国労 5・27臨 大 闘 争 弾 圧 を許 さ な い 会 −7 7月11 日− ▼連絡先 と。この 池田の 立ち位 置や橘被告や 松崎・富田被告の 位置 につい て弁護 に知る。池田がぶつか っ てきたのは カ ット 4が始 まる 1秒 ほ ど前 との こ 現場の責任者は私です。ビラまき・説得活動は組合活動だ! 被告人 質問の最初は 橘日出夫被告で、今回は4回目 の質問が 行われた。 橘被告 は 、5 ・ 前日か ら当日ま での行動を 具体的に 話し 、す べ てが組 合活動だったと証言し た。 当日の現 場責任者は 自分だったと明 らかにし た。 ﹁池田事件﹂は なかったこ と、江 田は 自分からぶつ かってきたと述 べた。 タ ーの 松田 浩明さ んの道案内でホテ 橘被告の 記憶によれ ば 、松崎被告は ﹁和式トイレにしゃ が みこん だ時の 告の 横にしゃ がん でい た 松崎博己被 告が﹁何だ﹂と言って立ち上がった。 人は 現場見 取り 図に 記入 させる。 池田が橘被告を押し始 めた 時、橘被 台風が 接近中の 梅雨空は 水墨 画の ル まで歩い て行っ た 。ホテル前に着 いたのは 6時 分頃との こと。 」 池 田 事件 につ い て 弁 護 人 は、 ﹁杉並ビデオ ﹂の 画像時刻 7時 分 「 調べて裁 判見 学に 来た 一般の 傍 聴者 も数人い た 。 国労と闘争 団員 5 40 秒の 場面 ︵カ ット 4︶を再生して 質問を行う。 シャ ツ姿で黄色いリ ボ ます﹂とあい さつ してビラ を差し 出 した ら、﹁関係ないからどけ﹂と言っ 昼間は 闘 争 団員らがビラ まき等 を行 ン を付けた 男性が 出てきたの で、ビ い 、﹁許 さない 会﹂街宣 と競合 した 。 ラ を渡そ うと思い ﹁おはよ うござい らを含む 数名が池田を 取り 囲み、池 田に 対し⋮⋮ ︵略︶⋮ ⋮ と怒鳴り 、 の 成立及び 犯行状況 等 ﹂と称して次 のよ うに書い ている。 ﹁被告人 松崎 関わらず検察官はその 冒頭陳述の 第 3の 2におい て﹁各被 告人 間の 共謀 告が池田に 対して膝蹴 り をすること などあり えないの であ る。それ に も て橘被告の胸 を右 手 で押してきた と の ことである。橘 被告の身体が仰け 最初の 尋問は一瀬敬一郎主任 弁護 人 が担当 した 。弁護人は 5・ 前夜 旅館で どのよ うな議論をしたの か を 聞く。﹁ いいビラ をつ くろ うとい う こもご も同人 を突き、 その 両太もも を膝蹴りした 上、その 場か ら逃げよ され 、 5 ・ 当日の 朝、旅館に 届け られた 。 ビラの包みは 3つ で、 東京 中身を出すべきと述べた ﹂とのこと。 ビラは全 国労組交流センタ ーで 印刷 27 グリ ーン ホテル 御茶ノ水のビラ は橘 被告が持 参して、全 国労組交流 セン 報告者 小泉義秀 鈍 色 に 染 ま る 7 月乱 を 待 つ に びいろ 反る強さだった 。 この人 物が、国労 長野 地本の 池田久 幸であることを後 24 論議をし ました 。 私は、大会方 針案 を見 てい ない人 が大半だか ら、 その 12 よ うに、膝を折り 曲げ て座り込ん で いた ﹂との こと。した がっ て松崎被 よ う。 傍聴者 は 人 。インタ ーネット で 45 人 が昨年 ・ 5に 提訴した 裁判 の 第 1回公 判 が 時か ら開かれたの で、 02 63 15 27 (1) 27 ﹁共謀 ﹂の デ ッ チあげは 怒りに 堪 えな い 葉山法律事務所 東京都港区南青山5-10-2第2九曜ビル505号室 電話03-3797-3690 FAX03-3797-3950 ▼郵便振替口座00120-1-576168 国労5・27弾圧を許さない会 ▼ホームページ http://www008.upp.so-net.ne.jp/yurusanai/ 2007年7月16日発行 分まで休廷となる。 た江 田自身 が証言 している。 分∼ 時 時 再開され 、浅野 弁護人の ﹁ホテル 前に行った 橘さん た ち国労共闘と支 人 らの 間に大会参加者ら に 対して暴 力行為に及 ぶことについ ての 共謀が 成立した ﹂ 橘被告は、﹁池田事件 ﹂につい て このよ うな事実が全 くな かった こと うとする同人 を追いか ける などし、 大会参加者ら に 対し、暴行に及 ぶ意 思の あること を示 した 。被告人 らは その 状況 を目 撃し、被告人 松崎らの 上記意思を了 知して、大会参加者ら 援 は 何 人 で す か ﹂ との 問 い には 、 数人 です と答える。その 内、ホ 「 」 部派がホテル 玄関か ら出 てきたのに すぐには気づか なかった ことが、ビ のは 7時ちょうどである 。橘被告は 左手の 歩道の 方を見 てい たため 、本 を交代する。 国労本部派がホテルか ら出てきた 先頭の 笹 原が富田益行被告に ぶつ かる直前 に、当時 国労東京地本 の 調 です﹂と 答える。バスに 乗るの に 3 列縦隊で 、デモ 隊形で足早に行 進し との 問い には、﹁通路の 半ば あたり うに感じ ました ﹂ との こと。その 後、 の 左手 をつかん で引っ 張った と証言 江 田は橘さんに ぶ つかり 、橘さんの している。 ゆるい下 り 坂に なっ ているため 歩い ら橘被告を睨みつ けた 。﹁形相がす て くる と か なりの勢い がつ くよ うだ。 ごい ですよ ね。敵 意をもっ ているよ てきた こ とに 異様なもの を感じ た と の ことで ある。ホテル 通路は 出 口 が 腰か らわき腹に 左 手 をか けて、 ぐい 浅野 弁護人は この 点 につい て、そ ぐい押してきた 。 ビデオの 映像で も、 の 場面のビデオ 画像を プリント した 江 田は﹁そこをどきなよ 、お まえ﹂ の ほかに、 帰れ 、帰れ と言い なが 離れた ところ でバ ラバラに 立っ てい ました ﹂と答える。 る。 残り の支 援者 は どう して いた の で すか との 質問 には﹁ 玄関 か ら 労共闘の 木村芳雄 さん と動労西日本 の 出口威さんの 2人の 合計9人 であ 第 回公 判の 主尋問で 、この 冒頭陳 述に 沿う形で、橘被告 の 左手 が江 田 ﹁同 被告人 がその 左腕 を抱えてその 後頚部を押さえる ﹂と 続く。江 田は 胸 を押した とい う立証 は なされ てい ないの である。この 後 、冒頭陳述は あるが、江 田自身 が﹁胸を押された﹂ との 証言はしてい ない 。した がっ て がりその胸 を押し ﹂と しているの で テル前の歩道にビラ まきのために立っ ていたのは、被告 の 7人の 他に、国 デオ か らもよ くわかる。 橘被告はビ ラ を取り 出すために、ビ ラ を持つ手 査部長を していた江 田雄次が﹁ そ こ をどきな よ 、お まえ﹂と罵声を浴び 「 」 「 」 10 分。 浅野 史生 弁護人 が尋問 の 方に 顔を向けて、ビラ を持ち替え た 。﹁橘さん が見た 時、 国労本部派 写真集 を示 しながら質 問する。写真 №507、 511を示 すと、橘被告 30 の 左手にビラ が握られ てい て、親指 でビラ をつかん でいる 映像がある。 7 17 時 は 通路の どの あたりにい ましたか ﹂ ビラ の 束を 左手に 握っ てい た 橘被 告は 、 江田 の 左手 をつ かむ こと は で きな い を明言して、﹁怒りに 堪 えない ﹂と 結ん だ。 57 が同 ホテルか ら出て来るの を待ちう け、遅 くとも 、ここにおい て、被告 14 橘さん が押され て 、身体 を後ろに反 らしているの がよ くわかる。そ こで 押された! 15 せた 。﹁ 杉並ビデオ ﹂の 画像時 刻 7 時 分 秒∼ 秒までが再生 され る 橘さんが江田に 15 と、江 田 の 声がはっ きり と聞こ える。 橘被告は、﹁必死 に なっ て身体 を支 周知のよ うにビデオ 画像時刻は 実際 えよ うと思い 、とっ さに江 田さんの 17 (2) 20 そこに江田の左手はない。橘被告は、 左手に 枚以 上のビラ を握っ ていた 25 の 時間よ り 5分 秒進ん でいる ため 肩に手 をやっ て倒 れ るの を防い だ﹂ 7時 分 秒は 時ちょうどで ある。 との ことである。 17 わけだか ら、江 田の 左 手 をつかむ こ とはできなかったの である。 05 検察側冒頭陳述 は この ときの こと を﹁被告人 橘が江 田の前に 立ちふさ 05 この 声が江 田の もの であること は第 回公 判で検察側証人 として 出 廷し 32 14 37 ビラ作成も ビラまき・説得活動 も組合活動 ﹁杉並 ビデオ ﹂の 画像表示 時 刻 7 分 秒∼ 秒が再生され 、その 時 分。一瀬主任弁護人 が もう 一度質問を行う。 大会で 国 労バ ッジつ けているこ とに 怒り を覚えた ﹂との ことである。 員がいる 中で、い ち早 くバ ッジ を外 した 役員 らが、闘争 団を切り捨 てる この 時の 気持ちについ ては、﹁ 職場 でつ け続 けて処分を受けている 組合 の 7・ 1大会は、 闘争 団の家族 ぐる みの人 生をか けた 闘い です。 あと数 を妨害した と述べ てい ますが、あな たの認 識は ﹂と問 う。﹁2000年 すか ら、向山 さん がリ ーダ ーとい う こ と は あり え ませ ん ﹂ と 答 える 。 の 責任者は 私です し、国労共闘がビ ラ を国労組合員に まくとい うことで と、﹁全 くあり え ません。 国労共闘 ちはビラ をまくことが 目 的でした 。 当たり前の 労働組合 と しての 活動を には、﹁一 切知り ません ﹂と答えた 。 を妨害しているよ うに は見 え ません ﹁検察官は、中 核派が大会の 議事 が?﹂と問うと、﹁あ くまで も私た ﹁2002年5・ 以前に 向山 さん と面 識は あり まし たか ﹂とい う問い やろ うとした だけです 。 私た ちは何 回 もビラ まきはやっ て きました 。警 を見 る とあなたは下 を 向い ている。 富田さん もビラ を持っ ている。 通行 5・ 当日のホテル前 のビラ まきの 場面に 立ち返る。﹁2 08番の 写真 労働運動だと思い ます﹂と回 答する。 一瀬弁護人は再び写真集を示して、 れ しか なかった ﹂﹁労 働組合らしい の 質問に入る。 鈴木ビデ オ の 時 分 秒か ら 「 」 の 場面 で、橘被告は﹁お 前ら、恥ず かしくないのか。 甘利の命令受けて﹂ 党の支 配介入に 屈服 して 、甘利に喜 ん で もらうよ うな大会に しよ うとい 弁護人は﹁この 言葉を 言った とき の 気持ちは ﹂と尋ねる と 、﹁政権与 労本部派 が3列縦隊で 出て くる 場面 である が 、橘被告はホテルの 方 では 合員として も書記 長集約を止め なけ れ ばならない と思 っ てい ました ﹂と 番などを示 しつつ 弁護人 が質問 する。 てし まうとい う中 で、藤 保さんの 発 ここはホ テルか ら、笹 原を先頭 に 国 言があり ました 。 JR で働 く国労組 ビデオの 画像集 900枚の 内の 11 1番∼1 12番、178番∼1 80 答える。橘被告は 、当初はモニタ ー 室で大会 を傍聴し ていた が、い て も 質問で橘被告の被告人 質問は終了 す る予 定。 時 分に被告人 質問を終了する。 次回は 残り 少し と、 検察側の反 対 察はそれを暴力問題に結びつ けてでっ ち上げたの です﹂と答えた 。 う本部の あり 方は、労働 組合 として とっ ては ならない 。解 雇 された もの なく左の 歩道方向を見 ている。 その 後笹 原ら が前進して くるのに気 づい 秒で闘い が無にされ てし まう、自分 た ちの 団結体であ る 国労がなくなっ 27 を労働組合が除名した ら 労働組合で は なくなる ﹂と答えた 。 01 て、下 を 向い てビラ を取り 出そ うと 立っ て もい られ な くなり 、そ こにい する様子 が、手に とるよ うに わ かる。 た 大半の 組合員と 一緒に会場の 中に 12 27 検察の ﹁向 山リーダ ー﹂ 論は デタ ラ メ と述べている。さらに、 時 分 秒か らの 場面 では、﹁甘 利に 呼ばれ 時 47 次に 弁護人は、バスの 中央乗降口 付近での 橘被告の 説得活 動につい て て開く大会って何やわかってんのか﹂ と国労本部組合員を弾劾 している。 04 国労 バ ッ ジをめ ぐっ て は、 杉並 ビデオ の補 正 時刻 7時 9分 秒か 7 ら﹁やめや、お まえら、 職場でつ け しかし﹁ 気がついた ら笹 原さん は も た ことない くせに ﹂と弾 劾している。 う富田さ んに ぶつかっ ていた ﹂ 程の ﹁検察官は演壇 占拠を議事妨害 と 表現してい ますが 、どのよ うに考え 入り 、演壇に も登 った との ことであ る。 7・25第80回公判 ○12時15分∼傍聴券闘争 ○13時15分∼104号法廷 ★橘日出夫さん質問5回目 「 スピ ード で、本部派がぶつかっ てき たの である。 ま す か ﹂とい う 質 問 に 対 し ては 、 ﹁解 雇された 仲 間の 首切り を認める 」 次に 弁 護人は、﹁検察官は 冒 頭陳 述で被告 人 向山 をリ ーダ ーとし て集 39 のは 労働組合では ない 。 あの 闘いに よっ て必死に 団結 を守りぬいた 。 あ 組合員の誇り (3) 24 22 20 16 05 7 結した と 述べてい ますが、向山 さん がリ ーダ ーだったの ですか ﹂と 聞く 国労バッジは 17 03 下 山 房 第79回公判 を傍聴して 雄 傍 聴 記 犯罪謀議ではない! 解雇反対貫徹の組合活動だ! 傍聴券抽選待機の場の前、次いで裁判所一階ロ ものではないと再三述べてきた。 ビー近辺に、大きなメモ帳と望遠カメラでも入っ ている風の肩掛けバッグをもって屯す公安警察官 これに対して、当日の行為を「組合活動」だと 主張する被告側は、この「組合活動」に連なる前 による面割りチェック、裁判所建物に入る際の携 行品検査、104号法廷入り口での身体検査と、い 段行為として、既に70回公判で、入江証人と吉野 証人によって、02年5月7日の全国労組交流セン くつもの関門をいつものように受けて入廷。 今回の公判は被告橘さんに、5・27事件前夜か ター常任運営委員会、5月25∼26 日の国労共闘 「闘う国労の再生をかちとる全国交流会」の内容 ら当日の行動について尋問する内容であったが、 それは次の三つの部分から成った。 を明らかにしている。 今回、橘さん証言は、それを被告自身の口でな 第一は、事件前夜、被告らが本郷の旅館に泊り 込んで議論した内容から、当日の「池田事件」ま ぞるものであり、前夜の論議で、「国労が国労で なくなる」との臨時大会批判ビラの内容を決定、 でで、一瀬主任弁護人担当。 第二は、浅野弁護人担当で、国労本部の笹原、 印刷は国労共闘代表の責任で行い、翌朝そのビラ を御茶ノ水等の三箇所で分担配布すべく6時20分 江田等がホテルから出てバスに乗る過程での被告 らとの「衝突」の状況。 に旅館を出発した、などを堂々と述べた。 これらの行為は、国労内の社会民主主義者が作 第三は、再び一瀬主任弁護人担当で、検察官冒 頭陳述中の何点かをあげ、それを否定あるいは批 る集団=「党員協」や、共産主義者の「革同」が、 組合の意思形成に自らの思想を積極的に反映すべ 判する脈絡での尋問である。 く長年行ってきている「学校」の行為と同質のも のだ。たとえ、それらの行為が多数決として実ら 検察冒頭陳述で、池田事件は、松崎さんらが池 田氏を「突き」「膝蹴り」「追いかけ」たとされ なくとも、立派な組合活動なのだ。 青柳裁判長が、豊田電車区分会の中村幸夫さん る事件で、この場でのお互いの目配せ(目撃-了 知)で「共謀が成立した」との陳述である。 に対する東京高裁池田判決、つまり「少数派に身 を置き・・・機会あるごとに分会で四党合意受入 「暴力行為等処罰ニ関スル法律」には「共謀」 の語はないのだが、「共同シテ」暴力をふるった れに反対する意見を述べた」ことを「一連の組合 活動」として保護した判決と同じ視点にたつなら ことで刑法上の暴行罪より重刑(懲役二年→三年) を課すことになっている。そして学説は批判的だ ば、わが被告らは無罪である。 が、判例は刑法上「共謀」して行った犯罪は、実 行しなかった謀議者も共同正犯として処罰するこ 今回の参院選に向けて、自民党=安倍首相は、 一方でトンネル塵肺訴訟、中国帰国孤児訴訟につ とを肯定しており、この共謀共同正犯として被告 らを一括して有罪にする仕掛けを、検察が「池田 いては当事者の納得する解決策を提示しながら、 社保庁問題では、国鉄民営化の際と同じく全員解 事件」においているらしい(当日傍聴に見えた法 学者・宮島先生に伺った解説を私はこう理解)。 雇―「やる気のある者だけ再雇用」だと平然と公 言している。1047名国鉄労働者の解雇=JR不採 被告らが完黙を貫いたので、当日朝、現場に至 る前段階での被告らの集会や論議の様を聞き出せ 用問題の解決など全く考えていないわけだ。 5・27事件無罪獲得は、この酷い状況を反転さ なかった検察は、苦肉の策として「現場目配せ共 謀」を主張し、公判過程では、それは「遅くとも」 せる重要契機になる。頑張りましょう! 下山房雄(発起人) であり、それ以前での「共謀」がなかったとする (4)
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