霊場八十八ヵ所俳遍路 - 高尾山薬王院

報
山
尾
高
汁
お は な し
=
歌
叶
華
.
道
八王 子市
清宮
朋樹
. ◆日日出
じ号 とすれちが った後は' い
おかげ であおば 号 は'も み
です っかり息 がきれ てしま い
った ので、重 く て' とち ゅう
客 さんを のせた のは初 め てだ
ましたD でも、まん いん のお
ん でした。
お客 さんは、少 ししか いませ
お昼前 のせ いか'くだ り の
と'気合 いを 入れなおし て'
(
こんど こそ -)
あおば 号は、
「
は ぁ--」
こうな ると' も みじ号 に声
ましたO
つも'
と' 小さくため息 を ついてい
ました。
急 な坂道をおり ていきましたO
やが て、下 の方 から'まん
をかけ るど ころ ではあ りませ
う にた め息 を
いん のお客 さんを のせた'も
実 は、 も みじ号も、 同じよ
つい ていた の
山1 .
がら' お客 さんをは こぶ こと
ですが ' あお
っし ょうけん め いはた らきま
ば 号 は そ のこ
ウ ンウ ンとうなりなが ら'
二台 のケ ー
日本 で 1ぽ ん急 な坂道 をt の
高 尾山 のケ-ブ ルカーは、
晴 れわ た り'
空 はき れ いに
と'またし ても、
「
はぁ - ・
」
あおば 号は'思わず 、
「
もみじ号さん、がんば って-」
と、声 をかけました。
も みじ号はーち ょ っとおど
ろ いたような顔 を し ていまし
たが'すぐ に ニ ッコリし て'
「
ありが とう」
と' こたえ て、 のぼ っていき
ましたO
あおば 号は'下 の駅 へとむ
か いながら'なんだ かうれし
くてしかたがありませんでした。
次 に'あおば 号が のぼ って
いくと'今度 はも みじ号が'
「
が んば って」
と、声 をかけ てくれました。
それからと いうも のへあお
でも、おち こん でいるひま
け合 って'はげ まし合 うよう
うたび に'おたが いに声 をか
ば 号とも みじ号は、す れちが
はあ りません。今度 は'下 の
と'ため息を つきました。
だ いぶ苦し そう です O
した。
ブ ルカ ーが高
ん。
尾山 にや って
お客 さんを上 へ運 ぶ時 は、
な坂道 を のぼ っていきます。
体中 の力をふりしぼ って'急
き てか ら'最
(
なん てす てきなケーブ ルカ
山 は朝 か ら、
あおば 号は' ひそか にそう
朝 1番 の発車 のベルがなり
心 にき め ていました。
ん。あおば 号は上 の駅に つく
とを し りま せ
あおば 号は、初 日から' い
でした。
みじ号が のぼ ってきました。
卜
.円
あ お ば 号 のあ い さ つ
.
.
+
.J=
高 尾山 に'新 し いケーブ ル
名前を'あおば 号 とも みじ
カーがや ってきました。
二台 のケーブ ルカーは'同
号 と いいます。
じ時期 に、同じ 工場 で作 られ
いように車 りんに力を入れ'
下 へ運 ぶ時は、 ころげ おちな
ました。
る時 から'も みじ号 のことを
初 の日曜 日を
実 はあおば 号は、 工場 にい
知 っていました。まだ話 した
しんち ょうにおり ていきまし
ことはあ りません でしたが'
ーなんだ ろう。 い つ.
が 工場 を
ぼ りおりしなければ ならな い
た くさ ん の人
むか えま した。
出たら' い っし ょにはた らけ
のですが、あおば 号は、すぐ
でにぎ わ って
ず っと気 にな っていた のです。 た。
ると い いな ぁ)
に コツを つかむ ことが できま
あおば 号は、 ひそか にそう
した。
思 っていました。
のは、 も みじ号 のこと でした。 ゆう気 をだ し て'も みじ号 に
(
今 日 こそ'
いました。
何 回すれちが っても、 チラリ
ただ 一つ'気 にな っていた
と同じように'高尾山 ではた
と横 目 で見 るだ けだ った ので
だ から、 も みじ号が、自分
らく ことにな った のを知 った
す。
声をかけ るぞ IJ
た のです 。
時は、ほんとう にうれしか っ
ひび き、あおば 号は、 はりき
も みじ号が近づ いてく ると、
あおば 号は、少しきんち ょう
︾
(
おわり)
の駅と下 の駅を' 一日になん
花
にな りました。
駅 へおり ていく番 ですO
高尾山
四季 の草
瓜の木(
ウリノキ二
葉が瓜の葉に似 ているので名前があります。
白色 の花弁は六弁 で三∼ 四センチ前後 で'
開花す ると白 い
花弁がカールして出 て来 たオシベの前は黄色 で細長く印象的
ですo
高さ三∼四メートルになる落葉低木 で'
葉は長さ十∼ 二
十セ ンチ前後と大きく三∼五裂し ています。
葉が大きく小さ
葉 の形に特徴
な花が葉 の下に付く ので見落としがち ですが'
があ るので慣れれば直ぐ に見 つか ると思います。
春 の花から
夏 の花 へ'
花 の数が少なくな った六月'
ウリノキ のカールした
白 い花弁と黄色 い前が可愛く微笑ましく感じますO
高尾山 ではど のコー スを歩 いても比較的によく見られる花
の 一種 です。
も みじ台下 の縦走路から大平林道 へ続く学習歩
道を歩くと間近に見られるでし ょうO
撮影・
文 中村 毅人)
薄暗き 森に微笑み ウリノキ の花 (
毅季) (
-0
って上 の駅 へと のぼ っていき
④ 村上
し てしま う のでした。
ケーブ ルカー の仕事 は'上
高尾登山ケ ーブルカー ・あおば号
ども のば ったりおりたりしな
霊場ハ十ハ諾 F'
韻路
それぞ れ に独立し ています。
山寺だ った のです。明治政府
けれど大麻山 (
五三八メート
き場 と第 1札所 の結び つきも
現在 の霊山寺 は街道 の路傍
によ って神仏分離令が出され'
に建 つ普 通 の寺院 で'第 一番
阿波 の第 一番 札所
参 詣したし るLに札 を受け
考 えられまし ょう。
たり'納 めたりす ると ころが
ル)を霊山 とす る山岳信仰 に
遍路 の寺 々もまた'多 くは山
寺 は密接 な関係がありますO
よ って'大麻 比古神社 と霊山
大坊 の 一つと いわれ ていまし
りませんo か つては阿波 の三
たが、本堂 や十 三仏堂 など は
りに触 れ て書 く つもり ですが'
岳信仰 と の縁があります。折
札所 とし ての豪勢 な感じ はあ
こが第 一番 とな った根拠 はよ
は阿波 にあ る霊山寺 です。そ
いわれますo
戦 国時代 に兵 火 で焼失したと
ますO
八十 八 の札所 があり、第 一番
く分りません。考 えられ る の
ま
は先ず 高 野山 にお参 りし ての
霊山寺 に参 詣す るとき は'
お
おあ
さひこ
ぜ ひ奥 の院 であ る 大 麻 比 古神
中野三充
燕より l足先撫養に着きにけり
霊場札所 です。遍路 のために
ち' 四国 へ渡 るには淡路島 を
す。阿波 一宮 でもあり' 目を
社 にも参 る ことをお勧 めしま
坊城中子
汗の人札所 一番鐘をつく
霊場 八十 八カ所 を順次 たど り
(
鳴門市) の港
養
見張 る立 派さ です。霊山寺か
撫
〝徒渉 の路 〟とし て鳴門海峡
むや
に上陸す るのが最も便利だ っ
を渡 り、
たからと思われます。大昔 か
が'奥 の院を参拝 しなければ
らは 1キ ロほど の上 り坂 です
撫養から阿讃山脈 の南麓 を
ら の官道 でもあ りました。
旧吉 野川に沿 って撫養街道が
西方 へと伸び、約十 二キ ロほ
り
レ
く
ど遡 った と ころにあ る のが竺
わさ
んり
上
う
ぜ
ん
じ
和 山 霊 山 寺 です 。所 在地 の旧
い
たの
郡名を板 野と いう のは潮 野か
ら転 じた名 な のでし ょうか。
か つて本流だ った旧吉 野川に、
満潮時 には海水が このあた り
ま で逆流し ていた証しだ と の
説もあ ります。船 運が盛 んだ
った往古 を想像す れば 、船着
霊山寺境内図
1
2
昭和41
年 9月 1
3日第 3種郵便物認可
報
第 559号
平 成 22年 8月 1日
第5
59号
第 3種郵便物認可
(
13) 平 成 22年 8月 1日