vol.9

人・マチ・自然・メディア ━━ 地域をむすぶ情報誌
2012 SPRING
vol.9
kakai special interview !
オホーツク燻製工房
有限会社フューモアール
その5
さん
燻製職人安
倍哲郎
そのべ君の無鉄砲な
『自給自足』奮闘記
ダイニング カフェ「クアトロ」
中内行克さん
グループホームを訪れるとき
《連載・最終章》
さい
ご自由
に
くだ
お持ち
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
べ
て
つ
ろ
う
さん
( )
オホーツク燻製工房 有限会社フューモアール
あ
燻製職人 安倍 哲郎
kakai special interview !
5
58
輝く笑顔は、この街の元気です 2
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
kakai special interview !
5
厳選した素材を、昔なが
らに薪とおが屑の煙で燻し
ていく。ほのかな風味が口
の中でじんわりと広がって
いくその燻製は、紋別市の
燻製工房有限会社フューモ
アールの安倍哲郎さんが作
る一品だ。
フランス文学と音楽に夢
中だった青春時代、東京新
宿で口にしたスモークサー
モンの味が、燻製職人とし
て生きることを決意させ
た。
「失 敗」 と「改 良」 の
繰り返しのなかで生まれ
た燻製は、安倍さんにとっ
て「珍味とは違う、オード
ブ ル の 料 理」
。マニュアル
化が進むこの時代、一貫し
て手作りの味を追い求める
姿勢の裏には、ただ「うま
いものを作り続けていきた
い」という一途な思いと、
自身の感覚を大事にしたい
という職人としての誇りが
溢れていた。
3 嘉会(kakai)よき人との出逢い、大切に……
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
1953年、安倍さんは釧路で祖
父母の代から続く水産加工業「ニヤ
に、僕も次から次へと様々なジャン
品群でした。僕の中で音楽や文学を
の飛行家、サン・テグジュペリの作
色になったんです。
通じて、フランスという国の文化へ
旅に出たこともあったし、毎晩フラ
ルを聴いていましたよ。
の憧れが膨らんでいったのは、この
ンス人の友人たちと集まっては、お
酒を飲んで語り合っていました。も
時期だったんです。
ですから在学中は、アルバイトで
貯めたお金で友人のいるフランスに
フランスの文化に憧れ
(色んなことに興味があった少年時
ともと大学では東洋哲学専攻でした
鉄道模型を組み立てたりしては遊ん
で、竹ヒゴでヒコーキを作ったり、
よ。 も の づ く り も 大 好 き だ っ た の
つけては、網ですくったりしました
いて小魚やザリガニのいる場所を見
が広がっていました。よく線路を歩
生まれ育ったのは東釧路というと
ころで、旧釧路川沿いには低湿地帯
えますか)
していたシャンソンの魅力に惹かれ
が、ちょうどこの頃から、当時流行
んかをしたりして楽しんでいました
ました。山岳部では大雪山の縦走な
山岳部と掛け持ちで合唱部に入部し
ら通える釧路の学校に進み、今度は
いました。高校は祖母のいる生家か
って、そこで僕はフルートを吹いて
た潮見中学校にはオーケストラがあ
に引っ越したんです。僕の通ってい
釧路には小学校6年生まで過ごし
ました。その後、工場のあった紋別
けたもので、僕にとって大きな発見
文学的シャンソンとは、詩に節をつ
うものがあると教えられたんです。
ののほかに、文学的シャンソンとい
て、シャンソンにはポピュラーなも
その講義でシャンソンの話題になっ
るフランス人の若手音楽家でした。
師は日本の音大に留学して学んでい
学校の集中講義を受けたんです。講
人に誘われてアテネフランセという
門学校も幾つかあって、夏休みに友
高校卒業後は、東京の大学に進学
しました。東京にはフランス語の専
る公立学校共済組合宿泊所のホテル
とにしたんです。それで、札幌にあ
て、僕もとりあえず北海道に帰るこ
んな帰国してしまったこともあっ
卒業後もそのまま東京にいるつも
りでしたが、フランス人の友達がみ
すね)
(すぐには実家に戻らなかったので
思っていたんです。
フランスに関係する仕事をしようと
シャンソンの世界に没頭
でいました。
始めていたんです。
でした。そして、ジョルジュ・ブラ
でウェイターをやったり、楽器店に
代だったんですね)
一方で、小学校2年生の頃から習
い始めたピアノは面白くてよく弾い
僕は昔から本が大好きで暇さえあ
れば読んでいましたが、そのなかで
ッサンスという代表的な詩人を知っ
就職して販売の仕事をしたりしてい
が、途中からフランス文学に転科し
いろいろな音楽を聴いていた父親の
も 特 に 好 き だ っ た の が「星 の 王 子
てから、頭の中がまさにフランス一
ようなシャンソンの世界と現実は全
でも、フランスで暮らしていた先
輩 か ら は、「僕 ら が 思 い 描 い て い る
と思っていたようです。
行 く ん だ か ら 戻 っ て こ な い だ ろ う」
たんです。親は「どうせフランスに
卒業後は札幌で職を転々
ました。卒業後の進路も、できれば
影響もあります。クラシックから流
様」の作者として知られるフランス
ていました。音楽に対する興味は、
行 歌、 シ ャ ン ソ ン …、 と い う よ う
(子どもの頃の話から聞かせてもら
暇あれば読書か工作に熱中
子さんの長男として生まれる。
マ安倍商店」を営む故淳二さんと節
5
ジョルジュ・ブラッサンスという
代表的な詩人を知ってから、
頭の中がまさにフランス一色になったんです。
kakai special interview !
輝く笑顔は、この街の元気です 4
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
kakai special interview !
トとなった。燻製作りはほとんどが
歳で帰郷した安倍さんの燻製作
りの夢は、まさにゼロからのスター
す。
サーモンを作ろうと思っていたんで
めたときに、戻ったら絶対スモーク
ました。だから、紋別に帰ろうと決
の安藤憲四郎さん(嘉会第6号に登
が、 市 内 の「レ ス ト ラ ン あ ん ど う」
モークサーモンを買ってくれたの
ました。その最初に出来上がったス
たときには、3年の月日が流れてい
販売できるものが作れるようになっ
りするという日々でした。ようやく
知人に無理を言って買ってもらった
す。
新鮮なものしかスモークしないんで
使う魚も、刺身で食べても美味しい
くないという実感があって、素材に
程度のみずみずしさがないと美味し
す。サーモンを例に挙げれば、ある
けないという考え方があるからで
っているので、薫香が強すぎてはい
年にわ
場)だったんです。以来、
り。 本 業 の 合 間 を 使 っ て、 試 作 の
仕事を見ていた父親の記憶だけが頼
を使い続けてくれているんですよ。
たってうちで作るスモークサーモン
(すると、燻し加減はとても重要に
素材を生かすナラの煙
亡くなった祖父がやっており、その
く違う」ということも聞いていまし
日々が続いた。
なってきますね)
した。
といいながらの手探りの燻製作りで
い さ ん は こ う や っ て 作 っ て い た な」
父は、祖父の燻製作りを見たこと
が あ っ た 程 度 で し た か ら、「確 か じ
したんですね)
(燻製職人としての第一歩を踏み出
いというやり方もあれば、1~2週
うにせいぜい1日か2日しか燻さな
程の中で、僕がやっている方法のよ
これだけなんですよ。ただ、その工
香り付けとして「煙」を当てる―、
燻製といっても「塩」で味付けを
して、水気を切る「乾燥」を経て、
ことはありますか)
(燻製を作るときにこだわっている
素材自体の味がかき消されてしまっ
た。サクラも香りが非常に強くて、
匂いがきつかったので断念しまし
りませんが、センの木は一度試して
はヤニが出ますから使ったことはあ
燻材は、近くの製材所から出るナ
ラの薪とおが屑を使っています。松
スモークする素材は
鮮度が命
そうですね。どこで燻すのをやめ
るかということには敏感です。燻製
スモークサーモンの素材となる紅
ザケは、白ザケと違って脂分が非常
間かけてじっくりと煙を当てて保存
たことがありました。特別こだわっ
手探りの燻製作り
た。いくらフランスの文化が好きで
も、実際に仕事をして暮らしていく
ことはそんなに簡単ではなかったん
です。そうしているうちに「そろそ
モ ン は、 当 時 は 高 級 品 で し た。 で
に多く乾きにくいため、身が崩れや
性の高い燻製を作るやり方もありま
ているわけではありませんが、じっ
作りは、春と秋の乾燥した時期に行
も、東京にいるときに知り合いに連
すいんです。それなのに、僕は火の
す。ちなみに祖父が作っていた燻製
くりと熱を出しながら、香りもおと
ろ帰ろうかな」と思えてきたんです。
れていってもらったレストランで、
焚き方さえもわからないという状態
は、後者のやり方でした。
正直、燻製には前々から興味があ
り、一度作ってみたかったのがスモ
ークサーモンでした。スモークサー
の多い燻製でしたが、本当に美味し
なしいナラは、僕の作る燻製に最適
湿度によっても変わってきますから。
うのが基本ですが、その日の気温や
久しぶりに口にすることが出来たん
で し た か ら、 当 然 う ま く は 作 れ な
なんです。
スモークサーモンを
作りたかった
です。今風のものとは違って、塩気
い。作るときは大量に試作品も出来
燻す時間を短くしている理由は、
燻製は「オードブルの料理」だと思
ますから、以前勤めていたホテルの
5 嘉会(kakai)よき人との出逢い、大切に……
30
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いものがあるんだなと、改めて思い
5
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
「どうせゼロなんだから、
い食品を作る会」という全国組織の
は古い冷蔵庫が1台あるだけでした
から、最低限の保管設備を整えよう
と、新たに冷蔵庫を1台増やすこと
にしました。
当初は、取引先に保管場所を貸し
てもらったりして乗り切っていまし
たが、色々な人と出会う中で幅広い
食品添加物について学びながら、本
参加することになりました。初めて
色々と教えてもらいながら再出発す
金の借り方なんかに詳しい知人に
そこで、これまでの個人商店をち
ゃんとした会社組織に移行して、お
した出会いがあったからなんです。
に掲載することになったのも、こう
に出店したり、各社の商品カタログ
た。東京や大阪のデパートの物産展
う覚悟でした。
当にいいものとは何かを考えるよう
ることになりました。実際、工場に
人脈が出来たことが一番の収穫でし
(これまでの燻製づくりの中で、変
に な っ た ん で す。 そ の う ち、「そ れ
団体に出会い、オブザーバーとして
えてきた点などはありますか)
か ら 食 品 添 加 物 を 抜 い て し ま お う」
疑問なく使っていた
食品添加物
昔は紋別でもよく製薬会社の専門
家が来ては、食品添加物を使ったレ
と思うに至ったんです。
食品の登場とともに育ちましたか
もともと、僕の世代はインスタント
でも、 歳を過ぎたあたりから体
中にじん麻疹が出はじめたんです。
役割を果たしていたと思います。
いのですから、当時としては大きな
えば、1年たってもカビすら生えな
り、経営を圧迫していたんです。そ
工場の海外移転で手に入らなくな
ボロの原料となるスケトウダラが、
問題のほかに、本業で作っていたソ
もちろん父親からは「そんなこと
できるわけがない」と猛反対されま
(周囲の反応は?)
個人商店を
会社法人化して再出発
なら、自分の食生活、作るもの全て
シピの講習会が開かれていました。
僕が紋別に帰ってきて仕事を手伝い
始めたときも、何の疑いもなく防腐
剤を素材の入った樽の中に入れてい
ら、 そ の 結 果 で も あ る と 思 う ん で
の こ と も 重 な っ て い た の で、「ど う
ましたから。実際、食品添加物を使
す。 で も そ れ が、 年 々 ひ ど く な っ
せゼロなんだから、これから一つ、
二つと積み上げていけばいい」とい
した。でもその頃は、食品添加物の
代の半ばはまさにアレルギー
て、
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との闘いでした。そんなときに「良
30
輝く笑顔は、この街の元気です 6
素材は一つ一つ手作業で。長年の勘によって究極のうまみを求め、
作業は進む。
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これから一つ、二つと積み上げていけばいい」
という覚悟でした。
kakai special interview !
特集インタビュー『いい人、いいマチ、オホーツクの人』
すというやり方で行うんです。たま
ど、比較的大きくない魚は塩水に浸
るんですが、ホッケやサクラマスな
際は、直接塩をふりかける方法で作
だと思うんです。だから、
る。職人の仕事ってそういった世界
ることでどんどん面白さが増してく
との繰り返しですけど、年月を重ね
醍醐味ですよね。仕事自体は同じこ
すると、結構おいしいものが出来上
モークしてみたことがあるんです。
有効利用できないかと思い、一度ス
捨てられてしまうこの魚をどうにか
北海道で獲れる魚の一つにオオカ
ミウオがあります。網にかかっても
ていくんじゃないかなと自分でも期
ラマスはこれから面白い食材になっ
べた人からの評判もいいので、サク
らないほどうまいものができた。食
製の味が、これまでとは比べ物にな
けてみたのですが、燻しあがった燻
きかったので、直接身に塩をふりか
く ら い。 だ か ら、「す ご く う ま い ん
商品にしてもせいぜい1個500円
僕の作る燻製は、すごく高価な食
材を使っているわけでもないから、
のになっていると思いますよ。
つ進化を遂げてきた分だけ違ったも
作った燻製と今作る燻製は、少しず
諦めきれなかった
サクラマス
(現在、開発中の商品などがあれば
たま昨年のサクラマスは例年より大
年前に
教えてもらえますか)
がったものの、個体差がとても大き
だ」 と は 言 い ま せ ん が、「で も、 う
(安倍さんにとって燻製作りの面白さ
有限会社フューモアール】
【オホーツク燻製工房
けたいと思っているんです。
す。そんな燻製をこれからも作り続
まいんだ」という思いで出していま
待しているんです。
ザケ同様、脂が強く身が柔らかい特
は、どういったところにありますか)
感覚全て使う仕事
だから面白い
く、当たりはずれも多いことから商
品化は断念しました。
もう一つ、僕がなかなかうまく作
ることの出来なかった魚が、紋別で
徴があり、過去に一度失敗して断念
北海道紋別市真砂町2 2- TEL 0158・23・3615
0158・23・3624
050・7519・1874
IP Phone
ホームページ http://fumoir.jp/
Eメール [email protected]
↑興部
オホーツクライン
ニュー ジャパン●
紋別中心部↓
●小林整形外科
フューモアール
オホーツク燻製工房
●
30
15
春と秋に獲れるサクラマスです。紅
したことがあったんです。でも、ど
燻製作りの面白いところは、自分
の持っている感覚の全てが仕事に結
ときでも、脂の乗り具合などを手で
うしても諦めきれず、5年ほど前か
が昨年、初めて美味しい燻製に仕上
感じながら作業を進めています。マ
びついているところです。魚を切る
がった。
ニュアルにはない手仕事ならではの
5
●GS跡
【取材後記】
固定観念にとらわれず、まずは挑戦
してから考える。安倍さんの仕事を見
学 し な が ら、「失 敗」 を も 楽 し み に 変
えるという仕事の神髄を教えられた気
がした。出来上がったサクラマスのス
モ ー ク。 口 に 運 ぶ と 美 味 し さ と 同 時
に、手塩にかけた職人の技と誇りが伝
わってきた。長時間の取材、ありがと
うございました。 記者:園部 渉
7 嘉会(kakai)よき人との出逢い、大切に……
ら再び作り始めていたんです。それ
紅ザケなど大きな魚を塩漬けする
℻
どうしても諦めきれず、5年ほど前から再び
作り始めていたんです。
kakai special interview !
そのべ君の
無鉄砲な
『自給自足』奮闘記
その五
薪小屋の崩壊というアクシデントに見
舞われながらも、何とか“冬ごもり”の
準備を終えた自給自足的生活。これから
続く長い冬を前に僕は、密かに一つの催
しを心待ちにしていた―。
そ れ よ り、“味 噌 職 人 1 年 生” で も れ
っきとした味噌を作ることができた
たことが何よりも嬉しかったのだ。
―、その一つの自信が僕の中に生まれ
奮闘記「その弐」では、畑で収穫し
た大豆で手作り味噌に挑戦したことを
僕らの秘密のテリトリー
そのべ流味噌
ついに解禁!
紹介した。その味噌が熟成を重ね、よ
た っ け?」。 一 気 に 不 安 が 押 し 寄 せ て
て い る …。「味 噌 っ て こ ん な 匂 い だ っ
ないか。が、同時に独特の香りを放っ
いるような“田舎味噌”そのものでは
「お お!」 ―。 心 配 し て い た カ ビ も
一つもなく、見るからに店頭に並んで
た。
の味噌の入った樽を恐る恐る開けてみ
んな思いを抱きながら僕はついに、そ
ら、発酵を続けてきたに違いない。そ
待つこと1年。ただでさえ酷寒の我
が家の冬をひたすら辛抱強く耐えなが
行者にんにくが僕を囲んでいるではな
刺激した。ふと足元を見ると、無数の
草刈をしていると、強烈な匂いが鼻を
う。そんなある日、沢の近くで苗木の
否応なく視線は山菜へと向いてしま
幸い、山仕事をしているとどこに行
っても山菜の宝庫。仕事をしながらも
の季節の到来だった。
ってきた。そして、それはまさに山菜
ようやくオホーツクにも嬉しい春がや
をしながら過ごした長い冬も終わり、
炊飯器で手作りパンを作ったり、白
樺樹液をとってお金のかからない遊び
うやく封印を解く時を迎えたのだ。
きた。
を入れすぎてしまったらしい。スプー
てきた。そう、不覚にも作るときに塩
途端、猛烈なしょっぱさが口に広がっ
ゃうまい!」と一人歓声を上げたその
て か ら 口 に 運 ん で み る。「め ち ゃ く ち
した上で僕らは、袋一杯の戦利品を手
の行者にんにくを採るために、根を残
い「秘 密 の 領 域」。 来 年 も こ こ で 野 生
重な“穴場”は極力人に知られたくな
所に向かった。もちろん、こうした貴
僕はその場で取れるだけ袋に入れ、
後日改めて、仕事仲間とともにその場
いか。
ン一杯で味噌汁5杯分は作ることがで
に山を下りたのだった。
しかしながら、味さえよければ問題
はない。ゆっくりと指で味噌をすくっ
きるだろう…。だが、ある意味これほ
ど効率の良い味噌は他にはないのだ。
輝く笑顔は、この街の元気です 8
山 菜 は し ょ う ゆ 漬 け や 味 噌 和 え な
ど、食べ方も多種多様。でも僕はやは
ってしまった。
て、裏庭には、タランボの専用畑も作
聞 け ば 採 り、 と に か く 食 べ た。 そ し
ド、そしてワラビなど、食べられると
く だ け で な く、 タ ラ ン ボ や フ キ、 ウ
勝手に「山菜生活」をテーマに掲げ
たこの春から夏にかけて、行者にんに
でしかない卒業論文を書いている意地
風呂が好きなのか』という趣味の延長
代、風呂好きが高じて『なぜ日本人は
風呂には入りたい。加えて僕は大学時
うに滴り落ちてくる以上、どうしても
せ季節は真夏、ただでさえ汗が滝のよ
そこでようやく僕は重い腰をあげ、
色々といじってみることにした。なに
ながら、直っているはずは無かった。
ろう」と楽観していたが、当然のこと
初、僕は「数日放っておけば大丈夫だ
ったようでなかなか面白い。だが、素
の作業はまるでボイラー技師にでもな
な構造になっているのか確かめながら
の汚れをチェックしていく。どのよう
つネジを外しては、配線やフィルター
た。「ラ ス ト チ ャ ン ス」 ―。 一 つ ひ と
呂釜を分解するという無謀な賭けに出
説明書を手に入れた僕は、早速午後
8時を回っているのにもかかわらず風
明 書 さ え あ れ ば、 何 と か な る!」。 僕
り天ぷらが一番の大好物だ。タランボ
もあった。
りに灯油を補充してからポンプ内の空
は格別だし、行者にんにくは香ばしさ
アクの強いものと弱いものがあるが、
ず、結局元通りにして再びスイッチを
の心に再び、入浴への情熱の火が灯っ
が一段と増すような気がして箸が止ま
食べすぎはよくないという。だが、時
だが、はっきり言って機械のことは
素人だから、耐震装置の動作チェック
押した。案の定、点火しなかった。時
気抜きを済ませた。だが、今回は燃料
らない。だが、ウドだけは僕の箸が止
すでに遅し…。連日の腹痛で、仕事中
や、 す す 掃 除 ぐ ら い し か で き な か っ
計はすでに深夜1時を過ぎていた。
三食山菜三昧のツケ
まった…。
にもかかわらず、度々ちり紙を持って
た。さすがに、諦めて業者を呼んでみ
た。
実はウドを自分で採ったのは今年が
初めてだった。たまたま仕事現場に大
は森の木陰で用を足すという、情けな
るも、買い換えたほうが良いという結
うんぬんよりも、点火さえしない。当
量に群生してるのを発見し、連日山ほ
い日々が続いたのだった。
聞くと、僕の持ち帰ったものは成長し
に降りかかった。突如、風呂釜が使え
山で畑で、汗をかきながら愉快に過
ごしていた矢先、思わぬ事態が我が家
そんな時、僕の元に朗報が届いた。
知人が僕の故障した風呂釜と同じ型の
踏ん切りがつかない…。
なってきた。しかし、買い換えるのも
秋になり、震えながらの入浴が苦痛に
いう日々が続いたが、そのうち季節は
湯を、申し訳程度に少しずつ浴びると
論だった。その間、僕は鍋に沸かした
夜中の風呂で極楽気分に浸る僕だった。
る ん じ ゃ な い か …」、 と 思 い つ つ、 真
「今 な ら も っ と ま し な 卒 業 論 文 が 書 け
船につかることの幸せを心底知った。
高揚した気分のまま風呂を沸かし、湯
確かに奇跡が起こったのだ。その後、
まだに復活の理由は定かではないが、
分解したのがよかったのか…、正直い
人目には何が異常なのか全くわから
原因不明の“復活”
どに持ち帰っては、知人にも大量にお
が、その数分後、突如「カチッ」と
いう音とともに点火したではないか。
すぎたため、食べる時機を当に逸した
なくなってしまったのだ。
ものを持っているという。そして、取
〈続く〉
す そ 分 け し た。 だ が、 そ れ ら の ウ ド
代物であったらしい。
きっかけは、灯油タンクが空になっ
てしまったことだった。でも、僕にと
り 扱 い 説 明 書 も あ る と い う の だ。「説
切れないほど固い。しまいには、口の
中が繊維だらけになってしまう。後で
風呂に入りたい!
そうしてほぼ毎日、朝昼晩と山菜を
主食に暮らしていたある日、突然、胃
っては日常茶飯事のことで、いつも通
は、どんな調理法をもってしても噛み
腸の様子がおかしくなった。山菜には
9 嘉会(kakai)よき人との出逢い、大切に……
dining café quattro
か
う
ち
ゆ
き
か
つ
ダイニング カフェ「クアトロ」
な
)
で味わえるとあって、女性客を中心に
とした創作料理をリーズナブルな料金
フ ェ「ク ア ト ロ」。 イ タ リ ア ン を 中 心
2010年 月、紋別市本町の商店
街の一角にオープンしたダイニングカ
ように工夫を凝らした。
ときにシェフと目の高さが一緒になる
で接したい」という希望から、座った
ブ ル と イ ス も、「お 客 さ ん と 同 じ 目 線
が凝縮されている。特注で作ったテー
の一つとなっている。
アトロにとって、定期的な新メニュー
さん。地元の常連客が大半を占めるク
のを取り入れていかないと」と、中内
客さんが多いので、どんどん新しいも
の 評 判 も 上 々 だ。「基 本 的 に 地 元 の お
し た か っ た」(中 内 さ ん) と い う 思 い
「料 理 だ け で な く、 器 や 音 楽 ま で、
トータル的にバランスの取れた空間に
れ家的。自身がデザインした店内は、
たクアトロは、まさにその佇まいは隠
はない雰囲気」をテーマにオープンし
「女性同士でも気軽に入れる、紋別に
歴の持ち主だ。
員を辞めて料理人に転身した異色の経
高校を卒業後、5年間勤めた国家公務
店を切り盛りするのは、滝上町出身
のシェフ、中内行克さん。紋別市内の
して出来上がった自信作で、お客さん
い。どれも納得いくまで試作を繰り返
物や野菜を積極的に使った料理も多
サルサのせ」など、地元で採れた海産
して最近登場した「サロマ産生ガキの
南 瓜 の 豆 乳 グ ラ タ ン」、 新 メ ニ ュ ー と
別で作っている豆乳を用いた「ナスと
った多彩な創作料理。なかでも地元紋
や「チーズ入りライスコロッケ」とい
もちろん、「真ダチの自家製スモーク」
は、定番イタリアンのパスタやピザは
つだ。
も、クアトロならではのもてなしの一
す よ ね」。 料 理 を 通 し た 人 と の 出 会 い
にも気軽に来てもらえたら嬉しいで
体8割くらい。でも、男性のお客さん
そ し て、「い ま は 女 性 の お 客 さ ん が 大
ることが財産だと思います」と語る。
とても心に響いた。色々な人と出会え
中 内 さ ん は「『商 売 は お 金 儲 け じ ゃ
ない、人儲けだ』という先輩の言葉が
の登場も何度も足を運びたくなる魅力
密かな人気を呼んでいる。
洋食レストランや創作料理店で修行
を積んだ中内さんの手がけるメニュー
39
12
中内行克さん
(
dining café quattro
紋別市本町5丁目2-23
http://twitter.com/monbetsuquattro
ランチ 11:30~14:30(LO 14:00)
ディナー 17:30~23:00(LO 22:00)
日曜定休
《ランチ》「4種パスタ」880円~(サラダ、
パン、コーヒー付)、「ピザ」1,080円
《ディナー》
「気まぐれパスタ」850円、「生春
巻のクアトロ風」480円、「ナスと南瓜の豆乳
グラタン」760円、「滝上産牛のビーフシチュ
ーグラタン」1,280円など
輝く笑顔は、この街の元気です 10
ように安心した生活を保障する
認知で入居したお年寄りをどの
護するホームの役割は大きく、
介護とは、介護される人のた
めにあります。特に認知症を介
を、もう一度考えてみましょう。
きました。それについてなぜか
食べているのか等々、と案じて
事は同じテーブルで同じ献立を
に上履きで入っていないか、食
ホーム玄関に入居者の靴はあ
るのか、介護者は入居者の居室
た。
ついてあれこれと触れてきまし
ループホーム(以下ホーム)に
介護の現場の人間として、認
知症対応型共同住居いわゆるグ
なぜにこのように、介護側に
ついて言及するのは、冒頭に書
派な拘束だと思います。
といいますね。ちゃんとした立
ク解除が必要です、は施錠状態
ません、だけど出るのにはロッ
じように、玄関の鍵はかけてい
護員に恐ろしさを感じます。同
を言葉でしか理解していない介
前でした。その根の深さと拘束
る抑制、言葉での強制は当たり
確かにないのですが、態度によ
たり、縛ったりする身体拘束は
ってて」と理由も聞かずに応え
り、 大 き な 声 を 出 し た り、「待
介護員が忙しそうに駆け廻った
あるホームでは身体拘束はな
い、と胸を張ります。ですが、
た。感謝の一言です。厚くお礼
の皆様、ありがとうございまし
ます。
のです。そこから介護は始まり
ホームでも、社会でも、あな
たの嫌なことは、利用者も嫌な
使えますか。」
「あなたは、鍵なしでトイレを
うで着替えができますか。」
「あなたは、擦りガラスの向こ
か。」
オル一枚で他人の前に居れます
「あなたは、裸体のままバスタ
私はいつも、介護員に問いか
けます。
NPO法人札幌・障害者 活 動 支 援 セ ン タ ー ラ イ フ
ヘルパーステーション繭結 笠井 衛二
のかが問われます。まさに介護
いた「介護とは、介護される人
申し上げます。
たいと思うからです。
はそのためのみにあるのだと思
のためにあります」を明確にし
このような介護の記事を掲載
させていただいた情報誌、嘉会
っています。
㈱ソーゴー 代表取締役会長
佐 藤 健 二
老 子
知人者智 自知者明
人を知る者は智なり
自を知るものは明なり
他人を知るのは単なる智者にすぎな
い。自分を知ることが明知の人。
この言葉の後には「人に勝つ者は力あ
り 自ら勝つものは強し」とある。
他人に勝つことよりも、自分に勝つほ
うがはるかに難しい。
11 嘉会(kakai)よき人との出逢い、大切に……
グループホームを
訪れるとき 〈最終章〉
介 護の 現 場
日~2月
【1月】
1月
日■ウィンターフェ
24・3900)
合わせ/紋別観光協会(☎0158・
トルの滝が氷結する自然の神秘。その
問 い 合 わ せ / 丸 瀬 布 教 育 セ ン タ ー
(☎0158・47・2456)
入浴券、昆虫生態館の入館料など含む
日■第
ト。市内のホテルから出発するシャト
の流氷をはじめとする自然や、歴史、
紋別市文化会館 内容/国内外から多
くの学術研究者が集い、オホーツク海
人。温泉
光景は必見 参加費/小学生1000
円、中学生1300円、高校生以上1
日~2月
日■北方圏国際シンポジ
ルバスを使ったツアー企画。道立オホ
文化など多くの分野に関する研究成果
キロコースが復
500円※小学生以上先着
回もんべつ
2月
流 氷 ま つ り(紋 別 市) 場 所 / ガ リ ヤ
地区イベント広場 内容/今年のメー
ン氷像は岩手県平泉の中尊寺本堂。天
然の氷柱1万本以上を使った迫力ある
氷像はここだけの規模。歌謡ショーな
日~
どの催しも多彩 問い合わせ/紋別観
光 協 会(☎ 0158・ 24・ 390
0)
2月
ーツク流氷公園でのミニ演奏をはじ
ウム
(紋別市) 場所/紋別市民会館、
め、ロマンティックな催しを用意。基
が発表される 問い合わせ/実行委員
会事務局(☎0158・26・281
ス テ ィ バ ル も ん べ つ(紋 別 市) 内
容/昨年から開催されているイベン
本的には月・木曜日、流氷まつり期間
0)
び100キロ駅伝と
縮小して開かれていたが、今年から再
キロクロスカントリースキー大会 場
所/湧別町、遠軽町 内容/1989
年から続く歴史ある大会。ここ数年は
日■湧別原野オホーツク100
2月
日■流氷あいすらん
以外に実施予定 問い合わせ/紋別観
光 協 会(☎ 0158・ 24・ 390
0)
【2月】
2月1日~2月
ど 共 和 国(紋 別 市)
場 所 / ガ リ ヤ 地
区イベント広場 内容/厳寒のなかで
オホーツクの味覚を楽しむ恒例の「ま
活 問い合わせ/大会事務局(☎01
586・2・5866)
メー
日■厳冬!山彦の滝
る か じ り パ ー テ ィ」 を は じ め、
「流 氷
日、3月
観 察 会(遠 軽 町) 内 容 / 高 さ
館クリスマ
50
2月
などユニークな企画が目白押し 問い
ス会
まれ!
24
輝く笑顔は、この街の元気です 12
2012 SPRING vol.9 編集発行人/佐藤健二 発行・印刷・製本/株式会社 ソーゴー 本社/〒094-0011 北海道紋別市港町8丁目2番31号 TEL 0158-24-2625 FAX 0158-23-2622
kakai
支店/〒098-1615 北海道紋別郡興部町仲町 TEL 0158-82-2043 FAX 0158-82-3330
28
上渚滑児童
12
24
30
10
19
結 婚 式」 や「雪 中 パ ー ク ゴ ル フ 大 会」
85
26
26
18
輝く笑顔集
in
26
イベント
広場
22