H20hotsprings_rp - 公益財団法人花巻国際交流協会

平成 20 年度
花巻市青少年海外研修派遣事業報告書
アメリカ合衆国 ホットスプリングス市
ヒューストン市
財団法人花巻国際交流協会
花巻市・花巻市教育委員会
目次
1. 旅程表
・・・ 2
2. 派遣団名簿
・・・ 4
3. 感想文
アメリカでの思い出
花巻中学校
高 橋 寿 文 ・・・ 5
Thank you for your kindness
花巻中学校
木 村 優 李 ・・・ 5
この海外研修を終えて
花巻北中学校
貝 沼 良 風 ・・・ 6
海外研修を終えて
花巻北中学校
佐々木 真 美 ・・・ 7
アメリカでの思い出
南城中学校
佐 藤 晋 作 ・・・ 8
海外研修に参加して
南城中学校
田 口
海外派遣研修で学んだこと
湯口中学校
市 川 晨太郎 ・・・ 10
アメリカに行って
湯口中学校
千 田
海外派遣に参加して
湯本中学校
照 井 悠 矢 ・・・11
海外派遣を終えて思うこと
湯本中学校
冨 手 生 成 ・・・12
海外派遣に参加して
矢沢中学校
佐 藤 航 平 ・・・13
海外派遣を通じて
宮野目中学校
伊 藤 英 介 ・・・14
ホットスプリングスからの贈り物
宮野目中学校
高 野 麻 美 ・・・15
海外派遣研修を終えて
西南中学校
照 井 郁 也 ・・・15
海外派遣に参加して
西南中学校
藤 戸 奈 々 ・・・16
海外派遣での感想
大迫中学校
佐 藤 大 河 ・・・17
海外派遣研修を通して
大迫中学校
菊 池 郁 花 ・・・18
短いようで貴重な日々
花巻東高等学校 阿
日米の文化の違い
花巻東高等学校 小野寺
海外派遣研修に参加して
花巻東高等学校 澤
遥 ・・・ 9
遥 ・・・ 11
部 史 佳 ・・・19
拓 也 ・・・20
野 貴 大 ・・・21
20 個の種
花巻北中学校 教諭
伊 藤 茂 樹 ・・・22
刺激的な 10 日間
花巻東高等学校 教諭
中
アメリカが変わるときに
順 子 ・・・23
花巻市地域振興部生涯学習交流課
布 臺 一 郎 ・・・24
-1-
平成 20 年度青少年海外派遣研修事業
行先:アメリカ合衆国
旅程表
アーカンソー州 ホットスプリングス市
テキサス州
ヒューストン市
日程:平成 21 年 1 月 8 日(木)∼1 月 17 日(土) 10 日間
日次
月日
発着・滞在地名
現地時刻
交通機関
1
1/8
新花巻駅
発
10:22
新幹線
(木)
東京駅
着
13:24
東京駅
発
14:03
成田空港① 着
14:59
成田空港① 発
17:10
スケジュール[宿泊地]
食 事
やまびこ 50 号
昼:お弁当
NEX
CO-006
成田エクスプレス 29 号
出国手続後、空路アメリカへ
夕:機内食
日付変更線通過
ヒューストン着
13:50
入国手続
専用車
朝:機内食
ホテルへ
[ヒューストン泊] 夕:レストラン
2
1/9
ヒューストン
終日
専用車
(金)
NASA スペースセンター、自然
朝:ホテル
科学博物館など見学
昼:レストラン
〔ヒューストン泊〕 夕:レストラン
3
1/10
ホテル
(土)
ヒューストン発
10:05
CO-5520
リトルロック着
11:22
専用車
発
専用車
ホットスプリングス
空港へ
朝:空港
ホットスプリングスへ
ホストファミリーとの対面パー
昼:レイクサイド
高校
ティー
〔ホームステイ〕
4
1/11
ホットスプリングス
1/11 ホストファミリーデー
終日
(日)
夕:各家庭
各家庭
1/12 体験通学
1/13 体験通学
6
1/13
花巻市主催感謝レセプション
(火)
[ホームステイ]
*ホットスプリングス滞在 4泊5日
7
1/14
ホットスプリングス 発
08:30
リトルロック着
10:00
専用車
ホストファミリーと別れ、リトルロックへ
朝:各家庭
リトルロック市内見学後、
昼:レストラン
(水)
ホテルへ
[リトルロック泊]
8
1/15
ホテル
発
早朝
専用車
(木)
リトルロック発
06:05
CO-2448
ヒューストン着
07:38
ヒューストン発
15:19
夕:ホテル
朝:空港内
ヒューストン経由
昼:空港内
帰国の途へ
夕:機内食
CO-007
[機中泊]
9
1/16
成田空港① 着
19:25
入国手続
(金)
昼:機内食
〔成田空港泊〕
-2-
夕:ホテル
10
1/17
発
10:18
(土) 東京駅
着
11:16
東京駅
発
11:40
新花巻駅
着
14:40
成田空港
NEX
新幹線
-3-
成田エクスプレス 12 号
朝:ホテル
やまびこ 51 号
昼:お弁当
平成 20 年度青少年海外派遣研修事業
学校名
派遣団名簿
氏名
性別
高橋 寿文
男
木村 優李
女
貝沼 良風
男
佐々木 真美
女
佐藤 晋作
男
田口 遥
女
市川 晨太郎
男
千田 遥
女
照井 悠矢
男
冨手 生成
男
佐藤 航平
男
伊藤 英介
男
高野 麻美
女
照井 郁弥
男
藤戸 奈々
女
佐藤 大河
男
菊池 郁花
女
阿部 史佳
男
小野寺 拓也
男
澤野 貴大
男
花巻北中学校教諭
伊藤 茂樹
男
花巻東高等学校教諭
中 順子
女
花巻市産業部観光交流課主事
布臺 一郎
男
株式会社JTB東北 添乗員
及川 真由美
女
花巻中学校2年
花巻北中学校2年
南城中学校2年
湯口中学校2年
派 遣 生 徒
湯本中学校2年
矢沢中学校2年
宮野目中学校2年
西南中学校2年
大迫中学校2年
花巻東高等学校1年
引 率 者
-4-
アメリカでの思 い出
花巻中学校 2 年
高橋
と思いました。アメリカでは、さすがに
寿文
無理だと思うので日本で頑張りたいです。
僕はアメリカに行った事でこういうこ
僕が、アメリカに行ってできた思い出
とを考えることができたので、アメリカ
は、山ほどありますが、そのうちの2つ
に行って良かったです。もしまたアメリ
を紹介します。
一つ目は、ホームステ
カに行く機会があったら行って、アメリ
イ先のジョーダンファミリーの事です。
カと日本の友好関係を深めることをした
ファミリーの人は、いつもやさしく接し
いです。本当に楽しかったです。ありが
てくれました。特に、サイモン君は、僕
とうございました。
達が知らないアメリカの習慣をていねい
に教えてくれました。サイモン君は、ホ
ットスプリングスミドルスクールでも、
「Thank you for your kindness」
僕達に親切に接してくれました。
花巻中学校 2 年
二つ目は、ホットスプリングスミドル
木村
優李
スクールの事です。学校での授業は、ス
私 は 、今 回 の 研 修 で 様 々 な 事 を 自 分 の
目で見たり、耳で聞いたり、手で触った
りして、学ぶ事ができました。
私のホストファミリーのクリストルは、
一昨年に私の家にホームステイをしてい
て、私にとって家族の様な存在でした。
だから、ホストファミリーがクリストル
だと12月に知った時は驚き、そして嬉
しかったです。しかし、始めの方はきち
んと自分の話すことが相手に分かっても
ペイン語や演劇、パソコンなど日本の中
学校にはないような授業ばかりですごい
と思いました。
らえるかがとても不安でした。でも、ク
リストルは私の家に滞在していた時と変
わ ら ず 、笑 顔 で 優 し く 声 を か け て く れ て 、
更に、学校の生徒は皆、明るくて元気
私も緊張が解れていきました。
でちょっと憧れました。
次の日は、教会に行ったり、従兄の家
僕達のお別れ会のときも、最後まで皆
に行ったりして過ごしました。
笑顔で僕達に接してくれました。
三日目は、ファウンテンレイク高校
そんな皆に会えて僕はとてもうれしか
ったです。
に登校した後、クリストルの親友「ロー
レン」の家に遊びに行きました。私は、
僕は、こういう体験を通して将来の夢
を 見 直 す こ と が で き た と 思 い ま す 。僕 は 、
今まではっきりとした夢がありませんで
ローレンの家で飼っているシュガーとい
う馬に乗せてもらいました。初めての乗
馬はとても面白かったです。
した。だけど、アメリカの学校に行った
ときに、アメリカの中学生を見て、
家にローレンも一緒に行きました。家で
「僕も、大人になったらこういう中学生
の授業をしたい」
ローレンの家を出た後、クリストルの
は 、 T シ ャ ツ に Best friend(親 友 )と ペ
イントし、自分たちの似顔絵を描きまし
-5-
た 。そ の 時 、
「クリストルやローレンにと
さや人の温かさを改めて感じる事ができ
っての『親友』になれたのだなー」と私
ました。私は、この交流をここで終わり
は、嬉しい気持ちでいっぱいでした。そ
にするのではなく、周りのみんなに伝え
の後、私と真美ちゃんで、アメリカ家庭
たり、私自身が日本にいてもできる深い
料 理 「 Macaroni and Cheese(マ カ ロ ニ チ
国際交流をしていきたいと思います。そ
ー ズ )」を 作 り ま し た 。味 は 、日 本 で い う
して、この研修に協力してくださった花
「グラタン」に似ていて、とても美味し
巻市国際交流協会・市役所の生涯学習交
かったです。また、外で火を熾してソー
流課の皆さんなどのおかげで、とても素
セ ー ジ を 焼 い た り 、マ シ ュ マ ロ を 焼 い て 、
晴らしい体験をする事ができました。本
それを板チョコと一緒にクラッカーで挟
当にありがとうございました。
んだものを食べました。とても美味しか
ったです。
最後に、この研修に協力してくれたホ
ットスプリングスのすべての人達に。
四日目も、ファウンテンレイク高校に
「 Thank you for your kindness」
登 校 し て 、そ の 後 、
「また会える日までパ
ーティー」へ行きました。パーティーで
は、私の家にホームステイをしたことが
ある、デビーさんやジャニスさんとも会
うことができ、
「 大 き く な っ た ね 」と 言 わ
れ、とても嬉しかったです。私は、その
二人と初めて会った時はまだ小学生だっ
たので、英語が喋れませんでした。だか
ら、その場で自分の気持ちを相手に伝え
ら れ る こ と が 嬉 し く 、そ し て 、
「英語がと
て も う ま く な っ た ね 」と ほ め ら れ て 、
「今
まで英語を勉強してきて本当に良かった
なあ」と心から思いました。
ホームステイ最終日は、とても悲しい
気持ちで一杯でした。ホットスプリング
スに来てから新しく出会えたたくさんの
人達、そしてまた再び会えることができ
た人達との別れはとても辛かったです。
しかし、私とクリストルは、別れ際にあ
る 約 束 を し ま し た 。私 が 、
「帰りたくない」
この海 外 研 修 を終 えて
と言ったら、クリストルはこう言いまし
た。
「 私 は 、奨 学 金 を 貯 め て 、3 年 後 に ま
花巻北中学校 2 年
貝沼
良風
た 会 え る よ う に し た い 。」と 。だ か ら 私 も 、
「私はたくさん勉強して高校・大学に入
この海外研修を終えて、楽しみ、経験
り 、そ し て ア メ リ カ に 留 学 し た い 。」と 言
したことは沢山ありますが、中でも、特
い ま し た 。だ か ら 私 は 泣 き ま せ ん で し た 。
に経験になったと思ったことは2つあり
また会えると信じていたからです。
ます。
今回の研修では、国際交流の素晴らし
-6-
1つは、アメリカの家庭にホームステ
イをしたということです。ホームステイ
この海外研修は、必ず将来で生きてく
先の家族は辞書やジェスチャーを使って
ると思います。この経験を誇りにし、花
学校のことや、洗濯機の使い方などを教
巻の海外交流に少しでも参加していけた
えてくれました。僕もお土産などを使っ
らと思っています。
て日本の文化を伝えたり、自分の学校生
活を教えることができました。それと、
ホットスプリングの町を一望できる「ビ
海 外 研 修 を終 えて
ッグタワー」に行ったり、盛岡並みのシ
ョッピングモールに連れて行ってもらっ
花巻北中学校2年
佐々木
真美
たり、いろんな店に行っておいしく食べ
たり、楽しい 4 日間でした。
この派遣事業では、普段の生活では体
験できないような貴重な体験をする事が
出来ました。また、文化や日常生活の違
いなど沢山新しい発見をする事が出来ま
した。
アメリカに着いて 2 日目は観光をしま
し た 。NASA ス ペ ー ス セ ン タ ー や 、自 然 科
学博物館を見て回りました。何もかもび
っくりするものばかりでした。
2 つ目は、アメリカの学校に行ったと
いうことです。アメリカの学校は、様々
な人種の人達が一緒に通っていて、スク
ールバスの中は特に、
「 移 民 の 国 」と い う
ものを目のあたりにしました。日本と違
うと思ったことはこれだけではありませ
ん。授業の風景は、日本の様に同じ服の
人がきっちりしているのではなく、皆が
違う服装で、自由な雰囲気で授業をして
いました。だけど、授業内容はとてもハ
ードで、数学は高校生レベル、外国語は
ス ペ イ ン 語 ・・・。ア メ リ カ の 学 校 は す ご い
と思いました。学校に行く最後の日は、
パーティーをやってもらって、とてもう
れしかったです。
3 日目からはホームステイでした。最
初、ホストファミリーに会った時、抱き
しめて歓迎してくれて本当に嬉しかった
です。
家について靴を履いたまま入るのには驚
いたのと、少し抵抗があり文化の違いを
感じました。
今回の研修のテーマは「水」でしたが、
その家では、シャワーのお湯を 5 分間出
してから入りなさいと言われました。
それは、少し浴室を暖めるためかと思い
ました。水が豊富にあるからなのだと思
いました。
ホストファミリーはとても優しく親切
-7-
で、英語で分からない所があっても辞書
で調べてくれたりしました。あと、色ん
な所にも連れて行ってもらいました。と
ても楽しかったし、一生の思い出になり
ました。
今 回 の 研 修 で は 、沢 山 の 事 を 肌 で 感 じ 、
学ぶ事が出来ました。これは、沢山の人
の協力があっての事だと思います。皆さ
僕が、一番楽しみにしていたのは学校
んに本当に感謝したいと思います。
です。ホットスプリングスミドルスクー
ルは、そんな僕の期待を裏切らないとて
も良い学校でした。アメリカの友達もた
くさんできました。僕のホストステュー
「アメリカでの思 い出 」
南城中学校 2 年
佐藤
晋作
デントが通うクラスは、日本で言う高校
1年生レベルの授業を受けているクラス
僕は、アメリカで数多くの貴重な体験
でした。アメリカの教育レベルの高さが
をしました。初めての海外で学ぶことは
良く分かりました。僕の行った学校は、
たくさんあり、中でもホームステイはと
髪型、服装、バックなどが自由で、日本
ても思い出に残る体験でした。
とは違ってとても自由な学校でした。
また、学校体験2日目にはお別れ会も
初めて会うときは、
「 ど ん な 人 だ ろ う 。」
という不安でいっぱいでした。そもそも
開いてくれてとても嬉しかったです。と
会うまで名前も読めなかったからです。
てもいい学校で、転校したくなるぐらい
でも、ホストファミリーの方は、とても
でした。
親切なホストファミリーのおかげで、
親切な人でした。
その日は、ホットスプリングスの名所
を見学しに連れて行ってもらい、ホット
良いアメリカ生活を経験することができ
ました。
スプリングスの由来を知りました。夜に
初めてのことばかりで困ってしまう場
行ったボウリングでは、ホストステュー
面もありましたが、それもすべてとても
デントの友達も来て一緒に遊びました。
楽しい思い出です「また行きたい」と思
会話がうまくできなくても、同じ競技を
いました。
今回の海外派遣研修は一生の思い出で
通じて国境を越えた交流ができたと思い
す。本当にありがとうございました。
ます。
次の日、僕の朝は腹痛とともに始まり
ま し た 。「 せ っ か く 教 会 に 行 け る の
に・・・。」ぼ く は 、悔 し い 思 い で い っ ぱ
いでした。午後は、マウンテンタワーと
ウォルマートに連れて行ってもらいまし
た。アメリカは、何でも規模が大きい。
ウォルマートは何でもそろっていました。
日本には無い大型のショッピングモール
でした。
-8-
海 外 研 修 に参 加 して
南城中学校2年
田口
遥
この研修は、私にとって初めてづくし
の 研 修 で し た 。飛 行 機 に 乗 る の も 初 め て 、
海外に行くのも初めて、もちろんホーム
ステイするのも初めてでした。空を飛ぶ
りしました。
ってどんな感じだろうと思ってわくわく
ホストファミリーのみなさんにはすご
していましたが、思っていたより自然な
く楽しませてもらいました。近くの家の
感覚でした。
ホストファミリーと一緒にバースデイパ
アメリカに行ってまずびっくりしたの
ーティーもしました。お世話になり楽し
は食事でした。量はすごく多いし、味も
かった分だけ、別れる時はとても辛かっ
日 本 と は 全 く 違 い ま し た 。量 が 多 い た め 、
たです。また将来アメリカに行ってもう
アメリカでは「お腹が空く」という感覚
一度ホームステイをしたいと思いました。
がなく、1日中ずっとお腹いっぱいとい
この海外研修では、文化の違いなど多
う 感 じ で し た 。食 生 活 や 食 習 慣 の 違 い を 、
くのことを学ぶことができました。とて
毎日毎食実感していた気がします。
も貴重な素晴らしい体験をさせて頂いた
ホームステイ先の家族に会う時は、や
と思っています。このような機会を与え
はり緊張しました。でも、とてもみんな
て下さった(財)花巻国際交流協会のみ
明るくて気さくな人たちだったので、す
なさんや中学校のみなさんに、本当に感
ぐに仲良くなることができました。ホー
謝 し て い ま す 。一 緒 に 海 外 研 修 に 参 加 し 、
ムステイでは、誰も助けてくれる人がい
支えてくれた引率の先生方、参加生徒の
ない中でずっと英語の生活、ということ
みなさんにもとてもお世話になりました。
がすごく不安でした。しかしホストファ
勉強させて頂いたことを、どんな形でで
ミリーのみなさんは、一生懸命理解しよ
きるかはまだわかりませんが、何かの誰
うとしてくれてとても助かりました。片
かの役に立てるようにしていきたいと思
言の英語が多かったしうまく伝わってな
い ま す 。本 当 に あ り が と う ご ざ い ま し た 。
い部分もあったと思いますが、英語で話
が通じるとすごく嬉しかったです。
ホームステイ中にはアメリカの学校に
も行きました。日本の学校とは全く違っ
て、校則もゆるやかで、みんな自由で楽
しそうでした。制服もないし、アクセサ
リーをつけているし、授業中でもガムを
食べていたりしていました。でも時間に
はとても厳しかったり、日本とは違う点
でこだわりがあるように思いました。
また、ジュニアハイスクールでは授業
に参加しましたが、とても楽しい体験で
した。理科の授業でスライムみたいなも
のを作ったり、美術の授業で絵を描いた
-9-
海 外 派 遣 研 修 で学 んだこと
湯口中学校 2 年
市川
ホットスプリングスミドルスクールに通
晨太郎
学したことです。アメリカの学校という
ことがあってはじめは何をすればいいの
僕 は 、 1 月 8 日 ∼ 1 月 17 日 ま で 、 湯 口
かわからなく、ただ座っているだけでし
中学校の代表として海外研修に参加しま
た。しかし、座っているだけでは何も起
した。
こりません。思い切って隣に座っていた
海 外 研 修 の 初 日 、12 時 間 と い う 長 い フ
人に話しかけてみることにしました。す
ライトを終え、僕はアメリカに到着しま
ると、初対面で、しかも発音も不明瞭な
した。そこは外国という感じではなく、
のに、笑顔で返事をしてくれました。ア
自分の中ではまだ日本でした。しかし、
メリカの人はとても優しいのだな、とそ
周りの人を見るとみな白人だらけです。
の 時 つ く づ く 感 じ ま し た 。そ の ほ か に も 、
僕はアメリカについたことを改めて感じ
教科ごとに教室を移動する、休み時間は
ました。
5 分しかない、など驚く点はたくさんあ
りました。学校に通学する最後の日、学
校主催のパーティーを開いてくれました、
さらに、少ししかお世話にならなかった
のに、紙袋いっぱいのプレゼントを頂き
ました。
今回の研修では、水資源のほかにも、
人と人とのコミュニケーションのこと、
そして何よりもお互いを尊重する気持ち
今回の海外派遣研修のテーマは「水資
を学び、感じ取ってくることができまし
源」についてです。ホットスプリングス
た。そしてアメリカでの思い出、ホスト
はじめての見学場所は、温泉でした。今
ファミリーとの思い出、ミドルスクール
は使われていませんでしたが、そこはた
で の 思 い 出 ・・・。僕 は こ の こ と を 、一 生 忘
くさんの人で賑わっていたことを知るこ
れないでしょう。
とができました。それに、マウンテンタ
最後に、この研修にあたって、いろい
ワーでは、ホットスプリングスの歴史を
ろな準備、手続きをしてくれた方々、そ
知ることができました。
してホストファミリーのみなさん。この
初めてのホームステイでは、苦労の連
続でした。英語で習った単語だけではあ
ような貴重な体験をさせていただき、本
当にありがとうございました。
まり通じなかったので、電子辞書を駆使
して何とかホストファミリーとの会話を
進めることができました。ホストストゥ
ーデントのザクは同じ年ということもあ
って、学校での生活のこと、アメリカの
文化のことなどを一生懸命教えてくれま
した。他にもトランプをしたり、ゲーム
をしたりで、とても楽しく生活でき、貴
重な体験になりました。
しかし、何といっても一番の思い出は
- 10 -
アメリカに行 って
湯口中学校
2年
として、接してくれたことです。
千田
遥
私は、今回の海外派遣に行って学んだ
ことがあります。
1つ目は、アメリカは人種が多いので
多少、差別があるかと思いました。しか
し、実際に行って見てみると仕事などで
協力している姿をみて、みんながお互い
を認め合っている事を知り、自分の考え
とは違っていました。
この海外派遣に参加する理由として、
「アメリカの生活習慣や文化に触れた
い 。」と い う 気 持 が あ り ま し た 。ホ テ ル で
の宿泊やホームステイ、学校の訪問など
で、アメリカの生活習慣や文化に触れる
ことができたのでよかったです。
このように、私が海外派遣に参加して
たくさんのことを学べたのは多くの人の
お陰です。ありがとうございました。
この体験を、これからの生活で生かし
ていきたいです。
次に、水資源についてです。事前研修
の時にジンバブエという国を知りました。
その国は、日本のように水に恵まれてい
海 外 派 遣 に参 加 して
ないことを知りました。また、失業率も
湯本中学校 2 年
多く、生活が厳しいということも分かり
ま し た 。 そ し て 、 HIV に 感 染 し て い る 人
が多く、子供も多く死んでいるという現
状をしりました。そのジンバブエに募金
というかたちで支援できてよかったと思
います。
私は、このような国を知り、日常で出
来ることとして、節水・節電などを、心
がけていきたいです。また、このような
国があるという現実を色々な人に伝えて
いきたいです。
この研修で心に残ったことや楽しかっ
たことは、ホストファミリーと過ごした
時間です。ボーリングをしたこと、近く
のホームステイ先の家族を呼んでホーム
パーティーをしたこと、テニスをしたこ
と、ドライブをしたことなど家族の一員
照井
悠矢
今回、海外派遣に参加した理由は、就
きたい職業と大きく関わっています。将
来、僕は通訳などの国際的に活躍する職
業に就きたいと思っています。なので、
そのために英語での会話や、アメリカの
方々とのコミュニケーションをとること
を 目 標 と し て 、海 外 派 遣 に 参 加 し ま し た 。
一つ目の目標、英語での会話はホーム
ステイ先の家族と主にすることになった
のですが、初めて対面したときは、何を
どうやって話しかければいいのだろうと
考えていました。しかし、家族の方々は
気さくな人たちで、自分達の好きなこと
や、知っているアメリカの映画、音楽の
ことをきいて、答えたり逆に質問したり
- 11 -
海 外 派 遣 を終 えて思 うこと
し て い る と 、会 話 は は ず ん で い き ま し た 。
湯本中学校
たまに、知らない、理解できない単語が
ました。それでもわからないと、辞書を
ひいてくれるという親切さがありました。
いっぽう、コミュニケーションをとる
ことはとても簡単でした。なぜかという
と 、 ホストファミリーや 、 五 人 で 体 験 入 学 し た レ
イクサイド高校の人たちがとてもフレン
ドリーで、すぐに仲良くなれることがで
生成
ない貴重な体験させて頂いたことを心か
ら感謝します。アメリカに行く前は、英
語はどうにかなるだろうと思い、全く勉
強 し ま せ ん で し た 。一 緒 に 行 っ た 友 達 は 、
飛行機やホテルでの空き時間を利用して
「ホームステイでよくある会話」という
本を読んでいました。僕はそれを横目で
見て「どうにかなる」という根拠の無い
自信がありました。
きたからです。
アメリカに着いて3日目、ホストファ
ま た 、自 分 の 目 標 に つ い て だ け で な く 、
ホットスプリングスのことについても知
ることができました。花巻市と姉妹都市
になるきっかけにもなった温泉資源の関
連施設、ホットスプリングスが歩んでき
ミリーと対面しました。お母さんのロン
ダと高校生のテスとその友達のブレンデ
ィーが迎えてくれました。初めは本当に
気まずくて、話かける事すらできません
でした。話しかけられると、あのスピー
た歴史などです。
今回の海外派遣で得たことはとても多
かったと思います。それらを自分に、ま
た、周りのひとにプラスになるように、
どう生かすか考えていくのが、今後の課
題なんだと思います。
冨手
今回の海外派遣事業で、日本では出来
はいると、意味を砕いて説明してくれた
り、ジェスチャーをまじえてくれたりし
2年
ドについていけず軽くパニックを起こし
て何言っているか全然理解できず、ナー
バスになっていました。そんな感じだっ
たのですが、ショッピングやボーリング
に連れて行ってもらううちに、話すスピ
ードに慣れ、大体の話す内容が理解でき
るようになり、少しずつコミュニケーシ
ョンがとれるようになって、とても嬉し
かったです。
僕 が ア メ リ カ に 行 っ て 驚 い た 事 が 2つ
ありました。
1つ 目 は 、ア メ リ カ の ゴ ミ 箱 に は 、分 別
が無いことに驚きました。ご飯も結構容
赦なく捨てます。テスの友達のトゥリス
ティンは日本語が少し話せて、写真の撮
りあいをして、彼の顔をズームにして見
- 12 -
海 外 派 遣 に参 加 して
せると、笑いながら「わるいこ∼、わる
矢沢中学校
いこ∼」と言ったので、彼が料理を皿に
大盛りに盛ったのに、ほとんど捨てたの
で、僕はふざけて「わるいこ∼」と言う
と、彼はとても驚いた顔をしました。そ
の時、物凄いカルチャーショックを受け
2年
佐藤
航平
今回、海外派遣に参加して、アメリカ
でたくさんのことを体験することができ
ました。
最初に行ったヒューストンでは、
ました。確かに知っているけど、なぜ?
みたいな感じでした。無いわけではない
NASA ス ペ ー ス セ ン タ ー や 自 然 科 学 博 物
がアメリカは、食べ物を大事にするとい
館の見学をしました。日本にいては絶対
う気持ちが日本に比べて少なのかもしれ
に見られないような貴重な展示を目の前
ないと思いました。
で見ることができました。
2つ 目 は 、ア メ リ カ 人 の 砕 け た 感 じ で す 。
僕のイメージでは、なんか怖そうだと思
っていたのですが、意外に入国審査官や
マックの店員は優しかったし、それに、
ヒューストンから次はリトルロックへ
むかい、そこからホットスプリングス市
へ行きました。レイクサイド中学校でウ
学校ではドアを次の人の為に開けてくれ
ェルカムパーティーがあり、そこで初め
たり、話の相槌をうってくれたりしまし
てホストファミリーと対面しました。
た。アメリカに行く前、僕は英語より日
最初は「何が食べたい?」とか「飛行
本語の方が長けていると思っていました。 機でどれくらいかかったの?」などとい
なぜなら、英語はアルファベッドの組み
ろいろと質問されましたが、英語がほと
合わせですが、日本語は漢字一字が意味
んど聞き取れず、これでもゆっくり話し
を持っており、表現も多彩だからです。
ていると聞いて急に不安になりました。
でも、英語を使っているうちに、堅苦し
一日目はそんな様子でドライブなどで
くなく簡単だからこそ、自分の思いを素
もあまり会話はなく・・・という感じで
直に伝えることができるのではないかと
した。でもその夜の十時からボーリング
思いました。
今回の海外派遣事業はとても有意義な
旅だったし、言語や食文化、生活習慣の
違いなど色んなものを学ぶことができま
をしに出かけたのにはとても驚きました。
本当に自由なんだと感じた瞬間でもあり
ました。
した。最後にこの海外派遣でお世話にな
二日目からは、会話もスムーズになっ
った先生方、市役所方々、国際交流セン
ター方々、これに携わった全て方々どう
もありがとうございました。
てきて、少しずつ聞き取れるようになり
ま し た 。初 め て「 Thank you.」と 言 っ て 、
- 13 -
「 You’re welcome.」と 言 っ て も ら っ た と
をすることが出来ました。ジェーシビル
きはとてもうれしかったです。どういた
ミドルスクールにも通いました。私服登
しまして、という返事はとても大事なん
校や授業時間も決まってないなど、日本
だな、と感じました。
とは違うところがたくさんあり、驚きま
学校に通学したときは、授業などに参
加させてもらったりしてとてもいい体験
ができました。
した。授業中にピザを食べたり、ガムを
食べたりなど、自由で面白いなと思いま
した。最後の日、クリスチャンに「また
会いましょう」と言われた時はとても嬉
今回ホームステイをしてみて、言葉が通
しかったです。ホームステイのほかにも
じないこと、自分が話せないことをとて
NASAスペースセンターや州議事堂な
ももどかしく感じ、これからもっと話せ
ども見学しました。NASAでは、実際
るようになりたいと強く思いました。ま
に月の石にも触る事が出来たし州議事堂
た 、何 か を 言 わ れ た ら 言 葉 を 返 す と い う 、
言葉のやりとり、コミュニケーションは
本当に大切なことだと身にしみて感じま
した。
では、現州知事に会うことができ、とて
も貴重な体験をすることが出来ました。
今回の海外派遣で、自分の価値観がと
ても変わりました。アメリカの異文化に
触れ、たくさんのことを感じました。言
今回のこの研修は僕にとってものすご
葉は通じなくても、ジェスチャーや積極
く貴重な時間でした。今回お世話をして
的にコミュニケーションをとれば、意思
くださったみなさん、本当にありがとう
を通じ合うことが出来ました。他にも英
ございました。
語力の向上もでき充実した研修でした。
この貴重な経験をこれからの生活に生か
して生きたいです。たくさんの方々の支
えがあり、貴重な体験をさせていただき
ました。
海 外 派 遣 を通 じて
宮野目中学校 2 年
伊藤
英介
今回の海外派遣で普段の生活ではでき
ない様々な経験をすることが出来ました。
その中でも一番印象に残っているのが、
ホームステイです。ホストファミリーと
の対面前、自分の英語で伝わるのかなど
不安でいっぱいでした。しかし、ホスト
ファミリーと初めて対面したとき、最高
の笑顔で迎えていただき優しくしていた
だきました。おかげで、ホストファミリ
ーに早くとけこむことができました。週
末には、初めて教会に行きました。教会
では、聖書みたいなものを読んだり、歌
を歌ったりしました。何を言っているか
わからなかったけど、とても貴重な体験
- 14 -
本当にありがとうございました。
ホットスプリングスからの贈 り物
宮野目中学校 2 年
高野
海 外 派 遣 研 修 を終 えて
麻美
西南中学校
私はアメリカに行けると決まったとき、
二年
照井
郁也
僕はアメリカに行く飛行機の中で、誰
本当に嬉しくて、英語の授業もがんばり
にも言うことはなかったが、実は、これ
ました。でも、出発日の 3 日前にインフ
以上ないくらいに緊張していた。それに
ルエンザにかかってしまい、アメリカに
加えて期待と不安と、相反する気持ちを
行くことができませんでした。ずっと楽
胸に抱えていた。なぜなら、初めてだっ
しみにしていたのに行けなくなってしま
たからだ。8日間という長い間、家から
い、とても残念に思いました。
離れることや、ホームステイをすること
そして何日かが過ぎて、アメリカから
も。もちろんアメリカに行ったことなど
お花が届きました。とてもきれいなお花
一度もあるはずがない。前日の夜までは
でした。今ではもう枯れてしまったけれ
早く明日にならないかと胸を弾ませてい
ど、お花の入っていたカゴは大切にとっ
たが、いざ、飛行機に乗ってみるとそん
ておいています。
な複雑な気持ちになってしまった。
さらに、アメリカの学校のグッズなど
そして、着いた。
ももらいました。あと、ホットスプリン
おりた瞬間世界が違った。まずその大
グスの市長さんからの手紙ももらいまし
きさに息をのんだ。空港が大きかった。
た。花巻の市長さんからでももらったこ
成田空港から飛行機に乗ったのだが、そ
とがないのに、アメリカの市長さんから
んなの比べ物にならないくらい大きかっ
手紙をもらえるなんて本当に驚きました。
た 。そ ん な 中 で 入 国 審 査 に 臨 ん だ の だ が 、
これは、一生の宝物です。
自分の無力さが分かった。何を言ってい
私は、アメリカに行くことはできなか
るか分からないのだ。入国審査で。遂に
ったけれど、ホットスプリングスの方々
は 、「 Are you Japanese?」 と 聞 か れ 、 日
にお花をもらったり、お手紙をもらった
本人の係員を呼ばれてしまった。勉強は
り、本当にうれしかったです。ずっと、
そ れ な り に し て き た と 思 っ て い た 。で も 、
ずっと、大切にしていきたいです。
通じなかった。苦い挫折を覚えた。出鼻
これからも、アメリカに行くために勉
をくじかれてしまった。
強をがんばっていきたいです。
その日はそのままホテルに泊まった。
でも二日目からはそんなことも気にな
ら な く な っ て い っ た 。二 日 目 は NASA と 自
然博物館に行った。
(ここのことはたぶん、
他の誰かが書いてくれると思い、省略す
る 。)
そして、いよいよ三日目からはホーム
ステイだ。ホストファミリーはとてもや
さ し か っ た 。料 理 も と て も 美 味 し か っ た 。
日曜日には教会にも行ったし、月・火は
学校に行った。そこで見る物は何もかも
新鮮だった。最後の日はとても悲しかっ
た。このままずっとこの家にいたいとも
- 15 -
思った。
たぶん、その日の夜だったと思う。僕
たちがコインに出会ったのは。きっかけ
は僕と晋作が高校生の部屋に遊びに行っ
たことからだった。高校生は見知らぬ三
つ折りの板を持っていて、
「 何 で す か 、そ
れ?」と聞くと高校生は教えてくれた。
アメリカのクォーターというお金があっ
て、そのお金は州毎にデザインが違うこ
と。そして、この板は全種類をコンプリ
ートするためにあることを。
おもしろそうだな。最初はそんな気持
ちだった。その夜から戦いは始まった。
考え得る全ての手を使って、僕たちはク
ォーターを集めた。時には、少しひどい
こと(法に触れるようなことはしていな
い 。)も し た 。気 が 付 く と そ こ ま で し て で
も集めたい物になっていた。
でも、時間は無情にも過ぎていった。
ついに、板に4つの空きがある中で、僕
海 外 派 遣 に参 加 して
たちは空港にいた。46個集めただけで
西南中学校 2 年
藤戸
奈々
よくやったと思っていた。でも神様はそ
んな妥協を許してくれなかったようだ。
私は、この海外派遣事業に参加し、一
飛行機トラブルがあった。出発が五時間
生の思い出になる、素晴らしい体験をす
近く遅れたのだ。行けるかも知れない。
ることができました。アメリカに行くこ
僕たちは思った。必死だった。空港内に
とについて始めは、自分の英語が伝わる
あるお店をほぼ全て回った。そして、
だろうか、などの不安がありました。し
そろった。僕たちは心の奥から喜んだ。
かし、事前研修を重ねていくうちに、そ
この研修で僕たちはたくさんの物を得
の不安もすこしずつ、期待にかわってい
た。その中でもふたつ、コイン集めを通
き ま し た 。日 本 語 が 通 じ な い 地 で 生 活 し 、
してしったことがある。ひとつは、とに
生きた英語で日常会話をする、という自
かくやってみることの大切さを知った。
分の英語力、精神面の強さなど、自分
そうでなければ、僕たちはあの達成感を
を試すチャンスだと思えてきました。
得ることは出来なかったと思う。もう一
そして、1月8日。ついにアメリカに
つは感謝だ。この研修に携わってくれた
着きました。周りは、外国人ばかり。い
方々、コイン集めに協力してくれた人に
や、周りから見れば、私たちが外国人な
感謝している。それはとても気持ちのい
のか、などと思えるほど、もう不安はあ
いことだ。このことは、これから生きて
り ま せ ん で し た 。不 安 よ り も 、「今 、私 は
いく中でずっと、ずっと大切にしていき
ア メ リ カ に い る ! 」と い う こ と に 感 動 し
たい。
ました。
ホットスプリングス市に着いて、初め
- 16 -
てホストファミリーに会ったとき、
いいところ、文化などを伝えていきたい
「 NANA」 と 書 い て あ る 紙 を 高 く 上 げ 、 私
と思いました。
を見て、手を振ってくれたのがとても嬉
私はとてもアメリカでの生活を楽しむ
しかったです。ホストファミリーは、ホ
ことが出来ました。私が体験したことを
ス ト フ ァ ザ ー の Ike 、 ホ ス ト マ ザ ー の
たくさんの人に伝えていきたいと思いま
Sonya、 私 と 同 い 年 の Caroline、 11 歳 の
す。そして、今回出会った人と連絡を取
Camille の 4 人 家 族 で す 。 な か な か 、 う
り合い、国際交流にも力をいれ、日本と
まく英語を聞き取れない私に気づいてく
アメリカ、花巻市とホットスプリングス
れて、ゆっくり話してくれたり、聞き方
市の橋渡しになりたいと思っています。
をかえてくれたり、とても優しくしてく
最後に、このような機会を与えてくだ
れました。私は、好き嫌いが多くて食べ
さった関係者の皆さんや学校の先生方、
ら れ な い も の が あ っ た け れ ど 、「無 理 し な
ホストファミリーの皆さんや家族のみん
い で 、残 し て い い ん だ よ 」と 言 っ て く れ ま
なには、とても感謝しています。本当に
した。本当の家族のように接してくれ、
ありがとうございました。一緒にアメリ
私はとても嬉しかったです。生の英語に
カ に 行 っ た み ん な 、 あ り が と う !!!!
ふれ、アメリカの生活に触れることがで
き、とてもいい経験をすることができま
し た 。別 れ の と き ・・・泣 か な い と 決 め て い
たのに、涙が出てきました。このとき、
本当にもう日本に帰りたくないと思いま
した。このまま、アメリカに残りたいと
思いました。それだけ、ホストファミリ
ーと過ごした時間は、私にとってすごく
楽 し い 時 間 で し た 。 Ike フ ァ ミ リ ー に 出
会えて良かったです。
海外研修で感じたことは、アメリカ人
は 小 さ な 事 で も 「 Thank you 」「 You’ re
海 外 派 遣 での感 想
welcome」と い え る こ と で す 。と て も 良 い
大迫中学校 2 年
ことだと思いました。今の日本では、素
直 に 「あ り が と う 」と 言 え な い 人 が 多 い と
思 い ま す 。 そ の 他 に も 、「 Sorry」 な ど 普
通にかわしていました。これから先、私
たちが変えていかなければならないこと
だと思いました。
佐藤
大河
僕 は 、 1 月 8 日 か ら 17 日 ま で の 10 日
間 、大 迫 中 学 校 の 代 表 と し て 、
「青少年海
外派遣研修」に参加させていただきまし
た。
ま た 、 ア メ リ カ の 人 は 、「 愛 国 心 」、 ア
メ リ カ 人 と し て の 「誇 り 」を 強 く 持 っ て い
ると感じました。私は日本人であること
を誇りに思っているか、なんて考えた事
もありませんでしたが、今回出会った人
たちから学び、これから、私は日本人で
あることに誇り持ち、胸を張って日本の
- 17 -
印象に残っているのは、ホームステイで
海 外 派 遣 を通 して
す。レイクサイド中学校で行われた歓迎
大迫中学校2年
菊池
郁花
パーティーの時にホストファミリーと対
面しました。会ったときから優しく振舞
私が今回この海外派遣に参加したのは
ってくれて緊張がほぐれました。パーテ
日本とアメリカの生活・文化の違い、そ
ィーの後は、ファミリーの車に乗ってホ
してもっとたくさんの英語にふれてみた
ットスプリングスの古い温泉施設やお店
かったからです。
に連れて行ってもらいました。
ファミリーの皆さんは、僕たちにいろ
いろ気を使ってくれて優しかったです。
ご飯のときは何を食べたいか、寝るとき
などに何か必要なものはあるか、など聞
いてくれました。家では、テレビゲーム
をしたり、外でバスケットボールをした
りしました。休みの日には大きなショッ
ピングセンターやバスケットボールの試
まず、アメリカに着いて驚いたことが
合、ハイキングなどに連れて行ってくれ
ご飯の量です。一人分の量がすごく多い
ました。平日には僕の通っている学校の
し、飲み物の料もすごく多かったです。
姉妹校、ジェシビルミドルスクールに通
よくこんなに食べられるなと思いました。
いました。そこでは幼稚園・小学校・中
それからアメリカの人たちは、みんな心
学校・高校が一つになっていました。学
が広く優しいなと思いました。私はアメ
校の生徒は、僕たちに積極的に話しかけ
リカ人というのはもっと怖いイメージが
てくれて、嬉しかったです。僕は一緒に
あ り ま し た 。で も 、イ メ ー ジ と は 違 っ て 、
昼食を食べたり、スポーツをしたりしま
私が困っている時には助けてくれました。
した。学校ではほとんどが自由でした。
そして、私の一番心に残っていること
私服を着ていたし、お菓子もたべていま
はホームステイです。ホームステイでは
した。ホストファミリーの皆さんと過ご
始め上手く思いが伝わらないし、相手の
した時間はあっという間に過ぎました。
伝えたいことがわかってあげられなくて、
お 別 れ パ ー テ ィ で は 、派 遣 生 全 員 で 、
「 we
す ご く 大 変 だ っ た し 辛 か っ た で す 。で も 、
are the world」 を 歌 い ま し た 。
時間が過ぎていくうちにだんだん聞き取
今回の研修では、英語力の向上ととも
れるようになったし、何よりホストファ
に、アメリカの生活や文化をしっかりと
ミリーのみんなが一生懸命に聞いてくれ
学ぶことができました。今回に研修は僕
たり伝えようとしてくれました。本当に
にとってまたとない良い機会だったと思
優しくて暖かい家族でした。私はホスト
います。今回学んだことを今後の生活に
ファミリーの子供たちと一緒に大迫中学
役立てていきたいと思います。
校の姉妹校でもあるジェシービルミドル
スクールに行きました。そこでも驚いた
ことが3つありました。1 つ目は校則が
ないことです。みんな自由にお菓子をた
べていたり、アクセサリーをつけていま
した。日本の学校では考えられないこと
- 18 -
です。2 つ目は部活動がないことです。
さ に と て も 驚 か さ れ ま し た 。博 物 館 で は 、
部活がないから、学校が終わってすぐ家
さまざまな自然の現象についての説明や
に帰るのに違和感がありました。3 つ目
恐竜の化石などが展示されておりとても
はいつでも笑顔なことです。みんないつ
興味深かったです。
でも笑顔で話しかけてくれたので嬉しか
そして、次の日は、ヒューストンから
ったです。一人が笑顔だとみんなが笑顔
リトルロックへ飛び、そこからバスに乗
になるんだなと思いました。
り今回の一番の目的であるホットスプリ
今回私はたくさんのことを学びました。
ングスのホームステイ先の家族の方と初
私は最初すごく楽しみな気持ちもあった
めて面会をしました。自分のホームステ
けど、英語が上手く話せるか不安な部分
イ家族はByerlyファミリーで、夫
もありました。でも、ホストファミリー
妻の他に14歳の息子さんと18歳の娘
や学校のみんなの優しさや笑顔のおかげ
さんの4人家族でした。ご家族には、と
で不安もなくなり私も笑顔で過ごすこと
てもお世話になり、初日と2日目にはボ
ができ楽しいものになりました。言葉は
ーリングや市内観光など様々な場所へ連
違うけど言葉以上に大切なものを感じる
れて行って頂きました。特にボーリング
ことができました。日本では学べないこ
は初日の夜10時頃に始め夜中でしたが
とをたくさん学ぶことができました。貴
とても盛り上がることができました。3
重な時間を過ごすことができました。
日目と4日目には現地の高校での交流に
入 り ま し た 。制 服 は な く 私 服 登 校 で あ り 、
とても自由な感じでした。学校は広く運
動場等がたくさんありました。生徒はと
ても気さくで積極的に話しかけてくれ、
とても楽しく、心配していた言葉の通じ
ない事は、単語や辞書を使って切り抜け
ることができました。長いと思っていた
4日間は、あっという間に過ぎお別れ会
を迎えました。自分は地元のお祭りの笛
を吹き喜んで頂けました。we
the
are
worldを最後に皆で歌い次
の日には、悲しかったですが、ホームス
短 いようで貴 重 な日 々
花巻東高校 1 年
阿部
テイ家族と別れ、リトルロックでクリン
史佳
トン博物館を見学、そして、驚くことに
アーカンソー州知事と州議事堂で一緒に
1月8日から自分達ホットスプリング
写真を撮る機会に恵まれました。次の日
派遣団総勢23名は、10日間の海外交
には、飛行機が遅れるハプニングがあり
流に行ってきました。まずヒューストン
ましたが1日遅れで花巻に無事帰ってく
へ到着したのち次の日から、NASAや
る事ができました。
自然科学博物館などを見学しました。N
今回、海外にいた、8日間は短くも自
ASAでは実際に宇宙飛行士が訓練をし
分にとっては長い日々でした。この日々
ている施設や打ち上げられず保管してい
だけで自分はとても今までにないくらい
たロケット等を見ることができその大き
英語を学べたと思います。本場での体験
- 19 -
はとても貴重でまた、このような機会が
とても広い国だと思いました。そして見
あれば参加したいです。
学終了後、ヒューストンでも人気の高い
高級ホテルに泊まりました。ホテルの中
も大変広かったです。海外に初めて来て
泊まったホテルがこのホテルでとても良
かったです。
そ し て 次 の 日 、 NA SA ス ペ ー ス セ ン タ
ーと自然科学博物館を見学しに行きまし
た 。N A SA ス ペ ー ス セ ン タ ー で は 、初 め
て宇宙にいった宇宙船や月にいった宇宙
船があり、とても大きく、これを作った
人やこれに乗って行った人をすごいなぁ
と思いました。自然科学博物館では、自
然に何が起こっているかなどを見られて、
とても楽しかったです。とても勉強にな
りました。
そしてこの日もヒューストンのホテル
に泊まり、そして次の日リトルロック、
そしてホットスプリングスにバスで行き
ました。そして一時間位して歓迎パーテ
ィーが催される中学校に到着しました。
そこでホームステイ先の人たちと対面し
日 米 の文 化 の違 い
花巻東高校 1 年
ましたが、ホームステイ先の方達は、と
小野寺拓也
ても優しかったです。最初は片言でしか
話せなく通じませんでしたが、だんだん
私は、初めて海外に行ったのでとても
話しているうちに自分の英語が相手に通
緊張しました。初めて飛行機に乗りまし
じてきて、とても嬉しかったです。レイ
たが、思っていたよりはさほど怖くはあ
クサイド高校のサッカー場に連れて行っ
りませんでした。しかし、13時間のフ
てもらって、レイクサイドの方々とサッ
ライトはさすがに大変でした。思ってい
カーをすることができたことが一番の感
た よ り 飛 行 機 内 で は 、眠 れ ま せ ん で し た 。
激です。また、夕食後に家族皆でボーリ
眠れなかったので、お腹がとても減りま
ングをしてとても楽しかったです。
した。飛行機では、機内食というのが出
され、中間の時間と着く前に出されまし
た。量は少なかったが、美味しかったで
す。飛行機の中で一日を過ごさなくては
いけなかったので苦痛でした。飛行機を
降りてすぐに入国審査でしたが、練習通
りいかなかったのでとても大変でした。
しかしなんとかやりすごして、ヒュース
トン市内を見学しました。アメリカは、
- 20 -
次の日レイクサイド高校に行ってまず
の人が「飲み物飲みますか?」と聞いて
思ったのは、日本の高校と違いロッカー
き た 。「 コ ー ラ を 下 さ い 」 と 言 っ た 。「 は
が教室の外にあることです。いちいち教
い」ってわたされた時に、私は心の中で
室を出て荷物を取りに行くのは面倒臭い
やったと思った。簡単な英会話だったが
と思いました。それから驚いたのが、授
海外で通じた事が嬉しかった。それから
業中に音楽を聞く生徒や、ガムを食べて
機内食も食べた。美味しいものもあった
いる生徒がいることです。日本では怒ら
が、イマイチなものもあった。東京から
れるのに、アメリカでは怒られないなん
ヒューストンまで十三時間はさすがに疲
て、ずるいと思いました。さすが自由の
れた。ヒューストンに着きバスでホテル
国アメリカだと思いました。日本では4
に向かった。ホテルに着きすぐに近くの
時間したら昼食ですが、アメリカは3時
レストランで夕食を食べた。アメリカの
間すると昼食なので、羨ましいです。レ
食べ物は量が多く、少しでもすぐ腹がい
イクサイド高校では、なんとスペイン語
っぱいになった。念のために持ってきた
の授業をやっていると聞き、とても驚き
胃薬がとても役に立った。
ました。私もスペイン語にチャレンジし
二 日 目 は 、NASA ス ペ ー ス セ ン タ ー と 自
てみましたが、英語とスペイン語が交互
然博物館に行った。NASAでは、ロケ
に混ざっていて、全然何を言っているの
ットやロケットの中の物などを見た。テ
か解りませんでした。全部の授業を受け
レビで見るより迫力がありとても大きか
て、とても難しいと思いました。4日間
っ た 。NASA の 食 堂 で ハ ン バ ー ガ ー を 食 べ
のホームステイはいい経験となりました。
た。日本のハンバーガーよりも大きかっ
この海外研修で学んだ事を、今後に生か
た 。飲 み 物 も 大 き か っ た 。自 然 博 物 館 は 、
して頑張りたいです。
恐竜の化石や奇麗な石など自然な展示物
がたくさんあった。
三 日 目 は 、ホ ス ト フ ァ ミ リ ー に 会 っ た 。
とても優しく迎えてくれた。ボーリング
海 外 派 遣 研 修 に参 加 して
花巻東高校 1 年
澤野
やとても高いタワーやサイエンスミュー
貴大
ジアムなどに連れて行ってくれた。とて
も楽しかった。最初は何を話せばいいの
今回の海外派遣では、とても勉強にな
かわからなかったが、時間がたつにつれ
ることがたくさんあり、日本とアメリカ
て少しずつわかり自然と言葉がでてきて
の文化の違いや外国人との触れあい方を
話せた。二日間だけだったがレークサイ
知ることができて良かった。私は高校生
ド高校に体験通学した。最初に驚いたの
でみんなの手本になるように行動するは
が、曲を聴きながら先生の話を聞いてい
ず が 、は し ゃ ぎ す ぎ て ト ラ ブ ル を 起 こ し 、
たり、話の最中に退室したりしていたこ
みんなに迷惑をかけてしまった。そのこ
とだ。生徒たちはみんな優しかった。授
とを反省し、次に活かせるようにしたい
業も楽しかった。スペイン語の授業も体
と思った。初めての海外だったのでとて
験した。二日間の体験通学も終わり、ま
も嬉しかったが、不安もあった。また、
たファミリーと過ごした。空手道場や湖
高校生が私を含め三人だけだったのでと
の 周 り を 歩 い た り な ど し た 。楽 し か っ た 。
ても緊張した。初めて本場の英語を聞い
スーパーやスターバックスにも行った。
た の は 、 国 際 線 の 飛 行 機 の 中 だ っ た 。 CA
本場のスターバックスは美味しかった。
- 21 -
20個 の種
食事にも連れて行ってくれた。私は初め
て ナ マ ズ を 食 べ た 。と て も 美 味 し か っ た 。
花巻北中学校教諭
伊藤
茂樹
別れの日はとても悲しかった。楽しい時
間は早く過ぎてしまうのだとあらためて
「教育は農業的な発想で行わなければ
感 じ た 。別 れ る 時 に 涙 が こ み あ げ て き た 。
な ら な い 。」あ る 研 修 会 で 学 ん だ 言 葉 で あ
私は、それを抑えながらホットスプリン
る。子供達を育てようとしたとき、工業
グスを出発しリトルロックに向かった。
のように効率よく大量に生産するという
リトルロックでは州議事堂やクリント
発 想 で は な く 、種 か ら 1 つ ひ と つ 丁 寧 に 、
ン博物館に行った。楽しかった。この貴
愛情を込めて育てなければならない。た
重な体験や思い出を大切に、学校生活な
く さ ん の 太 陽 を 浴 び さ せ 、水 を や り 、時 々
どを頑張っていこうと思った。
訪れる風や雪などを乗り越えさせ、はじ
めて立派に育つ。
平成20年度の海外派遣事業が大成功
に終わった。半年前に出会った20個の
「 種 」た ち は 無 事 に 現 地 で の 研 修 を 終 え 、
花巻市を担う立派な「実」となった。
国境を越えたアメリカで「種」たちが
一番強く感じたことは、人間の温かさだ
ったようである。ホストファミリーと出
会うまでは不安を隠せなかった生徒達も、
アメリカで出会った方々からの溢れんば
かりの愛情を浴び、生き生きと活動する
こ と が で き た 。言 葉 の 違 い 、文 化 の 違 い 、
孤 独 な ど 多 く の「 雨 」
「 風 」が 生 徒 を 襲 っ
たが、どの生徒も弱音を吐くことなく全
ての研修を全うすることができた。本当
にたくましくなったと思う。
ホットスプリングス市で私が真っ先に
感じたことは、現地における花巻市の認
知度の高さであった。過去に花巻を訪れ
た人もいれば、ホームステイを受け入れ
た経験のある人など、会話の中には常に
「 Hanamaki」 と い う 言 葉 が 飛 び 交 っ て
いた。また、学校においては日本の文化
を積極的に学ぼうとする取り組みがみら
れ、感銘を受けた。
私の個人的な成果は、10日間担当の
布臺氏と過ごすことで、本事業のめざす
もの、担当されている方々の思いや苦労
などを身をもって感じることができたこ
とである。各校数名しか派遣できないこ
- 22 -
と、予算、市民の反応など、多くの課題
もあるとのことである。
平成20年度の研修は数回の事後研修
を残すのみとなった。しかし、このプロ
ジェクトの本当の成功は10年、20年
先に見据えなければならないと思う。立
派に育った「実」が自ら成長し、新しい
「種」をつくり、やがて大きな群生にな
ったとき、初めてこの壮大なプロジェク
トの目指した姿が現れるのではないだろ
うか。
海外派遣事業の廃止が進んでいる市も
ある中、小さな可能性を大切にし、15
年間このプロジェクトを続けてきた花巻
市を誇りに思うと共に、この意義あるプ
ロジェクトがこれからも続いて欲しいと
願う。
刺 激 的 な10日 間
花巻東高校教諭
中
順子
海外旅行経験が一度しかない私にとっ
て、事前研修もまた生徒と同様に毎回新
しいことを知る契機となった。特にも花
巻市とホットスプリングス市の温泉資源、
温泉を含めた水資源を守るための取り組
みについて調査したこと、ホットスプリ
ングス市のロータリークラブで援助をす
るアフリカのジンバウェについて教えて
いただいたことによって、富める国日本
に住む者の責任を痛感した。今、人類は
貧富の差、民族差別、地球環境、戦争な
ど多くの問題を抱えて苦悩している。私
たちは世界に思いをはせ、世界と自分は
つながっていることを再認識しなければ
いけない。恥ずかしながら今回の見学で
初 め て 知 っ た Heifer International( ハ
イファーインターナショナル)の理念や
活動は、宮澤賢治の「世界がぜんたい幸
福にならないうちは個人の幸福はありえ
ない」を体現するものであった。私たち
には世界を知り、そして学ぶ責任がある
ことを生徒たちに伝えていきたい。さら
には賢治の理想とする「幸福」を、生徒
たちと共に世界市民として行動していく
ことで追求していければと思う。
生徒たちはホームステイに入り、引率
者はホテルに宿泊したが、毎晩ディナー
に招かれた。連日連夜の心尽くしのおも
てなしに恐縮した。英語には多少慣れて
きたものの、思ったことが言えず、悔し
い。会話に入れないということでこんな
にも疎外感・屈辱感を味わうとは思って
もみなかった。英語はやはり話せるべき
であり、英語によって思考も変わってく
るのではないかと思った。新たな課題が
見つかった。
2日間の学校見学も非常に興味深いも
の だ っ た 。 「 Arkansas School for
Mathematics, Sciences & the Arts」 に
は本校美術部の生徒の作品が展示してあ
った。非常に高度な学習をしており、歴
史の授業でディスカッションをしていた
の に は 驚 い た 。 「 Lakeside High School」
には本校生徒3人が通学した。校長先生
と面会して贈物を手渡すが、私自身がコ
ミュニケーション出来ないこともあり、
あっさりとしたものだった。各学校の熱
心 さ に 比 較 す る と 、若 干 寂 し い 感 も あ る 。
Mrs.Kathy Roberts に オ ゾ ン 測 定 値 の 表
を手渡す。施設設備、特にも芸術棟の充
実 ぶ り に 驚 嘆 す る 。18 歳 の Sarah Byerly
が 学 校 を 案 内 し て く れ た 。「 Jessieville
School 」 で は 、 即 興 劇 な ど に 取 り 組 む
「 Drama」と い う 授 業 を 参 観 し た 。自 己 解
放し、自分を表現する授業にアメリカの
国民性を見るような気がした。生徒たち
が描いた絵を来校記念としていただいた
が、表紙には論語の一節が書いてあった
( 原 典 を 探 す も 見 つ か ら ず )。
「 Fountain
Lake school」で は ほ と ん ど の 教 室 に パ ソ
コンが整備されており、あらゆる授業で
使用されている。板書して教師が説明す
るといった一斉授業はない。「学びとは
何か」、「学校とは何か」を考えた2日
間だった。いずれにしても日本にいては
感じることが出来ないことをたくさん感
じ、学んだ研修であった。
今回の研修で日本の良さを再確認する
ことになったが、教育においては日本は
立ち後れていると思わざるをえなかった。
今後さらに研鑽を積んで、今回の研修で
得たことをいかしていきたい。
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アメリカが変 わるときに
す が 、建 物 や そ の 配 置 な ど は 環 境 負 荷 を
花巻市地域振興部生涯学習交流課
布臺
一郎
低 く す る 工 夫 が な さ れ て い ま す 。そ こ で
様々な活動の様子を見学した後でした。
一 人 の 生 徒 が 私 に「 で も 学 ぶ だ け で は い
ホットスプリングスとの姉妹都市提
け な い ん で す よ ね 。実 際 に 僕 ら が 活 動 し
携 は ち ょ う ど 1 6 年 前 、ク リ ン ト ン 大 統
な け れ ば な ら な い ん で す よ ね 。」 と 話 し
領の就任式の直前になされたわけです
か け て き ま し た 。ま た 、別 の 生 徒 は ギ フ
が 、今 回 の 生 徒 た ち の 派 遣 も ク リ ン ト ン
トコーナーで、
「ここでギフトを買えば、
大統領と同じ政党である民主党からオ
その収益が必要な国や地域に行くんで
バマ大統領が就任するのと同時期とな
すよね?」とコーナーの職員に聞いて、
り ま し た 。い ず れ の 大 統 領 も 共 和 党 か ら
そのとおりとの返事を得ていました。
政 権 が 変 わ る と き で あ り 、国 民 の 期 待 が
ア メ リ カ の 大 変 革 の 年 、花 巻 の 生 徒 た
高いことは共通している社会状況です。
ち は そ れ を 目 の 当 た り に し 、そ し て 自 分
世界的な大不況の中や地球温暖化問題
たちも変革するべきだと気が付きまし
など世界規模で進行している困難の中
た 。こ ん な 大 切 な 一 瞬 を 共 有 で き た 素 晴
で 、史 上 初 め て の ア フ リ カ 系 大 統 領 の 誕
らしい経験と生徒たちに感謝していま
生 に 、国 全 体 が お 祭 り ム ー ド に 包 ま れ て
す。
いるのを生徒たちは肌で感じたはずで
す。
今 回 の 研 修 で は 、ホ ッ ト ス プ リ ン グ ス
と 花 巻 に 共 通 す る 貴 重 な 資 源 、水 を テ ー
マ に 学 習 を 深 め ま し た 。両 市 が い か に 最
も大事な資源の一つである水と熱水に
恵 ま れ 、そ れ を 維 持 し て い く た め に ど の
ような努力をしているのかを学びまし
た 。そ し て 、一 方 で は 水 に 恵 ま れ な い 地
域がどんなに悲惨な生活を強いられて
い る か も 学 び ま し た 。生 徒 主 催 の 感 謝 の
会 で は フ ァ ン ド レ イ ジ ン グ を 行 い 、集 め
たお金はホットスプリングスのロータ
リークラブを通じて協力関係にあるア
フリカジンバブウェのブラワヨロータ
リ ー ク ラ ブ へ 送 金 さ れ 、清 潔 な 水 を 得 る
ための井戸掘削に使用されることにな
っています。
さ て 、ホ ス ト フ ァ ミ リ ー と 再 会 を 誓 っ
て 別 れ た 後 、私 た ち は 州 都 リ ト ル ロ ッ ク
へ 向 か い 、フ ェ イ フ ァ ー イ ン タ ー ナ シ ョ
ナルという団体の本部ビルに立ち寄り
ま し た 。こ こ は 飢 餓 や 貧 困 に 苦 し む 地 域
へ自立できる援助を行う団体の建物で
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