全国に例を見ない「高校生レストラン」など 次々に斬新なまちおこしの

6 回
カリスマ公務員 第 全国に例を見ない
「高校生レストラン」
など
次々に斬新なまちおこしの仕掛けを実現
三重県多気町 まちの宝創造特命監
岸川 政之 さん
普通の高校生が仕入れから接客・販売・経理まで
すべてを行うという、全国にも例を見ない「まご
おう か
の店」。県立相可高校食物調理科調理クラブの実習
施設という位置づけで、授業のない土日だけの営業
だが、プロ顔負けの味ともてなしで行列もできる人気
ぶりだ。「高校生レストラン」としてテレビド
ラマにもなったこのお店は、多気町の一職員で
あった岸川政之さんの柔軟な発想と情熱によっ
て誕生した。2011年4月からは「まちの宝
創造特命監」という新設のポストに就き、さ
らに活躍の場を広げている。
仕事になじめなかった自分を
劇中の一言が変えた
れる、これはすごいことだぞと思った瞬間、生きるのが
本当に楽しくなったんですね。勧められるままに入った
青年団でも、気の合う仲間がだんだん増えてきて、疎
私は、京都の大学を卒業し、1982年に地元の多気
ましく感じていた地域のつながりの深さは、田舎ならで
町役場に入りました。そのときは、公務員としてこんな
はの良さだと思えるようになりました。
ことをしたいという強い思いはありませんでした。その
最初の配属先である税務課には3年間いました。い
ためか、入庁後しばらくは職場の雰囲気や仕事の進め
ちばん忙しいのは税の申告シーズンで、特に農業の盛
方になじめず、
「辞めよう」
「でも辞めてどうする」と
んな多気町では農業所得の計算が非常に手間のかか
いった自問自答を繰り返す日々でした。
る仕事でした。当時はパソコンが世に出始めたころで、
仕事での悩みが人生のすべてという状態に陥ってい
もともとコンピュータに興味があったので、すぐにパソ
たのですが、そこから抜け出すきっかけとなったのが、
コンを買い農業所得計算のプログラムを自作すること
たまたま観た演劇でのセリフです。松尾芭蕉を題材と
にしました。約1か月間寝る間も惜しんで作り上げたプ
したその劇の中に、
「時は人を裏切らない」という一言
ログラムは、課の仲間から驚嘆と絶賛をもって迎えら
があり、当たり前の言葉なのになぜか「ああ、そうか」
れました。このできごとが、仕事のうえでも自信をもつ
と衝撃を受けました。何もしなくても、思いっきり自分
大きなきっかけとなったように思います。
のやりたいことをしても、平等に時間は過ぎていく。
だったら、仕事だけが人生のすべてのような考え方を
していたら損だと気づいたんです。
そして自分を、
「仕事をしている自分」
「家族といる
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人の輪が広がる楽しさと
人に喜んでもらえる嬉しさ
自分」
「友達といる自分」の3つに分けて、それぞれを
まちづくりに関連した仕事をするようになったのは、
100%生きようと決めました。そうすれば300%の男にな
4年目に教育委員会へ異動となってからのことです。
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まず、当時は年に2~3回しか行われていなかった公
と話したのですが、当日会場に並んだのは、ホテルの
民館教室を、一気に40教室以上に増やしました。民間
ディナー並みの豪華な料理でした。それだけでなく、
の文化教室などが開かれている場所へ行って、まずそ
生徒たちは進んで来場者に声をかけ、明るい笑顔で多
こから出てくる生徒さんに評判を聞き、面白そうなら先
気町の農産物をアピールしてくれました。
生に会って交渉するといったことを重ねて、当時として
生徒たちの調理の実力と溌剌とした動作に感嘆した
は画期的だったウォーキング教室なども誕生しました。
私は、同校の応援団になることを決めました。学校に
続いて、寄席を企画しました。多気町の隣の松阪市
入り浸っては、生徒たちがもっともっと輝ける場をつく
に、桂雀司(1992年に桂文我を襲名)さんという落語
るために村林先生と語り合いました。その中で生まれ
家が住んでいることを知ったのがきっかけで、こちらは
たのが、本物のお店を開こうというアイデア。先生は
町の事業としてではなく、町に笑いの文化を定着させ
常々、
「学校の授業では教えられないのが接客とコスト
たいと考える有志の主催です。仲間とともに雀司さんに
管理」と指摘しており、
「それならお店をやりましょう」
会いに行き、その思いを伝えると、快く「一緒にやりま
と意気投合したのです。
しょか」と引き受けてくださいました。こうして1987年に
お店の場所としては、町内にある自然休養村「五
ご
かつら いけ
始まった試みは「多気町ふるさと寄席」と名づけられ、
桂 池ふるさと村」がすぐに思い浮かびました。1984
毎年2回の恒例行事としてすっかり定着しています。
年に町が開設し、地元の五桂自治会が運営しています。
公民館教室やふるさと寄席によって、人の輪が広
当初は役員会でこの話をしても、前例が全くないだけ
がっていく楽しさ、町民に喜んでもらえる嬉しさを実感
になかなか理解してもらえませんでした。しかし夏休
し、もっともっと面白いことを仕掛けて町を盛り上げて
みの間、施設内にある「ふるさと食堂」で生徒たちを
いきたいという気持ちが膨らんでいきました。
「連続123
アルバイトとして受け入れてもらったところ、事態が一
時間の長時間ソフトボール」でギネスブックにも挑戦。
変。ふるさと村の役員の方たちも、生徒たちの見事な
6日の間に台風が2度も来襲する最悪の天候の中、
調理の腕やきちんとした挨拶に驚き、彼らのファンに
1,071人もの選手が参加し、その後これをきっかけに7
なってしまったのです。
組のカップルが結婚しました。
改めてお店のことを提案すると、村長の河合安己さ
んをはじめ全員が、
「子どもたちのためにお店をつくろ
イベントを契機として
生徒たちの応援団に
う」と賛同してくれました。相可高校の校長先生にも
快諾をいただきましたが、同校は三重県立ですから町
は管轄外です。そこで、高校と町、ふるさと村の三者
相可高校と出会ったのは、教育委員会勤務の後、
で覚書を交わし、何かあったらふるさと村が責任を負
総務課を経て農林商工課に配属となってからです。農
うことを明記しました。
業がいかに素晴らしい仕事であるかを多くの人に知っ
てほしいと、
「おいしい多気町まるかじりフェスティバ
ル」というイベントを企画しました。第1部は町の特産
物である伊勢いもを使った料理ライブショー、第2部は
多気町で獲れた農産物を使った料理の試食会というプ
ログラム。その第2部の調理を、相可高校の食物調理
科にお願いすることにしたのです。
初めて同校にお願いに行ったとき、担当の村林新吾
先生は「面白そうですね。やりましょう」と即座に引き
受けてくださいました。私は「調理といっても、スー
パーの試食品のような簡単なものでけっこうですので」
2002年に開かれた「おいしい多気町まるかじりフェスティバル」。
これをきっかけに相可高校との取り組みが本格化した。
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カリスマ公務員 第 2005年にオープンした「まごの店」。
新しい「まごの店」の設計に
工業高校生のコンペを実施
「まごの店」で働く相可高校食物調理科の生徒たち。全員プロ顔
負けの腕を誇る。
おかげさまで、
「まごの店」は今も開店前から行列が
できるほどの盛況が続いています。結果的にはまちお
こしにつながりましたが、私としてはあくまで、相可高
地産地消で近隣の農産物を直売する「おばあちゃん
校食物調理科の生徒たちを応援したいという思いが原
の店」の前にあった自動販売機コーナーを改修し、屋
点です。事業を成功させるには、こうした原点を忘れ
台のような1号店が2002年10月26日にオープン。店名は、
ないこと、やると決めたら軸をぶらさず覚悟を決めて取
おばあちゃんから見たら孫のような生徒たちが運営す
り組むことが大切だと、改めて実感しています。
るので、
「まごの店」としました。授業のない土日だけ
たとえば、県の補助を受ける際のプレゼンでは、担当
の営業で、メニューはうどんや田楽のような簡単なもの
者から「使用するのが土日だけなんてもったいない。平
だけでしたが、元気の良い高校生の取り組みが話題を
日は町民に開放しては」といった意見もいただきました。
呼び、順調に売上げを伸ばすことができました。
しかし、あの店は研修施設であり、15歳で料理の道に
しかし半年もすると今度はもっといい施設をつくって
進もうと決断した子どもたちにとっての聖域です。町内
あげたいと皆が思うようになりました。ふるさと村の皆
には調理室を備えた公民館などがたくさんありますから、
さんも同じ気持ちでした。当時の建物は4畳半くらいの
町民の方がサークル活動などで料理をしたいと思った
広さしかなく、厨房だけでいっぱいなので、客席は屋
らそういう場所を使ってもらえばいいわけです。生徒に
外のプラスチックテーブル。厨房が狭いため、懐石料
とって神聖な場所を守る、この点は譲りませんでした。
理やフランス料理のフルコースも作れる生徒たちの腕
も十分に発揮できません。
町の総務課に掛け合ってみると、
「まごの店」がふ
るさと村の来客増に貢献していることもあって前向きな
返答でした。施設の設計については、県内の建築科を
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製薬会社の協力で高校生が
「まごジェル」を開発
相可高校との新しい取り組みが「まごジェル」です。
持つ工業高校に呼びかけてコンペを行うことにしまし
「まごの店」は食物調理科でしたが、今回は生産経済科
た。
「料理人を目指す高校生の夢を、建築家を目指す
という、農業を中心に学ぶ学科の生徒と一緒に、ハンド
高校生が応援する」というわけです。コンペの結果、
クリームをつくることにしました。私の友人で万協製薬
四日市工業高校のプランが採用され、当初予定額を大
の松浦信男社長に相談したところ、
「CSR の一環として
きく上回った建設費については、県の補助金を受ける
ボランティアで協力させてもらいます」と言っていただき
ことでクリアしました。
ました。校長先生や担任の先生にも了解をいただき、生
2005年2月19日、新しい「まごの店」がオープンし
徒にはじめて会ってプレゼンをしたのですが、言葉遣
ました。建築面積37万㎡、客席74席という立派な施設
いがなっていなかったり、反応が鈍かったりで、正直
です。客席には2台のテレビモニターが設置され、厨
最初は、
「この子たちで大丈夫かな」と思ったものです。
房で働く高校生たちの奮闘ぶりが映し出されます。お
不安を抱えながらも、生徒たちに「製薬会社のラボ
客様はその様子を温かく見守り、帰り際には接客係の
を使わせてもらえるから、君らがコンセプトから成分や
生徒に「おいしかった」と声をかけてくださいます。
ネーミングまですべて考えるんだよ」と指示して開発を
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全国に例を見ない「高校生レストラン」など次々に斬新なまちおこしの仕掛けを実現
スタートしました。1つ宿題にしたのは、せっかく相可
高校で農業を学んでいるんだから、多気町の農産物を
何か使ってほしいということ。生徒たちは普通なら2か
月で済むところを半年間かけて、開発のプロたちと定
期的に会合を持ちながら試行錯誤を繰り返しました。
その過程でハンドクリームがジェルに変わりましたが、
町特産の伊勢茶のエキスを加えるなど成分が決定し、
「まごジェル」開発の様子。
自作のパッケージデザインができあがったとき、松浦
つながりから自然に生まれたものです。生徒たち自身
社長の表情がビジネスの顔に一変したのが印象的でし
にとって何がいちばん必要か、役に立つかを考えた結
た。生徒たちも半年の間に見違えるほど成長しました。
果、できたのが高校生レストランだったのです。テレビ
こうして「まごころ Tea ハンドジェル」
、略して「ま
ドラマはもう終わりましたが、私たちは「まごの店」を
ごジェル」が完成しました。でも、これで終わりではあ
これからも続けていくことが使命だと思っています。
りません。私はもともと、作るだけではなく作ったもの
私が実践しているまちづくりの原則は3つあります。
を売ることを目的として、この取り組みを提案したんで
1つは「ないものは探さない」
、2つめは「自分たちで
す。生徒たちには、たとえば東京でマツモトキヨシの
考える」
、そして3つめは「ビジネスを意識する」
。
「ま
社長さんに会って、
「私たちはこんな思いでこの商品を
ごの店」も、施設建設には多額の予算をつけましたが、
作りました。ぜひお店に置いてください」とプレゼンし
運営自体は完全に独立採算です。
「まごジェル」の方
てほしいと思います。採用されるかどうかは問題では
は1円も公費が入っていません。どちらも生徒たちが
なく、真剣勝負の営業を体験すること自体が、子ども
実社会でしか学べないことを学ぶ場を提供することが
たちにとって何物にも代え難い財産になるはずです。
目的ですが、ビジネスを意識して仕組みを構築するこ
とで、継続した取り組みが可能になります。
地域にある宝を磨き
結びつけるのが役割
この4月から、まちの宝創造特命監という役職を拝命
しました。これまではまちづくりの活動をあまりオープン
にしてきませんでしたが、自由に動ける立場になったの
私はこれまで、地域にある良い物、人、文化、歴史、
で、より積極的に町内外のさまざまな宝をつなぐ活動を
心といった宝を見つけて、一生懸命磨いて光らせたり、
していきたいと考えています。北海道三笠市では、道立
ほかの良いものや人とくっつけたりということをずっと
三笠高校が今年度いっぱいで廃校になるため、市立高
やってきました。
「まごの店」にしても、たまたま相可
校として再出発し、相可高校をモデルに食物調理科を
高校と関わりができ、そこには素晴らしい先生や生徒
設置することになりました。この取り組みにもできる限り
がいることを知りました。彼らは料理を勉強していて、
協力します。自転車によるまちおこしのアイデアも進ん
その素材となる農産物は地元にたくさんある。そんな
でおり、マウンテンバイクの本格的なコースを町内につ
くろうと計画中です。とにかく今は、毎日が楽しくて仕方
ありません。他の自治体の職員の方も、よかったらぜひ
多気町においでください。派遣研修の受け入れも進めて
います。一緒にこれからの地域のあり方を考えませんか。
まごジェル会議 「まごジェル」の開発会議。製薬会社の社
員とともに真剣な表情で話し合う。
◉プロフィール◉
きしかわ・まさゆき。1957年三重県多気郡大台町(旧宮
川村)出身、多気町在住。京都産業大学経営学部卒業後、
1982年多気町入庁。税務課、教育委員会、総務課、企画
調整課、農林商工課などを経て、2011年4月より現職。
著書に『高校生レストランの奇跡』(伊勢新聞社)。
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