = lim p(t, x, y)
t→∞
を持つことが証明されている(赤壁/田畑[2010, 定理1(p.21)])。すなわち
定理 1. (4)式によって与えられる解過程は定常分布(一般化されたガンマ分布という名称
で知られている(7) )を持ち、定常密度関数ψ(x), x ∈ [0, ∞)は
(
)
1 2µ
1 2µ
αk p αp−1
x
exp(−kxα ), p =
−
1
, k=
ψ(x) =
Γ(p)
α σ2
α σ2β α
によって与えられる。特に、確信の程度が中立的(α = 1)であるとき、定常分布は平均
β(1 − σ 2 /2µ) > 0、分散β 2 (σ 2 /2µ − (σ 2 /2µ)2 ) > 0のガンマ分布になる。
(7)
http://www.weibull.com/LifeDataWeb/generalized gamma distribution.html参照
6
以下では確信の程度は中立的であると仮定し、常微分方程式
[(
)
]
d
σ2
µ
u(t) = u(t) µ −
− u(t) , u(0) = X0 = x
dt
2
β
(6)
の解u(t)を考える。容易にわかるように、u(t) → β(1 − σ 2 /2µ) (t → ∞)である。また
x exp[(µ − σ 2 /2)t]
∫t
exp[(µ/β) 0 u(s)ds]
u(t) =
(7)
を満たすことも容易にわかる。したがって、(3)式から(5)式を導いたのと同じ方法によって
u(t) =
x exp[(µ − σ 2 /2)t]
∫t
1 + x(µ/β) 0 exp[(µ − σ 2 /2)s]ds
が成り立つことがわかる。したがって
[ (
) ]
[ (
)
]
∫
1
1
σ2
µ t
σ2
= exp − µ −
t +
exp − µ −
(t − s) ds
u(t)
x
2
β 0
2
が成り立つ。
収益過程(Xt )の対数収益率log(Xt /X0 ) = log(Xt /x)について、以下の主張が成り立つ。
補題 3.
1
lim log
t→∞ t
証明. Xt の明示的表現
より
(
Xt
X0
)
=µ−
σ2
2
P-a.s.
[(
)
]
σ2
Xt = x exp µ −
t + σBt
2
(
σ2
log Xt = log x + µ −
2
したがって
1
log
t
(
Xt
X0
)
(
µ−
=
σ2
2
)
t + σBt .
)
+σ
Bt
.
t
(8)
大数の強法則(たとえばKaratzas/Shreve[1991, p.104, 9.3]を見よ)から
lim
t→∞
Bt
=0
t
P-a.s.
であるから、主張が成り立つ。
補題 4. α = 1と仮定し、時刻s = 0からスタートする習慣形成型効用の過程(u0t )を(ut )で表
すことにする。このとき、先のu(t)を用いれば、習慣形成型効用の対数変化率log(ut /u0 ) =
log(ut /x)についても、以下の主張が成り立つ。
1
lim log
t→∞ t
(
ut
u0
)
7
=0
P-a.s.
証明. 標準ブラウン運動のランニング・ミニマムとランニング・マキシマムmin0≤s≤t Bs , max0≤s≤t Bs
M
をそれぞれbm
t , bt で表すことにする。Ji/Jiang/Liu/Yang[2010, Lemma 3.4]は
u(t)e−σ(bt
M −B
t)
≤ ut ≤ u(t)e−σ(bt
m −B )
t
(9)
が成り立つことを示している。ただし、u(t)は(7)式によって与えられた常微分方程式(6)式
の解である。このことから、Ji/Jiang/Liu/Yang[2010, Lemma 3.5]の証明と同様にすれば、
補題の主張は容易に証明される。
上の補題3,4から、確信の程度が中立的であるとき、過程(ut )はエルゴード性(極限におい
て時間平均が分布平均に一致する性質)を有することがわかる。
定理 2. 確信の程度は中立的であると仮定する。このとき、習慣形成型効用の過程(ut )はエ
ルゴード性を有する。すなわち
(
)
∫
∫ ∞
σ2
1 t
us ds =
xψ(x)dx = β 1 −
P-a.s.
lim
t→∞ t 0
2µ
0
証明. ust の定義(3)式においてs = 0, α = 1とおけば
∫
µ t
log ut = log Xt −
us ds.
β 0
したがって
1
t
(
µ
β
∫
)
t
us ds
=
0
log Xt log ut
−
.
t
t
補題3の(8)式と補題4より、t → ∞のとき、右辺はP-a.s.で極限µ − σ 2 /2を持つ。したがって
(
)
(
)
∫
1 t
σ2
σ2
β
lim
µ−
=β 1−
.
us ds =
t→∞ t 0
µ
2
2µ
最右辺の値は(ut )の定常分布の平均であるから、定理の主張を得る。
3
ホスピタリティ・ビジネスへの参入意思決定
ホスピタリティ・ビジネスに参入を意図している事業者は、先行事業者のビジネス成果
の観察にもとづいて、自己の事業規模によって調整された収益過程(Xt )を(1)式によって予
想するものとする(たとえば、同事業者が参入を企図している地域で既にビジネスを展開
し株式上場を果たした同業他社の株価過程の過去データから、自社の規模に応じて、パラ
メータµ, σを推計するものとする)。ただし、ビジネスリスクのあるホスピタリティ・ビジ
ネスの瞬間的期待収益率µは割引率r より高い(µ > r > σ 2 /2、リスク・プレミアムは正)
とする。ここで、X0 は現在時刻t = 0でホスピタリティ・ビジネスに乗り出したときの収益
を表すものとする。しかしながら、事業者にとってホスピタリティ・ビジネスは未知の事業
分野であるため、(1)式で与えられる収益の時間進展に対して絶対の自信を抱くことができ
ず、(2)式で与えられる習慣形成型効用U によって意思決定を行うものとする(ただし、簡
単化のため確信の程度は中立的α = 1であると仮定する)。当該事業者がホスピタリティ・
ビジネスをはじめるためには、用地の取得・施設の建設等の設備投資I0 を要するものとす
る。また、ホスピタリティ・ビジネスに参入する際には、事業者免許や地元の観光協会へ
の登録料等、参入のタイミングに関わらず一定の参入コストIe > 0を要するものとする。
8
I0 の投資を行ってホスピタリティ・ビジネスを計画するためには、どのような前提条件が
満たされている必要があるのであろうか。この前提条件が満たされているものとして、時
刻t = 0においてX0 > Ie であれば、当該事業者は直ちにホスピタリティ・ビジネスに乗り
出すべきなのであろうか。直ちに参入すべきでないとすれば、参入のタイミングをどのよ
うに決定すればよいのであろうか。本節で考察するのは、このような事業者の意思決定で
ある。
伝統的なファイナンスの理論では、この種の意思決定問題は、I0 とIe のコストを区別す
ることなく、収益X に対してDCF法(Discount Cashflow Method)を適用することによっ
て処理されてきた。I0 は通常額が大きく不可逆投資であるため、長期的な収益で回収すべ
きであり、投資の可否についての意思決定はDCFアプローチがふさわしい。しかし、3.1節
で述べるように、BSM型収益過程(1)式に伝統的DCFアプローチを適用することはできな
い(経済学的に意味を持たない)。そこで、DCFアプローチを適用する際に、(Xt )に代え
て習慣形成型効用過程(U)を利用することとし、累積的割引期待効用を利用することを提案
する。これに対して、Ie は額も相対的に小さいため、これまでは初期投資コストをI0 + Ie
として単純にDCF法を適用するか、あるいはIe はまったく無視されてしまうことが多かっ
たと思われる。しかし、リアルオプション・アプローチの観点からは、意思決定の柔軟性
をより高める可能性があるため、性格の異なる初期コストI0 , Ie は積極的に区別すべきであ
ると考えられる。そこで、コストI0 とIe の違いに着目し、投資意思決定と分離してビジネ
スへの参入意思決定を取り扱うことにする。
事業者が最適なタイミングでホスピタリティ事業に新規参入を果たしたとする。しかし、
事業者が参入を計画している同地域に先発企業が存在する場合はなおのこと、そうでなく
とも参入後なんの努力も払わずに (Xt )あるいは(u0t )の収益を確保できるとは考えづらい。
事業者として名乗りを上げたことをアピールするために、当該事業者は積極的なプロモー
ション活動(例えば、広告宣伝や団体割引)を展開すると考える方が現実的である。
『広告
白書2012』『有力企業の広告宣伝費 2012』によれば、わが国の有力企業の多くが売上の一
部(大部分の有力企業で20%以下)を販売促進費(あるいは広告宣伝費)に充てているこ
とがわかる。そこで、時刻s = 0で参入した事業者は、時刻s = t > 0の収益Xt に対する習
慣形成効用U(0, t, Xt ; 1, β, 0) = u0t にもとづいて一定率a, 0 < a < 1のプロモーション活動
コストを支払った後の、ネットの効用水準(1 − a)u0t に直面するものと考えよう。
3.1
分析の準備:伝統的DCFアプローチに対する習慣形成型期待効用の利点
割引率を一定値rとし、特に断らない限り無リスク資産収益率と同一視する。(8) 伝統的な通
∫∞
常のDCF(Discount Cash Flow、割引現在価値)法では、E(Xt2 ) < ∞、Yt = t e−ru Xu du
]
[∫ ∞
とすると(Yt )は非増加であり、Pの下でE(Yt2 ) < ∞であればt > T に対してE T e−rt Xt dt
(8)
Xt はフリー・キャッシュフローと考えられるので、株主資本だけでなく負債でも資本調達している場合に
はWACCと考えればよい。
9
は以下のとおりとなる。
[∫ ∞
]
[ [∫ ∞
]]
−rt
−rt
E
e Xt dt = E E
e Xt dt FT
(条件付期待値の性質)
T
T
[∫ ∞
]
=E
e−rt E(X(t)|FT )dt
(Fubiniの定理)
T
]
[
∫ ∞
2
−rT
(µ−r)(t−T )
− σ2 (t−T )+σBt−T
|FT )dt
=E e
X(T )
e
E(e
T


∞
(µ ≥ rのとき)

[
]
=
X(T )

(µ < rのとき)
 E e−rT
r−µ
σ2
ただし、e− 2 (t−T )+σB(t−T ) が指数マルチンゲールであることを利用した。したがって、収
益過程(Xt )を(1)式で特定化するリアルオプション分析の先行研究のほとんどは、µ < r を
仮定することが当然のこととみなしている。しかしこれは、ファイナンスの中心的な理論
ドグマ
「リスクのある対象に投資するには、リスク負担に足るプレミアムが支払われ
る必要があるため、その収益率µは無リスク収益率r以上でなければならない」
に反し、豊富な先行研究成果(例えば資本資産評価モデルCAPM)と、µ < r のもとで得
られた結果を対照させることができない。
また、(1)式で定義される(Xt )が市場で直接観察されるか市場で取引されている双子資産
が存在するものとする(多くの場合、このような都合のよい状況にあるとは考えにくい)。
この場合、(Xt )にはマルチンゲール測度P∗ が存在するため、(9) 金融オプションの評価法で
あるリスク中立化法の適用が期待されるのであるが、上のDCFの定義をP∗ の下での期待値
に変更しても
[∫ ∞
]
[
[∫ ∞
]]
−rt
−rt
EP∗
e Xt dt = EP∗ EP∗
e Xt dt FT
(条件付期待値の性質)
T
T
[∫ ∞
]
= EP∗
EP∗ (e−rt X(t)|FT )dt
(Fubiniの定理)
T
[
∫ ∞ ]
−rT
= EP∗ e
dt = ∞
X(T )
T
となって、上と同じ理由から、デリバティブ評価で利用されるリスク中立化法も採用でき
ない。これが、この種のリアルオプション分析の大きな障害となっていた。
以下では、伝統的な通常のDCF法に代えて、習慣形成型効用(3)式にもとづく期待効用理
論を意思決定に利用することを提案する。(3)式には事業者の主観的効用パラメータ(確信
の状態β と確信の程度α)が含まれているため、第三者を説得する客観的意思決定基準とし
ては利用することはできない。しかし、当該事業に乗り出す(当該事業から撤退する)等
の問題に対して事業者自身が主体的に決定しなければならないような局面では、期待効用
にもとづいて意思決定したとしてもなんら差し支えない。ファイナンスでは、この種の意
思決定問題をリアルオプション・アプローチと呼ぶ。
以下の主張は、習慣形成型効用にもとづくリアルオプション・アプローチを採用するこ
とに経済的な合理性を与える。ただし、u0t = ut と略記する。
マルチンゲール測度P∗ とは、EP∗ (e−rt Xt |Fs ) = e−rs Xs , t ≥ sであるようなPと同値なリスク中立的確率
測度P∗ を意味する。(ut )にはマルチンゲール測度が存在する。以下の補題5を参照のこと。
(9)
10
定理 3. 事業者は、(1)式を満たす自己の事業からの収益 (Xt )に対して、(3)式で与えられ
る習慣形成型効用を持ち、確信の程度は中立的(α = 1)と仮定する。無リスク割引率rが
r > σ 2 /2であるとき、(Xt )の瞬間的期待収益率µとrの大小関係とは無関係に、累積的な割
引期待効用は有界、すなわち
[∫ ∞
]
[∫ ∞
]
−rs
−rs
E
e U(0, s, Xs ; 1, β, 0)ds = E
e us ds
0
0
2
( )µ− σ
β
2 <∞
≤2
µ
σ2
r−
2
が成り立つ。
証明. Bt = −Wt とすれば、標準ブラウン運動の反射の原理より、(Wt )もP-標準ブラウン運
M
動になることがわかる。(10) そこで、bM
t = max0≤s≤t Ws , Mt = bt − Wt とおけば、(9)式
より
ut ≤ u(t)eσMt
を得る。Mt の密度関数は
√
( 2)
x
2
exp −
,
2t
2πt
x≥0
によって与えられることが知られている。(11) したがって
∫ ∞
2 σx −x2 /2t
−rt
−rt
√
E(e ut ) ≤ u(t)e
e e
dx
2πt
0
∫ ∞
√
1 −y2 /2
2
2
= 2u(t)e−(r−σ /2)t
e
dy = 2u(t)e−(r−σ /2)t Φ(σ t)
√ √
2π
−σ t
)
(
2
σ
2
e−(r−σ /2)t
≤ 2β 1 −
2µ
が成り立つ。ただし、最右辺の不等号は、u(t)がβ(1 − σ 2 /2µ)を上界とする非減少関数で
あり、累積正規確率関数Φ(x)
∫ x
1
2
√ e−y /2 dy
Φ(x) ≡
2π
−∞
においてΦ(x) ≤ 1であることを用いている。したがって
(∫ ∞
) ∫ ∞
E
e−rt ut dt =
E(e−rt ut )dt
0
0
)
∫ ∞ (
σ2
2
e−(r−σ /2)t dt
≤
2β 1 −
2µ
0
(
)(
)−1
2
β
σ
σ2
=2
µ−
r−
≡ D < ∞.
µ
2
2
µとrの大小に関わりなく、上式の評価が成り立つことは容易にわかる。
(10)
(11)
たとえば伊藤[1991, p.283]等を参照のこと。
たとえばKaratzas/Shreve[1991, p.96]を参照のこと。
11
このように、習慣形成型期待効用U を用いればパラメータµ, r の大小に拘泥せずに済む
のであるが、本節の冒頭で述べたように、次節以下ではµ > r > σ 2 /2(瞬間的なリスク・
プレミアムはプラス)を仮定する。
注意 1. 同様にして
2u(t)e−(r−σ
2 /2)t
√
√
2
Φ(−σ t) ≤ E(e−rt ut ) ≤ 2u(t)e−(r−σ /2)t Φ(σ t)
が成り立つことがわかる。したがって
lim E(e−rt ut ) = 0
t→∞
が成り立つことは容易にわかる。またr > µのとき
(∫ ∞
)
∫ ∞
β
−rt
e−µt βdt
E
e ut dt ≤ D < 2 = 2
µ
0
0
∫ ∞ −µt
である。最右辺 0 e βdtは、(Xt )の瞬間的期待収益率µを割引率とした意思決定者が抱
く確信の状態β の現在価値である。したがってr > µのときは、累積的な割引期待効用は確
信の状態β の現在価値の2倍を超えることはできない、ということを示している。しかし、
µ ≥ r のときは、累積的な割引期待効用は確信の状態β の現在価値の2倍を超えることがあ
り得る。
3.2
3.2.1
ホスピタリティ・ビジネスへの参入意思決定の分析
ステップ1:参入の前提条件とホスピタリティ・ビジネスへの初期投資—拡張され
たDCFアプローチとしての習慣形成型期待効用—
当該事業者は、ホスピタリティ・ビジネスを計画する段階で、ビジネス開始時(t = 0と
する)に設備投資を主とする投資コストI0 を要するものとする。(12) 習慣的期待効用によっ
て拡張されたDCFアプローチにもとづけば、投資コストI0 を資金投下してホスピタリティ・
ビジネスに乗り出すには、プロモーション活動コストを差し引いたのちの累積的割引期待
効用がプラス、すなわち
[∫ ∞
]
(∫ ∞
)
−rs
−rs
0
0≤E
e (1 − a)U(0, s, Xs ; α, β, I0 )ds = E
e (1 − a)us ds − I0
0
0
が成り立つことが必要であることがわかる。したがって、α = 1とすれば、前節の定理3か
ら、投資コストI0 の満たすべき条件は
2
I0 ≤
1−a
( )
2
β µ − σ2
µ r − σ2
2
であることがわかる。ただし、これは必要条件でしかないため、上の条件が満たされてい
るとしても必ずしも、I0 が回収可能であることは保証しない。以下の分析では、十分条件
(十分に時間がたてば、初期投資コストI0 は回収される)が満たされていることを前提と
する。
(12)
簡単化のために、施設の建設等に要する時間的コストはかからないものと仮定する。
12
3.2.2
ステップ2:ホスピタリティ・ビジネスへの参入意思決定—無限計画期間問題—
初期投資I0は、習慣形成型効用にもとづく拡張されたDCFアプローチの意味で、プロモー
ション活動コストを差し引いたのちの累積的割引期待効用がプラスであるとする。この事
業者のホスピタリティ・ビジネスへの参入意思決定問題は、形式的には、Ie の参入コスト
を支払ってホスピタリティ・ビジネスに乗り出した際の習慣形成型期待効用が最大(参入
時利潤の効用の期待値が最大)になるタイミング
[
}]
{
sup E e−rτ (1 − a)U(0, τ, Xτ ; α, β, 0) − Ie
0≤τ <∞
でホスピタリティ・ビジネスへの参入を決定する、ということになる。この問題は、(4)式
で与えられる習慣形成型効用(u0t )を“原資産”とし、満期が無限大で参入コストIe を“行使価
格”とする永久アメリカン・コールオプションが最適行使タイミングで行使された場合の
価値
[
(
)]
sup E e−rτ (1 − a)u0τ − Ie
0≤τ <∞
を求める問題と同種であるとみなすことができるので、(13) リアルオプション問題の一種で
あると考えられる。ただし、“原資産”utは市場で観察されるものでないため、金融オプショ
ンのように無裁定条件と複製戦略によって評価することはできない。
以下では、α = 1とし、u0t = ut と略記することにする。ut = x, t ≤ τ であるときの上式
期待効用の値関数をv(t, x)、すなわち
[
]
v(t, x) = E e−rt ((1 − a)ut − Ie ) ut = x
(10)
とおくと、継続領域(ホスピタリティ・ビジネスに参入するのを繰り延べるべき領域)は
C = {(t, x) ∈ [0, ∞) × R+ |v(t, x) > e−rt ((1 − a)x − Ie )}
である。
(t, x) ∈ C においてv(t, x) ∈ C 1,2 であるとすれば、伊藤の補題より
[
( )]
x
σ2
vt + µx 1 −
vx + x2 vxx = 0
β
2
が成り立つ。微分作用素Lを
(11)
(
)
1
σ2
Lf (x) = µx 1 − x f ′ (x) + x2 f ′′ (x)
β
2
によって定義し、v(t, x) = e−rt V (x)とおけば
C = {x ∈ R+ |V (x) > (1 − a)x − Ie }
となり
LV (x) − rV (x) = 0
を得る。ここでθを定数として
V (x) = xθ h(x)
正確には、時刻tで行使された場合のアメリカン・コールのペイオフはmax{(1 − a)u0t − Ie , 0}であるが、
(1 − a)u0t − Ie < 0の状態ではコールが行使されることはないため、上記のように解釈される。
(13)
13
とおくと、(11)式は
{
θ
x h(x)
}
{ 2
(
)
}
σ2
µ
θµ
θ+1 σ
′′
2
′
θ(θ − 1) + µθ − r +x
xh (x) + µ + θσ − x h (x) −
h(x) = 0
2
2
β
β
と書き換えられるから
σ2
θ(θ − 1) + µθ − r = 0,
2
(
)
σ 2 ′′
µ
θµ
2
xh (x) + µ + θσ − x h′ (x) −
h(x) = 0
2
β
β
(12)
(13)
が成り立たなければならない。µ > r > σ 2 /2であるから、2次方程式(12)は2解θ1 , θ2 (た
だし1 > θ1 > 0 > θ2 )
√
−(µ − σ 2 /2) ± (µ − σ 2 /2)2 + 2rσ 2
θi =
σ2
を持つ。
さらに、y = (2/σ 2 )(µ/β)x, h(x) = g(y)とおけば、(13)式は(12)の二つの解θi , i = 1, 2
に対応して
( µ
)
yg ′′ (y) + 2 2 + 2θi − y g ′ (y) − θi g(y) = 0
σ
と書き換えられる。このg(y)に関する常微分方程式はKummer方程式と呼ばれており
(
)
µ
µ
M θi , 2 2 + 2θi , 2 2 x , i = 1, 2
σ
σ β
という一般解を持つことが知られている。ここで、M (a, b, x)はKummerの合流型超幾何
関数
a
a(a + 1) x2
a(a + 1)(a + 2) · · · (a + n − 1) xn
+ ··· +
+ ···
M (a, b, x) = 1 + x +
b
b(b + 1) 2!
b(b + 1)(b + 2) · · · (b + n − 1) n!
を表す。(14) したがってa1 , a2 を定数として
(
)
(
)
µ
µ
µ
µ
θ1
θ2
V (x) = a1 x M θ1 , 2 2 + 2θ1 , 2 2 x + a2 x M θ2 , 2 2 + 2θ2 , 2 2 x
σ
σ β
σ
σ β
と表すことができる。ところで、ut = 0は過程(ut )の吸収壁であり、いったんut = 0に達す
ると以降そのままの状態にとどまる。他方
)
(
µ
µ
θ2
lim x M θ2 , 2 2 + 2θ2 , 2 2 x = ∞
x↓0
σ
σ β
であることから、a2 = 0でなければならないことがわかる。
このV (x)に対して最適なホスピタリティ・ビジネス参入のタイミングτ ∗ は
τ ∗ = inf {t |V (x∗ ) = (1 − a)x∗ − Ie }
(14)
Dixit/Pindyck[1993, Sec.5.5], Alvarez/Shepp[1998], Abramowitz/Stegun[1970, Chp.15]を参照のこと。
14
によって与えられることになる。参入の閾値x∗ と未定係数a1 は、バリュー・マッチング条
件およびスムース・ペースティング条件と呼ばれる方程式
V (x∗ ) = (1 − a)x∗ − Ie ,
V ′ (x∗ ) = 1 − a
(14)
の解として与えられる。x∗ が求まれば、参入のタイミングτ ∗ を
τ ∗ = inf{t|ut = x∗ }
となるように定めればよい。
命題 1. 方程式(14)式を満たす解x∗ > 0は存在して一意である。
(
)
証明. V (x) = a1 xθ1 M θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ3 β x であったから、Kummerの合流型超幾何関数
M (a, b, y)の性質
(
)
yM ′ (a, b, y) = a M (a + 1, b, y) − M (a, b, y)
より、(15) V ′ (x) = 1 − aから
a1 =
=
1−a
)
)
(
(
θ1 xθ1 −1 M θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x + 2 σµ2 β xθ1 M ′ θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x
1−a
).
(
θ1 xθ1 −1 M θ + 1, 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x
したがって、方程式は未定係数a1 を含まない
(
)


M θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x
I
) − θ1  = −θ1 e
x (
µ
µ
1
−a
M θ + 1, 2 σ2 + 2θ1 , 2 σ2 β x
と書き換えられる。左辺鍵括弧内第1項は1を上限とするxの非負単調減少関数で
)
(
M θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x
(
) =0
lim
x→∞
M θ + 1, 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β x
であるから、左辺全体ではx = 0のとき0である単峰な凹関数で
)
(


M θ1 , 2 σµ2 + 2θ1 , 2 σµ2 β
) − θ1  → −∞ (x → ∞)
x (
µ
µ
M θ + 1, 2 σ2 + 2θ1 , 2 σ2 β x
となる(図2参照)。他方、右辺の値は負値であるので、上式の等号が成立するx = x∗ > 0
は必ず存在し、しかも一意であることがわかる。
しかしながら、方程式(14)式はKummerの合流型超幾何関数を含んでいるため、閾値x∗
の解析解を導出することは困難である。そこで以下では、x∗ の近似値をシミュレーション
によって数値的に求めることを試みる。以下ではいずれの場合もβ = 10, Ie /(1 − a) = 1と
した。ボラティリティσ の影響を見るために、σ = 0.02から4%刻みでσ = 0.1まで3通りを
計算した。仮定µ > r > σ 2 /2であったことを考慮して、σ 2 /2の値を固定した上でµ, rの値
(計36通り)に応じた閾値x∗ を求めた結果が表1に示されている。
(15)
Abramowitz/Stegun[1970, 13.4.10(p.507)]を参照のこと。
15
図 2: (14)式左辺
表 1: 閾値x∗ の近似値
σ = 0.02(σ 2 /2 = 0.0002)のとき
❍❍
❍❍ r
0.01
0.02
0.03
0.04
❍❍
µ
❍
0.02
5.9882
0.025
6.7521 4.0523
0.03
7.2889 4.7986
0.04
7.9846 5.9228 4.2970
0.05
8.4127 6.6809 5.2043 4.0264
σ = 0.06(σ 2 /2 = 0.0018)のとき
❍❍
❍❍ r
❍❍
µ
❍
0.01
0.02
0.03
0.04
0.02
0.025
0.03
0.04
0.05
6.8122
7.6349
8.2056
8.9305
9.3632
4.4161
5.2033
6.3869
7.1812
4.5606
5.5035
4.2212
0.1(σ 2 /2
= 0.005)のとき
σ=
❍❍
❍❍ r
❍
µ
❍
❍
0.02
0.025
0.03
0.04
0.05
0.01
0.02
0.03
0.04
7.9595
8.8559
9.4695
10.2292
10.6624
4.9952
5.8382
7.1020
7.9433
4.9984
5.9934
4.5555
16
表1の結果から、たとえ現在t = 0でu00 = xがIe /(1 − a)を超えていたとしても、直ちに参
加コストIe を支払ってホスピタリティ・ビジネスに参入するのではなく、期待効用水準が十
分に大きくなるまで参入を控える方がよいと結論できる。ホスピタリティ・ビジネスから
の期待収益率µまたはホスピタリティ・ビジネスのボラティリティσ が大きい場合は、そう
でない場合と比較して、閾値x∗ がより大きくなる(しかし、そうでない場合と比べて、必
ずしもビジネス参入までの時間間隔が長くなるというわけではない)。これとは逆に、無リ
スク資産収益率が高い場合には、閾値x∗ は低くなる。また、ホスピタリティ・ビジネスの
ボラティリティσ が大きく、ビジネスの期待収益率µが高い場合には、確信の程度(長期的
なビジネスの収益に対する満足の程度)β をx∗ が超える場合もあり得ることを示している。
このような高い期待効用水準が有限時間内に実現される確率はゼロではないが、いつまで
も参入しないままでいることが事業者にとって最適である場合が起こり得る、ということ
がわかる。
3.2.3
ステップ2’:ホスピタリティ・ビジネスへの参入意思決定—有限計画期間問題—
前節は、Ie という参入コストさえ支払えば、事業者はいつでもホスピタリティ・ビジネ
スに参入できるという前提に立っていた。この意味で、前節の分析は無限計画期間問題で
あった。しかし、これは現実的ではないかもしれない。ホスピタリティ・ビジネスは地域
的・局所的な性格を有していることが多いので、事業者が参入のタイミングを繰り延べて
いる間に他の事業者が先に参入を果たし、この結果、当該事業者にはもはや参入機会が残
されていない、ということは十分に起こり得る。この意味で、参入の意思決定はある一定
期間内に行う必要があるとした方が現実的であるかもしれない。本節では、このような有
限計画期間問題を取り扱う。習慣形成型期待効用の観点から問題を形式的に表現すれば、
α = 1, T < ∞として
[
{
}
]
sup E e−rτ (1 − a)U(0, τ, Xτ ; 1, β, 0) − Ie (1 − a)U(0, τ ; ·) − Ie ≥ 0
0≤τ ≤T
[
]
)
(
= sup E e−rτ (1 − a)uτ − Ie 1{(1−a)uτ −Ie ≥0}
0≤τ ≤T
となる。条件(1 − a)U(0, τ ; ·) − Ie ≥ 0は、(1 − a)u0 = (1 − a)xとIe の水準如何で計画期間
[0, T ]内にネットの習慣形成型効用(1 − a)U が非負にならないことが起こり得、その場合に
はホスピタリティ・ビジネスに敢えて参入するのではなく参入を断念するということを意
味している。
このように考えれば、当該事業者の参入意思決定は、行使価格Ie で満期T までの任意のタ
イミングで行使可能なアメリカン・コールオプションとみなせる。アメリカン・コールに
関してよく知られた性質を利用すれば、以下の主張が成り立つ。
定理 4. 当該事業者は、計画期間の最終時点T まで意思決定を繰り延べ、T でのみ参入の意
思決定を行うことが最適である。すなわち
]
[
{
}
sup E e−rτ (1 − a)U(0, τ, Xτ ; 1, β, 0) − Ie (1 − a)U(0, τ ; ·) − Ie ≥ 0
0≤τ ≤T
[
]
= E e−rT U(0, T, XT ; 1, β, Ie ) (1 − a)U(0, T ; ·) − Ie ≥ 0 .
この定理を証明するために、次の補題を準備する。
17
補題 5. 過程(ut )0≤t≤T には
dP∗ = MT dP,
( ∫ t
)
∫
1 t 2
Mt = exp −
ξs dBt −
ξs ds ,
2 0
0
[
ξt =
µ−r µ
−
σ
σ
(
ut
β
)]
で定義されるPと同値な確率測度P∗ が存在する。(Mt )0≤t≤T はM0 = 1であるP-指数マルチ
ンゲールである。このとき
∫
t
Wt = Bt +
ξs ds
0
によって定義される確率過程(Wt )0≤t≤T はP∗ -標準ブラウン運動となる。したがって(4)式は
dut = rut dt + σut dWt
に変換され、(e−rt ut )0≤t≤T はP∗ -指数マルチンゲールになる。
証明. 証明は、赤壁/田畑[2010, 補題2]においてρ12 = 0とおけばよい。
定理4の証明. 満期T までの任意の時刻τ でホスピタリティ・ビジネスに参入意思決定する
よりも、満期T で参入意思決定したほうが有利であること、すなわち任意のτ ≥ T に対して
[
{
}
]
E e−rτ (1 − a)U(0, τ, Xτ ; 1, β, 0) − Ie (1 − a)U(0, τ ; ·) − Ie ≥ 0
[
{
}
]
≤ E e−rT (1 − a)U(0, T, XT ; 1, β, 0) − Ie (1 − a)U(0, T ; ·) − Ie ≥ 0
言い換えれば
(
)
(
)
E e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} ≥ E e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0}
を示せば十分である。補題5より(e−rt ut )はP∗ -マルチンゲールであるから、任意のτ (0 ≤
τ ≤ T )において
[
]
[
]
EP∗ e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} Fτ ≥ EP∗ e−rT ((1 − a)uT − Ie ) Fτ
= (1 − a)e−rτ uτ − e−rT Ie
≥ e−rτ ((1 − a)uτ − Ie ).
ただし、EP∗ はP∗ の下での期待値演算を表す。左辺は非負であるから
[
]
EP∗ e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} Fτ ≥ e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0}
であり、e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0} はFτ 可測であるから
(
[
])
EP∗ EP∗ e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} Fτ
(
[
])
≥ EP∗ EP∗ e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0} Fτ .
ゆえに
(
)
([
]
)
EP∗ e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} = E e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} MT
(
)
([
]
)
≥ EP∗ e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{uτ −Ie ≥0} = E e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0} MT .
したがってMT > 0であるから
(
)
(
)
E e−rT ((1 − a)uT − Ie )1{(1−a)uT −Ie ≥0} ≥ E e−rτ ((1 − a)uτ − Ie )1{(1−a)uτ −Ie ≥0} .
18
有限計画期間問題では、計画期間の終了時点T まで参入意思決定を行わないことが最適と
なるため、パラメータの値にもよるが、無限計画期間問題よりも参入タイミングがさらに
遅れる可能性はゼロではない。
4
ホスピタリティ事業者のプロモーション戦略変更の意思決定分析
第3.2節の分析によって、最適なタイミングでホスピタリティ事業に新規参入を果たした
事業者を考える。この参入時点を改めてs = 0とする。第3節では、同地域に先発企業が存在
する場合はなおのこと、そうでなくとも参入後なんの努力も払わずに、将来時点s = t > 0
において(Xt )あるいは(u0t )の収益を確保できるとは考えづらいため、事業者として名乗り
を上げたことをアピールし積極的なプロモーション活動を展開する目的のために、当該事
業者はプロモーション活動コスト(たとえば広告宣伝費、団体割引)au0t を経常的に支払い
続けるものと考えてきた。しかし、ある時点s = τ においてプロモーション活動を打ち切
り、これ以後自己に振り向けられた潜在的需要を刈取る(プロモーション活動コストを支
払うことを止める代わりに、潜在的需要が一定率λ > 0で平均的に減衰するにまかせる)こ
とが事業者にとって最適であるような場合も考えられる。第3節の参入タイミングの分析が
ホスピタリティ事業者の短期利益最大化に対応するものとすれば、本節の分析は長期利益
最大化に対応するものといえる。本節で考察しようとするホスピタリティ事業者の意思決
定はこのようなものである。
図 3: 習慣形成型効用の模式図
このような状況を分析するために、事業者がある時刻τ ≥ 0までは広告支出を実行する
ことによって収益(習慣形成型効用)を拡大する努力を行うが、時刻τ 以降は広告支出をや
め、以後は刈取り戦略をとるものとする。図3は、こうしたホスピタリティ事業者の意思決
定によるプロモーション活動コスト控除後の習慣形成型期待効用を模式的に示したもので
ある。このとき、t ≥ τ における企業の習慣形成型効用(u∗t )t≥τ は
du∗t = −λu∗t dt + σu∗t dBt ,
19
u∗τ = u0τ ,
t≥τ
(15)
によって与えられることになる。ここで
{∫ τ
∫
sup E
e−rt (1 − a)u0t dt +
0<τ <∞
0
∞
e−rt u∗t dt
}
(16)
τ
に解τ が存在すれば、その時刻がプロモーション戦略の最適な切替タイミングとなる。(16) こ
の問題は以下の意味でリアルオプション問題となる。
∫ τ
∫ ∞
∫ ∞
∫ ∞
(
)
e−rt (1 − a)u0t dt +
e−rt u∗t dt =
e−rt (1 − a)u0t dt +
e−rt u∗t − (1 − a)u0t dt
0
τ
0
であるから、τ < ∞で
{∫
E
∞
−rt
e
(
u∗t
τ
− (1 −
a)u0t
) }
dt > 0
τ
であれば、このようなプロモーション戦略のスイッチングは経済学的に意味を持つ(リア
ルオプション価値を持つ)。したがって、問題(16)は、リアルオプション価値を最大化する
問題
}
{∫
∫
∞
sup E
0<τ <∞
∞
e−rt u∗t dt −
e−ρt (1 − a)u0t dt
(17)
τ
τ
と同値となる。(17)式括弧内の第1項は「t = τ でプロモーション戦略をスイッチした後の
利益の習慣形成型期待効用」を表している。他方、第2項は「戦略のスイッチによって節約
できる広告支出の習慣形成型期待効用−スイッチしなかった場合の(遺失)利益の習慣形
成型期待効用」であるから、(17)式は全体としてリアルオプション価値を表しているもの
と解釈できるのである。
ここで、P-指数マルチンゲールMt を
( 2
)
σ
Mt = exp − t + σBt , M0 = 1
2
とおけば、t ≥ τ のとき
[ (
)
]
σ2
Mt
∗
0
(t − τ ) + σBt−τ = e−λ(t−τ ) u0τ Mt−τ = e−λ(t−τ ) u0τ
ut = uτ exp − λ +
2
Mτ
であるから、繰返し期待値の法則から
)]
(∫ ∞
)
[ (∫ ∞
−rt ∗
−rt ∗
E
e ut dt = E E
e ut dt Fτ
τ
τ
(
)
∫ ∞
E [ Mt | Fτ ]
= E e−rτ u0τ
e−(r+λ)(t−τ )
dt
Mτ
τ
( −rτ 0 )
e uτ
.
=E
r+λ
したがって、(17)式はさらに
{
sup E
0<τ <∞
e−rτ u0τ
−
r+λ
∫
∞
}
e−rt (1 − a)u0t dt
τ
に書き換えることができる。
(16)
図3の時刻s = τ におけるギャップは、プロモーション活動コストau0τ に相当する。
20
(18)
ここで
{
}
∫ ∞
e−rτ u0τ
−rt
0
0
e (1 − a)ut dt Ft , ut = x ,
G(t, x) = sup E
−
r+λ
t≤τ <∞
τ
{ −rt 0 ∫ ∞
}
e ut
−rs
0
0
V (t, x) ≡ E
−
e (1 − a)us ds Ft , ut = x
r+λ
t
とおいて、領域C を
C ≡ {(s, x) |G(s, x) > V (s, x). t ≤ s }
で定義する。G(s, x)は時刻s以降に最適に政策をスイッチした場合の報酬、V (s, x)は時刻
sで直ちに政策をスイッチした場合の報酬を表しているから、C は広告戦略の継続領域(広
告戦略aを維持して、a = 0にスイッチすべきではない領域)と解釈される。α = 1として第
3節で導入した微分作用素Lを用いれば、関数G(t, x) − V (t, x)は偏微分方程式
∂
(G(t, x) − V (t, x)) + L(G(t, x) − V (t, x)) = 0,
∂t
(t, x) ∈ C
を満たす。
第3節と同様、バリュー・マッチング条件とスムース・ペースティング条件を用いてこの
偏微分方程式を解き、シミュレーションを行い近似値を求めればよい。しかし、V (t, x)を
陽表的に示すことが困難なこの問題は、第3節の問題よりも格段に取り扱いが難しく、解析
的にアプローチすることが困難である。そのため、以下では対応する確定的ケースを分析
する。これは、(4), (15)式において形式的にα = 1, σ = 0とおけばよい。すなわち
[
( 0 )]
du0 (t)
u (t)
0
= µu (t) 1 −
, 0 < u0 (0) = x < β, t ≤ τ
dt
β
du∗ (t)
= −λu∗ (t),
dt
u∗ (τ ) = u0 (τ ),
である。(17) したがって、(16)式は
{∫ τ
∫
−rt
0
max
e (1 − a)u (t)dt +
0<τ <∞
∞
t > τ.
−rt ∗
e
}
u (t)dt
τ
0
となる。ここで、時刻t ≥ 0で広告戦略をスイッチしたときの値関数をv(t)とおけば
∫ t
∫ ∞
−rs
0
v(t) =
e (1 − a)u (s)ds +
e−rs u∗ (s)dt
0
t
である。右辺第2項は
∫ ∞
∫
−rs ∗
−rt 0
e u (s)dt = e u (t)
t
であるから
∞
s
e−(r+λ)(s−t) ds =
e−rt u0 (t)
r+λ
(
)
dv(t)
re−rt u0 (t) e−rt µu0 (t)
1 0
−rt
0
= e (1 − a)u (t) −
+
1 − u (t)
dt
r+λ
r+λ
β
( {
(
)}
)
−rt
0
a(1 − a) r
λ
e u (t) µ
0
β 1+
−
− u (t)
=
r+λ β
µ
a 1−a
ここで定義されたu0 (t)は、第2節で導入したu(t)とは異なる。したがって第2節とは違って、u0 (t) → β (t →
∞)である。
(17)
21
を得る。われわれの仮定の下ではu0 (t)は上界をβ とするtの有界連続な非減少関数であり、
仮定µ > r > 0, λ > 0, 0 < a < 1から、初期値u0 (0) = xの範囲とパラメータr, λ, aの大
小関係に応じて、当該事業者の最適プロモーション戦略は3パターンになることがわかる。
これを定理としてまとめておく。
定理 5. 上記の仮定の下で、事業者のプロモーション戦略は以下の3パターンになる。
1. r/a ≥ λ/(1 − a)すなわちa ≤ r/(λ + r) < 1であるとき、u0 (t) < β であるすべての
t ≥ 0に対しdv(t)/dt > 0であるから、プロモーション活動を継続し続ける(プロモー
ション戦略を変更しない)ことが最適になる。
2. 反対に、r/a < λ/(1 − a)すなわち1 > a > r/(λ + r)であるとき
(a) 初期値u0 (0) = xが
{
(
)}
a(1 − a) r
λ
β 1+
−
≤x<β
µ
a 1−a
の範囲を満たすような相対的に高水準であるとき、すべての t ≥ 0 において
dv(t)/dt ≤ 0 となるから、t = 0 の参入当初から、経常的にプロモーション活
動コストを支払ってまでプロモーション活動を行わず、当初の収益を刈取るこ
とが最適となる。
(b) 初期値u0 (0) = xが
(
)}
{
λ
a(1 − a) r
−
x<β 1+
µ
a 1−a
を満たすような相対的に低水準であるとき、dv(t)/dt|t=0 > 0であるから、参入
当初から暫くはコストを支払ってプロモーション活動を継続するが
(
)}
{
λ
a(1 − a) r
0
−
<β
u (t) = β 1 +
µ
a 1−a
となる時刻tにおいてdv(t)/dt = 0となるから、この時刻tでプロモーション戦略
をスイッチする(つまり、プロモーション活動コストを支払うプロモーション
活動を止めて刈り取り戦略をとる)ことが最適となる。
ケース1の条件a ≤ r/(λ + r) < 1は、割引率r に比較して相対的に収益の減衰率λが低い
(言い換えれば、事業者が提供する観光サービスに関して需要者の “物忘れ”がそれほど激
しくない)と予想され、かつ(あるいは)、一定のプロモーション活動コスト率aがr, λに
比して十分に低いということを表している。したがって、ケース1は、プロモーション活動
コスト率aと収益の減衰率λが相対的に低いので、初期値xの値にかかわらず常にプロモー
ション活動を展開することによって収益水準を高める努力が長期的には最適になる、とい
うことを示している。他方、ケース2の条件1 > a > r/(λ + r)は、割引率rに比較して相対
的に収益の減衰率λが高いと予想され、かつ(あるいは)、一定のプロモーション活動コス
ト率aがr, λに比して高いということを表している。したがって、ケース2-(a)は次のように
解釈できる。プロモーション活動コスト率aと収益の減衰率λが相対的に大きく、収益の初
期値xがβ に比して十分に高い場合には、プロモーション活動コストを経常的に支出して収
益水準を高めるプロモーション活動を推進するよりは、プロモーション活動を初めから放
22
棄してプロモーション活動コストを節約する方が長期的には最適になるということを示し
ている。これに対して、ケース2-(b)は、収益の初期値xがそれほど高くない場合には、あ
る程度収益水準を高めるためにプロモーション活動を継続し、収益水準が十分高まった段
階でプロモーション活動を停止することが最適になる、ということを示している。
戦略変更が最適となるケース2-(b)の最適スイッチ・タイミングは
{
(
)} }
{
λ
a(1 − a) r
0
τ = inf t u (t) = β 1 +
−
µ
a 1−a
と表すことができる。閾値はパラメータaに関して減少関数であるので、プロモーション活
動コスト率aが相対的に高ければ高いほど当該閾値は低くなり、したがって、この閾値に達
するまでの時間はより短縮される。
5
まとめに代えて
第3.2節のリアルオプション分析は新規参入事業者の観点に立っていた。しかし、得られ
た結論をホスピタリティ・ビジネス行政(たとえば観光行政)の立場から考察することは
可能である。
ホスピタリティ・ビジネスは地域的・局所的な性格を有していることが考えられる。こ
のため、無制限な参入を許せば業者間の過当競争によって返ってサービスの質を低下させ
てしまい、ひいては当該地域のホスピタリティ・ビジネスを疲弊させてしまうことが考え
られる。この意味で、事業者免許や地元の観光協会への登録料等、ホスピタリティ・ビジ
ネスに特有の「目に見える」参入コストIe の存在は、業者にとっては参入タイミングを繰
り延べる繰延べオプションを持つため、そうでなければ発生した観光業者間の過当競争を
未然に抑制する効果を持つといえる。
第4節の確定的ケースの分析結果(ケース1)は、サービスに対する需要者の“物忘れ”が
それほど激しくないと予想される場合、プロモーション活動コスト率aを予め一定水準以
下に抑えることで、当該事業者はプロモーション活動を継続することによってサービスか
らの収益(習慣形成型効用)を上限β までじわじわと高めることが最適になる、というこ
とを意味する。逆に、ケース2は、サービスに対する需要者の“物忘れ”が激しいと予想さ
れ、収益水準(習慣形成型効用水準)がすでに十分大きい場合には、相対的に高額になる
プロモーション活動コストを経常的に支払ってまで収益を高める努力を継続する必要はな
い、ということを示している。映画のロードショウなどは、封切り前と封切り直後の一定
期間に大々的なプロモーション活動をが展開されることが知られている。これは、新作映
画の需要が一時的・一過的なものであるため、大々的なプロモーション活動を展開した後
は直ちに需要を刈取ることが最適であるから、と考えられる。これに対して、需要が長期
間継続すると考えられ、ロングラン公演やリバイバル公演が常態となっている演劇は、テ
レビCFなど長期間のプロモーション活動を目にすることが少なくない。このように、同じ
エンタテイメント産業に属するサービスでも、需要の特徴によってプロモーション活動の
在り方が異なる実例は存在する。第4節の分析は、ホスピタリティ・ビジネス全般について
も同様であると考えてよい理論的根拠を与えたもの、といえる。
もっとも、第4節の分析は、初期設備投資コストI0 が回収可能であることを前提としてい
た。ところが、初期コストの回収可能性に対する十分条件のチェックは行っていないため、
実は、プロモーション活動に関する戦略変更によって、当初の十分条件が満たされなくな
る可能性が排除できない。初期設備投資コストが相対的に小さい場合には、刈取り戦略を
23
とっても当該コストは回収できるだろう。しかし、I0 が大きい場合には、キャンペーン戦
略を刈取り戦略に切り替えると初期設備投資コストI0 が回収できなくなることも起こり得
る。この場合には、初期設備投資コストの回収を急ごうとして大々的にキャンペーン活動
を展開し以後サービス需要を刈り取ることを計画するよりも、キャンペーン活動コスト率a
を一定水準以下に抑えながらキャンペーン活動を継続的に実施するほうが賢明であるとい
える。
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