新しい福音宣教復活祭 - カトリック広島司教区公式ホームページ

ます。また、日本
宣教の保護者「フ
ランシスコ・ザビ
エ ル 」 の 心、
「信
仰の原点」への回
シスコ誕生の喜びととも
す。そして、新教皇フラン
主イエス・キリストのご
復活おめでとうございま
宣教に取り組みましょう。
方法、表現をもっての福音
教 区 と し て、新 し い 熱 意、
皇」にしっかり建てられた
新しい岩「フランシスコ教
(二面へ続く)
捨てられし
隅の親石復活祭
に、ヨハネ グエン クア
ら広島教区の目標「平和の
新教皇名
「フランシスコ」
は、その「平和の祈り」か
ません。
改めて確認しなければなり
に は 課 さ れ て い る こ と を、
のための収穫が、広島教区
中国五県の七百五十万人余
三 十 七 )の み こ と ば 通 り、
「 収 穫 は 多 い が、働 き 手
が 少 な い。
」
(マタイ九の
初ミサの
トゥアン神父や春爛漫
ン トゥアン新司祭叙階お
めでとうございます。
心を促してくれます。この
前田 万葉 司教
カトリック広島司教区長
新しい福音宣教復活祭
カトリック
使徒となろう」につながり
カトリック
広島司教区
発行責任者
広報担当
服部大介神父
「点訳版」あります。
お問い合わせください。
広島市中区幟町 4-42
広島司教館内
TEL(082)221-6017
前田万葉司教メッセージ 世界平和記念聖堂関連 叙階式関連 教区災害サポートセンター情報・JーCaRM
地区・海峡からの風・施設・青少年・ひと粒 一・二面
三面
四~七面
八面
九~十二面
アルカラ 神父
下関労働教育センター 林 尚志 神父
細江・彦島・長府教会
百瀬文晃 神父
リントホルスト神父
下関ブロックチームミニストリー
広島教区長 前田万葉 司教
名誉司教 三末篤實 司教
司教総代理 斉藤眞仁 神父
金 楹洙 神父
リカルド 神父
檣灯センター ミッシェル神父
笠岡教会
山口道晴 神父
倉敷地域共同宣教司牧チーム
浜田教会
西山和男 神父
益田教会
ヴィタリ 神父
出雲教会 高橋義博 神父
津和野教会 ヴィタリ 神父
李 尚潤 神父
バルト
神父
玉野教会 金 起瑩 神父
倉敷・玉島・水島教会 野中 泉 神父
広島地区 (地区長)肥塚侾司 神父
幟町教会司牧チーム
後藤正史 神父
アルベルト神父
山口修道院 李 相源 神父
ホンテレー修道士
ロサド 修道士
愛徳修道士会
ヘンデリクス修道士
牧田真一修道士
庚午修道院
牛尾幸生 神父
塚田健統 神父
河村剛 修道士
幟町修道院
関根悦雄 神父
柳田敏洋 神父
松島忠雄修道士
裏辻洋二 神父
デ・ヴァルス神父
近藤 信 神父
山根敏身 神父
瀬戸勝介 神父
オチョア 神父
ラフォント神父
長束修道院 塩谷恵策 神父
バリョヌエボ神父
(小野田老人ホームチャプレン)桜井彦孝 神父
トゥアン 神父
(協力)豊田尚臣 神父
(協力)ジェロム 神父
観音町教会 斉藤眞仁 神父
祇園教会 山根敏身 神父
山口・島根地区 (
地区長)李 相源 神父
山口教会 加藤信也 神父
柴田 潔 神父
(協力)モレノ
神父
カンガス 神父
清水 弘 神父
三篠教会 (幟町教会から)
三次教会
アルバレス神父
翠町教会 (担 当)アルベルト神父
岩国教会 中村健三 神父
周南地域チームミニストリー
池尻廣幸 神父
宇部・北若山・高千帆教会 アレックス神父
三喜田虎太神父
バ ラ 神父
宇部・小野田ブロックチームミニストリー
防府教会 小崎次郎 神父
萩教会
恩地 誠 神父
三原教会 アルナルド神父
尾道教会
服部大介 神父
福山教会
瀧井英昭 神父
フレデリック神父
徳山・下松・光・柳井教会 アルティリョ神父
オレギ 神父
アンリ 神父
(協力)早副 穣 神父
岡山・鳥取地区 (
地区長)荻喜代治 神父
岡山・岡山南教会
荻喜代治 神父
向原教会 (幟町教会から)
松江教会 深堀升治 神父
オチョア 神父
呉教会
肥塚侾司 神父
廿日市教会 原田豊己 神父
鳥取教会 野嵜一夫 神父
米子教会 西江和司 神父
津山教会
ワーレ
神父
倉吉教会
関 亮一 神父
(さいたま教区出向)澤野耕司 神父
(日本カトリック神学院)猪口大記 助祭
広島司教館
教区本部事務局
原田豊己 神父
平和の使徒推進本部
服部大介 神父
主のご復活おめでとうございます
№ 92
左から猪口助祭、前田司教、
トゥアン新司祭、三末司教
92 号
2013 年 4 月 14 日
カトリック 広 島 教 区 報
(1)
カ五の十)のみことばに応
間をとる漁師になる。
」
(ル
ト に 招 か れ、
「あなたは人
新 司 祭 ト ゥ ア ン 神 父 は、
貴重な働き手としてキリス
れたのです。
主任司祭立会いの下、任さ
週間の典礼、
説教すべてを、
しております。着任早々聖
わたしは、今から三十八
年前の新司祭当時を思い出
りましょう。
上手」です。育て上手にな
い ま す。
「褒め上手は育て
手のみなさま」に感謝して
礎となっている夫婦の関わ
にある、様々な関わりの基
マ リ ッ ジ エ ン カ ウ ン
ター(ME)ウィークエン
までの道のりもそうです
人)だけです。司祭になる
司 祭 は、
「 上 手 だ っ た ぞ!
たのです。それでも、主任
教、聖歌も台無しに近かっ
曜日の祭儀から、儀式、説
す輪をかけて、最初の聖木
それに、あがり症がますま
も 聖 歌 が大の苦手でした。
当のわたしは、司祭に一
番大切なはずの典礼、しか
吾 さ ん、三 宅 仁 孝 さ ん が、
に進級です。また、山下健
ンの着衣者となり、神学科
者認定式」を受け、スータ
ロ イ 神 学 生 も、 三 月
二 十 七 日、
「司祭助祭候補
夫婦だけでなく、人々と
の関わりを深めたいと思っ
見つめるひとときです。
囲の人々との関係をも深く
神との関係、自分たちと周
す。また、自分たち二人と
ドとは、家庭や社会のなか
三日には、出身の鳥取教会
りを深めていくための方法
てくれた、当時の「褒め上
えてキリストの司祭になり
ミサで、素晴らしい初説教
を体験的に身につける二泊
が、司祭になってからの道
明日も明後日も、その調子
四月から日本カトリック神
ている司祭、修道者も参加
ふるえつつ
聖週間のなにやかや
三月二日には、猪口大記
助祭も誕生し、翌日の三月
ま し た。 実 に、 広 島 教 区
十六年ぶりの慶事です。し
かし、中心になって働くべ
をしました。
のりも、先輩・同僚の司祭
でやれ」とおだててくれま
学院に入学いたします。
ンドはカトリックの運動で
き教区司祭はまだまだこれ
や修道者、信徒の育み合い
した。わたしにとって、そ
今後とも広島教区に多く
の司祭が誕生しますよう
す。
まさのり
よろしくお願いいたしま
婦がお互いを、そして結婚
という結びつきを新鮮な
目で見直し、二人の将来を
見つめるとてもよい機会で
できます。MEウィークエ
場所:福山暁の星学院研修
ついては四面に掲載してい
(トゥアン新司祭の叙階に
い)
、司祭、修道者
者・未信者を問わな
対象:夫婦(結婚年数、信
センター
ます。
)
す。
三日のプログラムです。夫
がなければ、成長はおろか
の時の「聖なる三日間」は、
に、そして、七百五十万人
日 時: 十 月 十 二 日( 土 )
で も 十 八 人( う ち 司 教 二
生きていくことさえできま
まさに受難であり、大解放
余のための収穫に貴重な働
二十時〜十四日(月・
雛壇で
猪口前田仕え合ふ
せん。
の「アレルヤ」でもあった
き手がどんどん増えますよ
祝)十八時
育もう聖週間の新司祭
のです。
うに、みなさまのご協力を
それにしても、あんな下
手な祭儀を温かく受け入れ
アレルヤと
聖なる三日が
過ぎにけり
トゥアン新司祭
(2)
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
申込・お問い合わせ:
高森(福山教会
― 1861
)
952
―
084
〝 私 は マ リ ッ ジ エ ン カ
ウンターに大きな期待をか
けています〟
( 福 者 教 皇
ヨハネ・パウロⅡ世)
92 号
2013 年 4 月 14 日
カトリック 広 島 教 区 報
(3)
重要文化財・世界平和記念聖堂の
耐震調査の着手
さて、長崎教区にある国宝や
重要文化財である教会堂と同じ
ように、世界平和記念聖堂を地
域の文化財として長期にわたっ
て保全する役割が所有者である
広島教区や幟町教会に委ねられ
ていますが、記念聖堂の本来の
役割は何であるか、ここであら
ためて考える事も大切です。
献堂二十五周年
(一九七九年)
のパンフレットに、記念聖堂献
えのみや
堂の使徒・愛宮ラサール神父様
は、
「記念聖堂建設を思い立ち
ましたのは、初めから単に記念
のためというだけではなく、そ
れよりも世界平和が一日も早く
実現するように努力するという
目的のためでした。
」
「原爆の使
用禁止という事のみにとどまら
ず、われわれは戦争そのものを
一切止めるよう努力する使命を
与えられた事を強く感じてい
る。
」
「戦争を避けるためには、
『新しい人間』が必要です。人
類の誇りである科学技術を使い
ながらも、これを超越した新し
い人間は、一方的な理論によっ
て支配される人間ではなく、霊
によって支配されている人間で
す。その人こそが心において永
久的な平和を保っている人間な
のです。
」「人類の永久の平和は、
青葉 憲明
世界平和記念聖堂保存活用委員会
重要文化財・世界平和記念聖
堂の保存・活用活動の近況をご
報告します。
すでに教区報(二〇一二年四
月号)でお知らせした世界平和
記念聖堂の耐震調査が文化庁の
平成二十五年度予算で認められ
る見通しとなりました。本年度
の国の予算が国会で決定され次
第、
補助金の申請手続きを行い、
調査に着手する運びとなりま
す。調査は、七月頃から二カ年
に渡って実施されます。調査の
目的は、今後予想される東南海
地震などの大規模地震に対する
建物の構造上の安全性をチェッ
クすることにあります。日頃、
聖堂で行われるミサに与かるカ
トリック信者だけでなく、平和
を祈願するために聖堂に参詣さ
れる人々、平和学習で訪れる小
中学生などが、聖堂内外で不測
の事故に遭うことのないよう、
建物の所有者であるカトリック
広島教区が安全対策を事前に検
討するものです。調査の具体的
な取り組みについては、詳細が
分かり次第、随時お知らせする
予定です。皆様には、ご不便を
おかけしますが、趣旨をご理解
の上、ご協力を頂くよう願いい
たします。
このような個人の平和から出発
したものでなければ、いつまで
も世界の中の戦争が続くでしょ
う。ですから、世界平和のため
の努力が成功するためには、わ
れわれ皆が先ず平和の人間に
ならなければならないのです。
」
と話されています。
同じパンフレットには、昨年
十二月に帰天された野間重信神
父様(献堂二十五周年当時、幟
町教会主任司祭)が、
「世界平
和記念聖堂建設の経緯の整理に
手をつけて見て、色々と貴重な
事実を知り、聖堂建設が本当に
大変なものだったと驚き、頭を
下げております。
」
「一言でいう
ならば、
私たちは『大変な宝物』
を受け継いでいるという事にな
ります。
」
「私たちが受け継いだ
この世界平和記念聖堂は、今後
一層これからの世紀の人類意識
の上に維持されつつ発展し、尊
い原爆犠牲者の慰霊と、世界平
和のための祈りと福音宣教の
拠点とならなければならない。
」
と述べておられます。ややもす
れば、献堂の趣旨や経緯を知り
ながらも、聖堂保存のために費
用を掛けなくても良いという声
を耳にする事があります。本当
にそれで良いのか、
「平和の実
現」を託された私たち広島教区
民自身の問題として、考えるこ
とも大切なことです。今後、耐
震調査の結果に基づく耐震工事
などに数億円の費用が見込まれ
ると思われますが、私たちの福
音宣教の証しとなる世界平和記
念聖堂の保存に皆様の心を一つ
にし、私たちの信仰の先人達の
恩義に報いることに思いをめぐ
らすことができれば幸いです。
各小教区にはそれぞれの事情
があることを承知の上で、広島
教区の平和のシンボルである世
界平和記念聖堂の保存・活用に、
一層のご理解とご支援を頂きま
すようお願い申しあげます。
+神に感謝。
保存のための郵便振替口座
口座番号:
― ―3 109791
01320
加入者名:
カトリック広島司教区
※通信欄に、
「世界平和記念聖
堂保存」または「重要文化財」
とご記入ください。
世界平和記念聖堂の
有料駐車場が完成
広島司教区 事務局長
原田 豊巳 神父
このたび、旧ラサール会館の
跡地の一部にコインパーキング
を整備いたしました。
これは、愛宮ラサール記念館
及び広島信望愛学園・聖母幼稚
園の建替に伴い、以前あった月
極駐車場の一部を取り壊したた
めで、教区財政の財源確保と収
益性、管理業務の負担軽減から
考えられたものです。従来から
ある聖堂北側の司祭、信徒用の
駐車場は、これまでと同じよう
に利用できます。なお、司教館
や幟町教会に用事があって自動
車で来られる方は、幟町教会の
受付にある駐車カードの掲示を
お願いしております。お手数を
掛けますが、ご協力ください。
また、教会に用事のない信徒の
方や近隣の住民の方が教会の駐
車場を利用されているのが散見
されますので、利用者の一人一
人がお互いに注意し合い、トラ
ブルのないよう、気持ちよく、
安全に利用できるよう心掛けて
ください。特に、敷地内の歩行
者や隣接の幼稚園児には十分に
気を付けて、事故のないようお
願いします。なお、有料駐車場
の整備に伴い、北側駐車場への
車の進入経路が、カトリック会
館寄りの入口に変更されます。
これまでの幼稚園寄りの入口
は、出口となりますので、ご注
意ください。
向かって左側、コインパーキング
な意志により、広島教区の
よって、わたしの全く自由
神に祈り、熟考し、聖霊に
わたしは自分の司祭召命
について振り返りながら、
ます。
ことを心から感謝申しあげ
み続けてくることができた
が司祭職への召命の道を歩
ご指導、ご支援で、わたし
くださった皆様のお祈り、
た。今までの歩みを支えて
クアン トゥアンは司祭
叙階の恵みをいただきまし
自分の奉仕職と一致しよう
交わりを持つようになり、
リストご自身と深く内的な
きなければなりません。キ
歩みのうちで内面化し、生
だから、イエス・キリス
トの司祭は個人の深い霊的
ました。
キリストの司祭の道を選び
が私の心に響いてイエス・
三十五)
。この福音の個所
る」
(マルコ八の三十四―
者 は、 そ れ を 救 う の で あ
た福音のために命を失う
失うが、わたしのため、ま
いたいと思う者は、それを
従いなさい。自分の命を救
字架を背負って、わたしに
は、自分を捨て、自分の十
「わたしの後に従いたい者
持ってイエスに従います。
心、 奉 献 と 奉 仕 の 精 神 を
わたしは自分自身で寛大な
びかけに応えて従っている
れはイエス・キリストの呼
に従う者となるのです。そ
司祭になり、共にすべて
を捨ててイエス・キリスト
ることになりました。
弱い部分がたくさんあるは
私が司祭になってもまだ
人間性を持っていますので
と思います。
日々努力することが必要だ
霊の深い体験を求めるよう
頼に満ちた対話、そして聖
においてイエスとの人格的
活は必要であります。祈り
です。特に司祭の祈りの生
て、主のみ心に応えること
職は主の呼びかけに応え
こ と も で き ま せ ん。 司 祭
し、自分からそれを求める
与えることもできません
す。だれも司祭職を自分に
ための道ではないからで
司祭職は、人生の安定を
得、社会的地位を獲得する
歩み方です。
であり、
キリストの生き方、
であり、キリストのことば
す。これはキリストご自身
の名で教え、真理を示しま
はともにおられるキリスト
はありません。むしろ司祭
司祭は自分のことや自分
の発見したことを語るので
うと努めます。
三月二十日、 春分の日、 小雨の降る中、 午後二時からベ
式としては、 十六年ぶりとなる。
叙階後は、幟町教会の助任司祭として司牧の任にあたる。
↓下の写真
叙階式の集合写真
イエス・キリストに
司祭に叙階していただきま
とする歩みの中で、主が教
ずです。
司祭召命を守って、
新司祭誕生
トナム出身のヨハネ グエン クアン トゥアン助祭の司
祭叙階式が感謝と祈りのうちに盛大に行われた。 多くの日
した。従って、神の招きの
えてくださり、教会が伝え
続けていけるようお祈りお
←左の写真
左から山下神学生、
ロイ神学生、猪口助
祭、前田司教、トゥ
ア ン 新 司 祭、 三 末
司教、三宅神学生
神の慈しみと憐れみによ
り、わたしヨハネ グエン
ヨハネ グエン クアン
トゥアン 新司祭
従うわたし
本人、 ベトナム人信徒が広島教区カテドラル世界平和記念
声を心に深く受けとめ、広
てきたすべてのことを自ら
願いいたします。
ヨハネ グエン クアン トゥアン新司祭
聖堂に集まり新司祭の誕生を祝った。 広島教区司祭の叙階
島教区の司祭団の一員とし
信じて、受け入れ、生きよ
な出会いや父なる神との信
て司教様のよき協力者とな
司祭叙階式に七百人を超える参列者
(4)
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
生を祝われる前田万葉司教
また、ご自身の司教職の
中で初めて司祭の叙階の誕
あげたいと思います。
ずは、心からお喜びを申し
れたトゥアン神父様に、ま
この度、叙階の秘跡を受
けて広島教区の司祭となら
院の生活の中でも、大きな
文化の違い、さらには神学
え る ま で、 言 葉、 食 生 活、
トゥアンさんが来日され
てから今日の喜びの日を迎
感謝申しあげます。
たすべての方々に、心より
ために祈り支えてくださっ
まで、長い間、彼の召命の
本に来られてから叙階の日
アンさんがベトナムより日
な恵みの一つですが、トゥ
与えられる恵みの中で大き
ロの次のことばを、はなむ
神父様に、わたしは聖パウ
階の恵みを受けたトゥアン
う記念すべき時に、司祭叙
れ ま す。
「 信仰の年 」とい
様に奉献しようとしておら
として、これから人生を神
として、また同時に宣教師
この日本の地で、教区司祭
トゥアン神父様は、自分
の故郷ベトナムを離れて、
ます。
集まってくるような気がし
の周りには、自然に人々が
かい人柄のトゥアン神父様
したね。ユーモアのある温
とめ役となってくださいま
間、助祭として同級生のま
い。
活をスタートしてくださ
頼して、新司祭としての生
なっているイエスさまに信
二十八の二十)と仰せに
がたと共にいる」
(マタイ
の終わりまでいつもあなた
に、 ど う ぞ、
「わたしは世
き ま す よ う に。 そ の た め
神様の知恵と力がいつも
トゥアン神父様の中で働
―五)
めでした。
」
(一コリ二の四
よって信じるようになるた
よってではなく、神の力に
あなたがたが人の知恵に
によるものでした。それは
葉によらず、霊と力の証明
アンさんがいると、みんな
いてくださいました。トゥ
ニコニコしながら静かに聴
いると、
そっと中に入って、
大好きです。人が集まって
ね。みんなトゥアンさんが
ばをかけてくださいました
てなくだれにも暖かいこと
喜んでおられます。分け隔
や本所教会の信徒の方々も
院長 白浜 満 神父
「わたしの言葉もわたし
の宣教も知恵にあふれた言
り致します。
があるように、心からお祈
うでした。
れは、まるでイエス様のよ
されました。これから一生
いよいよ神父様ですね。
待ちに待った司祭職が授与
ほっとしていましたよ。そ
浅草教会の信徒の方々
が、大喜びです。上野教会
トゥアンさん、司祭叙階
おめでとうございます。
西川 哲彌 神父
てつ や
様と広島教区の司祭、修道
困難がいくつもあったこと
けの言葉として送りたいと
トゥアン神父様のお働き
の上に、神様の豊かな祝福
東京大司教区
者、信徒の皆さんにも、心
でしょう。しかし、トゥア
思います。
トゥアン新司祭誕生に寄せて
か ら お 喜 び 申 し あ げ ま す。
ン さ ん は、 忍 耐 強 く、 笑
日本カトリック神学院
新司祭の誕生は、神様から
顔 を 浮 か べ な が ら、 こ
れらの壁を乗り越えて
来 ら れ ま し た。 ト ゥ ア
ン さ ん は、 神 学 院 の 共
同 体 の 中 で、 他 の 人 々
を和ませる性格の持ち
主 で し た。 ま た、 自 ら
進んでベトナム料理を
作ってわたしたちに振
る舞ってくださいまし
た。とっても美味しかっ
た で す! ト ゥ ア ン さ ん
は、 と く に 最 後 の 一 年
ら、一人で六人分働く運命
んないなくなったのですか
がトゥアンさんを除いてみ
神学校を受けたときの六人
う。 楽 し み で す。 何 し ろ、
けの人が救われる事でしょ
が 神 様 に 導 か れ、 ど れ だ
き ま す ね。 ど れ だ け の 人
涯、司祭としての生活が続
トゥアン新司祭に按手する前田司教、
右側は、ロイ神学生
92 号
2013 年 4 月 14 日
カトリック 広 島 教 区 報
(5)
(6)
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
勉強し、資格を取るまでか
す。日本語の学校へ通って
言葉の問題だったと思いま
始 ま っ て、 一 番 の 苦 労 は、
年前に翠町教会での生活が
があったことでしょう。九
習慣や文化の違う世界で
のご苦労は並々ならぬもの
あげます。
んと共に心からお祝い申し
て仕えてください」という
人々にも愛と喜びとをもっ
中 で「 主 に 仕 え る よ う に、
トゥアンさんの助祭叙階
の時、前田司教様のお話の
しませてくれました。
披露したりして、我々を楽
のギターの弾き語りで歌を
ご馳走してくれたり、信者
時には、料理の腕前を見
せて、ベトナム料理を作り
幟町教会
石浜 節子
猪口神学生 助祭叙階
をすることを大きな喜びと
助祭叙階の恵み
期待をもってエールを送り
猪口 大記 助祭
信仰年に当たり、聖霊に
導かれ神様から司祭職を頂
教会の主任司祭として着任
い。そして一日も早く翠町
を十分に発揮してくださ
残っております。この教え
れたことが、としても心に
く こ と で し ょ う。
」と言わ
平和が世界を平和にしてい
いにつながり、キリストの
ちの祈りは、キリストの救
励ましておられます。私た
人々の苦しみに現存され、
「 イエスの力と命が、その
私たちが、トゥアン神父
様からご指導頂いた中で、
謝申しあげます。司教様を
でございました。心より感
頂けました事、望外の喜び
頂き、多くの方々にお祈り
先日の叙階式では、僻地
鳥取に遠路はるばるお越し
ます。
様、宜しくお願い申しあげ
支援・ご指導くださいます
今までのご支援に感謝申
しあげると共に、今後もご
三月二日、助祭叙階の恵
みを頂きました。
されることをみんなで祈っ
を大切にして、祈り続いて
はじめ、現地でご準備くだ
きるようあなたの持てる力
ています。
いきたいと思います。
さいました鳥取教会の野嵜
神父様と信徒の皆様、共同
げます。
ことに心からお祈り申しあ
人々が、慈しみの業を行う
霊 の 力 が 働 き、 全 世 界 の
具としてお働きになり、聖
の喜びのうちに、神様の道
で、キリストの十字架の愛
トゥアン神父様が、今日
までのように明るい笑顔
これからも、私たちをご
指導してください。
いたお恵み、おめでとうご
たいと思います。
のようなトゥアンさんが司
なりの時間と努力が必要で
言葉がありました。
ざいます。
を背負っているのです。頑
した。
司祭という務めは、素晴
らしいことであり、また大
どうぞ今後は、健康に留
意されて、司祭職が全うで
祭となり、新しいスタート
しかし、
めげることなく、
司祭叙階という大目標に向
変なご苦労もあるかもしれ
できました。
会でも親しく接することが
つっこいところもあり、教
明るく、
トゥアンさんは、
楽しく、あの風貌から人な
張るしかないでしょう。
「 静 か に、 暖 か く、 細
やかに気をつかいながら」
ト ゥ ア ン さ ん の 持 ち 味 を、
これから出会う方々に振る
舞って差しあげてくださ
い。きっと、みんなが喜ん
でくださるにちがいありま
せん。
翠町教会
吉川 弘之
トゥアンさん、司祭叙階
誠におめでとうございま
かって頑張ってこられた努
ません。
す。翠町教会の信者の皆さ
力がこのたびの叙階につな
翠町教会にとって、息子
の集まりがあれば、お得意
がったと思います。
司牧実習(浅草教会)
司式くださった司祭団の皆
様、ありがとうございまし
た。
私の為ではなく、教区の
青少年が召命を考える契機
となればと、せめてその一
助となればと願いましたと
ころ、ご賛同くださった多
くの方々には、広く呼びか
けバス等ご手配頂けました
事、感謝の言葉もございま
せん。
叙階は、個人的な出来事
で は あ り ま せ ん。 助 祭 は、
直接的には司教への奉仕を
目的とはしますが、司教と
司 祭 の 下、 司 祭 団 に 仕 え、
教区のために奉仕する教区
行事です。特に、司祭叙階
の前段階としての一時的助
祭職であり、最終的には司
えられ、神様に招かれ喜び
た。この度、その願いが叶
う思いに強くかられまし
是非とも訪れてみたいとい
る度に、私は韓国の教会を
た。若い神父様をお迎えす
かけつけてくださいまし
い神父様方が度々お祝いに
司教様をはじめ、多くの若
起瑩神父様のお国から、黄
と。主任司祭アンドレア金
二〇一〇年玉野教会献堂
三十周年を迎えた年のこ
の叙階式に参加して
大建アンドレア金楹洙神父様
釜山巡礼
す。
これから一層励む所存で
ま す。 こ の 事 を 肝 に 銘 じ、
の加入を目指すものであり
教の協力者である司祭団へ
れ伏されたお姿、司教様そ
諸聖人の取り次ぎを願う
連祷を唱えながら、床にひ
した。
の飛び交う姿をも想像しま
ことを確かに感じ、天使達
が共に歓びあうミサである
に進められ、天と地の教会
大きな南川教会の中で厳か
像したことのない現実が、
十四名の司祭誕生、六名
の助祭誕生という夢にも想
子がよく見える席でした。
意されていて、叙階式の様
歌隊の隣に私たちの席が用
の練習中でしたが、その聖
歌に迎えられました。聖歌
と同時に、力強く美しい聖
教会に一歩足を踏み入れる
のカテドラルである南 川
二〇一二年十二月二十八
日、叙階式当日の朝、釜山
に胸が熱くなりました。
かけに接し、その歓迎ぶり
会う人々の笑顔と優しい声
シスター、信者さん方と出
司 教 様 を は じ め、神 父 様、
た。
そして何処に行っても、
の大きさに大変驚きまし
三月二十七日、世界平和
記念聖堂で、前田司教司式
定される
生、助祭・司祭候補者に認
ベトナム出身のロイ神学
神父の記事があります。
)
(十二面のひと粒に金楹洙
された巡礼となりました。
改めて感謝の気持ちに満た
へ強く導かれている現在に
起瑩神父様の熱い指導のも
遣されているアンドレア金
いました。宣教師として派
信仰の弱さを恥ずかしく思
れるのかと思うと、自分の
ちが祈りの内に支えておら
どれほど多くの信者さんた
て見せていただいた私は、
こんなにも多くの神父様
方が集合された様子を初め
た。
と心からお祈りいたしまし
着実に歩まれますように。
」
共 に「 厳 し い 召 命 の 道 を
い ま す。
」とお祝いすると
「司祭叙階おめでとうござ
のお姿を目で追いながら、
教皇フランシスコは、中
南米出身、イエズス会士で
リ オ・ ベ ル ゴ リ オ 枢 機 卿
ス教区大司教のホルヘ・マ
ゼンチン・ブエノスアイレ
スで神学を学ぶ。
ンパスで二年間の哲学を修
トリック神学院東京キャ
教区の神学生として日本カ
で日本語を学んだ後、広島
二〇〇七年に来日。岡山市
ホアン ドゥク ロイ
神 学 生 は、ベ ト ナ ム 出 身。
玉野教会 三宅幸子
驚きと感動 そして感謝の
キム ヨ ン ス
勇んで参加することが出来
して多くの先輩司祭のみな
による聖香油ミサとロイ神
あり、いずれも史上初とな
金楹洙助祭 司祭叙階
ました。
さんから祝福を受けられる
学生の助祭・司祭候補者認
る。
新教皇名はフランシスコ。
(七十六歳)が選出された。
第二六六代教皇としてアル
教皇ベネディクト十六世
の退任に伴い、
三月十三日、
新教皇フランシスコ誕生
了。四月から福岡キャンパ
釜山ではまず、司教館を
オリュンデ
訪問し、五輪台殉教記念会
お姿、その中におられた大
定式が行われた。
ナムチョン
館、そして大神学校と見学
建アンドレア金楹洙神父様
と、カトリックの信仰の道
させていただき、その規模
教皇フランシスコ
92 号
2013 年 4 月 14 日
カトリック 広 島 教 区 報
(7)
左から前田司教、猪口新助祭
東日本大震災支援
祇園教会 藤本 良子
に広がってい
報紙への寄稿と、試験や学
らも報告会、その準備、広
がれき
また教会の繋がりでその事
ト リ ッ ク 幼 稚 園 の 繋 が り、
宇部・そして東京からもカ
なりました。山口・防府・
五名が合流させて頂く事に
回、広島の祇園教会からも
活動が続けられており、今
導で年間三度の被災地訪問
ロックでは柴田神父様の主
で の 活 動 で し た。 山 口 ブ
催で六日間、岩手県大槌町
冬休み被災地支援ボラン
ティアは、山口ブロック主
た。
事や今の胸の内を伺いまし
に被災した方から、当時の
ぐ雑炊」をふるまい、合間
ログラムや、山口名物「ふ
方に沢山の笑いを届けるプ
そんな中で、私たちは仮
設住宅の集会所で被災した
います。
復興に進めず、時をとめて
しい姿を決めきれない町は
も仮の生活のままです。新
は住まいをはじめ、何もか
か?
「勉強だけでなく、
フィ
リピンのこと、テレビ番
JーCaRM広島便り
勉強しながら
組や料理や季節の行事の
いでしょうか。現地はまだ
められている時なのではな
には、何かしらの行動が求
す。私たちが忘れないため
震災から二年、悲しい事
に、 風 化 が 話 題 に 上 り ま
の学校での成長は速いです
「幼稚園児だった娘も今は
小学四年生になりました。娘
いかがですか?
――森岡ローズさん、成果は
ねてみた。
人を超えた。その一教室を訪
た外国籍「生徒さん」は五十
てミサ前後や平日に教えてき
ボランティアが「先生」とし
教室が早や六年目を迎え
る。これまで十三人の日本人
結局は試行錯誤でした。構え
「 はい、当初色んな方から
アドバイスを頂きましたが、
――講師体験は初めてでした
パワーをもらってきました。
」
国民性の皆さんから私の方が
しい思い出です・・・明るい
礼に行った『課外授業』も楽
デパートの物産展や津和野巡
知り』になりましたよ。
(笑)
な ら 私 は ち ょ っ と し た『 物
こともおしゃべりしまし
まだ支援を必要としていま
が、
《 漢字力 》はまだ私の方
ないで始めれば日本人ならど
―幟町教会『日本語教室』―
交流を楽しんでいます
す。また、若者たちが被災
が上ですよ。六年生までの漢
なたでも出来ると思います。
」
励まして貰う経験をした。
教会の一員として参加でき
て良かった」と現地での事
を話してくれました。
か?
た。 今 や フ ィ リ ピ ン の こ と
地に入ることで頂くお恵
字をここでしっかり習いまし
分を、毎朝ミサに与る事で
み、彼らの言動から教会の
――ローズさん、これからも
活動の中で感じる無力な自
者の一人の大学生は「支援
を続けてくれました。参加
校活動の忙しさの中、協力
ます。
を知り、全部で十三名が集
現地は瓦礫
が綺麗に片付
まりました。大きく募集を
その経験は、広島に帰っ
てから、私たちの活動の力
いただけで、被災した方々
かける事ではなく、思いの
となりました。二度の報告
たからね。高速道路の標識で
森岡ローズさんと尾山知加子さん
あるものが草の根的に繋が
将来への希望を感じた六日
頑張ってくださいね。
支援費(派遣者の経費を含む) 2,281,900
会。現地で必要な支援物資
仮設住宅の集会所で
り、支援グループは継続的
地名をサラッと読んだら主人
――どんな風に楽しみました
気持でいました。
」
る、見守っていてあげる姉の
ちょっと背中を押してあげ
「お互いが楽しんでいる
からでしょう。私としては、
に長く続いたコツは?
――尾山知加子先生、こんな
がびっくりしました。
」
(笑)
間でした。
「地ノ森いこいの家」支援
1,000,000
11,112,277
繰越
を 教 会 で募り現地に送る、
169,000
物資購入
被災地手仕事プロジェクト
37,900
送料
に定期的に注文をお願いす
1,075,000
経費
るなど、物のやり取りを通
して被災地との繋がりが続
いています。
また、今回若者の動きは
特に印象的で、三人の学生
たちは自主的に仕事を見つ
け、いつも率先して働いて
いました。広島に帰ってか
(2011 年 4 月 1 日~ 2013 年 2 月 28 日現在)
収入 献金
13,978,519
支出 支出合計
2,866,242
事務運営費
24,410
振込手数料
24,410
旅費交通費
559,932
広島司教区災害サポートセンター収支報告
(8)
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
郵便振替 口座番号:01310-0-16760 加入者名:宗教法人カトリック広島司教区 通信欄には「サポートセンター」とご記入ください。
シスター 髙木 孝子
(ノートルダム清心女子大学学長)
オ州とカリフォルニア州にあ
上、シスターたちは、オハイ
た。サンフランシスコへの途
スコから出航することになっ
七月二十二日にサンフランシ
レジデント・ウィルソン号は、
二学部六学科、大学院・二
今日、聖ディエゴ喜斎の
ご加護のもと、本学は学部・
開学したのである。
一の四年制の女子大学として
一九四九年四月に、岡山で唯
ト ル ダ ム 清 心 女 子 大 学 は、
こうして戦後まもなく、ノー
習の場を提供し、その教育課
けて卒業生や地域の人々に学
)を開設する。そこ
Center
にいくつかのプログラムを設
(
幸 せ な )と 名 付 け
( Felice
られた、生涯学習センター
なお、本学では、今年七
月 に「 清 心 フ ェ リ ー チ ェ」
一九五三年八月二日叙階
ロジェ・ヴァン・デ・ワー
二十一世紀のリーダーたらん
るノートルダム会の修道院に
研 究 科 六 専 攻 を 有 し、 約
程を通して、岡山の地の文化
ミゲル・ラフォント 神父
ある。大戦中、アメリカ人の
司祭・修道者のダイ
ヤモンド・金・銀祝
立ち寄っている。
二千三百五十名の学生たちが
や社会に寄与したいと考えて
一九六三年三月十八日叙階
とする人々にふさわしい学び
院長のシスター・マリー・
クレア・レイヒーをはじめと
学んでいる。また、アメリカ
いる。
シスターたちは抑留と本国送
する六名のシスターたちは、
合衆国、イギリスをはじめ、
ラモン・デ・ヴァルス神父
の場を提供していきたいと
士・デーリング大司教の書簡
七月二日に鉄道でボストンを
欧米とアジアにまたがって
多くの方々のご賛同とご協
力をお願い申し上げるととも
一九六三年三月十八日叙階
還されたが、一九四六年十月
◆ ダイヤモンド祝 周年◆
を通して、聖ディエゴ喜斎の
出発し、八日、カリフォル
十九の留学協定大学等をもっ
に、ご参加をお待ちする次第
願っている。
生誕地・岡山とナミュール・
ニアのベルモンドに向かい、
ている。私たちは世界に開か
である。
(終わり)
に岡山へ帰ることができた。
ノートルダム修道女会との関
十二日に到着している。そこ
れたカトリック大学として、
《淳心会》津山教会
わりについて、述べてみたい
にはノートルダム会が設立母
広島教区 司祭人事異動(新任地 ⇐ 前任地)
《イエズス会》
モレノ 神父
山口教会協力司祭⇐浜田教会
西山 和男 神父
浜田教会主任司祭⇐津和野教会
《教区司祭》
(着任は4月14日 日曜日)
山口 道晴 神父
笠岡教会主任司祭⇐福山教会
瀧井 英昭 神父
福山教会主任司祭⇐笠岡教会
≪淳心会≫
フレデリック 神父
福山教会助任司祭⇐
倉敷地域共同宣教司牧チーム
パトリック 神父
大阪大司教区⇐福山教会
【新任】
《教区司祭》
トゥアン 神父
幟町教会助任司祭
◆金祝 周年◆
一九五三年九月八日初誓願
(楠木修道院)
Continuing Education 《援助修道会》
シスター 満居 安子
レ 神父
と思う。
体である大学があり、そこで
前号に引きつづき、初代広
島教区長であったイエズス会
デーリング大司教は
一九二四年三月八日付の書簡
聖心会の修道院で五日間を過
しばらく過ごした一行は、予
シスターたちは、大司教の
強い要請を受け、新しい宣教
ごし、十四日に岡山へ無事到
で、シスター・フランセスに
のための準備段階に入った。
定どおり二十二日に神戸へ向
シスター・フランセスはメリ
着した。
「できるだけ早く」シスター
ノール会が運営する旅行会社
ノートルダム会は一九二四
年八月に清心高等女学校を譲
けて出航したのである。
と連絡をとり、太平洋郵船の
り受け、その後一九四四年四
たちを派遣してくれるよう新
船を予約した。
月に専門学校を創設したので
たに要請した。
シスターたちが乗船するプ
八月九日に船は神戸に着い
た。シスターたちは、宝塚の
60
92 号
2013 年 4 月 14 日
◆銀祝 周年◆
長府修道院
一九六三年九月十二日初誓願
シスター 阿部 光子
《援助修道会》三篠修道院
一九六三年三月二十五日入会
シスター 春日 撮子
《援助マリア修道会》
一九六三年八月四日叙階
デウィルデ・ミッシェル神父
《淳心会》檣灯センター
《イエズス会》長束修道院
《イエズス会》長束修道院
50
一九八八年三月二十一日叙階
野中 泉 神父
《広島司教区》倉敷チーム
25
カトリック 広 島 教 区 報
(9)
( 10 )
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
指示事項の確認を行った。
業計画や教区からの連絡・
修会を開催し、新年度の事
では、一月十三日に新年研
こうした中、伯雲ブロック
九 十 周 年 記 念 日 を 迎 え る。
期待されている。
交流の活性化と地域振興が
経済・文化・観光面などの
ばれることとなり、
人や物、
程度の所要時間で陰陽が結
会)
の 広 場 で あ る。
(於岡山教
愛を学ぶ学校であり、平和
る。ミサ聖祭はキリストの
愛を行うところに平和があ
る。神 様 の み 旨 は 常 に 愛、
せる時、人は平和の内にあ
のみ旨に自分の思いを合わ
時、すでに崩される。神様
和は二つの思いがぶつかる
を知るところから来る。平
ちの平和〉平和は神様の愛
テーマは〈キリスト、私た
金起瑩神父様(玉野教会)
。
「平和アピール1981」
記念行事/講演会の講師は
山教会)
慰安所へ強制的に連行して
二十代のオランダ人女性を
民間人抑留所から十七歳~
のスマラン郊外で日本軍は
だ。一九四四年、ジャワ島
ず、安倍首相の発言は虚実
だった」と発言する。●ま
強制的な日本軍の性奴隷
いう表現は間違っている。
トン国務長官が「慰安婦と
た。二〇一二年にはクリン
議会やマスコミが猛反発し
い」という発言をし、米国
織的な強制連行の証拠はな
は「日本軍による女性の組
● 二 〇 〇 七 年、 安 倍 首 相
下関労働教育センターだより
いる。要するに「法」をも
ら れ る べ し。
」と規定して
他一切の強制手段は「罰せ
暴行・脅迫・権力乱用その
勧誘・誘引・誘拐・詐欺・
ニ関スル国際条約 」でも、
ハシムル為ノ婦女売買禁止
も加盟していた「醜業ヲ行
犯罪であった。また、日本
のための人身売買や誘拐は
及ヒ誘拐ノ罪』で国外移送
も「刑法第三十三章『略取
●そもそも当時の国内法で
所も事実認定をしている。
ケースが多く、日本の裁判
て騙されて慰安婦にされた
欺罔・甘言・詐欺などによっ
下であり、斡旋業者による
信仰年開幕から半年が過
ぎ、あとひと月で教区創立
月十五日)
、教区金銀祝祝
司教様に当地域を訪問して
サ(六月二十三日)で前田
江教会献堂五十周年記念ミ
二日、米子七月七日)や松
司教様公式訪問(出雲六月
二十四日)
に参加するほか、
信 仰 年 閉 幕 ミ サ( 十 一 月
を根本から変えないといけ
争いの時代に入り、生き方
化と核兵器」
。激しい資源
マは「キリスト教、平和文
をお招きして講演会。テー
( 広 島 平 和 文 化 セ ン タ ー)
スティーブン・リーパー氏
信教の自由を守る2 ・
集 会 / 二 月 十 一 日( 月 )
、
*平和推進チーム報告
とを中心にお話があった。
していけばいいかというこ
仰年をどのように深め過ご
どのように変わったか、信
第一回は一月二十日、第
二バチカ公会議後、ミサが
ム修道女会)
地で「慰安婦狩り」をした
争に従軍した兵士たちが現
れている。その他、日中戦
し、 強 姦 し た。
」と認定さ
分 け 与 え て、 売 春 を 強 制
名させ、女性を各慰安所に
来ない日本語の承諾書に署
目的で強制連行し、理解出
の名の下に若い女性を売春
ではない。 (廣崎リュウ)
否されたり留保されるもの
問題は政治運営の都合で認
ざしている。しかし、人権
外交問題化を恐れて口を閉
を担った途端、関係国との
し〉に熱心だったが、政権
は、
「 河 野 談 話 」 の〈 見 直
のだ。●以前から安倍首相
制」の有無の問題ではない
きもう
いただく予定である。
ない時期が来た。平和を実
今後の予定:第二回四月
十四日、第三回十月、第四
証言も残されている。朝鮮
岡山・鳥取地区
終わりにクレド・ドミネ
を全員で合唱して会を閉じ
現 す る た め に、宗 教 者 の、
回(最終)十月。
賀 ミ サ( 九 月 二 十 三 日 )
、
半島の場合、日本の植民地
新 年 度 の「 バ ス で 行 く
教 会 行 事 」 と し て、 乙 女
*「信仰年勉強会」
いる。これは「スマラン事
無視して運用されたのが
地区便り
峠 巡 礼( 五 月 三 日 )
、永井
―カテキズムを深めよう―
件」と言い、戦後オランダ
「 慰安婦制度 」であり「 強
伯雲ブロック
隆 追 悼 平 和 祈 念 ミ サ( 九
場所:岡山教会
によるバタビア裁判で「軍
(佐野卓司)
月八日)
、 伯 雲 勉 強 会( 九
講師:シスター高木貞子
た。
日 本 の 使 命 が あ る。
(プロ
(ナミュール ノ
・ ートルダ
な お、 高 速 道 路 が 三 月
三十日に松江から三次東J
テスタントとの共催、於岡
28
CTまで開通し、二時間半
11
山口・島根地区
*修女連の集い
*地区少年の集い「親の集
い」
信 仰 年 に 当 た り、 四 月
二十一日(日)に、山口カ
広島教区の施設
⑰
社会福祉法人カリタスの園
てミサを捧げておられ
た 事 に 端 を 発 し ま す。
徳「山教会四旬節黙想会 」
二月九日(日)に、地区養
は、少年の集い係まで。
代は五百円。詳細について
育」
。 参 加 費 は 無 料。弁 当
かき 慶子 よ
)
( しこ さ
) ん。
テ ー マ は、
「子供の信仰教
ているのは、これから紹介
そんな立地条件にも恵まれ
に手を振ることが出来る、
り去る新幹線とJRの列車
迫っては左右に分かれて走
音を聞き分けて駆け寄り、
め も よ く、 子 ど も た ち は
三原市東町三丁目に位置
し、瀬戸内の島々や海の眺
子どもたちは、教会と地域
す。
創立当初から今日まで、
継がれ、現在に至っていま
ス修道女会へと運営が引き
心侍女会、イエスのカリタ
長崎純心聖母会、教区、聖
こ と が で き ま し た。途 中、
六三回目の卒園式を迎える
マ
・ イ エ ル 神 父 様 で、
一九五一年二月に正式
に認可を受け、今年三月に
人々と協力しながら、家
います。関わるすべての
の心、思いやりの心を養
を通して、祈る心、感謝
し、人と人とのふれあい
も た ち は、 明 る く 生 活
できる環境の中で、子ど
庭的な保育園です。安心
創立者はフランシスコ
成「霊操」の一環として徳
*信仰年地区大会について
させていただく聖心保育園
の皆様方の慈しみ深いまな
庭、地域、社会を明るく
聖心保育園の紹介
山 教 会 で、 英 は
( なふさ )
神父様指導の四旬節黙想会
信仰年に合わせ、山口島
根地区では、六月二十二日
です。
ざしに見守られながら成長
照らす光となるよう、共
トリックセンターにおい
内だけでなく、
下関や宇部、
( 土 )に地区大会①研修会
し、元気にのびのびと、一
に歩んでいきます。
』
、山口
二 月 十 一 日( 月 )
のカルメル修道会において
廿日市も含め、六十余名が
〈 徳山教会 〉と十月二十日
当園の創設は、戦後、イ
エズス会の神父様が福山教
日七時から一九時までの園
て「親の集い」を開催する。
参加した。
( 日 )に地区大会②フェス
会から毎月個人宅を訪問し
イエズス会のイバニエス師
次 回 は 十 二 月 八 日( 日 )
、
ティバル〈山口教会〉を開
生活を楽しんでいます。
こどもたちは、イエスさ
によるお話を聴いた。
宇部小野田ブロックの予
催する。
当園のビジョン、
以下に、
園児たちのミッションを紹
まとマリアさまにまもら
講師は、シスター高木 た
(
定。
※イバニエス神父と英神父
介し、園における日々の保
れておいのりをし、おは
たいと思います
のことがいえるつよいこ
なしをよくきき、おとも
が行われた。岩徳ブロック
*二〇一二年度養成関係
*平和アピール1981記
のお話
育・教育の様子をお伝えし
聖心保育園のビジョン
『
・・聖心保育園は、イエス
様の聖心の愛(優しさ、温
ども、すすんであいさつ
園児のミッション ・・・
【みこころほいくえんの
念行事
あ り。 ご 用
声 映 画 の DVD
命は地区事務局まで。
ロⅡ世来広の記念行事とし
かさ)に包まれて、一人ひ
のできる あかるいこど
ちひろ
執筆者の伊藤千尋さんによ
る憲法九条や脱原発につい
てのお話。午後はグループ
ごとの分かち合いとミサで
締めくくった。信徒以外の
飛び入り参加者もあった。
さしいこども、ほんとう
だちをたいせつにするや
て、山口島根地区では、午
とりが大切にされているこ
もになります。
】
前中、
朝日新聞 「心の歌」
とを実感し、互いの気持ち
(園長 シスター 髙平 恵)
と二十六世人無
CD
、三
二 月 二 十 四 日( 日 )
地区同日開催ヨハネ・パウ
伊藤千尋さん
を分かち合い、支えあう家
Be
92 号
2013 年 4 月 14 日
カトリック 広 島 教 区 報
( 11 )
( 12 )
カトリック 広 島 教 区 報
92 号
2013 年 4 月 14 日
二つの言葉は、ここでは
ことがあります。 この
として「受ける」という
える」ということの前提
あります。すべての「与
「与える」ということが
すべての「受ける」と
いうことの前提として
いた経験がありますか。
他の人の大事なものを頂
験がありますか。また、
皆様は、自分の大事な
ものを他の人に与えた経
によって創造された私達の
つまり、穴があいている手
約を繋げてくれています。
いる手は、確かに旧約と新
説的な手。この穴があいて
いて、絶え間なく与える逆
時にすべてのものを持って
ができない手であるが、同
「手」です。何も持つこと
エルを導かれた手と同じ
この手は世界と人間を創
造し、選ばれた民族イスラ
手」です。
手は、「穴があいている
る「手」です。しかもこの
「受けること」の象徴であ
マは、「与えること」と
金 楹洙 神父
四十四名。
流をする。今回の参加者は
三~高三の学生が集まり交
信者・未信者を問わず、中
中国ブロックカトリック
高 校 生 大 会( 中 ブ ロ )は、
似ているからです。皆様一
ているのは、私達が神様に
と」に感謝することを知っ
に「受けることができるこ
私達が「与えることがで
きること」に感謝し、同時
とができました。
が開いた実存)を眺めるこ
は、イエス様の十字架(穴
た人達でした。その人達
あいている手」を受け取っ
の手を見つめ、その「穴が
なさった手によって、自分
イエス様と共に歩んだ人
達は、イエス様がしるしを
手放すときは迷います。
ですが、持っているものを
何かを手に入れるのは上手
とさえ嫌がります。私達は
いでしまおうとし、見るこ
しかし、私達はその穴を塞
に似ているという証です。
「今の私の繋がり」を考え、
があったか 」から出発し、
のような人・ものと繋がり
存在するために、過去にど
て 話 し 合 っ た。
「今の私が
部で約七時間テーマについ
「セミ別トーク」
。今回は全
る班ごとに集って話し合う
に。アーメン。
しすることができますよう
眺めさせてください。ま
界に現れたあなたの真理を
あなたの手」を通して、世
てくださり、「穴があいた
私達の「手」をあなたの
「穴があいた実存」に似せ
が見えるでしょうか。
を通して世界を眺めると何
穴を否定しないで、恐れず
ください。その手にあいた
「穴があいた手」を眺めて
らっしゃる方の栄光である
そして、あの高く掛ってい
「手」を眺めてください。
事なサインです。皆様の
る」と実感した。このよう
人とも繋がることができ
を通して直接会っていない
ために祈り、
「祈り(神様)
祈りでは東日本大震災の
う意見も出た。また、夕の
の中心に神様がいる」とい
最終的には「私達の繋がり
今回参加者たちは、神の
内に直接的に繋がりあえる
うか。
ができたからではないだろ
理解し、強い絆を持つこと
く考え、お互いの話をよく
トークでテーマについて深
に感じられたのは、セミ別
「信仰からの奉仕 信仰への奉仕
~わたしに繋がっていなさい~」
キム ヨ ン ス
岡山・岡山南教会
〝穴があいた手〟
大会の中で、中心的役割
を果たすのがセミと呼ばれ
反対語ではなくお互いに
手もやはり「穴があいてい
人一人の「手」は皆様が神
〈76〉
た、見た真理を誇らしく証
わることです。
(ぎん)
技術的な面もあり、私に
できるのは笑顔で楽しく携
が、いつも気がかりです。
に負担が集中していること
す。ただ、一人の信徒の方
広く教区のことが把握で
きて良い仕事と思っていま
本格的に教区報に携わり
はや二年が経ちました。
体験ができたと思う。
必要な条件です。
る手」にならなくてはいけ
様の子供であるという大
に眺めてください。その穴
私の叙階カードのテー
ません。これは私達が神様
第 47 回中国ブロック
カトリック高校生大会