平和学習派遣事業参加生徒レポート [PDF:141.0KB]

広島へ行って学んだこと
∼語り部さんの話∼
・被爆体験
当時の久保浦さんは19才。
爆風によってとばされ机の下へ。
真っ暗な雲におおわれていたため光が入ってこない。光が入ってくると体
の左半分にガラスが突きささっていた。我慢できない痛み。
「助けて」とうなり声が聞こえる。
自分は助けようと思っても動けないため助けることができない。
原爆によって左目を失明。
助けることの大切さを思い知った。
∼広島に投下された原爆∼
・長さ約3m
・重さ4トン
リトルボーイ
・直径約 0.7m
・細長い形
(少年)
ウラン235は、2つの固まりに分かれていて、一つの固まりが火薬の爆
発力により、
もう一つの固まりにぶつかり、大きなエネルギーを出すようになっていた
∼広島平和記念式典∼
原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため原爆死没者慰霊碑
前において、遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに平和記念式典を挙行し
ている。
広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られ核兵器廃絶と世
界恒久平和を訴え続けている。
∼原爆ドーム∼
広島県の物産品の販売促進を図る拠点とすることを目的として建てられた
もので、設立当初は「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広
島県立商品陳列所」、「広島県産業奨励館」と改称されました。
原爆のさくれつにより、建物内にいた人は全て即死し、熱線による火災で
全焼しました。
爆風の圧力は1平方メートルあたり 35 トン、風速は 440 メートルという凄
まじいものでした。
屋根、ドーム部分は鉄骨部分を除き、多くは木材で作られていたため真上
からの爆風にたいして耐力の弱い屋根を中心につぶされ、厚く作られていた
側面の壁の一部は完全におしつぶされませんでした。
∼最後に∼
レポートをどういう内容(テーマ)にするか初めはものすごく悩みました。
パソコンとか資料とかをあさってやっとこういうようなレポートになりました。
実際、また十月に修学旅行で広島にもう一度行ってちゃんと平和のことにつ
いて学習して行きたいと思っています。
今回の平和学習でやっぱり平和って大切だなとあらためて感じました。
それに私にとって貴重な体験になりました。
平和学習派遣事業に参加して
1. 語り部さんの話
* 語り部さんの被爆体験
語り部さんは、19歳の時被爆した。机の下に倒れたため命は助かったが、爆風
で割れたガラスが左半身に刺さり、大けがを負ったそうだ。その後、あまりの痛み
に、気を失ったが、同僚達に助けられ、病院へ行くことになった。しかし、病院も原
爆のためになくなっていた。別の場所に簡易の病院があると聞いたので、そこに
行ったが、そこも火事で燃えていた。仕方がないので、電車を止めておくために積
まれた土嚢の内側で休むことにしたそうだ。
* 投下後に会った母と子
土嚢の内側で休んでいる時、赤ちゃんを抱いた一人の母親が、自分たちの方に
やってきたそうだ。その母親が、線路につまずき転んだ時に、赤ちゃんを落として
しまった。倒れた母親が、赤ちゃんが無事かどうかを心配して、「子どもが・・・。」と
うめいているのが聞こえたそうだ。語り部さんの同僚達が近づくと、赤ん坊は母親
が落としてしまう前に、すでに死んでいたことが分かったそうだ。けれども同僚達
は、母親を安心させようと「子どもは大丈夫だよ。」と言ってやると、母親は安心し
て死んでいったそうだ。
2. 広島市長の講演
* 被爆者のメッセージ
「こんな思いを他の誰にもさせてはならない。」
「『誰にも』には、敵をも含む。」
* 被爆者について
・ 死を選んでも誰にも非難できない地獄の状況下で、生きる道を選び人間であ
り続けた。
・ 忘れてしまいたい被爆体験を語り続け、核兵器の使用を阻止した。
・ 復讐や敵対という人類滅亡につながる世界観を捨て、和解の哲学を作り出し
実践した。
* 原子爆弾について
広島に落とされた原爆は、リト
ルボーイと呼ばれた。原料は、ウ
ラン235とTNT火薬。原爆は、
爆発する前に人を殺す爆弾とい
われている。理由は、爆発の百
万分の1秒前に、地上に降り注ぐ放射線が、致死量を超えているからである。
* 1年間に広島に送られてくる折り鶴
10トン。折り紙1枚1グラムとして、1000羽で約1キログラム。10トンでは、
千万羽になる。
* 核兵器廃絶に関する世界の現状
・ 世界では、核兵器廃絶の声は多数派
日本の核廃絶決議支持国は、170ヶ国
反対国は、アメリカ・インド・北朝鮮の3ヶ国のみ
反対国のアメリカでも、国民の7割は核兵器の廃絶に賛成している
・ 原爆に関する理解を、「ホロコースト」と同じレベルにすることが目標
3. 記念式典
* 式典の流れ
・ 原爆死没者名簿奉納
・ 式辞
・ 献花
・ 黙祷・平和の鐘
「この同じ時間に、そんなことがあったんだなあ。」と感慨深かった。
・ 平和宣言
・ 放鳩
・ 平和への誓い
・ 挨拶(内閣総理大臣、広島県知事、国際連合事務総長)
・ ひろしま平和の歌
* 金の折り鶴
記念式典でいただいた冊子の中には、
それぞれ一枚の金色の折り紙が挟まれて
いた。この折り紙で、みんなで折り鶴を折
った。この折り鶴は、核兵器廃絶の願いを
訴えるため、広島市長が訪問する国の政
府に贈られるほか、「原爆の子の像」に捧
げられるそうだ。
4. 平和記念公園・原爆資料館
* 8時15分に止まった時計
8時15分に止まった時計の針を
見て、「本当にこの時間に原爆が
落とされて、一瞬で大勢の命が奪
われたんだなあ。」と思い、言葉で
は言い表せないような、悲しいよう
な虚しいような、信じられないよう
な・・・複雑な気持ちになった。
* 原爆の子の像
「原爆の子の像」の周りには、本当に
たくさんの折り鶴が捧げられていた。
その中には、外国語で書かれたメッ
セージが添えられたものもあった。
佐々木禎子さんの願いは、世界中に
広まっているんだなあと思った。
5. まとめ
今回の体験を通して、原爆について今までよりも深く考えるようになった。そして、
より一層、「原爆を無くさなければならない!」という思いが強くなった。また、原
爆の被害と現実を、次の世代に伝えてくことが大切だと気づいた。
自主研究レポート
<原爆の原理>
物質を構成している原子の中心にある
原子核を人工的に壊すと、大量のエネル
ギーが放出される。原子核が壊れること
を「核分裂」といい、
これが短時間に
次々と広がると、瞬間的に非常に強大な
エネルギーを生みだす。このエネルギー
を兵器として利用したのが原子爆弾である。
<原子爆弾の実相>
○原爆被害の特質
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ
放出されるとともに、周囲の空気が膨張して
超高圧の爆風となり、これら三つが複雑に作
用して大きな被害をもたらした。
原爆による被害の特質は大量破壊、大量殺戮が瞬時に、かつ無差別に引き起
こされたこと、放射線による障害がその後も長年にわたり人々を苦しめたこと
だ。
○死亡者数
当時、広島市に約35万人の市民や軍人がいたと推定されている。このうち、
原子爆弾によって死亡した人数については現在も正確にはつかめていない。
広島市では放射線による急性障害が一応おさまった1945年12月末までに、
約14万人(±1万人)が死亡したと推計しています。
<原爆ドーム>
対岸より撮影
広島県立商品陳列所
横の画像とほぼ同じ撮影場所
(1921∼33 年頃)
被爆時の状況
1945年8月6日午前8時15分(投下が 15 分で爆発が 16 分とも言われる)、
原爆ドームの南東上空 600mの地点で原爆(リトルボーイ)が炸裂した。
原爆炸裂後、建物は0.2秒程で凄まじい熱線で包まれ、0.8秒後衝撃波に
近い猛烈な爆風が襲い、1秒もかからない内に瞬間的に崩壊したと推定される。
3階建ての本体部分はほぼ全焼したが、中央のドーム部分は全壊を免れ外壁を
中心に残存した。
その理由として
■衝撃波を受けた方向がほぼ真上からだった。
■窓が多かったことにより爆風が窓から吹き抜けた。
■ドーム部分は屋根が鉄よりも融点が低い銅であったため、爆風到達前の熱線で
融解し、爆風が通過し崩壊しなかった。
以上のようなことがある。
その後しばらくは窓枠などが炎上せずに残っていたものの、やがて可燃物に火
がつき産業奨励館は全焼して、ついに煉瓦や鉄骨などを残すだけとなった。
広島市への原子爆弾投下
【原子爆弾の仕組み】
・原子爆弾とは、ウランやプルトニウムといった核物質を使って立て続けに核
反応を起こさせ、核エネルギーを一瞬のうちに解放させることで、破壊力を
もたらす爆弾である。
・核物質は、ある量(臨界量)を1か所に集めると、自然に連鎖反応を起こし
て爆発する。原子爆弾では、臨界量を超える状態を人工的に作り出すことで、
約100万分の1秒のうちに核爆発を起こさせた。
【広島に落とされた原子爆弾】
コードネーム・・・リトルボーイ(開発当初の設計寸法より短いものとなった
ことから)
使用された核物質・・・ウラン235
爆発の流れ
片側のウランの後方に設置した
高性能爆薬を爆発させる。
↓
爆発によってウランがはね飛ばされ、
もう片側にあるウランとぶつかる。
↓
1つの固まりとなり、臨界量に達する。
相生橋よりやや南東の島病院上空、
約580mで爆発
【語り部さん】
爆発した瞬間、爆風で吹き飛ばされた。
約6m吹き飛ばされ、運よく机の下に
ガラスの破片が全身30か所以上につきささっていたが、建物の中から何とか
脱出した。
その後気絶していたが、友人が「しっかりしろ」と抱き起こす。目を開けると
目の前が真っ赤(血だらけ)でびっくりしたが、友人は「動くな!」と言った。
出血多量で死ぬかもしれなかったから。
・友人がいなければ、生きていなかったかもしれない。だからこそ、お互いに
助け合う心の大切さを感じた。
・何度も死のうと思ったことがある。
語り部さんの考え「人間は苦しみながら生きるのが人間の社会だ。
苦しみながら生きることに価値がある。」
↓
苦しくても逃げずに、生きる道を歩んできた。
【最後に】
慰霊碑の石室前面には
「安らかに眠ってください
過ちは繰返しませぬから」
と書かれています。
それは、被爆者からの願いであり、
自分たちの使命だと思います。
そんな思いで、自分が学んだことを
レポートにまとめてみました。
原爆死没者慰霊碑
(正式名称:広島平和都市記念碑)
願いをこめて
僕たちは今回平和学習派遣事業に行き、数々のことを学びました。その中
でも僕は被爆者である久保浦さんの話が印象に残り、そしてみなさんに伝え
たいものを感じさせるものでした。
当時、彼は国鉄に勤めていました。原爆が落とされた日、彼は爆心地から
900m辺りの所の2階建ての事務室のようなところにいました。彼は原爆が
落とされたとき、その爆風により机の下へ吹き飛ばされ気を失っていました。
目が覚めた時は原爆によってできた雲に太陽が隠れまっ暗だったそうです。
彼は何が起きたのか分からず、とりあえず爆弾を落とされたと思っていたそ
うです。だからこのまま部屋にいると焼けてしまうと思い、外に出ようとし
たその時、身体を動かすと左半身が痛んだそうです。死にもの狂いで外に出
て階段を下りて、気を失いました。声をかけられて目を覚ますと、頭全体が
血だらけの友人がいました。久保浦さんが動こうとすると「動くな!」と友
人にきつく言われたそうです。その時、久保浦さんの左半身にはガラスがい
たるところにささっていて、血だらけだったからです。2人の居る所には「助
けて、助けて」という声がいたる所から聞こえたそうです。その中から何人
かは自力で出てきて久保浦さんの同僚が病院へ行こうと提案を出しました。
しかし、左半身が動かない久保浦さんをどうするかで悩み出た案が、久保
浦さんを担架で運ぶことでした。それでみんなは病院へ向かいました。しか
し、その道はとても過酷でした。担架を運ぶと体力は使うし、道には死体が
たくさん転がっていたからです。その死体を踏まなければ進めません。死体
を踏みながら病院へ行くという願いだけをこめて歩いたそうです。
しかし、途中で会った人にこう言われたそうです。
「病院はもう無い。」と
病院も原爆によってつぶれました。久保浦さんたちは希望をなくしてしまい、
休憩がてらに近くの列車の倉庫に入ったそうです。みんなは絶望し、その場
に座り込み、元気をなくしてしまいました。その時、トントンと人の歩く音
が聞こえたそうです。その歩いていた人は子供を抱えたお母さんでした。し
かし、皮ふがただれ、久保浦さんが言うには、人とは思えない、とても怖い
など本当に目をそらし、見たくはないようだったそうです。そのお母さんは
倉庫の中で倒れ子供は飛んでしまいました。久保浦さんたちはお母さんが何
か言っていることに気付き、耳を近づけてみました。そうするとかすかに「赤
ちゃん、赤ちゃん」と言ってたそうです。しかし、その子供はすでに死んで
いました。
僕はこの事をみんなに伝えたいです。このお母さんは死んでいる赤ちゃん
におそらく一生懸命声をかけ続け、自分がもう死ぬという時まで赤ちゃんが
生きてると願っていたんです。
人間というのはここまで強いかと、絶望の中の一つの希望を信じぬくこと
のすごさ、すばらしさ。しかし、そんなはかない願いや希望まで根こそぎ奪
い、絶望しか与えないこの原子爆弾をこれ以外決して使ってはいけない。い
や、使わせてはいけない。持たせない。それが僕のみんなに伝えたいことで
す。
久保浦さんたちはその後、無事に仮の救護施設にいって助かりました。
今、世界ではいつ、核戦争が起こっても不思議ではありません。
もし、そんなものが起きれば、今の原爆は広島、長崎のものに比べて何倍
も威力が上がっています。一つで日本破壊なんてのもできるかもしれません。
もし、そんなもので戦争をしてみてください。地球なんてあっという間に
壊れます。人類は滅ぶでしょう。
広島市長さんの話にあったんですが、核戦争後オーストラリアの一つの都
市しか残っていないという映画があるそうです。その映画の最後にこのセリ
フが出ます。
「There Is Still Time, Brother.」と「まだ時間はある、兄弟よ」という
意味だと思います。このセリフは僕たちにとってとても重要なものだと思い
ます。
映画のようになる前に絶対核をなくさなければなりません。
これが被爆国日本の運命でもあります。原爆をなくしましょう。
最後に一言、願いはかなう。