◎ 第 7回 目 の公 民 館 長 会 が 4 日午 前 9時 か ら し 0月 1 1 いた け の館 で開 催 さ れ ま 。 し た 協 議 最 初 の役 場 各 、 課 関 係機 関 連 絡 事項 に 、 お いて ・総 務 課 か ら 1 9日 に 衆 議 院議 員 1月 総 選 挙 と最 高 裁 国 民 審 査、 の投 票 が 行 わ れ る の で 棄 権 し な いで投 票 率 が ア ツプ にな る よ う 協 力 依 頼 。 があ つた 次 に訪 間 販 売 、 向齢 者 に よ 等 に つ いて 一 る契 約 のト ラブ ル が発 生 、 した ので 地 域 を上げ て の協 力 を お願 いす る と の 。 こと です ・企 画 課 か ら 送取扱 防 災 行 政無 線 放 、 の改 善 に つ いて 現 在 検 討 中 で従 前 よ り は使 い勝。 手 が よ く な る よう です 割 引商 品券 発 売 に ついて 0月 6 1 日 か ら 商 工会 窓 日 1 で販 売 し て おり 売 り 切 れ 。 次 第 終 了 す る 第 5回 黒 岳 も み じ祭 り が H 月 8 日 に行 わ れ る の で多 数 の参 。 塚村 加 を お願 いす る、 諸 ︲ 1月 5 1 文 化 祭 に ついて 、 5 日と 6 1 日 に行 わ れ 1 日 は前 夜 祭 と し て駄 賃 付 け 、 によ る 唄 大会 文 化協 会 、 生涯 学 習発 表 大会 大 衆 農村環境計画 でア ンケ ートを200人 ほど に実 、 。 施 す ると の こと 次 に 道路管理実態調査 に つい 、 て 今後 の道路行政 の参、 考 と し て活 用 す るた め 一斉清掃 で清掃 し て いる 、 道路 一斉清掃 では清掃 し ていな いが受益者等 で 、 清掃 し て いる道路 草刈 などし て いな い道路 に つ いて調査 を行うと のこと 。 です ・産業課から FSC森林認証制度 に 、 、 とは ついて 森 林 認 証、 森 が健全 であ るか 森 が 建 設課から 演芸 ﹁いろは庄﹂ による 、 6 公演など 翌 1日 は例年 どおり体育館 で産業共進 会 ・作品展示 があリグ ラ ウ ンド では高橋静山 の公 ー等 が 演 や石原詢 子 ショ 。 、 予定され ております 又 と バ ス支援 公民館 ふるさ、 事業 に ついて 各地区 の 祭り に各 公民館出身者等 を参加対象者 に日向市 ・ 延岡市 ・宮崎市 から回帰 り で往復 バ スを運行 し祭 りを賑 わせ て ぃただくも のでバ ス借り上げ 料 を全 額補助す る等 の説明 があ りました。 翰 籠趨鰹 愚鬱 (2) 平 成 15年 11月 1日 か 七 L コ 第644号 正 しく 管 理 さ れ て いる 、 か 森 で働 く人たち の暮 らしが守られ ているかな どを世界的基準 で審査 さ れるも ので森林認証を取 な3 つ 得すると次 のよう。 の 点があります 利 の質 が利害関係 0森林管理、 、 者 顧客 投資家など に 対し て第 二者 から保証 さ 。 れる ②適切 に管理 された森林 で 生産 された木製品を求 め る市場 に参 入す る ことが 。 できる ③森林管理 にお いて適切な て いること 方法を実行し。 が表明 できる と言う事 で現在取得 し て いる と こ ろ の例 を 見 る と、値段的な効果 は出 て いな いが取引量 は増加し 。 て いると いう こと です 諸塚村 では森林全 てを対 象 に認証を受 けた いと思 います ので全 ての森林所 とご 有者 の皆 さん の参加。 、 協力をお願 いします 尚 9日 に行 われ 8日と1 3月1 た模擬検査 の経過等 によ 、 りますと 諸塚村 のも の 、 づくり は FSC の森林 、 認証 に十分値 し 国内 の ト 認証取得森林 の中 でも ツプ レベルであ ると推察 されると いう審査員 の評 。 価と のこと です 認証を うける ことを日的 と考え 、 ず に 私達 の森林 は認証 を受 け て当然 であ ると い った考え で取り組 ん で行 きた いと思 います ので今 後とも村民 の皆様 のご協 力をお願 いしますと の説 。 明がありました ・教育委員会から 公民館 のあり方検討委 、 員会 に ついて 九大佐藤 8人 で 先生を中 心に職員、 検討 を進 め ており 年内 に答申 を出 しそ の答申 を 、 叩き台 に 自治公民館連 絡協議会等 で十分協議 し 1年間 ほど の移行期間を 段階 に移 ると の 経 て実施。 こと です 村民体育大会 、 の反省 に ついては 天気 が難しか っ が悪く て判断 、 0 3分 で たと思う が 6時 、 は遅すぎ る ので 6時 ま 。 でにはお願 いする トイ レ 国 の後 ろに仮設。 を設置 して欲し い むか で競争 のむか でが で 小さ いので靴をは いて。 きるも のにして欲し い 天気予報 で雨 の確立 が もよか っ 高 ければ中止 で。 た のではな いか など の意見が出されま した。 そ の他気付 いた こ とがありましたら連絡く 。 ださ い コ日向震協議塚支店から 9 総代 に3名 の届出 があ 0日 に決 定 した。 り0 1月 1 次 に使用残農薬 の回収 に 1 4日 1日から︲ ついて1月2 、 ま での3日間 午前 9時、 から午 後 3時 ま で回収 ー 処 理費 用 と し て1キ ロ 0 0 円 か か ると の こと で 。 す ,森 林 組 含 諸 塚 支 所 か ら の改 選 来 年 3 月 に総 代 、 。 と な って いる 又 加 工 場 に原 木 が不 足 し て いる の で山 床 にあ るも の は出 し て下 さ いと の こと で 。 す ,日 向 土 木 事 務 所 諸 塚 駐 在 所 から 、 道路 改 駐 在 所 の概 要 、 良 事 業 の概 要 現 在 施 行 中 の工事 個 所 等 に つ いて 。 の説 明 が あ り ま し た 国 1ト ン 道 3 2 7号 古 園 第 5 には 中 ネ ル が平 成 1年 度 、 供用開始 予定 で 恵後 の 6 崎 バ イ パ ス は平 成 1 年 度 、 中 に は 全 体 区 間 の完 成 。 予 定 だ そ う です 5 0 3 号 吐 の川 ト ンネ ルが平 成 6 定と ︲年 2 月 末 に完 成 予。 の説 明 が あ り ま し た 、 次 回 の館 長会は 。 1 7 月 ︶です ︲月 ︲日 ︵ 協 議 題 にし て ほし い 、 ことが あ りま したら 6510072︶ 事務局 ︵ 。 ま でご 連 絡 下 さ い 0 1月号 の村報等 でお知ら 、 せしたとおり 宮崎交通 は 諸塚村内 の路線 バ ス運行を 9月 いっぱ いで 一部、諸塚 交通 に引き継ぐ こと になり 、 。 ました 長年 村がお願 い し て補助金を出し運行を続 け て頂 いたわけ ですが経営 の合理化策 の 一環とし て 一 。 部撤退となりました 5 3 昭和 3年 2 1月 か ら 4 年 、 間 住民 の足とな った七 ツ 山 ・朗干編 の宮交 による運 、 0日 の 行 が こう し て9月3 午後 6時0 1分飯〒着 をも っ て終了する こと にな った の 、 に合わせ お札 を込 めた記 念式典 が飯千 の停留所 で地 元飯干 公民館 の主催 により 。 行われました 、 飯干だけ でなく 沿線 の 地区から集ま った多く の人 達 から感謝 の拍手 でバ スは 迎えられ ︵ 途中 のバ ス停 か 飯干地 区等の営 さん に出迎 え られた目交 バ ス カヽ L コ 七 (3)平 成 15年 11月 1日 ら乗 ってきた人達も いまし 。 た ︶飯干 公 民館 長 さん の 、 あ いさ つ 中学生代表 の感 、 謝文 の朗読 運転手さん へ の花束贈呈と記念品贈呈が 。 行われました 運転手さんから のあ いさ 、 つもありましたが 思わ ぬ 催しに大変感激 され て いま し 。 し の後 は皆 さん思 た 催 い思 いにバ スの前 で記念撮 、 影をしたり 運転手さんに 、 言葉を掛けたりと 別れを 。 惜 しん で いる様 子 でした 、 そし てたく さん の花束 と 記念 に乗 って帰 ろうと いう お客さんを乗 せ て宮交最後 のバ スは飯干を後 にしまし 。 L 代 , 花束の贈呈 を受 ける運転手 さん バ スが 往 復 す る途 中 に は 、 何 人 も の人 が 立 ち 最 後 の 、 バ ス に手 を 振 り 頭 を 下 げ 、 る姿 花 束 を 渡 す 姿 が 見 ら 、 れ 非 常 に印 象 に残 り ま し 、 。 た そ こ に は 皆 さ ん の優 し さ と 強 い感 謝 の気 持 ち と 、 が 現 れ て おり 人 と の繋 が り を 大 事 に し て いる飯 干 や 七 ッ山 沿 線 の人 達 の気 持 ち 。 が見 て取 れ ま し た これ か ら 運 行 し て頂 く 諸 、 塚 交 通 の皆 さ ん と も き っ と気 持 ち を乗 せ た関 係 を築 いて いく の で はな い でし ょ 。 ヽ つか みんなで記念撮影 本 当 に あ り が と う ご ざ い ま した 今年もまた秋 の野山を彩 る紅葉 の季 。 節が訪れました この季節 の野山 の様 明浄 にし て粧う 子をお隣 の中国 では ﹁ 。 が如 し﹂と いうそう であり ます つま り色とり どり の紅葉 で山全体 がまるで お化 粧 を し て いるよ う だ と いう の で 。 す 春 の桜 の開花 は低地から高地 へと 移ります が紅葉 は逆 に標高 の高 いと こ 。 ろから低 い地帯 へと移動 します これ は気温 のなせる術 ですから当然 のこと 、 。 な のです ですから 木 の葉 が色づき 始 めるのは本村 に限 っていえば標高 の 一四五五 mの黒岳や 一三四 一mの諸塚 山あたりからそ の前線 は降り てく るこ とになります。察す るにじ っと観察を つづ け て いた黒岳 と 諸 塚 山 の神 様 が ﹁ っ てき たがぼ つぼ つ が が 大 温 下 気 分 もう ええば い﹂ の どう じ ゃろか い﹂ ﹁ 話し合 いで 一斉 に紅葉 が始 まるんだ ろ うと思 います。♪秋 の夕 日 に照る山も みじ⋮⋮♪と いう文部唱歌 があります があれは山全体 が紅葉 す ると いう のか 或 いは個 のも みじそ のも のな のか私 に 、 。 は解りません ただ も みじにま つわ 。 る話 は多 いよう です そし て何故 かも みじは鹿と の取り合 わせが多 いのが面 。 白 いと ころ です 花札 のも みじ鹿をは れ者 の広 (4) 平成 15年 11)11日 か L コ 七 第644号 じめ紅葉鳥 と いえば鹿 の異称 であ った り、鹿肉 の料理 はも みじ鍋、鍋物料理 、 に欠 か せな い調味料 はも みじお ろし 、 少 し変 ったと ころ では も みじ のよう な手と いえば赤ち ゃん の小 さな可愛 ら し い手 であり、 も みじを散らすと いえ ば少女な どが恥ず かしさに顔を赤ら め も っとも最近 はそん る ことだ と いう ︵ な少女 は数少な いと思う が⋮︶ 、 さ て 最近自 から行動す る こと によ り自然 に接 し自然 に学び己 の生活 に或 いは生 き て行く ことに潤 いを求 める人 たちが多 くな った ことは喜ば し いこと 、 。 です そ こで大切な ことは このかけ がえ のな い故郷 の自然 をもう 一度 し っ かり と見 つめ直 しそ のすばらしさ に自 信と誇り を持ち後世 に残し て行く努力 。 が必要 と思われます 十 一月八日には第五回黒岳 も みじ祭 。 が開催 されます 村外 からも多 く の皆 。 さん の参加 が期待 されます 紅葉 は自 、 然 の織りなす束 の間 のこと この美 し さを満喫 しな がら行く秋 を惜 しむた め ち ょ っと出 かけ てみたらどう でし ょう 。 か 尾形 森衛 、 の多 いジ ュー ス類 は 特 に 3歳 ま では与えるなと のこ と。人 の味覚 は0 1歳位 ま で 。 に決まるとも いう 考え てみると諸塚 でも若 い世 代 で は和 食 離 れ が 進 、 み 既製食品 の容器や空き 缶 な ど が 大 量 のゴ ミと な り、環境を汚染 し つつあ る 。 のが現状 ではな か ろう か 、 また た いが いの家 では一 高 齢者 が野菜作り をし ている 、 が これを先ず 一番利用し て欲し いのは子供 の食事担 、 当 の若 い母親達 子供 の将 来 のためにも⋮ ちな みに私 は出張 の際な ど できるだけ自家用 の茶 か 水を容器 に入れ て持参 し て 。 いる 寿学級から︶ ︵ ガ ン にも 効 く 実 いと 健 康 9月末 に開催 された寿学 、 級 の記念講演 で 昇幹夫先 。 生 の話を聞 いた 先生 は麻 、 酔科 産婦人科 の専門医 で ﹁ 日本笑 い学会 ﹂ 副会 長 と 。 いう一 月書 きもある 笑 いと健康 に ついては今 、 ま でも話を聞 いたり 本な ど でも多く紹介 され ている 、 が 先生 の話 の中 では実際 に医師 から見離 されたよう な患者等 で治癒 した人たち 、 百人と ガ ンの闘病者千人 ガ ン生還者 を 一同 に集 め ﹁ に学 ぶ千百人集会﹂ が開催 。 された話もあ った そし てガ ンは生活習慣を 変え ること でた いが い治 る と いう事例、特 に笑う こと によ ってガ ン細胞 を減ぼす ﹁ NK細 胞﹂ が増殖 され る 、 など スライドを使 いなが 。 ら実例 を引 川 され た ﹁ 笑 、 う門 には福 来 た る﹂ 産婦 人科医 であ る先生 は卑近な 、 体験と 巧 みな ユー モアを 交えながら会 を笑 いで盛 場 り げ 。 た 上 、 食物と健康 の話 では 日本 、 古来 の和食 から ラーメ ン 等既成食品依存 の若 い世代 、 で既 に脳卒中や 糖尿病な ども多 くなり子供 の総 入れ 。 歯も見られると いう 糖分 ジロ 磐岬可・ロ 長 9600 格 価 市 さ 長 長 格 価 市 30∼36 13500 畢 り 体 温 を 測 った り 様 々 で 。 す ” でも 一番 印 象 に残 っ 、 て いる の は 飯 T 峠 に放 牧 さ れ て いた 牛 を 畜 た セ ンタ ー に運 ん だ こと です 。 セ ン タ ー で の活 動 初 日 だ った こ 、 と も あ り 牛 を 間 近 で兄 た 、 のも 初 め てだ った の で 午 前 中 は牛 が怖 く てど う し よ う も な か った こと を 覚 え て 、 。 いま す 午 前 に 4 頭 午 後 に 5頭 を 連 ん だ の です が午 後 は あ る程 度 慣 れ て牛 を 引 く こと が で き て いま し た。 今 で は も う 大 文 夫 ︵? ︶ だ と 思 いま す。 十 日 以外 で は村 民 体 育 大 会 に白 団 で参 加 さ せ て いた 、 だ いて ム カデ 競 争 と 公 民 館 回 技 に出 た り お 昼 も ご 馳 走 にな り 楽 し い1 日 を 過 す 。 こと が でき ま し た 、 これ か ら 諸 塚 の秋 冬 を 初 め て経 験 す る こと にな り 、 ます が ど ん な行 事 があ る 、 のか ど ん な 景 色 が 見 ら れ 。 る のか今 か ら楽 し み です 活 動 自 体 は残 り 半 分 です 、 。 が よ ろ し く お願 いし ま す 14000 3000 2∼ 28 80∼34 評 、 S ″る さ と 協 力 隊 片 平 樹 2 * 4 m 母 屋 材 が 不 足 して い ます 。 母屋 の道 材 をお願 い します 。 2000 ∼20 10000 ネ加 工 場 に 材 が 不 足 して い ます 。 出荷 をお願 い します 。 市価格 11,500 24∼28 121500 18∼22 27000 旬● 諸 塚 村 に来 て か ら 半 午 が 、 過ぎ 活 動 期 間 も残 り 5 ヶ 。 月 と なり ま し た 9月 ま で の約 2 ヶ 月 半 は 森 林 組 合 、 で 現 在 は畜 産 セ ンタ ー で 。 活 動 し て いま す いろ いろ な 場 所 で の活 動 で諸 塚 の甘 さ ん に徐 々 に覚 え ても らう こと が でき て いる と 実 感 し 。 て いま す 、0 自 の活 動 の 分 月 では 1 。 を 紹 介 し た いと 思 いま す 、 畜 産 セ ンタ ー で は 牛 を 養 った り 機 械 の操 作 を し た 14∼16 27500 20∼22 10500 内 容 1日 程 ︲ 1 ︱ 1年1月8日͡ 平成 5 ︶ 2場 所 宮崎 県束 臼杵 郡諸 ー ー 塚 村 大 学 七 ッー 1 1 小原井 黒岳 全1 口広 場 3時 間 0 ∼ 8時 3 分 受付開始 0 ∼ 9時 3 分 開会行事 ウ ッド カ ッ ト 後 移 山開始 昼2 ︲時 ∼ 下 山後交 流公 アト ラ ク シ ョ ン ・ 神 楽 ・七 ッ山 太 鼓 子 供 太 鼓 ︻予 定 ︶ ︵ ※時 間 及 び 内 容 が 変 更 。 す る場 合 が あ り ま す 4主 催 果 i も み じ ま つり 実 行 委 員 会 ︵会 長 甲斐 春 三 ︶ 5後 援 諸塚村 諸塚村観光 協会 ※特 産 品 の 販 売 を 予 定 し て いま す。 21000 36へ 18500 11 000 分 10∼22 141200 18∼22 12∼13 13000 区 12500 16∼16 81500 9300 祉 10500 12500 8∼ 11(直 曲込) 18∼22 24∼28 12500 3 141700 櫓C 樹種 :杉 ・ 12∼16 12∼14 9300 14∼18 10000 10000 14∼18 14∼16 23(500 14500 24∼28 9300 121500 8∼ 11(直 出込) 13,000 8000 8500 20∼22 8∼ 11(直 由込) 13000 91000 8∼ 11(直 曲込) 8∼ 10(直 曲込} 11∼13 12∼13 81500 13 3 101000 3 9300 11 000 4∼ 7(直 曲込) 4∼ 7(直 曲込) 8000 8500 3 38∼ 7200 8∼ 10{直 曲込) 8000 8∼ 10(直 曲込│ 分 区 租 長さ 市価格 12000 20∼22 13000 10,500 4∼ 7(直 曲込) 8∼ 10(直 曲込) 11∼13 500 24000 (直曲迅) 30∼34 7200 71200 分 区 粒 市価格 分 区 ∼7(直 由込) 4∼ 7 (直由込) 7200 4∼ 7(直 曲込) 祉 分 区 粒 長さ 樹種 : 櫓B ( 出 がり) 況 よ り) ( 東郷 セ ン タ ー 1 0 / 2 0 市 平成 1 5 年 1 1 月 1 日 ∼ 1 1 月3 0 日 分 樹種 :櫓 A(直 ) 樹種 : 杉 B ( 出 が り) ) 樹種 :杉 A(直 第644サ か L コ 七 (5)平 成 15年 11)11日 両 地区 とも 上長 川 か ら 、 約 8 愉 役 場 か ら は約 抑 。 血 です 円目圏倒四 中 付 地 区 は現 作 2 軒 あ り 、 1軒 は 杉 山 福 一さ ん 、 が 奥 さ ん の福 夫 さ ん と 。 生 活 し て いま す 取 材 H は先 落 か ら 2 0 、 0 m= 下 の道 沿 い で お 2 人 で 杉 の伐 採 作 業 中 、 で 現 場 で話 を 聞 く こと , が出来 ま し た 忠 r さ ん 、 が 2人 娘 さ ん が 1人 お 、 ら れ Ю 年 ほ ど前 か ら は 月 の 3分 の 1 ほ ど は 延 阿 の忠 r さ ん の所 で過 ご し ヤ■鞭r 福美 さん、福 ― さん 杉山 r てお ら れ るよ う です 、 お年 を 聞 く と な ん と 3 ● 8歳 し か し チ ェンソー を扱 う姿 はま だ ま だ お右 く 、 楽 し み は 山 で仕 事 を す る こと と お っし ゃ って . いま し た そ れ と 少 し の 、 。 晩的 も のよう です 杉 山 家 は桁 一さ ん で 7 。 代 日 に な る そ う です 家 にな る資 料 に ﹁ 安 水 ア年 、 ︵1 7 7 6 年 ︶ に 住 人 、 卜 と う い 人 があり 記 述 ﹂ ﹁ 時 の中 村 地 区 の住 人 教 、 が分 か り ま す が 町 数 は . 、 な く 福 さ ん が確 認 で き る だ け で は 4 い だ った 。 そう です 古 は焼 き 川 を 上 に や っ 、 ており 換 金 作 物 と し て 、 は お茶 そ れ と 高 級 和 紙 の原 料 の情 皮 ︵こう ぞ の . 皮 ︶ だ った そ う です し . 、 いた け は 柄 さ ん の社 父 の代 か ら 栽 特 し て いた 、 そ う です が 桁 十さ ん の 代 では 上 に作 来 班 を 編 成 し て林 業 を や って いた そ 。 う です 十 も う 1町 は ︱ ︱日満 ■ さ 、 。 ん 林 業 を 常 ん でお ら れ ⋮ ︲ か つて は作 業 班 の十 中 に う です も ら よ た 出 い れ て 、 が 現 在 は白 と の みだ そ 、 う です . 出 H家 は 与 狩 ︱ 内 地 区 の山 ︱家 か ら 分 家 、 し てき て お り 正 さん 満 で 3代 日 に な る そ う で 、 。 す 誰 も が認 め る H本 一 ﹁ を 島 ﹂ ︵飲 む ほ う ︶ 、 に愛 さ れ た 人 で いく ら 飲 ん でも 二 日 酔 いさ せ て 。 く また う そ な い れ で す 誰 か ら も 親 し ま れ る人 柄 。 で人 ︼ も 厚 いよ う です 青 年 時 代 は名 マラ ツ ン ラ ンナ ー と し ても 名 を は 、 せ た 満 正 さ ん は 今 は仕 事 に飲 み に方 に持 久 力 を 発 椰 し 後 ■ の指 導 に ご 尽 満正さん 山口 t i 円旧円冊団囚 、 0 役 場 か ら 県道 5号袂 を 本 立 ■ 方 向 へ進 む こと 、 、︲ 約 H キ ロ 1長 川地 区 で 立 岩 小 学 校 方 面 と の別 れ 、 道 を 性 方 面 の林 道 へと に が つて いき ま す 。 道 沿 いに放 付 の民 家 が 兄 ら れ 、 ま す が 十 分 性 は■ き 家 。 にな って いま す F 、 Iと の ︱ 途中 性集落 方 ︱ 分 か れ 道 を 伊 友 林 道 へと 、 進 み さ ら に与 狩 内 林 道 と の分 か れ道 を 伊 友 林 道 、 方 向 に山 が れ ば 次 の分 か れ道 は有 に行 け ば 中 村 、 集 落 た に行 け ば 伊 友 集 。 落 に突 き 当 た り ま す _1出 ` r成 15年 11,1111(6) か コ 乙 七 第644号 。 力 さ れ て いま す ︵ 牛イ 。 もご桁 導 賜 り ま した︶ ︱ ︱木 光 男 さ ん 1 伊 友 は︱ 、 、 = 央 さ ん のイ サ ヲさ ん 、 農 協 に勤 め る 忠 r の勝 。 さ ん の 3 人 です 2 人 の 、 娘 さ ん のひとり 八千 代 、 さ ん が話 塚 病 院 で も う 一人 のし げ r さ ん が次 京 、 に お ら れ 共 に布 護 肺 さ 。 ん です 数 年 前 ま で伊 友 は 2 軒 。 でし た 過 去 に は 3付 あ 。 った そ う です 山 本 家 は光 男 さ ん が 7 、 代 H に な り そ の十 は や 、 はり 焼 き 川 を し て いた 。 よ う です 田 や 畑 も 作 っ 、 て いた そ う です が 伊 友 、 周 辺 は水 が 冷 た く 比 岐 的 H 照 時 間 がれ いた め米 等 の でき は公 り 良 いと は 、 いえ ず 自 給 用 も 不 足 す 、 る こと が あ り 買 い求 め ね ば な ら な い場 合 も あ っ 光男 さん、イサ ヨさん 。 た そう です 換 金 作 物 と 、 し て は 杉 山 さ ん の話 と 、 同 様 に 焼 き 畑 に作 った 、 、 茶 ︵ 傘 炒 り 茶 ︶や 情 皮 、 き く らげ そ し て四 炉 一 異 の灰 を 売 って いた そ う で 。 す 灰 は麻 を 洗 う た め に 、 使 わ れ て いた そ う で H 之 影 で売 れ て いた よ う で 。 す 、 光 男 さ ん は 祖 父 の代 、 か ら始 めた椎 茸 栽 堵 そ れ と 林 業 に長 年 従 事 し て 、 いま し た が 近 年 体 詞 を 、1 1仕 事 はあ ま り 崩 され 1 出 来 な く な った と の こと 。 、 で す 椎 茸 の話 で す が 、 苫 の的 灰でえ る ム ロ で は 今 の強 制 送 風 の乾 燥 機 の よ う な 能 力 は無 か った た 、 め いわ ゆ る ﹁ 水 なば ﹂ を採 る こと はま ず な か っ 。 た そう です 車 道 が通 った の は昭 和 7 、 3 年 電 気 が通 った の は 、 2 昭 和 2 年 だ そ う です が 電 気 を 通 す た め の費 用 は 、 個 人 や 集 落 の負 担 だ っ 、 た そう で 当 時 約 2 1万 円 の費 用 が掛 か った そ う で 。 す 今 で こ そ当 た り 前 の よ う に電 気 や そ の他 便 利 な 道 具 に同 ま れ て生 活 し 、 て いま す が 先 輩 方 が そ れ を 得 る た め に 一つ 一つ 古 労 し てお ら れ た ん だ な と思 いま す。 園倒□ 、 取 材 の際 に は 皆 さ ん 、 本 当 に快 く ま た 丁 寧 に 迎 え て いた だ き 恐 縮 し ま し た 。 ど こ に行 っても 感 、 じ る こと です が 最 初 は ﹁ え っ﹂ 取材﹂ と言 う と ﹁ と いう 反 応 が あ る の です 、 が す ぐ に快 く 応 じ て い 、 た だ け る のは サ ー ビ ス 精 神 も 少 し はあ る のかも 、 しれま せん が 協 力 しよ 、 う と か 助 け てや ら な い と、 と いう 優 し さ が あ る の で は な いか と 思 う の で 。 す 、 だ か ら こ っち が勝 手 に お疲 押 し か け て い ても ﹁ 、 れ さ ま ﹂ と か こち ら が 押 し か け て中 し 訳 な い の にあ ち ら か ら ﹁ 何 もな く て申 し 訳 な い﹂ と い った 。 こと を 言 わ れ ま す そ ん 、 な と き は 気 遣 って いた 、 だ い てあ り が た い 申 し 、 訳 な いと いう 気 持 ち と 来 てよ か った と いう 気 持 。 ち にな り ま す 集 落 の人 の優 し さ は素 朴 であ り な が ら 熱 いも の 。 です 諸 塚 か ら無 く し て 、 はな ら な い 伝 え る べき も の の最 有 力 候 補 で は な 。 い でし ょう か 日向地 区建 設業 協会諸 塚 支部 株︶ 菊 池 建 設 ・興洋 開 ︵ 発︵ 有︶ 株▼ ︵ 大東建設 ・ 水本建設︵ 株▼ ͡ 株︶ 金丸 建 設 ・︵ 株︶ 太倫建 設 ・ グ リー 有︶ 有︶ 綾建 設 ・︵ ︵ ン開発 寄贈 された アネモ ネの鉢 固倒冊団 、1 建 設業 協会 では 1月 8 土木 の日﹂ にち ︲日 の ﹁ な ん で各 地 域 におけ る花 い っぱ い運 動 で鉢 つき の 球根 を配 布 す る こと にな り、 日向 地区 建 設業 協会 諸 塚支部 にお いては村内 5 つの小中学 校 で育 て て いただ き た いと いう こと 、 で こ のほど支部 長 の金 丸正 治 さん から教育 委 員 会 に球 根 2 0 0 セ ット の 。 寄贈がありました 、 各 学校 では これ から 先花 が少 な い時 期 にな る 、 ので 大事 に育 てて来 春 にはり っば な花 を さかせ た いと大変 喜 ん で いま し 。 た あり がとう ござ いま した。 金丸支言F長か ら財部 教育長 ヘ 伊 友 に は 天 神 様 の神 社 が 、 あ り 吉 は中 村 地 区 と の祭 り も あ った そ う です 。 2 枚 、 の鏡 が 御 神 体 で 他 に木 像 、 が 数 体 に ら れ て いま す が 奉 納 札 で は村 内 に残 って い 、 る も の で最 も 古 い 元 禄 2 年 ︵1 6 8 9年 ︶ のも のが 、 あり 木 像 自 体 も か な り 古 いも の が 祀 ら れ て いる よ う 。 です 伊友天神社 祭 られて いる木像 第 644号 か L コ 七 (7)平 成 15年 11月 1日
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