読 書 と 紬 - Welcome to hi-it!

読 書 感 想 文 コンクール
︵第 四 十 四 回︶ 入 選 作 品
平成 年度弘前市小・中学生
25
審査の先生
日 本 エ ッ セ イ ス ト・ク ラ ブ 会 員
弘 前 市 国 語 教 育 研 究 会 副 会 長
弘 前 市 国 語 教 育 研 究 会 副 会 長
弘前市小学校学校図書館教育研究会会員
弘前市小学校学校図書館教育研究会会員
弘前地区中学校教育研究会国語部会会長
弘前地区中学校教育研究会国語部会副会長
弘 前 市 教 育 委 員 会 郷 土 文 学 館 企 画研 究 専 門 官
佐 藤 き む
相 馬 省 進
佐 藤 郁 子
成 田 宣 子
片 山 永 子
笹 日出美
相 木 英理子
舘 田 勝 弘
︵順不同・敬称略︶
巻頭言
読書 と 紬
日本の着物は、
﹁染めの着物﹂と﹁織りの着物﹂とに、大きく分けられます。成人式や
染め上げた染めの着物です。それに対して、 紬 と言われている織りの着物は、デザイン
お祝いのパーティーに着る振袖・訪問着などは、白い生地に様々の模様を描いて華やかに
した絵柄に合わせて、糸のうちに染めてから織り上げます。ですから、模様も色彩も染め
の着物に比べてぐんと地味で、どちらかというと普段着です。とは言っても、縦糸と横糸
とを設計図通りきちんと合わせて模様を織り出すということは、染めにも織りにも高度な
技術が必要で、値段は高価な振袖と変わりありません。それでは一般の人には買えません
ので、コストを下げて、模様を織り出すのは横糸だけで縦糸は無地というのもあります。
分の1以下です。
審査員代表
佐
藤
き
む
横糸をしっかりと受け止めて、感想文という素晴らしい紬に織り上げてくれるでしょう。
読んでみましょう。あなた自身が模様を付けた横糸です。楽しみながら読んできた縦糸が、
縦糸です。そして、時には選んだ一冊を、あなたの考えを浮かび上がらせながらゆっくり
自分よりもずっと年下の人を対象とした本だっていいのです。それは、紬で言えば無地の
好きな本をたくさん読むように心掛けましょう。
難しい立派な本でなくたっていいのです。
生まれるということはめったにないことで、
日ごろの読書の成果であることが多いのです。
この紬を、読書感想文に置き換えてみましょう。優れた感想文は、たった一冊の本から
それですと、染めも織りもはるかに簡単ですので、値段も
10
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ᄻඒ
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第四十四回弘前市小・中学生読書感想文コンクール入選作品
୫ᪿɂȻቶ
巻頭言
読書と紬
佐
藤
き
む
ߴ‫ޙ‬ಇ
dz˧ࢳɁ᥂
人
沢
名
吾
央
第一席
あすかちゃんへのお手紙
弘前市立大成小学校
西
村
優
来
第二席
﹃名犬チロリ﹄
弘前市立第三大成小学校
坂 本 みなみ
第三席
﹃十歳のきみへ﹄
弘前市立時敏小学校
高
橋
博
佳 作
いのちをつなぐセラピードッグ
弘前市立第三大成小学校
花 田 平
佳
作
みんななかよくなれればいいのに
弘前市立豊田小学校
笹
木
梨
佳
作
セミの一生
弘前市立第三大成小学校
神
裕
佳
作
きせきの男
弘前大学教育学部附属小学校
北
山
dz‫ࢳه‬Ɂ᥂
第一席
ピアノが上達するために∼好きこそものの上手なれ∼
山
口
美
空
齋 藤 健太郎
北
山
晶
弘前大学教育学部附属小学校
齋 藤 涼 太
第二席
生活と世界のつながり
弘前大学教育学部附属小学校
第三席
﹃ゾウの森とポテトチップス﹄
弘前市立堀越小学校
佳
作
大切なこと
弘前大学教育学部附属小学校
18 17 15 14 12 11 9
24 23 21 20
佳
作
信じることと生きること
弘前市立城西小学校
阿
保
河津早
佳
作
忘れられた夢の力
弘前市立福村小学校
漆
菜
桜
第一席
目標は命の無駄遣いをしないこと∼
﹃生きてるだけで100点満点﹄
∼
弘前大学教育学部附属小学校
新 川 裕 奈
第二席
ファンタジーの教科書
弘前市立福村小学校
碓
井
美
樹
第三席
﹄ 弘前市立第三大成小学校
﹃ああ無情 山
谷
香
鈴
佳 作
みやのうDNAをつないだ高校生
dz̡ࢳɁ᥂
弘前大学教育学部附属小学校
斉
藤
鞠
里
dzфࢳɁ᥂
中 田 希
建
部
陽
一 戸 啓
小田切
飯
田
真
斗
吾
馨
帆
弘前市立東目屋小学校
館
山
京
第一席
障害は不幸ではないんだ
弘前市立第三大成小学校
第二席
英語をふだんから
弘前大学教育学部附属小学校
第三席
勇気をもって
弘前市立城西小学校
佳
作
エコ活動の大切さ
弘前市立和徳小学校
佐々木 大 羅
千 田 真理恵
佳 作
仲間という大きな存在
弘前市立千年小学校
佳
﹄ 弘前市立第三大成小学校
作
﹃ココロ屋 佳 作 ﹃みんなを守るいのちの授業﹄
弘前市立第三大成小学校
佳
﹃大人になれなかった弟たちに﹄
∼
作
戦争から生まれるもの∼
弘前市立第三大成小学校
鳴 海 雄一郎
望
佳
作
国や人種をこえて家族になった子どもたち
34 32 30
28 26
37
48
46 44 42 39
57 54 53 51
佳 作
戦争とは何か
弘前市立豊田小学校
猪
股
優
衣
佳 作 ﹃聴導犬・美音がくれたもの﹄
弘前市立第三大成小学校
平 野 愛 生
59 58
第一席
生きるための選択
弘前大学教育学部附属中学校
白
戸
庸
第二席
言葉の力
弘前大学教育学部附属中学校
八木橋
知
第三席
﹄ 弘前大学教育学部附属中学校
﹃左手一本のシュート 石
見
相
馬
恭
汀
里
遼
輔
dz̝ࢳɁ᥂
桃
帆
奈
佑
松
山
菜
月
佐 藤 陽奈子
成
田
響
菜
第一席
アンネという少女に出会って
弘前大学教育学部附属中学校
上
野
里
第二席
昔も今も
弘前市立裾野中学校
工
藤
山
形
美
第三席
尊重し合えるよりよい社会へ 弘前大学教育学部附属中学校 佳
﹄ 弘前市立第四中学校
作
﹃ピンクとグレー 佳 作
負荷をかけろ
弘前大学教育学部附属中学校
﹄ 弘前大学教育学部附属中学校
佳
作
﹃アンネの日記 第一席
言い訳を積み重ねて
弘前大学教育学部附属中学校
藤 田 真
第二席
明るく努力
弘前市立第三中学校
齋
藤
美
dz˧ࢳɁ᥂
紗
久保田
菊 谷 安
佳 作 ﹃羅生門﹄と﹃羅城門﹄
弘前大学教育学部附属中学校 佳
作
辞書に込められた想い
弘前大学教育学部附属中学校
佳 作
生きるということ
弘前市立東中学校
dzˢࢳɁ᥂
˹‫ޙ‬ಇ
介
子
77 75 71 69 67 65
91 89 87 85 82 79
95 93
緒
帆
清
野
未
希
江 川 ひばり
柴
田
輝
第三席
繋がる糸
弘前大学教育学部附属中学校
福
島
奈
佳
作
小林多喜二が見た〝日本〟
弘前市立第一中学校
相
澤
七
佳
作
﹃杜子春﹄に学ぶ心の在り方 弘前市立新和中学校
佳 作 ﹃永遠の0﹄をもう一度
弘前大学教育学部附属中学校 佳
作
夢のように
弘前大学教育学部附属中学校
応募作品審査講評⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
努力賞一覧⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
感想文の対象となった図書⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
読書感想文コンクール応募学校と応募作品点数の推移⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
回
︵二〇一三︶読書感想文コンクール応募作品数⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
年度弘前市小・中学生読書感想文コンクール︵第 回︶
応募要項⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
105 103 101 99 97
128 127 126 126 119 118 111
題
字
弘前市教育委員会
教育長
佐
藤
紘
昭
あとがき⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
平成
44
第
44
25
編集にあたって
一、作品の中で使用する漢字は、小学校の場合、それぞれの
ついてはふりがなを振りました。また、読みについても同
学年の教育課程に応じたものを用い、学年を超えるものに
様としました。
中学校の場合は、常用漢字表以外のものについてはふり
がなを振りました。
一、感想文のタイトル中に、対象となった作品が掲げられて
いる場合は、作品を示す記号として﹃﹄に統一しました。
一、感想文のタイトルにサブタイトルがある場合は、区別す
る記号として∼
∼を付けることで統一しました。
一、感想文のタイトル中に強調の意味で﹁﹂が使用されてい
る場合は〝 〟に置き換えました。
一、感想文のサブタイトルに﹁○○を読んで﹂とある場合は、
これを省略しました。
ߴ ‫ ޙ‬ಇ
ǽ ǽ
小
学
校
三
四
五
六
年
年
年
年
の
部
小学校三年の部
第一席
あすかちゃんへのお手紙
対象作品/青木和雄著﹃ハッピーバースデー∼命かがやく瞬間∼﹄金の星社
弘前市立大成小学校
村 優 来
西
せんか?
もう死のうなんて思っていませんよね?
わたしはこの本を読んで、かなしすぎてしんぞうが苦しく
わたしは、夏休みお姉ちゃんがすすめてくれた﹃ハッピー
バースデー﹄という本を読みました。読みおわった時、とて
なりました。でも、おじいちゃんとおばあちゃんの家で、た
なりました。そして、あすかちゃんのことがとても心ぱいに
わたしの家ぞくは、みんなとてもやさしいです。お父さん
くさんのあいじょうと自ぜんにかこまれてあすかちゃんの声
も感動してなみだが止まりませんでした。
は、おふろでわたしの体をあらってくれたり、お休みの時は、
あすかちゃんのお母さんが生まれた時、春野お姉ちゃんの
が出るようになった時は、本当にうれしかったです。よかっ
しゅじゅつとかさなって、お母さんの木がうえられませんで
たですね。
れます。お姉ちゃんは、いろんな物をくれたり、べん強を教
バ ド ミ ン ト ン で 遊 ん で く れ た り し ま す。 お 母 さ ん は、 い っ
えてくれます。だから、わたしの家ぞくとぜんぜんちがうあ
のに⋮。だからお母さんは、ノートにらんぼうな字ではげし
した。春野お姉ちゃんの木は、ちゃんとうえてもらっていた
しょにパンを作ったり、わたしのことをとても心ぱいしてく
あすかに手紙を書きたいと思います。
すかがかわいそうでたまりませんでした。そこでわたしは、
あすかちゃんへ
ちゃんは、お母さんのそのかなしい気持ちに気づいてあげら
母 さ ん が 見 に 来 て く れ な い な ん て し ん じ ら れ な い。 あ す か
にこっちを向いてほしかったんだね。わたしも運動会に、お
い言葉を書いていたんだよね。きっと、お父さんとお母さん
お母さんは、あすかちゃんをお兄ちゃんのようにやさしく
れ て え ら い ね。 お 母 さ ん に、
﹁あすかなんてダメな子、生ま
今は、お元気ですか?
してくれますか?
じゅんこちゃんは、いじめにあっていま
9
なきゃよかったな。
﹂と、ひどいことを言われたのに⋮。
あすかちゃんが、よこはまの家へ帰る時、
﹁おこる時は、
おもいっきりおこれ。かなしい時はおもいっきりなけ。がま
てください。そして、こまったことがあったら、お母さんや
め ぐ み ち ゃ ん は、 き っ と あ す か ち ゃ ん と た く さ ん 遊 び た
先生に何でもそうだんするといいよ。
ちゃんが思っているいじょうにかなしかったかもしれないね。
か っ た だ ろ う ね。 で も、 命 の 火 が 消 え て し ま っ て、 あ す か
あすかちゃんは、めぐみちゃんの分も、もっと自由に声を出
んなんかするな。
﹂と言ったおじいちゃんの言葉の通り、あ
出しておこることができたね。さいごには、お母さんにも自
ちゃんの家ぞくがいつまでもなかよく元気ですごせますよう
し た り 走 っ た り、 楽 し く す ご し て 下 さ い。 そ し て、 あ す か
すかちゃんは、学校でもひろしやだいすけたちに、ゆう気を
分の気持ちをはっきりつたえることができたから、お母さん
に。元気でね
西村
優来
もあすかちゃんの気持ちにきづいてくれたんだね。
わたしは、この間、スイミングスクールで友だちをいじめ
ている男の子に、
と言われたけど、さいごには、みんななかよしになりました。
﹁うるせー。
﹂
きていきたいと思います。
のだから、わたしは、これからなにがあってもがんばって生
びょう気で苦しんでいる人や動きたくても動けない人がいる
こ の 本 を 読 ん で、 わ た し は、 命 の 大 切 さ を 学 び ま し た。
だからあすかちゃん、これからもゆう気を出して、がんばっ
﹁いじめは、はんざい! たいほたいほ! ピー!。
﹂
と、はっきり大きい声で言いました。
!
!
10
小学校三年の部
第二席
﹃名犬チロリ﹄
対象作品/大木トオル著﹃名犬チロリ﹄岩崎書店
弘前市立第三大成小学校
本 みなみ
坂
犬が引くトレーニングで、ハスキー犬が早足をすると、足の
短いチロリは、かけ足をしないと追いつけません。それでも、
この物語は、ゴミ捨て場に子犬たちといっしょに捨てられ
ていた、チロリという名前の犬が、日本初のセラピードッグ
あります。チロリは、人間からなぐられたり、けられたり、
りやさんです。チロリとわたしのちがうところは、もう一つ
一生けん命走るチロリは、わたしとちがって、とてもがんば
ち、さいごの子犬が引きとられる場面です。子犬を車に乗せ
もし、わたしが犬だったら、そんなことをする人間のことは、
ぎゃくたいされても、人間にやさしくしていました。でも、
わたしが一番心にのこったのは、里親さがしで、五匹のう
になったお話しです。
がたが、かわいそうだったからです。わたしは、そんなにチ
ようやく、ハスキー犬たちとなかよくなってきたチロリに、
しんようできないし、やさしくできないと思いました。
て、走り始めた時、後ろから車をおいかけてくるチロリのす
引きとられずにいると、ほかの犬におそわれたりするかもし
ロリは子犬が大事なんだな、と思いました。でも、このまま
けが、チロリをあたたかくむかえてくれました。トレーニン
らまれたりしました。ですが、ブラニガンという名前の犬だ
なるくんれんをします。さいしょは、ハスキー犬たちに、に
いからはなれません。わたしは、親友をなくしたチロリの気
ラニガンがなくなったあとも、チロリは、ブラニガンのいた
ラニガンによりそい、心ぱいそうに顔をのぞきこみます。ブ
なブラニガンにつきそうのが、チロリでした。ねる時も、ブ
番の親友のブラニガンが、ガンになってしまいました。そん
悲しいできごとがおそいかかりました。チロリにとって、一
グが始まると、ハスキー犬とチロリのちがいが、はっきりと
持ちが、悲しいということが分かりました。
さいごに、一匹だけのこったチロリは、セラピードッグに
れません。
あらわれました。人が乗った自転車を、左がわから、二匹の
11
ラピーは、えい語でちりょうを表す言葉で、ドッグは犬です。
ピードッグは、人の、弱った心と体を治す犬のことです。セ
や が て、 チ ロ リ は、 セ ラ ピ ー ド ッ グ に な り ま し た。 セ ラ
そうでした。
ブがはずされました。チロリは死んだのです。とてもかわい
た。数十分たって、チロリの口元から、こきゅうきのチュー
わたしは、あまりお年よりなどを助けたことがありません。
人と人が助け合うことは、とても大切なことだと思います。
セラピードッグになってから、いろんな人を助けたり、よろ
でもチロリは、びょうきになった人のとなりにすわって、目
合わせて読むと、
﹁ちりょう犬﹂ということです。チロリは、
こばせたりしました。
というように、気持ちをつたえて、はげましてあげるのです。
﹁だいじょうぶだよ。
﹂
と目を合わせて、
した時です。チロリの様子がきゅうにかわりました。とつぜ
わたしもチロリのように、人をゆうきづけたり、人を助けて
ある日、リビングルームのソファに、チロリをねかそうと
です。この時に、わたしはチロリに何がおきたのか、分かり
んガクッとなり、ガタガタと足をもつれさせて、たおれたの
あげたりしていきたいと思います。
第三席
対象作品/日野原重明著﹃十歳のきみへ︱ 歳のわたしから﹄富山房インターナショナル
して、さんそマスクをつけ、心ぞうマッサージが始まりまし
ませんでした。チロリをびょういんへつれていきました。そ
小学校三年の部
めて、わたしの知らない所へつれて行ってくれるような気が
わたしは、本が大すきです。本は、子どもから大人まで読
話しをしにきてくれてわたしも聞きに行きました。その時お
それは日野原先生がお母さんが仕事をしているつる田町にお
どうして日野原先生の本を読むことにしたのかというと、
弘前市立時敏小学校
高
橋
博
名
するからです。
﹃十歳のきみへ﹄
95
12
さいのきみへ﹄は日野原先生が九十五才の時に書いた本だそ
ん生日に百二才になるおじいさんのおいしゃさんです。
﹃十
母さんに本を買ってもらったからです。日野原先生は秋のた
います。
ような気がして使ってしまいます。ぎざぎざ言葉を使ったあ
言葉は使いたくないけど、相手が使ってくると自分が負ける
つけたり、いい気持ちにさせたりします。わたしもぎざぎざ
日野原先生の本に﹁けんかは止める人がいないと止まりま
とは、いやな気持ちになります。そしてけんかになってしま
せん。自分が相手をゆるさないと止まらないけんかもありま
うです。日野原先生が九十五才の時わたしは三才でした。わ
十才のきみへのどの部分で感げきしたのかというと、それ
んだと思いました。あく手した時手がとてもしわしわでした。
んかは自分からすすんで相手をゆるさないと止まりません。
﹂
す。
﹂と書いていました。
﹁とくにせんそうのような大きなけ
たしが日野原先生を見た時そうとう年をとっているおじいさ
とニックネームで言い合うことです。あだなは友だちとなか
相手がひくまでずっとおこっていたけれど、これからは、相
とも書いていました。わたしは、けんかになってしまうと、
は﹁あだな﹂という所です。
﹁あだなはなかのいいともだち
もそれはわるいことで、けっして人をきずつけることは言っ
手をゆるして自分からなかなおりができるようになりたいで
よくすることもできるけど人の心をおることもできます。で
てはいけません。相手が言われてうれしいこと、かなしいこ
す。
わたしは今、幸せです。でも自分が幸せならほかの人が幸
とは自分で考えて言えると思います。
﹂という所です。わた
しも相手が言われてうれしいこと、かなしいことはなんだろ
いました。
﹁ぎざぎざ言葉﹂は相手をきずつける言葉のこと
学校で﹁ぎざぎざ言葉﹂
﹁ふわふわ言葉﹂というのをなら
くなったらこの本当の幸せが来るようにお手つだいをする人
それは本当の幸せではないと思います。わたしもいつか大き
日本の人全員が幸せでも、ちがう国の人が幸せでないのなら
せでなくてもいいというわけではないと思います。たとえば、
です。はんたいに﹁ふわふわ言葉﹂は相手をいい気持ちにさ
になりたいです。
うなと考えて話すことは大事だと思います。
せてくれる言葉のことです。言葉は使い方一つで相手をきず
13
小学校三年の部
佳作
対象作品/大木トオル著﹃いのちをつなぐ セラピードッグをめざす被災地の犬たち﹄岩崎書店
いのちをつなぐセラピードッグ
弘前市立第三大成小学校
花
田
平
吾
日本大震災を見たことがありました。船や家がたくさんなが
なれになった犬がたくさんいました。ぼくは、ニュースで東
二〇一一年三月十一日、東日本大震災で、かい主と離れば
タッフがチロ太の大きさにおどろきました。チロ太は、とに
と 思 い ま し た。 セ ラ ピ ー ド ッ グ の し せ つ に 着 い た と き、 ス
かったのに、家に帰ることができなくてとてもかわいそうだ
が見つからなくて、保健所にいるのにチロ太は家ぞくが見つ
ぼくは、この本に書いている被災犬たちは、みんなかい主
され、とてもこわい気持ちになりました。この本は、つなみ
かく人なつこい犬で、なごませてくれます。
と、言ってもらってたちまち人気者になって、ぼくはよかっ
﹁かわいい﹂
たと思いました。
ぼくは、その中からとくに気になる犬を、この本からみつ
やじしんの中で生きのこった犬たちのお話しです。
けました。その犬の名前は、チロ太という犬です。二〇一二
ぼくがもしもチロ太の家ぞくだったら、チロ太が見つかっ
年二月の夜、いわき市から、
﹁明日の午前中にさつしょ分が決まっている被災犬がいま
たらうれしいと思うし、ぜったいすてたりしないと思いまし
た。東日本大震災でチロ太のように、かい主をなくした犬た
す。
﹂
というれんらくが入って、保健所から引きとられた、五十キ
ピードッグという犬がいることも知りました。セラピードッ
グは老人やびょう気の人とせっし、弱ったこころと体を治す
ち が た く さ ん い る こ と を は じ め て 知 り ま し た。 そ し て セ ラ
犬たちのことだとこの本に書いてありました。セラピードッ
ロ以上ある大きな犬です。ほかくされたときは、つなみで全
レトリバーのオスで八歳です。チロ犬はかい主がいるのに、
身、ドロドロになって浜に打ちあげられました。ゴールデン
もうめんどうを見られないと、すてられてしまいました。
14
るそうです。ぼくはなんだかふしぎだと思いました。トレー
する﹂などたくさんのトレーニングを二年も三年もかけてや
グになるには﹁人にあわせて歩く﹂
﹁人の目を見てかくにん
ずかしいし、つらい気持ちになりました。でもぼくは、東日
グになってほしいです。ぼくは、この本を読んで、とてもむ
人なつこいあまえんぼうのチロ太もりっぱなセラピードッ
本大震災のこと、被災した犬たちがいること、セラピードッ
こ の 本 を 読 ん で、 チ ロ 太 い が い の 犬 も り っ ぱ な セ ラ ピ ー
グのことが分かってよかったと、思います。
ドッグになって、たくさんの人をいやしてほしいなあと思い
ニングはごほうびに食べものを与えて、おぼえさせたり、体
になっています。
﹁できたら、ほめる﹂です。こうしてすく
ばつをして教えたりすることはぜっ対にしてはいけないこと
すく育った犬たちが、よいセラピードッグになります。被災
ました。
いなあと思います。
佳作
対象作品/横塚眞己人著﹃ゾウの森とポテトチップス﹄そうえん社
犬たちがこうして人をはげますセラピードッグになってすご
小学校三年の部
みんななかよくなれればいいのに
ていることです。わたしは、ポテトチップスが大好きです。
で、感じたことはポテトチップスとゾウたちの命がつながっ
わたしが、
﹃ゾウの森とポテトチップス﹄と言う本を読ん
﹁ボルネオ島はパーム油の木だけにして、もっと世かい中に
たしは、
シの果実から、
﹁パーム油﹂という油を取るためでした。わ
れほどたくさんのアブラヤシの木をうえた理由は、アブラヤ
農園がゾウのくらしをせまくしていることを知りました。こ
弘前市立豊田小学校
木 梨 央
笹
りがたみをもって、食べるようになりました。本を読んで、
パーム油をとどけるつもりなんだろうな。
﹂
中でも、コンソメが大好物です。でも、この本を読んで、あ
ボルネオ島は、アブラヤシの木を人の手で、たくさんうえた
15
ン、マーガリンなど、油っぽい食品に使われています。また、
と思っていました。パーム油は、ポテトチップスやカップメ
ことなのかなと思いました。
た。動物と人間が、ともになかよくくらすことはむずかしい
られたために、ひどいやけどをした、ゾウの写真もありまし
いうのがありました。わたしは、色々ある中でりんごについ
ました。夏休みのしゅく題で、
﹃弘前について調べよう。
﹄と
弘前のりんご園のように、なかよくできないのかなと思い
洗ざいやシャンプー、インキ、化しょう品など色々な物につ
わたしは、
かわれていることを、はじめて知りました。
﹁パーム油ってなんだろう。家にあるサラダオイルとは、ど
て、調べることにしました。りんご公園に行ったり、図書館
に行ったりして、てんじされているものや、本で知ったこと
こがちがうのだろう。
﹂
と思いました。そこで、お母さんと、いっしょに調べてみま
が色々ありました。
す。 マ メ コ バ チ と い う ハ チ を 大 切 に 育 て て い て、 り ん ご の
それは、人間がほかの生き物となかよくしているところで
した。わかったことは、パーム油のねだんが、ほかの油より
じゅふん作業を手伝ってもらっています。また、ミツバチに
安いこと、この油を使った食べ物のしょうみきげんが長くで
ても良い油のように思えるものなのに、どうしてゾウにとっ
きること、食べ物いがいの物にも利用できることでした。と
根やみきをかじるネズミをとります。大変な困りものの、ネ
も、ハチミツをとりながら、じゅふんしてもらえるので都合
ズミを、フクロウは、多い時には、一日十数匹もとります。
がいいそうです。それから、フクロウとノスリは、りんごの
くしています。みんな生きていて、みんな同じ動物です。住
ボルネオ島では、九十九しゅるいくらいの動物たちがせいそ
むところをアブラヤシの木にかえられてしまったゾウは、農
りんごの古木の﹁うろ﹂は、巣にはさいてきで、何年間もく
ては、良くない物になってしまったのかを考えてみました。
園の中を歩き回って、木を、なぎたおして、あらしてしまっ
り返し使う場合があるそうです。そのために、古木をフクロ
弘前のりんご園は、虫や動物のはたらきをよく知り、なか
ウのために切らないのだそうです。
よくできているのだから、ボルネオ島でもなかよくできれば
たりしています。それは、今まで通っていた通り道が、農園
くて、むちゅうでひなんしたそうです。農園をあらしたり、
ん家を、こわしてしまいました。住んでいた人は、おそろし
いいのになと思いました。
にかわってしまったからです。べつの場所では、ゾウが、み
家をこわしてしまったため、ゾウは一部の人間には、じゃま
者にされています。せなかに、石油をかけられて、火をつけ
16
小学校三年の部
佳作
セミの一生
対象作品/アンリ・ファーブル著﹃ファーブル昆虫記﹄集英社
いました。
すむのです。セミは、すごいちえをもっているんだなあと思
弘前市立第三大成小学校
裕 人
神
ファーブル昆虫記の本を開いたら、虫たちの絵がいっぱい
ありました。セミ、ヒジリタマコガネ、カニグモ、ジカバチ、
また、セミは、頭がいいなあと思いました。それは、表へ
出てもいいかどうか、一生けん命考えて、外に出てくる時を
サムライアリ、ミノムシ、カミキリムシです。虫の絵の下に
せつ明があったので、もっとくわしく知りたいと思いました。
決めるのです。もし、雨がふっていたり、少しさむい日だっ
間も、ずっと地下にいる意味がありません。
たりした日に外に出ると、セミは、死んでしまいます。四年
その中で、ぼくは、セミがいちばん気になりました。それ
まずおどろいた事は、地面の下で、四年もの長い間くらし
を書きます。
るようになります。ぼくが、くらいところから明るいところ
れると、みるみるうちに黒ずんで、あたりを見ることができ
セミの体のひみつもおもしろいと思いました。目が光にふ
てから、三年五ヶ月になります。もし、ぼくがセミだったら、
へ出ると、目がもあもあして、まぶしくなります。セミの目
て、地上へ出てくるということです。ぼくが、小学校に入っ
まだ地上に出ていないのです。四年というのは、すごい長い
セミは、大人になるために、からをぬぎます。たった二分
は、ふしぎだなあと思いました。
なあと思いました。
つぎに、セミっておもしろいと思ったのは、セミの幼虫が、
じょうぶなトンネルをほって、なんか月もかかって、外に出
から、すきとおったようなみどり色の体と、赤い目があらわ
の間に、服のせなかがたてにさけ、むねにわれめができ、中
じょうぶなトンネルをほるために、体から出す木のジュー
れます。そして、三時間ほどかけて、こげ茶色にそまってと
てくることです。
スで、まわりの土をしめらせ、かべをぬるようにしながらす
17
んでいきます。ぼくは、セミが、大人になってよかったなと
大きくなっていくので、セミの数がふえすぎません。
いよいよ、これから、セミの夏のくらしの楽しみが始まり
中にいたから、遊んだり鳴いたりして、短い命が終わるまで、
いというわけです。ぼくは、セミに、四年もの長い間、土の
た、セミは、これから四年もの間、地面の上には顔を見せな
しぜんって、とてもうまくできているなと思いました。ま
ます。ぼくは、もっとうるさくなってもいいから、いっぱい
おもいました。
楽しんでねと言いたいです。
いをしなくてはならなくなります。オオツルボのくきに、母
子どもの時、
﹁なぜ﹂と、ふしぎに思って、虫たちをよくか
す。でも、ちがうところがあります。それは、ファーブルが
ぼくがファーブルとにているところは、虫ずきなところで
元気にすごしてね、とおうえんしたいです。
さんゼミは、一センチほどのはりを、おしりから出して、た
んさつすることです。そこが、ぼくには足りません。
二、三週間たつと、セミたちのメスは、たまごをうむよう
まごをうみつけるのです。日あたりのよい場所に止まって、
対象作品/竹下文子著﹃りんごのおじさん﹄ハッピーオウル社
ちゅうになる心をもちたいです。
今度は、ファーブルのように、よくかんさつする目と、む
な な め に は り を く き に さ し こ み、 六、七 時 間 も か か っ て、
四十回ほどうみます。計算すると、やく五百こくらいになり
佳作
ます。でも、コバチのたまごは、セミのたまごをえさにして
小学校三年の部
きせきの男
弘前大学教育学部附属小学校
北
山
沢
きせきのりんごと言うのかな。
﹂ と 思 い、 本 屋 さ ん で さ が し
という方のお話でした。ぼくは、この話を聞いて、
﹁なんで
すんでいる弘前で、おいしいりんごをそだててきた木村さん
ぼ く の お じ い さ ん と お ば あ さ ん が、 話 し て く れ た の は、
﹁すごくいいえい画だったよ。
﹂
﹁きせきのりんご﹂というえい画のことでした。ぼくたちが
18
て、この本を見つけて読むことにしました。
うせんはしません。だって、だれもやったことがないし、う
まくいくかぜんぜんわからないからです。でも、おじさんは、
やったのです。虫がたくさんついたり、木がかれたり、近所
このお話は、何年も何年もかけておいしいりんごを作った
おじさんのことが書いてありました。ぼくは、この本を読む
ん ご は で き ま せ ん で し た。 ぼ く な ら す ぐ あ き ら め て 薬 や ひ
りょうをつかうと思います。でも、ここでもおじさんは、あ
の人たちに言われたりしました。一年、二年とたっても、り
きらめませんでした。それで、九年がすぎ、ついに、りんご
前、なぜそんなにおいしいりんごが作られるのかなと思って
そして、二回、三回と読んで、もっともっとおじさんのがん
いました。でも、本を一回読んでなんとなくわかりました。
ばりがわかってきました。
い っ ぱ い さ い て い る 絵 を 見 て、 お じ さ ん は ど ん な に う れ し
の 花 を さ か す こ と が で き た の で す。 ぼ く は、 り ん ご の 花 が
﹁やあ、今年もよくさいたなあ。ごくろうさん。
﹂
﹁きせきのりんご﹂は、たまたまできたわけでも、すぐで
かっただろうと思うと、心がぽかぽかになりました。
おじさんは、りんごの木に、
と声をかけます。まるで、人に話しているようです。毎日話
きたわけでもありません。たくさんのどりょくと、りんごの
しかけて、りんごの木にも、このおじさんがやさしい人だと
いうことがつたわったんだと思います。それが、きっとおい
たからこそできたのだということが、わかりました。
木や、土、水、お日さまなど、たくさんの自ぜんの力があっ
そして、ぼくが、一番心にのこったのは、薬やひりょうを
しいりんごのひみつだと思いました。
になるし事をしたいです。そして、きせきの男になりたいで
ぼくも、いつかは、みんなと力を合わせて、だれかのため
﹁お米ができるなら、りんごだって、できるかもしれない。
﹂
す。
つかわないでお米を作るという本を読んだおじさんが、
と言って、ちょうせんしたことでした。ぼくならそんなちょ
19
小学校四年の部
第一席
対象作品/ラッシェル・オスファテール著﹃ジャコのお菓子な学校﹄文研出版
ピアノが上達するために ∼好きこそものの上手なれ∼
て弾くことはとても楽しいです。でも、練習はちょっとさぼ
いろんな曲を弾けるようになることや、自分流にアレンジし
弘前大学教育学部附属小学校
齋
藤
涼
太
二年生の時のジャコは、勉強が苦手で、学校もあまり好き
りがちです。お母さんに
と言われることがよくあります。自分から進んで練習をする
ではなく、どこにでもいるような少年でした。そんなジャコ
ことはなかなかありません。でも、この本を読んで、ぼくも
が、お菓子作りの世界へ冒険を始めたことで、みちがえるほ
読むこと、書くこと、計算すること、がんばること、ねば
ジャコのようになりたい、と思うようになりました。
﹁ピアノの練習をしなさい。
﹂
り強く続けてあきらめないこと、たくさんのことに目を向け
ど成長しました。
るようになったこと、そして、たくさんの人に出会ったこと。
おととしの十月、初めてピアノの発表会に参加しました。
とても緊張しましたが、気持ちよく弾くことができました。
去年のピアノの発表会は、ぼくにとって辛い思い出です。
でも、去年の発表会では、ミスタッチが多く、うまく弾くこ
ことを学びました。
﹃好きこそものの上手なれ﹄ということ
わざがありますが、まったくその通りだと思います。好きだ
とが出来ませんでした。弾き終わって、舞台裏に下がった直
ジャコは、お菓子作りの世界への冒険でこんなにたくさんの
アもわいてくる、ということだと思いました。
ぐさめの言葉をかけてくれた気がしましたが、全く覚えてい
後から、涙が出てきて止まりませんでした。先生が、何かな
から、がんばることが出来る、好きだからいろんなアイディ
失敗もありました。こわい思いもしました。それでも、お
た。一緒に練習をしてきたグループの仲間が
ません。席にもどってからは、声が出るくらい泣いていまし
母さんやおじいちゃん、友達のはげましや協力で、それを乗
ぼくにも、大好きなことがあります。それはピアノです。
り越えることができました。
20
こともいうけど、練習に付き合ってくれるお母さん、一緒に
ぼくにも、いつもていねいに教えてくれる先生や、厳しい
ピアノを教わっている仲間達がいます。ジャコの周りにいる
﹁演奏よかったよ。
﹂
発表会に向けて練習していた時は、うまく弾けていたつも
この先、もっと、もっと、難しい曲にも挑戦していきたい
人達のように、協力してくれる人がいっぱいいます。
と言ってくれましたが、あまりなっとくがいきませんでした。
し か し、 去 年 弾 い た 曲 は、 お と と し よ り は る か に 難 し く
りでいたし、本番でもうまく弾けると思っていました。
る、ぼくにも出来る、そんな勇気をもらった気がします。昨
日より今日、今日より明日、ちょっとずつでもいいから、上
と思っています。この本から、誰だってジャコのようになれ
手になれるように練習を続けていきたいと思います。そして、
なっているのに、ぼくの気持ちも、ピアノの練習時間もおと
にはいきませんでした。けれど、そんなジャコでも、ブラウ
としの時のままでした。ジャコがお菓子作りで成長したよう
ニーをこがしてしまったことや、悪い中学生にお菓子屋さん
思います。
今年のピアノの発表会は、笑顔で舞台から降りていきたいと
対象作品/横塚眞己人著﹃ゾウの森とポテトチップス﹄そうえん社
をめちゃめちゃにされたことなど、大変な思いをしたことも
ありました。そんな時には、周りの人達のはげましと協力で
第二席
乗り越えてきました。
小学校四年の部
生活と世界のつながり
な島にある森のことでした。ここには、ゾウのほかにもオラ
﹁ ゾ ウ の 森 ﹂ と は、 ボ ル ネ オ 島 と い う 世 界 で 三 番 目 に 大 き
ことにしました。
弘前大学教育学部附属小学校
口 美 空
山
わたしは﹁ゾウの森とポテトチップス﹂という題名を読ん
で、とてもふしぎに思いました。あのおいしいポテトチップ
スに、ゾウの何が入っているのかなと思って、この本を読む
21
は、野生動物はくらせません。自然の森は、川のまわりにわ
アブラヤシのプランテーションでした。プランテーションで
つづく緑の森が見えました。けれど、それは、人間が植えた
どんどん少なくなっているのです。写真を見るとどこまでも
す。日本の二倍あるとても広い島なのにゾウがすめる森は、
ウータンやテングザルなどのたくさんの生き物がすんでいま
い生活なんて考えられません。ポテトチップスも食べたいで
命をうばっているのです。でも、シャンプーやせっけんのな
チップスのせいでボルネオ島にすむ生き物たちの生活の場や
わたしがべんりに使うシャンプーやおいしく食べるポテト
森がへっているということも考えたこともありませんでした。
使っていました。パーム油のこともそのせいでゾウのくらす
とを心がけたいです。そして、使うときにはボルネオ島の生
す。だから、のこしたりそまつに使わないで、大切に使うこ
なぜ、ここまでして木を切り、アブラヤシを植えなければ
ずかに残っているだけなのです。
き物たちのことを考えようと思います。また、感しゃしよう
この本を読んで、今まで知らなかった﹁生活と世界のつな
と思います。
がり﹂を知ることができました。ボルネオ島のパーム油は、
ならないのだろうと思いました。その理由は、
﹁パーム油﹂
れています。たとえば、ポテトチップスやカップメンなどの
という油をとるためでした。パーム油はいろいろな物に使わ
食品にも使われています。食べ物だけでは、ありません。せ
世界中に運ばれているそうです。わたしは人間だけがよけれ
ち人間もべんりな生活をしたいけど、ボルネオ島の生き物た
ばいいとは思いません。わたしが大人になったときわたした
ちも楽しく安心してくらせる世界にしたいと思います。
たちの生活に必要な物ばかりです。わたしも毎日使っていま
す。 わ た し も 家 に あ る 物 を 見 て み ま し た。 そ し た ら シ ャ ン
んざいやシャンプーにも使われているのです。どれもわたし
プーとポテトチップスとせっけんに﹁パーム油﹂と書いてあ
りました。わたしは、今までそんなことはまったく知らずに
22
小学校四年の部
第三席
﹃ゾウの森とポテトチップス﹄
対象作品/横塚眞己人著﹃ゾウの森とポテトチップス﹄そうえん社
た め で し た。 パ ー ム 油 は、 ポ テ ト チ ッ プ ス や カ ッ プ め ん、
した。アブラヤシの果実から、
﹁パーム油﹂という油をとる
からは、ゾウたちの思いを考えながら、日々成長していきた
ウたちにあやまらなけれないけないと深く感じました。これ
さらに、住む場所をこわしてしまったぼくたち人間は、ゾ
じゃないということをこの本に教えられた気がします。
ている自分がいやに思えてきました。地球は人間だけのもの
弘前市立堀越小学校
藤 健太郎
齋
ぼくは、なぜ﹁ゾウの森とポテトチップス﹂という題名な
マーガリンなどいろいろな食品に使われています。そのため、
い で す。 そ し て、 か ん き ょ う を 整 え て、 ゾ ウ た ち の こ と を
のかぎもんに思いました。その理由は、アブラヤシにありま
アブラヤシをたくさん植えてしゅうかくしているのです。そ
もっと考えようと思いました。
2
のためにゾウの生活の場である、自然の森がなくなっている
ランスがくずれ、人間はもちろんのこと、多くの動物、そし
だん化がしんこく化しています。地球温だん化で今までのバ
今、ぼくたちが住む地球は、CO の増加により、地球温
自分の生活とゾウの生活をあらためてくらべると、自分た
て、ゾウたちが生きるのに苦労しています。人間は、自分た
のです。
ちの生活の方が自由で、なんだかゾウの生活の方は、動きを
を考えてはじめています。ゾウたちだけではなく、ぼくたち
ふうじられているように感じました。人間のせいで、ゾウが
人間にもひがいが出てはじめて、自然の森のばっさいについ
ちが生活しづらくなって初めて、この大きなかんきょう問題
ぼくは、この本に出会うまで、ゾウたちの住む森がへって
ても考え直すのでしょうか。それではおそすぎるとぼくは思
自由にのびのびと生活できないのです。
えさせられました。ぼくは、ゾウの悲しさがわかるような気
います。
いるということについて考えたことがなかったのでとても考
がしました。よく考えると、のんきにポテトチップスを食べ
23
かんきょうを大事にすることで、多くの人間、ゾウを助け
ぼくたちは、これから、自然を大切にして、この問題を注
ることができることは、もう分かっているのです。
意して、見守らなければなりません。ゾウたちに気持ちのい
えるのではなく、ぼくたちだけの地球じゃない、動物たちも
そして、このかんきょう問題をかいけつしないといけない
いるんだということを考えていきたいです。
ので、ゾウたちのことを考えていきたいと思います。
小さなスプーンおばさん﹄
学研教育出版
佳作
対象作品/アルフ・プリョイセン著﹃新しい世界の童話シリーズ
い生活を送ってもうらうためにも、自分たちの食料だけを考
小学校四年の部
大切なこと
弘前大学教育学部附属小学校
北
山
晶
料理をしたりしているスプーンおばさん。ある時、とつぜん
ふだんは、他のおばさんと同じように、そうじをしたり、
読むことにしました。
ぱっと開いたページに書いてあるたくさんの言葉の意味を読
わ た し は、 家 に い る と、 よ く 国 語 辞 典 を 読 ん で い ま す。
んでみたり、テレビで話していた言葉の意味が分からなかっ
小さくなると、ごてい主や、森の動物、ネコ・イヌ・ネズミ
たくさんのぼうけんの中で、わたしがとくにおどろいたの
たら調べてみたりしています。国語辞典を開くと、下の部分
が、小さくなったおばさんが、カラスにつかまって連れて行
など、たくさんの人たちと力を合わせ、何でもみごとにやり
が一番読んでみたいと思ったのが、この﹁小さなスプーンお
かれたお話しです。もし、わたしならとづぜんカラスにつか
とげてしまう、すごい人になったのです。
ばさん﹂です。体が小さくなったおばさんが、頭を使ってい
まって空を飛んだら、こわくてこわくて何も考えられなくな
とかんたんなあらすじが書かれています。その中で、わたし
ろいろな問題をかい決していくのです。わたしは、小さい体
に、
﹁読書のこみち﹂というコーナーがあり、おすすめの本
でどのようにしてかい決していくのだろうと思い、この本を
24
ると思います。でも、おばさんはちがいました。あっという
ま た、 い た ず ら な ど を し て、 お 母 さ ん に お こ ら れ そ う に
この本を読んで、アイデアをたくさん出してのりこえてき
なったら、小さくなって、かくれんぼするのもいいかなと考
たおばさんのぼうけんは、とても楽しいものばかりでした。
えています。
けました。そして、たくさんのカラスの中で歌ったりおどっ
間に、カラスと仲よくなり、自分のスカーフやスカートをカ
たりして、カラスの女王に選ばれたのです。はじめは、カラ
るのではなく、自分でできることを知えをしぼって考えたか
でも、それは、おばさんが、すぐににげたりあきらめたりす
ラスに着せ、代わりにカラスの羽をたくさんもらって体につ
きることをやっていき、女王にまでなったおばさんは本当に
スたちにばかにされていたのに、そこでにげずに、自分がで
となやんでしまうのではなく、よしやってみようと楽しんで
らこそ、やりとげたのだと思います。また、何でもこまった
もし、わたしが、スプーンおばさんのように小さくなった
強い心を持っているなあと思いました。
ようと向かっていく気持ちを大切にしていきたいです。そう
向かっていく気持ちが大切なんだと思いました。わたしも、
したら、おばさんのような楽しいぼうけんがたくさんできる
これから、いろいろな場面でこまった時、まずは、やってみ
しながら、おばさんの強さをどんどんまねしていきたいです。
ような気がします。
しょに森の動物たちとおしゃべりしたり、木の実を食べたり
それから、鳥に乗って空を飛んだり、犬にまたがって野原を
ら、 ま ず は お ば さ ん と 友 達 に な り た い で す。 そ し て、 い っ
走ったりしてみたいです。小さくなったら、今とはちがう風
景や世界が見えてくるだろうなと思うと、わくわくします。
25
小学校四年の部
佳作
信じることと生きることと
対象作品/ひろはたえりこ著﹃マリと子犬の物語﹄汐文社
お 父 さ ん と お じ い ち ゃ ん と 四 才 の 彩、 そ し て お ん 月 が 原 で
亮太のふるさとは山古志村です。そして、亮太の家族は、
たのです。こんなにまでして人間を救おうとしているマリの
いちゃんを助けようと、マリは一ばん中がれきをほりつづけ
てて何でもきめずにあきらめてしまうでしょう。必死でおじ
弘前市立城西小学校
阿
保
河津早
拾ったマリとマリが産んだ三ひきの子犬たちです。お母さん
姿に、わたしは感動しました。
次の日、自えい隊のおかげで彩たちは助け出されました。
は何年も前に病気でなくなったのだそうです。幸せな日々の
中、ある日とつぜん新潟県中えつ地震がおそったのです。
られませんでした。その時助けられるのは人だけだからです。
けれども、マリは彩たちを迎えに来たヘリコプターには乗せ
自えい隊にほえて、彩たちのい所を知らせたのもマリでした。
彩やおじいちゃんを家に助けにいきたい気持ちをおさえなが
彩はマリも乗せてほしいとたのんだのですが、それはかなわ
地震が起きた時、亮太はひなんじょである学校にいました。
く て も 行 け な い で い ま し た。 家 は め ち ゃ く ち ゃ で、 お じ い
ら。亮太たちのお父さんは長岡市にいて、山古志村に行きた
ずマリたちはおいていかれました。マリはヘリコプターを見
そして、何日かたち、ひなんじょ生活の亮太と彩は、マリ
ちゃんはタンスの下になり、二人は身動きがとれなくなって
が心配で、そこから山古志村までマリを助けに行こうとしま
上げながらずっとないていたのです。マリはどんなに悲しい
けにきたのです。マリはおじいちゃんの服をひっぱりますが
した。もちろんみんなにはひみつで。きっとそれだけ、家族
だろうと、わたしはなみだが出そうになりました。
とても助けることができません。けれどもマリはあきらめま
であるマリを助けたかったのでしょう。でもそのと中で、彩
いました。彩はおじいちゃんにだかれてぶじでしたが、おじ
せんでした。ガラスのはへんで四本の足を真っ赤にそめなが
いちゃんの足からは血が流れていました。そこに、マリが助
ら。きっとわたしがこんなじょうきょうにおかれたら、あわ
26
が熱を出してしまい、亮太は彩を近くの小屋の中で休ませる
た。地震の後の雨で土しゃはくずれ、家の形はほとんどあり
た。ヘリコプターから見る山古志村はものすごいあり様でし
さなくてはならないのです。家があった場所にはマリはいま
ません。でもぼうっとしてはいられません。マリたちをさが
せん。おん月が原にきっといると思い行くと、子犬たちが出
かし、そこへ亮太のお父さんが二人をさがしに来たのです。
亮太はお父さんに、
﹁マリを死なせたくないんだ。
﹂と言うと、
ことにしました。亮太はどんな不安だったことでしょう。し
お父さんは、
﹁お父さんはおまえたちが一番大事な人だ。
﹂と
もうだめだと思ってしまいます。でも亮太と彩はマリを信じ
せん。でもマリは現れません。わたしだったら、泣きだして
ていました。マリは母親だから、この子犬たちを守ってきっ
てきたのです。その時の彩のよろこびようといったらありま
と生きていると。マリも亮太たちが助けに来ると信じていた
た。親が子どもを愛し、一番大切に思ってくれていることが
り、三人でひなん所に帰ることにします。亮太の気持ちをか
分かるからです。亮太は自分はまちがったことをしたとわか
のでしょう。信じ合う関係は、まるで強くきずなで結ばれて
言いました。わたしはこのお父さんの言葉が心にのこりまし
ことに出会う。生きていくのはそういうことを乗りこえてい
いるようです。
﹁マリーマリー。
﹂と何度も大声でさけんでい
えたのは、
﹁ し か た の な い こ と に 出 会 う。 ど う し よ う も な い
く こ と だ。
﹂というお父さんの言葉です。それは、マリを助
た時です。ぼろきれみたいにやせ細った、どろだらけのマリ
一気に喜びがこみ上げてきました。きっと必死で食べ物をさ
がすがたを現しました。やったあ。マリは生きていたんだ。
がしては、子犬たちに食べさせていたのでしょう。マリは強
しょうか。山古志村が地震でめちゃくちゃになっても、家族
とともに生きていくということなのでしょうか。いろんな悲
けに行くことをあきらめなければならないということなので
しみやどうしようもないことを、ぐっとこらえて生きていく
い母親です。子どもたちを命がけで守ったのです。
一日を一生けん命に生きているのだと思います。
で村に帰ることを願ってけんめいに前に進んでいます。一日
亮太たちの家は、まだ山古志村にはありませんが、みんな
ことなのでしょうか。でも、その生きていく力は、マリは生
きていると強く信じることから生まれるのではないかと思い
月日はたち、やっと村に一時帰たくできることになりまし
ました。
27
小学校四年の部
佳作
対象作品/日向理恵子著﹃雨ふる本屋﹄童心社
り森にぼうけんに出るのです。ホシ丸くんという同い年の青
忘れられた夢の力
い小鳥と初めから助っ人のカタツムリといっしょに。
﹁本物
菜
桜
雨と本屋の組み合わせがきれいで、特別な気がしました。
の生きた人間が必要!﹂と店主のフルホンさんが言うのです
弘前市立福村小学校
漆
起こるのかわくわくしました。
まります。本にまつわる不思議な名前の登場人物たちや、犬
つれられて、なぞの本屋に迷いこんでしまうところからはじ
ゆうれいが持っていた青い種。必死にさけんでいた、ちっぽ
です。声は、ルウ子がわすれていた﹁夢の力﹂だったのです。
ウ子の心にひびく声です。それは、ルウ子自信の声だったの
もう一つわたしが気になったのは、大事なピンチの時にル
だって持っているはずです。
が、ほかの人たちだって当然生きているし、本物で、夢の力
わたしは、
﹁雨ふる本屋﹂という題名をみて、どんなことが
この物語は、おつかいの帰りに雨やどりしていたルウ子が、
が走るようなスピードで進んでいくカタツムリとルウ子のあ
妹のサラにいじわるをしてやるつもりで拾ったカタツムリに
とをついていくように、わたしも物語の中にどんどん入って
ど、ルウ子は守らなければと思います。この物語を思い出し
﹁心が体をつきやぶってとんでいきたがっている﹂というほ
けな青い種。それはルウ子がサラのために書いた物語でした。
わたしが一番気になったのは、なんでルウ子だったのか、
いきました。
ということです。雨ふる本屋のピンチを救う、
﹁人間の夢の
シオリ、セビョーシがかしてくれた、
﹁月読みの本﹂で、物
しは一番好きです。ようせい使いの舞々子さん、ようせいの、
ゆうれいから、必死に種を取りもどそうとする場面がわた
たルウ子は、とつ然大切なものに気がついたのです。
ぽり森に集まります。雨の栄ようで育ちます。雨ふる本が育
う。
︿おしまい﹀の文字をもらいそこねた物語の種は、ほっ
力﹂はどうしてルウ子の力じゃなきゃいけなかったのでしょ
たないという大問題がおきて、調べるためにルウ子がほっぽ
28
語の種をあらしていたゆうれいに本当のことを気づかせるの
物をゆずったりすることがよくあります。
ように、わたしも結局、
﹁ じ ゃ あ い い よ も う!﹂ と 食 べ た い
大きらい。本なんて、もう、ぜったい読まない。といってい
一番印象にのこったのは、妹へのやきもちから、本なんて
です。ゆうれいは自分が作家なのに、本を台なしにしていた
たルウ子のことです。雨の力をかりて、夢の物語を思い出し
ということをです。わたしは、ルウ子を応えんしていました。
ゆうれいに気づかせたルウ子に、
﹁やったね﹂と言いたかっ
たことも思い出したはずです。妹のことがにくたらしいけど、
たルウ子は小さい時、お母さんに読んで、よろこんでもらっ
心配なルウ子。本当は本が大好きなルウ子とわたしはにてい
たです。なぜなら、この青い物語は﹃雨の精
サラサラ﹄と
いう題名で、雨の日に生まれたサラのためにかいた物語だっ
ると思いました。夢の力を知ったルウ子は、雨あがりの空の
たからです。ルウ子は本当はサラが生まれた時はすごくうれ
と思います。だっておつかいでサラのために買ったプリンと
しかったと思います。今だって本当はサラのことが大好きだ
にも夢の力がきっとあると思いました。まだ、はっきりみえ
ような青い物語を完成させたと思います。わたしはこの本を
ないけれど、ルウ子のように、自分の気持ちを大切に、そし
読むまで、夢の力なんて考えたことがなかったけれど、自分
ウ子はサラとプリンをいっしょに食べたいと本当は思ってい
て、いろんな人の出会いを大切にしていきたいと思いました。
たっけ。とぼうけんのと中で何度もそう思い出すのです。ル
たと思います。ルウ子と同じでわたしにも妹がいます。ルウ
ゼリーの入ったふくろはどこにいったんだろう、どこに置い
子が大好きなパンダのぬいぐるみをサラにとられてしまった
29
小学校五年の部
対象作品/日野原重明著﹃生きてるだけで百点満点∼ 歳のぼくから君たちへ∼﹄
ダイヤモンド社
第一席
命は大切だ。このことは、多分世界中のだれもが、小さい
しまうか分からない、苦しく長い闘病生活を体験した。その
病気、二十歳の時に死の病にかかって、生きられるか死んで
たお母さんまで命にかかわる病気にかかってしまい、日野原
上、十歳の時の病気の後、日野原さんを必死で看病してくれ
さんは身近で大切な人が命を落とすかもしれない不安も味
学校の道徳の授業などで教わったり感じたりしたことがある
どうすることなのかは、十歳くらいの人は考えたことがない
十歳くらいの人に、命について教えてくれる内容だ。私は、
この本は、百歳を目前にした日野原重明さんが、私と同じ
分け合い、助け合う中で、逆に、生きている幸せを味わった。
はほど遠い状況で、分けてもらった少しの貴重な食料をまた
も多くの患者さんを救うために必死で働いた。そんな幸せと
わった。そして戦争中は、物も医師も足りない中で,少しで
最初にこの本を少し読んでみた時、
その何年も後には、よど号ハイジャック事件のときに、偶然
殺されるか分からない緊張と、命が救われたありがたさを感
よど号に乗っていた日野原さんは、目の前に犯人がいていつ
と思って、本から手を放そうとした。しかし、百年もの長い
たまたま現場の駅と日野原さんがいた病院が近かったため、
じて、これからはこの命を人のために役立てようという思い
たくさんの被害者を受け入れて、適切な処置をして、多くの
が生まれた。無差別に人の命を奪った地下鉄サリン事件では、
日野原さんは、百年の間に命について考えさせられるたく
年月を生きた貴重な人が、十歳の私たちに何を伝えてくれる
さんの出来事を経験した。日野原さんは、十歳の時に大きな
のかが気になって、じっくり読んでみることにした。
か。︶
︵ 命 が 大 切 だ な ん て 何 度 も 教 わ っ た し、 当 た り 前 じ ゃ な い
と思う。私もその中の一人だ。
と思う。しかし、なぜ大切なのか、大切にするということは
頃から動物の死や身近な人の死、様々な死に関わるニュース、
弘前大学教育学部附属小学校
新
川
裕
奈
目標は命の無駄遣いをしないこと ∼﹃生きてるだけで百点満点﹄∼
99
30
日野原さんは、長い年月を生きている中で、どんなに恐ろ
るようになった気がする。その目標は、私に与えられた大事
メージに変わったことで目標ができて、命を身近に感じられ
は何か決められたルールみたいな感じだった。しかし今のイ
どちらのイメージが良いのかは分からないが、前のイメージ
しい出来事でも意味のない経験はないということ、そして、
な命を無駄にしないことだ。つまり今生きている時間を無駄
命を救った。
生きている時間がとても貴重だということを、人一倍実感し
他にも、十歳くらいの人達だと、ゲームで時間を無駄に使っ
れた命という時間を、自ら短く終わらせてしまう人がいる。
じめられて自殺するという事件も多くなり、せっかく与えら
生かしていくこと。そして、最終的には良い方に持っていく
その体験を無駄にせず、学んだことや感じたことを次の時に
日一日に起こる事がどんなに辛いことでも、大きな失敗でも、
れは、生きていることをありがたいと思うこと。それと、一
この本を読んで、私が考えた、命を無駄にしない方法。そ
にしないということだ。
ているのだと思う。
しかし今の日本では、戦争はなくなったが、悪いことをし
てしまって宿題が出来なくなって成績が落ちてしまう人もい
ことだ。
て罰を受けたり、人の命を奪ったりする人もいる。また、い
る。このように、たくさんの人が様々な場面で時間の無駄遣
いない私に、本を通して大事なことを教えてくれた。私はそ
日野原さんは、まだ十歳で、大きな病気も戦争も経験して
のことにとても感謝している。だから、このような貴重な命
いをしてしまっているのだ。だから、日野原さんは私たちに、
一日一日の時間を大事に、そして有効に過ごしてほしいとい
の授業を受けたことを無駄にせず、学んだことからどんどん
ないことに注意していきたい。そして、日野原さんのように、
うことを伝えたいのだと思う。日野原さんは、命は時間だと
長い年月をかけて少しずつ成長できるように、今から一日一
いう。つまり、人々が生きている時間が命だということだ。
で は、
﹁長生きすることが大事﹂
﹁死んだらダメ﹂などのイ
日を大事に生きていきたいと思う。
行動に移していきたいと思う。まずは、時間の無駄遣いをし
メージをもっていた。しかし今は、
﹁命を無駄にせずに、意
私は、この本を読んで命についての見方が変わった。今ま
味のある人生にすることが大事﹂というイメージに変わった。
31
小学校五年の部
第二席
ファンタジーの教科書
対象作品/J ・K・ローリング著﹃ハリーポッターと賢者の石﹄静山社
むずかしそうでよく知らないままでした。けれど今年、やっ
てきました。それに、場面の情景や人物の表情などの表現が
的でとってもおもしろくて、本当に自分の友達のように思え
世界にすいこまれていました。登場人物一人ひとりがこせい
まほうの世界に場面が変わったころには私はもうハリーの
なりました。
いから、みんなから注目される、特別なそんざいにいっきに
弘前市立福村小学校
碓
井
美
樹
この物語は、私が生まれる前から世界中で大ヒットしてい
て、映画にもなった有名なお話しです。今まで何回もテレビ
と私もハリーと同じ十一才になります。ハリーと近い感覚や
とてもくわしいので、まるでその場にいてじっさいに見てい
や本を見かけることはあったけれど、なんだかこわそうで、
れないと思って、とってもぶあつい本だったけれど読むこと
気持ちで物語をスタートして、理解することができるかもし
いっしょにぼうけんしている気持ちになっていったのだと思
るかのようにそうぞうできるので、どんどん引きこまれて、
ハリーは両親を早くしてなくし、おばさんの一家で育ちま
に決めました。
うし、ハーマイオニーみたいな話し方をしてしまったり、き
学校の読書タイムに読めば学校にいることをわすれてしま
います。
とこには家でも学校でもいじめられている不幸な男の子でし
した。おばさんやおじさんにやっかいものあつかいされ、い
た。そんな中、十一才のたん生日に、まほう学校ホグワーツ
みょうな雲を見たらまほう世界を思い出したり⋮。ハリーの
私のしょう来の夢はファンタジーの物語を書くことです。
世界が私の中にすっかりしみこんだようでした。
J ・K・ローリングさんのかくハリーの世界のように読む人
から手紙がとどいてむかえがきました。そこで初めて自分が
では、だれもがハリーを知っていて、あくしゅをもとめたり
まほうつかいだったことを知りました。しかもまほうの世界
かんげいしました。ハリーは見捨てられ、きらわれるそんざ
32
を引きつけてはなさないような、み力的なお話をかいてみた
をぎせいにしてまで守ってくれたという大きな愛情を知りま
るといいます。しかしハリーはお母さんのリリーが自分の命
りこんしたりと悲しいことが続いている中でおさない子ども
れば悪の世界へと足をふみいれることになってしまいそうな
理由があるのではないかと感じます。ハリーも一歩まちがえ
た経験があったのでしょうか。悪が生まれるには必ず何かの
した。ではヴォルデモートには、限りない愛情や友情を受け
をかかえて、生活保ごをうけながら、子どもがねている間に
場面がたくさんあります。善と悪の分かれ道に立った時、善
J ・K・ローリングさんは、お母さんがしんでしまったり、
いとすごく思いました。
り、大変な中でこんなにすばらしい作品がかけるなんてすご
この作品を書いたのだそうです。たくさんのつらいことがあ
わかりました。文章を書くにはいろいろな経験をしていくこ
ことが苦手で、やろうとしていなかったということが改めて
そう考えてみると、私はこういう心の中のことを表現する
が伝えたい心なのかもしれません。
とが大切なポイントになっていると思いました。それが作者
の道を進んでいくためには、心に愛があるかないかというこ
物語でも、おもしろくてわくわくするゆめのような場面だ
いパワーだと思います。
け で は な く て、 く ら く、 つ ら い 事 け ん も 次 々 と ハ リ ー に お
感情的になったりしてしまうようなことばかりです。でもハ
とが大切だと思いますが、その時に自分や周りの人達の心の
こってきました。私ならつらすぎてすぐメソメソ泣いたり、
りしながらのりこえていきました。
くさがらずに表現してみることが今の私には必要なのだと感
動きをよく見つめて考えてみるということ、それをめんどう
リーはれいせいに自分の立場を見つめ深く考えたりなやんだ
思い返してみると、今まで私が考えてきた話には悪役がい
また、J ・K・ローリングさんは文学や外国の言葉を多く
じました。
ませんでした。きっと何事も暗い部分を見ずに楽しいことば
作家には向いていないのかな、どうすれば悪を表現出来るの
かり考えてしまうせいかくのせいだと思います。こんなでは
くなるほどさまざまなたくらみやいじわるなどの悪がある中
ハリーの周りでも、だれがてきなのか味方なのかわからな
きたいと思いました。そしていつかすてきなお話を書けるよ
もっとたくさんの本をよんで、いろいろな知識をふやしてい
ハ リ ー の 世 界 に つ な が っ て い っ た と 考 え た ら、 私 も も っ と
学んだのだそうです。いろいろな世界の文学がこのそう大な
で、始めからはっきりと最大の悪役として現れるのがヴォル
うになれたらと思います。まずはこの物語の続きの﹁ひみつ
かなどいろいろと考えさせられました。
デモートです。ヴォルデモートとハリーはこどくを共有して
33
のへや﹂にすすんで、この先のハリーとヴォルデモートのい
第三席
んねんの対決や、ハリーたちのぼうけんを楽しみにしながら、
小学校五年の部
﹃ああ無情﹄
対象作品/ビクトル・ユゴー著﹃ああ無情﹄集英社
どんどん読んでいきたいと思います。
で悪いうわさは、すぐに広まり、お金を持っていても宿にも
このジャン・バルジャンが刑務所を出て、街に現れただけ
きない終身刑になるのです。
弘前市立第三大成小学校
谷 香 鈴
山
この物語﹁ああ無情﹂は、
﹁ レ・ ミ ゼ ラ ブ ル ﹂ を 日 本 語 に
泊めてもらえない。悪いことをして出てきても、世の中は冷
したものです。レ・ミゼラブルとは、
﹁ み じ め な 人 々﹂ と い
意味です。なぜこのような題名になったのでしょうか。
う意味で、無情とは、やさしい気持ちがどこにもないという
て良くなっているのでしょうか。思いやりの気持ちと行動は、
たように思いました。今とは法律も違うのでこの時代と比べ
一度悪いことをしたらなかなか立ち直れないような社会だっ
の物語の主人公ジャン・バルジャンです。そのパンは、姉の
身近な人、家族や友人や自分がいいと思う人に対しては、優
たいので、また悪いことをするしかなくなってしまいます。
子供七人を養うために盗んだものでした。なぜパンを盗んだ
貧しいということから、一本のパンを盗んだために、十九
だけで刑務所に入るのだろうかと思いましたが、一八〇〇年
しいと思いました。ジャン・バルジャンもみじめな気持ちに
しくしやすいですが、刑務所から出てきた人となるとむずか
年も刑務所の中で暮らさなければばらない男がいました。こ
頃のフランスは、ほかにもリンゴの枝を拾っただけでも刑務
しかし、思いやりの気持ちをジャン・バルジャンに向けた
なっていました。
所に入れられるような時代だったそうです。そして一度犯罪
なに小さな罪であっても、死ぬまで刑務所から出ることがで
をおかし、ふたたび犯罪をおかしてつかまれば、それがどん
34
ります。働く気のある人はだれでもやとい、もうけたお金は、
すばらしい品物を作り、大きな工場を建てて、大金持ちにな
その後のジャン・バルジャンは、アクセサリーを工夫して、
で、とても地位が高い人です。ミリエル司教は、りっぱな建
人がいました。ミリエル司教というキリスト教の聖職者の中
物である司教館を貧しい人々にあけわたして自分は生活を切
教会に持っていって、貧しい人たちに分けていました。その
自分は質素な生活をして、本を読んだり、野原を歩くことを、
他にも、病院にベットを寄付したり、学校なども建てました。
何よりの楽しみにして生活していました。
した。そんな人ですから、だれも泊めてくれないジャン・バ
ルジャンをお金はもちろんもらわずに泊めて、食事もとらせ
りつめても、人々につくしみんなに深くそんけいされていま
てくれました。それなのにジャン・バルジャンは、ミリエル
そして、みんなにそんけいされ、市長になりました。しか
てて名乗り出ました。だまっていれば、そのまま市長として
し、自分の身代わりにつかまった男のために、市長のざをす
町に残れたはずです。ミリエル司教の正直に生きるという約
ジャン・バルジャンは、けいさつにつかまりした。しかし、
司教の銀の食器をお金にかえようと盗んでしまうのです。
﹁ 銀 の し ょ く 台 を 忘 れ て い っ た で し ょ う。 あ れ も あ げ た の
だっ走してゆくえがわからなくなってしまいます。
を 破 っ た の で、 ま た、 刑 務 所 に 入 れ ら れ ま し た。 し か し、
の町の役場に一週間ごとに見せなければならないという法律
そのあと、前科者は、旅に必要な黄色い旅券を行く先ざき
束を守ったのだと思います。
ミリエル司教はけいさつに対して、
に。
﹂
こうしてゆるされたジャン・バルジャンにミリエル司教は、
と、言いました。
銀の食器としょく台を使って正直に生きると、わたしに約
﹁忘れないでください。けっして忘れないでください。この
いろいろなうわさが流れる中、ジャン・バルジャンは、コ
ゼットという女の子を引き取り育てていきます。このとき、
束してくれたことをね。
﹂
と、言います。この言葉により、ジャン・バルジャンの人生
し、だっ走をしているのでジャベールというけい部に追われ
ていました。しつこく追いかけられ、いやな思いもするので
人を愛する喜びを知り、生きがいになっていきました。しか
すが、かくめいがあったとき、スパイとしてつかまったジャ
が変わっていきました。一つの思いやりが、人を変えるしゅ
るそうです。それを知り、こんな人が本当にいたのかとおど
ました。このミリエル司教は、実際にモデルになった人がい
ベールけい部を殺すことになりますが、だれにも見られない
ん間だと思いました。そして、この言葉は私の心の中に残り
ろいてしまいました。
35
の後ジャン・バルジャンは娘のように育ててきたコゼットの
どくにくんで、完全にゆるすことはできないと思います。そ
場所でなわをナイフでほどいてにがします。私だったら、ひ
の世を去ります。
そこで、ジャン・バルジャンは喜び、清らかなたましいでこ
ウスは、コゼットとジャン・バルジャンに会いに行きます。
がまんします。そして、すべてを知り、ごかいのとけたマリ
ああ無情のやさしい気持ちがどこにもないというのは、貧
恋人、マリウスが大けがをしているのをせ負って助けます。
し か っ た 頃 や、 刑 務 所 を 出 た 後 の 世 の 中 に 対 し て の 気 持 ち
家に送りとどけた後、ジャベールけい部に
﹁つかまえてくれ。
﹂
なかったと思っています。ミリエル司教には、正しく生きる
だったのではないかと思います。人のためにつくし、正直に
ということを教えてもらい、コゼットには、人を愛すること
生きたジャン・バルジャンの最後は、無情という気持ちでは
は正しくて正義を行う人間だとむねをはってきたと思います。
を教えてもらったジャン・バルジャンは、いろいろつらいこ
いで、結局つかまえませんでした。ジャベールけい部は自分
心の中に温かいものを持った人だったのかもしれません。人
とがあったけれども、満足な人生だったと思います。ミリエ
と、言いますが、助けられたジャベールけい部は、心がゆら
見せたので心がゆらいで、つかまえることができなかったの
につくすこと、人をあわれむこと、人をゆるすことを自分に
ち自身なのだと感じました。
方向に変えるのも人なのかもしれません。そして、わたした
ル司教に会わなければ、違う人生だったでしょう。人を良い
助けてもらったマリウスは、コゼットと結こんしますが、
だと思います。
ジャン・バルジャンをごかいして遠ざけます。ジャン・バル
ジャンは、自分がマリウスの命を助けたことを口に出さずに
36
小学校五年の部
佳作
対象作品/堀米薫著﹃命のバトン
津波を生きぬいた奇跡の牛の物語﹄佼成出版社
みやのうDNAをつないだ高校生
弘前大学教育学部附属小学校
藤 鞠 里
斉
いつまでもその場からはなれられなかった。陽子さんたちも
歓声を上げていたと書かれていたので、やっぱり同じだなと
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起こった。その時、
わたしはいとこと将棋をしていた。何が起こったのか全く分
思っていると、先生がおどろくことを言った。
ん。人の役にたたなければ飼い続けることはできません。
﹁どんなにかわいいと思っても、家畜はペットではありませ
今年の夏、たくさんの本の中から、
﹁命のバトン﹂という
まり食用の肉になるのです。
﹂
乳牛は、五、六年で乳の量が減ります。その時で廃用、つ
からなかった。東北に津波が起こっていることも知らずに、
題名が目にとまった。頭の中には、動物が子どもを産んで子
ただ地震と停電におどろいていた。
孫を増やしていく話がうかんだ。でも表紙には﹁津波を生き
くした人たちのことを忘れてはいけないのに、と強く思い、
震災のことを忘れかけていることに気づいた。大切な人を亡
﹁だからこそ、きみたちは、牛を全力で愛しいっしょに働か
てきた。でも、その後に続けて先生は、
えっ、食用の肉になるって、ころしてしまうの? まだ元気
なのに、育てればいいのに、かわいそうだよ、と苦しくなっ
ぬいた奇跡の牛の物語﹂と書かれていた。わたしは、自分が
この本を読んで、一度しっかり考えようと決めた。
植物が大好きなんだろうなと思っていると、陽子さんたちが
んが主人公だ。農業高校を選ぶくらいだから、きっと動物や
れど、
﹁金魚を全力で愛して﹂と言われてもどうすれば金魚
た。前に金魚を飼っていたことがある。金魚は好きだったけ
と言っていた。正直、わたしにはあまり意味が分からなかっ
なければいけないのです!﹂
子牛と出会う場面がやってきた。わたしは、自分が、初めて
を愛せたことになるのかも分からない。何をすることが愛す
宮城県農業高等学校、通称﹁みやのう﹂に通う古木陽子さ
子牛を見た時のことが思いうかんだ。優しい目がかわいくて、
37
ることなのか、陽子さんは高校生活で、わたしは本を読みな
地震が起こった時も、陽子さんは真っ先に牛のことを考え
だって必死ににげてきたのだ。それなのに、牛を牛舎につな
な ど 考 え ら れ な い。 大 津 波 警 報 の 知 ら せ に、 陽 子 さ ん た ち
ていた。わたしなら、自分の命のことで精一杯で、牛のこと
入学してすぐに鶏の解体実習が行われた。生きている鶏の
いだまま来てしまったと心配していたのだ。津波は四階建て
がら、その答えを自力で探すことになった。
ぞくっとした。もし陽子さんの立場になったら、いくら言わ
中から一羽を選び、解体するというのだ。読んでいるだけで
なっていくんだ。わたしたちはほかの生き物の命をもらって
でロックを外していた。牛をにがした直後に牛舎は水にのま
波が来ることを知りながら牛舎にむかい、ぎりぎりのところ
れないほどだ。さらに、陽子さんから話を聞いた先生は、津
の校舎の三階までおしよせ、生徒たちは屋上の上に設置され
生きているんだなと改めて感じた。陽子さんもその時から、
れ、先生方は高台の鉄骨にしがみついて波がひけるのを待っ
れてもできない、育ててきた鶏を殺すなんて絶対にしたくな
命と関わる勉強をしていこう。全力で家畜を愛していっしょ
たと書かれたいた。どんな時でも牛のことをわすれなかった
た貯水タンクによじのぼっていたと書かれていた。どんなに
に働くんだ!と決意する。それからの陽子さんは、毎日牛舎
陽子さんも、きけんだとわかっていても牛を助けに行った先
こわかっただろう、心細かっただろう、想像しても想像しき
へ行き、牛の世話を続ける。家畜を育てるのに土日くらいは、
生もすごい。これが全力で愛するということなのか。全力っ
業を続けた。生き物は、こうやってわたしたちの食べものに
とか、一日くらい休んでも・・・なんて気持ちは通用しない。
て命がけなんだ。陽子さんは、まだ高校生なのに、牛のこと
い。でも、陽子さんは鶏に手を合わせてあやまりながら、作
生き物の命をあずかるって大変なことだと、わたしにも少し
を真っ先に思えるなんてすごいと思った。
ずつわかってきた。
高校二年生三月の始め、陽子さんは﹁共進会﹂出場を決め
町に牛がいるという連絡だ。みやのうDNAを持った牛が生
何もかも失った陽子さんたちに、うれしい知らせがあった。
きのびていたのだ。しかも、町の人はペットのえさを牛に食
ていた。
﹁共進会﹂とは、酪農家や農業高校の生徒などが牛
と共に出場し、牛の体型の美しさや能力の高さを競う大会だ。
べさせ、世話をしていてくれていたと書かれていた。自分た
ちが生きていくのでもやっとな時に、牛にえさをやってくれ
を、代々大切に守り、これまでの先輩たちも出場してきたの
たなんて、その優しさにわたしはおどろいてしまった。中に
﹁ み や の う ﹂ で 生 ま れ 育 っ た み や の うD N A を 受 け つ い だ 牛
応えんしていた。
だという。やる気いっぱいの陽子さんを、わたしの心の中で
38
通い﹁共進会﹂の練習を行った。平日の分を取り返すように
に牛をあずけ、通って世話をした。さらに土日も牛のもとに
は、一生けん命、牛を守り続けた。同じ宮城県内の農業高校
てと思ったにちがいない。でも、
﹁みやのう﹂の先生と生徒
よりも・・・と思っただろう。牛を助けるよりも家族を助け
わたしがそこに住んでいて、家族を失っていたら、きっと牛
は牛よりも人間の方が大事だという話もあったそうだ。もし
の心に残っている。
とも知った。牛を全力で愛する陽子さんの生き方が、わたし
は、自分も全力で、命がけでなくてはならないのだというこ
のだということ、そして、生き物の命をあずかるということ
する強い気持ちが、みやのうDNAの命のバトンをつないだ
さや優しさを教えてくれた。陽子さんたちの、牛を全力で愛
の本は、わたしに、苦しさや悲しさを乗りこえる、人間の強
震災のつらさをわすれてはいけないと思って読み始めたこ
対象作品/今西乃子著﹃国境をこえた子どもたち
国際養子縁組の家族﹄あかね書房
がんばったみやのうの牛は、見事に入賞を果たした。震災か
佳作
ら三ヶ月後の六月のことだ。
小学校五年の部
国や人種をこえて家族になった子どもたち
この本と出会ったとき、ぼくは国際養子縁組という言葉に
際養子縁組というものと何か関係があるのだろうか、そう思
した。なぜみんなはだの色がちがうのだろう、もしかして国
ん中にいる女の子は、ぼくたち日本人とはだの色が似ていま
弘前市立第三大成小学校
海 雄一郎
鳴
表紙には一組の家族の写真がありました。でも何かが少しち
ひかれました。全く聞いたことのない言葉だったからです。
い、ぼくは夏休みにこの本を読むことにしました。
養子をとるという考えを持っていました。作者も同じだった
ぼくは始め、自分たちの子どもができないから、外国から
がうような気がしました。なぜなら左側に立っている男の子
と女の子は、白人のお父さんやお母さんとちがい黒人で、右
側に立っている女の子は、お父さんお母さんと同じ白人、真
39
この本に出てくるリスティマキ夫妻には血のつながった子ど
そうです。しかし、それは全く事実とかけはなれていました。
き、アジアからやってきた子どもへの思いも変わるのでは
﹁とつぜん自分のおなかに血のつながった子どもができたと
かに長女ネッタができました。作者は、夫人に、
き、リスティマキ夫人がつとめている国際養子縁組協会へと
作者は、リスティマキ夫妻が住んでいるフィンランドへ行
夫人は、
は、差別してしまうのではないかと思ったからです。しかし、
れ、国境こえてはるばるやってきた肌の色がちがう子どもで
ちの間に産まれた血のつながった子どもと、他人の間に産ま
とたずねていました。ぼくもその通りだと思います。自分た
ないのでしょうか。
﹂
も、長女ネッタがいるのです。どうして、子どもがいるのに
三人もの養子をとったのか、一ページ一ページを読んでいく
向かいました。ここでは、国際養子縁組をした女の人達が働
﹁産むことではなく、育てることを大切に考える人こそが、
のが楽しくなっていきました。
いています。応接室にはアフリカ、東南アジア、南アメリカ
がうところは、産んだか、産まないかだけのちがいだけで
などのまずしい国でほごされた子どもや、戦争や飢きんなど
養子をとったのか話し始めました。ぼくが一番知りたかった
しょう? ﹃我が子﹄とは、産んだ子どものことではなく、
﹃育てた子ども﹄のことです。
﹂
が産んだ子どもではないけど育てた子どもです。二人のち
ことだったのでぼくはその話しに聞き入りました。
と、おっしゃったそうです。ぼくはその言葉に心を打たれま
国境をこえて家族を受け入れることができるの。ミロは私
二十年前、リスティマキ夫妻の間には始め子どもができな
です。夫人は、仕事が終わってから、家にまねきいれ、なぜ、
かったそうです。でもどうしても、どうしても子どもがほし
した。産んだ子どもではなくても育てた子どもそれが我が子
でどうしても育たないような子ども達がやってきているそう
くて、国際養子縁組を申し出ました。でも当時は、フィンラ
国際養子縁組は、どこの国の子どもや、男の子、女の子が
だと思えるなんて、信じられません。でも、育てて、大切に
ほしいという特定はできないようになっていて、どこの国の
思っていれば、我が子になっていくのだなとわかりました。
ち続けるなんて、夫妻の子どもがほしいという気持ちがとて
どんな子が来るかは、わかれば、子どもを産むとき、性別を
ため、長男ミロが来るのに六年もかかりました。六年間も待
も強かったのだろうと思いました。そして、子どもというも
決めて産むことはできないし、五体不満足な子どもが産まれ
ンドでも、現在ほど国際養子縁組がみとめられていなかった
思いました。その一年後、今度は、リスティマキ夫人のおな
のは、親にとってとても大切な、とても大きなものなんだと
40
てくるかもしれません。国際養子縁組の子どもたちもそれと
ました。ぼくなら、つらくてそんな所にいたくありません。
いたので、いじめっ子たちにむかって、
ちがっていても、地球上では何も特別ではないことも知って
のことをビデオや絵本で見て知っていて、みんなと肌の色が
でいじめを受けました。でもミロは小さいころから、インド
人に分けることはしないでしょう。でも、カルカッタの子ど
きっと自分だけで食べてしまうと思います。わずかな分から
なかをすかせていて、ほんの少しの食べ物を手に入れたら、
ているのです。もしぼくがカルカッタの子どもで、いつもお
け合って食べるのだそうです。たとえ知らない人でも、分け
カルカッタの子どもたちは、どんなに少ない食べ物でも、分
しかし、そんなぼくに、さらにおどろく話がありました。
読んでいるだけでもつらくなってきました。
﹁地球レベルで考えろ。
﹂
長男ミロは、始め、肌の色が一人だけちがったため、学校
同じことなのだそうです。
と言ってやったそうです。地球レベルで考えれば、言葉や肌
幸せとは、お金持ちなことでも、顔がいいことでもありませ
もたちはちがいます。どんなに少なくても分けるのです。助
ん。一生けん命に生きること、人を思いやる気持ちをもって
け合わなければ生きていけないことを知っているからです。
作者は日本へ帰国後、ミロの生まれ故郷、インドをおとず
生きることが、本当の幸せなのだそうです。そしてそれが心
その言葉に感心してしまいました。
れます。インドのカルカッタには、ストリートチルドレンと
の色がちがっていても不思議なことではありません。ぼくも、
言って、びんぼうで家に住むこともできず、食べものも買え
分け合うカルカッタの子どもたちは心が育っていて、本当は
幸せなのかもしれません。そしてその心がある町だからこそ、
を育てることにもつながるのだそうです。まずしくても人と
ミロはほこりに思っていたのでしょう。
ないので、路上で物ごいをしてくらしている子がたくさんい
まれたことをほこりに思っているようなのです。起き上がれ
るそうです。とてもまずしい町なのに、ミロは、その町に生
ないほど元気の無い子どもや、日本人を見ると、
えました。ぼくも本当の幸せを感じられる人になっていきた
育てた子を思う親心や思いやりの心、本当の幸せについて考
リスティマキ家の両親やミロの話、カルカッタの話から、
と集まって来る子など、ぼくには信じられない光景ばかりで
いです。
﹁おじさんお金ちょうだい。
﹂
てこんな所をほこりに思うのか、さっぱりわからないと思い
す。ごみをあさったり、ボロボロの服を着ていたり、どうし
41
小学校五年の部
佳作
仲間という大きな存在
対象作品/はやみねかおる著﹃復活! 虹北学園文芸部﹄講談社
頼できる仲間を集めて、夢を実現していく中学一年生の女の
みなさんには、信頼できる仲間がいますか。この本は、信
なったりもするけど、また仲直りする。だっておなじ文芸
批評会をする。時にはきびしいやりとりもあり、ケンカに
あがった作品を部誌にする。おたがいの作品を読み合い、
弘前市立千年小学校
中
田
希
望
子の物語です。
部の仲間なんだもん。ああ、青春! というようなのが、
わたしの理想の文芸部だ。
﹄
この本の主人公マインは、とてもがんばりやで、わたしも
そん敬してしまう人物です。そのマインには、あおいという、
小説を書くことへの情熱と同じことを夢みる仲間との関わ
文芸部を作らなくてはなりませんでした。この場面のマイン
の安達先生たちが支えて協力してくれたおかげで、仲間を増
れないと思います。マインだって、親友のあおいや生活指導
もしわたしが自分一人だとしたら、文芸部の仲間を集めき
が、わたしにとって楽しい読み方です。
なことなのにそれが現実になるかもしれないと考えて読むの
り合いが、マインにとって大切なのだと思います。夢のよう
小さいころからの友達がいて、二人の仲よしはだれにも負け
ないくらいでした。信頼できる一番の仲間だと思います。
マインには虹北学園の文芸部に入るという夢がありました。
の気持ちを考えてみると、ひとつのことに集中できているな
ところが、文芸部がなくなっていたことを入学してから知り、
と思います。自分が何をしたいのか、自分の心をきちんと理
やしていけたのだと思います。
気になります。マインの明るい笑顔は周囲にパワーをくれる
この本の表紙にある、マインの笑顔を見ると、とっても元
解していることがわかります。でも、どうしてそんなに文芸
のです。
部に入らなければならないのかがよくわかりません。本文の
﹃小説を書くのが好きな仲間が集まってみんなで書く。でき
中に、その気持ちがわかるヒントがありました。
42
と落ち込んだと思います。わたしだとしても、自信があった
上げた方が勝ち︶をしたとき、負けとわかったマインはきっ
紗弥加が、小説を書いてとても生き生きしているので、心の
で入部したと思いました。いつもはまじめであまり笑わない
小説のうまさを認められ、おじさんを喜ばせたいという思い
書く人間としてそんけいする存在でした。そのおじさんから、
んのえいきょうです。おじさんのことを一番好きで、小説を
分落ち込み方が大きかったと思います。立ち直れないかもし
文芸部にさそう相手と百m レース︵百枚の小説を早く書き
れません。でも、マインには文芸部が本当に必要で小さなこ
小説の中のすぐれた文が光って見える、マインたちは、書
中をのぞいたような感じがしました。
と思います。そして、あきらめずに最後までやる、そのこと
ろからの夢だったからこそ、簡単にはあきらめられないのだ
いると思います。原稿が光って見えるなんて信じられません
いた小説に自信がもてていて目標や夢などにつなげていって
とちゅうまで読んだとき、わたしはこの物語の結末を予想
が、マインのいいところの一つなんだと思います。
わたしは小説を書いたことはないけれど、いつか書いてみ
が、きっと文芸部の仲間たちには見えるんだろうなと思い、
たいと思っています。自分との戦いのときに、文芸部があれ
こうふんしています。
加、花子、宇亜さんの四人が集まり、最後の一人となりまし
ば心強いと思います。
しました。その予想は、文芸部を作りたい五人が集まって、
た。ところが、五人目はマインたちが空想で作った人物、吉
さっそく小説を書き始めるということでした。マイン、紗弥
野美久に決まったのです。
書いているとちゅうは、わたしが考えて空想の人物を作り
世界を創っているということになります。わたしが世界を創
マインたちはとてもおもしろいことをするなと思いました。
空想の人物がメンバーの一人だなんて、すごいちょう戦をす
﹁小説を書くってことは世界を創造するってことなの。つま
る神様になるということです。
もう一つの予想外のできごとは、百m レースで勝ったから
るなと思いました。心の中でくすくす笑ってしまいました。
り神様になれるのよ。
﹂
と、マインの従姉妹のお姉さんも言っていましたが、まさに
入部しなくていいはずの紗弥加が、入部してくれたことです。
ふつうならおたがいの健闘をたたえ合い、仲よくなるのが決
ぴったりと思います。
最初はそんなにいい本だとは思えませんでした。でも、読み
わたしはこの本に出会えて、本当によかったと思います。
まりのパターンです。決まりのパターンがきらいな紗弥加が
なぜ入部したのか考えてみました。
紗弥加が小説を書くきっかけとなったのは紗弥加のおじさ
43
始めたらなんでもっと早く見つけなかったんだろうと一人で
お る 先 生 で す。 は や み ね 先 生 は、 こ ん な に す て き な 小 説 を
対象作品/梨屋アリエ著﹃ココロ屋﹄文研出版
さ、仲間という大きな存在のことを教えてくださいました。
作った天才です。それに、わたしにあきらめないことの大切
佳作
今、わたしの中で一番そんけいしているのは、はやみねか
喜んでいるときもありました。
小学校五年の部
﹃ココロ屋﹄
ばいかえしにくる足音が聞こえました。早くけらないと、取
弘前市立第三大成小学校
建
部
陽
斗
この本に出てくるココロ屋では、自分の心をどんな心にで
きました。その時、
ボールは、ゴールとはまったくちがう三大山の方へとんでい
﹁どこにけってんだ。
﹂
ら れ て し ま う と 思 い ボ ー ル を 思 い き り け り ま し た。 す る と
自分の心を強いココロととりかえたいです。強いココロはな
も 自 由 に と り か え る こ と が で き ま す。 こ ん な お 店 が 本 当 に
んでもできるという感じがするからです。ぼくの心を取り出
と声が聞こえました。それだけで、ぼくの心は悲しくなりま
あったらいいのになと思いました。もしあったら、ぼくは、
してみると、きっと弱いココロと書いてあるのではないかと
チャンスだったのにむだにしてしまった、チームのみんなに
もめいわくをかけてしまった、となってしまいます。遊びの
し た。 ど う し て あ ん な と こ ろ に ボ ー ル が い っ た ん だ ろ う、
ことなのに、ちょっとしたことですぐ気にしてしまうので、
思いました。なぜなら、つらいことがあったら、すぐ泣きそ
例えば昼休み、サッカーをした時のことです。と中までぼ
うになるからです。
くたちのチームが負けていました。みんなで逆転するぞとい
それから休みの日のことです。ぼくはお母さんに宿題をや
こんな弱いココロがいやだなと自分でも思います。
すことができました。ゴールのそばまでいくとうしろからう
う気持ちでもりあがっていた時、相手のボールをうばいかえ
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らしいココロだと思っていました。でも実際は、やさしすぎ
くは、ココロがとりかえられるのはいいものだと思っていま
るせいで、言いたいことが言えずに、いやなことをがまんし
りなさいと言われました。でも苦手な宿題があるのでむずか
と言われました。ぼくは、急いでやろうとしましたが何にも
なくちゃいけないことや、やさしすぎたせいで人をおこらせ
した。でも、ちょっとちがっていました。ココロ屋でとりか
進みませんでした。時間がたっても少しもえんぴつが進みま
て、きらわれてしまうこともあるとわかっておどろきました。
えた﹁やさしいココロ﹂は、みんなにやさしくできて、すば
せんでした。すると今度は、お父さんが来て、
主人公のひろきは、休み時間、遊ぼうといろんな子に言われ
お母さんに、さっきより大きい声で宿題を急いでやりなさい
﹁こんなに時間をかけてもまだこれしかやっていないのか。
﹂
て、一人一人と約束したら、
しくていやだと思い、弟と他のことをしていました。すると
﹁ただ長く時間をかけるのが努力じゃないぞ。本気で宿題に
﹁ひろきくんはうそつきだ。
﹂
﹁ぼくと約束したじゃないか。
﹂
と、とても大きい声で言われびっくりしました。そして、
向かっているのか。にげてないで、今やりなさい。
﹂
﹁いやなやつ。ひろきぬきで遊ぼうぜ。
﹂
ときびしい声で言われました。ぼくは、こわいなあ、つらい
な、ぼくだって早く終わらせたいのにと思って、なんだか泣
と言われてしまい、一人ぼっちになってしまいました。給食
﹁ひろきはやさしくなったんだろう。プリンをくれ。
﹂
の時間には、
﹁すのものはきらいだから食べてね。
﹂
﹁泣いてないで早く書きなさい。
﹂
とお母さんにも言われてしまいました。ぼくの弱いココロは、
きそうになりました。そしてさらに
いやなこと、つらいことがあったらそれをさけようとしたり、
げる。
﹂
﹁ぼくのすのものもあげるよ。かわりにメンチカツ食べてあ
てしまいました。やさしいココロも、きょくたんだと、自分
と言われ、おぼんの上が、ひろきのきらいなものだけになっ
だからもし、ココロ屋で強いココロにとりかえることがで
すぐ泣きそうになってしまいます。
きたら、何でものりこえられる人間になれると思ったからで
ひろきは最後に自分のココロをとりもどします。天然のコ
まうとわかってなっとくしました。
の気持ちがすなおに伝えられなくていやな気持ちになってし
す。
この話では、主人公が﹁やさしいココロ﹂
、
﹁すなおなココ
ロ﹂
、
﹁あたたかいココロ﹂と次々にココロをとりかえていき
ます。はじめに、
﹁やさしいココロ﹂ととりかえました。ぼ
45
コロが一番よいとわかったからです。ココロ屋のココロは、
だれにでもあいさつをしたり、一人ぼっちの子がいたらなか
の コ コ ロ が 入 っ て い る と 思 い ま す。 そ れ は、 作 り だ さ れ た
ぼくのココロにも、きっとごちゃごちゃとたくさんの種類
まはずれにしないでみんなで遊んだりしたいです。
きょくたんなココロよりもとても良いものなんだと思います。
いろなココロがまざっていて、変化したり成長したりしてい
もうそのままで、変化しません。でも天然のココロは、いろ
けるものです。しかも、たくさんの色や形がまざった、たっ
ぼくのココロには﹁やさしいココロ﹂も﹁勇気のココロ﹂も
たひとつのユニークなものです。
この本を読んでぼくも少し自信が出てきました。ぼくは自
ココロもきっとあると思います。
今 は ま だ ぼ く の 中 で﹁ 弱 い コ コ ロ ﹂ が 大 き く て、 き っ と
﹁おもしろいココロ﹂も自分ではまだわからないそのほかの
﹁ 勇 気 の コ コ ロ ﹂ や﹁ や さ し い コ コ ロ ﹂ は ま だ 小 さ い だ け な
それはほんの一部分の心で他にも、
﹁勇気がある心﹂
、
﹁おも
自分から遊ぼうと声をかけたり、だれかがこまっていたら助
しろい心﹂
、
﹁いじわるな心﹂もあるかもしれない。だから、
ココロも自分で少しずつ成長させていきたいと思います。そ
んだと、この本を読んで気づきました。だからそんな小さな
分の心は、弱いとひとつだけのものだと思っていたけれど、
勇 気 の 心 を 育 て て い き た い と 思 い ま す。 他 に も﹁ や さ し い
して、強くてやさしくて勇気のある人間になりたいと思いま
けてあげたり、みんなの前でも発表したりして、まだ小さな
す。
対象作品/片田敏孝著﹃みんなを守るいのちの授業︱大つなみと釜石の子どもたち﹄日本放送出版協会
りが大きい荷物も持っていたら、いっしょに持ってあげたり、
佳作
心﹂
、
﹁元気な心﹂があるかもしれません。だから、おとしよ
小学校五年の部
﹃みんなを守るいのちの授業﹄
の本当の話をもとに書いていたので、興味があったからです。
弘前市立第三大成小学校
一
戸
啓
吾
ぼくがなぜこの本を読んだかというと、ぼくが二年生の時
46
東日本大震災では、大勢の人々の命がうばわれました。日
立っていられないほどの横ゆれが生徒たちをおそいました。
かま石市も、大きな被害があった地域でしたが、子どもた
一 階 に い た 三 年 生 の あ る 生 徒 は ひ な ん 口 を 確 保 し よ う と、
ち の が ん ば り が 本 に の っ て い ま し た。 地 し ん の あ っ た 時、
とっさにまどを開け、机の下にもぐりこみました。すぐ先生
本だけでなく、世界中の人々が悲しい思いをしました。町は
りました。しかし、このすさまじい被災の現場において、見
一しゅんにして津波にのまれ、人・家それらすべてを流し去
事な対応によって、多くの子どもたちの命が救われた地域が
防災教育に取り組んできました。その結果、子どもたちは教
しょうか。小学生の手をひいてにげる中学生のすがたも、目
した。ぼくがその場にいたら、とっさに動くことができたで
なんする﹂と教えられていたのです。ぼくはすごいと思いま
このとき校庭に出た生徒たちは﹁地しんがきたらすぐにひ
が﹁にげろ﹂とさけびみんな非常階段をおりてきました。
えられた以上の行動をとることで、おそってきた巨大津波か
立ったといいます。ぼくがその場にいても下の子のめんどう
かま石市は、津波におそわれる事を想定して学校での津波
ありました。岩手県かま石市です。
ら無事に生き残りました。かま石の子どもたちは無事に生き
三、率先ひなん者になる
二、どんなときでも最ぜんをつくす
一、想定を信じるな!
です。
かま石には生きのびるための﹁ひなん三原則﹂があるそう
でせいいっぱいだったと思うのです。
を見たかというと自信がありません。きっと自分がにげるの
残ることで未来の人々に希望をあたえたのです。
ぼくは、その地しんの日、家で家族とゆっくりしていまし
た。その時、急に強いゆれがあって蛍光灯を見るとゆれてい
るのがわかりました。ゆれが強かったけれど、ミニバスの部
活動があったので小学校に行くと、
だと言われもどってきました。家につくと電気が全て止まっ
﹁中止。
﹂
ていて、いつもあたりまえのように見ていたテレビもうつり
ぼくたちの学校のひなん訓練では、
一、おしゃべりしない
三、しゃべらない
二、走らない
電気がつかないことは、すごく大変なことだと、あの時の
ませんでした。
だいい方で、電気がついてテレビをつけてみると、他の地域
四、もどらない
不便さを今でも思い出します。ぼくの住んでいるところはま
のあまりにも大きい被害におどろいたきおくがあります。
47
だと思いました。
がきまりなので、ずい分ちがうと思いました。でも、かま石
持ちは持っていませんでした。ですから、東日本大震災で、
なっているとは思っていませんでしたが、自然をおそれる気
と 書 い て あ り ま し た。 ぼ く は、 自 然 が 人 間 の 思 う と お り に
たちは、ひなん所での生活がおちついてくると、だれに指示
らします。でも、ぼくたちは、その災害と上手につきあって
切な自然は、ときとして大切な人間の命をうばう災害をもた
れば、きっと人間は生きられないでしょう。しかし、その大
自然は、わたしたちに食をあたえてくれます。自然がなけ
自然が本当にこわいものなのだとわかりました。
の三つは、ぼくたちも頭に入れておかなければならないこと
かま石東中学校の生徒は、ひなん所でも教えられたとおり、
されるわけでもなく毎朝、自分たちからひなん所の清掃をは
﹁助ける人﹂としての役割をしっかりとはたしました。生徒
じ め ま し た。 そ の 活 動 を 見 た 他 の ひ な ん 住 民 も 生 徒 た ち と
持って行動できる人間にならなければならないことを学びま
な ら な い こ と、 そ し て 困 難 か ら 生 き の び る 力、 生 き る 力 を
ぼくは、この本を読んで、自分の命は自分で守らなければ
いかなければなりません。
した。
﹁ひなん三原則﹂もわすれずに、生きのびる力を身に
東日本大震災の前までは、多くの日本人は災害に対して受
いっしょに清掃をはじめるようになったそうです。
た。でも、ぼくたちは千年に一度あるかないかという自然災
け身となり、指示がないと行動できないようになっていまし
つけていきたいです。
対象作品/米倉斉加年著﹃おとなになれなかった弟たちに・・・﹄偕成社
害におそわれました。そして多大な犠牲をはらい、自然に対
佳作
しておごってはいけないんだということを、教えられたのだ
小学校五年の部
戦争から生まれるもの ∼﹃大人になれなかった弟たちに﹄∼
いっぱいになった。なぜ、人間は、戦争をしたのだろう。そ
弘前市立東目屋小学校
館
山
京
こ の 本 を 読 み 終 わ っ た 時、 わ た し の 心 の 中 は、 悲 し み で
48
して、今でも戦争をしようとする人々があとをたたないのだ
に乗り、病院に出かけるなんてとうていできない。今のわた
しいお兄ちゃんだった。わたしなんか、毎日弟を連れてバス
くが、今のわたしたちの生活では考えられないものまで食べ
たしのおじいさんやおばあさんから戦争のころの話を時々聞
かにこの時代は今とはちがって食べ物に不自由していた。わ
んで飲んだことが、今でもわたしの頭からはなれない。たし
になってしまった。だから、いつまでたっても、お兄ちゃん
まった。わたしは、お兄ちゃんにうら切られたような気持ち
ずかな食べ物さえも盗みとってしまう悲しい人間になってし
ら言われていたのにもかかわらず、ヒロユキの命をつなぐわ
それなのに、自分の空腹をみたすだけのために、お母さんか
んなお姉ちゃんになりたいと願った理想のお兄ちゃんだった。
しには無理かもしれないが、
﹁ぼく﹂は、将来、わたしもこ
ていたそうだ。たとえば、ざっ草に塩をつけて食べたり、木
主人公のお兄ちゃんが、弟のヒロユキの大切なミルクを盗
ろうか。
をくりぬいてその中に塩を入れ、ピンク色になってからなめ
がやったことをゆるすことができなかったのだと思う。
それが原因で弟達が栄養失調で死んでしまったとする。きっ
達の食べ物を盗んだとしたらどうなるのだろうか。そして、
もし、わたしがお兄ちゃんのように、何か理由があって弟
たりする等。そうまでして生きていくためにそんな物まで食
かったと思う。だから、まだ小さいヒロユキにとって、オチ
とわたしの心の中には、すまないという思いが広がるだろう。
べなくてはならなかったその時代。つらかったと思う。悲し
ず、またどんなに悪いことかわかっていたのにもかかわらず
チやオモユといったものしか食べる物がないのにもかかわら
の 思 い が 消 え な か っ た よ う だ っ た。 弟 思 い の や さ し い お 兄
クを盗み飲みしたせいだとなやんでいた。大人になってもそ
まった。お兄ちゃんは、ヒロユキの死は、自分が何度もミル
い く こ と に な る の だ ろ う。 そ う 考 え る と、 つ ら く な っ て し
心の中に、お兄ちゃんをゆるす気持ちが芽生えてこないのだ。
できなかったのだろう。しかし、いつまでたってもわたしの
ちゃんを変えてしまった戦争の悲しさやおそろしさが、戦争
また、一生自分のやったことが頭からはなれないまま生きて
わたしにも弟が二人いる。話の始めのころのお兄ちゃんは、
を体験したことのないわたしの体全体に、強く強く伝わって
ミルクを何回も飲んでしまったお兄ちゃんの気持ちもわかる。
わたしがまねできないくらいの、弟思いのお兄ちゃんだった。
くるような気がしてならない。
お兄ちゃんも食べる物が十分になく、おなかがすいてがまん
ヒロユキをおんぶして川に遊びに行ったり、ヒロユキが病気
栄養失調で死んだヒロユキの小さな体を小さな棺に入れる
に な っ て か ら は、 そ 母 に 用 意 し て も ら っ た マ キ と 食 べ 物 を
持って毎日町の病院に行ったりして、とてもやさしいすばら
49
ことになった。ところが、ヒロユキの体は小さな棺より大き
兄ちゃんのせいではない。戦争という時代がヒロユキを死な
今も世界のあちらこちらで人々は争い、時には武器を使っ
せたのだと。
時、初めてお母さんは泣いた。
く、体を折り曲げなければ入れることができなかった。その
さんを心の強い人だと思っていたからだ。お母さんは、どん
でなく、多くの日本人も苦しめた。そして、戦争により、自
しない。日本が始めた太平洋戦争は、いろんな国の人々だけ
戦争は無意味だ。戦争をしたからといって何も問題は解決
て大切な命をうばっている。一歩間違えば、戦争になりかね
な に 食 べ る 物 が な く て も、 親 せ き の 人 に 引 っ こ し の 相 談 に
分の大切な家族や友人がたくさん死んでいった。悲しいこと
ない争いもニュースで流れている。
行 っ て 断 ら れ て も あ き ら め ず、 家 族 を 守 ろ う と 必 死 に が ん
に、戦争が起こると、子ども、老人、女の人といった弱い人
﹁大きくなっていたんだね。
﹂
ばっていた。お兄ちゃんも、そういうお母さんの姿を美しい
間からうえて死んでいくのである。戦争から生まれるものは
と言いながら。わたしは、おどろいた。なぜなら、このお母
と感じていた。お母さんはヒロユキの死をどう思い、どのよ
苦しみだけだ。それは、昔の日本人が戦争を経験したからこ
そ、現代に生きるわたしたちが言えることである。ヒロユキ
の間にか成長していたことへのうれしさと、小さな命を守っ
のように、戦争がなければ生きることができた命があったと
うな気持ちで泣きながらあの言葉を言ったのだろうか。いつ
中は、せつない気持ちでいっぱいになった。
てはならない。
いうことを、これから大人になっていくわたしたちはわすれ
てあげられなかった悲しさだったのだろうか。わたしの心の
もし、ここでお母さんが、お兄ちゃんがヒロユキのミルク
を盗み飲みしていたことを知ったらどうなっただろう。わた
しは、きっとお母さんはこう言うと思う。ヒロユキの死はお
50
小学校六年の部
第一席
障害は不幸ではではないんだ
対象作品/乙武洋匡著﹃五体不満足﹄講談社
を楽しく過ごしています。
なんて考えたことがありません。それなのに乙武さんは毎日
弘前市立第三大成小学校
大 羅
佐々木
サッカーでうまくプレイできない時、ぼくは母によくこんな
﹁障害は不便です。不幸ではありません。
﹂
帯紙には、
﹁何でもっと足の速い子どもに生んでくれなかったの。
﹂
ことを言っていました。
﹁五体満足で生まれてきたんだからありがたいと思いなさ
と書いてありました。乙武さんはどんな人なのだろう。ぼく
﹁感動は求めません。参考にしてほしいのです。
﹂
は、読んでみたい気持ちはがとても強くなってきました。
い。
﹂
ある日、母は一冊の本をわたしてくれました。これが、ぼく
と言ったのです。障害をもって生まれたのに、ショックを受
﹁かわいい。うれしい。
﹂
ではなく、
した。両手両足のないわが子に初めて会った時、
﹁悲しい﹂
読んでいくと、乙武さんのお母さんはすごい人だと思いま
がこの本を読むことになったきっかけです。
﹁五体満足﹂と
ました。
いう言葉もよくわかりませんでしたが、読んでみることにし
表紙を見て、正直驚きました。青いシャツを着て、電動の
けず、喜びの気持ちをもてることがすごいと思いました。乙
車いすの上に乗って笑っている写真。よく見ると青いシャツ
笑顔で笑っているのです。とても堂々としているように見え
から両うでが出ていないし、両足も見えません。それなのに
足を交ごに動かして自分で歩くこともできるのです。
書くことも、ハサミを使って紙を切ることもできます。短い
武さんは、えん筆をほっぺたと短いうでの間にはさんで字を
乙武さんは、生まれつき手と足がない先天性四肢切断とい
ました。
う障害をもって生まれてきました。ぼくは手と足のない生活
51
武さんとどうかかわっていったのかというところです。乙武
学校と成長していく中で、両親や先生、クラスの友だちが乙
ぼくがとても興味があったところは、幼稚園、小学校、中
のどこかに障害をもっていたら、毎日プラスで考えることは
ことを特徴ではなく、特長と言っています。ふつうなら、体
乙武さんが小さいころから言っていた言葉です。手足がない
この本を読んで、自分のなやんでいることは小さいことな
難 し い こ と だ と 思 い ま す。
﹁ 手 足 が な い か ら ぼ く な ん だ。
﹂
んだなと感じました。ぼくには手もあるし足もあります。大
﹁誰もぼくになることはできない。
﹂と言える乙武さんの考え
えを曲げませんでした。中学校に入ってからは、バスケット
好きなサッカーもしています。今、自分に足りないところは
さんを障害者としてあつかわず、一人の人間として接してい
ボール部に入部します。乙武さんは、試合にも出ています。
一生けん命努力して、短所を長所に変えていこうと思いまし
たところです。小学校の時の先生は、電動いすを学校内で許
ぼくはとてもおどろきました。障害者だからといって甘やか
た。ぼくが今まで大きな病気をしないでこれたことを両親に
方はすごいと思います。そして乙武さんはとても心の強い人
すことなく、大人になった時に自分一人の力でできるように
感謝して、乙武さんのように勇気をもってあきらめずに、何
可なく使用することを禁じました。成長期である小学生の時
と、手伝ってあげたくても見守ってきたことに感動しました。
事にもチャレンジしていきたいです。自分にほこりをもって
だと思いました。障害という高いかべを乗りこえて、どんな
もしぼくなら、障害のある子が身近にいたら、かわいそうだ
生 き て い け る よ う に な り た い と 思 い ま し た。 そ し て、 町 で
ことにも立ち向かっていく勇気がある人だと思います。
とか、不幸な人だとか、思ってしまうかもしれません。
と考えたからです。反対意見も出たけれど、先生は自分の考
﹁自分にしかできないことがある。
﹂
困っている人を見かけたら、手助けしたいと思いました。
に、車いすばかりにたよっていると、筋力もきたえられない
﹁誰にも負けないものがひとつある。
﹂
52
小学校六年の部
第二席 対象作品/益川敏英著﹃益川博士のロマンあふれる特別授業∼子どもたちに伝えておきたいこと∼﹄朝日新聞社
益川博士は、二〇〇八年、ノーベル物理学賞を受賞しまし
興味をひかれました。
弘前大学教育学部附属小学校
田 真理恵
千
英語をふだんから
父はよく、
﹁英語は将来使うから、勉強した方がいいよ。
﹂
は英語が大の苦手なので、ノーベル賞受賞記念の講演スピー
た。この本の中に英語について書かれていました。益川博士
私は、オーストラリア生まれです。生まれてから三年間住
と言います。ですが、私は英語が苦手です。
私は、益川博士が英語が大の苦手だとは思いもよらず、意
チ を 日 本 語 で し た そ う で す。 中 学 生 の こ ろ か ら 英 語 が﹁ 天
外だなと思いました。ノーベル賞はすごい賞なので、英語も
ん で い ま し た。 父 も 母 も 英 語 を 話 せ ま す。 そ れ に、 仕 事 で
ふつうにできると思ったからです。と同時に、もしかしたら
敵﹂だったそうで、英語の授業は、数学や理科の本を読んだ
英語を忘れ、ごく一部しか覚えていません。現在は、学校で
ほとんど英語が話せませんでした。さらに、日本に来てから
ノーベル賞がとれたのは、数学や理科が好きだったからかな
り、問題を解いたりしていました、
週に一度勉強しているだけです。父も母も忙しいので、教え
と思いました。そして、私が本が好きなように、英語を好き
使っています。そのことがわかっているので、父が言うこと
てもらえる時間が少ないです。自分で勉強しようと思っても、
になれば、苦手から得意に変われるのではないかなと思えて
は理解しています。しかし、三年間、外国にいたのに、私は
で、なかなかできません。
﹁英語ができたほうが、世界もぐんと広がります。ぼくのよ
そして最後に、益川博士はこんなことを書いていました。
きました。
他の教科の勉強をしたり、大好きな読書をしたりしているの
そんな時に、移動図書館で見つけました。
﹃益川博士のロマンあふれる特別授業﹄という本です。表
紙に﹁子どもたちに、伝えておきたいこと﹂と書かれていて、
53
うにならないためにも、みなさんにはきっちりと勉強して
が深まっていくことが、
﹁世界もぐんと広がる﹂ことだと私
立ったり、助けてもらったりと、ちがう国の人々との関わり
は考えました。
もらいたいですね。
﹂
そこを読んで、ディズニーランドに行った時のことを思い出
うことになるからだろうとずっと思っていましたが、見方が
父が言ったことの意味は、ただ単に将来、英語を自分が使
受けつけでお金をはらっている時、外国人の家族が英語で
しました。
変わりました。自分が使うだけではなく、相手との関係を築
英語を得意にするには、好きになることなら、自分から父
話 し て い ま し た。 受 け つ け の 人 が、 あ ま り 意 味 が わ か ら ず
や母に英語を聞いたり、英語のCDをかけるなどして、英語
くためだということも、英語を勉強する理由の一つだと私は
英語が出来ると、母のように、日本に来た外国人を助ける
に興味をもち、得意にするようにしたいです。そして将来、
思います。
ことができるのだと思いました。それに、私が大人になり、
いろいろな国の人々との関わりをもち、自分のやっている仕
困っている時、母が英語でその家族に話しかけ、通訳として
自分の生まれたオーストラリアに行って、もし道に迷った時
助けました。
に英語が出来れば、目的の場所に行くことができます。そう
事に活かし、英語をふだんから使えるようになりたいです。
第三席
対象作品/タニヤ・シュテーブナー著﹃動物と話せる少女リリアーネ﹄学研教育出版
場合にも言えるのではないかと思います。つまり、人の役に
考えると、
﹁世界もぐんと広がる﹂ということは、こういう
小学校六年の部
勇気をもって
に本屋さんに行きました。その時、目に止まったのが、
﹃動
弘前市立城西小学校
小田切
馨
夏休みに読もうと、わたしは夏休みに入る一週間ぐらい前
54
物と話せる少女リリアーネ﹄でした。以前、本のチラシであ
イザヤは秘密にしていたのです。二人は、おたがいの秘密を
い本を読んでいると友達にバカにされると思いそれを恐れて
になりながら読み進めました、そして、この本からたくさん
あらすじです。わたしは、いじめにあうリリアーネの気持ち
していたあばれんぼうのゾウのマルタを救ったりするという
をもっているために、いじめにあったり、動物園でもてあま
からです。少し歩くと、新聞で話題になっているあばれゾウ
きませんでした。二人が友達だということも内緒にしていた
ました。そんなリリアーネを、イザヤは見ているだけしかで
してしまうため、リリアーネはみんなから少しおくれて歩き
動物たちと話せるリリアーネを見るとどんな動物もこうふん
ある日、遠足で動物園に行くことになりました。けれど、
知ってだれにも言わないと約束しました。
のことを学びました。それは、いじめに負けない強い心と、
このお話は、主人公リリアーネが動物と話せるという秘密
らすじにふれて、読みたいと思っていた本でした。
動物を思うやさしさです。
家に帰って、そのことをイザヤに話すとイザヤは、助け出
の所に来ました。周りのみんなは、ゾウのマルタを見ると、
そうと言い出しました。わたしも、ゾウを売ってしまうなん
﹁あばれて危険だ﹂と言って、逃げ出しました。そのために
べりを楽しんだりするのに、どうして人と違っているという
てかわいそうだと思いました。でも、どうやって子ども二人
リリアーネは動物と話せるという不思議な力をもっていま
だけでいやな思いをしなければならないのか、読んでいるう
で助け出せるというのでしょう。リリアーネとイザヤは、動
すが、周りの友達がそれを理解してくれないために、仲間は
ち に、 わ た し ま で い や な 気 持 ち に な っ て い き ま し た。 リ リ
物園が閉園した後、こっそりと動物園に入ることにしました。
もうすぐ売られてしまうというのです。目を閉じて背中を丸
アーネは、このいじめが原因で何度も転校することになって
リリアーネの秘密の力を利用して、マルタの話を聞いて、そ
ずれにされたり名前を冷やかされたりひどいいじめにあって
しまいます。いじめにあわないために、四度目の学校で動物
れを飼育員さんに伝えようと作戦をたてたのです。リリアー
めてじっとしているマルタを見て、リリアーネはマルタの悲
と話せることを秘密にしていたリリアーネは、偶然となりの
ネ は マ ル タ に た ず ね ま す。
﹁耳がいたいんでしょ。わたしは
しみを感じたのです。
家に住むイザヤという男の子に出会います。イザヤにも秘密
しまいます。わたしだったら、リリアーネの力を借りて、い
がありました。それは、大人にも読めないようなむずかしい
あなたを助けるために来たの。
﹂マルタはおどろきながら、
ろいろな動物と話したり、家で飼っている犬のロンとおしゃ
本を簡単に読んでしまうことです。ゲーテの詩などむずかし
55
をさせてしまったこと、そのために、赤ちゃんゾウが別の動
たくてあばれた拍子に、自分の子どもの赤ちゃんゾウにけが
リリアーネとイザヤに、あばれた理由を話しました。耳がい
はいじめられていたリリアーネを助けようとしたからなのだ
いると、動物たちがさわいで何かを伝えようとします。それ
のふれ合いもえがかれています。リリアーネがいじめられて
大切だと思いました。また、このお話には、動物と人間の心
はいじめられていても何も言い出せないリリアーネでしたが、
と感じました。わたしは素敵だなあと思いました。これまで
この場面では動物たちの応援に力をもらって、勇気をもって
マルタの悲しみの原因は、赤ちゃんゾウと別れたことにある
と思いました。だれでも家族とはなればなれになるのは、悲
立ち向かっていったのです。
物園へ送られてしまったことがわかりました。リリアーネは、
しくてつらいことだと思います。リリアーネたちは、さっそ
を出して打ち明けます。今までいじめていた人たちも、その
が周りの友達にも知られてしまった時に、リリアーネは勇気
心に感動しました。もう一つは、二人の熱い友情です。秘密
生懸命、努力していたところです。リリアーネの動物思いの
とイザヤが売られてしまうゾウのために、二人で協力し、一
このお話を読んで、一番印象に残った場面は、リリアーネ
とだと思います。この本からわたしは大きな勇気をもらいま
思います。そう考えるとリリアーネの勇気はもっとすごいこ
たのだと思いました。わたしだったらすぐに負けてしまうと
う良い事をしていたので、いじめに負けない勇気をもってい
くなったり、悪い事をしたりせず、逆にマルタを助けるとい
は、クラスの友達にいじめられていたけれど、学校に行かな
をもって立ち向かったりすることだと思います。リリアーネ
自分の気持ちを伝えたり、いじめられてもくじけないで勇気
のは動物を助けることでなく、助けることを通して、正直に
本を読み終わってから感じたのは、この本で伝えたかった
く飼育員さんにマルタがあばれる理由を伝えました。じゅう
医さんを呼んで耳は治してもらえることになり、マルタを悲
リリアーネの姿を理解して仲良くなるという場面です。やっ
した。友達にすすめ、次のシリーズも楽しみたいと思います。
しみから救うことができたのです。
が大事だとわたしは改めて気づかされました。うそをついた
ぱり友達には正直に言うことと、うそをつかないということ
り、かくしごとをしたりすると信用されないから正直な心は
56
小学校六年の部
佳作
対象作品/今関信子著﹃永遠に捨てない服が着たい﹄汐文社
化や環境破壊が進むとわたしたちにとって何がよくないのか、
進んでいっているということをよく見ます。わたしは、温暖
テレビ番組や新聞のニュースで地球が温暖化や環境破壊が
くさん出ていても、それを再利用して使おうと思わなかった
きました。わたしだったらいい写真がとりたくて、ごみがた
フィルムやあき箱を再利用してカメラを作っていることに驚
も っ た い な い な と 思 っ た と こ ろ が 特 に 印 象 に 残 り ま し た。
エコ活動の大切さ
地球はどうなるのかよく理解できていませんでした。児童館
と思います。
弘前市立和徳小学校
田 真 帆
飯
の先生や学校の先生は、
﹁まだ使えるものは再利用しよう。
﹂
に捨てていました。それが当たり前でした。岡部さんの話を
なったけれど、使えるえんぴつや消しゴムも当たり前のよう
く ろ な ど を ご み 箱 に 捨 て て い ま し た。 そ の 他 に も、 小 さ く
わたしは、絵をかいた紙や、スーパーやコンビニのレジぶ
などと教えてくれていましたが、何のためにエコ活動をする
﹁エコ活動にしっかりと取り組もう。
﹂
のか、なぜごみは出さないほうがいいのかあまりわかってい
活動にとりくみ、ごみをなるべく出さないようにして、ずっ
読んでから、わたしもこの地球に住んでいるのだから、エコ
そ の よ う な と き に 読 ん だ の が﹁ 永 遠 に 捨 て な い 服 が 着 た
ませんでした。
なものを買った時は、ふくろをもらわないで、自分のかばん
とこの地球を守っていかなきゃなという気持ちになりました。
にいれるということを心がけています。また、小さくなった
だから最近は、紙をむだづかいしない、かばんにも入る小さ
一番印象にのこったのは、岡部さんのピンホールカメラで
い﹂です。この本は岡部さんと子供たちが環境について話し
す。その中でも岡部さんがごみ箱に捨てられているものを見
えんぴつや消しゴムは使えるぶんしっかりと使うということ
合い、さまざまなことを考えていく話です。
て、カメラのフィルムやあき箱が全てごみになると気づき、
57
なるべく出さないように気をつけて生活していきたいです。
も心がけています。少しごみを出さないように気をつけるだ
一緒にエコ活動を心がけていきたいです。
エコ活動の輪をひろげていきたいです。そして家族や友達と
だから家族にも、そして友達にもエコ活動の大切さを教え、
対象作品/小林しげる著﹃ああ保戸島国民学校﹄文研出版
けで、ごみがとても減らせると思うので、これからもごみを
佳作
この本を読んで、エコ活動の大切さが良くわかりました。
小学校六年の部
戦争とは何か
わたしなら、食べ物があまりないと生きていけないと思い
ら、現代のような食事は夢のまた夢なのです。
また、この時代は食べ物があまりありませんでした。だか
れないんだと思います。
お母だけでなく家族全員が二人の戦死に悲しんでいて信じら
弘前市立豊田小学校
股 優 衣
猪
戦争というと、みなさんはどんなことを思いうかべますか。
大変、つらい、悲しいなどと思いうかべると思います。しか
し、この本を読んでから考えが変わりました。確かに、大変
でつらいけど、家族や友達、近所どうしで助け合っていまし
た。だから、きっと戦争もみんなで乗りこえたんだと思いま
ます。それに、食事の時間もあまり楽しくないと思います。
の食事の時間はどんなに食べ物がなくても、会話をたくさん
家族みんなでたくさん会話をしていました。だから、海野家
でも海野家はちがいます、どんなに食べ物があまりなくても、
男と洋平が戦死したことを家族が知る場面です。お母は二人
わたしが一番心に残っている場面があります。それは、岩
す。
が戦死したことを知り、とっさにたおれてしまいます。なぜ
して楽しくしていました。
大変なのは、食事だけではありません。戦争中に一番大事
なら、今までお父とお母と二人で大事にして育ててきた子供
を二人どうじに失ったからだとわたしは思います。もちろん、
58
兄、波子が通う学校が爆撃されてしまいます。そして、和平
だれにでもようしゃなく攻撃します。この本では洋太、和平
なことです。それは敵の攻撃から身を守ることです。敵は、
なったと思います。
か っ た で す。 で も、 戦 争 が 終 わ り 人 々 の 生 活 は と て も 楽 に
を う ば わ れ ま し た。 だ か ら こ そ 日 本 に は 戦 争 に 勝 っ て ほ し
この海野家では、戦争で岩男、洋平、和平、波子の四人が命
悪くないのに爆撃されるなんておかしいと思いました。そし
ちや生徒を助けようとみずからぎ牲になった先生方はなにも
百二十六名もの人がぎ牲になったからです。小学生の子供た
になり、みんなが幸せに暮らせると思うので、全部の国で戦
いる国があります。全部の国で終戦すればきっと世界が平和
ます。それから、日本は終戦しましたが、まだ戦争が続いて
助け合って生きてきたことをわすれず、参考にしたいと思い
うので、その時はこの本から学んだ戦争の大変さやみんなで
わたしは、これから社会科でも戦争のことを勉強すると思
兄と波子は戦死してしまいます。わたしは、この場面を読ん
て、 こ の 爆 撃 か ら 二 十 日 ほ ど た っ た 日 の 一 九 四 五 年︵ 昭 和
争がなくなってほしいです。
でいて悔しくなってきました。なぜなら、この爆撃でなんと
二十年︶八月十五日。
対象作品/松本江理著﹃聴導犬・美音がくれたもの﹄ハート出版
﹁負けた、日本が負けた、戦争に負けた!﹂
佳作
この文を読んだしゅん間、びっくりして鳥はだが立ちました。
小学校六年の部
﹃聴導犬・美音がくれたもの﹄
では、耳の聞こえない人はどうしているのか。わたしは疑
とを知らせてくれる道具だってあるのだ。
て合図してくれる。それに、白杖といって、前に物があるこ
弘前市立第三大成小学校
野 愛 生
平
七月のある日、学校で﹁盲導犬とふれ合おう﹂という行事
があった。
﹁盲導犬﹂とは、目の不自由な人の手助けをする
犬だ。つまずきそうな物があったらよけたり、止まったりし
59
ここで今何が起こっているのかがわからない。道路を歩いて
の お 店 に は、 犬 が 着 て い る﹁ 聴 導 犬 ﹂ と 書 い た ケ ー プ の、
犬認定証﹂というものがあるということだ。レストランなど
おどろいたこともあった。聴導犬には﹁身体障がい者補助
れならだいじょうぶ。わたしはほっとした。
いる時、車のクラクションが鳴っても、誰か教えてくれる人
﹁表示﹂と﹁認定証﹂
、
﹁行儀の良さ﹂の三つがそろうと入る
問に思った。耳の不自由な人は目の不自由な人と同じように、
を支えるために何か道具はあるのか、盲導犬のような存在が
ことができるというのだ。初めて知ったことであり、とても
がいないかぎり、気づくことはできない。このようなくらし
あるのか調べたくなり、図書館へ行った。そこで見つけたの
おどろいた。
えてきた。美音は泣き声に異変を感じ、ママに一生懸命伝え
ろの出来事だ。お昼寝中だったユーナちゃんの泣き声が聞こ
中でも心が動いたのは、子どものユーナちゃんが一才のこ
いう時にしっかり助けてあげる姿に、わたしは心が動いた。
を記したものだ。聴導犬の働き、周りの人の理解や、いざと
音との、日々のくらしの中で起きたハプニングやエピソード
このお話は、耳の聞こえないお母さん︵ママ︶と聴導犬美
犬がいるから、美音と出会ったからこそある世界なのではな
行ったり、スキーや遊園地に行ったりしている。何より聴導
はない。家族がいるし、いろいろな工夫があるから、旅行に
だから、耳が聞こえないから世界がせまくなるというわけで
使って、相手が出たことを確認し、一方的に話をするのだ。
手 が 出 る と、 通 話 時 間 を カ ウ ン ト し 始 め る。 マ マ は そ れ を
のはもちろん、呼び出し音も聞こえない。でも携帯電話は相
ていた。例えば、電話をするとき、相手のお話が聞こえない
さらに、耳の聞こえない人だからこそ、工夫をたくさんし
が、
﹁ 聴 導 犬 ﹂ と い う 文 字 だ っ た。 わ た し の 疑 問 に つ な が っ
ようとした。しかし、なかなか伝わらない。やっとその場所
いかと思った。
ているだろうか、と気になって読んでみることにした。
に行くと、一面の血の海。でもママは何もすることができな
にお向かいのおうちに助けを求めに行ったのです。
﹂という
思ってしまった。でも、次の文で考えが変わった。
﹁とっさ
しは、耳が聞こえないって、毎日がつらく大変だろうなと、
仕事の一つなのである。
ことを周りの人に理解してもらえる。いっしょにいることも
だ。聴導犬がいっしょにいるだけで、耳が聞こえないという
してくれた。その紙には車内放送の内容が書かれてあったの
ある日、美音とママが電車に乗っていると、男の人が紙を渡
だが、音を教えることだけが、聴導犬の仕事ではなかった。
文だった。ママが迷いなくとっさに助けを求めることができ
い。耳が聞こえないので、救急車も呼べない。そのときわた
るくらい、きちんと理解してくれている人が周りにいる。こ
60
だからこそ工夫して、助け合って生きることが一番の幸せ
﹁この世の中にはたくさんの人がいて、みんなちがう。だが、
このお話を読んで一番強く思ったことは、
解した優しい先生やお母さんたちに出会って、子供たちに手
ママは、ユーナちゃんが幼稚園に通い始めると、それを理
話まで教えられるようになった。小さいころの病気で耳が聞
にも通った。たくさんの経験をし、思い出もできた。今まで
会いをきっかけに、世界が変わった。子供ができて、幼稚園
ば な ら な い こ と が た く さ ん あ っ た が、
﹁聴導犬美音﹂との出
たい。何よりも障がいをきちんと理解して、そっと支えてあ
て話しかけたり、助けてあげたりすることができる人になり
が、この本の人たちのように、困っている人には勇気をもっ
不自由な人、耳の不自由な人などに出会うこともあると思う
ということだ。これからわたしは大人になるにつれて、目の
なのだ。
﹂
できなかったことができるようになって、世界が広くなった
こえなくなってしまったママ。大変なことや、工夫しなけれ
のだ。聴導犬美音がくれたもの、それは、大きな大きな幸せ
必ずなる。わたしは、この本に書かれた内容を忘れずに、大
げられる人になりたいと思う。なりたいと思うのではなく、
一 方、 美 音 は 仕 事 を が ん ば る と、 マ マ に い つ も 言 わ れ る
だった。
人になったら進んで行動することができるように、勉強はも
ちろん、様々なことに積極的にチャレンジしていきたい。
﹁ありがとう。
﹂の一言が大好きで、そのためにがんばってい
た の で は な い だ ろ う か。 マ マ と 美 音。 そ の 二 人 が 信 ら い し
合っているからこそできたことだと思う。
61
中
˹ ‫ ޙ‬ಇ
ǽ ǽ
学
校
一
年
二
年
三
年
の
部
中学校一年の部
第一席
生きるための選択
対象作品/芥川龍之介著﹃羅生門
杜子春﹄岩波少年文庫
この話は、地震、火事、きがなどで荒れ果てた京都が舞台
弘前大学教育学部附属中学校
戸 庸 介
白
だ。羅生門に集まってくるものは、盗人、狐や狸、その他に
職も失い、行く当てのない下人が、羅生門のところで雨宿
白髪の頭を逆さまにして、羅生門の下をのぞきこんでいる
りをしていた。しかし、実際のところ、雨宿りをしたくてそ
老婆の姿が、僕の脳裏から離れない。羅生門は今ではもうな
しかし、この作品は、そのイメージを見事に裏切ってくれ
こにいたのではなく、そこにいるしかしかたがなかったのだ。
は、引き取り手のいない死人。その死人の肉をついばむカラ
た。眉間にしわを寄せてしまうような表現や、嫌悪感におそ
生きるか死ぬかの瀬戸際にいるこの下人は、生きるためには
スの姿を想像した時、僕は強い吐き気におそわれた。
われるような場面に、僕の心はどんどん支配されていった。
何をするべきか、そうしなければ自分は死んでしまう。
﹁盗
いが、平安京の正門にあたる羅城門のことらしい。僕の中の
そして、この作品を読まなければ結びつくことのない、羅生
平安京は、きらびやかで高貴なイメージがあった。
門、下人、老婆がどのように関わっていくのか、その先を知
人になるよりほかにしかたがないということを、積極的に肯
分にあった。羅生門という作品の門を開けた瞬間、僕は、開
もいろいろと変化していき、短編ではあるが、読み応えが十
に時間がかかった。でも、繰り返し読むうちに、自分の考え
そこには、いろんな死体が転がっていた。下人の臭覚を通し
彼は、なかなか決心がつかぬまま、羅生門の楼に上った。
とも、この時点では、下人は善悪の認識があったことになる。
これは、下人の心のかっとうを表した一部分だが、少なく
定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
﹂
けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったような気分に
て、その腐乱した臭いは、僕の臭覚をもおそった。それから、
文中の言葉はなじみがないものも多く、読んで理解するの
りたくなった。
なった。現実離れした世界の話が、どろどろとわき出てきた。
65
﹁ある強い感情が、ほとんどことごとく男の臭覚を奪ってし
びることは、選択肢から消えたと思う。
その場にとどまることすらできなくなり、盗人として生きの
老婆は、その死がいの女はどうせ悪人なのだから、自分は
まった。
﹂という部分の﹁ある強い感情﹂というのは、死が
いの中に、うずくまっている老婆がいたことへの、恐怖心だ
逃すことはしなかった。老婆は、女性の死がいから髪の毛を
しかし、下人の﹁四分の好奇心﹂は、この老婆の行動を見
た。
は言えないとして、老婆の服をはぎ取り、素早く消えていっ
したのだから、下人が老婆から服をはぎ取るのも悪いことと
盗人になる勇気がわいてきた。老婆が自分がしたことを肯定
悪いとは思わないと言うのだ。それを聞いた下人の心には、
抜き始めた。そのおぞましい様子は、僕の目の奥に勝手に映
と思う。
像となって残った。老婆の行動を見ているうちに、下人の恐
﹂とい
こんだ。
﹁外には、黒洞々たる夜があるばかりである。
老婆はその後、白髪の頭を逆さまにして、門の下をのぞき
下人は、正義感なる感情に目覚め、老婆を取り押さえた。
う一文があるが、真っ暗な闇に溶け込むような老婆の姿は、
怖心は消えていき、かわりに、憎悪がうまれた。
この先が何も見えない、空しい現実の象徴にも思えた。この
暗さが、下人や老婆に、良くも悪くも、勇気とういものを持
老婆から悪事を働いた理由を聞き出し、裁きをくだすことで、
たせてしまったような気がする。
この時、彼は、ナルシスト気分にひたっていたことだろう。
自分に酔いしれて自己満足したにちがいない。先程までは、
僕は、ひとつ気になることがある。下人の頬のにきびだ。
下人自身が生きるためには盗人になるしかないと、絶望感に
作者が、にきびに何か意味をもたせたのだとしたらと、僕は
赤く膿んだ大きなにきびは、下人という言葉でしか表現さ
おそわれていたのに、老婆の様子に自分以上の悪を感じて、
れていない、この男に、せめて、若さというステータスを与
しかも自分よりも劣っている存在だと思ったら、その対象を
しかし、老婆から、死体の髪の毛を抜いて、かつらを作る
えたのだろうか。そして、若い下人と老婆に、強と弱の対照
あれこれ考えて見た。
という話を聞いた途端、下人のインスタントで薄っぺらな正
性 を も た せ た の か も し れ な い。 に き び が 膿 ん で い る の は、
見下して避難するように変わっていった。
いう、自分と同じ理由だったのだ。老婆の行動の理由が、下
義感や自尊心は、消えてしまったのだと思う。生きるためと
かっとうする下人の心の状態を表していると思える。
人間の中の二つの感情が、境界線上に、紙一重で存在して
人が、真似ることができないほどの悪意からだったとしたら、
下人の選択は違っていたのではないか。きっと、恐ろしくて、
66
人のことにも配慮できる気持ちだと思う。前者を利己主義と
この二つの感情とは、自分の利益だけを考える気持ちと、他
いる。羅生門は、そのことをテーマにしているのだと思った。
生 き の び た だ ろ う か。 多 分 そ う だ と 思 う。 こ う い う 状 況 に
下人や老婆は、その後どうなったのだろうか。盗人を続けて
そして、肌で感じた空気、読み終えた時の口の中の乾燥感。
を考えた時に、盗人になる勇気を持つのではなく、死ぬ勇気
なった時、僕だったらどうするだろう。やはり、盗人になっ
を持てないからだ。僕が、盗人になってでも生きのびたいと
てでも生きたいと思ったかもしれない。でも、それは、生死
は、自分を肯定しながら利己主義を選んだ。芥川龍之介は、
いうのは、せめて、エゴイズムからではないと思いたい。僕
下人は、悩み、かっとうしながら利己主義を選んだ。老婆
下人と老婆の立場を借りて、人間がいかに自分が大事で、そ
たちは、生きていくさまざまな場面で、これからもエゴイズ
いうとしたら、後者は、理性や知性、そして道徳心だと思う。
がある。そう言いたかったのだと思う。
対象作品/三浦しをん著﹃舟を編む﹄光文社
ムに関して、問われて試されていくのだと思う。
のためには、他を犠牲にすることも、平気でしてしまうこと
第二席
僕は、羅生門を自分の五感すべてで読んだ。目、耳、鼻。
中学校一年の部
言葉の力
うまくいかず、そのつらさから本を読むようになった。級友
学校でも社会でも浮いていた馬締光也。馬締は人間関係が
の持つ力を教えてくれたのが、この﹁舟を編む﹂だ。
私たちにとって言葉は必要不可欠なのである。そんな、言葉
弘前大学教育学部附属中学校
知 子
八木橋
私達は言葉に助けられ、支えられて生きている。人と人と
人 は ど の よ う に 気 持 ち を 伝 え た り、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を
生きていけないだろう。もし言葉がなくなってしまったら、
から話しかけられないこと、話し下手でも本となら対話でき
が関わり合い生活しているこの世の中、言葉がなければ人は
とったりするのだろうか。私には想像もつかない。それだけ、
67
ることがその理由だ。
中学校に上がりたてのころ、私は休み時間中ずっと本を読
私は少し驚いた。馬締が私と似ていたからである。
んでいた。それは、単純に本が好きで、一つの物語に込めら
れた登場人物の思いを考えることが好きだからというのもあ
この思いが、馬締が一歩ふみ出すきっかけとなったのだ。
馬締は﹁大渡海﹂の編集に携わり、これまで以上に言葉に
触れた。そして一つの辞書の編集を通して、人と良い関係を
言葉によって変わったのは馬締だけではない。新たに辞書
築きたいと思うようになった。言葉が馬締を変えたのだ。
私は人と話すことが苦手で、もし誤解を生むようなことを
内容がちがっていた。そのため、自分のやるべきことが見い
以前岸辺のいた部署と辞書編集部とではあまりにも仕事の
編集部へ来た岸辺みどりもまた、言葉によって変わった。
言ってしまったらどうしようと思い、話しかけられることを
締がかつて林香具矢という女性に送ったラブレターだった。
だせず、心細さを感じていた。そんなとき見つけたのは、馬
るが、馬締とおなじように、話しかけられたくなかったのだ。
た。しかし、話しかけてくれた友達がいたので、少しずつ自
拒んでいた。新しい友達を作ることを初めからあきらめてい
岸辺は、この当時の馬締のひたむきさに勇気づけられ、辞書
岸辺を前向きな気持ちにさせたのは馬締の想いだが、しか
編集部でやっていく自信がついた。
しそれだけではない。ラブレターに書かれていた言葉にも、
馴染むことができた。
馬締もそうだったのだろう。なかなかうまくいかない人間
分から話すことができるようになり、クラスにもだんだんと
関係にこだわるよりも、本を読み、感じたことを一人でじっ
岸辺を変えた理由があった。
このラブレターは、今ではあまり使わないような言葉が並
くり考える方が良い。馬締もまた、うまく人間関係を築くこ
とを初めからあきらめていたのだ。
ようとしている、不器用で素直な文章が岸辺の心を動かした。
ぶ、便せん十数枚にも及ぶ大作である。一生懸命想いを伝え
もしもこの文章が﹁好きです。
﹂
﹁愛しています。
﹂といった
そんな馬締を変えたのが、辞書編集部と﹁大渡海﹂だった。
になりそこで﹁大渡海﹂という辞書の編集をすることになる。
馬締は勤め先である出版社の営業部から辞書編集部への異動
言葉もまた、大きな力を持っているのだと感じた。
動かす言葉は、必ずしも器用なものだけではない。不器用な
言葉が人に与える影響はとても大きい。そして、人の心を
ものだったら、岸辺の心は動かされなかっただろう。
努力するようになった。辞書編集部の人と繋がり、共に良い
けに、不器用ながらも自分なりの言葉で気持ちを伝えようと
人との関わりを避けてきた馬締だったが、このことをきっか
辞書をつくりたい。そして、多くの人々に言葉を伝えたい。
68
広いが、舟があるから海を知ることができる。言葉もまた、
この言葉は﹁舟を編む﹂の中の台詞である。海は果てしなく
それは人の人生を変えてしまうほど強いものだった。私たち
私は﹁舟を編む﹂を読んで言葉のもつ力の大きさを知った。
しかし、間違った使い方をすれば人を傷つける凶器になる。
言葉は、正しく使えば自分の意思を伝える便利なものだ。
﹁大渡海﹂という舟を作ったのだろう。
数えきれないほど存在するが、辞書があるおかげで、私たち
﹁辞書は言葉の海を渡る舟だ。
﹂
は様々な言葉に出会い、深く知り、広い範囲で伝えることが
対象作品/島沢優子著﹃左手一本のシュート﹄小学館
人と繋がり、人を助けることができるように。
る言葉を今一度見つめ直す必要があるだろう。言葉によって
の周りには言葉があふれている。だからこそ、日々使ってい
馬締ら辞書編集部の面々は、辞書の大切さを重々理解して
できるのだ。
第三席
いた。だからこそ、十五年という長い年月、言葉と向き合い、
中学校一年の部
﹃左手一本のシュート﹄
していて、一緒にシュートの練習をする時がある。ぼくは右
戻らない植物人間になることもあるという。それを聞いただ
術も成功が難しいそうだ。もし、成功したとしても、意識が
倒れてしまう。脳の中での出血は生死に大きくかかわり、手
主人公、田中正幸は、十六歳の誕生日三日前に、脳出血で
でシュートをうつようになったのか、とても気になった。
弘前大学教育学部附属中学校
見
遼
石
ぼくは、この本の題名を見た時、どうして右手を使わない
利きだが、右手だけでシュートすることはなく、左手も添え
け で ぼ く は、 と て も 怖 く な っ た。 自 分 が も し、 植 物 人 間 に
のだろうと不思議に思った。ぼくの妹もバスケットボールを
主人公は左手だけでシュートをするというのだ。ぼくも、野
なってしまったらどうなるのだろう。
る。その方がシュートの確率が高くなるからだ。でも、この
球というスポーツをしている。この主人公がなぜ、片手だけ
69
が動かない、声が出ないのである。きっと自分が今、どうい
ほっとした。しかし、正幸の辛い日々はここから始まる。体
幸いなことに正幸は意識を取り戻した。ぼくも読んでいて
ができた。たった二週間でも、体力は落ち、最初の頃はきつ
た。二週間過ぎてからいつも通り、みんなと練習をすること
くてたまらなかった。でも、ぼくの怪我は二週間の我慢だっ
いなと感じることがあった。大きな手術をした正幸はいつま
いっぱいだったろう。しかし、正幸がきいたのは、
﹁もう、
で も 休 ん で い ら れ な い、 早 く 練 習 を し た い と い う 気 持 ち で
バスケットは無理だろう﹂という言葉だ。聞いた正幸も、そ
だろう。体を動かしたいのに動かせないというのはどんな感
じなのだろう。自由に跳んだり、走ったり、ボールを投げる
れを伝えた正幸の母親もどんなに辛かったことだろう。自分
う状況なのか、なぜそこにいるのか不思議でたまらなかった
の口ですぐ言うことができるのが当たり前で、声がでないと
ことができる自分には考えもつかない。伝えたいことは自分
いてあった。ぼくは、びっくりした。なんて心が強いんだろ
思った。でも正幸は﹁それなら絶対復帰する﹂と思ったと書
がそんなことを言われたら泣き叫んでしまうかもしれない。
でも、正幸のすごいところは、ぼくが思っていたよりも我
う。みんなができないと思っているんなら絶対やってやるな
そして、周りの人に八つ当たりをしてしまうかもしれないと
慢強くて頑張り屋で、とても前向きだということだ。目標は、
んてぼくなら思わないだろう。そして、自由に動けない自分
いうのはどんな感じなのだろう。きっと想像することができ
もう一度コートに立ち、プレーをするということ。その目標
にいらだちを感じていただろう。正幸のような心の強い人間
ないほど苦しかったと思う。
のために、リハビリにはげんだ。手術五十回目には、平行棒
にぼくもなりたいと思った。
リハビリや周りの人の支えもあり、高校三年の大会で正幸
と体を全く動かせなかった正幸が歩けるようになるのだから
はコートに立つことができる。しかし体は中学時代に名選手
は介助がなくても一人で歩けるようになっていた。手術のあ
とてもすごいことだろう。しかし、正幸が目指しているのは
と言われたほどの動きはできない。それでも、チームのみん
とつけたのだ。正幸をコートに立たせたいという仲間の思い
バスケットをできるようになることだ。ゆっくり歩けるだけ
は本当に大きなものだと思った。そして仲間がそのような思
なんてまだまだで、早く元通りに治りたいと思っていただろ
スポーツは、一回の練習を休むとそれを取り戻すのに三日
いになったのは、練習や試合中に的確にアドバイスをしたり、
なは正幸をコートに立たせるために三十点の差を相手チーム
はかかるといわれる。ぼくも野球の練習を骨折で休んだ時が
う。
あった。元気にプレーをしている友だちを見るとうらやまし
70
支えとなってくれたりする正幸のバスケットに対する思いを
感じたからだろう。そして、運命のボールが正幸に渡された
田中正幸さん。ぼくとは、やっているスポーツは違うけれ
野球が縁だと言えるよう、野球に熱い思いをもって取り組ん
彼がバスケットボールは縁であるといったように、ぼくは
ども、彼の心の強さや前向きな姿を見習いたいと思う。
でいきたいと思う。
とき、麻痺した右手ではなく、左手一本でシュートを放った。
利き手ならスリーポイントシュートも確実に決めていた名選
対象作品/芥川龍之介著﹃羅生門
杜子春﹄岩波少年文庫
手の正幸が一一六七日という年月を経て、左手で一本をきめ
佳作
たとき、ぼくも涙が出そうになった。
中学校一年の部
﹃羅生門﹄と﹃羅城門﹄
門﹂の元となった、今昔物語の﹁羅城門の上層に登りて死に
私 の 家 に あ る 古 典 の 問 題 集 の 中 に、 芥 川 龍 之 介 の﹁ 羅 生
悪い、という思いが芽生えたであろうと推測される。そこに
は違いないので、男の心の中には、盗人から物を盗んで何が
ていたが、いくら死体とはいえ、髪の毛を盗んでいたことに
ると思う。
﹁羅城門﹂の老婆は、死体から髪の毛を抜き取っ
弘前大学教育学部附属中学校
馬 恭 輔
相
ていたので、この二つを比較しながら感想を書いていきたい
し人を見たる盗人の語﹂
︵以下、
﹁羅城門﹂と書く。
︶が載っ
ことをしているのだから、自分もしてもよい、と正当化して
は、盗みという罪を犯す自分の行為を、周囲の人間も同様の
今昔物語の﹁羅城門﹂
、芥川龍之介の﹁羅生門﹂
、共に主人
むまいな。己もさうしなければ餓死する体なのだ。
﹂という
いる面がある。
﹁羅生門﹂の﹁では、己が引剥をしようと恨
と思う。
公の男が盗みをする動機を読み解くことが、重要な点と考え
男のセリフからも、その気持ちが読み取れる。また、
﹁羅生
られるので、その動機について考えていく。
第一に、
﹁エゴイズム﹂
︵自己中心的な考え方︶が挙げられ
71
て何が悪い、という思いが、少なからず作品にも反映された
国が植民地を拡大しているのだから、日本も植民地を獲得し
植民地を獲得しようという風潮があったと思われる。西欧諸
地拡大が進行していた帝国主義の時代であり、日本国内にも、
当時の時代背景も影響していると思う。当時は、西欧の植民
門﹂が発表されたのが、一九一五年︵大正四年︶だが、その
の男も、そのような気持ちから、餓死より盗人に成り下がっ
盗みという犯行に及んだと考えられる。
﹁羅生門﹂の主人公
もらえない、という思いが頭をよぎり、死への恐怖を感じ、
分も死ねば、このように髪の毛や衣服を取られ、弔ってすら
髪の毛を抜き取るという、人間とは思えない行動を見て、自
第三に、男の恐怖が挙げられると思う。老婆の、死体から
どにより、世間一般の人々に広められ、藤原道長の息子であ
れた当時、浄土信仰が流行していた。空也上人や源信上人な
第四に、浄土信仰が挙げられると思う。今昔物語が編纂さ
てでも生きることを選んだと考えられる。
ることを信じると、老婆は一人で人間を背負って、はしごを
第二に、老婆のウソが挙げられると思う。老婆の言ってい
のではないだろうか。
登ったことになる。しかし、老婆にそのような事が可能とは
にくく、それらのことから、老婆がウソをついていると、主
常に死と隣り合わせであったことだろう。そのような農民か
歌﹂に見られるように、当時の農民の生活はとても苦しく、
浄土のような存在だったのだろう。万葉集の中の﹁貧窮問答
る頼道が、浄土をモデルとした平等院鳳凰堂を建立するなど、
人公の男は考えたのかもしれない。
﹁羅城門﹂の上にあった
ら見れば、都の貴族の生活は、全てにおいて満ち足りていて、
貴族にも浸透していたほどなので、当時の作品に、影響を与
死体は、恐らく、行き倒れの人たちであり、その人たちの死
生きていく上での悩みや苦しみなど全く無いような、まさに
女性は都の中に住んでいた人であろうから、貴族であると考
体を、都の人々が目につかない所、つまり、
﹁羅城門﹂の上
極楽浄土での生活のように見えたはずだ。しかし、その浄土
考えにくく、また、女性の死体が老婆の主人であるならば、
に運んだと考えられ、老婆は常習的に、死体から髪や衣服を
の中に、たとえ見えない部分であったにせよ、死体が捨てら
えていたと考えてもおかしくない。
﹁羅城門﹂の主人公の男
取っていたと思われる。主人公の男は、その事に気付き、そ
れているという、男が地方で見たであろう光景と同様の光景
にとって、地方からわざわざ盗みに来るぐらいなので、都は
のような人間から物を奪って何が悪い、という思いから盗み
が都にあったことに、男はさぞ驚いたことだろう。男が浄土
も、葬式を行う人がおらず、死体が捨てられるとは到底考え
を働いたのではないだろうか。
﹁羅生門﹂の主人公の男も、
えられる。貴族ならば、たとえ後ろ立てがいなかったとして
老婆のウソに気付き、犯行に及んだと考えられる。
72
まり、見えている部分は浄土のようでも、見えていない部分
と思っていた場所に浄土と正反対の穢土が存在していた。つ
く 無 い こ と に な る。 し か し、
﹁蜘蛛の糸﹂で、お釈迦様はカ
用。
﹂とある。つまり浄土には、悩みや心配事や苦しみが全
べ る と、
﹁ 身 心 を 悩 ま し、 苦 し め、 煩 わ せ、 汚 す、 精 神 作
様が悩んでいる姿を描いているところから、浄土の存在に否
には穢土が存在しており、浄土と穢土は異なった場所ではな
定的な考えであったと読み取れる。そもそも、仏教の最終的
良いか悩んでいる。浄土には悩みが無いはずなのに、お釈迦
められた、悩みや苦しみが全く無い浄土などは存在せず、浄
な目標は悟りを開くことなので、浄土に往生するということ
ンダタをはじめとする穢土にいる人々を、どのように救えば
土と穢土は表裏一体で存在するものだ、と当時の浄土信仰へ
は、浄土という場所に行くことを示しているのではなく、悟
く、同一の場所に存在しているものなのだ、と﹁羅城門﹂の
の疑問が示されていると思われる。
﹁羅城門﹂の作者は、死
作者は言いたかったのではないだろうか。浄土信仰により広
んでも悩みや苦しみが全く無い浄土など存在しないのだから、
の教えが、浄土は場所である、と捉えていた可能性がある。
デルに平等院鳳凰堂を建立したところから、当時の浄土信仰
しかし、人々を救うということは、悟りを開かせることなの
りを開くことを示していると思われる。藤原頼道が浄土をモ
最初から盗人という設定だが、
﹁羅生門﹂の主人公の男は、
で は な い か、 と 言 っ て い る の で は な い だ ろ う か。 そ こ で、
苦しくても死なずに生きていこう、というメッセージを人々
最初は盗人になるか餓死するか迷っていた。しかし、最終的
に送っていたのかもしれない。
﹁羅城門﹂の主人公の男は、
には、盗人になってでも生きようとしたので、芥川も﹁羅城
﹂とある。この﹁永遠
を 超 え た 永 遠 の 真 理 を 会 得 す る こ と。
﹁悟りを開く﹂を辞書で調べると、
﹁迷妄を払い去って、生死
の真理が抽象的で、何であるのか明確に示されていないので、
い。芥川の﹁蜘蛛の糸﹂でも同様の構図が見られる。お釈迦
自分で考えなさい、答えを見つけなさい、という事なのだと
門﹂の作者からのメッセージを受け取っていたのかもしれな
らす場面がある。浄土と穢土が池によってつながっていると
様が、浄土にある池から穢土にいるカンダタに蜘蛛の糸を垂
る必要がある、とも言える。ということは、
﹁悟りを開く﹂
思う。答えが示されていないということは、答えが無いとも
ということは、常に悩み、考え続けることなのではないだろ
受け取れる。つまり、答えが無いのだから、永遠に考え続け
同一の場所に存在している、ということになり、
﹁羅城門﹂
取れる。このように読み取った場合、やはり、浄土と穢土は
の構図とそっくりになる。辞書で﹁浄土﹂を調べると、
﹁一
うか。
﹁蜘蛛の糸﹂でカンダタ、つまり、人間を救おうと、
読み取れるが、浄土にある池の中に穢土が存在するとも読み
﹂とあり、
﹁煩悩﹂を調
切の煩悩や汚れを離れた清浄な国土。
73
れんだため、なのではないのだろうか。
を登ってまで浄土に来ようとする、人間の浄土への憧れを哀
カンダタ、つまり、人間に気付かせようとしても、蜘蛛の糸
たのも、悩みや苦しみが全く無い浄土など存在しないことを、
のではないだろうか。お釈迦様が、最後に悲しそうな顔をし
お釈迦様が悩み、考え続けているのも、悟りを開いたからな
という言葉の﹁格差﹂とは比べものにならないほどの格差を
れも、現在テレビなどで取り上げられている、
﹁格差社会﹂
イズムより、むしろ、貴族と貴族ではない人々の格差だ。そ
しかし、私が﹁羅城門﹂を読んで感じたことは、人間のエゴ
ズムを描いている作品である、と思い込んでしまいがちだ。
ムが描かれているので、当然、
﹁羅城門﹂も、人間のエゴイ
フが﹁羅生門﹂にはあることだ。設定を変えた事やセリフを
と﹁羅生門﹂で異なっていること、
﹁羅城門﹂には無いセリ
公の男の設定や、老婆と死体の女性との関係が、
﹁羅城門﹂
﹁羅城門﹂と﹁羅生門﹂を読み比べて気付いた事は、主人
はこれ以上思いつかなかった。
と共に言葉が変化したように、人間の人間としての意識も変
注釈が無ければ、全く理解できなかったほどだ。時間の経過
葉使いがあり、読みにくさを感じた。
﹁羅城門﹂に至っては、
に思える。
﹁羅生門﹂は百年前の作品だが、古文のような言
ていないどころか、尊厳という概念すら存在していないよう
められている。しかし、
﹁羅城門﹂の世界は、尊厳が守られ
植があるが、人間の尊厳が守られるように、ルールが取り決
ていくために、人間の死体を物のように扱う。現在、脳死移
追加したことで、主人公の男や老婆の心情、思っている事な
化し、未来の世界では、格差もなく、人間が人間らしく生き
感じた。人間の死体が弔われもせずに捨てられ、人間が生き
どが分かりやすくなり、主人公の男や老婆のエゴイズムが、
以上の四つが、主人公の男が盗みをする動機として考えら
より際立ったと思う。しかし、
﹁ 羅 城 門 ﹂ を 読 ん で、 人 間 の
ていける世界になってほしいと願う。
れるものだが、まだ、他にもあるかもしれない。しかし、私
エゴイズムを感じ、そのエゴイズムを強調させた﹁羅生門﹂
を書いたのは、芥川龍之介だ。
﹁羅生門﹂で人間のエゴイズ
74
中学校一年の部
佳作
辞書に込められた想い
対象作品/三浦しをん著﹃舟を編む﹄光文社
さらに複雑になってくる言葉が流れる海の中を、相手に自分
われ方をされているからだ。私たちはその時代と共に変わり、
と昔から使われてきた一つの言葉が時を刻むごとに色んな使
ことはない。しかし、一ページめくると二、三ページが一緒
質はとても薄い。それでも裏のページの文字が透けて見える
字も小さく図解が全くない。背表紙は皮でできていて中の紙
四版が発刊されている。約五万七千語が採録されていて、文
昭和三十八年に初版を出し、改訂を重ねて二十六年後にこの
一方、親が使用している辞書は﹁岩波国語辞典第四版﹂
。
て固く、中の紙質も厚いため、まるで教科書のような辞書だ。
弘前大学教育学部附属中学校
汀
久保田
この本を読み終えて私はこう思った。
の思いや気持ちを正確に届けるために、辞書という船に乗り
﹁辞書は生きている。すなわち言葉は生き物である。ずっ
こみ、その中から言葉を取捨選択し、大海原を駆け巡ってい
湿り気が足りない﹂ということなのか。少し不便なところだ。
にくっついてめくれてくる。これが本に書かれていた﹁紙に
それから早速、私が使っている辞書と親が使っている辞書
るのだ。
﹂と。
し、 国 民 の 生 活 の 変 化 に 伴 い 新 語、 カ タ カ ナ 語、 ア ル フ ァ
て度々改訂を行い、初版から三十九年後にこの第八版を出版
り、初版は昭和四十年。その後、学習指導要領の方針にそっ
私が持っている辞書は小学館発行﹁国語辞典第八版﹂であ
妙に違う。次に姉の﹁遥︵はるか︶
﹂を調べる。私の辞書に
せる所。波打ち際﹂とある。意味としては同じだが表現が微
私の辞書へは﹁波がうちよせる所﹂とあり、親のは﹁波が寄
さて、中身も比べてみよう。まずは私の名前、
﹁汀︵なぎさ︶
﹂
。
くて、親の辞書は採録語が多いにも関わらず私のより薄い。
大きさは私の辞書は採録されている語が少ないわりに分厚
ベットの略語などを新たに付け加え、約三千三百語が掲載さ
は﹁ 遠 く は な れ て い る よ う す ﹂
、親のは﹁距離・時間・程度
を比べてみた。
れている。所々に図解も書かれており、背表紙は厚紙ででき
75
がきわめて隔たっていること﹂とあり、こちらも違いがあっ
むと、今まで知らなかった言葉を知ることができたり知って
自然と他の文字も目に入ってくる。そしてそれを何となく読
までに十五年かかっている。その十五年の間には、辞書編さ
この本の中の玄武書房が発行した辞書﹁大渡海﹂も、完成
いる言葉をさらに深く探ったりすることができるのだ。
ているのだ。なんということだろう。たった二冊の辞書を比
国語の辞書ですら一つの言葉に対してさまざまな表現をし
た。
べてみても一体どちらが言葉の意味として正解であるのか、
ん道ひとすじの先生、学者、編集部、営業、アルバイト、製
ときには当然、考えを精一杯巡らせ、意味があいまいであれ
言葉に正解がない分、相手にきちんと自分の思いを伝える
長できるように、と。
い、他者とうまくコミュニケーションをとって、人として成
れているように感じる。私がその場にふさわしい日本語を使
ぬくもりがたくさん詰まっていて、私を励まして応援してく
かれてある。その人たちの努力を思うと、紙の辞書には人の
私の辞書だって同じだ。最後のページに何人もの名前が書
いで完成させた、
紙会社などたくさんの人が関わり、皆、頭を悩ませ情熱を注
どれを手本にすればいいのか分からなくなってきた。
これまで大して気にもせず、雰囲気にまかせて使っていた
言葉は、慎重に選んで使うべきものなのではないだろうか。
辞書を比べてみたことで、私はそう考えるようになった。適
ば辞書をひきその中から今の状況に合う言葉を選択する。そ
当な気持ちであつかってはいけないのだ。
れが辞書の使い方であり、辞書は私達にとって有益で不可欠
に、主人公の馬締は、言葉の無力さを痛感した。どんな言葉
最後に、辞書編さん道ひとすじの松本先生が亡くなった時
私の辞書と親の辞書を読み比べていくうちにもう一つ気づ
を言っても先生の命をこの世につなぎとめることができな
なものなのだと思う。
いたことがあった。それは、機械ではできない学び方がある。
度祖父の名を呼んでも祖父はかえってこなかったのだ。
かったからだ。私も祖父の死を経験したのでよく分かる。何
私は、同じ辞書でも最近は、紙をめくることもなく、文字
多彩な言葉を学び、知る機会になるということだ。
辞書やパソコンで調べ物をしていた。しかし、今回、改めて
語り合い記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉
﹁亡くなった者との思い出だ。たたずまい、言動。それらを
心の中に残った。
しかし、言葉があるからこそ一番大切なものが馬締や私の
気づいたのは、紙の辞書には調べたい言葉の他にも同じペー
を探す手間もない物。ボタン一つですぐに検索ができる電子
ジにたくさんの言葉が載っていることだ。意識しなくても、
76
が必要なのだ。
﹂
そう、言葉は、思い出と共に人々の心の中に残り、そして
馬締はこう言っている。
佳作
今、生きていくために必要なのである。
中学校一年の部
便利なものにうもれて机の隅に追いやられていた私の国語
辞典。私の明るい未来のために、もう一度手に取り、辞書の
船に乗って言葉の大海原へ出航するぞ。
対象作品/湯本香樹実著﹃夏の庭﹄新潮社
が本屋で紹介していた、と言って買ってきてくれたものでし
この﹃夏の庭﹄という本は、わたしが小学六年の時に、母
した。わたしは、人を殺さないと食べ物が手に入らないなん
かった女の人を殺してしまったからだ、と三人は思いこみま
てを捨ててしまいました。その理由は、昔戦争でお腹が大き
です。戦争が終わった後、おじいさんは突然家や奥さん、全
生きるということ
た。当時のわたしは本にあまり興味がなく、読むといっても、
弘前市立東中学校
谷 安 里
菊
さし絵がたくさんあるまんがのようなものばかりでした。し
て⋮、と思いました。日本にもそういう悲惨な時代があった
楽しく生活できている自分が、とてつもない幸せ者に感じま
いたら、人を簡単に殺せていたかどうか、わかりません。今、
と思うと、正直ショックです。もしわたしが戦争中に生きて
め、死にそうな一人暮らしのおじいさんを観察していたら、
これは、ある日三人の少年が死んだ人間に関心を持ちはじ
かし、この一冊の本がわたしを大きく変えてくれました。
どんどん距離が縮まっていったという話です。人一倍怖がり
わせようとして、NTTで東京に住んでいる﹃古香﹄という
そこで三人はおじいさんと古香さんをどうにかしてでも会
した。
わたしはが一番好きな場面は、木山、河辺、山下の三人で
なわたしは、ときどきびくびくしながら読んでいきました。
おじいさんの昔の奥さん、古香弥生さんを探しているところ
77
名字の人の電話番号を調べ、一つ一つにかけて、手がかりを
しまでにこにこになってしまいました。
おじいさんは物知りで、豆知識的なことを教えてくれます。
と き ど き 三 人︵ 特 に 河 辺 に。 河 辺 は よ く 失 礼 な 口 を き く の
探していました。やっとのことで小さな女の子から手がかり
を見つけだし、女の子が言っていた老人ホームに行ってみた
で。
︶に怖い口調で怒ったりしますが、わたしはいつの間に
わたしの身の周りで亡くなった人の数は、そう少なくはな
か、おじいさんのことが好きになっていました。
いと思います。亡くなった方はほとんどが高齢の方でした。
した。古香さんをおじいさんに会わせることができない、と
判断した三人は、古香さんにとてもよく似ている種屋のおば
多くの方がわたしが小さい時に亡くなっており、思い出もた
ところ、古香さんはおじいさんのことを忘れてしまっていま
そううまくはいかず⋮。
さんに、おじいさんに会ってくれるようにたのみましたが、
おじさんとはときどき家に顔を出してお話ししたり、一緒に
なった時は、涙がポロポロ出てきて、止まらなかったです。
陶芸でマグカップなどをつくったり、思い出がたくさんあり
く さ ん は あ り ま せ ん で し た。 し か し 親 戚 の お じ さ ん が 亡 く
とても残忍で、
﹁早く死んでほしい。
﹂と思っていたり、おじ
ました。これは、わたしが、人が亡くなって初めて流した涙
この場面が好きな理由は、三人が前に比べて、とても優し
いさんに怒鳴ったりしていました。しかし、このころになる
でした。
くなっていたからです。おじいさんと会ったばかりのころは、
と、おじいさんのために何かをしてあげる、ということが増
えて、夜も眠れないことが何度かありました。
わたしは小さい時、人は死んだらどうなるんだろう、と考
えました。わたしは、人のために自分の時間と力を使うのは、
とても難しいことだと思います。その人のために何ができる
のかもわかりません。三人はやっぱり心がきれいだな、と改
おじいさんと三人には、いろいろな思い出があります。ゴ
した。合宿でのことをおじいさんに話そうと家にいくと、ぶ
めたころのことです。三人はサッカーの合宿から帰ってきま
三人とおじいさんで育てていたコスモスがつぼみをつけ始
ミ出しや洗濯を干す手伝いは毎回やらされます。おじいさん
﹁でも次の瞬間、ぼくたちは同時に気づいていた。
﹂
どうが四房置いてあり、おじいさんは横になっていました。
めて感じました。
おじいさんが夜に大きな花火を打ち上げてくれたりしました。
﹁眠っているんじゃない。
﹂
この一文で本の文字がにじみ、
を含む四人ですいかを食べたり、コスモスの種を蒔いたり、
四人で話している時は、ほとんどが楽しそうな雰囲気でわた
本を読みながら、わたしもその場にいる気分になれました。
78
さんにと、カエルのぬいぐるみを買っていました。お棺の中
のは悲しくて、すごくさみしいです。河辺は合宿先でおじい
一緒に笑い合っていた人が、ただの抜けがらになってしまう
も突然にいなくなってしまうんだ、と感じました。最近まで
という一文で、手の上にしずくがたれました。人はこんなに
しいものだと思います。
なりたい、と思ってきました。本は人の心を動かす、素晴ら
庭﹄の影響で泣ける本が多いです。将来の夢で、絵本作家に
大好きになりました、今ではいろんな本を読みます。
﹃夏の
この本は、わたしを大きく変えてくれました。また、本が
から、一秒一秒、大切に、人と接しよう、と心に決めました。
対象作品/深町眞理子訳﹃アンネの日記﹄文春文庫
たいと思います。
悔いのない人生をとことん生き抜き、満足して来世に挑み
にそのカエルのぬいぐるみを入れてあげました。おじいさん
は、とても喜んだと思います。
第一席
読み終わった後、わたしは、だれがいつ死ぬか分からない
中学校二年の部
アンネという少女に出会って
私は、夏休みに課題とされた本の中で、真っ先にこの﹁ア
実際に見たあの隠れ家で、アンネはどんな生活をしたのだろ
したものは、展示されてある﹁アンネの日記﹂だった。私が
弘前大学教育学部附属中学校
野 里 紗
上
ンネの日記﹂という作品を選んだ。それは、私が小学生のこ
本を手に取ると、その厚みに驚かされた。また、案の定、
うか。あの日記には、アンネのどんな気持ちが書かれていた
読むのに時間を要した。しかし私は、隠れ家での一日一日の
のだろうか。私は、アンネの日記に深く興味を持った。
滞在中、ヨーロッパの様々な場所を訪れ、戦争時のことに
ろ、ドイツとポーランドの間に位置する、チェコというナチ
ついて学ぶ機会が多かった。その中で、アンネが第二次世界
生活が、こんなにも長く、こんなにも詳しく書かれているこ
スドイツに関係した国で生活していたという理由からだ。
大戦中の約二年間過ごした、隠れ家へも行った。そこで目に
79
とに感銘を受けた。
﹁いったいどうしておとなって、やたら口論ばかりしたがる
い ま ま で は、 口 喧 嘩 な ん て 子 供 の や る こ と で、 お と な に
なったらしなくなるものかと思ってたのに。
﹂
んでしょう。それも原因はおよそくだらないことばっかり。
ここからは、大人の口喧嘩に対して、アンネの、あきれて
隠れ家での生活が、けっして楽でなく、自由を失われてい
する人に気配をさとられないよう、音をたてずに歩いたり、
たことは、この日記を読んでよく分かった。昼間は下で作業
ひそひそ声で話したりしなくてはならない。朝九時から夜七
うんざりしている気持ちが表されていると思う。私も、つま
全く別の家族とも暮らすため、一人一人の思う通りにはなら
時まで、水道やトイレの使用はできない。また、お風呂がな
ず、不満も多かったに違いないからだ。そして戦争への恐怖
らない原因の口喧嘩は嫌いである。しかし私は、この隠れ家
住む場所、学ぶ環境にも恵まれ、何より自由に走れて、自由
と、錯そうする情報、隠れ家の生活での不満などにストレス
でのくだらない口喧嘩というのが、内容は別として、理解で
に笑える時代に暮らす私達に。隠れ家の生活は、想像以上に
を感じてくだらない口喧嘩が起こってしまうのではないかと
いため、たらいを使って行水する。そして、隠れ家で暮らす
つらく、小さな世界だったのだろう。一九四二年九月二十八
考える。理不尽な環境が理不尽ないざこざを生んだのだろう。
ということはもちろん、外へ自由に出ることもできないのだ。
日、アンネはその気持ちをこう書いている。
しかしそんな中で、アンネは持ち前の陽気さと明るさ、そ
きないわけではない。なにしろ隠れ家には八人が住んでおり、
﹁ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦
してやさしさを失うことなく、隠れ家での生活を楽しもうと
こんな生活が、今の私達に想像できるだろうか。食べ物、
面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐
しいものか、とても言葉には言いあらわせません。でも反
自分でもお転婆だという少女が、何時間もじっと座って過ご
して私が一番心に残ったものは、一九四四年二月二十三日の
に恋をしたり、自分でいくつもの物語をつくったりした。そ
れ家に住んだ、ファンダーンさん一家の一人息子、ペーター
する。そんなアンネが私はとてもすごいと思った。一緒に隠
さなければならないという苦しさ。しかしアンネ達は、そん
一節だ。
ろしい。
﹂
な不自由よりも、見つかって殺されるという死の恐怖に何倍
見られるうちは︱この日光、この晴れた空、これらがある
﹁これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを
も苦しめられたのだろう。
ま た、 隠 れ 家 で は、 言 い 争 い が 絶 え な か っ た と い う。
一九四二年九月二十八日。
80
と。これらのことから、もうすでに不幸であったかもしれな
ヤ人であること、そのために隠れ家で暮らすようになったこ
自分の住んでいるオランダが戦争で被害をうけたこと、ユダ
このように感じることのできるアンネを、私は尊敬した。
うちは、けっして不幸にはならないわ。
﹂
制収容所に連れていかれたものの、残酷な所だということに
空腹に苦しめられたとも聞いた。アンネ達はその後、違う強
もつめこまれたそうだ。また、食べ物もろくに与えられず、
人々は殺されたという。ガス室には六百人、多い時は九百人
連れて行かれたのはガス室で、ガスが出てきて五分∼十分で
私にはアンネがとても大人に見えた。私の場合、ただ一つ
ていたと聞いたことがある。また、ユダヤ人がこの国を悪く
こそ最も優秀な人種であり、その正反対がユダヤ人だと考え
なければならないのだろうか。私はヒトラーが、ドイツ民族
なぜユダヤ人だというだけで、こんなにもひどい目に遭わ
は変わりはない。
何か失敗をしただけで、落ち込んだり、ついていないと思い
したと勝手に判断し、ユダヤ人を迫害したそうだ。
いうのだ。
いのに、彼女は全てを経験した上で﹁不幸にはならない﹂と
な小さなことですら、マイナスに考えてしまうことがあるの
では、現在の世の中はどうだろうか。国と国との争いや、
絶対にあってはいけないことだと強く感じた。
ている人々の命を一瞬にして奪ってしまうこともある差別は
ということが悲しかった。アンネのように希望を持って生き
私は、世界には人を差別し、同じ人間を傷つける人がいる
こんだり、時には不幸とまで感じてしまう時さえある。どん
だ。だからこそ、私はアンネを尊敬したいと思えたのだ。
私はこの一行を見た時、
﹁日記の中のアンネに、もう会う
﹁アンネの日記はここで終わっている。
﹂
ことはできない。
﹂
﹁夢も希望もあったアンネが、この後連行
されてしまう。
﹂と思うと、悲しさにたえられなくなった。
だから私は、他人を思いやり、異国の文化や考え方の違いを
解しようとせず、相手を差別する気持ちがあるからだと思う。
内戦が絶えない。それは、文化や考え方の違いをお互いに理
だったのだろう。最後の日記を書いた時、見つかってしまう
理解する気持ちを持って生活していこうと思う。私一人の力
ド イ ツ 警 察 が 隠 れ 家 に 踏 み 込 ん で き た の は、 突 然 の こ と
ならないことを信じていただろうから。
ある。私も日記に挑戦してみたことはあったが、アンネの日
アンネがこの日記を書いていたころは、私とほぼ同年代で
はとても小さいが、それが平和への第一歩だと思う。
ほんの直前までは、思いもよらぬことだったのだろう。そう
この後アンネを含む隠れ家の住人はアウシュビッツ強制収
容所へ連行された。私はそこに実際に行ったことがある。そ
こで聞いた話では、今からシャワーを浴びさせるとだまされ、
81
ほどだ。この日記を、アンネは元々誰かに読ませるために書
アンネはとても文章力に優れていて、同年代とは思えない
えた。
が、意気投合した、とても良い友人になれただろう。そう思
時代にいるとすれば、アンネが認めてくれるかは分からない
もし私がアンネと同じ時代に、もしくはアンネが私と同じ
た。
いたものでないと思う。だからアンネの日記には、アンネの
記に比べればはるかに短く、そう長くは続かなかった。
正直な本音が自由に、そして豊かに表現されているため、ほ
第二席
対象作品/田辺聖子著﹃小倉百人一首
百人百首の恋とうた﹄ポプラ社
ぼ同年代ということもあり、共感できることがとても多かっ
中学校二年の部
小学五年生の妹が最近学校の宿題で百人一首の暗唱に挑戦
歌人の様々な歌や人生に触れ私も考えさせられること、思う
辺さんのツッコミもおもしろく、楽しく読めました。百人の
昔も今も
しています。私が﹁みちのくの﹂と最初の句を唱えると、妹
ことがありました。その中で三人の歌人と歌について紹介し
弘前市立裾野中学校
藤
桃
工
は﹁しのぶもぢずりたれ故に乱れそめにしわれならなくに﹂
たいと思います。
まうのですが、この本は、一首一首について二人の姉弟︵小
に取ったのがこの本でした。古典というと難しいと思ってし
むと作者の源宗于が官位も進まず社会的に不遇だったことが
した風景とともに作者の寂しさが伝わってきました。本を読
も草もかれぬと思へば﹂の一首です。何もない山里の殺伐と
たのが、源宗于朝臣の﹁山里は冬ぞさびしさまさりける人目
まず最初に、その風景がパッと目の前に広がるように感じ
と続けます。こうやって妹の暗唱につき合ううちに、私も百
学六年のイエ太君と中学一年のサダ子さん︶に作者の田辺聖
人一首に興味を持つようになっていきました。そんなとき手
子さんが解説する形で書かれていて、姉と弟のやりとりや田
82
鳥はだがたつわ﹂とサダ子さんに言わせています。私は読む
のかしら。
﹂と述べ、
﹁うわ、ほんとうに、聞いているだけで
中で田辺さんは﹁こういうのを、
﹃骨を噛む寂しさ﹄という
た田舎暮らし、あるのはただ孤独感、凍てつく寒気。解説の
わかります。山里にわびしく住み、人のおとずれも絶えはて
さんの女性たちと雑談をしている途中﹁夜もふけましたね、
女性たちにもてはやされた貴公子です。ある日この人はたく
く思いました。作者の義孝は父ゆずりの歌才と美貌で、世の
一人の人にこんなにも思われている女性がとてもうらやまし
が、この意味を読んだとき、正直、すごくどきどきしました。
て、いつまでもきみと幸せにくらしたい。
﹂というものです
らあとをつけます。ところが、義孝はお寺に行き熱心にお経
お じ ゃ ま し ま し た。
﹂と言い、帰ってしまいました。すると
を唱えていました。その時のその人のことは﹁月あかるく、
うちになんというかもう本当にかわいそうになってきました。
でしまうという話を思い出してしまいました。これほどの孤
かすみわたる早春の夜空のもと、白い服に紫のはかま、顔色
生きていた時は社会的に不遇で、一生懸命天皇に歌をおくっ
独感ではありませんが、私も日常生活で寂しいなと思うこと
は月光に映えて白く髪の生えぎわもくっきりしていて、まこ
女性たちは﹁ねぇどちらへいらっしゃるのかしら?﹂
﹁もっ
がよくあります。友だち何人かで話している時、私以外のみ
と に 美 し い 男 ぶ り だ っ た。
﹂と伝えられています。美貌も歌
ちろん恋人のところよ。あとをつけてみれば?﹂と好奇心か
んなは共通の話題を持っていて、
﹁あれ、何の話だろう。
﹂と
才もある人気の貴公子が夜、恋人のところへ行くのではなく
言われてしまうほどの孤独感・・・。うさぎは寂しいと死ん
思うとき、ほんの一瞬ですが、ものすごい孤独感です。たぶ
熱心にお経を読む、このまじめなかんじがとても格好良いな
ても報われなくて、現代の中学生には﹁鳥はだがたつわ﹂と
ると思います。そんな時には、この歌を思い出して、寂しい
んこれからも、たくさんの寂しさや孤独感を味わうことがあ
ん。義孝のような人にあんな歌を歌ってもらった女の人のこ
と思うのです。現代では、こんなまじめで格好良い人はそん
とがとてもうらやましく思われます。こんな情熱的な恋の歌
なにいないと思います。すくなくとも私のまわりにはいませ
分近くは恋を詠んだ歌ということになります。そんな恋の歌
が小倉百人一首にはたくさんのっています。そんな恋の歌に
小倉百人一首には恋の歌が四十三首のっているそうで、半
で私がいちばん、ぐっときたのは、藤原義孝の﹁君がため惜
ついて知っていくと、恋って素敵だな、誰かにそういう思い
のは自分だけじゃないと自分に言い聞かせたいと思います。
意味は﹁きみのためなら命もおしくないと思っていたのに、
を抱いてみたいなと思えてきます。恋といえば、実は私は保
しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな﹂です。その
きみを得た今は、気が変わった。ぼくは生きたい。長く生き
83
首が編まれた時代の人たちは子供のような純粋さを持ちなが
くにつれて薄れてしまっている気がします。でも昔の百人一
小さいころはそういう思いにとても純粋で、大きくなってい
が楽しくて保育園に行くのが楽しみだった思い出があります。
育園の時、好きな男の子がたしかいました。その子と遊ぶの
対に思えないと思います。私だったら、私じゃない人を選ん
も周りから見れば、大変なことをしたあなたが心配なんて絶
き、裏切られた状況で、私はなんとも思っていないから、で
ないと思いました。自分がこの女性の立場になって考えたと
相手の男性におもいっきり皮肉を込めて歌をおくったに違い
す。現代の女性にもいそうなタイプで私は好きです。やはり、
だのはあなたなんだから、後悔しても知らないとか思いそう
言葉や時代が違うだけで昔から現代まで、考えること感じる
らも、大人の情熱的な歌をつくっていたのだと思います。自
読む人の解釈の仕方によって、いろいろな意味でとらえる
こと思うことは一緒なのではないかと思います。でも現代は
です。そう考えているとこの歌は相手のことをまだ想ってい
ことができるのも歌のおもしろさだと思います。そんな歌の
昔とくらべてそんな純粋な自分の思いに、気付けない人が多
る右近さんの最後の強がりだったのではないかなと思います。
代表だと思ったのは右近の﹁わすらるる身をば思はず誓ひて
いのだと思います。私は今のこのハイテクな時代にこそ自分
分の素直な気持ち、見た風景、感じたことを歌に表していて、
し人のいのちの惜しくもあるかな﹂です。意味は﹁あなたに
の気持ちにしっかり気付いて向き合って、考えていくことが
だから小倉百人一首は時代を超えて、人々の共感を生み読み
忘れられるわたしのことは、なんとも思わないわ。でも神仏
大切だと思います。
だとすると右近というこの女性がとてもかわいく思えてきま
に か け て 心 は 変 わ ら な い と、 約 束 し た あ な た に、 バ チ が 当
つがれてきたのでしょう。
た っ て 命 が ち ぢ ま る の じ ゃ な い か と 心 配 だ わ。
﹂というもの
好きな人の顔を見たいとか、会いたいとか、一緒にいたい
る歌が出来たのだと思います。古典について私は最初難しい
です。田辺聖子さんは﹁自分のことより、あいての男の人を
イメージをもっていました。読んでも、理解できそうもない
とか思う気持ちは、昔も今も同じなのです。そういう自分の
心になるので男性たちはそう解釈したがったのと付け加えて
と思っていました。それが、この本に出会って、古典という
思いや感じ方をそのまま歌に込めたからこそ、人々の心に残
います。私には女性のやさしさといった単純な歌には思えな
のは読めば読むほど深くて、おもしろくて、楽しいものなの
訳し方はあるけど、右のように訳すとしおらしいやさしい女
いのです。この歌を歌った右近という人はきっと気の強い女
案 じ て い る 女 心 の や さ し さ ね。
﹂と述べながら、いろいろな
性だったのでしょう、そして自分から他の人に心がわりした
84
ではないかと、古典に対する印象ががらりと変わりました。
第三席
おぼえられるように、教えてやりたいと思います。
対象作品/長谷川英祐著﹃働かないアリに意義がある﹄メディアファクトリー
私の妹にも、ただ暗唱するのではなく、意味を理解しながら
中学校二年の部
尊重し合えるよりよい社会へ
つながることがあるからだ。
弘前大学教育学部附属中学校
形 美 帆
山
働かない者にも、存在意義はちゃんとあるのです。
が 増 え て い く 上 に、 頑 張 っ て 働 い て い る 人 も 怠 け る よ う に
なかった。働かない人がいることで、頑張って働く人の負担
か。それは、他の個体が、その要領の悪い個体をカバーする
がいる巣の方が、いない巣よりも作業効率が良かった。なぜ
思うだろう。しかし、それは違う。実験では要領の悪い個体
すると、必然的にそういうものがいる巣は作業効率が悪いと
要領の悪い個体は、しょっちゅう餌を運ぶ道順を間違える。
なってしまうからだ。実際、私が小学生のときもおなじよう
私はこの言葉を見て、初めはマイナスなことしか考えられ
なことがあった。班活動のとき二、三人がふざけていたこと
この話を読んで私は、
﹁ 虫 た ち は、 要 領 の 悪 い 個 体 が い て
ため、効率の良いショートカットした順路を見つけるなど、
も、全体がうまくいくようにできている。すごいなぁ。
﹂と
進歩するからなのだそうだ。
しかし、この本を読み進めるにつれて、
﹁働かないもの﹂
感心すると同時に、
﹁ そ れ に 比 べ て、 人 間 は 何 を し て い る ん
から、他の人も一緒になってふざけてしまい、結局活動にな
は悪い影響を与えるばかりではないことが分かってきた。そ
だろう?﹂と考えてしまった。
らなかった。
とも思えてきた。
私の知人にも、勉強ができない人を馬鹿にしてみたり、自
れどころか、人間もハチやアリたちを見習えるところがある
なぜなら、要領の悪い個体がいることで、巣全体の進歩に
85
た。そういう人を見ていると、もっと違うことに打ちこめば
分より何でもできる人の足をわざとひっぱったりする人がい
めるエサの量を加減するそうだ。
の敏感さがバラバラな個体を集めることで、状況に応じて集
騒がないとエサを探しに行かない個体がいる。虫たちは、こ
て、新たな発見をし、高め合う。その方が簡単で、気持ちが
人を見て安心したり、見下したりするのではなく、教え合っ
てきて、色々な知恵がある尊い人を危険な目にあわせるのは
ることはしない。それは、人間には﹁これまで何十年も生き
で、お年寄りを大切にするし、よく働く人だけを常に働かせ
人 間 な ら、
﹁お年寄りは敬う﹂という考えが当たり前なの
一つの個体は、あまり大事にされていないということだ。
これらのことに共通しているのは、ハチやアリたちの一つ
いいのにと思う。
もっと、いい関係を築けないだろうか。もっと、互いを高
いいに決まっている。変なプライドや外面を捨てて、素直に
よくないし、かわいそうだ﹂という感情や、
﹁みんな平等で
め合える関係にはなれないだろうか。自分よりも能力が劣る
しかし、ハチやアリたちに比べて、人間の方がずっと優れ
人と人とが関われるようになれたらいいのにな、と思った。
あるべきだ﹂という尊重し合う考えがあるからだ。虫たちに
いかに巣の中の大多数が生き残れるか﹂ということを優先す
は、そんなものはない。彼らには、
﹁巣の中を効率よく回し、
る本能があるため、一つ一つの個体は大事にしないのだろう。
人間は、互いを尊重し合えることで社会をよりよいものへと
変えることができる。これは、ハチやアリたちとの大きな違
ているところもある。それは、互いを尊重し合えることだ。
いだ。これを使って、人間はハチやアリたちよりも豊かに暮
人間はそうではない。今自分達が生きる社会を、互いのこと
虫たちは、今の自分達が生き残れればいいと思っているが、
一つ目は、仕事の割り振り方だ。若い個体は、まだ余命が
を尊重し合い、考え合うことで、きっと豊かな社会をつくっ
らしていけると、次の二つのことから考えた。
長く、これからたくさん働いてほしいので、安全な巣の中で
ていけるはずだ。
ハチやアリたちは、
﹁いかに効率よく子孫を残し、一日一
他の動物からすれば考えられないことだ。
ともある。当たり前のことだと思って日々暮らしているが、
生活しているから、もめるし、けんかもするし、馬が合うこ
学校でも、職場でも、家庭でも、人はみんな感情をもって
子育てなどをさせる。そして、年をとった個体は、若い個体
より、死んでも作業に支障をきたさないので、巣の外で危険
二つ目は、一つ一つの個体の働く量の違いだ。虫たちの中
な仕事をさせる。
気になる個体と、たくさんの幼虫たちが﹁エサが欲しい﹂と
には、幼虫たちが少しでも﹁エサが欲しい﹂と言っていると
86
社 会 は も っ と、 つ ま ら な い 争 い は な く な る し、 ひ が ん だ り
え合ったりできないだろうか。みんながそうしようとすれば、
心で感じることができるのだから、もっと認め合ったり、支
日を生きるか﹂ということを本能で考える。人間は頭で考え、
をどんどん大きくしていけたらいいなと思う。
ばして、身近なところから協力、向上の輪を広げて、その輪
できる。虫たちとは大きく異なる、そんなところをもっと伸
社会を良くしよう、自分達を高め合おうと働きかけることが
人間には、虫たちと違って社会性がある。だから、もっと
対象作品/加藤シゲアキ著﹃ピンクとグレー﹄角川書店
やっかんだりするのではなく、素直にほめ合えることでいっ
佳作
ぱいになるのにと思う。
中学校二年の部
﹃ピンクとグレー﹄
改めて知りました。
なこともあれば、悲しくて辛いこともあるんだということを
弘前市立第四中学校
山 菜 月
松
一つ目の理由は題名です。〝ピンク〟と〝グレー〟とは一
ませんでした。だけど読んでみて、上手な生き方とはどんな
この本を読む前は、生き方について深く考えることはあり
私がこの本を選んだ理由は二つあります。
体何を示しているのか、と不思議に思い、興味がわいてきま
なんてことは、誰にもわからないと思います。そもそも、生
生き方なのか考えました。上手に生きている、生きていない
した。
二つ目の理由は作者の加藤シゲアキさんです。私は加藤シ
いています。
この物語は、芸能界の裏側ではなく、二人の男の人生を描
き方に上手や下手なんてあるのかなと思いました。
ゲアキさんが作家になる前からのファンで、加藤シゲアキさ
私はこの本を読んで思ったことがあります。それは、人生
んが大好きだからです。
にはさまざまな生き方があるということです。楽しくて幸せ
87
二人はどんどん仲良くなっていき、大貴のことを﹁りばちゃ
ションに住んでいた、小学四年生の鈴木真吾と出会います。
主 人 公 の 河 田 大 貴 が 小 学 四 年 生 の 時、 引 っ 越 し 先 の マ ン
話が成立しないと思います。だから、真吾と大貴はよいと思
まで終わると思うし、向こうから話しかけてもらっても、会
だったら、何を話せば良いのかわからなくて、ずっとそのま
と て も 素 敵 な こ と だ と 思 う か ら で す。 私 が も し 大 貴 の 立 場
す。これが、二人の人生を変えるきっかけとなったのです。
押しました。応答がなかったため、中に入ってみると、真吾
束しました。そして、大貴が真吾の自宅に着き、チャイムを
同窓会の帰り、大貴は明日の夜に、真吾の自宅へ行くと約
います。こんな大人な行動に引きつけられました。
私はこの場面を読んで、急にスカウトされたのによく受け
高校二年生になったある日、二人は渋谷でスカウトされま
ん﹂
、真吾のことを﹁ごっち﹂と呼ぶようになりました。
入れたなと驚きました。自分たちに自信があったのかなと思
はなんと自殺をしていました。置いてあった遺書にはこう書
これは、大貴のニックネームの由来となった役者、リバー・
﹁死体置き場の中の一番カッコいい死体でありたい﹂
かれていました。
めます。人気によって仕事内容も異なります。あまり仕事が
それから事務所に入所し、とうとう二人の人気に差が出始
いました。
ない大貴は、自分と正反対の真吾との距離をわざと置いてい
う思ったのか知りたくなりました。
好きだったのかなと思いました。真吾の姿を見て、大貴はど
私はこの言葉を見て、真吾は死ぬ直前まで大貴のことが大
フェニックスの名言です。
た。私は、大貴は自分が見ている夢はもう叶わないと思った
大貴の夢は、真吾とドラマや映画などで共演することでし
きます。
から、距離を置いたのだと思います。こんな自分とは一緒に
貴の初主演作は真吾の二十五年間の人生を描いた作品なので
画の主演を果たします。役の名前は、
﹁鈴木真吾﹂です。大
真吾が亡くなってから二年が経ちました。ついに大貴は映
事務所に入所して五年が経ち、離れていた二人は高校の同
いてはいけないと考えたのだと思います。
窓会で、五年ぶりの再会を果たします。初めは真吾と会話す
と思います。真吾との今までの思い出が、全て甦ってくると
のみどころだと思います。私は真吾を演じるのはとても辛い
自殺をした親友を大貴はどう演じるのか、それがこの場面
す。
昔のように笑い合うことができました。
ることに戸惑っていた大貴でしたが、真吾の一言で、二人は
私は、話の中でこの場面が一番好きです。なぜかというと、
五年も会っていなかった親友と再び笑い合うということは、
88
にそうだと思います。他の人が幸せでなくても、幸せだなと
幸せは大きいものばかりではないとたまに聞くけれど、まさ
せは必ず訪れることを〝リアル〟に表現したんだと思います。
しかし、大貴は何もなかったかのように、淡々とこなして
思うからです。
いきます。大貴のとって真吾とはどのような存在だったのか
対象作品/三浦しをん著﹃舟を編む﹄光文社
いる生き方で、生きていけたらいいなと思いました。
ような辛いことがあっても、前向きに、そして自分に合って
感じれば、〝幸せ〟になると思います。私はこれから大貴の
この﹃ピンクとグレー﹄で、作者が伝えたかったことは、
と疑問に思いました。
生きていれば辛いこともあるけど、絶対に誰かと笑い合える
佳作
んだということだと思います。作者はこの物語を通して、幸
中学校二年の部
負荷をかけろ
弘前大学教育学部附属中学校
佐
藤
陽奈子
こともあるだろう。私は一途ではない。本気になったことも
時には大きな壁にぶつかり、挫折せざるを得ない状況に陥る
編纂作業はまさに、地道で終わりの見えない一途の作業だ。
に取り組むというのは並大抵の苦労ではないと思う。辞書の
か。これが﹁舟を編む﹂を読んで率直に感じたことだ。一途
な知識を持っていることから辞書編集部で働くこととなり、
存在だった。人と違う考え方や感じ方、言葉に対しての豊富
という名前の通り真面目な性格で、周りからは一目置かれる
伝えるのは苦手というところだ。馬締は脳みそだけが取り柄
字として言葉で表現するのは得意だが、音として言葉で人に
このお話の主人公、馬締は私と共通点があった。それは、
ない自分がいる。そんな自分が大嫌いだ。
あるかないか分からない。そのため自分の意志や行いに自信
徐々に力を発揮していく。自分が一生を捧げられる場所、自
果たして私は、何かに一途に取り組んだことがあるだろう
がない。しかし、結局言葉だけで変わろうとしない向上心の
89
たのだろう。馬締は人と関わることだけではなく、恋にも不
この見方が覆された。辞書は編纂作業に関わるすべての人の
に使う脇役のような存在だと思ってきた。しかし、今ここで
私は今まで、辞書は特別に調べたい言葉があったときだけ
うやく気付くのだ。
器用だった。恋をした経験がなかったため、辞書で﹁恋愛﹂
手によって、長い年月を経て作り上げられるものだ。馬締た
分を認めてくれる仲間こそ、馬締にとっての辞書編集部だっ
を調べ、今自分が感じている思いは何なのか、不器用ながら
﹃辞書は、言葉の海を渡る舟﹄であり、
﹃暗い海面に浮かび
に恋心を味わう。十五枚にも渡る恋文を書き、告白した。こ
あがる小さな光﹄こそが言葉。この大渡海には、そんな思い
ちが作った辞書の名は﹁大渡海﹂である。
る言葉を選ばなかった。直接呼び出して告白した方が、結果
こに私との共通点が見える。やはり彼は、音として人に伝え
がどうであれ気持ちは楽なはずなのに、馬締はあえて苦にな
が込められている。だからこそ彼らは、海を渡るのにふさわ
辞書はスポットライトを当てられなくても、言葉を求める
しい舟を編むのだ、とある。
た く さ ん の 人 々 に よ っ て 照 ら し 続 け ら れ る 主 役 だ と、 私 は
る方を選んだのだ。これは、私のように音として言葉で人に
私も幼い頃、馬締のような経験をしたことがある。別に恋
伝えること、すなわち話すことが苦手だからだろうか。
を し て い た わ け で は な く、 状 況 は 全 く 違 う。 祖 父 母 の 家 へ
思った。
また、もう一つ私と馬締の相違点がある。私はこの本を読
行ったときに﹁何が食べたいか﹂と問われ、紙にウィンナー
と書いた。元々人見知りが激しい私だったが、音の言葉で問
どうしてもマイナス思考でしか考えることができなかった。
んで、
﹁一途に取り組む﹂ことに疑問を感じた。限界がある
馬締は人と関わることが苦手であり、確かに不器用で、損
のではないか、また一途に取り組んだところで何があるのか、
改めて考えてみると、馬締と私は共通しているようで共通
していることもたくさんある。しかし、自分に不利な状況か
われていることに対して、字の言葉で答えた私は大きくずれ
していなかった。馬締は人と関わることが苦手、私は人見知
ていたと思う。
り。人見知りを辞書で引いてみると、
﹁子どもなどが知らな
ら逃げるようなことは絶対にしない。いかなるときも手を抜
本気で仕事をし、本気で成功し、本気で失敗し、本気で恋
かず、いつも本気だ。
をし、そして本気ですべてを愛した。失敗を失敗で終わらせ
馬締は、人を見ておじけづいたり嫌ったりなんかしていない。
言葉は難しい。一見、似た意味または、それを表す表現とし
い 人 を 見 て お じ け づ い た り 嫌 っ た り す る こ と。
﹂とあった。
て使われる言葉が、辞書を引いてみて間違った使い方だとよ
90
ない強さももっている。すべて私にはないものだ。
それはどうすれば手に入れられるのか。私の心に空いてい
るこの隙間を、自信のなさを、どのように埋めるのか。
その答えはもう分かっている。自分に負荷をかけるのだ。
常に本気でいるのだ。
あきらめ、逃げることはいつでも出来る。しかし、あきら
自分の中に本気があるならば。
私は常に本気でいるならば、逃げることなど出来ないと思
う。また、そうでありたいという夢や希望があるならば、自
失敗をおそれて逃げてきた私の分岐点が今だ。一途に取り
然と自分に負荷をかけているとも思う。
気で失敗して、本気で成功する。これが私の一途の海を渡る
本気で勉強し、本気で部活をし、本気で恋をし、そして本
組むというのは、本気がなければ始まらない。
舟だ。
めたことによって失ったものや時間は、もう二度と戻ってこ
ないのだ。その失敗は決して自分のためにはならない。責め
対象作品/深町眞理子訳﹃アンネの日記﹄文春文庫
負荷をかけろ。
もう迷いはない。
ても責めても、悪いのは自分。逃げることによって、自ら大
佳作
何も失わず、逆に何かを得ることだって不可能ではない。
切なものを失う。
中学校二年の部
﹃アンネの日記﹄
今まで何度も繰り返して読んできた﹃アンネの日記﹄
。も
とがきに﹁現実に起こった出来事である。
﹂とあったため、
れた物語は、フィクションなのではないかと思わされた。あ
あまりに現実離れした内容に、この日記という形式で書か
弘前大学教育学部附属中学校
田 響 菜
成
まず、小学校低学年のころに、初めて読んだ時の感想から
驚いた記憶がある。
う一度読みかえすと、初めて読んだ時とは違う感想をもった。
紹介したい。
91
また、そのような非人道的なことをする可能性があるとい
報道されている。日常の中でも差別的なことが行われている。
その当時は、アンネの立場にばかりなっていたため、ユダ
と言われたとき、自分と仲間はずれにされている子と何人か
グループと仲良くしているわけではない。自由に班を作れ、
く、はずされている人がいる。自分もそれほどクラスの中心
クラスの中心グループの人とその人たちとあまり仲良くな
ヤ人の気持ちしか考えていなかった。そのため客観的な自分
う人間という生き物を嫌悪した覚えもある。
の意見を持てていなかった。
その子とグループを組んでくれる?﹂と。
﹁
︵はずされている子︶さんが組んでいないんだけど、あなた、
が 残 る。 す る と、 中 心 グ ル ー プ に 所 属 す る 子 が 言 う の だ。
史を学んでからもう一度読んだ時の感想は次のようなもの
そして現在、この作品以外にもたくさんの文章を読み、歴
だった。
自分は組みたくないから、他の人に組ませてしまえ、という
一見周囲に気を配っている良い人に見えるかもしれないが、
ことなのだろう。このような身近な会話の中でも、上に立つ
﹁やるせなさ﹂
、それを強く感じた。日記に記すことでしか
自分の境遇を伝えることができないとき。また、圧倒的な力
者と下に立つ者という差別意識が感じられてしまう。
同じ中学生、同じ学校、同じ日本という国の中で、同じ日
の前に死ぬか、死んだも同然の生活を強いられるとき。人間
本人でさえも差別を生み出してしまう。これではアンネの時
はこのような会話をし、このようなことを思わせられるのか
非日常の生活。死と隣り合わせの毎日。というのは、これ
と考えると、どうしようもないやるせない思いに襲われる。
現在とアンネの時代と同じところがある。それは、
代と何も変わらないどころかもっと深刻なのかもしれない。
その時の世界では、いや、今この瞬間でもどこかでこの少女
から絶対に起きることはない、という保証はどこにもない。
変えたくないがために、自分に脅威を向けた。そして、自分
﹁自分の状況を変えようとしない﹂
は嫌だと思いながらも、その脅威を受け入れてしまった。自
と同じようなことを記している人がいるかもしれない。そう
またやるせなく思えた理由は、
﹁アンネの日記﹂が今も読
分の境遇を嘆くことばかりしていて、クラスのみんなに現状
ということだ。クラスの中心人物たちは、自分のいる状況を
まれ続けているからだ。つまり、世界から同じようなことが
思うとやはりやるせない。
なくなっていないから読まれ続けていることにやるせなさを
と働きかけることをしなかった。ジャンヌ・ダルクやその他
は間違っている、みんなが納得できる解決方法があるはずだ
実際、我が国日本でも、いじめによる自殺が毎年のように
感じずにはいられない。
92
の人たちも多くの犠牲を払いながらもレジスタンスを組み、
﹃アンネの日記﹄は、現代の日常、戦場、全ての場面にお
戦争も、迫害も、その他の非人道的だと言われていること
ていきたい。
﹃アンネの日記﹄を、少女の死を、多くの人間
中、自分の力で境遇を変え、互いに尊重し合えるように生き
て、一人の人間として、大きなことはできなくても、日常の
ける強者、弱者の姿を映し出してくれる作品だと思う。そし
も、自分の境遇を守るだけや嘆くだけでは真の解決にならな
状況を変えようと働きかけ続けた。
い。お互いにより良い解決方法を考えて、状況を変えていか
対象作品/森浩美著﹃家族の言い訳﹄双葉文庫
の死を、本当の意味で無駄にしないように。
第一席
なければ互いに不幸なままなのだ。
中学校三年の部
言い訳を積み重ねて
かっていても、言えない。あるいは家族の大切さを忘れてし
私 が そ う 素 直 に 言 え な く な っ た の は、 い つ か ら だ ろ う。 分
﹁家族って、いいよね。
﹂
をしたことがなく、休み明けにはいつも憂鬱な気分になって
け、特別な想い出があるにもかかわらず、貴志には家族旅行
うなことはなかった。だが、級友はみな家族とどこかに出掛
にも裕福な家庭とは言えなかったが、貧しさに卑屈になるよ
弘前大学教育学部附属中学校
田 真 奈
藤
まったのか。昔は母の日やクリスマスにはプレゼントを渡し
いた。
行に連れていってくれた。忙しい仕事をやりくりして近所の
私の両親は、私が小さいころから、長期の休みのたびに旅
て、恥ずかし気もなく感謝のことばを述べていた。しかし今
色々なところに連れて行ってくれた記憶がある。実際今回の
となっては、あいさつをするのさえ照れくさく、おはようも
言わない日がある。
﹁おかあちゃんの口紅﹂の主人公、宮島
夏休みも、受験生だからと断ったが、どこか行きたいところ
貴志は、そんな私と似ている。
貴志は田舎町に生まれ育ち、父も母も働いていて、お世辞
93
はないかときいてくれた。そんな両親をもちながら、私はこ
﹂
胃癌です。しかも随分と進行した状態で⋮⋮。
以前、私は母が眼の手術を受けるのだときいたとき、かな
診察前の廊下に置かれた長椅子に力無く腰掛け、貴志は長い
り焦った。その眼の病気についてあまりよく知らなかった上
間放心状態になった。
貴志は税理士となり、友人からの紹介で靖子と結婚し、順
の本の主人公、貴志よりも家族を大切に思っている自信がな
調に人生を送っていた。そのとき、貴志に一本の電話がきた。
に、手術というものは死ぬ可能性もあるのだろうと不安だっ
い。
﹁あさっての木曜なんだけど、母さんの結果が出るから。
﹂
父に尋ね、無事成功したときいたときは心からほっとしたも
それでも手術当日、家に帰ってすぐに結果はどうだったかと
手術が失敗したら、どうしよう⋮母には笑いとばされたが、
た。
た。
の結果を貴志にききに行ってほしいという妹からの電話だっ
貴志の母は入院していて、精密検査を受けることになり、そ
﹁急に言われたってな、オレは忙しいんだ。大体、そんな大
貴志が病室の前まで歩いたとき、靖子と母の声がきこえた。
のだ。
﹁靖子さん、その引き出しを開けてもらえる? 中に、口紅
騒ぎするほどの重病なのか? お前はそっちに居るんだか
ら、お前が聞いて来い。
﹂
墓参りだって何だってあたしに押しつけてくるくせに。
﹂
﹁兄さん、お正月にもお盆にも顔を出さなかったでしょ。お
があるでしょう? それね、あたしのお守りなのよ。貴志
が小学生の⋮⋮あれは四年生だったかな。
﹂
かいないのだから。しかし貴志は恩知らずではなかった。実
と母のところにとんで行くだろう。貴志の母には妹と貴志し
私は少し貴志に勝った気がする。私が貴志だったら、きっ
﹁ 淋 し い と き も 苦 し い と き も、 そ の 口 紅 を 見 る と 頑 張 れ た
買ってプレゼントしたのだった。
のを見て、毎日空き瓶を集めてはお金にし、母の日に口紅を
貴志は小学四年生のとき、級友の母がきれいに化粧している
普段なら最後は必ず折れる妹が、今回は譲ろうとしなかった。
は母が大きな病など知るのがこわかったのだ。
そう言った貴志は医師の待つ部屋へと行き、先生に母の検査
てくれたなんて︱。
︶そして、病院に戻ったら﹁オレが傍に
ら何年経ったのだろう。そんなに前のことをずっと覚えてい
その言葉をきき、貴志は声を漏らしながら泣いた。︵あれか
の。
﹂
結果をたずねた。
﹁靖子はお袋の病室に先に行っててくれ。
﹂
﹁宮島さん。はっきりと申し上げますが、宮島伊津子さんは
94
ここで私は貴志に完敗したと思った。私もいつかそんな風
由、そしてその理由の理由⋮。互いに言い訳があってこその
ことばかりではない。思いを言えない理由、言ってしまう理
最初のページに、そう書かれている。言い訳とは、何も悪い
あたたかさは一生を通してわかっていくものなのだ。
﹁言い
に思える日が来るのだろうか。来ればいい。来てほしい。こ
家族。家族に、自分に言い訳をしながら、思いを積み重ねて、
い る、 だ か ら 何 も 心 配 は い ら な い。
﹂ と 告 げ、 母 の 手 を さ
んな自分、心のどこかでは変わらなきゃとわかっているのに。
そして家族の深いあたたかさが分かっていくものなのだ。だ
訳をいちばん必要とするのは家族です。
﹂
﹃家族の言い訳﹄の
素直になりたい。でもついカッとなってしまい、葛藤ばかり
からあせらずにいよう。今は伝えられない私も、いつか貴志
すってあげようと貴志は決意したのだ。
を繰り返している⋮。しかし、それでもいいのかもしれない
のように言葉にして伝えられる日がきっと来るから。
トレスをかかえていたことにも、うつ病の兆候にも気付けな
誠治の成長のきっかけは、母の病気だった。長い間母がス
本だ。
いよく描かれているのが﹁フリーター、家を買う。
﹂という
から、人はどう変わるか分からない。そんな変化、成長が勢
しかし、そんな誠治が家族思いの真面目な人間となるのだ
弘前市立第三中学校
藤 美 佑
齋
﹄幻冬舎文庫
対象作品/有川浩著﹃フリーター、家を買う。
とも思った。貴志が家族のあたたかさをさほど考えずに過ご
第二席
していても、大人になって身にしみて感じたように、家族の
中学校三年の部
明るく努力
﹁今日で辞めます。
﹂
自尊心ばかり高く、一度就いた仕事も﹁自分に合わないか
﹁俺的にもう無理なんでー。
﹂
ら﹂と簡単にやめてしまう。社会人としての自覚がなく、だ
らだらとした生活を続ける主人公の誠治に最初は嫌な気分し
かしなかった。
95
かった。そんな自分の状態を変えなければいけないと感じた
もまるで子供のようだった。しかし、誠治の努力する姿を見
弱さを隠すため、娘をなぐる。そんな誠一は私の目から見て
ていく。不器用だが、優しさも持つようになる。このように、
ているうちに、家族を大切にする威厳のある父親へと変わっ
この物語の主題は﹁成長﹂だと私は考えている。
ここで誠治は﹁就職する﹂
、
﹁金を貯める﹂という目標を立
のだ。
い。しかし、誠治が﹁小学生みたいだ。
﹂と言った目標が、
て、文字にし、壁にはった。目標は決して立派なものではな
る の で は な い か と 感 じ た。 そ れ は﹁ 家 族 を 救 い、 幸 せ に す
らだ。私はこの二つの目標には、隠された目標がもう一つあ
めだと思う。さらに、リアリティもあり、となりの家にでも
させる。どの人物にも共感でき、応援したくなるのはそのた
くりこまれた性格は、一つの発言からいろいろな感情を想像
一人一人が主人公であるようにストーリーを持っている。つ
もう一つ大切なのは、キャラクターの性格や特徴だと思う。
る。
﹂ということだ。このような目標は人間を強くしてくれ
私にはかっこよく思えた。なぜなら、とても大きな目標だか
るのだと思う。きっとこのとき誠治の背中は大きく立派で、
住んでいそうな家族だったりする。だからこそ、その先のス
誠治のがんばる姿勢や姉、亜矢子の家族を支える一生懸命
トーリーを考え、幸せを願ってしまうのだろう。
さ、誠一の優しさ、母、寿美子のいじめのストレスに堪えて
この本を読んで私は﹁目指すもの﹂の大切さを改めて知っ
輝いてみえただろう。
た。実際、生活の中でも目標を立てるようになった。例えば
なとき、少し恥ずかしくもなるが、素直に反省できる。だか
勉強だ。テストで何点とる、ということや、今日はドリルを
ら読んでいて、それぞれのキャラクターと一緒に、自分も少
きた強さ、仲間たちのあたたかさなど、見習わなければいけ
誠 治 は 二 つ の 目 標 を 達 成 す る ど こ ろ で な く、 飛 び こ え て
しずつ、少しずつ成長できている気がする。
ないことがたくさんある。だが、全員完璧ではない。幼い部
いった。初め、百万円貯めるぞ、と考えていた誠治が、父と
﹁がんばらなければ。
﹂
このくらい進めよう、という小さなことも目標といえるだろ
協力して家を買えるまでになった。どの方面から考えても、
読み終えて、私は単純にそう感じた。努力、努力、努力。そ
う。やはり目標を持ったほうが努力のしかたが見えてくるし、
誠治の成長はすごい。そして、この物語で成長が著しい人物
んな誠治たちのまわりは、全て良い方向へ動きだす。母の病
分や弱い部分も持っている。自分に似ていたりもする。そん
がもう一人いる。誠治の父、誠一だ。うつ病の妻を弱いと言
結果からの反省もすることができた。
う。誠治の職場で土木工事をしている人を差別する。自分の
96
こ れ だ け の 幸 せ を 手 に す る こ と が で き る﹁ 努 力 ﹂
。それは
てくる。私は学んだ事をいかし、目標を持ち、夢に向かって
ちのように明るく生きていれば、何でもできてしまう気がし
この本からは前向きでいることの大切さを学んだ。誠治た
つでも明るい誠治は本当に尊敬できる。
どのようなものなのか、考えさせられる。がんばること、と
まっすぐに努力していきたい。そして、彼らのようなかっこ
気も良くなっていき、家族のあるべき姿をとり戻した。
が休むこと、楽しむことも大切だと思う。ぴったりと当ては
いうのは容易に考えられる。一秒も無駄にするな、とも言う
いい大人になりたい。
る よ う に 広 が る。
﹁ 手 紙 ﹂ の 主 人 公、 武 島 直 貴 は そ の 網 に
むおばさんだってそうだ。まるで、網がはりめぐらされてい
対象作品/東野圭吾著﹃手紙﹄文春文庫
まる答えはみつからなかったが、私は前を見続けることだと
第三席
思った。前向きでいることは、思っているよりも難しい。い
中学校三年の部
テレビでは今日も、殺人事件が報道されている。聞いたこ
よって人生が大きく変わってしまった。
繋がる糸
とのない地名、誰かの写真と名前が次々と流れていくのを観
弘前大学教育学部附属中学校
福
島
奈
緒
て、怖いなあと思う。そして画面が明るいものに変わるとす
直貴の兄、剛志は、弟の進学費用のために強盗殺人をした。
ニュースでそのことが報道される。名前や顔写真付きで。学
ぐに忘れてしまう。それはきっと、自分には関係のない話だ
からだ。自分が被害者、ましてや加害者になることなど誰も
とが知られてしまう。直貴が登校すると、仲のよかった友達
校の友達にも担任の先生にも、全く知らない誰かにもそのこ
事件のまわりには、たくさんの人がいる。被害者、加害者
はよそよそしくなり、不動産屋さんからはアパートを出て行
考えていない。自分の家族がそうなることも。
だけでなく、その家族、友達、学校や勤め先の人、近所に住
97
美子と結婚した。差別をしない人間もいたのだ。直貴は一本
直貴は、自分の兄のことを知っても離れていかなかった由
いのだ。しかし、きっとそれは簡単なことではない。
貴の手を次々とすりぬけていく。直貴の友達は、殺人犯の弟
目の糸を手にした。しかし、由美子はそれで後悔しないのか
けと言われた。好きな人が、夢が、兄が犯した罪によって直
となどとあまり関わりたくないと思っただろう。しかし面と
と私は心配になった。
﹁実紀ちゃんと遊んじゃいけないって
が増えた。しかし、案の定また新たな差別が、小さな子供の
向かって言うことはできない。しかし勤め先では、直貴の仕
身の上にまで起こり始める。なかなか色眼鏡をはずすことは
事場を売場から倉庫へ移した会社の社長が言う。
﹁差別はね、
同作者の﹁プラチナデータ﹂では、DNAによる犯罪捜査
で き な い。
﹁殺人﹂という言葉を知らないであろう子供まで
言 わ れ て る ん だ も ん。
﹂二人に子供が産まれ、新たな繋がり
がすすめられている。
﹁もし私の親戚から犯罪者が出たら、
差別される。そうしてそれを心配した私も、結局同じ眼鏡を
当然なんだよ。
﹂
に知れ渡っちゃうでしょ。
﹂
﹁プライバシーの侵害じゃないか
その人と私の間に血の繋がりがあるってことが、すぐに周り
かけているのだ。
剛志は久しぶりに一通の手紙を受け取った。弟からだった。
しら。
﹂︱DN Aの登録を渋る主婦が言う。彼女がおそれて
いるのは、直貴のようになることだ。犯罪者の身内として差
れている。弟の進学を願っていたはずが、獄中でも弟の幸せ
自分を守るため、家族を守るため、兄弟の縁を切る、と記さ
差別とはなんだろう。差別をするのはいけないと言われた
別されることをおそれているのだ。
兄とすべてのけじめをつけたはずの直貴は、ボランティア
まったのだ。手紙には、検閲印の桜が咲いていた。
で﹁イマジン﹂を歌うため兄のいる刑務所を訪問する。自分
だ け を 願 っ て い た は ず が、 突 然 兄 弟 の 繋 が り を 切 ら れ て し
だ。それを無断で︵殺人などで︶断ち切ることなど誰もして
に﹁兄貴に弟の姿を見せるのはこれが最後なんだから。
﹂と
ことがある。しかし、社長は差別を当然のことだと言った。
はならない。
﹂
﹁だから、君が今受けている苦難もひっくるめ
﹁人には繋がりがある。愛だったり、友情だったりするわけ
て、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ。
﹂剛志が犯した殺
言い聞かせて。きっと、ここに切っても切りきれない糸があ
ように見え、そこに胸の前で合掌する兄の姿があった。詫び
るのだ。ステージに上がった直貴に、観客の中の一点が光る
るような祈るような兄を前に、声が出ない。けれど、きっと
るという重い罪なのだ。社長は﹁他の人間との繋がりの糸を、
一本ずつ増やしていくしかない。
﹂とも言った。直貴は、兄
人という罪は、直貴とそのまわりの人々との繋がりを断ち切
によって断ち切られた網をこれからまた広げなくてはならな
98
お互いの声を聞ける日はいつかくるだろう。二人の糸は太く、
も、私たちは犯罪を許してはいけないのだ。私は今も、たく
がっていく。
さ ん の 人 と 繋 が っ て い る。 こ れ か ら も、 た く さ ん の 人 と 繋
今日も、様々な事件が報道されている。どこかで直貴のよ
対象作品/小林多喜二著﹃蟹工船﹄新潮社
強いのだ。
佳作
うな思いをしている人がいるかもしれない。だから、それで
中学校三年の部
小林多喜二が見た〝日本〟
弘前市立第一中学校
澤 七 帆
相
生、貧民街の少年などが、人間的権利を剥奪されて、会社や
島の領海に侵入して、蟹を取って加工して罐詰にする仕事、
帝国のために虐使されていた。旧ソビエト領カムチャッカ半
蟹工船で彼らは働いていた。その現状が鮮明に書かれている。
これは、
﹃蟹工船﹄の冒頭の一行である。
﹁蟹工船﹂
。私がこの本の存在を知ったのは、中学二年生の
﹁おい、地獄さ行ぐんだで!﹂
歴史の授業の時だ。当時は難しそうな文学小説だと思い、あ
益が優先だと考える漁業監督からの虐待、目や口から血を吐
き出す程の重労働の様子が細かく書かれていた。特に監督の
体中に南京虫や虱がわくほどの不潔さ、人の命より会社の利
行動が残酷だ。ピストルを発砲して労働者を脅したり、友船
まり興味がなかった。しかし三年生になって、ふとこの小説
が気になり、思わず買ってしまった。読んでみると、難読漢
を思い出した。私は近代歴史が大好きなので、急に本の内容
字や旧仮名使いが多くて大変だったが、内容が強烈で、その
働者の皮膚に焼きを入れたり、働きづめに働かされて病気に
のS・O・S信号を無視して沈没させたり、働きが少ない労
日本国ではなく大日本帝国だった時代。欧米列強にこの国
なっても放置したり、自分の業績だけを考え、労働者に人と
深さにのめりこむように読み進めていった。
が追いつこうとしていた最中、秋田、青森、岩手の百姓や学
99
会社から責任を問われてクビになった。そして、労働者達は
はストライキをする。結果、ストライキは成功して、監督は
終わってしまった。だが、それでも諦めずに、もう一度彼ら
ことによって、ストライキの代表九人が譲送されて、失敗に
と思いきや、国民の味方ではない帝国の軍艦、駆逐艦が来た
出す程の大事なストライキとなった。このまま成功するのか
トライキは、ついに船を乗っ取り、監督や船長に要求条項を
いにストライキを起こす。皆で仕事をサボる事から始めたス
もよく伝わってくる。我慢の限界に達した労働者たちが、つ
獄 だ。
﹁おい、地獄さ行ぐんだで!﹂この言葉の意味がとて
のはおかしい!﹂という思いがとてもよくわかる。多喜二自
している。同じ人間であるはずだが、経済や生活で差がある
る。さらに資本家は、自分の利益を上げるために経済を動か
族や資本家などは、その利益でぜいたくに悠々と暮らしてい
い人々は過酷な労働を強いられ、虐使されている一方で、貴
が無くなってほしい。
﹂という多喜二の声が伝わった。
﹁貧し
がって、後世ではもう二度と奴隷的拘束及び苦役で行う仕事
など貧しい人々も、同じ人間だから平等であるべきだ。した
には、
﹁貴族や監督など会社の上層部の人も、労働者や百姓
は伝えたかったのか。人それぞれ感じ方は違うと思うが、私
悟でその思いを書いていたのだろう。では、一体何を多喜二
にも伝えたいという思いがあったからだと思う。彼は死ぬ覚
続けたのか。多分、それは多喜二が現世だけではなく、後世
護送されて、その後それぞれの労働の層に入り込んで行った。
身も秋田県の貧しい農家に生まれたので、人々の貧しさをよ
も思えぬ扱いぶりで接していたりした。この現状はまさに地
人間的権利を奪われた労働者のストライキを起こす﹁勇気﹂
、
く分かっていただろう。その分、内容が細かく書かれていた
失敗してももう一度立ち上がる﹁根性﹂に私は感服した。
ので、考え方が情熱的だった。読んでいくうちに同感してい
さて、多喜二が世を去ってから八十年後の今、日本はどう
しかし、ふと、この本には国に対して、不利な事ばかり書
なったのか。一九四六年十一月三日、日本国憲法が公布され
いているな、と思った。当時、表現の自由など無い。本を閲
け伏字として出版させられたり、その本自体販売禁止にされ
た。平和主義、国民主権、そして基本的人権の尊重の三原則
く自分に気づいた。
たり、作者自身が逮捕されたりしていたのだ。実際、この小
の憲法で成り立っている。基本的人権の尊重によって、奴隷
覧され、国に対して不利な事がかかれていたら、その部分だ
説の作者、小林多喜二自身も、特高警察から目をつけられた
しかし、すべての人々が平等に暮らしているわけではない。
的拘束及び苦役を受けない権利、生きる権利が与えられた。
り検挙されたりしたこともある。
それでも多喜二は、プロレタリア文学を拷問で虐死される
まで書き続けた。なぜ身の危険を感じながら、諦めずに書き
100
この本を通して、基本的人権の大切さを知ることができた。
なくはないだろう。
精神的な虐待も問題となっている。それが原因で死ぬ人も少
行っている企業がある。まるで、
﹁蟹工船﹂のようだ。また、
て、使えなくなったらクビにする、いわゆる人の使い捨てを
﹁ブラック企業﹂の様に、若い人に対して重労働を強いらせ
かったことを忘れずに生きて行きたい。
小林多喜二の精神が芽生えた気がする。小林多喜二の伝えた
私にとって大きな収穫を得ることができた。私の心の中に、
のか、よくわかった。今回人権について考える機会ができて、
に困難で、多くの犠牲者を出すほど大変な道をたどって来た
いて知ることができた。民主主義になるまでの道のりがいか
ているのだと確認した。また、今の姿になるまでの日本につ
対象作品/芥川龍之介著﹃蜘蛛の糸
杜子春﹄新学社
﹁人は皆平等だ。誰にでも生きる権利がある。
﹂
佳作
基本的人権によって守られているからこそ、今、自分は生き
中学校三年の部
﹃杜子春﹄に学ぶ心の在り方
﹃蜘蛛の糸﹄と﹃杜子春﹄
。芥川龍之介の代表的な短編を続
のは蜘蛛を助けたからで、杜子春が正直に暮らそうと思った
つきました。しかし、おシャカ様がカンダタに糸を垂らした
弘前市立新和中学校
野 未 希
清
けて読みました。この二つの物語には、人間の様々な心が映
のは母の愛があったからです。
カンダタは蜘蛛の糸を独り占めしようとした心が糸を切ら
うに細い糸にでもすがってはい上がろうとする焦り、また一
のでしょう。カンダタの心には、絶望の中で、蜘蛛の糸のよ
きっと、生きているかぎり人間は、心の善悪を抱えていく
し出されています。人の善悪やエゴイズム。誰もが心の中に
せてしまいました。杜子春は仙人のおかげで二度大金持ちに
人だけ助かっている優越感、下でたくさんあとから昇って来
持っている一面が際立って見えてきます。
なり、そのたびに貧乏になって、態度を変える人間に愛想が
101
ダタのエゴイズムによって糸が切れてしまったのは自業自得
な心をもて遊んだようにも見えます。しかし、その後のカン
なのかなとも思いました。
た他の罪人たちへの怒り、そして誰のものでもない糸を独り
占めしようとする独占欲などたくさんの腹黒い自己中心的な
かります。しかし、耐えぬく杜子春の前に亡くなった両親へ
を守り、帰りを待つ杜子春の前にいくつもの試練がおそいか
します。一言も喋ってはいけない。仙人に言われた言いつけ
人間の薄情さに愛想がつきた杜子春は仙人になろうと決意
一方、杜子春は仙人によって選択を迫られます。
悪い心が出てきます。
杜子春の周りの人間には、金持ちなときは世辞、貧乏にな
れば優しい顔もしない薄情な心が出てきます。
私は、この二つの物語の共通点は、それぞれ究極の選択を
カンダタはおシャカ様によって、杜子春は仙人によって心
迫られるところだと思います。
りろと言いました。自分もそうであるのにも関わらず、あた
カンダタは、自分の下で糸を昇ってきていた罪人たちに降
子を思う母の愛、若者を立ち直らせた仙人の愛、たくさんの
がつきたと言いますが、私は愛があふれる物語だと思います。
らしをすることに決めました。杜子春は人間の薄情さに愛想
母の姿に心打たれついに喋ってしまいます。そして正直な暮
のひどい仕打ちが始まります。苦しみの中、杜子春を信じる
かもその糸が自分のものであるかのように。そこでカンダタ
愛でつまっています。
を試されていたのでしょう。
もし違う選択をしたら、カンダタは助かっていたのでしょう
たのではないかとも思います。おシャカ様の気まぐれにカン
なと思います。また、おシャカ様はこうなることを知ってい
こにある。もしも私にそんな選択を迫られる場が訪れたら、
目の前にあるのかもしれない。目には見えないけど確実にそ
しかねる場面は訪れるのでしょう。もしかしたら、もうすぐ
きっと、私たちの前にも選択に迷うような、あるいは決断
愛が良い結末へ導いたのではないかと思います。
私は、カンダタのエゴイズムが悪い結末へ杜子春への母の
選択した二人の結末はどうして違うのか。
たのではないかと思います。
だからこそ杜子春は選択を見誤らず正直に生きる道を選べ
は、選択を間違え、また地獄へ落ちていきました。しかし、
か。私は、そうは思いません。カンダタが奪った多くの命と
救った蜘蛛の命、命の重さを比べてはいけないけれど、カン
ダタが地獄にいたのはそういうことだと思います。
私は、カンダタが蜘蛛を助けたのは気まぐれ、またおシャ
ダタは振りまわされたのではないかと思います。地獄の中で
カ様がカンダタを助けようとしたものもまた気まぐれなのか
どんなに細い糸でもちらつかされたらすがってしまう、そん
102
さんに分かれた岐路。もしかしたら、選ぶ時間なんてないか
るからです。きっと選択してもまた次の選択が訪れる。たく
す。なぜなら、最後にはあるべき人間の生き方が示されてい
きればカンダタではなく、杜子春のようにありたいと思いま
その時の自分が望むことを正直に選ぼうと思います。私はで
質が表れる瞬間だと思います。だから私は、そんな時でも人
のない、瞬時に選択しなければならない時が、きっと人の本
択をするために、生きていこうと思います。また、選ぶ時間
ために、その時その時の自分の誠実な心に従い、より良い選
く私たちには、選べるのだから。少しでも良い結末へ向かう
方と、自分がどう生きたいかについて深く考えることができ
今 回、
﹃蜘蛛の糸﹄と﹃杜子春﹄を読んで人間の心の在り
を思いやれる誠実な心を育てていきたいと思っています。
ました。
ない。それでも私は、カンダタのように蹴落そうとするので
もしれない。命にかかわる大きな選択が待っているかもしれ
こうと思います。目先の利益にとらわれず、もっと大きく大
対象作品/百田尚樹著﹃永遠の0﹄講談社文庫
はなく、他の誰かを思ったり、信じたりしながら、選んでい
佳作
切なものをつかむために。心の善悪を抱えながらも生きてい
中学校三年の部
﹃永遠の0 ﹄をもう一度
弘前大学教育学部附属中学校
川 ひ ばり
江
五七五頁を読み終えるのに、何度辞書を開いたことでしょう。
こ と は あ り ま せ ん。 私 は 日 本 語 を 知 ら な さ す ぎ ま し た。
まざまな心の模様が、静かに、そして激しく語りかけていま
一語一語大切に表現しているからです。一つ言葉が持つ、さ
フィクションでもある、日本が後生に伝えていくべき精神を、
し た。 な ぜ な ら、 こ の 作 品 は、 フ ィ ク シ ョ ン で あ り、 ノ ン
ただ、誠実に読みたいと願っているにもかかわらず、この物
す。私達が経験したことのない、また、忘れてしまったであ
十五年間生きてきて、自分がこれほどに至らないと感じた
語の壮大さに入り込めるだけの語彙力が無いことを痛感しま
103
ろう恐怖と、愛情と、心の純真さを受けとめるには、もう少
せています。志願兵として、海軍の戦闘機部隊で激戦をくり
本物のエース。非常に勇敢な、恐れを知らない戦闘機乗り。
臆病な男。惻隠の情を持った男。何よりも命を惜しむ男。
衆心理は、稚拙ではありますが、悲しいとしか言いようがな
その心さえも封印してしまわなければならない、戦争時の群
さは、持つことを許されなかった人間として当然の心でした。
を嫌という程感じてきた宮部が最後まで守ろうとした命の尊
返し、時には仲間を見送り、時には上官に殴られ、人の痛み
様々な人達の視点でとらえた宮部像は、私の心を大きく揺る
いのです。そのような世の中で、宮部という勇敢な男を中心
し時間がかかりそうです。
がしました。零戦に乗って大空を駆け巡った宮部は、真に日
として、少しずつ紐をほどいていくうちに、涙がこみ上げた
自分の祖父を辿るかのように物語は進んでいきました。
り、怒りで心を掻きむしられる様な感情で、いつの間にか、
彼が美しい人であったかが鮮明に描かれています。米軍の邀
撃が激しかったガダルカナル戦においては、彼は確かに生き
本が誇るべき日本人であり、人間として、男として、いかに
ようとしていましたが、鹿屋での特攻命令時には、無情にも、
だれもがこの作品を読み進めてまもなくから、まるでずっ
とを第一に考えてきた宮部が、また、後輩たちに堂々とした
しりと重たい荷物でも持たされているかのように、ずっと心
態度で、
﹁生きて帰れ﹂と伝え続けてきた宮部がなぜ特攻に
ために戦うということと、死をもって突撃することとは、人
らないと思っています。なぜなら、戦争は事実だからです。
よって命を落とさなければならなかったのでしょうか。宮部
瞳には光さえ感じられなかったにちがいありません。生きる
私達の暮らす日本は、六十八回目の終戦日を迎えましたが、
の為に死ねるのなら本望だと言った大石少尉、この物語では
に 引 っ か か る 疑 問 を、 ラ ス ト に 至 る ま で 抱 き 続 け る こ と で
そ れ は、 六 十 八 年 前 に は、 た し か に 宮 部 や、 戦 争 を 語 っ た
もう一人の祖父を、愛おしいと、そして生き抜いてほしいと
しょう。数え切れないほどの空戦においても、生きのびるこ
人々のような若い兵士たちが、日本国に命を捧げたという事
願ったことは真実なのでしょう。ただ、私達読者は永遠に答
こで私は、何が正しく、何が間違っていたのかを考えてはな
実が存在したということです。その何百万人もの人々の希望
えを求められないまま、宮部の生きることに対する執念の火
間としての尊厳に大きな隔たりがあるからです。ただし、こ
のだと、この作品は真剣に語りかけているのです。そのため
や絶望を感じることは出来なくても、知らなければならない
が消えた瞬間が、未知数となって心に残り続けるのです。
戦争は悲しいです。たくさんの命が失われる事は、とても
に、 戦 争 時 代 に は 決 し て 公 に 口 に す る こ と が 出 来 な か っ た
﹁死にたくない﹂という気持ちを、作者は何度も宮部に語ら
104
苦しい。しかし、祖国を持たないみじめさは、私達が味わっ
でいます。今あるすべての平和に感謝しながら。
るのではないでしょうか。知るための武器となるのが言葉で
対象作品/鳴沢真也著﹃ぼくが宇宙人をさがす理由﹄旬報社
す。言葉の深さを辿りつつ、もう一度読み返してみるつもり
たことのない苦しみです。ですから、正誤ではなく、まず事
佳作
実から目をそらさず知るべきなのだと、作者はうったえてい
中学校三年の部
夢のむこうに
それらが彼を強くしたのだろう。その力の源はいった何なの
引き籠もりから抜け出し、大学受験にも二度目で合格した。
した経験を語っている。だが、それら全てを彼は乗り越えた。
鳴沢さんは、自分が引き籠もった経験や、大学受験に失敗
れた人なのか、ということを思い知らされた。
一つ挙げていけばきりがない。だから、鳴沢さんがいかに優
弘前大学教育学部附属中学校
田
輝
柴
僕 は 目 が 輝 い た。
︵ 自 分 で 言 う の も な ん だ が ︶ 十 年 後、
三十年後、六十年後、この世界はどうなっているのだろう?
自分はどんな生活を送っているのだろう?
と、様々なこと
著者の鳴沢真也さんをはじめとする世界の科学者たちが、
か。どうしたらそんな気力が出るのか。親や友人の励ましな
を空想した。
もの大きな壁があったのだが、それに負けずに試行錯誤を繰
前代未聞の﹁ドロシー計画﹂を成功させるまでには、いくつ
考 え さ せ ら れ た。
﹁夢﹂というものは、これほどまでに人を
文学者になりたい﹂という﹁夢﹂の力だったのだ。僕は深く
ど、数々の要因があるだろうが、その根底にあるものは﹁天
なぜこれほど多くの困難を乗り越えることができたのだろ
変える力があるのか、と。
り返して世界を一つにした。
う。当然のことではあるが、鳴沢さんに比べて僕は人生の経
振り返ってみれば、確かに﹁やってみたい﹂とか﹁あんな
験が浅いし、困難にぶつかった経験もまだ少ない。世界を全
く知らない。英語を上手には話すことができない。と、一つ
105
ふうになりたい﹂と思い頑張ったことが自分にもたくさんあ
後に読者を考えさせる。そして鳴沢さんはSETIを﹁自分
彼は中学校のころから宇宙の研究者になることを志して、
探しの旅﹂と言っている。なぜ、彼は自分を探したかったの
完璧でなければならない、という条件を自分に課す。しかし
か僕は考え、以下の解釈にたどりついた。
から何度も何度も地面を蹴る。友達になりたいから勇気を出
ら、何度も転んでも乗る。逆上がりができるようになりたい
して声をかける、など数えきれない。そして今は、打楽器が
現実は厳しく、引き籠もってしまった。その苦しい日々が自
ることに気づいた。自転車に自由に乗れるようになりたいか
上手くなるように練習している。
分というものを見つめなおすきっかけとなったのだ。夢を追
僕は、本の序盤で、これは小学生向けでも良い本ではない
い求め、SETIを生きがいとし、地球外生命体を探す、と
か、と思った。語りの口調がとてもやさしかったし、難しい
しかし、
﹁夢﹂はそれを持つ人に大きな試練をもまた与え
いう事態が起きた。
﹁SETI 分科会﹂では、鳴沢さんが苦
漢字にはふりがながふってあったからだ。しかし、中盤以降
、そして﹁ドロジー
る。
﹁さざんか計画﹂
、
﹁SETI分科会﹂
手な英語で、しかも世界中の有名な学者たちの前で﹁さざん
は専門的な言葉が出てきて、人間的に深く考えさせられる場
いう挑戦をすることで自分自身の可能性を引き出すことこそ
か計画﹂のことを発表しなければならなかった。
﹁ドロシー
面が多く出てきた。やはり、僕のような、自分について考え
が、
﹁自分探し﹂であること。
計画﹂では、世界規模でSETIをする、という大変な計画
始める中学生に適当な本なのだ。
計画﹂
。
﹁さざんか計画﹂では実行の二ヶ月ほど前に洪水が天
で、世界一の電波望遠鏡であるアレシボをはじめ、世界各国
文台のある町をおそい、町内だけでも十八名の死者を出すと
の都合がなかなか合わない中で鳴沢さんはリーダーとして全
きり言えることは、僕がこの本に出会えなかった、というこ
ここでもし彼が諦めていたら、どうなっていたのか。はっ
研究者がぐっと身近なものに感じられるようになっていた。
ジャーを務めた川口淳一郎氏の講演を聞く機会があり、宇宙
時 に、 弘 前 市 出 身 の﹁ は や ぶ さ ﹂ の プ ロ ジ ェ ク ト マ ネ ー
い存在である、と僕は思っていた。ところが小学校六年生の
宇宙や、宇宙の研究者などは、自分が住む世界とはほど遠
とだ。この本を読ませてくれたことに僕は今本当に感謝して
てをまとめあげなければならなかった。
いる。
興味を持つようになった。宇宙研究は、長い間文明を発達さ
また、僕は日本の為した偉業に感動し、宇宙やその研究にも
本 の 最 後 に あ っ た 言 葉、
﹁生命探査
答えはみつける
ぼ
くたち自身を﹂というのは、どういう意味なのだろう、と最
106
な研究をしている人達は、本当に輝いている。僕がおそらく
せてきた人類が未到達の、いわば最先端の分野である。そん
思ったこともあった。しかし、そんな僕にこの本は、大きな
の時代の生活のままの方が良かったのではないだろうか、と
の足で移動し、火をおこして明かりを灯す、そんないにしえ
僕達だ。きっと、今は想像できない、夢のまた夢のような世
希望を持たせてくれた。地球の未来を創るのは、間違いなく
これから何十年と生きていく中で、人類がどこか地球以外の
星に住むことがあるのだろうか、そして地球外生命体をこの
界を生きるのだろう。
目で見る日がくるのだろうか。近年では、科学の発達によっ
て公害や温暖化の問題が起きている。そんなとき僕は、自分
107
応 募 作 品 審 査 講 評
ख़ӭͽֿߜ౼ផ᜻
小学校三年の部
成
田
宣
子
みなさんが国語の授業で物語文を学習するとき、まず、読
んで感想を書くことが多いと思います。わたしも学級の子ど
もたちに書いてもらいます。すると、それぞれが、おもしろ
かった内容や感動した場面、登場人物の気持ち、好きな表現
などを書きます。けれども、一読しただけでは作者のつたえ
たいことまで読み取る人は多くはありません。そこで、何度
も読み、授業で様々な視点で考えたり自分の経験や知識とく
らべたりしたうえで、内容や文章の良さに気づいたり作者の
つたえたいことを読み取ったりしていきます。主人公の心が
変容した部分を考えて、物語の構造を学ぶこともあります。
すると、学習後には、初めに書いた文章とは比較にならない
ほどテーマにせまった感想を書くことができています。
ところで、読書感想文を書くときにはどうしていますか。
心に残ったことを思いに任せてつづりますか。迷ったときは、
学校の授業で学んだことを思い出してみましょう。読み方や
書 き 方 の ヒ ン ト が あ る は ず で す。 次 に 紹 介 す る 感 想 文 は、
きっと何度も読み、様々な視点で考えたり自分の体験とくら
べたりしながら読んだのでしょう。すばらしい作品です。
まずは、第一席の西村優来さんの﹁あすかちゃんへのお手
紙﹂です。優来さんは、自分の家族やスイミングスクールで
の体験とくらべながら、主人公あすかちゃんの苦しい胸の内
を思いやっていました。それをあすかちゃんへ手紙を書くと
いう手法を用いて表したことで、優来さんの応援メッセージ
がよくつたわってきました。
次に、第二席の坂本みなみさんの﹁
﹃名犬チロリ﹄
﹂です。
みなみさんは、初めて知ったことやセラピードッグのチロリ
のつらさを自分の身に置きかえて考えていました。そして、
チロリから学んだことをもとに、人としてどう生きていくか、
自分の思いをつづっていました。
最後は第三席の高橋博名さんの﹁
﹃十歳のきみへ﹄
﹂です。
この本は、三年生には少しむずかしいのですが、作品からは、
博名さんが、作者の言葉を自分の体験と重ね合わせながら、
まるでそしゃくするように一つ一つ理解していったことがつ
た わ っ て き ま し た。 読 み 終 わ っ た 博 名 さ ん の 心 が ゆ た か に
なったように感じました。
応募された四十二のどの作品からも、みなさんが物語の筋
をどきどきしながら読み進めている様子や、登場人物からも
らった考えを自分の生活に役立てていこうという気持ちがつ
たわってきました。そうした思いをもつことができた一さつ
と出会えて本当によかったと思います。
最後に、本に、教科書のようにサイドラインを引いたり書
きこんだりできない場合のことを紹介します。そういうとき
には、小さな紙を気になったページにはったり一言そえたり
すると、あとで感想文を書くときに役立ちます。これからも
本を読み、自分の考えを紹介し合うことで、その本を読んで
みたいと思う友だちがふえることをねがっています。
111
小学校四年の部
片
山
永
子
今年の小学校四年生のみなさんは、どのような本と出会い、
第 三 席 は 齋 藤 健 太 郎 さ ん の﹁
﹃ゾウの森とポテトチップ
ス﹄
﹂ で す。 齋 藤 さ ん は、 ゾ ウ に 思 い を 寄 せ、 ゾ ウ の 立 場 で
境を守るということについてもしっかりと考えています。作
考え、自分自身のことをふり返っています。さらに、地球環
者が伝えたかったことを自分の生活や環境問題と関連付けて
一つ一つの作品にじっくり目を通しました。第一席から三席
うれしく思いました。選んだ本には、児童文学、フィクショ
てみようと、たくさんの四年生が前向きに取り組んだことを
応募作品を読みながら、読書に興味をもち、感想文を書い
読み取り、自分の思いを述べています。
に選ばれたみなさんは、本を読んで、作者が何を伝えたかっ
本の世界をどのように味わったのかということを考えながら
たのかを自分の生活と重ねて考え、感想や意見を述べている
から、大変なことがあってもあきらめずにがんばることや、
の取り組みと重ね合わせながら、考えています。ジャコの姿
子作りに目覚めたことで成長していく様子を自分のピアノへ
こそものの上手なれ∼﹂です。勉強が苦手なジャコが、お菓
ゆたかにできるとよいと考えます。三つめは、筆者の言葉を
とです。主人公の立場で考え、気持ちを表す表現が、もっと
わいそう﹂
﹁おもしろい﹂という言葉での表現が目立ったこ
けという作品が多かったことです。二つめは、
﹁悲しい﹂
﹁か
す。一つめは、ほとんどがあらすじで、感想は最後に少しだ
気になったこととして、三点ほどあげておきたいと思いま
がっているように感じました。
ン、 写 真 絵 本 な ど 様 々 な 種 類 の も の が あ り、 読 書 の 幅 が 広
まわりの人たちのはげましを自分の力にして乗りこえていく
第一席は齋藤涼太さんの﹁ピアノが上達するために∼好き
ところがすばらしかったです。
ことを学びました。主人公から学んだことを自分自身の生き
は、 し て は い け な い こ と で す。 筆 者 の 考 え を 書 く と き は、
自分の考えのように書いている作品があったことです。これ
第二席は山口美空さんの﹁生活と世界のつながり﹂です。
方に生かそうとする思いが伝わってきます。
これからも、本とのすてきな出会いがあり、自分の言葉で
﹁
﹂をつけて引用であることがわかるように書くのがマ
ナーです。
山 口 さ ん は、 こ の 写 真 絵 本 を 読 ん で、 今 ま で 知 ら な か っ た
パーム油とゾウの森と自分の生活とのつながりについて、家
ゆたかに思いを表現できるよう願っています。
の中の物を調べるなどして、深く考えました。自分にできる
ています。
ことは何かを考え、これから心がけていきたいことをまとめ
112
いるかのようにそうぞうできるので、いっしょにぼうけんし
うことの大切さにふれており、この本を通して、くわしい情
小学校五年の部
また、文章の表現方法に対する感想も述べられており、自
ている気持ちになっていった﹂と記しています。
景や人物の表現方法を積極的に学んだことが伝わってくる、
分や周囲の人たちの心の動きをよく見つめて考えてみるとい
今年度もまた数多くの応募作品が寄せられ、生き生きとし
とても生き生きとした感想文です。
相 馬 省 進
た読書感想文が見られました。中でも、自分の体験と照らし
名作です。刑務所から出てきたジャン=バルジャンに対し、
第三席の﹁
﹃ああ無情﹄
﹂は、ビクトル=ユゴーの名作中の
合わせ、自分の考えや意見を述べる感想文も出品されており
それでは、応募作品の中から三つの作品を簡単に紹介して
感心させられる作品ばかりでした。
ジャン=バルジャンが気高く生きる物語です。山谷香鈴さん
聖職者ミリエル司教が愛をそそいでくれたことがきっかけで、
第一席の﹁目標は命の無駄遣いをしないこと∼﹃生きてる
は、人間が人間らしく生きていくうえで、人を愛すること、
みたいと思います。
だけで百点満点﹄∼﹂は、書き出し文の中で、
﹁命が大切だ
らはとても大切なことであると感じたことでしょう。
﹁人を
人につくすこと、人をあわれむこと、人をゆるすこと、これ
し た ち 自 身 な の だ と 感 じ ま し た。
﹂という表現で感想文を終
良い方向に変えるのも人なのかもしれません。そして、わた
十歳の私たちに何を伝えてくれるのかが気になって、じっく
り読んでみることにした。
﹂と、新川裕奈さんは述べていま
なんて何度も教わったし、当たり前じゃないか。∼しかし、
す。筆者の日野原さんが百年の間に命について考えさせられ
今回は、三十五の作品を読ませていただきました。これか
らも、自分の知識を増やし、自分の経験と照らし合わせた読
えています。感じたことを素直に表現できていた作品です。
書感想文づくりを目指してもらいたいと願っています。
るたくさんの経験をし、意味のない経験はないと伝えている
わったことと自分の生き方に対する決意を述べていて、とて
の に 対 し、 新 川 さ ん が 強 く 共 感 し、 命 に つ い て の 見 方 が 変
も力強い作品となっています。
第 二 席 の﹁ フ ァ ン タ ジ ー の 教 科 書 ﹂ は、 お な じ み の﹃ ハ
リーポッターと賢者の石﹄の読書感想文です。碓井美樹さん
は、この本のすばらしさを、
﹁その場にいてじっさいに見て
113
真理恵さんは、まず自分のことから書き始めています。お父
さんの言葉、オーストラリアで生まれたこと、両親共に英語
その中で、六年生の作品は他学年に比べるとやや数が少なく、
今年度、小学校の部はたくさんの作品の応ぼがありました。
をもっている人でも苦手なものがあるのです。その代わり数
り、親近感がわきます。益川博士のように、ずば抜けたもの
﹁英語は天敵﹂というほど大の苦手であることをこの本で知
ベル物理学賞という素晴らしい賞を受賞している益川博士が
小学校六年の部
が話せるのに自分は英語が苦手であること。少し、英語に対
学校生活においてもいろいろといそがしいのかなあと思いな
学や理科は大好きで得意だったのです。真理恵さんが今後英
するれっとう感があるようです。そんな真理恵さんは、ノー
がら、作品と向き合いました。間もなく中学生となる子供た
佐 藤 郁 子
ちが、読書を通してどんなことを学び、どんな言葉が心に刻
書 き 出 し は、 読 み 手 を ぐ い ぐ い 作 品 の 中 に 引 き こ み ま す。
です。大羅さんが﹃五体不満足﹄に出会ったいきさつからの
もって立ち向かったりすること﹂を感じ取りました。これか
自分の気持ちを伝えたりいじめられてもくじけないで勇気を
は、この本に出会い、
﹁ 動 物 を 助 け る こ と を 通 し て、 正 直 に
第三席は、小田切馨さんの﹁勇気をもって﹂です。馨さん
語を好きになって得意になる日が来るのも夢ではありません。
﹁五体満足﹂という言葉の意味もよくわからなかった大羅さ
ら中学生になる馨さんには、この気持ちを忘れずに友達をた
第一席は、佐々木大羅さんの﹁障害は不幸ではないんだ﹂
まれたのか興味深く読ませてもらいました。
んがこの本に出会い、乙武さんのお母さんの考え方や乙武さ
くさん作ってほしいと思います。
れています。今年度の六年生の作品の中には、あらすじを追
の人生にえいきょうのある言葉を見いだしたことなどが書か
この三作品には、一冊の本全体を通して学んだこと、自分
ん自身の考え方をおどろきと共に受け入れていきます。また、
とによって自分の生活を反省している姿に感心しました。人
んにかかわっているのかに興味をもち、自分に置きかえるこ
があり、残念に思いました。今後、自分の人生にえいきょう
いかけ、その部分部分の感情をはさみこんでいるだけの作品
乙武さんの周りにいる両親、先生、友達がどのように乙武さ
間はだれでもなやみをもっていると思いますが、世の中には
をあたえるぐらいの本に出会ってほしいと願っています。
いろいろな人がいて、自分のなやみは小さいと思えたことに
大羅さんの成長を感じました。この本をすすめてくれたお母
第二席は、千田真理恵さんの﹁英語をふだんから﹂です。
さんに、これからの大羅さんの成長を見せてあげてください。
114
がら、それでも作品の世界に否応なくひきつけられた一度目
の読みから、何度も読み返すうちに見えてきたのは、おぞま
気付いたとき、
﹁僕だったらどうするだろう﹂という問いは
と。利己主義から逃れられない人間の本質が描かれていると
中学校一年の部
しいばかりに思われた老婆と下人の﹁生きるか死ぬかの瀬戸
本を読むのは好きだけど、感想文を書くのは嫌い。そんな
生きている限り続くのだという覚悟に至る過程が、説得力を
際﹂の選択が、決して自分とは縁遠いものではないというこ
人が多いのではないでしょうか。読書を楽しみと感じている
相 木 英理子
人ほどその傾向が強いように思います。
﹁おもしろかった。
﹂
第二席の八木橋知子さんの﹁言葉の力﹂は﹃舟を編む﹄の
もって伝わってきました。
主人公に自分との共通点を感じたことへの驚きが、書くこと
なかった。
﹂と十分に本の世界を堪能したのに、それを文章
﹁わくわくした。
﹂
﹁主人公が大好き。
﹂
﹁感動して涙が止まら
の動機として強く働いたように感じます。うまく人間関係を
ながら見守っているような書き手の熱意が感想文の文体にも
として表現しようとしたとたん、生き生きと輝いていたはず
表れていました。また、人の心を動かす言葉の力に言及した
築くことを諦めていたように思えた主人公の変化を、応援し
では、感想文を書くことのメリットは何なのでしょうか。
結びも作品の内容を自分のものにしていたからこそのもの
のかもしれません。
だ い ぶ 昔 のC M で 申 し 訳 な い の で す が﹁ 一 粒 で 二 度 お い し
の世界が色あせてしまう。そんな気持ちにとらわれてしまう
い﹂というキャッチコピーがありました。それを使わせても
だったと思います。
楽しさを反すうしつつ読み返すことによって気付く新たな発
いを率直に語っています。想像を超えるであろう主人公の置
り組む者としての視点で、主人公への共感や驚き、尊敬の思
スケットと野球という違いはあっても、同じくスポーツに取
第三席の石見遼さんの﹁
﹃左手一本のシュート﹄
﹂では、バ
らうなら、
﹁一冊で二度楽しい﹂という言い方ができそうで
見 が 二 度 目 の 楽 し み。 こ の 二 度 目 の 楽 し み が、 書 く こ と の
す。作品世界に没入して味わう一度目の楽しみと、一度目の
﹁おもしろさ﹂であり、伝える意欲につながるのだと思いま
かれた境遇を﹁どんな感じなのだろう﹂と考え続けたところ
いう意図を感じました。
からも、スポーツという主人公との共通点を軸に書きたいと
す。
第一席となった白戸庸介さんの﹁生きるための選択﹂は、
そうした新たな発見の喜びが感想文をつづる原動力になった
ことを感じさせます。芥川の﹃羅生門﹄を嫌悪感さえ感じな
115
中学校二年の部
験や情報から、いろいろな作品の名前を知っていきますが、
第二席﹁昔も今も﹂の工藤桃さんは、百人一首を妹ととも
それを読もうとする挑戦が私達に必要なわけです。
人一首の恋とうた﹂を手にします。百人一首は古典ではあり
に暗唱するうちに、百人一首に興味を持ち、田辺聖子の﹁百
忙しい世の中で、読みたい作品を見つけ出し、そしてその
ますが、解説を通して現代にも通じるものがあることを理解
舘
田
勝
弘
作品を読むことは、大人になればなおさら容易なことではあ
していきます。
第三席﹁尊重し合えるよりよい社会へ﹂の山形美帆さんは、
りません。今回、読書感想文に応募した皆さんは、進んで読
む本を見つけ出し、これに全力で取り組み、文章化をしたわ
読書体験は、作品を通して読者に新たなる人生や人として
見付けようとしていることに注目します。
と集団の研究報告から、人間世界の個と集団の快適な関係を
意義がある﹄を読みます。身近な働き蟻の生態に見られる個
科学研究に関する作品である長谷川英佑著﹃働かないアリに
の考え方を教えてくれます。読書をしなければ、私たちを心
けで、そのことをまずほめたいと思います。
豊かにしてくれません。大いに読書の機会を増やしてほしい
世界の名作にどしどし挑戦するべきだと思います。大いに期
からは夏目漱石や太宰治など、古典と言われる日本の名作や
皆さんは、難しいから、疲れるからなどと言わずに、これ
今回応募した二年生の感想文は、七校三十五編でした。そ
待しています。
ものです。
八編ありました。残念ながら努力賞に一編が入ったのみでし
のうち、川村元気著﹃世界から猫が消えたなら﹄の感想文が
た。
第一席の上野里紗さんは、小学生時代、チェコに住んだ体
験の持ち主で、その時オランダ、アムステルダムのアンネの
隠れ家や、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を見学し
ていることから、自然に﹁アンネという少女に出会って﹂の
文章が生まれています。体験のままで終わらずに、数年を経
て﹃アンネの日記﹄に挑戦したことのおかげです。様々な体
116
中学校三年の部
章へのこだわりを持ち、あえてそのような表記をする人がい
ると思うが、教育委員会等が主催や後援をするコンクールの
場合は、教科書と同じような表記が一番であることを知って
さて、審査結果であるが、第一席に附属中学校の藤田真奈
いてほしい。
今回の読書感想文コンクールの中学校三年生の部で、特筆
藤美佑さんの﹁明るく努力﹂を、第三席に附属中学校の福島
さんの﹁言い訳を積み重ねて﹂を、第二席に第三中学校の齋
笹
日出美
すべきは弘前市立新和中学校である。十三編の応募があった
奈緒さんの﹁繋がる糸﹂を選んだ。読んでもらえばわかるが、
が、どの作品も高いレベルであった。入賞の結果は別掲のと
おりであるが、学年生徒数を分母にして平均を出す審査方法
この三作品とも読書感想文の書き方の典型である。
藤田さんの作品は、主人公と対比させながら、自分を見つ
での団体戦があれば、第一席は間違いなく新和中学校である。
中学校における読書指導の質の高さが感じられた。今後、読
の主題は⋮﹂と読み解いたことを、
﹁⋮改めて知った﹂
﹁⋮学
め直している。
﹁似ている﹂
﹁勝った気がする﹂
﹁完敗した﹂
んだ﹂
﹁⋮努力していきたい﹂と自らの生き方に生かそうと
﹁いつか主人公のように﹂と起承転結の構成でとても伝わっ
そのところがとてもうまいのは、弘前大学教育学部附属中
しているところに共感できる。福島さんの作品は、同作者の
書感想文コンクールでの上位入賞を目指す場合には、誰に対
学校である。応募作品はどれも文章がとても洗練されている。
別作品も途中引用しながら、
﹁網﹂
﹁差別﹂
﹁繋がり﹂と、本
しての感想文であるのか相手を明確に定め、意見文との書き
豊かで上質な読書に裏付けられていることと、自分の感想を
の世界を冷静に読み込み客観的に論じており、とても説得力
てくる。齋藤さんの作品は、
﹁隠された目標が⋮﹂
﹁この物語
文章で表現することに慣れていることがわかる。ただし、過
分けを適切に行うことが肝要であろう。
度な修飾語が気になる作品もあるので、コンクールに応募す
ら、その相手はもちろん自分自身であってよいが、途中揺れ
手意識がしっかりしている文章である。読書感想文であるか
終わりに、読んで伝わってくる作品は、自分にとっての相
がある。
字 ﹂ の 表 記 で あ る。 目 立 っ た の は 形 式 名 詞 の﹁ こ と ﹂ を
ると実際の読み手もその作品に入りにくくなる。原稿用紙の
作 品 全 体 を 通 じ て 気 に な っ た の は、
﹁ ひ ら が な ﹂ と﹁ 漢
る場合にはあんばいする必要があるかもしれない。
動詞の﹁ない﹂
、動詞﹁できる﹂の漢字表記が目についた。
向こうに伝えたい相手を置いて書いてほしい。
﹁事﹂と漢字で表記していることで、他にも形式形容詞や助
コンクールに応募するレベルの作文を書く生徒の中には、文
117
弘前市立第三大成小学校
山
弘前市立第三大成小学校
黒
弘前市立第三大成小学校
齋
場
妃
乃
野 菜々子
戸
杏
之
谷
綾
祐
沼
優
貴
藤 悠季奈
○努力賞一覧
☆小学校三年の部
弘前大学教育学部附属小学校
南
弘前市立城東小学校
荻
弘前市立致遠小学校
一
☆小学校四年の部
小 夏
滉 希
紗
代
弘前大学教育学部附属小学校
瓜
田
翔
弘前市立福村小学校
工
藤
希乃香
☆小学校五年の部
弘前市立東目屋小学校
三 上
弘前市立石川小学校
小田桐
弘前市立城東小学校
鎌
田
本
ひなた
士
葵
弘前市立千年小学校
中 村 洸
然
弘前大学教育学部附属小学校
澤
田
直
弥
弘前大学教育学部附属小学校
石 岡 千 波
弘前大学教育学部附属小学校
西
愛
子
本
遥
弘前市立東目屋小学校
坂
弘前市立第三大成小学校
坂
弘前市立城東小学校
福
☆小学校六年の部
藤
藤
佳
南
みのり
未
美
康
平
美 南
弘前大学教育学部附属小学校
野 尻 慶太朗
田
萌久華
弘前大学教育学部附属小学校
成
弘前市立第三大成小学校
佐
弘前市立第三大成小学校
工
☆中学校一年の部
弘前市立新和中学校
金
田
弘前市立東中学校
小笠原
弘前大学教育学部附属中学校
吉
村
☆中学校二年の部
弘前市立第三中学校
千 葉 涼 子
弘前大学教育学部附属中学校
小
野
七
未
弘前市立船沢中学校
佐 藤 未 眞
☆中学校三年の部
弘前市立第三中学校
三
上
真貴子
弘前市立第一中学校
西
泉
花
弘前市立東中学校
濱 田 汐 花
弘前市立新和中学校
増
田
樹
弘前大学教育学部附属中学校
比 内 希
弘前大学教育学部附属中学校
成
田
無
限
118
○感想文の対象となった図書
︹書名︺
☆小学校三年
︹著者名︺
︹発行所︺
命かがやく瞬間﹁ハッピーバースデー命かがやく瞬間﹂より
青木 和雄
金の星社
あすなろ書房
子ども版三国志
生越
嘉治
十歳のきみへ︱九十五歳のわたしから
日野原重明 冨山房インターナショナル
チロヌップのきつね
たかはしひろゆき
金の星社
エレベーターは秘密のとびら
三野 誠子
岩崎書店
そうえん社
ゾウの森とポテトチップス
横塚眞己人
どぶねずみ大作戦 地下鉄ねずみのミニー
童話館出版
イレーヌ・シュワルツ
湯本香樹実
新潮社
夏の庭 ︱The Fr ien ds ︱
ジャコのお菓子な学校
ラッシェル・オスファテール
文研出版
女王さまのむらさきの魔法︵魔法の庭ものがたり︶
ハッピーオウル社
あすなろ書房
あんびるやすこ 株式会社ポプラ館
おじいちゃんがおばけになったわけ
キム・フォップス・オーカソン
りんごのおじさん
竹下
文子
ちび魔女メルフィー ドジはせいこうのもと しっぱい大すき!
アンドレアス・シュリューター
旺文社
ココロ屋
梨屋アリエ
文研出版
まほうの青いノート
竹田まゆみ
友禅堂
こおり たくさんのふしぎ傑作集 前野 紀一
福音館書店
ヘレン・ケラー
砂田
弘
ポプラ社
へんくつさんのお茶会
理論社
岩崎書店
講談社
金の星社
楠
章子
ベネッセコーポレーション
コロボックル物語① だれも知らない小さな国
佐藤さとる
かわいそうなぞう
土家由岐雄
名犬チロリ
大木トオル
めたねこムーニャン
山中
恒
ポプラ社
さ・え・ら書房
文研出版
BL出版
童心社
いのちをつなぐ セラピードッグをめざす被災地の犬たち
大木トオル
岩崎書店
ファーブル昆虫記
アンリ・ファーブル
集英社
かいけつゾロリ
はなよめとゾロリじょう
ポプラ社
原
ゆたか
ひ・み・つ
たばたせいいち
これは本
レイン・スミス
ねこかもね
なかえよしを
むくむくとぴー
うすいしゅん
ルラルさんのバイオリン
いとうひろし
119
ハーウィン・オラム 評論社
あおいねこ
谷内こうた
講談社
みんなでドボーン︵こぐまのエンデ︶
メガネをかけたら
くすのきしげのり
小学館
クリスマスのころわん
間所ひさこ ひさかたチャイルド
島のゆうびんやさん
石津ちひろ
理論社
アナグマさんはごきげんななめ
マジックツリーハウス アルプスの救助犬バリー
ナルニア国物語 ライオンと魔女
C・S・ルイス
岩波書店
リトル・プリンセス
ケイティ・チェイス
ポプラ社
妖怪一家九十九さん
富安 陽子
理論社
さとうわきこ
ポプラ社
PHP研究所
くもん出版
︹著者名 ︺ ︹発行所︺
どんぐりのき
亀岡亜希子
黒馬物語
アンナ・スウェル
講談社
☆小学校四年
︹書名︺
ふうせんのはか︵くもんの児童文学︶
さだまさし
ハート出版
空から降ってきた猫のソラ 有珠山噴火・動物救護センターの
﹁天使﹂
旺文社創作児童文学
今泉
耕介
黒うさぎ王国
とぶキャベツのひみつ
柏葉
幸子
おちゃめなふたご︵ポプラポケット文庫︶
エニド・ブライトン
ポプラ社
クリスマス殺人事件
N・ブレイク 国土社
サングラスをかけた盲導犬
手島
悠介
岩崎書店
学研教育出版
ひくまの出版
J ・K・ローリング 静山社
新版
ガラスのうさぎ
高木
敏子
金の星社
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
金田喜兵衛
大西伝一郎
文渓堂
ひくまの出版創作童話
つむじかぜシリーズ
がんばれ!しろくまピース 人工飼育でそだったホッキョクグマの赤ちゃん
ル 文研出版
ジャコのお菓子な学校
ラッシェル・オスファテー 雨ふる本屋
日向理恵子
童心社
ブタどろぼうにごようじん!
いわままりこ
岩崎書店
さとうまきこ
偕成社
9月0日大冒険︵偕成社ワンダーランド︶
アルフ・プリョイセン
おじいちゃんの手品
山県
喬
岩崎書店
小さなスプーンおばさん︵新しい世界の童話シリーズ︶
メアリー・ポープ・オズボーン メディアファクトリー
そうえん社
ゾウの森とポテトチップス
横塚眞己人
32
120
わたし魔女になりたい!
寺村
輝夫
あかね書房
くりぃむパン
濱野 京子
くもん出版
百点が四十点にズッコケた
鈴木喜代春
あすなろ小学生文庫
電池が切れるまで
宮本
雅史
角川学芸出版
学研教育出版
五月は花笠
後藤 竜二
新日本出版社
ぼくは王さま
寺村 輝夫
理論社
十五少年漂流記
ジュール・ベルヌ
ポプラ社
福音館書店
今西
乃子
金の星社
レンタルロボット
滝井
幸代
心のおくりびと 東日本大震災復元納棺師
エルマーと十六ぴきのりゅう
ルース・スタイルス・ガネット
3年2組は牛を飼います
木村セツ子
文研出版
かいけつゾロリのじごくりょこう
原ゆたか
ポプラ社
忍者サノスケじいさん2 忍法はたのしいなの巻
ひくまの出版
なすだみのる
いやいやえん
中川李枝子 福音館書店
犬ぞりの少年
J ・R・ガーディナー
文研出版
ココロ屋
梨屋アリエ
文研出版
よだかの星
宮沢 賢治
ほるぷ出版
目の見えない犬ダン
大西伝一郎
学研
ト
エルマーとりゅう
ルース・スタイルス・ガネッ 子ども本研究社
マリと子犬の物語
ひろはたえりこ
汐文社
︹書名︺
☆小学校五年
︹著者名︺
︹発行所︺
命がこぼれ落ちる前に︵感動ノンフィクションシリーズ︶
今西 乃子 佼成出版社
犬たちがくれた音
高橋うらら
金の星社
新島八重ものがたり 桜舞う風のように
集英社みらい文庫
藤咲あゆな
大きい一年生と小さな二年生
古田
足日
偕成社
救助犬ベア 9・ ニューヨークグラウンド・ゼロの記憶
スコット・シールズ、ナンシー・M・ウェスト
金の星社
いじめ もう涙はいらない 武内
昌美
小学館
ぼくらのミステリータウン5 盗まれたジャガーの秘宝
ロン・ロイ
フレーベル館
れっつ! ランニング
次良丸 忍
金の星社
復活! 虹北学園文芸部
はやみねかおる
講談社
怪人二十面相
江戸川乱歩
講談社
命のバトン 津波を生きぬいた奇跡の牛の物語
佼成出版社
堀米
薫
マジック・ツリーハウス1 恐竜の谷の大冒険
メアリー・ポープ・オズボーン メディアファクトリー
Ano t her
綾辻
行人
角川書店
おおかみこどもの雨と雪
細田
守
角川書店
121
11
ダイヤモンド社
生きてるだけで百点満点
九十九歳のぼくから君たちへ
日野原重明
空色の凧
シヴォーン・パーキンソン
さ・え・ら書房
グレッグのダメ日記
ジェフ・キニー
ポプラ社
ハリー・ポッターと賢者の石
J ・K・ローリング
静山社
IQ 探偵ムー
深沢
美潮
ポプラ社
オムレツ屋へようこそ!
西村 友里
国土社
新日本出版社
有松の庄九郎
中川なをみ
ホームレス中学生
田村
裕 幻冬舎 よしもと文庫
ココロ屋
梨屋アリエ
文研出版
チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール
評論社
がんを生きる子
松永 正訓
講談社
みんなを守るいのちの授業 大つなみと釜石の子どもたち
日本放送出版協会
片田
敏孝
魔女の宅急便
角野
栄子
福音館書店
あかね書房
国境をこえた子どもたち 国際養子縁組の家族あかねノンフィクション
今西
乃子
心のおくりびと 東日本大震災復元納棺師
今西
乃子
金の星社
ああ無情
ビクトル・ユゴー 集英社
米倉斉加年
偕成社
おとなになれなかった弟たちに⋮
︹著者名︺
︹発行所︺
ロック わんこの島
水稀 しま
小学館
よだかの星
宮沢 賢治
くもん出版
︹書名︺
☆小学校六年
朝日学生新聞社
益川博士のロマンあふれる特別授業子どもたちに、伝えておきたいこと
西の魔女が死んだ
梨木
香歩
新潮文庫
放課後の時間割
岡田
淳
偕成社
益川
敏英
オムレツ屋へようこそ!
西村
友里
国土社
織田信長 戦国の風雲児
鈴木 俊平
講談社
雨ふる本屋
日向理恵子
童心社
新版 ガラスのうさぎ
高木 敏子
金の星社
ああ保戸島国民学校︵文研じゅべにーる︶
小林しげる
文研出版
永遠に捨てない服が着たい 太陽の写真家と子どもたちのエコ革命
今関
信子
汐文社
桐島、部活やめるってよ
朝井リョウ
集英社
くもん出版
宮沢 賢治
銀河鉄道の夜
ぼくらの七日間戦争
宗田
理
角川文庫
動物と話せる少女リリアーネ
学研教育出版
タニヤ・シュテーブナー
ぼくらの大冒険
宗田
理
ポプラ社
122
︹発行所︺
ハート出版
五体不満足
乙武
洋匡
講談社
︹著者名︺
聴導犬・美音がくれたもの
松本 江理 え!おれっていじめっこ?
井上よう子
文研ブックランド
ぼくが宇宙人をさがす理由
鳴沢
真也
旬報社
☆中学校一年
︹書名︺
復刊ドットコム
トイストーリー3
小宮山みのり 講談社
講談社青い鳥文庫
黒魔女さんが通る
石崎 洋司
オズのリンキティンク
ライマン・フランク・ボーム
境界線上のホライゾン
川上
稔 アスキー・メディアワークス
いちご同盟
三田
誠広
集英社文庫
犬と私の十の約束
サイトウアカリ アスキー・メディアワークス
羅生門
杜子春
芥川龍之介
岩波少年文庫
︹著者名︺
︹発行所︺
舟を編む
三浦しをん
光文社
弟の戦争
ロバート・ウェストール
徳間書店
左手一本のシュート
島沢 優子
小学館
風をつかまえた少年
ウィリアム・カムクワンバ
文藝春秋
☆中学校二年
︹書名︺
マガジンハウス
世界から猫が消えたなら
川村 元気
ピンクとグレー
加藤シゲアキ
角川書店
グラウンドの空
あさのあつこ
角川書店
ハリー・ポッターと賢者の石
J ・K・ローリング
静山社
カゲロウデイズ3 t he c hi ldren reason
じん︵自然の敵P ︶ エンターブレイン
おおかみこどもの雨と雪
︵角川つばさ文庫︶
夏の庭 ︱The Fr ien ds ︱
湯本香樹実
新潮社
謎解きはディナーのあとで
東川
篤哉
小学館文庫
細田
守
角川書店
その日のまえに
重松
清
文藝春秋
天国までの四十九日間
櫻井千姫 スターツ出版株式会社
カゲロウデイズ1
じん
︵自然の敵P︶
KCG文庫
西の魔女が死んだ
梨木
香歩
新潮文庫
田辺
聖子
ポプラ社
小倉百人一首 百人百首の恋とうた
ナルニア国物語ライオンと魔女
C・S・ルイス
岩波書店
小さな町の風景
杉 みき子
偕成社
千と千尋の神隠し
宮崎
駿
徳間書店
HUNTER×HUNTER 緋色の幻影
田中
創
集英社
獣の奏者
上橋菜穂子
講談社
123
!
!
鎌田 洋 ソフトバンククリエイティブ
永遠の0
百田 尚樹
講談社
博士の愛した数式
小川 洋子 新潮社
ガリレオの苦悩
東野
圭吾
文藝春秋
三匹のおっさん
有川
浩
文藝春秋
きみの友だち
重松
清
新潮社
ディズニーサービスの神様が教えてくれたこと
香月
日輪
講談社文庫
モンスターハンター
EPISODE∼nove l・5
長田
新
童心社
フリーター、家を買う。
有川
浩
幻冬舎
旅のラゴス
筒井 康隆
新潮文庫
集英社文庫
いちご同盟
三田
誠広
アバター
山田
悠介
角川文庫
赤毛のアン
ルーシー・モード・モンゴメリ
新潮文庫
わたしがちいさかったときに﹁原爆の子﹂他より
エンターブレイン
新学社
新学社
集英社
杜子春
芥川龍之介
新学社文庫
ランナー
あさのあつこ
幻冬舎
青の炎
貴志 祐介
鼻
芥川龍之介
蜘蛛の糸、杜子春
芥川龍之介
MOMENT
本多
孝好
蟹工船
小林多喜二
新潮社
坊ちゃん
夏目 漱石
新潮文庫
ルーンの子供たち
ジョン・ミンヒ
宙出版
きみの友だち
重松
清
新潮社
ぼくが宇宙人をさがす理由
鳴沢 真也
旬報社
グスコーブドリの伝記
宮沢 賢治
くもん出版
角川書店
氷上 慧一
妖怪アパートの幽雅な人々 妖アパミニガイド YA!ENTERTAINMENT
ドミノ
恩田
隆
角川書店
アントキノイノチ
さだまさし 幻冬舎
廣済堂出版
甲子園だけが高校野球ではない
岩崎
夏海
グスコーブドリの伝記
宮澤 賢治
理論社
アンネの日記
アンネ・フランク
文藝春秋
風をつかまえた少年 ウィリアム・カムクワンバ 文藝春秋
舟を編む
三浦しをん 光文社
メディアファクトリー
働かないアリに意義がある
長谷川英祐
︹書名︺
︹著者名︺
︹発行所︺
☆中学校三年
フェリックスとゼルダ モーリス・グライツマン
あすなろ書房
五分で読める!ひと駅ストーリー 乗車編
中山
七里
宝島社
永遠の0
百田 尚樹 講談社
大江戸妖怪かわら版
香月
日輪
講談社
124
魔法使いとハウルと火の悪魔
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
徳間書店
講談社
文春文庫
双葉社
いとみち
越谷オサム
新潮社
博士の愛した数式
小川 洋子 新潮社
十字架
重松
清
講談社
いちご同盟
三田 誠広
集英社
宝島社
さよならドビュッシー
中山
七里
家族の言い訳
森
浩美 手紙
東野 圭吾
自分を愛する力
乙武
洋匡
125
○読書感想文コンクール応募学校と応募作品点数の推移
小学生の部
中学生の部
応 募 応 募 応 募 応 募
校 数 作品数 校 数 作品数
18
第1回
230
38
4
2
22
265
4
17
222
22
3
23
5
19
6
17
7
16
8
16
9
10
13
11
12
14
16
17
18
19
79
83
77
17
104
21
22
7
133
20
21
143
199
16
24
20
11
80
17
17
75
197
233
12
13
9
7
10
109
15
15
40
250
18
13
13
211
5
125
107
132
114
121
69
8
8
51
74
64
108
87
60
9
115
6
109
8
7
9
97
121
95
9
139
8
114
8
8
10
9
9
10
101
113
121
116
151
132
小学生の部
中学生の部
応 募 応 募 応 募 応 募
校 数 作品数 校 数 作品数
80
125
11
第23回 15
24
15
107
10
121
26
17
143
10
70
25
19
27
16
28
137
97
16
29
73
14
30
86
16
31
66
17
32
67
14
33
63
16
34
94
17
35
97
18
36
92
17
37
91
19
38
87
17
39
19
40
41
43
116
17
91
15
44
99
19
15
42
74
20
106
84
139
8
91
82
12
61
6
65
8
78
7
78
7
66
7
60
6
67
8
71
8
54
7
56
7
58
7
70
9
54
6
61
7
88
6
83
10
99
9
○第44回
(2013)
読書感想文コンクール応募作品数
部門別
応募作品数
4年
43(24)
3年
小学生
5年
6年
合 計
42(19)
35(13)
19(28)
139
中学生
部門別
応募作品数
1年
24(24)
3年
40(25)
2年
合 計
35(34)
99
※( )
内は前年・第 43 回応募作品数
126
平成 年度弘前市小・中学生
読書感想文コンクール︵第 回︶ 応募要項
一、趣
旨 本市における読書普及活動の一環として、市内の小・中学
校を対象に行うもので、読書に対する関心を高めるととも
に、鑑賞力と作文力向上のための一助とします。
二、主
催 弘前市教育委員会
主管
弘前市立弘前図書館
三、後
援
弘前市立図書館後援会・㈱東奥日報社・㈱陸奥新報社
四、応募要領
⑴
対 象 者
弘前市内の小学校三年生以上の児童及び中学校生徒とし
ます。
⑵ 対象作品 感想文の対象とする作品は、特に文学作品と限らず書籍
として発行されているもの。ただし、教科書・副読本等
に掲載されている作品は対象外とします。
⑶
応募方法
応募作品は、各校からまとめて出品するものとします。
⑷ 応 募 先 弘前市立弘前図書館 整理係
〒〇三六︱八三五六
弘前市大字下白銀町二番地一
℡ 〇一七二︱三二︱三七九四
⑸
締 切 り
平成二十五年九月二十日︵金︶
五、応募原稿
⑴ 用
紙 B四判四百字詰め縦書き原稿用紙とします。
⑵
筆記用具
原則として鉛筆︵BまたはHB︶・ボールペン︵黒また
は青色︶とします。
⑶ 枚
数 小学校三・四学年⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮原稿用紙 五枚以内
小学校五・六学年⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮原稿用紙 七枚以内
中学校一・二・三学年⋮⋮⋮⋮⋮⋮原稿用紙 十枚以内
感想文の﹁題名﹂と﹁学校名﹂
・
﹁学
⑷
題 名 等
応募原稿の頭書には、
年﹂
・
﹁氏名﹂だけを記載し、他事は記載しないこととし
ます。以上は、三行以内に収め、四行目から本文に入る
ものとします。
⑸ 応 募 票 応募原稿には、次の各事項を記載した応募票を貼付して
ください。
44
①
感想文の題名
②
所属学校名
③
学年
④
氏名・性別
⑤
感想文の対象となった作品に関する書誌的な事項
a 、対象となった作品名︵対象作品が全集などのシリーズの中
に収められている場合は、巻号︶
b、著者名
c 、訳者名︵外国の作品や古典の場合︶
d、発行所
⑹ そ の 他 応募原稿は、本人の手書きとし、他のコンクールに応募
していない作品とします。
*右記の事項を満たしていない作品は審査の対象から除外することもあり
ます。
六、審
査 応募した作品は、次の七部門に区分し、各部門ごとに第一
席、第二席、第三席を各一編のほか、佳作及び努力賞を各
数編決定します。
小学校⋮三学年の部、
四学年の部、
五学年の部、
六学年の部
中学校⋮一学年の部、
二学年の部、
三学年の部
七、審査委員︵順不同・敬称略︶
佐藤
きむ
日本エッセイスト・クラブ会員
相馬 省進 弘前市国語教育研究会副会長
佐藤 郁子
弘前市国語教育研究会副会長
成田 宣子 弘前市小学校学校図書館教育研究会会員
片山
永子
弘前市小学校学校図書館教育研究会会員
笹
日出美
弘前地区中学校教育研究会国語部会会長
相木英理子 弘前地区中学校教育研究会国語部会副会長
舘田
勝弘
弘前市教育委員会郷土文学館
企画研究専門官
八、入選発表 コンクールの審査結果は、各学校へ通知するほか、東奥日
報、陸奥新報紙上で、発表します。
また、十一月三十日︵土︶弘前市立弘前図書館において表
彰式を開催し、入選者に賞状及び賞品を贈ります。
九、その他
⑴ 各部門で、第一席・第二席・第三席及び佳作に入選した作品は、﹁文
集はと笛・二〇一三﹂へ収録し市内の各小・中学校及び作品収録者、
県内公立図書館などへ配布します。
⑵
応募原稿は、お返ししませんので、必要と思われる方は、コピーす
るようにしてください。
*不明な点は、弘前市立弘前図書館﹁読書感想文コンクール﹂担当へお問
い合わせください。
︵℡三二︱三七九四︶
127
25
立つと思います。
図書がたくさんあり、これらも読むと必ず役
自然、技術、産業、芸術・美術・スポーツの
▼
今年は台風十八号により農作物、建物に
記録的な被害を受けました。被災された皆様
す︵出版年鑑二〇一三より︶。当館としまし
あ と が き
方に謹んでお見舞い申し上げます。
てもできる限り多くの図書の提供に努めてま
年間、約八万点に及ぶ図書が誕生していま
▼
第 四 十 四 回 目 と な る 今 年 の 弘 前 市 小・
中 学 生 読 書 感 想 文 コ ン ク ー ル に は、 市 内 の
市小・中学生読書感想文コンクールに応募い
いりますので、時折、普段と違う図書を手に
取り読んでみてください。
今回、平成二十五年度︵第四十四回︶弘前
小学校二十校と中学校九校から合わせて
しても、悩みや不安、苦しみや哀しみといっ
ただいた作品で取り上げられた図書につきま
ました。
たことが題材となっているものが多くござい
応募作品が二百点を超えるのは平成七年度
二百三十八点の作品が寄せられました。
以来十八年ぶりのことで、主催者としてはと
忙しい中たくさんの作品に目を通して審査し
とご協力いただいた学校の先生方、また、お
物事によってもたらされるものでもあります
望ましいと思います。しかし、これは相手や
り、四つとも偏りなく身に付いていることが
人は喜怒哀楽という四つの心の状態があ
先生方に、この場を借りて心からお礼申し上
た学校の先生方と審査員となっていただいた
ん、ご多忙の中、時間を割き指導にあたられ
ンクールに応募いただいた児童・生徒の皆さ
く上回る数の作品を応募いただきました。コ
最後になりましたが、今回は昨年度を大き
ても喜ばしく、作品を応募してくれた皆さん
てくださいました審査員の皆様方に心から感
ので、言うほど簡単にはいかないと思います。
さて、現代の私たちは常にたくさんの本に
謝申し上げます。
は と 笛 二〇一三
編集 弘 前 市 立 弘 前 図 書 館
弘前市大字下白銀町二 一
平成二十六年二月 十四日 印刷
平成二十六年二月二十八日 発行
文集
げます。
︵中︶
書で癒しを求めたり、少々難しいですが心理
普段、ストレスが多い人は楽しい内容の図
子どもたちには、この環境を十分に活かして
学の図書から解決法を探ったり。逆に、幸い
そこで、読書による解決を提案いたします。
自分の知識と感性を磨くとともに、正しい判
順風満帆に生活を送れている人は最初に掲げ
囲まれており、読みたい本がすぐ得られる恵
断力と、何よりも楽しい人生を生き抜く力を
た内容の図書を読むことで、自分への備えと
まれた環境にあります。とりわけ次代を担う
身に付けてもらいたいと思います。
するといった感じです。
また、コンクールで取り上げられる図書は
このため、弘前図書館では子どもたちの読
書環境を一層向上させるために、今後も力を
絵本、物語、小説などが中心となっています
が、図書館はこれ以外にも哲学、歴史、社会、
尽くしてまいります。
︵館長︶
︵館長
桜庭 哲紀︶
発行 弘 前 市 立 弘 前 図 書
−
128