地域医療を考えるシンポジウム in 幡多 ~自宅で安心して暮らし続けるために 日時;2008年10月25日 土曜日 場所;四万十市立文化センター 13時から プログラム 12:30 開場 13:00~13:05 13:05~13:40 開会の挨拶 高知県知事(代読:高知県健康福祉部副部長) 健康劇「旅立ち」 なでしこ劇団 13:40~14:10 基調講演「家に帰ろう、往診に行こう」 演者;黒岩卓夫(新潟県・萌気園浦佐診療所長 NPO 在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク会長) 14:10~14:20 司会;鈴木順一郎(幡多福祉保健所長) 休憩 14:20~16:30 公開討論(シンポジウム) 司会進行;阿波谷敏英(高知大学医学部家庭医療学教授) 14:20~15:35 シンポジスト講演 1 2 壷井康一(ネクストホームクリニック院長) 「高知で普通に受けられる在宅医療について」 木俵光一(木俵病院院長) 「幡多地方における在宅医療の実際」 3 西村裕之(幡多けんみん病院脳神経外科部長) 「脳卒中治療の地域連携」 4 田中美保(訪問看護ステーションのぞみ所長) 「訪問看護ステーションの現状(症例を含めて)」 5 在宅医療経験患者の家族 「終わりよし 安堵の顔で母は逝き」 15:45~16:25 公開討論 16:25~16:30 閉会の挨拶 大井田二郎(幡多医師会長) 1 健康劇「旅立ち」について 月子さんは夫の星男さんに介護され、医師や看護師による在宅医療を受け、家族 に守られながら、願いどおり自宅で安らかな最期を迎えることができました。 在宅医療は、その人の価値観に敬意を払い、暮らしのなかでいのちをささえながら、 その人らしい生き方を支援する医療活動であるといわれます。 私たちにも、いつかは訪れる「最期のとき」をどう過ごすかを考えるためにも、 私たち自身が在宅医療を理解することが大切です。 この劇が、その一助となれば幸いです。 基調講演 演者のご紹介 黒岩卓夫( 黒岩卓夫(くろいわ たくお) たくお) 昭和 12 年長野県大町市生れ、東京大学医学部卒業 昭和 45 年 51 年 新潟県南魚沼市(旧大和町)大和町診療所 ゆきぐに大和総合病院院長 平成 4年 平成 その後在宅ケア推進のため二日町診療所をはじめ、多様な在宅ケア拠点をつくる。 7年 在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワークを結成 (医)萌気会 萌気園浦佐診療所 (新潟県南魚沼市浦佐) 平成 15 年 (後にNPOとなる)会長に就任 (社)桐鈴会理事長(19 年から顧問) 平成 19 年 5月 国立長寿医療センター「在宅医療推進会議」の会長代行となる。 おもな著書 『医者の父から七人の子どもたちへいま言いたいこと』 『和解ある老いと死』 『老いの復権』 『「大地の子」と地域医療』 「家に帰ろう 往診に 往診に行こう」 こう」 基調講演要約 在宅で療養する者へ また看取られる者への医療を提供することが在宅医療です。患者の 暮らす場所へ訪問して医療を提供することで、医師なら訪問診療といいます。 元来、江戸時代から往療(診)するのがふつうでありましたし、戦後になっても、道路事 情が良くなり自動車が普及する以前から、往診はあたり前でありました。 しかし高度成長期の間、病院の近代化、老人医療費の無料化など、また往診しなくても外 来だけでビジネスになる事情もできたため、急速に患者が病院へ集中し、往診離れの実態に なりました。 2 ところが、高齢化社会、要介護老人の増加のなかで、改めて在宅医療の意義が問われるこ とになりました。 また家庭や家族の変貌、家族の介護力の低下、一方、地域にとっては療養病床等の急増に よって何かあれば入院があたりまえとなり、自分の家での家族のあたたかな介護や家族から 看取られることは、忘れ去って久しい現状も存在します。 はたしてそれでいいのでしょうか。老人の居場所がなくなるとはどういうことなのでしょ うか。 年を取っても安心して生活できること。またその人らしさやその人の生涯を認めあえる、 生きることの尊厳が保たれ、わずかであっても希望をいだける。そういった老後が社会的に も保証されねばならないと思います。 在宅医療はそういった社会的要請を受けて、療養者の健康を支援することによって、介護 サービスと共に生活を支援する存在でありたいと思います。 シンポジスト講演要約 1) 壷井康一 (ネクストホームクリニック院長 ネクストホームクリニック院長) 院長) 「高知で 高知で普通に 普通に受けられる在宅医療 けられる在宅医療について 在宅医療について」 について」 中国ではメラミン入り粉ミルク、日本でも事故米の販売と、ルールが守られていません。 命が大切にもかかわらず、自分だけよければ、とお金儲けを優先しています。悲しい、恥ず かしいことです。 医師は、人を幸せにすることだけが、健康だけが使命です。病院の治療も、在宅の治療も それは同じです。 決定的な違いは、在宅医は家を、生活環境をみている、見た事があるということです。医 師が最先端で最高にすばらしいと考える治療も、その人や家族が、なんらかの理由で受け入 れられない治療であるならば、その人の生活環境、経済環境、家族環境に合った治療にアレ ンジしなければその人の幸せにはつながりません。その人と共に悩み、泣き、笑いの医療で す。そこには、喜びや楽しみがたくさんあります。 在宅医療に出会えた事に本当に感謝しています。 2) 木俵光一 (木俵病院院長) 木俵病院院長) 「幡多地方における 幡多地方における在宅医療 における在宅医療の 在宅医療の実際」 実際」 1、 幡多地域は香川県程の面積があり、道路事情が非常に悪い。台風や集中豪雨の際ど うするか? 2、 在宅診療時間より、はるかに移動時間がかかるがどのようにこなすか? 3、 往診車が使えない急峻な階段がある時はどうやって搬送するか? 3 4、 夜間往診で患者さんの家が真っ暗でわからなくなった時。 5、 遠方の緊急往診で救急車を呼ぶ時。 6、 在宅医療は素敵なのか? 7、 医師や看護師の自己満足に陥らないようにするには? 3) 西村裕之 (幡多けんみん 幡多けんみん病院脳 けんみん病院脳神経 病院脳神経外科部長 神経外科部長) 外科部長) 「脳卒中治療の 脳卒中治療の地域連携」 地域連携」 脳卒中は要介護となる病気の第一原因(25%以上)であり、重度である要介護度 4,5 に占める割合が高いことがわかっています。 高知県、その中でも幡多は、全国に比べ、人口当たりの“脳卒中による要介護者数”が多 く、今後も増加していくと予測されます。幡多地域の在宅医療を考える場合、脳卒中は特に 重要な疾患と考えられます。 私たち脳神経外科医は、急性期から、脳卒中の治療を担当していきますが、脳卒中治療に は、予防、急性期治療、回復期から維持期のリハビリ、在宅介護まで、いろいろな職種の方 がかかわることになります。脳卒中治療を、継ぎ目なく、有効におこなっていくためには、 医療機関や各施設間、職種間の連携が重要になっていきます。 幡多地域では、幡多けんみん病院と地域の医療機関の協力により、全国でも早くから「脳 卒中地域連携パス」、 「脳卒中病診連携パス」というものを作成し、急性期から回復期リハビ リの連携、脳卒中再発予防を目指した専門医とかかりつけ医との連携を進めてきています。 地域の皆さんが、自宅で安心して生活していただくためにも、今後、さらに地域連携を進 めていきたいと考えています。皆さんのご理解、ご協力をお願いいたします。 4)田中美保 (訪問看護ステーションのぞみ 訪問看護ステーションのぞみ所長 訪問看護ステーション ステーションのぞみ所長) 所長)「訪問看護ステーション の現状( 」 現状(症例を 症例を含めて) めて) 訪問看護では医療的な処置の必要な患者様が増えており、内容も点滴の管理から経管栄養 や人工呼吸器の管理まで様々です。また、最期をご自宅で過ごしたい方も増える傾向にあり ます。 在宅で看取りをするためには、本人が在宅での死を希望していることや、家族もそれを望 み一定の介護力があることが重要になってきます。また、昼夜を問わずかかりつけ医による 往診が可能であることや、地域に訪問看護体制が整っていること等の一定条件も必要になっ てきます。最近も 68 歳の癌の女性の方が、3歳のお孫さんを始めとする家族の皆様に見守 られながら他界されました。 私達訪問看護師は頑張っているご家族の 10 分の 1、あるいは 100 分の 1 程の力にしか なることはできません。けれども「24 時間いつでもあなた方を見守っています」という安 心を与えることはできると思います。 患者様が住み慣れた場所でご家族とともに、療養と生活を送ることができるように日々の 関わりを持ち続けたいと思っています。 4 4) 濱田幸美 (在宅医療経験患者の 在宅医療経験患者の家族) 家族) 「終わりよし 安堵の 安堵の顔で母は逝き」 母は 96 歳まで元気で、一生懸命働き、5 人の子供と 5 人の孫、そして 5 人のひ孫を 育て見守ってくれました。何事にも「お陰さま。おおきにありがとう」が口癖の感謝の気 持ちいっぱいの母でした。 昨年春ごろから身体も心も弱くなり、秋に脳梗塞を起こして入院しました。治療の甲斐 も無く、状態は悪くなる一方でした。母は「クダをいっぱいつけた治療は嫌です」とはっ きり申しました。私たち家族一同、 「苦しまず穏やかに家で見送りたい」との思いでした。 そして、自宅に来てくださる先生と看護師さん、訪問介護サービスなどが決まり、退院 となりました。 帰宅後、母の意識ははっきりして、少し食べたり、子や孫やひ孫と会話をしたりしまし た。そのような中、私たち家族は母と一緒の時間を過ごせて喜びを感じました。そして家 に帰って 3 週間後、私達が見守るなか静かに永久の眠りにつきました。 関わっていただいた皆様の手助けを頂き、安らかに見送りたいという思いが叶いました。 感謝の気持ちいっぱいでございます。 5
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